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2018桜便り(小田原・大平台編)

 関東の桜もそもそも見納めでしょうか。山ノ神と一緒に小田原と箱根の桜を愛でてきました。

 まずは小田原、駅構内にある観光案内所で地図をもらい、桜情報を教えてもらうと、西海子(さいかち)小路に桜並木があるということでした。駅近くで自転車を借りて小田原城へ、そろそろ散りはじめていましたが、お堀には桜の並木が咲き誇っていました。
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 そして西海子小路へ、こちらは初めて訪れましたが、空を覆うような桜のトンネルに感嘆。
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 昼食はわれわれ御用達の洋食屋、小田原駅近くにある「葉椰子」でマグロの尾の身ステーキに舌鼓を打ちました。
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箱根湯本へ移動して箱根登山鉄道に乗って大平台へ、ここは知る人ぞ知る知らない人は知らない桜の穴場です。ソメイヨシノは散りはじめていましたが、紅枝垂れ桜が満開、町のあちこちを桃色に染め上げていました。眼福眼福。
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by sabasaba13 | 2018-04-05 06:56 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(京都編)

 この前の土日に、一泊二日で山ノ神と京都に行って桜を愛でてきました。この時期の京都はたいへんな混雑で、かなり前から宿をおさえなくてはなりません。いつ桜が満開になるかは予想が難しく、その時にうまく泊まれるかどうかは運と日ごろの行ない次第。せっかく行ったのに、つぼみ、五分咲き、葉桜など、これまでもけっこう外してしまいました。
 そこで今回は戦略を変えて、京都新聞の「桜だより」を日々チェックしながら、満開の時期がほぼ分かった時点で宿と新幹線指定席をおさえることにしました。どうやら3月31日(土)と4月1日(日)に満開になりそうだと判明したので、楽天トラベルでその日に泊まれるホテルを調べたところ、京都市内は高価なホテルしかありません。大津か高槻、草津や大坂あたりまで探索したところ、幸い大津でビジネスホテルをおさえることもできました。新幹線指定席も、満席間近でしたが、予約できました。やった。
 今回の主眼は三つ、大覚寺大沢池の桜、平安神宮神苑の紅枝垂れ桜、妙心寺退蔵院の枝垂れ桜です。これに山ノ神からは哲学の道に行きたいという要望があったので、これらを組み合わせて、臨機応変・適材適所に旅程を組みました。後日に旅行記は上梓するつもりですが、いやあ、素晴らしかった。この眼福の一端をお届けしたいと思います。

大覚寺
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佐野藤右衛門邸
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広沢池
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大津駅前
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インクライン
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南禅寺
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哲学の道
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銀閣寺参道
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平安神宮神苑
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毘沙門堂
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山科疎水
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妙心寺退蔵院
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賀茂川
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by sabasaba13 | 2018-04-03 08:06 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(東京編2)

 昨日は休暇がとれたので、山ノ神と都内の桜めぐりをしてきました。午後四時から、世田谷パブリックシアターで、仲代達矢主宰の無名塾による『肝っ玉おっ母と子供たち』を観劇する予定ですので、それを考慮して計画を立てました。まず鉄板名所である千鳥ヶ淵と新宿御苑を訪れ、雑司ヶ谷にある穴場、法明寺の桜を見て、目黒川沿いを散策して三軒茶屋に向かいましょう。ところが知人から、小石川植物園と播磨坂の桜が素晴らしく、「ソーニヤ」というロシア料理店が美味しいという情報を教示されたので予定を変更しました。

 当日は快晴、無風、温暖という絶好の花見日和。まずは朝早く千鳥ヶ淵へと向かいました。地下鉄九段下駅で降りて地上に出ると、おおっ牛ヶ淵の桜が見事に咲き誇っていました。
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 そして千鳥ヶ淵の桜を満喫。お濠にたわわと垂れ下がる桜花は見事なものでした。
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 地下鉄で茗荷谷駅に移動し、教えていただいた「ソーニヤ」でボルシチとピロシキに舌鼓を打ちました。
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 小石川植物園はさまざまな種類の桜がここを先途と咲き誇り、人手もそれほどではなく、心穏やかに花見を堪能。
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 そして播磨坂の見事な桜並木を愛でながら茗荷谷駅へと戻りました。
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 新大塚駅から歩いてJR大塚駅へと行き都電に乗って雑司ヶ谷へ。すこし歩いたところにある法明寺は穴場、境内を満開の桜が埋め尽くしていました。
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 そして池袋駅から渋谷へ、東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋へ。劇評については後日に上梓いたします。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-29 07:14 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(東京編)

