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世界報道写真展2019

c0051620_14414625.jpg 山種美術館で「速水御舟展」を見た後、東京都写真美術館へ行き、知人に招待券をもらった「世界報道写真展2019」を見てきました。まずは公式ホームページから、展覧会の概要についての紹介文を引用します。
 世界報道写真コンテストの受賞作を紹介する「世界報道写真展2019」。62回目を迎える今回のコンテストには、129の国と地域から4,738人のフォトグラファーが参加し、78,801点の応募がありました。
 今年は、「現代社会の問題」、「一般ニュース」、「長期取材」、「自然」、「環境」、「スポーツ」、「スポットニュース」、そして昨年の「人々」にかわり「ポートレート」の部の8部門において、25カ国43人が受賞しました。また新たに、複数の写真で様々な事象を表現した作品を評価する「世界報道写真ストーリー大賞」が設けられ、報道写真の表現が広がりを見せています。
 「スポットニュース」の部では、ジョン・ムーアがメキシコとアメリカの国境で、母親の取り調べ中に泣き叫ぶホンジュラスの少女を捉えました。また「一般ニュース」の部では、サウジアラビアのカショギ記者が行方不明になった事件で、サウジの総領事館に押し寄せる報道陣の姿を写しています。ほかにも、シリアで続く内戦やコロンビア革命軍の元女性兵士の暮らし、オランダ領キュラソーのベニイロフラミンゴを捉えた作品など、地球上で「いま」起きていることを伝える写真の数々を紹介します。
 今、世界で何が起きているのか、そしてそれと日本がどのように関わっているのか。常に関心を持ち、調べ、考えていきたいと思っております。そのきっかけとなるのが、やはり写真です。いろいろな経緯があったとはいえ優れた報道写真誌であった『DAYS JAPAN』が廃刊となったため、世界のさまざまな事件や出来事を伝えてくれる報道写真を見る機会が減ってしまいました。こうした写真展はできうる限り見にいくように心掛けてします。
 どの写真も、今の世界を鮮明に伝えてくれる力作で、一つ一つキャプションを読みながらじっくりと鑑賞しました。その中でも、人権を奪われ虐げられる子どもたちの写真には胸がひきさかれます。ゴミの上で眠る少年、母にすがって泣き咽ぶ少女(ポスターの写真)、恐怖に怯える子どもたち。それぞれに下記のキャプションが添えられていました。
環境の部 マリオ・クルス(ポルトガル)
 フィリピンの首都マニラに流れるパッシブ川に浮かぶゴミに囲まれたマットレスに横たわる子ども。パッシブ川は2017年の『ネイチャー・コミュニケーションズ』の報告で、世界で最も汚染されている20本の河川の一つに挙げられた。現在は浄化に努力がなされているが、河川の一部は依然として廃棄物が密集しているため、ゴミの上を歩くことができるほどの状況にある。

スポットニュースの部 ジョン・ムーア(アメリカ)
 2018年6月12日、米国テキサス州マッカレンで、母親サンドラ・サンチェスが国境監視員の取り調べを受けている間泣き叫ぶホンジュラスの子どもヤネラ。メキシコからリオ・グランデ川を渡ってきた移民家族らは、当局に拘束された。母親のサンドラ・サンチェスは、亡命のためアメリカに到着するまで、1か月にわたり娘とともに中央アメリカおよびメキシコを旅してきたと話した。トランプ政権は、「ゼロ・トレランス(不寛容)」移民政策を発表し、不法に米国に入国し拘束された者を刑事訴追すると述べた。その結果、逮捕された親の多くは子どもから切り離され、多くの場合異なる収容施設に送られた。この写真が世界に公開された後、米国の税関と国境保護は、ヤネラと彼女の母親が米国によって分離された何千人もの人の中にいなかったことを確認した。それにもかかわらず、物議をかもしている政策に対する一般の人々からの抗議により、ドナルド・トランプ大統領は2018年6月20日に政策を覆すことになった。

スポットニュースの部 モハメド・バドラ(シリア)
 内戦下シリアで、最後の反体制派支配地域となっているシリアの首都ダマスカス近郊東グータ地区の住民は、2018年2月までの5年にわたり政府軍の包囲下にある。東グータの最終攻撃では、2018年2月25日のシフォニエ村に対する毒ガスと思われる攻撃少なくとも1回を含め、ロケット攻撃と空爆が行われた。
 人類にとって唯一の、そして最後の希望である子どもたち。いま、その子どもたちの命と人権が、全世界規模で脅かされているように思えます。日本も例外ではありません。厚生労働省の調査によれば、日本の子どもの貧困率(2015年)は13.9%。さらにひとり親家庭の貧困率は50.8%と、先進国の中でも最悪な水準だと言われています。自然に加えて子どもたちをも壊している人類、それはもはや緩慢なる自殺です。カ-ト・ヴォネガットの言葉が耳朶に響きます。
われわれは自分たちを救えたかもしれないが、
呪わしいほどなまけものであったため、その努力をしなかった。
それにわれわれは呪わしいほど下劣だった。
 そうした現状を知り、調べ、考え、変えるためにも、こうした報道写真を見ることは良い契機となります。世界を股にかけて撮影を続けるフォト・ジャーナリストの方々に敬意を表するとともに、応援をしていきたいと思います。微力だが無力ではないと信じつつ。

 写真展を見終えて外へ出ると、何やら長い行列ができています。しかもほとんどの方がスマートフォンの画面を眺め弄りながらの、静かで不気味な行列です。山ノ神と見合わす顔と顔、よろしい、行列の先頭に行ってその正体をつきとめましょう。はい、アニメのグッズを買い求めるための長い長い行列でした。非難や嘲笑をする気は毛頭ありませんが、ただ今見てきた世界との落差には愕然とします。ゴミの中で暮らし、難民となり、空爆に怯える子どもたち。炎天下、アニメのグッズを買うために長い行列をつくる若者たち。
 ちなみにこの日は参議院選挙の投票日、私たちは期日前投票をすませていますが、ここに並ぶ方々は投票したのでしょうか。
by sabasaba13 | 2019-08-13 08:01 | 美術 | Comments(0)

速水御舟展

c0051620_21543724.jpg ちょっと忘れられない思い出があります。高校生の時、数学の先生がニコニコしながら早引けして校門を出ていくので、「先生、どこに行くんですか」と訊いたところ、満面の笑顔で「"はやみぎょしゅう"の展覧会を見に行くんだ」と答えてくれました。昔はきっと、先生方にもさまざまな余裕があったのでしょうね。そして私を対等な人間として接し、高校生には馴染の薄い画家の名前を告げてくれた先生に感謝します。
 それ以来、喉に刺さった小骨のように、"はやみぎょしゅう"という名前が心の片隅でうずくようになりました。やがて知識も増え、速水御舟という日本画家であることが分かり、山種美術館で彼の作品をいくつか見ることもできました。しかし管見の限り彼の展覧会は開かれておらず、御舟の作品をまとめて見る機会はありませんでした。しかしその機会が到来しました。速水御舟生誕125年を記念して、山種美術館が所有する御舟コレクションの全貌が紹介されるそうです。同美術館の公式サイトから引用します。
 本年は、日本画家・速水御舟(1894-1935)の生誕から125年、そして山種美術館が現在の渋谷区広尾の地に移転し開館してから10年目にあたります。この節目の年を記念し、当館の「顔」となっている御舟コレクションの全貌を紹介する展覧会を開催いたします。
 当館創立者の山崎種二(1893-1983)は御舟とは一つ違いでしたが、御舟が40歳という若さで早世したため、直接交流することがかないませんでした。しかし、御舟の芸術を心から愛した種二は、機会あるごとにその作品を蒐集し、自宅の床の間にかけて楽しんでいました。
 一方、御舟は23歳の若さで日本美術院同人に推挙され、横山大観や小林古径らにも高く評価された画家。「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」という御舟の言葉どおり、彼は生涯を通じて、短いサイクルで次々と作風を変えながら、画壇に新風を吹き込んでいきました。
 御舟は40年という短い生涯に、およそ700余点の作品を残しましたが、その多くが所蔵家に秘蔵されて公開されることが少なかったため、「幻の画家」とも称されていました。1976年、旧安宅産業コレクションの御舟作品105点の一括購入の相談が種二のもとに持ち込まれ、種二は購入の決断をします。その結果、すでに所蔵していた作品とあわせて計120点の御舟作品が山種美術館の所蔵となり、以来当館は「御舟美術館」として親しまれてきました。
 本展では、御舟の代表作ともいえる《炎舞》、《名樹散椿》(ともに重要文化財)をはじめとして、《錦木》など初期の作品から《牡丹花(墨牡丹)》など晩年の作品まで、各時代の作品をまとめてご覧いただきます。
 当館の御舟コレクション全点公開は2009年の広尾開館以来10年ぶりとなります。この機会に、御舟芸術の真髄をお楽しみください。
 最近、油絵にはまっている山ノ神を誘うと、即快諾。とある日曜日に二人で山種美術館に行ってきました。JR恵比寿駅から、駒沢通りのだらだらとした坂を十数分のぼると、山種美術館に到着です。会場は思ったよりは混雑していましたが、絵を見るために行列に並ばねばならないほどではありません。御舟の絵を見たいという、静かな熱気に包まれた良い雰囲気でした。

