カテゴリ:近畿( 357 )

姫路・大阪・京都編(9):陶然亭(15.12)

 それでは予約してある京都白川の「陶然亭」へ行き夕食をいただきましょう。天王寺駅から大阪メトロ谷町線に乗って天満橋へ、京阪本線特急に乗り換えて祇園四条駅で下車。白川のすぐ近くにある、われわれ御用達の和食の店「陶然亭」に着きました。その上品な美味しさと趣味の良い器に惚れこんでおり、京都に来たら必ず食べに寄ります。

 本日の料理、まずはタラの白子の茶わん蒸し。
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穴子の刺身。
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シマアジとマグロの刺身とウニ。
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グジの焼きもの。
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マツバガニとイクラ。
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カラスミ、エビイモ、ムカゴ、玄米。
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穴子丼。
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じゃこ飯。
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漬物。
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デザートの焼きプリン。
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 んもう、舌鼓がエルヴィン・ジョーンズのようなポリリズムを叩き出します。素材を生かした上品な味付けには、いつ食べても舌を巻きます。再訪を約束してお店を出ました。白川のほとりを歩きながら、ライトアップされた夜の紅葉を堪能。
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 三条駅までぶらぶらと歩き、京都地下鉄東西線-京阪京津線に乗って浜大津駅へ。コンビニエンス・ストアで寝酒とつまみを購入して少し歩くと、われらが定宿、琵琶湖ホテルに到着です。チェックインをして、琵琶湖を眼下に一望できる部屋で旅装を解きました。大浴場で汗を流し、部屋のベランダでビールを飲みながら夜の琵琶湖を眺めました。嗚呼、至福のひと時。
by sabasaba13 | 2019-05-02 08:15 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(8):あべのハルカス(15.12)

 それでは「あべのハルカス」へと向かいましょう。JR神戸線新快速に乗って大阪駅へ、ここで大阪環状線に乗り換えて天王寺駅へと向かいます。手前の新今宮駅からは通天閣が見えましたが、駅の発車メロディはドボルザークの交響曲第9番「新世界より」の第4楽章でした。そして天王寺駅に到着、改札から出ようとすると…美味しい匂いがどこからともなく漂ってきました。さすがは大阪、食い倒れの町。外へ出ると眼前に、高さ300mの日本一高いビル「あべのハルカス」が屹立していました。
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 なお「ハルカス」とは、古語の「晴るかす」に由来していて、「人の心を晴れ晴れとさせる」という意味があるそうです。展望台「ハルカス300」へ上るにはシャトルエレベーターに乗って16階へ、ここでチケットを購入して直通エレベーターに乗り換えます。最上階の60階に着くと、そこは360度全ての壁が大きなガラス窓となった展望回廊。いやあ、これは凄い、大阪の街並みが手に取るように一望できます。四天王寺、通天閣大阪城大阪市環境局舞洲工場を見つけては二人で小躍りしてしまいました。
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 そろそろ夕映えの刻、大阪の町並みがきれいな暮色に染め上げられていくのをしばし満喫。大枚1500円を払ってのぼってきた甲斐があったというものです。
 そうそう、重森三玲作庭の「八陣の庭」を見下ろすために岸和田城天守にのぼった時、「あべのハルカス」が見えたことを思い出しました。ということは岸和田城が見えるはずですが…視力の良い山ノ神でも見つけられませんでした。
 さてここ「ハルカス300」は「恋人の聖地」として選定されているはず、係の方にモニュメントの所在を訊ねると、まだ設置されていないとのことでした。残念。かわりに「ハルカス300」のキャラクターである空模様の熊、「あべのべあ」を撮影して憂さ晴らし。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-30 06:53 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(7):姫路(15.12)

 それでは姫路駅へと戻りましょう。小腹がへったので、みゆき通り商店街で昼食をとることにしました。近接して帽子店が二軒あり、しかもそこそこ繁盛している様子なのは珍しいですね。帽子が好きな人が多い街、ちょっといいですね。
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 さて、姫路のご当地B級グルメといえば、姫路おでん。今回は穴子フリークの山ノ神に敬意を表して、姫路穴子をいただくことにしました。姫路穴子と創作和食の店「一張羅」に入って、穴子の二色丼を注文。蒸し穴子と焼き穴子、ともにおいしゅうございました。山ノ神もすっかりご満悦の笑顔です。♪When you're smilin' The whole world smiles with you♪
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 駅へ行く途中にあった洋食屋のウィンドウには、「アーモンドトースト」と「かつめし」がありました。気になりますね、どんな味なんだろう。
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 ふとアーケードを見上げると、唐破風の意匠でした。姫路駅に入ると、気がつけばこちらの天井も唐破風を模しています。もう姫路城一色ですね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-28 07:14 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(6):姫路城(15.12)

