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京都観桜編(34):妙傳寺(15.3)

 妙傳寺は枝垂れ桜の一発芸、見事な枝振りの古木がここを先途と咲き誇っていました。
 それでは最後の訪問先、東寺へと向かいましょう。地下鉄東西銭の東山駅の近くには、景観に配慮した地味な看板の〇ク〇ナ〇ドがありました。駅へとおりる階段は、スーツ姿の若者でごった返していましたが、大学の入学式に列席する新入生諸君のようです。
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 地下鉄東西線に乗って烏丸御池駅で地下鉄烏丸線に乗り換えて京都駅へ。近鉄京都線に乗り換えて東寺駅で下車。めざすは東寺、銘木・不二桜のライト・アップですが、門前にはすでに長い長い行列ができていました。はい、やめやめ。こらえ性のない私はすぐにあきらめ、撤退しました。
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 とりあえず、京都駅で夕食をとって帰郷することにしましょう。東寺駅に行く途中で、「君の夢 万引き一つで 消えていく」という標語の看板を発見。うーむ、もちろん万引きは犯罪なのですが、セカンド・チャンスはないぞ、という脅しなのでしょうか。アメリカ合州国の「三振法」を思い出しました。そこまで言うなら、原発事故で国土と人々を破滅させた輩たちには、巨大な鉄槌を与えてほしいものです。近くには、かわいらしい「むくり屋根」の民家がありました。
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 そして京都駅に到着、構内の「侘家三昧」で好物のねぎ焼きをいただきました。
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 改札を通って新幹線ホームに行こうとすると、平安神宮神苑の桜を写した「そうだ京都、行こう」のポスターが壁面に貼ってありました。ライト・アップされた紅枝垂れ桜と、それを鏡のように映す湖面、ぜひ見てみたいものです。売店で「SIZUYA」のメンチカツサンドを購入して新幹線に乗り込み、帰郷の途につきました。
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 余談ですが、車内通路ですれちがう人のために脇へどいてもお礼の言葉はなし、キャリーバッグで私の足を轢いても謝罪の言葉はなし、やれやれ「徳」はどこへ行ったのでしょう。

 というわけで2015年版京都観桜編、一巻の終わりです。冬来たりなば春遠からじ、間もなく桜の便りも届くことと思います。京都花見の一助になれば、幸甚です。なお「京都の有名桜スポット」というサイトがあること、今回行けなかった穴場として十輪寺・勝持寺・正法寺・実相院があることをお伝えして筆を置きます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-20 06:36 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(33):岡崎疎水(15.3)

