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姫路・大阪・京都編(12):大山崎山荘美術館(15.12)

 琅かん洞という庭園入口のトンネルをくぐると、そこは別世界。池のある広大な庭園には、見事に色づいたたくさんのモミジがあり、紅葉の盛りでした。しかも観光客はまばらで、しっとりとした静謐な雰囲気の中で錦秋を愉しむことができました。おまけに入園は無料、お薦めの穴場です。
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 散策路を二人でそぞろ歩きながら紅葉を愛でていると、時はあっという間に過ぎていきます。美術館を拝見してそろそろ次の訪問先に移動しましょう。入館料を支払って美術館に入り、企画展「かたちのであい ルーシー・リー、ハンス・コパーと英国陶磁」で、薫り高い陶磁器の数々を鑑賞しました。
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 北側の庭の向こうに白いモダンな塔屋がありますが、大山崎山荘で最初に建てられた物見塔、「栖霞楼(せいかろう)」です。当主の加賀正太郎は、ここの最上階から工事を見守り、指示を出したそうです。1階の円形、アーチ形などの出入口、2階南面の縦長窓、3階展望室の大きく開いた横長窓など、多彩な開口部をもつ遊び心あふれる建物だそうですが、残念ながら内部は非公開です。
 「橡の木茶屋」は鉄筋コンクリート造石張の土台の上に張り出して建てられた丸太組のユニークな茶室です。内部を見てみたいのですが、こちらも非公開でした。
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 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2019-06-16 08:57 | 京都 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(11):大山崎山荘美術館(15.12)

 それでは大山崎山荘美術館へと参りましょう。踏切を渡ると天王山登り口、そう、山崎の戦い(1582)で豊臣秀吉が占有して明智光秀を破った山ですね。ここには「山崎宗鑑冷泉庵跡」という碑もあります。
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 後学のために解説を転記しておきます。
 宗鑑は本名を範重といい、寛正六年(1465)滋賀県栗太郡常盤村志那で生まれた。彼の家は支那地区を支配した支那氏で足利将軍義尚に一族で仕えていた。しかし将軍義尚が佐々木高頼との合戦に破れたため世の無常を感じて剃髪し、入道となり生地を離れて大山崎に隠棲したのである。ここに山崎宗鑑が誕生する。
 彼は八幡宮社頭で月例会として開かれていた連歌会の指導や、冷泉庵での講を主催する一方、世に知られた『犬筑波集』を生み出した。また書も宗鑑流として多くの人々から珍重された。碑文の"うつききてねぶとに鳴や郭公"は掛詞を巧みに使い、その手法は後の俳諧の基礎となった。
 「上の客立ち帰り、中の客其の日帰り、下々の客泊りがけ」と書いた額を庵に掛けていたという風狂の俳人でもあります。

 右に曲がって緩やかな坂道を歩いていくと、カエデがきれいに色づいていました。これは期待できそう、楽しみです。
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 そして数分歩くとアサヒビール大山崎山荘美術館に着きました。公式サイトから、その由緒について引用します。
 アサヒビール大山崎山荘美術館は、京都府大山崎町、天王山の南麓にあります。約5500坪の庭園のなか、英国風山荘である本館と安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」、「夢の箱」、その他の建物から構成されています。
 美術館本館である「大山崎山荘」は、もとは関西の実業家・加賀正太郎(1888-1954)の別荘として、大正から昭和にかけ建設されました。
 加賀正太郎は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家である一方、大山崎山荘で蘭の栽培を手がけ、植物図譜《蘭花譜》を刊行するなど、趣味人としても大きな業績を遺しました。加賀は、ニッカウヰスキーの創業にも参画し、晩年には同社の株を深い親交があった朝日麦酒株式会社(現アサヒビール株式会社)初代社長・山本爲三郎に託しました。この縁が、現在の美術館へと受け継がれていきます。
 ビールとウイスキーという新たな文化をわが国にもたらした二人が紡いだ時代の糸は、やがて桂川、宇治川、木津川、三つの川が合流するこの大山崎の地でひとつになります。
 1954年に加賀正太郎が亡くなり、ついで加賀夫人がこの世を去ると、1967年に大山崎山荘は加賀家の手を離れることになりました。
 幾度かの転売ののち、建物の老朽化が進んだこともあり、1989年には山荘をとり壊し、大規模マンションを建設する計画が浮上しました。しかし、地元有志の方を中心に保存運動が展開され、京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社が、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として公開することになります。
 アサヒビール大山崎山荘美術館は、歴史ゆたかな土地に建つ貴重な近代建築と、同時代の先端を行った芸術運動の遺産、そして国際的に活躍する建築家・安藤忠雄が手がけた現代建築の三つを擁して、1996年に開館しました。2004年には、「大山崎山荘」の6つの建物、霽景楼(せいけいろう)[現本館]、彩月庵(さいげつあん)[茶室]、橡ノ木(とちのき)茶屋、栖霞楼(せいかろう)[物見塔]、旧車庫[現レストハウス]、琅かん洞(ろうかんどう)[庭園入口トンネル]が国の有形文化財として登録されました。開館9年を迎えた2005年には来館者が100万人を越え、特色あるコレクションと建築、豊かな自然をともに楽しむことのできる美術館として、多くの人に親しまれています。

