2019年 11月 10日 ( 1 )

福井・富山編(52):永平寺(16.3)

 苔むした石が並ぶ参道を歩いていると、気温が低いためもあってか、そこはかとない峻厳な空気を感じて背筋が伸びるようです。まずは一般参禅者が坐禅体験や写経体験をするための研修道場・吉祥閣(きちじょうかく)に入って、参拝料を支払い、ここから見学が始まります。
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 次は研修・宿泊のための部屋・傘松閣(さんしょうかく)、別名「絵天井の間」。2階に156畳敷きの大広間があり、その天井には昭和初期の有名な画家144人による230枚の日本画が埋め込まれています。
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 そしていよいよ七堂伽藍へ。山門、仏殿、僧堂、大庫院(だいくいん)、東司(とうす)、浴室、法堂(はっとう)という七つの重要な建物が回廊で結ばれています。山の斜面に合わせて建てられているため、建物は離れて建てられており、上り下りのある回廊をすこし歩くことになります。板敷からの寒気で気分が引き締められました。回廊を歩くにつれて景観が刻々と変わっていき、まだ降り続く雨の中、水墨画のように幽玄な風景を何枚も写真におさめました。時々すれちがう雲水(修行僧)の、凛とした佇まいに、あらためてここは修行の場なのだと感じ入りました。三月でこの寒さなのですから、厳寒の冬における修行の厳しさは想像すらできません。
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 というわけで、身も心も清新になれたようなひと時を過ごせました。これで鎌倉(新)仏教の中心寺院をすべて訪れたことになります。ちなみに、浄土宗の知恩院、浄土真宗の西本願寺と東本願寺、時宗の清浄光寺、日蓮宗の久遠寺、そして臨済宗の建仁寺です。なお『歴史の「常識」をよむ』(歴史科学協議会 東京大学出版会)のなかで、湯浅治久氏がこう指摘されていました。
 戦国仏教概念を提起したのは藤井学である。藤井は鎌倉(新)仏教の思想的革新性を認めながらも、その影響が鎌倉時代には限定されていたものであることを指摘し、鎌倉仏教の祖師たちの思想が社会全般に受容されるのは、むしろ室町から戦国時代であるという認識から、これを戦国仏教と呼ぶべきであると提唱した。(p.98)
 なるほど「戦国仏教」か。この永平寺も室町から戦国時代にかけてどのような活動をしていたのか、そして人びとの間に曹洞宗はどう浸透していったのか、興味があります。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2019-11-10 06:43 | 中部 | Comments(0)