散歩の変人:山陽
2022-09-12T07:03:52+09:00
sabasaba13
地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う
Excite Blog
岡山・広島編(83):帰郷(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32753060/
2022-09-12T07:03:00+09:00
2022-09-12T07:03:52+09:00
2022-09-12T07:03:52+09:00
sabasaba13
山陽
そして山陽本線に十分ほど乗ると白市駅に到着です。ここでバスに乗り換えて広島空港へと向かいます。途中で車窓から不思議な構造物が見えましたが、あれは何だったのでしょう。
十数分で広島空港に着きました。カウンターでブロンプトンを預け、積み重ねず丁寧に扱ってほしいとお願いすると、若い男性職員が微笑んで「ブロンプトンですね」の一言。互いに見合わす顔と顔、俺の目を見ろ何にも言うな、二人の間に微弱な電流が流れたようでした。なぜ知っているのかと訊くと、以前に自転車屋で働いていたとのことでした。「自転車好きとして心苦しいのですが…」と、壊れた時の免責書への署名を求められました。
サインをしてブロンプトンを預け、近くにあった広島空港マスコットキャラクター「ソラミィ」を撮影して、夕食をとりました。
「てっ平」に入って広島お好み焼き全部入り(エビ・イカ・イカ天・そば・豚肉・玉子)を注文。ボリューミーで美味しうございました。
そして18:00発のANA 684便に搭乗して空路羽田へ。今回も強行軍でしたが、充実した旅でした。
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岡山・広島編(82):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32732096/
2022-09-11T06:00:00+09:00
2022-09-11T06:00:35+09:00
2022-09-11T06:00:35+09:00
sabasaba13
山陽
ときどき涙滴型の大きな石が道端に置かれていますが、これは沓(くつ)石といって、タンクの下に重石として置かれる石だそうです。
岡田酒販という酒屋さんは、岡田茂の生家です。
解説を転記します。
岡田茂
東広島市名誉市民
大正13年3月2日、賀茂郡西条町(現東広島市西条町)生まれ。広島一中(現国泰寺高)、広島高等学校、東京帝国大(現東京大)卒業後、昭22年東映の前身である東横映画に入社。25年、「きけ、わだつみの声」を初プロデュースし大ヒットさせる。26年、東京映画配給、太泉映画との3社合併で東映となった後、京都撮影所制作課長に抜擢。その後、同所長、常務取締役映画本部長などを経て、46年大川博氏の後を継ぎ、東映2代目社長に就任。任侠映画や実録映画などを手がけ、日本映画界に多大な功績を残した。
そして忘れてはいけない、ガイドブックに載っていた、東広島で醸されている十一の日本酒のラベルと「日本酒でかんぱいしょーやあ」という広島弁が記されたTシャツを買いましょう。飲兵衛にとっては垂涎の逸品ですね。さきほどの観光案内所で教えていただいた「おみやげ街道」に寄って二枚購入。実は酒好きのテニス仲間と、旅先でお酒Tシャツをみつけたらお土産として進呈しようという契りを結んでおります。
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岡山・広島編(81):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32728413/
2022-09-07T06:08:00+09:00
2022-09-07T06:12:04+09:00
2022-09-07T06:08:40+09:00
sabasaba13
山陽
エレベーターに乗って十階の展望室へ、わお、これは素晴らしい眺望です。赤い甍の波の間に屹立する煉瓦の煙突、いいですね。ここはお薦めの場所です、ロハだし。
それでは帰途につきますか。ブロンプトンにまたがって走り出すと、「東広島市消防局」と記された可愛い小さな電気自動車(Electric Vehicle)が駐車してありました。
グリーン・ウォッシュというのでしょうか、どうもEVに乗りさえすれば温室効果ガス削減に貢献しているという風潮には疑問を感じております。本当にそうなのでしょうか。『人新世の「資本論」』(斎藤幸平 集英社新書1035A)から引用します。
実際、電気自動車の生産、その原料の採掘でも石油燃料が使用され、二酸化炭素は排出される。さらには、電気自動車のせいで増大する電力消費量を補うために、ますます多くの太陽光パネルや風力発電の設置が必要となり、そのために資源が採掘され、発電装置の製造でさらなる二酸化炭素が排出される。もちろん、環境も破壊される。「ジェヴォンズのパラドックス」だ。結果的に、環境危機は悪化していく。