by sabasaba13 | 2019-06-14 06:27 | 京都 | Comments(0)

姫路・大阪・京都編(10):山崎(15.12)

 朝目覚めてベランダに出ると、残念ながら曇り空でした。まあ雨が降っていないので諒としましょう。湖上では、太公望たちが小舟に乗って釣りをしています。何が釣れるのだろう? バビロニアに、"人間の寿命は神が決めるが、決算の際、各人が釣りに費やした時間は免除され、差し引かれない"という格言があるそうです。
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 昨晩予約しておいた和食の店「おうみ」で、朝食をいただきました。自分で選べる焼き魚を頬張りながら、本日の旅程について山ノ神と相談。姫路城の紅葉がわりと綺麗だったので、大阪へ行くのはやめて京都の錦秋を愉しむことにしました。芋の子を洗うような混雑は嫌なので、大山崎の山荘美術館で紅葉狩りをして、西山をタクシーでめぐることにしました。
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 旅装を整え荷物を持ってチェックアウト、無料シャトルバスでJR大津駅へと行きましょう。そうそう、このホテルにはレンタルサイクルが用意されています、まだ利用したことはありませんが。
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 大津駅前には「かるたの聖地 大津」という立て看板がありました。『小倉百人一首』の第一首目の歌を詠んだ天智天皇を祀る近江神宮があるため、ここ大津でさまざまなかるた大会が開かれるのですね。大津駅から琵琶湖線に乗ると、森高千里をイメージ・キャラクターにした正露丸の広告がありました。
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 京都駅のコインロッカーに荷物を預け、JR京都線で山崎駅へ。マンサール屋根のキュートな駅舎はいまだ健在です。駅前にある妙喜庵には千利休が建てた国宝茶室・待庵がありますが、以前に拝見したので今回はカット。
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 「京都府観光ガイド」から紹介文を引用しておきます。
 羽柴秀吉が山崎城築城に際し、堺から呼び寄せた利休が、大山崎在住中に建てたといわれる小間の茶室、建物の端々に利休の非凡さが感じられる。
 建物は切妻造り、柿葺で、茶室では例のない地下窓をあけている。内部は二畳という極小の空間で、角に炉を切り、室床という独特の床の間をもつ、我が国数寄屋造りの原点といわれる。
 「待庵」は、愛知県犬山市の如庵・京都市大徳寺の密庵とともに国宝三茶室に数えられている。
 また十あまりの国における油の販売と、その原料の荏胡麻購入の独占権を持っていた大山崎の油神人の本所だった離宮八幡宮も近くにありますが、こちらも以前に訪れました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-06-12 06:25 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(34):妙傳寺(15.3)