 一昨日の日曜日、暖かい陽気とお天道様に誘われて、ブロンプトンにまたがってお花見に行ってきました。西武新宿線の野方駅までブロンプトンに乗って走り、折りたたんで列車に乗り込み、武蔵関駅で下車。知人から教えてもらった、武蔵野市役所近辺の桜並木をめざします。
 駅前に出て自転車を一分(!)で組み立てて走り出すと、このあたりは線路に沿って石神井川が流れていました。きっちりと護岸工事がされていて風情はないのですが、桜並木が続いておりほぼ満開に咲き誇っていました。電車と桜、水面に映る桜など、いろいろな楽しみ方ができます。
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 駅の西に、「三浦亭」という洋食屋を発見、さっそく店に入ってメンチカツのランチをいただきました。サクサクとした衣に肉汁あふれる牛肉、玄妙な味わいのソースに手の込んだつけあわせのサラダ、店主の誠実な人柄が料理として具現化したような逸品でした。家の近くにあれば日参したいようなお店です。ブンダバー。
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 そして武蔵野市役所へ、圧巻の桜並木に出会えました。凄い… 二車線道路の両側を埋め尽くす桜、桜、桜。道幅がそれほど広くないので、古木の枝が重なり合うように空を覆い、咲き誇る桜花で世界は桃色です。知名度が高くないのか、人手も多くなくゆったりと桜を愛でることができました。ただ苦言を呈するならば、せめて桜の時期だけでも、化石燃料を貪欲に喰らい、有害物質を吐き出し、騒音で静かな環境を破壊し、人様を死や怪我へと追いやる悪魔の機械、自動車を締め出して、人間がのんびりと歩きながら桜を愛でられるようにしていただきたいものです。最終的には街の中心部から自動車をなくし、徒歩と自転車とトラムが交通の軸となるような街だといいな。
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 なお市役所の裏側、北側、南側にも桜並木が連なり、見事な景観でした。
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 そしてブロンプトンにまたがり、一路目指すは井の頭公園です。携行した『文庫版 東京都市図』(昭文社)で確認したところ、それほど離れてはおらず、吉祥寺通りを20分ほど走ると着きました。残念ながら七分咲きでしたが、七井橋からの眺望はいいですね。広々とした池の水面に向かって垂れる桜の枝ぶりには見惚れました。ただ人手の多さには辟易しました。
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 そして北へ、富士街道を走って石神井公園へと向かいました。うーん、思ったほど桜は多くないですね。輝くような緑色の柳の新芽は綺麗でしたが。
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 西武池袋線中村橋駅と練馬駅間の千川通りにも、片側ですが見事な桜並木が続きます。
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 そして〆は、「としまえん」の前から続く石神井川の桜並木です。ここの桜並木は圧巻、川面にふりそそぎ流れ落ちるような桜花に心はうちふるえます。惜しむらくは、無粋に切り立つコンクリートの護岸、風情を木っ端微塵に砕きますが、ま、このおかげで洪水がなくなったそうなのでいたし方ないでしょう。個人的には、目黒川を凌駕し、東京で五本指にはいる桜だと確信します。
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 というわけで、うららかな春の日の桜めぐり、A day in the lifeを堪能しました。結局、かかった費用は、野方→武蔵関の電車賃、昼食代、ペットボトルの水代だけ。環境を壊さず、お金もかからず、健康にも良く、しかも桜の美しさを楽しめた素晴らしい一日でした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-27 06:26 | 鶏肋 | Comments(0)

