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『人生フルーツ』

c0051620_21382111.jpg 最近、面白い映画が目白押しです。というよりも、「週刊金曜日」「DAYS JAPAN」「しんぶん赤旗」「東京新聞」の映画評を丹念に読むようになったおかげかな。映画館に行くとまた面白そうな映画のチラシが見つかるという好循環が続いています。しかし今回は、われわれ御用達のお店、練馬駅近くの「マッシュポテト」の店員さんが強く薦めてくれた映画です。
 上映館はこちらもわれわれ御用達の「ポレポレ東中野」。映画を見た後に近くで夕食をとろうと、「食べログ」でいろいろ検索した結果、「タラキッチン」というカレー屋さんに決めました。インター―ネットで予約をして準備万端です。

 それでは公式サイトから、あらすじを転記しましょう。
 むかし、ある建築家が言いました。
 家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。

 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。
 そう、"暮らしの宝石箱"に住まいながら、平和で穏やかな暮らしを営む老夫婦のお話です。ただそれだけ。それだけなのに、何て愛おしい映画なのでしょう。つかず離れず、適度な距離感を保ちながら仲睦まじく暮らす90歳の修一さんと87歳の英子さん。野菜や果実の栽培、料理、編み物、機織りなど、手間ひまかけた手仕事にコツコツのんびりと勤しむ英子さん。家の修繕や英子さんの手伝い、得意のイラストで手紙を書いたり畑の立て札をつくったり、小さな手仕事にコツコツのんびりと勤しむ修一さん。そこには競争も、収奪も、過剰な欲望も消費も、ありません。言いかえれば、経済成長とは縁もゆかりもない暮らしです。吾唯足るを知り、協働と支え合いと思いやりに満ちた良質な暮らし。そこには、私たちがめざすべき懐かしい未来があるような気がします。

 数百年にわたって人間を呪縛してきた「経済の無限なる成長」がもはや不可能であることが明らかになりつつある現在。しかしそこから目をそむけ、弱者を犠牲にしながら経済成長をやめようとしない世界、そして何よりも日本。安倍伍長の唱える「働き方改革」とはそういうことですよね。
 無謀な経済成長を続けるのか、それともゼロ成長あるいは脱成長に転換するのか、そういう歴史的な岐路に私たちは立っていると考えます。ある方曰く、墜落か、胴体着陸か。でも最近読んだ『成長から成熟へ -さよなら経済大国』(天野祐吉 集英社新書0713)で紹介されていた先哲たちの言葉を噛み締めると、それほど酷いダメージではない胴体着陸ですみそうな気もします。
デニス・ガボール 『成熟社会-新しい文明の選択』(講談社)
 成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(homo sapiense)の性質と両立しうる世界である。(p.176)

E・F・シューマッハー 『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)
 それにしても、「成長は善である」とはなんたる言い草か。私の子供が成長するのなら至極結構であろうが、この私がいま突然、成長し始めようものなら、それはもう悲劇である。(p.177)

セルジュ・ラトゥーシュ 『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社) 『 〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社)
いまの消費社会は、成長経済によって支えられているが、その成長は人間のニーズを満たすための成長ではなく、成長をとめないための成長だ。(p.179)

 この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、エセエコノミストと馬鹿ばかりの世界になっている。 (p.181)

 もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら、われわれは十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて26倍も消費しているのですから。しかし、人びとがその頃よりも26倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です。(p.181)

 脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残すわれわれの痕跡を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす。(p.184)

浜矩子 (朝日新聞 2012.11.24)
 (かつての日本は)欧米諸国から「エコにミックアニマル」と言われました。
そのころの日本経済は「フローはあるが、ストックがない」とも言われていました。平たく言えば、フローは「勢い」、ストックは「蓄え」です。勢いは「経済成長率」「経済成長力」、蓄えは「富」「資産」と言い換えてもいいと思います。
 (…) (あのころから見ると)確かに、いまの日本に勢いはなくなっている。しかし、蓄えは世界で最大規模に到達しました。交通網の充実ぶりなど、生活インフラのレベルの高さを見ても、成熟度はすさまじい。
 ここまで成熟した日本が、経済規模において中国に抜かれて2位から3位になるのは当たり前です。成熟を受け止めて、それにふさわしい展開を考えていく必要があります。(…) 私はこれを老楽(おいらく)国家と名付けたい。「老いは楽し」という精神性の中で成り立つ国家です。成熟度を上手に受け止め、生かし、展開する。老楽国家を成り立たせる概念は二つあると思います。一つ目は「シェアからシェアへ」、二つ目は「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性の出あい」。包摂性は包容力と言っても良いでしょう。
 シェアという言葉で、一定の年齢より上の世代の人に思い浮かぶのは「市場占有率」になると思います。(…)
 シェアには、これと相反する意味もあります。友だちとご飯をたくさん注文してシェアするというときの「分かち合い」です。老楽国家では、奪い合いのシェアから、分かち合いのシェアへの切り替えが必要です。
 「多様性と包摂性の出あい」は、頭の中に座標平面をイメージしてください。縦軸が包摂性で、上に行くほど包摂性が高い。横軸が多様性で、右に行くほど多様性が高くなります。包摂性も多様性も高い、右上の第1象限が理想郷です。我々はそこに行きたいのです。
 グローバル時代に、ここまで成熟した経済社会は日本しかない。(…) 我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せることができる。(p.186~8)
 脱成長の時代に、地域はどうやって存続することができるかを描いた映画が『おだやかな革命』であり、個人はどう暮らしを楽しめるかを描いた映画が本作品だと思います。先哲の言葉を借りれば、生活の質、人間のニーズ。ゴミを減らし、環境に残すわれわれの痕跡を減らし、過剰生産を減らし、過剰消費を減らす。老楽、多様性と包摂性。
 「経済成長」という幻想をふりまき、自然と弱者を踏みにじりながら、より豊かになろうとする強者。そのおこぼれにあずかれると信じこみ、強者による経済運営を支持する弱者。「そろそろ目を覚ましたら?」という、二人の声が聞こえてきませんか。いい映画でした。

 映画を見終わり、予約をした「タラキッチン」へ。映画の感想を話し合いながら、美味しいカレーや、ナンや、タンドーリチキンや、カバブを納得のゆくお値段で堪能しました。新たなご用達のお店となりそうです。
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 東中野銀座商店街を駅へと歩いていくと、「ル・ジャルダン・ゴロワ」というちょっと気になるお店がありました。何の変哲もない普通の店構えなのですが、ショーウィンドウに並べられているのは美味しそうなフランス菓子と惣菜。値段もそれほど高くはありません。タルトの詰め合わせを購入して、帰宅後珈琲とともに食べましたが…言葉にできないのがもどかしいほどの美味しさ。こちらもご用達となりそうです。
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 良い映画と、美味しいカレー、美味しいタルト、そして気の合う伴侶。こういう一日に出会うと、長生きがしたくなります。
by sabasaba13 | 2018-04-27 06:26 | 映画 | Comments(0)