 妙傳寺は枝垂れ桜の一発芸、見事な枝振りの古木がここを先途と咲き誇っていました。
 それでは最後の訪問先、東寺へと向かいましょう。地下鉄東西銭の東山駅の近くには、景観に配慮した地味な看板の〇ク〇ナ〇ドがありました。駅へとおりる階段は、スーツ姿の若者でごった返していましたが、大学の入学式に列席する新入生諸君のようです。
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 地下鉄東西線に乗って烏丸御池駅で地下鉄烏丸線に乗り換えて京都駅へ。近鉄京都線に乗り換えて東寺駅で下車。めざすは東寺、銘木・不二桜のライト・アップですが、門前にはすでに長い長い行列ができていました。はい、やめやめ。こらえ性のない私はすぐにあきらめ、撤退しました。
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 とりあえず、京都駅で夕食をとって帰郷することにしましょう。東寺駅に行く途中で、「君の夢 万引き一つで 消えていく」という標語の看板を発見。うーむ、もちろん万引きは犯罪なのですが、セカンド・チャンスはないぞ、という脅しなのでしょうか。アメリカ合州国の「三振法」を思い出しました。そこまで言うなら、原発事故で国土と人々を破滅させた輩たちには、巨大な鉄槌を与えてほしいものです。近くには、かわいらしい「むくり屋根」の民家がありました。
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 そして京都駅に到着、構内の「侘家三昧」で好物のねぎ焼きをいただきました。
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 改札を通って新幹線ホームに行こうとすると、平安神宮神苑の桜を写した「そうだ京都、行こう」のポスターが壁面に貼ってありました。ライト・アップされた紅枝垂れ桜と、それを鏡のように映す湖面、ぜひ見てみたいものです。売店で「SIZUYA」のメンチカツサンドを購入して新幹線に乗り込み、帰郷の途につきました。
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 余談ですが、車内通路ですれちがう人のために脇へどいてもお礼の言葉はなし、キャリーバッグで私の足を轢いても謝罪の言葉はなし、やれやれ「徳」はどこへ行ったのでしょう。

 というわけで2015年版京都観桜編、一巻の終わりです。冬来たりなば春遠からじ、間もなく桜の便りも届くことと思います。京都花見の一助になれば、幸甚です。なお「京都の有名桜スポット」というサイトがあること、今回行けなかった穴場として十輪寺・勝持寺・正法寺・実相院があることをお伝えして筆を置きます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-20 06:36 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(33):岡崎疎水(15.3)

