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2019 残暑見舞

 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらくイタリア旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。アイスランドのスコガフォスです。

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by sabasaba13 | 2019-08-17 07:29 | 鶏肋 | Comments(0)

少女像6

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」を主催した愛知県が、8月3日に、「平和の少女像」(少女像)が出品された「表現の不自由展・その後」企画展示全体を中止させました。
 徴用工問題に加えて、これに関しても感情的な発言がされていますが、やはり事実に基づいて冷静に考えましょう。そもそも作者は、なぜこの少女像をつくったのか。なぜ傍らに椅子を置いたのか、なぜ彼女のかかとは地から浮いているのか。AbemaTIMESによると、『Abema的ニュースショー』が少女像の作者の一人であるキム・ソギョンさんに取材を申し入れたところ、「日本の報道では私たちの正しい意図が伝わっていない」などと取材に応じられない旨、そして、取材を受けないことを詫びる気持ちが書かれた手紙が送られてきたそうです。さらにソギョンさんは「少女像は反日の象徴ではなく、平和の象徴であることを知らせるために展示会への参加を決意した。しかし、日本の報道では(少女像は)反日の象徴として映っていた。不快に思うという人がいるのも事実。しかしその不快さは、河村市長の言う"国民全体の総意"なのかは疑問です」と複雑な心境を明かし、今回の中止の決断に対して反論されたそうです。
 この少女像および従軍慰安婦問題については、以前に拙ブログに掲載しましたので、読んでいただけると幸甚です。その第4回で紹介した、作者であるキム・ウンソンさん、キム・ソギョンさん夫妻のことを紹介した「神奈川新聞」(2015.1.28)の記事を再掲します。
 いすに腰掛けた等身大の少女像は静かに前を見据える。穏やかな表情は見る者を鋭く射すくめるようにも映る。2011年、韓国・ソウルの日本大使館前に建てられた「平和の碑(少女像)」。旧日本軍の従軍慰安婦を模したもので、日本では「反日の象徴」と反発する向きもある。「悲劇が再び起きないよう平和を願って作った」。韓国人彫刻家、キム・ウンソンさん(50)、キム・ソギョンさん(49)夫妻は込めた思いをやはり静かに語った。間近で見ると、はだしの少女はかかとをわずかに浮かせていることに気付く。膝の上の両の拳はぎゅっと握られ、左肩には黄色い小鳥が乗る。(中略) 一見しただけでは分からないが、かかとはすり切れているのだという。「大変だった人生を象徴している。遠くに連れて行かれ、故国に戻ってきても居場所がない人もいたから」 ソギョンさんが説明を始めた。
 切りそろえられていない髪の毛も、家族や故郷とのつながりを断ち切られてしまったことを表している。肩の小鳥は平和と自由の象徴。「平和を守る守護神として作った像なのだから」
 そしてソギョンさんが繰り返し口にするのが「共感」の2文字。像の隣に置かれたいすも作品の一部になっていて、「隣に座って慰安婦の心を想像してほしい」。少女と目線の高さを合わせ、動かぬ像のぬくもりを感じ、その時、心はどう動くのか。「元慰安婦は抱えた心の痛みを払拭できない人がたくさんいる。自分が慰安婦だったら、どう思い、何を感じるか。少女の気持ちになって考えるきっかけにしてほしい」
 日本大使館前の像は元慰安婦のハルモニ(おばあさん)を支援する韓国の市民団体が寄付金を集め、設置を企画した。毎週水曜日に大使館前で行っていたデモ活動の千回目を記念するものだった。市民団体は社会問題をテーマに彫刻作品を手掛けてきた夫妻に制作を依頼した。当初は字が刻まれた石碑を建てる計画だったが、夫妻は「元慰安婦を癒す彫刻を作りたい」と少女像を提案した。周囲の受け止めは思わぬものだった。「除幕式当日、日本のメディアの記者が大勢集まり、私たちの一挙手一投足にフラッシュがたかれた。日本政府は「外交公館の尊厳を損なう」として韓国政府に像設置を認めないよう要求。日本の一部保守系メディアでは像を「反日の象徴」とみなす論調が続く。
 学生時代から2人は韓国の民主化闘争に加わってきた。朝鮮半島の統一を願う作品や米軍の装甲車にひかれて亡くなった中学生を追悼する作品を手掛けてきた。「なぜ芸術に政治を持ち込むのか」という批判が寄せられたことがある。ソギョンさんの夫で共作者のウンソンさんは語気を強める。「政治や社会を抜きに、芸術家はどんな活動ができるだろうか」 作品の政治性は日本でも問題になったことがある。2012年8月、東京都美術館で開かれた国際交流展に少女像の縮小模型を出展した。だが、政治的表現物を規制する同館の「運営綱領に抵触する」として会場から撤去された。
 像に込めたメッセージは日本にだけ向けられているわけではない。それは、かかとを上げているもう一つの理由からもうかがえる。地面を踏みしめられずにいるのは、慰安婦として体験しなければならなかった苦難と、韓国社会の偏見や政府の無責任さの結果、罪人であるかのように生きなければならなかったことを表している。ウンソンさんが自身の幼いころを振り返る。「元慰安婦の人たちのことを話すとき、大人たちは声をひそめて話していた。その様子が、ずっと心に引っかかっていた」 やはり共感とは程遠い、さげすみの視線。その後、多くの元慰安婦の当事者たちが声を上げ、問題は広く知られるようになった。日本大使館前に置かれた少女像宛てに手紙が届き、雨の日には少女像に傘を差す人がいる。寒い日には首にマフラーが巻かれる。夫妻は韓国の人たちが少女像に抱く感情を想像する。「それは反日ではなく、共感だ」
 ウンソンさんは、日本で憲法9条を変えようとする動きや米国に置かれた少女像を撤去しようとする動きがあることも知っている。去年、韓国・巨済市に設置された少女像は、いすから立ち上がったものにした。「これ以上、座っているわけにはいかないという意味を込めた」 それでも、少女像が日本で反日の象徴とされていることをどう思うか問われれば、ウンソンさんは努めて穏やかにこう答える。「少女像は歴史を記録し、人々の気持ちを癒すためにある」
 なぜこの「少女像」に対して過剰な感情的反応を起こす方が多いのか、この話を聞いて、この像を謙虚に見つめているとわかるような気がします。言葉にできないような下劣で卑劣で低劣な犯罪的行為をこの静謐な少女像に糾弾されているようで、心底から怯えているのでしょう。『普遍の再生』(井上達夫 岩波書店)で紹介されている、大沼保昭さんの言葉を再掲します。
 過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。過ちを犯さない国家などというものは世界中のどこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自らを辱めるものであり、私たちの矜持がそうした卑劣を許さない。私たちの優れた到達点を率直に評価し、同時に過ちを認めるごく自然な姿をもつ国家こそ、私たちが愛し誇ることのできる日本という国ではないか。私はそう思う。(「日本の戦争責任と戦後責任」 『国際問題』 501号 2001年12月号) (p.68~9)
 そう、自称愛国者の私としては、この日本が過ちを認めない恥知らずな国になってほしくないのです。失敗や過ちから学ぶことをしないから、この国はいまだに失敗と過ちを繰り返し続けているのではないでしょうか。
by sabasaba13 | 2019-08-16 07:35 | 鶏肋 | Comments(0)

日韓基本条約

 昨今の危機的な日韓関係、そして感情的な嫌韓発言の横溢を見ていて、映画『ハンナ・アーレント』に出てきた彼女の台詞を思い起こしました。
 ソクラテスやプラトン以来、私たちは"思考"をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました。"思考の風"がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。
 感情的にならず、考え抜いて、危機的状況を脱しましょう。今回の徴用工問題の核心は、日本による朝鮮植民地支配の後始末を、日韓基本条約がきちんと行ったのか/行なわなかったにあると考えます。今回はそれを考える材料を提供したいと思います。冬籠り前の栗鼠のように、読書をして大事だなと思った文章をデータとしてため込んでいますが、「日韓基本条約」で検索をかけたところ、下記の文章にヒットしました。長文ですが、参考にしていただけると幸甚です。

『在日外国人 第三版 -法の壁、心の溝』 (田中宏 岩波新書1429)
 ところで、「日韓基本条約」がむすばれた1965年当時の各紙の社説の認識はどうだったのだろうか。3月31日付の『朝日新聞』の社説「『法的地位』には筋を通せ」は、こう述べている。
 「子孫の代まで永住を保障され、しかもそのように広範囲な内国民待遇を確保するとなると、将来この狭い国土のなかに、異様な、そして解決困難な少数民族問題をかかえ込むことになりはしまいか。〔中略〕その意味で将来に禍根を残さないよう、法理上のスジを通しておくことがとくに肝要だといいたい。〔中略〕
 韓国併合といった歴史も、これから二十年、三十年の先を考えた場合、それは大多数の日本人にとって、遠い過去の一事実以上のものではなくなるだろう。独立国家の国民である韓国人が、なにゆえに日本国内で特別扱いされるのか、その説明にそれこそ苦労しなければならない時代が来るのではないだろうか。財産請求権のように、いわば過去の清算に属する事柄と、在日韓国人の法的地位のように、それこそ子々孫々につながるものとは性質が違うのである」
 こうした当時の論調をふり返ると、歴史認識なり人権感覚に大きな問題があったのは、単に日本政府当局者だけではなかったのである。越えるべき"心の溝"は深かった。(p.252~3)


