函館・札幌編(25):函館(15.9)

 そして函館支庁を睥睨するように屹立しているのが、華美・過剰な意匠・装飾で周囲を圧する旧函館区公会堂です。
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 解説文を転記します。
 明治40年(1907年)8月の大火は函館区の約半数、12,000戸余りを焼失した。
 この大火で区民の集会所であった町会所も失ったため「公会堂建設協議会」が組織され、建設資金として区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように集まらなかった。
 当時、函館の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗などの多くを焼失したにもかかわらず5万円の大金を寄付したため、これをもとに明治43年(1910年)現在の公会堂が完成した。
 この建物は北海道の代表的な明治洋風建築で左右対称形になっており、2階にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表わしている。
 昭和49年5月、国の重要文化財に指定され、昭和57年約3年を費やして修復された。
 そう、さきほど触れた豪商・相馬哲平の寄付によって建てられたのですね。彼といい、旧青年会館(現函館市公民館)建設のために寄付をした石館友作といい、函館にはノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)の精神にあふれた富裕者が多々いたのですね。「金だけ、今だけ、自分だけ」しか考えない昨今の富裕者とはえらい違いです。
 痛快なエピソードをひとつ。武骨な官庁舎を見下ろす華麗な公会堂の対比が印象的なのですが、じつは函館は在野の精神が横溢するところ。1907年の大火事の後、まず政府が支庁舎を再建しますが、相馬哲平をリーダーとする有力市民たちは寄付をもちより、支庁を見下ろす高い所に派手で立派な公会堂を建設したのですね。その意気やよし。これまた官僚に媚び諂う昨今の富裕者とは雲泥の差。
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 そして公会堂の二階から見渡す素晴らしい眺望をぜひ山ノ神に見せてあげたいので、中に入りました。二階のテラスに出ると、ブンダバー、函館の街並みと港、函館湾を手に取るように一望できます。これは必見です。
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# by sabasaba13 | 2019-01-17 06:23 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(24):函館(15.9)

 そして八幡坂へ、やはりこの坂の景観は素晴らしい。ゆるやかな坂道と並木がおりなす構図は、まるで遠近法を用いた風景絵画のようです。バニシング・ポイントには紺碧の海、その向こうには緑の山々。港へ向かって歩いていく若いカップルに幸多かれと祈りながら、写真を撮影。
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 旧相馬邸は1908(明治41)年に建てられた、豪商・相馬哲平の邸宅。細部にも贅が尽くされた豪邸ということで、見学をしたかったのですが、いかんせんそろそろ列車に乗る時刻が迫ってきました。泣いて馬謖を斬る、韓信の股くぐり、見学はやめて再訪を期しましょう。なお「ブラタモリ ♯8 函館の夜景」でここが紹介されたというポスターが貼ってありました。この番組は日ごろから愛聴していますが、函館編は見逃してしまいました。
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 そしてギリシア神殿風のファサードが印象的な旧北海道庁函館支庁庁舎へ。
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 解説文を転記しておきます。
 旧北海道庁函館支庁庁舎は、明治42年(1909年)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982年)に修復整備されたものです。特徴のひとつに柱廊玄関があり、2階に張り出した屋根が柱頭飾り(コリント式)と中央部に膨らみのある(エンタシス風)巨大な4本の柱で支えられています。
 明治末期の函館を伝えるこの洋風建築は、北海道開拓の歴史上価値が高いことから、昭和60年(1985年)北海道有形文化財に指定されています。
 現在は、1階を元町観光案内所として利用し、2階は「写真歴史館」として"北海道写真発祥の地 函館"の歴史を伝える貴重な写真機器や資料を展示しています。
 なお、江戸時代、ここ元町公園には、松前藩の亀田番所が置かれ、19世紀初めの幕府直轄時には、箱館奉行が置かれました。安政元年(1854年)に日米和親条約で箱館の開港が決まると、当時松前藩が復領していたこの地は再び幕府の直轄となり、箱館奉行が再置されましたが、港湾から近く防衛上不利であったことなどから、元治元年(1864年)に亀田の地(五稜郭)に移転しました。
 その近くに、小振りながら煉瓦造りの重厚な旧開拓使函館支庁書籍庫があります。図書館マニアなら見逃せない物件です。
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# by sabasaba13 | 2019-01-15 06:16 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(23):函館(15.9)