 もうひとつ余談です。作家の橋本治氏に、日本美術について斬新な切り口で述べた『ひらがな日本美術史』(新潮社)という著書があります。その第三巻「その五十三 白いもの」で、姫路城について目から鱗が落ちるような考察をされています。たいへん面白く興味深いので、紹介いたします。まずは天守について。はじめての天守は、織田信長が築いた安土城につけられました。しかし天守は、城の防衛機能とは直接に関係がなく、意味もなく高いから災害や戦火にあいやすい。よって「ない方がいいもの」「へんなもの」「なんでもないもの」である。それでは信長は、なんでこんなものをつくったのか? 橋本氏曰く、「俺はえらいんだぞ」という意味を込めた軍拡競争のデモンストレーションのためである。同様に、当時は黒漆の板壁で周りを囲った「黒い城」が主流であった。信長も秀吉も、可燃性が大きいという代償を払ってでも美しく豪華な城を求めたのである。それに対して姫路城は、すべての壁面を白漆喰で塗り固めた。なぜか。以下、引用します。
 真っ白な漆喰で塗り固められた姫路城は、「耐火建築」なのである。当時の常識に従えば、これは、「美しさを排除した実用一点張りの建物」になるのである。「白鷺城」である姫路城は、現在で言えば、現代建築の象徴のような、「コンクリート打ち放し」の建物と同じなのである。だから、ここには手摺りがない。木の手摺りなんか燃えやすいからダメなのである。そう言われてみると、この美しい建物が、「燃えない」ということをひたすらに主張する巨大な建物のように見えるだろう。そうなのである-と私は思う。
 姫路城は、「美しい」を目的として造られた城ではないのである。「絶対に落ちない」ということを目的として造られた、実用の権化なのである。造られた時は「関ヶ原の合戦の後」-天下は徳川に傾いているけれど、まだ大坂冬の陣と夏の陣が残っている。豊臣方の影響力が強い「西への備え」をする拠点が、姫路城なのだ。この城が、「燃えない、落ちない、絶対大丈夫」を前提にした城になるのは当然だろう。だから、1609年に出現したこの城を、もしも大坂城の主である淀殿が見たら、きっと彼女は、「とてもお城とは思えない品のない造りね」などと言っただろう-と、私は思う。(p.160)
 自己顕示欲の時代(安土桃山時代)から、実用に徹した管理社会(江戸時代)への移行期に築かれたのが姫路城であるという見立てですね。鋭い! "ガチガチの耐火建築"という視点で眺めると、城の佇まいもちょっと変わって見えてきます。ま、美しいことには変わりありませんが。でもその美しさは、坂口安吾風に言うと"直接心に突当り、はらわたに食込んでくるもの"なのかもしれません。『堕落論・日本文化私観』(岩波文庫)所収の「日本文化私観」から引用します。
 ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ、必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。(p.135~6)
 この美しい姫路城は、美を誇るために築かれた城ではなく、絶対に焼け落ちないという必要を満たすために築かれた城なのだということを、肝に銘じましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-26 06:27 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(5):姫路城(15.12)

 その先にある石垣は、裾部は緩傾斜、上部は垂直に近い急傾斜で、「扇の勾配」と呼ばれるそうです。こちらも後学のために解説を転記しておきます。
 高石垣の角のところを横から見ると、上にいくほど反り上がる曲線を描いて、扇を広げたときの曲線に似ていることから、こうした曲線をもつ勾配を「扇の勾配」と呼んでいます。石垣が高くなるほど、内部から積石には大きな圧力がかかり、石垣を崩す原因になります。その力に耐えられるように、裾部は傾斜を緩くしています。上部は垂直に近い急傾斜なので、敵に石垣を登らせないようになっているといわれます。
 また、石垣の角には、直方体の石を長短の辺が交互になるように積まれています。直方体の石が算木に似ていることから算木積みといいます。高石垣が築かれるようになる慶長期(16世紀末から17世紀初め)に完成した積み方です。
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 三国堀のあたりはモミジが多く、きれいに色づいていました。今年の紅葉はもう終わりかなと諦めていたのですが、どうしてどうして、なかなかの紅葉です。予定を変更して、明日は京都で錦秋を愛でようかな、と心に迷いが生じました。
 というわけで、姫路城を存分に楽しめました。山ノ神もご満悦の様子、ああよかった。なお余談ですが、往時のままに残る天守閣は12城あり、「現存十二天守」と呼ばれます。弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)ですね。ゴーマンかましてよかですか。実は後日に丸岡城を訪れて、現存十二天守をすべて制覇しました。やった。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-24 06:26 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(4):姫路城(15.12)

