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京都観桜編(18):ホテルにて(15.3)

 それはさておき、アメリカで証拠となる文書が開示され、当事者も証言しているのに、いまだに密約の存在を否定する、つまり嘘をつき続ける外務省、そして日本政府とはいったい何様なのでしょう。欧米だったら、政治犯罪として責任を問われて罷免されるでしょうに。結局、こうした問題についてまともに追及と批判をしない大手メディア、そして選挙でこうした政府に免罪符を与えつづけている日本国民の責任だと思います。このニュース番組でも、わざわざ密約を「」に入れているところがメディアの立ち位置をよく物語っています。政府の立場を忖度しているのでしょう。やれやれ。
 また、この米日の密約に関して、矢部宏治氏が鋭い指摘をされているので紹介します。『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』(前泊博盛監修 書籍情報社)からの引用です。
 そして重要なのが、(※日米合同委員会で)議事録と合意文書は作成されるが、それらは原則として公表されないということ。少し大げさにいえば、日本のエリート官僚と米軍の高官たちが、必ず月2回会って、密約を結んでいるということです。
 この合意文書の法的な位置づけをチャートにすると、次のようになります。

 日本国憲法→日米安保条約→日米地位協定→日米合同委員会・合意文書(密約)

 つまり上位の取り決めに入れるとマズいものを、どんどん下位に送って密約にしているわけです。まず憲法で戦争および戦力の放棄をうたいながら、日米安保条約を結びます。この条約について吉田首相は、ずっと「交渉中」と偽り、国会ではほとんど議論しませんでした。そして調印する日どり(講和条約と同じ9月8日)は前日の夜11時まで、場所と正確な時間は当日の正午まで教えてもらえませんでした。安保条約そのものが、ほとんど密約だったわけです。
 次に日米地位協定の前身である日米行政協定は、旧安保条約が調印された2カ月以上あとになってから、ようやく内容についての交渉が開始されています。条約とちがって国会での承認を必要としないため、吉田首相はこの協定に「基地の原則的継続使用」や「米軍兵士や家族に対する治外法権」など、都合の悪い問題をすべて放りこんでいきました。さらにはその日米行政協定(現在の日米地位協定)にも書けないことを、日米合同委員会という密室の会議のなかで、だれからもチェックされることなく、どんどん決めてしまっているのです(ちなみにこの手法は現在、日本の官僚のお家芸となっており、多くの法律がわざとあいまいな言葉で書かれるようになっています)。(p.263)

 まとめると、「密約」というのは官僚の悪事や違法行為ではなく、国際法(=大国の圧力)との関係から生まれる外交上の技術にすぎない。問題は、外国軍が条約にもとづいて数万人規模で駐留し、最高裁がその問題について憲法判断を放棄しているという状況そのものにある。その結果として生じる、自国民の権利よりも外国軍の権利が優先するという植民地的状況を、なんとかアメリカに対等なふりをしてもらって見えなくしようとしたのが「密約」であり、文章をいじってごまかそうとしたのが「霞ヶ関文学」だということです。官僚のほうから言わせると、「大もとがおかしいんだから、しかたないだろう。やってられるか」といったところでしょう。(p.271)
 一言もありません。『遠い世界に』(作詞・作曲 西岡たかし)の一節を歌って、●を掘って入りましょう。♪これが日本だ 私の国だ♪
by sabasaba13 | 2018-02-22 06:27 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(17):ホテルにて(15.3)