南方熊楠展 2

c0051620_1718741.jpg そして国立科学博物館へ、いやあ何十年ぶりでしょう。幸いというか、不幸にしてというか、行列はできておりませんでした。入場料を支払い、日本館一階の企画展示室へ。
まずは展覧会のコンセプトを紹介しましょう。
南方熊楠生誕150周年記念企画展 南方熊楠-100年早かった智の人-
 南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした「情報提供者」として評価されるようになってきました。本展覧会では、熊楠の活動のキーアイテムである日記・書簡・抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)・菌類図譜を展示。"熊楠の頭の中をのぞく旅"に誘います。同時開催企画展「地衣類―藻類と共生した菌類たち―」も是非ご覧ください。
 それではじっくりと拝見しましょう。なお嬉しいことに展示物の写真撮影は可能、そして展示物や解説をまとめた冊子をいただけました。ブンダバー、公立の博物館はこうでなくてはいけません。武器や原発に湯水のように金を投じるよりは、博物館・美術館といった文化的施設に潤沢な予算を配した方が、世の為人の為になるのにね。でも絶対にそんなことはしないであろう政府を多くの人たちが支持しているのだから仕方ありません。熊楠さんが見たら何と言うでしょうか。
 展示は六部構成となっていました。まず「1 熊楠の智の生涯」、幼いころから天才的な記憶力を発揮し、博物学や語学に優れていたという熊楠の生涯を概観します。幼いころから、和漢の百科事典や本草学書の筆写に精を出しており、中でも『和漢三才図絵』に出会って知識を集めることに大きな喜びを見出したそうです。実は、今読んでいる『歴史の話 日本史を問いなおす』(網野善彦・鶴見俊輔 朝日文庫)の中に、偶然ですがその話が紹介されていました。
 『和漢三才図絵』 寺島良安編著。江戸時代に刊行された、和漢古今にわたる事物を人物・器具・動植物などに分類した図説百科事典。南方熊楠が少年時代に三年かけて、これを筆写した話がある。(p.197)
 東京帝国大学予備門に入学するも落第、しかし博物学への憧れを捨てきれずに、アメリカへ渡って標本採集に熱中しました。25歳の時にイギリスに渡り、大英博物館図書室に籠って膨大な書物を読みあさり、民俗学や自然科学などの知識を収集していきます。雑誌『ネイチャー』などに投稿し始めたのもこの頃からですね。また亡命中の孫文とも交友関係をもちます。父の死を機に帰国、那智そして紀伊田辺に暮らしながら隠花植物の採集や論文執筆に明け暮れました。なお田辺時代に闘鶏神社宮司の娘・松枝と結婚、これ以後、充実した生活を送れるようになりました。昭和天皇への御進講の際に、キャラメルの大箱に入れた標本を献上したというエピソードはこの時代です。その同型の箱が展示されていました。また神社合祀反対運動に尽力したのもこの頃でした。そして盟友たちの他界に気落ちしつつ、1941年12月29日に彼も鬼籍の人となりました。享年70歳。
 彼の写真や手紙、大英博物館入館許可書など興味深い展示でしたが、何と言っても圧巻は「抜書」です。彼は、ロンドン在住時代と田辺在住時代に、様々な文献や聞いた話などを自分のノートに抜き書きしたものです。紙面を埋め尽くす文字、中には罫線に二行書き込んだもの、罫線を上へ下へ文字が溢れだしたものもありました。知識に対する熊楠の執念と愛を、ひしひしと感じさせてくれました。
 「2 一切智を求めて」では、絵具・描画道具入り採集箱や微細藻類プレパラート入れなど、熊楠使用のフィールドワークの道具類が展示されていました。
 「3 智の広がり」では、熊楠が収集し"隠花植物"(菌類・地衣類・大型藻類・微細藻類)を、熊楠の標本と現在の標本を対比しながら紹介しています。
 「4 智の集積-菌類図譜-」では、多数の菌類を集め、描写・記載した「菌類図譜」と、最近新しく発見された「菌類図譜・第二集」を、合わせてバーチャル展示していました。
 「5 智の展開-神社合祀と南方二書-」では、神社合祀に反対し、自然保護を訴える「南方二書」を紹介しています。そもそも神社合祀とは何か、解説文より転記します。
 明治政府は、1906年、神社合祀に関する2つの勅令を発布します。これは、町村合併に伴って複数の神社を一町村で一つに統合し、廃止された神社の土地を民間に払い下げるというものです。実は、払い下げられた土地の森林資源を売却し日露戦争(1904~1905年)の戦費の借金を返納するという経済的な目的がありました。貴重な生物をはぐくんだ鎮守の森が消えてしまう…。熊楠は、各界の有識者に支援を求め、反対運動を展開していきます。
 天皇や神々の権威を隠れ蓑にして臣民を支配しておきながら、国益のためにはその神々を弊履の如く打ち捨てる官僚たちの酷薄さと下劣さがよくわかります。熊楠は、東京帝国大学教授の松村任三に宛てた二通の手紙で神社合祀反対を訴え、これが柳田國男によって出版され、「南方二書」として世に知られることになりました。その重要な手紙の原本が展示されていました。
 解説文に「植物の全滅は狭い範囲から一斉に起こり、どんなに後でも回復しないことを自分は見てきたのだ」という彼の言葉が紹介されていましたが、長いフィールドワークの経験から、自然破壊の不可逆性についてよくわかっていたのですね。
 「6 智の構造を探る」では、代表作「十二支考・虎」のメモ書き(腹稿)から、熊楠の頭の中で、情報をまとめていく過程に迫ります。
最後に、最近発見されたという、熊楠を映した数十秒の映像が流されていました。残念ながら音声はなかったのですが、動いている南方熊楠を見られて感無量です。

 というわけで、小振りながらも充実した展示でした。会場で放映されていた、展示企画者・安田忠典氏(関西大学人間健康学部准教授)の言葉が心に残ります。
 熊楠は、キノコでも粘菌でもわらしべ長者の説話でも、とにかくたくさん集めようとしました。集めた資料を分析するよりも「どうだ、こんなに集めたんだ、凄いだろう」と無邪気に自慢します。楽しいですね。本来、学問には楽しさや喜びが伴うもので、熊楠の仕事を狭い意味での研究業績から評価するだけでは不十分なのかもしれません。また、資料についての価値判断を読み手にゆだね、できるだけたくさん紹介しようとするやり方は、現代のネット上での情報検索に近いといえるのではないでしょうか。
 なるほど、「喜ばしき学問」か。熊楠に惹かれる理由のひとつが、わかったような気がします。またできるだけたくさんの資料を集めて、後学の徒に益しようという姿勢は、わが敬愛する渋澤敬三にも通じるものがあります。『歴史の話 日本史を問いなおす』(網野善彦・鶴見俊輔 朝日文庫)から網野善彦氏の話を引用します。
 その点、渋澤(※敬三)さんは偉い人で、自分は学者ではないので-本当は大変な学者ですが-、後世の学者がどういう関心を持つかわからないから、自分は史料を選択しない、史料をできるだけ完全な形で漏れなくすべてを提供する、これが自分の生涯の仕事だ、ということを繰り返し言っています。実際に渋澤さんの主宰した日本常民文化研究所が長年やってきた仕事、刊行物は、基本的にすべてそういうものになっているんです。(p.143)
 さて、せっかく久しぶりに科博に来たのですから、少し徘徊しましょう。リニューアルされたため、以前に比べて展示がたいへん見やすく、分かりやすくなっています。昔のおどろおどろしい雰囲気も悪くはなかったのですが。学芸員さんの解説に熱心に耳を傾ける子どもたちの姿が印象的でした。そうそうこの建物、現日本館、旧本館は重要文化財なのですね。解説板があったので転記しておきます。
 日本館建物は、関東大震災による震災復旧を目的として昭和6年(1931)に完成した。ネオ・ルネサンス調の建物は、文部省大臣官房建築課の設計による。鉄骨鉄筋コンクリートで建設されるなど耐震・耐火構造にも注意が払われた。中央ホール上部などに使われているステンドグラスは小川三知のアトリエ製作で、日本のステンドグラス作品の中でも傑作といえる。また、建物の内外に使われている装飾性の高い飾りなども、戦後の建物には無くこの建物のみどころである。
 上から見ると、そのころの最先端の科学技術の象徴だった飛行機の形をしている。
 へー、このステンドグラスは小川三知の作品だったのか、おみそれしました。
 昼食は、上野駅貴賓室を利用したレストラン、「ブラッスリー・レカン」でいただきました。うーむ、値段の割には味はいま一つだったかな。せっかくここまで来たのだから、すこし歩いて「うさぎや」のどら焼きを購入。なんとも幸せな日曜日でした。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-25 07:56 | 鶏肋 | Comments(0)

