散歩の変人:本
2024-03-15T06:09:15+09:00
sabasaba13
地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う
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『未明の砦』
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2024-03-15T06:09:00+09:00
2024-03-15T06:09:15+09:00
2024-03-15T06:09:15+09:00
sabasaba13
本
2023年も小説、詩集、専門書、随筆などなどいろいろな本を読みました。その中で五指に入れたい一冊が『未明の砦』(太田愛 角川書店)という小説です。以前に拙ブログで『天上の葦』という傑作を紹介しましたが、その次の作品がなかなか発表されずやきもきしておりました。一日千秋の思い待ち焦がれましたが、ようやく刊行の運びとなりました。即時購入し、残りページが少なくなるのを惜しみながら、一気呵成に読了。読書の醍醐味を心から満喫しました。抜群のストーリー・テリング、張り巡らされた伏線とそれが解きほぐされていく快感、登場人物たちの絡み合いと性格描写の面白さ、随所にちりばめられたユーモア。『天上の葦』と甲乙つけがたい傑作ですが、テーマの重要性という点で本作に軍配をあげましょう。現代日本の暗部と恥部、われわれの命と暮らしを脅かす労働問題と、財界による苛烈な搾取、そしてそれを支える政治の腐敗と警察権力の暗躍がそのテーマです。
主人公は矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平という四人の非正規工員。舞台は、ユシマというグローバル自動車企業とその工場。これは参考文献を見ると、明らかにトヨタをなぞっています。日々の過酷な労働と劣悪な労働条件の克明な描写も鮮烈です。疲労のために何も考えられず休日は宿舎に閉じこもってスマートフォンと戯れる彼らを、ベテラン正規工員の玄羽昭一は夏休みに千葉県の実家に誘って合宿を行ないます。現状に疑問と怒りをも四人を見込んで、彼らを立ち上がらせようとするためですね。そこにあった蔵書で労働者の闘いの歴史を学び、蒙を啓かれた四人。彼らを知的に刺激する、リリアン・ギッシュに似た崇像(むなかた)朱鷺子という地元の老女も魅力的です。
朱鷺子の性格を考えれば、黙ってその姿を見せることで若い四人を導いたのではなく、無知は恥であると面罵したのではなかろうか。(p.242~3)
しかしその玄羽が工場の劣悪な労働環境のせいで倒れて見殺しにされ、しかも労災に認定されません。人間を使い捨てるユシマに怒った四人は、ユニオン(個人で加入できる労働組合)の相談員・國木田莞慈や専従・岸本彰子の助けを借りながら、新しい労働組合を立ち上げ、ストライキによってユシマに闘いを挑みます。これに対してユシマはさまざまな妨害や嫌がらせを行ない、社長・柚島庸蔵は与党の政治家を通して警察を動かし、あろうことか警察は四人に共謀罪の濡れ衣を着せて指名手配にしてしまいます。さあ人間の尊厳をかけたこの闘いの結末はいかに。
この血湧き肉踊るストーリーに、四人の思いに共感を覚える刑事・藪下哲夫と小坂剛の凸凹コンビ、ジャーナリストの溝淵久志と玉井登の「ブチタマ」コンビ、社員の日夏康章と灰田聡、派遣警備員・山崎武治と派遣清掃員・仙場南美といった多彩な脇役の動きが絡み、物語をより豊穣なものにしていきます。
また現状を鋭く批判する著者のメッセージが作中にちりばめられているのも、読みどころです。例えば、労働者を酷使し使い捨てて利益をあげる大企業。
「國木田さん、俺たちの身にもなって下さいよ」と、秋山は悲しげな声をあげた。「一日中働いてくたくたになって、たまの休みの日にリアルデモする余力なんてないですよ」
「それが使う側の思う壺なんだ。言われるままに働くから、働かせたいだけ働かせてくたくたにして、ものを考える時間など与えない…」 (p.345) 「君は利口なんだね」
「別にそうは思いませんけど、でも世の中って、要は自分の力でどう人を出し抜いて、せり上がっていくかってもんじゃないですか。自分の身は自分で守るしかないわけですから」
日夏は来栖に微笑を返しながら腹の中で呟いた。君のような貧しい若者がそう思ってくれることが、雇用主にとっては一番ありがたいんだよ。貧しい若者同士のより卑劣で過酷な精神のダンピング合戦になるんだから。(p.366) 矢上は大きな声で問いかけた。
「今、ここにいる工員の中に、本気であんな賃金制度を望んでいる者がいるのか。本気で〈人物力〉で自分の価値を測られたい者はいるのか」
線のある制帽もない制帽も、庇が斜め下に傾くのが矢上にはわかった。もう決まってしまったのだから、できるだけ考えないようにしてきたことなのだ。だがそれではユシマの思う壺なのだ。気がはやり、矢上は緊張で唇が乾いているのを感じた。
「あれが始まれば、自分以外の全員が敵になる。あいつよりも、こいつよりも、もっとやる気をアピールしなければ、熱意を見せなければ評価してもらえない。すぐにどんな無茶も理不尽も先を争って引き受けるようになる。そうやって際限なく競わされるんだ。それも、体か神経か、あるいは両方が壊れるまで、ずっとだ。そこまでやっても賞与は一円も出ないかもしれないし、昇給もゼロかもしれない。俺たち非正規にいたっては、これまで通り働いても、いくら金が入るのかまったく示されていない。こんなふざけた話があるか」 (p.445) 「俺たちは、心と感情を持った生きた人間なんだ」
矢上はそう言うと、かつて玄羽がいた持ち場に目をやった。作業着を着て制帽を被った玄羽の姿が目に浮かぶようだった。
「人間は仲間の死をなかったことにはしない。この工場が、玄さんの鼓動を止めた。まだ小さい子供のいた小杉圭太の鼓動も止めた。それなのに、ユシマの心臓は平然と鼓動を打ち続けている。このラインのタクトがユシマの鼓動だ。正確に、必要なだけ、秒単位で血液のように自動車を送り出すユシマの心臓の鼓動だ」
矢上は両腕を広げて工員たちの視線をラインへと導くと、ひときわ声を張った。
「この鼓動のために、これからも労働者の鼓動が止まるだろう。それでもユシマは労災を認めず、労働者の死を無視する。それなら俺たちがユシマの鼓動を止める」
静まり返った工場に、誰かが驚いて息を吸い込む音が響いた。組長の市原が愕然とした様子で呟いた。
「まさか、ストライキをするつもりか…」 (p.578) しかし今、矢上は自分にも大勢の工員にも聞こえる声をあげていた。
「想像してみてくれないか。労働者はどんな理不尽にも決して抗うことなく、黙って命も惜しまずに働く。そうできない者は落伍者か犯罪者になる。今の子供たちが大人になった時、そんな世界で生きてほしいと思うか」 (p.582)
そして労働者を容易に搾取できる体制を維持するために、与党に政治献金を提供する大企業。それを平然と受け取り、労働者の人権を無視して見殺しにする政府与党。両者の癒着と共犯関係についても鋭いメスが入ります。昨今、自民党のパーティー券に関する疑惑が大きく取り沙汰されていますが、政治献金を提供することによってこうした非人間的な体制を維持させようとする大企業の責任をもっと追究すべきだと考えます。メディアの調査報道に期待します。
「さっきの話では、その法改正は、企業が非正規を使い倒すのを規制しようって趣旨があったはずですよね。それなのにどうしてですか」
「おまえたちが学校で習ったとおり、法律を審議して制定するのは国会の役割で、法改正も同じだ。だが改正案が国会に提出される以前に所管庁、この場合は厚生労働省だが、そこに招集された分科会等で具体的な内容までほぼ固められていることも少なくない。労働法の改正の場合、その種の中枢メンバーには必ず、財界の意向を反映すべく大企業の役員クラスが名を連ねている。そして、そいつらと結びついた政治家が肝心なところで常に財界に有利になるように立ち働く」
「もちろん政治家には見返りがあるわけですね」
矢上は語尾を上げずに玄羽の目を見た。
「ああ、それも大手を振って受け取れる見返りがな。大企業を中心に構成された利益団体は長いあいだ、政党別に政策を評価してそれを発表してきた。そして、その評価をもとに団体に加盟している企業に堂々と献金を呼びかけてきた。おかげで、財界に都合の良い政策をやる党や政治家にどっさりと金が舞い込むようになった。これが批判を浴びて政治資金規正法が改正されたのが1994年。ようやっと企業や団体から政治家個人への献金が禁止された。だが、それでどうなったかといえば、政党支部を利用した迂回献金やパーティー券の購入を通じて相変わらず政治家に金が流れ続けているわけだ」 (p.117~8) この数十年、いやそれ以上のあいだ、中津川(※政権与党の幹事長)のような選挙しか頭にない高齢政治家がいかがわしい団体と平然と手を組み、利権に群がり、法と人事を弄び、これでもかというほど国を破壊し尽くしてきた。おかげで、今さら政治で国を立て直せるような悠長な時間は、この国には残されていないのだ。(p.333) 萩原は中津川に似た高齢政治家を大勢知っていた。共通しているのは、自分に尾を振らぬ犬とわかれば、官僚人事に横槍を入れて思い知らさねば済まない幼稚さだ。それこそ志半ばでそのような事態に見舞われることは避けねばならない。萩原は中津川の思い込みを利用することにした。
「先生の政治理念は存じ上げているつもりですよ」
おやっというふうに眉を上げた中津川に、萩原はあえてゆっくりと言った。
「〈あるべき我が国への回帰〉」
尾を振る子犬たちに囲まれた高齢政治家たちのあいだで、ある種の符牒のようにもてはやされている言葉を萩原が知らぬわけがなかった。
変化を忌み、どこまでも退嬰的になったあげく、戦前まで巻き戻ったかのような世界観、実際にはかつて一度も存在したことのない家父長制時代への過激なノスタルジーだ。そこでは子たるものは常に親を尊敬し、礼節を守り、偉い人の言うことをよく聞いて、女は女らしく、男は男らしく事があれば進んで戦場にも赴く。(p.334~5)
安倍政治に対する皮肉には快哉を叫びたくなりました。ブラーバ!
「五十畑は、自分の工場で起こったことは、自分でなんとかできると思っているようです。つまりは、習慣から抜け出せない。都合の悪いことはもみ消す。そうすればなかったことにできる。幼稚な為政者が範を垂れたおかげで、近年この国のいたるところで乱用されるようになった手法です。…」 (p.459)
財界と政治家の癒着と共犯関係がつくりだした日本社会の忌わしい状況にも、著者はきっちりと言及します。
自分のオフィスに戻り、パソコンのディスプレイに向かっても田所の言葉が耳に残っていた。
-お前も常々言ってたじゃないか。日本には民主主義は根づかなかったとな。
確かに、と萩原は思った。それは、この国の民主主義が国民の手で勝ち取られたものではなかったからだ。民主主義は人間の長い歴史の中で、民衆が王や宗主国などの巨大な権力と闘い、革命や戦争による犠牲も厭わずもぎ取ってきたものだ。しかし、この国はそうではない。広島、長崎と原爆と投下され、ようやく敗戦を迎えた後に、民主主義もまた投下されたのだ。
突如として、想像もしなかった景色が開けた。臣民が国民となって国家の主権を持ち、大人も子供も老人も国のために死ねと命じられることがなくなった。ひとりひとりの人権が保障され、女性に参政権が与えられ、労働組合法が作られ、国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するまでになった。しかし、投下された民主主義が根づくことはついになかったのだ。
すでに選挙制度すらまともに機能していない。主権者の責任を果たしている者は半数そこそこで、結果として国の行き先を決めているのは無関心な者らなのだ。政治家という名の利権分配屋は何をしても処罰されることなく、もはや法治国家でさえなくなりつつある。
この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。自分のいる会社、自分のいる学校、自分のいる家族。顔の見える相手がいて息苦しい人間関係に縛られた帰属先しかない。そもそも社会という概念がないのだから、社会にどれほど醜悪な不正義や不公正が蔓延しようと、自分に実害がないかぎり無関係な事象でしかないのだ。
社会とは空気のようなものだ。生きるためには呼吸せねばならず、体のどこかは常に空気に触れている。だがこの国の人間は、その空気が不正義や不公正に汚染されて次第に臭気を放ち始めても、世の中はそんなものだと呟きながらどこまでも慣れていく。コロナ禍でいわれたようにこまめに手洗いするなど身体的な衛生観念は高いのだろうが、自分たちの社会に対する不潔耐性も極めて高いのだ。
時折、萩原はこの国にある規範は二つだけではないのかと思う。〈自己責任〉と〈迷惑〉だ。別に今に始まったことではない。江戸の昔から共助社会だったといわれているが、共同体からの助けは、ある種の辱めや罰と引き換えにしか与えられなかった。年貢を払えず村に助けてもらった農民が、米を提供してくれた人の家に入る時には門の手前で履き物を脱いで這うようして入れと命じられた例さえあった。おかげで、助けを求める屈辱よりも夜逃げを選ぶ家もあったという。
現在、衰退途上にあるこの国では、これから先、いつ助けを必要とする境遇に陥るかわからない人々が急速に増えていく。ところが、実際に自分がそうなるまでは、どのような人生を歩んできた人が、どのような事情で助けを必要とするようになったのか、考えようとすらしない。自分の仕事と食べ物と住み家があるのは、自分が努力したからだと信じて疑わない。だから、年貢のように取り立てられた税金を地位の高い人やそのお仲間が湯水のように使うのは気にしないが、自分より〈努力の足りない〉貧しい人間のためにそれが使われるのはどうにも我慢ならないのだ。
臆面もなく共有されるそのような意識が、この社会に夥しい数の静かな死を広げていく。誰にも助けを求めることなく、電気やガスがとめられた部屋でひっそりと死んでいく老いた姉妹。見捨てられ置き去りにされた子供。街の片隅で冷たくなって発見される老人、あるいは黙ってビルの屋上や駅のホームから飛び降りる男や女。
この社会の意識では、命は救えない。このままでは犠牲が出るのをとめられない。(p.514~6) 「おまえは矢上たち四人の行動を逐一、会社の誰かに報告してたんだろ。そこそこ上の方にいる人間で、鶴の一声でおまえを正社員にできるんだよな。そいつは誰だか教えてもらおうか」
来栖が目を潤ませ、小さく口を開けて喘ぎながら、必死に沈黙を守っていた。
「おまえも共謀罪の仲間の一人に加えようか。四人と一緒に活動してたんだからな。ホットドッグ屋の店主って証人もいるわけだし。それくらいは下っ端にだってできるんだぜ。警察はな、あったことをなかったことにできるし、なかったこともあったことにできる。もうわかっているよな?」
「そんな…戦時中じゃないんだから」
「ほう、利いた口をきくじゃないか」
薮下は来栖の肩に軽く手を置いて教え諭すように言った。
「だがな、おまえみたいに自分の目先の利益しか考えない人間が、上から下までわんさか増えたおかげで、今はな」
最期は怒声でしめくくられた。
「ほとんどもう戦時中なんだよ!」
薮下は本気で腹を立てていた。涙より先に、来栖の鼻腔から洟が垂れた。(p.542~3) 「小坂」と、薮下は小坂の肩を掴んででタイル張りの壁に押しつけた。「矢上たちは俺たちのことを知らない。じゃあ代わりに何を知ってる? 彼らが知ってるのは、力のある奴らが初めから法律に抜け穴を作って、あいつらみたいなのを食い物にしてもなんら咎められない現実だ。政府の偉い人間は不正を働いても嘘をついても、周りがみんな口裏を合わせてくれて罪には問われない、黒を白に変えられる、そういう世の中を子供の頃から見てきたんだ。そんな世の中では、力のない自分たちは、たとえ無実でも、力のある者たちが望めば罪に問われる。そう考えるのが現実的だと思わないか。そう考えた時、おまえならどうする」(p.565~6)
そしてこうした非人間的な日本社会の現状を、私たちにリアルに伝えないメディアにたいする舌鋒鋭い批判も見逃せません。
溝渕はどこかで読んだ格言を思い出した。曰く、専制主義的国家のメディアは、平時においては不都合な事実を隠蔽して消極的な虚偽情報を行う。だが戦時においては、事実を捏造して積極的に虚偽報道を行う。歴史の教訓である。(p.539) 萩原は、記者席でノートパソコンから目を上げることなくひたすらキーボードを打ち続ける報道陣を、まるで自動人形のようだと思いながら淡々と会見を行っていた。記者クラブに所属するこれら大手メディアの人間たちは為政者や官僚の口から出た文言をそのまま垂れ流すのに忙しく、その内容の真偽を検証することはまずないらしい。単なる拡声器のような役割を報道の職務と考えているのなら、いずれ淘汰される職業のひとつになるだろうが、今日はその拡声器の役目を存分に果たしてもらおうと萩原は考えていた。(p.586)
さらに太田氏は、この国の近未来を予見します。このまま過酷な労働条件が続き、格差社会が耐えられないものになると、労働運動や反貧困の民衆運動が激化する可能性・危険性が高い。それを恐怖する財界・政府の意を呈した警察権力は、労働運動への峻烈な弾圧を行なうに違いない、と。いやこれは近未来の話ではありません。関生支部への弾圧など、警察による労働運動への弾圧はもうすでに始まっています。心してかからねば。
この国ではこれから先、貧富の差が急激に拡大する。そして一握りの超富裕層と若干の富裕層、その他大勢の貧困層と極貧層へと分化する。この流れは加速し、想像を絶する格差が生まれる。社会は不安定になり、犯罪が増加する。共謀罪を始動させるのなら、そのタイミングだ。社会不安に乗じて大衆を扇動する者たちを一挙に叩くのだ。(p.480~2) 「だが新型コロナ禍以降、不当解雇や雇い止め、休業補償の未払い等が頻発し、助けを求める労働者を取り込んでユニオンや合同労組の労働運動が活発化している。労働争議の件数が増えれば社会問題として表面化する。そのあたりは非正規が労働人口の四割近くになれば、存在を無視できなくなったのと同じだ。しかし、このまま非正規が半数を超えれば、事は雪崩を打って大きく逆に傾く。貧者の方が多数派になるんだ。過激な労働運動が相次ぐ局面に我々は備えておかなければならない」
萩原は瞬時に理解し、愕然となった。
この機に労働運動全体に危険分子というレッテルを貼り、反社会的で暴力的なイメージを世間に刻印する。それが将来的にこの国の秩序と安寧を守るために肝要なことだと田所は考えているのだ。(p.512~3) 団体交渉を恐喝罪や強要罪、ストを威力業務妨害罪としてとりあえず逮捕するのは、労働運動を抑え込みたい時の警察の常套手段だ。その証拠に、逮捕されてもほとんど起訴には至らない。労働者の団結権、団体交渉権、争議権は憲法で保障されているので、法廷で有罪判決に持ち込むのは難しいからだ。逮捕イコール有罪ではない。つまり國木田に前科はない。以前、國木田自身が、自分たちの若い頃に前線に立っていた奴らは、誰でも何度か逮捕されていると笑いながら当時のことを話してくれた。
だが、警察が顔写真を出して逮捕歴を列挙すれば、世間はその人物が犯罪者であるという印象を抱く。矢上たち自身、何も知らない頃ならそう思ったに違いない。
警察は、矢上たち四人に反社会的で暴力的な集団であるというレッテルを貼るために、國木田の逮捕歴を利用したのだ。(p.531~2)
漆黒の闇に鎖された暗黒の日本。しかしそれを仄かに照らすいくつかの炬火を、著者は掲げてくれます。不条理で不公正な体制に対して怒ること。企業のために生きているのではないと自覚すること。闘う場所に立つこと。声をあげること。敵を見極めること。そして仲間と助け合うこと。
「より良い方向がある時、そちらに舵を切らなければ、おのずと悪い方向に進む。そう信じているだけだよ。現状維持は幻想だとね」
理不尽や不合理は、放置すれば惰性のまま時を歩み、その轍を深くし、いつしか伝統やしきたりなどと呼ばれるまでになる。
遠くの空を渡っていくセスナ機の音が微かに聞こえていた。
「彼らの闘いに希望はあると思いますか」
岸本が尋ねた。
「少なくとも、彼らの中には怒りがある。私は、怒りは希望だと思っている」 (p.378) 矢上は自分の生の声が食堂の奥の天井に跳ね返るのを聞いた。気がつくとハンドマイクを使わずに工員に話しかけていた。矢上はマイクを足元に置き、深く息を吸って続けた。
「俺たちはユシマ仕様の消耗品じゃない。労働者は、企業の利益のために生きているんじゃない」 (p.447) 長身の派遣工は口の中で何かもごもご言っていたが、上から脇の声が降ってきた。
「おい、紙コップ。おまえは『勝たなきゃ意味がない』、それが現実だと思ってんだろ。だから自分より強いものと闘うのは、無意味で馬鹿らしいことだと思ってる。勝つと決まってないのなら、やるだけ無駄だってわけだ。だがな、あいにく俺らみたいなのには、勝つと決まってる勝負なんて巡ってこないんだ。おまえが本当に勝ちたいのなら、まず闘う場所に立つことだ。これまで通り不戦敗を続けて一生使い倒されたいのなら好きにしろ」
矢上は工場の中央で宣言した。
「俺たち労働者が求めるものをユシマが何ひとつ与えないのであれば、俺たちもユシマが求めるものを与えない。それは、労働者の労働力だ。ユシマが労働者は人間だということを思い出すまで、俺たちは労働力を与えない」 (p.580~1) 「…私たちは事の善し悪しよりも、波風を立てずに和を守ることが大切だとしつけられてきた。今ある状況をまず受け入れる。それが不当な状況であっても、とにかく我慢して辛抱して頑張ることが大事だと教えられてきました。同時に、抵抗しても何ひとつ変わりはしないと叩き込まれてきた。
しかし、おかしいことに対してそれはおかしいと声をあげるのは、間違ったことでも恥ずかしいことでもない。声をあげることで私たちを不当に扱う側を押し返すこともできる。少なくとも、もうこうは言わせない。『誰も何も言わないのだから、今のままで何の問題もないんだ』とは。声をあげる人が増えれば、こうも言えなくなる。『みんなが黙って我慢しているのだからあなたも我慢しろ』とは。
力のある人とその近くにいる人たちだけがより豊かになるのではなく、大勢の普通の人たちが生きやすい世界へ変えていくためには、力を持たない私たちが声をあげるところから始めるほかない。どうか、〈ともとり労組〉に共感する人たちは声をあげて下さい」 (p.592) 「薮下さん、どうしてあの四人がストライキをしに工場に戻るとわかったんです?」
「わかってたわけじゃあない。ただ、あいつらはこの夏、笛ヶ浜の文庫で、まぁ大袈裟にいえば、闘ってきた人間たちの歴史と、自分たちがどういう社会に生きているかを知ったんだ。この国の当たり前が、世界の当たり前としばしば一致しないこともな。で、俺は、あいつらは最後まで闘うだろうと思ったわけだ。闘うってのは、自分たちの手で今ある状況を変えようとすることだ。柚島庸蔵をヤッたところで、ユシマ的なものは何も変わりゃしないだろ」
なるほど、と小坂は思った。彼らの敵は、労働者をコストとしか思わず、あたまから人間扱いしないユシマ的な考え方そのものなのだ。(p.593~4) 矢上は、そもそもあの時に尋ねるべきだったことを尋ねた。
「おまえ、なんで労働組合なんて思いついたんだ?」
脇は指についた、米粒を食べながら、二つ目のおにぎりに手を伸ばした。
「初めから組合を考えていたわけじゃなくてな。俺がこのさき頑張ってなれるもんがあるとしたら、これしかないと思ったんだ。それでまず決めたわけだ。いい労働者になろうって」
「いい労働者…」
思いがけない言葉を聞いて、矢上は我知らず繰り返していた。
「いい労働者ってのは、ただ一生懸命働くだけじゃないんだ。隣に困っている労働者がいたら、その労働者のために闘う。つまり自分たちのために闘うのが、いい労働者なんだ」 (p.601~2)
ちなみに四人がつくった労働組合の名称は「共に闘う人間の砦(ともとり)労働組合」と言います。本書のタイトルはここに由来するのですね。果てしれぬ暗闇とそこを照らす明かりを、魅力的な登場人物と物語とともに伝えてくれる傑作小説。心よりお薦めします。
付言です。NHKニュースによると、労働組合の組織率は16.3%と前の年を下回り、過去最低となったことが厚生労働省の調査でわかったそうです。
