1 ![]() 映画は我を忘れさせ、演劇は我を振り返らせる。そう、自分を振り返るために、自分は何者であるかを知るために、できるだけ劇場に足を運ぼうとしています。ただ己の怠慢ゆえか、なかなか良い劇の情報が手に入りません。某日、私が信頼するメディア、『週刊金曜日』と『しんぶん赤旗』でほぼ同時に『銀杯 The Silver Tassie』という、アイルランドの劇作家ショーン・オケイシー原作による反戦劇を紹介していました。うん、これは面白そう、さっそく山ノ神を誘って世田谷パブリックシアターに見に行きました。ちなみに、演出は森新太郎氏です。 時は第一次世界大戦、場所はアイルランドの首都ダブリンです。第一幕はダブリンにあるフットボール選手ハリー・ヒーガン(中山優馬)の家が舞台。軍からの短い休暇をもらって帰郷していたハリーは、中心選手として活躍し銀杯(優勝カップ)を手にします。恋人のジェシー(安田聖愛)や仲間から祝福を受ける彼ですが、戦地に戻る船の出航時間が迫っています。不安気に彼を見送る母親のヒーガン夫人(三田和代)の姿が印象的でした。 第二幕は、フランスのどこかにある戦場が舞台ですが、この幕の演出には舌を巻きました。戦争の悲惨さや不条理をリアリズムで描くのは無理だと森氏は判断したのでしょう、人形を使っての秀逸な演出でした。生身の人間より少し大きめのグロテスクかつユーモラスな兵士の人形を、文楽のように自在に操って、戦争のおぞましさと愚劣さを見事に表現していました。そうか、戦場においては兵士は名前のない人形にすぎないという冷厳なる事実の隠喩なのかもしれません。自らは死地には赴かずに偉そうに兵士を督励してまわる上級将校の無責任さも笑い飛ばされていました。そうそう、初演時のものと国広和毅氏作曲による劇中歌も効果的に使われていました。例えば… ♪けど、何で俺らはここにいる♪第三幕は、ダブリンにある病院の一室。ハリー・ヒーガンは戦傷によって下半身不随となり、車椅子に頼るようになります。そして恋人のジェシーが親友のバーニー(矢田悠祐)と恋仲であることを知り、衝撃を受けます。 第四幕は、ハリーが所属していたフットボール・クラブのパーティ会場。まるで戦争などなかったかのように踊り、飲み、騒ぐ人びと。その輪の中にジェシーとバーニーもいます。そこに車椅子でやってきたハリー、幸せそうな二人を追い回します。居場所もなく深い疎外感に苛まれるハリー… うーむ、考えさせられますね。戦争によって傷ついた人に救いの手をさしのべたい。しかし、知らず知らずのうちに、日々の暮らしに流されて、彼らがいないかのように振る舞う人びと。他人事ではありません。今、福島で起きていることを思い起こしました。 なお購入したプログラムに、この劇の時代背景に関する小関隆氏の興味深い解説がありました。第一次世界大戦時、アイルランドはイギリスに併合されていました。この大戦にアイルランドが多くの志願兵を輩出して貢献すれば、戦後の自治が確かなものになると考えた方も多かったそうです。しかし自治ではなく、武力による独立を求めて、1916年にイースター蜂起が勃発しました。これは強硬に鎮圧されましたが、以後、アイルランド世論は反戦・反イギリスへと傾き、イギリス軍に加わった者たちへ敵意が向けられるようになります。復員した後には仕事を見つけることにも人間関係を再建することにも苦労し、時には暴力を加えられさえしたそうです。そうした時代背景を知ると、ハリーの孤独がより身に沁みてきます。 なおこの蜂起に関しては、『マイケル・コリンズ』という素晴らしい映画があります。 ▲
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| 2018-12-18 06:22
| 演劇
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![]() この虐殺の重大性について教示してくれたのが加藤直樹氏の『九月、東京の路上で』(ころから)という一冊です。氏によると、そのきっかとなったのが、東京・新大久保などで「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などによるデモです。カタログハウスのインタビューから引用します。 たぶん「朝鮮人を殺せ」という集団が現れて、街中を堂々と練り歩くというのは、関東大震災以降で初めて起こったことです。そして、関東大震災のときにはその「殺せ」が実行されてしまったわけで……単なる過去としてではなく今を考えるためのきっかけとして、関東大震災の記憶を共有することが絶対に必要なんじゃないかと思いました。それで、反対行動に一緒に参加していた友人たちと相談して、朝鮮人虐殺に関する記録を綴るブログをはじめたんです。そのブログをまとめたのが本書です。その本にインスパイアされた坂手洋二氏が劇化・演出し、彼が主催する「燐光群」が上演するというニュースを知りました。そのいきさつについて、坂手氏はパンフレットの中でこう述べられています。 そしてそれ以上に、災害事故ではない、差別が暴力として爆発した「朝鮮人の虐殺」という、厳然たる歴史上の事実に、戦慄した。今回の企画のために資料を集めても、なかなかその全貌がつかめない。多くの証拠は隠滅されている。そして今も、やはり隠されている。この社会から隠そうとする者たちの意志を、感じる。山ノ神が所用で忙しいので、一人で東京都世田谷区下北沢にある「ザ・スズナリ」に行きました。目の前がすぐ舞台という小さな劇場ですが、嬉しいことにほぼ満席。得も言われぬ熱気が伝わってきました。 劇は、東京都世田谷区にある烏山神社に、『九月、東京の路上で』を持参した13人の男女が集まる場面から始まります。彼ら/彼女らは2020年東京オリンピックに向けて町おこしを計画している方々で、この神社には虐殺された朝鮮人13人を慰霊するために13本(※12本?)の椎の木が植樹されたという話を知り、これを町おこしに使えないかと考えます。