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メスキータ展

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 「日本の素朴絵」展を三井記念美術館で見たときに、いろいろな展覧会のチラシを物色していると、あるチラシに載っていた版画に目が釘付けとなりました。黒と白の鮮烈な対比、切れ味鋭い描線、これはただものではない。作者は、サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ。メスキータ…寡聞にして初めて聞く名前です。東京ステーションギャラリーで彼の展覧会が開かれてるそうなので、これはぜひ見てみたいものです。まずは公式サイトより、彼についての詳細な紹介を転記します。
知られざる画家の全貌 ―メスキータ、4つの疑問

1.メスキータって誰?
 サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868-1944)。この聞き慣れない名前の人物は、19世紀後半から20世紀前半を生きた、オランダのアーティストです。ポルトガル系ユダヤ人の家庭に生まれ、ハールレムやアムステルダムで、画家、版画家として、また、装飾美術の分野でデザイナーとしても活躍しました。その一方で、美術学校の教師として多くの学生を指導しています。中でもM.C.エッシャーは、メスキータから最も大きな影響を受けた画家で、特にその初期作品は、メスキータの作品と著しく類似しています。

2.メスキータは何を描いた?
 メスキータの仕事は、デザインとアートの双方にまたがっています。デザインの分野では、幾何学的な構成を生かし、雑誌の表紙や挿絵、染織デザインなどを手がけました。一方アートの分野では、まず版画家として、主に木版画で人物や動物、植物を題材に白黒のコントラストを強調した作品を数多く残しました。また、想像力のおもむくままに筆を走らせた、膨大な数のドローイングを制作しています。

3.メスキータのどこが見どころ?
 メスキータの最大の魅力は、木版画の力強い表現にあります。鋭い切れ味の線描による大胆な構成、明暗の強烈なコントラストを生かした装飾的な画面は、見る者に強い印象を与えます。アムステルダムの動物園や植物園に招来された、異国の動植物がメスキータの格好のモチーフでした。単純化された構図と明快な表現、装飾性と平面性が溶け合った画面には、しばしば日本の浮世絵版画の影響が指摘されます。一転して、ほとんど無意識の状態で浮かんでくる映像を作為なく描いたと言われるドローイングは、表現主義との親近性を感じさせるとともに、シュルレアリスムにおけるオートマティスム(自動筆記)の先駆けと言えるかもしれません。

4.なぜ今、メスキータ?
 ユダヤ人であったメスキータは、1944年に強制収容所に送られ、そこで家族もろとも殺されました。アトリエに残された作品は、エッシャーや友人たちが持ち帰って命懸けで保管し、戦後すぐに展覧会を開催します。メスキータの名前が忘却されずに残ったのは、エッシャーらの尽力によるところが少なくありません。近年のヨーロッパでは、カタログ・レゾネ(全作品目録)が発行され、相次いで展覧会が開かれるなど、メスキータの作品の包括的な紹介と評価の気運が高まっています。折しも昨2018年はメスキータの生誕150年にあたり、今年2019年は没後75年を迎えます。本展は、これを機に、知られざる画家メスキータの画業を、版画約180点、その他(油彩、水彩など)約60点、総数約240点の作品を5つの章分けで、本格的に紹介する日本での初回顧展です。
 当日、山ノ神を誘ったのですが、所用があるので行けないとのこと。一人で東京駅丸の内北口にある東京ステーションギャラリーに行ってきました。意外と入館者が多かったのにはすこし驚きましたが、ま、あれだけインパクトのあるチラシですから納得です。それではじっくりと拝見いたしましょう。実際の作品を見ると、圧倒的な存在感に目を奪われました。黒と白の強烈な対比、ソリッドな描線、考え抜かれた構図、粗密を細心かつ大胆に使い分けた彫りなど、木版画にこれほどの表現力があることが伝わる作品群です。動物や幻想を描いたものもいいのですが、私は「うつむく女」「トーガを着た男」「ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像」など人物を描いた作品に心惹かれました。なおヤープは彼の息子で、ポスターやチラシにも使われている作品です。紹介文にもあった通り、ユダヤ人であるメスキータは、1944年1月31日夜、妻、息子とともにナチスに拘束され、妻とメスキータは3月11日にアウシュヴィッツで、息子ヤープは20日後にテレージエンシュタットで殺されました。やりきれない最期です。

 というわけで、素晴らしいアーティストと出会えました。まだまだ私の知らぬ優れたアーティストはたくさんいらっしゃることでしょう。その出会いのためにも、健康で長生きしなくては。
by sabasaba13 | 2019-08-26 07:28 | 美術 | Comments(0)

坂本繁二郎展

c0051620_21441940.jpg 最近、山ノ神がピアノの発表会にむけて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の練習に一所懸命取り組んでいます。私が持っているヴィルヘルム・バックハウスのCDを時々聞いて溜息をつきながらも、不撓不屈、傍から見ても感心するほどの集中力で日々鍵盤に向かっています。テンポはかなりゆっくりなのですが、先日、ほぼノー・ミスで弾き通しました。ブラービ…と言う代わりに思わず放屁してしまいました。すると山ノ神曰く、「なんだ、おなら一つか」 小生曰く「いや、五つ屁に値する演奏だったけど、部屋が臭くなると思って自制したんだ」 などという夫婦漫才はさておき、彼女が所属するテニス・サークルの知人から、練馬区立美術館で開かれている坂本繁二郎の展覧会が良いという話を聞いたそうです。さかもとはんじろう… 馬の絵… finite 嗚呼、情けなや情けなや、これしか思い浮かびませんでした。その方の審美眼を信じ、そして地元の美術館を応援するため、自転車にまたがり二人で行くことにしました。まずは練馬駅近くのソバ屋「176」で天丼とせいろをいただいて腹ごしらえ。再び自転車にまたがり、練馬区立美術館に到着しました。公式サイトより、展覧会の紹介文を引用します。
 坂本繁二郎(1882‐1969)は福岡県久留米市に生まれます。同級生に青木繁(1882‐1911)があり、互いに切磋琢磨する青年期を過ごしています。20歳で青木を追うように上京。小山正太郎の主宰する不同舎に学び、展覧会出品作が数々の賞を受けるなど順風満帆な画業をスタートさせます。39歳の時に渡仏し3年間の留学生活を終えると、その足で家族の待つ久留米に帰ります。以降、画壇の煩わしさを避け、郷里にほど近い八女にアトリエを構え、文人のごとき作画三昧の生活を送ることとなります。戦後になって、九州の彼の地で戦前と変らぬ穏やかさをたたえた作品を制作し続けていた坂本が"発見"されます。坂本の人となりと作品は瞬く間に人々の注目と喝采を浴びる存在となり、74歳の時に文化勲章を受章するにいたります。
 坂本は、ヨーロッパ留学までは牛を、帰国後は馬を、戦後は身の回りの静物、最晩年は月を主なテーマとして取り上げます。限られたテーマを描き続けた坂本の作品は、同じモティーフを取り上げながらも一つ所に留まることはなく、主題は平凡でありながら、精魂を傾け仕上げられた画面は厳かな静謐さを秘めています。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という言葉は、奇をてらうことのなく、自然と向き合い対象を凝視する彼の作画態度を表した言葉といえましょう。
 本展は、坂本の最初期から晩年まで、彼の絵画が成熟していく過程を人生の歩みとともに明らかにしていくものです。約140点の油彩、水彩、水墨画等に加えて、互いに磨きあい、支えあった盟友、青木繁の作品も合わせて展示します。
 喜ぶべきか悲しむべきか、来館者は少なく、じっくりと鑑賞することができました。牛、馬、自然、人物を描いた絵もいいのですが、やはり真骨頂は静物画でした。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という彼の言葉どおり、題材は身の回りにある何の変哲もない物ばかりです。能面、箱、本、卵、柿、茄子、植木鉢、毛糸、人形、鋏、モーター… なおモーターは変哲がありますが、これはモーター会社に依頼されたそうです。さすがに描くのには苦労したそうですが、それでもちゃんと一幅の絵になっているのはさすがですね。
 ぬくもりを感じさせる暖かいタッチと色、静謐な雰囲気など、実に魅力的な静物画の数々でした。さらに描く対象の配置や置き方を変えて、全体の構図についても細心の注意を払っていることがわかります。一番気に入った絵は「達磨」です。目は黒丸、口はへの字に結んだ愛くるしい達磨の人形を、暖色系の色で描いた作品です。後ろには図案化された「起」という字が描かれていますが、「七転び八起き」というメッセージですね。解説によると、知り合いの飲食店主人が苦境に陥ったときに、彼を励ますために描いたそうです。また、帰郷を歓迎してくれた裁縫学校女子生徒のために描いた「鋏」という作品もあります。彼は、絵というものが、画家の気持ちを伝え、相手を励ましたり喜ばしたりする力があると信じていたのでしょう。心が静かにあたたまる、喜ばしい展覧会でした。

