近江編(81):朽木(15.3)

 そしてバスに乗り込み、山々に向かって走ること三十分ほどで朽木に着きました。古くから、若狭国小浜と京都を結ぶ街道の街道筋として栄えた宿場町で、「朽木の杣」と呼ばれた木材の供給地でもありました。お目当ては、興聖寺の境内にある「旧秀隣寺庭園」です。1528(享禄元)年、室町幕府12代将軍足利義晴が京都の兵乱を避け、このあたりを支配する朽木氏に身を寄せてきたため、朽木氏の居館は将軍御所「岩神館」となりました。その岩神館の中に、鑑賞および将軍の公的な権威を示す儀礼の場として作庭された池泉観賞式庭園です。
 私が敬慕する重森三玲氏が惚れ込み、「飽きがこない」と年に一度は訪れて、庭園に佇まれていたそうです。中世を代表する貴重な庭園で、氏のお孫さんにあたる重森千靑(ちさを)氏は、『日本の10大庭園 -何を見ればいいのか』(祥伝社新書)の中で、こう述べられています。
一乗谷朝倉氏遺跡庭園群
 池の東端に浮かぶ島は「亀島」である。一方の西端には「鶴石組」が表わされ、ともに巨石を用いた豪快な構成となっている。亀島の奥には滝石組があり、まことに折り目正しく、かつ武将らしい強さを前面に押し出した室町時代後期庭園といえる。ほぼ同時期に造られた名庭として、京都の北方、朽木の地に残る「旧秀隣寺庭園」(滋賀県高島市)があるが、力強い亀頭石などが類似性を感じさせる。(p.176)
 また白洲正子氏は、『かくれ里』(講談社学芸文庫)の中で、こう書かれています。
 石は当然庭と結びつく。近江には、これもあまり人に知られていないが、名園が多い。朽木谷の興聖寺には、足利将軍義晴が、ここに逃れた時造ったという石庭があり、安曇川の渓流をへだてて、比良山が眺められる。今は少々荒れているが、妙に手のこんだ庭園より、石組みも自然で、気持ちがいい。造園は、茶人が指揮したにしても、働いたのは近江の石工たちであったろう。そう言えば、「お庭番」と呼ばれた将軍家の隠密も、伊賀・甲賀から出たしのびの者であった。(p.97)
 これは楽しみですね。
# by sabasaba13 | 2018-04-19 06:28 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵174

 今は末世だ、気違いが目くらの手を引く。(シェークスピア 『リヤ王』)

 人間を惹きつけるものはただひとつしかない。それは人間だ。(パスカル)

 別個に進んで一緒に撃て。(レオン・トロツキー)

 さんざん相手を殴っておきながら、殴った自分の手が痛くなったのでもうやりませんって。殴られた人はどうなるんだ。(坂野潤治)

 重要なことは二度経験しないと本当には理解できない。(ヘーゲル)

 肉屋を支持する豚 (unknown)

 Stay Hungry. Stay Foolish. (スティーブ・ジョブズ)

 本が燃やされるところでは、最後には人が燃やされることになる。(ハインリヒ・ハイネ)

 歴史的な出来事が、歴史の中で明確に意識されるのには、六十年が必要だ。(井出孫六)

 年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。(サミュエル・ウルマン)

 万人が花を持つまで、花を持つな。(額田勲)

 愚かな民は愚かな代表を選ぶ。主権が国民にあるということは、国民が愚かだと失敗する可能性があるのです。(ドイツ連邦放射線防護庁の某役人 『DAYS JAPAN』 2016.9)

 すべてのスタートは「こんちくしょう」です。(斎藤美奈子)

 道は険しく、時間は限られているが、負けられない闘いはすでに始まっている。(中野晃一)

 奴隷は奴隷らしく扱うのが正しい。(白井聡)

 一つの悪事を隠蔽するためには幾つも悪事を犯さねばなりません。(山崎今朝弥)