(現存するのは4本) しかし本を読む進めると、この椎の木は慰霊のためではなく、虐殺に関与して起訴された地元民12人が釈放された際に、彼らを顕彰するために植えられたのではないか、ということが分かってきます。なおこの事件の詳細については、拙ブログの当該記事をご覧ください。また歌手の中川五郎氏が、この事件を題材として「トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース」という曲を作り歌われています。 そしてここから時空は95年前に遡り、本で綴られたさまざまな虐殺事件の様相を、13人の役者が入れ代わり演じ、再現していきます。いずれもいろいろな研究書を読み、知っていた事件ですが、生身の人間が眼前で迫真の演技で再現してくれたために、まるでその場に居合わせたような錯覚すら覚えました。虐殺事件のおぞましさ・卑劣さ・下劣さをあらためて体感することができたと同時に、もしその場に自分が居合わせたらどうするだろう、という問いかけも沸き起こりました。一緒に暴行を加えてなぶり殺すか、傍観するか、体を張って制止するか、足早にその場を立ち去るか。正直に言って…わかりません。もちろん制止するのが人間としての義務だと思いますが、そうしたらどうなるか。肌に粟が生じます。 そして時空は現在へと戻り、13人が烏山神社を再訪すると、4本の椎の木は伐採されて金網がまわりを囲っています。彼ら/彼女らが金網の中に入り訝しんでいると、突然レイシストの大集団が13人を取り巻いたことが大音声で表現されます。と同時に、役者たちによって金網が動かされ観客席を囲み、観客も同じ立場に置かれます。暴走するレイシストの恐怖を感じさせてくれる演出でしたが、もう一工夫した外連味のある演出でもいいのでは。当時の朝鮮の方々が感じたそれの何分の一でもいいから、顔面蒼白となるような真の恐怖を味あわせてほしかったと思います。 熱のこもった、そして真摯な芝居でした。機会があったらぜひ多くの人に見ていただき、かつて東京などで起きた凄惨な事件を知ってほしいと思います。そしてこの事件に対して、私たちはきちんと向き合い清算をしていないことも。パンフレットにあった「ここはほんとうに、オリンピックにふさわしい場所なのか」という言葉を噛み締めながら。 なお東京新聞(18.8.2)によると、小池百合子都知事は朝鮮人追悼文の送付を今年も控えるそうです。 東京都の小池百合子知事は一日、知事就任から二年の節目となる二日を前に本紙の単独インタビューに応じた。毎年九月に都内で営まれる関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式で、歴代知事が送ってきた追悼文の送付を昨年取りやめた問題で、今年も送付しないと明言した。追悼文送付を求めて署名を集めている市民団体は近く、小池氏に面会を要請して署名を手渡し、再考を訴えたいと希望している。追記です。当時の日本人がなぜ朝鮮人に対して、強烈な差別意識を持ったのか。その理由の一つとして、中野敏男氏が『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(NHKブックス1191)の中で、次のように述べられています。長文ですが、引用します。 それにより見えてきたことは、植民地帝国=日本の拡大という時代状況であり、またその趨勢に乗りながら自ら植民地主義を担って日本の外に移動していく民衆の姿でした。日本国家として対外的な拡張という前途が開かれているこの時代の中で、それに加担して移動する個々の民衆の心情は、一方でそこに開かれた経済的・社会的なチャンスをものにしようという渇望と野心に満ちていたのでしたが、他方ではもちろん異郷に向かう大きな不安に苛まれるものでもあったでしょう。このような植民地拡張の時代に、人々は「さすらひの唄」や「流浪の旅」にその不安な心情を仮託して歌い、郷愁をかき立てる詩歌曲の抒情に慰めを求めていたのです。しかしそこにわだかまる不安は、やがて立ちふさがる他者への不信や敵意につながり、この他者への蔑視や偏見を生み出し、それがまた倒錯した被害者意識にも結びついて、その極限では攻撃的な暴力として爆発していく。そんな事態がまさに現実のものになっているという意味で、関東大震災に襲われたその頃は、植民地主義への参与が民衆の心情を大きく揺り動かす時代に入っていたということです。 ▲
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| 2018-08-31 06:54
| 演劇
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![]() さっそくチケットを購入して、山ノ神と一緒に彩の国さいたま芸術劇場へ行ってきました。JR埼京線与野本町駅から、カンカン照りの酷暑の中を喪家の狗のようになりながら十分ほど歩いて到着。ぜいぜい。山ノ神は何度もここに観劇に来ており、一昨年逝去された演出家の蜷川幸雄氏が芸術監督を務めていたと教えてくれました。なお役者の方々が所属する「さいたまネクスト・シアター?」も次代を担う若手の育成を目的として2009年に故蜷川幸雄氏が立ち上げ、以降公演を通した実践的な俳優育成を行っている若手演劇集団です。きっと蜷川氏の罵声と怒号に鍛え上げられた若き役者たち、素晴らしい演技を期待します。 会場は、「NINAGAWA STUDIO」という愛称が付けられた大稽古場、殺伐とした粗削りな雰囲気がこの芝居にマッチしそうです。席は一番上、後ろの壁との間に隙間があって、覗き込むとまるで奈落です。これも登場人物の心象風景を予感させてくれました。 まずはパンフレットから、あらすじを引用します。 ベルギーのブリュッセルに住む移民2世の若者、ベン、レダ、イスマエル。3人は「ジハード(聖戦)」に参加するため、内戦の続くシリアに旅立とうとしている。ベルギー社会とイスラム教コミュニティのはざまで、自分の愛するものを禁じられ、行き場のない思いを抱える彼らは「ここではないどこか」を求めていた。