南方熊楠展 1

 東京上野にある国立科学博物館で、南方熊楠生誕150周年記念企画展、「南方熊楠 100年早かった智の人」が開かれているというビッグ・ニュースが耳に入りました。こりゃあ女房をし…もとい、山ノ神を誘って是が非でも見にいかなければ。

 まずは岩波日本史辞典から彼についての記述を引用します。
 南方熊楠。1867‐1941(慶応3.4.15‐昭和16.12.29) 植物学者、民俗学者。和歌山市生れ。1886年大学予備門を中退して渡米、中南米を放浪し、動植物の観察収集に努めた。92年イギリスに渡り、学界で認められ、大英博物館東洋調査部に入る。1900年帰国、和歌山県田辺町に定住し、県下一帯の隠花・顕花植物の採集とその分類整理に没頭した。人間と自然との共生の立場から明治政府がすすめた神社合祀に反対し、また民俗学の分野でも独自の方法論による地球的規模での民俗の比較を試みた。
 そう、国家という檻に縛られず、世界と地域を自由自在に行き来して、人間と自然を考究する、そのスケールの大きさに魅せられます。

 彼の言葉をすこし紹介しましょう。まずは『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)です。
 この人(※熊楠の友人)の言に、日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣ると、これは強語のごときが実に真実語に候。けだしかかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに今のはこれをもって、卒業また糊口の方便とせんとのみ心がけるゆえ、おちついて実地を観察することに力めず、ただただ洋書を翻訳して聞きかじり学問に誇るのみなり。それでは、何たる創見も実用も挙がらぬはずなり。(p.35)

 小生のごときつまらぬものの履歴書は、また他のいわゆる正則に(正則とは何の変ったことなき平凡極まるということ)博士号などとりし人々のものとかわり、なかなか面黒きことなども散在することと存じ申し候。これは深窓に育ったお嬢さんなどは木や泥で作った人形同然美しいばかりで何の面白みもなきが、茶屋女や旅宿の仲居、お三どんの横扁たきやつには、種々雑多の腰の使い分けなど千万無量に面白くおかしきことがあると一般なるべしと候。(p.38)
 次に『一日一言』(桑原武夫 岩波新書)からの""です。
 かつ小生、従来、一にも二にも官とか政府とかいうて、万事官もたれで、東京のみに書庫や図書館あって、地方には何にもなきのみならず、中央に集権して田舎ものをおどかさんと、万事、田舎を枯らし、市都を肥やす風、学問にまで行わるるを見、大いにこれを忌む。(「土宜法竜への手紙」 p.215)
 そして白川郷の看板に掲げられていた言葉です。
 すぐに儲けにならないものの中には、貴重なものがいっぱいあるのだ。生命の世界もそう、それに景色だってそうだ。なんの儲けになるかと思っているかもしれないが、それがいまにいちばんの貴重品になる時代がやってくる。景色を護らなくっちゃいけない。その景色の中に生きている、生命の世界を金儲けの魔力から護らなくてはいけない。
 「知」に対する無垢な愛情、国家権力や金儲けの魔力への批判と抵抗、地域への眼差し、そして人間を含めた全ての命への敬意。ほんとうにスケールの大きい人物です。
 それに加えて、常識や慣習に縛られない言行も好きです。読んでいて思わず微苦笑してしまった文章を『南方熊楠随筆集』(ちくま学芸文庫)から紹介します。
 予が現住宅地に大きな樟の樹あり。その下が快晴にも薄暗いばかり枝葉繁茂し居り、炎天にも熱からず、屋根も大風に損せず、急雨の節書斎から本宅へ走り赴くと掩護するその功抜群だ。日傘雨傘足駄全く無用で、衣類もというところだが、予は年中多く裸か暮しゆえ皮膚も沾(ぬ)れず、こんな貧人に都合のよいことは又とないから、樹が盛えるよう朝夕なるべく根本に小便を垂れてお礼を申し居る。(p.108)