そういえば、元日のニュースで、初詣に来た若者が「何をお願いしたか」と訊かれて「給料アップ」と答えていました。…賃上げをしてくれるのは神なのか。私は、労働者が労働組合に結集して労働争議によって勝ち取るものだと思っていました。労働者が賃上げを願掛けするほど、労働組合の組織率が落ちて弱体化していることなのでしょう。先進国の中で唯一、賃上げがほとんどなされていないのが日本であるということの原因はここあると考えます。労働組合が弱体化したのは何故なのだろう、そしてどうすればいいのだろう。自分なりに調べて考えたいと思います。
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『リスペクト』
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2024-02-05T07:19:00+09:00
2024-02-05T07:19:53+09:00
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sabasaba13
本
『しんぶん 赤旗』で、『リスペクト』(筑摩書房)という小説が紹介されていました。これはとてつもなく面白そう、さっそく購入して一気に読了。カバーに記されていたあらすじと著者・ブレイディみかこ氏のプロフィールを転記します。
2014年にロンドンで実際に起きた占拠事件をモデルとした小説。ホームレス・シェルターに住んでいたシングルマザーたちが、地方自治体の予算削減のために退去を迫られる。人種や世代を超えて女性たちが連帯して立ち上がり、公営住宅を占拠。一方、日本の新聞社ロンドン支局記者の史奈子がふと占拠地を訪れ、元恋人でアナキストの幸太もロンドンに来て現地の人々とどんどん交流し…。ブレイディみかこ
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得。「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。
冒頭、主人公のジェイドが覚醒する場面が心に残ります。退去を迫られたジェイドは区役所に行き、大声で職員を問い詰めますが…
「大声を出すのはやめてください。職員へのリスペクトを示してください」
まるで汚らしいものでも見るような目つきで顔をしかめ、スーツ姿の男性が吐き捨てるように言った。
「我々は公僕ですが、そのようなリスペクトに欠ける態度は許容しません」
リスペクト。
ギャビーの子どもを抱いて後方に立っていたジェイドの頭に、その言葉がこびりついた。
あたしたちはいつもこの言葉を言われてきた。生活保護を貰っていて、福祉課や政府や納税者の世話になっている人間は、もっと社会へのリスペクトを示せと。ホステルの部屋の天井にカビが生えていても、フローリングがあちこち?げた床はヨチヨチ歩きの子どもを育てるには危険でも、セントラルヒーティングの調子が悪くて冬はコートを着て寝ていたとしても、不平を言ってはいけない。そんな態度はわがままで、リスペクトが足りないと。(p.23~4) ジェイドは覚醒に打たれていた。
「リスペクトしろ」とこの人たちは言う。でもそれって、要するに「黙れ」という言葉の言い換えなんじゃないのか。どう考えてもおかしいことや、理屈に合わないことに気づいても、身分をわきまえて沈黙していろということなんじゃないか。(p.24) あたしはもう黙らない。あたしはもう黙らない。あたしはもう黙らない。
同じ言葉を自分の血管に叩き込むように頭の中で繰り返しながら。(p.25)
そしてジェイドは仲間のシングルマザーたちと街頭にでて、道行く人びとに訴えかけます。
「…だけど、あの通知を受け取った日、あたしは気づきました。いつもビクビクして黙っていると、あたしやあたしの赤ん坊のような人間は存在しないものにされてしまう。おとなしくしているからいいんだと思って、どんどん生きるために必要なものを取り上げられてしまう。
そもそも政府や自治体が権力を持っているのは、人々のためにその力を使うためです。それを使って人を脅したり、人々から何かを取り上げるためじゃない。権力を持っている人々は本来の自分の仕事をすべきです。すべての住民が屋根のある場所に住めるように、手頃な家賃の住宅を提供すべきです。ロンドンに必要なのは、ソーシャル・クレンジング(地域社会の浄化)ではなく、ソーシャル・ハウジング(公営住宅制度)なのです。人には等しく居住の権利があるのですから。
最後になりましたが、大切なお知らせがあります。
住む家をなくしたあたしたちは無人の空き家を占拠しました。自治体の不手際で住む人もいないまま放置されていた公営住宅地の建物です。国も自治体もあたしたちの権利を保障しないのなら、あたしたちが自分で自分の権利を行使します。R・E・S・P・E・C・T! あたしたちが求めているのは少しばかりのリスペクトなのです」 (p.11)
やがて投資や転売のために資産家が手に入れ空き家となっている公営住宅をジェイドたちは占拠し、そこで暮らしはじめます。そしてかつて女性運動を闘った年配の女性ローズとの出会い。
「あんたは、路上に立って何を訴えたかったの?」
「あたしたちがホステルを追い出されそうになっていることです」
「じゃあ、福祉事務所に行けばいいだろって言われるよ」
「行っても埒が明かないんです。あの人たちはあたしたちや子どもたちのことなんか考えていないから。そのことを訴えたかったんです」
「でも、北部には安い物件があるから、引っ越せば福祉が借りてやるって言われたんでしょ? じゃあ、おとなしく従えばいいだろ、って思う人たちもいるよね」
ジェイドが沈黙すると、脇からギャビーが言った。
「それこそ、さっきの歌と同じじゃないか」
「どうして?」
試すような目でローズがギャビーを見た。
「どうしてって…。人間だからだろ。あたしら、虫けらみたいにお上の都合であっちこっちに行かされて、いつまでも小突き回されているだけでいいわけがない。生活保護を受けていようが、ホームレスだろうが、あたしらだって人間なんだ」
「そうなんです!」
ジェイドは知らず涙声になっていた。不動産屋や大家に冷たく電話口であしらわれたときのことや、福祉課や住宅課の職員に汚物でも見るような目で嘲笑されたことを思い出していた。
「もちろん、住む場所は要ります。国や自治体に何とかしてほしいと思う。でも、本当はそうじゃないんです。本当に言いたいのは、そのことじゃないと思う」
ジェイドは人差し指で涙をぬぐいながら言った。
「あたしらの声を聞けよって…、あたしらは生きていて、ここに存在しているんだから、あたしらをいないものにするなって…。もうあたしは黙らないからなって、それがあたしの本当に言いたいことなんです」
濡れた目でローズを睨んでいるジェイドを見て、ローズが言った。
「あんた、いい面構えしてるじゃないの。じゃあ、その声を聞かせてやろうじゃないか。あたしも頭数に入れてちょうだい」 (p.34~6)
ローズのさまざまなアドバイスに助けられながら闘いを続けるジェイドたち。やがて違法行為に過ぎない公営住宅のスクウォッティングを、カフェや商店で働いたり、タクシーを運転したりして生計を立てている普通の人たちが応援するようになっていきます。差し入れをしたり、必要な物を融通しあったり、自分のもつ技術を活かして修繕をしたり、金銭の介入なく運動は回っていきます。この運動を支えているのは、無償で寄付してくれる人や、貸してくれる人。そういう人たちがどんどんやってきて、物やサービスを提供する。つまり、「あげる」がこの占拠地の基盤なのですね。
そして行政を訴えたジェイドたちは、裁判の場において自分たちの主張と思いを堂々と語ります。
「この国の政治が人々のために資産を使い、人々の尊厳を守るようになるまで、あたしたちが黙ることはありません」 (p.212) 「住まいは人の尊厳です。塒のない人々に住まいを与えることは、人間の尊厳を守ること。人は誰だって安全で温かい場所で眠り、子を育てる権利があるんだと信じること。区長だろうと誰だろうと、この尊厳を踏みつけることは許されません。闘ってきます」 (p.213) 「保守党は市井の人々の悲鳴など気にしていません。彼らは自分たちの支持基盤である裕福な層だけを喜ばせていればいいのですから」 (p.221)
結果はジェイドたちの勝利、おもわず快哉を叫びたくなりました。
この小説のもう一つの読みどころは、ロンドンに派遣されている新聞記者の史奈子の葛藤と変貌です。これまで当然と思っていた日本社会のあり方に、ジェイドたちの運動と出会うことによって次々と疑問がめばえていきます。
しかし、ひとつだけ気になる発言もあった。保育士の女性が言った「手頃な家賃の住宅の供給を受けるのは市民の権利」という言葉だ。
それって本当に権利なんだろうか、と思う日本の読者は多いだろう。家賃に手が届かない地域に住めないのは当たり前のことだ。世界中、どこでもそうであるように、首都の家賃が高騰するのは自然なのである。なのに、「安い家賃の住宅に住む権利」が市民にある、というのは何に基づいた考えなのだろう。少なくともこういう主張は史奈子が生まれ育った国では聞いたことがない。(p.97~8) つまり、所長は、産休を取ったり、子どもの病気で休んだりする女性は雇いたくないので、史奈子にそのあたりをさぐってくれと言っているのだ。若いときには中東やアフリカの紛争地域に飛び、素晴らしい記事を書いていたという「人道派」の記者がいったい何を言っているのだろう。
所長が自分を外に連れ出した理由がようやく史奈子にはわかった。リンダが事務所にいるからだ。英国人女性には絶対にこんなことは聞かれたくないのだ。でも、史奈子は日本人だから安心して話せる。「日本人女性だから、君だって、わかるだろう」ということなのだ。(p.100) もしかしたら自分は、事務所における男女の非対称の構図を、そういうものだと諦めて受け入れてしまっているのではないか。
波風を起こしたところで何も変わらないと思っているから、黙って我慢する。我慢しているうちに疑問も感じなくなる。だからいつの間にか、自分も草の根の側に立っている意識すらなくし、当事者としての感覚が消え失せてしまう…。(p.140~1)
そして突然ロンドンにやってきた元恋人、アナキストの幸太が重要なバイ・プレーヤーとなってストーリーに活気を与えます。史奈子に語る彼の言葉は刺激的です。
人間に何かを強制するものは積極的に壊していくべきだよ。人間の生は自分自身のものであり、他の何者にも支配されるべきではないから。だけど、人間って実は支配されたほうが楽だと思う部分があって、そうすればもう自分で何も考えなくて済むし、安心だからと思って自分の生を誰かに丸投げしてしまうんだ。たとえば、国家とか会社とかシステムとかにね。自分から進んで奴隷になりたがる。で、そのうち、「より優れた奴隷になりたい」って競争を始めたりして。(p.150~2) 自然にまっとうに自分たちでできることを、できないって思い込めば思い込むほど、支配する者たちの力は強大になる。おまえらにはトイレ一つ直せないんだから、俺らに任せとけって勝手になんでもかんでも決めるようになる。そうやって権力は、俺らが、つまり人間が本来持っている力を削いでいくんだ。(p.154)
ジェイドたちの運動や幸太の言葉によって覚醒した史奈子を描く最後のシーンは痛快です。
ソファから立ち上がった史奈子の頭の中に、アレサ・フランクリンの歌声が聞こえてきた。腰に手をあてて左右にわしわしお尻を振りながら歌うアレサの姿を史奈子は思い浮かべた。そのままマイクを握りしめてシャウトするわけにはいかなかったが、脳内に響く軽快なサウンドに合わせ、不敵にステップを踏みながら自分の机に向かった。
狭い事務所をリズミカルに闊歩する史奈子の姿は端的に言ってヤバい人だ。が、ヤバい人になった気分は思いのほか清々しかった。
R・E・S・P・E・C・T
このヤバさは癖になりそうだ。少しばかりの自分へのリスペクトが起動させる未来が、いま、ここから始まる。(p.272~3)
読み終わって勇気が体中にみなぎってくるような小説でした。前書きでブレイディ氏がこう書かれていたことの真意がすこしわかったような気がします。
著者におおいなるインスピレーションを与えてくれたシングルマザーたち、そしてこの反ジェントリフィケーション運動の関係者たちに感謝を捧げつつ、いまだ彼女たちがしたことについて知らない日本の読者たちに本書をぶち投げます。
"ぶち投げる"、そう、氏は私たちへのエール、いや激としてこの小説を書いてくれたのっかもしれません。
そして最後に氏のアドバイスも付記しておきます。そう、この国のシステムは決してヤワなものではありません。気を引き締めましょう。
こうやって、痛快だったはずの勝利の物語がばらばらと脆く壊れていく。それは、この区や国や社会を回しているシステムというものは、このぐらいで変わるようなヤワなものではないからだ。一度や二度、ゆるいジャブをかますぐらいでは、相手はビクともしない。だから続けなくてはいけないのだ。すっきりした結果が出なくても、痛快でなくとも、着実にゆっくりやり続けなければいけない。いつまでもしつこく反復しなくてはいけない。(p.256)
付言です。カバーに、個性豊かな登場人物のイラストが描かれているのは良いアイデアですね。自分なりのイメージを膨らませられないという点はありますが、物覚えがわるい小生としては助かりました。
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『はだしのゲン』
http://sabasaba13.exblog.jp/33233980/
2024-01-25T06:13:00+09:00
2024-01-25T06:13:15+09:00
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sabasaba13
本
山ノ神の叔母は御年九十四、叔父は広島で被曝しましたが、幸い発祥はせずにすでに他界しています。その叔母からある日、わが家に小さな小包が届きました。開けてみると、『はだしのゲン』(中沢啓治 中公文庫コミック版)の全七巻のセット。短い手紙が同封されており、同書を何セットか手に入れて、近親者や知人に形見として配っているとのことでした。手紙には、ロシアのウクライナ侵攻と軍拡予算のひどさに怒り、おちつかない日々を送っていると綴られていました。心に何か期するものがあったのでしょう。
『はだしのゲン』は一部をかつて読んだことがあります。原爆の悲惨と残虐を描き告発した内容には心打たれた記憶はあるのですが、いかんせん、中沢氏の描く人物の描写がどうしても好きになれませんでした。とくに理由はなく、相性が悪いとしか言いようがないのですが。やはりマンガの命は絵、これまで敬して遠ざけてきました。
しかし叔母の意を汲んで、全七巻を本気で読むことにしました。
まずはカバー裏のあらすじを転記します。
食糧も何もかもが不足していた戦時中、中岡元少年は両親と4人のきょうだいたちと暮らしていた。平和を強く訴え、それを疎ましく思う町内会長たちに嫌がらせをされても「非国民」と呼ばれても決して屈しない父を元は尊敬していた。そんな元一家が暮らす広島に、1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾が落とされた。(第1巻)
元は、父と姉と弟を原爆で失い、母と生まれたばかりの妹と共に生きていくために必死だった。米を手に入れるために出かけた元は、悲惨な死体の山、さっきまで元気だった人が突然死んでいく恐怖、被爆者たちへの理解ない仕打ちを目の当たりにする。ある日、元たちの前に、死んだはずの弟・進次そっくりな男の子が現われた。(第2巻)
家もなく仕事もなく、栄養失調になりながらも母と妹、弟に似た隆太と必死に生活する元。せめて妹にだけでも…とやっとの思いで粉ミルクを盗み出すが、地元のヤクザにだまし取られてしまう。元は彼らに立ち向かい、傷だらけされてしまった。隆太は元の敵を取ろうと、持ち出したピストルを発砲した。(第3巻)
やくざになった隆太たちは足を洗ってやり直すため自分たちの家を建てた。一度は兄貴分が連れ戻しに来たが、元と力をあわせて追い返すことができた。ある日気丈に働いていた元の母が血を吐いて倒れた。母は長兄に付き添われ、医者が紹介した原爆被害を調べているというアメリカのABCCに行くが治療は一切されず、まるで実験材料のような扱いを受けたという。(第4巻)
元の母の治療費を稼ごうと、賭場荒らしをして感化院に入っていた隆太が脱獄してきた。元は戻ってきた隆太と、印刷所や紙を懸命に確保し、今まで隆太の父親代わりだった平山が原爆について書いた小説を本にした。原爆症で床に伏していた平山は、完成した本を一目見て息を引き取った。しかし元たちはその本を作ったことでアメリカ軍政部に連行されてしまった。(第5巻)
中学生になった元。クラスメートの相原が死にたがっていることが気になっていた。彼は原爆で家族を失い、自身も白血病で余命いくばくもなく、死の恐怖と苦しみから逃れようともがいていたのだと知る。そして彼が野球に興味をもっていることに気がついた元は、生きる希望をもってほしいとある作戦を立てて奮闘した。(第6巻)
元は知り合った絵描きに「芸術に国境はない」と教えられた。そうはいっても理想ばかりではめしは食えない…悩みながら街を歩いていると、看板屋が目に入った。看板屋に就職すれば収入がありさらに絵の勉強もできる。しかし元は、そこで働いていた黒崎とけんかをして、今日中に完成させなければならない描きかけの看板を破いてしまう。(第7巻)
うーむ、読み応えがありました。ゲンをはじめとする登場人物たちの、戦争と原爆に対して峻烈に反対するその熱と意気は圧巻です。怒る、忘れない、諦めない、言いたいことを言う、私たちが学ぶべき点が多々あると思います。言い方については直截的かつ短絡的で言葉足らずで稚拙なところも多々ありますが、それを補ってあまりある熱い言葉の数々に溜飲が下がった思いです。
特に、アメリカ合州国と昭和天皇に対する鋭い批判と告発には、心から傾聴しました。いくつか紹介しましょう。
わしゃ、しょうがないとあきらめるやつはきらいじゃ。わしゃいつもふしぎだとおもっていたんじゃ。戦争で息子やとうちゃんを殺され、ピカでみんな殺されいまも苦しんでいるのに、みんなしょうがないとあきらめて本当のことにしらん顔じゃ。とうちゃんがいうとったじゃないか。ひとにぎりの金持ちがもうけるため国のためじゃ天皇のためじゃというて、戦争をおこしてわしらや隆太を苦しめているんだ。戦争をおこした犯人と、協力してぬくぬく生きている犯人がいるんじゃ。ピカをおとした犯人がいるんじゃ。その犯人を二度とひどい目にあわんよう、はっきりたたきつぶさんといけんのじゃ。いまにまたおなじことをくりかえすわい。そしてしょうがないと泣くんじゃ… わしゃ、しょうがないとあきらめるのはきらいじゃ。(③p.368~9) 原爆は赤ん坊や小さい子どもや老人…なんの罪もない人間を何十万人もおばけのように変えて殺し、住む家も人間が生きていくすべてをうばいつくしたんだぞ。そして放射能という永久に消えない病原体をバラまき、生きのこってもいまも苦しみぬいて死んでいるんだぞ。アメリカの真珠湾でそんなことがおきたかっ。勝手なことを言うな。えらそうなことを言うな。おどれら戦争を利用して原爆の実験をした人殺しのおそろしい犯罪者じゃ。おどれらアメリカは永久にこの罪は消えないぞ、わすれるな。このままだまっていたら、おどれらいい気になってまた原爆を使うわい。わしゃがまんできんわい、原爆で二度とあんなひどい姿を見るのは… 原爆がアメリカにおとされて、おまえの子どもやお父さんやお母さんがおばけにされて殺されてみい。おまえもかならずわしと同じ気持ちになるわい。原爆は絶対になくさんといけんのじゃ。(⑤p.211~4) アメリカが原爆でなん十万人の人間を苦しめて殺す権利がどこにあるんじゃ。ケンカ両せいばいじゃ、おたがいに悪かったんじゃ、なんで日本人だけが罰をうけんといけんのじゃ。ひどいひどい原爆をかってに落としやがって。マッカーサーのお母ちゃんや子どもが原爆で苦しみぬいて殺されてみい、どんな気持ちがするんじゃ。日本人であろうがアメリカ人であろうが、同じことじゃ。勝った国のアメリカだって責任をもつのがあたりまえじゃ。アメリカは原爆のおそろしさを知っとらんけん、お母ちゃんの苦しんで死んだ思いを知らせてやるんじゃ。
それともう一人、お母ちゃんを見せてやるやつがいるんじゃ。天皇じゃ。天皇にお母ちゃんを抱かせて心の底からあやまらせてやるんじゃ。…天皇はクソもすりゃへもするただの人間じゃ。天皇は、戦争をすることを決定し、日本人をなん百万人も死なせた戦争の最高責任者は。お母ちゃんを殺した責任者は。天皇は、お母ちゃんに土下座してあやまるんがあたりまえじゃ。わしは天皇から一言でもすみませんでした許してくださいと言う言葉を聞いたことがないわい。天皇は思いあがるんじゃないわい。戦争中はかってに神さまになって、戦争に負けるとかってに人間さまになって、知らん顔をさせんわい。天皇はなん百万人の日本人の命を食っていまも日本の象徴として生きているんじゃ。わしのこの耳で、天皇の戦争責任をはっきり聞かんと気がすまんわい。最高の責任者がはっきりけじめをつけないと、日本中みんないいかげんになってしまう。わい、なっとくせんわい。お母ちゃんの死がむだになってしまうわい。(⑤p.354~6)
そして戦争と原爆に付随するさまざまな非人道的行為に対する目配りもきいています。例えば、原爆傷害調査委員会(ABCC Atomic Bomb Casualty Commission)についての告発。
ワラをもつかむ気持ちでABCCへいったのになにもしてくれんわい。かあさんはまるハダカにされて白い布をかぶせられ、室をぐるぐるまわされ、体のすみずみまでしらべられただけよ。(④p.136) 標本採集日 1948年1月6日
標本採集地 広島市舟入本町
標本名 中岡君江 (④p.137) 「あんちゃん、アメリカは原爆を落としたあと、放射能で原爆症の病気がでることがわかっていたんじゃのう。わかっていておとしたんじゃのう」「そうじゃ、だからすぐABCCをつくってしらべていやがったんじゃのう」 (④p.138) わ、わしゃ、ピカをうけて死んだ人の死体をさがしまわっているんじゃ。アメリカのABCCは原爆をうけて死んだ人を解剖して、原爆の放射能が人間の体にどんなえいきょうをあたえるか、資料として集めているんじゃ。だから多くの死体がいるんじゃ。金をやって情報者からABCCへ死んだ知らせがはいると、すぐわしはかけつけるんじゃ。(④p.160) いまの広島の火葬場は、昼間死体をカマにいれて夜中に死体を焼くことになっているんじゃ。だから、焼かれるまえに火葬場へかけつけて係に金をにぎらせて死体をとりもどし、すばやくABCCへ持ち帰って死体を解剖して、元のカマにもどしておくんじゃ。(④p.163) 元、わしはまだええほうじゃ。もっとずるがしこくて、きたないやつがいるけえのう。医者じゃ。町の医院には原爆をうけてさまざまな病気をもった患者がたずねてくるんじゃ。ABCCにとっては、それらの患者はヨダレがでそうになるほどほしい研究材料なんだ。だから医者は患者にABCCへいけと言うんじゃ。患者を紹介すれば、アメリカの新薬などをただでくれるんじゃ。その薬をこんどは高い値段で患者に売りつけてもうけるんよ。(④p.166)
以前に拙ブログで紹介した『証言と遺言』(福島菊次郎 DAYS JAPAN)にも、ABCCが出てきました。福島氏がプロカメラマンになったきっかけを、写真「広島の被爆者 中村さんの記録」のコメントでこう語られています。中村さんは広島市内で被爆、全身の火傷は化膿して蛆がわき、髪も抜け落ちました。医療機関が全滅していたため、牛の糞を傷口に塗り、ドクダミ草を煎じて飲み、三か月後には奇跡的に回復しました。しかし奥さんが子宮がんで六人の子を残して死亡。金がないので、ABCCに遺体を提供して3000円をもらい、やっと葬式をだしました。そして中村さんの原爆症が再発、一家は生活保護に頼って暮らしていきます。遺体を3000円で引き取って研究材料とするアメリカ… その後の中村さんと福島さんのやりとりです。
ある日、日頃無口な中村さんが、「あんたに頼みがある、聞いてくれんか」と畳に両手をついて泣きながら言った。「ピカにやられてこのザマじゃ、口惜(くや)しうて死んでも死にきれん、あんた、わしの仇をとってくれんか」。予想もしない言葉に驚き「どうして仇をとればいいのですか」と聞いた。
「わしの写真を撮って皆に見てもろうてくれ。ピカに遭うた者がどんなに苦しんでいるか分かってもろうたら成仏できる。頼みます」と僕の手を握った。
「分かりました」と答えた。しかしこの家に写真を撮りにきてもう1年も過ぎたのに、極貧の生活にどうしてもカメラが向けられなかった僕は「本当に写してもいいのですか」と聞き返した。