 驚いたのは、四十歳で早世したにもかかわらず、次々と作風を変えていったことです。まず徹底した細密描写による精緻な写実。次に琳派的な装飾的構成。そして十ヶ月にわたる渡欧によって西洋の人物画に触れ、日本画家の人物デッサン力不足を痛感した御舟は、帰国後は人物画に意欲的に取り組みます。同時に花鳥画の佳品を制作しますが、彼は「自分の作品に主張がなくなった」「絵が早くできすぎて困る」と友人に語ったそうです。そして「これからは売れない絵を描くから覚悟しておいてくれ」と夫人に語り、写実を離れた抽象的な形態を追求していきます。その直後の死。彼の言葉です。
梯子の頂上に登る勇気は貴い、
更にそこから降りて来て、
再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。
大抵は一度登ればそれで安心してしまう。
そこで腰を据えてしまう者が多い。
登り得る勇気を持つ者よりも、
更に降り得る勇気を持つ者は、
真に強い力の把持者である。
 「半年も前と同じことはやれない」と語ったマイルス・ディビスのようですね。

 そしてどれほどスタイルが変わっても、ぶれずに一貫しているのが、絵が発する気品です。一筆一筆に込められた彼の気持ちが、静かに熱く伝わってくるようです。見ているだけで、気持ちが落ち着てくるような、素敵な絵ばかりです。
 「炎舞」は別格として、私のお気に入りは三枚。まずは「葉蔭魔手」、ヤツデの木陰に巣をはって獲物を待つ蜘蛛を描いたものです。蜘蛛とヤツデの葉のリアルな描写、装飾的にみごとな空間構成、獲物を待つ蜘蛛がただよわせる心地よい緊張感。何よりも凄いのは、蜘蛛の糸です。ぶれもかすれもせず、これほど細い線を生き生きと描けるものなのか。どれほどの研鑽を積んだのか。恐れ入りました。
 二枚目は、「昆虫二題」として対をなす「粧蛾舞戯」です。「炎舞」と同じく、群れ飛ぶさまざまな蛾を描いた作品です。「炎舞」はたしかに傑作だと思いますが、蛾たちが炎に飛び込んでしまうのではないかという、死の気配を感じてすこし切なくなります。それに対して「粧蛾舞戯」は、おぼろげに渦巻く光の中心へ向かって、色とりどりの蛾たちが楽し気に舞いながら上昇していく姿を描いています。解放感にあふれた、心が愉悦に踊るような素敵な絵です。
 三枚目は「春昼」、春霞でしょうか、もやったような空気のなかに佇む茅葺の家一軒。そして屋根の上でくつろぐ数羽の山鳩。ただそれだけの絵なのに、なぜ心惹かれるのでしょう。うーむ、やはりマチエールですね。茅葺屋根、土壁、木の壁、いずれも脈打ち息遣いをしているような質感です。とくに猫の毛を思わせるような柔らかな茅葺がいいですね。手で触れ、頬ずりをしたくなるような絵なんて、なかなか巡り合えません。私も山鳩になりたい。

 というわけで、絵を見る喜びを堪能できたひと時でした。さて、知人から招待券をもらったので、これから東京都写真美術館に行き「世界報道写真展2019」を見てきます。展覧会の梯子も、おつなものです。
by sabasaba13 | 2019-08-11 09:10 | 美術 | Comments(0)

戦禍の記憶

c0051620_18165092.jpg 大石芳野氏の写真展『戦禍の記憶』が、東京都写真美術館で開かれていると知り、山ノ神といっしょに見てきました。氏は、戦禍や内乱など困難な状況にありながらも逞しく誇りをもって生きる人びと、そして土着の文化や風土を大切にしながら生きる人びとを主なテーマとした写真を撮り続けられている方です。まずは展覧会の趣旨を、チラシから転記します。 
 20世紀は「戦争の世紀」といわれます。二度にわたる世界大戦で人類の危機とでもいうべき大量の殺戮と破壊をもたらした後も安寧を迎えることはなく、米国、旧ソ連を軸とする東西の冷戦に起因する朝鮮戦争やベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻などが勃発しました。21世紀を迎えてもなお、世界のどこかでひとときも収まることなく戦争が続いています。
 戦争の悲惨な傷痕に今なお苦しむ声なき民に向きあい、平和の尊さを問いつづける大石芳野。広島や長崎、沖縄、朝鮮半島に大きな傷を残している太平洋戦争の後遺症をはじめ、メコンの嘆きと言われるベトナム、カンボジア、ラオスの惨禍、そして民族や、宗教・宗派の対立で苦しむアフガニスタン、コソボ、スーダン、ホロコースト…。本展では約40年にわたり、戦争の犠牲となった人々を取材し、いつまでも記憶される戦禍の傷にレンズを向けてきた作品約150点を展覧します。
 JR恵比寿駅から徒歩10分ほどで写真美術館に到着。館内に併設されている「MAISON ICHI」というパン屋さんでサンドウィッチと珈琲をいただいてから、鑑賞をしました。

第1章 メコンの嘆き
 ベトナムでは、アメリカ軍が散布した枯葉剤による後遺症に苦しむ人びと。カンボジアではポル・ポト政権によるジェノサイド政策の犠牲者。ラオスでは、ベトナム戦争でアメリカ軍が投下した爆弾の不発弾が大量に埋蔵され、その爆発によって傷ついた人びと。大石氏のカメラは、彼ら/彼女らの心に寄せるように向き合います。見ていて心が痛むのは、やはり傷ついた子供たちの姿です。氏曰く、「全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそこここにある」(目録p.47)。カート・ヴォネガットは『追憶のハルマゲドン』(早川書房)の中で「子供たちを殺すことは―“ドイツ野郎(ジェリー)”のガキどもであろうと、“ジャップ”のガキどもであろうと、将来のどんな敵国のガキどもであろうと―けっして正当化できない」と言いましたが、同様に子供たちを傷つけることはけっして正当化できないと、胸に刻みましょう。

第2章 民族・宗派・宗教の対立。
 ソ連による侵攻、アメリカによる攻撃、そして部族間の内戦が続くアフガニスタン。廃墟となった首都カブールで、必死に生き延びようとする人びとの姿が心に残ります。セルビアによる攻撃や弾圧にさらされるコソボ。きっとこちらを見据えるギゼルという少女の写真から、目を逸らすことができませんでした。
 セルビア側についたロマ人のギゼル(9歳)。一家は、戻ってきたアルバニア系勢力に家を燃やされた。「何も悪いことはしていないのに」。(p.91)
 そして豊富に埋蔵される資源をめぐる民族紛争が起こり、ダルフール地方では200万人以上の人びとが死と追放の憂き目にあったという南スーダン。
 章の最後は、ホロコーストの現場と生き残った方々の写真です。“何も悪いことはしていないのに”、ユダヤ人やロマ人であるというだけで、殺された人びと。人類はここから何を学んだのか、学ばなかったのか。民族や部族や宗教が違えば、殺してもかまわないという状況が、いまだ続いていることに慄然とします。

