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『乱世備忘』

c0051620_214275.jpg 小熊英二氏が監督した映画『首相官邸の前で』上映後のトーク・ショーで、歴史・文化社会学者のCheung Yuk Man氏と学生運動にコミットしている香港在住の女子大学生・周庭(アグネス・チョウ)氏の話を聞いて以来、そして『香港 中国と向き合う自由都市』(倉田徹/Cheung Yuk Man 岩波新書1578)を読んで以来、香港における民主化運動に興味を抱いています。
 中でも前掲書での「雨傘運動」に関する叙述は圧巻でした。2014年、中国は、2017年に予定される香港初の政府トップ・行政長官の選挙において、北京と対立する民主派が出馬できなくなるような制度を決定しました。民主派と学生はこれに怒り、9月28日から12月15日までの79日間、香港中心部を占拠しました。催涙弾に雨傘を差して耐える市民の姿から、この運動は「雨傘運動」と称されます。占拠された地域の近くに住み、自らこの運動を体験したCheung氏が、占拠区の個人がそれぞれどうこの運動を作り上げたかを証言されています。例えば…
 2014年9月28日午後4時ごろ、学生たちを支援にきた市民が車道に溢れた。彼らは学生を包囲した警察の封鎖線を突破しようとしたため、警察による催涙ガスでの攻撃と、傘の防御陣との間での攻防戦が繰り返されていた。午後5時58分、一発目の催涙弾が発射された。市民はいったんは一斉に散ったが、一部はやがて方々から戻ってきた。暴徒と見なされると、警察の暴力に口実を与えるので、市民は手をあげて降参のポーズで、時に逃げたり、時に機動隊に立ちふさがったりして、平和主義を貫いた。大量の市民を全員逮捕することはできないし、報道カメラを前に市民に発砲もできない警察は、催涙弾を乱発するしかない。
 ゲリラ戦術といえば聞こえはいいが、香港人らしい弱虫戦術だ。一人ひとりの命と身の安全が大事、危険なら一時的に避ける。無駄な犠牲は要らないが、屈服しない。武装抵抗ではなく、野次馬根性で粘りぬいたことは、雨傘運動の長さと広がり、そして死者が出なかったことの理由のひとつだ。(p.173~4)
 "弱虫戦術"…いいですね。これなら私たちの闘いにも応用できそうです。この雨傘運動に加わった陳梓桓(チャン・ジーウン)監督が撮ったドキュメンタリー映画『乱世備忘 僕らの雨傘運動』が、ポレポレ東中野で上映されるとの耳よりな情報をキャッチ。さっそく山ノ神を誘って見にいってきました。
 まずは公式サイトから、雨傘運動のいきさつを転記します。
 1997年、中国に返還された香港は「特別行政区」となった。「香港特別行政区基本法」には将来、「普通選挙」で行政長官を選ぶ事ができるとされたが、2014年北京は、共産党が支持しない候補を選挙から排除する仕組みを導入する「8.31決定」を下し、民主主義的な普通選挙の道は閉ざされた。「8.31決定」の撤回、「真の普通選挙」の実施を求め、香港の金融街・中環(セントラル)を占拠する「オキュパイ・セントラル」が計画された。大学では授業ボイコットが行われ、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)ら若者による組織「学民思潮」は、政府本庁舎前で抗議活動を開いた。催涙弾で鎮圧しようする警察に、数万人におよぶ学生、市民たちが雨傘で抵抗した事により「雨傘運動」と呼ばれるようになった。しかし成果を得ないまま占拠を続ける運動に対して徐々に市民からの反発も強まり、79日間に及ぶ「雨傘運動」は終了した。金鐘(アドミラルティ)に残ったバリケードには、「It's just the beginning /まだこれからだ」というメッセージが残されていた。
 その後、黄之鋒は「民主の女神」こと周庭(アグネス・チョウ)と共に、香港の自決権を掲げる政党「香港衆志(デモシスト)」を創設。2018年、周庭が立法会議員補欠選挙出馬の届け出を行うも認められず、香港の「高度な自治」が脅かされているとの懸念が高まっている。
 へえー、周庭(アグネス・チョウ)は「民主の女神」と呼ばれていたのですね。ま、それはさておき、当時27歳だった陳梓桓監督が、ハンディ・カメラを片手に民主化を求めるデモや集会の輪の中に入り、臨場感と熱気に溢れる映像を贈ってくれました。ただ自分たちの真の代表を選びたい、自分たちの未来は自分たちで決めたい、そうしたシンプルな思いに駆られて集まった若者たちを、カメラは優しくとらえていきます。彼が出会った大学生のレイチェル、ラッキー、仕事が終わってからデモに駆けつけてくる建築業のユウ、授業のあと1人でデモに来た中学生のレイチェル、みんな自然体でいい表情をしていました。テントを張り、雑魚寝をして、水を運び、掃除をし、勉強を教え合いながら闘うその姿は、まるでコミューンのようでした。話し合い、助け合い、悩み、笑いながら闘った79日間。若者たちが、自己決定権を求めて軽やかに闘うその姿には感銘を覚えました。敗れはしたものの、It's just the beginning、そう、闘いは始まったばかりです。

 そして日本の若者たちは、この闘いに連帯できるのか… 爺の繰り言ですが、ちょっと心許なく思えます。"若者にはスマホとコンビニを与えておけ"という、アドミニストレーターたちのせせら笑いが聞こえてきそう。前掲書によると、周庭(アグネス・チョウ)氏が、初来日後のフェイスブックに次のように書き込まれたそうです。
 日本はかなり完璧な民主政治の制度を持っているが、人々の政治参加の度合い、特に若者のそれはかなり低い。日本に来て、私は初めて本当の政治的無関心とは何かを知った。(p.223)
 デイヴィッド・イーストンの定義によると、政治とは、社会に対する価値の権威的配分です。大切なものをどう分けるかを考え、決めるのが政治。難しいことでも、恐いことでも、縁遠いことでもないのにね。これに無関心だということは、大切なものに与れなくても文句は言わないよということ。それでいいのか。頑張れ、日本の若者。

 追記です。ポスト雨傘運動の香港についての状況が、『週刊金曜日』(№1194 18.7.27)に掲載されていました。ふるまいよしこ氏の一文です。
 中国の政治支配に抗議すべく、2014年に香港で起きた雨傘運動。3年半経った今、天安門事件を契機に生まれた伝統的民主派と、ポスト雨傘の若者層の間に、深刻な亀裂が生じている。(p.42)

 運動の失敗、白紙の撤退、そして香港政府と香港警察による暴力的ともいえる強行排除。これらは、ポスト雨傘運動の香港社会に大きな亀裂を生んだ。
 運動中はまだ参加者たちは政府への不満を抱えながらも、香港政府にまだ一縷の信頼と期待を寄せていた。大量の市民が座り込むきっかけとなった催涙弾発射という前代未聞の対応も、その後占拠された路上付近をパトロールする警官たちに対する憎悪に変わることはなかった。
 だが、政府側との交渉はまったく進展せず、さらに強制排除に乗り出した警察の暴力、特にデモ参加者を引き抜いて暗闇に連れ込み、集団で殴る蹴るなどの様子を撮影した映像が公開されるやいなや、運動の失敗に対する失望感から市民の政府や警察の公正性への信頼感は完全に消滅。
 さらに亀裂は香港社会を細かく引き裂いた。
 運動失敗の挫折感はそのまま、香港の現体制に対する全面的な否定に変わった。そこから、「香港がなぜ今みたいになったのか」を彼らなりに探し求めた結果、冒頭のような認識(※中国政府に付け込むスキを与えたのは全部、民主党の責任だ)が共有されるようになってしまったのである。
 ポスト雨傘後に出現した若き民主活動家にとって、中国政府統治下の香港という図式や「一国二制度」という制度もすでにアンタッチャブルなボトムラインではなく、逆に「民主化によって拒絶できるもの」になった。
 そして香港返還前から香港の民主化を叫び続けてきた民主派(一般に「伝統的民主派」と呼ばれる)を「一国二制度という中国の統治を受け入れた、ニセの民主派」とまで呼ぶようになったのだ。
 だが、返還前の香港を見守り続けたわたしからすれば、当時の香港では全般的に「主権返還」と「一国二制度」は来るべき既存の事実であり、伝統的民主派にとってその枠の中でいかに市民が自治に関与できる民主的権利を手に入れるかが最大の課題だった。
 しかし、返還後に生まれた若者たちは「一国二制度を受け入れるかどうか」の選択権を持つはずだと主張。その結果、伝統的民主派は彼らにとって、「中国政府の統治に加担し、香港人の権利を売り渡した勢力」としてみなされるようになった。
 冒頭のような、歪められた自身の歴史を、伝統的民主派は当然否定している。だが、若くパワーと熱気あふれる若者たちの声にそれはかき消されてしまっているのだ。
 中国政府はきっと香港社会のそんな亀裂をほくそ笑んで眺めている。亀裂が深まれば深まるほど、香港社会は二度と団結などできなくなる。世界の耳目を集めた雨傘運動のような抗議活動はもう二度と起こり得なくなった。これからの香港は一体どうなっていくのだろうか。(p.43)

by sabasaba13 | 2018-10-22 06:29 | 映画 | Comments(0)

