2019年 11月 09日 ( 1 )

福井・富山編(51):永平寺(16.3)

 それでは永平寺へと向かいましょう。雨は小降りですが、いまだ降り続いています。やってきたバスに乗り込んで、車窓からの眺めを楽しんでいると、ちょこんと塔をのせた愛らしい駅舎がありました。古い駅舎かなと思い写真におさめましたが、いま調べてみると新しいものでした。古い駅舎は近くの「地域交流館」として再利用されているということなので、機会があったら訪れてみましょう。
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 そして三十分ほどで永平寺に到着しました。まずは『日本の歴史を旅する』(五味文彦 岩波新書1676)から引用します。
 鎌倉時代の北陸に新たな信仰をもたらしたのは曹洞宗であって、大陸に渡ってこれを日本に将来した道元が、比叡山の弾圧を受けたため、寛元元(1243)年7月、京の六波羅探題に仕えていた波多野義重の招きにより、その所領である越前の志比荘に移って大仏寺(永平寺)を開いた。
 それから十年、病のために永平寺を弟子の孤雲懐奘に譲って京に戻って死去するまで、「心の念慮・知見を一向捨てて、只管打座」という出家修行至上主義に基づいて、祈?や祭礼を否定し、礼仏や読経も余分なものと考え、信仰をつきつめていった。この永平寺の修行は峻厳なもので今に続いている。(p.94)
 なお松尾芭蕉が、ここに立寄っていたのですね。『奥の細道 朗読』から引用します。
【原文】 五十丁山に入て、永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機千里を避て、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆへ有とかや。

【現代語訳】 五十丁山に入って、永平寺にお参りする。道元禅師が開基した寺だ。京都から千里も隔ててこんな山奥に修行の場をつくったのも、禅師の尊いお考えがあってのことだそうだ。
 白洲正子の『かくれ里』(講談社学芸文庫)にも永平寺のことが記されていました。
 越前へ取材に行った時、友達から、平泉寺にはぜひ行って来い、参道がいいし、苔も美しい。京都の苔寺の比ではない、とすすめられた。
 私は取材に行っても、いつも道草ばかり食う。編集者さんも心得ていて、快くつき合ってくれる。仕事はそこそこにして、平泉寺へ向ったのは、気持のいい秋晴れの朝であった。
 この寺は、勝山市の郊外にある。福井から九頭竜川を東へさかのぼると、三十分あまりで勝山に着く。途中、永平寺に立ちよったが、あまりの人込みに、早々にして退散した。こういう寺は、雪の時でもないと、ゆっくりお参りすることはできないかも知れない。(p.256)
 今日は雨模様のためかそれほど人込みもなく、落ち着いて参拝できそうです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-11-09 06:50 | 中部 | Comments(0)