2019年 11月 08日 ( 1 )

福井・富山編(50):中野重治記念文庫(16.3)

 余談その二です。『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』(澤地久枝・佐高信 岩波現代文庫)を読んでいたら、中野重治に関する二つの文がありました。
澤地 それからもう一つ、五味川さんが日本の左翼運動に欠けていたと言ったのは、一田アキという女性詩人の「味噌汁」という詩の世界。
それは、人びとが暮らしから温かい味噌汁を奪われていることを書いたものです。アキは中野重治の妹の中野鈴子です。(p.62)

澤地 『川柳 東』の購読者に石堂清倫がいて、たいまつ社版『鶴彬全集』が出るとき、中野重治に紹介して推薦文を頼んだ。「鶴彬について、私は全くの無知ではなかった。…全像というべきものがぼんやり見えてきたのは、戦争のあと、それも近年、まつたく一叩人さんの力による」と書いています(「無知なままで」)。どんなに鶴彬が知られずにいたか。鶴彬のおかれていた状態と、一叩人の果たした役割をよく語っている中野さんの文章だと思います。(p.73)
 そういえば妹の中野鈴子に関しては、図書館に「坂井市の文学者」という解説がありましたので、転記します。
中野鈴子(1906‐1958)
 高椋村一本田に生まれる。中野重治の妹。
 小さい時から詩歌に強く興味を抱き、16歳の時に室生犀星の詩に激しく心を揺さぶられる。1929年に上京し、兄重治のもとでプロレタリア文化運動に参加、『味噌汁』『鍬』など多くの詩を発表した。その頃犀星との交誼が始まり、詩の創作活動を続けた。特に雑誌「働く婦人」の編集と発行に精力的に取り組んだ。
 1936年に結核治療をかねて帰郷。父母を助けて農業に従事した。1949年、有志とともに新日本文学会福井支部を結成し、1951年には文学誌「ゆきのした」を創刊。詩集にも『花もわたしを知らない』などがあり、『中野鈴子全著作集』が刊行されている。
1958年1月5日に肝硬変のため52歳で死去。
一本田の生家跡に、「花もわたしを知らない」と刻まれた文学碑がある。
 「味噌汁」という詩が気になって、インターネットで調べたのですが、一部しかわかりませんでした。
わたしはあなたの女房
わたしはあなたの女房なのに
逢ひに行けばガラス戸が下りてゐる
手紙を書けば消されてしまふ
わたしは時々泣く
わたしも下のおかみさんのやうに
あなたの茶わんに味噌汁がよそひたい
 うーん、いい詩ですね。労働運動により逮捕された夫に面会した時のものだそうです。庶民からささやかな団欒を奪う思想統制の苛烈さに対する、静かな嘆きと怒りが響いてきます。「中野鈴子」「味噌汁」、頭の引き出しにしまっておいて、何時の日にか巡り合えるときを楽しみにします。
by sabasaba13 | 2019-11-08 06:24 | 中部 | Comments(0)