2019年 08月 03日 ( 1 )

宇都宮編(6):宇都宮(15.12)

 余談です。宇都宮タワーのある八幡山公園で、不気味な注意書きを見かけました。募金・アンケート・勧誘などの行為や騒音を発することを禁止するというものですが、問題はそこに描かれたイラストです。前者の看板には「NO WAR !!」、後者のそれには「LOVE & PEACE」と記されています。些細なことかもしれませんが、憲法改正に反対する動きへ陰湿ないやがらせをする最近の行政の不穏な動向を見ると、深読みをしたくなります。これは「反戦平和運動に対しても、われわれ宇都宮市は政治的中立を守る」というメッセージではないでしょうか。やれやれ、「政治的中立」とは及び腰の現状維持、国家権力を利するだけなのに。斎藤美奈子が『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマー新書)の中で鋭く指摘されているので、ぜひ紹介します。
 政治参加の第一歩は、あなたの「政治的なポジション(立場)」について考えることです。政治的なポジションは、結局のところ、二つしかありません。
 「体制派」か「反体制派」か、です。
 「体制」とは、その時代時代の社会を支配する政治のこと。したがって「体制派」とはいまの政治を支持し「このままのやり方でいい」と思っている人たち、「反体制派」はいまの政治に不満があって「別のやり方に変えたい」と考えている人たちです。
 さて、あなたはどちらでしょう。
 どっちでもない? あ、そうですか。そんなあなたは「ゆる体制派」「ぷち体制派」「かくれ体制派」です。どっちでもない、つまり政治に無関心で、特にこれといった意見がない人は、消極支持とみなされて自動的に「体制派」に分類されます。
 先にいっておきますが、政治的な立場に「中立」はありえません。
 世の人々はとかく「自分こそが中立で、まわりが偏っているのだ」といいたがります。あるいは「自分こそが正義で、まわりがまちがっているのだ」と考えたがります。とんだ誤解というべきでしょう。民主主義とは多種多様な意見を調整し、よりよい結論を導くためのしくみです。人の意見は多様なものである、という前提に立てば、どんな意見も少しずつ「偏っている」のが当たり前なのです。(p.19)
 まあ宇都宮市=体制と言ってしまえば話はそこで終わりますが、地方自治体は国家権力に抗い私たちを護る盾であってほしいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-08-03 07:19 | 関東 | Comments(0)