 それでは次の訪問先、妙傳寺へと向かいましょう。途中に蛙のガードレール・アニマルがあったので撮影。岡崎疎水の桜も、たわわに花をつけた枝が水面へと垂れ下がり、見事な景観でした。
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 なおこのあたりに、八角の塔を戴く印象的な「有鄰館」というビルがありました。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみると、公式サイトに格調高い紹介文がありましたので引用します。
 京都・東山連峰にほど近く清らかな疎水に面し、乾隆年製の黄釉瓦36,000をのせ、中国古材の朱塗りの八角堂をいただく有鄰館は、大正15年(1926年)に、滋賀県五個荘出身の藤井善助翁によって設立されました。翁は近江商人の血をひき17歳で上海の後の東亞同文書院大学に学び、33歳では数十社の経営に当り、満34歳で衆議院議員となり、この時出会った犬養毅翁の薫陶が中国文化への認識を深めさせ、古印などの収集をはじめることとなりました。有鄰館という名前は、「徳は孤ならず必ず鄰有り」と中国との善隣と友好を願って「論語」より名付けられました。
 「美術は一国文明の象徴にして文化の尺度たり。古来、東洋文物の世界に貢献するところ極めて深く、わが国文化の開発は、往昔中国に負うところ更に深し。しかるに近時、東洋文化の誇りとすべき宝器名品海外に流出し、欧米に去るを防がんと欲し、自ら微力を顧みずこれを蒐集す。しかるに美術の人心に及ぼす影響大なるを考え、蒐集家の深蔵を改め、公衆に公開して人心を美化し、美術の学術研究に資する。」という設立者の精神は今日まで脈々と流れ、大正15年以来の定日一般公開をつづけています。
 殷代より清代に至る約4000年間に生み出された芸術性の高い中国文化の結晶である、青銅器、仏像彫刻、陶磁器、磚石、印璽、書蹟、絵画などは、私達との血のつながりを肌で感じさせます。 又、文字の発達、変遷を甲骨文や青銅器の銘文にはじまり、多くの資料を通じて学ぶことが出来るのも有鄰館の特徴であります。「精神的に豊かな社会づくり」はビジョンであり、人間性の維持と復活という永遠のテーマに対し、鑑賞者が何らかのヒントを見出していただけると共に、やすらぎのひとときを与えられる美術館でありたいと念じています。
 "徳は孤ならず必ず鄰有り"、ほんとうにいい言葉ですね。大好きです。わが日本に、アジアにおける仲の良い隣人がいないのは、「徳」がないからだと言えそうです。特に中国との善隣と友好は、東アジアの、ひいては世界の平和にとって欠かせない条件だと思うのですが、昨今の中国脅威論には辟易しています。もちろん、中国政府も、日本政府と同じくらい様々な問題点があることは重々承知しておりますが、それにしても度が過ぎています。これに関して、最近読んだ鳩山友紀夫氏・白井聡氏・木村朗氏の鼎談『誰がこの国を動かしているのか』(詩想社新書12)の中で、白井聡氏が鋭い分析をされています。
 そして、結局、TPPとはアメリカのために貢ぐということではないかと批判され、ついには、実はそのとおりだ、しかしいま中国をアメリカに抑えてもらうには、このくらい貢ぐのも仕方のないことなのだ、という理屈でTPPを推進しようとしています。
 あらゆるイシューをめぐって、とにかく中国脅威論で押し通そうという傾向がいま出てきている。永続敗戦レジームで続けてきた政治体制からすると、確かに対中脅威論にすがるしかないのです。つまり対米従属している合理的な理由が、冷戦崩壊後存在しないわけですから。
 こうして自民党というもののアイデンティティが問われている。自民党には昔はいろいろな考え方の政治家がいましたが、とにかくソ連だけはいかんということで固まっていたわけです。ソ連の共産主義はけしからん、あれにやられたら駄目だということで団結していた。ですから実はソ連崩壊で、自民党も内的原理を失ったということになるのです。ある種、自民党自身もアイデンティティを探す旅に出て、そして安倍さんあたりになって、それを発見したのでしょう。つまり、かつてソ連が果たしていた役割を中国に果たしてもらえばいい、とにかく中国だけはいかんということでまとまっていけば、国民をまとめることもできるのではないかということです。そこにもはや合理性がないわけですから、対中脅威論をあおりにあおるしかないわけです。(p.201~2)
 こうした低劣な扇動に乗らず、"わが国文化の開発は、往昔中国に負うところ更に深し"という歴史的事実に思いを馳せて、これからのより良き日中関係を考えるためにも、一度訪れてみたい博物館です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-19 06:28 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(32):平安神宮(15.3)

 そして平安神宮神苑へと歩いていきました。そう、お目当ては、谷崎潤一郎の『細雪』にも登場する紅枝垂れ桜です。寒竹泉美氏の「古都の影」で紹介されているので、引用します。
 土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。(中略) 彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、圓山公園の枝垂桜がすでに老い、年々に色褪せて行く今日では、まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。

 あの、神門をはいって大極殿を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、 「あー」と、感歎の声を放った。
 「あー」と言いたかったのですが、残念ながら八分咲き。それでも十二分に奇麗なのですけれど、ぜひ満開のころに訪れたいものです。
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 なおこちらのお庭も、小川治兵衛(植治)の作庭によるものです。よろしければ、以前に掲載した訪問記をご照覧ください。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-16 06:26 | 京都 | Comments(2)