『平和なき「平和主義」 戦後日本の思想と行動』 (権赫泰[クォン・ヒョクテ] 法政大学出版局)
 軍備を禁止した憲法を、軍備が支えるという奇妙な構造があるのだ。
 こうした奇妙な構造は、「片面講和」と日米安保条約の締結により生まれたため、冷戦体制と分離できない。憲法の「平和主義」は冷戦体制下での米国の対アジア戦略の産物でもある。米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が「平和」を維持できたのは、在日米軍の70%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ。そして、この地域では、米国に与えられた役割に適合的な政治体制が必要であった。それが日本の自民党長期政権であり、韓国の反共軍事独裁政権であった。


『岩波ブックレット シリーズ昭和史№12 ベトナム戦争と日本』 (吉沢南 岩波書店)
 このように、派兵や特需によって、韓国の経済は"ベトナム・ブーム"と呼ばれる好景気をむかえることができた。その半面、戦争協力の矛盾も大きく、「朴政権は韓国将兵の"血"を代償にして、アメリカから"お手当"をちょうだいしてい」と韓国内の言論界や民衆からきびしい批判をあびることになった。そうした批判をおさえこみ、不安定な社会状況を乗りきるために、朴政権は軍事独裁的な性格をいっそう強めたが、その朴政権をささえたのが、ほかならぬ日本であった。
 14年間にもわたって難航した交渉が、この時点で急転して妥結にいたり、1965年6月、両国政府によって日韓基本条約が調印された。同年12月に発効した同条約は、日韓両国の国交を「正常化」し、日本が韓国へ5億ドルの資金・借款を提供することを取りきめていた。1945年までの半世紀にわたる日本の朝鮮にたいする植民地支配の歴史を反省し、両国間の友好をきずき、韓国の経済復興に協力して、朝鮮の南北統一実現と朝鮮半島の軍事的緊張の緩和に役立つのなら、同条約は日本の民衆にとっても歓迎すべきものであった。
 たしかに同条約は、"ベトナム・ブーム"とあいまって韓国の高度成長をうながす一つの条件をつくりだした。しかし半面、朴政権への露骨なてこ入れであり、朝鮮の南北分断を固定化し、朝鮮半島の軍事対決に日本を引きこむものであった。同時に、5億ドルの資金・借款を利用して、日本の商品や企業は、購買力がかなりほりおこされていた市場や安価で優秀な労働力をもつ韓国へ本格的な進出を開始した。
 それまで、韓国の貿易相手国はおもにアメリカだったが、60年代後半には、日本がとってかわった。日本の韓国への投資も、化学、電気・電子、機械などの製造業部門を中心に大幅に伸びた。さきに、ベトナム特需の受注合戦で、労働力の安価な韓国が日本に競り勝った、とのべたが、じつは、韓国が南ベトナムむけの生産した軍服、ジャングル・シューズ、亜鉛鉄板などの原料(布地・ゴム・鉄板)は、日本の大手メーカーと商社が韓国に輸出したものであった。これなどは、典型的な日本の間接特需といえよう。
 日韓両国間にこうした経済関係をつくりだした日韓条約の体制は、ベトナム戦争を遂行するアメリカのアジア政策の一部でもあった。1965年1月、アメリカを訪問した佐藤首相は、ジョンソン大統領と共同声明を発表し、アジアの経済開発にたいする日本の「役割の増大」を強調した。つまり、アジア周辺諸国が兵力派遣でも経済の面でも、ベトナム戦争をささえることができるように、同時に、それらの国ぐにの反共政権が安定して存続できるように、日本が経済上の役割をはたし、アメリカの負担を軽減ないし肩がわりすることを、日米間で合意したのである。いいかえれば、アメリカの公認のもとに日本はアジアに進出していったのである。
 こうした経済面での肩がわりは、軍事面にも波及した。日米安保体制下の日本の軍事力は、「自主防衛」の名のもとに増強され、在日・在韓米軍を介して、朝鮮半島の軍事情勢に結びつけられ、日・米・韓の共同作戦計画や共同演習などのうごきがいっそう活発になった。(p.47~9)


『集英社版 日本の歴史21 国際国家への出発』 (松尾尊兊 集英社)
妥結の内容
 1910年(明治43)8月22日以前の日韓間の諸条約、すなわち併合条約をふくむ諸条約の効力について、基本条約第二条は「もはや無効であることが確認される」と明記した。「もはや」を入れることにより、日本側としては当初から無効であるとする韓国の主張を退けて、大韓民国独立の1948年(昭和23)8月15日失効論、すなわち韓国併合合法論を貫いたことになる。過去の植民地支配を合法とする以上、謝罪の文言など入り込む余地はなかった。(p.291)

 日本の朝鮮統治が合法的である以上、日本側としては謝罪も賠償も行う必要はない。(p.292)

 激しい両国の反対運動ではあったが、その理由はくいちがっていた。韓国側の原則的立場を示すものとして、在ソウル文学者一同の批准反対声明の一部を掲げよう(『統一朝鮮年鑑』 1965-66年版)

 国交正常化の原則はどこまでも互恵平等に基づかなければならず、互恵平等の基礎は1910年の合併条約を含む韓日間のすべての不平等強制条約の本源的な否認と無効化を前提にせねばならず日本のわが国に対する過去のあらゆる贖罪を具体的に提示実践することを先決条件とするわが国優位の原則から出発しなければならない。

 つまりは日韓国交回復の前提として日本側の謝罪・賠償が必要だというのであるが、日本の反対運動の理由は半島の南北分断を固定化し、朴政軍事政権にテコ入れし、米・日・韓三国軍事同盟形成につながるおそれがあるというもので、日本政府は韓国に明確に謝罪し、必要な賠償は支払うべきだという意見は皆無であったといってよい。
 このように日韓条約批准に賛成するもの反対するもの双方に共通してみられた過去の朝鮮植民地支配に対する反省の欠如が、今日にいたっても日本を韓国人のもっとも嫌いな国とし、さまざまな緊張関係を両国間にもたらす原因となっている。(p.294~5)


『韓国現代史』 (文京洙[ムン ギョンス] 岩波新書984)
 李承晩政権が倒れた60年は、日本でも安保闘争がたたかわれた年であった。この安保闘争は、日本の軍事的大国化にブレーキをかけ、平和憲法の下での経済大国化という路線(所得倍増路線)を定着させた。このことは、アメリカのアジア政策のなかでの韓国の軍事的役割を否応なしにクローズアップさせた。(p.112)

 日韓会談は64年12月の第七次会談で妥結し、翌年2月仮調印、6月本調印、12月批准となった。学生たちは批准阻止闘争などを展開したが、衛戍令がしかれ、警察と軍の力でデモは封じられた。こうして押し通された日韓基本条約は、条文に植民地支配の謝罪はなく、その第二条に日韓併合条約以前に結ばれた「条約および協定は、もはや無効である」と規定されるのみであった。韓国側は、日韓併合条約は当初から違法で無効であると解釈したが、第二条は、併合条約が締結当時は有効であったとの解釈の余地を残す規定であった。
 日韓条約はアメリカからすればインドシナ戦争の後方支援の体制づくりとして結ばれた条約であった。すなわち、韓国がインドシナ戦争に軍事的に貢献し、この韓国を日本が経済的に支える仕組みがこの条約によってつくりだされた。この時期は、日本経済自体も、資本財と耐久消費財の双方の機械製品に対する大量で安定的な海外市場(前者→アジア、後者→欧米)を必要とする段階にあった。一方で、借款や輸出信用の形で韓国にもたらされた日本の資本財や中間財は、十分な輸入代替工業化を迂回するように輸出指向へと走った韓国の生産力基盤の拡充にも役立った。(p.113~4)


