『新聞記者』

c0051620_1852060.jpg 最近、『記者たち』、『スパイネーション/自白』、『共犯者たち』、『ペンタゴン・ペーパーズ』など、国家権力と闘う気骨あるジャーナリストの映画を立て続けに見ました。韓国やアメリカに比べて、日本ではこうした映画が見当たりません。気概に溢れるジャーナリストがいないわけではないと思うのですが、ほんとうに残念です。
 と思ったら、『新聞記者』という、映画が公開されました。公式サイトからストーリーを引用します。
 東都新聞記者・吉岡(シム・ウンギョン)のもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、真相を究明すべく調査をはじめる。一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。二人の人生が交差するとき、衝撃の事実が明らかになる! 現在進行形のさまざまな問題をダイレクトに射抜く、これまでの日本映画にない新たな社会派エンタテインメント! あなたは、この映画を、信じられるか―?
 これは是が非でも見てみたい。さっそく山ノ神を誘って板橋のイオンシネマに行きました。平日の昼間だというのにほぼ満席だったのには驚きました。冒頭、東京新聞記者の望月衣塑子氏、元文部科学省事務次官の前川喜平氏、元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏による鼎談が、テレビで放映されている場面がありました。これでこの映画が本気で、安倍政権の暗部を暴こうとしているのが否が応でもわかります。また劇中で首相の姿はおろか、名前もいっさい出てこないのも見事なアイデアです。下手に"鈴木首相"や"佐藤首相"などと仮名を使って役者に演じさせると、リアリティが薄れます。官邸からの攻撃に対するガードを固めながらも、この首相は安倍晋三氏以外の者ではありえないと確信させる演出でした。
 愚直に粘り強く真実に迫ろうとする吉岡記者を演じたシム・ウンギョンも良い演技でした。彼女の「私たち、このままでいいんですか」という言葉は忘れられません。首相の政敵を潰すという職務と、正義感・倫理感との葛藤に悩む官僚・杉原役の松坂桃李も見事な演技でした。
 大学新設計画に隠された驚愕すべき秘密、計画を記したファイルを隠し撮りする緊迫したシーンなど、エンタテイメント映画としても十分に楽しめました。ところどころでハンディ・カメラの手振れ感を効果的に使い、その場に居合わせているかのような臨場感と、不安感・緊張感を醸し出しています。
 そしてこの映画のほんとうの主人公は、内閣情報調査室(内調)かもしれません。反政府運動を監視するために参加者の顔を撮影し、首相の政敵を社会的に抹殺するためにフェイク情報を流し、官邸に利するためにSNSを炎上させるなど、その下劣さとおぞましさには吐き気を催しました。内調を体現する多田部長(田中哲司)の、冷血で凄みのある演技も光りました。あの凡庸で愚昧な首相を支えているのは、こうした有能な官僚たちなのだなと得心しました。「民主主義なんて形だけでいいんだ」という多田の言葉は、多くの官僚たちが共有している思いでしょう。われわれが民衆にコントロールされるのではなく、その逆であるべきだ、と。
 なお『しんぶん 赤旗 日曜版』(19.7.14)に、板倉三枝記者による河村光庸(みつのぶ)プロデューサーへのインタビューが掲載されていたので、引用します。
 企画が具体的に動き出したのは2年前。直接のきっかけは、官邸による元TBSワシントン支局長のレイプ疑惑もみ消し事件でした。安倍晋三首相と親しい人物です。被害者は元支局長への逮捕令状が出たにもかかわらず、逮捕が見送られたと告発しています。
 「異常事態が起きていると思いました。権力はここまでやるのかと。この間、政権がひっくり返ってもいい大事件が何度も起きています。にもかかわらず誰でもわかるようなウソで終わりにしている。それはどのような仕組みでそうなっているのか、まず知ってほしいと思いました。
 焦点をあてたのは安倍政権の下、暗躍しているといわれている官邸直轄の情報機関「内閣情報調査室」(内調)。安倍政権が最も触れてほしくないことがここにある、と感じたからです。
 「調査でわかったのは、この国の警察国家化です。内調が公安を使ってさまざまな情報を吸い上げ、官邸がそれを政敵つぶしに利用している。かつては多様性が自民党の特徴だったのに安倍首相は一元化をはかり、少数の側近による官邸独裁政治を進めています」 (中略)
 「公開を参議院選挙の公示前にすることは企画段階で決めていました。皆さんが政治に関心を持ち始める時期。自民党の方にもぜひ見てほしいですね」
 なお『週刊金曜日』(№1232 19.5.17)に掲載された森功氏のインタビューによると、内閣情報調査室(内調)トップの北村滋内閣情報官は、公安警察出身の官僚なのですね。(p.22) 下記のような分析がありましたので紹介します。
-具体的に「弊害」とは。
 官邸が政権を守ろうとするあまり、官僚の人事権を掌握した上で霞ヶ関からネガティヴな情報が漏れないように統制を強めた結果、官僚がメディアの取材に答えにくくなっているのです。というか、取材に応じなくなりましたね。実名もそうですが、匿名でメディアの取材に応じると、すぐ内部で「犯人探し」が始まるようになった。「誰がしゃべったんだ」と。さすがに公安を使うことはないようですが、以前は官僚としての気概で政権の政策や人事を批判するような勇気のある人たちがいました。ところが、官邸がそうした官僚に目星を付けて呼び出すようなことも行なわれています。もともと官僚は時の政権の顔色をうかがって仕事をするのですが、その度合いがひどくなってもはやブレーキが利かない状態です。杉田(※内閣官房)副長官が、霞ヶ関を強権的に抑え込んでいるためではないでしょうか。

-そういう官邸のやり方が、森友・加計両疑惑を生んだ。
 まったくその通りで、「安倍一強」の歪みでもあるのですが、行政が間違っても官邸の思うようにすべてが進んでいき、問題を問題としてはっきりさせることができなくなっています。問題が起きても、安倍首相を守るためにはどうすればいいかという機能が優先して働いて、実際に何が起きたかの事実解明が押さえ込まれてしまう。森友学園疑惑にしても、これは明らかに財務省の背任行為であり、公文書の偽造という重罪まで行なわれているのに、それが上からの指示だったのか、あるいは忖度であったのかすらよくわからなくなっています。