『1987、ある闘いの真実』

c0051620_21241115.jpg とてつもない映画を見てしまいました。絶句。『1987、ある闘いの真実』という映画です。

 アメリカと日本に支えられた苛烈な軍事独裁政権に対して、体を張って民主化を求め、粘り強い闘いの結果それを勝ち取った韓国の市民には常々敬意を表し、羨望を覚えています。そして歴史の恥部とも言うべき政権の腐敗・不法・人権蹂躙をフィルムに焼き付けた、韓国映画界の勇気と剛毅に対しても。光州事件を描いた『タクシー運転手』も、そうした素晴らしい映画でした。
 本作は、チャン・ジュナン監督が、全斗煥軍事政権下における韓国民主化闘争を描いた社会派ドラマです。さっそく山ノ神を誘って「シネマート新宿」に見に行きました。
 念のため、インターネットで席をおさえておいたのですが大正解。ほとんど満席でした。こんなシリアスな映画に観客が押し寄せるなんて嬉しいなあ、でも若者が少ないのが残念だなあ。

 まずはあらすじを紹介します。
 1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。徹底的に北分子を排除したい南営洞警察のパク所長(キム・ユンソク)が指揮する取り調べは、日に日に激化していた。そんな中、ソウル大学の学生が行き過ぎた取り調べ中に死亡する。隠蔽のために警察は親にも遺体を見せず火葬を申請するが、何かおかしいと感じたチェ検事(ハ・ジョンウ)は検死解剖を命じる。解剖により学生は拷問致死であったことが判明するが、政府は取り調べをした刑事二人を逮捕することで事件を終わらせようと画策する。これに気付いた新聞記者、刑務所看守らは、事実を白日のもとにさらそうと奔走するが、警察による妨害もエスカレートしていく。また、拷問で仲間を失った大学生たち(カン・ドンウォン)も立ち上がろうとしていた。
 まるでフィクションのようですが、歴史的事実なのですね。補足のために『韓国現代史』(文京洙[ムン・ギョンス] 岩波新書984)から引用します。
 韓国で主思派(チュサパ)が台頭する1980年代半ばは、大統領直接選挙制改憲をもとめる民主勢力と、改憲棚上げによって現状維持をはかろうとする新軍部政権との緊迫した攻防に揺れ動いた時期でもある。よく知られているように、その攻防にいちおうの決着をつけたのが六月民主抗争であった。87年6月の民衆デモの巨大なうねりが、この改憲政局を実力で突破しようとした軍事政権を逆に力でねじふせたのである。
 学生の動きは、全斗煥が現行憲法維持を表明した(四・一三護憲措置)直後から活発化していた。5月の五・一八追悼会には全国から62の大学が参加し、27日には国本(※民主憲法争取国民運動本部)が成立して野党と学生・運動圏の足並みがそろった。抗争は、ソウル大生拷問致死(*)への抗議と改憲を求める6月10日の国民大会にはじまった。その日から26日の「民主憲法争取国民平和大行進」までの十数日間、学生をはじめ、野党政治家、在野人士、教育、言論、宗教の各界関係者、タクシードライバー、バス運転手、サラリーマン、OL、主婦、商店主、露天商、はては子供にいたるまで、まさにありとあらゆる立場や階層・分野の市民が街頭に進出し、新軍部を包囲した。

*87年1月、他の手配中のソウル大生の居所を追及する警察が水攻めや電気拷問で朴鐘哲(パクチョンチョル)を死なせた事件。警察は当初、ショック死と偽ったが、検死医などの証言で暴露され、国民的な怒りをかった。六月抗争への重要なきっかけとなった。

 6月29日、新軍部政権は、直選制改革、拘束者釈放、言論の自由の保障、地方自治制の実施、大学の自律化、そして反体制運動家の赦免・復権などを盛り込んだ「六・二九民主化宣言」の発表を余儀なくされる。新軍部の敗北であった。翌年にソウル五輪を控えていたこともあって、六月抗争は、軍の投入による流血事態には至らなかった。(中略)
 ともあれ、四半世紀に及ぶ軍部の強権支配が退けられ、民主主義は勝利した。六月抗争を組織的にリードしたのは、国本、つまり民主憲法争取国民運動本部であったが、戦闘警察(機動隊)と真っ向から対峙し、デモ闘争を主導したのはなんといっても学生たち、とりわけNL(※民族解放民衆民主主義革命論)派の青年・学生たちであった。デモ隊と警察との衝突は激烈で、延世大学校の李韓烈(イハンニョル)が催涙弾の直撃をうけ重症を負い7月5日に死亡している。民主化は、そういう無数の犠牲の上にうちたてられた金字塔であった。(p.163~6)

 まず肌に粟が生じるほど衝撃的だったのが、警察による拷問シーンです。直接的に描くことを避けながらも、その恐ろしさと悍ましさがひしひしと伝わってきます。ふと思ったのですが、併合されて日本の植民地にされていた時代に、日本の特高警察が独立運動家などに行なった拷問技術が使われたのではないか。傍証ですが、最近読んだ『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(植木等 ちくま文庫)に、映画と同じ拷問が出てきました。
 おやじがやられたのか、そうではなくて他の人がやられたのかしらないが、もっと恐ろしい拷問があった。足の爪、手のツメと肉との間に針を刺し、そこに電流を通すのだ。電源のスイッチを入れると、体がガクガク震えたり、ンガッ、ンガッと突んのめるようになったりするらしい。それで「白状しろ、さあ白状しろ」と、いわれる。(p.170)
 そしてデモ隊に対する機動隊の暴力的な弾圧にも息を呑みました。殴る、蹴る、警棒で叩く、催涙弾を水平に射撃する。
 民主化を求める学生や民衆に「共産主義者」「北朝鮮分子」というレッテルを貼り、あらゆる手練手管を使ってこれを弾圧した全斗煥政権、そしてその爪牙となった警察。その恐ろしさが、迫真のリアリティをもって迫ってきます。

 私だったら恐怖と保身のために、口を噤み、耳を閉ざし、見て見ぬふりをしてしまう状況の中、民主化を求めて敢然と立ち上がり闘った韓国の人びとも見事に描かれています。検事、新聞記者、刑務所看守、牧師、そして学生たちが、それぞれの職分を活かしながら協力し、闘いのネットワークを編み上げていくシーンには胸が熱くなりました。中でも印象的だったのが、新聞記者諸氏の気迫です。権力による圧力や脅迫に屈せず、その腐敗を追求し、真実を市民に伝えようとするその迫力には頭が下がります。アルコール依存症のチェ検事も、飄々としたいい味を出していました。したたかに権力と対峙する一匹狼ですが、大学生の拷問死を証明する書類をわざと置き忘れて新聞記者に提供するシーンが心に残ります。
 ラストシーンでは、ノンポリだった女子大学生(キム・テリ)がさまざまな事件と関わることによって、闘いの輪の中に入っていきます。知らず知らずのうちに、抗議集会の檀上に上がってしまった彼女が、腕を振り上げる場面では涙腺が決壊しました。

 前掲書の中で文京洙氏が述べていたように、"民主化は、そういう無数の犠牲の上にうちたてられた金字塔であった"ことを思い知らせてくれる素晴らしい映画でした。国家権力に抗い力で民主化を実現した韓国、国家権力に抗う人びとを「反日」と罵倒する方のいる日本、あるいは国家権力を私物のように使い民主化を後退させる御仁を長期にわたって政権の座につかせている日本。その懸隔は目が眩むほどですが、一歩一歩進むしかないですね。

 なお朴正熙および全斗煥という軍事独裁政権と、アメリカ・日本の関係についてはほとんど語られていません。これは私たちに課せられた宿題と受け止めます。それを考える一助となる指摘が、権赫泰(クォン・ヒョクテ)氏によってなされていました。『平和なき「平和主義」』(法政大学出版局)から引用します。
 軍備を禁止した憲法を、軍備が支えるという奇妙な構造があるのだ。
 こうした奇妙な構造は、「片面講和」と日米安保条約の締結により生まれたため、冷戦体制と分離できない。憲法の「平和主義」は冷戦体制下での米国の対アジア戦略の産物でもある。米国は、日本とアジアを米国を頂点とする分業関係のネットワークのもとに位置づけた。韓国には戦闘基地の役割が、日本には兵站基地の役割が与えられた。日本が「平和」を維持できたのは、在日米軍の70%以上を沖縄に駐屯させ、韓国が戦闘基地、すなわち軍事的バンパーとしての役割を担い、周辺地域が軍事的リスクを負担したからだ。そして、この地域では、米国に与えられた役割に適合的な政治体制が必要であった。それが日本の自民党長期政権であり、韓国の反共軍事独裁政権であった。(p.ⅹ)

 「凶器論」は、基本的に朝鮮半島を日本の安全保障にとっての「生命線」とみなす。日本にとって少しでも対立的な勢力下に置かれれば、日本列島を脅かす「凶器」になりうると見ているからだ。よって朝鮮半島は直接支配するか、最低限でも日本に友好的な勢力のもとに置かなければならない。前者が日本の植民地支配だったとすれば、後者は日米同盟と韓米同盟に立脚した韓日同盟関係だ。よって少しでも米国と日本の勢力下から抜け出ようとする動きが朝鮮半島にあれば、すぐさま「凶器」になったとみなされることになる。
 朴正熙から全斗煥にいたる独裁政権は、日本にとってひじょうに友好的な勢力であった。なぜなら、植民地支配責任を日本に問わないのみならず、それを求める声を力で抑え込み、さらには日本列島を共産主義から守る役割も忠実に遂行したからである。(p.11)

by sabasaba13 | 2018-10-04 06:15 | 映画 | Comments(0)