『花咲くころ』

c0051620_19465643.jpg 『おだやかな革命』を観た後、東中野駅からふたたび都営地下鉄12号線に乗って新宿へ、都営地下鉄新宿線に乗り換えて神保町へ。岩波ホールで『花咲くころ』を観ようと思いますが、上映まで小一時間あるので付近で昼食をとることにしました。「さぼうる」「さぼうる2」「キッチン南海」はいずれも長蛇の列ができているのでパス、「揚子江飯店」か「ろしあ亭」で食べようかなと思っていたら、幸いなるかな「スヰートポーヅ」の席が空いていました。やったあ。ひさしぶりに至高の餃子を堪能いたしました。
 それでは『花咲くころ』を観に岩波ホールに行きましょう。まずは公式サイトから引用します。
 1992年春、独立後に起こった内戦のきな臭さが残るジョージア(グルジア)の首都トビリシ。父親が不在のエカは母親と姉の干渉に反発を感じている。親友のナティアの家庭はアル中の父親のためにすさんでいた。生活物資は不足しがちで配給には行列ができているが、ふたりにとっては楽しいおしゃべりの時間だった。ナティアはふたりの少年から好意を寄せられている。ある日、ナティアはそのひとりラドから弾丸が入った銃を贈られた…
 監督はジョージア出身のナナ・エクフティミシュヴィリとドイツ出身のジモン・グロスで、エクフティミシュヴィリ監督の少女時代の思い出をもとにつくられた映画です。
 1991年にソ連邦から独立後に次々と起きた内戦や紛争、社会と経済への大きな打撃、それらに翻弄される民衆の様子が、スクリーンを通してリアルに伝わってきます。直接の戦闘シーンはないのですが、内戦が社会にもたらす傷、人々にもたらす困苦がよくわかりました。失業、食料不足、アルコール中毒、暴力など、戦争が招来する不毛さには慄然とします。それだけに、そうした困難な状況の中で、凛として生きる主人公エカの姿が印象的でした。たとえば、ジョージアでは略奪婚という慣習が一部に残っているのですね。衆人の眼前で親友のナティアが車で連れ去られますが、見て見ぬふりをする大人たちをエカは激しく詰ります。また彼女の結婚披露宴に招かれて見事な民族舞踊を踊り、まるで無言の抗議をしているかのようなエカの姿には魅かれました。エティアから「これを使っていじめっ子を脅しなさい」と銃を渡されながらも、そのいじめっ子が大人に暴力をふるわれていると、その銃を使って彼を助けるエカ。その瑞々しい正義感に心打たれます。エカ役を演じたリカ・バブルアニは素人から抜擢されたそうですが、素晴らしい演技ですね。
 もっとも印象に残ったのは、降りしきる驟雨のなか、エカとエティアが溌剌と駆けぬけるシーンです。"希望"が少女の形姿となって、驟雨という困難な状況にもかかわらず、未来へ向かって軽やかに疾駆しているような気がしてきました。パンドラの箱を開けた私たちに残されたただ一つの希望、それは若者。
by sabasaba13 | 2018-03-14 06:26 | 映画 | Comments(0)

『おだやかな革命』

c0051620_14233095.jpg 山ノ神がインフルエンザにかかって寝込んでしまいました。しかも花粉症との二重苦、甲斐甲斐しく…でもありませんが、ま、それなりに看病してやっと小康状態となりました。よかった。実はどうしても見たい映画が二本あるのですが、仕事の関係でこの日にしか見に行けません。彼女も快く承諾してくれたので、無情ですが一人で梯子をすることにしました。すまん。許してくれ。
 その二本とは、ポレポレ東中野で上映されている『おだやかな革命』と、岩波ホールで上映されている『花咲くころ』です。まずは都営地下鉄12号線に乗って、東中野駅で下車。地上に出てちょっと歩くと、すぐポレポレ東中野に到着。公式サイトから引用します。
 原発事故後に福島県の酒蔵の当主が立ち上げた会津電力。放射能汚染によって居住制限区域となった飯館村で畜産農家が立ち上げた飯館電力。岐阜県郡上市の石徹白、集落存続のために100世帯全戸が出資した小水力発電。さらに首都圏の消費者と地方の農家、食品加工業者が連携して進めている秋田県にかほ市の市民風車。自主自立を目指し、森林資源を生かしたビジネスを立ち上げる岡山県西粟倉村の取り組み、都市生活者、地方への移住者、被災者、それぞれのエネルギー自治を目指すことで、お金やモノだけでない、生きがい、喜びに満ちた暮らしの風景が生まれている。成長・拡大を続けてきた現代社会が見失った、これからの時代の「豊かさ」を静かに問いかける物語。
 パンフレットの巻頭にある、渡辺智史監督の言葉も引用します。
 今の日本社会が抱えている様々な矛盾は、一見すると解決が困難にも思えることばかりです。でもそれらが意外にも「暮らしの選択」という身近なキーワードから解決していけるのではないか、そこにこそ確かな希望があるのではないかと思うのです。本映画には自らの手で仕事や暮らしを作っていく人々が手を携えながら、新しい時代を切り開いていこうとする姿が描かれています。その先には、これまでの拡大・成長を追い求めてきた時代が見失った「本当の豊かさ」が見えてくるはずです。ワクワクや共感によって動く新しい時代は、もう始まっています。この映画の上映を通して、全国各地で皆さんと一緒に「おだやかな革命」の動きを作っていきたいと思います。
 過疎に悩む僻地の町や村を描いた、ほんとうに地味な、地味な映画です。そこに生き暮らしている人たちは、何とかしてふるさとを維持し、子孫に残そうと必死に思い悩みます。思うに、ひとつの選択肢として国家や資本に依存するという道があるかと思います。核(原子力)発電や軍事基地など「迷惑施設」を受け入れて国家の経済的援助に頼る、あるいは企業を誘致して資本に頼る。しかしこの道がいかに危険と背中合わせなものかは、福島や水俣が例証しています。この映画に登場する地域は、そうした安易で危険な選択肢は選びません。経済発展や経済成長を求めず、自然再生エネルギーで地域の需要を賄いながら、みんなで手を取り合って、生きるための生業を見つけ出し、つくりあげていく。国家や資本にふりまわされることなく、弊履の如く捨てられることなく、ふるさとと自然を子孫に伝え残すためですね。みんなでお金を出し合い、協力して水車や小さな水力発電を設置する、地域に合った食材をつくり調理して提供する、伝統的な作業着をファッションとして再生する、付近の山林でとれる木々で家具や楽器をつくる。さまざまな取り組みが映像を通して伝えられます。いちばん心に残ったのは、みなさんの仲が良いこと、そしてその表情が明るく楽しそうだということです。考えてみれば、経済成長というのは、究極のところ、「今だけ、金だけ、自分だけ」ということでしょう。お金以外の価値を認めず、未来と他者を犠牲にして、富を奪い合う。それに対してこの映画に登場する人たちは、富を分かち合い、未来と他者のために働き工夫し努力する。みんなの喜びは私の喜び、私の幸せはみんなの幸せ、♪When you're smilin' When you're smilin' The whole world smiles with you♪ 見ているうちに微笑みがこぼれてくるような、素晴らしい映画でした。お薦めです。

 なお、タイトルにある"革命"というのは少し大仰ではないのかな、と思いましたがさにあらず。映画の見た後にたまたま読んだ『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(水野和夫 集英社新書0883)によって蒙を啓かれ、こうした町や村の試みは"革命"に値するものだとあらためて感銘を受けました。水野氏の分析を紹介しましょう。13世紀初頭に始まった資本主義が、いま、終焉を迎えています。利潤をもたらしてくれるフロンティアを求めるために地球の隅々にまでグローバリゼーションを加速させてきた結果、地球が有限である故、その臨界点に達し、膨張が収縮に反転しているのが現在です。この危機において、資本は、わずかでも利潤を得るためになりふりかまわぬ暴走を始めています。大は内外両面で猖獗を極める格差と貧困、小はデータをごまかしてまで安倍政権と財界が成立させようとした裁量労働制、いずれも資本主義の断末魔の叫びでしょう。
 それではこれからどうすればよいのか。水野氏は、成長至上主義と決別し、定常状態(ゼロ成長)への移行を遂げねばならないと主張されます。そのためにクリアするべきハードルは三つ。第一のハードルは、財政の均衡です。第二のハードルは、再生可能エネルギーを国産化し、自給率を高めていくこと。そして第三のハードルは地方分権です。「閉じた経済」のなかで、できるだけ地域に密着した教育機関や企業、金融機関を充実させていくこと。(p.237~40)
 そう、映画に登場する人びとは、この第二・第三のハードルをクリアしようとしているのですね。日本では150年続いた、西欧では800年続いた経済成長至上主義(教?)が終わった後の暮らしを構想し実践する。これを革命と言わずして、何と呼ぶべきでしょう。しかも暴力や激情にとらわれずに、みんなで仲良く助け合いながら進める『おだやかな革命』。小さいけれども、大きい映画です。
by sabasaba13 | 2018-03-13 06:27 | 映画 | Comments(0)