 それでは次の訪問先、妙傳寺へと向かいましょう。途中に蛙のガードレール・アニマルがあったので撮影。岡崎疎水の桜も、たわわに花をつけた枝が水面へと垂れ下がり、見事な景観でした。
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 なおこのあたりに、八角の塔を戴く印象的な「有鄰館」というビルがありました。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみると、公式サイトに格調高い紹介文がありましたので引用します。
 京都・東山連峰にほど近く清らかな疎水に面し、乾隆年製の黄釉瓦36,000をのせ、中国古材の朱塗りの八角堂をいただく有鄰館は、大正15年(1926年)に、滋賀県五個荘出身の藤井善助翁によって設立されました。翁は近江商人の血をひき17歳で上海の後の東亞同文書院大学に学び、33歳では数十社の経営に当り、満34歳で衆議院議員となり、この時出会った犬養毅翁の薫陶が中国文化への認識を深めさせ、古印などの収集をはじめることとなりました。有鄰館という名前は、「徳は孤ならず必ず鄰有り」と中国との善隣と友好を願って「論語」より名付けられました。
 「美術は一国文明の象徴にして文化の尺度たり。古来、東洋文物の世界に貢献するところ極めて深く、わが国文化の開発は、往昔中国に負うところ更に深し。しかるに近時、東洋文化の誇りとすべき宝器名品海外に流出し、欧米に去るを防がんと欲し、自ら微力を顧みずこれを蒐集す。しかるに美術の人心に及ぼす影響大なるを考え、蒐集家の深蔵を改め、公衆に公開して人心を美化し、美術の学術研究に資する。」という設立者の精神は今日まで脈々と流れ、大正15年以来の定日一般公開をつづけています。
 殷代より清代に至る約4000年間に生み出された芸術性の高い中国文化の結晶である、青銅器、仏像彫刻、陶磁器、磚石、印璽、書蹟、絵画などは、私達との血のつながりを肌で感じさせます。 又、文字の発達、変遷を甲骨文や青銅器の銘文にはじまり、多くの資料を通じて学ぶことが出来るのも有鄰館の特徴であります。「精神的に豊かな社会づくり」はビジョンであり、人間性の維持と復活という永遠のテーマに対し、鑑賞者が何らかのヒントを見出していただけると共に、やすらぎのひとときを与えられる美術館でありたいと念じています。
 "徳は孤ならず必ず鄰有り"、ほんとうにいい言葉ですね。大好きです。わが日本に、アジアにおける仲の良い隣人がいないのは、「徳」がないからだと言えそうです。特に中国との善隣と友好は、東アジアの、ひいては世界の平和にとって欠かせない条件だと思うのですが、昨今の中国脅威論には辟易しています。もちろん、中国政府も、日本政府と同じくらい様々な問題点があることは重々承知しておりますが、それにしても度が過ぎています。これに関して、最近読んだ鳩山友紀夫氏・白井聡氏・木村朗氏の鼎談『誰がこの国を動かしているのか』(詩想社新書12)の中で、白井聡氏が鋭い分析をされています。
 そして、結局、TPPとはアメリカのために貢ぐということではないかと批判され、ついには、実はそのとおりだ、しかしいま中国をアメリカに抑えてもらうには、このくらい貢ぐのも仕方のないことなのだ、という理屈でTPPを推進しようとしています。
 あらゆるイシューをめぐって、とにかく中国脅威論で押し通そうという傾向がいま出てきている。永続敗戦レジームで続けてきた政治体制からすると、確かに対中脅威論にすがるしかないのです。つまり対米従属している合理的な理由が、冷戦崩壊後存在しないわけですから。
 こうして自民党というもののアイデンティティが問われている。自民党には昔はいろいろな考え方の政治家がいましたが、とにかくソ連だけはいかんということで固まっていたわけです。ソ連の共産主義はけしからん、あれにやられたら駄目だということで団結していた。ですから実はソ連崩壊で、自民党も内的原理を失ったということになるのです。ある種、自民党自身もアイデンティティを探す旅に出て、そして安倍さんあたりになって、それを発見したのでしょう。つまり、かつてソ連が果たしていた役割を中国に果たしてもらえばいい、とにかく中国だけはいかんということでまとまっていけば、国民をまとめることもできるのではないかということです。そこにもはや合理性がないわけですから、対中脅威論をあおりにあおるしかないわけです。(p.201~2)
 こうした低劣な扇動に乗らず、"わが国文化の開発は、往昔中国に負うところ更に深し"という歴史的事実に思いを馳せて、これからのより良き日中関係を考えるためにも、一度訪れてみたい博物館です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-19 06:28 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(32):平安神宮(15.3)

 そして平安神宮神苑へと歩いていきました。そう、お目当ては、谷崎潤一郎の『細雪』にも登場する紅枝垂れ桜です。寒竹泉美氏の「古都の影」で紹介されているので、引用します。
 土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。(中略) 彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、圓山公園の枝垂桜がすでに老い、年々に色褪せて行く今日では、まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。

 あの、神門をはいって大極殿を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、 「あー」と、感歎の声を放った。
 「あー」と言いたかったのですが、残念ながら八分咲き。それでも十二分に奇麗なのですけれど、ぜひ満開のころに訪れたいものです。
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 なおこちらのお庭も、小川治兵衛(植治)の作庭によるものです。よろしければ、以前に掲載した訪問記をご照覧ください。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-16 06:26 | 京都 | Comments(2)

京都観桜編(31):哲学の道(15.3)

 そして哲学の道へ。「京都おもしろスポット」によると、南禅寺から銀閣寺に至る琵琶湖疎水に沿った小道で、哲学者・西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていました。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々されたとのことです。風情ある疎水と小道を覆うように咲き誇る桜のトンネル、すばらしい景観でした。観光客も多くて閉口しましたが、やはり一見の価値はありますね。
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 なお同サイトによると、法然院のそばに、「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」という西田幾多郎の歌碑があるそうです。今回の旅では知らずにいて見過ごしてしまいました。再訪を期す。