ここにダメ押しのデータがある。IEA(国際エネルギー機関)によれば、2040年までに、電気自動車は現在の200万台から、2億8000万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。
なぜだろうか? そもそも、電気自動車に代えたところで、二酸化炭素排出量は大して減らない。バッテリーの大型化によって、製造工程で発生する二酸化炭素はますます増えていくからだ。(p.90)
というわけです。気候危機というドサクサにまぎれて一儲けしようなどという変な色気は捨てて、自転車に乗りましょう。『〈脱成長〉は、世界を変えられるか? 贈与・幸福・自律の新たな社会へ』(セルジュ・ラトゥーシュ 作品社)から引用します。
コンヴィヴィアリテ(※節度のある楽しい生活)-イヴァン・イリイチが18世紀フランスの偉大な美食家ブリア=サヴァラン(『味覚の生理学』の著者)から借用した言葉… (p.119) コンヴィヴィアリテは、他律性批判、価値損失批判、逆生産性批判に代表されるイリイチのあらゆるテーマを結合する概念である。イヴァン・イリイチによれば、楽しみと分かち合いにあふれる生活をつくる道具〔=コンヴィヴィアルな道具〕が存在する。例えば自転車は、環境を汚染せず化石燃料も燃やさない(総有効速度では)地上で最も高速で自律的な移動手段である。(p.119)
でも「ココハホドウ×」という紙を貼られないに、ルールは守りましょうね。
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岡山・広島編(80):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32727557/
2022-09-06T06:13:00+09:00
2022-09-06T06:13:25+09:00
2022-09-06T06:13:25+09:00
sabasaba13
山陽
東広島市観光情報サイトから転記します。
300年以上の歴史を誇る蔵元。「白牡丹」の名は京の五摂家のひとつ鷹司家から授けられたもので、醸すお酒は夏目漱石、棟方志功ら文化人、芸術家に愛されました。展示室では棟方志功が白牡丹のために制作した版画もずらりと並び、まるで博物館。試飲や蔵限定酒の販売もあります。
そして西條鶴醸造へ、登録有形文化財に登録された風格のある酒蔵や母屋に心惹かれます。
ホームページから転記します。
伊野本市松が明治37年(1904年)に創業。地名の「西條」と、めでたい「鶴」をあわせ「西條鶴」と命名。明治より令和の時代まで皆様に愛され続けていただけるように日々努めております。創業より使っている酒蔵、母屋等は平成28年に国の登録有形文化財に指定されています。
平成18年秋の酒造りから前杜氏引退に伴い、季節杜氏を廃止。社員での酒造りへ移行。伝統の広島杜氏の技を受け継ぎ、38才で杜氏となった宮地 充宣(みやじ みつよし)と『地酒は慈酒、西條鶴を飲んでくださるお客様に"口福と幸福をお届けする"』をテーマに日々精進をこころがけて醸しています。
それでは少し離れたところにある山陽鶴酒造へと参りましょう。おっ、白壁・なまこ壁・赤瓦の小さな酒蔵があるぞ…と思ったら公衆便所でした。「ら・ら・ら… 銀座村 (年金くらぶ) 若者同伴歓迎 !!」という看板には…コメントのつけようがありません。年金をもらえる歳になったら寄ってみましょう。(銀座村に行けるほどの額ではないことが判明、トホホホホ) その近くに貼ってあったポスター「全員野球 交通安全 15黒田博樹」へのコメントは、「スワローズを負かさない程度に頑張ってね、黒田さん」。お仕事中の大工さんの背中に踊る文字は「一棟入魂」、燃える職人魂を感じます。
四連のアーチと縦長窓がキュートな洋館には「店商田原」という看板があったので戦前の物件でしょう 。
そして赤瓦がすてきな山陽鶴酒造に到着。
東広島市観光情報サイトから転記します。
1912(大正元)年創業。清酒本来の「甘酸辛苦渋」が一体となって溶け合う日本酒を造ってきました。蔵内には割烹料亭があり、直売所では蔵限定のお酒やグッズも販売。
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岡山・広島編(79):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32726673/
2022-09-05T07:35:00+09:00
2022-09-05T07:35:41+09:00
2022-09-05T07:35:41+09:00
sabasaba13
山陽
晩酌はウイスキーか酒だが、一日の仕事が終った明け方に、かならずビール一本をのむのが十数年来のならわしである。
このとき、何も肴をつままなかったのだけれど、このごろは梅干lと、梅干といっしょにつけこんであるシソの葉をつまみながらビールをのむのがくせになってしまった。