 もし彼が生きていたら、山ノ神を励ますために「ピアノ」という作品を依頼したかったのですが、どんな絵を描いてくれたことでしょう。叶わぬ夢なので、「達磨」の絵葉書を買って、そっとピアノの上に飾っておきました。
by sabasaba13 | 2019-08-25 09:06 | 美術 | Comments(0)

日本の素朴絵

c0051620_1835325.jpg 「速水御舟展」を見たときに、「日本の素朴絵」という展覧会のチラシがありました。その紹介文を転記します。
 日本では昔から、様々な形式の作品に緩やかなタッチでおおらかに描かれた絵が残っています。それらは「うまい・へた」の物差しでははかることのできない、なんとも不思議な味わいを持っており、見る人を虜にします。
 本展覧会では、ゆるくとぼけた味わいのある表現で描かれたこのような絵画を「素朴絵」と表現します。しかし、西洋絵画の「素朴派」とは異なり、「リアリズムを目指す表現の人為的・技巧主義的なものを超越した」という意味を含んでいます。素朴絵は生活の中で様々なものに登場します。絵巻、絵本、掛軸や屏風、時には嗜好品として親しまれ、時には庶民が手の届かない「うまい」作品の代替として、季節行事に使う道具に用いられ、仏画として信仰の対象にもなってきました。また、禅僧などの高名な人物によって描かれた素朴絵も注目されます。
 このように過程をたどると、素朴絵は知識人や富裕層だけでなく、どの時代でも「庶民」が主体となって描き継がれ、残されてきた芸術といえます。
 本展覧会では、これまで本格的に取り上げられることになかった、様々な時代・形式の素朴絵を紹介することで、名人の技巧や由緒ある伝来に唸るだけではない、新しい美術の楽しみ方をご提供します。また、仏像や神像などの彫刻にも素朴なものがあり、これらも交えて素朴な美の広がりもうかがうことができます。
 以前に、府中市美術館で「へそまがり日本美術」という、とてつもない展覧会を見て腹の皮がよじれるほど大笑いしたのですが、同じ趣旨のようですね。これも面白そうです。山ノ神といっしょに三井記念美術館に行くことにしました。
 場所は日本橋、インターネットで調べると、すぐ近くに辰野金吾設計の日本銀行本店があります。もしや事前に申し込めば見学ができるのではと思ったのですが、調べたところ当日の見学は外観のみ、内部の見学はできないとのことでした。無念、再訪を期しましょう。昼食はもちろん「たいめいけん」、ゆるい絵を見て緩頬したあと、肉汁あふれるメンチカツに舌鼓を打つ、至福のひと時を過ごせそうです。
 地下鉄銀座線の日本橋駅で降りて美術館に向かいテクテクあるいていると…「さばしゃぶ」という看板が目に飛び込んできました。もしかしたら、をしゃぶしゃぶで食べるということかな。ビンゴ。島根県産の海鮮料理店「主水」というお店でした。うーむ、メンチカツを取るかを取るか、苦渋の決断を迫られることになりました。山ノ神は「どうでもいいわよ」と風馬牛の佇まいですので、私の一存にかかっています。ハックルベリー・フィンよろしく、"私は、息をこらすやうにして、一分間じつと考へた。それからかう心の中で言ふ。「ぢやあ、よろしい」"…鯖にしましょう。

 まずは展覧会を鑑賞。ゆるい埴輪・人面土器・仏像を展示する「立体に見る素朴1」、イノシシを抱えてドヤ顔の埴輪が気に入りました。「素朴な異界1」で展示されていたのは「地獄十王六道図」、ゆるキャラ風の獄卒が愛らしいですね。「絵巻と絵本」で展示されていた「かるかや」はまるで子供が描いた絵、腰がへなへなとくだけ落ちるような脱力感にあふれています。「庶民の素朴絵1」では、勧進に使われた曼荼羅などが展示されていましたがいま一つ。素朴絵の王道とも言うべき大津絵を展示しているのが「庶民の素朴絵2」。「素朴な異界2」では「十王図屏風」に脱力させられました。いいかげんに描かれた亡者と、やる気なさげに仕事をする獄卒の対比が面白いですね。「知識人の素朴絵1」は、江戸時代中期に茶人・俳人が自覚的に描いた素朴絵が展示してありましたが、こちらもいま一つ。「知識人の素朴絵2」は僧侶・プロ・アマチュアが描いた素朴絵を展示、このコーナーが一番楽しかったですね。白隠仙厓、尾形光琳、尾形乾山伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村富岡鉄斎といった大物のゆるい絵を堪能いたしました。そうした巨人たちの間で、ピカリと光る二枚の素朴絵がありました。まずは禅僧・南天棒による「雲水托鉢図」、目は点、口は横棒、おおらかにデフォルメされたかわいい托鉢僧たちが、縦一列になって来たり去っていきます。もう一枚が浮世絵師・耳鳥斎(にちょうさい)が描いた「大黒と福禄寿の相撲図」。福禄寿の長い頭を抱えた大黒を、福禄寿が吊り出すところをユーモラスに描いています。目は点、口は横棒で書かれた大黒の、なんともやるせない表情がいいですね。締めは、円空木喰の彫った仏像を展示する「立体に見る素朴2」。この二人が彫った仏像に対峙すると、つい芸術作品と見て身構えてしまいますが、本来は庶民のための素朴な仏であったのですね。こちらも少し脱力して拝んだほうがいいのかもしれません。
 「へそまがり日本美術」の常軌を逸した脱力感には及びませんでしたが、なかなか面白く楽しい展覧会でした。