『焼肉ドラゴン』

c0051620_628395.jpg 『焼肉ドラゴン』という映画の予告編を何回か見たのですが、なんだかなあ、「三丁目の夕日」みたいだなあと臆断しまったく食指が動きませんでした。ところがぎっちょん、原作はさまざまな賞を総なめした演劇だったのですね。作者は鄭義信氏、『赤道の下のマクベス』も彼の作品でした。その彼が初監督に挑んだのが本作。さらに『週刊金曜日』(18.6.22)に、この映画に関する彼のインタビューが掲載されていました。
 芝居を観た人が、生きて泣いて笑った人(在日日本人)がいたことを誰かに語り、僕が死んでも再演されることで語り継がれ、人々の記憶に残っていくでしょう。それは「記録する演劇」であり、歴史認識を変えることになるかもしれません。(p.56)
 うーん、良いこと言うなあ。たしかわが敬愛するジョージ・オーウェルがどこかでこんなことを書いていました。
 私が「ナショナリズム」と言う場合に真っ先に考えるものは、人間が昆虫と同じように分類できるものであり、何百万、何千万という人間の集団全体に自信をもって「善」とか「悪」とかのレッテルが貼れるものと思い込んでいる精神的習慣である。
 兎の逆立ち、耳が痛いですね。「朝鮮人=悪」などという下劣なプラカードを掲げてヘイト・デモをしている方々に届けたい言葉です。そうした忌むべき精神的習慣をなくすには、どんな集団でもひとりひとりの人間に名前があり、顔があり、暮らしがあり、生きて泣いて笑っているのだと知ることです。鄭氏はそれを演劇で、そして映画で表現しようとしているのだと思います。これは見に行かなくては。

 好月好日、山ノ神を誘って「ユナイテッドシネマとしまえん」に観に行きました。まずは公式サイトからストーリーを紹介します。

 万国博覧会が催された1970(昭和45)年。高度経済成長に浮かれる時代の片隅。関西の地方都市の一角で、ちいさな焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む亭主・龍吉と妻・英順は、静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生の6人暮らし。失くした故郷、戦争で奪われた左腕。つらい過去は決して消えないけれど、"たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる"それが龍吉のいつもの口癖だった。そして店の中は、静花の幼馴染・哲男など騒がしい常連客たちでいつも賑わい、ささいなことで、泣いたり笑ったり―。
 そんな何が起きても強い絆で結ばれた「焼肉ドラゴン」にも、次第に時代の波が押し寄せてくるのだった―。

 いやあ、素晴らしい映画でした。時にはいがみ合い、時には助け合いながら、貧困と差別の中で懸命に逞しく生きる在日コリアン家族を、キム・サンホ(龍吉)、イ・ジョンウン(英順)、真木よう子(長女・静花)、井上真央(次女・梨花)、桜庭ななみ(三女・美花)、そして大江晋平(長男・時生)が見事に演じ切っていました。中でも「南無阿弥陀仏、大観世音菩薩、つけをためている連中が、全部払ってくれるように」と仏壇に祈る、ユーモラスでおおらかな英順がいい味でした。在日コリアンにも、私たちと同じように、顔があり、名前があり、喜怒哀楽があり、人生があるというごくごく当たり前のことを思い知らせてくれました。
 そして「小さな焼肉屋の、大きな歴史を描きたい」と語る鄭監督の言葉通り、この映画を十全に理解するには歴史を知る必要があります。龍吉は隻腕なのですが、これは日本軍兵士として戦わされた結果です。1910(明治43)年に日本に併合された朝鮮では、1944(昭和19)年から徴兵制が施行され、21万人の朝鮮人が戦場に送られました。龍吉もその一人だったのですね。
 さりげなく紹介されますが、彼は済州(チェジュ)島出身です。済州島は第二次世界大戦末期に日本によって要塞化され、島の住民はアルトル飛行場という巨大な日本海軍の航空基地建設のため強制徴用されました。この飛行場は1937年、日本軍の南京への爆撃機が出撃した前哨基地となりました。日本から解放された直後から三年間、島はアメリカ陸軍司令部軍政庁の直接支配下に置かれました。そして朝鮮半島を分断しようとするアメリカの動きに島の住民が抵抗し、蜂起した時に、アメリカは市民の無差別な虐殺を直接命令しました。記録されているだけでも3万人が殺され、87の村が消滅させられました。いわゆる四・三事件です。おそらくこの事件に関連して、龍吉は故郷に帰れなくなったのでしょう。
 日本の植民地支配から解放された後、約60万人の朝鮮人は日本に残りました。植民地支配によって生活を破壊されて故郷を離れなければならなかったわけですから、ただちに朝鮮半島で暮らせるようにはなりません。この人々を管理するため、1947(昭和22)年5月に昭和天皇の最後の勅令として「外国人登録令」が制定されます。朝鮮人などを外国人とし、憲法上の国民の権利義務の枠組みから排除するための法令でした。
 さらに1952(昭和27)年4月、サンフランシスコ講和条約の発効に伴い、日本在留の朝鮮人と台湾人は日本国籍を失う、と日本政府は一方的に宣言しました。これをもって、在日朝鮮人は、公営住宅入居の権利を含む主要な社会福祉を受ける権利を失います。戦後の数十年間に日本の福祉制度が発達していくなかで、こうした排除の規定はますます強化されていきました。たとえば、1959(昭和34)年に発足した国民健康保険と国民年金制度では、日本在住の外国人は除外すると明確に規定されています。さらに在日朝鮮人は外国籍のゆえに医療などの専門職から排除され、公務員の職からも閉め出され、凄まじい打撃を蒙ることになりました。こうした没義道な行為をした政府と、それを批判しなかったほとんどの有権者、忘れてはいけない歴史的事実です。龍吉をはじめ、映画に登場する在日コリアンたちの貧困を理解する重要なポイントです。
 こうした日本政府による差別・いじめ・嫌がらせが、子どもたちに影響しないわけがありません。長男の時生は、学校で、背中に「キムチ」、机に「チョーセンへ帰れ」と書かれるなど凄惨ないじめにあって失語症となり、最後は死に追い込まれます。
 こうした歴史を知らないと、行政から立ち退きを命じられた龍吉が絞り出すように吐いた言葉、「腕を返せ、息子を返せ」「働いた、働いた。働いた、働いた。働いた、働いた。働いた、働いた」が骨身に沁みてきます。妻・英順の「あたしはまだ頑張れるよ。今夜、息子をつくる?」という言葉が、一抹の希望と微笑みを与えてくれますが。

 なお長女・静花と幼馴染・哲男(大泉洋)夫婦が北朝鮮に移住するというエピソードが挿入されますが、これは「北朝鮮帰国事業」と関連するのでしょう。詳細については、『北朝鮮へのエクソダス』(テッサ・モリス=スズキ 朝日文庫)をご一読ください。

 面白く、悲しく、奥深く、そして考えさせられる素晴らしい映画でした。お薦めです。
by sabasaba13 | 2018-09-20 06:30 | 映画 | Comments(0)

『タクシー運転手』

c0051620_22125135.jpg 『しんぶん赤旗』(18.5.18)の「潮流」に、次の一文がありました。
 「また五月です。君よ。わたしに五月を歌えといいますか/動かぬ唇で五月をたたえよといいますか。まぶしい、美しい燦々たる五月を/どう歌えというのですか。」 新緑もえる季節。街に響いたのは学生や市民に放たれた銃声でした。きょう5月18日は韓国の人びとにとって希望をともしつづける誓いの日。38年前、全斗煥軍事政権下で民主化を求める運動と軍による武力弾圧が起きた光州事件です。先の作は、みずからも蜂起にかかわり、権力に対峙してきた詩人・文炳蘭(ムンピョンラン)さんの「五月よ、また復活せよ」。200人をこえる犠牲者と数千の負傷者を出した事件は、いまも深い傷痕を残しています。昨年、韓国で最もヒットした映画「タクシー運転手」も光州事件を描いたもの。実際に現地で取材し、世界に発信したドイツ人記者と彼を送り届けたタクシー運転手の物語です。いま日本でも上映され、韓国映画としては近年にないほど観客を集めています。5・18は、その後の民主化運動に連なりました。当時、拘束された文在寅大統領は「光州の犠牲があったからこそ、私たちの民主主義は耐え、再び立ち上がることができた」。そして「5月光州は、全国をともしたろうそく革命として復活した」と。詩にはつづきがあります。「ああ、わが君よ、冷たくなった灰色のこころの中に来て/燦々と燃え上がるつややかな五月の花になれ/闘う人の掌に来い、わが君よ/永遠に消えぬ自由の炎になれ/輝く正義の松明になれ」
 へえー、あの光州事件を題材とした映画が、韓国でつくられていたんだ。民主化を求める韓国の人びとの闘いには常々敬意を感じております。例えば『アメリカ帝国の悲劇』(集英社)の中で、チャルマーズ・ジョンソン氏は次のように述べられています。
 韓国が東アジアに三つしかない、下からの民主主義を達成した国の一つであることは、忘れてはならない重要な事実である(ほかの二カ国はフィリピンと台湾だ)。韓国とフィリピンでは、大衆運動がアメリカに押しつけられ支援された独裁者に戦いを挑んだ-ソウルの全斗煥とマニラのフェルディナンド・マルコスに対して。(p.116)
 また『一人の声が世界を変えた!』(伊藤千尋 新日本出版社)によると、「ハンギョレ新聞」の創刊時の編集局長だった成裕普[ソンユポ]氏は、このように語られたそうです。
 当たり前ですよ。われわれ韓国人は、あのひどい軍政時代に市民が血を流して闘い、自らの力で民主主義を獲得しました。だからわれわれは自信を持っています。日本の歴史で、市民が自分の力で政権を覆したことが一度でもありますか。(p.149)
 うーむ、二の句が継げませんね。はい、ありません。

