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福井・富山編(7):山中温泉(16.3)

 ぶらぶら歩いていくと緩やかな坂道があり、そこを下ると鶴仙渓という渓谷に架かる総檜造りの「こおろぎ」がありました。下から見上げると、精緻な木組みがまわりの景観とよくマッチしています。なお「こおろぎ」の名の由来は、かつて行路が極めて危なかったので「行路危(こうろぎ)」と称されたとも、秋の夜に鳴くこおろぎの声に由来するとも言われているそうです。
 橋を渡ると鶴仙渓に沿った遊歩道が整備されており、新緑や紅葉のころにはさぞや綺麗なことでしょう。来てみたいなあ。
 なおこのあたりに「蓮如上人虎斑御名號旧蹟」という石碑がありましたが、浄土真宗中興の祖、蓮如がここ山中温泉とどういう関係があったのでしょうか。さっそく調べてみると…わかりました。文明5年(1473)、蓮如上人が吉崎御坊を拠点に布教していた際、山中温泉に湯治に訪れました。その時、お世話になった住民に対し、茣蓙の上でお経を書いたとされ、茣蓙の形がそのまま残り、虎の模様のようになっていたことから「虎斑の御名号」と名付けられ、蓮如堂で末永く保管していたそうです。
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 さてそれでは福井へと戻りましょう。あっ、気がつかれましたか。せっかく山中温泉に来たのに、肝心の温泉に入らずに帰るという神をも畏れぬ所業です。実は私、いわゆる"烏の行水"、温泉街の雰囲気は好きなのですが、温泉自体にはそれほどこだわりを持っておりません。浸かってもせいぜい十分かな。よってこれまでも、名だたる温泉に行きながらも、湯に入らないことがしばしばありました。有馬温泉別府温泉城崎温泉別所温泉熱海温泉東山温泉鳴子温泉草津温泉伊東温泉などですね。温泉ファンの方がいたら、「気をつけ、目をつぶれ、歯をくいしばれ」と言われそうですが。では実際に入湯したことはどれくらいあるのか、気になって拙ブログで検索をかけてみました。すると、法師温泉湯西川温泉大鰐温泉上山田温泉湯の峰温泉定山渓温泉薬研温泉道後温泉寸又峡温泉上山温泉銀山温泉湯野浜温泉糠平温泉にはいっていたことが判明。なんだ、結構入っているじゃないか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-09-17 07:33 | 中部 | Comments(0)

福井・富山編(6):山中温泉(16.3)

 ここから電柱がなく幅の広い歩道が整備されており、山中漆器や九谷焼などのギャラリー、カフェやお食事処が数多く軒を連ねています。「ゆげ街道」と言い、なかなかの賑わいですが、少し前までは閑古鳥が鳴いていたそうです。危機感をもった商店街の方々によってこの歩道が整備され、道路の拡幅にあわせて店舗を改装し、1店舗2業種運動を展開して湯治客を呼び戻したとのこと。
 こちらには「芭蕉逗留 泉屋の趾 -桃妖ゆかりの宿-」という記念碑がありました。
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 後学のために転記します。
 元禄2年(1689)秋、松尾芭蕉は「奥の細道」の途中山中温泉に立寄り長谷部信連(のぶつら)公ゆかりの「泉屋」に八泊九日間を逗留し旅の疲れを癒した。この宿の主人久米之助はまだ十四才の若者であったが、その才能と将来性を芭蕉に認められ「桃の木の 其葉ちらすな 秋の風」の一句とともに芭蕉の俳号「桃青」の一字をいただき「桃妖」の号を贈られた。以来、蕉風発展につとめ多くの俳人達が、この地を訪れ、加賀俳壇にその名をなした。