京都観桜編(31):哲学の道(15.3)

 そして哲学の道へ。「京都おもしろスポット」によると、南禅寺から銀閣寺に至る琵琶湖疎水に沿った小道で、哲学者・西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていました。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々されたとのことです。風情ある疎水と小道を覆うように咲き誇る桜のトンネル、すばらしい景観でした。観光客も多くて閉口しましたが、やはり一見の価値はありますね。
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 なお同サイトによると、法然院のそばに、「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」という西田幾多郎の歌碑があるそうです。今回の旅では知らずにいて見過ごしてしまいました。再訪を期す。

 次なる目的地は真如堂、途中に喫茶店「白河」があったので一休みしました。嬉しいことに、こちらも喫煙が可能でした。♪いつもプカプカプーカ♪ 珈琲も350円だったし、喫煙者にはお薦めの喫茶店です。
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 真如堂は紅葉の名所として人口に膾炙されておりますが、どうしてどうして桜の穴場でもあります。満開にはすこし早かったのですが、きれいな桜花が境内を埋め尽くします。
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 穴場は、真如堂の近くにある陀枳尼(だきに)天です。たいへんな桜密度で、空気まで桜色に染め上げられているようでした。おまけに観光客はほとんどおりません。
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 宗忠神社も穴場。長い石段を覆い尽くすような桜のトンネルがありますが、残念ながら五分咲きでした。ここは再訪を期したいですね。

 本日の八枚、上から哲学の道(4枚)、真如堂(1枚)、陀枳尼天(2枚)、宗忠神社(1枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-15 06:35 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(30):インクライン(15.3)

 そして琵琶湖疎水の桜並木を愛でながらすこし遠回りをして山科駅へ。
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 地下鉄東西線に乗って蹴上まで行き、インクラインへ。インクラインの下に穿たれた歩行者用トンネルは、琵琶湖疏水工事にともなって作られた重厚な煉瓦造りです。扁額の「雄観奇想」という字を揮毫したのはこの計画を推進した北垣国道京都府知事。別名「ねじりマンボ」と言われますが、強度を高めるために内部の煉瓦が螺旋状にねじれていることからきています。マンボとは鉄道の線路をくぐるトンネル、間歩のことです。
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 そしてインクラインに到着。琵琶湖疎水に設置された船を載せる傾斜鉄道で、船を貨車に載せて疎水へと引き上げる/引き下げるインクラインの線路と貨車が残されています。延々と連なる桜並木はほぼ満開、しかし名所であるがゆえに芋を洗うような大混雑で、落ち着いて花を愛でる雰囲気ではありません。
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 でも上の方へ行くと多少花見客も減り、疎水を設計した田辺朔郎博士の銅像のあたりでは心静かに咲き誇る桜花を満喫できました。
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 「瓢亭」の前を通り過ぎて、元老山県有朋の別荘・無鄰菴へ。彼自ら設計し、小川治兵衛(植治)が造園した池泉回遊式庭園で有名です。期待していたのですが、桜はほとんどありませんでした。しかし桜がなくても見応えのあるお庭です。芝生を植えるなど洋風のテイストを加味したモダンな庭園をしばし散策しました。なおここにある洋館で、1903(明治36)年4月21日、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の四人によって,日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれました。
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 そして南禅寺塔頭の天授庵へ。紅葉の季節には何度か訪れましたが、桜の季節ははじめてです。小堀遠州の発案とされる、白い砂と緑の苔の対比、そこに菱形の石畳が並ぶ斬新な意匠の方丈東庭と、大小二つの池を回遊できる書院南庭を拝見しましたが、桜はほとんどありませんでした。
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 南禅寺の境内は桜が多く、ほぼ満開。ちょっと小振りなのですが、三門のあたりをそぞろ歩いて春の風情を楽しみました。
 近くにあるのが、実業家・二代目野村徳七が築造した数寄屋造りの別邸、そして植治の傑作のひとつである庭園がある「碧雲荘」です。残念ながら非公開。noblesse obligeというじゃありませんか、ここは一つ入園料1000円でもいいから一般公開して太っ腹なところを見せてほしいものです。
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 本日の八枚、上から琵琶湖疎水(2枚)、インクライン(4枚)、南禅寺(2枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-12 07:55 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(29):毘沙門堂(15.3)