彼らは戦場で何を見つけるのか、そして愛と情熱の行方とは─。冒頭、イスマエル役の堀源起が語るモノローグの中で、「ジハード(聖戦)とは、より良い社会をつくるための格闘だ」という言葉が心に残りました。ジハード=自爆テロという私たちが抱えがちな偏見や予断を解きほぐすような一言です。ムスリムだって、キリスト教徒だって、仏教徒だって、無神論者だって、より良い社会を求めているだけなんだと信じたくなりますね。 物語は、アラブ人移民二世青年三人組が、シリアでのジハードに参加するための資金づくりに四苦八苦する場面から始まります。漫画を描くのが趣味のイスマエル(堀源起)、信仰心が篤くエルビス・プレスリーが大好きなベン(竪山隼太)、信仰心が薄くキリスト教徒の白人女性と交際しているレダ(小久保寿人)。ベルギー社会で受ける差別に苛立つ一方、シリア内戦での悲惨な被害者たちへの同情心からシリアへ赴こうとする三人です。『9・11後の現代史』(講談社現代新書2459)の中で、酒井啓子氏がこう的確に述べられています。 ヨーロッパ社会から疎外され、ドロップアウトしたイスラーム系移民二世が、「ひとかどの人物」になれる機会かもしれないと期待して合流したのが、ISだったのだろう。ISに限らない。後に触れるアルカーイダもまた、欧米在住のイスラーム教徒に対して、似たような勧誘を行っていた。そしてそうしたイスラーム系ヨーロッパ人の多くが、連日報道されるシリア内戦での被害者の無惨な姿を見、アサド政権やシリアを空爆する欧米諸国に一矢報いてやりたいと考えて、シリアに馳せ参じたのである。(p.40)なおこのあたりまではコミカルなタッチで笑いが絶えず、特にレダのボケとイスマエルのツッコミは抱腹絶倒でした。ブリュッセルから空路イスタンブールへ、そしてアレッポ、ダマスカスへと到着した三人ですが、そこは大義も正義もない殺戮の場でした。その恐怖と緊張と絶望を、三人は迫真の演技で表現しています。やがてベンは狙撃されて殺され、イスマエルとレダは自分たちの居場所はやはりブリュッセルしかないと帰国を決意しますが、そのレダもドローンによって殺されてしまいます。このレダは実に愛すべきキャラクターで、明るくて軽くて良い加減で優しく、こんな友人がいたらなあとすっかり感情移入していました。その彼が、遠隔操作で動く機械により匿名の加害者によって殺害される。劇とはいえ、激しい怒りを覚えました。実際に、友人や家族や恋人をドローンに殺されたら、どのような憤怒を感じるでしょう。絶対に殺されない安全な場所でぬくぬくとしながら、ドローンを操作してゲームの如く他者を殺害する卑劣な行為。テロリズムを生む温床の一つでしょう。 一人ブリュッセルに帰ったイスマエルは職業安定所へ行きますが、ジハードに参加したムスリムということで「ここはあなたが来る所ではない」と言い放たれてしまいます。職がないことは殺されるも同然、緩慢なる恐怖、そう失業もテロリズムなのですね。絶望したイスマエルは胸をはだけて体に巻き付けたダイナマイトを見せ、起爆装置に手に掛けますが押すことに躊躇します。すると死んだベンが現われて自爆を促し、レダも現れて思い留まるよう説得します。彼は… いやあ素晴らしい劇でした。最後尾の席ということもあって、思わずスタンディング・オベーションをしてしまいました。ブラービ! 演出された瀬戸山美咲氏が、パンフレットの中でこう語られています。 『ジハード -Djihad-』は、イスマエル・サイディさんが「今、自分たちがやらなければならない」という強い意志を持って生み出した作品です。その熱は広がり、ヨーロッパでは30万人以上の人がこの舞台を観ました。その中には、移民やイスラム教徒に対して偏見を抱いていた人もいたかもしれません。テロ組織に参加しようとしていた人もいたかもしれません。この作品を観たことで彼らの意識は少しだけ変わったかもしれません。「演劇に世界は変えられるか」という問いはよく掲げられますが、この作品は実際に世界を変え始めています。漫画やプレスリーの好きなありふれた若者が、差別によって居場所を奪われ自己実現の道を阻まれ、テロや暴力へと追いこまれていく。犠牲やリスクを少数者や弱者に押し付けて、多数者や強者が安穏に暮らす、そうした構造的な差別がなくならない限り、世界から暴力はなくならないのでしょうか。大きな視点から言うと、下記の状況だと思います。『9・11事件の省察 偽りの反テロ戦争とつくられる戦争構造』(木村朗編 凱風社)から引用します。 世界自然保護基金(WWF)がエコロジカル・フットプリント分析(環境負荷や資源消費を面積に換算する手法)を用いて試算した「生きている地球レポート(Living Planet Report)」によると、世界中が「大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄」の「アメリカ式生活様式(American Way of Life)」を採用するならば、「五・三個の地球」が必要になるという。世界中が日本並みの消費をすると「二・四個の地球」が必要になるという。しかし、地球は一個しかない。「先進国(特に米国)の現存世代が第三世界と将来世代と自然界を犠牲にして豊かさを享受する石油文明」という構造的暴力を維持するために、戦争が必要」なのであろう。(p.178~9)そして"より良い社会をつくるための格闘"にどうやって加わるかについても考えさせられました。まずは私たちの身の回りにあふれている「差別」について関心を持ち、憤り、そうした状況を放置・黙認している政党の候補者にはびた一票投じないことでしょう。 例えば沖縄。 ガリコ美恵子さんインタビュー 日本はパレスチナ弾圧の"共犯"になるのか例えば福島。ぜひ『地図から消される街』(青木美希 講談社現代新書2472)をご一読ください。 そして日本に逃れてきたクルド人の方々。 日本に暮らすクルド人 法の外で生きる フェデリコ・ボレッラまず知ることから始めましょう。 劇場から出る時に、故蜷川幸雄氏のメモリアルプレートがあり、次の言葉が刻まれていました。 最後まで、枯れずに、過剰で、創造する仕事に冒険的に挑む、疾走するジジイであり続けたい。 ▲