 紙鳶切て 白根ヶ嶽を 行衛哉   桃妖
 行燈の 献立をよむ 涼かな    桃妖
 旅人を 迎に出れば ほたるかな   桃妖
 うーむ、いい話ですねえ。俳諧という文芸を通して広がっていくネットワーク。師匠が若い才能を見出し育て、弟子は師匠の後塵を拝しながら、同好の輪を広げていく。何よりも凄いと思うのは、こうしたネットワークが貴族のサロンではなく、庶民の間で取り結ばれたことです。江戸という時代の奥深さを思い知ります。ひるがえって、SNSだの、ツイッターだの、フェイスブックだので、無味乾燥・無機質・無意味な言葉をやりとりする私たち。もしかすると、文化的には江戸時代から見て退化したのでは、とすら思えてきます。

 なお参考のために、当該部分を『奥の細道 朗読』から引用させていただきます。
【原文】
 温泉に浴す。其功有明に次と云。

 山中や菊はたおらぬ湯の匂

 あるじとする物は、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父俳諧を好み、洛の貞室、若輩のむかし、爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となつて世にしらる。功名の後、此一村判詞の料を請ずと云。今更むかし語とはなりぬ。
 曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立て行に、

 行ゝてたふれ伏とも萩の原 曾良

 と書置たり。行ものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻鳧(せきふ)のわかれて雲にまよふがごとし。予も又、

 今日よりや書付消さん笠の露


【現代語訳】
 山中温泉に入る。その効用は、有馬温泉に次ぐという。

 山中や菊はたおらぬ湯の匂
 (意味) 菊の露を飲んで七百歳まで生きたという菊児童の伝説があるが、ここ山中では菊の力によらずとも、この湯の香りを吸っていると十分に長寿のききめがありそうだ。

 主人にあたるものは久米之助といって、いまだ少年である。その父は俳諧をたしなむ人だ。京都の安原貞室がまだ若い頃、ここに来た時俳諧の席で恥をかいたことがある。貞室はその経験をばねにして、京都に帰って松永貞徳に入門し、ついには世に知られる立派な俳諧師となった。名声が上がった後も、貞室は(自分を奮起させてくれたこの地に感謝して)俳諧の添削料を受けなかったという。こんな話ももう昔のこととなってしまった。
 曾良は腹をわずらって、伊勢の長島というところに親戚がいるので、そこを頼って一足先に出発した。

 行行てたふれ伏とも萩の原 曾良
 (意味) このまま行けるところまで行って、最期は萩の原で倒れ、旅の途上で死のう。それくらいの、旅にかける志である。

 行く者の悲しみ、残る者の無念さ、二羽で飛んでいた鳥が離れ離れになって、雲の間に行き先を失うようなものである。私も句を詠んだ。

 今日よりや書付消さん笠の露
 (意味) ずっと旅を続けてきた曾良とはここで別れ、これからは一人道を行くことになる。笠に書いた「同行二人」の字も消すことにしよう。笠にかかる露は秋の露か、それとも私の涙か。
 そうか、山中温泉を訪れた直後に、病の曾良と別れたのか。その後、曾良は幕府巡見使として壱岐を訪れて病気となり、勝本で没しました。時は1710(宝永7)年5月22日、享年62歳。壱岐の勝本で彼の墓を訪れたことを懐かしく思い出しました。旅をしていると、過去の人物や事件がいろいろとつながってくることがよくあります。だから旅は面白い。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-09-16 07:42 | 中部 | Comments(0)

福井・富山編(5):山中温泉(16.3)

 さてバスが来るまでしばらく時間があります。地元資本の喫茶店でモーニングサービスをいただきながら旅程を検討するのが理想形なのですが、残念ながら周囲には見当たりません。次善の策として、売店で「おとなの焼き寿司」と温かい日本茶を購入して、駅前のベンチに座っていただきました。見知らぬ土地の駅前で食べる駅弁、これもまた一興です。
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 やってきたバスに乗り込み、30分ほどで山中温泉に着きました。まずは公式サイトを参考にして、山中温泉の紹介をします。その歴史は古く、今から1300年前に奈良時代の高僧・行基が発見したと伝えられています。元禄2年(1689)7月27日には、松尾芭蕉が弟子の曾良を伴って旅をした「奥の細道」の途中、ここ山中温泉を訪れています。芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句を読みました。
 また世界的に高く評価される古九谷発祥の地、全国漆器産地のなかで最高の年商金額を誇る山中漆器、日本三大民謡のひとつに数えられる「山中節」などでも有名です。なお「料理の鉄人」として知られる道場六三郎氏は、ここ山中温泉の生まれだそうです。