『デトロイト』

c0051620_19502188.jpg 先日、ユナイテッドシネマとしまえんで、山ノ神と一緒に映画『デトロイト』を観てきました。まずは公式サイトから引用します。
 1967年、米史上最大級の暴動勃発。街が戦場と化すなかで起きた"戦慄の一夜" 1967年7月、暴動発生から3日目の夜、若い黒人客たちで賑わうアルジェ・モーテルに、銃声を聞いたとの通報を受けた大勢の警官と州兵が殺到した。そこで警官たちが、偶然モーテルに居合わせた若者へ暴力的な尋問を開始。やがて、それは異常な"死のゲーム"へと発展し、新たな惨劇を招き寄せていくのだった…。
 そう、1960年代は、キング牧師とマルコムXによる公民権運動など、人種差別に反発する黒人の運動が激化した時代でした。(マルコムXは1965年に、キング牧師は1968年に暗殺) その背景には、ヴェトナム戦争・軍拡競争・アポロ計画による莫大な出費が、黒人をさらなる貧困へと追い込んだことによります。最近読んだ本から、いくつか引用します。
 …ジョンソンの続けている非道な戦争とアメリカ社会に与えるゆがんだ影響にうんざりする国民は増え続けた。黒人運動は、反乱と呼んでよいほど激しくなった。数年前から都市部を揺さぶっていた暴動は、ついに1967年の夏、それまで静観していた国民を立ち上がらせる。二日以上続く大規模暴動が25件、小規模暴動が30件勃発した。町は炎が上がり、血が流れた。ニューアークで26人、デトロイトで43人のアフリカ系アメリカ人が警官隊および州兵部隊に殺害された。(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』 オリバー・ストーン&ピーター・カズニック ハヤカワノンフィクション文庫 ②p.327~8)

 同時に、市民権運動そのものも、変化を見せ、黒人の不満は一段と募っていった。とくに北部の都市を中心に、激しい怒りが巻き起こった。焦燥と憎しみが広まる中で、これまでの伝統的な指導者は、わきにおしやられた。ハーレム、ローチェスター、ジャージー・シティ、フィラデルフィアのゲットーで暴動が発生し、やがてその火の手は、他の都市に広がった。ゲットーが焼け、燃える中で、これまでの市民権運動は終わりを告げはじめた。
 マルコムXのように、最も疎外され、最も傷ついた人びとが指導者として登場する。彼らは、法律上の差別ばかりでなく、アメリカ社会の構造そのものを攻撃したのである。問題は、黒人問題ではないのだ、と彼らは言った。問題は白人問題である。自分たちは、仲間入りしたいのではない。われわれは、出て行きたいのである。黒人救済計画など、笑い草だ。黒人社会がこのように変化する中で、白人権力社会との協力者と見なされた指導者たちは、やがてその信用を失っていくのである。(『ベスト&ブライテスト』 デイヴィッド・ハルバースタム 朝日文庫 中p.396)

 戦後世界の二大強国のあいだで科学技術の精華を競ったように見えたそのレースは、実際には、ミサイル技術の優劣を競う軍事競争であり、同時に大国間の国家威信をかけたつばぜり合いであった。20世紀後半には、国家間の科学技術の優劣は、国家の産業力・文化力の優劣であると同時に、軍事力と政治的発言力の優劣と見なされていたのだ。それこそが、金がいくらかかってもよいから人類の月面着陸は米国が先んじなければならないと叫んで、ケネディ大統領がアポロ計画を命じた本当の理由である。しかも、その華々しい宇宙開発競争の背後では、ソ連においては慢性的経済停滞で民衆の生活が犠牲にされていたのであり、他方、米国においても、60年代後半はいくつもの都市で黒人暴動が頻発していたように、大金をつぎ込んだアポロ計画のかげで黒人は差別と貧困のなかに放置されていた。(『近代日本一五〇年 -科学技術総力戦体制の破綻』  山本義隆 岩波新書1695 p.ⅶ)
 また、ヴェトナム戦争において、黒人が危険な最前線に送られたことも一因のようです。奇しくもデトロイト暴動が起きた1967年に徴兵を拒否した、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ(旧名カシアス・クレイ)が、こう語っています。
 ルーイヴィルではいわゆるニグロの人々が犬並みの扱いを受けているのに、なぜやつらは俺に軍服を着て、1万マイルも離れたところに行き、ヴェトナムの茶色の人々に爆弾や銃弾を浴びせろなんて言うんだ? もし戦争に行くことが2200万の俺の仲間に自由と平等をもたらすと思ったら、俺を徴兵するまでもないぜ。俺は明日にだって入隊するよ。だが、俺は国の法律かアラーの掟のどちらかに従わなければならないんだ。俺は自分の信念に従っても、何も失うものはないんだ。だから俺は牢獄に入るよ。俺たちは400年も牢獄暮らしをしてきたんだからな。(『モハメド・アリ その生と時代』 トマス・ハウザー 岩波現代文庫 上p.283~4)
 私の大好きな音楽シーンで言えば、チャールズ・ミンガスが黒人差別主義者のフォーバス知事を皮肉りからかった「フォーバス知事の寓話」を発表したのが1960年。公民権運動の愛唱歌となった「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」がサム・クックによって発表されたのが1964年、「自由になりたい」がニーナ・シモンによって発表されたのが1967年でした。

 前口上が長くなりましたが、そのピークとも言うべきデトロイト暴動をキャスリン・ビグローが映画化した作品です。何といっても、その迫真的なリアリティに圧倒されました。ところどころで挿入される実写フィルム、ぶれ、揺らぎ、傾くカメラ・ワーク。まるでその場に居合わせて暴動を目撃しているような臨場感です。黒人たちの、絶望的な怒りがびしびしと伝わってきます。
 事件のきっかけは、アルジェ・モーテルの一室で、ある黒人青年が面白半分におもちゃの拳銃を発砲したことでした。かけつけた白人警官たちは、実弾を撃った黒人が必ずいるという予断のもと、居合わせた黒人男性や白人女性を自白させるためにあらゆる手を使って追い詰めていきます。暴力、脅迫、侮辱、そのおぞましさには息を呑みましたが、レイシストの白人警官に扮したウィル・ポールターが圧巻の演技でした。そして…
 この映画のテーマは、差別と暴力だと感じました。その醜さとおぞましさを徹底的に描くことによって、アメリカから、いや世界から差別と暴力をなくしたいという監督の想いが伝わってきます。