by sabasaba13
| 2018-08-27 06:46
| 演劇
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![]() 作・中津川章仁、演出・松本祐子、まずは公式サイトから、あらすじを引用します。 東京の旅行代理店に勤める片岡誠也の元に、一本の電話が入る。代理店で企画している沖縄ツアーの実態について話を聞きたいという観光庁の秋本からの連絡だった。同僚・新城紗緒理が手がけるこの沖縄ツアーは即座に満員となり、定員を増やす騒ぎになっていた。しかし片岡は、紗緒理には純粋な観光ツアーではなく別な思惑があるのではと気にしていた。「沖縄の人間は基本的に基地に反対しているからなあー」と振ってみるのだが、「反対している人だけでなく、賛成している人も、無関心派も大勢いますよ」と取り合わない紗緒理…。東京生まれで東京育ちの片岡誠也、沖縄生まれで沖縄育ちの紗緒理の父(兄?)・新城芳郎、二人の出会いでやがて意外な事実が明らかになっていく…。沖縄に対して無知・無関心な都会の若者が、沖縄の現実に触れて変容していくという筋立てが斬新です。実は紗緒理が兄・芳郎と共に立案したこの「オール沖縄ツアー」は、フリータイムの時に、辺野古と高江における反基地運動に参加できるようになっていたのですね。何者かがそれを観光庁にリークし、慌てた観光庁が旅行代理店に中止の圧力をかけてくる。自由なのだから何をしてもよいと思うのですが、このあたりに政権の意図を忖度して非公式な圧力を市民にかける官僚の卑小さがよく描かれています。沖縄のことが気になりはじめた誠也は、友人の雑誌記者に誘われて訪沖し、沖縄の現実を見聞するとともにその観方が変わっていきます。この時に出会った知念晶男という人物が心に残りました。本心では米軍基地に反対なのですが、生活苦のためかつては機動隊員として運動を弾圧し、今では日雇い労働者として高江ヘリパッド建設に従事しています。金のために故郷や仲間を裏切った男の苦渋と自責と含羞を、星野真広が見事に演じ切っていました。まるで一人の生身の男と化した沖縄が、私たちヤマトンチュを見据えて「何も思わないのか、何も感じないのか」と詰問しているようです。これが演劇の醍醐味と凄みですね。 実はこの晶男が、ツァーを中止に追い込むため、観光庁にリークした人物だったのです。反基地運動で挫折して東京を放浪していた高校の恩師・島袋孝雄(佐々木梅治)がこのツァーに参加することを知り、それをやめさせるための手段でした。東京で晶男に会った時に孝雄が発した、「何で沖縄だけがこんな目にあうんだ」という慟哭も忘れられません。 結局ツァーは成立し、主人公・誠也の意識も変化し、めでたしめでたし。と思いきや最後に凄まじい戦闘機の爆音が轟き、幕となりました。「沖縄で、いま、何が起きているのかを忘れるな」という演出家のメッセージでしょうか。 素晴らしい劇でした。とくに前述した知念晶男の姿によって、沖縄が押しつけられている差別や困難をリアルに体感することができたのが大きな収穫です。演出家の松本祐子はパンフレットの中で、次のように述べられています。 2015年のある日、東演のプロデューサー横川氏から中津留章仁さんに沖縄問題について書下ろしをしてもらうから演出してくれないかと言われた時、正直困ったことになったなと思ってしまった。どの面下げて私のようなものが沖縄を語れるというのだろう。1609年から現在に至るまで、本土がかの地で身勝手に振り廻してきた事々の堆積はすさまじく、特に戦後の矛盾を沖縄に押し付けている結果は進行形で人々を苦しめている…そういう表向きの情報はある程度学習すれば得られるのだが、そんなものは当事者からしたら「ふざけるな」といいたくなるような無責任なものなのだ。虐げられている少数派の人びとのことを知ろうとせず、考えようとしない、そうした知的怠惰があの禍々しい政権を延命させ、そしてこの国を底なしの無恥にひきずりこんだことを痛感します。 最後に、知念晶男の苦渋を理解するための見事な論考がありますので、『無意識の植民地主義』(野村浩也 御茶の水書房)から長文ですが引用します。 沖縄人の土地を暴力で強奪することによって建設が強行された米軍基地。それは、そこで農民として暮らしていた沖縄人から、生きる糧も住いもすべて奪いつくした。どうやって生きていけばよいのか。途方に暮れた沖縄人に米軍があてがったもののひとつ。それは、なんと、奪われた土地を軍事基地に変える仕事に従事させることであった。土地を強奪された者が、強奪した者のために、生命の糧を恵んでくれるはずの自分の土地を、みずからの手で、生命を奪う軍事基地に変えなければならない屈辱。土地を強奪された沖縄人のなかには、生きるために、そうするしかなかったひとも多い。生きるために、基地ではたらくしかなかったひとは多い。そして米軍人は、沖縄人が抵抗しようものなら、「首を切るぞ!」と脅かした。沖縄人は恐怖に震えた。職を奪われたら生きていけない。生命の糧を恵んでくれる自分の土地はもうないのだから。職を奪われることは、殺されるのも同然なのだ。よって、生きるためには、米軍という植民者に従うほかなかった。土地どろぼうに従うほかなかったのだ。そう、私たちがいま直面しているのもこのテロリズムです。 ▲
by sabasaba13
| 2018-07-27 06:29
| 演劇