「遠慮はいらん、何でもみんな写して世界中の人に見てもろうてくださいや」 (p.16)
朝鮮人や中国人の強制連行や被曝についても忘れずに触れられています。
朝鮮の人や中国の人が日本の軍事力をふやすためにつれてこられ牛や馬のように死んでいく! どれも戦争のためだ。炭坑じゃめしもろくにたべさせず死ぬまで坑道にぶちこんではたらかされる。北海道の雪の中でうえと寒さで死ぬまでこきつかわれる。(①p.78) 軍医さん、わしらは朝鮮からむりやり日本につれてこられて日本のためにいっしょに戦場でたたかった… 日本のためにいっしょうけんめいはたらいているんだ。なぜ手あてをしてくれないんです! (②p.87) 日本は戦争で朝鮮人をバカにしてこきつかって多くの人を殺してきたんじゃ。朝鮮人がいばる気持ちはわかるわい。広島や長崎のピカでもむりやりつれてこられ、いっぱい死んどるんじゃ。朝鮮人をバカにするな。(④p.230) もっとひどい思いをしているのは、祖国韓国へたどりついても原爆でやけどや負傷で治療もされず苦しみつづけている朝鮮人が三万人いるんじゃ。元、ピカで苦しんでいるのは日本人だけじゃないのだ。そのわしら朝鮮人に日本人がどれだけ思ってくれたか。すっかりわすれさられているんじゃ。なんで日本はすくいの手をさしのべてくれんのじゃ。そんなことじゃ、朝鮮人と日本人が本当の友達になれんのう。憎しみばっかりが増すばかりじゃ。(⑤p.151~2)
朝鮮戦争特需による経済復興にも目が届いています。
わしが金持ちになったんは戦争のおかげよ。いま日本の隣りの国じゃ朝鮮戦争をドン、ドン、パチ、パチやっとるじゃろうが。その朝鮮戦争につかう弾や兵器や機材の注文をアメリカはこの日本にしとるんじゃ。注文がくりゃ日本はもうかるわけよ… ほんとうにええ時に戦争をはじめてくれたもんよのう。わしゃ鉄クズを大量に持っとったんじゃ… 戦争がはじまると、その鉄クズが何十倍も高い値段で売れるのよ。兵器をつくるには、鉄がいっぱいいるけんのう。この日本に鉄が不足してくると、言い値でふっかけて売れたわけよ。わしゃ朝鮮戦争さまさまよ。わしだけじゃないぞ、この日本中の人間が朝鮮戦争のおかげでたすかっとるんじゃ。仕事のない者が、兵器をつくる工場で働けるし、あらゆる産業が景気ついてもうかるんじゃ… 朝鮮人どうしが殺し合って、日本人のわしらには関係ないけえのう… もっとやれ、もっとやれじゃ。もうけだけは、わしらがもらうけえのう。(⑥p.165)
復興と平和都市建設のために、ゲンたちを立ち退かせる広島市の非道さも指摘しています。
「とにかく広島市の復興計画で、ここは新しい道路になるんじゃ。はよう立ちのいてもらわんといけんのじゃ」「わ、わしらの家をこわして道路にする。ば、ばかにするな、ばかに… 勝手なことをいうなっ、わしらどこへ住むんじゃ」「平和都市建設のためにはしようがないことじゃ」「やかましや、だれが立ちのくもんかっ。この家は死んだお母ちゃんらと必死で建てた家じゃ」「おまえらがいくらいやだといっても、強制執行でこわすのだ。お兄さんたちが帰ったら、つたえておいてくれ、はよう立ちのくようにと」「く、くそ。おまえらなにをいやあがるんならっ。市役所はピカで焼きつくされ、なにもなく困っているわしら市民を助けるのが仕事じゃないかっ。それを反対に市民をいじめるんかっ。おどれら役人は勝手に決めて、わしらがどんなに困ろうと知らんというのかっ」「おまえは生意気なガキじゃのう。議会で決議された法律はすなおに聞くことじゃ。ええか、はようここを立ちのくんじゃ」 (⑥p.188~9)
原爆孤児に対する国家や行政の冷酷な仕打ちも忘れてはいけません。
あんちゃん、わしらにげるぞ。原爆で孤児になった浮浪児をつかまえて収容所へつれていく浮浪児狩りじゃ。(④p.128) おどれらクソッタレ大人が、国のためじゃ天皇陛下のためじゃと兵器をつくってもうける死の商人にだまされやがって、勝手に戦争をはじめて原爆までくらいやがって、わしらを学校にも行けんみじめな生活にたたきこんだんじゃ。おどれら大人こそ、恥を知れ、恥をっ。わしら学校へいって勉強をしたいわい。それが…それができんのじゃ、クソッタレ。おどれら原爆孤児を助けてくれたか。わしらがどんなに辛い思いで毎日暮らしているかわかっとるんか。(⑦p.76)
女性の戦争責任についても指摘しています。
「男が勝手に戦争をやって、いつも泣かされるんは弱い女のうちらじゃ。戦争がなかったら、ピカも落とされんですんだけんのう。ほんとうに男はしょうもない奴らじゃ…」「女も悪いんよ。女も戦争せえとよろこんで協力したんよ。おばさんもその一人でしょう。弱者ぶったり被害者ぶったらいけんよ…」「な、なんじゃと」「おばさんも、国防婦人会や愛国婦人会に入って、自分の大事な主人や息子に、国のため天皇のためにりっぱに死んでこいと言うたんでしょう。おばさんも、戦争で死んでくれたら我が家の名誉だと死ぬることをよろこんで、さかんに旗を振ったんでしょう。女にも戦争を起こした責任はあるんだ。日本中の女が、体を張って反対したら、男の思うようにできず戦争はふせげたはずよ。それを、日本は神の国じゃけえ、神風が吹いて神様の天皇が国を守るけえ日本は絶対に戦争に勝つと、あの貧相なつらをしたじいさんの天皇今上裕仁を神様としてありがたがり、デタラメの皇国史観を信じきった女も大バカなんよ…」 (p.304~5)
日本人の思考や行動様式についての痛切な批判。
日本人一人ひとりが、おまえと同じ気持ちになって大きな声に変えていくことじゃ。もう二度とわしらがうけた歴史を逆もどりさせんように、日本人みんなが力を合わせんといけんのじゃ。戦争と原爆のけむりがたてば、日本人みんなが力を合わせて消していくことじゃ。(⑤p.358) 民主主義、民主主義とかんたんにいいやがって。多数決できまったらそれでええのか。十人いて九人が賛成して一人が反対したら、その一人の反対意見をとことん聞いて考えることが、本当の民主主義じゃないか。(⑥p.194) あんちゃん、しっかりせえっ。グチをこぼしていてはいけんのんじゃ。怒るんじゃ、怒るんじゃ。まじめで正直者が泣きをみる世のなかはまちがっとらあ。ずるがしこくて悪いやつがのさばっている世のなかは、たたきつぶさんといけんわい。そういうやつらが戦争をしかけて、甘い汁を吸っとるんじゃ。(⑥p.243) わしはとことん抵抗したる。勝手に大義名分の法律をつくってハイそうですかとたちのけるか。いまの新しい憲法は主権在民じゃ。わしら国民一人ひとりのためにあるんじゃ。その国民がなっとくできず困っているのに、権力者の一方的な命令で勝手にされてたまるか。泣く子と地頭には勝てぬ、長い物に巻かれろ、寄らば大樹の陰、こんな昔の封建的な精神はたたきのばしてやるんじゃ。わしゃいいなりにならん。封建的な精神でのこのこついていって、わしら戦争とピカドンでどんなにひどい目にあったか… これからのわしらは、そんなことをゆるしたらいけんのんじゃ。(⑥p.269)
日本の歩むべき道への鋭い洞察。
資源のない小さな国の日本は平和を守って世界中と仲よくして貿易で生きるしか道はないんだ。日本は戦争をしてはいけんのじゃ。(①p.19) 朝鮮の人や中国の人、みんなと仲よくするんだ。それが戦争をふせぐたったひとつの道だ。(①p.80) あんちゃん、わしゃ闘うぞ、泣きねいりはせんぞ。大義名分ばっかりおしつけやがって、くそくらえじゃ。本当に弱いもの、困っているものに力をそそぐのが政治じゃないか行政じゃないか。学校でならっている平和憲法はなんのためにあるんじゃ。みんなうそっぱちじゃ」 (⑥p.191)
そして政府に対する痛烈な批判と、いつ現前してもおかしくない恐るべき予言。
こまっている貧乏人を国がすくってくれたことがありますか? (①p.40) いまにアメリカにまきこまれて、日本は戦争をするようにさせられるぞ。(⑤p.228) 大国の主義主張のために代理戦争をさせられ、そこに住む国民はもがき苦しんで死ぬるだけじゃ。人間は進歩せんのう、どうして話し合って解決できんのじゃ… (⑥p.151)
あらためてその豊かな、そして重要なメッセージの数々に圧倒されました。叔母が私たちに伝えたかったのもこうしたメッセージなのでしょう。怒る、忘れない、諦めない、言いたいことを言う、そして歴史から学ぶ。真摯に受け止めたいと思います。読了しても絵に対する違和感は消えませんでしたが、マンガ史に残る金字塔だと再認識しました。
なお広島市教育委員会は、市立小学校3年生向けの平和学習教材に引用掲載してきた漫画『はだしのゲン』を、2023年度から削除し、別の被爆者体験談に差し替えることを決めたとのことです。「被爆の実相に迫りにくい」からだというのがその理由。『東京新聞』(2023.2.18)から引用します。
だが、13年度のプログラム開始後、市教委が設置した大学教授や学校長による会議が教材の改定を検討する中で、引用された漫画の場面が「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」「コイ盗みは誤解を与える恐れがある」などの指摘が出ていたという。
市教委の高田尚志指導第1課長は「ゲンは市民に広く読まれており、市にとって大切な作品という認識は変わらない」としつつも、「漫画の一部を切り取ったものでは、主人公が置かれた状況などを補助的に説明する必要が生じ、時間内に学ばせたい内容が伝わらないという声があった」と説明。23年度版からはゲンの掲載をやめ、被爆者の体験を親族に聞き取って再構成した教材を使うという。
なんだか奥歯にものがはさまったような印象ですね。浪曲や鯉盗みなど小さな瑕疵だと思うのですが。憶測ですが、日本の国家権力を支えてきた旧国体・昭和天皇と、今支えている新国体・アメリカに対する容赦のない激烈な批判に怖じ気づいたのかな。あるいはどこかからの圧力があったのかもしれませんね。
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『象は忘れない』
http://sabasaba13.exblog.jp/33199481/
2023-12-23T07:36:00+09:00
2023-12-23T07:38:01+09:00
2023-12-23T07:36:22+09:00
sabasaba13
本
福島原発事故によって生じた汚染水を、平然と海洋放出しはじめた岸田政権。一刻も早く政府や東京電力の責任を水に流してしまいたいようですね。そうは問屋が卸さない。この事故のことを絶対に忘れず、責任者に落とし前をつけさせる。さもないと、何度でも何度でも何度でも、こうした惨劇を政府は繰り返し引き起こすことでしょう。そうさせないためには、絶対に忘れないこと、なかったことにさせないことが肝要です。
おそらく、作家の柳広司氏も同じ思いであると感じます。福島原発事故をテーマとした素晴らしい連作短編集を書いてくれました。『象は忘れない』(文春文庫)です。裏表紙に載せられた紹介文を引用します。
"象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない"(英語の諺)。2011年3月11日。あの日、あの場所では何が起きたのか? 原発事故で失われた命。電力会社と政府の欺瞞。福島から避難した母子が受けた差別。福島第一原発を題材に、物語でしか描けなかったあの震災と原発事故。傑作連作短編集。
各短編のタイトルが、夢幻能からとられているのも奥深いですね。ブリタニカ国際大百科事典から転記します。
能の分類用語。超現実的存在(神・霊・精など)の主人公(シテ)が、名所旧跡を訪れる旅人(ワキの僧侶など)の前に出現し、土地にまつわる伝説や身の上を語る形式の能。世阿弥によって完成された作劇法で、登場人物がすべて現実の人間である「現在物」に対する。
福島原発事故に関わった人物が現れて、私たちワキに対して事故のありさまや身の上を語るという形式です。私は能に関する知識が無に等しいので、作者の意図が十全に伝わったかどうかは疑問です。申し訳ない。
避難者、帰還者、作業員、米軍兵士、さまざまな立場の方々が語る原発事故。そのリアリティとおぞましさに打ちのめされます。贅言はやめましょう。シテの語りにぜひ耳を傾けてください。
【道成寺】
自ら顔を出した核燃料は暴走をはじめる。
人間の制御の手を離れて、どこまでも熱くなり続けるということだ。
1800度を超えると、ジルコニウム合金の被覆管が溶けはじめる。
2800度を超えると、核燃料ペレットそのものが自熱で溶けだす。どろどろに溶けた超高温の濃縮ウランが格納容器の底に流れ落ちる。
最悪、メルトダウン。
すぐにそんな声が周囲で聞こえなじめた。
それでも純平はまだ半信半疑だった。この国で一番優秀な科学者が作った施設だ。日本の科学技術の粋を集めた"科学特捜隊本部"だ。何とかなる。誰かが何とかしてくれるはずだ。そう思っていた。
だが、いつまで経っても、誰も、何ともしてくれなかった。(p.38)【黒塚】
みんな爆発した原発の方向に背を向け、誰一人背後を振り返ろうとしない。何もなかったかのように振る舞えば、何もなかったことになるのではないか。懸命にそう思おうとしているのが明らかだった。(p.68)
もっと"いやな話"がある。
政府や、県や、警察は早くからその事実を知っていた。原発が爆発する二時間前に、どの方角に放射性物質が流れるのか予測していたのだ。
政府は、百三十億円もの多額の税金を投じて作ったコンピュータ・システムでシミュレーションを行っていた。その結果を、政府高官や県、警察、さらにはアメリカに伝えていたという。彼らは、原発が爆発した場合、人体に有害な放射性物質がどの方向に飛散するかを予め知っていたのだ。
慶祐が陽一郎と一緒に目撃した完全防護服にガスマスクの者たちは、政府、県、警察、いずれかの人間だろう。彼らはF町の人々が避難したその場所に大量の放射性物質が流れてきていることを知っていた。だから、自分たちは被曝しないよう、あんな恰好で放射線量を計っていたのだ。
避難する地元住民には予測情報は一切伝えられなかった。
理由は、住民がパニックを起こすのを恐れたからだという。
慶祐は唖然とした。腹の底から怒りがわきあがってきたのは、その後だ。
情報を知らされなかったせいで、慶祐たちはより被曝量の多い場所に移動して、浴びなくてもいい放射線を浴びた-陽一郎のたとえ話で言えば、"たくさんの目に見えない細い糸で体を刺し貫かれる"はめになったのだ。
住民がパニックを起こすのを恐れた?
馬鹿にしているとしか思えなかった。コンピュータ・システムを作るのに使われた百三十億円は日本国民が払った税金ではないか? なぜ地元住民のためでなくアメリカのために使われるのか、理由がまったくわからなかった。(p.100~1)【卒塔婆小町】
美海と二人で出て来た東京は、喜びにあふれていた。
ちょうど2020年のオリンピック東京開催が決定したところだった。新聞は連日オリンピック招致成功を祝う関連記事を掲載していた。テレビをつければ、どのチャンネルも判で押したように祝賀ムード一色だ。
東京に出て来てしばらくの間、靖子は目の焦点をうまく合わせることができない感じだった。
東京は明るく輝いていた。光にあふれていた。
まるで何ごともなかったかのようだ。
原発事故のせいで三十万人を超える人々が避難する事態が起きたことも、二年半経った今でも多くの人々が自分の家に帰ることさえできず仮設住宅暮らしを余儀なくされていることも、そのせいで地域社会が分断されてしまったことも、農業や漁業や畜産業が壊滅的な被害を受けたことも、何人もの自殺者を出したことも、一家離散の状態が続く家庭が数多くあることも、すべての問題がいまなお解決されないままでいることも、東京にいると本当に何もなかったかのような気がしてくる。
アベノミクス。好景気。株価高。
東京に出て来て、靖子はよくそんな言葉を耳にした。
外国語を聞かされているようだった。
とても同じ日本とは思えなかった。なんだかキツネに化かされているような気がした。夢でも見ているような感じだった。(p.126~7) 東京は明るく輝いている。光にあふれている。
不思議だった。
事故が起きる前、地元の町の人たちはみんな口を揃えてこう言っていた。
"原発なしでは日本の経済は立ち行かない。福島の原発が日本の経済を支えているんだ"
福島原発で作られた電気はすべて、遠く離れた東京に送られている。
地元では、それが常識だった。
福島原発は地元福島の電力を賄っていたのではない。福島原発は東京に電力を供給し、日本の経済を支えていた-はずだった。
現在、事故を起こした福島原発は一基も稼働していない。それなのに、東京のこの明るさはいったいなんだ?
福島原発なしでも、東京は明るく輝いている。光にあふれている。
本当は、福島に原発などなくても良かったのではないか。
必要がなかったのなら、なぜあんなものを作ったのか? (p.128~9) なんでこんなことになったんだろう?
靖子は力なくため息をついた。
顔をあげると、ビル壁面の巨大なテレビ画面の中では、日本の首相がオリンピック委員会で質問に答えていた。
"放射能汚染水は、港湾内〇・三平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされています。福島近海で私たちはモニタリングを行っていますが、その数値はWHOの飲料水質ガイドラインの五百分の一です"
靖子には、仮にも一国の首相が、世界中が見守る国際会議の場で、あんなにも自信にあふれた顔で、明らかにウソとわかる言葉をなぜ堂々としゃべることができるのか、不思議でならなかった。
汚染水は港湾内〇・三平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされてなどいない。
放射能汚染水はいまも海に垂れ流されつづけている。雨が降るたびに大量の雨水と地下水が、高濃度の放射性物質で汚染された原発敷地内を経由して、いまなお海に流れ込んでいる。(p.130~1)【善知鳥】
「われわれアメリカ軍は、東西冷戦を通じて核戦争を想定した訓練を行ってきた。いつでも核戦争を戦い、あるいは核攻撃に対処する準備をしてきた。米ソの冷戦が終結したあと、皮肉なことに、"核の戦場"はいっそうリアルなものとなった。ソ連が崩壊したさい、少なからぬ数の核兵器が世界各地のテロリストたちの手に渡った可能性が示唆されている。核兵器だけではない。最近では放射性物質を撒き散らすいわゆる"汚い爆弾"が使われることで、戦場が放射能汚染地域になるリスクも高くなった。
そんな状況のなか、同盟国・日本で地震と津波が都市(まち)を破壊し、しかも原発事故によって大量の放射性物質が周囲に飛び散るという事態が起きた。フクシマが第一原発周辺は、見方を変えればまさに"核の戦場"そのものだった。放射能汚染地域で実地訓練を行うことができれば、今後の事態において戦略的価値を持つさまざまな生のデータを収集できる。これが、フクシマ第一原発周辺でゼロ作戦が行われた理由だ」 (p.181~3)
一つの都市を一瞬で廃墟に変えたヒロシマ型原爆に使われた濃縮ウランはわずか800グラム。800キロでも80キロでもない。たったの800グラムだ。制御不能となったフクシマ第一原発一号機から四号機には、それぞれトン単位の核燃料が格納されていた。(p.185) 「フクシマは世界規模の原発災害だ。あのチェルノブイリさえはるかに超えている。日本があの程度の被害で済んだのはむしろ幸運な偶然が積み重なっただけで、もしももう一度同じ規模の事故が起きたら地球の四分の一が駄目になると言っている学者もいるくらいだ。俺にとっちゃあ狭い部屋の中に象がいる(エレファント・イン・ザ・ルーム)みたいなもので、あまりにも相手がでかすぎて全体像がつかめない。(p.198) -地震と津波は天災ですが、原発災害は人災です。本来二つはまったくの別物であり、明確に区別されるべき事象です。日本では不思議なことにこの二つを同一視する傾向があるようですが、論理的にはフクシマの原発事故は原発を運転していた日本の電力会社が地震と津波という天災への対応を誤ったために引き起こされた人災であることが明らかです。そもそも世界でも類を見ない地震大国日本で原発を動かすのであれば、あるいは火山活動、巨大台風といったものは、当然予想すべき事態でしょう。たとえ原因が自然災害だとしても、一度事故を起こせば当事国日本のみならず世界規模で甚大な被害が出る原発に関して"予想を超えた"や"想定外"などという言葉は通用しません。
日本の電力会社は、フクシマ第一原発の運転管理において本来果たすべき責任を怠った。そのせいで事故が起きた。さらに、事故直後、彼らが故意に情報を隠蔽したことで被害が拡大したのです。(p.199~200) 「…あれだけの被害をもたらしながら、あの事故で誰も罰せられないなんて、つくづく妙な国だと俺も呆れていたんだ。子供や妊婦を含む少なからぬ数の住民が事故で被曝したことは明らかなんだろう? それなのに傷害罪で誰も罰せられないなんて、どんな国だよ。
日本。日本。日本。三度も国土を放射能で汚されながら、まだ"ガマン"とはね。日本独自の精神だかなんだか知らないが"ガマン"も程度をこせば、むしろ滑稽だ。トーキョー都知事が地震を天罰だと発言したというニュースにも心底呆れたが、まったく不思議な国だぜ。
そう言えば、知ってるかい、ドクター。今回の作戦名となった"トモダチ"ってのは、本来子供同士で使われる言葉らしい。作戦名に子供言葉だと? やれやれ、日本語にはちゃんとした言葉がないのかね」
-"カワイイ"と"カワイソウ"も、日本人が老若男女を問わず好んで用いる幼児言葉です。また、最近の日本では三十歳を過ぎた女性同士が、少女(ガール)を意味する"ジョシ"と呼び合うのが流行っているそうです。心理カウンセラーの立場から言わせていただきますと、彼らはおそらく、自ら幼く振る舞うことで責任を回避しているのでしょう。幼児言葉の特徴は、論理的思考の停止と事象の平面化。何と言っても、幼児には社会的責任が伴わないですからね。
「そういや、アメリカ軍が日本を占領していたとき、総司令官だったマッカーサーが"ほとんどの日本人の精神年齢は十二歳で止まっている"と言ったそうじゃないか。七十年以上経っても、やっぱりそのままというわけか。
ふん、何がクールジャパンだ。オトモダチにアリガトウ? こんどはオモテナシときた。幼稚園のガキ同士じゃあるまいし、ヘドがでる。…」 (p.200~2)【俊寛】
「われわれとしましては、みなさまの地域地区の復興がなかなか進まないことを大変憂慮しております。津波の被害がより大きかった他の地域地区と比べても、明らかに立ち遅れております。なぜなのか? 検討の結果、われわれはこう考えました。"復興が進まないのは住民の皆さんの帰還が進まないからだ"と。では、なぜ帰還が進まないのか? 避難指示が必要以上に広い範囲に出されているのではないか。事故直後はともかく、状況は変化しているにもかかわらず、行政側の指示が一律であるために住民の方々の帰還をいたずらに妨げているのではないか。われわれはそう考えました。復興。そう、これからは復興を最重点課題としなければなりません。そのためには、みなさまに極力帰還していただきたい。住み慣れたご自宅に帰っていただきたいのです。
今回の測定の結果、みなさまが住んでおられた地点の年間放射線量は、すでに基準値以下に下がっていることが判明しました。避難指示を解除することで、より柔軟な帰還支援をさせていただくことが可能になります。われわれとしましては、この機会に一刻も早いご帰還を決断されることを、みなさまに切に希望いたしております。もちろん、さまざまなご意見がおありでしょう。ですが、皆様の早期帰還こそが地域地区の復興、ひいてはわが国全体の復興につながる点をどうぞご理解いただき、ご協力たまわりますよう、よろしくお願い申し上げます」
役人はそう言うと唐突に立ち上がり、その場で深々と頭を下げた-。
放射能自体は決して消えることがない。放射線量を減らすことができるのは、ただ時間だけだ。人間にできるのは、放射線の高い土を別の場所に移動させること-取り除くのではなく移動させる-除染ではなく移染だ。(p.231) 畑や田圃に大量の放射性物質が降り注いだ。目に見えない毒は水を汚し、土に染み込んだ。国や県はその対策として除染を行うと発表した。高い放射線の値が検出される場所は表土を削り取り、別の場所から持ってきた土を上にかぶせるという。放射線の値はそれで下がるかもしれない。だが、農家にとっては土がすべてなのだ。俊寛のご先祖様たちは、作物のろくに育たない土地を作り変えてきた。俊寛が有機栽培をはじめられたのも、ご先祖様たちが代々作りあげてきた土があっての話だ。百年かけてようやく作りあげた土が放射能の消えない毒で汚された。あげく、除染と称して削られ、廃棄物として捨てられた。
そのどこが羨ましいと言うのか?
