2020年 01月 07日 ( 1 )

御殿場編(5):東山旧岸邸(16.5)

 また前述のように、自由民主党結成の中心となり、首相として安保改定を主導、国民的な反対運動を引き起こすなど、戦後日本のキー・パーソンの一人ですね。実は、この岸信介とCIAおよびアメリカとの爛れた関係を鋭く暴いた『知ってはいけない 2 日本の主権はこうして失われた』(矢部浩治 講談社現代新書)という本に出合えました。現在の日米関係を考える上でも必読すべきです。以下、長文ですが引用します。なお「」の部分は『CIA秘録』(ティム・ワイナー 文藝春秋)からの再引用部分です。
 「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者〔岸首相〕をCIAが選んだ最初の国は日本だった」
 「岸信介は〔第2次大戦が終わったあと〕(略)A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に三年の間収監されていた。
 東条英機ら死刑判決を受けた7名のA級戦犯の刑が執行されたその翌日〔=1948年12月24日〕、岸は(略)釈放される。
 「〔釈放後〕七年間の〔CIAによる〕辛抱強い計画が、岸を戦犯容疑者から首相へと変身させた。岸は『ニューズウィーク』誌の東京支局長から英語のレッスンを受け、同誌外信部長のハリー・カーンを通してアメリカの政治家に知己を得ることになる。カーンはアレン・ダレス〔=ジョン・F・ダレス国務長官の弟で、1953~61年までCIA長官〕の親友で、後に東京におけるCIAの仲介役を務めた。岸はアメリカ大使館当局者との関係を珍種のランを育てるように大事に育んだ」
 〈岸は1950年代〔1954年〕に、東京のアメリカ大使館の働きかけで〔その〕傘下に納まり、自民党総裁になったのちに、アメリカの信頼できる協力者となった〔当時アメリカ大使館の首席公使だった、グラハム・パーソンズの証言〕〉
 「岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとっては微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった」
 「ダレス国務長官は1955年8月〔=自民党結成の3ヵ月前〕に〔重光葵外務大臣に同行して訪米した〕岸と会い、面と向かって-もし日本の保守派が一致して共産主義者とのアメリカの戦いを助けるならば-支援を期待してもよろしい、と言った。そのアメリカの支援が何であるか〔=財政支援だということ〕は、誰もが理解していた」
 「岸はアメリカに自分を売り込んで、こう言った。「もし私を支援してくれたら、この政党〔=自民党〕をつくり、アメリカの外交政策を支援します。経済的に支援してもらえれば、政治的に支援しますし、安保条約にも合意します」」
 「CIAと自民党の間で行われた最も重要なやりとりは、情報と金の交換だった。金は党を支援し、内部の情報提供者を雇うのに使われた。アメリカ側は、三十年後に国会議員や閣僚、長老政治家になる、将来性のある若者との間に金銭による関係を確立した。(略) 外国の政治家を金で操ることにかけては、CIAは七年前にイタリアで手がけていたとき〔=1948年のイタリア総選挙〕より上手になっていた。現金が詰まったスーツケースを高級ホテルで手渡すというやり方ではなく、信用できるアメリカのビジネスマン〔=経済人〕を仲介役に使って協力相手の利益になるような形で金を届けていた。こうした仲介役のなかに、ロッキード社の役員がいた」
 「1955年11月、「自由民主党」の旗の下に日本の保守勢力〔=反共産主義勢力〕は統合された。岸は保守合同後、〔初代の〕幹事長に就任する党の有力者だったが、議会のなかに、岸に協力する議員を増やす工作をCIAが始めるのを黙認することになる。巧みにトップに上り詰めるなかで、岸は、CIAと二人三脚で、アメリカと日本との間に新たな安全保障条約をつくりあげていこうとするのである。(p.121~4)

 「岸は、かのマッカーサー将軍の甥に当たる新駐日大使、ダグラス・マッカーサー二世に、もしアメリカが岸の権力固めを支持してくれるなら、新安保条約を通過させ、左翼勢力の台頭も抑え込める、と語った。岸はCIAから内々で一連の支払いを受けるより、永続的な財源による支援を希望した」 (p.125)

 ではその岸が、アメリカ政府から評価された最大のポイントはどこだったのか。
もっとも大きな理由は、当時アイゼンハワー政権が進めていた、核兵器を中心とする世界規模での安全保障政策「ニュールック戦略(ストラテジー)」にありました。
 これはダレスが1953年に考案した軍事戦略で、簡単に言えば、高度な機動力を持つ核戦力をソ連のまわりにぐるりと配備し、そのことでアメリカの陸上兵力を削減して、「冷戦における勝利」と「国家財政の健全化」を両立させるという一石二鳥を狙った計画でした。その戦略のなかでもっとも重視されていたのが、同盟国から提供される海外基地のネットワークと、そこでの核兵器使用許可だったのです。(p.125~6)

 これは、実におもしろい報告書です。
 なぜならここで岸とマッカーサー大使が共有している世界観こそが、その後、安保改定における両国の合意事項となり、それから60年以上たった現在に至るまで、いわゆる「日米安保体制〔=日米同盟〕」の基本コンセプトとなっているからです。
 「共産主義勢力が現在、東アジアに軍事的脅威をあたえており、日本はその最大の標的になっている」
 この共産主義勢力の軍事的脅威という「国家存亡の危機」があるからこそ、日本はアメリカに軍事主権を引き渡し、それに従っていくしかないのだという歪んだ二国間関係が、安保改定後も変わらず必要だというロジックになってしまうのです。
 ですから、そうした「日米安保体制」のコンセプトをアメリカ政府と共有することで権力の座についた自民党政権にとって、「東アジアにおける共産主義政局の脅威」は、永遠に存在しつづけなければならないものなのです。
 「はじめに」で書いたように、今年〔2018年〕の3月6日に突如として始まった米朝間の関係改善が、6月12日の歴史的な米朝会談に向かう過程で、日本の安倍首相が世界の首脳のなかでただ一人だけ、なんとかその動きにブレーキをかけようとしていたことも、そう考えれば理由がわかります。彼は祖父である岸首相のつくった「日米同盟」という世界観を、21世紀においてもっとも純粋に受け継ぐ人物だからです。(p.127~8)
 うーむ、日本がアメリカの属国となっているのも、こうした歴史的事実をアメリカによって暴露されるのを恐れているからかもしれません。こういう人物を尊敬する御仁を首相の座につけ続けているのですから、病膏肓に入るとはこのことです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2020-01-07 07:16 | 中部 | Comments(0)