 国家には感情がない、あるのは利益だけである。(ド・ゴール)
# by sabasaba13 | 2018-04-17 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)

近江編(80):藤樹書院跡(15.3)

 駅前には中江藤樹の銅像と、彼のことばを記したプレートがありました。後学のために転記します。
藤樹先生のことば(9)
 天下の兵乱も又明徳のくらきよりおこれり。
 先史の時代から、この地球上において、人間どうしの悲惨な戦争がたえまなく起こっています。なぜ戦争が繰りかえされるのでしょうか。その原因のつまるところは、明徳をくもらせていることにあると、藤樹先生は断言しています。政治にたずさわる者の「利欲の心」と「満心」によって、明徳をくもらしてしまうのです。それをとりのぞくには、論語や孟子などの古典をまなぶことが、だれにでもできる最上の方法なのです。
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 嗚呼、藤樹先生。お恥ずかしい話ですが、われらが首相は「利欲の心」と「満心」が服を着て歩いているような御仁で、しかも古典に学ぼうとする気はさらっさらないようなのです。どうすればいいのでしょうか。さらに●があったら入りたい話ですが、彼が率いる政党の立候補者に投票する御仁や、棄権をして彼らに政治を丸投げする御仁が、山のようにいるのです。どうすればいいのでしょうか。

 タクシーに乗って十分ほどで王林寺にある中江藤樹の墓所に着きました。合掌。その近くに彼の私塾、藤樹書院がありますが、焼失のために明治時代に再建された建物だそうです。
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 そして安曇川駅まで戻ってもらいましたが、次なる目的地の朽木に行くバスは9:05発。三十分ほど時間があるので、喫茶店でモーニング・サービスをいただければよいのですが…あった。駅前のウエストレイクホテルに「可以登楼」という喫茶店がありました。渡りに船、さっそく入店してモーニング・サービスを食しました。おっアヲハタのジャムだ、忠海で本社に出くわしたことが懐かしく思い出されます。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-04-15 08:54 | 近畿 | Comments(0)

近江編(79):藤樹書院跡(15.3)

 珍しい意匠の透かしブロックを撮影し、それでは新旭駅へと戻りましょう。途中に、きれいな菜の花が咲いていました。新旭駅から湖西線に乗って、次の安曇川(あどがわ)駅で下車。
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 タクシーを利用して、中江藤樹の墓と藤樹書院跡を訪れました。中江藤樹(1608~1648)、江戸初期の儒者で、初め朱子学を信奉しましたが、晩年に王陽明の著書に接し、陽明学の祖となりました。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称されました。門下に熊沢蕃山がいます。

 なお1904(明治37)年に発行された高等小学修身書(第二学年児童用)に、藤樹が登場しています。
第二課 主人と召使
 中江藤樹は近江の小川村の人なり。はじめ、伊予の加藤氏につかへしが、故郷にある母を養はんがため、つかへをやめて帰れり。
 この時、伊予より、一人の召使従ひきたれり。されど、藤樹は家貧しければ、これを雇ひおくことあたはず、よって、わがもてるわづかの銭の中より、その過半を分ち与え、故郷に帰り、商をなして、生計をたつべし。」といへり。召使は「主人の仰は、まことに、うれしけれども、われは金銭を受けんとは思はず、ただ、いつまでも、つかへて、艱難をともにせんことを願ふ。」と答へたり。藤樹は、その志をあはれとは思ひしが、せんかたなく、あつく、これをさとしたれば、召使も涙を流して、帰りゆけり。