 それにしても、アメリカの恥部を暴いたこの映画をつくり公開できたということは凄いことですね。敬意を表します。『明治維新150年を考える』(集英社新書)の中で、映画監督の行定勲氏がこう言われていました。
 映画は闇に光を当てて、そこに何が映っているか、それを観るものです。一番重要なのは闇であって、そこに手を突っ込んで切り開いていかないといけない。(p.144)
 アメリカには、そうした闇から眼をそむけない人びとがいて、それを許容する文化があるということだと思います。長文ですが、『「戦後80年」はあるのか』(集英社新書)から、内田樹氏の一文を引用します。
 アメリカが超覇権国家たりえたのは、これは僕の全く独断と偏見ですけれども、彼らは「文化的復元力」に恵まれていたからだと思います。カウンターカルチャーの手柄です。
 70年代のはじめまで、ベトナム戦争中の日本社会における反米感情は今では想像できないほど激しいものでした。ところが、1975年にベトナム戦争が終わると同時に、潮が引くように、この反米・嫌米感情が鎮まった。つい先ほどまで「米帝打倒」と叫んでいた日本の青年たちが一気に親米的になる。この時期に堰を切ったようにアメリカのサブカルチャーが流れ込んできました。若者たちはレイバンのサングラスをかけて、ジッポーで煙草の火を点け、リーバイスのジーンズを穿き、サーフィンをした。なぜ日本の若者たちが「政治的な反米」から「文化的な親米」に切り替わることができたのか。それは70年代の日本の若者が享受しようとしたのが、アメリカのカウンターカルチャーだったからです。
 カウンターカルチャーはアメリカの文化でありながら、反体制・反権力的なものでした。日本の若者たちがベトナム反戦闘争を戦って、機動隊に殴られているときに、アメリカ国内でもベトナム反戦闘争を戦って、警官隊に殴られている若者たちがいた。アメリカ国内にもアメリカ政府の非道をなじり、激しい抵抗を試みた人たちがいた。海外にあってアメリカの世界戦略に反対している人間にとっては、彼らこそがアメリカにおける「取りつく島」であったわけです。つまり、アメリカという国は、国内にそのつどの政権に抗う「反米勢力」を抱えている。ホワイトハウスの権力的な政治に対する異議申し立て、ウォール街の強欲資本主義に対する怒りを、最も果敢にかつカラフルに表明しているのは、アメリカ人自身です。この人たちがアメリカにおけるカウンターカルチャーの担い手であり、僕たちは彼らになら共感することができた。僕たちがアメリカ政府に怒っている以上に激しくアメリカ政府に怒っているアメリカ人がいる。まさにそれゆえに僕たちはアメリカの知性と倫理性に最終的には信頼感を抱くことができた。反権力・反体制の分厚い文化を持っていること、これがアメリカの最大の強みだと僕は思います。(p.58~60)
 さて、私たちは歴史の闇を見つめることができるのでしょうか。文化を復元させる力があるのでしょうか。関東大震災時における虐殺を描く映画がつくられたら、その証左の一つになると思うのですが。
by sabasaba13 | 2018-03-05 08:14 | 映画 | Comments(0)

『否定と肯定』

c0051620_6341437.jpg 竹橋の国立近代美術館で「熊谷守一展」を見て、竹橋駅から地下鉄東西線に乗って飯田橋駅へ、地下鉄有楽町線に乗り換えて有楽町駅に着きました。そして「TOHOシネマズシャンテ」で、映画『否定と肯定』を見ました。監督はミック・ジャクソン、公式サイトから、あらすじを転記します。
 1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする"ホロコースト否定論"の主張を看過できず、真っ向から否定していた。
 アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは"ホロコースト否定論"を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。
 そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…
 裁判を描いた映画には、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』、ビリー・ワイルダー監督の『情婦』、周防正行監督の『それでもボクはやってない』といった傑作がありますが、それらに勝るとも劣らない映画でした。
 まずは裁判ドラマとしての面白さを堪能しました。直情径行・猪突猛進型の主人公と、冷静沈着・理路整然型の英国弁護士たちの、丁々発止としたやりとりが面白い。自ら法廷に立ったり、強制収容所生存者に証言をしてもらったりして真っ向勝負を挑もうとする主人公を、弁護団は窘めます。一緒に土俵に立って相手のペースに乗せられてはいけない、その主張の荒唐無稽さを実証的に論駁するべきだとして、綿密な戦略を練る弁護団。はじめはぎくしゃくしていた両者の歯車が、やがて噛み合い、一致団結して歴史修正主義者に立ち向かっていく様子には軽い興奮を覚えました。またアーヴィングの日記を提供させて精査し、実際にアウシュビッツまで行って調査するなど、確実な証拠を集めようとする弁護団の努力もよく描かれていました。イギリスには裁判の準備と戦略を練る事務弁護士と、法廷で弁論に立つ法廷弁護士という役割分担があるそうですが、後者のリチャード・ランプトンを演じたトム・ウィルキンソンが実にいい味を出していました。ワインを紙コップで飲むなど、飄々とした好々爺然としているのですが、法廷での舌鋒鋭い弁論には見惚れてしまいました。また犠牲者のために闘う決意を秘めるためでしょうか、アウシュビッツで鉄条網の破片をポケットにしのばせるところも実に良いシーンでした。
 もう一つの重要なモチーフが、歴史修正主義者への批判です。さまざまな手練手管を用いて真実をねじ曲げる歴史家デイヴィッド・アーヴィングの下劣さを、ティモシー・スポールが見事に演じていました。(山ノ神が「ハリー・ポッター」に出てた、と呟く) そしてこの映画のほんとうの主人公は、"Post Truth"、客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況なのかもしれません。裁判所に向かうリップシュタットに罵声を浴びせ、アーヴィングを歓呼の声で迎える群衆の姿に慄然としました。「私たちはこう戦った。あなたはどう戦う?」というリップシュタットと弁護団の静かな声が耳朶に響きます。

 従軍慰安婦、南京大虐殺、沖縄戦などに関する歴史修正主義者が跋扈する現今の日本。また陰に陽にそうした動きを鼓舞する首相と政党が支持される日本。さあ、どうすればいいのか、この映画がひとつのヒントになると思います。

 たまたま持参していた『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(ティモシー・スナイダー 慶應義塾大学出版会)に次の一節がありました。
 真実である事実を放棄するのは自由を放棄することです。仮に何一つ真実たりうるものがなかったら、誰一人権力を批判できないことになってしまいます。批判しようにも根拠がなくなるからです。仮に何一つ真実たりうるものがなかったなら、すべては見せ物になってしまいます。誰よりもふんだんに金を使った者が、誰よりもよく人々の目を眩ますことができるのですから。(p.60)
 『週刊金曜日』(№1166 17.12.22/18.1.5)の中で、放送作家の町山広美氏が、この映画を見てこうコメントをされていました。
 歴史修正主義者の体質をよく描いています。映画を観てわかるのは、歴史修正主義者って、そうではないと私たちが思うほど、深く考えてはいない。充分な知識がなくても発現する。あの人たちはそれを勇気だとか、自分のパワーだとかと思っているんです。チキンレースだか度胸試しを勝手に始めて、勝手に勝ったつもりでいる。だから自信満々。(p.28)
 そして購入した映画パンフレットにおさめられていた木村草太氏(憲法学者)による「ディナイアル」というエッセイもたいへん参考になりました。長文ですが、後半部分を引用します。
 映画にある通り、彼らは「証拠」を無視するわけではない。文書の中から自分に有利な部分だけを取り出したり、外国語を翻訳したりして、自説の「証拠」だとする。オーソドックスな研究者にまとわりつき、無視されると「あいつは自分に対して有効に反論できなかった」と吹聴する。アウシュビッツの生存者に対しては、「ガス室のドアがあったのは左か右か」といった些事を質問し、言い間違いや記憶違いを引き出して侮辱する。
 彼らの口撃は、熱心でしつこい。そのエネルギーをボランティア活動に注ぎ込めば、社会はだいぶ豊かになるだろうに。なぜ彼らは、非生産的な活動にそこまでエネルギーを費やすのか。
 否認の背景には差別感情がある。ユダヤ人や中国人に対して差別感情を持つ人々は、ホロコーストや南京大虐殺の否認を喝采するだろう。差別主義者という歪んだコミュニティーではあっても、その中で上り詰めれば、それなりの「名誉」を獲得する。出版や講演を通じて、経済的にも得をする。政治家にとっては票にも結び付く。これだけの見返りがあれば、彼らが熱心になるのも当然だ。
 しかし、否認は、人権の理念、学問的誠実さ、一般社会での道徳など、ありとあらゆる人間的な徳目に反する。それを防ぐには、どうしたらよいのか。
 この映画は、メディアによる「両論併記」に大きな問題があることを示唆している。確かに、誠実に学問的検討をして議論が分かれる場合には、双方の主張を吟味することが不可欠だ。しかし、ホロコーストの否認と歴史学の一般的見解とを併記すれば、前者が後者と並び立つ重要な見解であるような錯覚を与えるだろう。弁護団は、リップシュタットとアーヴィングを、同じ土俵に立たせなかった。これこそが正しい対応なのだ。
 2015年夏、集団的自衛権行使容認の合憲性をめぐり、日本の憲法学者の見解は、違憲9対合憲1程度に分かれたと言われる。しかし、1対1の割合で「両論併記」するメディアも多かった。議論の質や比率を無視した「両論併記」は、公正でも中立でも誠実でもない。
 私は当時、集団的自衛権の行使は合憲だとする論拠をネッシーに例え、「ネッシーを探すよりも、『ネッシーはいる』と主張する有名人を探す方が簡単だ」と解説した。ネッシーがいる証拠を示せなくても、ネッシー学者の主張を毎日聞いていれば、大衆はネッシーの存在に親近感を覚えるようになるだろう。メディアには専門家を称する人々の主張内容を検証し、取捨選択するリテラシーが求められている。
 映画の結末において、リップシュタットは裁判に勝った。しかし、予想した通り、アーヴィングは裁判の正当性をも否認し、メディアで荒唐無稽なネッシー学説をまくしたてる。
 ネッシー学説を喝采する聴衆がいる限り、販売部数や視聴率あるいは広告収入を追い求めるメディアは、ネッシー学説を言論空間から追い出さないだろう。こうした現象を止められるのは、一般の人々だけだ。一般の人々の知的誠実さが、ネッシー学説に敢然とNOを突き付けられるか。社会の未来は、一般の人々にかかっている。(p.7)
 充実した一日が終わりました。さあそれでは帰りましょう。地下鉄有楽町駅に下りようとすると、眼前に北海道のアンテナ・ショップがあったので入店。今年の北海道旅行で購入していたく美味しかった町村農場特製バターを売っていたのには感激。さっそく購入、明日は美味しいバター・トーストが食べられます。
 地下鉄への階段のところにいたホームレスの方から、心優しい山ノ神が『ビッグイシュー』を購入。地下鉄の中で読ませてもらうと、今年刊行されたお薦め本が紹介されており、ウィリアム・メレル・ヴォーリズを描いた小説『屋根をかける人』(門井慶喜 角川書店)と『ジャック・プレヴェール詩集』(小笠原豊樹 岩波文庫)が目にとまりました。これは買いですね、家に着いたらすぐにインターネットで注文しましょう。
 そして池袋駅で途中下車して、東武デパート内にある「鼎泰豐」に入り、小籠包に舌鼓を打ちました。

