カテゴリ:鶏肋( 157 )

2018 残暑見舞

 残暑お見舞い申し上げます。

 日頃「散歩の変人」を御愛読していただき、ありがとうございます。これからしばらくアイスランド旅行に行ってきます。炎熱地を焼く日々がまだ続くかと思いますが、ご自愛を。

 暑気払いに、手持ちの写真の中で涼しそうな一枚をどうぞ。西沢渓谷七ツ釜五段の滝(山梨県)です。

c0051620_2119040.jpg

by sabasaba13 | 2018-08-16 05:44 | 鶏肋 | Comments(0)

割れ鍋に綴じ蓋

 やれやれ。新潟県知事選挙で、野党5党が推薦した池田千賀子氏が敗れ、自民党、公明党が支持する花角英世氏が当選しました。これで安倍上等兵一派が勢いづくのでしょうか、やれやれ。偶然なのですが、最近安倍政権を痛烈に批判する文章を三つほど読みましたので、紹介します。
『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(加藤典洋 幻戯書房)

 ここではキリがないので例は出さないが、明治以来の憲政史上、たぶん軍国主義下を含んで、現在の安倍内閣ほど、主権者国民、またその象徴たる天皇をバカにした傍若無人の内閣はないだろう、と思われる。とはいえ理解を絶するのは、そうした内閣を奉戴して、世論調査でその支持率がなお半数を超えている、というもう一つの事実、国民というものに関する憲政史上例の少ない事実である。
 個人の自由、平等、人権といった戦後的な価値だけではない。国家主権、国の独立、「愛国心」、さらに「廉恥心」といったかつての国家主義、復古主義、保守主義に通底する感覚までが、この政府にあってはうっちゃられている。しかも、そのことへの国民の反応は鈍い。メディアが悪いというよりは、メディアも野党も内閣も、こぞってこの世論調査の主、国民動向にしたがって動いている。その結果が、これなのである。
 約束が破られても怒らない。それは、自分で約束したのではないからだ。明日、四時に会う。あるいは借金を返す。そういう約束が断りもなく破られたら誰でも怒る。でも、そういう自ら「約束」をして決まり(ルール)を作るという経験を、私たち、日本人、日本の国民は、余りにしてこなさすぎた。(p.315~6)

『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』(乗松聡子編著 金曜日)所収
「圧政への健全な主張 これ以上基地は造るな」(オリバー・ストーン ピーター・カズニック)

 その原爆から70年がたった。私たちは2013年にともに参加し、カズニックは20年前から広島・長崎の式典に学生とともに参加してきている。70周年の広島の式典は心乱されるものであった。安倍晋三首相が来たことだ。被爆者が「もう、二度と戦争は起こさない」と言っているそばで、彼は日本の若者が遺体袋で戻ってくるようになる準備をしている人間だ。軍事費増大、武器製造輸出、中国敵視、歴史教科書修正といった一連の右翼的政策を推し進めている。
 この男は原爆70周年の広島に何をしに来たのか。最もこの場にいてはいけない人間だ。この男の存在自体、その吸う息、吐く息一つ一つが、平和と核廃絶を訴える被爆者への冒涜だ。式典では安倍首相の演説の際、安保法制に反対するプラカードを掲げている人がいた。退場の際は会場中に抗議の声が鳴り響いた。カズニックは過去20年間広島の式典に出てきたが、このような抗議行動を見るのは初めてだ。(p.178~9)

『増補 「戦後」の墓碑銘』(白井聡 角川文庫)

 米朝の対立が激化し、国連の演説でトランプ米大統領が「北朝鮮の完全な破壊」を口にしたとき、世界中から非難の声が上がったなか、世界で唯一「100%支持」の態度表明をした国家指導者が安倍晋三であった。その後も安倍は、河野太郎外相ともども「対話のための対話は必要ない」「北朝鮮と断交せよ」等々の迷言を世界各地でキャンキャン喚き続けた挙句、米中韓朝が一挙に対話交渉路線に踏み出すなか、完全に蚊帳の外に置かれた。こうした情勢に対して、政権は「我が国が呼び掛けた圧力が功を奏した」という噴飯物の自画自賛で応えているが、これは完全に「精神勝利法」(『阿Q正伝』)であり、いよいよ日本は「中華」に昇格しつつあるようだ。第三者的に見れば、こんな馬鹿げた国に外交的発言権などなくて当然であるし、持たせるべきでもない。
 かくて明らかになったのは、現在の日本外交には、「朝鮮戦争の平和的な解決のために日本外交は努力すべき」という発想は一切ないということだ。そしてそれは、永続敗戦レジームの構造に照らせば必然である。日米安保体制の存立根拠のひとつは朝鮮戦争が休戦状態にあって終わっていないことにある。したがってこれが終わってしまえば、在日米軍が日本から撤退ないし大幅な縮小を行なう可能性を論理的に否定できない。このレジームの支配/受益層(=安保マフィア)からすれば、まさにこのことを避けなければならないのである。(中略)
 そんな政権に、「消極的」だか何だか知らぬが、選挙結果から判断する限り、実際に支持を与えているのが、「平和国家日本」の国民の現実である。きわめて特殊な対米従属を続けてきた結果、この国の標準的な国民は、一種の精神的な複雑骨折状態にある。どこからどう治すべきかよくわからないほどのひどく複雑な骨折である。無能かつ不正で腐敗した政権を長期本格政権化させた究極的な原因は、やはりこの政権がこの国民にふさわしいという事実にある。(p.410~1)
 拙ブログで以前に『安倍改憲政権の正体』(斎藤貴男 岩波ブックレット871)の書評を書きましたが、三人の識者の意見を読んであらためてこの政権の愚劣さを痛感します。それなのに、ああそれなのに、なぜ権力の座にしがみついていられるのか。なぜ有権者はそれを許しているのか。なぜその愚劣さを知ろうとしないのか、その愚劣さに無関心なのか。所詮は、その国民の知的レベルを超えるリーダーは持ち得ないということなのでしょうか。彼が喜ぶだけなので、絶望はしませんが。