 それでは大天守に入りましょう。石垣のところにあたる地階から、天守内部を拝見しながら階段を上って最上階の6階まで見学ができます。それにしても大変な数の見物客で、中は押すな押すなの大混雑。落ち着いて拝見できる雰囲気ではないですね。
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 武者走りは内陣の外側をとりまく廊下で、戦闘時には武士が行き交い、敵兵に射撃をあびせました。城兵がひそんで応戦するためのスペースが武者隠し、敵兵に向かって石を投げ落すための石打棚、火縄銃の煙出しと明かりとりのための高窓などもありました。
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 最上階からの眺望は素晴らしい、もう気分は殿様です。なおここには小さな神社がありましたが、姫路城の守護神である刑部神社で、1879(明治12)年に祀られたそうです。
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 そして階段を下りて外へ。備前門の石垣には直方体の大きな石が使われていますが、これは古墳の石棺を転用したそうです。後学のために解説板を転記します。
 備前門の入口脇にはきれいに加工された直方体の石が縦に積まれています。これは、古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。そのほかの石垣にも組合式石棺の側石や底石なども転用されています。こうした古墳の石棺が積石として多く転用されているのが、姫路城の石垣の特徴です。築城によって、姫路近辺にあった古墳がいくつも破壊されたことが想像できます。
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 太鼓櫓を通り過ぎると、お菊井戸がありました。そうか、怪談「播州皿屋敷」の舞台はここだったのですね。ここの解説文も転記しておきます。
 この井戸は、播州皿屋敷の怪談で知られる「お菊井戸」といわれています。
 永正年間(1500年頃)、姫路城主小寺則職(のりもと)の執権青山鉄山は町坪弾四郎と語らい、城を奪おうと企てていました。則職の忠臣衣笠元信は、お菊を青山家に女中として住み込ませ、その企てを探らせました。則職暗殺を探知したお菊が元信に知らせたため、則職は家島(姫路市)に逃げて殺されずにすみましたが、城は鉄山に乗っ取られました。お菊の動きを知った弾四郎はお菊を助ける代わりに結婚を強要しました。元信を慕うお菊はそれを拒みました。弾四郎はそんなお菊を憎み、青山家の家宝10枚揃いの皿の一枚を隠し、その罪をお菊にかぶせて責めあげました。それでも弾四郎を拒むお菊は、ついに切り殺されて井戸に投げ込まれました。
 その後、毎夜この井戸から「1枚、2枚、3枚、…9枚」と9枚目まで何度も数えるお菊の声が聞こえたといいます。やがて元信らが鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社内に祀られました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-22 08:47 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(3):姫路城(15.12)

 そうこうしているうちに、青空のもと、雪を戴いた富士山がクリアに見えてきました。いつ見ても見事なお姿です。
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 9:17に京都駅に到着、JR京都線の新快速に乗り換えて、姫路へと向かいます。左手に見える瀬戸内海や明石海峡大橋の眺めを愉しんでいると、11:01に姫路駅に着きました。
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 大手前通に出ると、正面に姫路城を遠望できます。それではお城に向かいましょう。途中に「道満」という姫路かりんとうのお店がありました。
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 十五分ほど歩くと、姫路城に到着です。それにしても、何と美しい城なのでしょう。白一色で覆われた、均整のとれた佇まいには見惚れてしまいます。今年(2015年)の3月18日に平成の大修理が終わったばかりなので、白さが目に染みるようです。
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 まずは「コトバンク」にある「日本の城がわかる事典」から、姫路城についての解説を引用します。
 兵庫県姫路市にあった南北朝時代から江戸時代の城。姫山を本丸とする平山城の典型。南北朝時代に赤松貞範が築いたのが最初といわれる。本格的築城は豊臣秀吉が毛利氏攻撃の拠点としたときから。徳川家康は、西国大名に対する備えとして1600年(慶長5)、姫路城に女婿の池田輝政を封じた。輝政は、現存規模の城郭へと大改修し、1609年(慶長14)に完成させた。盛時の近世城郭を伝える典型的遺構で、大小4つの天守をもつ連立式の天守閣のうち、もっとも大きい大天守は5重の屋根が巡り、地下1層を含む7層のもの。天守閣ほか多くの建造物は国宝、重要文化財に指定。1993年(平成5)、姫路城は世界遺産(文化遺産)に登録された。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。JR山陽本線・山陽電鉄姫路駅から徒歩15分。白漆喰を用いた優美な形態から、白鷺城ともよばれる。
 入城口を抜けて、なだらかな坂を登っていくと見えてくるのが「菱(ひし)の門」です。あたりを睥睨するが如く屹立する、古武士のような門に圧倒されました。櫓門と呼ばれる型式で、二の丸の入口を固めた城内で最も大きな門だそうです。
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 四角い三国堀越しに見上げる天守閣も素晴らしい。無風だと鏡のように天守閣や土塀を映すのでしょうが、残念ながら漣がたっていました。
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 西の丸を通り抜けて「はの門」をくぐると、左に石垣、右に白い土塀、正面に白亜の天守閣が見えてきます。ここもフォトジェニックな光景でした。
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by sabasaba13 | 2019-04-20 06:24 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(2):姫路へ(15.12)