第三課 徳行
 藤樹は母に孝行をつくし、また、学問をはげみ、つひに、名高き学者となり、多くの弟子はもとより、文字を知らざるものまでも、藤樹をしたふにいたり、人、みな、近江聖人ととなへたり。今にいたるまで、村民その徳を仰ぎ、年年の祭をたやさず。
 ある年、一人の武士、小川村の辺をすぎ、藤樹の墓をたづねんとて、畑をたがやせる農夫に、道をたづねたり。農夫はさきだちて、案内せしが、途中にて、わが家にたちより、衣服をあらため、羽織を着て、行きたり。武士は、心にうちに、われをうやまふがために、かくするならんと思ひしが、藤樹の墓にいたれば、かの農夫、垣の戸をひらきて、武士をその中に入らしめ、おのれは戸の外にひざまづきて拝したり。武士このさまを見て、さきに、農夫の衣服をあらためしは、藤樹をうやまふがためなりしことをさとり、ふかく、感じ、ねんごろに、その墓を拝して、去りたりとぞ。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-04-13 06:20 | 近畿 | Comments(0)

近江編(78):針江(15.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると雨はやんでおり薄曇りの空。今日も今日とてパッツンパッツンの行程なので、すぐにチェックアウトをし、午前六時半に配車してもらったタクシーに乗り込みました。マキノ駅に着き、ホームに出ると連山が雪を頂いています。
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 湖西線に乗って三つ目の駅が新旭駅です。お目当ては針江集落、地域住民がきれいな湧き水と共存する景観をぜひ見たいと思います。新旭駅前ロータリーには「旭日昇天 躍躍の郷」という銅像がありましたが、このあたりで行なわれる七川祭(駒練り)と竹馬祭を表現しているそうです。
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 駅から針江までは徒歩約15分、のこぎり屋根の町工場や森神社を撮影しながら、のんびりと歩きました。
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 そして針江に到着、清らかな水が家々に沿うように流れる素晴らしい景観です。比良山系に降った雪・雨が伏流水となって湧くきれい水を、地元の方は生水(しょうず)と呼び、昔から大切に利用してきたそうです。そして集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムが"かばた"(川端)です。かつては飲料や炊事のために利用され、今でも野菜を冷やしたり食器を洗ったりされているとのことです。壺池(つぼいけ)や端池(はたいけ)といった"かばた"は、個人のお宅の中にあり、公道からは見ることができません。

 散策しているときに、下記の注意書きを見つけて愕然としました。
針江区内 見学のみなさまへ
 ここは、観光地ではありません。生水(湧水)の恵を受け、自然とともに暮らしている生活の場です。私達の暮しを知っていただくために、散策は必ず地元ガイドと一緒に見学カードを身に着けた状態でお願いします。針江区内に見知らぬ方がおられることに、子どもやその親が敏感になっています。ガイドを伴なっておられない方には、目的をお訪ねするとともに、場合によっては区外に退去をお願いすることもありますので、ご理解をお願いいたします。
 ほんとに失礼いたしました、針江のみなさま。迂闊にも知りませんでした。今度は必ずやガイドをお願いして再訪を記したいと思います。

 なおこのあたりは現在は高島市、かつて高島郡でした。『江戸東京の聖地を歩く』(岡本亮輔 ちくま新書1244)を読んでいたら、次のような記述がありました。
 工事を担ったのは、清兵衛の弟子・息子・実弟など五〇名ほどであった。清兵衛は湯島に住んでいたが、江戸の大工ではない。近江高島郡の出身だ。琵琶湖に近い高島郡は木材の集散地で古くから大工の集落があり、優れた技術が蓄積されていた。(p.270)

 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2018-04-11 06:29 | 近畿 | Comments(0)

近江編(77):近江今津(15.3)

 旧今津郵便局は、ダブルの三角屋根と、半円アーチの入口がチャーミングな、愛らしい建物です。
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 解説を転記します。
 ヴォーリズ建築事務所の設計によって、昭和11年(1936)に、今津郵便局舎として建てられました。昭和53年に現在の今津郵便局に移転するまで使用され、当初はここで電話交換事務も行なわれていました。建設当時の図面によると、1階東側には電報受付窓口や電信台が置かれていました。
 切妻造り、妻入りで正面中央の玄関をややつきだし、入り口の半円アーチをタイルで縁取りし、コテージ風の意匠を取り入れてあります。近年までは、本館の東側に細長い作業棟があって、通路の前面には両棟をつなぐ瓦葺の門扉がありました。
 なお最近見つけた「ヴォーリズを訪ねて」というブログが、たいへん参考になりました。どうもありがとうございました。