 また国会前へ行こう。
by sabasaba13 | 2018-06-13 06:29 | 鶏肋 | Comments(0)

素晴らしき土曜日

 一昨日の土曜日、愛車ブロンプトンにまたがって、武蔵野を散策してきました。自宅からJR中央線高円寺駅までブロンプトンで走り、折りたたんで輪行袋に入れて三鷹行きの列車に乗車。三鷹駅で乗り換えて武蔵小金井駅で下車して、駅前で組み立てて小金井街道を南下します。交差点で東八道路を右折し、すこし走ると関東医療少年院に着きました。少年審判によって「心身に著しい故障がある」と判断されたおおむね12歳以上26歳未満の者を収容し、治療と矯正教育を施す施設で、全国に4箇所しかないそうです。お目当ては、『散歩の達人 調布・府中・深大寺』(18.5 №266)で知った古い給水塔。東側の小道に入ると、金網越しにすぐ見えました。鉄骨の櫓が組まれ、最上部に赤錆のついた球形のタンクがちょこんと乗っかっています。お役目を終えて微睡んでいる老人のようですが、ここに収容されている少年・少女たちは、どのような思いで見上げているのでしょう。
 そして府中方面へと向かいます。できれば地元資本の喫茶店でモーニングサービスを食しながら、一人作戦会議を開きたいのですが見当たりません。せんかたなし、「ガスト」に入って朝食をとりました。小金井街道へと戻って南へ走ると、左手に延々と続く金網があります。『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』(NHK取材班 NHK出版)で知ったのですが、このあたり一帯はかつて府中通信施設という在日米軍基地だったのですね。1973(昭和48)年1月、「関東平野空軍施設整理統合計画(通称:関東計画)」によって日本に返還され、南西の3分の1が「府中の森公園」、南東の3分の1が航空自衛隊府中基地、北側の3分の1が大蔵省(現在は、あの財務省)の管轄区域となりました。「関東計画」とは何ぞや。1973年に、府中の米軍基地など首都圏にある六つの米軍基地を日本に返還し、軍の機能を横田基地に集約させるという計画です。なぜか。実はこの時期、アメリカはベトナム戦争をしており、その拠点となったのが在日米軍基地です。そのためアメリカ軍の活動が活発となり、事故や騒音被害が多発、日本国民の反基地運動が激しくなりました。例えば1968年、原子力空母エンタープライズの放射能漏れや、F4戦闘爆撃機ファントムの九州大学構内への墜落などです。そこで米日両政府は、人口の密集する首都圏から基地をなくし、反基地運動を収束させたかったのですね。しかし機能が拡充・強化される横田基地のある福生(ふっさ)市はたまりません。そこで福生市や市民をなだめるために、まず日本政府は周辺対策事業費として468億円を福生市に提供します。さらにアメリカ軍は、騒音の原因であるF4戦闘爆撃機ファントム部隊を、沖縄の嘉手納基地に移転することによって、騒音被害を大幅に軽減させました(1971)。米軍基地への反発が起こると、人の少ない所へ移転させる。あるいは巨額のお金を自治体に渡して宥めるという手法ですね。これにより福生市での反基地運動は終息しました。なお公園北側の財務省管轄区域はどういうわけか立ち入り禁止ですが、金網越しに巨大なパラボラ・アンテナや廃墟が見られるそうです。
 とりあえず一周してみましょう。府中の森公園の手前で左折すると、かつての宿舎らしき建物が見えました。図書館のところでさらに左折して金網に沿って走っていると、浅間町二丁目アパートのあたりで、木々の上に顔を出す二つの巨大なアンテナを遠望できました。かつて都内にいかに多くの米軍基地があったか、そして政府はそれを郊外や沖縄に押しつけて不可視化し、都民が無関心になっていったかを物語る証人です。
c0051620_14174820.jpg