 というわけで、良い絵、良い映画、良い本、美味しい食事に恵まれた、村上春樹氏曰く"小確幸(小さいけれど確固たる幸せ)"に満ちた一日でした。
by sabasaba13 | 2018-01-18 06:34 | 映画 | Comments(0)

『私が殺したリー・モーガン』

c0051620_627361.jpg えっ、リー・モーガンを描いた映画『私が殺したリー・モーガン』が上映されている! 驚き桃の木山椒の木、狸に錻力に蓄音機ですね。若き名ジャズ・トランぺッターとして大活躍をしますが、妻に射殺されるという悲劇的な最期をとげたリー・モーガン。「キャンディ」「ザ・サイドワインダー」「ソニック・ブーム」という三枚のCD、サイドマンとして参加した「サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ」「ケリー・グレイト」「ブルー・トレイン」を持っていますが、ときどきその輝かしい音色とエキサイティングなアドリブに耳を傾けます。その彼の死に至るまでの人生を描いたドキュメンタリー映画、さっそく山ノ神を誘ってアップリンク渋谷に見に行きました。
 監督はカスパー・コリン、公式サイトから紹介文を引用します。
 今なお深く傷を遺す、「ジャズ史上最悪の悲劇」の愛と哀しみに迫る。
 若干18歳で名門ブルーノート・レコードからデビューするなど稀なる才能で駆け上がったスターダム。ドラッグでの転落。二人三脚で救い出したひと回り歳上の女性ヘレンとの出会い。そんな二人に対するミュージシャン仲間からの温かい眼差し、評価。その関係を崩壊させる新恋人の登場と凶行―。
 銃と運命の引き金を引いた内縁の妻ヘレン・モーガンが最晩年に残した唯一のインタビューに、友人や関係者たちの証言を加え、リーとヘレンをとりまく周囲の人間模様と変化が徐々に明らかになる。
 ヘレン・モーガンが通う市民学校の教員が、事件の経緯に興味をもち彼女にインタビューをし、テープに録音します。その直後に彼女は亡くなってしまうのですが、そのインタビューを軸に、仲間のジャズメンや知人のインタビュー、実写フィルムをまじえながら二人の人生を再現していきます。まずインタビュイーが凄い、ビリー・ハーパー、ジミー・メリット、ベニー・モウピン、ウェイン・ショーターといった錚々たるジャズメンが登場します。ウェザー・リポートのファンなもので、ちょっとお腹が出ていたとはいえ、ウェイン・ショーターが登場したときには、風景が涙で揺すれてしまいました。
 十代にして婚外子二人を出産し、苦労に苦労を重ねてようやく自立したヘレン。若干18歳でディジー・ガレスピーに見出され、同年ブルーノート・レコードより『Lee Morgan indeed!』でデビューし、クリフォード・ブラウンの再来とも呼ばれたリー。しかし彼は麻薬に溺れていきます。母と息子ほど歳が離れた二人は知りあいとなりますが、とある厳冬のニューヨーク、リーが突然ヘレンのもとを訪れます。麻薬を買うためにコートを質に入れたので、ジャケットしか着ていないボロボロのリーを見て、ヘレンは救いの手を差し出します。さまざまな援助やマネージャーとしてのサポートなどで、リーは立ち直っていきました。ウェイン・ショーターが、「彼女は、ミュージシャンとして、人間として彼を立ち直らせた」という言葉に胸がジンとしました。
 しかし、リーはジュディス・ジョンソンという女性と逢瀬を重ね、彼の心はヘレンから離れていきます。そして1972年2月18日、NYのジャズクラブ「スラッグス」での演奏中、その2ステージ目と3ステージ目の合間の休憩時間に、ヘレン・モーガンが彼を拳銃で撃ちます。大雪のため救急車の到着が遅れ、ベルビュー病院に移送されましたが間もなく死亡が確認されました。

 何とも悲しくやるせない話です。殺人を擁護する気はありませんが、我が子のようにリーを愛したヘレンの気持ちが痛い程伝わってきます。せめてもの救いは、彼の素晴らしい演奏が、録音や画像で数多く残されていることです。いま、「ソニック・ブーム」を聴きながらキーボードをたたいていますが、輝かしい音色、天馬空を駆けるようなハイトーン、泉のように湧きいでるメロディに耳を奪われます。映画に挿入される実写フィルムにも躍動的な演奏、子どものような笑顔、お道化た仕草が映しだされ、心躍りました。