煙草を吸いすぎた口中がさっぱりとするのがよい。
「私のさかな」 井上靖
私は酒を飲み出すと、出て来る料理を片っぱしから平らげる。酒を飲み出すと、何でも美味く食べられるが、美味しいものが沢山出た方がいい。その点甚だ野暮ったい酒飲みである。だから肴のない酒もりなど、私には意味がないし、味気ない。大体料理を食べ終って、もう料理はたくさんという頃になると、日本酒を洋酒にきり替える。ブランデーでも、ウイスキーでも、料理など見向きもしなくなってから、うまく飲めるし、気持よく酔える。よくしたもので、オードブルは日本酒は日本風の、洋酒は洋風のものがいい。洋酒は生で飲む。水やソーダで割ったのは飛行機の中だけ。
「私のさかな」 山岡荘八
サカナは何でなければ…というようなのは真の酒徒ではない。ひとつまみの塩でよし、味噌でよし、バター、チーズでもよい。ほんの少々舌にのせるだけで酒の味はぐっと活きる。酒と栄養をいちどに採ろうなどと考えるのは邪道であり、それを続けていると胃をやられる。
季節季節の生野菜に、ほんの少し塩をつけて、それで結構、問題は酒の風味を損なわないところになければならない。
さまざまな干物結構、塩から類結構、鰯の目ざしなど塩の加減、干し加減で、これあるかなと感謝したくなる。ときには生大根と古漬物を刻み込み、それに納豆を少々入れ、更にゴマと麻の実などを混ぜたもの…これは少々手数がかかるが、これも結構。
とにかく主格は酒である。したがって訪問先では、サカナは何を出されても、ただありがたく謝意をのべて、もっぱら酒を頂く。そして大いに酔うのが、わが家風である。
「私のさかな」 草野心平
東京の街へ出ない夜は、自分の家で独りでのむ。所沢へ出るには遠いし、またロクなところもない。
たまにはビールも飲まないこともないが、日本酒やウイスキーのことの方が多い。そして大概はエチャンポンする。言わば出鱈目な飲み方だが、肴もまたチャンポンの出鱈目である。(ただチーズだけは流石歴史がみぢかいだけあってつい向うのものにしてしまう。) 近くの田ん圃からノビルをとってきて、味噌味の油イタメをしたり、梅干トワサビをこね合わしたり、生まのままの蕗のトウを味噌と一緒に摺こぎですったり、大体がありあわせのものを、チョコマカやってゴマ化している。
なんにもしたくないときには香港産の腐乳を一個小皿にのっける。それだけのこともある。たった一人の晩の方が多いが、サケと一緒だと淋しくはない。
「柿生の雉」 河上徹太郎
考へてみると私には肴といふものはいらないやうである。勿論魚は好きだ。然しそれは食欲の対象であって、腹が空ってゐなければ酒だけでよい。
所でこの正月には思ひがけぬサカナが手に入った。暮に近所へ猟に出ると犬がポイントーなので、いつものやうに小寿鶏のつもりで構へてゐると、思ひがけず見事な雄雉が飛び立った。幸ひ小さな弾で落ちたが、この辺はもう十年以上前から雉は絶滅してゐる筈である。聞けば十キロ位離れた多摩村に猟鳥の飼育場があって放鳥してゐるさうで、それが紛れ込んだのだらう。小川軒でローストにして貰って元日に食べたが、雉がこんなにおいしかったのは初めてである。きっと飼育場の餌がよかったのだらうが、さうなると私には迷ひが生じた。野鳥が飼育場よりうまいのは鶉がその著例で、私の平素からの持論だが、今この原則が覆ったからである。
本日の一枚は、賀茂鶴酒造です。
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岡山・広島編(78):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32718395/
2022-08-27T06:58:00+09:00
2022-08-27T06:58:05+09:00
2022-08-27T06:58:05+09:00
sabasaba13
山陽
私には「男の一生」という小説がある。
秀吉の幼友達で、苦労を共にし、後に秀次事件に連座して、殉死した前野庄右衛門をモデルにして書いた小説だ。私としては自分の血縁のことも、一寸、出て来る作品なので、愛着のある材料である。
新聞の連載が終った頃、尾張の酒造家から「新しく製造する新酒に、『男の一生』とお酒の一升をかけて『男の一生』という名をつけたい」という依頼が来た。私としてはまったく異存はなかったが、酒の出来具合だけが気になった。
味わってみると、これが「うまい」たしかに「うまい」。命名者としてはこの酒を、女と一緒に飲む酒、男友達と一緒にj飲む酒にしたいと思っている。
「酒は魔性の女」 童門冬二
太宰治がかつて作品の中で女性をつぎのように表現した。「黙っていれば名を呼び、追えば逃げる」。女性の気まぐれ、魔性性を体験から文章にしたものだ。私と酒の関係もこれに似ている。酔うとすばらしいことを思いつく。「おれは天才だ」と思う。ところがさめてみるとこれが実にクダラない。捨てざるを得ない。それなのに性懲りもなく酔っては思いつき、さめては捨てている。魔性の酒め!