 なお『散歩の達人』によると、ここ府中はわが敬慕する宮本常一が終の棲家としたところです。彼に関する足跡めぐりや、多磨霊園に眠る歴史的人物の掃苔は、日を改めて再訪することにしました。
 ふたたび東八道路へ戻って東へと走り、多磨霊園に到着。広い園内を自転車で走り、かつての給水塔である「シンボル塔」に着きました。なかなかモダンな意匠ですが、今でも使用されているのでしょうか。かつては塔頂部から水が噴き出し、子どもたちが水遊びをしていたそうです。
 東八道路をさらに東行し、天文台通りを右折してすこし走ると国立天文台です。かつて麻布にあった東京天文台が大正期にここ三鷹に移転したものです。訪れるのは初めてですが、素晴らしいところですね。武蔵野の面影を残す森の中に、旧図書庫、レプソルド子午儀室、ゴーチェ子午環室、大赤道儀室、アインシュタイン塔、第一赤道儀室など、戦前に建てられた古い研究施設が点在しています。不学ゆえにその役割や機能についてはとんと分かりませんが、見ているだけで宇宙への憧れがふつふつと沸いてきます。入場無料だし、人も少なく静謐だし、森林浴もできるし、煙草が吸える場所もあるし、ベンチもあるし、平日には食堂も開いているしと、申し分のない場所です。
c0051620_14214141.jpg

 そして天文台通りを北上し、武蔵境駅へとうちゃこ。ブロンプトンを折りたたんで列車に乗り、ふたたび高円寺駅で下車しました。自転車を組み立てて、駅の北にある「ギャラリー来舎」に向かいました。先日、地下鉄丸ノ内線新高円寺駅に貼ってあったポスターで、「熊楠」展がこちらのギャラリーで開かれることを知ったので駆けつけた次第です。熊楠ファンにして猫フリークの私としては、これは見逃せません。純情商店街を抜け、庚申通り商店街の路地を入ったところにギャラリーがありました。その前に自転車を置き鍵をかけていると、何たる奇遇、猫が片足を垂直に上げて股座を舐めているではありませんか。失礼して写真を一枚。小さなギャラリーに入ると、学者のような雰囲気の方がにこやかに出迎えてくれました。開口一番、「お目当ては熊楠ですか、猫ですか」。はい、両方です。熊楠が描いた猫のイラストや、彼と猫に関するエピソードなどを楽しく拝見させていただきました。熊楠が飼い猫につける名前は必ず「チョボ六」だったそうです。ご亭主曰く、"チョボ"とは「小さくて可憐」という意味だそうです。また熊楠は、生命は過去から未来へと連続するものであり、そこには個という存在はなく、よって名前もひとつでよいと考えていたのではないかと説明してくれました。大英博物館や紀伊田辺の話など知的雑談に花を咲かせた楽しいひと時でした。自分と山ノ神のお土産に、熊楠が描いた猫のクリアファイルを購入し、丁重にお礼を述べてギャラリーを退室。
c0051620_1423541.jpg

 ブロンプトンに乗って自宅へ戻ると、近くの洋食屋「パラディソ」のご主人からが手に入ったという電話があったと山ノ神が教えてくれました。これは嬉しい、夕食に伺いますとさっそく連絡。シャワーを浴びてエビスビールをくいっと飲み干せばこの世は天国さ。「フィルモア・イーストのオールマン・ブラザーズ・バンド」を小音量で流しながら、しばし午睡。
 夕刻になったので、山ノ神と「パラディソ」に向かいました。最近その存在に気がつき、おいしい多国籍料理と御主人のほのぼのとした人柄に惚れて贔屓にしております。さっそく鯖の刺身をいただき、その美味に舌鼓を打ちました。
 家に帰って、山ノ神が録画してくれた「タモリ倶楽部」の空耳アワーと「ブラタモリ」を鑑賞。下田編では、灯台マニア垂涎の神子元島灯台を訪れるシーンがあり感激しました。ああ私もいつの日にか行ってみたい。
 J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番プレリュードを少し練習して、風呂に入り、布団にもぐりこんでウィスキーをちびりちびりと飲みながら『天王山 沖縄戦と原子爆弾』〈上〉(ジョージ・ファイファー 早川書房)を読みました。さてそろそろ寝るか、スタンドの明かりを消すと、驟雨が屋根を打つ音が聞こえてきました。そういえば寺田寅彦の随筆にあったっけ…
 来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。
 経済成長とは何の縁もない、平々凡々な、でも素晴らしい土曜日でした。

 本日の六枚、上から関東医療少年院給水塔、在日米軍旧府中通信施設、多磨霊園シンボル塔、国立天文台図書庫、高円寺の猫、「パラディソ」の鯖の刺身です。
c0051620_14245052.jpg

c0051620_1425431.jpg

c0051620_14251620.jpg

c0051620_14254461.jpg

c0051620_14255793.jpg

c0051620_8224391.jpg

by sabasaba13 | 2018-06-11 08:20 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(小田原・大平台編)

 関東の桜もそもそも見納めでしょうか。山ノ神と一緒に小田原と箱根の桜を愛でてきました。

 まずは小田原、駅構内にある観光案内所で地図をもらい、桜情報を教えてもらうと、西海子(さいかち)小路に桜並木があるということでした。駅近くで自転車を借りて小田原城へ、そろそろ散りはじめていましたが、お堀には桜の並木が咲き誇っていました。
c0051620_6512023.jpg

c0051620_6513631.jpg

c0051620_6514764.jpg

c0051620_65402.jpg

 そして西海子小路へ、こちらは初めて訪れましたが、空を覆うような桜のトンネルに感嘆。
c0051620_6541244.jpg

 昼食はわれわれ御用達の洋食屋、小田原駅近くにある「葉椰子」でマグロの尾の身ステーキに舌鼓を打ちました。
c0051620_655083.jpg

箱根湯本へ移動して箱根登山鉄道に乗って大平台へ、ここは知る人ぞ知る知らない人は知らない桜の穴場です。ソメイヨシノは散りはじめていましたが、紅枝垂れ桜が満開、町のあちこちを桃色に染め上げていました。眼福眼福。
c0051620_6551624.jpg

c0051620_6552890.jpg

c0051620_6553955.jpg

c0051620_6554858.jpg

by sabasaba13 | 2018-04-05 06:56 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(京都編)