俊寛は手の中のグラスを見つめ、唇をかんだ。
いくら金をもらったところで、島流しじゃ生きている甲斐がない。
そのことをヤスやツネにわかってもらえないことが、俊寛は一番悔しく、情けなかった。これまでずっと親しかった友人との仲が、避難指示解除の時期の違いや賠償金の額といったもので、あっさり壊されてしまう。そんなことがあるのか? 許されていいのか? 現実のこととは、とても信じられない思いだった。
だんだんバラバラにされていく感じだ。
俊寛は半ば空になったウィスキーの瓶を目の前に掲げ、琥珀色の液体ごしに歪んで見える景色を眺めて、ぼんやりと考えた。
仮設住宅で暮らす人たちと、仮設住宅を受け入れた地元の人たちとの軋轢が最近問題になっていた。
原発事故で土地を汚され、ふるさとを追われ、見知らぬ場所で避難生活を送らなければならなくなった者たちに、この土地の人たちは深い同情を寄せてくれた。彼らの親切にどれほど助けられ、また救われたかわからない。
だが、二年経ち、三年経つと別の声が聞こえはじめた。
あんたたちはいつまでここにいるつもりなのか?
そう言って、露骨にうんざりした顔をむける者が現れた。
働かずにお金をもらえていいわよねえ。
買い物に出ると最近は背後でそんな囁き声が聞こえてくるようになった。
よそ者は出ていけ!
壁に直接落書きされた仮設住宅もある。
人口が一気に膨れ上がったことでさまざまなものが不足していた。公共施設も道路も町も人であふれ返っている。スーパーで日常必需品を取り合う事態さえ起きていた。急激な人口増加に共同体が対応しきれていないのだ。ストレスがたまって当然だった。たまったストレスはけ口はよそ者に向けられる。地元の人たちの間で、避難者が避難者だという理由で孤立を感じる場面も最近では少なくなかった。孤立を生む軋轢は、避難者同士の間にも発生していた。
最初はみんな相身互いだった。みんな原発事故のせいでふるさとを追われた。お互い被害者だ。その前提で避難者同士の共感があった。だが、ここに来て、原発立地自治体から避難してきた人たちと、その他の地域から避難を余儀なくされた人たちとの間に軋みが生じていた。
真偽さだかならぬ噂が仮設住宅に流れた。
原発立地自治体の人たちは様々な優遇措置を受けていた。小学校入学時には児童全員に五万円が支給された。立派すぎるほどの文化センターやナイター完備のスポーツ施設を無料で作ってもらえた。下水料金は半分だった。出稼ぎの必要もない。避難先の公共料金の高さに驚いて「一桁間違っているんじゃないか」と文句を言った者がいる…。
どこまでが本当かわからなかった。だが少なくとも、原発立地自治体から避難してきた人たちが過去に「原発でいい思いをしてきた」ことだけは間違いない。彼らが自分たちの利益のために原発を誘致したのだ。そのせいでこんなことになってしまった。
避難者の間に、原発立地自治体出身者への非難とやっかみが生まれた。彼らは信じられないような優遇措置を受けてきた。自分たちは原発でいい思いをしていない。それなのに、なぜ彼らと同じように原発事故の不利益だけを被らなければならないのか?
その思いは溝となり、透明な壁となって立ち塞がった。同じ仮設住宅に住む被災者の間で諍いが起きることが多くなった。この頃は仮設住宅の前で大声で言い争う声が聞こえてくることも珍しくない。
国はこの上さらに"年間20ミリシーベルト"という値で避難者のあいだに線を引き、新たな分断をもたらそうとしている。
「被災者を分断したくないから(避難指示)線量は決めない」、
事故当時、国はそう言っていたはずではないか。それなのに結局、線量値を決め、被災者を分断して、口を拭い、平気な顔をしている。
除染が始まった地区では、除染の順番や方法が地元の人たちの間の新たな諍いの火種になっているという話も聞く。除染した土はどこに置くのか。フレコンバッグに入れられて山積みとなった「汚染土」は本来ならば低レベル放射性廃棄物だ。原発事故が起きる前は、1キロ当たり100ベクレルを超えるものはドラム缶に詰めて厳重な保管を義務づけられていた。事故後は8000ベクレル。一気に80倍になったわけだ。8000ベクレル以下は一般ゴミと一緒に焼却され、埋め立てに使われる。フレコンバッグに詰めて山積みとなった汚染土は8000ベクレル超だ。その「仮置き場」をどこにするかは各地区に任されているという。自分の土地に放射性廃棄物を置きたがる者がどこにいる?
国は被災者のあいだに諍いの種を蒔き続ける。(p.237~41) 「被災者を分断したくないから線量は決めない」、国ははじめそう言っていた。
何が"絆"だ。
俊寛(※としひろ)はマスコミが好んで使う言葉を思い出して、強い違和感を覚えた。そんなものはウソっぱちだった。慰謝料や賠償金のわずかな違いといったものが人間関係を破壊し、友人たちとの仲を疎遠にする。為政者は嘘をつき、被災者は孤立させられ、バラバラにされ、そして忘れられていく。
「費用はすべて電力会社が負担してくれるんだとよ」
ツネはさっき皮肉な口調でそう言った。電力会社が払った引っ越し費用は電気代に上乗せされ、あるいは税金を投入するかたちで回収される。回り回って、結局は自分で払うことになる。
電気料金を上げ、税金を投入してでも、国や電力会社は被災者を地元に帰したい。帰ってもらいたいのだ。原発事故などなかったことにするために。
何万人もの避難者の苦難をそのままに、国は東京オリンピックを誘致して、お祭り騒ぎをしてマスコミに祝賀ムードを盛り上げさせて、そうして国民の目を、関心を、原発事故から逸らせようとしている。原発事故などなかったことにしようとしている。
みんな本当に忘れてしまったのだろうか?
悪いことは忘れたい。いやなことは忘れたい。覚えていると辛い。
企業も政治家も、忘れさせたいと思っている。
だが、みんなが忘れてしまうから悲劇がまた繰り返されるのではないか…。(p.246~7)
一番おもしろかったのは「卒塔婆小町」です。原発事故のために漁師の夫と不仲になり、幼い娘を連れて東京で避難生活を送る若い主婦。やがて彼女は、周囲からの陰湿な差別と白眼視に追いつめられていきます。事故の全体像をつかめず、国家権力や大企業に抗う術も分からず、不安とストレスに苛まれた彼女が選んだ道は…より非力な弱者をいたぶることでした。衝撃のラスト・シーンです。
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『二度読んだ本を三度読む』
http://sabasaba13.exblog.jp/33160245/
2023-11-28T05:47:00+09:00
2023-11-28T05:47:18+09:00
2023-11-28T05:47:18+09:00
sabasaba13
本
柳広司という小説家にはまっています。福島原発事故の被害者たちの思いを描いた『象は忘れない』(文春文庫)、大逆事件で国家権力に殺された大石誠之助を主人公とした『太平洋食堂』(小学館文庫)、瀬長亀次郎・山之口獏・中野好夫を軸に戦後沖縄史を綴った『南風(まぜ)に乗る』(小学館)、小林多喜二・鶴彬・三木清と警察との闘争を描く『アンブレイカブル』(KADOKAWA)などなど。「権力に抗(あらが)う個人」というのが、彼の作品の大きなテーマです。その柳氏が若い頃から何度も繰り返し読み直した本を紹介する書評集が『二度読んだ本を三度読む』(岩波新書)です。
読書をしたいのだけれど、どんな本を読めばいいのかわからないとお悩みのそこのあなた。まあ座ってお聞きなさい。ほとんどが有名な作品ばかりの、球速160kmの豪速球で押し通すような読書案内です。紹介されている本を挙げてみましょう。
『月と六ペンス』 サマセット・モーム
『それから』 夏目漱石
『怪談』 小泉八雲
『シャーロック・ホームズの冒険』 コナン・ドイル
『ガリヴァー旅行記』 ジョナサン・スウィフト
『山月記』 中島敦
『カラマーゾフの兄弟』 フョードル・ドストエフスキー
『細雪』 谷崎潤一郎
『紙屋町さくらホテル』 井上ひさし
『夜間飛行』 サン=テグジュペリ
『動物農場』 ジョージ・オーウェル
『ろまん燈篭』 太宰治
『竜馬がゆく』 司馬遼太郎
『スローカーブを、もう一球』 山際淳司
『ソクラテスの弁明』 プラトン
『兎の眼』 灰谷健次郎
『キング・リア』 W・シェイクスピア
『イギリス人の患者』 M・オンターチェ
ユーモアあり笑いありウィットあり皮肉あり怒りあり、読みやすくバラエティに富んだ紹介文を読んだだけでその本が読みたくなること請け合い。(私も三冊ほど注文しました) 読みたい本がなかったら、代金を返却しろと岩波書店に問い合わせてください。(駄目だと思うけど)
そして本書が凡百の読書案内と違うのは、その毒です。著者の抱く重要なテーマである、酷薄な国家権力や、それに抗わない社会に対する痛烈な批判が本書の醍醐味。快刀乱麻を断ち、寸鉄人を刺し、歯に衣着せぬ舌鋒鋭い批判には快哉を叫んでしまいます。
例えば『ガリヴァー旅行記』では…
アイルランドが大嫌いでも、人間を信じられない厭人主義者でも、自由を奪われ、あくなき搾取の犠牲に供されているアイルランドの貧困と荒廃を前にして、彼は黙っていられなかった。スウィフトがもし今日の日本の情況を-フクシマやオキナワで起きている問題から目を逸らし、国を挙げてオリンピックにうつつを抜かしている有り様を、反対意見を表明していた者たちまでが「決まったからには仕方がない」と、まるで「始めたからには勝たなければならない」と先の戦争の時と同じ発言をしているこの国の人々を目にしたら、きっとさらにおぞましい『ガリヴァー旅行記』第五話が書かれたに違いない。(p.50~1)
また『動物農場』では…
オーウェルが繰り返し主張するのは「政治の堕落と言語の堕落は不可分に結びついている」という命題(テーゼ)だ。(p.113) フクシマ後も原発を「重要なベースロード電源」と意味不明の言葉で定義づけ、「アベノミクスの成果」を「トリクルダウン」と言って恥じない政治言語は、堕落というか、腐っている。「したたり落ちる(トリクルダウン)のを待っていろ」? よく分からないが、なぜ国民の多くがこんな腐った言葉に鼻をつまみ、腐臭に顔を背けないのか不思議で仕方がない。かつて「貧乏人は麦を食え」と言って物議をかもした政治家がいたが、それどころではあるまい。こんな言葉が政治的に許されるのなら、ありかなしかでいえば、なんだってありだ。政治家の言語が堕落しようが、腐っていようが、どうでも良いのか? だからまともな小説が売れないのか、と厭味の一つも言いたくなるくらいである。
啓蒙主義を代表する哲学者ヴォルテールは「君の意見には反対だ。だが、君がその意見を表明する権利は死んでも守る」と宣言し、20世紀の作家ジョージ・オーウェルは政治的自由を「人の聞きたがらないことを言う権利」と定義づけた。政治とは-少なくとも民主政治とは本来、異なる立場の言葉に耳を傾ける行為だということだ。お追従にのみ耳を傾け、聞きたくない言葉には耳をふさぐ。無視する。さらには恫喝して黙らせる。意見の異なる者とは対話を拒否し、会おうともせず、オトモダチ同士で耳ざわりの良い話題だけで語り合う。休みとなればゴルフばかりしているようでは言語センスの磨きようもあるまい。
政治の堕落は言語の堕落と不可分。
だとすれば、この国の政治はもはや取り返しようのないところまで堕落していることになる。(p.113~4)
弱者を虐げる権力への怒りと、言葉への信頼がビシビシと伝わってきます。さあ、この毒を皿まで食らってみませんか。
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『転換期を生きるきみたちへ』
http://sabasaba13.exblog.jp/33152429/
2023-11-18T07:30:00+09:00
2023-11-18T07:30:31+09:00
2023-11-18T07:30:31+09:00
sabasaba13
本
きみ自身を、そしてきみの生活を変えたいならひとつだけ忠告を聞いてほしい。これだけのこと。テレビを消してよい本を読む。(リウス)
今ならさしずめ「スマートフォンを消す」でしょうか。今回、ぜひ紹介したい「よい本」は、『転換期を生きるきみたちへ 中高生に伝えておきたいたいせつなこと』です。(内田樹編 晶文社) 11人の碩学が、中高生に向けて「これだけは伝えておきたい」という知見を集めたアンソロジーです。まとめ役の内田樹氏が、その意図についてこう述べられています。
刻下のわが国の政治・経済・メディア・学術・教育…どの領域を見ても、「破綻寸前」というのがみなさんの現場の実感ではないかと思います。私たちは、自分が生きているうちに「そんなこと」に遭遇するとは想像していなかったような歴史的転換期に足を踏み入れています。このような局面に際会したとき、私たちが果たさなくてはならない最優先の仕事は「今何が起きているのか、なぜそのようなことが起きたのか、これからどう事態は推移するのか」を責任をもって語ることだと思います。とりわけ若い人たちに向けて、それをしっかりと伝えることだと思います。(p.6)(※いろんな先生に)共通するのは、全員がみなさんの知的な成熟を願っているということです。(p.13)
いまが歴史的転換期であること、それに対応するには知的な成熟が必要であること。それについて11人の碩学がさまざまな視点から、さまざまな言葉で語ってくれます。いろいろな考え方・見方・感じ方があると知ることで、世界と人間は複雑で豊かであると理解すること。それが知的成熟ではないかと考えます。〇か×か、善か悪か、美か醜か、早押しボタンで決められるほど世界も人間も単純なものではないでしょう。そのさわりを紹介します。
【身体に訊く -言葉を伝えるとはどういうことか】 内田樹
誤解している人が多いと思いますけれど、「わかった」というのはあまりコミュニケーションの場において望ましい展開ではないんです。だって、そうでしょ。親とか先生から、「お前の言いたいことはよくわかった」ときっぱり言われると、ちょっと傷つくでしょ。だって、それは「だからもう黙れ」という意味だから。(p.37)【僕の夢 -中高生のための「戦後入門」】 加藤典洋
「知識」は水。「考える」ことは種が発芽するってこと。そして「問いをもつ」ことが、種がまかれるっていうことだ。(p.47)【表と裏と表 -政治のことばについて考えてみる】 高橋源一郎
ということは、学校というところは、みんなで同じ時間に集まって、同じ場所にいて、同じ事を、同じように書いたり、音読したりする、それがイヤにならないよう訓練する場所なんじゃないでしょうか。それは、つまり、社会というところに入ったとき、同じことが起こるので、そのとき、そんなおかしいことはしたくない、と思わないよう、小さい頃から慣れさせておくためじゃないかな。(p.75~6)【空気ではなく言葉を読み、書き残すことについて】 岡田憲治
…後から生まれた者たちの特権とは、前に生まれたアホたちの失敗の記録を読むことができるということだ。もうすでに君たちは、その意味でオサーンやオバハンよりも圧倒的に有利な位置に立っている。
でもそうであるためには、絶対に失ってはいけないものがある。
言葉だ。空気じゃない。
それは巨大なるバカを繰り返さないための唯一の道具だ。(p.163~8)【科学者の考え方 -生命科学からの私見】 仲野徹
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。 (p.185)【「国を愛する」ってなんだろう?】 山崎雅弘
過去の失敗を忘れれば、また同じ失敗を繰り返す。これは、一人一人の人間でも、組織や集団でも同じです。そうした失敗を繰り返さないために、人は歴史を学びます。そしてもし将来、日本が先の戦争と同じようなことを繰り返してしまうなら、先の戦争で亡くなった犠牲者の死を「われわれは無駄にしてしまった」ことになります。
つまり、先の戦争で失われた軍人や市民の命が「無駄か、そうでないか」は、現在と将来を生きる世代のとる行動によって決まるのです。(p.241)【「中年の危機」にある国で生き延びるために】 想田和弘
経済成長しないということは、全体のパイが大きくならないということです。であるならば、そのパイをみんなでうまく分け合うことを考える必要があるのです。
つまりこれからの時代には、「競争」よりも「協働」が重要になります。「収奪」よりも「支え合い」が重要になります。「量」よりも「質」が重要になります。「大きいこと」よりも「小さいこと」に価値を見出す必要があります。
そしてそれはそのまま、「転換期を若い人が生き延びるための知恵と技術」になり得ると思うのです。(p.268)
そして今が歴史的転換期であることは、何よりも今夏の猛暑・酷暑・溽暑・炎暑が雄弁に物語っています。ニュースでは、熱中症対策や涼の取り方についてさかんに報道していますが、それはそれで大事なことですが、温室効果ガスによる地球温暖化、いやグテレス国連事務総長曰く沸騰化についての指摘はほとんどありません。もはや私たちに残された選択肢は、墜落か胴体着陸しかないと言う識者もいます。そう、人類の破滅か存続かを選べる最後の時がおそらく今です。その責任はわれわれ中高年とその前の世代にあり、若者にはありません。言うなれば最大の、そして最後の希望は若者です。ぜひ本書を読んで知的に成熟していただきたいと思います。
岡田憲治氏の言を借りて若者へのエールを送り、拙文を閉じます。
生きている間は懸命に努力するから、あとは頑張ってくれ。申し訳ない。
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『ガザ、西岸地区、アンマン』
http://sabasaba13.exblog.jp/33134390/
2023-10-27T06:05:00+09:00
2023-10-27T06:05:31+09:00
2023-10-27T06:05:31+09:00
sabasaba13
本
今回紹介したい本は、『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』(いとうせいこう 講談社)です。講談社の公式サイトから紹介文を転記します。
世界の矛盾が凝縮された場所―パレスチナ。そこで作家は何を見て、何を感じたのか?
同時代の「世界のリアル」を伝える傑作ルポルタージュ!