 それでは街歩きをはじめましょう。いきなり出迎えてくれたのが「加賀名物 娘娘万頭」という看板。むすめむすめまんとう? いや「にゃあにゃあまんじゅう」でした。加賀言葉で、「娘さん」を「にゃあにゃあ」と言うそうです。素敵な語感ですね、好きとしてはたまりません。にゃあにゃあ。
 古い建物は散見されますが、全体的に温泉街としての情緒は薄めです。街の中心にあるのが山中座、観光拠点として最近できた施設です。
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 こちらで観光地図をいただき、トイレを拝借するとモダンな男女表示があったので記念に撮影。
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 すぐとなりにあるのが、総湯「菊の湯」のおんな湯で、温泉の発見以来湯ざや(共同湯)が造られた場所に建っています。なお"菊"は、前述した芭蕉の句からつけたものです。広場をはさんで向かいにあるのが総湯「菊の湯」のおとこ湯、男女別棟の総湯は全国的でも珍しいそうです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-09-14 06:29 | 中部 | Comments(0)

福井・富山編(4):山中温泉へ(16.3)

 余談part2ですが、私が見た大河ドラマは唯一つ、司馬遼太郎原作の『花神』だけです(1977)。いやあこれは面白かった、今でも時々、林光のテーマ音楽が耳朶の中で鳴り響きます。ただ困ったことに、あまりにインパクトが強すぎて、歴史上の人物像に該当の役者のイメージがだぶってしまいしばらく脳裡から離れませんでした。大村益次郎=中村梅之助、高杉晋作=中村雅俊、伊藤博文=尾藤イサオ、山県有朋=西田敏之、井上馨=東野英心… 中でも周布政之助→田村高廣→「たあかすぎい」というだみ声、という連鎖は強力でした。と同時に、少数の有能な人物が紆余曲折を経ながら歴史をつくっていくという、平板で単純な国家権力=NHK史観に絡め取られるのもよくないと思い、その後、二度と見ることはありませんでした。
 国家権力に抗った人びとを主人公にしていただければ、見るかもしれませんが。幸徳秋水とか、管野すがとか、田中正造とか、金子文子とか、布施辰治とか、鶴彬とかね。

 閑話休題。駅構内にはティッチー、ラプト、サウタンという恐竜の顔はめ看板がありました。ホームのベンチには恐竜が座っていましたが、なぜ白衣を着ているのだろう?
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 北陸本線金沢行きに乗り込んで、加賀温泉をめざします。車窓からは、となりの線路を疾走する長い長い貨物列車が見えましたが、西日本でよく見かける光景のような気がします。午前七時半ごろに加賀温泉駅に到着、駅前に出ると黄金色に輝く巨大な観音像が屹立していました。何なのだろう?
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 気になっていま調べてみると、「ウィキペディア」に載っていました。この観音像は1980年代後半のバブル期に作られた仏教的テーマパーク「ユートピア加賀の郷」のもので、運営会社「関西土地建物」の倒産によって施設は休業しました。2009年に大阪市内の会社と織田無道が宗教法人・豊星寺として経営に参画し、ホテル業を再開していたが従業員への給与不払い問題等を起こし廃業したそうです。廃墟マニアとしては訪れるべきだったかな、現状が気になるところです。
by sabasaba13 | 2019-09-13 06:24 | 中部 | Comments(0)

福井・富山編(3):山中温泉へ(16.3)