 この前の土日に、一泊二日で山ノ神と京都に行って桜を愛でてきました。この時期の京都はたいへんな混雑で、かなり前から宿をおさえなくてはなりません。いつ桜が満開になるかは予想が難しく、その時にうまく泊まれるかどうかは運と日ごろの行ない次第。せっかく行ったのに、つぼみ、五分咲き、葉桜など、これまでもけっこう外してしまいました。
 そこで今回は戦略を変えて、京都新聞の「桜だより」を日々チェックしながら、満開の時期がほぼ分かった時点で宿と新幹線指定席をおさえることにしました。どうやら3月31日(土)と4月1日(日)に満開になりそうだと判明したので、楽天トラベルでその日に泊まれるホテルを調べたところ、京都市内は高価なホテルしかありません。大津か高槻、草津や大坂あたりまで探索したところ、幸い大津でビジネスホテルをおさえることもできました。新幹線指定席も、満席間近でしたが、予約できました。やった。
 今回の主眼は三つ、大覚寺大沢池の桜、平安神宮神苑の紅枝垂れ桜、妙心寺退蔵院の枝垂れ桜です。これに山ノ神からは哲学の道に行きたいという要望があったので、これらを組み合わせて、臨機応変・適材適所に旅程を組みました。後日に旅行記は上梓するつもりですが、いやあ、素晴らしかった。この眼福の一端をお届けしたいと思います。

大覚寺
c0051620_811018.jpg

c0051620_812239.jpg

c0051620_813575.jpg

佐野藤右衛門邸
c0051620_815265.jpg

広沢池
c0051620_8283.jpg

大津駅前
c0051620_823366.jpg

インクライン
c0051620_824827.jpg

南禅寺
c0051620_83426.jpg

哲学の道
c0051620_83234.jpg

c0051620_833969.jpg

c0051620_835237.jpg

c0051620_84563.jpg

銀閣寺参道
c0051620_841667.jpg

平安神宮神苑
c0051620_843043.jpg

c0051620_844318.jpg

c0051620_84573.jpg

毘沙門堂
c0051620_851038.jpg

山科疎水
c0051620_852792.jpg

妙心寺退蔵院
c0051620_85409.jpg

c0051620_8557100.jpg

c0051620_86854.jpg

賀茂川
c0051620_86201.jpg

by sabasaba13 | 2018-04-03 08:06 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(東京編2)

 昨日は休暇がとれたので、山ノ神と都内の桜めぐりをしてきました。午後四時から、世田谷パブリックシアターで、仲代達矢主宰の無名塾による『肝っ玉おっ母と子供たち』を観劇する予定ですので、それを考慮して計画を立てました。まず鉄板名所である千鳥ヶ淵と新宿御苑を訪れ、雑司ヶ谷にある穴場、法明寺の桜を見て、目黒川沿いを散策して三軒茶屋に向かいましょう。ところが知人から、小石川植物園と播磨坂の桜が素晴らしく、「ソーニヤ」というロシア料理店が美味しいという情報を教示されたので予定を変更しました。

 当日は快晴、無風、温暖という絶好の花見日和。まずは朝早く千鳥ヶ淵へと向かいました。地下鉄九段下駅で降りて地上に出ると、おおっ牛ヶ淵の桜が見事に咲き誇っていました。
c0051620_7113816.jpg

 そして千鳥ヶ淵の桜を満喫。お濠にたわわと垂れ下がる桜花は見事なものでした。
c0051620_711529.jpg

c0051620_712420.jpg

c0051620_7121625.jpg

 地下鉄で茗荷谷駅に移動し、教えていただいた「ソーニヤ」でボルシチとピロシキに舌鼓を打ちました。
c0051620_7122662.jpg

 小石川植物園はさまざまな種類の桜がここを先途と咲き誇り、人手もそれほどではなく、心穏やかに花見を堪能。
c0051620_71308.jpg

c0051620_7131245.jpg

c0051620_7132480.jpg

 そして播磨坂の見事な桜並木を愛でながら茗荷谷駅へと戻りました。
c0051620_713343.jpg

 新大塚駅から歩いてJR大塚駅へと行き都電に乗って雑司ヶ谷へ。すこし歩いたところにある法明寺は穴場、境内を満開の桜が埋め尽くしていました。
c0051620_713473.jpg

c0051620_7135896.jpg

 そして池袋駅から渋谷へ、東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋へ。劇評については後日に上梓いたします。

 本日の一枚です。
c0051620_714926.jpg

by sabasaba13 | 2018-03-29 07:14 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(東京編)

