2019年 08月 11日 ( 1 )

速水御舟展

c0051620_21543724.jpg ちょっと忘れられない思い出があります。高校生の時、数学の先生がニコニコしながら早引けして校門を出ていくので、「先生、どこに行くんですか」と訊いたところ、満面の笑顔で「"はやみぎょしゅう"の展覧会を見に行くんだ」と答えてくれました。昔はきっと、先生方にもさまざまな余裕があったのでしょうね。そして私を対等な人間として接し、高校生には馴染の薄い画家の名前を告げてくれた先生に感謝します。
 それ以来、喉に刺さった小骨のように、"はやみぎょしゅう"という名前が心の片隅でうずくようになりました。やがて知識も増え、速水御舟という日本画家であることが分かり、山種美術館で彼の作品をいくつか見ることもできました。しかし管見の限り彼の展覧会は開かれておらず、御舟の作品をまとめて見る機会はありませんでした。しかしその機会が到来しました。速水御舟生誕125年を記念して、山種美術館が所有する御舟コレクションの全貌が紹介されるそうです。同美術館の公式サイトから引用します。
 本年は、日本画家・速水御舟(1894-1935)の生誕から125年、そして山種美術館が現在の渋谷区広尾の地に移転し開館してから10年目にあたります。この節目の年を記念し、当館の「顔」となっている御舟コレクションの全貌を紹介する展覧会を開催いたします。
 当館創立者の山崎種二(1893-1983)は御舟とは一つ違いでしたが、御舟が40歳という若さで早世したため、直接交流することがかないませんでした。しかし、御舟の芸術を心から愛した種二は、機会あるごとにその作品を蒐集し、自宅の床の間にかけて楽しんでいました。
 一方、御舟は23歳の若さで日本美術院同人に推挙され、横山大観や小林古径らにも高く評価された画家。「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」という御舟の言葉どおり、彼は生涯を通じて、短いサイクルで次々と作風を変えながら、画壇に新風を吹き込んでいきました。
 御舟は40年という短い生涯に、およそ700余点の作品を残しましたが、その多くが所蔵家に秘蔵されて公開されることが少なかったため、「幻の画家」とも称されていました。1976年、旧安宅産業コレクションの御舟作品105点の一括購入の相談が種二のもとに持ち込まれ、種二は購入の決断をします。その結果、すでに所蔵していた作品とあわせて計120点の御舟作品が山種美術館の所蔵となり、以来当館は「御舟美術館」として親しまれてきました。
 本展では、御舟の代表作ともいえる《炎舞》、《名樹散椿》(ともに重要文化財)をはじめとして、《錦木》など初期の作品から《牡丹花(墨牡丹)》など晩年の作品まで、各時代の作品をまとめてご覧いただきます。
 当館の御舟コレクション全点公開は2009年の広尾開館以来10年ぶりとなります。この機会に、御舟芸術の真髄をお楽しみください。
 最近、油絵にはまっている山ノ神を誘うと、即快諾。とある日曜日に二人で山種美術館に行ってきました。JR恵比寿駅から、駒沢通りのだらだらとした坂を十数分のぼると、山種美術館に到着です。会場は思ったよりは混雑していましたが、絵を見るために行列に並ばねばならないほどではありません。御舟の絵を見たいという、静かな熱気に包まれた良い雰囲気でした。

 驚いたのは、四十歳で早世したにもかかわらず、次々と作風を変えていったことです。まず徹底した細密描写による精緻な写実。次に琳派的な装飾的構成。そして十ヶ月にわたる渡欧によって西洋の人物画に触れ、日本画家の人物デッサン力不足を痛感した御舟は、帰国後は人物画に意欲的に取り組みます。同時に花鳥画の佳品を制作しますが、彼は「自分の作品に主張がなくなった」「絵が早くできすぎて困る」と友人に語ったそうです。そして「これからは売れない絵を描くから覚悟しておいてくれ」と夫人に語り、写実を離れた抽象的な形態を追求していきます。その直後の死。彼の言葉です。
梯子の頂上に登る勇気は貴い、
更にそこから降りて来て、
再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。
大抵は一度登ればそれで安心してしまう。
そこで腰を据えてしまう者が多い。
登り得る勇気を持つ者よりも、
更に降り得る勇気を持つ者は、
真に強い力の把持者である。
 「半年も前と同じことはやれない」と語ったマイルス・ディビスのようですね。

 そしてどれほどスタイルが変わっても、ぶれずに一貫しているのが、絵が発する気品です。一筆一筆に込められた彼の気持ちが、静かに熱く伝わってくるようです。見ているだけで、気持ちが落ち着てくるような、素敵な絵ばかりです。
 「炎舞」は別格として、私のお気に入りは三枚。まずは「葉蔭魔手」、ヤツデの木陰に巣をはって獲物を待つ蜘蛛を描いたものです。蜘蛛とヤツデの葉のリアルな描写、装飾的にみごとな空間構成、獲物を待つ蜘蛛がただよわせる心地よい緊張感。何よりも凄いのは、蜘蛛の糸です。ぶれもかすれもせず、これほど細い線を生き生きと描けるものなのか。どれほどの研鑽を積んだのか。恐れ入りました。
 二枚目は、「昆虫二題」として対をなす「粧蛾舞戯」です。「炎舞」と同じく、群れ飛ぶさまざまな蛾を描いた作品です。「炎舞」はたしかに傑作だと思いますが、蛾たちが炎に飛び込んでしまうのではないかという、死の気配を感じてすこし切なくなります。それに対して「粧蛾舞戯」は、おぼろげに渦巻く光の中心へ向かって、色とりどりの蛾たちが楽し気に舞いながら上昇していく姿を描いています。解放感にあふれた、心が愉悦に踊るような素敵な絵です。
 三枚目は「春昼」、春霞でしょうか、もやったような空気のなかに佇む茅葺の家一軒。そして屋根の上でくつろぐ数羽の山鳩。ただそれだけの絵なのに、なぜ心惹かれるのでしょう。うーむ、やはりマチエールですね。茅葺屋根、土壁、木の壁、いずれも脈打ち息遣いをしているような質感です。とくに猫の毛を思わせるような柔らかな茅葺がいいですね。手で触れ、頬ずりをしたくなるような絵なんて、なかなか巡り合えません。私も山鳩になりたい。

 というわけで、絵を見る喜びを堪能できたひと時でした。さて、知人から招待券をもらったので、これから東京都写真美術館に行き「世界報道写真展2019」を見てきます。展覧会の梯子も、おつなものです。
by sabasaba13 | 2019-08-11 09:10 | 美術 | Comments(0)