2019年 10月 20日 ( 1 )

福井・富山編(36):藤野厳九郎記念館(16.3)

 そして駅前に戻り、いよいよお目当ての「藤野厳九郎記念館」を見学しました。まずは彼と魯迅について、あわら市のホームページに、簡にして要を得た解説がありましたので紹介します。
 中国の北京に、今は亡き有名な作家魯迅の旧宅が残っています。
 魯迅とは「阿Q正伝」その他で、国際的に有名な中国を代表する文豪です。その家の中に一枚の写真が今も置かれています。
 その写真の主は、本荘村(現あわら市)の下番で、大正5年から昭和20年8月11日に亡くなるまで町医者として町民に親しまれた藤野厳九郎先生です。藤野先生は、明治7年に下番の医師下番の医師藤野升八郎の三男として生まれ、幼少より父に漢文を習い、8・9歳の頃中番にあった野坂塾で学びました。
 この漢学を学んだことにより、中国5千年の歴史に目と心が開かれていったと思われます。やがて先生は、龍翔小学校へ、ついで福井中学校を経て愛知医学校へと進み、優秀な成績をもって卒業しました。そして母校と東京帝国大学で、引き続き解剖学を研究して、明治34年に招かれて仙台医学専門学校講師となりやがて教授となりました。
 明治37年、清国(現在の中国)から1人の留学生が仙台医専に入学してきました。名前を周樹人(後の魯迅)といい、23歳の多感な青年でした。この青年が藤野先生の講義のノートを、先生に提出したことから深い師弟関係が始まりました。異国の地で学ぶ魯迅に、朱筆で誤字や脱字を直しながら、偉大な隣国の学生を育てていきました。
 時あたかも日露戦争の最中で日本は中国を軽視する風潮があったので、この藤野先生の魯迅への親切は、彼の脳裏に終生深く刻み込まれました。やがて魯迅は志を文学に変えて仙台医専を去りますが、2カ年の生活は後に魯迅選集の中の「藤野先生」として世に出ることになりました。
 そう、わが敬愛する魯迅の師であった藤野厳九郎の住宅が記念館として公開されているのです。今回の旅のひとつの目玉、さっそく拝見いたしましょう。当時の建物と、資料等を展示する新館がありましたが、主屋は昭和初期に建てられた木造二階建ての古武士のような建物で、有形文化財に登録されています。窓が小さく、その下に下見板を設けてあるのは、日本海からの寒風対策だそうです。
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by sabasaba13 | 2019-10-20 08:20 | 中部 | Comments(0)