-杉田・北村両氏は安倍首相を守っているつもりかもしれませんが、政治が腐りますよね。
 問題が起きても事実関係がはっきりしないので、自浄努力が進みませんから。厚生労働省の毎月勤労統計調査の改竄問題にしても、明らかに「アベノミクス」の失敗を隠すためにやったと思われますが、実際になぜそうなったかは見えてこない。国民にすれば、「安倍政権に何か問題がある」と薄々気が付いても、実際はよくわからないので「仕方がない」とあきらめるような心理に陥ってしまいます。

-安倍首相が、この2人の官僚に指示してやらせていると?
 いや、そうではないでしょう。そもそも安倍首相は政策に強くないですから。むしろ、杉田・北村両氏が首相の意向を汲んでやっている。首相のトップダウンではないし、かといって首相を無視して官邸の官僚が好き放題しているのでもありません。ただ、2013年に成立した特定秘密保護法は以前から外事公安畑の悲願で、北村内閣情報官が安倍首相に進言していたという経緯があります。首相自身は「支持率が下がる」と、乗り気ではなかったようですが。

-戦争法(安保関連法)もそうですが、この両氏は権力が暴走する怖さを知らないのでは。
 警察官僚とはそんなものですよ。むしろ、自分たちの権力がまだ足りないくらいのことを思っているのでは。本来なら警察官僚が前のめりになる傾向を抑えることに政治の役割があるはずなのですが、今時の政治家は勉強しませんからね。政治の側の官僚に対するチェック・アンド・バランスができていない点が、憂慮すべきと思っています。(p.23)
 この映画で忘れられないシーンの一つが、内調に所属する官僚たちの働きぶりです。エリート然としたスーツ姿の官僚たちが、私語も交わさず笑顔も見せず、首相の政敵を抹殺するためにコンピュータのディスプレイを凝視ながら黙々とキーボードを叩くその姿には恐怖すら覚えてしまいました。まるでゲームをしているような様子で倫理に悖る行為を平然とこなす官僚たち。昨今における官僚たちの、首相への"忖度"ぶりを象徴するような姿です。余談ですが、『同調圧力』(望月衣塑子/前川喜平/マーティン・ファクラー 角川新書)の中で、ファクラー氏はこう述べられていました。
 外国人には摩訶不思議に感じられる「忖度」だが、映画やテレビドラマを含めた日常生活でよく使われるスラングのなかに似たようなものがある。
 そのひとつが「kiss ass」だ。おべっかを使う、ゴマをする、あるいは媚びへつらうといった行為を揶揄するときに用いられる。イエスマンを揶揄する単語としても、意味が通じるだろう。(p.145~6)
 官僚たちが何の痛痒も葛藤もなく、首相の尻の穴に接吻ができるのか。『「安倍晋三」大研究』 (望月衣塑子 KKベストセラーズ)の中で、内田樹氏が見事な分析をされているので紹介します。
 安倍マイレージ・システムでポイントを貯めたいなら、政府の政策の適否についての評価はしない、ということです。首相を支持すると必ず良いことがあり、反対すると必ず悪いことがある。そして、誰でもが「それは良い政策だ」と思えるような政策を支持するよりも、「それはいくらなんでも…」と官僚たちでさえ絶句するほど不出来な政策を支持するほど与えられるポイントは高くなる。だから、高いポイントをゲットしようとすれば、官僚たちは「できるだけ不出来な政策を、できるだけ無理筋の手段で」実現することを競うようになる。森友・加計問題で露呈したのは、まさにそのような官僚たちの「ポイント集め」の実相だったんじゃないですか。
 安倍政権はこの六年間でほんとうに見事な仕組みを作り上げたと思います。自分でやっているのはただ査定することだけなんです。そうすると、官僚たちが高いスコアを求めて、自主的に官邸が喜びそうなことをやってくれる。別に特高や憲兵隊が来て、反対派を拉致して、拷問して…というような劇的なことが起きているわけじゃないんです。でも、官邸の覚えがめでたい人たちは、政治家でも、官僚でも、ジャーナリストでも、学者でも、必ず「いい思い」ができる。これはほんとうに正確な人事考課が行われています。(p.254~5)
 というわけで、日本における政治の劣化とおぞましさを見せつけてくれる、必見の映画です。一人でも多くの人が見て、投票所に足を運んでくれることを切に望みます。結局、政治がここまで堕落したのも、あの御仁に権力を与え続けている有権者の責任ですから。前掲書で内田氏はこう述べられています。
 でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではありません。嘘をつくことに心理的抵抗にない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのほうです。いったい何を根拠にそれほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらのほうが理解が難しい。(p.209~10)
 追記です。exciteニュースによると、この映画の女性記者役決定がたいへんに難航したそうです。最初は女優の宮崎あおいや満島ひかりにオファーしていたのですが、この映画に出演すると"反政府"のイメージがついてしまうため断られたとのこと。大手事務所に所属の女優さんは誰もやりたがらなかったそうです。だからしがらみのない韓国人の女優さんに決まったというのですね。マイナス・イメージを恐れただけなのか、あるいは官邸からの有形無形の圧力があるのか。ぜひ知りたいところです。このままだと国家権力と闘う気概にあふれた映画の主演俳優はすべて外国人になってしまいます。
 その意味では、主演男優を引き受けた松坂桃李氏は称賛に値します。こういう俳優をみんなで応援していきたいものです。
# by sabasaba13 | 2019-07-16 06:17 | 映画 | Comments(0)

宇都宮編(1):宇都宮(15.12)

 2015年の師走、旅の虫が疼いて宇都宮への一日旅行をしてきました。テーマは、餃子を食べること、石造教会の優品を見ること、そして大谷石で造られた大谷公会堂を見ること。事前に調べた月見草のように人知れずひっそりと咲く物件や、現地で出くわした奇妙奇天烈な物件にも目を配りましょう。後は野となれ山となれ、持参した本は、『ひとはなぜ戦争をするのか』(A・アインシュタイン/S・フロイト 講談社学術文庫)です。