 その韓国民主化の炬火とも言うべき光州事件の映画化、これは必見です。さっそく山ノ神を誘って、シネマート新宿に行きました。ところが、驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機、立ち見がでるほどの大盛況です。インターネットで予約をしておいてよかった。でもこうしたシリアスな内容の、しかも韓国映画に観客が押し寄せるというのは嬉しいものです。
 まずは公式サイトから、映画の紹介とあらすじを引用しましょう。
 1980年5月に韓国でおこり、多数の死傷者を出した光州事件を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届けたタクシー運転手の実話をベースに描き、韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したヒューマンドラマ。「義兄弟」「高地戦」のチャン・フン監督がメガホンをとり、主人公となるタクシー運転手マンソプ役を名優ソン・ガンホ、ドイツ人記者ピーター役を「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマンが演じた。
 1980年5月、民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こり、光州では市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷いていた。「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者ピーターを乗せ、光州を目指すことになったソウルでタクシー運転手をしているマンソプは、約束のタクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届けることに成功する。留守番をさせている11歳の娘が気になるため、危険な光州から早く立ち去りたいマンソプだったが、ピーターはデモに参加している大学生のジェシクや、現実のタクシー運転手ファンらの助けを借り、取材を続けていく。
 冒頭から、タクシー運転手マンソプを演じるソン・ガンホのコミカルな、そしてペーソスあふれる演技が光ります。妻を病気で亡くし、男手一つで一人娘を育てる彼の苦労と愛情もひしひしと伝わってきました。大金目当てにドイツ人記者を光州に送り届けるという仕事を深く考えずに引き受けた彼ですが、苦心惨憺して光州市内に入ってから映画の雰囲気は一変。人気のない通り、シャッターの閉まった商店、さまざまなビラやポスター、ただならぬ様子に固唾を飲みました。そして圧巻はデモのシーンです。非暴力なデモで民主化を求める光州の市民に対して、催涙弾や実弾を放ちながら暴力を加える軍隊。病院は運び込まれた怪我人や死体で足の踏み場もありません。韓国の人びとが行なった民主化のための闘いを、息が詰まるような緊迫感と共に追体験できました。そして身の危険を顧みず写真を取り続けるドイツ人記者ピーターの姿に、ジャーナリスト魂を見た思いです。事実を報道することによって権力の暴走を食い止め、民衆を守る、その当たり前だけれども重要な仕事を淡々と遂行する寡黙なドイツ人記者を、トーマス・クレッチマンが見事に演じ切っていました。彼に協力する大学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)もいいバイプレーヤーでした。大学歌謡祭に出ることを夢見る、歌が大好きな平凡でひ弱そうな彼が、その日常を守るために立ち上がるという設定が素晴らしい。
 大金を得たマンソプは一目散に光州から脱出しますが、途中で、ピーターを救うために戻るべきではないかと逡巡し葛藤する場面も見せ場です。ソウルにいる一人娘に電話をしたことで、ふっきれたのではないかと想像します。娘を守るため、子どもたちを守るため、未来の世代を守るために、ピーターを助けて事実を世に知らしめないといけない。タクシーの向きを変えて光州へと一気呵成に走るマンソプ。ここからはもう両の眼はスクリーンに釘付けです。デモ隊に襲いかかる軍隊、怪我人を助けようと体を張る光州市民、それを至近から撮り続けるピーター、彼の存在に気づき抹殺しようと迫る軍隊、彼を守ろうとするマンソプとジェシク。さあピーターとマンソプは無事に膠州から脱出し、国家権力の犯罪を報道することができるのか…

 いやあほんとに素晴らしい映画でした。チャン・フン監督は「普通の人々の小さな決断と勇気が積み重なり何かが成し遂げられるといった、近くで見ていなければ知り得ない事柄を描きたかった。マンソプのタクシーに乗りながら、観客の皆さんにも、自分たちの話として考えてもらえる機会になれば嬉しい」と語られていますが、はい、面白いだけでなくいろいろと考えさせられました。自分がこういう状況に置かれたらどうするのか、闘うのか逃げるのか見て見ぬふりをするのか、体を張って仲間を助けられるのか、ジャーナリストを守り切ることができるのか。さらには、なぜ韓国では民主化を暴力的に抑圧する軍事政権があり、同時期の日本では民主主義らしきものが存在し得たのか。そして韓国の人びとはいかにして民主化を勝ち取ったのか。

 私にとっての今年度ナンバーワン映画は決まりかな。何年かに一度見返したい映画です。

 なお映画では触れられていませんが、この悲劇のバックにはアメリカ合州国と日本の存在があったことを銘肝しましょう。
パンフレット所収
『「光州事件」をめぐる韓国現代史』(秋月望 明治学院大学国際学部教授)
 さらに、この事件は韓国の対米感情の大きな転換点となった。事件当時、韓国軍は米韓連合司令部の下にあって作戦統制権は在韓米軍にあった。従って、在韓米軍、つまりはアメリカの了解なしに韓国軍が独断で部隊を移動させて光州の市民・学生に対する鎮圧作戦を遂行することはできなかった。当時、カーター大統領が韓国における民主化運動に理解を示してくれるとの期待も多少はあった。しかし、結局アメリカは全斗煥政権による軍事独裁の継続を容認し、民主化闘争を圧殺する側に回った。反米感情はここで一気に高まった。その結果、光州事件に対する全斗煥政権の責任追及の運動が、1982年の釜山のアメリカ文化院放火事件、1985年のソウルのアメリカ文化院占拠事件へとつながっていくことになる。

『韓国現代史』 (文京洙[ムン ギョンス] 岩波新書984)
 81年、レーガン政権が登場し、新軍部政権は、「新冷戦」という時代の気流に乗ることになった。駐韓米軍の撤退問題は白紙に戻され、もはや、人権問題で両国の関係が緊張することはなくなった。さらに82年末に登場した中曽根政権は、韓米日の新次元での安保協力関係の構築に意欲を燃やし、40億ドルの借款供与によって全斗煥政権を支えた。83年には「大韓航空機事件」や「ラングーン事件」があり、東アジアの緊張はピークに達した。(p.154)

by sabasaba13 | 2018-07-25 06:20 | 映画 | Comments(0)

『マルクス・エンゲルス』

c0051620_2126538.jpg 岩波ホールで映画『マルクス・エンゲルス』が上映されるという耳よりな知らせをキャッチしました。カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスを描いた映画かあ、ありそうでなかった映画ですね(たぶん)。資本主義の定義は山ほどありますが、中核による周辺の搾取、平たくいえば弱者を犠牲にして強者が肥え太る仕組みと定義しておきましょう。そういう意味でのえげつない資本主義が猖獗を極める今、かつて資本主義のからくりを暴き、戦いを挑んだ二人の先哲は、今だからこそ知るべき人物です。監督は『ルムンバの叫び』(00)、『私はあなたのニグロではない』(16)で知られる社会派の名匠ラウル・ペック監督、後者は近々見に行くつもりです。
 上映館は神保町にある岩波ホール、山ノ神とともに少し早めに行って近くにある「揚子江菜館」でひさしぶりに上海肉絲炒麺(上海式肉焼そば)を堪能しました。
 そして岩波ホールへ、まずは公式サイトから、あらすじを引用しましょう。
 若きマルクスとエンゲルスの友情は世界の未来を大きく変えた。
 永遠の名著『共産党宣言』(1848)が誕生するまでの激烈な日々を描く歴史的感動作。
 1840年代のヨーロッパでは、産業革命が生んだ社会のひずみが格差をもたらし、貧困の嵐が吹き荒れ、人々は人間の尊厳を奪われて、不当な労働が強いられていた。20代半ばのカール・マルクスは、搾取と不平等な世界に対抗すべく独自に政治批判を展開するが、それによってドイツを追われ、フランスへと辿りつく。パリで彼はフリードリヒ・エンゲルスと運命の再会を果たし、エンゲルスの経済論に着目したマルクスは彼と深い友情をはぐくんでゆく。激しく揺れ動く時代、資本家と労働者の対立が拡大し、人々に革新的理論が待望されるなか、二人はかけがえのない同志である妻たちとともに、時代を超えて読み継がれてゆく『共産党宣言』の執筆に打ち込んでゆく―。

 労働者を低賃金で酷使することによってひたすら利潤の増殖を繰り返す資本主義経済、そのあからさまな原初の姿を、監督は克明に再現してくれます。共有地を富者に奪われて追い立てられる貧者たち。紡績工場で過酷な労働を強制される労働者たち。その格差・不平等・不公正に怒り、敢然と立ち向かう若い二人の姿が印象的でした。マルクスの野卑で力強い怒り、エンゲルスの静かで底知れぬ怒り、その違いもていねいに描き分けられています。そして忘れてはいけないのが、彼らを支える妻たちの献身ぶりです。『共産党宣言』も、この素晴らしき四人五脚による結実なのかもしれません。

 この映画を見て、あらためて現実の不平等・不公正を知ること、それに対して心底から怒ること、そして考え行動することの重要さに思い至りました。逆に言えば、富者・強者が現状を維持するためには、これらを私たちにさせなければいいのですね。メディアを統制して不平等・不公正を知らせない。感性を摩滅させて、怒りや虐げられた人びとへの共感を雲散霧消させる。スマートフォン、東京オリンピック、ワールドカップなど、その手練手管には事欠きません。そして考えさせないためには… さすがはマルクス、『資本論』の中で、看破しています。
 ある大きな鉄道事故によって数百人の乗客が死んだ。鉄道労働者の怠慢が原因である。彼は陪審員の前でこう弁解する。十年から十二年前までの労働日は八時間にすぎなかったと。最近五、六年の間に、十四、十八、二十時間と引き上げられ、またバカンス客の多い時などのように、旅好きが押し寄せるときには、休みもなく四十~五十時間働くことも珍しくはない、と。
 彼らは普通の人間であり、アルゴスのような超人ではない。あるとき彼らは労働に耐えられなくなる。脳は思考をやめ、眼は見ることをやめる。