 そしてカトリック元町教会へ。残念ながら催しがあって中へ入れませんでしたが、こちらの内装がミシュランで☆と評価されたのですね。
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 解説文を転記します。
 元町教会は、安政6年(1859)フランスの宣教師メルメ・ドゥ・カション(パリ―外国宣教司祭)が仮聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリシタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史をもつ教会である。
 明治元年(1868)同宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、その後、明治10年(1877)同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。
 以後3回の大火で類焼したのち、大正13年(1924)現在の大聖堂が完成した。この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁十四景の十字架道行の壁像は、イタリーのチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から贈られた由緒あるものである。
 大三坂は、洋館と石畳と街路樹、そしてカトリック元町教会の塔と函館山があいまって、素敵な景観です。街路樹のナナカマドが紅葉する秋には、幻想的な美しさとのこと。見てみたいものです。なお「大三」とは、地方から奉行所へ公用でやって来る人たちのため、坂の入口に建てられていた郷宿の家印に由来するそうです。
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 ひときわ目を引く洋館が、旧亀井邸。赤い鋭角的な三角屋根の白亜の館で、縦長の窓がリズミカルに並ぶ湾曲した突出部が洒落ています。なんとこのお宅は、亀井勝一郎の実家とのこと。
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 日本基督教団函館教会は残念ながら工事中で、シートに覆われていました。
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 後学のために、解説を転記しておきます。
 明治6(1873)年12月に、アメリカからメソジスト派の宣教師M.C.ハリスが来日し、翌年1月に函館で伝道を始めた。「函館美以教会」と名付けられたこの教会は、プロテスタント教会では国内で三番目に古いものである。来函当時は、ドイツ人代弁領事殺害事件が起きるなど、不穏な世情であったが、ハリスは恐れることなく布教に身を捧げた。また彼は札幌にも伝道し、内村鑑三や新渡戸稲造など札幌農学校(現北海道大学)の学生の指導にあたり、洗礼を授けた。
 一方ハリス夫人は女子教育に尽力し、これがカロライン・ライト・メモリアル女学校(遺愛学院)設立の契機となった。
 教会堂は、明治10年に建てられたが、火災により焼失し、数度の変遷を経て、昭和6(1931)年に現在の教会堂「ハリス監督記念礼拝堂」が建った。昭和16年に、プロテスタントの教派の合流があり、現在の教会名になっている。