抗議デモで銃撃されるガザの若者たち、巨大な分離壁で囲まれたヨルダン川西岸地区、中東全域から紛争被害者が集まるアンマンの再建外科病院―。
「国境なき医師団」に同行して現地を訪ねた作家が、そこに生きる人たちの困難と希望を伝える好評シリーズ最新刊。
70年以上にわたり、イスラエルによる略奪・侵略・殺戮・破壊・占領・封鎖に喘ぎ続け、そして今、ハマースによる武力抵抗への報復としてイスラエル軍による地上侵攻が行われようとしているガザ。そうした過酷かつ非人道的な環境のなかで暮らすガザ市民と、彼ら/彼女らを医療面で支える「国境なき医師団」(Medecins Sans Frontieres)。いとうせいこう氏が、イスラエルはガザや西岸地区で何をしたのかを、市民や医師・看護師にインタビューして聞きとります。いとう氏の人柄なのか真摯さなのか熱意なのか、インタビュイーがガザについての詳細かつリアルな話を次々と語る姿が印象的です。平板なニュース報道ではまず伝えない、というか記者・ジャーナリストも知らないガザの現実を、一端ですが知ることができました。ガザというのは単なる土地や地名ではなく、そこに人間が日々暮らす街なのだという至極当然のことにあらためて思い至りました。いくつか紹介しましょう、ガザで生きるとはどういうことなのか。
その手首から先がなかった。
そこはつるりとすぼまっていて、かつて手のひらがつながり、指があった気配が消えていた。俺は近づきかけていた足を止めそうになり、それが最も失礼だと反射的に思い直してわざと笑顔になった。
「ハロー」
それはガザの人々の親切さに甘えたやり方だったかもしれない。少年はハローと小さく言い返したが、決して笑わなかったから。
彼はイブラヒム・ハブメディと言い、13歳だった。ある日イスラエルが作った境界線近くへ行き、落ちていたおもちゃを拾った。それがおもちゃを装った爆弾だった。イブラヒムの左手首から向こうは激痛とともに消えた。
おもちゃめかした爆弾。そんな非道が彼らの日常である。その狂気に貫かれた日常がいまだ残ったイブラヒムの体で、ただし狂気自体は姑息なことに破裂して消えている。そんな複雑なことを一瞬考えたのも、正直彼にどう言葉をかけ、どんな質問をすればいいかわからなかったからかもしれない。(p.54) 別の部屋のベッドには、怪我をしたばかりという18歳のファエズ・アティアがいた。医師がその痩せた上半身を診ている。聞いていると、先週ファエズはガザ地区とイスラエルを分断する境界線の近くでデモに参加していた。前にも説明したが、イスラエルに土地を奪われたことから始まった毎週金曜日の『偉大なる帰還のための行進』が、2018年5月の米国トランプ大統領によるイスラエル寄りの政策によって刺激され、激化しているのだった。
激化といっても人数が増えただけで、例えばファエズも武器を持っていたのではない。にもかかわらず、彼は撃たれた。つまりまぎれもなくそれは紛争被害者だった。
「ここから弾が」
ファエズはベッドに腰かけたまま、Tシャツをめくって体をひねった。背中の左側にごく小さな穴があった。幸運なことに彼を襲った銃弾は左胸から飛び出ていった。あとからたくさんの被害者を見たから今ではよくわかるのだが、銃弾が入った箇所が胸であまりに薄かったため、破裂する前にそれは外に出たのだった。しかし肺も内蔵もやられていなかったのは奇跡に近かった。
聞けば、18歳のファエズはすでに3回銃撃に巻き込まれていた。他の傷跡はなさそうだったから、銃弾は偶然彼をよけたのかもしれない。それまでは。
さすがに実害を受けて、彼のデモへのモチベーションは下がっただろうと思いきや、日本でいえば高校生のファエズはごく小さな声でこう言った。
「これは自分たちの土地のためのデモです。パレスチナの自由と土地のために、僕はまたデモに行きます」
そのファイルのかすかな声と無表情に俺はとまどった。すでに何度も銃で狙われ、ついに銃弾で背中を撃たれた若者がいまだ抗議行動に固執している。だが、それにしてはあまりに静かだった。熱狂的なものがないのだ。
死のうとしている者のように。(p.56~8) モハンマド・ハワス、21歳。
右足は太く膨れ、あちこちがまるで古い木の根のように変色し変形しており、環を縦に繋いだ形の外装器具で守られている。その環の内側から所々金属の細い棒が出ていて、肉の奥まで食い込んでいるのが痛々しい。
どこから説明していけばいいものやら。ともかく彼はデモ参加者にコーヒーや紅茶を売っていて撃たれたのだった。彼自身がデモ参加者ではない以上、背後から攻撃されたことは傷口ではっきりわかった。
看護師が説明してくれたのだが、恐ろしいことに弾は"小さく入って大きく出る"ようになっていた。19世紀にハーグ国際会議で禁止されたダムダム弾(着弾すると衝撃で頭がつぶれて傷口を広げる)の今版のようなものだろうか。弾は人体に入ると爆裂し、肉や骨をより大きく損傷しながら外へ出ていく。
ゆえにモハンマドの右足は様々にえぐれ、波打つように変形しているのだった。
しかも骨が砕けているので、完治することはなく、骨はくっつかない。そのまま傷が癒えても足としての機能はなくなっており、歩行できない、足に体重をかけられないなど、障害が残る。外装器具で固定しているのは長さを保つためで、その状態のまま手術など繰り返し、自分の骨盤の一部を取って足に補充していくらしい。(p.59) ただし、エルサレムでエリィに聞いた話もここには同時に書いておかねばならない。デモで怪我を負ったものにはハマスから金銭が贈られるらしく、職がない若者としてはそこに行って撃たれること以外、暮らす道がないとも言えるらしいのだ。
そして不思議なことに、命を落とす者よりも足を撃たれる者が圧倒的に多い。イスラエル側は人を殺して国際的に責められるより足を撃った方がいいとも考えられ、しかも撃たれた者は例の弾丸で深く傷を負い、周囲もその世話をせねばならなくなるとすれば、パレスチナ側の国力は金曜ごとに損なわれているのである。
したがって、どちらの陣営も彼ら若者の足を政治的に利用しているのだとも言える。(p. 67)
おもちゃを装った爆弾が道端に落ちている街。武器も持たずにデモに参加しただけで、デモ参加者に珈琲を売っただけで、イスラエル軍の恐るべき非人道的な弾で撃たれる街。デモに参加してイスラエル兵に撃たれるとハマースからもらえるお金に頼らざるを得ない街。そう、これがガザなのですね。
しかしそうしたあまりにも過酷な状況のなかでも、音楽をとおして人間であり続けようとするパレスチナ人の姿には胸が熱くなりました。
数あるインタビューのなかで一番心に残ったのは、ヤセル・ハープさんの話と訴えです。
ヤセル・ハープ、45歳。16歳から3歳半まで3人の娘と2人の息子を育てる父親だ。
ガザ出身で2004年からMSFで働くようになったが、それまで人道援助団体があることさえ知らなかった。自分の日々の目的は家族を養うことだと思っていたけれど、それでも2005年から紛争被害者を車に乗せて病院への送り迎えを繰り返すようになって、次第に意識が変わった。
2008年には砲撃で多くの市民が巻き添えになった。ヤセルさんは決断をし、外国人スタッフを検問所まで迎えに行く仕事を引き受けた。リスクのある仕事だったが、それがガザにとって大切なことだと思ったからだ。その後も家を失った人々、国外に出られず学校へ避難する人々を運び続け、食料や水や衣服を配る仕事も増やした。しかしイスラエルとパレスチナの衝突はおさまらず、自分たちの住む地域にも砲撃があった。もはや引っ越すしかなくなったのが多くの死傷者が出た2014年のことだ。それ以後も砲弾はガザに撃ち込まれ続けている。
「お父さん、なぜ駁撃されなきゃならないの?」
子供はそう聞く。けれど、自分は父親としてきちんと答えることが出来ないんだとヤセルは言った。そんな時自分は無力だと感じる、と。
ガザ市民に希望はない。どうすることも出来ない。海にも軍がいる。見張られて出て行く先もない。明日の見通しがひとつもないんだよ。私たちは助けが欲しいというのに。
ヤセルさんは俺たちそれぞれの目を見てそうかきくどいた。安全を考えて撮影は15分でおわらせなければならなかったが、そんな短さで彼の思いを聞き尽くすことなど出来るはずもなかった。
それでもヤセルさんは時間が来るまで淡々と、そしてしっかり語り続けた。
MSFには感謝している。私たちに医療を与えてくれているからだ。その一員であることを誇りに思う。しかし1年前のブラックデイに大きなデモが起き、たくさんの人々が撃たれた。今でも毎金曜日、ひどい日には420人もの怪我人がクリニックに来る。生活に絶望している若者たちばかりだよ。
ドライバーとして国中を移動していると、色々な話を聞く。例えばついこないだのことだ。ある70代の女性が家族を失い、自分は死にたかったが生き残ってしまったと後部座席で言った。私は怒りよりも大きな悲しみに包まれた。なぜそんなことになってしまったんだろう。
パレスチナの民は平和を求めているだけなんだ。自分たちの国にいて、自分たちの自由が欲しい、それだけだよ。どうかガザの外にいる人々に伝えて欲しいんだ。平和のために抗議をしていてなぜ撃たれなければならないのか。少しの時間でもいいから、どうかどうかガザに生きている私たちのことを考えてください。
「お願いします。そう伝えてくれませんか」
ヤセルさんの目には涙が浮かんでいるように見えた。
俺は胸の詰まる思いで、彼の目をしっかり見て答えた。
「必ず日本へ帰ってお話を伝えますから」
俺の後ろに座っていたキャンディダが洟をすすっているのがわかった。舘さんも横田さんもヤセルさんの目をじっと見る他なかった。(p.92~6)
ガザに生きる人びとのことを考えましょう、そして伝えましょう。
連日のニュースで、イスラエル軍によるガザへの無差別空爆が報道されています。イブラヒムは、ファエズは、モハンマドは、そしてヤセルは無事でしょうか。生きていることを、心から心から祈っています。
そしてハマースに、何よりもイスラエル軍に言いたい。
殺すな
最後に一言。「国境なき医師団」の献身的な医療活動に心から敬意を表します。実は山ノ神が寄付をしたことがあったのですが、それ以降寄付を求めるダイレクト・メールが頻繁に届き、少々辟易して寄付をやめていました。しかし、本書を読み同医師団の公式サイトを見て認識をあらためました。ごめんなさい。独立・中立・公平を貫き。権力から距離を置くために、活動資金の約9割を民間からの浄財に頼っているのですね。もいちどごめんなさい。私たちの寄付が、傷病に苦しむ人たちを救うための医療活動を支えていることがよくわかったので、これからは時々寄付をしていこうと二人で誓いました。
追記です。本書に南スーダン編と日本編を追加した文庫本『「国境なき医師団」をもっと見に行く ガザ、西岸地区、アンマン、南スーダン、日本』(講談社文庫)が上梓されているとのこと。こちらの方がお得です。
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『ガザに地下鉄が走る日』
http://sabasaba13.exblog.jp/33125259/
2023-10-16T07:10:00+09:00
2023-10-17T18:33:30+09:00
2023-10-16T07:10:25+09:00
sabasaba13
本
パレスチナで大規模な殺戮が起こりそうな動きに、暗澹とした気持ちを抱いています。いま、私にできることは、パレスチナ問題の発端とその後の経緯、そこで何が起きたのか/起きているのか、そして誰が苦しみ、誰が苦しめているのかについて知ることしかありません。イスラエル建国とパレスチナ人の難民化から70年、高い分離壁に囲まれたパレスチナ・ガザ地区についての歴史と現状、そこで生きる人びとについて綴った『ガザに地下鉄が走る日』(岡真理 みすず書房)という好著がありますのでぜひ紹介します。著者の岡真理氏は、現代アラブ文学・パレスチナ問題・第三世界フェミニズム問題を専門とする、京都大学名誉教授です。贅言はやめましょう、ぜひ氏が述べるガザの歴史とそこに生きる人びとについて耳を傾けてください。
デイル・ヤーシーン。それは長らく「ナクバ」の代名詞だった。イスラエルの建国前夜の1948年4月、エルサレム近郊にあるこのパレスチナ人の村で、極右のユダヤ民兵組織によって引き起こされた虐殺事件は、ナクバの悲劇を象徴する出来事としてパレスチナ人に記憶され、そのようなものとして長らく語られ続けてきた。しかし、パレスチナの地に「ユダヤ国家」を建設するために、そこに住まうパレスチナ人を一掃し民族浄化する過程で、実際にはデイル・ヤーシーンと同規模ないしはそれを上回る集団虐殺が、パレスチナの各地で複数、起きていたことが明らかになっている。小規模の虐殺を含めれば、その数は何十にも及ぶ。(p.49)
デイル・ヤーシーンで起きたことは、パレスチナに留まろうとするアラブ人の運命とはこのようなものだという、パレスチナ人に対する見せしめだった。イラン・パペは、その著書『パレスチナの民族浄化』において、パレスチナの地にユダヤ国家を建設する以上、そこに住まうパレスチナ人を民族浄化することは、シオニズムのプロジェクトに本質的かつ不可避的に内包されていたとし、パレスチナの民族浄化がシオニスト指導部による組織的な計画であったことを実証している。デイル・ヤーシーンは、パレスチナ人を恐怖に陥れ、その「自発的な」集団避難を促し、この民族浄化を容易にするための戦略の一環だった。イルグンらの犯罪行為を非難する体を装いながら、シオニスト指導部がこの事件を積極的に報じて宣伝したのもそのためだ(とはいえ、パペによれば、「パレスチナの町々を攻撃するに際して、彼ら〔シオニスト指導部〕は、〔デイル・ヤーシーンの〕虐殺のせいで住民が逃げ出すことを期待していたが、ことはそう巧くは運ばなかった。彼らは1948年の4月のあいだじゅう、いろいろな町の住民たちを虐殺し、強制追放しなければならなかった」とも述べている)。(p.52~3)
この70年間、パレスチナの内と外で、パレスチナ人の身に繰り返し生起する虐殺は、ナクバ、すなわちパレスチナ人の民族浄化が、遠い過去に起きた昔話ではなく、現在もなお進行中の出来事であることを示している。イラン・パペはこれを「漸進的ジェノサイド(Incremental Genocide)」と呼ぶ。長い歳月をかけて徐々に進行するジェノサイドという意味だ。パレスチナ問題とは、この漸進的ジェノサイド、終わらぬナクバの問題である。(p.56)
だが、私は思わずにいられなかった。もし、いま、ここに、ガザのパレスチナ人がいて、この光景を目にしたとしたら…? 同じ地球上で、ガザに閉じ込められたパレスチナ人が必死に世界に救いを求めながら、日夜、なぶり殺しにされているとき、そんなことは自分達とは何の関係もない別の惑星の出来事であるかのように、新年のバーゲンセールに興じる者たちの姿を見たとしたら…? そうしたら彼らは果たして、この世界を許すことができるだろうか。(p.62~3)
「テロと報復の連鎖」「暴力の悪循環」といった文言が、パレスチナ・イスラエルを語る際の枕詞のように、日本のマスメディアでも繰り返された。しかし、十代、二〇代の若者が、ダイナマイトで自らの肉体を木端微塵にすることで周囲の人間を殺傷する暴力と、最新式の兵器で重武装した占領軍が、戦闘機や戦車や軍事用ブルドーザーで市街地を攻撃し、住民を殺傷し、難民キャンプを瓦礫の山にする圧倒的な暴力が、どちらも「暴力」にちがいないとはいえ、それらは果たして「同じ暴力」なのだろうか。両者のこの圧倒的な非対称性を無視し、「暴力」という言葉で平準化して、事態を「暴力の悪循環」に還元してしまうことが果たして、彼の地で起きている出来事を適切に表象していると言えるのか。イスラエル領内に侵入したパレスチナ人がそこで行う自爆攻撃がよしんば「テロ」と呼びうるとして、では、パレスチナ人のその「テロ」は、いかなる状況が生み出したものなのか。未来あるはずの若者たちを自爆にまで追い詰めずにはおかない状況とは、いったい、いかなる類のものなのか。そうした状況を生み出す問題の根源とは何なのか。
そうしたもろもろの問いを問うことなく、「テロと報復の連鎖」や「暴力の悪循環」といった枕詞を冠せられて書かれる記事は、そこで起きている出来事を報道しているようでいてその実、占領者と被占領者があたかも対等な存在であるかのように、両者のあいだの圧倒的な非対称性を覆い隠し、さらにパレスチナ人のテロルが、この当時ですでに三十数年、違法に続いている占領の暴力によって生み出されているという根源的な事実を隠蔽してしまう。(p.64~6)
何十年にもわたり、いかなる犯罪を行なっても責任を問われることもなく処罰されることもない、そのような「無法」国家の存在に、その不正に、この世界が目を瞑り、許容し続ける限り、世界が倫理的に蝕まれていくのは当然のことだ。(p.93)
虐殺から20年目のシャティーラを私が訪れた翌2003年の2月、ベルギー最高裁は、パレスチナ人有志によるシャロン首相訴追に関しベルギーの司法管轄権を認め、シャロンが首相を退任し免責特権を失えば、訴追もありうるという画期的な裁定を下した。しかし、イスラエルとアメリカが猛反発し、ベルギーに外交圧力をかけ、国際人道法違反処罰法は同年、廃止に追い込まれた。そして、サブラーとシャティーラの虐殺の責任者、シャロンは2006年、首相在任中に脳内出血で倒れ、以降、昏睡状態となり、2014年、裁かれることなく世を去った。
ガザに本部を置くパレスチナ人権センターの設立代表、ラジ・スラーニ弁護士が強調するように、イスラエルの犯した戦争犯罪がこれまでひとたびも正しく裁かれてこなかったという、国際社会におけるこのイスラエル不処罰の「伝統」が、パレスチナ人に対してイスラエルが繰り返し戦争犯罪を行使することを可能にしている。サブラー・シャティーラ、ジェニーン、ガザ、繰り返される虐殺…、パレスチナ人がどのような戦争犯罪、不正を被ろうとも、国際社会は寛大にも、つねにその犯罪を看過し、責任者を処罰しないことで、世界に向けてメッセージを発してきたのだと言える、パレスチナ人などとるに足らない存在であると。彼らは我々と等価な存在ではない、ノーマンであると。ラジ・スラーニは言う、私たちは人間として尊厳をもって生きる機会が欲しい、これは不当な要求だろうか、と。
1948年のナクバからすでに70年もの歳月が過ぎた。この70年に及ぶパレスチナ人の闘いは、生き延びるための闘い、武装解放闘争、政治外交による闘い、ラジ・スラーニが闘う国際法による闘い、アートによる闘いなどさまざまな形態をとってきたが、それを一言で表すならば、ノーマン/人間ならざるものとされた者たちが人間となるための闘い、対等な人間としてこの世界にその存在が書き込まれるための闘いであると言えるだろう。(p.128~9)
国際紛争は従来、死傷者の多寡でもって、紛争の強度が測られてきた。600万人ユダヤ人の死(ホロコースト)、三カ月で100万人の死者(ルワンダのジェノサイド)、一発の爆弾で14万の死者(広島の原爆)、あるいは、一晩で10万人以上の死者(1945年3月10日の東京大空襲)など、私たちは死者の数を強調することで出来事の深刻さを表現しがちだ。パレスチナとイスラエルの紛争は、70年という長きにわたるにもかかわらず、そしてその間、100人単位、1000人単位の集団虐殺が幾度となくパレスチナ人の身に生じてもいるが、死傷者の数という点では決して多くはない。だが、自身、パレスチナ難民二世でもある社会学者、サリ・ハナフィは、こうした従来型尺度によってはパレスチナ・イスラエル紛争の深刻さを測ることはできないとする。パレスチナで進行している事態、それは、その時々に生起する出来事の一つひとつをとってみればジェノサイドではないとしても、「スペィシオサイド」、すなわち「空間の扼殺」だとハナフィは言う。
「空間の扼殺」とは、単に空間を物理的に破壊することを意味するのではない。「空間」とは人間が人間らしく生きることを可能にする諸条件のメタファーである。入植地建設や分離壁によって生活の糧である土地が日常的に強奪され、農業を営むにも生活をするにも慢性的な水不足に置かれ、夥しい数の検問所や道路封鎖によって移動の自由もない。入植者によるハラスメントや暴力行為は日常茶飯事であり、それに抵抗した者は、イスラエルの安全保障を脅かしたと見なされ、即、拘留される。拘留は何カ月も、あるいは何年にも及ぶ。十年以上収監されている者も珍しくない。占領は、占領下の生活のありとあらゆるレヴェルで、パレスチナ人が自分たちの土地で人間らしく、ごく普通の暮らしを送る可能性をことごとく潰していくことで、命を直接、奪わずとも、彼らの生を圧殺していくのである。人間らしく生きたければ、パレスチナを出ていくしかない。民族浄化は形を変えて、継続しているのである。(p.221~2)
それは想像を絶する攻撃だった。アウシュヴィッツのあとで、人間が人間に対してなしうることに想像を絶することなど、もはや何一つないのだとしても。
世界がクリスマスの余韻にひたるなか、その攻撃は突然、始まった。ガザ地区はその前年から完全に封鎖されていた。世界最大の野外監獄と化したそこに、一年以上に及ぶ完全封鎖で疲弊した150万もの人々(当時)が閉じ込められていた。逃げ場もなく、まさに「袋のネズミ」状態に置かれた彼らの頭上に、空から海から陸から、ミサイルや砲弾の雨が22日間にわたり降り注いだ。死者は1400人以上に及んだ。4年数カ月に及ぶ第二次インティファーダの死者が約3000人だ。その半分近くが、たった三週間で殺されたことになる。まさに一方的な破壊、一方的な殺戮だった。
自治政府関連の建物も警察署も、大学も、スポーツセンターも、公園も、民家も、攻撃された。病院も、国連の学校も、モスクも容赦されなかった。いくつもの家族が瓦礫の下で生き埋めになって死んだ。攻撃は夜に集中した。真っ暗闇の中、砲弾やミサイルが周囲に着弾する轟音や振動が、深夜から明け方まで間断なく続く。そんな恐怖の長い夜を耐え抜いて、ようやく朝、陽がのぼって攻撃が止み、外を見れば、爆撃されたのは墓地だったり、すでに幾度となく攻撃され破壊された建物であったりする。住民をただただ恐怖に陥れるためだけになされる爆撃、まさに純粋テロだ。それが22日間、続いた。
22日間…。それは終わったからこそ言えることだ。攻撃が現在進行形で続いているさなか、空爆下の人々は、この事態があと何日、続くのかなど知る由もなかった。この晩を生き延びて、もう一度、朝を迎えられるのか、そんな恐怖の夜を22夜も経験したのだ。私たちが新年をのどかに言祝いでいたとき、ガザは血にまみれていた。(p.233~4)
医療従事者に対する攻撃は国際法違反だ。しかしガザでは、負傷者の救出に奔走する救急医療士たちが狙い撃ちされ、殺された。ガザでパレスチナ人の人権擁護活動に携わる外国人の若者たちは救急車に同乗し、救急医療士を狙撃から護った。(p.235~6)
白燐弾。燐は大気中で自然発火するため、空気に触れているかぎり鎮火しない。人体に付着すると、骨に達するまで皮膚と肉を焼き焦がし、吸い込むと、肺を内蔵から焼き尽くす。イスラエルは照明弾として使用したと主張するが、「ガザ、2008、白燐弾」で検索すれば、正視するに堪えない、頭部やからだに痛ましい火傷を負った子どもたちや、真っ黒な灰の塊と化した赤ん坊の写真などが多数、アップロードされている。(p.237)
経済的見地から言えば、軍事産業はイスラエルの基幹産業のひとつだ。広島と長崎が二種類の新型爆弾の破壊力を実地に測るための実験場だったように、ガザもまた新兵器開発のための恰好の実験場であり、同時にガザ攻撃は、世界市場にイス別の次元では、法の支配がないことが指摘できる。ガザに本部を置くパレスチナ人権センター(PCHR)の代次元では、法の支配がないことが指摘できる。ガザに本部を置くパレスチナ人権センター(PCHR)の代014年8月3日に発表した「なぜ停戦だけでは十分ではないのか」と題する文章で、イスラエルの戦争犯罪がひとたびも裁かれていない事実を指摘していた。PCHRは2008-09年の攻撃における戦争犯罪について、イスラエルに対して1046名に関する490件の刑事告訴を行なったが、それに続く5年間でイスラエル当局から回答があったのは44件にとどまる。しかも、その内容はと言えば、「兵士一名がクレジット・カードを盗んだ廉で七カ月の懲役。兵士二名が9歳の少年を人間の盾に使ったことで有罪、三カ月の執行猶予。兵士一名が白旗を掲げていた一団に発砲し、女性二名を死に至らしめた件では、「火器の誤用」で有罪、45日間の投獄」だった。スラーニは言う。 ここに公正さなど欠片もない。これらの絶えざる戦争犯罪の衝撃の大きさと、にもかかわらず結果的に処罰がなされないことが、私たちの尊厳そのものを否定し、私たちの人間としての価値を否定している。これらの判決は、私たちの命など聖なるものではないと言っているのだ。私たちなど取るに足らないものだと。 それは国際社会も同じだ。安保理決議に反して半世紀以上続く西岸とガザの占領、ガザの完全封鎖(それ自体が戦争犯罪だ)、西岸における入植地や分離壁の建設など国際法違反の数々。そして大規模攻撃のたびに犯される夥しい戦争犯罪…。2008-09年の攻撃のあと、国連の事実究明調査団が組織され、提出された長大な報告書はイスラエルによる数多の戦争犯罪を指摘していたが、結局、うやむやになってしまった。パレスチナに関しては、法による支配など損しない。こうして、イスラエルを断罪しないことで国際社会は、スラーニが言うようにメタメッセージを発しているのだ。パレスチナなど取るに足らないものだ、何をしてもいい、と。(p.248~50)
ガザの歴史をざっと概観しただけでも、パレスチナ人がその難民的生の経験を通して、国連の援助でかろうじて命をつなぐ「難民」から、占領と闘う抵抗者、自らの権利を訴え、故郷への帰還と主権国家の樹立を求めて闘う政治的主体、自分たちの社会を自分たちで統べる市民へと変貌していったことが分かる。ガザの住民の八割が、ナクバで難民となった者たちとその子孫であり、分類上は依然として「難民」だが、彼らは60年を経て、ナクバ当時の「難民」とはまったく異質な存在へと変貌を遂げた。継続する完全封鎖と繰り返される攻撃が目論むのは、このパレスチナ人を、今日を生き延びることに汲々として、国際社会の恩恵がなければ生きていけない、テント暮らしの「難民」に再び鋳直すことにほかならない。ポリティサイド、政治的主体性の抹殺である。
だが、同時に、攻撃が繰り返されるのは、こうした破壊や殺戮や完全封鎖をもってしても、ガザの人々の、「パレスチナ人」という政治的主体性を消し去ることができないからだとも言える。刈り取っても刈り取っても伸びてくる逞しい雑草のように、いかに打ちのめされ、絶望の淵に沈もうと、70年前の民族浄化という歴史的不正義に対する闘いを、祖国帰還の夢を、彼らは決して手放そうとはしない。だから、彼らに対するポリティサイドの暴力も年追うごとに、なりふり構わぬすさまじさを増すのだとも言えよう。(p.251~2)
ナチスのジェノサイドの生還者、および生還者と犠牲者の子孫たちは、ガザにおけるパレスチナ人の集団殺戮を全面的に非難する-ガザに対するジェノサイド攻撃が続いていた2014年8月22日、ホロコーストの生還者、および生還者と犠牲者の遺族ら300余名が名を連ね、「ニューヨーク・タイムズ」紙に意見広告としてイスラエル非難の声明を発表、世界的反響を呼んだ。(略)
「二度と繰り返さない」というのは、誰の上にも二度と繰り返さないということを意味するのだ! (p.252~3)
地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ。-マンスール・アル=ハッラージュ (p.255)
従来、平和とは戦争のない状態であると考えられてきた。これに対し、1970年代、「平和学の父」と呼ばれるノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥングは、暴力を、戦争など物理的暴力が直接行使される「直接的暴力」、貧困や差別など社会の構造から冠雪的に生み出される「構造的暴力」、そして直接的暴力や構造的暴力を正当化したり維持したりする態度や思想などの「文化的暴力」の三つに分類して平和を再定義し、戦争という直接的暴力がないだけでは消極的平和に過ぎない、真の平和(積極的平和)とは直截的暴力に加え、構造的暴力がない暴力がない状態のことだとした。(p.267~8)
(※ムハンマド・マンスール医師)
-ディストピア小説か映画のプロット、あるいは戦慄すべき社会的実験のようです。完全に隔離された社会で、忌むべき状況のもとに置かれ、電気もなく、瓦礫のなか、独裁的な政府の支配下で生きる。いったい何が社会をひとつにまとめているのですか?
何もありません。人々は内輪もめばかりしています。かつては、みな同じ船に乗っているという感覚が人々を結び付けていました。誰もが封鎖に苦しんでいる、イスラエルの攻撃に苦しんでいるという感覚です。みなが運命をともにしているという思いがありました。それが今はもうありません。人々は互いを責め立て、罵り、腹を立てます。まさにカオスです。社会をまとめている要因と言えるものがもし一つだけあるとすれば、体制です。-独裁政権[ハマース]が、ガザを全面的崩壊から守る最後の砦なのですか。
不幸なことに、そうです。もし、ハマースがいなければ、ガザにあるのは犯罪、四六時中、犯罪ばかりという状況になってしまうでしょう。[…]みな、考えるのは自分の利益のことだけです。私の同僚でさえそうです。ガザにはかつて連帯意識がありました。善良で強い人間関係で結ばれた、固く団結した社会でした。最近の人々は、親友のことにさえ無関心です。[…]家族でさえ助け合いません。私たちは今、ガザの社会が大規模かつ急速に瓦解しているさまを目撃しているのです。[…]-そこから哲学的に導き出される結論とは?
人間性の喪失です。当然です。私の友人のイタリア人の精神分析医、フランコ・ディマシオは、生存のための闘いのなかで生きねばならないとき、私たちは人間性を喪失すると主張しています。-人間性という言葉が意味するものとは何ですか?