 2015年12月5日土曜日、午前六時半ごろ東京駅に到着。朝食として、鳥取のご当地B級グルメっぽいところに食指が動き、「カレーメンチカツサンド」を購入。7:00発のぞみ203号に乗車してさっそくいただきました。すると山ノ神、「ちょっとこれ読んで」と持参した組合新聞を差し出します。どりゃどりゃ。…………一読して絶句、目が・になりました。以下、転記します。
 ちょっと古いですが、(十余年前)首相官邸のホームページに教育改革国民会議の議事録や報告が現在掲載されています。その会議の一分科会で配られた資料を見ると教育者なら誰でも愕然とすることでしょう。
 資料は「1.子どもへの方策」「2.大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきこと」として、それぞれの場で取り組むべきことを挙げています。
 「1」の「家庭」では、「挨拶をしっかりする」から始まり、「各家庭の『心の庭』(会話と笑いの場)をつくる」「団地、マンション等に『床の間』を作る」等。「学校」では「教壇を復活させることなどにより、教師の人格的権威の確立させること(ママ)」「青少年施設、自治公民館等での合宿」「遠足でバスを使わせない、お寺で3~5時間座らせる等の『我慢の教育』をする」「学校に畳の部屋をつくる」等。
 「地域」では「有害情報、玩具等へのNPOなどによるチェック、法令による規制」等。
 「2」の「家庭」では、「子どもを厳しく飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」「『ここで時代が変わった』『変わらないと日本が滅びる』というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う」「家庭教育について対話できる土壌をつくるため、企業やテレビと協力して古来の諺などを呼びかける」「家庭教育手帳の年度毎の更新、配布」「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」等。「学校」では、「一定レベルの家庭教育がなされていない子どもの就学を保留扱いする」「他の子どもの学習する権利を妨げる子どもを排除する権限と義務を学校に付与する」「警察OBを学校に常駐させる」等々。
 "「子どもを厳しく飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう"という件が肝でしょう。行政が家庭や学校に介入して子どもたちを鋳型にはめこみ、国家や企業にとって望ましい/扱いやすい人間に改造しようということですね。今読んでいる『現代史』(ポール・ジョンソン 共同通信社)の中に、以下の一文がありました。
 レーニンと同じく、それ以上にスターリンと同じく、ヒトラーは今世紀最大の極悪非道な実践者だった。その背景には社会改造、つまり人間はコンクリートのようにシャベルで形作ることができるという考えがあった。(上p.192~3)
 分科会に加わった極悪非道な方々に、『第四の書 パンタグリュエル物語』からフランソワ・ラブレーの言葉を贈ります。
 子どもは液体を満たす容器ではない。それは火をつけるべきものである。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-04-18 06:30 | 近畿 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(1):前口上(15.12)