 リー・モーガンという素晴らしいミュージシャンがいたことを、そして彼を愛したヘレン・モーガンという女性がいたことを教えてくれる映画です。

 なお映画のなかで、ジミー・メリットが作曲した「アンジェラ」という曲が演奏され、黒人解放運動のために逮捕されたアンジェラ・デイヴィスという女性を激励するためにつくられたという説明がありました。不学にしてこの女性について知りませんでしたので、『コトバンク』の「20世紀西洋人名事典」で調べてみました。
アンジェラ・デイヴィス Angela Yvonne Davis 1944.1.26 -
 米国の黒人政治運動家。アラバマ州バーミングハム生まれ。10代から母親と共に公民権運動に参加する。1961年にブランダイズ大学で学んだ後に、パリ、ドイツに留学した。帰国後'68年に米国共産党に入党。'69年UCLA哲学科助教授となるが共産党員であることを理由に解任される。'70年に黒人運動団体ソルダット・ブラザース事件で逮捕されるが、国際的な支援運動が実り、無罪判決を得る。'80年に共産党から副大統領候補として出馬をしている。'85年には国連婦人の10年ナイロビ会議に出席した。
 アフリカ系アメリカ人への差別、その結果としての貧困が、この悲劇の背後にあったと暗示しているのかもしれません。でも麻薬には手を出してほしくなかった。ビリー・ホリデイがこう言っています。
 麻薬をやって、ジャズがうまくなるはずがない。もしそんなことをいう先輩がいたら、麻薬についてビリー・ホリデイ以上に、何を知っているかとききただしてみるといい。
 余談です。若きジャズマン菊池オサムの青春を描いた傑作漫画『BLOW UP !』(細野不二彦 小学館)第2巻session 3「DESERT MOONLIGHT」にリー・モーガンが登場します。彼が雇われているキャバレーを経営する暴力団の代貸・砂田が銃で撃たれて入院、その彼に菊池オサムがプレゼントしたのが「ザ・ランプローラー」です。砂田はハーモニカでよく「月の砂漠」を吹いていたからですね。また第2巻session 10最終話「EVERY TIME WE SAY GOOD-BYE (Take 2)」ではオサムの良きライバルである混血青年・油井大明(ts)が恋人に射殺されたる場面が出てきます。リー・モーガンの悲劇を意識したのかもしれません。
by sabasaba13 | 2018-01-10 06:29 | 映画 | Comments(0)

『ロダン』

c0051620_76150.jpg 『CODA』を「角川シネマ有楽町」で見たときに、『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』という映画のチラシが置いてありました。天才彫刻家オーギュスト・ロダンを描いた映画ですね。カミーユとは、カミーユ・クローデルのことでしょう。ロダンの高弟にして愛人、そしてロダンを凌駕する才能をもった彫刻家にして、彼との間のさまざまな確執を経て悲劇的な最期をとげた女性。「ウィキペディア」にはこうありました。
 この悩める時期に教え子のカミーユ・クローデルと出会い、この若き才能と魅力に夢中になった。だが優柔不断なロダンは、カミーユと妻ローズの間で絶えず揺れた。数年後ローズが病に倒れ、カミーユがローズと自分との選択を突付けるまで決断できなかった。ロダンはローズの元に逃げ帰り、ショックを受けたカミーユは以後、徐々に精神のバランスを欠き、ついには精神病院に入院、死ぬまでそこで過ごすことになる。
 これは面白そうな映画です。さっそく山ノ神を誘って東劇に見に行きました。都営地下鉄浅草線の東銀座駅でおりて地上へでると、すぐ目の前が歌舞伎座です。ここから東へ数分歩くと東劇に到着です。監督はジャック・ドワイヨン、公式サイトから、あらすじを引用します。
 1880年パリ。彫刻家オーギュスト・ロダンは40歳にしてようやく国から注文を受ける。そのとき制作したのが、後に《接吻》や《考える人》と並び彼の代表作となる《地獄の門》である。その頃、内妻ローズと暮らしていたオーギュストは、弟子入りを願う若いカミーユ・クローデルと出会う。
 才能溢れるカミーユに魅せられた彼は、すぐに彼女を自分の助手とし、そして愛人とした。その後10年に渡って、二人は情熱的に愛し合い、お互いを尊敬しつつも複雑な関係が続く。二人の関係が破局を迎えると、ロダンは創作活動にのめり込んでいく。感覚的欲望を呼び起こす彼の作品には賛否両論が巻き起こり…。
 この映画は二つの観点が貫かれています。ロダンの創造活動と、カミーユ・クローデルとの愛憎。「創った。愛した。それが人生だった」というサブタイトルが示す通りです。
 まずは何といっても、主役のヴァンサン・ランドンの演技には舌を巻きました。もちろんご本人にはお会いしたことはないのですが、風貌、仕草、言動、すべてがロダンに生き写しのように思えます。彫刻家の創作現場の様子もよくわかりました。そして、己の芸術に対する信念を枉げず、周囲の無理解に抗い、製作を続けるロダンの姿勢もよく描かれています。「カレーの市民」や「地獄の門」といったおなじみの名作も随所に登場します。そして圧巻は、「バルザック像」の製作過程です。箱根彫刻の森美術館のサイトから転記します。
 ロダンは文芸家協会から、小説家オノレ・ド・バルザック(1799-1850)の記念像の制作を依頼され、肖像写真をもとにして制作した。1898年のサロンにガウンをまとった石膏像を発表したが、これが雪だるま、溶岩、異教神などと言われ、「フランスが誇る偉大な作家を侮辱した」と、協会から作品の引き取りを拒否された。ロダンは石膏像を引き取り、終生外に出さなかった。彼の死後、1939年になってパリ市内に設置、除幕された。ガウンによって写実的なディテールが覆われ、大胆に要約された形態は、ロダンの作品の中でも最も現代に通じるものである。
 バルザックという巨大な作家の本質を表現するために、ビア樽のような腹とペニスを晒して腕を組む裸体像を造形するロダン。それに対する囂々たる非難と悪罵。苦悩しながらもとてつもない方法でクリアしますが、それは見てのお楽しみ。創作行為の現場に立ち会えたような、スリリングな場面でした。

 ロダンとカミーユの関係もうまく描かれていました。女性遍歴をくりかえしながらも妻ローズを愛おしむロダン。優柔不断な彼に苛立つ、誇り高い女性カミーユ。己の才能に自信をもつ彼女はロダンと別れて独立しますが、そこで待っていたのは女性差別でした。ただ女性というだけで作品が評価されない現実の前に、彼女は苦悩します。カミーユの作品、両手を伸ばして救いを求めるような「嘆願する女」を見て、顔色を曇らせるロダン。「彼女は脅威だ」という一言も重いですね。ロダンを悪者にして済ませるような単純な解釈ではなく、二人の関係の陰影をみごとに表現していました。

 味わい深く余韻の残る、良い映画でした。お薦めです。

 なお日本人モデルの花子が映画に登場します。パンフレットで知ったのですが、森?外に、彼女をモチーフにした『花子』という作品があるのですね。勉強になりました。
 また静岡県立美術館には、彼の作品を集めたロダン館があります。一見の価値あり。
by sabasaba13 | 2018-01-06 07:06 | 映画 | Comments(1)

『永遠のジャンゴ』

c0051620_20441571.jpg 坂本龍一を追いかけた映画『CODA』を「角川シネマ有楽町」で見たときに、『永遠のジャンゴ』という映画のチラシを見かけました。ジャンゴ? ギタリストの写真が載っているので、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトのことですね。その高名はよく耳にしますが、彼のことについてはよく知りません。ジャズ創成期にフランスで活躍したジャズマン、ジャズ・ギター奏法を確立したヴィトルオーソ。CDも一枚しか持っていません。チラシを読んでわかったのですが、彼はロマ(ジプシー)なのですね。そして火傷のため三本の指が使えないにもかかわらず、人差し指と中指だけでフレットを押さえて素晴らしい演奏をしたことも初めて知りました。
 そのジャンゴと、フランスを占領したナチス・ドイツとの関わりを描いた映画だそうです。そう、ナチスはユダヤ人だけではなく、ロマや同性愛者への苛烈な弾圧を行なったのですね。歴史学徒、そしてジャズ・ファンとしては見逃せません。さっそく山ノ神を誘って、新宿の武蔵野館へ見に行きました。監督はエチエンヌ・コマール、舞台は1943年、ナチス・ドイツ占領下のフランスです。森の中で音楽に興じていたロマたちをナチスが無慈悲に殺害する冒頭のシーンが、この映画のテーマを暗示しています。場面は変わってパリのミュージックホール、白熱の演奏で聴衆を熱狂させるジャンゴ・ラインハルト。しかし愛人ルイーズから、ナチスがロマを迫害しているという情報をもらい、彼はスイスへ亡命する決意をします。老母と身重の妻を連れてレマン湖畔の町へたどり着きますが、警戒が厳しく亡命のチャンスはなかなかやってきません。付近にいたロマたちとのつかの間のふれあいに心和ませますが、警察から公道の往来とキャンプを禁じる通達が出されるなど、迫害は激しさを増していきます。ジャンゴは食いぶちを稼ぐために素性を隠して地元のバーで演奏を始めますが、取締りにあいドイツ軍司令部に連行されてしまいます。そして近々催されるナチス官僚が集う晩餐会での演奏を命じられました。逡巡するジャンゴですが、レジスタンスの闘士から、ぜひ演奏してほしいと依頼されます。ドイツ軍の目を逸らして、負傷したイギリス人兵士を密かにスイスへ逃がすためです。ある決意をもって晩餐会に臨むジャンゴ。その結末は? そしてジャンゴはスイスへ逃げられるのか?