 それでは夕食をとって自転車を返却しましょう。ひさしぶりに「新福菜館」か「第一旭」の濃厚な中華そばが食べたいな、しかし前者は長い行列、後者は工事中でした。せんかたなし、中華そばが食べられそうなお店を探しましょう。京都駅近くをうろうろ走っていると、「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」という碑がありました。
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 そして「満福」というお店で中華そばを所望、山盛りの九条ねぎが美味しうございました。
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 京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)に自転車を返却し、京都駅から琵琶湖線快速に乗って20分ほどで草津駅に到着。ホテルに向かって歩いていると「COLTRANE」というJAZZ&BARの店がありました。看板は「ブルー・トレーン」のジャケット写真ですね。ジョン・コルトレーンか、無性に「コートにすみれを」が聴きたくなりました。
 ホテルに着いてシャワーを浴び、地酒を飲みながらテレビのニュースを見ていると、"沖縄返還交渉での「密約」初めて認めた吉野氏死去"というテロップと、氏の生前の姿が放映されていました。
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 『日本経済新聞』のサイトから、引用します。
 沖縄返還の際に日本側が必要経費を負担する「密約」があったことを認めた、元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が29日午前9時10分、肺炎のため横浜市内の自宅で死去した。96歳だった。告別式は近親者のみで行う。喪主は長男、豊氏。
 長野県松本市で生まれ、1941年に外務省に入省。同省アメリカ局長時代に、沖縄返還交渉を担当した。その後、外務審議官や駐独大使などを歴任した。
 沖縄返還で米側が支払う米軍基地跡地の原状回復費を日本側が肩代わりするとの密約を一貫して否定していたが、2000年に存在を裏付ける米公文書が公開。06年に一転して存在を認めた。
 09年には密約文書を巡る情報公開訴訟に証人として出廷した。
 テロップで、「反対のことを主張するなどして歴史を歪曲しようとすると、歴史をつくる国民のためにはマイナスになることが大きい」という氏の言葉が流されていました。
 この「沖縄密約問題」と深く関わった西山太吉氏が、『沖縄密約』(岩波新書1073)の中で、吉野氏について、こう記されています。
 それにしても、国家機密の王国ともいわれる外務省の高級官僚だった吉野が、なぜ、突然変異のように機密の真相を語りはじめたのであろうか。恐らく、外務省の幹部連は愕然としたに違いない。まさに、日本の近代から現代にかけての外交史上、例のない事件といってよい。しかし、吉野になんら動揺はない。いまなお訪れる記者にひるむことなく語り続けている。もはや、こわいものはなにもないといった風情さえ感じるほどだという。すでに夫人に先立たれ、ひとり身となった吉野は、90歳を前に、自らの外交官生活を回顧して、つかえていたものをはき出し、いいたいこともいって、自分なりの想いをまとめ上げたい衝動に駆られたのであろうか。
 往住記者によれば、吉野は長野県出身で幼少の頃、弁護士だった父親や叔父たちが小作争議や共産党員検挙に際し、その弁護や支援活動に奔走していた姿を見ながら育ったという。だとすれば、彼には"反骨"の血が流れていたといえる。
 同時に、吉野には、日本外交のあり方について、いいたいことが山ほどあったのではないか。彼は1969年から70年にかけての駐米公使時代、佐藤(※栄作)の「私設CIA」あるいは「忍者」(「オーラルヒストリー」)と呼ばれた二人の人物による闇の外交に手を焼いた。その過程で、彼の対米折衝などは"飾り物"に過ぎなかったことを身をもって経験した。さらに、沖縄協定調印の年の1971年初頭、本省のアメリカ局長に就任してからは、これまた大蔵省から理屈に合わないようなツケ(同前)を回され、結局は、条文化できないため、密約を背負いこむハメになるという苦々しい体験の持ち主でもあった。いわば、"きれいごと"(同前)にこだわり過ぎた佐藤によって、散々な目にあったというのが、彼の交渉に対する率直な感想であった。
 吉野発言以降、しばしば訪れるようになった記者たちに、「すべては、協定の批准が先決だった。あとは、野となれ、山となれの気持だった」と、ふつう、交渉当事者としてはタブーとされるような自棄的な表現を使ったのも、それなりに無理からぬ面があったのだ。だからこそ、協定発効後、25年が経過して、米国の秘密文書が開示され、沖縄密約の事実が続々と明らかにされるのを見るにつけ、長年支え続けてきた重しを、この際はずして、積もり積もった感懐を一挙にぶちまけたいという気持ちになったのではないだろうか。それは、若泉敬が、米国の例にならって25年の後、佐藤-ニクソンの核に関する秘密合意の議事録を暴露したのとは、ちょっと異なる動機だったといえよう。(p.206~7)
 なお若泉敬とは、沖縄返還交渉において、佐藤栄作の密使として重要な役割を果たした国際政治学者です。彼が、この交渉の経緯について著した『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)は面白いですよ。
by sabasaba13 | 2018-02-21 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(16):本満寺(15.3)