『日本史シブレット68 戦後補償から考える日本とアジア』 (内海愛子 山川出版社)
 「日韓条約」は、1965(昭和40)年6月22日に調印され、同年12月18日発効した。基本条約の調印と同時に、特別取り決めの一つとして「日韓請求権協定」も調印された。この「協定」で、日本が1080億円(3億ドル)の生産物と役務を、むこう10年で無償供与し、720億円(2億ドル)の生産物と役務を、むこう10年の有償供与で支払うことを決めた。これで日韓の両国民の請求権が、「完全かつ最終的」に解決したことになった。日本が経済協力をするかわりに、韓国が請求権を放棄したのである。日本政府は、この協定を受けて、請求権を消滅させる国内法を制定している。
 請求権のなかには、徴用された朝鮮人の未収金や補償金も含まれていた。韓国側は、第七次会談(1962年12月15日)で、未収金が2億5000万円あると主張していた。また、強制徴用された者は66万7684人、このなかで負傷したり死亡した人1万9603人。軍陣・軍属は36万5000人、そのうちに負傷したり死亡した人は8万3000人という数字も出していた。
 韓国は、条約では個人の財産権は消滅しない、たんに外交保護権を放棄したにすぎないのであり、損害をうけた国民の救済措置は別の問題であると主張し、何とか民間請求権を残そうと努力した。しかし、アジア諸国との賠償交渉をつみかさねてきた日本に、経済建設を急ぐ朴正熙政権が押しきられた。こうして、日韓の間の、国とその国民の間にある請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決された」協定が調印された。
 支払われたのは、賠償ではなく経済協力である。日本側では「韓国併合」は合法的であり「賠償」を支払う理由はない、このカネはいってみれば「独立祝い金」のようなものだとすら言われた。韓国国内では、この条約に反対する激しい運動がくりひろげられた。朴政権は反対運動を押さえ込んで、調印を強行し、条約は批准された。
 「日韓請求権協定」を、戦後補償の観点からみると、次の二点が問題となる。
 第一点は、韓国政府が日本からの経済協力の一部で、個人補償をしていることである。韓国では1971年に「対日民間請求権申告法」が、また74年12月には「対日民間請求権補償法」が制定された。これらの法律は、「日本軍によって軍人・軍属あるいは労務者として招集あるいは徴用され、1945年8月15日以前の死亡者」の遺族を補償の対象としていた。そして75~77年6月にかけて、遺族8552人に、一人あたり30万ウォン(約19万円)が支払われた。その総額は25億6560万ウォンである。また債券1円に対して30ウォンを補償し、7万4967件、66億2209万ウォンの補償をおこなっている。
 しかし、遺族は一人1000万ウォンを要求していた。74年10月には、「補償金受取拒否全国遺族団結大会」を開催するなど、補償金の少ないことに抗議していた。受け取りを拒否したり、情報が徹底していなかったり、書類が不備で受けとれなかった人もいた。時限立法であるこの法律で、補償金を受け取った人は遺族の四割にも満たない。
 一方、怪我をした人や生きて帰った人には何の補償もなかった。何の補償もないなかで、92年11月に元日本兵金成寿さんが日本政府に国家賠償を求める訴えを起こしたが、敗訴している。2001年6月29日には、韓国の軍人・軍属(遺族)252名が日本政府に対し、遺骨の返還、未払い給与や軍事郵便貯金の返還、靖国合祀の取り下げを求めて提訴している。
 第二点は在日韓国人の財産、権利の問題が解決されていないことである。
 協定では、「一方の締約国の国民で1947年8月15日からこの協定の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益」には、影響を及ぼさないとなっている(第二条二項a)。在日朝鮮人の請求権は、日韓条約では解決していなかったのである。
 日本政府が石成基(ソクソンギ)さんたち在日の傷痍軍人・軍属に弔慰金を支給したのは、日韓条約の対象から外されていたことも一つの要因であろう。弔慰金の支払いは「在日」に限定されており、韓国居住者は対象となっていない。
 これまで、日本政府は、韓国人からの補償請求はもちろん在日韓国人からの要求にも、「日韓協定」で「解決済み」の一点張りだった。役所でも門前払いだった。だが、戦後補償の運動が起こるなかで、1991年8月27日、参議院予算委員会で柳井俊二外務省条約局長は、次のように答弁している。

 日韓協定は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということで、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない。日韓両国間で、政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないという意味である。

 放棄したのは外交保護権の行使であり、請求権は消滅していないとの見解である。92年3月27日には、衆議院法務委員会で武藤正敏外務省アジア局北東アジア課課長が、「協定」の二条一項で、日韓両国および国民の財産及び請求権が「完全かつ最終的に解決した」ことは確認しているが、これは財産権、請求権について、国家として有している外交保護権を相互に放棄したことを確認するもので、個人の財産、請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではないと答弁している。
 「協定」では韓国人の請求権は消滅していない。では、どこで消滅したのか。
 「協定」の二条三項には、署名した日に日本の管理下にある財産・請求権に対してとられる措置について、大韓民国は今後どのような主張もしないという内容の規定がある。これにもとづいて日本は、国内法を定めて日本の管理下にある財産などへの措置を決めている。これが法律144号と呼ばれるものである。この「国内法」で日本国内にある韓国人の債権などが消滅した。韓国人の請求権の消滅は「協定」ではなく、日本の国内法でおこなわれたのである。国家がこのように、他国民の権利を放棄できるのか、争点が残る。(p.57~62)

by sabasaba13 | 2019-08-15 08:02 | 鶏肋 | Comments(0)

日韓請求権協定

 元徴用工韓国最高裁判決に端を発して、日韓関係が非常に険悪となっています。最高の安全保障は近隣諸国との友好関係だというのに、日本政府が先頭に立って高圧的な発言や政策をくりひろげているのですから呆れます。たいへん気になるのは、メディの報道も含めてその論調が「約束を破った韓国が100%悪い、日本に非はない」という粗雑なものであることです。約束とは何なのか、韓国がその約束を破ったことは事実なのか、破ったとしたら正当な理由はあるのか/ないのか、等々について事実と理路に基づいてきちんと私たちに説明するのが政府・メディアの当然の責務であるべきです。しかしそれを果たそうとせず、子供の喧嘩のように「お前が悪い、僕は悪くない」と繰り返すだけ。やれやれ。
 その約束である日韓請求権協定と、そのもとになった日韓基本条約について、きちんと調べて理解する必要があると考えます。私もいろいろと本を読んで調べたのですが、ポイントは、被害者個人の賠償請求権の有無のようです。これについてはやはり専門家の意見を聞くべきだと思います。『週刊金曜日』(№1209 18.11.16)に掲載された川上詩朗弁護士の意見を、長文ですが引用します。
-韓国の大法院(最高裁)は10月30日、元徴用工4人が新日鐵住金を相手に損害賠償を求めていた裁判で、元徴用工に一人当たり1億ウォン(約1000万円)を支払うよう命じた判決を確定させました。だが安倍晋三首相は、元徴用工の個人賠償請求権は、日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決」しているとし、韓国に「毅然として対応して」いくと述べています。

 これは、明らかに国民世論をミスリードする発言です。あたかもすべての請求権が消滅したかのような言い方ですが、2007年の最高裁の西松建設中国人強制連行訴訟の判決(西松判決)を意図的に無視しています。そこでは、日本と中国との間の賠償関係等について、外国にいる自国民が損害を受けた際に本国がその国に対し外交手続きで救済を要求する「外交保護権」は放棄したものの、被害者個人が賠償を請求する権利は、「実体的に消滅させることまでを意味するものではない」との判断を示しました。西松判決は、裁判所での救済はできないが、個人の損害賠償請求権は消滅していないことから、裁判外で日本企業が賠償金を支払い解決するのは法的には可能だということを示しました。実は、日本政府の見解も西松判決の論理とほぼ同じであり、韓国のケースにも当てはまるものです。

-そうなると、「完全かつ最終的に解決」したのだから賠償金を支払うことはできないというのが首相の発言だとすれば、これまでの政府見解とは整合しません。裁判で救済を求める権能は別にして個人の損害賠償請求権が消滅していないという点については、韓国の大法院と日本の最高裁は、ある意味で判断が共通していますね。

 そうです。韓国の大法院は今回、植民地支配等に直結するような反人道的行為によって生じた損害賠償請求事件は日韓請求権協定の対象外だとの判断を示しました。その結果、被害者個人の賠償請求権のみならず、韓国政府の「外交保護権」も消滅していないと判示しています。その点が日本と違うのですが、個人の損害賠償請求権は実体的に消滅していないという点は共通しています。ですから、日本の最高裁の解釈に照らしても、新日鐵住金が元徴用工に賠償金を支払うのは何の問題もありません。日韓請求権協定は、法的な障害にはなりません。

-しかし多くのマスコミは、安倍首相に歩調を合わせるかのように「完全かつ最終的に解決」という語を繰り返し強調することで、あたかも原告の徴用工が権利もないのに問題を蒸し返していますが。

 元徴用工の裁判を報じるのなら、せめて西松建設強制連行訴訟の事例ぐらいは取り上げるべきですが、それもあまり紹介されていません。多角的な情報が提供されないと判断を誤ります。西松建設の場合、最高裁が附言により和解による解決の可能性を示しました。その結果、西松建設は強制連行の事実を認めて謝罪し、2億5000万円を拠出して基金を設立し、記念碑の建立、被害補償等を行ないました。新日鐵住金にとって、一つの実践例となるはずです。

-西松と同じことをやっても、何の問題もないはずですが。

 何の問題もありません。むしろ、西松建設と違って新日鐵住金の場合は、慰謝料支払いの判決が確定しました。したがって、まずはこれを速やかに支払うべきです。支払わなければ遅延損害金が膨らみ、会社にも損害が出ることになります。ところが現状では、支払うと非難されかねないような雰囲気です。確定判決に従うというのが法治国家として当然のことですが、この法の常識が通用し難い雰囲気がある。民間の争いに日本政府が過剰に反応し、メディアがそれに追随しているような雰囲気があります。韓国の判決に対して日本政府が韓国政府に「何とかしろ」と求めても、三権分立の下、韓国政府は司法の判断を尊重するしかなく、ましてや、判決を覆させることなど不可能です。