 …女は年をとるほど、また場数を経る広くなる。西洋人などはことに広くなり吾輩のなんかを持って行くと、九段招魂社の大鳥居のあいだでステッキ一本持ってふりまわすような、何の手ごたえもなきようなのが多い。ゆえに洋人は一たび子を生むと、はや前からするも奥は味を覚えず、かならず後ろから取ること多し。これをラテン語でVenus aversaと申すなり。(支那では、隔山取火という)。されど子を生めば生むほど雑具が多くなり、あたかも烏賊が鰯をからみとり、章魚が梃に吸いつくように撫でまわす等の妙味あり。夢中になってうなりだすゆえ盗賊の禦ぎにもなる理屈なり。(p.68)
 もう、熊楠さんたら。

 彼の後塵を拝するために、ゆかりの地をいくつか訪れたこともいい思い出です。紀伊田辺の旧居と闘鶏神社、彼のお墓がある高山寺野中の一方杉、彼が三年間滞在した大阪屋旅館跡、紀伊白浜にある南方熊楠記念館などなど、よろしければ拙ブログをご笑覧ください。
 なお、彼の伝記である『縛られた巨人-南方熊楠の生涯』(神坂次郎 新潮文庫)もお薦めです。

 というわけで前口上が長くなりましたが、睦月某日、山ノ神と一緒に上野に行きました。JR上野駅公園口から出ると、たくさんの方々が足早に歩いておられます。すわ、熊楠展へ向かう人の群れか、だとしたら行列は必至です。でも知的好奇心にあふれた方々がこれほどいるのなら日本は安泰…と思ったら、パンダのシャンシャンを見るために動物園へ向かう人たちでした。無念。
 先日、『ロダン』という素晴らしい映画を見たので、敬意を表してル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館の前庭に立ち寄りました。「地獄の門」「アダム」「イブ」「カレーの市民」「考える人」といったロダンの彫刻群が野外展示されており、しかもここまではロハで入れます。その圧倒的な表現力をもつ作品を見詰めていると、山ノ神曰く、幼い頃に両親に連れられて「地獄の門」を見た時に、その恐ろしさのあまり泣き出したそうです。今でもそうですが、感受性が強かったのですね。私は「この門、開けられるのかな」と思っただけでした。余談ですが、愛煙家の方に朗報、「地獄の門」のすぐ隣に喫煙コーナーがありました。ロダンの作品を見ながら紫煙をくゆらす、絶滅危惧種の末席を汚す一人としてはほんとうに嬉しい場所です。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-24 06:30 | 鶏肋 | Comments(0)

城ヶ島

 それでは城ヶ島へと参りましょう。食堂の近くに、おこぼれにあずかれなかったのでしょうか、ぶーたれた顔のが二匹いました。まあそういらつくな、ブラザー、写真を撮ってあげるから。三崎東岡行きのバスに乗ってしばらくすると、三浦大根畑越しにみごとな富士が見えました。三浦半島南端あたりでも見事に見えるのですね、畏るべし富嶽。城ヶ島へのアクセスを運転手さんに訊くと、「城ヶ島大橋」でおりて乗り換えればいいとのことです。バス停「城ヶ島大橋」で下車しましたが、バスの本数は多くはなさそうなので歩いていくことにしました。何気なく後ろを振り返ると…城ヶ島行きのバスが来るではありませんか。こいつは冬から縁起がいいわいpart4。手を挙げてバスを停めて乗り込みました。終着の停留所でおりましたが、けっこう距離があったのでバスに乗れて幸運でした。
 小高いところにある城ヶ島灯台に行こうとすると、階段のところで猫が腕枕をして寝ています。灯台を撮影して海の方へおりると、そこは波が砕ける岩場、そして海のかなたに雪を戴く富士山がくっきりと見える素晴らしいロケーションでした。しばし岩に腰を下ろして、富嶽をぼんやりと眺めました。
 さてそれでは葉山に行きましょう。お土産屋のショーウィンドウの中でうたた寝をする猫を撮影。そしてバスに乗って三崎口駅へと向かいます。三崎のあたりはたいへんな賑わいでしたが、まぐろ祭がひらかれているようです。花より団子、マグロよりサバ。三崎口駅から京急に乗って金沢八景で乗り換えて新逗子駅に着きました。申し遅れましたが、「三浦半島1DAYきっぷ」を1410円で購入していたので、京急電鉄・京急バスは乗り放題。たいへんお得でした。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-20 06:34 | 鶏肋 | Comments(0)