# by sabasaba13 | 2019-01-13 07:28 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(22):函館(15.9)

 そしてハリストス正教会を撮影してすこし歩くと、遺愛幼稚園に着きました。
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 下見板が端正な雰囲気を醸す清楚な学舎です。ここが、昨日訪れた遺愛学院発祥の地なのですね。
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 解説を転記します。
 明治28年(1895)遺愛女学校併置の遺愛幼稚園として創立されたが、明治40年(1907)の大火で遺愛女学校ともども類焼。現幼稚園園舎は米国篤志家の寄付により大正2年(1913)に建造された。この地は学校法人遺愛学院の発祥の地である。
 米国人宣教師M.C.ハリスは米国メソジスト監督教会より派遣され明治7年(1874)1月26日函館に到着後、付近の子女を集め直ちに日日学校(Day School)を開いた。
 これが遺愛学院の濫觴である。ハリスは当時の札幌農学校で、クラーク博士の依頼を受け、佐藤昌介・新渡戸稲造・内村鑑三らに洗礼を授けている。
 幾何学的なブラケットを付加し、櫛形ペディメントを見せるポーチ部は、正面をガラス張りとし、両側二方を吹き放している。外壁をピンク色、隅柱・開口部などを白色に仕上げた控えめなスティックスタイルの建物である。
 東本願寺函館別院の豪壮な屋根には圧倒されます。そうそう、最近読んだ『高木顕明の事績に学ぶ学習資料集』(真宗大谷派宗務所)の中で、東本願寺、浄土真宗大谷派について重要な記述がありました。心胆を寒からしめる国家犯罪、大逆事件についてはずっとこだわり続けていますが、その犠牲者の一人、無期懲役を宣告されたのち秋田監獄で自死した高木顕明(けんみょう)が真宗大谷派の僧侶だったのですね。戦争に反対し、被差別問題に取り組み、常に弱者・貧者の側に立っていた優れた人物でした。しかし大谷派は、彼を最も重い処分である擯斥(ひんせき)とし、敗戦後、この事件が明らかに冤罪であると判明してもその処分を解きませんでした。しかし、1996年に擯斥処分を取り消すとともに、己の非を認めて誠実に謝罪します。前掲書から引用します。
 大谷派では、1996(平成8)年4月1日、時の宗務当局が国家に追随して行った師への無慈悲な行為と、それを今日まで放置してきた宗門の罪責を深く慚愧し、顕明師やご家族、門徒の方々へ心から謝罪を表明し、住職差免及び擯斥処分を取り消しました。(p.ⅱ)
 "宗門の罪責を深く慚愧"、なかなか言える言葉ではないと思います。そして国家に追随したことにも反省の弁が及び、国家に対する批判的な視点を有していることにも注目します。
 高木顕明の復権とは何なのかと本気に問題にしはじめると、そこには大きな壁が立ちはだかっていることに気づく。
 最大の壁は国家である。
 国は大逆事件が、国による弾圧事件であり冤罪であるといまだに認めていないからだ。
 戦後、1961(昭和36)年、最後の大逆事件連座の生存者らが再審請求をしたが、東京高裁はこれを「棄却」した。特別抗告を受けた最高裁も、高裁決定を支持して「棄却」した。理由も示さずにである。だから依然として、法的には有罪とする判断が生き続けている。「大逆事件」は今なお生きているのだ。(p.32~3)
 そう、一番深く慚愧して謝罪すべきなのは国家であるべきなのに、いまだに頬かむりをしています。そしてそうした国家の姿勢を批判せず、また無関心な多くの人びと。「廉恥」という言葉は死語になったようですね。
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# by sabasaba13 | 2019-01-11 06:22 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(21):函館(15.9)

 そして元町配水場へ、配水池や管理事務所を拝見することができます。
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 解説板を読むと、この配水場が函館の町にとっていかに重要な存在であったかが、よく得心出来ました。
函館の上水道
 函館の水道は、明治22年(1889年)に完成した日本で二番目の近代水道である。日本最初の水道は横浜で、これは外国人の設計監督により明治20年(1887年)に完成した。日本人の工事監督によるものとしては、函館の水道が日本で最初のものであり全国的に有名である。函館は昔から水利の便が悪く、また津軽海峡に突き出た地形のため年間を通して風が強く、火災が発生するとたちまち大火となり、多くの犠牲者がでたこと、さらに明治19年(1886年)市内にコレラが大流行し、842人に及ぶ市民が死亡したことなどが契機となって、水道建設の要望が一層高まり、明治21年(1888年)念願の一大事業が着工された。
 ここは、創設の時つくられた配水池がある「元町配水場」で、市街地北側にある赤川の高区浄水場から11kmの送水管によりこの配水場に送られてきた水を市内に供給している。
 函館の水道施設は、創設から6回にわたる拡張工事を行い、現在30万人の函館市民に清浄な水を供給している。
 函館聖ヨハネ教会の脇にある坂は"チャチャ登り"という風変わりな名前です。チャチャとは、アイヌ語でおじいさんのことで、この坂が急なため、前かがみに腰を曲げて登る姿が老人に似ていたことから「チャチャ登り」と呼ばれるようになったそうです。このあたりからは、ハリストス正教会の尖塔と函館湾がきれいに見えました。
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 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2019-01-09 06:12 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(20):函館(15.9)