第3章 アジア・太平洋戦争の残像
 そして日本が深く関わったアジア・太平洋戦争によって、傷つけられた人びとの写真です。731部隊の現場と目撃者、中国残留邦人、従軍慰安婦、ヒロシマ・ナガサキの被曝者、沖縄戦を生き延びた人びと。伊江島で見つかった子供の小さな頭蓋骨の写真には、下記のキャプションがありました。
 自然壕が防空壕の役割を果たしたが、住民と日本軍が共用したので悲劇も絶えなかった。戦争で最も被害を受けたのは子どもたち。すべて大人に責任があると訴えるような子どもの頭蓋骨が伊江島の壕から現れた。(p.166)
 展覧会のタイトルを、“戦火”ではなく“戦禍”としたところに大石氏の意思を感じました。戦争のおぞましさは、戦闘中に傷つき殺されるだけではなく、その後も様々なかたちでずっと人びとを苛むということだと思います。枯葉剤、不発弾、悲嘆、憎悪、悔恨、まさしく禍です。それを防ぐためには、戦禍にあった人びとの姿を記憶すること、伝えること、そして心を寄せることが大切なのだというメッセージを受け取りました。この目録をときどき見つめ、お手軽・お気軽に戦争をしようとする輩に抗っていきたいと思います。
 なお本展でいちばん心に残ったのが、アフガニスタンのカブールで撮影されたオミッドという10歳の少年を写した二枚の写真です。私も山ノ神も、はじめは同一人物だと気づきませんでした。左の写真は、暗い目をして、パチンコで捕った小鳥を弄ぶ無表情のオミッド。右の写真は、ノートを広げて明るく微笑むオミッド。目に光があるのがはっきりわかります。キャプションはこうです。
 オミッド(10歳)の父親は戦死し、貧しさゆえに学校に通えない。パチンコで小鳥を捕って遊ぶ。(p.78)

 学校へ行きたいというオミッド。入学の手続きを手伝い、通学を始めた。丸刈りになって、毎日学校が楽しくて一日も休まない。(p.79)
 目録に掲載されていた藤原聡氏の解説によると、寂しそうに遊んでいるオミッドを見かねた大石氏が、証明写真を撮りに連れて行き、入学手続きの手助けをしたそうです(p.10)。微かですが、未来への希望を感じさせてくれる写真でした。世界中の子どもたちが安心して学校へ通い、友だちと遊び学び、そして戦争は自然現象ではなくそれによって利益を得る者が起こす人為的な禍であることを知ってほしいと切に願います。
by sabasaba13 | 2019-05-18 08:16 | 美術 | Comments(0)

河鍋暁斎展

c0051620_1341966.jpg 映画『金子文子と朴烈』を見に行くときに駅構内のポスターで知った河鍋暁斎展、山ノ神とともに訪れてきました。場所は六本木、東京ミッドタウンのガレリア3階にあるサントリー美術館です。ミッドタウンの桜も八分咲き、たくさんの人びとが詰めかけてスマートフォンで写真を撮っていましたが、展覧会会場も大混雑なのかな。まいったなと懸念したのですが杞憂でした。閑古鳥が鳴くほどではありませんが、牛歩の如き速度で列は流れていきます。
 まずはチラシの紹介文を引用しましょう。
 多様な分野で活躍した画鬼・河鍋暁斎、その画業については、長らく諷刺画や妖怪画などに焦点が当てられてきました。しかし近年の研究により、駿河台狩野家の伝統を受け継ぐ筆法と、独特な感性をもとに活躍の場を広げていった姿が明らかになりつつあります。
 卓越した画技を持っていた暁斎は、着色と水墨の両方を使いこなし、仏画・花鳥画・美人画など、多岐にわたるジャンルで優れた作品を遺しました。
 本展では、国内の名品およびイギリスからの里帰り作品を含む約120件によって、幕末・明治の動乱期に独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望するとともに、先人たちの作品と真摯に向き合った暁斎の作画活動の一端を浮き彫りにします。
 “その手に描けぬものなし”というサブタイトルとは、よくぞつけたもの。天馬の如き彼の筆は、天衣無縫にさまざまなものを描き尽くします。真面目な仏画、艶っぽい美人画、笑いをさそう風刺画や動物画、身の毛もよだつような残酷な絵や幽霊の絵。ただ見惚れるのみ。
 気に入った作品をいくつか紹介しましょう。水墨画の技の冴えを見せてくれるのが「枯木寒鴉図」。枯れた枝に屹立し、前方をきっと凝視する一羽の烏の凛とした佇まいに、思わず背筋が伸びます。筆と墨だけで、その烏の姿を通して“孤高”をこれほど完璧に表現した暁斎、脱帽です。
 「美人観蛙戯図」は、団扇を手に涼をとる妙齢の美人を描いています。彼女が微笑みながら見つけているのは、足元で遊んでいる蛙たち。「鳥獣戯画」を換骨奪胎したものでしょう、相撲をとったり、腕組みをしたり、煙管をくわえたり、子蛙を背負ったりと、さまざまな蛙の姿を生き生きとユーモラスに描いています。真面目な美人画と空想的な鳥獣戯画の合体、これぞ暁斎。
 思わず緩頬してしまうのが「貧乏神図」。ぼろぼろの服を着て渋い面の貧乏神は、もうこれ以外の姿は想像できないようなリアルさです。よく見ると、足元には注連縄でつくられた結界があり、彼がそこから出られないようになっています。おまけに表装もわざとぼろ布を使った手の込みよう。
 「大仏と助六」は、遊び心にあふれた絵です。縦長の紙に大仏の顔左半分を描いた大胆不敵な構図。しかも助六が踊りながらその鼻の穴に入ろうとしています。鼻道と花道の駄洒落なのですね。これが宴席で頼まれて即興で描いた絵(席画)だというのですから驚きです。
 仰向けに浮かぶ鯰に乗った猫と、曳き舟のように長い髭を引っ張る二匹の猫を描いた「鯰の船に乗る猫」は諷刺画です。当時、政府の高官をその髭から鯰になぞらえたそうです。また国家を揺るがす地震を引き起こすという意味もあったようです。その鯰を手玉にとる猫たち、その意気やよし。なお暁斎は、1870(明治3)年、40歳のとき、書画会で描いた作品が政府高官を嘲弄したとして投獄されましたが、こうした作品なのかもしれません。
 暁斎がますます好きになってしまう、素敵な展覧会でした。

 なおカタログに、暁斎の弟子であり友人でもあった建築家ジョサイア・コンドルが寄せた追悼文が載っていたので転記します。
 (暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。(p.194)
 彼の画業をよく理解し、そして敬愛の念をこめた素晴らしい追悼文ですね。
 余談ですが、暁斎が生まれた古河、彼が訪れた須坂の訪問記を上梓してありますので、よろしければご笑覧ください。
by sabasaba13 | 2019-05-14 06:20 | 美術 | Comments(0)

奇想の系譜

c0051620_21543689.jpg 美術史家・辻惟雄氏の名著『奇想の系譜』に基づく展覧会が、上野にある都美術館で開催されていることを知りました。主催者のあいさつ文を紹介します。
ごあいさつ
 美術史家・辻惟雄氏が、1970年に著した『奇想の系譜』。そこで紹介されたのは、それまでまとまって紹介されたことがない、因襲の殻を打ち破り意表を突く、自由で斬新な発想によってわれわれを、非日常的な世界に誘う絵画の数々でした。それから半世紀経った現在では、かつては江戸時代絵画史の傍流とされていた画家たちが、その現代に通じる革新性によって熱狂的ともいえる人気を集めています。
 本展では、『奇想の系譜』で取り上げられた六名の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の他に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えました。
 おおっ、私の大好きな伊藤若冲や、長沢芦雪や、歌川国芳の絵を一堂に会して見られる、これはたまりません。さっそく山ノ神を誘って、見に行くことにしました。