 そして「主水」へ寄って、さばしゃぶをいただきました。ミディアム・レアの鯖を食べるのは初めてですが、たいへん美味しうございました。ただお代が1800円と少々高いわりには量が少なく残念。鯖が高級魚になってしまったようですね。でも我が家でもこれはできそう、出汁を工夫すれば新しい世界が開けてきそうです。
by sabasaba13 | 2019-08-24 13:26 | 美術 | Comments(0)

世界報道写真展2019

c0051620_14414625.jpg 山種美術館で「速水御舟展」を見た後、東京都写真美術館へ行き、知人に招待券をもらった「世界報道写真展2019」を見てきました。まずは公式ホームページから、展覧会の概要についての紹介文を引用します。
 世界報道写真コンテストの受賞作を紹介する「世界報道写真展2019」。62回目を迎える今回のコンテストには、129の国と地域から4,738人のフォトグラファーが参加し、78,801点の応募がありました。
 今年は、「現代社会の問題」、「一般ニュース」、「長期取材」、「自然」、「環境」、「スポーツ」、「スポットニュース」、そして昨年の「人々」にかわり「ポートレート」の部の8部門において、25カ国43人が受賞しました。また新たに、複数の写真で様々な事象を表現した作品を評価する「世界報道写真ストーリー大賞」が設けられ、報道写真の表現が広がりを見せています。
 「スポットニュース」の部では、ジョン・ムーアがメキシコとアメリカの国境で、母親の取り調べ中に泣き叫ぶホンジュラスの少女を捉えました。また「一般ニュース」の部では、サウジアラビアのカショギ記者が行方不明になった事件で、サウジの総領事館に押し寄せる報道陣の姿を写しています。ほかにも、シリアで続く内戦やコロンビア革命軍の元女性兵士の暮らし、オランダ領キュラソーのベニイロフラミンゴを捉えた作品など、地球上で「いま」起きていることを伝える写真の数々を紹介します。
 今、世界で何が起きているのか、そしてそれと日本がどのように関わっているのか。常に関心を持ち、調べ、考えていきたいと思っております。そのきっかけとなるのが、やはり写真です。いろいろな経緯があったとはいえ優れた報道写真誌であった『DAYS JAPAN』が廃刊となったため、世界のさまざまな事件や出来事を伝えてくれる報道写真を見る機会が減ってしまいました。こうした写真展はできうる限り見にいくように心掛けてします。
 どの写真も、今の世界を鮮明に伝えてくれる力作で、一つ一つキャプションを読みながらじっくりと鑑賞しました。その中でも、人権を奪われ虐げられる子どもたちの写真には胸がひきさかれます。ゴミの上で眠る少年、母にすがって泣き咽ぶ少女(ポスターの写真)、恐怖に怯える子どもたち。それぞれに下記のキャプションが添えられていました。
環境の部 マリオ・クルス(ポルトガル)
 フィリピンの首都マニラに流れるパッシブ川に浮かぶゴミに囲まれたマットレスに横たわる子ども。パッシブ川は2017年の『ネイチャー・コミュニケーションズ』の報告で、世界で最も汚染されている20本の河川の一つに挙げられた。現在は浄化に努力がなされているが、河川の一部は依然として廃棄物が密集しているため、ゴミの上を歩くことができるほどの状況にある。

スポットニュースの部 ジョン・ムーア(アメリカ)
 2018年6月12日、米国テキサス州マッカレンで、母親サンドラ・サンチェスが国境監視員の取り調べを受けている間泣き叫ぶホンジュラスの子どもヤネラ。メキシコからリオ・グランデ川を渡ってきた移民家族らは、当局に拘束された。母親のサンドラ・サンチェスは、亡命のためアメリカに到着するまで、1か月にわたり娘とともに中央アメリカおよびメキシコを旅してきたと話した。トランプ政権は、「ゼロ・トレランス(不寛容)」移民政策を発表し、不法に米国に入国し拘束された者を刑事訴追すると述べた。その結果、逮捕された親の多くは子どもから切り離され、多くの場合異なる収容施設に送られた。この写真が世界に公開された後、米国の税関と国境保護は、ヤネラと彼女の母親が米国によって分離された何千人もの人の中にいなかったことを確認した。それにもかかわらず、物議をかもしている政策に対する一般の人々からの抗議により、ドナルド・トランプ大統領は2018年6月20日に政策を覆すことになった。

スポットニュースの部 モハメド・バドラ(シリア)
 内戦下シリアで、最後の反体制派支配地域となっているシリアの首都ダマスカス近郊東グータ地区の住民は、2018年2月までの5年にわたり政府軍の包囲下にある。東グータの最終攻撃では、2018年2月25日のシフォニエ村に対する毒ガスと思われる攻撃少なくとも1回を含め、ロケット攻撃と空爆が行われた。
 人類にとって唯一の、そして最後の希望である子どもたち。いま、その子どもたちの命と人権が、全世界規模で脅かされているように思えます。日本も例外ではありません。厚生労働省の調査によれば、日本の子どもの貧困率(2015年)は13.9%。さらにひとり親家庭の貧困率は50.8%と、先進国の中でも最悪な水準だと言われています。自然に加えて子どもたちをも壊している人類、それはもはや緩慢なる自殺です。カ-ト・ヴォネガットの言葉が耳朶に響きます。
われわれは自分たちを救えたかもしれないが、
呪わしいほどなまけものであったため、その努力をしなかった。
それにわれわれは呪わしいほど下劣だった。
 そうした現状を知り、調べ、考え、変えるためにも、こうした報道写真を見ることは良い契機となります。世界を股にかけて撮影を続けるフォト・ジャーナリストの方々に敬意を表するとともに、応援をしていきたいと思います。微力だが無力ではないと信じつつ。

 写真展を見終えて外へ出ると、何やら長い行列ができています。しかもほとんどの方がスマートフォンの画面を眺め弄りながらの、静かで不気味な行列です。山ノ神と見合わす顔と顔、よろしい、行列の先頭に行ってその正体をつきとめましょう。はい、アニメのグッズを買い求めるための長い長い行列でした。非難や嘲笑をする気は毛頭ありませんが、ただ今見てきた世界との落差には愕然とします。ゴミの中で暮らし、難民となり、空爆に怯える子どもたち。炎天下、アニメのグッズを買うために長い行列をつくる若者たち。
 ちなみにこの日は参議院選挙の投票日、私たちは期日前投票をすませていますが、ここに並ぶ方々は投票したのでしょうか。
by sabasaba13 | 2019-08-13 08:01 | 美術 | Comments(0)