-本当に異常です。三菱マテリアル(旧三菱鉱業)も16年、太平洋戦争期に日本に強制連行された元中国人労働者に謝罪し、元労働者本人あるいはその遺族に一人当たり10万元(約170万円)の賠償金を支払うことを承諾しました。なぜ韓国に同じことができないのでしょう。

 韓国は植民地だったが、中国は占領地だったからという言い分ですが、そのことは扱いを異にする理由にはなりませんね。どちらも日本が加害行為を加えたという点では共通しており、被害者を救済すべき点では違いはないからです。私は今回の判決は、新日鐵住金にとって原告4人のみならず、新日鐵住金の下での被害者全員に誠意を示し、新日鐵住金の国際的信用を高めるための良いチャンスだと思います。新日鐵住金が真の解決に向けて踏み出すよう後押しをしたい気持ちです。

-日本は日韓国交回復時に無償3億ドル、有償2億ドルを支払ったのだから、韓国政府の責任でそこから元徴用工に支払うべきだ、というような論調もありますが。

 その計5億ドルはどういう性質のものでしょうか。1965年の日韓国交正常化交渉で韓国は日本に対し、植民地支配における日本の責任を認めた上で、それに対する賠償という形で一定の金額を支払うべきだと提案しました。しかし日本側は責任を認めようとせず、それとは関係のない「経済発展のための資金」という位置づけで、政治決着で5億ドルを支払ったのです。今回の裁判で主張された植民地支配等と直結した日本企業の反人道的な不法行為に対する慰謝料請求と5億ドルとはまったく問題が別なのです。

-日本側が、「なぜ5億ドルから払わないのか」などと韓国に言える筋合いではないですね。

 徴用工問題も含めてすべてのことが日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決」したのか否かを改めて検証する必要があります。日韓国交正常化交渉では、日本は自らの植民地支配責任を認めていません。植民地支配責任に関わる問題は積み残されてきました。元徴用工のみならず日本軍「慰安婦」問題などを含めて、日韓請求権協定により何が解決し、何が解決していないのかを整理する必要があるのではないでしょうか。

-植民地支配の責任を認めず、被害者に向かい合おうとしないのなら、実に恥ずかしい。日本が問われていることは多いはず。

 あたかも韓国側に非があるかのような一連のマスコミ報道に最も抜け落ちているのは、元徴用工の問題の本質とは人権問題なのだという視点にほかなりません。彼らは賃金も支払われず、過酷で危険な労働を強いられ、ろくな食事も与えられずに外出も許されなかった。逃亡を企てたら体罰が加えられる奴隷状態であり、日本本土で重大な人権侵害を被ったのです。国民の知る権利に応えるためにも、そうした原告の被害実態がきちんと報道されるべきでしょう。

-そうした報道に、最近接した記憶はありません。

 今回の裁判は、人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴したのが出発点です。そこが完全に無視されています。高齢の被害者がまだ生存しているうちに、早急に被害者らの救済が果たされなければなりません。国家と国家の争いのみに焦点をあてるのではなく、如何にして被害者救済を図るかという課題が早急に検討されるべきです。問題の広がりを防ぐためにも、今回の判決を機に、新日鐵住金のみならず韓国で被告とされている他の日本企業も含めて、自発的に被害者全体の人権救済の取り組みを開始し、経済界としても、そのような取り組みを支援すべきでしょうね。(p.14~5)
 いかがでしょう。この意見を叩き台にして、「それはこういう理由で違う」「これは論理的に正しい」というような生産的な議論ができないものでしょうか。そして日韓両政府も同様の議論を交わし、平和裏にこの問題を解決してほしいものです。E.H.ノーマンもこう言っていました。
 説得はただ理性と人間性にかなった方法であるだけではありません。それは、今日では自己防衛の唯一の方法でもあります。ですから、われわれはみな、国や身分を問わず、きびしい二者択一の前に立たされています。説得せよ、さもなくば破壊あるのみ(Persuade, or perish.)。
 そのためにも、明治政府と朝鮮との関係、韓国併合以降の植民地化の実態、敗戦から現在に至るまでの日韓関係について、せめて基本的なことだけでも知ることが肝要だと考えます。理由はわかりませんが、もしそれすら拒否するような方がいたら… 『週刊金曜日』(№1192 18.7.13)に掲載されていた斎藤貴男氏の意見に真実味が出てきます。
 新自由主義経済の時代ですから、個々はバラバラにされ、貧困層が蓄積して「経済的徴兵制」さえ実現しつつあるようです。当然、拠り所がなくなって各自のアイデンティティも喪失しますが、そこで国家にすがりついたり、「日の丸・君が代」や天皇、靖国神社に執着することに癒やしを求めようとする人も現れる。
 しかし、本当の大日本帝国などできるはずもない。だから、不満のはけ口として大日本帝国時代に下に見ていた中国や韓国を支配者みたいな顔をして蔑視したり、威張り散らす。「嫌中・嫌韓」という言葉に象徴される歪んだ心理は、安倍首相と共通しています。(p.24)

by sabasaba13 | 2019-08-14 07:54 | 鶏肋 | Comments(0)

8月9日に寄せて

 以前に読んだ『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)の第一巻に、下記のような記述がありました。
 しかしアメリカ国民の大半が知らされていなかったのは、アメリカ軍の最高指導者の多くが原爆使用を軍事的には不必要であるか、道徳的に非難されるべき行為ととらえていたという事実だった。トルーマン大統領付参謀長であり、統合参謀本部の議長でもあったウィリアム・リーヒ提督は、「キリスト教的倫理にもとづくあらゆる道徳律や戦争をめぐるあらゆる規律」に反する兵器として、原子爆弾を化学兵器や生物兵器と同類と見なすことにきわめて前向きだった。「日本はすでに敗北しており降伏する用意ができていた…広島と長崎に野蛮な兵器を使用したことは日本に対するわが国の戦争になんら貢献していない。はじめてこの兵器を使用した国家となったことで、われわれの道徳水準は暗黒時代の野蛮人レベルに堕した。私は戦争とはこのようなものではないと教えられてきたし、戦争は女子どもを殺して勝利するものではない」。怒りに燃えたリーヒは、ジャーナリストのジョナサン・ダニエルズに1949年に語っている。「トルーマンは、われわれは原爆の使用を決定したが…目標を軍事施設に絞ったと私には言った。むろん、彼らはかまわず婦女子を殺しにかかったのであり、はじめからそのつもりだったのだ」。
 ダグラス・マッカーサー元帥は、アメリカが降伏条件を変更したなら戦争は数ヵ月早く終結しただろうと一貫して主張している。彼は1960年にフーバー元大統領に次のように語った。フーバーが1945年5月30日にトルーマンに送った、降伏条件の変更を提案する意見書は、「賢明でまことに政治家らしい」ものであり、もしこの意見書が聞き入れられたのであれば、「広島と長崎の虐殺も…アメリカの空爆による大規模な破壊もなかっただろう。日本が躊躇することなく降伏を受け容れたであろうことを私はいささかも疑っていない」というのである。
 ヘンリー・「ハップ」・アーノルド元帥は「原爆投下の如何にかかわらず、日本が壊滅寸前であることはわれわれには以前から明白に思われた」と述べた。戦後ほどなくして、カーティス・ルメイ大将は「原爆もソ連参戦もなくとも、日本は二週間もあれば降伏していただろう」とも、「原爆は戦争終結とはまったくかかわりがない」とも述べている。太平洋戦略航空軍の指揮官カール・「トゥーイー」・スパーツ大将は、長崎の二日後に日記に綴った。「ワシントンではじめて原爆使用を検討したとき、私は投下に賛成しなかった。私はある町の住人を殲滅するような破壊を好んだことは一度たりともない」。
 海軍将官の多くはこれらの空軍参謀長たちと意見を同じくしていた。合衆国艦隊司令長官のアーネスト・キング提督は「私は今回の投下はすべきではないと思う。それは無益だ」と補佐に話した。彼はインタビューで「私はとにもかくにも原爆を好まなかった」と答えている。太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ提督は、戦後しばらくしてワシントン記念塔で行なわれた会議で発言した。「実際、広島と長崎の破壊によって核の時代到来が世界に宣言される前に、そしてソ連が参戦する前に、日本はすでに講和を求めていた」。南太平洋方面軍司令官のウィリアム・「ブル」・ハルゼー提督は翌年に語った。「最初の原子爆弾は不必要な実験だった…いや、どちらの原爆であれ投下は誤りである…多くの日本人が死んだが、日本はずっと以前からソ連を通じて和平の道を探っていたのだ」。
 傍受された外交電報の概要を作成する任務についていたカーター・クラーク准将は語った。「われわれは商用船の撃沈や空腹のみによって彼らを惨めな降伏に追い込み、もう誰が見ても原爆は無用であり、われわれ自身がそのことを承知しており、われわれがそう承知していると相手にもわかっているにもかかわらず、そのような人々相手に原子爆弾二個の実験をしたのだ」。
 アメリカの五つ星階級章将官七名のうち、第二次世界大戦で最後の星を獲得した六名-マッカーサー元帥、アイゼンハワー元帥、アーノルド元帥、リーヒ提督、キング提督、ニミッツ提督-は、戦争終結に原子爆弾が不可欠であるという考えを拒絶していた。残念ながら、これらの軍人が投下に先立ってトルーマンに自身の意見を強硬に訴えた形跡はほとんどない。
 しかしグローヴスは彼らの考えを承知していた。広島に先立ち、彼は原爆にかんして国防省と交わしたあらゆる文書を廃棄するよう戦場の司令官に命じていた。なぜなら彼自身も認めていたように、「マッカーサーらに原爆を使用しなくても戦争に勝てたと主張させるわけにはいかなかった」からである。
 8月末、ジェームズ・バーンズまでもが戦争終結に原爆は必要なかったと認めた。《ニューヨーク・タイムズ》紙によると、「バーンズは、広島に最初の原爆が投下される前に日本は敗北を覚悟していたことをソ連はつかんでいたと述べている」。(p.390~3)