 一昨日の日曜日、暖かい陽気とお天道様に誘われて、ブロンプトンにまたがってお花見に行ってきました。西武新宿線の野方駅までブロンプトンに乗って走り、折りたたんで列車に乗り込み、武蔵関駅で下車。知人から教えてもらった、武蔵野市役所近辺の桜並木をめざします。
 駅前に出て自転車を一分(!)で組み立てて走り出すと、このあたりは線路に沿って石神井川が流れていました。きっちりと護岸工事がされていて風情はないのですが、桜並木が続いておりほぼ満開に咲き誇っていました。電車と桜、水面に映る桜など、いろいろな楽しみ方ができます。
c0051620_18485154.jpg

c0051620_1849534.jpg

c0051620_18491883.jpg

 駅の西に、「三浦亭」という洋食屋を発見、さっそく店に入ってメンチカツのランチをいただきました。サクサクとした衣に肉汁あふれる牛肉、玄妙な味わいのソースに手の込んだつけあわせのサラダ、店主の誠実な人柄が料理として具現化したような逸品でした。家の近くにあれば日参したいようなお店です。ブンダバー。
c0051620_18493592.jpg

 そして武蔵野市役所へ、圧巻の桜並木に出会えました。凄い… 二車線道路の両側を埋め尽くす桜、桜、桜。道幅がそれほど広くないので、古木の枝が重なり合うように空を覆い、咲き誇る桜花で世界は桃色です。知名度が高くないのか、人手も多くなくゆったりと桜を愛でることができました。ただ苦言を呈するならば、せめて桜の時期だけでも、化石燃料を貪欲に喰らい、有害物質を吐き出し、騒音で静かな環境を破壊し、人様を死や怪我へと追いやる悪魔の機械、自動車を締め出して、人間がのんびりと歩きながら桜を愛でられるようにしていただきたいものです。最終的には街の中心部から自動車をなくし、徒歩と自転車とトラムが交通の軸となるような街だといいな。
c0051620_18501550.jpg

c0051620_18503086.jpg

 なお市役所の裏側、北側、南側にも桜並木が連なり、見事な景観でした。
c0051620_18504179.jpg

c0051620_18505623.jpg

 そしてブロンプトンにまたがり、一路目指すは井の頭公園です。携行した『文庫版 東京都市図』(昭文社)で確認したところ、それほど離れてはおらず、吉祥寺通りを20分ほど走ると着きました。残念ながら七分咲きでしたが、七井橋からの眺望はいいですね。広々とした池の水面に向かって垂れる桜の枝ぶりには見惚れました。ただ人手の多さには辟易しました。
c0051620_1851957.jpg

 そして北へ、富士街道を走って石神井公園へと向かいました。うーん、思ったほど桜は多くないですね。輝くような緑色の柳の新芽は綺麗でしたが。
c0051620_18514723.jpg

 西武池袋線中村橋駅と練馬駅間の千川通りにも、片側ですが見事な桜並木が続きます。
c0051620_18515888.jpg

 そして〆は、「としまえん」の前から続く石神井川の桜並木です。ここの桜並木は圧巻、川面にふりそそぎ流れ落ちるような桜花に心はうちふるえます。惜しむらくは、無粋に切り立つコンクリートの護岸、風情を木っ端微塵に砕きますが、ま、このおかげで洪水がなくなったそうなのでいたし方ないでしょう。個人的には、目黒川を凌駕し、東京で五本指にはいる桜だと確信します。
c0051620_18521121.jpg


 というわけで、うららかな春の日の桜めぐり、A day in the lifeを堪能しました。結局、かかった費用は、野方→武蔵関の電車賃、昼食代、ペットボトルの水代だけ。環境を壊さず、お金もかからず、健康にも良く、しかも桜の美しさを楽しめた素晴らしい一日でした。

 本日の一枚です。
c0051620_18522451.jpg

by sabasaba13 | 2018-03-27 06:26 | 鶏肋 | Comments(0)