 そして毘沙門堂をめざしてのんびりと歩いていきましたが、途中で何本もの満開の桜に出会えました。
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 琵琶湖疎水にかかる安朱橋からは、咲き誇る桜並木と地元の方々が植えられた菜の花の競演を楽しめます。なお「琵琶湖疎水通船試行船体験ツァー 山科乗船・下船場」という立て看板がありましたが、琵琶湖疎水を船でたどるツァーが試みられているようですね。
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 さっそく今、インターネットで調べてみると、公式サイトがありました。以下、引用します。
 疏水開削後、明治27年(1894年)に初めて琵琶湖疏水における運搬船が運航されたことを皮切りに、滋賀県・大津から京都までの間で物資を運搬するための舟運が発達し、ピーク時期となる大正14年(1925年)には、琵琶湖疏水によって年間22万2、927トンの資材が運搬され、1日当たりの通船数は150隻に達しました。
 また、資材等の運搬船だけでなく、旅客のための遊覧船も運航され、数十年にわたって旅客・貨物とも大いに利用されましたが、自動車や鉄道等の急速な発達に伴い、舟運は、徐々にその数を減らし、昭和26年(1951年)9月に大津から山科まで4.5トンの砂を輸送したのを最後にその姿を消しました。
 以来、琵琶湖疏水における舟運の復活を望む声は幾度となく挙がったものの、長きにわたってその実現には至りませんでした。
 そして、民間企業や、京都・大津両市の観光協会、商工会議所、そして両市の行政が知恵を出し合う形で「琵琶湖疏水船下り実行委員会」が平成26年(2014年)12月に立ち上がり、その試行船が運航されていたのですね。なんと嬉しいことに、2018(平成30)年3月29日から、本格的に実施されるようです。これは必乗ですね、山ノ神をし…もとい山ノ神と一緒に是が非でも乗りたいと思います。でもしばらくは大混雑だろうなあ。

 毘沙門堂は、紅葉の時期にはよく訪れるのですが、桜の季節に訪れたのは一度だけ、その時は開花していませんでした。今回はほぼ満開に近く、お目当てにしていた枝垂れ桜の銘木・般若桜の艶やかな姿を堪能することができました。目果報、目果報。
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 本日の七枚、上から琵琶湖疎水(2枚)、毘沙門堂(5枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-11 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(28):竜安寺(15.3)