 ローマ教皇庁は速やかに原爆投下を糾弾していた。《カトリック・ワールド》誌は原爆使用を「残虐非道で…キリスト教文明と道徳律に対する前例を見ぬ打撃である」と述べた。全米教会協議会のジョン・フォスター・ダレス会長は、のちにアイゼンハワー政権のタカ派国務長官を務めた人物であるが、その彼が次のような懸念を表明している。「仮に敬虔なキリスト教国家であるわが国が、このような核エネルギー使用が人倫にもとっていないと考えるのであれば、他の国の人々も同じような考えに走るだろう。核兵器は通常兵器の一種と見なされるようになり、人類が突如として永久に破滅する道がひらかれるに違いない」。
 ほかにも原爆投下を非難する声が上がった。シカゴ大学のロバート・ハッチンス学長は、長崎に原爆が落とされたわずか三日後の8月12日、NBC放送で放映された「原子力-それが人類に対してもつ意味」を論じるシカゴ大学円卓会議に出席した。この席でハッチンスは明確に述べている。「万に一つ、この兵器を使用することがあるとしても、それは最終的な自己防衛手段に限定すべきである。しかるに原爆が投下されたとき、アメリカ当局はソ連参戦の予定を承知していた。日本は陸路も海路も封鎖され、諸都市は焼け野原になっていた。すべての証拠が原爆使用は無用であったことを指し示していた。したがってアメリカ合衆国はその道徳的威信を失ったのである」。(p.393~4)

 また広島と長崎への原爆投下はソ連に対するイニシアチブにつながったわけでもなかった。それは、"アメリカはその意思を貫くためならどんな手段をとることも厭わないのだから、血に飢えたアメリカに対する抑止力としてソ連独自の原爆開発を急がねばならない"という確信をスターリンに植えつけただけだった。(p.395~6)
 安倍首相のスピーチに注目しましょう。ま、だいたい想像できますが。
by sabasaba13 | 2019-08-09 07:28 | 鶏肋 | Comments(0)

8月6日に寄せて

 昨晩読んだ『責任について 日本を問う20年の対話』(徐京植/高橋哲哉 高文研)の中に、高橋哲哉氏による以下の一文がありました。
 …広島と長崎で被爆した人の国籍を数えれば20以上あるそうですから、日本人しか被爆しなかったみたいなイメージが日本社会で定着しているのは間違っているし、そして被爆国でありながら、戦後、核についてどのような政策をとってきたかを考えると、何も学んでこなかったとしか言いようがないですね。
 被爆者運動があり、メディアも被爆者の言葉を取り上げ、研究者も証言を取り、記録してきました。憲法九条の下で非核三原則を導入もしてきました。にもかかわらず、実際の国策としてはアメリカの核の傘の下にありますし、原発政策自体も導入時から潜在的核抑止力を保持するという動機が強く働いています。日本政府は、核兵器の保有も必要最小限度の防衛力に限っては認められるという立場です。核兵器禁止条約にしても、アメリカの顔色を忖度して参加しないとなると、これはもう、戦後日本の原発も含めた安全保障政策において核は否定されなかったどころか、本質的には肯定されてきたのだと言わざるを得ませんね。「核なき世界」を目指そうとしたオバマ大統領から小型の戦術核使用を志向するトランプ大統領に代わったいま、核から解放された世界はまったく見通せない状況になっていて、私は人類が自滅する可能性は十分あると思います。(p.179)
 安倍首相のスピーチに注目しましょう。
by sabasaba13 | 2019-08-06 07:17 | 鶏肋 | Comments(0)

2019年参議院選挙 2

 今回の参議院選挙で憂慮したことが、投票率の低さに加えてあと三つあります。

 一つ目。当選した参議院議員における女性の割合が、相も変わらず低いこと。当選者124人中、女性は28人、つまり約23%しかいません。四人に一人以下という体たらくです。中でも政権与党の低さが際立っています。自民党は57人中10人(約18%)、公明党は14人中2人(約14%)でした。政府が唱える「男女共同参画社会」など口先だけ、些末な決定には女性を参加させるが、国策を決める国権の最高機関からは女性を(目立たぬように)締め出すつもりでしょう。なお当選議員における女性の比率が高かったのは、立憲民主党の17人中6人(約35%)、共産党の7人中3人(約43%)でした。

 二つ目。参院選候補者の応援演説をする安倍上等兵にヤジを飛ばした人を、警察官が排除した事件です。これは二回起きています。7月15日、JR札幌駅前で、聴衆の男性が演説中の首相に「安倍やめろ、帰れ」と連呼。別の場所の女性も「増税反対」と叫びました。警官数人が2人をそれぞれ取り囲み、身体をつかんで後方へ連れていった事件。もう一つが7月18日、大津市のJR大津京駅前で応援演説をしている首相にヤジを飛ばす男性を、警備の警察官らが会場後方で囲んで動けなくした事件です。警察が法的根拠もないまま、主権者が為政者に抗議する声を奪う。まともな民主国家だったらあり得ない、許しがたい暴挙です。
 この事件が起きた理由は、二つ考えられます。まず官邸からの有形無形の指示か圧力があった。あるいは警察が忖度(kiss ass)して独自の判断で起こした。再発防止のためにも、徹底した調査報道で真相を明らかにするのがジャーナリズムの使命です。期待しています。なお北海道警は、ヤジが公職選挙法違反(選挙の自由妨害)にあたる「おそれがある」としていましたが、現在「事実確認中」と見解を変えたそうです。おそらく右往左往しながら、いつもの手でみんなが忘れるのを、息をひそめて待っているのでしょう。
 いずれにせよ、官邸がすぐにこの事件に対して批判や非難をしていない以上、首相がこの暴挙を黙認していることは明らかです。もうこれだけで自民党を歴史的な惨敗に追い込むのが主権者の責務だと思うのですが、そうはなりませんでした。無念です。