南方熊楠展 2

c0051620_1718741.jpg そして国立科学博物館へ、いやあ何十年ぶりでしょう。幸いというか、不幸にしてというか、行列はできておりませんでした。入場料を支払い、日本館一階の企画展示室へ。
まずは展覧会のコンセプトを紹介しましょう。
南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-
 南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした「情報提供者」として評価されるようになってきました。本展覧会では、熊楠の活動のキーアイテムである日記・書簡・抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)・菌類図譜を展示。"熊楠の頭の中をのぞく旅"に誘います。同時開催企画展「地衣類―藻類と共生した菌類たち―」も是非ご覧ください。
 それではじっくりと拝見しましょう。なお嬉しいことに展示物の写真撮影は可能、そして展示物や解説をまとめた冊子をいただけました。ブンダバー、公立の博物館はこうでなくてはいけません。武器や原発に湯水のように金を投じるよりは、博物館・美術館といった文化的施設に潤沢な予算を配した方が、世の為人の為になるのにね。でも絶対にそんなことはしないであろう政府を多くの人たちが支持しているのだから仕方ありません。熊楠さんが見たら何と言うでしょうか。
 展示は六部構成となっていました。まず「1 熊楠の智の生涯」、幼いころから天才的な記憶力を発揮し、博物学や語学に優れていたという熊楠の生涯を概観します。幼いころから、和漢の百科事典や本草学書の筆写に精を出しており、中でも『和漢三才図絵』に出会って知識を集めることに大きな喜びを見出したそうです。実は、今読んでいる『歴史の話 日本史を問いなおす』(網野善彦・鶴見俊輔 朝日文庫)の中に、偶然ですがその話が紹介されていました。
 『和漢三才図絵』 寺島良安編著。江戸時代に刊行された、和漢古今にわたる事物を人物・器具・動植物などに分類した図説百科事典。南方熊楠が少年時代に三年かけて、これを筆写した話がある。(p.197)
 東京帝国大学予備門に入学するも落第、しかし博物学への憧れを捨てきれずに、アメリカへ渡って標本採集に熱中しました。25歳の時にイギリスに渡り、大英博物館図書室に籠って膨大な書物を読みあさり、民俗学や自然科学などの知識を収集していきます。雑誌『ネイチャー』などに投稿し始めたのもこの頃からですね。また亡命中の孫文とも交友関係をもちます。父の死を機に帰国、那智そして紀伊田辺に暮らしながら隠花植物の採集や論文執筆に明け暮れました。なお田辺時代に闘鶏神社宮司の娘・松枝と結婚、これ以後、充実した生活を送れるようになりました。昭和天皇への御進講の際に、キャラメルの大箱に入れた標本を献上したというエピソードはこの時代です。その同型の箱が展示されていました。また神社合祀反対運動に尽力したのもこの頃でした。そして盟友たちの他界に気落ちしつつ、1941年12月29日に彼も鬼籍の人となりました。享年70歳。
 彼の写真や手紙、大英博物館入館許可書など興味深い展示でしたが、何と言っても圧巻は「抜書」です。彼は、ロンドン在住時代と田辺在住時代に、様々な文献や聞いた話などを自分のノートに抜き書きしたものです。紙面を埋め尽くす文字、中には罫線に二行書き込んだもの、罫線を上へ下へ文字が溢れだしたものもありました。知識に対する熊楠の執念と愛を、ひしひしと感じさせてくれました。
 「2 一切智を求めて」では、絵具・描画道具入り採集箱や微細藻類プレパラート入れなど、熊楠使用のフィールドワークの道具類が展示されていました。
 「3 智の広がり」では、熊楠が収集し"隠花植物"(菌類・地衣類・大型藻類・微細藻類)を、熊楠の標本と現在の標本を対比しながら紹介しています。
 「4 智の集積-菌類図譜-」では、多数の菌類を集め、描写・記載した「菌類図譜」と、最近新しく発見された「菌類図譜・第二集」を、合わせてバーチャル展示していました。
 「5 智の展開-神社合祀と南方二書-」では、神社合祀に反対し、自然保護を訴える「南方二書」を紹介しています。そもそも神社合祀とは何か、解説文より転記します。
 明治政府は、1906年、神社合祀に関する2つの勅令を発布します。これは、町村合併に伴って複数の神社を一町村で一つに統合し、廃止された神社の土地を民間に払い下げるというものです。実は、払い下げられた土地の森林資源を売却し日露戦争(1904~1905年)の戦費の借金を返納するという経済的な目的がありました。貴重な生物をはぐくんだ鎮守の森が消えてしまう…。熊楠は、各界の有識者に支援を求め、反対運動を展開していきます。
 天皇や神々の権威を隠れ蓑にして臣民を支配しておきながら、国益のためにはその神々を弊履の如く打ち捨てる官僚たちの酷薄さと下劣さがよくわかります。熊楠は、東京帝国大学教授の松村任三に宛てた二通の手紙で神社合祀反対を訴え、これが柳田國男によって出版され、「南方二書」として世に知られることになりました。その重要な手紙の原本が展示されていました。
 解説文に「植物の全滅は狭い範囲から一斉に起こり、どんなに後でも回復しないことを自分は見てきたのだ」という彼の言葉が紹介されていましたが、長いフィールドワークの経験から、自然破壊の不可逆性についてよくわかっていたのですね。
 「6 智の構造を探る」では、代表作「十二支考・虎」のメモ書き(腹稿)から、熊楠の頭の中で、情報をまとめていく過程に迫ります。
最後に、最近発見されたという、熊楠を映した数十秒の映像が流されていました。残念ながら音声はなかったのですが、動いている南方熊楠を見られて感無量です。