 いやあ面白い映画でした。まずジャズを演奏するシーンの素晴らしさ。ジャンゴの演奏を忠実にコピーしたローゼンバーグ・トリオの音楽も見事でしたが、何といっても主演のレダ・カテブが二本の指だけでフレットを押さえるジャンゴの奏法を完璧に再現していました。スイングしなけりゃ意味ないね(It Don't Mean A Thing)、と言わんばかりのノリノリの演奏シーンには身も心も(Body and Soul)陶酔しました。
 そしてロマの日々の暮らしや、彼ら/彼女らに対する人種主義的な偏見や侮蔑、そして差別と迫害も丹念に描かれています。印象に残ったのは、フランス警察による取調べのシーンです。まるで動物を扱うようにジャンゴの頭蓋骨の寸法を測定した取調官は、彼の動かない指を見て「指の障害は近親相姦による」と言い切ります。そういえば、白人至上主義のレイシスト、アルテュール・ド・ゴビノーはフランス人でしたね。ドレフュス事件もフランスだったし、そういう土壌があるのかもしれません。
 一番心に残ったのは、何といってもナチス官僚が集う晩餐会でジャンゴが演奏するシーンです。主宰者から「ブルースは弾くな、シンコペーションは使うな」と上品で当たりさわりのない演奏を強要されたジャンゴですが、その直前に足首に鈴を結びつけます。マーラーの交響曲第4番の冒頭で鈴が鳴り響きますが、指揮者の金聖響氏が『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)の中でこう言っておられました。
 …この鈴の音を、ポスト・モダンの哲学者でマーラー研究の音楽学者でもあるテオドール・アドルノは、「道化の鈴」と呼びました。「道化の鈴」とは道化師の帽子にいくつかぶら下がっている鈴のことで、これが冒頭に鳴らされるのは、「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」と、物語が始まるときの口上が述べられていることになります。(p.118~9)
 そうか、"道化の鈴"か。彼は「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」という思いを鈴に託したのかもしれません。単調で平板でお上品な気のない演奏をするジャンゴ、しかし演奏が進むにつれ「キング・オブ・スイング」の血が沸き立ち、スインギーなギターで聴衆を揺さぶっていきます。冷血そうなナチス将校の足が自然と揺れているのには思わず緩頬しました。
 そして興味深かったのは、フランスの官憲が、ナチス・ドイツに非常に協力的であったと描かれていることです。いくら占領下にあったとはいえ、あるいは傀儡政権(ヴィシー政権)のもとにあったとはいえ、心なしか自発的に協力したように見えます。これについては、『「戦後80年」はあるのか』(集英社新書)の中で、内田樹氏がこう述べられています。長文ですが引用します。
 歴史的事実をおさらいすると、1939年9月のドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスは翌1940年5月にはマジノ線を破られ、6月には独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直轄統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンを掲げた対独協力政府ができます。
 フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人迫害を行いました。フランス国内で捕えられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツやダッハウへ送られました。
 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。1944年6月に連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くにいた人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指しされて殺された。真実はわからない。(p.37~8)

 先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは1950年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面したとき、暴力的な弾圧を以て応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由、平等、友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。
 もしフランスで、終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、50年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。
 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力はすべて「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民は、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。(p.48~9)
 しかしこの映画はフランスで製作されたもの、自らの恥部を直視しようとする意図があるように思えます。「ヴィシーの否認」から脱け出そうという動きの一環なのかもしれません。こうした歴史の闇を白日のもとに晒すのも、映画の重要な役割ですね。『明治維新150年を考える』(集英社新書)の中で、行定勲氏がこう語られています。
 映画は闇に光を当てて、そこに何が映っているか、それを観るものです。一番重要なのは闇であって、そこに手を突っ込んで切り開いていかないといけない。(p.144)
 日本も「従軍慰安婦の否認」「南京大虐殺の否認」から脱け出さなければなりませんね。

 余談その一。ジャズ・ピアニストのジョン・ルイスが、オマージュとして「ジャンゴ」という曲をつくりました。MJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)の『ヨーロピアン・コンサート』で愛聴しています。
 余談その二。『マスター・キートン』(浦沢直樹・画 勝鹿北星・作 小学館)第5巻におさめられている「ハーメルンから来た男」「ハノーファーに来た男」「オルミュッツから来た男」が、ロマに対するナチスの迫害をテーマにしています。
by sabasaba13 | 2017-12-30 07:51 | 映画 | Comments(0)

『CODA』

c0051620_16122369.jpg 坂本龍一氏を追ったドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto:CODA』が上映されるという情報を得ました。それほど熱烈なリスナーではないのですが、映画『戦場のメリークリスマス』のサウンドトラックはよく聴きました。ちょうど就職して右往左往していた頃で、疲れ果てて家に帰り、缶ビールを飲みながらこの曲を聴き幾度癒されたことか。また最近では、六ケ所村核燃料再処理工場による放射能汚染に警告を発したり、反原発集会に参加してスピーチをしたりするなど、意欲的な政治行動に瞠目しています。ちょっと注目したい音楽家ですので、山ノ神を誘って「角川シネマ有楽町」に見に行くことにしました。監督はスティーブン・ノムラ・シブル氏です。

 プログラムによると、この映画をつくるきっかけについて、シブル監督はこう語っています。
 自分は東京で生まれ育ったんですが、ちょうど坂本さんがニューヨークに拠点を移した時期と同じ80年代後半に大学入学のためにニューヨークに引っ越ししたんですね。その後も、接点といえば、坂本さんがニューヨークでおこなったコンサートを見に行ったくらいだったんですけど、2012年にニューヨークの教会で開催された京都大学原子炉実験所助教(当時)の小出裕章さんの講演会に行った時、その客席に坂本さんの姿をお見かけしたんです。そこでの坂本さんの真剣なたたずまいに、自分はとても強い印象を受けたんですね。それで、坂本さんの活動全般を追った作品を作れないかと考えるようになって、共通の知人を通して、数日後にご本人にアプローチをしたんです。
 小出裕章氏といえば、専門家の立場から核(原子力)の危険性を追求され続けてきた方です。拙ブログでも、『DAYS JAPAN』への投稿『朝日新聞』の紹介記事、共著『原発・放射能』について紹介しました。その講演を真摯に聴く坂本氏の姿に心打たれたシブル監督によって、この映画はつくられたのですね。