 そして裏にある蹲踞(つくばい)を撮影。「吾唯足知(われただたることをしる)」の四文字を図案化した蹲踞で、徳川光圀の寄進したものだそうです。ホームページによると、釈迦が説いた「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という教え、「知足」の心を表現したもの。「不知足」を駆動力とする経済成長を、真っ向幹竹割りにする痛快な四文字ですね。その近くには「目のご不自由な方の為のミニ石庭」と記された、石庭のレプリカが置いてありました。その見識には敬意を表します。
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 庫裡から出ると、庭師さんが一所懸命に手入れをされていました。こうした方々の尽力で、こうした美しい庭が維持されているのですね。ご苦労様です。
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 そして鏡容池(きょうようち)へ、ここは平安時代には徳大寺家の別荘だったそうでその名残りの大きな池です。周囲をぐるりと廻れる遊歩道が整備されており、咲き誇る桜とそれを綺麗に映す水面を満喫できました。
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 駐車場に戻り、係の方に挨拶をすると、「駐車場の上にある桜がきれいだよ」と教えてくれました。お言葉に甘えて、ゆるやかな坂をのぼって「自家用P」に行ってみました。凄い… 一瞬息が止まりました。満開のソメイヨシノと枝垂れ桜の共演が、世界を桃色に染め上げていました。素晴らしい、ここは人に教えたくないような、教えたいような穴場です。
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 それでは毘沙門堂へ向かいましょう。嵐電の竜安寺駅まではすこし遠いので、JRバスで「市役所前」に行くことにしました。金閣寺前の停留所では、たくさんの外人観光客が乗り込み車内は超満員。地元の方には迷惑でしょうね、申し訳ない。
 京都市役所でおりると、桂小五郎(木戸孝允)の像がありましたが、このあたりにはかつて長州藩屋敷があったのですね。
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 地下鉄東西線に乗って山科駅へ、そろそろ昼食をとろうかなと駅地下をうろうろしていると、「当店ではタバコが吸えます 禁煙席は設けておりませんので、ご理解の上、ご了承下さいませ」という、良識ある方々が眉を顰めるような貼り紙のある「ビアンカ」という喫茶店がありました。でも絶滅危惧種である喫煙者としては僥倖です。さっそく入店してオムそばをいただき、心行くまで紫煙をくゆらしました。
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 本日の五枚、上から鏡容池(3枚)、駐車場(2枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-10 06:50 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(27):竜安寺(15.3)

 そして竜安寺へ、紅葉のころには来たことがあるのですが、桜の時期は初めてです。運賃を支払ってタクシーとはお別れし、駐車場を歩いていると、おおっ、その土手を埋め尽くしあふれるような桜、桜、桜が目に入りました。これは期待できそう。山門で拝観料を支払って境内に入ると、たくさんの桜が咲き誇っていました。やった。庫裡へと続く石段の参道の両側には割り竹を菱形に張った竜安寺垣を撮影し、方丈庭園(石庭)へ。
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 白砂の上に15個の石を5・2・3・2・3と配した枯山水庭園。4の5の言わず、その石の形と配置の美を純粋に楽しみましょう。額縁とも言うべき油土塀の上に桜が顔をのぞかせていましたが、残念ながら満開にはほど遠い状態です。
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 なおこの石庭について、坂口安吾と芥川龍之介がコメントを残しているので紹介します。まずは坂口安吾の『日本文化私観』(岩波文庫・講談社学芸文庫)から。
 龍安寺の石庭がどのような深い孤独やサビを表現し、深遠な禅機に通じていても構わない、石の配置が如何なる観念や思想に結びつくかも問題ではないのだ。要するに、我々が涯ない海の無限なる郷愁や砂漠の大いなる落日を思い、石庭の与える感動がそれに及ばざる時には、遠慮なく石庭を黙殺すればいいのである。
 芥川龍之介のコメントについては、堀辰雄が『大和路・信濃路』(新潮文庫)の中でふれています。
 そのなかの「龍安寺」の章を読みながら、この庭が芥川さんの最も愛されていた庭だったのを私は思い出した。室生(※犀星)さんも「ひょっとすると龍安寺などがこんど見て来た庭のうちで最も心に残って澄みきっているのではないかと思った」と言われて、その「京洛日記」を結ばれている。
 しかしその庭を見に行かれた折の日記によると、「…六十坪に十五の石が沈みきっているだけである。しかし無理に私どもに何かを考えさせようとする圧迫感があって、それがこの庭の中にいる間じゅう邪魔になって仕方がなかった。宿に帰って燈下で考えるとこの石庭がよくこなれて頭にはいって来るようである。固い爺むさい鯱張った感じがうすれて、十五の石のあたまをそれぞれに撫でてやりたいくらいの静かさであった。相阿弥の晩年の作であるという志賀直哉氏の説は正しい。只、爺むさく説法や謎を聞かされるのは厭であるが、相阿弥のこの行方は初めはもっと石をつかっていてそれを漸次に抜いて行ったものか、もっと少なく石を置きそれに加えて行ったものか、盤景をあつかうような簡単な訳に行かなかったに違いない。相阿弥が苦しんでいるのが固苦しい感じになって今も漂っているのであろう。」
 恐らく芥川さんはその謎めいた魅力にいきなり飛びつかれて行かれたのだろう。が、室生さんは一応はそれに抵抗された。しかし最後にはその謎めいた魅力に打負かされている。
 芸術品の魅力は、結局、そういう謎めいたものにある。謎のないものは、すぐ私達を倦きさせるのだ。(p.16~7)