他者の痛みを知る力です。(p.272~3)
なかでも、70年以上がたっても故郷に帰還できない文字どおりの難民が人口の七割を占め、さらに50年以上にわたり占領下に置かれ、そして2007年に始まる完全封鎖のもと、200万人の住民が監禁され、生命維持に必要な最低限のカロリーすらも供給されず、ドローンによって絶え間なく監視され、ミサイルが日常的に撃ち込まれ、数年おきに大規模な破壊と殺戮が繰り返されるガザ地区とは、今や「難民キャンプ」というよりも、むしろ「強制収容所」と呼んだほうが似つかわしい。今日を生き延びることが、明日、あるいは数年後に空爆で殺されるためでしかないような、そんな生活。ガザ、それは、アガンベンの言う、諸国家からなる空間に穿たれた穴、位相幾何学的な変形を受けた土地、生きながら死者たちが住まう砂漠の辺獄である。(p.281)
2018年8月9日、イスラエルはガザの150ヵ所を爆撃した。ハマースがイスラエルに向けて200発のロケット弾を放ったことに対する報復であるという。ビーチ難民キャンプにあるサィード・アル=ミスハール文化センターも爆撃され、五階建てのビルは瓦礫となった。イスラエルの常として、ハマースがここで活動していたから、というのがセンター攻撃の理由だ。2004年にオープンし、二つの劇場と映画館を擁する同センターは、ハマースではなく、ガザの芸術文化活動の一大拠点だった。完全封鎖のもとで「生きながらの死」を耐えるガザの人々に舞台や映画、コンサートを提供し、いくつもの劇団や楽団がここを自分たちの活動のホームグラウンドにしていた。ここから世界の舞台へ羽ばたいていった者たちもいる。センターはパレスチナの民族舞踊ダブケの舞踊団も運営しており、250名の子どもたちが参加していた。そのセンターが一瞬にして瓦礫の山になった。
自殺という宗教的禁忌を犯して地獄に堕ちること、封鎖下の生き地獄を生きることのあいだに、もはや違いが見いだせず、命を絶つ者たちが激増しているガザで、それでも生の側にとどまり続けること、人間であり続けること、それがガザの人々の闘いの根幹を形成しているこのとき、《芸術》というものが、どれほど彼、彼女らを支える力の源、糧であることか。プリモ・レーヴィの『これが人間か』を読んだ者なら、ダンテの「神曲」を諳んじていたことが、絶滅収容所にあって、いかにレーヴィの生を支えたか、知っているだろう。イスラエルがアル=ミスハール文化センターを標的にしたのも、センターがガザのアーティスティックな活動の拠点であり、人間をただ生きているだけの命に還元してしまおうとする完全封鎖の暴力のなかで、アートというものが、それでもなお人々を深く《人間》たらしめる魂の糧であることを知っているからだ。
センターが破壊された翌日、ガザのアーティストたちは楽器を持ち寄って、センターの瓦礫のなかで演奏した。十年前、2008-09年のガザ攻撃のときも、停戦になるやガザのアーティストたちは、破壊を免れた絵画作品を半ば崩れかけたビルの壁に飾り、それを撮影した動画を「廃墟のなかのアート」と題して世界に発信した。パレスチナ人の回復力(レジリエンス)を世界に見せつけるように。だが、文化センターを標的とする攻撃に現れているように、昨今のイスラエルの攻撃は、武装解放勢力(レジスタンス)を叩くというより、パレスチナ人のこの「レジリエンス」の根源、彼らが「それでもなお人間であり続けよう」とする精神的基盤-それこそがナクバからこの70年間、パレスチナ人の闘いを支えてきたものだ-を根源的に破壊しようとしているように思われる。(p.300~1)
本書を一読し、あらためてパレスチナ問題を根本的に解決する方法は、イスラエルがガザと西岸の封鎖と占領をやめてパレスチナ人による独立国家を認めることだけだと分かりました。
そして私にできることは、パレスチナ問題に対して無関心にならないこと、パレスチナ人の苦しみを知ること、「殺すな」と強く念ずること、それだけです。
なお微かな救いなのが、パレスチナに対する祖国の所業に、深甚な憂慮を抱くイスラエル人がいるということです。映画『沈黙を破る』に登場したユダ・シャウール氏(元将校)の言葉です。
多くのイスラエル人は「セキュリティー(治安・安全保障)・セキュリティー」と口を揃えて言います。自分たちの国を守らなければならない、と。しかしこの国がまもなく、まともな国でなくなってしまうことに気づいてはいない。私たち皆の"内面"が死滅しつつあるのです。社会の深いところが死んでしまいつつあるのです。それはここイスラエルで社会と国の全体に広がっています。
私は世界のあらゆる人びとにこう期待しています。ユダヤ人にはヘブライ語の諺で「他人の過ちから学べ。すべての過ちを犯す時間はないのだから」というのがあります。イスラエルのことだけを語っているのではないのです。世界のどこかを占領しているあらゆる軍隊が同じ過程をたどることになります。なぜなら、"占領"をし続けるには、他の方法などないのですから。
何とか彼ら/彼女らと連帯していけないものでしょうか。
そして私たちが関心を持たなければならない武力紛争は、パレスチナ紛争以外にも多々起こっています。ロシアによるウクライナ侵攻、アフガニスタン紛争、シリア内戦、クルド対トルコ紛争、リビア内戦、イエメン内戦…
それにしても、核戦争の可能性、気候危機、パンデミック、自然災害、一致団結して解決しなければならない問題が山のようにあるのに、人類はいったい何をやっているんだろう。バーナード・ショーとジョージ・オーウェルの言葉です。
月に人間がいるかどうか知らないが、もしいるとしたら、彼らは地球を精神病院代わりに使っているんだろうな。(バーナード・ショー) 一市民を殺すことは悪であるが、千トンもの高性能爆弾を住宅地域に落とすことは善しとされる世界の現状を見ると、ひょっとするとわれわれのこの地球はどれか他の惑星の精神病院として利用されているのではないか、と考えたくなる。(ジョージ・オーウェル)]]>
『武器としての国際人権』
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2023-09-18T08:39:00+09:00
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sabasaba13
本
拙ブログにおいて、現代日本における人権侵害の状況については何度か述べてきました。しかし人権とは何かについて深く考えたことはありません。せいぜい「人間らしく生きる権利」といった漠然としたイメージです。やはり本気で考えてみなければと思い立ち、手に取ったのが『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』(藤田早苗 集英社新書1146)です。カバー袖の紹介文を転記します。
私たちは、生活のあらゆる場面において人権を「行使」している。しかし、国際的な人権基準と照らし合わせてみると、日本では人権が守られていない。
コロナによって拡大した貧困問題、損なわれ続ける報道の自由、なくならない女性の差別や入管の問題…そうした問題の根幹には、政府が人権を保障する義務を守っていないことがある。その状況を変えるにはどうすればいいのか。国際人権を使って日本の問題に取り組む第一人者が、実例を挙げながらひもとく。
一読、目から鱗が落ちてコンタクトレンズをはめたように、視界がクリアになりました。まず人権とは何か。国連の人権高等弁務官事務所は次のように説明しています。
生まれてきた人間すべてに対して、その人が能力(potential)を発揮できるように、政府はそれを助ける義務がある。その助けを要求する権利が人権。人権は誰にでもある。
バールのようなもので後頭部を殴られたような衝撃です。すべての人が能力を発揮できるように助ける義務が、政府にはあるんだ… その義務は三つあります。
① 人がすることを尊重し、不当に制限しないこと:「尊重義務」(respect)
② 人を虐待から守ること:「保護義務」(protect)
③ 人が能力を発揮できる条件を整えること:「充足義務」(fulfil) (p.19)
上記の義務を政府が果たしていない場合、私たちは政府と闘い、その義務を果たさせる。それが人権。そんな発想はかけらもありませんでした。たぶん多くの方も「政府の義務」という発想はもっておられないでしょう。藤田氏は、その原因は日本の人権教育にあると指摘されています。
国連も人権教育を重視してきた。1993年にウィーンで開催された世界人権会議で「人権教育のための国連10年」が提起され、翌年の国連総会で決議が採択された。その決議文では人権教育を「あらゆる発達段階の人々、あらゆる社会層の人々が、他の人々の尊厳について学び、またその尊厳を社会で確立するためのあらゆる方法と手段について学ぶ、生涯にわたる総合的な過程である」と定義している。
一方で、日本の「人権教育及び人権啓発の推進に関わる法律」では、前述のように思いやりなどの精神面が強調され、本来の意味での人権教育が存在しない。人権について思いやりを強調するときに起こる問題は、「政府の義務」が抜け落ちることである。そのため、人権問題が起これば、それは「自己責任」だといわれる。「政府の義務」の議論から注意を逸らすには、優しさ・思いやりと自己責任論の強調は好都合だろう。かねて専門家からも、日本の法律では人権教育の定義や目的が、思いやりなどの国民相互の問題に矮小化されているため、国や地方自治体が人権実現のための責任を回避できてしまう危険性が指摘されてきた。
その指摘は、現実のものになりつつある。たとえば以前新聞に掲載された政府広報に「子供の貧困 あなたにもできる支援があります」として子供食堂などを例にあげるものがあった。本来、政府には「子供の貧困」という重要な人権問題を改善する義務がある。それにもかかわらずこの政府広報は、人々の「優しさ」に貧困問題を丸投げし、自らの義務を放棄しているといえるだろう。また、菅義偉首相は2020年9月16日の就任会見で「自助・共助・公助」という、自助を重視したキャッチフレーズを掲げていた。人権について「思いやり」を強調することで、政府は義務を回避し、人々への自己責任を強固にしているといえる。(p.23~4)
たいへん鋭い指摘です。日本政府は、人権を守る義務を放棄するために、問題を個人の優しさや思いやりに矮小化している。ではなぜ、日本政府は人権を守ろうとしないのか。
① 政府も自ら人権実現の義務があることを知らない。または知っていても自身の責務に触れたくないから。
② 人々が自分の権利について知り主張するようになると政府には都合が悪いから。
③ ①と②の両者。(p.26~7)
人権侵害に対する日本政府の無関心を見ていると、おそらく③でしょうね。そして「人が能力を発揮できるように助ける政府の義務」を具体的に規定しているのが、本書で取り上げる各種の国際人権条約であり、それらの条約の実施状況を監視するのが、条約委員会です。国際人権条約の締約国は、その義務の内容を理解して、条約の実施を進めていくことが求められます。もしその実施が不十分なら、それぞれの条約機関からさまざまな勧告が出され、私たちは政府に対し「その助けを要求する権利」を行使する必要があります。
そして想像がつくように、日本政府は条約機関から数多の勧告を受けてきました。それに対して政府はどのように対応してきたのか。以下、引用します。
日本もそれぞれの条約機関からさまざまな勧告を受けてきた。では、その実施はどうなのだろうか。2014年に自由権規約の審査に参加したとき、ナイジェル・ロドリー議長が会議の終わりにこのように言った。
「日本はこれまで何度も同じ勧告を受けてきて、まったく改善しようとしていない。まるで国際社会に対して反抗しているように見える。これでは資源の無駄遣いだ」
また寺中誠氏によれば、日本は2008年の同委員会の審査の際にも「条約機関の審査の場に出てきても、帰国したら同じやり方を続けるだけで改善に向けた勧告を聞く気がないのなら、条約に入った意味はどこにあるのか」と厳しく批判されている。
それにもかかわらず2013年6月には、当時の安倍政権は条約機関の勧告には法的拘束力がないので従う義務はないという閣議決定をした。これについて、同年10月、日弁連のセミナーで講演した社会権規約委員会のシン・ヘイスー委員は、そのような態度は人権条約を前にありえない、そんなことを明言しているのは先進国では日本だけで非常に残念だ、として次のような厳しい指摘をしている。
「人権条約を批准するということは、自発的に条約の規定に従うということを約束することであり、政府報告書を出すだけでなく、その報告の審査を受け、さらには、出された総括所見を実施することについても責任を負うということを意味します。ですから、実施しないということ、あるいはその総括所見に縛られないと発言するということは、それを無にすることになるのです」
また、このような日本政府の態度は、前述のように日本国憲法の第98条2項で、日本が締結した条約について、国には誠実に遵守する義務があると規定していることに照らしても問題がある。条約が設定している、委員会による報告書審査を受け入れるのは締約国の条約上の義務である。そして、そして審査の結果出された勧告を「誠実に遵守する」というのは、少なくとも「尊重する」ということになる。つまり、受け入れるものは受け入れる、そうでないものについては対話するということだ。「誠実に遵守する」というのは、そういう建設的対話を通じて、勧告をより良く実現していくことを意味する。
国連人権機関の活動では、政府と専門家との「建設的対話」が重要な要素だ。しかし、日本政府は対話をするどころか、条約についての独自の解釈を行い、勧告を無視し続けてきた。これは条約機関に限らず、後に見る特別報告者の勧告についても同様だ。(p.43~4)
●があったら、いや●を掘って入りたい。「人権を守る義務を果たしなさい」という国連の勧告をことごとく無視してきた/しているのが日本政府なのですね。そしてそういう恥ずかしい政府を選んだのは…多くの有権者のみなさんです。
そして日本政府に人権を守る気がさらさらないことを示すのが、次の二つの制度を取り入れていないことからもわかります。まずは「個人通報制度」です。
条約機関は政府のみならず、「個人通報」の審査も行う。これを「個人通報制度(individual complaint mechanism)」といい、条約で認められた権利を侵害されたと主張する個人が、各条約の委員会に直接訴えを起こして救済を図る制度で、各国の人権状況を改善するために国際人権保障制度が設けた、実効的な条約実施制度である。国内の終審判決で負けて不服が残る場合に条約機関に直接訴えることができる、いわば「最高裁の後の救済制度」だ。
しかし、日本ではこの制度は使えない。なぜなら、条約を批准しても自動的にこの制度が適用されるわけではないからだ。個人通報制度は、締約国政府による特別の受諾宣言や、人権条約とは別の条約である「選択議定書」の批准をして初めて使うことができる。しかし、日本はどの条約に対しても批准を行っていない。世界には国連以外に、欧州、米州、アフリカにそれぞれ地域人権裁判所があり、それらも同様の制度を設けている。それらを考慮に入れると、個人通報制度が使えない先進国は世界で日本だけだ。(p.44~5)
そして「国内人権機関」です。
「個人通報制度』と並んで長年日本が勧告を受けているのが、「国内人権機関の設立」だ。これは条約機関の任務の話ではないが、国際人権基準の国内実施のために個人通報制度とともに欠かせないものなので、ここで触れておきたい。
国内人権機関とは、政府から独立した独自の調査権限を有する実効的な国内人権救済機関のことだ。国連は、裁判所とは別に、簡易・迅速に人権侵害からの救済と人権保障を推進するための国家機関が必要であると考え、1993年に「国家機関(国内人権機関)の地位に関する原則(パリ原則)」を採択し、各国にこれに沿った国内人権機関の設立を求めている。原則には、人権伸長・保護を可能にする権限と機能、政府からの独立、構成の多様性などを挙げている。
世界では各国の人権機関が協力し、情報交換や相互の発展に向けた活動を行うことを目的としたネットワーク「国内人権機関世界連合(GANHRI)」が作られており、そのメンバーは119機関にのぼる(2022年10月現在)。アジア・太平洋地域ではアジア・太平洋国内人権機関フォーラム(APF)が1996年に結成され、常設の事務局がオーストラリアに置かれ、25の国内人権機関が加盟し、国連と連携して活動している(2022年10月現在)。
日本政府は1993年のパリ原則採択の際に賛成している。一方、政府は現行の法務省管轄下の人権擁護委員会制度が同様の役割を果たしているという立場を取っているのだが、これは独立性に欠け、パリ原則の基準を満たしていないため、原則に沿ったものを遅延なく設置するように、と条約機関や「普遍的定期的審査(UPR)」で繰り返し勧告されている。
特に、2022年の自由権規約委員会からは、かかる機関設立に関する継続的議論について、日本政府の提供した情報が「曖昧で一般的」であり、「明確な進捗がないことに遺憾の意を表明する」とまで言われている。(p.46~7)
そして人権が侵害されている具体的な例として、秘密保護法、福島原発事故による国内避難民、情報公開、歴史教育への政府の介入、抗議行動やデモへの規制、入管法などを挙げ、それを是正すべきという国連の勧告を日本政府ことごとく無視していると指摘します。蒙を啓かれた思いですが、これらはすべて人権問題なのですね。例えば不十分な情報公開制度は、「知る権利」という人権の侵害です。
国際的な人権基準から比べて、日本における人権の擁護がいかに遅れているか。その責任は、勧告を無視し、制度の整備を怠る日本政府にあることがよくわかりました。「人権だかジャンケンだかしらねぇが、おまえらにそんな洒落たものはねぇんだ」というのは、車寅次郎の台詞であるとともに日本の国是だったのですね。やれやれ。
しかし泣き言をいっている場合ではありません。人権に無関心な政府を選んだのは私たちなのですから。最後に藤田氏による重要な提言を紹介します。
また、活動している市民の中には勧告や訪問調査が行われることが、すぐ問題解決につながると思っている人がいるようだが、そうではない。特別報告者や条約機関は誰のために勧告を書くのか。ハント教授は「建前は加盟国政府に向けてだが、実質的にはその国の市民や野党がそれを使って政府に実施させるために書いているのだ」と述べ、ケイ氏も調査の翌年再び来日した際「来週この報告書を人権理事会で発表したら、これは皆さんのものです」と言った。つまり、勧告をどう活かすかは我々にかかっているということだ。では、我々はどれだけ真剣に国連人権勧告を読み込んで使ってきただろうか。(p.94~5)
そう、国連人権勧告は、私たちが人権を蔑ろにする政府と闘うための武器なのですね。銘肝するとともに、国連人権勧告に注目し読み込んでいきたいと思います。
人権についての基本的な知識、その国際的な基準、人権擁護に関する日本政府のお粗末な対応、そして私たちがすべきことを教示してくれる本当に素晴らしい本です。一人でも多くの方に読んでいただきたいと、心の底から思います。
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『TRICK』
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2023-09-01T05:58:00+09:00
2023-09-01T17:16:46+09:00
2023-09-01T05:58:59+09:00
sabasaba13
本
関東大震災時における、軍・警察・民衆による朝鮮人・中国人・日本人虐殺を否定する方々がおられるようです。曰く「朝鮮人による放火や暴動や井戸への毒物投与は本当にあった」、曰く「自警団による殺害は自衛行為だった」、曰く「その巻き添えとなった朝鮮人などが少数いた」。この虐殺否定論に真っ向から立ち向かったのが『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(加藤直樹 ころから)です。その意図について、著者の加藤氏はこう述べられています。
そもそも私たちはなぜ、朝鮮人虐殺否定論を許してはならないのか。
第一に、「虐殺否定論」は、事実に反しているだけでなく、被害者を加害者に仕立て上げるという道義的な罪を犯しているからだ。朝鮮人であるというだけで多くの人が無差別に殺されたという事件の本質を考えれば、許されるべき言動ではない。ましてや虐殺の引金を引いた流言を「事実」としてよみがえらせるのは、犯罪的と言ってよい。
第二に、朝鮮人が災害に乗じて悪事を行った」という当時の民族的差別流言を「事実」として流通させてしまえば、「災害時には外国人の悪事に気を付けろ」という誤った"教訓"を育ててしまうからだ。(p.137)
それでは虐殺否定論者の意図は何なのか。加藤氏はこう指摘されています。
虐殺否定論の意図を考える上で参考になるのが、ホロコースト否定論を批判的に研究する米国の歴史学者デボラ・E・リップシュタットの言説である。
リップシュタットは、17年12月に日本でも公開された『否定と肯定』という英国映画のモデルとなった人物だ。その著書『ホロコーストの真実』(恒友出版)の中で、彼女はこう指摘している。 否定者は、論点が真っ二つに割れていて、自分たちがその"一方の立場"にいると認知されたいのである。 つまり、ホロコーストが実際にあったか否かについて2つの対立する学説がある、という構図にさえ持っていければ、否定論者の"勝ち"だということだ。そうなれば一般の人々は、歴史の素人である自分にはどちらが正しいか分からないので判断保留にしようとか、真実はたぶんその中間にあるんだろうとか考えるようになる。これが否定論の「機能」である。
これは朝鮮人虐殺否定論にも大いに当てはまる。虐殺があったという説となかったという説の2つがある、という構図が受容されてしまえば、日本の社会風土では、学説が分かれているテーマを教育に持ち込んだり、公的な場で追悼したりするべきではない、という話に帰結する。(p.135)
うーむ、眼から鱗が落ちました。なるほど、虐殺否定論という説が社会的に認知されれば、対立している説がある場合は教育や公の場で取り上げるべきではないという話になりかねません。あるいは、両論併記という形にすべきだということで、虐殺を反省し教訓とする動きに水を差してしまいます。巧妙な手口です。
それでは、こうした虐殺否定論にどう対するべきなのか。
私たちは虐殺否定論のこうした狙いとどう対決すべきなのか。これについてもリップシュタットはヒントを与えてくれている。彼女は、否定論者と「論争」してはいけないと強調する。それは「諸説ある」という構図をつくってしまうからだ。では放っておくしかないのか。そうではない。 (リップシュタット) ホロコースト否定者の基本戦略は、歪曲である。全体のウソに少しの真実をまぜて、否定者の戦術を知らぬ人を混乱させようとする。肝心な情報を勝手にカットしたつぎはぎ話、ミスリードするため事実の一部にしか触れないハーフトルース。いずれも、事情に疎い人々をだまそうとする彼らの常套手段である。 ではどうするか。リップシュタットは否定論者の「物事を混同せしめ歪曲するやり方」「もっともらしい議論の吹きかけ方」「意図や手口」をこそ、「白日のもと」にさらすべきだと主張する。(p.135~6)
虐殺否定論の意図や手口を、白日のもとに晒す。その結実が本書です。
第1章では、ネット上で拡散する朝鮮人虐殺否定論について、それがどのように間違っているかを説明します。
第2章では、虐殺否定論が工藤美代子・加藤康男夫妻が発明した"トリック"であることを示し、彼らの著書に仕掛けられたトリックの数々を明らかにします。その著書というのは『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(工藤美代子 産経新聞出版)と『関東大震災 「朝鮮人虐殺」はなかった』(加藤康男 WAC)です。2017年3月2日、都議会の一般質問で、古賀俊昭都議(自民党)が「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と小池百合子都知事に迫った時に紹介した本ですね。
私は小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』であります。(p.131)
第3章では、虐殺否定論が現実社会にすでにどれほど浸透し、危険な役割を果たしているかを見ていきます。
虐殺否定論者の手口をいくつか紹介します。例えば新聞の誤報記事を「証拠」として扱う。詐術によって、朝鮮人犠牲者の数を極小化する。史料を都合に合わせて切り貼りする。都合の悪い部分をこっそり"省略"する。原典が書いてもいないことを"参照"する。独学者の労作を「かなり公の刊行物」と偽る。
詳細についてはぜひ本書を読んでいただきたいのですが、いずれも「トリック」と言ってもいい詐術です。それを丁寧な解説、精緻な引用、見やすい図版等で示されています。一読すれば、虐殺否定論のからくりがよくわかります。
虐殺否定論を信じる、あるいは一理あると考えておられる方にお薦めの一冊です。また、「従軍慰安婦」「強制連行」「南京大虐殺」否定論と対する際にも、大いに参考になることと思います。
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『羊の怒る時』
http://sabasaba13.exblog.jp/33083546/
2023-08-30T07:35:00+09:00
2023-08-30T07:35:11+09:00
2023-08-30T07:35:11+09:00
sabasaba13
本
関東大震災の時に、朝鮮人・中国人・日本人が、軍・警察・民衆によって虐殺された事件に深い関心を持っています。この事件を真摯に究明し、反省し、責任をとり、謝罪や賠償をしなかったことが、その後のさまざまな非人道的行為につながったのではないでしょうか。南京大虐殺、強制連行、従軍慰安婦、三光作戦、いずれも朝鮮人や中国人の命や人権は軽視してかまわないという考えがベースにあると思います。その起点となったのがこの事件です。
これまでも事件について自分なりに調べ「関東大震災と虐殺」として拙ブログで上梓し、事件の起きた現場や慰霊碑を探訪してきました。今でもこの事件に関する書物や研究にはできる範囲で目を通すようにしています。
先日、『東京新聞』に掲載された斎藤美奈子氏のコラムで知ったのが『羊の怒る時 関東大震災の三日間』(江馬修 ちくま文庫)です。作家の江馬修が、関東大震災が起きてからの三日間の様子を、自らの体験をもとにまとめたドキュメンタリー。これはぜひ読んでみたい、さっそく購入しあっという間に読了しました。カバー裏の紹介文を転記します。
1923年9月1日11時58分32秒、関東大震災が発生。関東一帯の大地が激動し、東京は火の海になった。突然起こった惨禍に、人々は動揺し、流言蜚語が発生。「朝鮮人が暴動を起こす。火をつける」というデマにより、多くの朝鮮人が虐殺された。自らの衝撃的な体験をもとに書かれ、震災の翌年から連載が開始された記録文学の金字塔。
第一日。激震の様子、本人と家族の対応、近所の人びとの動きについて、迫真の描写が続きます。著者が住んでいたのは初台(現・東京都渋谷区)で、当時は郊外の住宅地でした。よって大規模な火災は発生しなかったのですが、損壊・全壊した家も相当数あったようです。その倒れた家から乳児を救出した朝鮮人学生のエピソードは心に残ります。
「大丈夫、大丈夫、どこにも怪我をしていないようです。僕が見た時、恰度(ちょうど)長火鉢の横に転がっていたんですからね。みんなこれで安心ですね。」