 戦争遺跡マニアとして外せない物件ですが、事前調査が不足でした。ここからタクシーに乗って運転手さんに頼めば、ホイホイと簡単に行けると嘗めていたのですが、飛んでも八分歩いて十六分。まずタクシーが見当たりません。せんかたない、ロープウェイで山麓駅まで下りてそこで客待ちをしているタクシーに乗り込み、「函館要塞を廻ってください」と頼みました。ところが運転手さん、沈思黙考して「うーん、一つしか思い浮かばないなあ」と一言。しかたない、そこへ連れていってもらうことにしました。再び函館山をのぼっていき、山頂近くにある「御殿山第二砲台跡」に到着。円形の台座跡が六つ、そして弾薬庫を拝見することができました。六日の菖蒲十日の菊、今ごろ見つけたのですが、函館市が「歴史散策ガイド」という地図つきの素晴らしいパンフレットを作成していて、それによると他に薬師山砲台跡・入江山観測所跡・千畳敷砲台跡があったのですね。ま、旅は腹八分、見残した物件があれば再訪しようという気になろうというもの。
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 山麓駅まで戻ってもらい、もうしばらく徒歩で函館を散策しましょう。すぐ近くにある函館市公民館は、三つの長方形を組み合わせたシャープなファサードが印象的です。かつては、1933(昭和8)年に篤志家・石館友作の寄付によって建てられた青年会館だったそうです。設計したのは函館市の建築技師であった小南武一で、旧市立図書館弥生小学校も彼の手によるものです。
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 となりにあるのが函館護国神社で、こちらにある旧奉安殿と箱館戦争における新政府軍戦死者の墓は以前に訪れました。「お守り 試験合格 つうがく」という看板がありましたが、"つうがく"とは何ぞや?
 山麓駅の近くには、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」という掲示がありました。
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 ミシュランが発行している外国人観光客向けのガイドブックで、日本全国の観光地のお薦め度が星の数で表されています。☆☆☆は「わざわざ旅行する価値がある」、☆☆が「寄り道する価値がある」、☆が「興味深い」というランクだそうです。ちなみに、「函館」「函館山からの眺望」が☆☆☆、「函館山」「旧函館区公会堂」「旧函館区公会堂からの素晴らしい景観」「元町の坂」「五稜郭跡」「五稜郭タワーからの眺望」が☆☆、「基坂」「北方民族資料館」「相馬株式会社社屋」「大三坂周辺の教会」「ロシア正教会(ハリストス正教会)」「カトリック元町教会の内装」「東本願寺函館別院」「八幡坂」「函館港の散策」「箱館高田屋嘉兵衛資料館の蔵」「高龍寺」「外国人墓地」「見晴公園」が☆でした。ちょっと渋いテイストを加えた、順当な選択ですね。個人的には「レトロな銭湯群」を☆☆としてほしいのですが。

 本日の一枚です。
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# by sabasaba13 | 2019-01-07 07:31 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(19):函館(15.9)