速水御舟展

c0051620_21543724.jpg ちょっと忘れられない思い出があります。高校生の時、数学の先生がニコニコしながら早引けして校門を出ていくので、「先生、どこに行くんですか」と訊いたところ、満面の笑顔で「"はやみぎょしゅう"の展覧会を見に行くんだ」と答えてくれました。昔はきっと、先生方にもさまざまな余裕があったのでしょうね。そして私を対等な人間として接し、高校生には馴染の薄い画家の名前を告げてくれた先生に感謝します。
 それ以来、喉に刺さった小骨のように、"はやみぎょしゅう"という名前が心の片隅でうずくようになりました。やがて知識も増え、速水御舟という日本画家であることが分かり、山種美術館で彼の作品をいくつか見ることもできました。しかし管見の限り彼の展覧会は開かれておらず、御舟の作品をまとめて見る機会はありませんでした。しかしその機会が到来しました。速水御舟生誕125年を記念して、山種美術館が所有する御舟コレクションの全貌が紹介されるそうです。同美術館の公式サイトから引用します。
 本年は、日本画家・速水御舟(1894-1935)の生誕から125年、そして山種美術館が現在の渋谷区広尾の地に移転し開館してから10年目にあたります。この節目の年を記念し、当館の「顔」となっている御舟コレクションの全貌を紹介する展覧会を開催いたします。
 当館創立者の山崎種二(1893-1983)は御舟とは一つ違いでしたが、御舟が40歳という若さで早世したため、直接交流することがかないませんでした。しかし、御舟の芸術を心から愛した種二は、機会あるごとにその作品を蒐集し、自宅の床の間にかけて楽しんでいました。
 一方、御舟は23歳の若さで日本美術院同人に推挙され、横山大観や小林古径らにも高く評価された画家。「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」という御舟の言葉どおり、彼は生涯を通じて、短いサイクルで次々と作風を変えながら、画壇に新風を吹き込んでいきました。
 御舟は40年という短い生涯に、およそ700余点の作品を残しましたが、その多くが所蔵家に秘蔵されて公開されることが少なかったため、「幻の画家」とも称されていました。1976年、旧安宅産業コレクションの御舟作品105点の一括購入の相談が種二のもとに持ち込まれ、種二は購入の決断をします。その結果、すでに所蔵していた作品とあわせて計120点の御舟作品が山種美術館の所蔵となり、以来当館は「御舟美術館」として親しまれてきました。
 本展では、御舟の代表作ともいえる《炎舞》、《名樹散椿》(ともに重要文化財)をはじめとして、《錦木》など初期の作品から《牡丹花(墨牡丹)》など晩年の作品まで、各時代の作品をまとめてご覧いただきます。
 当館の御舟コレクション全点公開は2009年の広尾開館以来10年ぶりとなります。この機会に、御舟芸術の真髄をお楽しみください。
 最近、油絵にはまっている山ノ神を誘うと、即快諾。とある日曜日に二人で山種美術館に行ってきました。JR恵比寿駅から、駒沢通りのだらだらとした坂を十数分のぼると、山種美術館に到着です。会場は思ったよりは混雑していましたが、絵を見るために行列に並ばねばならないほどではありません。御舟の絵を見たいという、静かな熱気に包まれた良い雰囲気でした。

 驚いたのは、四十歳で早世したにもかかわらず、次々と作風を変えていったことです。まず徹底した細密描写による精緻な写実。次に琳派的な装飾的構成。そして十ヶ月にわたる渡欧によって西洋の人物画に触れ、日本画家の人物デッサン力不足を痛感した御舟は、帰国後は人物画に意欲的に取り組みます。同時に花鳥画の佳品を制作しますが、彼は「自分の作品に主張がなくなった」「絵が早くできすぎて困る」と友人に語ったそうです。そして「これからは売れない絵を描くから覚悟しておいてくれ」と夫人に語り、写実を離れた抽象的な形態を追求していきます。その直後の死。彼の言葉です。
梯子の頂上に登る勇気は貴い、
更にそこから降りて来て、
再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。
大抵は一度登ればそれで安心してしまう。
そこで腰を据えてしまう者が多い。
登り得る勇気を持つ者よりも、
更に降り得る勇気を持つ者は、
真に強い力の把持者である。
 「半年も前と同じことはやれない」と語ったマイルス・ディビスのようですね。

 そしてどれほどスタイルが変わっても、ぶれずに一貫しているのが、絵が発する気品です。一筆一筆に込められた彼の気持ちが、静かに熱く伝わってくるようです。見ているだけで、気持ちが落ち着てくるような、素敵な絵ばかりです。
 「炎舞」は別格として、私のお気に入りは三枚。まずは「葉蔭魔手」、ヤツデの木陰に巣をはって獲物を待つ蜘蛛を描いたものです。蜘蛛とヤツデの葉のリアルな描写、装飾的にみごとな空間構成、獲物を待つ蜘蛛がただよわせる心地よい緊張感。何よりも凄いのは、蜘蛛の糸です。ぶれもかすれもせず、これほど細い線を生き生きと描けるものなのか。どれほどの研鑽を積んだのか。恐れ入りました。
 二枚目は、「昆虫二題」として対をなす「粧蛾舞戯」です。「炎舞」と同じく、群れ飛ぶさまざまな蛾を描いた作品です。「炎舞」はたしかに傑作だと思いますが、蛾たちが炎に飛び込んでしまうのではないかという、死の気配を感じてすこし切なくなります。それに対して「粧蛾舞戯」は、おぼろげに渦巻く光の中心へ向かって、色とりどりの蛾たちが楽し気に舞いながら上昇していく姿を描いています。解放感にあふれた、心が愉悦に踊るような素敵な絵です。
 三枚目は「春昼」、春霞でしょうか、もやったような空気のなかに佇む茅葺の家一軒。そして屋根の上でくつろぐ数羽の山鳩。ただそれだけの絵なのに、なぜ心惹かれるのでしょう。うーむ、やはりマチエールですね。茅葺屋根、土壁、木の壁、いずれも脈打ち息遣いをしているような質感です。とくに猫の毛を思わせるような柔らかな茅葺がいいですね。手で触れ、頬ずりをしたくなるような絵なんて、なかなか巡り合えません。私も山鳩になりたい。

 というわけで、絵を見る喜びを堪能できたひと時でした。さて、知人から招待券をもらったので、これから東京都写真美術館に行き「世界報道写真展2019」を見てきます。展覧会の梯子も、おつなものです。
by sabasaba13 | 2019-08-11 09:10 | 美術 | Comments(0)

戦禍の記憶

c0051620_18165092.jpg 大石芳野氏の写真展『戦禍の記憶』が、東京都写真美術館で開かれていると知り、山ノ神といっしょに見てきました。氏は、戦禍や内乱など困難な状況にありながらも逞しく誇りをもって生きる人びと、そして土着の文化や風土を大切にしながら生きる人びとを主なテーマとした写真を撮り続けられている方です。まずは展覧会の趣旨を、チラシから転記します。 
 20世紀は「戦争の世紀」といわれます。二度にわたる世界大戦で人類の危機とでもいうべき大量の殺戮と破壊をもたらした後も安寧を迎えることはなく、米国、旧ソ連を軸とする東西の冷戦に起因する朝鮮戦争やベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻などが勃発しました。21世紀を迎えてもなお、世界のどこかでひとときも収まることなく戦争が続いています。
 戦争の悲惨な傷痕に今なお苦しむ声なき民に向きあい、平和の尊さを問いつづける大石芳野。広島や長崎、沖縄、朝鮮半島に大きな傷を残している太平洋戦争の後遺症をはじめ、メコンの嘆きと言われるベトナム、カンボジア、ラオスの惨禍、そして民族や、宗教・宗派の対立で苦しむアフガニスタン、コソボ、スーダン、ホロコースト…。本展では約40年にわたり、戦争の犠牲となった人々を取材し、いつまでも記憶される戦禍の傷にレンズを向けてきた作品約150点を展覧します。
 JR恵比寿駅から徒歩10分ほどで写真美術館に到着。館内に併設されている「MAISON ICHI」というパン屋さんでサンドウィッチと珈琲をいただいてから、鑑賞をしました。