 朝、目覚めてカーテンを開けると、空一面の曇天でした。やはり天気は良くないようですが、雨が降らないだけで諒としましょう。本日の予定は、山中温泉、福井市内、武生、鯖江の徘徊です。身支度を整えて福井駅へと行くと、昨晩は暗くて見えなかったのですが、駅の壁面に何匹もの恐竜が描かれています。そして駅構内には「平成30年 大河ドラマ誘致 主人公に由利公正を!」という幟が立っていました。そう、福井県は幕末の雄藩・越前藩だったのですね。由利公正は幕末・明治期の政治家で横井小楠に師事し、藩の財政立て直しを含む、藩政の改革に貢献しました。明治新政府の成立後は太政官札を発行するなど、財政基盤の整備や、「五箇条の御誓文」の原案となった「議事之体大意」を作成しました。有能な実務家だったとは思いますが、大河ドラマの主人公としては地味かな。なお結果からいえば、2018(平成30)年の大河ドラマは、周知のように「西郷どん」でした。
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 2019年は、オリンピック招致の歴史を描いた「いだてん」が放映されています。やれやれ、福島原発事故を忘れさせようとする自民党政権の思惑を忖度したのか、直接に命令されたのかは不明ですが、果てしなく胡散臭いものを感じます。そろそろ「2020東京オリンピックに反対する者は非国民」という雰囲気が漂いはじめているようですし。
 余談ですが、『週刊金曜日』№1181(18.4.20)で、オリンピックのさまざまな問題点を指摘する特集が組まれていたので、一部を紹介します。
『「復興五輪」が福島に落とす影 被災者の声と尊厳を奪う「国際イベント」』 藍原寛子

 「安倍政権や官邸は、日本国家として原発事故をどう抑えていくかという政策を取り続けてきた。その典型は被災者がモノを言えない復興加速化政策。東京オリンピックの20年は原発事故から10年目。常磐線に新駅を開業させ、Jヴィレッジを活用したオリンピックイベントで、復興完成の象徴として位置づけ、避難者が帰らざるをえない状況にして、「もう避難者も、避難地域もなくなった」とまるで事故がなかったかのように、世界に発信するためだ」と話すのは、佐藤和良・いわき市議だ。
いわば国策としての「原発事故のリセットボタン」であるオリンピック。(p.27)


『「個人個人が分散的な社会こそが大事。中央集権的な五輪と真逆です」 宇宙物理学者 池内了さんと考える-五輪の政治利用と自治の精神』 聞き手 中村富美子

【まず「東京オリンピックの政治利用」の要は何でしょう】
 原発事故の実態隠しです。安倍首相の「アンダーコントロール」というフェイク発言を繕うためにも、帰還政策を強引にやり、オリンピックをやり、世界に何事もなかったかのように見せたい、と。
それと、テロ対策。これまで日本は「平和産業」で敵を作らず、世界の国々と仲良くやって経済関係も上向く相乗効果で成功してきたのに、経済が落ち目になって軍事産業に頼ろうとし始めた。武器輸出禁止三原則を2014年に閣議決定で防衛装備移転三原則に変え、テロを呼び込もうとしている。自ら火をつけ煽ったあげくに軍事力で消すという、マッチポンプの戦略です。そして、「オリンピックでテロが起きたら困る」という名目で、国民が文句を言わず従うように追い込んでいく。
 東京都もオリンピックを格好の口実に「迷惑防止条例」を改定し、デモの実施もどんどん難しくなっている。「デモが存在しない社会こそ美しい」という論理ですよね。
【では、オリンピックの「思想的利用」とは?】
 日本人を一つに束ねることです。天皇の下、「日の丸」が象徴する国として。今年は明治150年、来年は天皇の代替わり、再来年がオリンピック。みんな結びつけて進められている。歴史に名を残したい安倍首相が仕組んだ、日本という国を変質させていく仕掛けですよね。立憲主義をなくし、欽定憲法にして上からの統治にする。自民党の憲法改正草案にある緊急事態条項なんて、まさに内閣が思いのままに国を統治できるものでしょ。
【ナチの全権委任法のように】
 非常によく似てます。特定秘密保護法ができ、安全保障関連法ができ、共謀罪もでき、安倍政権はもうほとんど我々が身動きとれないくらいに脇を固めてきている。準備万端で、あとは改憲。
【そこに祝祭的なオリンピックを打ち上げる】
 そう。ナチスのベルリンオリンピックみたいな空気。国民も無意識に慣らされて、その空気が当たり前になっていく。若い人が国の言うことにどんどん従う発想が強まっていて、体制従属の教育効果が浸透している感じがします。(p.28)