 師走好日のとある日曜日、幸い天気も良く、気ままな徘徊が楽しめそうです。JR湘南新宿ラインに乗って宇都宮に向かっていると、車窓から大谷石造りの倉庫に掲げられた「栃木のかんぴょう」という看板を見かけました。そうか、栃木県は干瓢生産日本一なんだ。栃木県の公式サイトから引用します。
 栃木県は国産かんぴょうの9割以上を生産する日本一の産地です。7月から8月は生産の最盛期に当たり、かんぴょう農家では連日、夜が明ける前からユウガオの実を細長くむいて竿に干し、真夏の太陽で一気に干し上げる作業が行われています。
 お寿司の「かんぴょう巻き」のイメージが強いかんぴょうですが、各種ミネラルや食物繊維を豊富に含んだヘルシーな食材として、みそ汁の具やサラダ、煮物など幅広い料理に使われています。
 かんぴょう巻き、いいですね。最近、コンビニエンス・ストアの店頭に「恵方巻」とやらの広告がよく出ていますが、なぜあのような無粋で華美な巻物を欲する人が多いのでしょう。理解できません。私としては、「巧言令色鮮し仁」的なかんぴょう巻きを買います。

 宇都宮駅に着いたのが午前九時半ごろ、構内で顔はめ看板を見つけました。これは幸先がよろしい。
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 駅構内にあった観光案内所に立ち寄って、地図や観光パンフレットをしこたまいただきました。余談ですが、宇都宮のマスコットは「ミヤリー」です。市の花であるサツキの冠をかぶった妖精をモチーフとし、宇都宮の「ミヤ」と妖精フェアリーからと名づけられたそうな。
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# by sabasaba13 | 2019-07-14 08:56 | 関東 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(17):帰郷(15.12)

 地下鉄の車内に「京の水道水 世界最高水準 うるおいのしずく、あなたへ。 京都市上下水道局」というステッカーが貼ってありました。いつまでも「水と安全はタダ」の国であって欲しいと思います。しかし、そうも言っていられない状況となってしまいました。そう、2018年12月6日、水道法が改正されました。人口減少などで水の使用量は減り、一方で古い施設の更新や耐震化などへの対応など、経営環境が悪化していることへの対応です。今回の改正では、自治体が施設の所有権を持ったまま、運営権を民間企業に売却する「コンセッション方式」と呼ばれる手法を採用することになりました。さあこれから一体何が起こるのか? 最近読んだ『日本が売られる』(幻冬舎新書)の中で、堤未果氏が"水道ビジネス"に言及されています。
 世界中のどこでやっても、じゃぶじゃぶ儲かる水道ビジネスは、「開発経済学」の概念を全く新しいものに上書きしてゆく。
 開発とはもはや、「そこに住む人々の生活向上と地域発展のため」ではなく、「貴重な資源に市場価値をつけ、それをいかに効率よく使うか」という投資家優先の考え方になって行った。
 世界銀行やアジア開発銀行(ADB)、アフリカ開発銀行などの多国間開発銀行とIMFは、財政危機の途上国を「救済する」融資の条件に、必ず水道、電気、ガスなどの公共インフラ民営化を要求する。
 断ればIMFはその国を容赦なくブラックリストに載せるため、途上国側に選択肢はない。
 国際金貸しカルテルの親玉であるIMFのブラックリストに載せられたら最後、援助国の政府や金融機関は、もうその国に援助をしなくなるからだ。
 この手法により、水の民営化は南米やアフリカ、アジアの国々に広がっていった。前述したボリビアや、90年代の韓国、最近では金融危機でIMFに支援を要請したギリシャも同様だ。
 多国間開発銀行は財源不足の水道を抱える国に対し、まず公共水道事業の一部を民間企業に委託させ、それから水道の所有権や運営権を企業に売却できるよう法改正させる。
 その際、国民が疑問を持たないよう「民営化こそが解決策だ」という全国キャンペーンを展開させることも忘れない。
 彼らは水道だけでなく、「医療」「農業」「教育」の民営化を世界各地に広げるべく、尽力し続けている。
 世界銀行の評価セクションには、この手法を使われた多くの国が、水の水質や安定供給に対し大きな不満を表明しているというデータが届いていた。だがそうした当事者たちの声が問題になることはなかった。同行の「民間開発戦略」はあくまでも「投資家のための環境改善策」(民営化、競争、規制緩和、(企業の)所有権強化)であり、そちらの方がはるかに優先順位が上なのだ。(p.18~9)
 氏曰く、「自国民の生活の基盤を解体し、外国に売り払う」動きです。こういうことをする輩は普通「売国奴」と呼びますが、どういうわけか国民から支持されているのですね。なぜなのだろう? そして話は水だけではありません。いま、土、種、食、牛乳、農地、森、海、築地、学校、医療、老後、個人情報などが企業に次々と売られようとしています。このままだとこの国は、さまざまな災厄が降りかかり、秩序が崩壊し、非常に粗野な、毎日を生きていくための場所に変貌してしまうのではないでしょうか。その時に、なぜそのような貧困化が起きたのか、だれの責任なのかという過酷な事実に向き合わず、違う対象に怒りと憎悪を向けて、より悲惨な結果を招いてしまう。そう、第一次世界大戦後のドイツ人が経験したことですね。持参した『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』(リチャード・ベッセル 中公新書)に、奇しくも下記のような叙述がありました。
 第一次世界大戦によって、ドイツは上品とは言い難い、非常に粗野な、「毎日を生きていくため」の場所になってしまった。当然のことながら、さまざまな面で幅広い憤懣が生じる。秩序の崩壊を目の当たりにしたドイツ人は、降りかかった災厄を誰のせいにすべきか、矛先を探した。祖国がなぜ戦争に突入し、戦い、貧困化したかという過酷な事実に向き合うのではなく、ふたつの対象に怒りの目を向けたのである。国外では、屈服したドイツにヴェルサイユ条約という容認しえない「絶対的命令」を押しつけた連合国に、そして国内では、ドイツを背後からひと突きにしたとされる人々に。(p.16~7)
 歴史から学びましょう。歴史は何をしたらよいかは教えてくれませんが、何をすべきでないかは教えてくれます。手遅れにならないうちに。

 京都駅ビルの11階にある京料理「田ごと」で、鯖寿司とうどんのセットをいただきました。そして「蓬莱551」の長い長い行列に並んで豚まんを購入。京都駅20:02発の「のぞみ416号」に乗って豚まんを頬張りながら帰郷の途につきました。
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 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2019-07-12 06:21 | 京都 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(16):錦市場(15.12)