「徳利二本」 水上勉
むかしは、地べたを這うまでも呑んだものが、いま徳利二本で酔っている。おれもぼちぼち下り坂かと思うが、しかし、二本で酔えれば安いもので、またあくる日に酔いはのこらぬ。だが酒友はべつで、地べたを這うまで呑んだ時代の友はなつかしく、いまは孤独な酒になった。戦争末期から敗戦直後にかけて、ぼくのまわりを吹いていた風はメチールくさかった。カストリもよく呑んだ。その当時の友人は冥界にいる。量がいけなくなったのは、理由がつかめない。だんだん、奈良漬でも酔っていた父に似てきたか。
「私の酒」 横溝正史
いまは亡き「銭形平次」の野村胡堂先生は生前私におっしゃったことがある。自分の若いときの友人で胸を患ったのが数人いたが、酒の飲めるやつはみんないつまでも元気でいる。それに反して飲めないやつは全部死んでしまったよと。三十歳のとき大喀血をやらかした私は、この言葉に意を強くして、飲んで飲んで飲みつづけ、本年七十四歳。毎晩寝床のうえで飲む酒、文字どおり寝酒が私にとって人生唯一無二の楽しみである。酔っ払ってそのままコッテンと横になって寝るのが私の趣味なのである。
「私の酒」 梶山季之
まず寝起きにビールを呑む。仕事をしながら一、二本呑み続けることもある。夜は賀茂鶴を四、五合ぐらいか-。ウイスキーはサントリーのオールドを呑むことにしている。賀茂鶴もサントリーも、いつのまにか自分の舌になれてしまった故為であろう。
酒の肴には、あまり贅沢をいわない。ただ娘が、塩辛だとか、雲丹、カラスミなどの類を好むのをみて、<俺みたいな大酒呑みにならねばよいが…>と大いに心配している。
まあ、何はともあれ、百杯のお茶より一杯の酒の方が、友と友との絆を強めることは確かだ。よき友、よき妻、そしてよき酒に恵まれれば、男はそれだけで倖なのである。
本日の一枚は、賀茂鶴酒造の白壁です。
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岡山・広島編(77):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32716544/
2022-08-25T06:15:00+09:00
2022-08-25T06:15:41+09:00
2022-08-25T06:15:41+09:00
sabasaba13
山陽
どこに在ろうと、私は酒の肴で思いわずらったことはない。どこであれ、この地上は、そこが人間の住みつく地であるならば、必ず、したたる酒と、その酒に好適の酒の肴の存在を教えてくれるものである。
私はこのようにして、天山では羊の塩煮にありつき、ピレネーではハモン、セラノにありつき、セバン湖ではシャシュリークにありつき、バルセロナでは蟹の鋏の塩煮にありつき、ハンブルグではザワー、ブラデンにありついた等々…、それで至極満悦したものだ。
その土地土地では、それを拒まないだけの、頑健で、柔軟で、快活な食欲さえ保持しているならば、地上はすべて、それぞれの酒の肴の好適地であって、人間、雑食の愉快は、おもむろに酒とともに、舌頭からうずまきおこってくるだろう。
この故に間違っても虜囚となるな。私は牢獄を恐れるのではない。己の観念の虜囚…、乃至は妻子、愛人等、そこばくの愛着の虜囚になって、遂に己の本然の雑食性を見失うことを、おそれるのである。
「私のさかな」 源氏鶏太
酒のさかなについては、特別に関心がない。いつだって、ありあわせのもので間に合わせている。したがって、そういうことで女房に特別の世話を焼かせることもない。
先づ、私は、晩酌というものを殆どやらないのである。晩酌をやっていた分には、夜の仕事ができなくなる。尤も、夜の仕事は、たいてい午前二時に終る。それから風呂に入って、ベッドの上でウイスキーの水割りを飲むことにしている。以前は、そういうときでも、酒のさかながなかった。時には、鮭の缶詰を開く。それで満足していた。近頃は、鮭の缶詰のかわりに、焼竹輪を用意しておくようにいってある。それを頭からかじりながらウイスキーを飲み、ゴルフの本を読むのである。いちばん手軽でいい。結構、自分でも満足している。寧ろこの場合は、ゴルフの本が鮭のさかなといった方がいいだろう。
「結局酒で死ぬ男」 山田風太郎
酒をのんではいけない病気持ちなのだが、相変らず毎日大杯をかたむけている。
結局私は、何かの病気で死ぬだろうが酒のために死ぬことになるだろう。
ぜいたくを言わせてもらえば、桜がほころびかけた早春三月の末ごろ、おいとまさせていただければありがたいと思う。
「私の酒」 角田房子
お酒との出会いは、ぶどう酒。もう六十年近く昔の話だがポッとした私がパリへ行き、毎日学生食堂でお昼を食べた。「酸っぱいような、ヘンな味」と思ったぶどう酒(これ以下はないという安酒)が病みつきとなり、しらふの午前中さけろくにノートのとれない私だったから、午後はすべて白紙。
昭和十五年からの日本の生活ではぶどう酒は手に入らず、日本酒を冷で飲み始めた。戦争がすんでも、代用品のはずの日本酒が本命となり、今も辛口を冷で飲むのが一番好き…。
本日の一枚は、賀茂鶴酒造です。
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岡山・広島編(76):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32714864/