 そう、長時間労働をさせて、脳に思考をやめさせ、眼に見ることをやめさせる。「働き方改革法案」の真の狙いはここにあるのでは。違いますか、安倍上等兵。

 最後に、冬籠り前の栗鼠のように、せっせと貯め込んだマルクスの言葉を紹介します。
 恥は、革命的な感情である。

 近代的国家権力は、単に、全ブルジョワ階級の共通の事務をつかさどる委員会にすぎない。

 守銭奴は気の狂った資本家であり、資本家は合理的な守銭奴である。

 哲学者はこの世界をあれこれ解釈してきたが、大事なのはそれを変革することだ。

 地獄への道は、善意で敷き詰められている。

 大いなる歴史的事件は二度繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は道化芝居として。

 人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。

 支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。

 資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛穴から、血と汚物をしたたらせながらこの世に生まれてくる。

by sabasaba13 | 2018-07-11 06:18 | 映画 | Comments(0)

『ラッカは静かに虐殺されている』

c0051620_14251043.jpg 先日、われわれ御用達の映画館「ポレポレ東中野」で『人生フルーツ』を見た時に、この映画のことをチラシで知りました。『DAYS JAPAN』やNHK-BSの「ワールド・ニュース」などで、シリア情勢の惨状は多少なりとも知っており、胃の腑がぎゅっと絞られる思いでおります。そのシリアの人びとを描いたドキュメント映画、これはぜひ見てみたい。山ノ神を誘って「ポレポレ東中野」に行きました。
 まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 戦後史上最悪の人道危機と言われるシリア内戦。2014年6月、その内戦において過激思想と武力で勢力を拡大する「イスラム国」(IS)がシリア北部の街ラッカを制圧した。かつて「ユーフラテス川の花嫁」と呼ばれるほど美しかった街はISの首都とされ一変する。爆撃で廃墟と化した街では残忍な公開処刑が繰り返され、市民は常に死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられていた。
 海外メディアも報じることができない惨状を国際社会に伝えるため、市民ジャーナリスト集団“RBSS”(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)が秘密裡に結成された。彼らはスマホを武器に「街の真実」を次々とSNSに投稿、そのショッキングな映像に世界が騒然となるも、RBSSの発信力に脅威を感じたISは直ぐにメンバーの暗殺計画に乗り出す―。
 監督は、メキシコ麻薬密売地帯に危険を顧みず潜入した『カルテル・ランド』でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補になったドキュメンタリー作家のマシュー・ハイネマン氏です。

 最初から最後まで、痛みを感じるような緊張感に固唾を飲みました。破壊されて廃墟となった街ラッカ、猖獗を極めるISの暴力、絶望の淵に立つ市民たち。さながら地獄絵のような光景がスクリーンに映し出されますが、これが現実なのですね。
 その現実を世界に知らせるためにスマートフォンを使って情報や画像を発信する市民ジャーナリスト集団RBSSの活動と、殺害を含めたあらゆる手段を駆使してそれを妨害するIS。手に汗握るような両者の攻防に、目が釘付けとなりました。身の危険を感じたメンバーたちが国外へ脱出し、国内に残る仲間たちと協力しながら報道する場面、その仲間や肉親をISが処刑する場面、さらには逃亡先で難民排斥運動に直面する場面など、いずれも迫真のリアリティで迫ってきます。映画の力って凄いものだとあらためて痛感します。
 そして監督は、彼らを勇敢な英雄としてだけ描くのではなく、死の恐怖に怯える普通の人間としての一面もしっかり見据えています。やたらと煙草をふかし、虚ろな目で中空を見つめ、悲しげに家族の写真に見入る彼らの姿に、この恐怖を克服した勇気をより一層感じます。

 「彼らは人間の尊厳を守るために、命を賭けて真実を伝えた。それを受け取ったあなたはどう思い、何をするのか」と鋭く問いかけてくる映画、お薦めです。

 なお絶対に見逃してはいけないのは、ラッカをはじめとするシリアの人びとを殺傷し、その街を破壊したのはISだけではないということです。アサド政権、欧米諸国による加害も銘肝すべきです。そして民間人が虫けらのように殺戮され、自由も民主主義も抑圧されているのは、シリアにおいてだけではないということも。中東情勢に混沌と惨劇をもたらしているのは何者なのか、これからも知り、考えていきたいと思います。その一助となる本二冊に出会えたので紹介します。
『9・11後の現代史』 (酒井啓子 講談社現代新書2459)

 ヨーロッパ社会から疎外され、ドロップアウトしたイスラーム系移民二世が、「ひとかどの人物」になれる機会かもしれないと期待して合流したのが、ISだったのだろう。ISに限らない。後に触れるアルカーイダもまた、欧米在住のイスラーム教徒に対して、似たような勧誘を行っていた。そしてそうしたイスラーム系ヨーロッパ人の多くが、連日報道されるシリア内戦での被害者の無惨な姿を見、アサド政権やシリアを空爆する欧米諸国に一矢報いてやりたいと考えて、シリアに馳せ参じたのである。(p.40)

『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』 (川上泰徳 集英社新書0862)

 私はテレビのチャンネルを変えながら、インターネットの情報を追っていた。イスラム過激派系のアラビア語のツイッターアカウントでは、「パリ攻撃万歳。今日は長い夜になる」などというツイートが次々と流れた。「#パリは燃えている」というハッシュタグもできた。それはパリのテロへの抗議ではなく、喜びの言葉が並んだものだった。その中に、「パリ市民よ、あなたたちは自分の子供たちが殺されたことに衝撃を受けている。同じことを、あなたの軍隊がシリアの地で行なっているのだ」というツイートがあった。(p.31)

 フランスが参加する有志連合の空爆は、「イスラム国」が樹立を宣言した2014年6月から3ヶ月後に「対テロ戦争」として始まった。空爆と、無人爆撃機ドローンによる暗殺作戦が中心の“靴に泥がつかない戦争”である。通常の戦争であれば、攻撃を仕掛ければ反撃されるが、「イスラム国」に対する空爆は、軍事的な反撃を受けることを想定しない一方的な戦争である。しかし、自らを安全地帯に置いて殺戮を続ける「対テロ戦争」の論理は、パリの街角に「イスラム戦士」が現れ、「戦場」が出現することで破綻する。
 「遠い戦争」が「近いテロ」を生み出し、市民が犠牲になる。それは、21世紀における戦争とテロの新たな関係性を示しているように思える。(p.50)

 (※シリア・アレッポ) アブドラは下敷きになった家族の父親と見られる男性にマイクを向ける。「全く無差別の攻撃だ。犠牲になったのは民間人だ。それも女や子供だ。幼い女の子はわずか3歳だ」と男性は声を張りあげ、手ぶりを交えて訴える。画面は、先ほど瓦礫から引き出された女児がベッドに寝かされ、心臓マッサージを受ける場面に変わるが、父親の悲痛な叫び声は続く。「3歳の子供がなぜ、殺されなければならないのか。何をしたというのだ。毎日、毎日、空爆が続く。なぜ、こんな不正が許されるのか。アラブ諸国は何をしている。国連は何をしている」。(p.196~7)

 いま、欧米でも日本でも、「イスラム国」が中東の混乱を引き起こしている最大の原因のように思われているが、私が本書で繰り返し書いたように、「イスラム国」は第一義的には混乱の原因ではなく、混乱の結果なのである。その混乱は、米国による誤ったイラク戦争と、誤ったイラク駐留によってもたらされ、さらに、自由も平等もないアラブ世界の強権体制に対する若者たちの反乱である「アラブの春」への暴力的な封殺が帰結したものである。(p.240~3)

 中東では、民間人が虫けらのように殺戮されているシリアの内戦が放置されているだけではない。たびたびイスラエル軍による大規模軍事作戦にさらされているパレスチナ、自由も民主主義もない強権体制の横行、スンニ派とシーア派の対立、若者たちを絶望に追いこむ貧富の差の広がりなど、いたるところに、危機につながるひずみがある。
 中東ではある日突然、マグマが噴き出すように最悪の危機が到来し、世界を驚愕させる。「イスラム国」への対応を間違えれば、それが次の危機を生むことになるのは自明である。(p.245~6)
 『気の向くままに 同時代批評1943-1947』(彩流社)の中で、ジョージ・オーウェルが言った言葉が耳朶に響きます。
 一市民を殺すことは悪であるが、千トンもの高性能爆弾を住宅地域に落とすことは善しとされる世界の現状を見ると、ひょっとするとわれわれのこの地球はどれか他の惑星の精神病院として利用されているのではないか、と考えたくなる。

by sabasaba13 | 2018-06-27 06:30 | 映画 | Comments(0)