 そして駅前の町内地図に記されていた「旧江若鉄道今津駅舎」が近くにあるので、寄ってみました。大きな切妻屋根が印象的な、山荘風の洒落た駅舎です。解説によると、近江今津と浜大津を結ぶ江若鉄道の駅として1930(昭和5)年に建てられましたが、この鉄道は1969(昭和44)年に廃線となりました。なお当初は近江(滋賀県)と若狭(福井県)を繋ぐ計画であったため、江若鉄道と名付けられたそうです。
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 見るべき程の事は全て見つ。なお、ここ近江今津で宿をおさえることができず、マキノ駅へと移動して奥琵琶湖マキノグランドパークホテルに泊まる予定です。近江今津駅前に何軒か飲食店があるので、転ばぬ先の杖、ここで夕食をとりましょう。「吾妻鮓」に、さば鮓があるという貼り紙があったので、躊躇なくこのお店を選びました。ほどよくしめてある鯖が美味しうございました。
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 そして「女騎士館」という男心をそそる喫茶店があったので、二念なく中に入りました。どんなサービスをしてくれるのだろう、どきどき、と胸を高鳴らせていると、なんてこたあない、"おんなきしかん"ではなく"めきしかん"と読むのでした。おあとがよろしいようで。でも珈琲は絶品の味と香りでした。
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 近江今津駅から湖西線に乗って二つめの駅が、マキノ駅です。ホテルまではすこし距離もあるし、雨も降っているので、タクシーに乗ろうとしましたが、駅前は閑散としており"た"の字もありません。配車してもらおうにも、公衆電話もありません。やれやれ、歩いていくしかないか。♪小糠雨降る御堂筋♪、♪雨に濡れながら♪、♪雨が空から降れば♪、♪たどり着いたらいつも雨降り♪、♪冷たい雨にうたれて♪と、雨が歌詞に出てくる歌を思い出し歌いながらとぼとぼと歩き、十五分ほどで奥琵琶湖マキノグランドパークホテルに着きました。フロントでチェックインをすると、宿帳にのナンバーを記入するように言われて、ちょっとむかっとしました。明日、午前六時半に駅まで送迎してほしいと依頼すると、午前八時半以降のみと断られました。しかたがない、朝六時半にタクシーを配車してもらいました。部屋に行くと、琵琶湖に面しているホテルなのに山側の部屋。全室レイク・ビューではないのか。

 さて明日は最終日です。一献傾けながら明日の旅程を確認し、テレビをつけると、福島原発事故によって避難を余儀なくされている方が、故郷に帰還できずに苦しんでいるというNHKの番組が放映されていました。思わず食い入るように視聴し、終了後、夜の琵琶湖のように暗く深い溜息をつきました。こんな没義道な事態を引き起こした政権を、日本の有権者は何十年も支持し続けてきたんだ。嗚呼。

 本日の一枚です。ボナペティ。
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# by sabasaba13 | 2018-04-09 06:26 | 近畿 | Comments(0)

ヴェルディの「レクイエム」

c0051620_214156100.jpg 最近、合唱にはまっている山ノ神。武蔵野合唱団に所属している知人からチケットを二枚購入したということで、第50回定期演奏会に誘われました。曲目はヴェルディの『レクイエム』、指揮は小林研一郎、管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団、独唱は森麻季(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、西村悟(テノール)、妻屋秀和(バス)、合唱は武蔵野合唱団。これはなかなか良さそう、ようがす、聴きに行きましょう。