2022-08-23T07:32:00+09:00
2022-08-23T07:32:22+09:00
2022-08-23T07:32:22+09:00
sabasaba13
山陽
私は菰かぶりといふものを手もとに備へつけたことはない。親父の時代にはそれが陋屋の涼しい位置にあった。一度それを失敬したことがある。カタクチといふもので受とめたのだから相当の分量であっただろう。後に立飲みといふあの率直なやり方を嗜むことになった、その一回分くらゐの分量は凡そあっただろう。冷や酒は口あたりがいいから一息に失敬した。しばらくして心配を覚えたが、ミゾオチのあたりはほのぼのとして気持がよかった。
それから二階に上って仏壇の前で肱枕になった。窓には青葉の明るい夏の日であった。まだ中学に上っていなかったから半世紀の余昔になる。つまらないことを思ひ出したものだ。
「私の酒」 里見弴
酒もたばこも十代のおわり頃からのみ出しています。母方の祖母と父とが胃ガンでなくなっているので、体質的遺伝を心配してくれたのでしょう、医者であった義兄に、三十歳まではまずよかろうけれど、その年でピタリと禁酒しないと若死するかもしれないぞ、とやかましくいわれまして、酒のみ仲間の友達に集まってもらい、盃納めの宴会を催し翌日からの禁酒を声明しました。それが満三十歳になる誕生日のことで、私は七月十四日の生れだものですから、夏の間は何とかがまんできたのですが、だんだん秋風が身にしむ時期になってきますと、熱燗でいっぱい、の欲がどうにもおさえきれなくなり、家の者にも友達にも内緒で日本橋のある料理屋のいちばんすいていそうな時間-二時から四時位を見はからって一杯やり、顔色や息がふだんと変わらなくなるまではそこに休ませておいてもらって、往来で知人に会ってもそれと知られないだけの要心までして、再び酒に親しむようになりました。やがてそれも大っぴらになり以来今日まで六十年も飲みつづけてきているわけ。酒に飲まれず飲むぶんには、まことに結構なものだと思います。
「酒のサカナ」 獅子文六
この頃、好きなサシミが、酒のサカナにならなくなった。まづ、三片がいいところである。しかし、飯のオカズにするなら、うまいと思って食う。また、コノワタ、カラスミの類も、昔ほど魅力を感じなくなった。では何で酒を飲むかといはれると、大変お恥ずかしい。油揚とナッパと煮たようなものがよろしい。干瓢を薄味で煮たものなんかもよろしい。それから、秋田の枝豆(貯蔵品)なぞもよろしい。目下は、毎日、ソラ豆ばかり食ってる。
この間なぞは、どうも食ひたいものが、思ひ浮かばず、ヤケのやうになって、ジャガ芋のゆでたのに、塩をつけて食ってみたら、結構、酒のサカナになった。
サカナを語る資格なし。
本日の一枚は、西条の町並みです。
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岡山・広島編(75):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32709596/
2022-08-17T07:17:00+09:00
2022-08-17T07:17:09+09:00
2022-08-17T07:17:09+09:00
sabasaba13
山陽
白い大きな布がたくさん干してありましたが、たぶん、もろみをしぼるための袋でしょう。
東広島市観光情報サイトから転記します。
1873年に酒銘を「賀茂鶴」と命名。明治から先進的精米技術を取り入れ、大吟醸造りの先駆けとなった蔵元。全国清酒品評会や全国新酒品評会などで数々受賞。見学室直売所は、酒造りを身近に体感できるコーナーやきき酒スペースを充実、蔵元限定酒、期間限定酒も購入でます。
なおこちらでは(たぶん)無限試飲というお楽しみがあります。もちろん私もご相伴にあずかりました。♪酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ♪
賀茂鶴酒の壁には、こよなくお酒を愛した作家・詩人・政財界人などの酒についてのエッセイと、その方々が揮毫した「酒」という字が並べられていました。『酒』という雑誌の表紙を飾った企画だそうです。
これが何とも面白く味わい深い逸品ぞろい。しばし時を忘れて読み耽ってしまいました。ぜひ紹介します。
「私のさかな」 尾崎士郎
私は、ときどき、おれはほんとうの酒呑みではないかと思うことがある。
酒呑みの好物と定評のついたさかなが性に合わないからだ。例えば、蒲鉾、煮肴、かに、油揚、野菜(特に山菜の漬けもの)、特に梅酢でつけた大根、奈良漬、それから酢のものの類なら何でもいい。惣菜といわれているものは、もちろん、自宅では自分でつくる場合が多。その他、ひじき、ぜんまい、昆布、八丁味噌、こんにゃく-いろいろあるが、豆腐のおからなぞは珍重すべきものである。魚で好きなのは、オコゼ、アナゴ、鰈、コチ、車えび、鰻、鱧、小鯛(これは酢である)の類。私の故郷でとれるモズクもいい。酒呑みの常識と一致するのは、「若松うに」と、このわたくらいのものである。「私のさかな」 海音寺潮五郎
