2019年 10月 31日 ( 1 )

福井・富山編(46):中野重治記念文庫(16.3)

 佐喜眞氏が読んだ魯迅の文章とは、おそらく『魯迅選集 第十二巻』(岩波書店)におさめられている且介亭雑文末編(1936)「深夜に記す」でしょう。長文ですが引用します。
一 コルヴィッツ教授の版画、中国に入ること

 野外に、紙銭を焼いた灰が積っており、朽ちた土塀に、いくつかの画が書きつけてあっても、通りすがりの人は、大抵注意して見ようとはしない。しかしこれらの中には、それぞれ何らかの意義がこめられているのである。愛か、悲哀か、憤怒か、…しかも往々にしてそれらは叫び出されたものよりも一層強烈である。そしてまたその意義のわかる人もいくらかはいるのである。
 一九三一年-何月であったか忘れた-創刊後まもなく禁止された雑誌『北斗』の第一号に、一人の母親が、悲しげに眼を閉じ、彼女の子供を差し出している一葉の木版画が載った。これはコルヴィッツ教授(Prof. Kaethe Kollwitz)の木版連続画「戦争」の第一葉で、「犠牲」と題されたものであり、また彼女の版画が中国に紹介された最初のものでもあった。
 この木版画は私の寄せたもので、柔石が殺されたことの記念としようとしたものである。彼は私の学生、友人であり、共に外国の文芸を紹介した人である。とりわけ木版画を好み、かつて欧米作家の作品を三冊、印刷はあまり好くはなかったが、編集して刊行したことがあった。しかし、なぜか知らぬが、突然逮捕され、まもなく竜華で他の五人の若い作家たちと一緒に銃殺された。当時の新聞には何の記事も載らなかった。多分、載せることを憚り、また実際できもしなかったのであろう。しかし多くの人は、誰しも彼がこの世にいないであろうことを知っていた。というのは、これはよくあることであったから。ただ、彼のあの両眼盲いた母親だけは、私は知っているが、彼女はきっと、彼女の愛する息子が今日もなお上海で翻訳や校正をしていることと思っているであろう。たまたまドイツの書店の目録でこの「犠牲」を見出したので、これを『北斗』へ投じて、私の無言の記念としたわけであった。しかし、後に知ったのであるが、多くの人々がそれに含まれた意義を感じ取っていたのであった。もっとも、彼らは大抵、殺されたすべての人を記念したものと思っていたのではあったが。
 ちょうどこの時、コルヴィッツ教授の版画集はヨーロッパから中国への途上にあった。だが、上海に着いたときには、その熱心な紹介者はすでに地中に睡っており、我々はその場所すらも知らないのである。よろしい、それなら私がひとりで見よう。そこにあるのは貧困と、疾病と、飢餓と、死とである…むろん抵抗と闘争もあるが、割合に少い。これは正に、顔に憎しみと憤りとを泛べながらも、慈愛と憐憫との方がさらに多くうかがわれる作者の自画像と同じものである。これは、すべての「辱しめられ虐げられた」母親の心の画像である。こういう母親は、中国のまだ爪を赤く染めぬ田舎にも、よくいる。しかし人々は、母親というのは役に立たない息子ばかり可愛がるものだといって、彼女のことを嗤うのである。だが、思うに彼女は役に立つ息子をも可愛がるのである。ただ、すでに健康でしかも能力もあるから、彼女は安心して、「辱しめられ虐げられた」子供の方へ心を向けるのである。
 いまや、彼女の作品の複製二十一葉が、それを証明している。その上それは、中国の青年芸術学徒に、次のような利益をもあたえてくれる-
 一、この五年来、木版画は、つねに迫害を蒙りながらではあったが、すでに大いに広まって来た。だが、その他の版画は、ややまとまったものとしては、ツォルン(Anders Zorn)に関する本が一冊あるばかりである。今日紹介されたのは、すべて銅版と石版であって、読者に、版画の中にはこういう作品もあり、油絵などよりはるかに普及しやすいものであることを知らせてくれ、しかも、ツォルンとはおよそ異なった技法や内容を見せてくれた。
 二、外国へ行ったことのない人は、白色人種といえば、すべて人を見ればイエスのお説教をするか、商社を開き、美衣美食をして、少し気に食わぬことがあればやたらと皮靴で人を蹴飛ばすものと思いがちである。だが、この画集をもったことで、世界にはその実どこにも我々と同じ仲間である「辱しめられ虐げられた」人があり、しかもその上に、これらの人々のために悲しみ、叫びそして闘っている芸術家がいるということがわかる。
 三、今日、中国の新聞の多くは大口を開いて叫んでいるヒトラーの写真を好んで掲載している。撮された時は一時的な姿勢であったろうが、写真では永久にこの姿勢であるから、沢山見ているうちには疲らされてしまう。そしていま、ドイツ芸術家の画集によって、種類の違う人を見たわけである。それは、決して英雄ではないが、親しみやすく、心が通じやすく、しかも見れば見るほど、美しさを覚え、ますます人を打つ力をもっているのを覚えさせるものである。
 四、今年は柔石が殺されてから満五年であり、また作者の木版画が中国に姿を現わしてから五年目でもある。しかも作者は、中国式に計算してみれば、七十歳で、これも記念としてよいだろう。作者も今日、沈黙を余儀なくされているにもかかわらず、彼女の作品は、更に沢山、極東の天下に姿を現わしている。そうだ。人類のための芸術は、別の力をもっては阻止できないのだ。(p.7~9)
 魯迅も、ケーテと共に、辱しめられ虐げられた人々のために悲しみ、叫びそして闘おうとしたのでしょう。そして中野にもその一翼に連なってほしいとの願いを込めて、この版画集を贈ったのだと思います。
by sabasaba13 | 2019-10-31 06:20 | 中部 | Comments(0)