 次なる目的地は真如堂、途中に喫茶店「白河」があったので一休みしました。嬉しいことに、こちらも喫煙が可能でした。♪いつもプカプカプーカ♪ 珈琲も350円だったし、喫煙者にはお薦めの喫茶店です。
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 真如堂は紅葉の名所として人口に膾炙されておりますが、どうしてどうして桜の穴場でもあります。満開にはすこし早かったのですが、きれいな桜花が境内を埋め尽くします。
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 穴場は、真如堂の近くにある陀枳尼(だきに)天です。たいへんな桜密度で、空気まで桜色に染め上げられているようでした。おまけに観光客はほとんどおりません。
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 宗忠神社も穴場。長い石段を覆い尽くすような桜のトンネルがありますが、残念ながら五分咲きでした。ここは再訪を期したいですね。

 本日の八枚、上から哲学の道(4枚)、真如堂(1枚)、陀枳尼天(2枚)、宗忠神社(1枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-15 06:35 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(30):インクライン(15.3)

 そして琵琶湖疎水の桜並木を愛でながらすこし遠回りをして山科駅へ。
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 地下鉄東西線に乗って蹴上まで行き、インクラインへ。インクラインの下に穿たれた歩行者用トンネルは、琵琶湖疏水工事にともなって作られた重厚な煉瓦造りです。扁額の「雄観奇想」という字を揮毫したのはこの計画を推進した北垣国道京都府知事。別名「ねじりマンボ」と言われますが、強度を高めるために内部の煉瓦が螺旋状にねじれていることからきています。マンボとは鉄道の線路をくぐるトンネル、間歩のことです。
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 そしてインクラインに到着。琵琶湖疎水に設置された船を載せる傾斜鉄道で、船を貨車に載せて疎水へと引き上げる/引き下げるインクラインの線路と貨車が残されています。延々と連なる桜並木はほぼ満開、しかし名所であるがゆえに芋を洗うような大混雑で、落ち着いて花を愛でる雰囲気ではありません。
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 でも上の方へ行くと多少花見客も減り、疎水を設計した田辺朔郎博士の銅像のあたりでは心静かに咲き誇る桜花を満喫できました。
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 「瓢亭」の前を通り過ぎて、元老山県有朋の別荘・無鄰菴へ。彼自ら設計し、小川治兵衛(植治)が造園した池泉回遊式庭園で有名です。期待していたのですが、桜はほとんどありませんでした。しかし桜がなくても見応えのあるお庭です。芝生を植えるなど洋風のテイストを加味したモダンな庭園をしばし散策しました。なおここにある洋館で、1903(明治36)年4月21日、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の四人によって,日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれました。
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 そして南禅寺塔頭の天授庵へ。紅葉の季節には何度か訪れましたが、桜の季節ははじめてです。小堀遠州の発案とされる、白い砂と緑の苔の対比、そこに菱形の石畳が並ぶ斬新な意匠の方丈東庭と、大小二つの池を回遊できる書院南庭を拝見しましたが、桜はほとんどありませんでした。
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 南禅寺の境内は桜が多く、ほぼ満開。ちょっと小振りなのですが、三門のあたりをそぞろ歩いて春の風情を楽しみました。
 近くにあるのが、実業家・二代目野村徳七が築造した数寄屋造りの別邸、そして植治の傑作のひとつである庭園がある「碧雲荘」です。残念ながら非公開。noblesse obligeというじゃありませんか、ここは一つ入園料1000円でもいいから一般公開して太っ腹なところを見せてほしいものです。
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 本日の八枚、上から琵琶湖疎水(2枚)、インクライン(4枚)、南禅寺(2枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-12 07:55 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(29):毘沙門堂(15.3)