 そして阪急長岡天神駅に戻ってもらい、タクシーとはここでお別れです。いろいろとご教示、ありがとうございました。せっかくなので嵐山まで行くことにしました。駅構内には、阪急電鉄労働組合の「人と環境に優しい公共交通」というポスターが貼ってありました。「労働組合」という言葉を見かけなくなりましたが、雇用状況の劣化を防ぐために大きな役割を果たすのが労働組合です。阪急電鉄労働組合のみなさん、共に頑張りましょう。と、ここで今現在の組織率が気になりました。インターネットで調べたところ、「朝日新聞デジタル」(18.12.19)に以下の記事がありました。
 雇用者に占める労働組合員の割合(組織率)は、今年6月末時点で17・0%だった。前年を0・1ポイント下回り、7年連続で過去最低を更新した。厚生労働省が19日、発表した。雇用情勢の改善が続く中で組合員数は約8万8千人増えて約1007万人になったが、これを上回って雇用者数が伸びたため組織率は下がった。
 うーむ、組織率17・0%か…迂闊にもここまで下がっているとは思いもしませんでした。経営者側の攻勢、御用組合化した状況への失望、若者の組合離れ、いろいろな理由が考えられますが、どうすればいいのでしょうか。このままでは、日本がブラック国家と化してしまいます。
 阪急嵐山駅に着いたのは午後五時ごろ。さすがにもう日没で、紅葉もよく見えません。でも桂川の水面に映る灯はきれいでした。
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そして山ノ神の要望により、錦市場に寄りました。嵐山駅からふたたび阪急に乗って桂駅で乗り換え、烏丸駅で下車。錦市場に行くと、「祝 錦市場 400年」という垂れ幕がかかり、伊藤若冲の絵がそこかしこを飾っています。そう、伊藤若冲は1716(正徳6)年、ここ錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生を受けたのですね。わが敬愛する画家の一人です。
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 「伊藤若冲生家跡」という看板に「若冲と錦市場」という興味深い一文があったので、後学のために転記しておきます。
 伊藤若冲が京都錦の青物問屋の生まれという事実はひろく知られている。若冲が描く絵画のなかには蕪、大根、レンコン、茄子、カボチャなどが描かれ、菜蟲譜という巻物には、野菜だけではなく柘榴や蜜柑、桃といった果実までが描かれている。
 極め付けは、野菜涅槃図で、釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図になぞらえて、中央に大根が横たわり、その周囲には、大根の死を嘆くさまざまな野菜や果実たちが描かれている。このようなユニークな作品は、若冲が青物問屋を生家とすることに由来するといわれる。若冲は、次弟に家督を譲って、錦で絵画三昧の生活を送っていたとされていた。
 しかし、近年、あらたな史料が発見されたことにおり、錦市場における若冲のイメージが一変した。その史料とは、「京都錦小路青物市場記録」というもので、明和8年(1771)から安永3年(1774)までの錦市場の動向を伝える史料である。これによると、若冲は、錦市場の営業許可をめぐって、じつに細やかに、かつ、積極的に調整活動をおこなっている。その結果、錦市場は窮状を脱することになるのだが、若冲のこのような実務的な側面は、これまでまったく知られていなかった。
 若冲は、文字通り青物問屋の主人として錦市場に生きていたのである。
 そしてわれらが敬愛する「田中鶏卵」で卵焼きを購入して、地下鉄でJR京都駅へと向かいます。

 本日の二枚です。
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# by sabasaba13 | 2019-07-10 06:22 | 京都 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(15):金蔵寺・大原野神社(15.12)

 次は金蔵寺へ、幹線道路からはずれて山際の細い道を20分ほど走ると到着です。718(養老2)年に元正天皇の勅願で建てられた天台宗の古刹で、山の斜面、石垣と石段の間に堂宇が建ち並び、紅葉の隠れ名所だそうです。しかし残念ながら、ほとんど落葉していました。境内を埋め尽くすほどたくさんのカエデがあるので、盛りの頃はさぞ見事な景観かと想像します。再訪を期しましょう。
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 なお最近読んだ『かくれ里』(講談社学芸文庫)の中で、白洲正子がこのお寺さんにふれていました。
 実際この寺は、善峰よりはるかに静かで、紅葉も美しい。…お寺は険しい山を切りひらいて造ったらしく、何段にも高い石垣をめぐらし、崖にそって点々とお堂が建っている。紅葉の木の間を通して、長岡の竹林が見渡され、木津川がきらきら光って流れて行くのが見える。(p.187)
 これで予定していた旅程は終わりましたが、運転手さんが大原野神社の紅葉も素晴らしいと教えてくれました。はい、それではぜひ寄ってください。金蔵寺から20分ほど走ると、大原野神社に到着です。784(延暦3)年の長岡京遷都に際し、藤原氏が春日大社の分霊を祀ったのが始まりです。紫式部は大原野神社を氏神と崇め、この大原野の地をこよなく愛していたそうです。
 おおっ、参道にはきれいに色づいたカエデのトンネルが続きます。運転手さん、ありがとう。春日大社の分社だけに、狛犬のかわりに鹿の石像が置かれていました。境内にある池は、猿沢の池を模してつくられた鯉沢の池というそうです。
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 そしてひさしぶりの絵馬ウォッチング。「平穏無事に社会人として成長していきますように」 うん、"平穏無事"、素晴らしい言葉ですね。"日日是好日"とともに額に入れて飾っておきたい言葉です。「朗らかに健やかに育ってくれますように」という親御さんの言葉に応えるかのように、三歳の〇〇ちゃんの伸びやかな抽象的文字が躍っています。未来は君たちのものだ。
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 本日の四枚です。
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# by sabasaba13 | 2019-07-08 07:31 | 京都 | Comments(0)

言葉の花綵192

 よい問題を択ばなければ、よい仕事はできない。どうしても解答の得られないときには、問題そのものを検討しなければならない。(三好和夫)

 納税は、未来へ続く フルマラソン (某中学生)

 驚きは知恵の父である。(プラトン)

 彼らのなしとげる手柄と武勲とによってその富が増大し勢が強まるのは君主たちであり、危険と死を収穫するのは彼ら自身である。(ヒポクラテス)