松輪サバ

 が大好きです。"Vissi d'arte, Vissi d'saba"(でいいのかな)が座右の銘。これまで、東奔西走、美味しい鯖を求めて幾山河を旅してきました。思い出の鯖たちよ、関サバ、首折れサバ、岬サバ、前沖サバ、金華サバ… ところが灯台下暗し、三浦半島で松輪サバという美味しい鯖が食べられるという情報を手に入れました。「全国のプライドフィッシュ」から引用します。
 昔からサバの好漁場として知られる松輪周辺の海。沿岸部である東京湾口で漁が始まるのは5月ごろから。夏に向けてだんだん湾奥へ移動していくサバの群れを追い、晩秋には千葉の袖ヶ浦沖にまで漁に出ます。波が穏やかでエサが豊富という恵まれた環境で育つ東京湾のサバ。秋には皮が脂で黄色に輝き、「黄金サバ」と呼ばれています。
 一本釣りされ、人の手に触れることなく出荷直前まで生かされている松輪サバ。鮮度が保たれているため、生食でもおいしくいただけます。しっかり肉付いた体には脂がたっぷり。特に秋のものは格別で、築地市場でも高い評価を得ています。
 魚へんに青と書くサバは、その字の通り青魚の代表格。人間の体に必要とされる良質なアミノ酸、血栓を予防するEPAや脳の働きを活性化するDHA、さらに骨や歯を丈夫にするカルシウム、また美容や健康に欠かせないビタミン類も豊富に含まれています。
 いろいろと調べてみると、12月でも食べられそうです。よろしい松輪サバを食べに行きましょう。近くに未踏の地、城ヶ島があるので立ち寄りますか。山ノ神にこのプランを話すと、葉山にある「神奈川県立近代美術館葉山館」で開かれている「堀文子展」を見たいとのご託宣がおりました。葉山か、逗子からバスで行くので旅程に組み込めますね。
 というわけで、12月の好天の吉日、松輪サバ・城ヶ島・堀文子(ロートレアモンの詩のようですね)をめぐる旅に行ってきました。

 石橋を叩いたら毀れた、念のために前日に食堂「松輪」に電話をしてみると、松輪サバの炙りは食べられるとのことでした。よろしい、予定通り決行です。午前11時に予約しました。
 『新聞記者』(望月衣塑子 角川新書)をバッグにほうりこみ、午前11時ぴったりに「松輪」に着けるよう、家を午前8時に出て東京メトロ副都心線に乗って横浜駅へ。京急の窓口で「三浦半島1DAYきっぷ」を購入しましたが、これは大正解でした。京急に乗って三浦海岸駅に着いたのが10:08、ここから剱崎行きのバスに乗りました。終点の「剱崎」でおりて、次のバス停「松輪海岸」まで一区間歩きます。ここから三分ほど歩くと松輪漁港直営の「エナ・ヴィレッヂ」二階にある食堂「松輪」に着きました。海や漁港が一望できる気持の良い食堂でした。おおっ富士山の天辺が山越しに見えるではありませんか。こいつは冬から縁起がいいわい。
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 店の方曰く、今年は不漁で、11月は二回しか松輪サバを出せなかったそうです。こいつは冬から縁起がいいわいpart2。松輪サバの炙り定食を二つ注文すると、しめ鯖も食べられるとのことでした。こいつは冬から縁起がいいわいpart3。さっそくそれも注文しました。麗らかな陽を浴びて、"われてくだけてさけて散る"波や漁港や富士山を眺めていると、松輪サバのご来臨です。おおっ待ちかねたぞ、近う寄れ。ぱく。うまい。豊かな旨味にほどよくのった脂、はるばる来た甲斐があったというものです。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-19 06:35 | 鶏肋 | Comments(0)

人はここまで卑劣になれるのか

 と思わず嘆息してしまいました。ちなみに「卑劣」とは、今話題の広辞苑(ただし第二版)の定義によると「品性・行為などのいやしく下劣なこと」です。

 さてその嘆息の理由ですが、『週刊金曜日』今週号(№1167 18.1.12)に掲載された三つの記事にあります。

 まず一つ目は、「名護市長選に向け、菅・二階両氏が沖縄入り 繰り返される自民の"土建選挙"」という、横田一氏による記事です。
 名護市長選(2月4日投開票)で自民党が"詐欺師紛い"の争点隠し選挙と露骨な土建選挙に再び乗り出した。昨年12月29日に菅義偉官房長官、今月4日には二階俊博幹事長が沖縄入りして自公推薦候補の渡具知武豊元市議や支援者らと面談。公共事業推進(予算増加)を強調しながら、最大の争点である辺野古新基地建設については「米海兵隊の県外・国外移転を求める」と基地反対派と同じ政策を掲げる一方、移設工事は粛々と進める二枚舌的な対応をしているためだ。
 沖縄北部の名護市にまで足を運んだ菅氏が訴えた市長選向けの目玉事業が、総事業費が約1000億円の「名護東道路」(8・4キロメートル)。工事現場を視察し、未完成区間(2・6キロメートル)の1年半の完成前倒しとさらなる延伸調査を関係省庁に指示したことを明らかにした。
 露骨で卑劣な土建選挙とはこのことだ。慢性的渋滞に悩まされる市民の弱みに付け込み、「道路整備を早くしてほしければ、自公推薦候補に投票をしろ!」と迫っているようにみえる。(p.4)
 二つ目は、「憲法を求める人びと 5」の中で、辺野古や高江での米軍基地反対運動の中心となって尽力されている山城博治さんについて、佐高信氏が書いた記事です。
 弾圧は警視庁が入ってきてから暴力的になった。沖縄県警とはある種の信頼関係があったのだが、それが断ち切られて山城は152日間も不当拘留される。
 真冬に靴下の差し入れも認められなかった。その理由として留置所は「靴下を口の中に押し込んで自殺する可能性があるから」とバカな説明をした。
 それで弁護士で代議士の照屋(※寛徳)は内閣に質問主意書を出す。靴下の差し入れを制限している憲法違反の留置所、拘置所は全国にどれだけあるのかと問うたのである。答は名護署だけだった。そして、内閣から回答がおりてくるその日の朝から、靴下の差し入れが認められるようになったのである。
 安倍政権の卑劣さ、狡猾さがどれほどのものかわかるだろう。その中心に官房長官の菅義偉がいる。(p.38)
 そして三つめは、沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志呼びかけ人である川名真理氏が書いた記事です。
 大阪の機動隊が基地反対運動に携わる人々を「土人」と呼んだことを『差別と断定できない』と閣議決定するなど政府自体が沖縄差別に加担している。偏見が広まると人々は簡単にウソを信じてしまいます。菅(義偉)官房長官の『迷惑料』の話(注)も印象操作の典型です。基地建設に反対する人々を貶めようとしています。事実に基づかない情報が横行すれば言葉は無力になり、議論が成り立たなくなります。これでは民主主義的な国家など成り立ちません。