 そして毘沙門堂をめざしてのんびりと歩いていきましたが、途中で何本もの満開の桜に出会えました。
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 琵琶湖疎水にかかる安朱橋からは、咲き誇る桜並木と地元の方々が植えられた菜の花の競演を楽しめます。なお「琵琶湖疎水通船試行船体験ツァー 山科乗船・下船場」という立て看板がありましたが、琵琶湖疎水を船でたどるツァーが試みられているようですね。
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 さっそく今、インターネットで調べてみると、公式サイトがありました。以下、引用します。
 疏水開削後、明治27年(1894年)に初めて琵琶湖疏水における運搬船が運航されたことを皮切りに、滋賀県・大津から京都までの間で物資を運搬するための舟運が発達し、ピーク時期となる大正14年(1925年)には、琵琶湖疏水によって年間22万2、927トンの資材が運搬され、1日当たりの通船数は150隻に達しました。
 また、資材等の運搬船だけでなく、旅客のための遊覧船も運航され、数十年にわたって旅客・貨物とも大いに利用されましたが、自動車や鉄道等の急速な発達に伴い、舟運は、徐々にその数を減らし、昭和26年(1951年)9月に大津から山科まで4.5トンの砂を輸送したのを最後にその姿を消しました。
 以来、琵琶湖疏水における舟運の復活を望む声は幾度となく挙がったものの、長きにわたってその実現には至りませんでした。
 そして、民間企業や、京都・大津両市の観光協会、商工会議所、そして両市の行政が知恵を出し合う形で「琵琶湖疏水船下り実行委員会」が平成26年(2014年)12月に立ち上がり、その試行船が運航されていたのですね。なんと嬉しいことに、2018(平成30)年3月29日から、本格的に実施されるようです。これは必乗ですね、山ノ神をし…もとい山ノ神と一緒に是が非でも乗りたいと思います。でもしばらくは大混雑だろうなあ。

 毘沙門堂は、紅葉の時期にはよく訪れるのですが、桜の季節に訪れたのは一度だけ、その時は開花していませんでした。今回はほぼ満開に近く、お目当てにしていた枝垂れ桜の銘木・般若桜の艶やかな姿を堪能することができました。目果報、目果報。
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 本日の七枚、上から琵琶湖疎水(2枚)、毘沙門堂(5枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-11 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(28):竜安寺(15.3)

 そして裏にある蹲踞(つくばい)を撮影。「吾唯足知(われただたることをしる)」の四文字を図案化した蹲踞で、徳川光圀の寄進したものだそうです。ホームページによると、釈迦が説いた「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という教え、「知足」の心を表現したもの。「不知足」を駆動力とする経済成長を、真っ向幹竹割りにする痛快な四文字ですね。その近くには「目のご不自由な方の為のミニ石庭」と記された、石庭のレプリカが置いてありました。その見識には敬意を表します。
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 庫裡から出ると、庭師さんが一所懸命に手入れをされていました。こうした方々の尽力で、こうした美しい庭が維持されているのですね。ご苦労様です。
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 そして鏡容池(きょうようち)へ、ここは平安時代には徳大寺家の別荘だったそうでその名残りの大きな池です。周囲をぐるりと廻れる遊歩道が整備されており、咲き誇る桜とそれを綺麗に映す水面を満喫できました。
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 駐車場に戻り、係の方に挨拶をすると、「駐車場の上にある桜がきれいだよ」と教えてくれました。お言葉に甘えて、ゆるやかな坂をのぼって「自家用P」に行ってみました。凄い… 一瞬息が止まりました。満開のソメイヨシノと枝垂れ桜の共演が、世界を桃色に染め上げていました。素晴らしい、ここは人に教えたくないような、教えたいような穴場です。
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 それでは毘沙門堂へ向かいましょう。嵐電の竜安寺駅まではすこし遠いので、JRバスで「市役所前」に行くことにしました。金閣寺前の停留所では、たくさんの外人観光客が乗り込み車内は超満員。地元の方には迷惑でしょうね、申し訳ない。
 京都市役所でおりると、桂小五郎(木戸孝允)の像がありましたが、このあたりにはかつて長州藩屋敷があったのですね。
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 地下鉄東西線に乗って山科駅へ、そろそろ昼食をとろうかなと駅地下をうろうろしていると、「当店ではタバコが吸えます 禁煙席は設けておりませんので、ご理解の上、ご了承下さいませ」という、良識ある方々が眉を顰めるような貼り紙のある「ビアンカ」という喫茶店がありました。でも絶滅危惧種である喫煙者としては僥倖です。さっそく入店してオムそばをいただき、心行くまで紫煙をくゆらしました。
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 本日の五枚、上から鏡容池(3枚)、駐車場(2枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-10 06:50 | 京都 | Comments(0)