第1章 メコンの嘆き
 ベトナムでは、アメリカ軍が散布した枯葉剤による後遺症に苦しむ人びと。カンボジアではポル・ポト政権によるジェノサイド政策の犠牲者。ラオスでは、ベトナム戦争でアメリカ軍が投下した爆弾の不発弾が大量に埋蔵され、その爆発によって傷ついた人びと。大石氏のカメラは、彼ら/彼女らの心に寄せるように向き合います。見ていて心が痛むのは、やはり傷ついた子供たちの姿です。氏曰く、「全土のどこでも、闇を見つめているような表情がそこここにある」(目録p.47)。カート・ヴォネガットは『追憶のハルマゲドン』(早川書房)の中で「子供たちを殺すことは―“ドイツ野郎(ジェリー)”のガキどもであろうと、“ジャップ”のガキどもであろうと、将来のどんな敵国のガキどもであろうと―けっして正当化できない」と言いましたが、同様に子供たちを傷つけることはけっして正当化できないと、胸に刻みましょう。

第2章 民族・宗派・宗教の対立。
 ソ連による侵攻、アメリカによる攻撃、そして部族間の内戦が続くアフガニスタン。廃墟となった首都カブールで、必死に生き延びようとする人びとの姿が心に残ります。セルビアによる攻撃や弾圧にさらされるコソボ。きっとこちらを見据えるギゼルという少女の写真から、目を逸らすことができませんでした。
 セルビア側についたロマ人のギゼル(9歳)。一家は、戻ってきたアルバニア系勢力に家を燃やされた。「何も悪いことはしていないのに」。(p.91)
 そして豊富に埋蔵される資源をめぐる民族紛争が起こり、ダルフール地方では200万人以上の人びとが死と追放の憂き目にあったという南スーダン。
 章の最後は、ホロコーストの現場と生き残った方々の写真です。“何も悪いことはしていないのに”、ユダヤ人やロマ人であるというだけで、殺された人びと。人類はここから何を学んだのか、学ばなかったのか。民族や部族や宗教が違えば、殺してもかまわないという状況が、いまだ続いていることに慄然とします。

第3章 アジア・太平洋戦争の残像
 そして日本が深く関わったアジア・太平洋戦争によって、傷つけられた人びとの写真です。731部隊の現場と目撃者、中国残留邦人、従軍慰安婦、ヒロシマ・ナガサキの被曝者、沖縄戦を生き延びた人びと。伊江島で見つかった子供の小さな頭蓋骨の写真には、下記のキャプションがありました。
 自然壕が防空壕の役割を果たしたが、住民と日本軍が共用したので悲劇も絶えなかった。戦争で最も被害を受けたのは子どもたち。すべて大人に責任があると訴えるような子どもの頭蓋骨が伊江島の壕から現れた。(p.166)
 展覧会のタイトルを、“戦火”ではなく“戦禍”としたところに大石氏の意思を感じました。戦争のおぞましさは、戦闘中に傷つき殺されるだけではなく、その後も様々なかたちでずっと人びとを苛むということだと思います。枯葉剤、不発弾、悲嘆、憎悪、悔恨、まさしく禍です。それを防ぐためには、戦禍にあった人びとの姿を記憶すること、伝えること、そして心を寄せることが大切なのだというメッセージを受け取りました。この目録をときどき見つめ、お手軽・お気軽に戦争をしようとする輩に抗っていきたいと思います。
 なお本展でいちばん心に残ったのが、アフガニスタンのカブールで撮影されたオミッドという10歳の少年を写した二枚の写真です。私も山ノ神も、はじめは同一人物だと気づきませんでした。左の写真は、暗い目をして、パチンコで捕った小鳥を弄ぶ無表情のオミッド。右の写真は、ノートを広げて明るく微笑むオミッド。目に光があるのがはっきりわかります。キャプションはこうです。
 オミッド(10歳)の父親は戦死し、貧しさゆえに学校に通えない。パチンコで小鳥を捕って遊ぶ。(p.78)

 学校へ行きたいというオミッド。入学の手続きを手伝い、通学を始めた。丸刈りになって、毎日学校が楽しくて一日も休まない。(p.79)
 目録に掲載されていた藤原聡氏の解説によると、寂しそうに遊んでいるオミッドを見かねた大石氏が、証明写真を撮りに連れて行き、入学手続きの手助けをしたそうです(p.10)。微かですが、未来への希望を感じさせてくれる写真でした。世界中の子どもたちが安心して学校へ通い、友だちと遊び学び、そして戦争は自然現象ではなくそれによって利益を得る者が起こす人為的な禍であることを知ってほしいと切に願います。
by sabasaba13 | 2019-05-18 08:16 | 美術 | Comments(0)

河鍋暁斎展

c0051620_1341966.jpg 映画『金子文子と朴烈』を見に行くときに駅構内のポスターで知った河鍋暁斎展、山ノ神とともに訪れてきました。場所は六本木、東京ミッドタウンのガレリア3階にあるサントリー美術館です。ミッドタウンの桜も八分咲き、たくさんの人びとが詰めかけてスマートフォンで写真を撮っていましたが、展覧会会場も大混雑なのかな。まいったなと懸念したのですが杞憂でした。閑古鳥が鳴くほどではありませんが、牛歩の如き速度で列は流れていきます。
 まずはチラシの紹介文を引用しましょう。
 多様な分野で活躍した画鬼・河鍋暁斎、その画業については、長らく諷刺画や妖怪画などに焦点が当てられてきました。しかし近年の研究により、駿河台狩野家の伝統を受け継ぐ筆法と、独特な感性をもとに活躍の場を広げていった姿が明らかになりつつあります。
 卓越した画技を持っていた暁斎は、着色と水墨の両方を使いこなし、仏画・花鳥画・美人画など、多岐にわたるジャンルで優れた作品を遺しました。
 本展では、国内の名品およびイギリスからの里帰り作品を含む約120件によって、幕末・明治の動乱期に独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望するとともに、先人たちの作品と真摯に向き合った暁斎の作画活動の一端を浮き彫りにします。
 “その手に描けぬものなし”というサブタイトルとは、よくぞつけたもの。天馬の如き彼の筆は、天衣無縫にさまざまなものを描き尽くします。真面目な仏画、艶っぽい美人画、笑いをさそう風刺画や動物画、身の毛もよだつような残酷な絵や幽霊の絵。ただ見惚れるのみ。
 気に入った作品をいくつか紹介しましょう。水墨画の技の冴えを見せてくれるのが「枯木寒鴉図」。枯れた枝に屹立し、前方をきっと凝視する一羽の烏の凛とした佇まいに、思わず背筋が伸びます。筆と墨だけで、その烏の姿を通して“孤高”をこれほど完璧に表現した暁斎、脱帽です。
 「美人観蛙戯図」は、団扇を手に涼をとる妙齢の美人を描いています。彼女が微笑みながら見つけているのは、足元で遊んでいる蛙たち。「鳥獣戯画」を換骨奪胎したものでしょう、相撲をとったり、腕組みをしたり、煙管をくわえたり、子蛙を背負ったりと、さまざまな蛙の姿を生き生きとユーモラスに描いています。真面目な美人画と空想的な鳥獣戯画の合体、これぞ暁斎。
 思わず緩頬してしまうのが「貧乏神図」。ぼろぼろの服を着て渋い面の貧乏神は、もうこれ以外の姿は想像できないようなリアルさです。よく見ると、足元には注連縄でつくられた結界があり、彼がそこから出られないようになっています。おまけに表装もわざとぼろ布を使った手の込みよう。
 「大仏と助六」は、遊び心にあふれた絵です。縦長の紙に大仏の顔左半分を描いた大胆不敵な構図。しかも助六が踊りながらその鼻の穴に入ろうとしています。鼻道と花道の駄洒落なのですね。これが宴席で頼まれて即興で描いた絵(席画)だというのですから驚きです。
 仰向けに浮かぶ鯰に乗った猫と、曳き舟のように長い髭を引っ張る二匹の猫を描いた「鯰の船に乗る猫」は諷刺画です。当時、政府の高官をその髭から鯰になぞらえたそうです。また国家を揺るがす地震を引き起こすという意味もあったようです。その鯰を手玉にとる猫たち、その意気やよし。なお暁斎は、1870(明治3)年、40歳のとき、書画会で描いた作品が政府高官を嘲弄したとして投獄されましたが、こうした作品なのかもしれません。
 暁斎がますます好きになってしまう、素敵な展覧会でした。