 僕は集権化と逆の論理で、「個人個人が分散的な社会」こそ大事だと思う。自分たちのことを自分たちで決める自治権は、分散的である必要がある。個人同士が結び合い、生活の現場から地域の自治そのものを見直す必要があると、僕は思ってます。
【まさにオリンピックは真逆】
 そう、皆の目を1カ所に集める中央集権的なやり方です。スポーツって、本来は全国に小さな団体があって、地方ごとにいろんな大会があるわけでしょ。そういうことをもっと実現できる社会条件を作るのが、あるべき「国のスポーツ政策」だと思うけども。現状は選ばれた人間に集中的にお金をかけ、それ以外の施設は貧しいまま。
 人びとが本当に個人として、あるいは地域の仲間として楽しむスポーツが自然に生まれる。そういう状況が僕には一番理想的。オリンピックに3兆円も使うなら、全国津々浦々に、立派な箱モノでなくていいから基本的なスポーツを楽しめるような環境をこそ、整備すべきだと思います。(p.29)

 大新聞がオリンピックに協賛しているからね。僕は、ジャーナリストのナオミ・クラインが言った「惨事便乗型資本主義」に加えて、祝賀に乗じる「祝賀便乗型資本主義」があると思ってるんです。災害復興と違い、祝賀はそもそも盛り上がるため、余分なお金を使わせるためのものだから、裏金も「余分」の一部。オリンピックに必須なもの、ということなんでしょう。(p.29)
 やれやれ、原発事故の隠蔽と忘却、治安体制の強化、体制従属という教育効果、そして関連費用で潤う企業、こうしたオリンピックの暗黒面をきちんと報道し、多くの方々に目を向けて欲しいものです。「決まったのだから仕方ない、協力しましょ」というのでは、太平洋戦争とまったく変わりません。いいかげんに歴史から真摯に学ぶべきだと思います。そうそう、先日のニュースで、多くの若者がボランティア募集に殺到している様子が取り上げられていました。『ブラックボランティア』(本間龍 角川新書)を読んでいただければ得心すると思いますが、体のいいタダ働き、学徒動員なのにね。ほんとうに扱いやすい国民です。D・フロスト&A・ジェイにこういうジョークがあります。
 英国人にとっての地獄は、ドイツ人が警官をし、スェーデン人が喜劇役者で、イタリア人が国防軍を組織、フランス人が道路工事をして、スペイン人が列車を走らせる。
 これに「日本人が政治家・官僚・有権者である」と付け加えたくなります。
by sabasaba13 | 2019-09-12 06:24 | 中部 | Comments(0)

福井・富山編(2):福井(16.3)