 時は三月の下旬、今年は開花が早いため、上野の桜はもう五分咲きです。よって上野公園はたくさんの人が押しかけ大混雑でした。おまけに上野動物園のパンダが先着順で見られるようになったことも混雑に拍車をかけたようです。さてお目当ての展覧会の混雑はどうでしょうか。以前に開催された「伊藤若冲展」が凄まじい混雑で見るのを諦めたことがトラウマとして心に残っています。戦々恐々としながら入口を入ると、チケットを購入するための行列はさほど長いものではありません。ああよかった。十五分ほど並んで買うことができました。
 まずは「幻想の博物誌」伊藤若冲。動物や植物を、リアルに、華麗に、生き生きと描いた彼の絵を見るたびに生きていてよかったと思います。生命の讃歌ですね。圧巻は「象と鯨図屏風」、巨大な象と鯨の対比、そして今にも“パオー”という嘶きが聞こえてきそうな愛らしい象。お得意の鶏をさまざまな姿で描いた「鶏図押絵貼屏風」では、真正面から描いた鶏がラブリー。思わずだきしめたくなりました、突かれそうだけど。
 次は「醒めたグロテスク」曽我蕭白、怪作「群仙図屏風」を間近で見ることができました。画面を埋めつくす不気味な仙人、仙女、龍、童子、そしてこの世のものとは思われないド派手な着色。見ているだけで気持ちが悪くなってくる絵など、そうそうお目にはかかれません。
 「京のエンターティナー」長沢芦雪のコーナーでは、「白象黒牛図屏風」に見入ってしまいました。白い巨象にとまる黒い烏、黒い巨牛のもとの白い子犬。大と小、黒と白のみごとな対比です。もちろんそれぞれの動物も的確に描写されています。カタログの解説で辻惟雄氏は、巨大な動物を対比的に描いたという点で、若冲の「象と鯨図屏風」との類似を指摘され、どちらかが、どちらかを見て刺激され描いたのではないかとされています。そして見た場所は、祇園祭礼の宵山の屏風見せの折と推測されています。「群猿図襖」もいいですね、群れ集う猿たちを個性豊かに描き分けています毛の柔らかさを表現する筆力には脱帽です。実は今回の展覧会で一番見たかったのが、芦雪の「なめくじ図」です。なんと、なめくじと彼が這った跡だけを描いた、空前絶後の絵です。その曲線がまるで抽象絵画の如きデザイン、これぞ奇想! カタログで馬渕美帆氏が、これは席画(画家が招かれた会席で客の注文に応じて描かれた絵)ではないかと指摘されているのは卓見です。画面を一筆書きで埋め始めて観客たちを驚かせ、最後になめぐじを描いて種明かしという趣向。うわお、その場に居合わせたかった。
 なお芦雪は、亀甲型の外郭のなかに「魚」の一字を入れた独特な印を使っていますが、その由来についての辻惟雄氏による解説がありました。『近世名家書画談』によると、芦雪が淀から四条の応挙の画房に通って修業を積んでいたころ、ある寒い冬の朝、往きの途中の小川が凍って、魚がそのなかに閉じ込められて苦し気なのを見ました。帰りに覗いてみると、氷がだいぶ溶け、魚が自由を得て嬉し気でした。そのことを翌日師に話すと、自分も修業時代は苦しかったが、そのうちだんだん氷が溶けるようにして画の自由をえたのだと諭され、肝に銘じて終生この印を用いたということです。いい話ですね。
 「執念のドラマ」岩佐又兵衛コーナーでは、凄惨な場面を豪華絢爛な色彩で描いた「山中常盤物語絵巻」が展示されていました。ほんとうは「洛中洛外図屏風」と「豊国祭礼図屏風」が見たかったのですが、展示替えがあって見られなかったのが無念。
 「狩野派きっての知性派」狩野山雪の絵は、正直に言って、若冲や芦雪にくらべてやや見劣りがします。私の眼力不足かな。
 「奇想の起爆剤」白隠慧鶴の禅画は、若冲、蕭白、芦雪など18世紀の京都画壇の個性的な表現が生まれるための起爆剤となった可能性が近年指摘されているそうです。縦2メートルもある巨大な「達磨図」の大胆不敵な表現を見るとさもありなんと思えます。
 「江戸琳派の鬼才」鈴木其一(きいつ)は、その高名はたびたび耳にしますが彼の絵を見たのははじめてです。うん、いい。繊細で的確な表現力と、華麗な色彩には目を瞠りました。「貝図」がいいですね、日ごろ何気なく食べている貝がこんなにも美しいものだと、其一に教えられました。「百鳥百獣図」は、数多の鳥と獣が双幅を埋めつくす生命の楽園です。見ているうちに幸せな気持ちとなり、耳朶にチャールス・ミンガスの「クンビア&ジャズ・フュージョン」の楽し気な調べが鳴り響てきました。
 そして掉尾を飾るのが「幕末浮世絵七変化」歌川国芳です。人体で顔を構成する「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」、猫を使った駄洒落で東海道五十三次を描いた「猫飼好五十三疋」、巨大な骸骨がぬっと姿をあらわす「相馬の古内裏」など、奇想が炸裂。しかし今回の展覧会で一番感銘を受けたのは、「火消千組の図」という額絵です。霊岸島や箱崎町を担当する火消の千組が成田山新勝寺に奉納したものです。手に手に鳶口を持った138人の火消が威風堂々と火事場に向かう姿を描いた絵ですが、その迫力には圧倒されました。ワーグナーの楽劇「タンホイザー」の行進曲が耳朶に鳴り響きます。またそれぞれの表情や刺青まで丹念に描き分けているのにも感嘆します。

 ああ面白かった。楽しかった。驚いた。やはり美術はこうでなくてはいけません。二百数十年後の私たちをこれほどドキドキワクワクさせてくれる奇想の画家たちにあらためて敬意を表します。そしてこうした美術を生み出した江戸という時代を、あらためて見直したいと思います。
by sabasaba13 | 2019-05-10 06:18 | 美術 | Comments(0)

へそまがり日本美術

c0051620_11581565.jpg 府中市美術館が気になります。『ノーマン・ロックウェル展』や『歌川国芳展』といった正統的な企画はもちろん、『立石鐵臣展』や『長谷川利行展』といった通好みの企画や、『石子順造的世界』といった意表を突く企画など、小さいながらも端倪すべからざる美術館です。
 またアプローチもよろしい。武蔵野の面影を残す府中の森公園を気持ちよく散策しながら辿り着けます。戦争遺跡フリークの方は、近くにある巨大なパラボラ・アンテナ(在日米軍旧府中通信施設)もお見逃しなく。
 今回の展示は「春の江戸絵画まつり」と称して、『へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』というものです。…………………………なんじゃそりゃ! 公式サイトより、紹介文を引用します。
 人は、見事な美しさや完璧な美しさに、大きな感動を覚えます。しかしその一方で、きれいとは言いがたいもの、不格好で不完全なものに心惹かれることもあるでしょう。「へそまがりの心の働き」とでも言ったらよいでしょうか。
 例えば、禅画に描かれた寒山拾得の二人は、不可解さで見る者を引きつけます。また、江戸時代の文人画には、思わず「ヘタウマ?」と言いたくなるような作品があります。文人画の世界では、あえて朴訥に描くことで、汚れのない無垢な心を表現できると考えられていたのです。
 あるいは、徳川家光が描いた《兎図》はどうでしょうか。将軍や殿様が描いた絵には、ときおり見た人が「???」となるような、何と言い表せばよいか困ってしまうような「立派な」作品があります。描き手が超越した存在であることと、関係があるのかもしれません。更に近代にも、子供が描いた絵を手本にして「素朴」にのめり込む画家たちがいました。
 この展覧会では、 中世の禅画から現代のヘタウマまで、 日本の美術史に点在する「へそまがりの心の働き」の成果をご覧いただきます。へそまがりの感性が生んだ、輝かしくも悩ましい作品の数々を眺めれば、日本美術のもう一つの何かが見えてくるかもしれません。

 日本初!「へそまがり」で美術史を俯瞰する展覧会。中世の水墨画から現代のヘタウマ漫画まで、日本人の「へそまがりな感性」が生んだ絵画の数々を展望する初めての展覧会です。