酒のさかなに特別な注文はない。さかながよいからとて、一ぱいやろうと思ったことはない。酒の席に出たものなら、何でも食べる。ごく多量に食べる。時として、飲むのを忘れて食べる。本質的には酒が好きではないのであろう。だから、一人で飲む場合は、日本酒なら銚子一本、ビールなら大びん、ウイスキーなら五六盃が限度である。それもおわりの方はかなり苦痛である。
これが一旦気の合った相手がいるとなると、いくらでも飲む。無限に飲む。且つしゃべり、且つ笑い、且つ飲んで、飽くうところを知らない。しゃべったり、笑ったりするのが、適当にのどをかわかしてくれるのであろう、実にうまいのである。
だから、ぼくの場合は、気の合った友達が最もよい酒のさかなということになろう。]]>
岡山・広島編(74):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32707728/
2022-08-15T07:43:00+09:00
2022-08-15T07:43:47+09:00
2022-08-15T07:43:47+09:00
sabasaba13
山陽
なかなか楽しく興味深いものだったので転記しておきます。芭蕉ってけっこう酒のことを詠っているのですね。
酒飲みに語らんかかる滝の花 松尾芭蕉
奈良吉野の龍門の滝を訪ねた折の一句。この絶景を酒飲みの土産話とすればさぞ喜ばれるだろうとの感嘆が込められています。さらに同時に詠んだ句も「龍門の花や上戸の土産にせん」と、これまた酒がらみ。芭蕉の酒仙ぶりが伺えます。朝顔は酒盛知らぬ盛り哉 松尾芭蕉
この句は貞享5年(1688年)芭蕉45歳の時l、『更科紀行』の出発に際して詠まれたものです。多くの門人が集まり、別れを惜しんで酒盛りをしているが、朝顔はそんなことに関係なく今を盛りと咲いているわけです。酒宴は夜でしょうしね。草の戸や日暮れてくれし菊の酒 松尾芭蕉
菊の花びらを浮かべた酒を飲み、長寿を祝う重陽の節句。隠遁生活の自分には無縁のことと高をくくっていた芭蕉ですが、夕刻に門人・川井乙州が祝いの酒を手に駆けつけてきます。重いもしなかった祝いと酒。さぞ嬉しかったことでしょう。酒のめばいとど寝られぬ夜の雪 松尾芭蕉
世俗を離れて暮らす芭蕉ほどの聖人であっても、雪が美しい夜はそれを肴に一献傾ける友が欲しくなるもの。しかし、雪の夜に訪ねてくれる人もなし。最高の友である酒を一人飲んでみたものの、帰って(ママ)人恋しくなってしまったのだとか。十五から酒をのみ出てけふの月 宝井其角
松尾芭蕉の弟子で、酒豪としても知られた宝井其角。十五歳にはすでに酒をたしなんでいたそうです。この句は早熟な自身と中秋の名月をかけたもの。「十五夜」と呼ばれる中秋の名月には様々な呼び方があり「けふの月」とも言います。酒をたべてゐる山は枯れてゐる 種田山頭火
造り酒屋lの息子で大変な酒好きであった種田山頭火ですが、放蕩者の父と自身の酒癖が災いし家業を廃業するはめに。晩年には修行僧姿で西日本を旅する日々。僅かな持ち合わせで酒を買い、まさに「酒を食べる」境遇だったのでしょう。ほろほろ酔うて木の葉ふる 種田山頭火
「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」と酔う過程を表した山頭火。「ほろほろ」と酔う様と木の葉が舞う音をかけた、「酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語った、彼らしい一句です。婆々どのが酒呑に行く月夜哉 小林一茶
わざわざ外にお酒を飲みに行くのには、縁遠いようなお婆さんでも、つい飲みに出歩くほどの見事な月夜。月の持つ不思議な力には、お婆さんでも逆らえない?盃に散れや糺(ただす)のとぶほたる 小林一茶
納涼の名所として知られた京都・下鴨神社境内にある「糺の森」。無数のホタルが飛び交い、盃に蛍火が移る(ママ)様子はさぞかし美しかったことでしょう。
となると「日本酒に関する短歌」も気になりますね。勉強不足ゆえ、大伴旅人と若山牧水の歌しか思い浮かびませんが。
大伴旅人
あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る
なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ若山牧水
人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
こんな狂歌もありますね。
太田南畝
世の中は色と酒とが敵なり どうぞ敵にめぐりあいたい
本日の一枚は、西条の町並みです。
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岡山・広島編(73):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32706821/
2022-08-14T06:52:00+09:00
2022-08-15T07:45:12+09:00
2022-08-14T06:52:45+09:00
sabasaba13
山陽
ホームページを転記します。
広島県東広島市西条町では、明治時代より、日本酒の酒造りが盛んに行われてきました。 そして、今なお、多くの蔵元が軒をつらねる、白壁の街として知られています。その酒都西條において、大正6年より酒造りを続けてきた酒蔵が、福美人酒造株式会社です。すぐれた酒造りの技能のため、全国より杜氏が学びに訪れたため福美人は「西條酒造学校」とも呼ばれました。 また、現在でも、平成に入って、全国新酒鑑評会 金賞を7回受賞するなど、今なお高い評価を得ている銘酒をお届けしております。