 弥生好日、羽田16:25発ANA 755便に搭乗して空路小松空港をめざします。長期予報によると、今回の旅はあまり天候に恵まれないようです。自称「天下無双の晴れ男」ですが、ま、こんなこともあるさ。新宿駅あたりでひさしぶりにガードレール・アニマルを見かけたのは旅の良き予兆ですが、昨今における日本社会の幼児化を象徴する「ハロー・キティ」だったのには嫌な予感がしました。
 離陸した飛行機は小松空港をめざしますが、富士山のこれほど近くを飛んだのは初めてです。
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 やがて冠雪を戴いた山々が眼下に見えてくると、そろそろ着陸です。空港ターミナルには金沢をPRする広告が数多ありましたが、「恐竜王国 福井」という大きなディスプレイが眼にとまりました。そうか、福井県は恐竜の化石の一大産地で、県立恐竜博物館もあるのですね。風馬牛の私としては、立ち寄る気はありません。
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 空港からバスに乗って塒のある福井駅へと向かうと、途中に「安宅IC」という標識がありました。そうか、安宅関はこの近くなのか。すこし走ると「勧進帳」の一場面らしき立像もありました。
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 福井駅前に着いたのが午後七時少し前、ホテルフジタ福井(旧福井ワシントンホテル)へ向かう途中で「五目亭」という五目ラーメン店の顔はめ看板を見かけました。そこに列記されていた福井名物が、越前かに、めがね、恐竜、黒姫、コシヒカリ。なるほど。
 ホテルにチェックインをして部屋に荷物を置き、夕飯を食べに駅前の「吉ちょう」という蕎麦屋に行きました。
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 おお、テーブルの上に灰皿が鎮座されています。福井県は喫煙に寛容な土地柄であることを期待しましょう。お目当てはご当地B級グルメ「しょうゆカツ丼」、これが本当に美味しかった。ジューシーな豚肉とクリスピーなころも、醤油と鰹節があっさりとしながらも深い味わいを演出している逸品です。品書きに「そば屋のカレーはやっぱりうまい」と大書してあるので(もちろん同感)、機会があったらもう一度訪れて「そば屋のカレー」を食したいものです。
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 地酒を購入して部屋に戻り、シャワーを浴びた後一献傾けながら明日の旅程をねりました。このひと時が小確幸(小さいけれども確固たる幸せ)です。おやすみなさい。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-09-11 06:11 | 中部 | Comments(0)

福井・富山編(1):前口上(16.3)

 どういう風の吹きまわしか、山ノ神が突如ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」第2楽章の練習に執心しております。馬に蹴られて死にたくはないので詮索はしませんが、遮二無二に取り組んでいるだけあって、それなりに曲になってきました。「上達したね」と褒めると、「楽譜が白いから」… あなたのアナリーゼは白と黒か。

 閑話休題。2016年3月、長い休暇がとれたので、以前から訪れたいと念願していた福井・富山を四泊五日でひとり旅してきました。見たいものとしては、あわら温泉にある藤野厳九郎記念館。そう、魯迅の『不治の専制』…違う違う、これは安倍政治だ。『藤野先生』のモデルとなった東北帝国大学の教授です。永平寺、実は行ったことがありません。現存十二天守の中でたった一つ未踏の丸岡城は必見。お城近くの図書館にあるという中野重治文庫も訪れたいものです。以前に行ったときあまり時間がとれなかった五箇山、今度はじっくりと拝見しましょう。木彫の町・井波、「おわら風の盆」の八尾も忘れずに。雨晴海岸では、海越しの北アルプスを拝めることを期待しましょう。最後に「イタイイタイ病資料館」を見学して、帰郷の途につく予定です。
 食べたいご当地B級グルメは、サバエドッグ、ソースかつ丼、ブラックラーメン、ボルガライス、しょうゆカツ丼、高岡コロッケ、高岡ナポリタン、氷見うどん。氷見の寒ブリを挙げないところが常軌を逸していますが、仕方がないそれが私の性です。
 持参した本は『構造的暴力と平和』(ヨハン・ガルトゥング 中央大学出版部)です。
by sabasaba13 | 2019-09-10 06:15 | 中部 | Comments(0)

焼津編(10):伊東(17.3)