 破壊力のある作品が勢ぞろい! 「おかしい」「ユルい」「へんてこ」「苦い」「かわいい」など、従来の"美術鑑賞用語"からはかけ離れた言葉で形容されるような、けれども、強烈なインパクトのある作品が揃います。
 うわお、ウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のような、ドライブ感にあふれたノリノリの文章ですね。"破壊力のある作品"など、まともな学芸員なら顔をしかめるような表現を使うなど、なにかやらかしてくれそうな予感がします。これはぜひ見に行きましょう。山ノ神を誘ったのですが野暮用があるため、独りで府中市美術館へ行ってまいりました。
 いやあ、ほんとうに面白かった。美術館で笑うなんて稀有な体験です。禅画、俳画、南画、近代絵画から、目が点になるような突拍子もない絵が精選されており、会場のあちらこちらで笑いの静かな漣がわいていました。伊藤若冲長沢芦雪といった大物から、名も知らぬ禅僧や絵師、さらには幕府将軍や夏目漱石まで、よくぞまあとんでもない絵を集めたものです。学芸員および関係者諸氏の天馬の如き企画力、そして眼力と知識と遊び心に、深甚なる敬意を表します。
 あまりにも楽しかったので目録も購入しましたが、こちらも秀逸。それぞれの絵に一言が添えられているのですが、これがコメントというよりもツッコミです。例えば惟精宗磬(いせいそうけい)の「断臂(だんぴ)図」。雪舟の絵で有名ですが、禅宗の祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示して入門を許されたという有名な禅機の一場面です。そのコメント(ツッコミ)が"目と鼻はただの黒丸"。右手で刃物を持ち、いままさに左腕を切り落とそうという緊迫した場面なのですが、泣きそうな慧可の目と鼻の穴はたしかに黒い丸。そこまでハッキリ言うか、とこっちもツッコミを入れたくなります。
 というわけで、ヘタヘタと座り込みたくなるような絵を、ツッコミとともにいくつか紹介します。
"白隠を超える唐突さ" 春叢紹珠(しゅんそうそうじゅ) 「皿回し布袋図」
 額に細長い棒を乗せ、手放しで皿を回す布袋さま。「何のために???」という疑問は、袋の上に乗って楽しそうに皿を回す布袋さまの温和な表情を見ていると吹っ飛んでしまいます。くるくるくるくる…

"次の寅年にはこんな年賀状を出してみたい" 風外本高(ふうがいほんこう) 「新春賀偈」
 脱力感と破壊力という点では、本展で一、二を争う怪作です。禅の世界での新春の祝辞です が、添えられた虎が…いや、これは断じて虎ではない。猫でも熊でも犬でもない、わけのわからない動物がわけのわからないポーズで佇んでいます。でも見ていると肩の力が抜け、♪今日がだめなら明日があるさ♪と、ドン・ガバチョのように歌いたくなってきます。

"鬼はリラックスしているようにしか見えない" 風外本高 「涅槃図」
 釈迦の臨終を動物たちが嘆き悲しむ場面ですが、その描写の雑なこと雑なこと。ここまで適当に描かれると、不思議なもので抱きしめたくなってきます。金棒をわきにおいて寛いでいる鬼よ、少しは悲しいふりをしなさい。

"激しい動き、果てしない脱力感" 仙厓義梵(せんがいぎぼん) 「布袋図」
 くねくねと踊っているようにしか見えない布袋さま、いいですね。程よく力も抜けてノリノリです。なお仙厓には「目をおせば二つでてくる秋の月」という、卓袱台をひっくり返したくなるような禅画もあります。

"いくら仏の国でもあまり足を踏み入れたくない" 冨田渓仙 「石峰寺
 石峰寺は、京都伏見にある黄檗宗の寺で、伊藤若冲が庵を結び、石造の羅漢像を境内に安置したことで知られます…が、ここで描かれているのは幽鬼の如く不気味にゆらめく羅漢たち。たしかに足を踏み入れたくない。

"一度会ったら忘れられない河童" 小川芋銭 「河童百図〉幻」
 怖い… できればお会いしたくないものです。

"胴と手足を別々に作って縫い合わせた人形のよう" 三岸好太郎 「友人ノ肖像」
 まるで糸を切られて椅子に置かれたパペットのようです。友人は怒らなかったのな。なお彼の奥さんである三岸節子も画家で、彼の奔放な女性関係に苦しめられてどん底の生活を送り、彼が31歳で死んだ時に「ああ、これで私が生きていかれる」と思ったという凄絶なエピソードもあります。

"上様はどこまで本気なのか" 徳川家光 「鳳凰図」  徳川家綱 「鶏図」
 ここまでヘタだと、爽快感さえ覚えます。拝領した家臣は、どう褒めるか困っただろうなあ。もしかしたら、その困った顔を見たくてわざと下手に描いたのかもしれません。

"スナフキンではありません" 村山槐多 「スキと人」
 そう言われると、スナフキンにしか見えなくなってしまいました。余談ですが、彼がギターをかきならして歌う「おさびし山のテーマ」が大好きでした。

"笑顔とはこんなに嫌なものだったろうか?" 岸駒(がんく) 「寒山拾得図」
 ここまで人を不愉快にさせる笑顔を描いた絵師の力量には脱帽です。チコちゃんだったら、「ニヤニヤ笑ってるんじゃねえよ」と激怒するでしょうね。

"シビれるような強面の雄鶏" 長沢蘆雪 「鶏図」
 さすがは蘆雪、つがいの鶏をリアルに描写していますが、鑑賞者に「ガンつけてるんじゃねえよ」と睨みつける雄鶏の強面が尋常ではありません。ゆらめくような影も不気味ですね。道端でこんな鶏に出くわしたら、一目散に逃げましょう。

"部屋中をやるせないムードで満たす掛軸" 長沢蘆雪 「老子図」
 落胆した老子が牛の背に乗って他国へ去る場面だそうです。虚空をさまよう視線、感情を読み取れない無表情、この掛軸を飾ったら部屋中がブルーに入ってしまいそう。

"ゆるさの限界点に挑む画家" 中村芳中 「鬼の念仏図」
 大津絵の題材である「鬼の念仏」を描いた絵ですが、そのスライムの如きゆるさ加減が凄い。爽快な脱力感を心行くまで味わえる珠玉の一枚です。
 というわけで、こんなに面白い展覧会にはそうそうお目にかかれるものではありません。一緒に行けなかった山ノ神も、目録を見ながらクスクス笑い「落ち込んだ時にまた見よう」とご満悦の模様でした。5月12日(日)まで開催されていますので、思う存分脱力したい方、ぜひ府中市美術館へ。
by sabasaba13 | 2019-05-07 06:24 | 美術 | Comments(0)

堀文子展

 新逗子駅から20分ほどバスに乗ると、神奈川県立近代美術館葉山館に着きました。私は以前に「ベン・シャーン展」を見に来たことがあるのですが、山ノ神ははじめてです。おっどこかで会ったことがある二人組がいます。そうだ、今はなきカマキン(神奈川県立近代美術館鎌倉館)にいたイサム・ノグチ作の「コケシ」です。よかった、こんな風光明媚な場所で余生を過ごせるんだね。御慶。受付で入場料を支払おうとすると、「三浦半島1DAYきっぷ」をもっているので100円割引となりました。こいつは冬から縁起がいいわいpart5。

c0051620_14312546.jpg それでは「堀文子展」を拝見しましょう。美術館の公式サイトから紹介文を転記します。
 未知のものを求め、自然と生命を描きつづける日本画家・堀文子の清新な世界を紹介する展覧会です。初期作品や絵本の原画をはじめ、メキシコ、イタリア、ネパールなど世界各地への旅や、四季と草花のうつろいを描いた代表作を展示し、その芸術と人間像に迫ります。
 寡聞にして知らなかった日本画家ですが、素晴らしい数々の絵に出会えて幸福でした。購入した図録によると、1918(大正7)年生まれ、よってこの展覧会開催時には99歳、白寿です。父親の反対を押し切って女子美術専門学校(現/女子美術大学)日本画部に入学。美術に自由を求めた彼女は、官展からは距離を置き、権威におもねらない姿勢を貫きました。