興奮のために黒い顔を上気させながらそう言っていかにも安堵したというように人々の顔を見まわして笑った。生れて間のない、赤い着物に包まった赤ん坊は、この異国人の無器用な逞しい腕の中で、まだ見ることのできない眼と眉根を気むずかしげに顰めながら、乳を求めるように小さい愛らしい口を尖らしていた。それこそ一人の人間というよりも、美しい、純な、ひとつの生命であった。鄭君は一心にうぶ毛だらけの赤い子供の顔を覗きこんで、瞬間幸福そうに見とれていた。李さんも側から指で臆病そうに赤ん坊の頬を突いたり、笑顔をつくって朝鮮語で何か言いかけたりした、赤ん坊はどんな外国語でも理解する能力があるものと信じているかのように。(p.41~2) 彼等はどれも善良な、勉強ずきな、そしてその悲しい呪われた運命の下にまじめに苦しんでいる人々であった。(p.46)
そして夜。余震は続き、明治神宮の森の彼方には大火焔が見え、ぽんぽんと響く爆発の音、わっわっという不気味などよめきが聞こえてきます。眠れない、不安な夜が過ぎていきました。
第二日。隣人の退役軍人、I中将がこんな話を教えてくれました。
そこらをひと廻りしてきたらしいI中将が、何か用ありげに自分の側へやってきて、低い声でこう言った。
「今そこでフト耳に挟んできたんだが、何でもこの混雑に乗じて朝鮮人があちこちへ放火して歩いていると言うぜ。」
「へえ」と、自分は思わず目を見はった。「本当でしょうか。」
「無いとも言えないと思うね。」と老将軍は暗い調子でつづけた。「日頃日本の国家に対して怨恨を含んでいるきゃつらにとっては、言わば絶好の機会というものだろうからね。」
「それはそうですね。」
そう言って自分は考えこんだ。先にも言ったように、自分には幾人かの朝鮮人の友達があった。そして彼等が政治によって代表せられる日本に対して、いかように考え、いかような態度をとっているかを、かなりよく知っていた。そして彼等に対して自分は決して浅くない同情をもっていた。だから、朝鮮人の放火云々の噂については或る意味で自分は有り得る事だと考えない訳には行かなかった。とは言え、実際の所、自分はどうも腑に落ちなかった。何故なら、いかに絶好の機会であるとは言っても、罪のない幾百万の人々がかくも大きな変災に容赦なく虐げられている時に当って、さらにその限りない不幸を益々大きくするために到る処へ放火するなぞという事は、到底人間の心の堪え得る所とは思われなかったので。(p.96~7)
そして家の前を通る子どもが、朝鮮人の学生が交番で拘留されていると言うのが聞こえました。友人の蔡君ではないかと心配した著者はすぐに交番に駆けつけますが、殺気立った人びとの大きな人だかりができています。
見るとそこらの人々は大抵棒をもって、昂奮した険しい目付をして立っていた。そして殺人者か怪物が走りすぎて行った後のように何となく殺気立った空気があたりを領していた。これは十分前まではまるで見られない光景だった。もとより未曾有の大変災に不意打ちされて、人々は度を失い、狼狽し、昂奮していた。併しこんな復讐的な、憎悪に満ちた目付はどこにも見出されなかった。今や、毒を含んだ恐ろしい流言の疾風が吹いて過ぎたと思うまもなく、到る処に悪意の焔が燃えていた。どうしてこんなになるものか、僅か十分前の事を思い出して、自分は恐ろしい気がした。
自分の心は益々暗く、鬱(ふさ)いできた。正直な所、この抵抗し難いばかり険悪な烈しい一般の空気を感じて、何となく怖じ気づいてさえいた。こんな有様では、果たして蔡君を助ける事ができるだろうか。なまなか出しゃばって、却って自分が殺気立った群衆から滅茶滅茶な目に合わされるだけでは無いだろうか。とは言え、友達が罪もなくて捕えられているのに、それを知っていながら、どうして助けずにいられようか。もし群衆が恐ろしさに、罪もない友達を見殺しにするようだったら、貴様の日頃の主義や主張は単なる倣語であり、出鱈目にすぎなくなるぞ。群衆に殴られるよりも、臆病者となる方がずっと恥ずかしい悪い事だ。思い切って行け、そして友達を救い出せ… (p.101~2)
そこにいた人に捕らえられた朝鮮人学生の風貌や服装を訊くと、どうやら蔡君ではないようです。安堵するとともに、その学生がどんな目に遭うのを思うと息苦しく、己の無力さを感じます。
しばらくして自転車に乗った若い男が、こう叫びながら付近を廻っていました。
今三角橋のところで朝鮮人が三百人ばかり暴動を起してこちらへやってくるから、男は皆武装して前へ出てください。女と子供は明治神宮へ避難させて下さい! (p.116)
その可能性はあると考えた著者は、武装はせずに妻子とともに鍵をかけて家内に閉じ籠ります。隣が、朝鮮総督府の初代総督の寺内正毅の家なので、巻き添えをくうかもしれないと考えます。結局、そのような事態は起きませんでした。
しかし、朝鮮人が暴動を起こしているという話は既成事実となっていました。
「まったく何も恐ろしい事なんか無いよ。」とT君は敷石の上から鼻がかりの高い声でしゃべり出した。
「相手が三百人と言ったところで、要するに朝鮮人じゃ無いか。僕は知ってるがあいつら一人残らず低能か、なまけものだよ。武器や爆弾を持ってると言えば何だか偉そうだが、あいつらに何が出来るもんか。(略)」 (p.144) 後になって明らかにされたとおり、この一揆なるものは殆んど根の無いものだったのである。唯恐ろしい流言によって呼び起こされた人々の気違いじみた迷妄であり、錯乱であり、疑心の見たる暗鬼だったのである。自分は今ここで何故にこの流言が生じたか、どこにその起原を持っているかというような問題に対して多くの人々と同じように決定的な確証を持っていないし、また色々と想像したり論じたりする自由を許されていない。何はともあれ、自分達はこのように暴動のまことしやかな報告によって脅かされ、実際に死の前に置かれたものとして限りない苦痛を味わわせられたのだ。いや、こうして結局喜劇の中の人物のように終った自分達の事については何にも不平は言うまい。それは、一つには自分達の叡智の不足にも依る事なのだから。しかし如何にしても慰められないのは、この騒ぎによって無残にも… (p.148)
第三日。兄一家の安否を確認するために、著者は本郷(※現・東京都文京区)まで歩いていきます。途中で、地震や火災で壊滅的な打撃を受けた町々や途方にくれる罹災者の一群を目にし、また殺気立った自警団に何度も誰何されます。幸い兄一家は無事で、家も倒壊を免れていました。
自分達は新坂を下って、餌差町の方へ出る道を取った。途中、自分は電信柱に、殆ど一本々々にこういうビラを貼りつけてあるのを見た。
「この町内に朝鮮人三百人ばかり潜伏中なれば、各自警戒せらるべし。」
「ちぇっ、馬鹿々々しい、」と自分は連れの男に言った。「この狭い町内に、しかも白昼、三百人からの朝鮮人が潜伏し得るものかどうか常識で考えてみたら分かりそうなものだなぁ。」
「まったくですね、」と連れは笑った。「実際どうかしていますよ。然し見ようにもよる事ですが、つまりこの恐ろしい天変地異に対して持って行きどころない市民の憤懣と怨恨が、期せずして朝鮮人の上にはけ口を見出した訳なんでしょうね。もしこの騒ぎがなかったら、ゆうべあたり掠奪や殺人や強姦なぞどれ程あったかも分りませんよ。それを思って、まあ寛大に考えてやるんですね。」
「そういう点も勿論あるでしょう。然しそれは少しも許される理由にはならないし、朝鮮人の身になったら堪ったものじゃ無い。」 (p.126~7) 十三間道路へ来かかると、あの幅広い街の真ん中に棒をもって職人風の男がひとり立っていて、ゆききの人を検査していた。原の方から一人の労働者が来かかった。彼はその労働者を呼び止めた。それは紛れもない朝鮮人だった。自分ははっとした。然し労働者はすぐに許されて、丁寧にお辞儀をして新町の方へ行った。
「有難う、」 自分はこの寛大な心よい態度に対して朝鮮人のためにそう言いたいような心持を感じながら、棒を持った男に近づいて、君は今どうしてそのような寛大な処置を取ることが出来たのかと聞いてみた。
「行先さえはっきりしていればどんどん通してやります。朝鮮人だって同じ人間ですからね、」と素っ気なく答えて、彼は前後を振返りつつ通行人を注意しつづけた。
朝鮮人だって同じ人間である、この単純にして明快な真実を、三日目の夕方になって、自分は初めてこの若い男の口から聞いたのであった。かくも単純な真理さえ、正気を失った人々の頭にはあれほどの犠牲を払った後でなければ容易に悟り得ないのか。しかもこれを聞いた時、自分は何がなしに胸のすっとした事を覚えている、湧き返る擾乱の上にどこからか美しい細い一条の光がさしこんで来たかのように。
然し、見よ。さっきまでここを無事に通過した朝鮮人労働者のうしろを、いつのまにか太い棒をもってうさん臭そうにつけてゆく四十位の労働者がある。自分はいきなり追いかけて行って、朝鮮人の後をつけてゆく男にこう声をかけた。
「もしもし、その朝鮮人は大丈夫なんです、今そこでも許したばかりですから。」
その男は立ち止まって、眼をぎらぎらさせながら自分を見たかと思うと、いきなり食ってかかるようにこう言った。
「そういう貴様も朝鮮人だろう。」
自分は微笑して答えた。「兎に角あなた方と同じ人間ですよ。」
「同じ人間だって?」と労働者はひどく侮辱されたように一層眼をぎらぎらさせて、「うむ、我々日本人が朝鮮人と同じ人間にされて堪るもんか。」 (p.182~4) 自分は例によって麻の夏服を着、竹のステッキを一本もっただけで暫くこうした連中と一緒になっていた。彼等の目的が自己防衛と夜警の外にあることは自分に言い難い不安の念を起させたが、それよりも一番に自分を驚かし、衝撃したのは、彼等が一様に朝鮮人さえ見れば片っぱしから斬って棄てても構わない、それは公然許されているんだ、と信じきっている事だった。
初め自分は、そんな事は彼等の迷妄で、いくら何でも警察がそんな事を許す筈がないと信じていた。それで自分がそれを言ってみたところが、彼等は確かに公然許されているのだと言い張ってきかなかった。(p.190)
その後。流言や暴行や虐殺はじょじょに収束していきますが、朝鮮人に対する憎悪や差別や偏見はおさまりません。
そして自分は何気なくうしろを振向いた。恰も或る予感によってそうさせられたかのように。すると、二間ばかり離れた所に、二十五、六の店員風の男がひとり立ってじっと自分を見つめていた。小さい、鋭い、疑惑と憎悪に燃ゆるその眼、明らかに彼は自分を朝鮮人として見守っていた。その瞬間、彼は自分を朝鮮人の気持に置きかわらせた。
殺人者の眼!
自分は何気なく風を装うて、再び焼跡の方へ向き直った。しかし焼跡を見渡していても、うしろから自分に釘づけされているあの恐ろしい両眼が眼さきにちらついてならなかった。それは自分を二日の晩の血腥い騒ぎの中へ持って行かせた。そして自分はあのもの凄い眼を到る処に見出した。(p.280) そのうち隣の親切な奥さんの世話で、彼は建築場で人夫として雇われる事になった。彼は喜んで毎日働きに行った。しかし一週間ばかりで彼は止めた。なぜか、彼は初めから朝鮮人として受けなければならない侮辱と苦痛に対して充分覚悟をしていたにも拘わらず、それは余りに大きかったので。(p.281~2)
そして著者は、民衆の無智と偏見がうみだしたこの虐殺を、関東大震災よりも重要な大事件であり大問題であると総括しています。
「もとより今度の震災は歴史上稀なるものであるに違いない、」と自分は言った。「然しそれはそうであるにしても、それは不可抗な自然力の作用によって起こったことで、もとより如何とも仕方がない。運命とでも呼ぶなら呼ぶがいい。しかし朝鮮人に関する問題は全然我々の無智と偏見から生じたことで、人道の上から言ったら、震災なぞよりもこの方が遥かに大事件であり、大問題であると言わなければならないと思う。」 (p.285~6)
なお本書のタイトルは、掉尾の次の言葉からとられています。
柔和なる羊を怒らすこと勿れ。羊の怒る時が来たら、その時は天もまた一緒に怒るであろう。その時を思って恐れるがよい。(p.288)
というわけで、関東大震災後の三日間に何が起きたのか。激震と余震の恐怖、それによる被害の様子。人びとの恐怖と不安、そして復興への意欲。行政や警察の対応。朝鮮人に関する流言蜚語が人びとを疑心暗鬼にさせ、暴徒化していく様子、それを疑問に思いながらも沈黙せざるえない人びと。それらが手に取るようにわかる、素晴らしいドキュメンタリーでした。
あらためて、朝鮮人に対する差別と偏見が、当時の人びとの心に滓のように澱んでいたかよくわかりました。ただ救いとなるのは、著者の長女の言葉です。
「お父さん、」とこの時側できいていた長女が不思議そうにして聞いた。「みんなが朝鮮人、朝鮮人って怒ってるけど、一体何の事なの?」
自分はちょっと面喰らったが、こう答えた。
「朝鮮人ってね、蔡さんたちの事だよ。」
「あら、蔡さんは朝鮮人なの。だって、ちっとも悪い事なんかしないわよ。」
「そうだよ、蔡さんはほんとに良い人だね。」
「ええ、あたし大好きだわ、でもおかしいわね。あんな良い人のことを、どうしてみんな怒っているんでしょう?」
彼女はいかにも腑に落ちないようにしてじっと考えていた。(p.238)
レッテルを貼らずに、どんな人間なのかでその人を判断する。それだけのことなのですが。朝鮮人に対する差別がなくなっていない今こそ、彼女の言葉をかみしめたいと思います。
追記です。巻末に「存在の根底を照らす月明り」という石牟礼道子の書評が掲載されていました。彼女は、この事件を「民衆の日常思考の劇症的な毒性化」(p.307)、「民族的罪業の場」(p.308)と表現しています。
そして高群逸枝の痛烈な言葉を紹介しています。彼女のような考えをもつ人びとがもっといたら、歴史は変わっていたかもしれません。
高群逸枝も、まだ田舎めいていた世田谷で、長槍などを持ってかけ出す男たちをみて、「××人たちが来たら一なぐりとでも思っているのかしら。じつに非国民だ。いわゆる「朝鮮人」をこうまで差別視しているようでは、「独立運動」はむしろ大いにすすめてもいい。その煽動者にわたしがなってもいい」と書いている。(p.309)
彼女の最後の言葉も救いになります。
赤ん坊が救い出された時この若い父親は、二人の異国青年とまわりの人々にこういうのだ。
「朝鮮の学生さん、どうも有難うございました。[略] この御恩は決して忘れません。赤ん坊が大きくなったら、またあなた方の事をようく言って聞かせます。実はもう死んでしまった事と思っていましたのに」
時代をへだてた今、こういう場合のふつうの庶民の、いたって当り前なお礼のもの言いが、ひどく上等な人間の言葉に思われる。大流血の惨事が行われようとしている直前、「赤ん坊が大きくなったら」という言葉は無力なようだけれど、人間性のなんたるかを考えさせられる。(p.309)]]>
『調査報道記者』
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2023-08-16T06:53:00+09:00
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sabasaba13
本
映画「SHE SAID」を見て、あらためて調査報道の重要性を痛感しました。調査報道についてより深く知るために恰好の本があるので、ぜひ紹介します。『調査報道記者 国策の闇を暴く仕事』(日野行介 明石書店)です。紹介文と、著者のプロフィールを引用しましょう。
原発事故後、数多くのスクープを通じて隠蔽国家・日本の正体を暴き続けた職業ジャーナリストの、狂気と執念。陰湿な権力に対峙し民主主義を守るために報道してきた事例と方法論を、傍観者でありたくない全ての人におくる。10年をかけた〈原発戦記〉の集大成。(カバー袖)日野行介
ジャーナリスト・作家。1975年生まれ。元毎日新聞記者。社会部や特別報道部で福島第一原発事故の被災者政策や、原発再稼働をめぐる安全規制や避難計画の実相を暴く調査報道に従事。著書に『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書)、『除染と国家-21世紀最悪の公共事業』(集英社新書)など。
調査報道の意義とは何か、日野氏はこう述べられています。
愚かしくも狡猾な国策は国民に大きな災厄をもたらす。戦時を思い浮かべれば分かりやすいが、国策の被害とは民主主義の破壊である。国民に隠して勝手に決め、泣き寝入りだけを国民に強いる国策は民主主義と相容れない。政策に関する正しい情報を基に国民が判断するのが民主主義の前提だからだ。そうした情報が事前はおろか事後でさえも公開されないまま、為政者にとって都合の良い情報しか公開されなければ、国民の公正な判断など望むべくもない。
だからこそ民主主義を守るためには、国策の実態を暴き、権力を監視する調査報道が不可欠だと言える。国策の意思決定過程を解明し、為政者が抱く真のテーゼを暴き出せるのは調査報道しかないのだから。(p.12)
国策の実態を暴くこと、権力を監視すること、為政者が抱く真のテーゼを暴き出すこと、それこそが調査報道の意義であるということです。それでは「真のテーゼ」とは何か。氏は本文中で何度も「冷酷さ」と喝破されています。国策のために国民がどれだけ犠牲になろうと意に介さない冷酷さ。ずばり、「棄民」と言い換えてもいいでしょう。
国家権力が持つ冷酷さについて、さらに深く考察したのが下記の一文です。長文ですが、ぜひご一読ください。
磁場とも言うべき世の関心を集めている場所や人の周りに群がり、公共性や公益性があるか疑わしく、ニュース価値のないものまで記事や番組にしてしまうような報道のあり方を、私は「幼稚園のサッカー」と呼んでいる。言葉は悪いが、ボールの飛んでいった方向に一斉に駆け出す姿が似通っていると思うからだ。ニュースの再生産を軸とする手法をすべて否定するものではない。記者・ジャーナリストとしての高い技能や経験がなくとも一定可能であり、いわゆる「コスパ(コストパフォーマンス)の良い」ニュースの作り方だとは思う。だが、SNSの拡大によって、こうした仕事をプロがする意義は小さくなったと言わざるを得ない。
それでは記者・ジャーナリストはどのような技能をもって存在意義を示すべきなのだろうか。これまでの自らの経験も踏まえて、たどりついた答えは調査報道しかなかった。
これまで一般的にイメージされてきた調査報道は、チームに所属する記者がそれぞれ培ってきた人脈を生かし、政治家や高級官僚の口を通じて情報(ネタ)を取るとか、厖大な文書やデジタルデータの解析から浮かび上がってきた実相を報じるというものだろう。それらは会社から人員や資金のサポートがあって成り立つもので、社会の大きな耳目を引くとか、役所が制度を変えざるを得なくなるとか、華々しい「成果」が見込まれることが前提となる。
だが、私の見いだした調査報道は、社内的立場や人脈に依存したものではなく、公表資料の分析と情報公開請求、そして関係者への聞き取りという、職業記者としての基本作業を積み重ねる手法だ。多くの人員を確保できないのであれば、一人の記者がじっくり時間と手間をかけて取材すれば良い。情報公開請求や直撃取材には多額の費用はかからない。調査報道を進めるうえでの障害は調査報道それ自体にではなく、調査報道の「定義」や「成果」にあるのではないか。
福島第一原発事故後の報道を見渡したとき、自分にしかできない報道を続けてきたと自負している。だが、政策を大きく変更させたとか、あるいは誰かを辞任に追い込んだといった、表立った「成果」は乏しいと認めざるを得ない。事故発生から時間が経つほど、その傾向は強まっていった。同業者や関係者の中には、破れかぶれで権力に立ち向かうだけの「蟷螂の斧」「ドンキホーテ」と私を見下す向きもあったろう。だが、自らの報道を無意味だったとは思っていない。
文芸評論家の黒古一夫氏は『原発文学史・論』(社会評論社)で、「フクシマが起こってから今日までおびただしい数のフクシマ原発に関する書物が刊行された」としたうえで、拙著『原発棄民』と朝日新聞社特別報道部がまとめた『プロメテウスの罠』を「徹底的な取材と視野の広さ、問題意識の深さにおいてルポルタージュ(文学)として抜きんでているという印象をもった」と評価してくれた。
また立命館大学の日高勝之教授も『「反原発」のメディア・言説史』(岩波書店)で、県民健康管理調査をめぐる調査報道を「優れた独自報道」「重要度の高いスクープ記事」と評価してくれた。
一方で、日高氏は県民健康管理調査に関する私の報道が、社論を表す社説で扱われていないことに疑問を投げかけている。これは問題が複雑難解なことに加え、国策で進められていることから、個人としての「悪」が見えにくいことも要因だろう。
ハンナ・アーレントは、親衛隊中佐としてユダヤ人を収容所する(ママ)輸送する任務を担ったアドルフ・アイヒマンの刑事裁判を基にした著書『エルサレムのアイヒマン』(みすず書房)で、思想信条を持たずに、思考停止することで大量虐殺を担うことが可能になったと指摘している。この視点は「凡庸な悪」という言葉で広く知られることとなった。アーレントの著書はエルサレムにおける刑事裁判の記録が基になっている。国策が破綻した結果開かれた裁判によって「凡庸な悪」を表現できたと言えよう。
原発も官僚機構が支える国策であり、担当者が思考停止しなければ進められない点が共通している。そして、国策は意思決定過程を隠し、外部からの検証を激しく拒んでいる。日本型の行政不開示システムにあっては、本音と建前、温情的なスローガンと冷酷なテーゼという二枚舌がさらに検証を難しくする。このような「凡庸な悪」を追求する手段は調査報道しかない。
私の調査報道は、政治家や為政者のスキャンダルや人間性ではなく、官僚機構が構造的に内包する非人間性に焦点を当ててきた。原発事故処理、原発再稼働という国策はこうした非人間性が最も色濃い分野と言えよう。そこに従事する担当者の多くは忠実な「小役人」であり、たとえ形式的でも整合性があるかのように装うこと、いわゆる辻褄合わせに腐心しているだけだ。担当者個人の思考や人間性が反映する余地は乏しい。このような国策に適応するには思考停止せざるを得ない。
彼らと同じ立場に置かれたとき、「共犯者」とならずに良心を保てる人がどれだけいようか。その難しさを分かっているからこそ批判も盛り上がりにくい。それでも職業記者としての自らの使命感に問いかけたとき、これを看過できなかった。これこそが民主主義を破壊する「真正な悪」だと思えたからだ。
そこで提案したいのが、国策の隠されたテーゼを暴くという目的の達成を調査報道の「成果」とする意義づけだ。これまで述べてきた通り、テーゼを明らかにすることは役所の暴走を監視し、民主主義の基盤を守る効果がある。一人一人の記者・ジャーナリストが自らの問題意識に基づいて調査報道に取り組むモチベーションを構築しなければならない。
『フクシマ6年後 消されゆく被害』(人文書院)の共著者であるロシア研究者の尾松亮氏からは「日野さんを見て、調査報道に必要なものは狂気と執念だと感じた」という評価をいただいた。「執念」は一つのテーマに取り組み続ける粘り強さということで分かりやすい。「狂気」は誤解を招きやすい言葉であるが、固定観念にとらわれずに「真正な悪」を見抜く強い使命感だと私は解釈している。
プロの記者・ジャーナリストとは調査報道を担う人であるべきなのだ。そこに必要なのは「狂気と執念」だけである。(p.304~8)
官僚機構が構造的に内包する非人間性。人びとを冷酷に切り捨てる国策を、思考停止して実行する小役人たち。こうした「真正な悪」を見抜く強い使命感。それを持つ者こそが、真のジャーナリストであり調査報道記者である。納得です。「SHE SAID」の主人公たちに感じたのも、こうした強い使命感でした。
また思考停止して形式的な辻褄合わせに腐心する官僚たちを、あの手この手で追い詰めていく場面もスリリング。読み物としても楽しめます。
この時点で既に取材は二時間を過ぎていた。一方的にパンチを浴びせ続けつつも、内心は「これはまずいな」と焦りが募ってきた。膠着状態を打破するため、少々トリッキーなパンチを放った。
「公開の会合とは別に秘密会の会場を確保していますよね? それから公開の会合とは別の日に委員を集めたこともありますよね? だとすれば公開の会合にかかった費用とは別に、秘密会だけの費用が生じているはず。それは福島県が負担したんですよね? 情報公開請求したら開示せざるを得ないのではないですか?」
すると、主幹は意を決したように顔を上げた。ガードが緩んだのが分かった。
「少しだけ時間をください」 (p.23)
本書のなかで心に残った一文は次のものです。
2015年7月1日、(※みなし仮設住宅の)提供打ち切りの発表を受けて、国(内閣府、復興庁)と福島県の担当者たちが全国各地で開催している自主避難者向けの説明会を取材するため、上越新幹線で新潟市に向かった。
サッカースタジアム内の会議室には40人ほどの避難者がいた。やはり母子避難者とおぼしき30~40代の女性が多い。
福島県の担当者は「ギリギリのやりとりを内閣府としてきて、一年延長が決まりました」と切り出した。私は「何と恩着せがましい言い方なのか」と唖然とした。母親たちは感情的になることなく静かに聞いていたが、きっと腸が煮えくりかえっていただろう。案の定、質疑応答では、「いったい誰がこんなことを決めたのか」「原発事故は津波や地震とは違う」と、激しい反発が相次いだ。だが、国と県の担当者たちからまともな答えは返ってこない。
司会者は15分ほどで質疑応答を打ち切り、著名な女性心療内科医の講演が始まった。講演のタイトルは「ストレスの対処法」で、一時間の予定になっていた。自主避難者を「頭のおかしい人」「必要以上に不安な人」と決めつけているかのような一方的な内容だ。説明会の終了後、会場から出てきた母親の一人はあまりの悔しさから、眼に涙を浮かべていた。
「最低だなと思いました。なぜ家の中を汚されて我慢しないといけないんですか。これまで何度も何度も意見を言ってきたのに聞いてくれない。良い記事を書いてください。私たちの声は小さくて聞こえないかもしれませんが…」
返す言葉がなかった。彼女たちは何一つ悪いことをしていない。「自主避難は誤りだった」と認めるよう強要する役所と社会のほうがおかしいのに。(p.77~8)
ほんそうに酷い話です。国策の被害者の声が、なぜ聞こえないほど小さなものにされてしまうのか。これもやはり「官僚機構が構造的に内包する非人間性」故なのでしょう。その小さい声に耳をすませて聞き取り、大きく拡声していくこと。そして権力の冷酷さを多くの人たちに知らせること。これもジャーナリスト、調査報道記者の使命だと思います。そしてその使命感を支えるのは人間性、他者の痛みを知る力だと確信します。
少しでも多くのメディアやジャーナリストが、「幼稚園のサッカー」から覚醒し、この国の骨の髄にまで浸み込んだ「真正な悪」を暴き出す強い使命感を発揮するよう、心から期待します。そしてそうした気骨ある記者たちを支えるのが、私たちの使命であることも付け加えましょう。
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『巡査の居る風景』
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2023-06-26T07:16:00+09:00
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sabasaba13
本
今年、2023年(令和…何年だっけ)は、関東大震災が、そして軍・警察・民衆による朝鮮人・中国人・日本人虐殺が起きてから100年目にあたります。この虐殺には、日本近代史の暗部を解明するための鍵があると考え、自分なりにいろいろと調べ考えてきました。拙ブログにその一端をまとめてあるので読んでいただけると幸甚です。その中で、この事件にふれた当時の小説や随筆・評論等を紹介しましたが、新たに見つかりましたので報告します。『山月記』『李陵』を書いた中島敦の『巡査の居る風景 -一九二三年の一つのスケッチ-』という小説です。(『ちくま日本文学012』所収) 日本に併合されていた朝鮮の京城(現ソウル)で巡査として勤めてた趙教英が見た1923年末の街と人びとの日常風景を淡々と描いた作品です。「甃石(しきいし)には凍った猫の死骸が牡蠣のようにへばりついた」という印象的な一節で始まる小説ですが、その一部を引用します。
捕われたものは誰だ。
捕えたものは誰だ。(p.308)
―で、いつ、死んだんだい?