 それでは伊東へと参りましょう。焼津市観光協会に自転車を返却して、焼津駅から東海道本線に乗って熱海駅へ。伊東線の列車が発車するまですこし時間があるので、コンビニエンス・ストアで珈琲を買って駅前で飲んでいると、小さな機関車が野外展示されていました。
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 後学のために解説文を転記します。
熱海軽便鉄道7機関車
 この機関車は明治40年から大正12年まで、熱海=小田原間の25キロメートルを2時間40分かかって走っていたものです。
 この鉄道は関東大震災により廃止されましたが、その後、各地の鉄道建設工事に活躍したのち神戸市の国鉄鷹取工場内に標本車として展示されていたものを熱海市が払い下げをうけ修復して、ゆかり深い故郷へ貴重な交通記念物としてかえってきたものです。
 なお芥川龍之介の小説「トロッコ」に、人車鉄道から軽便鉄道への転換のための道路改修工事の風景が描かれています。そして湯河原を通過するのですから、幸徳秋水が乗った客車を牽引していたかもしれません。1910(明治43)年、湯河原温泉の天野屋旅館に逗留して『基督抹殺論』を執筆していた秋水は、6月1日、東京の検事に拘引されました。大逆事件については何度か触れてきましたので、よろしければご一読ください。

 そして伊東線に乗って伊東駅に到着。以前に触れましたように、猪戸町のあたりが赤線跡でその名残りの物件がかなり残っているとのことです。駅前の観光案内所で地図をもらい、そうした建物がどのあたりにあるかとお訊ねしたところ、心当たりはないとのことでした。致し方ない、地図を頼りに彷徨しましょう。結論から言えば、取り壊しが進んだためか、はたまた私の目が節穴なのか、往時を彷彿とさせる物件はそれほどありませんでした。一つ目は、朽ち果てた鉄製のゲート。二つ目はタイルの貼ってある円柱。これは「一目でわかるよう、赤線の建物は壁や柱にタイルを張れ」という警察からのお達しがあったためだそうです。三つ目は、千鳥破風が取り付けられている三階建てのユニークな建物。ふらふら徘徊していると、夕空を物憂く見上げるに出会えました。

 それでは引き上げることにしましょう。伊東線で熱海駅に戻り、湯河原で途中下車。駅前にある「さかなや道場」で、ご当地B級グルメの担々焼きそばと、しめ鯖をいただいて帰郷しました。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2017-04-16 06:26 | 中部 | Comments(0)

焼津編(9):焼津(17.3)

 こちらでは、故久保山愛吉氏の家族への手紙、当時の写真や行政文書、新聞記事、実際に使用されたガイガーカウンターなどが展示されていました。目にとまったのが、マグロの売れ行き不振に悩んだ関係者が配布したビラです。後学のために転記します。
あなたにも放射能がある!!

 驚いてはいけません。あなたの身体にも帽子にも靴にも毎日食べているお米にも野菜にも豚肉にも二〇数/分(カウント・パー・ミニュツ)から一〇〇数/分の放射能があります。魚にだけ放射能があるのではありません。温泉も放射能があるから喜ばれているのです。こんな簡単なことを知らないで日本中がお魚におびえています。有害な放射能は一〇、〇〇〇数/分以上の時だけです。一番怖いのは―放射能よりも無智ではないでしょうか。さあ今日からは安心して毎日マグロで、魚で大いに栄養をとつて下さい。
 やれやれ、怖いのは"無智"よりも"嘘"だと思いますけれどね。もっと怖いのは、現在でも、福島原発事故による放射能の影響を過小評価しようとする専門家がおられることです。『DAYS JAPAN』(17.4)に、「専門家」の発言が収録されていたのでいくつか紹介します。(p.38~41)
山下俊一氏 (長崎県立医科大学副学長・福島県放射線健康リスク管理アドバザー)
「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしている人に来ます」
「福島における健康の影響はない。放射線や放射能を恐れて恐怖症で心配しているということは、復興の大きな妨げになります」

高村昇氏 (長崎大学原爆後障害医療研究所教授・福島県放射線健康リスク管理アドバザー)
「放射能は塵のようなものであり、取り除ける。基準値はあるが洗えばOK」
「(これまでも)この先も、この原子力発電所の事故による健康リスクというのは全く考えられない」

神谷研二氏 (広島大学副学長・福島県放射線健康リスク管理アドバザー)
「人間は、生まれながらにして身体に入った余計なものを外に出そうとする力があるので、身体に入った放射性物質がそのまま身体にとどまることはない」