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![]() 劇場やホールに行くときは、その近くで美味しい料理に舌鼓を打つのが無上の喜びです。今回は初台ですので、東京オペラシティ53階にある「つな八」で天ぷらをいただきました。暮れなずむ東京を眼下に眺めながら、キスと小エビ、フキノトウ・新玉ねぎ・タラの芽、稚鮎と蛤、かき揚げのお茶漬けを堪能。 そして新国立劇場の小劇場へ、ここは初めて訪れました。場末の芝居小屋の雰囲気をそこはかとなく感じさせる、なかなか良い雰囲気です。舞台装置は、刑務所の中庭とそこに面した牢獄の六つの扉、その上方に据え付けられた絞首台がこれからのドラマを雄弁に物語っています。 まずはプログラムからあらすじを転記します。 1947年夏、シンガポール、チャンギ刑務所。購入したパンフレットを参考にしながら、この劇の背景を確認しましょう。大本営は、インパール作戦の物資輸送のためタイ・ビルマ間に泰緬鉄道を建設しました。日本軍は、ジャングルや乏しい食糧・医薬品という悪条件のなか、わずか1年余りで415キロの鉄道を突貫工事で完成させたのです。その際に、現地人のほか、英豪の連合軍捕虜延べ6万人を過酷な強制労働に駆り立てて、多くの犠牲者を出すという極めて非人道的な事業でした。この捕虜の監視にあたった軍属が、上官の命令により捕虜を虐待して強制労働を強いたのですが、戦後、それが連合国の憎悪を買いBC級戦犯として起訴されることになりました。上官の命令に服従しただけなのに、責任を肩代わりさせられ、場合によっては死刑にされるという不条理。しかも監視員には、植民地とされていた朝鮮・台湾の若者も含まれており、彼らが日本人戦犯として処罰されるというさらなる不条理も存在します。 そうした不条理で理不尽な死がいつ訪れるかわからないという状況のなか、六人の人間がそれぞれの性格や立場に応じてさまざまな行動をとります。陽気に騒ぐ朴南星と黒田、故郷の母を思って悲しみにくれる李文平、日本人への怒りをぶちまける金春吉、泰緬鉄道の駅を思い出しながら監獄の壁に描き続ける小西。しかし理不尽な死をまぎらわすかのように遊び、歌い、踊り、互いをからかい、時には恐怖と絶望にうちひしがれる。俳優のみなさんの陰影のある、ダイナミックな演技には瞠目しました。 印象的なのが、この五人から距離をとって孤立している山形、捕虜虐待を命じた上官です。彼を登場人物としたことで、劇に厚みが増したと思います。上官に命じられた捕虜虐待、それではその上官に責任があるのか。いや、彼も上官に命じられたのでしょう。この責任の連鎖をたどっていくと、大本営、さらには昭和天皇に行き着きます。しかし「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」(大日本帝国憲法第3条)、天皇の責任を問うことはできません。責任の所在がはっきりとせず、結局立場の弱い末端がその肩代わりをさせられる、大日本帝国の病理を暗示しているようです。山形は黙して語らず、その内心はわかりませんが、母国にいる家族への思いが伝わってくるシーンが挿入されています。 そしてこの六人に共通しているのは、いつ訪れるかわからない理不尽な死を前にして、とにかく「生きたい」という強烈な意思です。結局、三人の死刑が執行されるのですが、池内博之氏演じる朴南星が死ぬ直前に絞り出すように呻く「生きてえ、生きてえなあ」という台詞がいまだに耳朶に残ります。 もう一人は釈放され、黒田と李文平が監獄に取り残されます。死刑執行を待つ二人が、スコールを浴びながら、今生きている喜びをかみしめる最後の場面も印象的でした。 パンフレットには、作・演出の鄭義信氏と芸術監督の宮田慶子氏の対談が掲載されていましたが、次のようなお話がありました。 [宮田] 戦後70年を過ぎると当時20歳の方が今93歳ですからね。その子どもの世代が70代前後。語り継がないと何も分からなくなります。分からないと興味ももたなくなる。歴史として残したいのではなく、生きていた証として、演劇で義信さんが残してくださることはとても大事なこと。演劇というのはやはり人間です。人間を基点にして物事を考えることがすべてに通じると思います。演劇のよさはそこですね。大日本帝国と連合国という強大な権力によって翻弄され、無残な死を強いられた朝鮮人BC級戦犯。その人間の悲劇を、生身の演技で再現し、彼らが生きていた証として体感させてくれた鄭義信氏に感謝したいと思います。 ひとつ付言しておきたいのは、1952年に日本が独立を回復した時、鮮人らは一方的に日本国籍を剥奪され、朝鮮人軍人・軍属は軍人恩給などの支給がなされません。他方、朝鮮人戦犯は刑が科せられた時点で日本人だったからということで刑の執行は継続されます。朝鮮人を弊履の如く使い捨てた大日本帝国のおぞましさを痛感します。『普遍の再生』(岩波書店)の中で、井上達夫氏はこう述べられています。 石田雄が指摘するように、1953年の軍人恩給復活以来、50年代から60年代にかけて教育二法制定、教科書検定、天皇が日本の戦死者を悼む言葉を述べる国家行事としての全国戦没者追悼式の恒例化、戦没者を含む叙勲制度の復活等を通じて、冷戦下の逆コース的ナショナリズム復活の動きに即応した「記憶の共同体」の再建が推し進められた。「これまでの国内における軍人を中心とした犠牲者に対する援護費が40兆円におよぶ〔中略〕にもかかわらず、2000万人にもおよぶ死者を出したともいわれるアジア諸国に対して支払った賠償およびそれに準ずるものが(在外資産の喪失額を加算して)1兆円であるという著しい不均衡」の事実に示されるように、戦後日本の「正史」は侵略者である「自国の死者」を「見殺し」にするどころか、手厚く国家的に追悼し顕彰すると同時に、彼らの遺族に膨大な物質的補償も与えてきたのである。この「正史」が「見殺し」にしてきたのはむしろ、未だ十分に償われぬ膨大な数のアジア諸国の犠牲者であり、侵略に加担させられて戦死したりBC級戦犯として処刑されたりしながら、追悼と補償の対象から戦後長く排除されてきた台湾・朝鮮の旧植民地の死者たちであった。そしていまだにこの問題の解決に尽力しない、日本国および日本国民のおぞましさも。『週刊金曜日』(№1180 18.4.13)に、「外国籍元BC級戦犯者問題 解決求める最優先課題だ」という記事は掲載されていたので転記します。 4月3日、外国籍元BC級戦犯者問題解決の立法実現を今国会で求める集会が衆議院議員会館で開催され、韓国人元BC級戦犯の李鶴来(イ・ハンネ)さん(93歳)や遺族、与野党国会議員等が約50人が集まった。それにしても、俳優志望の朴南星が、劇中で演じるのが、なぜシェイクスピアの『マクベス』なのでしょう。ウィキペディアによると、勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行ない、貴族や王子らの復讐に倒れるという劇です。策謀と暴力によってアジアの僭主となった日本が、さまざまな重圧によって錯乱し暴政を行ない、連合国によって倒された。そのメタファーなのかな。 ▲