(注) 昨年12月6日、菅官房長官が記者会見で、辺野古など3区に支出する直接振興費について「反対運動の違法駐車や交通量の増加で騒音が激しくなったことに対応するのは自然なこと」と、運動の「迷惑料」とも受け取れる発言をしたことを指す。(p.41)
 そう、辺野古新基地建設に反対する人びとに対する、官憲の卑劣な行為の数々です。自治体の財政難につけこみ、金をちらつかせて基地を受け入れさせようとする。(「死ね死ね団のテーマ」に♪金で心を汚してしまえ♪というフレーズがありました) 真冬に靴下をはかせないという下劣な嫌がらせをする。「土人」という差別的な言辞を容認する。反対運動は迷惑行為だという印象操作を行なう。やれやれ、人はここまで卑劣になれるのか。辺野古に新基地をつくるためには、なりふりかまわずにありとあらゆる手を使うという、国家権力の強烈な意志を感じます。その背景には、将来的に新基地を自衛隊が使いたいという思惑もあるのでしょうが、国家権力に抗う者は潰すという考えがより強くあるのだと思います。それにしても、ここまで卑劣な手段を使うとは…恐れ入谷の鬼子母神です。中でも後二者は「いじめ」ではありませんか。教育現場での「いじめ」をなくすために政府は道徳の教科化を進めていますが、新基地反対運動への「いじめ」をしている方々がそう唱えても説得力は皆無です。クレヨンしんちゃん風に言えば、「おめーにいわれたかねーよ」。隗より始めよ。
 ちなみに文部科学省による「いじめ」の定義はこうです。
 当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
 こうした卑劣な行為の責任はもちろん安倍上等兵にありますが、菅義偉官房長官の存在も注目すべきですね。いろいろな報道やルポルタージュを読んでいると、昨今の権力の暴走に、この御仁が大きく関与していることがわかります。例えば『週刊金曜日』(№1166 17.12.22/18.1.5)の対談「"忖度メディア" 再生への処方箋 幹部が安倍首相とメシ食っても、横でつながれ!で、室井佑月氏と古賀茂明氏が、こういう話をされています。
【室井】芸能人やテレビ局の人は今、菅さんとかに"おもてなし"されて、どんどん右に変わっちゃうから、もう寂しくて。仲のいい人がみんな消えていくからさ。
【古賀】それが菅さんの仕事だから。朝昼晩、夜は2回のこともあるらしい。ほとんどはテレビに出てる人と会食してると聞きました。それも、ちょっと政権に批判的だなって思う人と。そこで「先生のような方に是非お力をお貸しいただければ」と言う。これ、実は、「仕事をやるぞ」という意味なんですよね。
【室井】「大学教授」とか、「ワーキンググループメンバー」とか。偉そうな肩書がつくと、芸能人はうれしくてなびいちゃうよね。浮き草稼業だから。『朝日新聞』の曽我豪編集委員たちも相変わらず、安倍首相とご飯に行ってるし。行くな、っつうの。(p.19)
 東京新聞の望月衣塑子記者は、『新聞記者』(角川新書)で、次のように書かれています。
 ベッドでネットを見ていると、翌日に発売される『週刊文春』が、菅官房長官本人に関する疑惑を掲載することがわかった。
「『ばれたら面倒』 菅官房長官が政治資金公開を隠蔽指令」
 詳細は割愛するが、記事が事実なら政治資金規正法違反や国家公務員法の守秘義務違反に問われかねない大問題だ。(p.180)