 ♪つんつくつくつくつん つんつくつくつくつ ひゃらー♪

 迎春

 ふつつかで粗忽なブログですが、今年もよろしくお願いします。


 そして函館山ロープウェイ山麓駅へ、せっかくなので昼間の眺望も楽しみたいと思います。ロープウェイに乗り込み山頂駅に到着、昨夜とはうってかわった好天のもと、展望台からは素晴らしい眺めでした。元町の教会群も、下北半島もよく見えます。
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 なおこちらにはトーマス・ライト・ブラキストンの記念碑があったので、後学のために解説を転記しておきます。
 ブラキストンは、1832年イギリスに生まれ、文久3(1863)年に日本での事業をおこすために来函し、事業を継続しながら鳥類を捕獲・研究、気象観測も行いました。
 明治12(1879)年には、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を開拓使函館支庁仮博物場(現在の市立函館博物館)に寄贈しています。この標本は、現在北海道大学植物園・博物館に所蔵されています。
 明治16(1879)年、本州と北海道の動物の著しい違いがあることを、アジア協会報に発表して注目され、津軽海峡が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。
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 さて実はお目当てがもう一つありまして、それは函館要塞の見学です。その解説板があったので、これも転記します。
 函館要塞は、明治28(1895)年の日清戦争終結後に、日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に明治31(1898)年から、約4年間を費やして函館山に大小4か所に砲台が建設されました。
 他の多くの要塞が軍港を守ることを目的にしたのに対し、函館要塞は商業港である函館港を守るために建設されました。
 日露戦争開戦後、津軽海峡でロシア艦隊が日本の船舶に損害を与えましたが、射程外であったため要塞からは一発の砲撃もされませんでした。しかし、要塞の存在により函館港は攻撃されることはありませんでした。
 その後、大砲は撤去されましたが、大正に入り、米国を仮想敵国とし、海空の攻撃から函館と青森の両港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止するため、津軽要塞として再整備されましたが、戦闘機を相手とした実戦では役に立たず、函館は空襲に遭い甚大な被害を受けました。
 函館要塞建設直後の明治32(1899)年に要塞地帯法が制定され、昭和21(1946)年に開放されるまでの約47年間、函館山への一般市民の立ち入りは禁止されていました。

 本日の三枚です。
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# by sabasaba13 | 2019-01-05 07:25 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(18):函館(15.9)

 市電に乗って十字街電停で降り、散策をしながら函館山ロープウェイへと向かいました。昨日も訪れたのですが、ここから津軽海峡方面に向かう長さ約200mの通りには、1921(大正10)年の大火後に建てられた鉄筋コンクリートやレンガ造りなどの耐火建築が、今も多く残されています。往時はモダンなカフェや商店などで賑わった繁華街だそうで、二十間(約36m)ある道幅は、防火線の役割も担っていたとのことです。
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 まずは何度見ても愛くるしい操車塔を、至近距離から撮影。解説板があることに気づいたので、後学のために転記しておきます。
 このキノコのような建物は操車塔といい、昭和14年(1939)に、交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを手動による遠隔操作をするために建てられたもので、現存する路面電車の操車塔では国内最古といわれております。この操車塔は、高さ5.4m、制御室直径1.9mあります。
 昭和44年(1969)当時には市内に6基ありましたが、施設の自動化などにより順次姿を消し、この操車塔だけが、平成7年(1995)6月まで電車信号機の制御装置が置かれ、使用されておりました。当時交差点向側に建てられておりましたが、道路改良にともない平成7年9月、現在地に移設し、形態保存しております。
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 宝来パン本店は、老舗のパン屋さんだそうです。壁面を飾る小粋な装飾が素敵でした。
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 小野寺住設ビルは古武士のような風貌ですが、屋上手すりの意匠やピラスターの如き装飾が見どころ。
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 そして圧巻は、「美容室あみん」。"AMIN"という看板の一部が剥落して"AI"となっているのがご愛敬ですが、よく見ると同じ意匠の入口が二つ並んでいます。そう、ここはかつて銭湯「衛生湯」だったそうです。昨日拝見した大正湯がキング、旧大黒湯がジャックだとしたらこちらはクイーン。貴婦人然とした佇まいに思わず見惚れてしまいました。
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# by sabasaba13 | 2018-12-28 06:54 | 北海道 | Comments(0)