 三つ目。これが最も重要で深刻な事態だと考えますが、若者の投票率の低さです。全体の投票率は48.8%でしたが、年齢別では、18歳が34.68%、19歳が28.05%。嗚呼、なんたるちあ。煎じ詰めたところ、政治に対する無関心に起因すると思いますが、海外の識者も日本の若者のアパシーには驚いたようです。例えば、雨傘運動で中心的役割を果たした学生団体「学民思潮」メンバーの周庭(アグネス・チョウ)氏が、初来日後のフェイスブックに次のように書き込まれたそうです。
 日本はかなり完璧な民主政治の制度を持っているが、人々の政治参加の度合い、特に若者のそれはかなり低い。日本に来て、私は初めて本当の政治的無関心とは何かを知った。
 また、ベネトンの写真家トスカーニが、原宿で日本の若者200人と話した結果こう語ったそうです。
 世界中でこれほど悩みもなく生きているのは彼らだけではないか。そして彼らは社会にも世界にもまったく関心がないし、なにも知らない。私には、彼らが天使に見えてきた。その天使は、これからわれわれが迎えようとしている悲劇を予告する天使のようだった。
 「政治とは、社会に対する価値の権威的配分である」という、D.イーストンの有名な定義がありますが、若者はなぜ"社会に対する価値の配分"に関心がないのか。若者たちが政治に無関心なまま社会の主軸になっていけば、投票率も低迷し(30%前後!?)、組織票をもつ自民党・公明党が権力の座に居座り続けるという悪夢を見ることになります。このことについては、日本の未来のためにも本気で考えなければなりません。
 と思っていた矢先に出会ったのが、yahooニュースで掲載されていた室橋祐貴氏(日本若者協議会代表理事)の意見です。氏は、若者には、民主主義の経験がない、つまり自分が参加することで状況を変えた経験がないということを挙げられています。長文ですが、重要な指摘だと思いますので一部を引用させていただきます。
 そして何より、2016年以降「主権者教育」が本格的に始まったにもかかわらず、10代の投票率が大幅に下がった(以前の20代よりも低い)という事実は大きい。現状の「主権者教育」が抱える問題は多いが、最大の問題は、"使える"ものになっていない点だ。文部科学省が定める主権者教育の目的は、「単に政治の仕組みについて必要な知識を習得させるにとどまらず、主権者として社会の中で自立し、他者と連携・協働しながら、社会を生き抜く力や地域の課題解決を社会の構成員の一人として主体的に担うことができる力を身に付けさせること」、簡単にいうと、自ら社会の問題を考え、行動していく主権者を育成することだ。
 しかし実際には、問題解決の手段として、「選挙」に偏り過ぎており、多くは「仕組み」にとどまる。過去に成立した法案がどういう問題を解決するものなのかも教えられない。もちろん、実際の法案成立過程や各党の違い、政治家が日々何をしているかも、教えられることはほとんどない。模擬投票を実施している学校もあるが、多くは架空の政党・候補者であり、せっかく本物の選挙があるのに、わざわざ架空の題材を作っている。(下記で述べるような制約がある中で、その努力自体は褒められるべきだが、実にもったいない)
 ドイツなどの国々では、小学生の頃から、問題解決の手段として、「市役所への連絡方法」、「メディアへの連絡方法」、「デモの手順」など、段階にあった方法を教えられる。ノルウェーでは、中学校の社会科などの授業の一環で、子どもたちが各党の「選挙小屋」を回り、候補者やその支援者に直接質問し、各党の違いなどをまとめる。そして、選挙があれば、本物の政治家(候補者や青年部)を学校に招いて、討論会を行っており、本物の政党・候補者で模擬投票を行う。
 日本では討論会どころか、本物の政治家に会う機会もほとんどない。「よくわからない人たち」もしくは(スキャンダル報道などによって)「イメージの悪い人たち」がやっているものに対して、急に「興味を持て」と言われても、普通に考えて無理だろう。
 このように、海外の主権者教育(政治教育)では現実社会で"使える"ものになっているが、日本ではそうなっていない。(他の教科も同様かもしれないが) この背景の一つには、「政治的中立性」に関する考え方の違いがある。
 文科省は2015年10月の主権者教育に関する通知(高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について)で、「議会制民主主義など民主主義の意義、政策形成の仕組みや選挙の仕組みなどの政治や選挙の理解に加えて現実の具体的な政治的事象も取り扱い、…具体的かつ実践的な指導を行うこと」を明記している。
 しかし一方で、「学校は、…政治的中立性を確保することが求められるとともに、教員については…公正中立な立場が求められており、…法令に基づく制限などがあることに留意する」と「政治的中立」を強調し、「教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること」としている。本来、誰もが政治的に「中立」であることは難しい。しかし現状の教育現場では、もし「政治的中立」から逸脱すれば、教育委員会や政治家から指摘される。そのため、この「政治的中立」を守るために具体的な事象を扱わない、先生は意見を述べない、のが正解 (現実)になっている。結果的に、上記で述べたように制度などの話にとどまり、ほとんど"使える"ものになっていない。
 他方、ドイツなどは、多様な意見を扱うことで「政治的中立」を担保しており、討論会などでは、全ての政党を招く(イデオロギーによる「拒否」は禁じているが、先方が自主的に欠席する場合など、出席は必須ではない)。
 ドイツの政治教育の指針になっている「ボイテルスバッハ・コンセンサス」では、意見が分かれる現実の政治問題を扱う際には、対立する様々な考え方を取り上げて生徒に考えさせ、その上で生徒一人ひとりの意見を尊重すること。これが守られていれば問題ないとされている。逆に言うと、意見が分かれる問題について、その真ん中の立場を探したり、そもそもそういう難しい問題を扱わないというのでは政治教育は成り立たないと考えられているということでもある。ただ日本の文科省や政治家が懸念しているように、先生が特定のイデオロギーに「誘導」することはあり得るかもしれない。そうした懸念がないのか、筆者がドイツ視察に訪れた際に、高校の校長先生に聞いたところ、(校長が答える前に!)生徒が手を挙げて、下記のように答えたことが強く印象に残っている。「先生が特定の方向(思想)に誘導しようとしたら、他の先生や親に相談するし、自分たちで判断できる」(ドイツの高校生) 逆に言えば、日本は「生徒は自分で判断できないから、意見が分かれるものは遠ざけよう」という考えが根底にあるように思える。(典型的なパターナリズムだ)
 しかし残念ながら、こうした「問題」があるにもかかわらず、自民党はこの「政治的中立」をより強化しようとしている。2019年参院選では、「教育の政治的中立性の徹底的な確立」として、下記の公約が掲げられている。

 間違っても学校教育に政治的なイデオロギーが持ち込まれることがないよう、教育公務員の政治的行為の制限違反に罰則を科すための「教育公務員特例法」の改正、及び法の適用対象を義務教育諸学校限定から高等学校などに拡大する「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」の改正。(出典:自民党 総合政策集2019 J-ファイル)

 ただでさえ日本は政治をタブー視する風潮が強く、「無色透明な」主権者教育の現場をさらに萎縮させたいのか、それははたして「主権者教育」なのか甚だ疑問である。
 政治報道と主権者教育の問題点を見てきたが、何より重要なのは、民主主義というのは「知識の獲得」ではなく、「実践」するものであるということだ。つまり、いくら教室で具体的な政治事象を学ぼうが、「民主主義」を経験しなければ、その意義や価値を実感することはできず、そうした場に参加しようと思えない。筆者が何度も書いているように、日本の若者の「政治的関心」は高い一方で、「自分が参加することで変えられる」と思っていない現状を見ると、こちらの方が重要だろう。
 例えば、スウェーデンやドイツなどでは、生徒が先生・校長らと対等に学校の校則や授業内容、給食の内容などについて話し合い、意思決定に関わる機会が確保されている。日本では、そもそも学校が民主主義になっておらず(学校だけではなく多くの会社や家庭もだが)、学校内のルールである校則なども基本的には上から決められており、遵守することばかりが重視されている。根本的には、こうしたパターナリズム的な考えをやめて、子ども・若者をきちんと社会の一員として対等に意見を尊重していく。そうした小さな積み重ねが、結果的に投票率向上にも繋がっていくだろう。選挙前だけ「投票に行こう!」と呼びかける、小手先の対処法ではもう限界だ。ずっと「子ども扱い」しておいて、有権者になって選挙に行かなかったら「最近の若者はー」と嘆く。そうした態度はあまりに無責任である。主権者教育や政治報道だけではなく、社会全体も変わっていかなければならない。「民主主義の危機」とも言える、低投票率となった今回の参院選を大きな転換点とすべきだ。
 斎藤美奈子氏が、『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマー新書)の中で述べられているように、本来「政治的中立」などありえないはずです。
 政治参加の第一歩は、あなたの「政治的なポジション(立場)」について考えることです。政治的なポジションは、結局のところ、二つしかありません。「体制派」か「反体制派」か、です。「体制」とは、その時代時代の社会を支配する政治のこと。したがって「体制派」とはいまの政治を支持し「このままのやり方でいい」と思っている人たち、「反体制派」はいまの政治に不満があって「別のやり方に変えたい」と考えている人たちです。
 さて、あなたはどちらでしょう。どっちでもない? あ、そうですか。そんなあなたは「ゆる体制派」「ぷち体制派」「かくれ体制派」です。どっちでもない、つまり政治に無関心で、特にこれといった意見がない人は、消極支持とみなされて自動的に「体制派」に分類されます。先にいっておきますが、政治的な立場に「中立」はありえません。(p.19)
 "政治的中立"という美名のもとに、教師や若者を「ゆる体制派」へと囲い込み、「反体制派」の芽を摘む。あるいは、使えない無味乾燥な政治教育を学校で施し、政治への興味・関心を失わせる。結果、若者たちの足が投票場から遠ざかり、組織票を有する自民党・公明党の議席が増える。そして自民党・官僚・財界という鉄のトライアングルが盤石なものであり続ける。ブラービ。
 「政治的中立」と使えない政治教育の強制は、このトライアングルによる深謀遠慮に基づいた策略だと考えざるをえません。日本はそう簡単に良くなる国じゃないということを前提に、それではどうすればよいのでしょうか。ドイツの「ボイテルスバッハ・コンセンサス」を参考に、政治教育のあり方を考え直す。学校における決定権に生徒を参与させて、積極的に発言・行動すれば価値の配分を変え、状況を改善できるという経験を積ませる。これについては『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』(新評論)という好著があります。また教育学者のアルフィ・コーン氏も、『報酬主義をこえて』(法政大学出版局)の中で、次のように述べられています。
 ここでわれわれの問題にとってより重要なことは、子供の社会的、道徳的発達を促すのに自律がいかに大切かということである。われわれがしょっちゅう目にするのは、子供には「自己訓練」とか「自分の行動に責任を持つ」ことが必要だと力説するおとなが、子供に指図ばかりしているという馬鹿らしい光景である。本当は、子供たちに自分の行動に対する責任をとらせたいのなら、まず責任を、それもたっぷりと、与えるべきなのだ。子供が決定のしかたを学ぶのは、実際に決定してみることによってであって、指示に従うことによってではない。(p.373)
 そして何より、子どもや若者は、大人の言うことを聞いて育つのではなく、大人の行動を見て育つもの。私たち大人が、積極的に政治的発言・行動を行ない、状況を少しでも良くしていけば、必ず彼ら/彼女らは凝視してくれるはずです。いやそう信じるしかありません。