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-09 06:25 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(26):上品蓮台寺(15.3)

 それでは出発。草津駅に行く途中で、何本か満開の桜があったので撮影。さきほど不快な画像を見てしまったので無性に腹がへりました。あたりを見回しても地元資本の喫茶店がないので、いたしかたない、駅近くの「〇ッ〇リ〇」のハンバーガーで胃の腑を満たしました。
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 琵琶湖線に乗って京都駅へ、これからバスで金閣寺に向かいます。バスの車窓から外を眺めていると、「七条通り Shichijo-dori St.」という道路標識を見かけました。あれ? 観光地図を見ると、「烏丸七条 Karasuma Nanajo」と記されています。"しちじょう"か"ななじょう"か、京都の方々はどちらを使われているのでしょうか。ご教示を乞う。
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 金閣寺は何度も来ているので拝観はしません。桜もあまりないとの情報も入手しています。それでは何故、ここまで来たのか。実はここからタクシーで五分ほどのところにある、個人所有のさくら園「原谷苑」がお目当てです。京の桜の隠れ里と称され、約4千坪の敷地に樹齢60年をこえる紅しだれ桜が200本以上も植えられているとのこと。これは必見です。いそいそと客待ちをしていたタクシーの運転手さんにその旨を告げると…まだ開花していないそうです。原谷苑と仁和寺の桜は、普通の桜が満開となった4~5日後が見ごろとなるそうです。無念、ぜひ再訪を期しましょう。
 急遽予定を変更、上品蓮台寺に寄った後、竜安寺に連れていってもらうことにしました。上品蓮台寺は一昨日訪れたのですが、二日経って開花がすこし進んだのではないかと期待しての再訪です。おおっ二日前より満開に近い状態に…なったような気がします。あいかわらず人気がなく、閑寂な境内でしばし桜花を愛でました。
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 本日の四枚は上品蓮台寺です。
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by sabasaba13 | 2018-03-08 06:35 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(25):ホテルにて(15.3)

 さあいよいよ最終日、テレビでニュースを見ると天気も上々、いやがうえにも気持ちが盛り上がります。するとその高揚に冷水を浴びせるような画像が流されました。「基地移設計画 今週末会談も妥協は難しい情勢」というテロップの背景には、菅義偉(すがよしひで)内閣官房長官と翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事の写真が映されています。菅長官か…朝っぱらから不愉快な顔を見てしまいました。記者会見での、木で鼻を括ったような彼の不誠実な対応には常々嫌悪感を抱いております。「民は依らしむべし、知らしむべからず」を地で行くような御仁ですね。あの冷血な風貌を見て、ヨゼフ・ゲッベルズを思い起すのは私だけでしょうか。彼に23回、37分間にわたって質問を浴びせた東京新聞の望月衣塑子記者が、『新聞記者』(角川新書)の中で、こう言っておられます。
 加計問題の背後では官邸の人間たちが暗躍しているのは、もう明らかだ。ならば、だれを攻めればいいのか。
 内閣官房を束ねる菅義偉長官だ。菅長官は月曜日から金曜日までの平日は定例会見を開いている。毎日マスコミに対応するのは菅官房長官しかいない。
 首相官邸のHPで、菅長官の定例会見の映像をいくつかチェックしてみた。
「えっ、これで終わりなんだ?」
 思わず拍子抜けしてしまった。事件取材ではもっと、もっともっと追及する質問を浴びせている状況で、表情を変えずに「ご指摘には当たらない」「問題ないと思われます」と返されて、記者たちは質問を重ねない。そのまま次のテーマへ移ることが何度もあった。
「菅さんには、なぜかだれも突っ込まないんだよね」
 定例会見に何度か出席したことのある他紙の記者からは静かな質疑応答の末に、10分ほどで終わるのが常態化していると教えられた。
「これはもう、自分が出席したほうがいいんじゃないか」
 こんな思いがいつしか頭をもたげてきていた。こうなるともう止まらないし、止められない。自らの意志でその扉を開けた。(p.140)