なおこちらでは広島カープへの募金で使われた樽を見ることができます。ファンの方、必見です。
なお係りの女性を「日本シリーズ、残念でしたね」と慰めると、含羞の微笑みをかえしてくれました。ちなみにこの年の日本一は日本ハム・ファイターズでした。
カープと酒樽
昭和24年(1949年)、原爆被害からの復興の一翼を担うべく、親会社のない市民球団として結成された「広島カープ」。設立当初から資金難に陥ります。選手への給料の支払いは遅れ、日本野球連盟への加盟金も払えない状況でした。
解散や合併の話が現実味を帯び始めた設立2年目、「我が広島カープを救え!」と広島市民が立ち上がります。当時の本拠地であった広島総合球場(現在の広島県総合グランド野球場)入口に2つの酒樽を設置して「たる募金」を開始。球団存続に必要だった400万円を集め、危機脱う出に成功します。この時に使われた酒樽こそ、福美人の酒樽なのです。
なお、「たる募金」は、平成16年(2004年)に始まった「広島新球場建設たる募金共同キャンペーン」へと受け継がれ、1億2000万円超の寄付を集めることに成功。新球場は平成21年(2009年)に無事開場を迎えました。
本日の一枚は、西条の町並みです。
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岡山・広島編(72):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32672071/
2022-07-29T06:24:00+09:00
2022-07-29T06:24:56+09:00
2022-07-29T06:24:56+09:00
sabasaba13
山陽
ホームページから引用します。
「鶴は千年 亀は万年」の言葉のごとく、長命と永遠の繁栄の意をこめて名づけられた"亀齢"は、古くは「吉田屋の酒」として酒客に親しまれていたものを、明治初期、当主石井幸太郎が命名しました。吉田屋の酒から"亀齢"に名を変えて、味を磨き、人から人へとそのうまさは語り継がれ、多くの酒客を魅了し続けております。
なお赤瓦については、観光パンフレットに下記の解説がありました。
西条の赤瓦民家
西条の街並みを象徴するものといえば「赤瓦」です。この美しい瓦を抜きに西条の街並みを語ることはできません。
赤瓦誕生の背景には、西条特有の気候があります。冬は積雪に見まわれる一方、夏には強烈な陽射しが照りつける西条。過酷な環境に耐えうる瓦として使用されたのが赤瓦でした。
材料は東広島で産出される粘土。黒瓦と異なり、釉薬として来待石を使用していたことから、この赤瓦が生まれました。高温で焼成した赤瓦は瓦全体をガラスで包んだような美しい光沢があります。
広大な敷地の賀茂泉酒造には洒落た洋館がありましたが、カフェとして利用されているそうです。
東広島市観光情報サイトから転記します。
米と米こうじだけで仕込み、広島杜氏伝承の技で丁寧に醸す純米酒で有名。特に、地元の東広島市造賀地区で特別栽培している「山田錦」を使った造賀純米酒は好評。敷地内にある酒泉館は、旧広島県西条清酒醸造支場を改装したカフェ。お酒の飲みくらべ、酒スイーツメニュー、蔵元グッズの販売などが楽しめます。]]>
岡山・広島編(71):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32671203/
2022-07-28T06:55:00+09:00
2022-07-28T06:55:52+09:00
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sabasaba13
山陽
さあブロンプトンを組み立てていざ出発。白壁・なまこ壁を模した電話ボックスと、マスコットキャラクター「のん太」と、その顔はめ看板を撮影して、コメカラが食べられる「くぐり門珈琲店」へ行きコメカラ定食をいただきました。
うん、カリカリ・サクサクした食感がいいですね。
米粉についてのパンフレットがあったので後学のために転記しておきます。
米粉を知ろう!
どうして東広島で米粉?
東広島市は、お米の収穫量・作付面積ともに県内1位を誇る県内最大の穀倉地帯。米どころである東広島は米粉づくりに適しています。
米粉の特徴は?
一、もっちり・カリカリ新食感
米粉で作ったパンや麺はもっちもち、唐揚げや天ぷらは揚げるとカリカリ・サクサクに!
二、低カロリー
小麦粉より油の吸収率が低くヘルシー!
三、アレルギーが少ない
小麦アレルギーの方にも安心。離乳食のおもゆやとろみづけにも安心。
四、食料自給率アップ
国産の米粉を使えば、食料自給率の向上に役立ちます。コメカラって何だろう?
西條酒と米粉を材料に使用した唐揚げのこと。
特徴
米粉の衣でカリッとした食感に!
冷めてもその食感が長持ち
小麦粉より油を吸収しにくく、低カロリーで女性にも嬉しい!
小麦アレルギーでも安心!
西條酒に具材を漬け込むことで柔らかく仕上がる
酒の旨味と風味が口の中いっぱいに広がる
西條酒の肴にピッタリ!
具材は肉類・魚介類・野菜、どれでもOK!