 社会秩序というものは、どんなものでも、いかに必要であっても、本質的に悪である。(シモーヌ・ヴェイユ)

 おまえがそれほど威勢がいいのも
 愚かな獣たちを従えているからだろう (テレンティウス)

 言語はウソをつくための道具だ。(ウンベルト・エーコ)

 本物のやりがいは、困難な仕事にのみ存在するのです。(白井聡)

 本当のことを言ってくれる人を受け入れることができないならば、科学などやめてしまえ。(ジェームズ・ワトソン)

 科学に国境はない。しかし科学者には祖国がある。(ルイ・パスツール)

 自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのために勉強するのです。(山本義隆)

 物事はできるだけ単純にすべきである。しかし単純すぎずに。(アルバート・アインシュタイン)

 発見というのは、誰もが見ていたことを見て、誰もが考えなかったように考えることによってもたらされる。(セント=ジェルジ)

 経験はフリーズドライされた思考の力だ。(小田嶋隆)
# by sabasaba13 | 2019-07-06 10:00 | 言葉の花綵 | Comments(0)

響きあうアジア2019ガラコンサート

c0051620_22211884.jpg 山ノ神がロハのチケットを知人からいただいたということで、「響きあうアジア2019ガラコンサート」を聴いてきました。なおガラコンサート(gala concert)とは、何かを記念して企画され、特別な催しとして行われる演奏会のことです。まずはチラシから紹介文を転記します。
 これまで国際交流基金アジアセンターが活動を支援してきた、ベトナム・タイ・フィリピン・インドネシア・ミャンマーの5か国8つのオーケストラから、選び抜かれた約80名の演奏家が来日。日本の演奏家を交え、多国籍オーケストラ「響きあうアジア2019交響楽団」を結成。指揮者に「炎のマエストロ」小林研一郎氏を迎え、熱気溢れるアジアの響きをお届けする特別コンサートです。
 国際交流基金アジアセンターは、2014年から「ASEANオーケストラ支援事業」を実施し、東南アジアのオーケストラの運営・演奏技術の向上を支援してきました。本コンサートはその集大成として、東南アジアと日本から、総勢約100名の演奏家が一堂に会し、共に音楽を紡ぎます。東南アジアと日本が互いに学びあい、響きあうことで生まれる、エネルギー溢れる音色をお楽しみ下さい。
 会場は池袋にある東京芸術劇場、ホールに入るとほぼ満席でした。いただいたプログラムを読んでみると、さまざまなご苦労があったようです。雨が残るような野外での公演、リハーサル初日に譜読みをしてこない団員、練習開始はほぼ数分遅れで遅刻者や欠席者もいる、などなど。でも磯部周平氏は優しく弁明されています。
 遅刻者もいますが、あの交通事情では無理もない、とも感じます。ただ驚くのは、欠席者がいること。オーケストラの給料は充分なものではなく、ほとんどのメンバーが、複数の仕事を兼業又は掛け持ちしているため…と聞きました。
 舞台にはたくさんの椅子が並べられていましたが、袖から登場したホーチミン市交響楽団、ベトナム国立交響楽団、王立バンコク交響楽団、フィリピン・フィルハーモニック管弦楽団、マニラ交響楽団、ジャカルタ・シティ・フィルハーモニック、ジャカルタ・シンフォニエッタ、ミャンマー国立交響楽団から選抜された総勢約100人の音楽家で埋め尽くされました。そして背後には、賛助出演する岩倉高校吹奏楽部のみなさんが並びます。もうこれだけでワクワクしますね。
 そしてマエストロ、小林研一郎氏が颯爽と登場。まずはヴェルディの歌劇「アイーダ」より"凱旋の行進曲"が演奏されました。舞台前面に立ち並んだ六人のトランぺッターが奏でるファンファーレに胸は高鳴り心は踊ります。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を弾いたソリストは瀬﨑明日香氏、難曲だけに弾くだけで精一杯という感じでした。シベリウスの交響詩「フィンランディア」は素晴らしい演奏でした。冒頭の押し潰されるような抑圧感、一転して飛翔するような勝利の凱歌、そしてフィンランドの風土を賞揚するような美しいメロディ、そして再び凱歌で締めくくられます。それぞれの曲調違いをよく表現していました。小林研一郎作曲の「パッサカリア」より"夏祭り"は、和太鼓をふくむ打楽器群が大活躍。その迫力と躍動感に圧倒されました。
 ここで休憩をはさみます。少々の音程の狂い、アインザッツやアンサンブルの乱れ、走り気味のテンポなどなんのその。異国の音楽仲間と一緒に音楽を紡げる幸福感に、私たちも酔い痴れました。
後半はベートーヴェンの「エグモント」序曲で始まり、フィナーレはチャイコフスキーの大序曲「1812年」です。大砲はどうするのかなと興味津々でしたが、さきほどの和太鼓が代役をつとめました。ちょっと迫力不足だったかな。
 万雷の拍手のなか、小林氏がペコリと頭を下げ「アンコールをしてもいいですか」と肉声で客席に告げたのには思わず笑いが起きました。そしてビゼーの歌劇「カルメン」ファランドールの熱狂的な演奏で幕を閉じました。ブラービ! 終了後、舞台の上で三々五々抱き合い握手をするメンバーの方々の姿が心に残りました。

 というわけで楽しい演奏会でした。言葉も文化も宗教も違う人びとが、音楽を通じて一つになる。あらためて音楽の素晴らしさに感じ入りました。選曲も良かったですね。"勝利"というのが一つのテーマだったと思いますが、参議院選挙を前に、激励してもらったような気がします。また機会があったら聴いてみたいオーケストラです。
# by sabasaba13 | 2019-07-04 06:19 | 音楽 | Comments(0)