 会場はサントリーホール、私は仕事があるので、各自で夕食をとって座席で落ち合うことにしました。そういえば、ホールの前にあるアーク森ビルの三階に「米楽(こめらく)」という和食のお店があり、宇和島名物の鯛めしを食べた記憶があります。よろしい、仕事を早く終わらせて鯛めしをいただきましょう。んが、好事魔多し、急の仕事が山のように舞い込んできててんてこ舞い。結局、ホールに着いたのは開演10分前、夕食を食べることができませんでした。ホールに入ると、山ノ神は余裕の吉田拓郎で、座席に鎮座されています。

 いただいたパンフレットを読みながら開演を待ちました。ヴェルディが作曲家として世に出たのは1842年初演の「ナブッコ」でしたが、これは劇中の合唱曲「行け、我が想いよ」が観客の心をとらえたことがきっかけでした。それまでソリストの美しいアリアの添え物的存在だった合唱が、ヴェルディによってストーリーを引き立てる存在にまで昇華されたのですね。この「レクイエム」は、彼が心酔していた文豪マンゾーニの一周忌のために作曲されたもので、ヴェルディが数々のオペラ曲の中で磨き上げた合唱技術の粋を集めた渾身の力作。これは楽しみです。

 そして合唱団やオーケストラのみなさん、独唱者の方々がステージに登場、最後に指揮者の小林研一郎氏が姿を現しましたが、突然マイクをもって話し始めました。なんと、バスの妻屋秀和氏が練習中に突然声が出なくなり、急遽、青山貴氏が代役として歌うとのことです。そういえば、ジャケットにジーンズというラフな服装でした。それにしても突然依頼されて、よく即座に歌えるものですね、さすがはプロフェッショナル。

 静かに語るように歌われる「レクイエムとキリエ」で曲は始まります。人間の声って、これほどまでもささくれだった心を癒してくれるのですね。そして最後の審判の情景を描く「ディエス・イレ(怒りの日)」の力強さと荒々しさに圧倒され、心が覚醒していきますが、これも声の力。この後も、独唱、二重唱・三重唱・四重合・ソリストと合唱のかけあいなど、さまざまなバリエーションで声のもつ魅力が紡がれていきます。武蔵野合唱団も、この曲が歌える喜びを満身に込めた素晴らしい音楽を聴かせてくれました。男性陣が少ないため、やや低音の弱さを感じましたが大きな瑕疵ではありません。小林研一郎氏も、「その声を聴衆の心に届けるんだ」と言わんばかりの情熱的な指揮で、武蔵野合唱団の意気を引き出してくれました。合唱っていいものですね、山ノ神がはまる気持ちが分かります。
# by sabasaba13 | 2018-04-07 08:18 | 音楽 | Comments(0)

2018桜便り(小田原・大平台編)

 関東の桜もそもそも見納めでしょうか。山ノ神と一緒に小田原と箱根の桜を愛でてきました。

 まずは小田原、駅構内にある観光案内所で地図をもらい、桜情報を教えてもらうと、西海子(さいかち)小路に桜並木があるということでした。駅近くで自転車を借りて小田原城へ、そろそろ散りはじめていましたが、お堀には桜の並木が咲き誇っていました。
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 そして西海子小路へ、こちらは初めて訪れましたが、空を覆うような桜のトンネルに感嘆。
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 昼食はわれわれ御用達の洋食屋、小田原駅近くにある「葉椰子」でマグロの尾の身ステーキに舌鼓を打ちました。
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箱根湯本へ移動して箱根登山鉄道に乗って大平台へ、ここは知る人ぞ知る知らない人は知らない桜の穴場です。ソメイヨシノは散りはじめていましたが、紅枝垂れ桜が満開、町のあちこちを桃色に染め上げていました。眼福眼福。
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# by sabasaba13 | 2018-04-05 06:56 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(京都編)