丹羽太貫氏 (放影研理事長・京都大学名誉教授)
「このレベル(の放射性物質の濃度)で、福島県の人を『被曝者』というとおかしくなる。それをいうなら『日本国民が被曝者』『世界中が被曝者』といわなければならない」

鈴木元氏 (国際医療福祉大学クリニック院長)
「年間5ミリシーベルトの危険を恐れて、子どもたちが外で運動しない、家の中に閉じこもる、野菜も食べないというふうにしていくと、肥満によるリスクが上がってくるわけです」
 うーむ、どう見ても、原子力マフィアの責任を隠蔽し、その権益を守るためには、市民の健康や生命などどうでもいいという姿勢ですね。『DAYS JAPAN』が"専門家"に鍵括弧をつけた理由に得心します。専門家というよりは、ステークホルダーです。専門家あるいは科学者はどうあるべきか、故高木仁三郎氏の言に耳を傾けましょう。『高木仁三郎セレクション』(佐高信・中里英章編 岩波現代文庫)からの引用です。
 しかし、科学者が科学者たりうるのは、本来社会がその時代時代で科学という営みに託した期待に応えようとする努力によってであろう。高度に制度化された研究システムの下ではみえにくくなっているが、社会と科学者の間には本来このような暗黙の契約関係が成り立っているとみるべきだ。としたら、科学者たちは、まず、市民の不安を共有するところから始めるべきだ。(p.261)
 権益のために市民の不安をもみ消そうとする専門家・科学者の方々に、よく噛みしめていただきたい言葉です。

 なお第五福竜丸は1967年に廃船処分となって東京の夢の島に捨てられていたが、粘り強い運動の結果、76年6月同地に都立の第五福竜丸展示館が完成、保存されています。この事件に衝撃を受けたベン・シャーンが描いた連作「ラッキードラゴン・シリーズ」にアーサー・ビナード氏が詩をつけた『ここが家だ』も好著です。この事件をモチーフの一つとした岡本太郎の壁画『明日の神話』も一見の価値あり。また第五福竜丸乗組員の大石又七氏の講演会を聞きに行ったことがあります。よろしければご一読を。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-04-15 06:29 | 中部 | Comments(0)

焼津編(8):焼津(17.3)

 浜通りは、堀川にかかる新川橋のところで終わりますが、ここには「小泉八雲風詠之碑」がありました。朽ち果てた姿で屹立する商店街のゲートに、哀感をもよおします。
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 橋のたもとにあった「松永帆屋」を撮影して二十分ほどペダルをこぐと、焼津文化センターに到着です。まずは「焼津小泉八雲記念館」を見学しましょう。
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 こちらでは、煙管・望遠鏡・コップなど八雲の遺品や、セツ夫人に宛てたカタカナ書きの書簡や作品の原稿などが展示されていました。また彼を紹介する映像を二本見ましたが、なかなか要領よくまとめてあって一見の価値はあります。
 そして隣にある焼津市歴史民俗資料館へ行き、「第五福竜丸コーナー」をじっくりと見学しました。
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 第五福竜丸事件について、スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 1954年(昭和29)3月1日、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、同環礁東方160キロの海上で操業中の日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」を浴びた事件。同船は3月14日静岡県焼津に帰港したが、乗組員23名が「急性放射能症」と診断され、東大病院と国立第一病院に入院、治療を受けた(9月23日には無線長久保山愛吉が死亡)。同船が積んできたマグロからは強い放射能が検出され、5月には日本各地に放射能雨が降り始めた。この事件は国民に強い衝撃を与え、核兵器禁止の世論が急速に盛り上がり、翌55年8月、広島での第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながっていく。
 実は、この事件の背後には、アメリカ政府および日本政府の、非人間的かつ悪魔的かつ犯罪的な数々の行為が隠れされています。よろしければ、『放射能を浴びたX年後』の映画評と、『核の海の証言』の書評をご覧ください。
by sabasaba13 | 2017-04-14 06:29 | 中部 | Comments(0)