 どの絵からも、自然や動植物に対する愛情と畏敬が伝わってきます。澄んだ色調、自由な構成、そして的確な描写力に見惚れてしまいました。また海外に長く滞在したこともあり、異国の自然や人びと、異文化に対する飽くなき興味と敬意にも心打たれます。
 特に気に入った絵は三枚。まずは「トスカーナの花野」(1990)。起伏に富んだトスカーナの沃野、たちならぶ糸杉、そして百花繚乱に咲き乱れる花々、見ているだけで夢心地となりました。彼女の言です。
 二枚目は「霧氷」(1982)。彼女が住んでいた軽井沢の風景でしょうか、朝霧のなかに、霧氷を美しく纏った木々が描かれています。彼女の言です。
 厳冬の二月。この木の梢は、精緻なガラス細工に変るのだ。夜の中(うち)に、レースをかけたように細い枝が氷に包まれ、朝日を浴びて輝く霧氷の森となる。その神々しさは此の世のものではない。陽が昇るにつれ、枝のガラスはキラキラと身を躍らせ散り落ちる。歩く度に氷の梢が虹色に変り、ふりしきるガラスの糸に見とれて、私は気もそぞろに歩き廻る。
 三枚目は「アフガンの王女」(2003)です。図録の解説によると、ユニセフ親善大使をつとめる黒柳徹子から送られた絵葉書をもとに描いた絵です。山ノ神曰く、「徹子の部屋」にこの絵が飾られているとのこと。そういえばそこはかとなく彼女に似ています。青を基調とした美しい.っ民族衣装を着て、こちらを見つめる凛とした女性。心に残る一枚です。注目したいのは、この絵が2003年に描かれたということです。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を受け、アメリカ合州国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)がアフガニスタン戦争を始めたのが2001年10月。その二年後に描かれたのですね。無辜の人びとを苦しめる戦争、その戦争を引き起こした国々の指導者、それを支持した国民に対する、無言の厳しい抗議を感じます。

 海が見えるレストランに入って珈琲を飲みながら一休み。ベランダに出ると、空を真っ赤に染め上げる美しい夕映え、そして海の向こうには夕雲を纏った富士のシルエットがよく見えました。

 松輪サバ、海、猫、富士山、堀文子、三浦半島1DAYきっぷ、いろいろな良きものに出会えた良き一日でした。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-22 14:33 | 美術 | Comments(0)

国立近代美術館

 時刻は12:00すこし前、予約しておいた美術館内のレストラン「ラー・エ・ミクニ(L'ART ET MIKUNI)」に参りましょう。中に入るとほぼ満席、つぎつぎとやって来る飛び込み客が入店を断られていました。予約をしておいてよかった。メニューは、パスタ・ランチ(2160円)、メニュー・ディ・ピッコロ(3500円)、メニュー・ディ・グランデ(5500円)、自称中産階級底辺層のわれわれとしては、メニュー・ディ・ピッコロが許容範囲ぎりぎりです。まあこういう高級レストランが美術館にあってもいいのですが、もうひとつ手軽に珈琲や軽食をいただけるカジュアルなカフェがあるべきではないかな。関係者各位の善処を期待します。

 まずは前菜、季節の根菜と苺のインサラータミスタ、リコッタチーズと一緒に。まるでカンディンスキーの絵のような美しい一皿、まず眼を喜ばせてくれます。さまざまな野菜の味が楽しめ、苺の濃密なドレッシングがきいています。
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 プリモ・ピアットは、北海道愛別町産王様エリンギ、ジャンボ舞茸、白アマトリチャーナの"フェデリーニ"。一番おいしかった一皿。二種のキノコの味、パスタの絶妙の茹で加減もさることながら、トマトを使っていないソース(白アマトリチャーナ)の複雑玄妙な味が素晴らしい。ただ惜しむらくは…量が少ない。せめてこの1.8倍は食べたいところです。
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 セコンド・ピアットは、真鯛のソテー、トピナンブールのクレマとクレソンのサルサ、ヴェルデと共に。真鯛はソースをかけずに、素材の味で真っ向勝負。皮のさくさくとした焼き加減が、舌を楽しませてくれました。
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 ドルチェは、イタリア産栗の焼きパンナコッタ、洋梨のジェラート添え。そしてコーヒーと小菓子でフィニート。
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 というわけで美味しうございました。窓のすぐ近くに桜並木があるので、春にまた来たいですね。
 ミュージアム・ショップで図録とクリア・ファイルとマグネットを購入。さて映画『否定と肯定』の上映開始まで一時間強あります。上映館は有楽町にあるので、移動にはそれほど時間はかからないでしょう。常設展を拝見して、時間に余裕があるようだったら、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用した工芸館に寄ることにしました。まずは常設展「MOMATコレクション」を拝見いたしましょう。入口のところに展示作品案内のモニターがありましたが、安井仲治が撮影した「流氓ユダヤ 窓」という写真が展示されているようです。戦前に関西で活躍したアマチュア写真家で、十数年前に渋谷の松濤美術館で出会って以来ファンとなっています。
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 拙ブログのロゴ画像で使わせていただいておりますが、このユダヤ人たちは、杉原千畝在リトアニア領事の発行した通過ビザにより亡命し、神戸に一時滞在していた方々です。安井は丹平写真倶楽部の仲間である手塚粲(手塚治虫の父)らとともに彼らを撮影し、共同で「流氓ユダヤ」シリーズとして発表したそうです。なお、当時少年であった手塚治虫もこの時同行していたそうな。この作品との再会も楽しみです。

 エレベーターで4階にあがり、安井曽太郎の「金蓉」や高村光太郎の「手」といった日本近代美術の名品を堪能。オスカー・ココシュカ作「アルマ・マーラーの肖像」との再会も果たせました。谷中安規の版画作品も数点展示してあったのも僥倖でした。摩訶不思議でシュールな世界にしばし耽溺。
 小野忠重という版画家は不学にして存じ上げなかったのですが、ストライキやピケを描いた力強い作品が心に残りました。プロレタリア版画というジャンルがあるのでしょうか。記憶に留めておきたいアーティストです。なお、いま調べてみたところ、世田谷区阿佐ヶ谷に「小野忠重版画館」があるそうです。ぜひ訪れてみましょう。
 さて、期待していた安井仲治の写真ですが、展示されていませんでした。見落としたかな、それはないと思いますが。美術館のサイトによると、「難民」をテーマとした特集を行なうそうなので、そこで展示されるのかもしれません。それはさておき、この世界的なアポリアである問題を、美術とからめて考えてもらおうとする美術館学芸員諸氏の姿勢に見識を感じ、敬意を表します。
 おっとそろそろ映画館に行かねば、無念ですが工芸館は省かざるを得ません。2階から外へ出ようとすると、ガラスにイサム・ノグチの「門」というプレートが貼ってありました。どこだどこだ…もしや美術館前にある巨大な黒と赤の巨大な柱、あれがそうか。近くにいた学芸員の方に訊ねたところ間違いありません。これまでこちらは何回も訪れているのに、気づきませんでした。己の眼が節穴であることを恥じ、外へ出て撮影。そして前川國男設計の建物をあらためて写真におさめ、有楽町へと向かいました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-17 06:36 | 美術 | Comments(0)

熊谷守一展

c0051620_6333469.jpg とある休日、山ノ神と二人で、竹橋にある国立近代美術館で「熊谷守一展」を、有楽町にあるTOHOシネマズシャンテで映画『否定と肯定』を見てきました。リュックサックに読みかけの『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(ティモシー・スナイダー 慶應義塾大学出版会)をほうりこみ、車中で読みながらまずは地下鉄東西線で竹橋へ。前川國男設計による美術館のシャープな外観を撮影して、それでは展覧会を鑑賞いたしましょう。おっとその前に、美術館内にあるレストラン「ラー・エ・ミクニ」の予約をしておかなければ。泣いて馬謖を斬る…じゃない、石橋を叩いて渡りましょう。美術館のサイトによると、美術館60周年を記して三國清三氏がプロデュースした、「芸術と料理」をテーマにフレンチとイタリアンを融合させたレストランだそうです。なるほど、「L'ART ET MIKUNI」、芸術と食事ということですね。受付で教えてもらった電話番号で連絡をとると、12:00に席をおさえることができました。