 日本人、いや人類にとって残された唯一の希望は子供です。"子供を救え…" (『狂人日記』 魯迅 岩波書店)
by sabasaba13 | 2019-07-30 06:48 | 鶏肋 | Comments(0)

2019年参議院選挙

 参議院選挙の結果が明らかになりました。改憲勢力は議席数の3分の2に届かず、自民党は66から56へと議席を減らすも、自民党・公明党で参議院の過半数を制するという結果でした。朝日新聞DIGITALによると、自民党は比例区で、前回と同じ19議席を獲得したにもかかわらず、得票数は2011万票から大きく下げ、1800万票前後にとどまりそうな模様です。棄権者も含めた全有権者に占める割合を示す比例区の絶対得票率も、第2次安倍政権下での国政選挙で過去最低の17%を切る可能性もあるとのことです。ほとんど報道されないのですが、自民党が敗北したことで溜飲がすこし下がりました。安倍上等兵は勝ち誇ったドヤ顔でテレビに出演していますが、「でも10議席減ったのでしょう」とインタビュアーがつっこんでくれないのが不満です。
 それなのに比例区50議席のうち、38%を獲得した計算になります。朝日新聞はその原因を、低投票率にあると分析していました。そう、今回の参議院選挙の投票率は50%を切り、戦後二番目に低い48.8%という惨憺たる数字となりました。うーむ、二人に一人が、日々の暮らし、格差の問題、増税と年金、辺野古新基地や原発事故の被災者、日本の未来について関心がないわけだ。そして行政府に対策を丸投げすれば何とかなると高をくくっているわけだ。やれやれ。

 それにしてもこの異様な低投票率の原因は何なのでしょう。この二週間、気がついたのが、街がいつもと変わらないことです。賛否はあるでしょうが、選挙カーが走り回り候補者の名前を連呼するあの騒がしさが選挙の高揚感や非日常感を盛り上げてくれて嫌いではありません。しかし今回は選挙カーをあまり見かけませんでした。そのため選挙のことを忘れた人もいるのではないでしょうか。投票率を低く抑えるために、政府が規制をかけた…ということはないでしょうね、まさか。
 ニュースでも選挙のことがあまり報道されませんでした。画面にひっきりなしに出てくるのは京都アニメの火事、吉本興業、ジャニーズ事務所のニュースばかり。内閣情報調査室がメディアに圧力をかけて選挙に関するニュースを抑制させた、あるいはメディアが投票率を低くしたい官邸の意向を忖度(kiss ass)した…ということはないでしょうね。
 そしてこれは先ほど見たNHKニュースで知ったのですが、投票所の数が以前より十数%減少し、午後8時前に投票締め切った自治体が全体の35%あったそうです。理由は、自治体の統廃合、過疎化、職員不足といった点にあると分析していました。
 さらに『東京新聞』(2019.7.22)に、下記の社説が掲載されていました。
 十七日間の選挙戦を振り返ると、建設的な政策論議というよりは対立する政党や候補をののしったり、さげすむ場面が目立った。
 特に首相は、立憲民主、国民民主両党などに分かれた旧民主党勢力を「毎年首相が代わり、不安定な政治、決められない政治の下で重要課題は先送りされた。あの時代に逆戻りをさせてはならない」と繰り返し攻撃した。
 選挙だから舌鋒が鋭くなるのは仕方ないにしても、政治指導者が敵対勢力を執拗に攻撃し、分断をあおるような手法の危うさに、そろそろ気付くべきではないか。
 低投票率の背景には、有権者がそうした不毛なののしり合いを嫌気した面もあるのではないか。
 なるほど、ライバルを執拗にののしり、有権者の嫌気を喚起して投票所から足を遠のかせる。こうなると投票率を落とすための確信犯的行為です。
 以上のように、投票率が異常に低い理由はいろいろと考えられますが、碩学・内田樹氏は、有権者が投票に虚無感を持つよう、国会への嫌悪感や軽蔑の念を抱かせ続けた政権与党のたゆまぬ努力の成果であると、見事に喝破されています。『週刊金曜日』(№1159 17.11.3)所収の『「議会制民主主義はもう機能していない」という印象の刷り込み』から一部を引用します。
 株価が乱高下するように議席数が乱高下する政治制度の方がなんだか好ましいと導入時には多くの日本人が思った。だが、導入して20年経ってわかったことは、小選挙区制は複雑系ではなかったということである。それはある条件さえクリアすれば組織票において相対的に優る政党が勝ち続ける決定論的システムだった。「ある条件」というのは低投票率である。それゆえ、巨大な組織票と集票マシンを装備する政権与党にとって選挙戦での主たる関心はいかに無党派有権者に投票させないかというものになった。(p.10)

 だから政権与党はどうやって投票率を下げるかに工夫を凝らしてきた。最も有効なのは「議会制民主主義はもう機能していない」と有権者に信じさせることである。(p.10)

 今の有権者たちは国会とは選良たちがその見識と雄弁を披歴して国家の大事を議する「国権の最高機関」であるとはもう信じていない。そこには口汚い罵倒や詭弁や嘘や暴力の場であり、官邸が用意した法案を「審議するふりをする」アリバイ作りの場であるという印象を私たちはメディアを通じて日々刷り込まれている。
 この「立法府は機能していない」という印象の刷り込みに安倍内閣ほど熱心に取り組んだ政権は過去にない。総理自身積極的に国会でヤジを飛ばし、詭弁を弄し、答弁をはぐらかし、ことが面倒になると強行採決をし、解散し、召集を先送りして、国会が「役に立たない」機関であるという印象を広め続けた。(p.11)

 国民が立法府に対して嫌悪感や軽蔑の念しか抱けず、投票行動に虚無感を持つようになれば政権与党はわずかの得票差で小選挙区で常勝できる。この事態は熟慮とたゆまぬ努力の「成果」なのである。
 立法府が「国権の最高機関」として威信を失えば、行政府が事実上国権の最高機関になり、官邸の発令する政令が法律に代わる(これが自民党改憲草案の「緊急事態条項」のかんどころである)。そうなればすべての社会制度が官邸の意のままに動く、効率的な「株式会社のような統治システム」が完成する。それこそ自民党が改憲を通じて実現しようとしている「夢の政体」である。
 若い有権者たちが自民党に好感を持つのは、自民党が作ろうとしているこの政体が彼らにはなじみ深いものだからである。
 若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない。トップが方針を決めて、下の者はただそれに従う。経営方針の適否はマーケットが判定するから、従業員はそれについて意見を求められることもなく、そもそも意見を持つ必要もない…というのが彼らが子どものときから経験してきたあらゆる組織の原理である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だった。彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても、私たちはそれを責めることができない。
 構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、組織のトップは成員たちの間から互選され、その言動の適否についてつねに成員たちのきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今どきの若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、「そんな空想社会をめざすなんて頭がおかしいんじゃないか」と冷笑するのは考えてみたら当然である。
 なんだか悲観的な総括になったが、原因がわかれば対処のしようもあるはずである。だが、それについて語るためには紙数が尽きた。(p.11)
 それにしても、それにしてもですね。この六年ほどを振り返れば、安倍政権の本質があらわに見えてこないものでしょうか。特定秘密保護法、安保法、「共謀罪」法など、国会議事堂を市民が取り囲む中での法案の強行採決。反対意見に耳を傾けず、時間をかけての議論を嫌い、「数の力」で押し通す政治姿勢。旧民主党政権を「悪夢」とこきおろすなど、批判勢力に対する強い口調での攻撃。病的な虚言癖。降格や左遷を恐れて首相の意向の忖度に走る官僚たち。首相の爪牙となってメディアをコントロールする内閣情報調査室。沖縄の民意を無視しての辺野古新基地の建設強行。福島原発事故の被災者の無視と放置。大企業・富裕者の優遇と困窮者の冷遇。教育・福祉の切り捨て。中国・韓国・北朝鮮への敵視。アメリカの属国としての振舞いを恬として恥じない廉恥心の欠落。
 内田樹氏と北原みのり氏の思いを、私も共有します。
『「安倍晋三」大研究』 (望月衣塑子 KKベストセラーズ)
【内田樹】 でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではありません。嘘をつくことに心理的抵抗にない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのほうです。いったい何を根拠にそれほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらのほうが理解が難しい。(p.209~10)

『週刊金曜日』(№1200 18.9.14)
【北原みのり】 でも(安倍晋三でございます。まさに、いわば、その上で、はっきり申し上げたいのでございます。あの、あの、あのですね、委員長、ヤジがうるさいので注意して下さい!)
 すっかりあの喋り方に慣れてしまった6年間。言葉使いは丁寧なのに、攻撃的で、中身なく、嘘くさく、質問者が女性だとにたにたと笑う醜悪さと暴力性を漂わせるあの人の言葉。限られた人生だというのに、6年も、こんな人が権力を振るう世界に生きてしまっている。いったいどこからやりなおせば、よかったのだろう。(p.20)

by sabasaba13 | 2019-07-24 06:21 | 鶏肋 | Comments(0)