闇にさらわれて

c0051620_1732244.jpg 『しんぶん赤旗』の劇評を読んでいたら、劇団民藝の「闇にさらわれて」という劇が紹介されていました。公式サイトからストーリーと紹介文を転記します。
 1931年、ベルリン。ナチズムが急速に台頭する中、若き弁護士ハンス・リッテンはアドルフ・ヒトラーをある殺人事件の証人として法廷に召喚し、3時間にも及ぶ尋問を行い反ファシズムの旗手としてその名をとどろかす。しかしその2年後、ヒトラー内閣が成立。ハンスは国会議事堂放火事件の混乱に乗じて、拉致されやがて強制収容所へ。ハンスの母イルムガルトは、杳として行方を絶った息子を救出するために、身の危険を顧みず孤独な闘いを始めるのだった…
 本作はテレビドキュメンタリー作家、マーク・ヘイハーストの初戯曲。2014年イギリスで初演されたイルムガルト役のペネロープ・ウィルトンがローレンス・オリヴィエ賞主演女優賞を受賞するなど高い評価を得ました。今公演はイルムガルト役を日色ともゑが演じ篠田三郎さんをお迎えして本邦初演いたします。
 なお後日、『しんぶん赤旗』(2019.6.26)のコラム「潮流」でも紹介されていたので、こちらも引用します。
 あのヒトラーが法廷に引っ張り出されたことがありました。1931年のベルリン、暴力と破壊でドイツ市民を恐怖におびえさせたナチス突撃隊が起こした殺人事件の証人として召喚したのは若き弁護士ハンス・リッテン。当時、ヒトラー率いるナチ党は国政選挙で躍進中でした。リッテンは彼らの無法や暴力行為が計画的に行われている証拠を示しながらヒトラーに詰め寄りました。突撃隊はスポーツ隊だと言い張り、殺人という言葉が使われることを拒絶し、彼らは祖国を守ろうとしたと激高するヒトラー。しかし、翌日の新聞には「リッテン勝利」を伝える記事が躍ったといいます。後の独裁者はこの時の屈辱を忘れず、自分を追い詰めた弁護士を決して許しませんでした。大規模な政治弾圧が始まるとリッテンも捕らえられ、監獄でひどい拷問や虐待にあい、命を奪われます。いま劇団民藝が都内で公演する「闇にさらわれて」。息子を救うため命がけで奔走した母イルムガルト・リッテンを日色ともゑさんが演じています。ナチの不正義とたたかったイルムガルトの手記『黒い灯』(野上弥生子訳)を読み、女性の内側に潜む激しい思い、母としての深い愛情を表現したいと。強権と憎しみが支配した時代。リッテンは収容所で衛兵に囲まれながら詩を朗読します。「私を縛って真っ暗な土牢の中に閉じ込めてもまったくの無駄骨折りというものだ/なぜなら私の思想だけは戒めを引きちぎり壁を打ち破ってとびだすから/思想は自由だ」
 息子を救うためにナチスに挑む徒手空拳の母親、これは面白そうです。しかも実話だというのですから驚きです。さっそく山ノ神を誘い、「紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA」に見に行くことにしました。

 舞台の中央には、黒い四本の柱が屹立しています。そのがらんどうの内部空間が、強制収容所、居間、事務室、法廷などとして使われ、こちらの想像力を刺激します。柱のまわりの回廊状の空間も、建物や収容所の廊下、道路、公園として使われるなど、シンプルながらも小回りの利く舞台装置です。よって場面も小気味よくスピーディーに転換されていきます。
 冒頭、母と息子が離れて左右に位置し、母が息子の手紙を読み、息子がその内容を語り掛ける場面に始まります。はじめのうちは交互に語っているのですが、やがて科白が重なり合い聞き取りづらくなってきます。二人の未来を暗示するかのように…
 やはり印象的なのは母イルムガルト(日色ともゑ)の、息子ハンス(神敏将)への一途な愛情です。情報を得るためにゲシュタポの高官に面会して、意に反して「ハイル・ヒトラー!」と高唱する。あるいは来独したイギリスの政治家アレン卿(篠田三郎・客演)と会って、息子の救済を必死で依頼する。日色ともゑが迫真の演技で熱演していました。脚本が上手いなと思ったのは、登場人物のナチスに対する態度に温度差があることを盛り込んでいるところです。ユダヤ人法学者の父フリッツ(西川明)は事なかれ主義で、息子の突出した言動に批判的です。アレン卿は協力を約束したもののヒトラーに対して宥和的な態度を示します。5年後にミュンヘン協定を結んだネヴィル・チェンバレンのことをふと思いました。またイルムガルトはハンスと面会した際に、ナチスが要求している情報を提供して解放されるよう、息子を説得します。ナチスとの闘いよりも、息子の命を優先したのですね。もちろんそれを責めることはできませんが。この劇のなかでただ一人ぶれないのがハンスです。母の懇願を拒否して、従容として死に向かっていきます。なお収容所で衛兵から歌えと命じられたハンスは、19世紀初頭のドイツの詩人ファラースレーベンの「思想は自由だ」を朗読します。
思想は自由だ。誰が言い当てられようか。
思想は飛び去る。夜の影のように。
それを知る者はいない。射貫く狩人もいない。
それでよい。思想は自由だ。
 印象に残った場面が二つあります。まずイルムガルトが息子に本を差し入れようと、本屋で購入しようとすると、宛先をハンス・リッテンだと聞いた主人が「代金はいらない」と言うシーンです。
 もう一つがゲシュタポの高官コンラート博士(千葉茂則)の姿です。ナチスの犯罪に対して苦悩や思考をせず、イルムガルトに対して慇懃に接しながらも保身のために何もしようとしないコンラート博士。ハンナ・アーレントが「怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男」「誰か他の人の立場に立って考える能力の不足」と表現した人間を、千葉茂則が見事に演じていました。

 さて、この劇は単にナチスを弾劾し、それと闘った人びとを賞揚するだけではありません。今なお存在するナチス的なるものにも気づかせてくれます。社会的弱者を差別・排除して国民を統合しようとする強権。そしてそれに反対する者を様々な手段によって弾圧・隔離する強権。ここでも「壁と卵」という村上春樹氏のメタファーが響いてきます。

 最後の場面で、イルムガルトはイギリスへと亡命し、「水晶の夜」の調査をしていると告げます。彼女の意識が、息子の救出からナチスとの闘いへと変化してきた証左でしょう。
そして最後の科白で、私たち卵に、壁との闘い方を教えてくれます。「私は叫び続けます。道はまだ半ばです」 まず沈黙しないこと、そしてあきらめないこと。It's just the beginning.