 ベッドでネットを見ていると、翌日に発売される『週刊文春』が、菅官房長官本人に関する疑惑を掲載することがわかった。
「『ばれたら面倒』 菅官房長官が政治資金公開を隠蔽指令」
 詳細は割愛するが、記事が事実なら政治資金規正法違反や国家公務員法の守秘義務違反に問われかねない大問題だ。(p.180)

 …500回以上の官邸会見を見続けてきた南記者によれば、会見で手を挙げているのに、内閣記者会の記者が質問を打ち切るという光景は、いまだかつて見たことがないという。
 なぜ同じ記者が打ち切るのか…
 信じられない思いで取材してみると、おどろくような事実がわかってきた。
 8月下旬、菅長官は幹事社を通じて菅番の担当記者に、会見時間を短縮したいとの趣旨を打診してきたという。番記者は「時間制限はできない」と突っぱね、要求は呑んでいないというが、あと「〇人」「あと〇回」と官邸の広報官が質問を打ち切っているのを認めているのが現状だあ。
 これは、メディアの自殺行為ではないか。
 あまりの出来事に呆然とし、愕然とした気持ちで涙があふれそうになった。日本のメディアの限界なのかと足が震えるほどの衝撃を受けた。
 さらに、事前に質問を渡すことも本格化しているように思える。この手法は以前からあり、官房長官会見に限らないが、最近は菅長官が手元のペーパーを見ながら答えることがほとんどになってきた。これをシャンシャン会見といわずになんというのか。
 以前私は、前川事務次官に対する「教育者としてあるまじき行為…」という非難の言葉までも菅氏が下を向いて発していたので、思わずこう聞いてしまった。
「事前に準備されたペーパーを読み上げているのですか」
 すると菅氏が怒りをあらわにこういった。
「あなたにそんなことを答える必要はない」
 このごろは最初から手を上げてもぜんぜん指名してもらえない。挙手しているのが私しかいなくなると、やっと当てられるという状況だ。(p.185~7)
 また『週刊金曜日』(№1166 17.12.22/18.1.5)の「"忖度メディア" 再生への処方箋 幹部が安倍首相とメシ食っても、横でつながれ!」という対談では、室井佑月氏と古賀茂明氏がこういう話をされています。
【室井】芸能人やテレビ局の人は今、菅さんとかに"おもてなし"されて、どんどん右に変わっちゃうから、もう寂しくて。仲のいい人がみんな消えていくからさ。
【古賀】それが菅さんの仕事だから。朝昼晩、夜は2回のこともあるらしい。ほとんどはテレビに出てる人と会食してると聞きました。それも、ちょっと政権に批判的だなって思う人と。そこで「先生のような方に是非お力をお貸しいただければ」と言う。これ、実は、「仕事をやるぞ」という意味なんですよね。
【室井】「大学教授」とか、「ワーキンググループメンバー」とか。偉そうな肩書がつくと、芸能人はうれしくてなびいちゃうよね。浮き草稼業だから。『朝日新聞』の曽我豪編集委員たちも相変わらず、安倍首相とご飯に行ってるし。行くな、っつうの。(p.19)
 なるほど、どうやらこの御仁は、政権や自分にとって不都合な事実を隠蔽するために、さまざまな手練手管を使ってメディアを統制するのがお役目のようですね。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-04 07:37 | 京都 | Comments(0)