『ペンタゴン・ペーパーズ』 2

 映画『ペンタゴン・ペーパーズ』の余談を二つ。

 まず前掲書『ベスト&ブライテスト』(デイヴィッド・ハルバースタム 朝日文庫)の訳者である浅野輔氏が、なぜアメリカがベトナム戦争という愚行を犯したのかについて、鋭い分析をされているので引用します。
 ベトナム戦争がアメリカ社会にもたらしたものは、癒すことのできない亀裂であり、帝王的大統領制と評された行政府の権力肥大であり、市民的自由を報道の自由に対する抑圧であり、そしてウォーターゲート事件であった。なかんずくそれは、アジアの小国の民族独立運動に対し、北爆をはじめとする非人道的な大量殺戮をもって対応したという拭い去ることのできない汚点と呵責であった。なぜアメリカはこれほど不毛で犠牲のみ大きい政策に固執したのか。アメリカというのはどのような国なのか。だれが、どのようにこの国を指導していたのか。本書は、これらの問いに対する迫真の回答である。
 原題にあるThe Best and the Brightestとは、ケネディが集め、ジョンソンが受け継いだ「最良にして最も聡明な」人材だと絶賛された人びとを指す。マクジョージ・バンディ、ロバート・マクナマラ、ウォルト・ロストウ、ディーン・ラスクらケネディ政権に参集した人びとは、いずれもアメリカ社会の中・上流家庭に生まれ、優れた教育環境で育ち、あるいは神童と畏れられ、あるいはローズ奨学生としてイギリスに学び、アメリカの知的エリートを形成する人びとであった。ケネディ政権の発足がとくに青年層、知識層を含む多くのアメリカ人の心を躍らせたのは、ニューフロンティアをきり拓くためにアメリカの英知が結集されたと感じられたからであった。
 だが、これらの「賢者」は、ベトナムの歴史的条件をまったく理解せず、自らの偏見に支配され、おのれの能力を過信し、アメリカの軍事的・経済的物量だけに頼り、史上稀にみる大破壊を行った「愚者」なのであった。その愚かさをもたらしたのは彼らの傲慢さであったと、ハルバースタムは指摘する。
 彼らは、ベトナムとアメリカの社会を理解していると思い込み、意のままにこれらを操作できると考えた点で、傲慢だった。アメリカの介入が、外国支配からの解放を決意している民族に向けられた植民地戦争であることに気づかず、また、アメリカ国民に対してこの戦争を容易に売り込むことができると盲信したのだ。彼らの多くは東部のエリート大学出身であり、東部に根城をもつ知的エスタブリッシュメントのメンバーだったが、デイヴィッド・リースマンが評したように「大西洋しか知らない田舎者」なのであった。
 彼らは、権力と知性を理想的な形で結びつけることのできる「思索型行動派」であると自負していた点で、傲慢だった。「理想や夢も、それに溺れない程度にもつならば結構なことだ」と豪語するプラグマティストなのだった。なせばなる、たとえ不合理な事態でも、権力を握る有能で合理的な人間にとって、克服不可能なものはない、というのが彼らの信念だった。ベトナムも彼らにとっては、むしろ歓迎すべき挑戦だった。危機は、彼らが脚光を浴び権力欲を満喫する、血湧き肉躍る冒険なのであった。
 彼らは意のままに軍部を統制できると考えていた点で、傲慢だった。緩急自在に軍事的圧力を調節し、それを政治的目的に合致させるということは、いったん戦争に足を突っ込んだ以上、不可能だった。情報は軍部に握られ、兵力を増派しなければアメリカ軍兵士の生命が危ういという議論がまかり通る。文官が将軍を統制する最善の道は戦争を起こさないことである、ということを彼らは気づかなかった。
 彼らは、人間的苦悩や道徳的呵責の念を超越した驕れる主役であった。そのような問題に執着するのは女々しく優柔不断とされた。彼らにとって問題は、「シナリオ」であり、「オプション」であり、「コスト」であった。北爆計画も、それを勧告したマクジョージ・バンディによれば、「ベトナムにおける敗北という代価に比べれば安い」のであって、無差別爆撃の非人道性は一顧だにされなかった。彼らに欠けていたのは、苦渋に満ちた決断に際し、その道を誤らせないための確固たる道義的信念だった。(p.406~8)
 やれやれ、中東情勢を見ると「大西洋しか知らない田舎者」はまだご健在のようですね。その愚者の愚行に、自衛隊を提供しようというのですから、正気の沙汰とは思えません。

 もうひとつ。ペンタゴン・ペーパーズをコピーしてその一部をニューヨーク・タイムズに提供し、真実を人びとに知らしめようとした、ランド研究所のアナリスト、ダニエル・エルズバーグについて、『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)がふれています。以下、引用します。
 1971年9月、ニューヨーク・タイムズはペンタゴン・ペーパーズを巡る報道を開始する。これはベトナム戦争に関して国防総省がまとめた極秘報告書で、ベトナム問題について政府が長年にわたり国民を計画的に欺いてきた実態が明らかにされている。この機密文書を目にすることができるのはごく一握りの関係者に限られていたが、1969年の夏、ランド研究所のアナリストでかつて編纂にも関わっていたダニエル・エルズバーグはその機会に恵まれた。そして最初はフランス、のちにアメリカによる侵略の歴史を読み進めるうちに、道徳に外れたアメリカの政策に弁カの余地はないという確信を強め、1969年9月の時点でいくつかの重要な結論を自分なりに導き出した。それによると、実はこの戦争は「ほとんど最初からアメリカ人による戦争だった」。「アメリカの政策、アメリカによる資金援助、アメリカから送られた代理人や技術者、アメリカが攻撃に使う火器や兵力やパイロットに対し…ベトナム人は必死の抵抗を試みてきた」のである。1954年からアメリカが莫大な資金と兵器と人員をつぎ込んできたおかげで、政治的な暴力の規模が「戦争」にまで拡大したのだった。しかし、エルズバーグは何よりも次の点について確信を深めた。
 この戦争は1955年以降、あるいは1960年以降も、決して「内戦」ではなかった。アメリカの支援を受けたフランスが、ベトナムの植民地支配を再び目指したときと同じ状況だ。外国から武器や資金を全面的に提供されているほうの勢力は、支援国の思惑に左右されてしまう。これでは国内の勢力同士の戦いであっても、内戦とは呼べない。現在でもこの戦争についてアメリカでは、「本来は内戦であるはずの戦いに」「介入している」と考える学者がほとんどで、そのなかにはリベラルな批評家さえ含まれているが、こうした発言はもっと痛ましい現実を覆い隠している。「北からの攻撃」という従来の公式見解と同じで、これも作り話にすぎない。国連憲章ならびにわれわれ自身が公言している理想の観点からすれば、これは外国による侵略、しかもアメリカによる侵略戦争である。
 エルズバーグの回想によれば、かつての上司であるペンタゴンのジョン・マクノートンはランド研究員に対し、「きみたちの指摘が事実ならば、われわれは不興を買ってしまったな」と語ったという。しかしエルズバーグは、そのような発言は「1954以降の現実を見誤っている。われわれは間違っているのだ」との認識を強めた。それゆえ彼の心のなかでは、この戦争は「犯罪」であり「悪事」であり「大量殺人」だという気持ちが膨らんでいった。さらにエルズバーグは、戦争終結に関するニクソンの発言の嘘も見抜いていた。実際のところニクソンは爆撃を続け、「勝利」を達成するまでは攻撃の手をいっさい緩めないことを北側に意思表示していたのである。
 投獄も厭わず戦争に抗議する若い活動家たちの姿勢に胸を打たれ、流血の事態をなんとか終わらせたいという気持ちを抑えきれなくなったエルズバーグは、47巻から成るマクナマラの機密文書をすべてコピーにとった。彼はこの機密文書が議会で取り上げられ議事録に記録されるよう、数名の上院議員に協力を要請するが失敗する。そこで、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハンのもとにコピーを持ち込んだ。1971年6月13日の日曜日、ペンタゴン・ペーパーズに関する報道の第一弾がニューヨーク・タイムズに掲載される。6月15日に司法省は、記事差し止めを要求してニューヨークの連邦地方裁判所に提訴した。これに対し裁判官は、ニューヨーク・タイムズへの仮処分を認めた。これは前代未聞の出来事だった。報道を中止させるために記事差し止め命令が下されることなど、アメリカではいまだかつてなかった。
 記事の掲載が中止に追い込まれると、次にエルズバーグは文書をワシントン・ポストに持ち込む。ポスト紙はニューヨーク・タイムズが報道できなかった部分を取り上げるが、最後は同紙の報道も妨害された。しかしそんな事態を予測していたエルズバーグは文書を17に分けて、それぞれ異なる新聞社に渡していた。そしてワシントン・ポストにも記事の差し止めの命令が下ると、最初はボストン・グローブ、次にセントルイス・ポスト=ディスパッチが抜粋を掲載した。結局、全部で19の新聞社が文書を報道したことになる。一方、FBIは行方をくらませたエルズバーグの捜査を13日間にわたって続け、デトロイトニュースはエルズバーグの父親へのインタビューを行なった。共和党員でニクソンに二回投票している父親は、息子の行動を誇らしげに弁護して次のように語った。「ダニエルはあの愚かな殺戮行為を終わらせるため、自分のすべてを犠牲にしたんだ…あいつが本当に文書を新聞社に持ち込み、それを政府が犯罪行為として非難するなら大いに結構…戦場に送られるはずの若者の命を救ったのだからね」。
 6月28日、エルズバーグは当局に出頭する。連邦ビルに向かうエルズバーグに対し、「これから収監されるのはどんな気分ですか」とひとりの記者が訊ねると、「戦争を終わらせるために一緒に来ないか」という答えが返ってきた。6月29日、アラスカ州選出の民主党上院議員のマイク・グラベルは、ペンタゴン・ペーパーズを上院議会で読み上げようとして失敗すると、自分が所属する小委員会を真夜中にこっそり開催し、文書を読み上げて公開議事録に記録させてしまった。さらに彼は、数多くの未公開機密文書を記者に配布する。翌日、最高裁はニューヨーク・タイムズに有利な判決を下し、同紙ならびにワシントン・ポストは報道の再開を許可された。しかしエルズバーグは重罪容疑で懲役115年を求刑された。(②p.415~9)
 うーむ、凄い方だ。ぜひ彼を主人公とした映画を見てみたいものです。それにしても、こうした勇気あるホイッスル・ブロワーが、財務省や防衛省には一人もいないのでしょうか。
by sabasaba13 | 2018-06-07 06:29 | 映画 | Comments(0)