 そして、穴場だという情報を得た本満寺へ。境内に入ると閑散としておりますが、桜は数本、しかも見ごろにはまだ早い。
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 ま、こんなもんかなと、本堂の方へ行くと…



すごい…

 ほんとに息を呑みました。いや、ほんとに。そこには見事な枝垂れ桜の巨木が屹立していました。均衡のとれた、そして滝のように流れ落ちる素晴らしい枝ぶり、たわわに咲き誇る桜花、その美しい孤高の姿には、心打たれました。迸る生命力をすら感じます。今回の旅で一番感動した桜ですね。何枚も写真を撮ったあと、しばらく見惚れていました。
 それでは「がんこ二条苑」へ向かいましょう。途中にある、シャープな意匠のビルは旧京都中央電話局上分局。1923(大正12)年に上電話局の局舎として、逓信省技師吉田鉄郎が設計した建築です。鉄筋コンクリート造で、周囲の景観に配慮してドイツ民家風の外観が取り入れられています。
 そして「がんこ二条苑」へ。こちらは和食の料理店ですが、小川治兵衛がつくった庭、高瀬川源流庭苑があります。紅葉のころに訪れたことがあるのですが、桜も多いかなと一抹の期待をもって訪れました。しかし、それほど多くなくちょっと残念。でも庭自体は、いつ見ても素晴らしいですね。
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 高瀬川沿いに走ると、満開の桜並木が見事でした。柳の若葉とのマッチングがきれいですね。公衆便所に入ると「棚にゴモク放かさんといてぇ~!」という注意書きがありましたが…ゴモクとはなんぞや? いま、インターネットで調べたところ、関西弁で「ゴミ」のことなのですね。合点合点。
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 本日の九枚、上から本満寺(6枚)、高瀬川(3枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-02-20 06:34 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(15):上品蓮台寺(15.3)

 上品蓮台寺も穴場ですね。境内をうめつくす桜、桜、桜。すべて満開でないのがすこし残念ですが、訪れている人は数人、静謐な雰囲気の中、落ち着いた心持ちで桜花を堪能できました。
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 次は大徳寺、紅葉が素晴らしい高桐院ですが、桜はどうでしょうか。当たって砕けろ、試しに寄ってみましたが残念、はずしてしまいました。
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 近くあるのが大徳寺塔頭の孤篷庵(こほうあん)、小堀遠州が建立した寺院です。こちらには、知る人ぞ知る、知らない人は知らない名茶室、「忘筌(ぼうせん)」があります。茶の湯の嗜みはまったくないのですが、茶室と露地は大好きです。こちらもぜひ拝見したいのですが、原則非公開。ただ時々特別公開されるようなので、虎視眈々とチャンスを狙っています。指をくわえて眺めていると、テニスラケットをもった坊さんがすたすたとやってきて、中へ入って行きました。何となく悔しいぞ。余談ですが、国宝茶席三名席が、妙喜庵の待庵、大徳寺龍光院の密庵(みったん)、犬山有楽苑にある如庵。京都三名席がここ大徳寺孤篷庵の忘筌席と、曼殊院の八窓軒、金地院の八窓席。密庵は完全非公開ですが、それ以外は機会さえつかめば拝見できます。
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 そして大宮交通公園へ、ここは超穴場ということですが、残念ながら休園日でした。火曜日だから大丈夫だと思っていたのですが…やはりきちんと調べておかなければいけませんね。でも閉ざされた鉄扉越しに、満開の桜が何本も垣間見えました。再訪を期しましょう。
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 高野川にある半木(なからぎ)の道は、ソメイヨシノと紅枝垂れ桜の並木道です。桜のトンネルが遊歩道を覆う素晴らしい景観でした。紅枝垂れ桜は五分咲きだったので、ここも満開のときに再訪したいものです。爽快な気分でペダルをこいで川沿いに南下していきました。
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 本日の六枚、上品蓮台寺(3枚)と半木の道(3枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-02-19 08:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(14):千本釈迦堂(15.3)