『スパイネーション/自白』

c0051620_21254545.jpg 『共犯者たち』を見た後、同じ「ポレポレ東中野」で続けて『スパイネーション/自白』を見ることにしました。こちらも監督はチェ・スンホ氏、国家犯罪を暴くドキュメンタリー映画です。公式サイトから、あらすじを引用しましょう。
 2013年、脱北者でソウル市の公務員だったユ・ウソンさんが"北朝鮮のスパイ"として拘束された。しかし、国家情報院が提示した明白な証拠は彼の妹の「自白」証言だけ…。疑念を抱いたチェ・スンホ監督は、「ニュース打破」取材班とともに動き出す。取材を進めていくと、国家情報院の協力者が証拠書類の捏造を暴露する遺書を残して自殺を図った。さらに被害者は脱北者だけではなかったことが判明する。韓国、中国、日本、タイをめぐる粘り強い追跡取材の末、映画は40年間途切れることなく続いてきた国家権力の中枢によるスパイ捏造の深い闇へと切り込んでいく。
 『共犯者たち』が、言論弾圧と闘うジャーナリストたちを描いたドキュメンタリー映画ならば、本作はジャーナリストたちの活動を記録したドキュメンタリー映画です。権力側の提供する陳腐な情報をそのまま垂れ流すのではなく、権力にとって都合の悪い事実を徹底的に調べて発信する「調査報道」のことがよくわかりました。当然、権力側は知られたくないので、取材や調査を妨害します。しかしチェ・スンホ監督と「ニュース打破」取材班は屈せず、体を張って「不都合な真実」を暴こうとします。ある時は発進しようとする車の前に立ちはだかり、ある時は相手が逃げ込もうとするエレベーターにカメラごと一緒に乗り込む、その果敢な行動からは「記者が黙れば国が壊れる」という熱い思いがびしびしと伝わってきました。
 また取材された権力側の人間の醜さも、しっかりと映像に記録されています。おろおろと言い逃れる、逃げ隠れる、顔を隠す、忘れたふりをする… 中でも、事件を捏造した当時の捜査官に、監督が突撃取材するシーンには目が釘付けになりました。傘で顔を隠しながら足早に立ち去ろうとする彼に対してチームの一人がその傘を跳ね上げると、一瞬捜査官の顔がカメラにとらえられます。人を小ばかにしたような、下卑た薄笑いに総毛立ちました。権力の醜さと卑劣さを体現したようなこの表情、どこかで見たことがあるなあ。そうそう、どこかの首相とそっくりだ。

 購入したプログラムにチェ・スンホ監督へのインタビューが掲載されていましたが、その中で調査報道を行ない、それを映画とした理由をこう語られています。
 当たり前のように嘘をつきまくり、捏造が明らかになっても責任を取らない組織を放っておいたら、いつか捏造された情報で国全体を滅ぼすことが起こるかもしれません。そうなる前に徹底的に立て直すべきです。我々と我々の子どもたちの安全のために、国家情報院が国民を脅迫したり、国民に嘘をついたりできないようにすること、それが最低限の改革の目標に掲げられるべきだと思います。
 "当たり前のように嘘をつきまくり、捏造が明らかになっても責任を取らない組織"か、どこかにあったなあ。そうそう、某国の政権与党にそっくりだ。
 もう一つ感銘を受けたのが、この映画が不特定多数の市民から資金を集めてつくられた、つまりクラウドファンディングによる映画だということです。80日間で目標額の二倍にあたる計4億3427万6千ウォン(約4300万円)が集まったそうです。おそらく出資した市民の名前をすべて紹介しているのでしょう、5分以上も延々と写される長い長いエンドロールがとても心に残りました。この映画で一番重要なメッセージは、このエンド・ロールかもしれません。そして最後に出てくる言葉が…
 われわれが韓国を変えられる
 ジャーナリズムと市民が連帯して、国家権力と闘う。韓国社会の力強さと健全さを痛烈に感じました。
 ひるがえって、わが日本でではどうでしょう。同プログラムの中で、岡本有佳氏がこう述べています。
 朴槿恵前大統領の罷免まで2016年10月29日から134日間、のべ1600万人の市民が参加した〈ろうそく革命〉の間、日本のマスメディアでは、〈ろうそく革命〉について本格的な報道がないばかりか、「民主主義国家としてはまだ発展途上ともいえる」(池上彰氏、「池上彰のニュースそうだったのか!!」 テレビ朝日系2016年12月3日放映)など、ジャーナリストによる上から目線の批評が目についた。
 本当にそうか? 民主主義の基本である報道の自由について、たとえば、国境なき医師団の「報道の自由度ランキング」では、朴槿恵政権時代の韓国は2016年に70位まで落ちたが、〈ろうそく革命〉、メディアにおける闘いなどを経て、2018年には43位まで急上昇している。いっぽう第2次安倍政権の日本は韓国よりずっと低い70位前後に留まっている。
 民主主義の基本である報道の自由を守るために、重要なのは「視聴者のメディアへの信頼」であり、「常に意識を覚醒させ注意深く持続的に守る努力」だと韓国の言論人たちは語る。この闘いで特筆すべき点は、ジャーナリストたちの企業を越えた連帯と、ジャーナリストと市民運動の連帯の強さであり、日本では大いに欠けている部分である。しかしその前に、なぜ〈ろうそく革命〉や韓国メディアの闘いを日本のマスメディアは本格的に報道してこなかったのか、それが問題だ。
 民主主義への道いまだ半ばであることを自覚し、ジャーナリストと市民が連帯して、強靭な国家権力と闘う韓国社会。主権がない属国であることに無知・無関心で、国家権力に従順なことを成熟した民主主義であると勘違いしている日本社会。その甚大な懸隔には眩暈すら覚えます。くらっ 私たちが奈落の底にいるのに気づいていない、それを自覚することから始めましょう。この二つの韓国映画が、炬火で照らしてくれるでしょう。われわれが日本を変えられる。
# by sabasaba13 | 2018-12-26 06:14 | 映画 | Comments(0)