 というわけで、小振りながらも充実した展示でした。会場で放映されていた、展示企画者・安田忠典氏(関西大学人間健康学部准教授)の言葉が心に残ります。
 熊楠は、キノコでも粘菌でもわらしべ長者の説話でも、とにかくたくさん集めようとしました。集めた資料を分析するよりも「どうだ、こんなに集めたんだ、凄いだろう」と無邪気に自慢します。楽しいですね。本来、学問には楽しさや喜びが伴うもので、熊楠の仕事を狭い意味での研究業績から評価するだけでは不十分なのかもしれません。また、資料についての価値判断を読み手にゆだね、できるだけたくさん紹介しようとするやり方は、現代のネット上での情報検索に近いといえるのではないでしょうか。
 なるほど、「喜ばしき学問」か。熊楠に惹かれる理由のひとつが、わかったような気がします。またできるだけたくさんの資料を集めて、後学の徒に益しようという姿勢は、わが敬愛する渋澤敬三にも通じるものがあります。『歴史の話 日本史を問いなおす』(網野善彦・鶴見俊輔 朝日文庫)から網野善彦氏の話を引用します。
 その点、渋澤(※敬三)さんは偉い人で、自分は学者ではないので-本当は大変な学者ですが-、後世の学者がどういう関心を持つかわからないから、自分は史料を選択しない、史料をできるだけ完全な形で漏れなくすべてを提供する、これが自分の生涯の仕事だ、ということを繰り返し言っています。実際に渋澤さんの主宰した日本常民文化研究所が長年やってきた仕事、刊行物は、基本的にすべてそういうものになっているんです。(p.143)
 さて、せっかく久しぶりに科博に来たのですから、少し徘徊しましょう。リニューアルされたため、以前に比べて展示がたいへん見やすく、分かりやすくなっています。昔のおどろおどろしい雰囲気も悪くはなかったのですが。学芸員さんの解説に熱心に耳を傾ける子どもたちの姿が印象的でした。そうそうこの建物、現日本館、旧本館は重要文化財なのですね。解説板があったので転記しておきます。
 日本館建物は、関東大震災による震災復旧を目的として昭和6年(1931)に完成した。ネオ・ルネサンス調の建物は、文部省大臣官房建築課の設計による。鉄骨鉄筋コンクリートで建設されるなど耐震・耐火構造にも注意が払われた。中央ホール上部などに使われているステンドグラスは小川三知のアトリエ製作で、日本のステンドグラス作品の中でも傑作といえる。また、建物の内外に使われている装飾性の高い飾りなども、戦後の建物には無くこの建物のみどころである。
 上から見ると、そのころの最先端の科学技術の象徴だった飛行機の形をしている。
 へー、このステンドグラスは小川三知の作品だったのか、おみそれしました。
 昼食は、上野駅貴賓室を利用したレストラン、「ブラッスリー・レカン」でいただきました。うーむ、値段の割には味はいま一つだったかな。せっかくここまで来たのだから、すこし歩いて「うさぎや」のどら焼きを購入。なんとも幸せな日曜日でした。

 本日の三枚です。
c0051620_17222898.jpg

c0051620_17224062.jpg

c0051620_17225536.jpg

by sabasaba13 | 2018-02-25 07:56 | 鶏肋 | Comments(0)

南方熊楠展 1

 東京上野にある国立科学博物館で、南方熊楠生誕150周年記念企画展、「南方熊楠 100年早かった智の人」が開かれているというビッグ・ニュースが耳に入りました。こりゃあ女房をし…もとい、山ノ神を誘って是が非でも見にいかなければ。

 まずは岩波日本史辞典から彼についての記述を引用します。
 南方熊楠。1867‐1941(慶応3.4.15‐昭和16.12.29) 植物学者、民俗学者。和歌山市生れ。1886年大学予備門を中退して渡米、中南米を放浪し、動植物の観察収集に努めた。92年イギリスに渡り、学界で認められ、大英博物館東洋調査部に入る。1900年帰国、和歌山県田辺町に定住し、県下一帯の隠花・顕花植物の採集とその分類整理に没頭した。人間と自然との共生の立場から明治政府がすすめた神社合祀に反対し、また民俗学の分野でも独自の方法論による地球的規模での民俗の比較を試みた。
 そう、国家という檻に縛られず、世界と地域を自由自在に行き来して、人間と自然を考究する、そのスケールの大きさに魅せられます。

 彼の言葉をすこし紹介しましょう。まずは『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)です。
 この人(※熊楠の友人)の言に、日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣ると、これは強語のごときが実に真実語に候。けだしかかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに今のはこれをもって、卒業また糊口の方便とせんとのみ心がけるゆえ、おちついて実地を観察することに力めず、ただただ洋書を翻訳して聞きかじり学問に誇るのみなり。それでは、何たる創見も実用も挙がらぬはずなり。(p.35)

 小生のごときつまらぬものの履歴書は、また他のいわゆる正則に(正則とは何の変ったことなき平凡極まるということ)博士号などとりし人々のものとかわり、なかなか面黒きことなども散在することと存じ申し候。これは深窓に育ったお嬢さんなどは木や泥で作った人形同然美しいばかりで何の面白みもなきが、茶屋女や旅宿の仲居、お三どんの横扁たきやつには、種々雑多の腰の使い分けなど千万無量に面白くおかしきことがあると一般なるべしと候。(p.38)
 次に『一日一言』(桑原武夫 岩波新書)からの""です。
 かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や図書館あって、地方には何にもなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行わるるを見、大いにこれを忌む。(「土宜法竜への手紙」 p.215)
 そして白川郷の看板に掲げられていた言葉です。
 すぐに儲けにならないものの中には、貴重なものがいっぱいあるのだ。生命の世界もそう、それに景色だってそうだ。なんの儲けになるかと思っているかもしれないが、それがいまにいちばんの貴重品になる時代がやってくる。景色を護らなくっちゃいけない。その景色の中に生きている、生命の世界を金儲けの魔力から護らなくてはいけない。
 「知」に対する無垢な愛情、国家権力や金儲けの魔力への批判と抵抗、地域への眼差し、そして人間を含めた全ての命への敬意。ほんとうにスケールの大きい人物です。
 それに加えて、常識や慣習に縛られない言行も好きです。読んでいて思わず微苦笑してしまった文章を『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)から紹介します。
 予が現住宅地に大きな樟の樹あり。その下が快晴にも薄暗いばかり枝葉繁茂し居り、炎天にも熱からず、屋根も大風に損せず、急雨の節書斎から本宅へ走り赴くと掩護するその功抜群だ。日傘雨傘足駄全く無用で、衣類もというところだが、予は年中多く裸か暮しゆえ皮膚も沾(ぬ)れず、こんな貧人に都合のよいことは又とないから、樹が盛えるよう朝夕なるべく根本に小便を垂れてお礼を申し居る。(p.108)