 …500回以上の官邸会見を見続けてきた南記者によれば、会見で手を挙げているのに、内閣記者会の記者が質問を打ち切るという光景は、いまだかつて見たことがないという。
 なぜ同じ記者が打ち切るのか…
 信じられない思いで取材してみると、おどろくような事実がわかってきた。
 8月下旬、菅長官は幹事社を通じて菅番の担当記者に、会見時間を短縮したいとの趣旨を打診してきたという。番記者は「時間制限はできない」と突っぱね、要求は呑んでいないというが、あと「〇人」「あと〇回」と官邸の広報官が質問を打ち切っているのを認めているのが現状だあ。
 これは、メディアの自殺行為ではないか。
 あまりの出来事に呆然とし、愕然とした気持ちで涙があふれそうになった。日本のメディアの限界なのかと足が震えるほどの衝撃を受けた。
 さらに、事前に質問を渡すことも本格化しているように思える。この手法は以前からあり、官房長官会見に限らないが、最近は菅長官が手元のペーパーを見ながら答えることがほとんどになってきた。これをシャンシャン会見といわずになんというのか。
 以前私は、前川事務次官に対する「教育者としてあるまじき行為…」という非難の言葉までも菅氏が下を向いて発していたので、思わずこう聞いてしまった。
 「事前に準備されたペーパーを読み上げているのですか」
 すると菅氏が怒りをあらわにこういった。
 「あなたにそんなことを答える必要はない」
このごろは最初から手を上げてもぜんぜん指名してもらえない。挙手しているのが私しかいなくなると、やっと当てられるという状況だ。(p.185~7)
 こういう御仁が、官房長官という重責を務めているのが日本の現状です。メディアを懐柔し/屈服させ、国家権力に抗う者に様々な嫌がらせ・いじめをする、あるいは彼らを貶めるための印象操作を行なう、権力にすり寄る者には金をばらまき、権力にとって都合の悪い情報は隠す。ほんとうに卑劣ですね。何度でも言いますが、こんな御仁が官房長官を務めるこんな政府を支持する方々が多いのは何故なのでしょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-14 09:30 | 鶏肋 | Comments(0)

11.3 国会包囲大行動

 そう、あきらめません。11月3日の金曜日、「国会包囲大行動」に参加するために、国会議事堂に行きました。天気予報では雨模様でしたが、幸いなるかな当時は好天に恵まれました。プレ・コンサートでは、「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」など気合の入ったメッセージ・ソングを歌い続けている中川五郎氏が登場するというので、少し早めに駆けつけました。午後一時すこし過ぎに、地下鉄の駅から地上に出ると、思ったより多くの方々が押し寄せています。公園のベンチに陣取り、スピーカーから流れてくる中川五郎氏の力強い歌声にしばし耳を傾けました。ウディ・ガスリービクトル・ハラの名をまじえながら音楽による抵抗を主張し、原発事故を隠蔽しつつオリンピックを推進する安倍首相をコミカルに批判し、そして最後はボブ・ディランの「風に吹かれて」を日本語で歌ってくれました。いいですね、権力に抗おうというメッセージがびしびしと伝わってきます。忌野清志郎の"僕はね、ロックはメッセージだと思うよ。ロックでメッセージを伝えるのはダサイなんて言ってる奴は、ロックをわかっていないと思うな"という言葉をふと思い出しました。

 そして午後二時、いよいよ集会の始まりです。立憲民主党の枝野幸男代表のほか、野党の党首や国会議員、ノーベル平和賞受賞が決まった「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の川崎哲氏などのスピーチに、万雷の拍手がわいていました。中でも最高裁判事だった弁護士の浜田邦夫氏のメッセージが心に残りました。東京新聞(2017.11.4)に掲載されていたので、引用します。
 いったん戦争が始まれば被害を受けるのは米本土ではなく日本にある米の軍事施設や原発、日本の施設であり国民だ。

 安倍首相の口先にごまかされて、国民は裸の王様になっているのではないか。米国による安全保障とか、国内での安全・安心な暮らしといった立派な着物を着ていますよと言う、仕立屋の『テーラー安倍』に。
 伊丹万作曰く"だまされるということ自体がすでに悪である"、だまされずごまかされないための知恵と知識を持ちたいものですね。
 参加者は主催者発表で約四万人、「あきらめない」「へこたれない」「忘れない」という権力者がもっとも忌み嫌う気持を多くの方々と共有できたひと時でした。ただ気になるのは、若い人びとの姿が少なかったことです。選挙で棄権する若者、安倍内閣を支持する若者が多いという話をよく耳にしますが何故なのでしょう。子どもや若者の存在が、社会にとって唯一の希望なのに。『週刊金曜日』(№1159 17.11.3)の記事「議会制民主主義はもう機能していない」の中で、内田樹氏が以下のように述べられていました。
 立法府が「国権の最高機関」として威信を失えば、行政府が事実上国権の最高機関になり、官邸の発令する政令が法律に代わる(これが自民党改憲草案の「緊急事態条項」のかんどころである)。そうなればすべての社会制度が官邸の意のままに動く、効率的な「株式会社のような統治システム」が完成する。それこそ自民党が改憲を通じて実現しようとしている「夢の政体」である。
 若い有権者たちが自民党に好感を持つのは、自民党が作ろうとしているこの政体が彼らにはなじみ深いlものだからである。
 若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない。トップが方針を決めて、下の者はただそれに従う。経営方針の適否はマーケットが判定するから、従業員はそれについて意見を求められることもなく、そもそも意見を持つ必要もない…というのが彼らが子どものときから経験してきたあらゆる組織の原理である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だった。彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても、私たちはそれを責めることができない。
 構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、組織のトップは成員たちの間から互選され、その言動の適否についてつねに成員たちのきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今どきの若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、「そんな空想社会をめざすなんて頭がおかしいんじゃないか」と冷笑するのは考えてみたら当然である。(p.11)
 なるほど、それだけではないと思いますが、納得できるひとつの分析ですね。日本は、そんなに簡単によくなる国じゃないということをあらためて痛感します。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-11-07 06:28 | 鶏肋 | Comments(0)