 次なるは千本釈迦堂(大報恩寺)、こちらは阿亀(おかめ)桜という素晴らしい枝垂れ桜の一発芸が見もの。その名の由来は、この寺を建てた棟梁の良妻の物語に由来します。鎌倉時代の中頃、ここに本堂を建てることになりました。それを作事した大工の棟梁が長井飛騨守高次、その妻が阿亀(おかめ)さんです。高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自殺してしまいます。やがてこの話が大工の間で伝え継がれ、江戸時代の中頃に阿亀塚がつくられ、大工・造園関係者の参拝が多いそうです。
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 雨宝院(西陣聖天宮)は桜の名所といわれていますが、残念ながら一分咲き。この時期に何度か来ているのですが、満開の桜に出会えたことがありません。よほど遅咲きなのでしょうか。なお国宝の本堂(釈迦堂)は創建時の姿をとどめ、京都市に残る最も古い仏教建築といわれています。
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 そして水火天満宮へ、狭い境内を覆い尽くすような見事な枝ぶりの枝垂れ桜が満開でした。
 それでは上品蓮台寺へ向かいましょう。途中にあったのが、知る人ぞ知る、知らない人は知らない船岡温泉です。
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 公式サイトから引用します。
 船岡温泉は京都は北区紫野、船岡山の南に位置します。文化庁の登録有形文化財にも指定された由緒ある唐破風造の建物。内装はレトロなマジョリカタイルから始まり、脱衣場の天井に彫られた鞍馬天狗や透かし彫りの欄間など芸術としか言いようがありません。
 一方、お風呂のほうは非常に近代的。日本で初めて導入されたという電気風呂をはじめ、ジェットバス、露天、薬草風呂などその実力は折り紙つきです。
また辺りはゲストハウスやカフェが立ち並び、古い歴史を持ちながらも、変化し続ける隠れた観光スポットなんです。
 そう、業界(何の業界だ)では有名なレトロ銭湯です。マジョリカタイルと欄間の透かし彫りはぜひ見てみたい、何と「爆弾三勇士」の彫り物もあるそうです。

 本日の二枚、千本釈迦堂と水火天満宮です。
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by sabasaba13 | 2018-02-18 06:35 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(13):京都御所(15.3)