 …女は年をとるほど、また場数を経る広くなる。西洋人などはことに広くなり吾輩のなんかを持って行くと、九段招魂社の大鳥居のあいだでステッキ一本持ってふりまわすような、何の手ごたえもなきようなのが多い。ゆえに洋人は一たび子を生むと、はや前からするも奥は味を覚えず、かならず後ろから取ること多し。これをラテン語でVenus aversaと申すなり。(支那では、隔山取火という)。されど子を生めば生むほど雑具が多くなり、あたかも烏賊が鰯をからみとり、章魚が梃に吸いつくように撫でまわす等の妙味あり。夢中になってうなりだすゆえ盗賊の禦ぎにもなる理屈なり。(p.68)
 もう、熊楠さんたら。

 彼の後塵を拝するために、ゆかりの地をいくつか訪れたこともいい思い出です。紀伊田辺の旧居と闘鶏神社、彼のお墓がある高山寺野中の一方杉、彼が三年間滞在した大阪屋旅館跡、紀伊白浜にある南方熊楠記念館などなど、よろしければ拙ブログをご笑覧ください。
 なお、彼の伝記である『縛られた巨人-南方熊楠の生涯』(神坂次郎 新潮文庫)もお薦めです。

 というわけで前口上が長くなりましたが、睦月某日、山ノ神と一緒に上野に行きました。JR上野駅公園口から出ると、たくさんの方々が足早に歩いておられます。すわ、熊楠展へ向かう人の群れか、だとしたら行列は必至です。でも知的好奇心にあふれた方々がこれほどいるのなら日本は安泰…と思ったら、パンダのシャンシャンを見るために動物園へ向かう人たちでした。無念。
 先日、『ロダン』という素晴らしい映画を見たので、敬意を表してル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館の前庭に立ち寄りました。「地獄の門」「アダム」「イブ」「カレーの市民」「考える人」といったロダンの彫刻群が野外展示されており、しかもここまではロハで入れます。その圧倒的な表現力をもつ作品を見詰めていると、山ノ神曰く、幼い頃に両親に連れられて「地獄の門」を見た時に、その恐ろしさのあまり泣き出したそうです。今でもそうですが、感受性が強かったのですね。私は「この門、開けられるのかな」と思っただけでした。余談ですが、愛煙家の方に朗報、「地獄の門」のすぐ隣に喫煙コーナーがありました。ロダンの作品を見ながら紫煙をくゆらす、絶滅危惧種の末席を汚す一人としてはほんとうに嬉しい場所です。

 本日の五枚です。
c0051620_15514046.jpg

c0051620_15515696.jpg

c0051620_1552975.jpg

c0051620_15522734.jpg

c0051620_15524245.jpg

by sabasaba13 | 2018-02-24 06:30 | 鶏肋 | Comments(0)

城ヶ島

 それでは城ヶ島へと参りましょう。食堂の近くに、おこぼれにあずかれなかったのでしょうか、ぶーたれた顔のが二匹いました。まあそういらつくな、ブラザー、写真を撮ってあげるから。三崎東岡行きのバスに乗ってしばらくすると、三浦大根畑越しにみごとな富士が見えました。三浦半島南端あたりでも見事に見えるのですね、畏るべし富嶽。城ヶ島へのアクセスを運転手さんに訊くと、「城ヶ島大橋」でおりて乗り換えればいいとのことです。バス停「城ヶ島大橋」で下車しましたが、バスの本数は多くはなさそうなので歩いていくことにしました。何気なく後ろを振り返ると…城ヶ島行きのバスが来るではありませんか。こいつは冬から縁起がいいわいpart4。手を挙げてバスを停めて乗り込みました。終着の停留所でおりましたが、けっこう距離があったのでバスに乗れて幸運でした。
 小高いところにある城ヶ島灯台に行こうとすると、階段のところで猫が腕枕をして寝ています。灯台を撮影して海の方へおりると、そこは波が砕ける岩場、そして海のかなたに雪を戴く富士山がくっきりと見える素晴らしいロケーションでした。しばし岩に腰を下ろして、富嶽をぼんやりと眺めました。
 さてそれでは葉山に行きましょう。お土産屋のショーウィンドウの中でうたた寝をする猫を撮影。そしてバスに乗って三崎口駅へと向かいます。三崎のあたりはたいへんな賑わいでしたが、まぐろ祭がひらかれているようです。花より団子、マグロよりサバ。三崎口駅から京急に乗って金沢八景で乗り換えて新逗子駅に着きました。申し遅れましたが、「三浦半島1DAYきっぷ」を1410円で購入していたので、京急電鉄・京急バスは乗り放題。たいへんお得でした。

 本日の六枚です。
c0051620_631770.jpg

c0051620_6313246.jpg

c0051620_6315664.jpg

c0051620_6322329.jpg

c0051620_6324429.jpg

c0051620_6332457.jpg

by sabasaba13 | 2018-01-20 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)