 余談です。常々思っていたのですが、安倍晋三首相ってアドルフ・ヒトラーに、菅義偉官房長官ってヨーゼフ・ゲッベルスに、麻生太郎財務大臣ってヘルマン・ゲーリングに何となく似ていませんか。いや、偶然ならよいのですが。
# by sabasaba13 | 2019-07-02 06:22 | 演劇 | Comments(0)

弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

c0051620_21593230.jpg まだ聴いたことがないクラシックの名曲が多々あります。ホルストの「惑星」は先日聴くことができましたが、他にはバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」「管弦楽のための協奏曲」、ラベルの「ボレロ」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ドビュッシーの「ダフニスとクロエ」、シェーンベルクの「グレの歌」、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」などなど五指に余ります。
 中でもバルトーク・ベラの曲には心惹かれます。その真摯さとストイックさ、血沸き肉躍る土俗的なリズム、民謡の研究から生まれた情感にあふれるメロディ、気楽に聴ける音楽ではありませんが、時に居住まいを正して無性に聴きたくなります。鈴木雅明氏の指揮による紀尾井ホール室内管弦楽団の第117回定期演奏会で、その「弦チェレ」が聴けるということで、心弾ませながら四谷の紀尾井ホールに行ってきました。バッハ・コレギウム・ジャパンの主宰者にして、J・S・バッハ演奏の第一人者、鈴木雅明氏が、この現代曲にどう演奏するのか、ほんとうに楽しみです。なお山ノ神は野暮用のため同伴できませんでした。
 利休鼠の雨が降る某土曜日、会場に着くと意外なことにほぼ満席。まずは紀尾井ホールをレジデント(本拠地)として演奏活動を行う二管編成の室内オーケストラ、紀尾井ホール室内管弦楽団舞台に登場しました。ソリスト・室内楽奏者として第一線で活躍している器楽奏者、主要オーケストラの首席奏者などで構成されているオケだそうです。そして鈴木氏が白髪をなびかせて颯爽と登場。一曲目はモーツァルトの交響曲第29番、嬉しいなあ私の大好きな曲です。溌剌、清新、歓喜、どう表現すればいいのでしょう、音楽をつくる喜びが詰まった名曲です。なおA・アインシュタインは「小ト短調交響曲(第25番)とイ長調交響曲(第29番)はひとつの奇跡である」と評したそうですが、宜なるかな。演奏も弾けるような小気味のいい、ダイナミクスの変化に富んだ素晴らしい演奏でした。
 そしてオケはいったん退場し、係の方が「弦チェレ」のためのセッティングを始めました。几帳面なバルトークは、楽器の配置まで細かく指示しているそうです。弦楽器群は二つに分けられて識者の左右に配置、中央にはピアノ・チェレスタ・ハープ、そして後方に打楽器群が配置されます。そのテキパキとした機敏な動きを見ているだけで、期待が高まってきました。そしてオケと指揮者が登場、静かに上がるタクト、楽器を構えるオケ、期待と緊張感はピークに達します。
 第1楽章 Andante tranquilloは変拍子の変則的なフーガ。まるで宇宙の誕生のように、ヴィオラの無調性の主題から静かに始まります。そしてマグマが徐々に沸騰するように、主題が重なり、音域が広がり、音量が大きくなり、ティンパニの打撃とともにクライマックスに達して、また静かに冷えていく。冷→熱→冷の変化の妙に、手に汗を握ってしまいました。
 第2楽章 Allegroは一転、躍動的でダンサブルな曲です。指揮者の左右に配置された二つの弦楽器群の掛け合いが何ともスリリング。ピアノや弦楽器によるバルトーク・ピチカートの打撃音に、アドレナリンがびしびしと分泌しました。
 第3楽章 Adagioはまた一転、新月の闇夜のように、身が凍てるような冷たく静かな音楽です。バルトークお得意の、いわゆる「夜の音楽」ですね。闇を引き裂く稲妻のようなシロフォンの打撃音がとても印象的です。
 第4楽章 Allegro moltoはまたまた一転、狂熱の坩堝と化します。挑み合うようにフレーズを交換する二つの弦楽器群、複雑な変拍子にエッジの効いたリズム、咆哮する打楽器、前に前に疾駆するようなドライブ感、めまぐるしく変わるテンポ。「ああずっとこの音楽が続いて欲しい」という願いを断ち切るように、突然音楽が崩れ落ちて曲は終わります。響きが終り静寂が会場に訪れるまで拍手が起こらないほど、聴衆を音楽に集中させた素晴らしい演奏でした。
 それにしても、この氷山のような、マグマのような、夜の静寂のような、狂熱の祭のような難曲を、ノーミスかつ完璧なアンサンブルで、しかもさまざまな気持ちを込めて表現した鈴木氏の指揮と紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏に頭を垂れましょう。ブラービ。これまでに私が聴いたコンサートの中で五指に入る名演でした。
 ここで休憩、心身に籠った熱を冷まそうと外へ出て紫煙をくゆらしました。山ノ神がいれば熱っぽくいろいろと語れるのに。やはり一人だと寂しいですね。
 後半はバロック作品を換骨奪胎したストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」、声楽パートのある全曲版です。なかなか上手い構成ですね。古典(モーツァルト)、現代(バルトーク)、古典+現代(ストラヴィンスキー)。“厳しさ”を“優しさ”でサンドイッチした構成とも言えます。バルトークの曲で緊張した心身をもみほぐしてくれるような、軽やかで華やかな演奏でした。木管楽器の合奏を演奏者たちに任せて、歌手たちともに椅子に座って演奏を楽しむ鈴木氏。金色の大きな蝶ネクタイをつけて、トロンボーンと二重奏をするコントラバス奏者。その遊び心にも緩頬しました。

 というわけで予想をはるかに超えて楽しめた演奏会でした。鈴木雅明氏と紀尾井ホール室内管弦楽団、また聴いてみたいものです。これからも贔屓にさせていただきます。今度はチャイコフスキーとドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」をリクエストします。
# by sabasaba13 | 2019-06-30 08:31 | 音楽 | Comments(0)