 それでは京都御所へと参りましょう。御所の西側にある烏丸通りを走っていると、とある邸宅の塀越しにそれはそれは見事に咲き誇る枝垂れ桜の巨木が見えました。残念ながら中に入れなかったのですが、どんな由緒のあるお宅なのでしょう。帰郷後、インターネットで調べてわかったのですが、有栖川宮家の旧邸で、現在は平安女学院大学有栖館となっているそうです。書院造りの主屋・青天門・長屋門が、国の登録有形文化財となっています。11代小川治兵衞作庭の庭園もあり、この見事な枝垂れ桜は、豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺の孫にあたるとのこと。うーむ、ぜひ拝見したいのですが、公開される時はあるのでしょうか。
 そして京都御所へ、自転車の獣道も健在でした。
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 皇宮警察本部京都護衛署の前庭に満開の枝垂れ桜がありましたが、門扉は堅く閉ざされており近くに行くことはできませんでした。
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 じゃりじゃりと獣道を走って近衛邸跡に到着。解説板を転記します。
 このあたりが近衛家の屋敷のあったところです。近衛家は、五摂家の一つで、江戸時代末までに多くの人が摂政や関白になっています。かつては、この庭園の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の際には仮の皇居にもなりました。池のほとりは、昔から糸桜の名所で、孝明天皇も次の歌を詠まれています。「昔より名にはきけども今日みればむべめかれせぬ糸さくらかな」
 それはそれは見事な枝垂れ桜が数多、ここを先途と咲き誇っています。家族連れやカップルなどたくさんの方々もおられるのですが、敷地が広いのでそれほど気になりません。淡いピンクの世界に包まれて、みなさん幸せそうでした。もちろん私も。
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 それでは立本寺へと向かいましょう。途中にあった上京中学校の桜も満開でした。「鈴木医院」という古い病院を撮影してすこし走ると立本寺に到着です。
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 有名ではありませんが、相当の桜密度です。地元の方らしき人が散見されるだけで、落ち着いた閑静な雰囲気のなかで桜を愛でることができました。あまり教えたくない穴場です。
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 本日の八枚、上から有栖川宮旧邸、皇宮警察、京都御所(3枚)、立本寺(3枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-02-17 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(12):旧京都府庁(15.3)

 そして二条城に到着です。二の丸庭園については、以前の記事で紹介しましたので、そちらをご覧ください。おっ若いバスガイドさんたちが蝟集されていますが、研修中なのでしょうか。よろしい、不肖私、エール代わりに歌を唄ってさしあげましょう。♪もーしもしベンチで囁くお二人さん♪、もといっ♪酔ったお客の意地悪さ、いやな言葉でどなられて、ホロリ落としたひとしずく、それでも京都のバスガール、「発車オーライ」、明るく明るく走るのよ♪
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 こちらは約400本の桜がある名所ですが、残念ながら五分咲きでした。でもいくつか満開の桜もあったので諒としましょう。紅枝垂れ桜の並木道は、満開の時に再訪したいものです。
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 それでは法金剛院へと行きましょう。途中に、壁面の曲線とリボン・ウィンドウが素敵なレトロな待賢小学校がありました。ペダルをこぐこと二十分ほどで到着。平安初期、右大臣清原夏野が建てた山荘が前身で、平安末期に鳥羽天皇の中宮、待賢門院が再興し寺名を法金剛院と定めました。桜の数はそれほど多くはありませんが、浄土式庭園の池のほとりに立つ待賢門院桜は見事に咲き誇っていました。その官能的な色合いといい枝振りといい、紅枝垂れ桜の銘木ですね。眼福、眼福。
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 そして妙心寺退蔵院へ、かつてマイケル・ムーア監督と出会えた思い出の寺です。お目当ては、見事な枝振りの紅枝垂れ桜。平安神宮にある紅枝垂れ桜の孫桜で樹齢約50年だそうですが、残念ながらまだ一分咲きでした。これは是非とも再訪を期します。
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 次に向かうは旧府庁、さすがにお腹がへったので、丸太町にあった洋食屋「壁熊屋」でハンバーグ&フライ定食をいただきました。もちろん喫煙は可、だから京都は大好きさ。
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 そして国の重要文化財である旧京都府庁本館の中庭で咲き誇る七本の桜を愛でました。その中央にあるのが円山公園の初代「祇園しだれ桜」の孫にあたる枝垂れ桜。中庭南西にある「容保桜(かたもりざくら)」は、この地がかつての京都守護職上屋敷跡であることにちなみ、松平容保公の名をとって桜守として知られる16代佐野藤右衛門氏が命名した桜。大島桜と山桜の特徴を併せ持つ珍しい品種だそうです。本館の二階にあがって睥睨するもよし、不均一な厚みの古い窓ガラス越しに見るもよし、アーチの入口越しに眺めるもよし、さまざまな風情を堪能できました。観光客も少なく、お薦めです。
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 駐輪場へ戻ると、京都府警のシンボルマスコットの着ぐるみと遭遇。その正体は何者、今インターネットで調べてみると、「ポリスまろん」と「ポリスみやこ」であることが判明しました。前者は、検非違使をモチーフに、力強く頼りがいのある京都府警察の姿を表しているそうです。コメントはしません。名称の由来は、顔の形が栗(マロン)に似ていることと、投票で多かった「まろ(麻呂)」を合わせて付けられたそうです。すぐ近くにあるのが京都府警察本部。竣工は1929(昭和4)年で、スクラッチタイルと連続するアーチ窓が粋な物件です。
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 本日の七枚、上から二条城、法金剛院(3枚)、妙心寺付近、旧京都府庁(2枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-02-16 06:41 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(11):渉成園(15.3)