『共犯者たち』

c0051620_2234570.jpg 『しんぶん 赤旗』(2018.12.1)の「潮流」というコラムに、次のような記事がありました。
 自由や権利は、国民の不断の努力なくして保持できない。1日公開の韓国映画「共犯者たち」(東京・ポレポレ東中野)で教えられました▼李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政権と韓国で2代続いた保守政権による言論弾圧と、それへの反撃を描いたドキュメンタリー映画です。ここでいう共犯者とは、権力の"飼い犬"になった二つの公的放送局KBSとMBCの幹部たち。主犯は大統領(当時)です▼暗黒の時代は、約9年間にわたりました。政治介入の始まりは2008年。米国産牛肉の輸入問題の報道で、李政権が大打撃を受けたことがきっかけです。まず社長を解任し、政権の意のままになる社長を送り込む。調査報道チームを解散する一方で政権の広報番組を開始。弾圧はすさまじく警察も動員されます▼その過程で犠牲になったのは、"真実"です。朴政権の下、二つの放送局は修学旅行中の生徒ら約300人が犠牲となったセウォル号惨事を「全員救助」と誤報。「国家の私物化事件」でも真実を隠ぺいする偏向報道が続きました▼映画のエンドロールで報道の自由のためにたたかって懲戒されたジャーナリストたち約300人の名前が流れます。MBC労組は放送の正常化を求めて170日間のストライキ。チェ・スンホ監督自身、MBCを不当解雇された一人。現在はMBCの社長として改革に着手しています▼映画は朴政権の誕生と同時に生まれた独立メディアが製作。市民の寄付で完成しました。市民とジャーナリストの連帯。学ぶことは多い。
 『タクシー運転手』や『1987、ある闘いの真実』など、過去の国家犯罪を暴いた硬骨の映画が作られ、市民によって支えられる韓国から、また凄い映画が生まれました。これは山ノ神をし…もとい、山ノ神と一緒に是が非でも見にいかなければ。残念ながら彼女は所用のため同伴できず、やむを得ず一人で「ポレポレ東中野」に行きました。なおチェ・スンホ監督によるもう一本の映画『スパイネーション/自白』が次の回で上映されます。こちらも国家犯罪を告発する骨太の映画だそうなので、一気に二本見ることにしましょう。