『ペンタゴン・ペーパーズ』 1

c0051620_2175392.jpg なぬ、スティーヴン・スピルバーグ監督があの"ペンタゴン・ペーパーズ"を映画化したそうな。しかも主演は、メリル・ストリープとトム・ハンクスの二大俳優。これは是が非でも見にいかなければ。
 そもそも"ペンタゴン・ペーパーズ"とは何か。ベトナム戦争とアメリカ政府の関係を描いた傑作ノンフィクション『ベスト&ブライテスト』(デイヴィッド・ハルバースタム 朝日文庫)から引用します。なおマクナマラとは、当時の国防長官ロバート・マクナマラのことです。
 マクナマラは、戦争の姿そのものにも?然たる思いを深めていた。アメリカの破壊力が非戦闘員に与えている苦痛に、彼は深い苦悩を感じていた。北爆のもたらす破壊状況に、彼はとりわけ注意を払っていた。
 1966年末、ニューヨーク・タイムズのハリソン・サリスベリーがハノイを訪れ、それに基づく記事を発表すると、政府は彼に激しい非難と攻撃を浴びせた。だが、マクナマラは彼の記事に深い関心を寄せ、入念にそれを読んだ。マクナマラとロバート・ケネディは、依然として親しい友人であり、1966年頃から、戦争に対する批判的な立場から情報を交換しはじめていた。マクナマラはケネディに、戦争が思うように進展していないことを伝え、ケネディはマクナマラに、戦争がアメリカ国内に与えている影響について説明した。
 この時期のマクナマラは、興味深い存在であった。あたかも彼は、二つの忠誠心、あるいは二つの耳によって引き裂かれた二重人格者であった。日中は、依然として北爆計画に参画し、仕事を終えて晩餐会に出かけては、「ハト派のために、われわれは、より多くのハト派を必要としているのです」と乾杯の挨拶をするのであった。彼は、戦争遂行機関を運営し、モントリオール演説を行い、そしてその演説をしたことを後悔するのであった。ケネディ・タイプの人間には一つのことを言うケネディ的マクナマラと、ジョンソン・タイプの人間には別のことを言うジョンソン的マクナマラの二人がいるかのごとくであった。
 1967年、戦争の前途に絶望し、挫折感を深くしたマクナマラは、1940年代にまでさかのぼるベトナム関係文書を徹底的に研究する大がかりな調査を命じた。これがやがて「ペンタゴン・ペーパーズ」として知られる報告書となるのである。その一部を読んだマクナマラは友人に語った。「ここに書いてあることを罪状に、絞首刑にされる人間が出てきても不思議ではないほどだ」 (下p.333~4)
 なおマクナマラは、ベトナム戦争に関する苦言を呈したことによって、リンドン・ジョンソン大統領によって左遷されることになります。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫)から引用します。
 マクナマラ国防長官をはじめとする政府首脳は、内心の疑問を声に出しはじめた。1967年6月、マクナマラはCIAに敵の兵力の規模をたずね、国防省のレスリー・ゲルブに1954年以降のこの戦争に関する機密報告書をまとめるよう命じた。これが後年ペンタゴン・ペーパーズとして知られるようになる報告書である。のちにこの報告書を読み始めたマクナマラは、「ここに書かれていることのせいで、縛り首になる者さえ出かねないぞ」と友人に話している。マクナマラはしだいに膨らむ疑念を大統領に伝え、さらに1967年8月の上院委員会で、爆撃しても北ベトナム政府が交渉のテーブルに着くことはないだろうと発言したためにジョンソンの怒りを買った。ジョンソンは不服従が我慢ならなかったのだ。ある側近について、彼はこんなことを言ったという。「私がほしいのはあたりまえの忠誠心ではない。本物の忠誠心だ。真っ昼間にメーシーズのショーウィンドーのなかで私のケツにキスして、バラのような匂いですと言える男でなければならない。自分を殺せる男だ」。11月、ジョンソンはマクナマラを世界銀行総裁に任命したと発表した。まもなく元国防長官になることになったマクナマラには、寝耳に水の知らせだった。(②p.325~6)
 それにしても品性下劣な大統領ですね。『沖縄は孤立していない』(乗松聡子編著 金曜日)の中で、ピーター・カズニックがこういうエピソードを紹介されています。
 1965年、ギリシャ市民が米国に支持された右翼独裁政権を転覆させ、進歩的な政権に交代させようとしていたとき、口の悪いことで知られるリンドン・ジョンソン大統領は駐米ギリシャ大使に対し激高して言った。「大使、よく聞け。議会とか憲法とかたわごとを言うな! アメリカは象だ。キプロスはノミだ。ギリシャもノミだ。2匹のノミが象をこれ以上チクチクし続けたら象の鼻でぶったたくぞ! …あんたの国の首相がこの私に民主主義だの議会だの憲法だのを偉そうに語り出したらな、やつの首も、議会も憲法も先は長くないと思え」 (p.42)
 閑話休題。そう、「ペンタゴン・ペーパーズ」とは、ベトナム戦争に関するアメリカ政府の国家犯罪を暴く最高機密文書のことです。公式サイトを参考にしながら、ストーリーを紹介しましょう。
 ランド研究所のアナリストでかつてこの機密文書の編纂にも関わっていたダニエル・エルズバーグは、ペンタゴン・ペーパーズをコピーしてその一部をニューヨーク・タイムズに提供し、真実を人びとに知らしめようとします。ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走しました。しかし、リチャード・ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとします。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた"決断"の時は近づきます。

 好月好日、山ノ神を誘って「新宿バルト9」に行きました。最近、油絵をはじめた山ノ神、すぐ近くにあった驚愕モナ・リザで有名な画材屋「世界堂」を見つけました。上映開始まで時間があるので、入店して彼女のお買い物につきあいました。
 そして映画館へ、ほぼ満席で、本作への期待感で場内は熱気を帯びていました。さあはじまりはじまり。さすがはスピルバーグ監督、テンポの良いストーリー展開で、すぐに画面にひきつけられました。不都合な真実を隠蔽するために、手段を選ばずに報道を妨害するニクソン政権。そして新聞会社を守るために権力に屈しようとする経営者たち。その両者に敢然と立ち向かい、真実を報道しようとする記者・ベン・ブラッドリーをトム・ハンクスが熱演しています。「報道の自由を守るためには、報道することだ」という彼の言葉が耳朶を離れません。そして彼を孤立させないところが、アメリカという国の奥深さです。ジャーナリスト魂を共有する仲間や部下たち、そして営業上のライバルでありながらも、ワシントン・ポストを助けようとするメディアの連帯。「ワシントン・ポストを孤立させない」と言わんばかりに、ペンタゴン・ペーパーズを一面で報道する数多の新聞が袋からどさどさと出される場面では、涙腺がすこし決壊しました。強大な国家権力に屈せずに公正な判決を下した裁判所、その判決を知るために裁判所の前に詰めかけ、歓呼の声をあげる大群衆の姿も忘れられません。国家権力の暴走を止めるには、不屈のジャーナリスト魂、メディアの連帯、司法の独立、そして国民の支持が欠かせないというスピルバーグ監督のメッセージをしかと受け取りました。
 もうひとつ見逃せないのが、「女性の自立」という視点です。男尊女卑の雰囲気が色濃く残る当時のアメリカで、女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が、報道の自由を守るために政府や経営者と戦い、それを通じて成長していく姿にも感銘を受けました。裁判所から出てくる彼女を、応援するために集まった女性たちが歓呼の声で迎える場面も心に残ります。

 公式サイトによると、スピルバーグ監督は、トランプ大統領就任45日後に「今、撮るべき作品」として、予定していた作品よりも先に本作の撮影を敢行したそうです。ジャーナリズムを攻撃するトランプ大統領に対する強烈なカウンター・パンチであり、「報道の自由」を守らなければ市民の自由や権利はかつてのように踏みにじられてしまうという警鐘でもあります。その意気やよし。
 そして『スノーデン』といい、『デトロイト』といい、本作といい、祖国が犯した歴史の恥部と真摯に向き合い、同じ過ちを繰り返してはいけないというメッセージを込めた映画を作ることができるアメリカという国の奥深さには首を垂れます。そもそも過ちを犯したことのない国家なぞ存在しません。真っ当な国か、ろくでもない国かの違いは、過ちの有無ではなく、過ちを率直に認め、教訓として学び、それを繰り返さないよう努力するかどうかにかかっています。アメリカにはまだまだ、祖国を真っ当な国にしようと尽力する、反体制・反権力の分厚い文化が息づいているのですね。羨ましい。国家の過ちを指摘する人々に罵声を浴びせ、「ぼくの国は良い国、ぼくの国は良い国、ぼくの国は良い国」と自慰にふける方々が数多いるどこかの国とはえらい違いです。

 帰りに中村屋に入って、"恋と革命の味"中村屋純印度式カリーに舌鼓を打ちながら、なぜ日本では国家権力の犯罪を暴く映画、国家権力に抗う人達を描く映画が少ないのか、山ノ神と語り合いました。足尾鉱毒事件と田中正造、関東大震災時の朝鮮人虐殺と吉野作造・布施辰治、アイヌへの差別、南京大虐殺、従軍慰安婦、餓死に追い込まれた日本兵、七三一部隊、戦後では水俣病などの公害、三里塚闘争、沖縄への構造的差別とアメリカとの密約、福島原発事故など、題材には事欠かないのに。
 国家権力や極右からの有形無形の圧力・嫌がらせ・いじめがあるだろうことは想像に難くありません。しかしそれに屈しない胆力と気力のある映画監督は必ずいると信じます。杞憂かもしれませんが、こうしたことに無関心な方々が多く観客を動員できないことが予想されるので、資金が集まらないのかもしれません。
by sabasaba13 | 2018-06-05 06:28 | 映画 | Comments(0)