by sabasaba13
| 2018-04-21 06:27
| 演劇
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![]() まずはチラシから、あらすじについて引用します。 1923年―関東大震災。その翌年の初めから物語は始まる。今年は明治維新150年、行政による手放し礼賛キャンペーンが渦巻きそうで気鬱になりますが、ひとつの節目として、日本の近代とは何だったのか自分なりに振りかえってみたいと考えていたところです。その約三分の二にあたる約100年を、ある家族の歴史を通してつづる、興味深い作品です。これは愉しみ。 六本木に着いて劇場に入り、開演を待っていると、時を刻む時計の音が静かに流されていました。"時"が、この劇における重要なモチーフであることを暗示しているのでしょう。 関東大震災の翌年にあたる1924(大正13)年の元日、朝鮮人父娘が川越に住む医師・岡崎一家を訪れ、大きな柱時計をプレゼントします。前年に起きた大震災の時に吹き荒れた朝鮮人虐殺の最中に、多くの朝鮮人を匿ってくれたことへのお礼です。この時計を擬人化して役者(小笠原良知)が演じ、以後約100年にわたってこの家族を見守るという演出、上手いですね。その後、軍国主義に雪崩れていった日本は、満州事変・日中戦争へと突入していきます。やんちゃ坊主だった岡崎家の息子・勝(芦田崇)が冷酷な軍人となって、重慶への無差別爆撃を誇らしげに語る場面が印象的でした。時は人間をこうも変えてしまうのですね。そして時は、日本本土への無差別爆撃という結果も招来します。因果は巡る… やがて太平洋戦争、敗戦、シベリア抑留、戦後復興、東日本大震災と原発事故と時代が移り行くなかで、岡崎家と隣りの田宮家の人びとは、死・生・恋愛・別れとともに健気に生きて行きます。中でも、シベリア抑留によって精神に異常をきたした田宮肇(河原崎次郎)、日本を美化する祖母・岡崎静(川口敦子)に抗して、父・勝の戦争犯罪を告発する孫・清(芦田崇)、福島原発事故によって甲状腺ガンになり、その手術の傷痕をマフラーで隠す少女(飯見沙織)といったエピソードが心に残りました。こうしてみると、この劇のモチーフは、時に加えて、国家であるのかもしれません。国家に翻弄されながらも、互いに思いやりながら懸命に生きる人びと。さて、時はどちらの味方なのでしょう。国家か、はたまた人か。 最後の場面は2021年。そう、東京オリンピックの翌年、そしておそらく憲法改正/改悪の是非が私たちに問われてその結果が出ている頃でしょう。その時に、日本はどうなっているのか。いや、私たちは、そして国家はどんな日本にするつもりなのか。劇中人物が演じたように、他者を"憶ふ"心を忘れずにいれば、その答えは自ずと出てくるような気がします。そもそもこの柱時計は、朝鮮人が日本人を憶って贈ったものでした。 いろいろと考えさせられ、そして楽しめた、すばらしい公演でした。生身の人間が、眼前でリアルタイムに人間を演じる演劇を見る喜びを伝えてくれた俳優座のみなさんに感謝します。これからは足繁く、さまざまな劇場に通いたいと思います。 なおタイトルの「いつもいつも君を憶ふ」は、与謝野晶子の「賀川豐彦さん」という詩からつけられています。とても素敵な詩ですので「青空文庫」から引用して紹介したいと思います。 わが心、程を踰えて ▲
by sabasaba13
| 2018-02-23 06:42
| 演劇
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![]() できるだけ舞台で喜劇を楽しもうとは思っているのですが、小生の霊界アンテナがにぶいのか、あまり上演の情報を手に入れられません。ほんとうは小松政夫と伊東四朗の二人芝居が見たいのですが、叶わぬ夢のようです。DVDの「エニシング ゴーズ」を見て笑いころげましょう。「小倉久寛 祝還暦記念コントライブhttp://sabasaba13.exblog.jp/23530914」は、実に面白かったですね。またこういう舞台を見たいものだと思っていた矢先、「ワハハ本舗」全体公演「ラスト3~最終伝説~」がおこなわれるという情報を得ました。久本雅美の当意即妙のギャグは大好きなので、彼女が所属するコメディ集団の舞台は期待できそうです。 会場は東京フォーラム、現地で山ノ神と待ち合わせることにしました。入口で渡されたのは、桜の枝の造花。なにかの演出で使われるのでしょうね。さあはじまりはじまり。煌びやかに女装した梅垣義明氏が、股間を隠しながら朗々と歌うシャンソンには度肝をぬかれました。この時に、さきほどの桜の造花を振るように促されました。 この後は柴田理恵氏と久本雅美氏の一人芝居あり、メンバーによるコントあり、集団によるモダン・ダンスあり、弾き語りありと、笑いのオンパレード…と言いたいところですが、お腹の底から笑えるような場面はありませんでした。あまり練られたギャグは少なく、会場が広いことも災いしたのかな。凡百な下ネタの多さにもちょっと辟易しました。ただお客さんを楽しませようという意気と熱気は十二分に伝わってきたので諒としましょう。ただ柴田氏が言った「面白いから笑うのではない、笑うと面白くなる」という言葉に琴線が触れました。そうですよね、ぐだぐだ言っていないで、笑えばいいんですね。 会場を去る時に、造花が回収されましたが、財政面での苦労が偲ばれます。これからも身銭を切って、お笑い芸人のみなさんを育てていきたいと思います。そういえば、古今亭志ん生が、林家三平真打披露口上の中で、「小鳥の鳴く音を聴くには、餌をあげて世話をしなくてはいけない」と言っていましたっけ。 ▲