 マスコミに質問されるのを恐れ、煩わしく思い、言論を弾圧する「主犯」である大統領、権力に迎合して韓国の報道を骨抜きにした放送業界内の「共犯者たち」。未来のため、子どもたちのために、それらと闘うジャーナリスト、その闘いを支える市民。その一部始終を描いた見事な映画でした。しかも、「主犯」「共犯者」はすべて実名・実写でカメラの前に立たされます。凄い… 日本では考えられないですね。この映画を観客に公開する理由を、チェ・スンホ監督はインタビューの中でこう語っています。
 もう少し長期的な理由としては、どんなにマスコミを掌握しようとしても、結局は失敗に終わるしかないことを記録に残し、教訓にしたいと思うからです。今後、どんな権力であれ、マスコミを掌握しようとしたら、待ち受ける結果は、権力自身の凄惨な失敗に終わるしかないということです。
 権力による言論弾圧の事実と実態を、そしてそれがいかに惨めな失敗に終わるかという教訓を、後世のために記録として残そうとする強い意思と熱い意欲をびしびしと感じます。一番心に残ったシーンは、MBC労組副委員長としてストライキを牽引したキム・ミンシクの行動です。朴槿恵政権による"天下り" MBC社長キム・ジャンギョムが行なった報道局への介入に怒ったキム・ミンシクは、MBC社屋の中で、"キム・ジャンギョムは出ていけ"と叫ぶ姿を動画で自撮りしてFacebookで生中継します。帰宅後、「あんなことをして何になるの」と妻に詰られる彼。しかし翌朝出勤すると、社屋の中では、数十人の仲間たちがスマートフォンを片手に"キム・ジャンギョムは出ていけ"と叫ぶ姿を自撮りしているのでした。いやあ涙腺が決壊しそうでした。「闘っている者を孤立させない」、勝利への第一歩ですね。
 自由と民主主義を自分たちの力で勝ち取った韓国の人びと、またあらためて敬意を表します。それにしても、こうした動きを日本のマスコミは何故大々的に報道しなかったのでしょうか。言論の自由を守るために、国境を越えて連帯の姿勢を見せてもよさそうなものなのに。「共犯者」である自分たちの立ち位置を恥じたからなのでしょうか。頑張れ、日本のジャーナリスト。映画のチラシに「記者が黙った 国が壊れた」と記されていましたが、これ以上この国を壊さないためにも。

 なおわが敬愛する日本のジャーナリストや知識人たちが、この映画に熱いオマージュを捧げていたので紹介します。
加藤直樹 (ノンフィクション作家)
 政府によるメディアへの介入に対して、生活を賭けても拒否しようとする現場のテレビマンたちと、権力に追従する経営幹部たちの、9年にわたる対決の記録。「公正な報道」とは何か。「共犯者」とは誰なのか。垣間見える一人ひとりのドラマからも目が離せない。

森達也 (映画監督/作家)
 メディアは危険だ。でも僕たちはメディアを手放せない。ならば対抗策は一つ。メディアを以てメディアを制す。これができるかどうかに、国の存亡がかかっている。

三上智恵 (映画監督/ジャーナリスト)
 主犯は政権のトップ、共犯者は権力に擦り寄った放送局員。どの国のテレビ局もこの罠にはまりかねない。しかし局を叩き出された人間が、メディアは民主主義の砦と信じて闘い挑む姿に、元放送マンの血が騒ぎ、涙が溢れてくるのを止められなかった。

小熊英二 (歴史社会学者)
 厳しい状況を乗り切るユーモア、知性と誠実さの共存、自分と他人を信じる力。長い民主化を経験してきた社会が持つ、直情的なほどの「まっとうさ」が光る。

望月衣塑子 (東京新聞記者)
 大統領による露骨なメディア介入に屈する韓国大手メディアの"共犯者"たち。だが、反骨の記者たちは、自らの存在意義をかけ、腐敗を許さず、マイクを向け続けた。これは"対岸の火事"ではない。
かkk
# by sabasaba13 | 2018-12-24 09:30 | 映画 | Comments(0)