2019年 09月 02日 ( 1 )

鎌倉錦秋編(2):東慶寺・円覚寺(15.12)

 そして「花の寺」東慶寺へ。臨済宗円覚寺派に属し、開山は北条時宗夫人・覚山尼です。1902(明治35)年に至るまで「駆け込み寺」「縁切り寺」として、不憫な女性を救済してきた尼寺でもあります。また、西田幾多郎、鈴木大拙、高見順、小林秀雄など著名人の墓があることでも知られています。私は墓苑のあたりの静謐な雰囲気が好きですね。それほど多くはありませんが、きれいな紅葉を堪能しました。なお「夏目漱石参禅百年記念碑」があったので、後学のため転記しておきます。
 漱石は明治27(1894)年末より翌年1月10日まで円覚寺内の帰源院(石段の真向かいの寺)に止宿し時の円覚寺管長釈宗演(1859~1919)に参禅した。帰源院には当時帝大の哲学生鈴木貞太郎(後の大拙居士)も参禅中であった。この参禅の体験は「門」にくわしい。18年後の大正元年(1912)9月11日当時寺この東慶寺に遷住の宗演を再訪した。
 碑の上段の宗演の書簡と下段の漱石の文は、それを示す書簡の「鹿山に来山」とは瑞鹿山円覚寺に来山して参禅したということ。Zは満鉄総裁中村是公「その顰に倣った」とは「連れション」のこと、ここが文学である。
 宗演は漱石来参の前年(1892)秋、シカゴの万国宗教大会に日本仏教代表として出席し禅を英語で説き、後に鈴木大拙渡米してZENが世界に知られるに至る。漱石のこの文中に宗演を「智識」と讃えるとおり、釈宗演は近代仏教界の高僧である。宗演の墓は当山寺墓の奥に在る。
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 そして横須賀線の踏切を渡って円覚寺へ。総門前の境内を横須賀線の線路が横切っているのは、軍港のある横須賀と東海道本線を結ぶ鉄道として1889 (明治22) 年に開通した際に、最短距離を通すために強引にここに線路をひいてしまったためです。軍隊の本質をよくあらわしていますね。円覚寺は、文永・弘安の役の戦死者を慰霊するため、北条時宗が無学祖元を招いて1282(弘安5)年に創建した臨済宗の古刹です。鎌倉五山第二位。おっ、総門の脇に狛犬の如くお寺を護るがいました。おわあ、こんにちは。広い境内には、きれいに色づいたモミジがところどころにありました。
 禅宗様の名建築、舎利殿は正月三が日に公開されるとのことです。今度来てみようかな。またこちらの墓地には、田中絹代、開高健、坂本弁護士、木下恵介、小津安二郎のお墓がありますが、以前に掃苔しましたので今回は省略。
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 本日の五枚、上から東慶寺と円覚寺(四枚)です。
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by sabasaba13 | 2019-09-02 07:57 | 関東 | Comments(0)