 なおカタログに、暁斎の弟子であり友人でもあった建築家ジョサイア・コンドルが寄せた追悼文が載っていたので転記します。
 (暁斎は)忍耐強く自然を観察し、また古人の作で価値あるものをことごとく敬虔な態度で模写した人であったが、その作品にはつねに独創性と天稟の才が横溢していた…彼はその独立不羈の性格と何でも描ける多才な技量により、免状ばかりで精神を伝えぬ一流派の束縛を長く免れることができた…彼は自ら構成した活気溢れる絵画の世界を一絵師として孤独に生き、古き巨匠の偉大なる魂を友としたが、今やその霊と相接しているのである。(p.194)
 彼の画業をよく理解し、そして敬愛の念をこめた素晴らしい追悼文ですね。
 余談ですが、暁斎が生まれた古河、彼が訪れた須坂の訪問記を上梓してありますので、よろしければご笑覧ください。
by sabasaba13 | 2019-05-14 06:20 | 美術 | Comments(0)

奇想の系譜

c0051620_21543689.jpg 美術史家・辻惟雄氏の名著『奇想の系譜』に基づく展覧会が、上野にある都美術館で開催されていることを知りました。主催者のあいさつ文を紹介します。
ごあいさつ
 美術史家・辻惟雄氏が、1970年に著した『奇想の系譜』。そこで紹介されたのは、それまでまとまって紹介されたことがない、因襲の殻を打ち破り意表を突く、自由で斬新な発想によってわれわれを、非日常的な世界に誘う絵画の数々でした。それから半世紀経った現在では、かつては江戸時代絵画史の傍流とされていた画家たちが、その現代に通じる革新性によって熱狂的ともいえる人気を集めています。
 本展では、『奇想の系譜』で取り上げられた六名の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の他に、白隠慧鶴、鈴木其一を加えました。
 おおっ、私の大好きな伊藤若冲や、長沢芦雪や、歌川国芳の絵を一堂に会して見られる、これはたまりません。さっそく山ノ神を誘って、見に行くことにしました。

 時は三月の下旬、今年は開花が早いため、上野の桜はもう五分咲きです。よって上野公園はたくさんの人が押しかけ大混雑でした。おまけに上野動物園のパンダが先着順で見られるようになったことも混雑に拍車をかけたようです。さてお目当ての展覧会の混雑はどうでしょうか。以前に開催された「伊藤若冲展」が凄まじい混雑で見るのを諦めたことがトラウマとして心に残っています。戦々恐々としながら入口を入ると、チケットを購入するための行列はさほど長いものではありません。ああよかった。十五分ほど並んで買うことができました。
 まずは「幻想の博物誌」伊藤若冲。動物や植物を、リアルに、華麗に、生き生きと描いた彼の絵を見るたびに生きていてよかったと思います。生命の讃歌ですね。圧巻は「象と鯨図屏風」、巨大な象と鯨の対比、そして今にも“パオー”という嘶きが聞こえてきそうな愛らしい象。お得意の鶏をさまざまな姿で描いた「鶏図押絵貼屏風」では、真正面から描いた鶏がラブリー。思わずだきしめたくなりました、突かれそうだけど。
 次は「醒めたグロテスク」曽我蕭白、怪作「群仙図屏風」を間近で見ることができました。画面を埋めつくす不気味な仙人、仙女、龍、童子、そしてこの世のものとは思われないド派手な着色。見ているだけで気持ちが悪くなってくる絵など、そうそうお目にはかかれません。
 「京のエンターティナー」長沢芦雪のコーナーでは、「白象黒牛図屏風」に見入ってしまいました。白い巨象にとまる黒い烏、黒い巨牛のもとの白い子犬。大と小、黒と白のみごとな対比です。もちろんそれぞれの動物も的確に描写されています。カタログの解説で辻惟雄氏は、巨大な動物を対比的に描いたという点で、若冲の「象と鯨図屏風」との類似を指摘され、どちらかが、どちらかを見て刺激され描いたのではないかとされています。そして見た場所は、祇園祭礼の宵山の屏風見せの折と推測されています。「群猿図襖」もいいですね、群れ集う猿たちを個性豊かに描き分けています毛の柔らかさを表現する筆力には脱帽です。実は今回の展覧会で一番見たかったのが、芦雪の「なめくじ図」です。なんと、なめくじと彼が這った跡だけを描いた、空前絶後の絵です。その曲線がまるで抽象絵画の如きデザイン、これぞ奇想! カタログで馬渕美帆氏が、これは席画(画家が招かれた会席で客の注文に応じて描かれた絵)ではないかと指摘されているのは卓見です。画面を一筆書きで埋め始めて観客たちを驚かせ、最後になめぐじを描いて種明かしという趣向。うわお、その場に居合わせたかった。
 なお芦雪は、亀甲型の外郭のなかに「魚」の一字を入れた独特な印を使っていますが、その由来についての辻惟雄氏による解説がありました。『近世名家書画談』によると、芦雪が淀から四条の応挙の画房に通って修業を積んでいたころ、ある寒い冬の朝、往きの途中の小川が凍って、魚がそのなかに閉じ込められて苦し気なのを見ました。帰りに覗いてみると、氷がだいぶ溶け、魚が自由を得て嬉し気でした。そのことを翌日師に話すと、自分も修業時代は苦しかったが、そのうちだんだん氷が溶けるようにして画の自由をえたのだと諭され、肝に銘じて終生この印を用いたということです。いい話ですね。
 「執念のドラマ」岩佐又兵衛コーナーでは、凄惨な場面を豪華絢爛な色彩で描いた「山中常盤物語絵巻」が展示されていました。ほんとうは「洛中洛外図屏風」と「豊国祭礼図屏風」が見たかったのですが、展示替えがあって見られなかったのが無念。
 「狩野派きっての知性派」狩野山雪の絵は、正直に言って、若冲や芦雪にくらべてやや見劣りがします。私の眼力不足かな。
 「奇想の起爆剤」白隠慧鶴の禅画は、若冲、蕭白、芦雪など18世紀の京都画壇の個性的な表現が生まれるための起爆剤となった可能性が近年指摘されているそうです。縦2メートルもある巨大な「達磨図」の大胆不敵な表現を見るとさもありなんと思えます。
 「江戸琳派の鬼才」鈴木其一(きいつ)は、その高名はたびたび耳にしますが彼の絵を見たのははじめてです。うん、いい。繊細で的確な表現力と、華麗な色彩には目を瞠りました。「貝図」がいいですね、日ごろ何気なく食べている貝がこんなにも美しいものだと、其一に教えられました。「百鳥百獣図」は、数多の鳥と獣が双幅を埋めつくす生命の楽園です。見ているうちに幸せな気持ちとなり、耳朶にチャールス・ミンガスの「クンビア&ジャズ・フュージョン」の楽し気な調べが鳴り響てきました。
 そして掉尾を飾るのが「幕末浮世絵七変化」歌川国芳です。人体で顔を構成する「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」、猫を使った駄洒落で東海道五十三次を描いた「猫飼好五十三疋」、巨大な骸骨がぬっと姿をあらわす「相馬の古内裏」など、奇想が炸裂。しかし今回の展覧会で一番感銘を受けたのは、「火消千組の図」という額絵です。霊岸島や箱崎町を担当する火消の千組が成田山新勝寺に奉納したものです。手に手に鳶口を持った138人の火消が威風堂々と火事場に向かう姿を描いた絵ですが、その迫力には圧倒されました。ワーグナーの楽劇「タンホイザー」の行進曲が耳朶に鳴り響きます。またそれぞれの表情や刺青まで丹念に描き分けているのにも感嘆します。