『人生フルーツ』

c0051620_21382111.jpg 最近、面白い映画が目白押しです。というよりも、「週刊金曜日」「DAYS JAPAN」「しんぶん赤旗」「東京新聞」の映画評を丹念に読むようになったおかげかな。映画館に行くとまた面白そうな映画のチラシが見つかるという好循環が続いています。しかし今回は、われわれ御用達のお店、練馬駅近くの「マッシュポテト」の店員さんが強く薦めてくれた映画です。
 上映館はこちらもわれわれ御用達の「ポレポレ東中野」。映画を見た後に近くで夕食をとろうと、「食べログ」でいろいろ検索した結果、「タラキッチン」というカレー屋さんに決めました。インター―ネットで予約をして準備万端です。

 それでは公式サイトから、あらすじを転記しましょう。
 むかし、ある建築家が言いました。
 家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。

 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。
 そう、"暮らしの宝石箱"に住まいながら、平和で穏やかな暮らしを営む老夫婦のお話です。ただそれだけ。それだけなのに、何て愛おしい映画なのでしょう。つかず離れず、適度な距離感を保ちながら仲睦まじく暮らす90歳の修一さんと87歳の英子さん。野菜や果実の栽培、料理、編み物、機織りなど、手間ひまかけた手仕事にコツコツのんびりと勤しむ英子さん。家の修繕や英子さんの手伝い、得意のイラストで手紙を書いたり畑の立て札をつくったり、小さな手仕事にコツコツのんびりと勤しむ修一さん。そこには競争も、収奪も、過剰な欲望も消費も、ありません。言いかえれば、経済成長とは縁もゆかりもない暮らしです。吾唯足るを知り、協働と支え合いと思いやりに満ちた良質な暮らし。そこには、私たちがめざすべき懐かしい未来があるような気がします。

 数百年にわたって人間を呪縛してきた「経済の無限なる成長」がもはや不可能であることが明らかになりつつある現在。しかしそこから目をそむけ、弱者を犠牲にしながら経済成長をやめようとしない世界、そして何よりも日本。安倍伍長の唱える「働き方改革」とはそういうことですよね。
 無謀な経済成長を続けるのか、それともゼロ成長あるいは脱成長に転換するのか、そういう歴史的な岐路に私たちは立っていると考えます。ある方曰く、墜落か、胴体着陸か。でも最近読んだ『成長から成熟へ -さよなら経済大国』(天野祐吉 集英社新書0713)で紹介されていた先哲たちの言葉を噛み締めると、それほど酷いダメージではない胴体着陸ですみそうな気もします。
デニス・ガボール 『成熟社会-新しい文明の選択』(講談社)
 成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(homo sapiense)の性質と両立しうる世界である。(p.176)

E・F・シューマッハー 『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)
 それにしても、「成長は善である」とはなんたる言い草か。私の子供が成長するのなら至極結構であろうが、この私がいま突然、成長し始めようものなら、それはもう悲劇である。(p.177)

セルジュ・ラトゥーシュ 『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社) 『 〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社)
いまの消費社会は、成長経済によって支えられているが、その成長は人間のニーズを満たすための成長ではなく、成長をとめないための成長だ。(p.179)

 この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、エセエコノミストと馬鹿ばかりの世界になっている。 (p.181)

 もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら、われわれは十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて26倍も消費しているのですから。しかし、人びとがその頃よりも26倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です。(p.181)

 脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残すわれわれの痕跡を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす。(p.184)

浜矩子 (朝日新聞 2012.11.24)
 (かつての日本は)欧米諸国から「エコにミックアニマル」と言われました。
そのころの日本経済は「フローはあるが、ストックがない」とも言われていました。平たく言えば、フローは「勢い」、ストックは「蓄え」です。勢いは「経済成長率」「経済成長力」、蓄えは「富」「資産」と言い換えてもいいと思います。
 (…) (あのころから見ると)確かに、いまの日本に勢いはなくなっている。しかし、蓄えは世界で最大規模に到達しました。交通網の充実ぶりなど、生活インフラのレベルの高さを見ても、成熟度はすさまじい。
 ここまで成熟した日本が、経済規模において中国に抜かれて2位から3位になるのは当たり前です。成熟を受け止めて、それにふさわしい展開を考えていく必要があります。(…) 私はこれを老楽(おいらく)国家と名付けたい。「老いは楽し」という精神性の中で成り立つ国家です。成熟度を上手に受け止め、生かし、展開する。老楽国家を成り立たせる概念は二つあると思います。一つ目は「シェアからシェアへ」、二つ目は「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性の出あい」。包摂性は包容力と言っても良いでしょう。
 シェアという言葉で、一定の年齢より上の世代の人に思い浮かぶのは「市場占有率」になると思います。(…)
 シェアには、これと相反する意味もあります。友だちとご飯をたくさん注文してシェアするというときの「分かち合い」です。老楽国家では、奪い合いのシェアから、分かち合いのシェアへの切り替えが必要です。
 「多様性と包摂性の出あい」は、頭の中に座標平面をイメージしてください。縦軸が包摂性で、上に行くほど包摂性が高い。横軸が多様性で、右に行くほど多様性が高くなります。包摂性も多様性も高い、右上の第1象限が理想郷です。我々はそこに行きたいのです。
 グローバル時代に、ここまで成熟した経済社会は日本しかない。(…) 我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せることができる。(p.186~8)
 脱成長の時代に、地域はどうやって存続することができるかを描いた映画が『おだやかな革命』であり、個人はどう暮らしを楽しめるかを描いた映画が本作品だと思います。先哲の言葉を借りれば、生活の質、人間のニーズ。ゴミを減らし、環境に残すわれわれの痕跡を減らし、過剰生産を減らし、過剰消費を減らす。老楽、多様性と包摂性。
 「経済成長」という幻想をふりまき、自然と弱者を踏みにじりながら、より豊かになろうとする強者。そのおこぼれにあずかれると信じこみ、強者による経済運営を支持する弱者。「そろそろ目を覚ましたら?」という、二人の声が聞こえてきませんか。いい映画でした。

 映画を見終わり、予約をした「タラキッチン」へ。映画の感想を話し合いながら、美味しいカレーや、ナンや、タンドーリチキンや、カバブを納得のゆくお値段で堪能しました。新たなご用達のお店となりそうです。
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 東中野銀座商店街を駅へと歩いていくと、「ル・ジャルダン・ゴロワ」というちょっと気になるお店がありました。何の変哲もない普通の店構えなのですが、ショーウィンドウに並べられているのは美味しそうなフランス菓子と惣菜。値段もそれほど高くはありません。タルトの詰め合わせを購入して、帰宅後珈琲とともに食べましたが…言葉にできないのがもどかしいほどの美味しさ。こちらもご用達となりそうです。
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 良い映画と、美味しいカレー、美味しいタルト、そして気の合う伴侶。こういう一日に出会うと、長生きがしたくなります。
by sabasaba13 | 2018-04-27 06:26 | 映画 | Comments(0)

『花咲くころ』

c0051620_19465643.jpg 『おだやかな革命』を観た後、東中野駅からふたたび都営地下鉄12号線に乗って新宿へ、都営地下鉄新宿線に乗り換えて神保町へ。岩波ホールで『花咲くころ』を観ようと思いますが、上映まで小一時間あるので付近で昼食をとることにしました。「さぼうる」「さぼうる2」「キッチン南海」はいずれも長蛇の列ができているのでパス、「揚子江飯店」か「ろしあ亭」で食べようかなと思っていたら、幸いなるかな「スヰートポーヅ」の席が空いていました。やったあ。ひさしぶりに至高の餃子を堪能いたしました。
 それでは『花咲くころ』を観に岩波ホールに行きましょう。まずは公式サイトから引用します。
 1992年春、独立後に起こった内戦のきな臭さが残るジョージア(グルジア)の首都トビリシ。父親が不在のエカは母親と姉の干渉に反発を感じている。親友のナティアの家庭はアル中の父親のためにすさんでいた。生活物資は不足しがちで配給には行列ができているが、ふたりにとっては楽しいおしゃべりの時間だった。ナティアはふたりの少年から好意を寄せられている。ある日、ナティアはそのひとりラドから弾丸が入った銃を贈られた…
 監督はジョージア出身のナナ・エクフティミシュヴィリとドイツ出身のジモン・グロスで、エクフティミシュヴィリ監督の少女時代の思い出をもとにつくられた映画です。
 1991年にソ連邦から独立後に次々と起きた内戦や紛争、社会と経済への大きな打撃、それらに翻弄される民衆の様子が、スクリーンを通してリアルに伝わってきます。直接の戦闘シーンはないのですが、内戦が社会にもたらす傷、人々にもたらす困苦がよくわかりました。失業、食料不足、アルコール中毒、暴力など、戦争が招来する不毛さには慄然とします。それだけに、そうした困難な状況の中で、凛として生きる主人公エカの姿が印象的でした。たとえば、ジョージアでは略奪婚という慣習が一部に残っているのですね。衆人の眼前で親友のナティアが車で連れ去られますが、見て見ぬふりをする大人たちをエカは激しく詰ります。また彼女の結婚披露宴に招かれて見事な民族舞踊を踊り、まるで無言の抗議をしているかのようなエカの姿には魅かれました。エティアから「これを使っていじめっ子を脅しなさい」と銃を渡されながらも、そのいじめっ子が大人に暴力をふるわれていると、その銃を使って彼を助けるエカ。その瑞々しい正義感に心打たれます。エカ役を演じたリカ・バブルアニは素人から抜擢されたそうですが、素晴らしい演技ですね。
 もっとも印象に残ったのは、降りしきる驟雨のなか、エカとエティアが溌剌と駆けぬけるシーンです。"希望"が少女の形姿となって、驟雨という困難な状況にもかかわらず、未来へ向かって軽やかに疾駆しているような気がしてきました。パンドラの箱を開けた私たちに残されたただ一つの希望、それは若者。
by sabasaba13 | 2018-03-14 06:26 | 映画 | Comments(0)