 実は私も山ノ神も、以前から守一さんのファンで、豊島区にある熊谷守一美術館を訪ねたり、彼の作品「眠り猫」を壁紙に使ったりしています。今回はかなり大規模な展覧会のようなので楽しみです。
 まずは近代美術館のサイトから、紹介文を引用します。
 熊谷守一(くまがい・もりかず 1880‐1977)は、明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られます。特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています。
 その作品は一見ユーモラスで、何の苦もなく描かれたように思えます。しかし、70年以上に及ぶ制作活動をたどると、暗闇でのものの見え方を探ったり、同じ図柄を何度も使うための手順を編み出したりと、実にさまざまな探究を行っていたことがわかります。描かれた花や鳥が生き生きと見えるのも、色やかたちの高度な工夫があってのことです。穏やかな作品の背後には、科学者にも似た観察眼と、考え抜かれた制作手法とが隠されているのです。
 東京で久々となるこの回顧展では、200点以上の作品に加え、スケッチや日記などもご紹介し、画家の創造の秘密に迫ります。
 明治から昭和におよぶ97年の長い人生には、貧困や家族の死などさまざまなことがありました。しかし熊谷はひたすらに描き、95歳にしてなお「いつまでも生きていたい」と語りました。その驚くべき作品世界に、この冬、どうぞ触れてみて下さい。
 はい、触れてみましょう。展覧会は三部構成となっています。

【闇の守一:1900-10年代】 岐阜県恵那郡付知(つけち)村に生まれた守一は、1897(明治30)年に上京して、東京美術学校西洋画科撰科に入学し、黒田清輝、藤島武二らの指導を受けまず。この時期に描かれた絵は、後年の作風からは想像できないほど暗いものです。ロウソクのほのかな光に照らされて闇の中にかすかに浮かぶ自分を描いた「蝋燭」(1909)。線路に飛び込んで自殺した女性を描いた「轢死」(1908)にいたっては、絵の具の劣化もありますが、すべては闇の中に溶暗して何が描かれているのか判然としません。轢死体をテーマにすること自体も異様ですね。

【守一を探す守一:1920-50年代】 故郷に戻って木材運搬の仕事をしたあと、1915(大正4)年にふたたび上京し、画業に専念します。この時期の作品は、闇の世界から脱け出して、フォーヴィズムを思わせる荒々しいタッチで風景や裸婦を描いています。そしてユーモアをたたえた明晰なかたちと色という、独自の作風がじょじょに立ち現れていくのがわかります。もっとも心を打たれたのが「たまご」(1950)という絵です。茶一色を背景に、丸盆の上端の並ぶ四つの卵。彼には五人の子どもがいましたが、二人は早逝、このころ長女がなくなったので、互いを抱きしめるように生きる熊谷一家を表現したのでしょうか。色・構図・かたちがおりなす、ユーモアと緊張感にみちた小世界がみごとに表現されています。三枚の伸し餅と柄のとれた菜切り訪朝をシンプルに描いた「のしもち」(1949)もいいですね。解説によると、三個の餅を塗る際の筆の方向がすべて違うそうです。よく見ると、なるほどその通り。奥行きや立体感を表現するために、こうした細かい技も駆使しているのですね。このコーナーでは水墨画と書も展示されていましたが、「かみさま」「ほとけさま」「からす」「すゞめ」など、力が抜けた闊達なひらがなは魅力的でした。「蒼蠅」という書もすごい。普通、こんな言葉は選ばないと思いますが、さすがは守一さん。まるで蠅のように元気に飛び回るような字体が印象的です。生き2017(箱根・テニス部・富士宮・焼津・牧野記念庭園・小石川後楽園・京都・目黒川の桜・善福寺川緑地の桜・相模湖プレジャーフォレスト・長野の桜・三鷹・校内大会・長野・合唱コンクール・共謀罪反対集会・鎌倉の紫陽花・山城博治講演会・大平台の紫陽花・祇園祭・吉田博展・五山送り火・美瑛・記念祭・聖心女学院/豊多摩刑務所・体育祭・烏山神社・沖縄実踏・国会包囲大行動・富士山大周遊・渡良瀬渓谷・京都錦秋・歴博・旧朝倉家住宅・熊谷守一展・松輪サバ)とし生けるものへの、彼の愛情と興味がひしひしと伝わってきます。また貧窮のうちに餓死した長谷川利行が描いた、力強い「熊谷守一像」(制作年不詳)も展示されていました。二人は交流があったのですね、そういえば上野不忍池にある「利行碑」の揮毫も守一さんでした。
 このコーナーでは、彼が記した雑記帳も展示されていましたが、その内容が興味深い。カメラのレンズの焦点距離や現像液の成分、混色・補色など色彩の理論、音の振動数の計算など、科学者としての一面も有していたのですね。

【守一になった守一:1950-70年代】 明晰とユーモアにあふれたモリカズ・ワールドが全面開花した時期、もう言うことはありません。数多の名作を前に、眼を楽しませていただきました。「美の巨人たち」によると、52歳から亡くなるまでの45年、豊島区千早にある自宅(現熊谷守一美術館)からほとんど外出をしなかったそうです。そして庭の小動物や草花と向き合いながら、絵を描きつづけたのですね。猫、虻、蟻、蛙、地蜘蛛、亀、稚魚、蜻蛉、蝶、蜂、ハルシャ菊、かたばみ、いぬのふぐり、山茶花、げんげ、松虫草、向日葵、椿、彼岸花、水仙、雨垂れ、雪、池の水、霧、土塊、太陽、そして月。
 身近でありふれた生命と自然への敬愛、それと共にあることの喜びが、シンプルなかたちと色をもって伝わってきます。私が一番好きなのは「眠り猫」(1959)ですが、単純な円だけで描かれた「雨滴」(1961)も素敵です。ここまでくると、具象でも抽象でもなく、ただ"生きるよろこび"が画面に踊っているよう。出典は失念したのですが、彼が言ったとされる言葉です。
 絵を描くより、ほかのことをしているほうがたのしいです。欲なし、計画なし、夢なし、退屈なし、それでいていつまでも生きていたいのです。石ころ一つそばにあれば、それをいじって何日でも過せます。(熊谷守一)
 絵を見る喜びに包まれた至上のひと時でした。

 余談ですが、沖田修一監督・山崎努主演で、熊谷守一を描いた映画『モリのいる場所』が近々公開されるそうです。これは愉しみ、ぜひ見に行きましょう。
by sabasaba13 | 2018-01-16 06:34 | 美術 | Comments(0)

ユージン・スミス展

c0051620_8182516.jpg ユージン・スミス、その名を聞くと心が震えます。常に弱者や市井の人々の側に立ち、現実を写しつづけたカメラマン。以前に「gallery bauhaus」で彼の展覧会を見たことがあるのですが、生誕100年を回顧する大規模な展覧会が東京都写真美術館で開かれていると知り、山ノ神を誘って見に行きました。
 JR恵比寿駅で降りて、十分ほど動く歩道を歩いていくと、美術館に到着です。コンコースの壁に、ロベール・ドアノー、ロバート・キャパ植田正治の写真が大きくプリントされているのが印象的です。
まずは美術館の公式サイトから、紹介文を引用します。
生誕100年 ユージン・スミス写真展
 W.ユージン・スミス(1918-1978)は、写真史上、もっとも偉大なドキュメンタリー写真家のひとりです。グラフ雑誌『ライフ』を中心に「カントリー・ドクター」、「スペインの村」、「助産師モード」、「慈悲の人」など数多くの優れたフォト・エッセイを発表し、フォト・ジャーナリズムの歴史に多大な功績を残しました。とりわけ日本とのかかわりが深く、17歳のときニューヨークで偶然であった日系写真家の作品につよい感銘をうけ写真の道を志すきっかけになったこと、太平洋戦争に従軍して、戦争の悲惨で冷酷な現実をカメラで世に伝えんとして自らも沖縄戦で重傷を負ったこと、戦後の日本経済復興の象徴ともいえる巨大企業を取材した「日立」、その経済復興の過程で生じた公害汚染に苦しむ「水俣」の漁民たちによりそった取材などがあります。
 本展覧会は、生誕100年を回顧するもので、スミス自身が生前にネガ、作品保管を寄託したアリゾナ大学クリエイティヴ写真センターによる協力のもと、同館所蔵の貴重なヴィンテージ・プリント作品を150点展示します。情報あふれる現代社会に生きる私たちにとって、ジャーナリズムの原点をいま一度見つめ直すきっかけになることでしょう。
【1. 初期作品 1934-43】 解説を読んで知ったのですが、彼が写真家を志したのは、17歳のときにニューヨークで出会った日本人カメラマンの写真を見て感動したことがきっかけだったのですね。いったい誰なのでしょう。この時期の写真は、リベット打ちの労働者や溶接工を撮影するなど、後年の彼の姿勢がすでにあらわれています。