 ああ面白かった。楽しかった。驚いた。やはり美術はこうでなくてはいけません。二百数十年後の私たちをこれほどドキドキワクワクさせてくれる奇想の画家たちにあらためて敬意を表します。そしてこうした美術を生み出した江戸という時代を、あらためて見直したいと思います。
by sabasaba13 | 2019-05-10 06:18 | 美術 | Comments(0)

へそまがり日本美術

c0051620_11581565.jpg 府中市美術館が気になります。『ノーマン・ロックウェル展』や『歌川国芳展』といった正統的な企画はもちろん、『立石鐵臣展』や『長谷川利行展』といった通好みの企画や、『石子順造的世界』といった意表を突く企画など、小さいながらも端倪すべからざる美術館です。
 またアプローチもよろしい。武蔵野の面影を残す府中の森公園を気持ちよく散策しながら辿り着けます。戦争遺跡フリークの方は、近くにある巨大なパラボラ・アンテナ(在日米軍旧府中通信施設)もお見逃しなく。
 今回の展示は「春の江戸絵画まつり」と称して、『へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで』というものです。…………………………なんじゃそりゃ! 公式サイトより、紹介文を引用します。
 人は、見事な美しさや完璧な美しさに、大きな感動を覚えます。しかしその一方で、きれいとは言いがたいもの、不格好で不完全なものに心惹かれることもあるでしょう。「へそまがりの心の働き」とでも言ったらよいでしょうか。
 例えば、禅画に描かれた寒山拾得の二人は、不可解さで見る者を引きつけます。また、江戸時代の文人画には、思わず「ヘタウマ?」と言いたくなるような作品があります。文人画の世界では、あえて朴訥に描くことで、汚れのない無垢な心を表現できると考えられていたのです。
 あるいは、徳川家光が描いた《兎図》はどうでしょうか。将軍や殿様が描いた絵には、ときおり見た人が「???」となるような、何と言い表せばよいか困ってしまうような「立派な」作品があります。描き手が超越した存在であることと、関係があるのかもしれません。更に近代にも、子供が描いた絵を手本にして「素朴」にのめり込む画家たちがいました。
 この展覧会では、 中世の禅画から現代のヘタウマまで、 日本の美術史に点在する「へそまがりの心の働き」の成果をご覧いただきます。へそまがりの感性が生んだ、輝かしくも悩ましい作品の数々を眺めれば、日本美術のもう一つの何かが見えてくるかもしれません。

 日本初!「へそまがり」で美術史を俯瞰する展覧会。中世の水墨画から現代のヘタウマ漫画まで、日本人の「へそまがりな感性」が生んだ絵画の数々を展望する初めての展覧会です。

 破壊力のある作品が勢ぞろい! 「おかしい」「ユルい」「へんてこ」「苦い」「かわいい」など、従来の"美術鑑賞用語"からはかけ離れた言葉で形容されるような、けれども、強烈なインパクトのある作品が揃います。
 うわお、ウィントン・ケリー(p)+ポール・チェンバース(d)+ジミー・コブ(ds)トリオの演奏のような、ドライブ感にあふれたノリノリの文章ですね。"破壊力のある作品"など、まともな学芸員なら顔をしかめるような表現を使うなど、なにかやらかしてくれそうな予感がします。これはぜひ見に行きましょう。山ノ神を誘ったのですが野暮用があるため、独りで府中市美術館へ行ってまいりました。
 いやあ、ほんとうに面白かった。美術館で笑うなんて稀有な体験です。禅画、俳画、南画、近代絵画から、目が点になるような突拍子もない絵が精選されており、会場のあちらこちらで笑いの静かな漣がわいていました。伊藤若冲長沢芦雪といった大物から、名も知らぬ禅僧や絵師、さらには幕府将軍や夏目漱石まで、よくぞまあとんでもない絵を集めたものです。学芸員および関係者諸氏の天馬の如き企画力、そして眼力と知識と遊び心に、深甚なる敬意を表します。
 あまりにも楽しかったので目録も購入しましたが、こちらも秀逸。それぞれの絵に一言が添えられているのですが、これがコメントというよりもツッコミです。例えば惟精宗磬(いせいそうけい)の「断臂(だんぴ)図」。雪舟の絵で有名ですが、禅宗の祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示して入門を許されたという有名な禅機の一場面です。そのコメント(ツッコミ)が"目と鼻はただの黒丸"。右手で刃物を持ち、いままさに左腕を切り落とそうという緊迫した場面なのですが、泣きそうな慧可の目と鼻の穴はたしかに黒い丸。そこまでハッキリ言うか、とこっちもツッコミを入れたくなります。
 というわけで、ヘタヘタと座り込みたくなるような絵を、ツッコミとともにいくつか紹介します。
"白隠を超える唐突さ" 春叢紹珠(しゅんそうそうじゅ) 「皿回し布袋図」
 額に細長い棒を乗せ、手放しで皿を回す布袋さま。「何のために???」という疑問は、袋の上に乗って楽しそうに皿を回す布袋さまの温和な表情を見ていると吹っ飛んでしまいます。くるくるくるくる…

"次の寅年にはこんな年賀状を出してみたい" 風外本高(ふうがいほんこう) 「新春賀偈」
 脱力感と破壊力という点では、本展で一、二を争う怪作です。禅の世界での新春の祝辞です が、添えられた虎が…いや、これは断じて虎ではない。猫でも熊でも犬でもない、わけのわからない動物がわけのわからないポーズで佇んでいます。でも見ていると肩の力が抜け、♪今日がだめなら明日があるさ♪と、ドン・ガバチョのように歌いたくなってきます。

"鬼はリラックスしているようにしか見えない" 風外本高 「涅槃図」
 釈迦の臨終を動物たちが嘆き悲しむ場面ですが、その描写の雑なこと雑なこと。ここまで適当に描かれると、不思議なもので抱きしめたくなってきます。金棒をわきにおいて寛いでいる鬼よ、少しは悲しいふりをしなさい。