なお時事通信のニュースによると、農林水産省は8月25日、2020年度の食料自給率(カロリーベース)が前年度比1ポイント低下の37%になったと発表しました。37%か… まともな国ではありませんね。どこかの国が歌う"日本殺すに刃物はいらぬ、食料輸出を止めりゃいい"という戯れ唄が聞こえてくるような気がします。自民党政権の胡散臭さは多々ありますが、亡国につながる危険、例えば原発・コロナ禍・自然災害・低い食糧給率を放置して、私たちの納めた血税を湯水の如く軍事費に注ぎ込んでいることです。ほんとうに私たちの命や暮らしを守る気があるのなら、プライオリティが違うでしょと批判したいですね。その気がないのなら話は別ですが。いずれにせよ一刻も早くこの政権を退場させなければ命がいくつあっても足りません。ま、それはともかく米粉をたくさん食べて、食料自給率向上に少しでも貢献しましょう。
そうそう、ここ西条は、百塔の街・プラハのように、酒蔵の赤煉瓦煙突がたくさん屹立しているそうです。それらを鳥瞰できる場所はないかとお店の方に訊いたところ、市役所10階に展望室があるとのこと。先達はあらまほしき事なり(『徒然草』第52段)、たいがたいこっちゃ。
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岡山・広島編(70):西条(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32670247/
2022-07-27T06:26:00+09:00
2022-07-27T06:26:04+09:00
2022-07-27T06:26:04+09:00
sabasaba13
山陽
明治の中ごろ、海辺にある安芸津の町で酒造家の三浦仙三郎が生み出した醸造法は、その後「吟醸造り」と呼ばれ、安芸津の杜氏によって全国に広められます。東広島市の中央にある西条は、高所にあって冬の仕込みに適した気候と地下水に恵まれ、大正・昭和の初めに「酒都西条」と呼ばれる一大銘醸地になりました。そして昭和の初め、ここで吟醸酒造りには欠かせない竪型精米機が生まれたのです。さらに市の北部の高原台地では、夏の昼夜の温度差と良質な水によって、質の良い酒米が作られています。
こうして東広島市のあちこちで、今も最高級の吟醸酒が造られ、春には市内にある酒類総合研究所で全国の吟醸酒の審査が行なわれ、秋には全国の酒を一堂に集めた酒まつりがJR西条駅周辺で開催されています。
現在の西条駅前を東西にのびる道沿いに、江戸時代には細長く連なる宿場町がありました。それが現在の「酒蔵通り」と呼ばれている町並みの元になった西国街道(旧山陽道)の「四日市」という宿場です。 宿場の中心には広島藩直営の「御茶屋」と呼ばれた本陣が置かれ、藩内の宿場の中でも最大のものでした。
西条駅構内に、"日本の「アメリカ」で働きませんか"という、ドキッとするようなポスターが貼ってありました。
もしや日本国政府の職員募集かと思ったら、在日米軍基地勤務職員の求人でした。そうか、岩国基地が近いですものね。
日本の「アメリカ」で働きませんか在日米軍基地で働くとは
我が国には、日米安全保障条約に基づき、在日米軍が駐留しています。この在日米軍の任務遂行のために必要な労働力は、国(防衛大臣)が雇用し、在日米軍に提供しています。
在日米軍基地で勤務している方々は、在日米軍従業員又は駐留軍等労働者と呼ばれて、事務や技術、販売等多様な支援業務を行っています。在日米軍においては、それら多様な支援事務に関する豊富な知識や経験を持った即戦力となる方を求めています。どんな仕事があるのか
事務・技術関係
庶務、会計、通訳、建築、土木、機械など
技能・労務関係
補修、点検、運転、清掃、販売、ウェイター・ウェイトレスなど
警備・消防関係
警備員、消防員など
医療関係
歯科衛生職、医療技術職など
看護関係
看護職、看護助手職など
なおその給与は当然米軍が支払うべきものですが、日本政府が代わりに支払っております。そう、いわゆる"思いやり予算"ですね。
追記です。募集する前に、日米地位協定を改定して感染症対策をしっかりやっていただきたいものです。
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岡山・広島編(69):西条へ(16.10)
http://sabasaba13.exblog.jp/32663933/
2022-07-20T06:24:00+09:00
2022-07-20T06:24:24+09:00
2022-07-20T06:24:24+09:00
sabasaba13
山陽
いま確認すると浄土寺というお寺さんでした。なおどうでもいいことですが、参道を線路が横切るお寺さんとして、鎌倉(神奈川県)の円覚寺と興津(静岡県)の清見寺を紹介しておきましょう。
尾道を通り過ぎ、三十分ほどで三原駅に到着。列車の待ち合わせ時間が少しあるので珈琲でも飲もうと改札を出ました。西日本ではよく駅に併設されているパン屋「サンエトワール」に入って食べるものを物色していると「三原あんぱん」というご当地B級グルメがありました。なになに…
低糖のつぶあんをよく熟成させたしっとり生地に包んで、たっぷりのホイップクリームを絞りました。あんことホイップの絶妙なハーモニーをお楽しみください。
さっそくこやつと珈琲を所望、絶妙なハーモニーを楽しみました。
駅構内に貼ってあった三原市公式マスコットキャラクター「やっさだるマン」のポスターを撮影。
三原市のホームページから、彼のプロフィールを引用します。
やっさだるマンは、毎年2月に開催される備後地方に春を告げる祭り、「三原神明市」に登場する日本一の大だるまをイメージしています。頭には三原だるまの特徴であるハチマキを巻き、やっさ踊りのはっぴを身にまとっています。やっさ踊りが大好きで、お囃子が聞こえてくると思わず踊ってしまいます。
ワイルドな眉毛とつぶらな瞳がチャームポイントで、顔に似合わず優しい性格をしています。三原のスイーツとお酒が大好き。座右の銘は「七転び八起き」です。やっさだるマンのはっぴに触れるとハッピーになれるかも?というウワサがありますので、ぜひ触ってみてください。
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