壁と卵 2

 インターネットでJNNニュースを読んでいたら、下記の記事がありハッと息を呑みました。(2019.6.22 13:06配信)
香港のデモ隊、警察本部を16時間包囲

 香港で政府が逃亡犯条例の撤回を明言しないことなどに抗議し、警察本部を包囲していたデモ隊は、22日未明までにいったん解散しました。しかし、混乱収束の見通しは立っていません。
香港の警察本部庁舎の壁やガラスにはデモ隊が投げた卵の跡が無数に残っていて、あたり一帯では卵の腐った臭いが漂っています。
 22日朝、警察本部ではデモ隊が設置したバリケードの撤去や庁舎に書かれた落書きをビニール袋で隠す作業が行われました。
 香港で21日、学生団体など数千人が参加するデモがあり、デモ隊は立法会前の道路を封鎖したあと、警察本部庁舎を22日未明まで16時間にわたり包囲しました。デモ隊は、今月12日の大規模デモの際、暴動の疑いで逮捕された若者たちの釈放などを訴えました。
 香港では来月1日にも大規模デモが計画されていて、混乱が収束する見通しは立っていません。
 “デモ隊が投げた卵の跡”… これは2009年2月に村上春樹氏がエルサレム賞を受賞した時のスピーチで使われたメタファー、「壁と卵」に関連するのではないか。『雑文集』(新潮社)から、その一部を引用します。
 ひとつだけメッセージを言わせて下さい。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にそれは刻み込まれています。こういうことです。
 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
 そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?
 さて、このメタファーはいったい何を意味するか? ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。
 しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。
 私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。私はそう信じています。生と死の物語を書き、愛の物語を書き、人を泣かせ、人を怯えさせ、人を笑わせることによって、個々の魂のかけがえのなさを明らかにしようと試み続けること、それが小説家の仕事です。そのために我々は日々真剣に虚構を作り続けているのです。(中略)
 私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人権や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。我々にはとても勝ち目はないように見えます。壁はあまりに高く硬く、そして冷ややかです。もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らの、そしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。
 考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。システムにはそれがありません。システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。
私が皆さんに申し上げたいのはそれだけです。(p.77~80)
 その後、『香港 中国と向き合う自由都市』(倉田徹/Cheung Yuk Man 岩波新書1578)という本を読んで、2014年に民主化を求めて香港で起きた雨傘運動において、この「壁と卵」というメタファーがたびたび引用されたことを知りました。また雨傘運動の最中にベルリンで行なわれた「Welt prize」受賞式スピーチでは、香港の若者にエールを送り励ましたそうです。こういうスピーチです。
 1989年にベルリンの壁が崩壊した時、ほっとしたのを覚えています。「冷戦は終わった」とつぶやきました。「世界はもっと平和で前向きになる」。世界中の多くの人が同じように感じたと思います。
 でも悲しいことに、安堵の感覚は長く続きませんでした。中東では紛争が絶えず、バルカン半島で戦争が起き、テロ事件が次々と発生。そして2001年にはニューヨークの世界貿易センターへの攻撃がありました。より幸せな世界への私たちの希望は、あえなく崩れました。
 小説家の私にとって、壁は常に重要なモチーフです。小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では、高い壁に囲まれた架空の町を描きました。いったん入ると、二度と出られないような町です。小説「ねじまき鳥クロニクル」の主人公は、井戸の底に座り、厚い石の壁をすり抜けて別の世界に行きます。
 2009年に(イスラエルの文学賞)エルサレム賞を受けた時、私はエルサレムで「壁と卵」と題したスピーチをし、壁と、それにぶつかって壊れる卵について話しました。石の壁を前に、なんと私たちは無力だろうか。私がスピーチをしていたまさにその間も、(パレスチナ自治区)ガザでは激しい戦いが続いていました。私にとって壁は人々を分かつもの、一つの価値観と別の価値観を隔てるものの象徴です。壁は私たちを守ることもある。しかし私たちを守るためには他者を排除しなければならない。それが壁の論理です。
 壁はやがてほかの論理を受け入れない固定化したシステムとなります。時には暴力を伴って。ベルリンの壁は間違いなく、その典型でした。
 世界には多くの種類の壁があります。民族、宗教、不寛容、原理主義、強欲、そして不安といった壁です。私たちは壁というシステムなしには生きられないのでしょうか。小説家にとって壁は突き破らなければならない障害です。例えて言えば、小説を書くときに現実と非現実、意識と無意識を分ける壁を通り抜けるのです。反対側にある世界を見て自分たちの側に戻り、見たものを作品で詳細に描写する。それが、私たち小説家が日々やっている仕事なのです。
 フィクションを読んで深く感動し、興奮するとき、その人は作者と一緒に壁を突破したといえます。本を読み終えても、もちろん基本的には読み始めたときと同じ場所にいます。取り巻く現実は変わらないし、実際の問題は何も解決していません。それでも、はっきりとどこかに行って帰って来たように感じます。ほんの短い距離、10センチか20センチであれ、最初の場所とは違う所に来たという感覚になります。そういう感覚を経験することこそが、読書に最も重要で欠かせないことだと考えてきました。
 自分は自由で、望めば壁を通り抜けてどこへでも好きな所へ行けるという実感です。私はそれを何よりも大切にしたい。そういう感覚をもたらすことができる物語をできるだけたくさん書いて、この素晴らしい感覚をできるだけ多くの読者と分かち合いたいのです。
 ジョン・レノンがかつて歌ったように、私たち誰もが想像する力を持っています。暴力的でシニカルな現実を前に、それはか弱く、はかない希望に見えるかもしれません。でもくじけずに、より良い、より自由な世界についての物語を語り続ける静かで息の長い努力をすること。一人一人の想像する力は、そこから見いだされるのです。
 たとえ壁に囲まれていても、壁のない世界を語ることはできます。その世界は自分の目で見えるし、手で触れることだってできる。それが大事な何かの出発点になるかもしれません。2014年のここベルリンは、そんな力についてもう一度考えるのに最適な場所です。
 今まさに、壁と闘っている香港の若者たちにこのメッセージを送りたいと思います。
 おそらく、村上氏のエールを心に刻み、香港政府とその背後にいる中国政府という固く大きな壁に、かけがえのない魂とその温かさの象徴である卵を投げつけたのだと想像します。
 そしてこれは、日本に、世界に向けたメッセージではないでしょうか。「あなたはどちらの側に立ちますか? 壁、それとも卵?」 その答えは、7月21日の参議院選挙で出しましょう。「どうでもいいや/関心ないね/何も変わらないさ」と言って壁の一部になってしまう人の少なからんことを。
by sabasaba13 | 2019-06-28 06:20 | 鶏肋 | Comments(0)

It's just the beginning.

 香港で大きな、それはそれは大きなうねりが起きています。東京新聞(2019.6.17)から転記します。
 香港の民主派団体は十六日、香港の中心部で犯罪容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案の撤回などを求める大規模デモを行った。香港政府が前日に改正案の審議延期を発表したが、デモ隊は「あくまで撤回を求める」と主張。主催者は同日夜、約二百万人が参加したと発表し、九日のデモを超える過去最大の規模となった。
 デモ隊は香港島のビクトリア公園に集結。幹線道路は人で埋め尽くされ、出発点近くの地下鉄銅鑼(どら)湾駅は入場が制限された。
 参加者は社会の混乱を招いたとして、政府トップの林鄭月娥(りんていげつが)行政長官の辞任も要求。「悪法撤回を」「林鄭は辞めろ」などのスローガンを叫びながら、中心部の幹線道路を練り歩いた。
 参加した男性会社員(31)は「われわれの意思を見せることで香港がまだ民主的で、『一国二制度』が生きていることを示したい」と話した。
 大学を卒業したばかりの女性(24)は、多数の負傷者が出た十二日のデモを、政府が「暴動」と決めつけたことに、「若者は自由のためにデモをやっただけ。暴力を振るったのは警察だ」と強く非難した。
 映画『乱世備忘』の公式サイトに、下記の一文がありました。
 しかし成果を得ないまま占拠を続ける運動に対して徐々に市民からの反発も強まり、79日間に及ぶ「雨傘運動」は終了した。金鐘(アドミラルティ)に残ったバリケードには、「It's just the beginning/まだこれからだ」というメッセージが残されていた。
 It's just the beginning… このことだったのですね。香港の方々は屈服していなかった。心から敬意を表するとともに、卵が壁に一矢報いることを心から祈念します。

 で、私たちはいつ始めるのでしょう。安倍氏も、麻生氏も、菅氏も、居心地の良い椅子にいまだにふんぞりかえっておられますが。
by sabasaba13 | 2019-06-18 06:24 | 鶏肋 | Comments(0)