 それでは渉成園へと向かいましょう。途中に鈴木組というレトロな洋館がありました。線路を北へ越えると梅小路公園、入口からのぞくとけっこう桜がありましたが七分咲き。先を急ぐことにしました。なおこちらには京都鉄道博物館があります。梅小路蒸気機関車館の時代には訪れたことがあるのですが、リニューアルしてからは未見です。いつか見学に行きましょう。
 キッチュな装飾にまみれた摩訶不思議なビルは、「富士ラビット」です。京都における自動車販売店としては草創期に創業した「日光社」のビルだそうです。「富士ラビット」とは、富士重工業(スバル)のスクーターのことでした。
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 そして渉成園に着きました。池泉回遊式庭園をもつ東本願寺の飛地境内地(別邸)で、1641(寛永18)年に三代将軍・徳川家光から当地約一万坪が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。二度にわたる火災のために園内の諸殿は焼失。現在の建物は明治初期から末年ごろに至る間に順次再建されたものだそうです。こちらは紅葉もきれいで、なおかつ何時来ても混雑していない稀有なお庭で、われわれは「困った時の渉成園」と言い慣わしております。おおっやはりガラガラだ。しかも桜はほぼ満開、ユニークな意匠をした楼門造りの傍花閣(ぼうかかく)のあたりや印月池(いんげつち)のほとりをそぞろ歩き、写真を撮りまくりました。
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 そして二条城へと向かいましたが、途中にある明倫幼稚園の桜が満開でした。そして「紫織庵」、気にはしていたのですが訪れる機会がなかったので今回は見学することにしました。江戸後期名医・荻野元凱の屋敷を、1926(大正15)年に豪商・井上利助が最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、その後絹織物製造卸などを行う川崎家が本宅兼迎賓館として受け継ぎ、現在は「京のじゅばんと町家の美術館」として一般公開されています。洋館部分を武田五一が、茶室や和室部分を上坂浅次郎が設計参与した、京町屋の傑作ですね。残念ながら写真撮影は禁止でしたが、趣味の良い洋館・茶室・中庭を堪能いたしました。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-15 06:33 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(10):六孫王神社(15.3)