【2. 太平洋戦争 1943-45】 ユージン・スミスは『ライフ』誌所属の従軍カメラマンとして、サイパン島、硫黄島、沖縄などで激戦を取材しました。彼の言です。
 私は、戦争は悲惨だというとらえ方で仕事をしてきた。これらの写真で試みてきたことを、私はこれからも続けていきたい。戦争はこの世の縮図であり、様ざまな事柄が誤魔化しようもなく鮮明に現れる。人種的偏見、貧困、憎悪、偏狭は、平時の生活のうちにも蔓延するが、戦争の中でほど、否応なくはっきりとはとらえられない。
 戦争の中に、人種的偏見と貧困を見て取ったことは鋭いですね。「米軍の発煙手榴弾で、山中の洞窟から追い立てられる民間日本人」(1944)や「家畜のように連行される民間人」(1945)など、レイシズムにとらわれていない写真が印象的です。なお沖縄戦において迫撃弾の破片が左腕をひどく損傷し、回復に数カ月を要することになりました。その後にはじめて撮った写真が、私の大好きな一枚「楽園への歩み」(1946)だったのですね。森の闇の中から光溢れる世界に歩み出そうとする息子のパトリックと娘のホヮニータ、金儲けのために戦争をくりかえす世界の指導者たちに送り付けたい写真です。

【3. カントリー・ドクター 1948】 『ライフ』誌に掲載されたフォト・エッセイの傑作です。限界まで疲労困憊しながら人々を救おうとする地方の医者アーネスト・セリアーニを写した連作ですが、「分娩中に母子を死なせたアーネスト・セリアーニ医師」(1948)での、彼の静かな苦悶に満ちた表情が心に残ります。

【4. イギリス 1950】 イギリスのクレメント・アトリー首相の選挙運動を取材したフォト・エッセイですが、ウェールズの炭坑労働者やその暮らしの様子も撮影しています。余談ですが、政敵のW.チャーチルが"羊の皮をかぶった羊"と罵倒したアトリーですが、『今夜、自由を』(D・ラピエール&L・コリンズ ハヤカワ文庫NF)を読むと、インド独立に尽力した見識のある政治家であったことがわかります。

【5. スペインの村 1950】 イギリス取材中にスペインにも立ち寄り、「独裁者とその警察(※フランコ政権)に踏みにじられた生活がどのようなものか」を読者に伝えるために撮影したフォト・エッセイです。彼の言です。
 真のスペインとは、貧困のうちに沈みながらも、人々が恵みの少ない大地から、つましい生活の糧を得るために、のろのろと、だが、たゆまず働き続けているというような村々から成り立っている。
 数世紀に亘る忘却と、更に現在の強大な権力政治が、いまのスペイン人の上に重々しくのしかかっている。しかも、彼らは全体として見るとき、決して打ちのめされてはいないのである。人々は日中は働き、日没とともに眠る。そして、現世の生をたのみつつ、死の中から逃れようと働いているのである。
 私たちが村(※デレイトーサ)に着いた翌日、一人の婆さんが私たちについてきて、いろんな話をしたが、その中でこんなことをいった。「わたしら、お前さんが何商売だか知らないけど、誰かがアメリカの新聞記者だろうといってるだ。もし本当にそうなら、お前さんたちが見た通りのことを書いてもらいたいもんだね」。
 これは、政府のお役人たちの態度や希望とは全く違ったものであった。
 見た通りのことを書く(写す)、つまり"Post Truth"ではなく"Truth"を伝えてほしいということですね。彼の生涯を貫く姿勢だと思います。痩せ衰えた老人の死をみとる貧しい家族を撮った、まるで絵画のような「通夜」(1950)が印象的です。

【6. 助産師モード 1951】 彼は産婆術に関心をもっていたようで、サウスカロライナ州で出産の介助や地域の健康管理を行なうアフリカ系女性のモード・カレンを撮影したフォト・エッセイです。「火の気のないストーブと間に合わせのベビーベッドに寝る新生児」(1951)や「思いやりに感激する老人」(1951)などの作品から、アフリカ系アメリカ人の困窮への同情と差別への怒りが伝わってきます。

【7. 化学の君臨 1952】 化学洗剤をつくる工場を取材したフォト・エッセイです。さりげなく写した貨物列車に"MONSANTO"と記されていることから、ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤をつくり、そして今は遺伝子組み換え作物の種の世界シェア90%を誇るモンサント社であることがわかります。ベルトコンベア、メーター機器、ローラーなどの機械の造形的な面白さに焦点を当てたようにも思える写真です。しかし写真の隅に労働者の小さな姿が写されているのを見ると、違うような気がします。最近読んだ『フクシマ・沖縄・四日市 差別と棄民の構造』(土井淑平 星雲社)にこのような一節がありました。
 赤と白の美しいコントラストを描いてそそり立つ煙突。白銀色のタンクの列。広大な土地と空間を占拠して臨海部に立ちはだかる四日市石油化学コンビナートの工場群-。それは動く抽象画を思わせる。しかし工場に足を踏み入れるとそんな感傷も一瞬のうちに吹き飛んでしまう。ごうごうと地響きを立ててうなり続ける機械の音。鼻をつく異様なにおい。それにもまして無気味なのは、どこまでも続く機械と装置の厚い壁である。そしてこの機械の壁に閉じ込められて働く人間の姿がまばらなのが目につく。それはあまりにも小さく、また機械の付属物のようにも見える。(p.215)
 そう、人間を機械の付属物とする社会への批判ではないでしょうか。ちなみに四日市ぜんそくを引き起こした企業の一つが、三菱化成との合併子会社、三菱モンサント化成です。(前掲書p.159)

【8. 季節農場労働 1953】 小さな子どもを含めた家族全員で果物摘みに従事するミラー一家を撮影したフォト・エッセイです。

【9. 慈悲の人 1954】 密林の聖者、アルベルト・シュヴァイツァーを撮影したフォト・エッセイです。彼は、シュヴァイツァーを単なる「慈悲の人」としてだけではなく「孤独な老人」として撮影しますが、『ライフ』誌が掲載した点数が少ないことに不満をもち、同社を辞めてしまいます。肩を落とし俯く「アルベルト・シュヴァイツァー」(1949)が忘れられない一枚です。なお『水と原生林のはざまで』(岩波文庫)を読むと、彼の考えがよくわかります。私事ですが、昔よく家に招き入れた野良猫に「ランバレネ」という名前を献上しました。

【10. ピッツバーグ 1955-56】 『ライフ』誌から離脱した後、彼はマグナム・フォトに加わりました。そして200年祭を迎えるピッツバーグ市についての本に掲載するための連作を撮影します。「ピッツバーグの艀」(1955-56)など、明暗の対比と見事な構図が印象的です。

【11. ロフトの暮らし 1957-60s】 マンハッタンの古ぼけたロフトに移り済んだスミスは、借金、そして沖縄戦で負傷した古傷の痛みや、それを和らげるための薬・アルコール依存に苦しみながらも、街の風景やロフトに集まるジャズマンを撮影しつづけます。「ピアノを演奏中のセロニアス・モンク」(1960s)や「アルバート・アイラ―」(1965)がいいですね。展示はされていませんが、他にもチャールズ・ミンガスビル・エヴァンスソニー・ロリンズのポートレートもあるそうです。ぜひ見てみたいですね。

【12. 日立 1961-62】 日立製作所やその製品を写真で紹介するという業務契約を結んで、来日したユージン・スミス。日本的なるものを写真で表現しようという試みでもあります。

【13. 水俣 1971-73】 その経緯については拙ブログの書評『写真集 水俣』をご一読ください。最後に図録にあった「水俣で写真を撮る理由」を紹介して、終わりたいと思います。
 写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま-ほんのときたま-一枚の写真、あるいは、ひと組の写真がわれわれの意識を呼び覚すことができる。写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの-たぶん少なからぬもの-は影響を受け、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法を見つけるだろう。そして、ひとつの病いの治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものも、たぶん、われわれ自身の生活から遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。それが唯一というわけでなないが、私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物を言う。それが私-そしてアイリーン―が水俣で写真をとる理由である。

by sabasaba13 | 2018-01-08 08:19 | 美術 | Comments(0)