 まず東日本大震災における被災地支援活動が映像で紹介されます。宮城県名取市では、津波によって水浸しとなったピアノの鍵盤を愛おしむように叩く姿が印象的でした。岩手県陸前高田市でのチャリティコンサートでは、坂本氏のピアノとジャケス・モレレンバウム氏のチェロとジュディ・カン氏によるバイオリンというトリオで、「戦場のメリークリスマス」を演奏します。ほんとうに素晴らしい曲ですね、思わず涙腺がゆるみました。そして防護服を着て福島第一原発を囲む帰還困難地域を訪れ、首相官邸前の原発再稼働反対デモに参加するなどの、積極的な社会活動に目を瞠ります。
 そして日々の作曲活動が紹介されます。身の回りにあるさまざまな音に耳をすまし、それを音楽へと昇華させようとする姿勢がうかがわれます。たとえば雨の音。最後にはバケツをかぶってそこにあたる雨の音にも興味を示しますが、このシーンがポスターとなっています。アフリカに行って民族音楽に触れ、なんと北極にまで行き、氷河の溶ける音にも耳を傾けています。彼の言です。
 我々、日々暮らしていれば音に囲まれているわけですが、普通は音楽として聴いていない。でも、よく聞くと音楽的にもおもしろいんですよ。そういうものも、自分の音楽の一部として取り込みたい。
 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の演奏など、若き日の映像も挿入されますが、今の彼との違いには驚きます。あふれるばかりの才能に自信を持ち、電子機器を自在に扱いながら、奔放に演奏するその姿を見ると「唯我独尊」という言葉が思い浮かびます。音楽を自分に奉仕させているというと言いすぎかな。
 その昔日の彼が、なぜ謙虚に音楽に取り組むようになったのか、そして社会活動に尽力するようになったのか。2001年9月11日、自宅近くのマンハッタンで目撃した、米同時多発テロが関わっていると、彼は語っています。テロ以降七日間、ニューヨークの街から音楽が消え、彼自身も音楽を聴かなかったそうです。あらためて、音楽は平和でないとできないと痛感したことが、社会活動への意欲的参加につながったのですね。それでは民族音楽をも含めた"自然な音"へ、なぜこだわりはじめたのか。ご本人は、アンドレイ・タルコフスキー監督作品のサウンドトラックに惹かれたと語っていますが、それだけではないように思えます。実は、たまたま読んでいた『家族進化論』(山極寿一 東京大学出版会)の中に、次のような一文がありました。
 しぐさとともに、音楽も人間が言葉以前に発達させたコミュニケーションである。音楽は仲間どうしのきずなを強め、一体化する気持ちを高めて協力行動をとるために大いに貢献した。現生人類がアフリカ大陸を出て季節変化の大きい環境へ進出できたのは、音楽による共感力の強化にあったのではないかと思われる。
 音楽のもつ共感力をもって、世界に住むさまざま人たちを結びつける。そのためにも、その音楽は、万人が受け入れられる自然の音を素材にしたものがよい。坂本氏はそう考えておられるのではないかと感じます。

 力まず、自然体で、音楽に向き合い、社会運動に参加するその姿に元気づけられた映画です。中でももっとも印象に残ったシーンがあります。ソロピアノで「LIFE」という曲を演奏する坂本氏、その背後の大きなスクリーンには、原子爆弾開発の中心となったJ・ロバート・オッペンハイマー博士のインタビューが映し出されます。アラモゴードでの原爆実験に成功したときの様子を語る、慄然とするようなインタビューです。私は『パクス・アメリカーナの五十年』(トマス・J・マコーミック 東京創元社)や『楽しい終末』(池澤夏樹 中公文庫)で知ったのですが、後者より引用します。
 われわれは爆風が通り過ぎるのを待って待避壕の外に出た。ひどく敬虔な雰囲気だった。世界が以前とは違うものになったのをわれわれは知っていた。笑っている者がおり、泣いている者がいた。大半の人々は黙っていた。わたしはヒンドゥーの古典バガヴァド・ギーターの一節を思い出した-義務を果たすべきだとヴィシュヌが王子を説得し、多くの手を持つ形に変身した上で言うのだ「今、わたしは死となる。世界の破壊者となる」。わたしは自分たちみんながそれぞれに同じようなことを考えていただろうと思う。(p.36)
 その映像が残されていたのですね。ユーチューブで見ることができます。真正面からこちらを見据え、まるで諦観したような、あるは人間の愚昧さをせせら笑うような、淡々とした話しぶりには肌に粟が生じます。この恐るべき映像に、鎮魂歌のような曲を重ね合わせた坂本氏の炯眼には脱帽しました。

 なお、2017年4月にニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで行われた、200人しか聴けなかった幻の限定ライブを収録した映画『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async』が、2018年1月27日に全国劇場公開されるとのことです。監督は、本作と同じスティーブン・ノムラ・シブル氏。これも楽しみですね。
by sabasaba13 | 2017-12-24 16:12 | 映画 | Comments(0)

『エルネスト』

c0051620_627195.jpg 先日、山ノ神と「ユナイテッドシネマとしまえん」で、映画『エルネスト』を見てきました。『週刊金曜日』の映画評で知ったもので、チェ・ゲバラのもとで戦った日系人を主人公とした映画だそうです。ゲバラを描いた映画、『チェ 28歳の革命』と『チェ 39歳別れの手紙』を見て、"人が人を搾取することは許せない"という彼の志にいたく感銘を受けました。その彼とともに戦った日系人がいたとは初耳です。これは楽しみですね。監督は阪本順治、主演はオダギリジョーです。

 公式サイトをもとに、私の文責でストーリーを紹介します。1959年7月24日、日本を訪問していたエルネスト・チェ・ゲバラ(ホワン・ミゲル・バレロ・アコスタ)らが急遽、広島へ向かいます。唯一。中国新聞社・森記者(永山絢斗)だけが取材に同行。ゲバラは、原爆ドームや原爆資料館などを訪れ、こう感想を述べるのでした。「君たちは、アメリカにこんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」と。
 それから数年後の1962年4月、ひとりの日系人青年、フレディ前村(オダギリジョー)が、祖国ボリビアのために医者になることを決意し、ハバナ大学の医学部にやってきました。1963年の元旦に憧れのゲバラが学校にやってきて、フレディと話します。「あなたの絶対的自信はどこから?」と訊くフレディに対してゲバラはこう答えました。「自信とかではなく怒っているんだ、いつも。怒りは、憎しみとは違う。憎しみから始まる戦いは勝てない」。そんな矢先、母国ボリビアで軍事クーデターが起こり、フレディは『革命支援隊』に加わることを決意します。ある日、司令官室に呼ばれたフレディは、ゲバラから戦地での戦士ネームである"エルネスト・メディコ(医者)"という名を授けられ、ボリビアでの戦いへと向かうのでした。

 ほんとうに真面目でまっすぐな映画でした。貧しい人びとのために医学への道を志し、さらには搾取や暴力や貧困をなくすために革命への道を突き進む、愚直なまでに一途なフレディ前村を、オダギリジョーが熱演しています。なかでも心に残ったのが、「見果てぬ夢を見て何が悪い」というセリフです。そういえば、夢を見ること、夢を語ることが、私たちの社会では縁遠くなったような気がします。話題といえば"今だけ、金だけ、自分だけ"、スマホとコンビニとユニクロがあればとりあえず満足といった風潮をそこはかとなく感じます。こういう時代であればこそ、フレディのように、より真っ当な社会をつくろうという夢を臆せずに見たいものです。夢は見ていいんだという勇気を分けてくれた映画でした。そういえば、ゲバラもこう言っていましたっけ。
 もしわれわれが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう、そのとおりだ、と。
 もうひとつ印象的だったのが、広島の平和記念公園と原爆病院を訪れたゲバラの真摯な表情です。映画が進行するにつれ、当時のキューバではアメリカによる核攻撃の可能性を視野に入れていたことがわかりました。核兵器の威力と後遺症を医者の目で冷徹に分析するとともに、この非人道的な兵器と、それを利用してエゴイスティックに権益を追及する超大国への怒りを覚えたことと思います。怒りから始まる戦いは勝てる。核兵器禁止条約に反対する日本政府に怒りましょう。
by sabasaba13 | 2017-11-11 06:28 | 映画 | Comments(0)