壁と卵 2

 インターネットでJNNニュースを読んでいたら、下記の記事がありハッと息を呑みました。(2019.6.22 13:06配信)
香港のデモ隊、警察本部を16時間包囲

 香港で政府が逃亡犯条例の撤回を明言しないことなどに抗議し、警察本部を包囲していたデモ隊は、22日未明までにいったん解散しました。しかし、混乱収束の見通しは立っていません。
香港の警察本部庁舎の壁やガラスにはデモ隊が投げた卵の跡が無数に残っていて、あたり一帯では卵の腐った臭いが漂っています。
 22日朝、警察本部ではデモ隊が設置したバリケードの撤去や庁舎に書かれた落書きをビニール袋で隠す作業が行われました。
 香港で21日、学生団体など数千人が参加するデモがあり、デモ隊は立法会前の道路を封鎖したあと、警察本部庁舎を22日未明まで16時間にわたり包囲しました。デモ隊は、今月12日の大規模デモの際、暴動の疑いで逮捕された若者たちの釈放などを訴えました。
 香港では来月1日にも大規模デモが計画されていて、混乱が収束する見通しは立っていません。
 “デモ隊が投げた卵の跡”… これは2009年2月に村上春樹氏がエルサレム賞を受賞した時のスピーチで使われたメタファー、「壁と卵」に関連するのではないか。『雑文集』(新潮社)から、その一部を引用します。
 ひとつだけメッセージを言わせて下さい。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にそれは刻み込まれています。こういうことです。
 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
 そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?
 さて、このメタファーはいったい何を意味するか? ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。
 しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。
 私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。私はそう信じています。生と死の物語を書き、愛の物語を書き、人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせることによって、個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事です。そのために我々は日々真剣に虚構を作り続けているのです。(中略)
 私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人権や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりに高く硬く、そして冷ややかです。もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らの、そしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。
 考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。
私が皆さんに申し上げたいのはそれだけです。(p.77~80)
 その後、『香港 中国と向き合う自由都市』(倉田徹/Cheung Yuk Man 岩波新書1578)という本を読んで、2014年に民主化を求めて香港で起きた雨傘運動において、この「壁と卵」というメタファーがたびたび引用されたことを知りました。また雨傘運動の最中にベルリンで行なわれた「Welt prize」受賞式スピーチでは、香港の若者にエールを送り励ましたそうです。こういうスピーチです。
 1989年にベルリンの壁が崩壊した時、ほっとしたのを覚えています。「冷戦は終わった」とつぶやきました。「世界はもっと平和で前向きになる」。世界中の多くの人が同じように感じたと思います。
 でも悲しいことに、安堵の感覚は長く続きませんでした。中東では紛争が絶えず、バルカン半島で戦争が起き、テロ事件が次々と発生。そして2001年にはニューヨークの世界貿易センターへの攻撃がありました。より幸せな世界への私たちの希望は、あえなく崩れました。
 小説家の私にとって、壁は常に重要なモチーフです。小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では、高い壁に囲まれた架空の町を描きました。いったん入ると、二度と出られないような町です。小説「ねじまき鳥クロニクル」の主人公は、井戸の底に座り、厚い石の壁をすり抜けて別の世界に行きます。
 2009年に(イスラエルの文学賞)エルサレム賞を受けた時、私はエルサレムで「壁と卵」と題したスピーチをし、壁と、それにぶつかって壊れる卵について話しました。石の壁を前に、なんと私たちは無力だろうか。私がスピーチをしていたまさにその間も、(パレスチナ自治区)ガザでは激しい戦いが続いていました。私にとって壁は人々を分かつもの、一つの価値観と別の価値観を隔てるものの象徴です。壁は私たちを守ることもある。しかし私たちを守るためには他者を排除しなければならない。それが壁の論理です。
 壁はやがてほかの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。時には暴力を伴って。ベルリンの壁は間違いなく、その典型でした。
 世界には多くの種類の壁があります。民族、宗教、不寛容、原理主義、強欲、そして不安といった壁です。私たちは壁というシステムなしには生きられないのでしょうか。小説家にとって壁は突き破らなければならない障害です。例えて言えば、小説を書くときに現実と非現実、意識と無意識を分ける壁を通り抜けるのです。反対側にある世界を見て自分たちの側に戻り、見たものを作品で詳細に描写する。それが、私たち小説家が日々やっている仕事なのです。
 フィクションを読んで深く感動し、興奮するとき、その人は作者と一緒に壁を突破したといえます。本を読み終えても、もちろん基本的には読み始めたときと同じ場所にいます。取り巻く現実は変わらないし、実際の問題は何も解決していません。それでも、はっきりとどこかに行って帰って来たように感じます。ほんの短い距離、10センチか20センチであれ、最初の場所とは違う所に来たという感覚になります。そういう感覚を経験することこそが、読書に最も重要で欠かせないことだと考えてきました。
 自分は自由で、望めば壁を通り抜けてどこへでも好きな所へ行けるという実感です。私はそれを何よりも大切にしたい。そういう感覚をもたらすことができる物語をできるだけたくさん書いて、この素晴らしい感覚をできるだけ多くの読者と分かち合いたいのです。
 ジョン・レノンがかつて歌ったように、私たち誰もが想像する力を持っています。暴力的でシニカルな現実を前に、それはか弱く、はかない希望に見えるかもしれません。でもくじけずに、より良い、より自由な世界についての物語を語り続ける静かで息の長い努力をすること。一人一人の想像する力は、そこから見いだされるのです。
 たとえ壁に囲まれていても、壁のない世界を語ることはできます。その世界は自分の目で見えるし、手で触れることだってできる。それが大事な何かの出発点になるかもしれません。2014年のここベルリンは、そんな力についてもう一度考えるのに最適な場所です。
 今まさに、壁と闘っている香港の若者たちにこのメッセージを送りたいと思います。
 おそらく、村上氏のエールを心に刻み、香港政府とその背後にいる中国政府という固く大きな壁に、かけがえのない魂とその温かさの象徴である卵を投げつけたのだと想像します。
 そしてこれは、日本に、世界に向けたメッセージではないでしょうか。「あなたはどちらの側に立ちますか? 壁、それとも卵?」 その答えは、7月21日の参議院選挙で出しましょう。「どうでもいいや/関心ないね/何も変わらないさ」と言って壁の一部になってしまう人の少なからんことを。
# by sabasaba13 | 2019-06-28 06:20 | 鶏肋 | Comments(0)