 2015年の12月初旬、恒例になっております京都の錦秋を愛でよう…としたのですが、11月の連休に京都を訪れた知人から、今年の紅葉は赤くならずに落ちてしまい、ちりちりに焼けたような葉も多く、おまけに凄まじい混雑であったという話を聞きました。またニュースなどでも同様の情報を得ました。うーむ、どうしよう。山ノ神と相談したところ、姫路城を見たいという神託がでました。そうか、行ったことがないのか。私は以前に訪れましたが、人生意気に感ず、よろしい、つきあいましょう。旅程としては、初日に姫路城を訪れ、大阪に寄って「あべのハルカス」に上り、夕食はわれわれご用達の「陶然亭」でいただき、宿泊は定宿「琵琶湖ホテル」。二日目は、山ノ神にどうしても見せてあげたい大阪市環境局舞洲工場と舞洲スラッジセンターとキッズプラザに行きましょう。設計はフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー、ウィーンで出会って以来、二人とも彼のファンとなりました。前二者は訪れたことがありますが、キッズプラザは未踏です。
 あとは私の趣味で選んだ大阪にあるディープな物件めぐりにつきあってもらいましょう。とりあえずリストアップしたのが、「恋人の聖地」に選定されたお初天神と梅田スカイビル空中庭園展望台。そして源ケ橋温泉浴場大阪市立美術館旧堺燈台旧桜宮公会堂日本基督教団天満教会日本基督教団大阪教会日本基督教団大阪住吉教会梅谷歯科医院愛珠幼稚園日本基督教団島之内教会日本橋駅・近鉄日本橋駅。まともな神経の持ち主でしたら見向きもしないところばかりですが、山ノ神の広大無辺な度量に甘えることにしました。
 持参した本は『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』(リチャード・ベッセル 中公新書)です。
by sabasaba13 | 2019-04-14 07:47 | 近畿 | Comments(0)

近江編(88):坂本~京都(15.3)

 それでは自転車を返却して京都へとまいりましょう。日吉大社のあたりからは、坂の向こうに琵琶湖を眺めることができました。半鐘がかかったシンプルな火の見櫓を撮影。
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 そして白壁の続く街並みを走っていると、あるお宅でバッタン床几を見かけました。観光案内所で自転車を返却して京阪電車の坂本駅から石山坂本線に乗って京阪膳所駅へ、JR琵琶湖線に乗り換えて京都駅に着きました。時刻は午後四時半、せっかくなので京都で見残した近代化遺産を見物することに決定。駅構内に「日本最大の塑像 大如意輪観音」という飛鳥・岡寺のポスターを発見。
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 そして近鉄京都線に乗り換えて伏見駅へ。駅近くにあった塀の下の方に、木製の小さな鳥居が貼りつけてありました。古典的な小便除けですが、はたして昨今効果はあるのでしょうか。その近くには「お宝・不用品現金化」という道具屋さんのポスターが貼ってありましたが、さすがは歴史のある町ですね。
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 歩くこと十五分ほどで、お目当ての竹田火の見櫓に着きました。長年の風雪を耐え忍び、背筋を伸ばして屹立するその姿には神々しささえ感じます。近くに解説があったので転記します。
 竹田火の見やぐらは、京都市の南部に位置し、北は近鉄京都線、東は竹田街道、西は東高瀬川に囲まれた地域の中心部に、大正12(1923)年8月に設立した竹田村消防組第二支部の装備品として建設され、以後、近隣町内の防火、防災活動に役割を果たしてきた。火の見やぐらは、江戸時代までは木造で作られていたが、近代に至り、製鉄技術の発展に伴って鉄骨造のものが建設されるようになった。しかし、都市環境の変化に伴い、現存するものは少ない。
 竹田火の見やぐらは、鉄骨造としては初期の形態を残しており、また構造部材も当時の国内の製鉄技術を知るうえで、貴重な文化財的建造物であることから、地域住民からの保存要望を受けて、中央緑地敷地内に移転、保存したものである。
 いつまでもお達者でとエールを送って火の見櫓にお別れし、伏見駅から近鉄で京都駅に戻り、JR嵯峨野線に乗り換えて二条駅へ。ここから十数分歩くと、日本聖公会京都聖三一教会に到着です。竣工は1930(昭和5)年、ハーフティンバー様式の瀟洒な教会です。設計はバーガミニー、聖路加国際病院の設計にも関わった建築家ですね。

 見るべき程の事は全て見つ、それでは帰郷しましょう。二条駅に向かう途中で、「御近所の皆様へ 瓦が落下するおそれがあります 危険につき御注意ください!!」という貼り紙のある崩壊寸前の家を見かけました。
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 二条駅近くには、「Times」と「MOS BURGER」の看板がありましたが、いずれも白を基調としたおとなしいものです。景観への配慮か、あるいは地域住民からの要望ゆえか。
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 そして京都駅に戻り、「京都牛膳」という駅弁を購入して新幹線に乗り込みました。駅弁に舌鼓を打ち、時おり車窓を流れる夜の闇を見ながら、次なる旅行、京都観桜の旅に思いを馳せました。このひと時が楽しいのですね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-05-19 06:32 | 近畿 | Comments(0)