by sabasaba13
| 2017-06-13 06:29
| 演劇
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![]() ほんとうに、ぼくの生きる時代は暗い!暗く恐ろしい時代に生きた、感受性を欠く人々の短い14の物語が紡がれていきます。ナチスによる政権獲得から(1933年)からヒトラーのウィーン入城(1936年)まで時系列に沿って、ドイツのいろいろな都市を舞台にストーリーは進んでいきますが、まずは前半の内容について公演パンフレットから紹介します。 1.「国民共同体」 1933年1月30日面白かったのは「法の発見」でした。ユダヤ人と突撃隊(SA)が関係した複雑な事件を審理する裁判官。彼は、ただ保身のためにはどういう判決を出せばいいのか四苦八苦します。良心や正義をかなぐり捨て、ナチスのためにひたすら迎合したドイツ司法界の様子がうかがわれます。さすがはブレヒト、ファシズムが民主主義を圧倒する際には、司法の協力が必要不可欠であることを見ぬいています。少数者の権利を擁護せず、"正義"を政府に丸投げして平然としている日本の司法の姿と二重写しに見えてきました。ちょっとストーリーの展開と台詞が冗長だったのが惜しまれます。 ここで二十分の休憩です。小用を済ませて外で紫煙をくゆらし500円の公演パンフレットを購入しました。劇団の方が手ずからドリップで入れてくれる、300円の珈琲も美味でした。そして後半のはじまりです。 6.「物理学者」 1935年、ゲッティンゲン。物理学研究所。後半はそれぞれの掌編が短くなり、引き締まったテンポのよい芝居が続きます。申し遅れましたが、劇の緊張感を高める、硬質で鋭いピアノもいいですね。深く心に残った芝居は、まず「ユダヤ生まれの妻」。ユダヤ人である医者の妻は、夫のためを思って彼と別れてオランダへと亡命しようとします。その妻を案じる素振りをしながら、実は安堵する夫。ユダヤ人の妻の複雑な思いを見事に演じた洪美玉氏の演技が素晴らしい。ナチスへの批判を、ヒトラーユーゲントに入っている息子に聞かれたのではないかと怯える夫婦を描いた「スパイ」、学校におけるファシズムの浸透を描いた「いましめ」も面白かったですね。軍需景気によって職につけた労働者がナチスを支持する「職業斡旋」も興味深い芝居でした。司法、学校、家庭、好景気、さまざまな場や局面で、ファシズムがじわりじわりと忍びよってくる恐ろしさ。同時代にその空気を肌で感じ胸に吸い込んだブレヒトならではの筆の冴えです。 そして役者すべてが登場して、口々に"私たちが駆り立てられていく戦争は、私たちのものではない。黙っていてはいけない。目を背けてはいけない"と朗読する場面で劇は終わります。 面白く、興味深く、そして恐ろしい芝居でした。強制的同質化、少数者への差別、司法の屈服、手段を選ばぬ好景気への期待、人びとの無気力・無関心・閉塞感。ある日突然に「今日からファシズムだあ」となったのではなく、真綿で首を絞めるように、少しずつ少しずつファシズムへと移行していき気がついたら手遅れだった、というドイツが教えてくれる教訓が痛いほど身に沁みました。ヨハン・ガルトゥング曰く"歴史から学ぶことのない人は、その歴史を再度生きることを運命づけられている"。歴史を学ぼうとする気はさらさらない安倍伍長のもと、日本が同じ道を歩んでいることに深い危惧を覚えました。公園パンフレットの冒頭に、ブレヒトの「ぼくに墓石は必要ないが」という詩が載せられています。 ぼくに墓石は必要ないが「提案したるは安倍伍長にして、採用したるは我らなり」ということにならないよう、黙っていてはいけない。目を背けてはいけない。 追記。ユダヤ人の妻を熱演した洪美玉氏が、パンフレットに「危機感」という一文を書かれていました。ぜひ紹介したいので、一部ですが引用します。 2012年、中国に残された朝鮮人『従軍慰安婦』の写真展が、ニコンから突然、中止の通告を受けた。写真家の安世鴻(アン・セホン)さんは異議申し立てをして、東京地裁は会場を使わせることをニコン側に命令した。あまり広くないニコンサロンに警備員が三人、入り口には金属探知機ゲートが設置され物々しい雰囲気だった。私は、在特会と呼ばれる人たちと至近距離で出会った。彼(女)らは何時間かおきに会場に乗り込んできて、ハルモニの背景に写っている小さなテレビを指さして「金持ってるんじゃねぇか」とか、写真の中の彼女たちをおとしめることをまくしたてていく。受付だった私は我慢できず「後ろのお客様もいますので、先に進んで下さい」と声を荒げた。すると「お前もどうせ在日だろう」「じゃあ、どうせ色んな男に股開いてんだろう」 怒りで体が震えた。「全部録音していますから」というスタッフの言葉がなかったら、殴りかかっていたかも知れない。その経験はショックであり、恐怖だった。(p.34~5)まだ気骨のある司法は存在していること、彼(女)らの発言の下劣さに唖然とすること、そしていよいよ日本も「第二帝国」になりつつあること、いろいろな思いが脳裏をよぎりました。 ▲
by sabasaba13
| 2015-04-18 06:39
| 演劇