"激しい動き、果てしない脱力感" 仙厓義梵(せんがいぎぼん) 「布袋図」
 くねくねと踊っているようにしか見えない布袋さま、いいですね。程よく力も抜けてノリノリです。なお仙厓には「目をおせば二つでてくる秋の月」という、卓袱台をひっくり返したくなるような禅画もあります。

"いくら仏の国でもあまり足を踏み入れたくない" 冨田渓仙 「石峰寺
 石峰寺は、京都伏見にある黄檗宗の寺で、伊藤若冲が庵を結び、石造の羅漢像を境内に安置したことで知られます…が、ここで描かれているのは幽鬼の如く不気味にゆらめく羅漢たち。たしかに足を踏み入れたくない。

"一度会ったら忘れられない河童" 小川芋銭 「河童百図〉幻」
 怖い… できればお会いしたくないものです。

"胴と手足を別々に作って縫い合わせた人形のよう" 三岸好太郎 「友人ノ肖像」
 まるで糸を切られて椅子に置かれたパペットのようです。友人は怒らなかったのな。なお彼の奥さんである三岸節子も画家で、彼の奔放な女性関係に苦しめられてどん底の生活を送り、彼が31歳で死んだ時に「ああ、これで私が生きていかれる」と思ったという凄絶なエピソードもあります。

"上様はどこまで本気なのか" 徳川家光 「鳳凰図」  徳川家綱 「鶏図」
 ここまでヘタだと、爽快感さえ覚えます。拝領した家臣は、どう褒めるか困っただろうなあ。もしかしたら、その困った顔を見たくてわざと下手に描いたのかもしれません。

"スナフキンではありません" 村山槐多 「スキと人」
 そう言われると、スナフキンにしか見えなくなってしまいました。余談ですが、彼がギターをかきならして歌う「おさびし山のテーマ」が大好きでした。

"笑顔とはこんなに嫌なものだったろうか?" 岸駒(がんく) 「寒山拾得図」
 ここまで人を不愉快にさせる笑顔を描いた絵師の力量には脱帽です。チコちゃんだったら、「ニヤニヤ笑ってるんじゃねえよ」と激怒するでしょうね。

"シビれるような強面の雄鶏" 長沢蘆雪 「鶏図」
 さすがは蘆雪、つがいの鶏をリアルに描写していますが、鑑賞者に「ガンつけてるんじゃねえよ」と睨みつける雄鶏の強面が尋常ではありません。ゆらめくような影も不気味ですね。道端でこんな鶏に出くわしたら、一目散に逃げましょう。

"部屋中をやるせないムードで満たす掛軸" 長沢蘆雪 「老子図」
 落胆した老子が牛の背に乗って他国へ去る場面だそうです。虚空をさまよう視線、感情を読み取れない無表情、この掛軸を飾ったら部屋中がブルーに入ってしまいそう。

"ゆるさの限界点に挑む画家" 中村芳中 「鬼の念仏図」
 大津絵の題材である「鬼の念仏」を描いた絵ですが、そのスライムの如きゆるさ加減が凄い。爽快な脱力感を心行くまで味わえる珠玉の一枚です。
 というわけで、こんなに面白い展覧会にはそうそうお目にかかれるものではありません。一緒に行けなかった山ノ神も、目録を見ながらクスクス笑い「落ち込んだ時にまた見よう」とご満悦の模様でした。5月12日(日)まで開催されていますので、思う存分脱力したい方、ぜひ府中市美術館へ。
by sabasaba13 | 2019-05-07 06:24 | 美術 | Comments(0)

堀文子展

 新逗子駅から20分ほどバスに乗ると、神奈川県立近代美術館葉山館に着きました。私は以前に「ベン・シャーン展」を見に来たことがあるのですが、山ノ神ははじめてです。おっどこかで会ったことがある二人組がいます。そうだ、今はなきカマキン(神奈川県立近代美術館鎌倉館)にいたイサム・ノグチ作の「コケシ」です。よかった、こんな風光明媚な場所で余生を過ごせるんだね。御慶。受付で入場料を支払おうとすると、「三浦半島1DAYきっぷ」をもっているので100円割引となりました。こいつは冬から縁起がいいわいpart5。

c0051620_14312546.jpg それでは「堀文子展」を拝見しましょう。美術館の公式サイトから紹介文を転記します。
 未知のものを求め、自然と生命を描きつづける日本画家・堀文子の清新な世界を紹介する展覧会です。初期作品や絵本の原画をはじめ、メキシコ、イタリア、ネパールなど世界各地への旅や、四季と草花のうつろいを描いた代表作を展示し、その芸術と人間像に迫ります。
 寡聞にして知らなかった日本画家ですが、素晴らしい数々の絵に出会えて幸福でした。購入した図録によると、1918(大正7)年生まれ、よってこの展覧会開催時には99歳、白寿です。父親の反対を押し切って女子美術専門学校(現/女子美術大学)日本画部に入学。美術に自由を求めた彼女は、官展からは距離を置き、権威におもねらない姿勢を貫きました。

 どの絵からも、自然や動植物に対する愛情と畏敬が伝わってきます。澄んだ色調、自由な構成、そして的確な描写力に見惚れてしまいました。また海外に長く滞在したこともあり、異国の自然や人びと、異文化に対する飽くなき興味と敬意にも心打たれます。
 特に気に入った絵は三枚。まずは「トスカーナの花野」(1990)。起伏に富んだトスカーナの沃野、たちならぶ糸杉、そして百花繚乱に咲き乱れる花々、見ているだけで夢心地となりました。彼女の言です。
 二枚目は「霧氷」(1982)。彼女が住んでいた軽井沢の風景でしょうか、朝霧のなかに、霧氷を美しく纏った木々が描かれています。彼女の言です。
 厳冬の二月。この木の梢は、精緻なガラス細工に変るのだ。夜の中(うち)に、レースをかけたように細い枝が氷に包まれ、朝日を浴びて輝く霧氷の森となる。その神々しさは此の世のものではない。陽が昇るにつれ、枝のガラスはキラキラと身を躍らせ散り落ちる。歩く度に氷の梢が虹色に変り、ふりしきるガラスの糸に見とれて、私は気もそぞろに歩き廻る。
 三枚目は「アフガンの王女」(2003)です。図録の解説によると、ユニセフ親善大使をつとめる黒柳徹子から送られた絵葉書をもとに描いた絵です。山ノ神曰く、「徹子の部屋」にこの絵が飾られているとのこと。そういえばそこはかとなく彼女に似ています。青を基調とした美しい.っ民族衣装を着て、こちらを見つめる凛とした女性。心に残る一枚です。注目したいのは、この絵が2003年に描かれたということです。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件を受け、アメリカ合州国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)がアフガニスタン戦争を始めたのが2001年10月。その二年後に描かれたのですね。無辜の人びとを苦しめる戦争、その戦争を引き起こした国々の指導者、それを支持した国民に対する、無言の厳しい抗議を感じます。

 海が見えるレストランに入って珈琲を飲みながら一休み。ベランダに出ると、空を真っ赤に染め上げる美しい夕映え、そして海の向こうには夕雲を纏った富士のシルエットがよく見えました。

 松輪サバ、海、猫、富士山、堀文子、三浦半島1DAYきっぷ、いろいろな良きものに出会えた良き一日でした。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2018-01-22 14:33 | 美術 | Comments(0)