 そして駅近くにある京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)で予約しておいた自転車を借り、いざ出発。まずは線路を南へ越えて六孫王神社へと参りましょう。源経基の子、満仲が父の霊を祀るために源経基の邸宅、八条亭に社殿を建てたのがはじまりです。敷地はそれほど広くはないのですが、神龍池を中心にさまざまな桜が密度高く植えられ、ここを先途と咲き誇っていました。しかも観光客はほとんどなし、ここは穴場ですね。お薦めです。
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 なお最近読んだ『無私の日本人』(磯田道史 文春文庫)所収の「大田垣蓮月」に、次の一文がありました。
「…耳の聞こえないあの子は目でみえる書物を懸命に読むようになりました。ほんとうに、いじらしいくらいに。ところが、妻は学問などすると、商売の邪魔になるといって、あの子が本を読むと『本ばかり読んで居ると御飯を食べさせぬぞ』ときつく叱り、無理やり、本を取り上げて隠してしまうのです。わたしはそれが不憫でなりませんでした。とはいえ、それもこれも、わたしが読書で家を傾けたせいですから、なんとも言えない。それで妻にいったのです。『この子は耳が遠くて商売には向かない。神主にでもしよう』といって、西八条の六孫王神社の稚児にやりました。紫の大振袖に袴をはけば、見事な稚児になるといってくれる人がいたので。しかし、なにぶん八つです。親元をはなれて、ずいぶん、さみしい思いをしたことでしょう。それで、あの子が稚児奉公をおえてもどってくると、わたしはあの子を連れて家を出ました。猷に、ひととおりの学問をさせてやりたいものですから」 (p.333)
 富岡鉄斎の父の言葉です。彼の幼名は猷輔、ここ六孫王神社で稚児奉公をしたのですね。余談ですが、本書でときどき耳にする大田垣蓮月の凄さを知りました。津藩藤堂家の高貴な血を引きながら、訳あって身分の低い武士の養女となったことから、数奇な運命をたどった江戸後期の絶世の美人です。二度の結婚で四人の子を産んだが、二人の夫に病死され四人の子には夭逝されました。剃髪して出家した彼女は歌人として名をなすと同時に、自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りする蓮月流を創始。しかし自らの歌集の出版を強引に差し止めるなど名誉を求めず、焼き物で手にした金は飢饉のさいに私財を投げ打って貧者を助け、人々の便利のため鴨川に橋をかけるなど慈善事業に勤しみました。旧幕府軍追討の旗を上げた西郷隆盛には、「あだ味方勝つも負けるも哀れなり同じ御国の人と思えば」の歌を送り自重を促しました。西郷が江戸城総攻撃を思い止まったのは、勝海舟や山岡鉄舟のおかげというよりこの歌のおかげとも言われます。(p.372~3) 記憶にとどめたい人物ですね。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-14 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(9):草津(15.3)

 閑話休題。本日は自転車を借りて京都の紅葉狩りをしますが、その前にせっかくなので草津の町をぶらつくことにしました。駅の近くまで歩いていき、珍しい透かしブロックと、「理美容業界年商日本一のブラージュ」という看板を撮影。サムギョプサル専門店の「包まぬ豚はただの豚」という看板は面白いですね。
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 さて、ここ草津は、東海道五十三次のうち、江戸より数えて52番目の宿場町で、東海道と中山道が分岐・合流している交通の要衝でした。往時は、2軒の本陣、2軒の脇本陣、72軒の旅籠があったそうですが、その残り香はもうありません。「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた中山道と東海道の分岐点に立つ追分道標と、国史跡に指定されている本陣くらいでしょうか。
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 それでも古い建物が数軒残っています。吉川芳樹園店舗兼主屋や八百久店舗兼主屋は、二階正面の虫籠窓が印象的でした。
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 双葉館「魚寅楼」は角地に建つ古い料亭です。
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 最大の発見は、「国威宣揚」と正面に記された、陶器製の古い旗竿立てです。紀元節、春季皇霊祭、神武天皇祭、天長節、靖国祭、秋季皇霊祭、神嘗祭などの旗日がぐるりと記されています。これはレアな物件ですね、だから散歩は面白い。
 飛び出し小僧とマンホールの蓋を撮影していると、「未来を守る自民党演説会」のポスターがあり、三原じゅん子が微笑んでいます。なになに"守ってあげたい。いのちを懸けて。"? いったい何を守るのだろう? ま、自民党と財界と官僚の権益であろうことは想像できますが。それでは京都へと向かいましょう。
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 JR草津駅から琵琶湖線に乗って三十分弱で京都駅に到着。ほんとうは、地元資本のしぶい喫茶店でモーニングサービスと洒落込みたいのですが、管見の限り駅周辺にそれらしき店はありません。しかたない、駅前の「CAFFE VELOCE」で珈琲とサンドウィッチをいただきました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-13 06:38 | 京都 | Comments(0)