 この前の土日に、一泊二日で山ノ神と京都に行って桜を愛でてきました。この時期の京都はたいへんな混雑で、かなり前から宿をおさえなくてはなりません。いつ桜が満開になるかは予想が難しく、その時にうまく泊まれるかどうかは運と日ごろの行ない次第。せっかく行ったのに、つぼみ、五分咲き、葉桜など、これまでもけっこう外してしまいました。
 そこで今回は戦略を変えて、京都新聞の「桜だより」を日々チェックしながら、満開の時期がほぼ分かった時点で宿と新幹線指定席をおさえることにしました。どうやら3月31日(土)と4月1日(日)に満開になりそうだと判明したので、楽天トラベルでその日に泊まれるホテルを調べたところ、京都市内は高価なホテルしかありません。大津か高槻、草津や大坂あたりまで探索したところ、幸い大津でビジネスホテルをおさえることもできました。新幹線指定席も、満席間近でしたが、予約できました。やった。
 今回の主眼は三つ、大覚寺大沢池の桜、平安神宮神苑の紅枝垂れ桜、妙心寺退蔵院の枝垂れ桜です。これに山ノ神からは哲学の道に行きたいという要望があったので、これらを組み合わせて、臨機応変・適材適所に旅程を組みました。後日に旅行記は上梓するつもりですが、いやあ、素晴らしかった。この眼福の一端をお届けしたいと思います。

大覚寺
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佐野藤右衛門邸
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広沢池
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大津駅前
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インクライン
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南禅寺
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哲学の道
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銀閣寺参道
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平安神宮神苑
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毘沙門堂
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山科疎水
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妙心寺退蔵院
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賀茂川
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# by sabasaba13 | 2018-04-03 08:06 | 鶏肋 | Comments(0)

近江編(76):近江今津(15.3)

 湖西線に乗って13分ほどで、最後の目的地・近江今津駅に着きました。小糠雨が降りはじめたのが残念ですが、雨中の散歩もまた乙なものと引かれ者の小唄。
 お目当てはヴォーリズ物件の数々です。駅から旧若狭街道を北上すると、東西に走る辻川通りと交わります。この通りに沿って三つのヴォーリズ設計の建物があるので「ヴォーリズ通り」と呼ばれるようになったそうです。まずは今津ヴォーリズ資料館ですが、まるで金庫のようなかっちりとした佇まい、やはりもとは銀行でした。
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 解説を転記します。
 ヴォーリズ建築事務所の設計によって、大正12年(1923)、旧百卅三銀行(現在の滋賀銀行)今津支店として建てられました。昭和53年に銀行が移転した後は、今津町が買い取り、町立図書館として平成13年まで利用されました。約10メートル四方、鉄筋コンクリート造りの2階建てで、外壁にレンガを二重に積んではめこんで構築してあります。様式は、同時期の銀行建築によくみられる西洋古典建築様式を継承した意匠でまとめられ、正面中央の玄関をはさむ2本の柱には略式のトスカナ式柱頭をつけ両側を壁柱としています。
 日本基督教団今津教会は、三角屋根と正面中央の鐘楼が印象的な、愛らしい建物です。
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 解説を転記します。
 ヴォーリズ建築事務所の設計によって、昭和9年(1934)、日本基督教団今津教会会堂として建てられました。大正11年(1922)、この会堂の裏手に今津基督教会館が建てられ、昭和7年にはそこに保育園が設けられました。
 会堂は切妻造で正面間口は約8メートル、建物の奥行きは約15メートルで、正面に玄関を突出させ、頂部には方形屋根の鐘塔があげられています。内部は中央に礼拝堂、玄関の両側に事務室と読書室を配し、講壇の両側にも教室があります。外壁に使われる白壁やレンガ、また内部のチューダー様式の装飾などは、ヴォーリズ建築の特徴といえる日本の景観に溶け込んだ西洋建築を造りあげています。

# by sabasaba13 | 2018-04-02 06:56 | 近畿 | Comments(0)