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![]() 弥生好日、西武新宿線の武蔵関駅で下車し、持参した地図を頼りに公演会場の「ブレヒトの芝居小屋」に辿り着くと…ふたりして目が ・ になりました、いやほんと。まるで潰れかかった場末の町工場(失礼)。しかしちゃんと切符をもぎる方もいるし、本日は千秋楽ということなのかけっこうお客さんもいるし、一安心しました。劇場に入るとまたびっくり。ステージではなく、石畳を敷いたフロアと、それを三方から取り囲む野球場のような階段状の座席。収容人数は100人ほどでしょうか。役者の演技を至近距離で見られるわけですね、これは楽しみです。なお後でわかったのですが、この建物も舞台もすべて団員の手作りで、ここで暮らしながら演劇活動に取り組んでいるとのことです。 まずはパンフレットを参考に、東京演劇アンサンブル(TEE)を紹介しましょう。結成は1954年、都市だけで演じられている芝居を全国にもっていこう、その時代をビビッドに反映している芝居を創ろう、という思いから平均年齢20才の18人の若者たちが立ち上げました。そして同じ頃に出逢ったのがブレヒトの演劇でした。変革するものとして世界を構造的に捉えながら、細部にはこまやかなリリシズムがみちあふれるブレヒトの戯曲。衝撃を受けた彼らは、ブレヒト作品を連続上演し、劇場の名を「ブレヒトの芝居小屋」とし、劇団の名を「東京演劇アンサンブル」としました。ブレヒトが主宰した劇団の名が「ベルリーナー・アンサンブル」だったのですね。 なおベルトルト・ブレヒトについても、スーパーニッポニカ(小学館)から紹介します。 ベルトルト・ブレヒト Bertolt Brecht (1898―1956) ドイツの劇作家、演出家さて、本作は1935年から38年にかけて、亡命先のスヴェンボル(デンマーク)で、友人たちの情報や新聞記事をもとに書かれました。ナチスを批判したために弾圧を受けたブレヒトは、国会議事堂放火事件の翌日(1933年2月28日)に入院中だった病院を抜け出し、ユダヤ人であった妻のヴァイゲルと長男シュテファンを連れてドイツから脱出しました。そしてプラハ・ウィーン・チューリッヒを経由してデンマークのスヴェンボルに亡命します。この間、ナチ党政府はブレヒトの著作の刊行を禁止して焚書の対象とし、1935年には彼のドイツ市民権を剥奪しました。余談ですが、その亡命生活の悲痛を綴った彼の詩に、友人の作曲家ハンス・アイスラーが曲をつけたのが「小さなラジオに (An den kleinen Radioapparal)」です。『Melodie』というアルバムに収録されていますが素晴らしい曲です。 小さなラジオよ、亡命の間もなおアラン・レネが監督した映画『夜と霧』の音楽を担当したのもハンス・アイスラーでした。 ▲
by sabasaba13
| 2015-04-17 06:33
| 演劇
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![]() 二月好日、山ノ神とともに下北沢にある本多劇場へと参りました。ほんとうにここでいいのかしらんと思うような雑居ビルの中に入ると、胡散臭げな小店舗が櫛比しています。いいですね、この猥雑な雰囲気。入場するとそれほど広くない劇場内はほぼ満員、「笑ってやるぞ」という熱気で息苦しいほどでした。そして開幕です。観客に肩透かしをくわせるように、そこは楽屋。二人が舞台衣装に着替えながら、ぼそぼそと軽妙なトークを交わしています。「今日は天気がよくてよかったね。この前の雪の日は、早くお客さんを帰してあげようとして早口になっちゃった」という三宅氏のセリフ、こうして書くと何でもないのですが、生で聞くとほんとうにおかしいのです。そして舞台が廻るとそこはビルの屋上、飛び降り自殺をしようとしている脚本家の小倉氏と、それを止めようとしているかしていないのかよくわからないプロデューサーの三宅氏の抱腹絶倒のかけあい、「まだ死なないで!」というコントの始まりです。それが終わるとまた舞台が回転して楽屋となり、コントを終えた二人がやってきてぶつぶつやりあいながら次の衣装に着替えます。こうして楽屋風景を間にはさみながら「人力車と客」「世紀の発明」「浮気調査の報告」「ブルースギター教室」と五つのコントに大笑いしました。このコントと楽屋風景を繰り返すという構成が、緩と急、弛緩と緊張というメリハリのきいたリズムを生み、休憩なしの二時間があっという間に過ぎました。山ノ神も涙を流しながら爆笑、ご満悦の様子に一安心しました。なお余禄として、最後の楽屋に日替わりのゲストが登場するという趣向がありました。本日は松本明子氏が花束を持ってあらわれ、見事な歌声を聞かせてくれました。ほんとうは伊東四朗氏に会いたかったのですが、諒としましょう。 さてこの二人のコントはなぜこんなに面白いのか、野暮ですがちょっと分析してみました。まずプロットがしっかりしていること。しっかりとした骨組みがあってこそ、二人のギャグも映えるというものです。作家の吉高寿男氏、吉井三奈子氏、小峯裕之氏にお礼を言いたいと思います。そして十分に稽古をした上で演じられるコント。購入したパンフレットに掲載されていた加山雄三氏との対談で、次のような対話がありました。(p.23) 加山 今回のライブってコントだけ?これは驚きでした。丁々発止の軽妙洒脱なやりとりは、すべて台詞だったのですね。しかも1ヶ月というしっかりとした稽古をかさねたうえでの芝居。たぶん、自然に聞こえるように、アドリブに見えるように、何度も何度も練習されたのだと思います。 そして小倉久寛氏が醸し出す魅力も見逃せません。作家の吉井三奈子氏がパンフレットの中で、「乙女心」「純粋でまっすぐで可憐」と評されていますが、なるほど、言われてみればそうですね。しょぼくれてむくつけき容貌(御免なさい)とヌイグルミのような体型・体毛の内に秘めた乙女心、そのアンバランスさに惹かれるのかもしれません。 心の底から清々しく笑えた素晴らしく楽しい二時間でした。また機会を見つけてお二人のコント・ライブを拝見したいと思います。 ▲
by sabasaba13
| 2015-02-19 06:28
| 演劇
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東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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