2019年 12月 03日 ( 1 )

福井・富山編(70):閑乗寺公園(16.3)

 福光駅に戻り、城端線に二十分弱乗って砺波駅に到着。顔はめ看板を二枚撮影して、駅前でタクシーに乗り込みました。
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 そして井波を目指しますが、途中で二カ所、停車してもらいました。まずは二十分ほど走ったところにある井波町物産展示館です。まるでお寺のような威厳に溢れる重厚な建物ですが、実はかつて石動駅から庄川を結んだ加越能鉄道加越線の井波駅舎でした。瑞泉寺への玄関口にふさわしい建物として、井波を代表する宮大工松井角平恒茂(まついかくへいつねしげ)により、1934(昭和9)年に建てられました。1972(昭和47)年に廃線となったため、現在は物産展示館・バス待合所として利用されています。
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 そしてここから十分ほど坂道をのぼると、標高300メートルの高台にあり砺波平野の散居村を一望できる閑乗寺公園に着きました。タクシーには少し待ってもらって、展望台に行き写真を撮ることにしましょう。その前に、「となみ散居村ミュージアム」の公式サイトより、散居村についての説明を引用します。
 富山県の西部に位置する砺波平野は主に庄川と小矢部川が形成した扇状地です。
 およそ220キロ平方メートルの広さに屋敷林に囲まれた約7,000戸を超える家(農家)が点在する散居村が広がっています。
 砺波平野の散居村の成り立ちは、それぞれの農家が自分の周りの土地を開拓して米作りを行ってきたことに由来します。農地が自分の家の周りにあることは、扇状地上での田植え後の朝夕の水の管理、施肥などの管理、刈り取ったあとの稲の運搬など、日常の農作業をするためにはとても効率の良いことでした。
 また砺波平野の散居村の特徴としては、それぞれの家の周りに屋敷林をめぐらせてきたことです。この地方では屋敷林は「カイニョ」と呼ばれ、冬の冷たい季節風や吹雪、夏の日差しなどから家や人々の暮しを守ってくれました。スギの落ち葉や枝木などは毎日の炊事や風呂焚きの大切な燃料として利用されました。またスギやケヤキ、タケ等は家を新築する際の建材や様々な生活道具の用材としても利用されました。
 このように昔の散居村の人々は、自分の家の周りの農地を耕して米や野菜を作って生活し、日常生活に必要な資材を屋敷林から調達するという、きわめて自給自足に近い生活を送ってきました。
 散居村という集落形態は、砺波平野で暮らした先人たちが、自然に働きかけて自然との共生を図って残してくれた知恵の結晶といえるものです。
 なるほど、その土地の気候・地形・風土といった条件の中で、人びとが力の限り暮らしてきたという証なのですね。さきほどの合掌造りもそうでしたが、自然に逆らわない/自然と共に生きるということがポイントでしょう。私たちが学ばなければいけないものですね。
 しかしまことに残念なことに、曇天に加えて湿度が高く、散居村はぼんやりと霞みクリアに見ることはできませんでした。ぜひ晴天の日に再訪を期しましょう。とくに水を張った田んぼに夕陽が照り返す光景が見事なようです。ああ見てみたい。
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by sabasaba13 | 2019-12-03 06:21 | 中部 | Comments(0)