―この秋さ。まるで?然だつた。
―何だ。病気か?
―病気でも何でもない地震さ。震災で、ポックリやられたんだよ。
男は手を伸ばすと、酒の瓶を?んでごくりと一口飲み込んだ。
―じゃあ、何かい。お前の亭主はその時日本に行ってたのか。
―ああ、夏にね。何でも少し商売の用があるって、友逹と一緒に、それも、すぐ帰るって東京へ行ったんだよ。そしたら、すぐ、あれだろう。そしてそれっきり帰ってこないんだよ。
男は急にギクリとして眼をあげると彼女の顔を見た。と、しばらくの沈默の後、彼は?然?く云った。
―オイ、じゃあ、何も知らないんだな。
―エ? 何を。
―お前の亭主はきっと、………可哀そうに。(p.309~10)
「お前は、お前たちは。」 突然何とも知れぬ妙な感激が彼の中に湧いて来た。彼は一つ身を慄(ふる)わすと、彼等のボロの間に首をつっこんで泣き初めた。
「お前たちは、お前たちは。この半島は………この民族は………」 (p.316)
朝鮮人虐殺について触れるにとどまらず、植民地を持つことによって生じる双方の精神的な傷や歪みを小説として昇華させた作品です。そこに目をつけた中島敦の慧眼には首を垂れましょう。
しかし私たちは、そうした過去と向き合わず、直視もしないどころか、忘却や無関心の淵に沈んでいるのが現状ではないでしょうか。『東京新聞』(2023.1.7)で、師岡カリーマ氏が「加害の無視・否定・忘却は、国に道徳的侵食をもたらす」と述べられていますが、同感です。そうした"不可視の暴力"に抗うためにも、難しいとは思いますが、この事件をドラマや映画で描いてほしいものだと切に願います。NHKのみなさま、「どうする家康」なんて言っている場合じゃないでしょ、ぜひ大河ドラマとして取り上げていただきたい。
なお森達也氏が福田村事件の映画化を進めており、今年の夏に公開されるそうです。大きな反響が出ることを期待しましょう。
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『橋を架ける者たち』
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2023-06-25T07:48:00+09:00
2023-06-25T07:49:13+09:00
2023-06-25T07:48:45+09:00
sabasaba13
本
ワールドカップの狂騒が終わってかなり経ちました。主催国カタールが大会のために行なった人権侵害やそれに対する抗議など、いろいろな問題があったことは忘れずにいたいと思います。ま、私もそこそこ日本チームを応援し、決勝のアルゼンチン-フランス戦を大いに楽しみました。凄い試合でしたね、うん。
その余韻が冷めやらぬなか、出会ったのが『橋を架ける者たち -在日サッカー選手の群像』(木村元彦 集英社新書0849)という本です。カバー袖の紹介文を転記します。
吹き荒れるヘイトスピーチ、嫌韓反中本の数々…。後押しするかのように、行政もまた朝鮮学校へ相次ぐ差別的な措置を下している。しかし、我々はそこに生きる、ひたむきに何かに打ち込む若者の物語に耳を傾けたことがあっただろうか…。強豪として知られる朝鮮高校蹴球部出身の安英学、梁勇基、鄭大世…。スーパープレイヤーたちの物語から、彼らを取り囲む日本社会の今が見えてくる。
サッカーで、差別は乗り越えられるのか。マイノリティに光を当て、選手たちの足跡を描き切った魂のノンフィクション。
在日朝鮮人のサッカー選手や若者たちが、私たち日本社会によっていかに可能性と未来を奪われてきたか。二つの文章を引用します。
「私は紛れも無いサッカーの敗者である。いや、私だけではなく全ての朝鮮高校サッカー部員たちは敗者だった。戦わずして敗者でなくてはならない者たち。私は目標を持たない数々の名選手を知っている」
『パッチギ!』『フラガール』などを製作した1960年生まれの映画プロデューサー李鳳宇(リ・ボンウ)はかつて自分たち在日サッカー選手たちが置かれた境遇をこう書いていた。自身、京都最強と言われた京都朝鮮中高級学校サッカー部のキャプテンであった李は、母校がどんなに練習試合で無敵を誇っても、文部省(当時)管轄ではない各種学校であることを理由に、日本の高校との公式戦には出場できなかった時代を生きてきた。彼らは卒業後、社会人チームでプレーを目指そうにも国籍が障害となり、就職もままならなかった。練習でいくら努力すれども、試合に勝ってどれだけ連勝記録を伸ばそうとも、その先の未来がイメージできない。「戦わずして敗者でなくてはならない者たち」、そして「目標を持たない数々の名選手」、否、正確には「目標を持てない数々の名選手」。これらは、日本社会が在日問題を無かったことにする「不可視の暴力」に連なる言葉でもある。(p.10~1) 当時の在日コリアンがいかに日本社会から疎外されていたか。一例を挙げるとガンホンと同じ年齢である日本テコンドー協会の河明生会長は「在日二世の記憶」(集英社新書WEBコラム)でこんな言葉を残している。
-「10歳のころ、学校から東急池上線千鳥町駅に向かって歩いていると、同級生が思い詰めた表情で『ミョンセン(明生)、俺達、将来、何になれるのかな?』と聞くんです。私は『焼肉屋かなぁ、それとも金貸しかなぁ、もしかするとパチンコ屋かもしれないぞ。それから…』と絶句しました。それ以外の将来、朝鮮人がなれる職業が浮かばないんです。10歳でわずか三つしか将来の職業が浮かばないんですから悲しいですよね(笑)。だから勉強して一流大学に行こうとする意味がわかりませんでした。教師にもいわれていましたね。『朝鮮人はいわれのない差別を受けている。東京大学を出てもろくな仕事にはつけないからパチンコ屋で働いている。それならばいずれ統一された差別のない朝鮮に帰ろう! 朝鮮統一のため、朝鮮民族のため、一生を捧げよう』と。その指導者こそが偉大な金日成(キム・イルソン)だから命令を絶対視し、個人利己主義を捨て犠牲精神で祖国と民族のために一生を捧げろ、と叩き込まれましたよ。(略) こんな環境におかれていたので、ケンカに強くなるしか道がありませんでした」-。(p.140~1)
何処のチームにも属することができない過酷な状況の中、練習場を探し、黙々とトレーニングを続け、やがてJリーガーとなりワールドカップに出場した在日アスリートの群像を、著者の木村氏は克明に描いていきます。
しかし在日サッカー選手への執拗な差別はなくなりません。時は2014年3月8日。Jリーグ第二節の浦和レッズとサガン鳥栖の試合で、埼玉スタジアムのゲート入口に「JAPANESE ONLY(日本人以外お断り)」という差別的な横断幕が掲げられました。その後、村井満チェアマンは、浦和レッズに対して無観客試合という大きなペナルティを科しました。私も報道によっておおまかには知っていたのですが、本書を読んで真相を知り愕然としました。以下、長文ですが引用します。
しかし、私はこの無観客試合を伝える報道に大きな違和感を覚えていた。ほとんどが、その差別の本質にフォーカスしない。情緒的で玉虫色の散文に終始していた。すなわち事件の背景にまったく触れずに、観客のいない試合を感傷的に描くものがほとんどであった。「JAPANESE ONLY」の横断幕は人種差別の意図を持ち、属性で人を排外するヘイトアピールであった。ではこの言葉の刃はどこに向けられたのか? 多くの記事はクラブの「ゴール裏に最近外国人が多く入って来て応援の統制が取れないから」という公式見解をただ流していたが、そうではないだろう。はっきりと書いておこう。日本国籍を取得しこの年から浦和に移籍した在日韓国人李忠成に向けてではないか。李がレッズに移籍してくるという噂が流れ始めたころから浦和関係のネット掲示板では酷いヘイトが撒き散らされていたのである。端的に言えば「帰化しようが朝鮮人は朝鮮人」「浦和に朝鮮人選手は要らない」という言説が充満していた。そしてそのことはほとんどの記者もサッカーライターも知っていたはずではないか。何よりも選手である槙野智章がしっかりと反応し、自らのツイッターで「浦和という看板を背負い、袖を通して一生懸命闘い、誇りをもってこのチームで闘う選手に対してこれはない」と勇気を持って指摘している。事実、事件の後、何かが起こらない限り、めったなことでは動かない警察が危険を感じて李の自宅を警備に来たのである。李忠成の父親である鉄泰は当時の息子の様子を2016年に行われた『サッカーと愛国』(清義明著)出版記念のイベントの中でこう語っている。「忠成は自分はもうレッズを辞めなくてはいけないのかとショックを受けていました。私は息子に『辞めるのは簡単だが、ここで逃げたら、どこにクラブに行っても負け犬のままだぞ。ここから這い上がれ』と言いました。一度、彼は地獄の底まで落ちたのです。でもそこからがんばってくれました」
事件の後に李が浦和から移籍する道を選ばず、どんなに傷ついても残留して結果を出すことを決意したのは、「もしここで自分がクラブを出てしまったら、レッズが『結果的に差別を許してしまったチーム』という目で見られてしまうのではないか」という思いがあったからだと私は近しい関係者から聞いた。その伝で言えば、李は辛いヘイトを浴びせられながら、身を挺して浦和レッズを救ったとも言える。しかし、そこまで踏み込んで言及したメディアはなかった。
なぜ報道は厳罰を招いた最も重要な「意図」に触れずに一般論に矮小化して問題の原液を薄めようとするのだろうか?
観客の一人も入っていないスタジアムは当然ながら寂しいし静かだ。しかし伝えるべき肝はそういう「風景」ではないだろう。まず鏡に映ったグロテスクな自分の姿(これはもちろんJリーグを伝える私たちメディアも含めた自分である)を直視してから歩みを始めるべきだ。過去、ブラジル人の闘莉王(トウーリオ)や三都主(サントス)アレサンドロが日本のパスポートを取ったときにこんな事件が起こっただろうか? 否である。むしろ、浦和サポーターは彼らを「外国人」と揶揄した高名なサッカーライターをしっかりと批判していた。日本人は南アフリカのアパルトヘイトや旧ユーゴスラビアの民族浄化にはいともたやすくNOと言える。それがコリアンが相手となると、途端に不寛容になる。(p.227~9)
これこそ木村氏が言うところの「不可視の暴力」です。在日への差別が歴然として存在するのに、それを隠し見えなくすることによって、差別などないことにしてしまう。このことを知らなかった己の蒙を恥じるとともに、差別や加害を明るみにだして直視することができる社会を目指したいと思います。
もう一つ勉強になったのが、CONIFA(Confederation of Independent Football Associations)ワールドフットボール・カップという"もうひとつのワールドカップ"があるのを教示していただいたことです。以下、引用します。
FIFAはもはや息を吸うにもカネが必要な組織となってしまった感があり、主要大会の開催や加盟には国際政治と特権幹部の思惑が絡み、国家レベルで湯水のように裏金を注ぎ込むのが常識とされつつある。アメリカがFBI(連邦捜査局)を中心に今になって必死に捜査を進めたのも、このスポーツ利権を欧州から奪回しようとしたためとさえ言われている。
一方、世界には自分たちの固有の文化に誇りを持ち一国家一民族という同化システムに入ることに与しない少数民族や、迫害を受けて祖国を捨て異国のコミュニティで暮らす人種、固有の領土を持たないが地域に根を下ろして生活している民族などが多様に存在している。そのような人々もサッカーをプレーし、サッカー協会を持ってはいるが、このFIFAの加盟承認の原則では到底掬い上げることは不可能である。加盟のために投入するような潤沢な予算も到底無い。マイノリティである彼らの多くは未来永劫、自分たちと同じアイデンティティーを持つ代表チームを国際大会に送り込むことはできない。いわば戦わずしてすでに敗者にされてしまっている。
そんな人々にプレーする場所を提供しようと2013年に創設されたのが、CONIFA(Confederation of Independent Football Associations)であった。CONIFA は現在FIFAに加盟できない、あるいはしない地域や民族のサッカー協会をまとめあげる国際団体として機能している。(p.199~200)
CONIFAの会長はまさにこのサーミ人のペール=アンデルス・ブランドである。ブランド会長はノルウェーでサーミ人として生まれ三歳で両親と共にスウェーデンに移住するのだが、そこで筆舌に尽くしがたい酷い差別と虐めに遭ったという。
「殴られたりツバを吐かれたり服を破られたり暴力はまだマシな方で、目に見えない差別に苦しめられた。人としての道を外れてもおかしくない自分を救ってくれたのがサッカーと音楽だった」。多くは語らないが、学校へ行ってクラスメートに暴力を振るわれなかった日は無かったという。孤立し社会を恨み、やさぐれてドロップアウトしかけた瞬間が多々あったのではないかと思われる。
ブランドはそんな自分を救ってくれたサッカーの力を信じた。ピッチの上では人種も民族も宗教も超えることができる。どんなに抑圧された民族でも誇りを持ち、自分たちのアイデンティティーを発信する力を与えてくれる。しかし、FIFAには限界があった。本来なら ば真っ先に救われなければならない少数者や迫害されている人々は当然ながら経済的には困窮しており、政治力も弱い。未来永劫FIFAへの加盟は困難である。そこで非営利団体としてCONIFAを立ち上げるに至った。(p.204)
2016年、このCONIFA主催のワールドフットボール・カップに、「在日統一コリアン(United Koreans in Japan)蹴球協会」という団体名で在日コリアンのサッカーチームが出場しました。北も南もない、我々は統一された同じ在日コリアンのチーム、という意味を込めているのですね。
こうしてみると、著者が、本書のタイトル『橋を架ける者たち』に込めた思いが伝わってきます。CONIFA主催のワールドフットボール・カップに統一チームとして出場することで、北(北朝鮮)と南(韓国)に橋を架ける。さらにはサッカーを通して、在日コリアンと日本人の間に橋を架ける。そして在日コリアンが活躍できる場をより広げ増やすことによって、子どもや若者が将来的に生きやすい社会に変えていく。つまり現在と未来の間に橋を架ける。
日本社会のあり方を考えさせられるとともに、たくさんの勇気をもらえる本です。お薦め。
最後に、私の心に残った一文を紹介します。
抗議活動を続けていた野間は試行錯誤の末、このヘイトクライムを抑えるためのアクションに当事者である在日韓国・朝鮮人を関わらせてはいけないという考えにたどりついていた。「マイノリティである在日は対立した場合、圧倒的に不利なんですよ。彼らに抗議をさせてはいけない。このヘイトの問題は日本人の中で解決しないといけないと思ったわけです」(野間)。しばき隊の活動は在日のためではない。マジョリティがマイノリティを守ってやる、そんな傲慢なことはできない、それこそ対等の関係ではない、守るべきはマジョリティもマイノリティも含めた公正な社会そのものである、という理念であった。対立軸を日本人対在日にしない。社会を壊す者対守る者の構図にするのだ。(p.190)]]>
『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』
http://sabasaba13.exblog.jp/33002819/
2023-06-18T07:47:00+09:00
2023-06-18T07:47:55+09:00
2023-06-18T07:47:55+09:00
sabasaba13
本
昨日の拙稿で「もしかすると、日本人は民主主義を捨てたがっているのでしょうか」と書きましたが、そういえばそのようなタイトルの本を買って読まずにいたなあと思い起こしました。さっそくジャングルのような本棚をごそごそと探し、やっと見つけました。『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(想田和弘 岩波ブックレット885)です。
さっそく一読。想田氏の鋭利な分析と底知れぬ危機感に感銘を受けました。中でも「消費者民主主義」という言葉は、現状を理解するために非常に重要な装置だと思います。長文ですが、ぜひ紹介します。
大阪で行われた拙作『選挙2』のトークショーに登壇したときの出来事です。…会場にいた若い男性から、僕の意識に奇妙に引っかかる発言がありました。いわく、「政治は分かりにくいからハードルが高い。もっとハードルを下げてもらわないと、関心を持ちにくい」というのです。一見、ごもっともな発言です。(略) しかし、何かが変です。彼の発言は、喉にかかった魚の骨のごとく、僕の意識に突き刺さりました。僕はすぐにその骨を飲み込むことも、骨の正体を言い当てることもできずに、しばらく悶々としていました。ところが、イベントの打ち上げでビールを飲みながら、ふと思い至ったのです。男性の発言は、政治家に対してのみならず、政治を論じている僕たち登壇者に対する「苦情」だったのではないか。そして、そういう苦情を僕たちが受けることに、僕は違和感を覚えていたのではないか。なぜなら、僕ら登壇者も発言した男性も、「主権者」という意味では同じ立場なのであり、僕らが政治を分かりやすく語っていないと思うなら、彼がその役割を果たそうとしてもよいはずだからです。少なくとも、自分で「分かろう」と努力してもよいはずでしょう。にもかかわらず、男性は僕らに政治を分かりやすく語ることを「要求」している。少なくとも、「当然、要求してよいはずだ」という確信を抱いているようにみえる。なおかつ、「自分にはそれは要求されない」とも信じているようにみえる。そう思い至った瞬間、僕は直観しました。「そうか、あれは消費者の態度だ」 自らを政治サービスの消費者であるとイメージしている彼は、政治について理解しようと努力する責任が自分自身にあろうとは、思いもよらなかったのではないか。同時に、僕は思い至りました。「もしかして彼のような認識と態度は、日本人に広く蔓延しているのではないか」
政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も主権者もイメージしている。そういう「消費者民主主義」とでも呼ぶべき病が、日本の民主主義を蝕みつつあるのではないか。だとすると、「投票に行かない」「政治に関心を持たない」という消極的な協力によって、熱狂なきファシズムが静かに進行していく道理もつかめます。なぜなら、主権者が自らを政治サービスの消費者としてイメージすると、政治の主体であることをやめ、受け身になります。そして、「不完全なものは買わぬ」という態度になります。それが「賢い消費者」による「あるべき消費行動」だからです。最近の選挙での低投票率は、「買いたい商品=候補者がないから投票しないのは当然」という態度だし、政治に無関心を決め込んでいるのは、「賢い消費者は、消費する価値のないつまらぬ分野に関心を払ったり時間を割いてはならない」という決意と努力の結果なのではないかと思うのです。そう考えると、投票に行かない人がテレビの街頭インタビューなどで、「政治? 関心ないね。投票なんて行くわけないじゃん」などと妙に勝ち誇ったように言うにも頷けます。あれは、自らが「頭の良い消費者」であることを世間にアピールしているのです。(略)
しかし、ここには重大な問題があります。(略) 主権者を消費者として観念することは、極めて深刻な思い違いだからです。民主主義は、国王に主権(=吟味し、判断し、決断し、責任を取る権限)があったのを、民衆一人ひとりに主権を移すことで始まりました。つまり民主主義では、民衆=主権者とは国王の代わりに政治を行う主体です。政治サービスの消費者ではありません。消費者には責任は伴いませんが、主権者には責任が伴うのです。この点が、消費者と主権者では決定的に異なります。ところが、おそらく消費資本主義的価値観が社会に根付く中、誤解がゆっくりと定着しました。政治家も主権者も、消費モデルで政治をイメージするようになってしまったのです。だからこそ、政治家は主権者を「国民の皆様」などと慇懃無礼に呼び、お客様扱いします。同時に、軽蔑もしています。主権者のことを、単なる受け身の、自分では何もできない、消費者だと思っているからです。ゆえに政治家たちは、自分の政治サービスを買ってもらうため、売れそうな刺激的な商品を分かり易く並べようとします。「アベノミクス」だの「大阪都構想」だのといった誇大広告も辞しません。首相をコロコロ変えたりするのも、「頻繁にモデルチェンジすれば売れるのではないか」というのと同じ発想です。政治家の政策がマーケティングめいているのも当然なのです。一方の消費者化した主権者も、政治家が提示する政策や問題を自分の力で吟味しようとはしません。勉強もしません。それは「売る側の責任」だと思っているからです。したがって政治家が繰り出すキャッチコピーの嘘を見抜くことなど、到底不可能なのです。
最近「おまかせ民主主義」という言葉が定着してきました。その正体はずばり「消費者民主主義」なのだと思います。消費者はサービスを消費するだけ。つまりおまかせ。不具合があれば文句を言うだけ。何も生み出さない。税金と票という対価を払う以外、貢献しない。いや、気に入らなければ票さえ投じない。民主主義の原点は、「みんなのことは、みんなで議論し主張や利害をすりあわせ、みんなで決めて責任を持とう」であったはずです。しかし主権者が消費者化してしまうと、そんな発想からは遠くなります。消費者の態度は、「お客様を煩わさないで。面倒だから誰かが決めてよ、気にいったら買ってやるから」になります。そして、そのような受け身の主権者が、誰にも騒がれずにファシズムを進めようとしている為政者の狡猾な行動を食い止められる道理はないのです。(p.54~8)
おまかせ、受け身、無責任、不勉強。"「消費者民主主義」とでも呼ぶべき病"の実態がよくわかりました。虚偽答弁をくりかえす政治家たちを容認するのも、ここから理解できます。熟議という民主主義のプロセスを面倒くさがり、誰かが決めたことを、気に入ったら買い気に入らなかったら買わない。投票率の異様な低さも、自民党や日本維新の会への支持も、消費者民主主義のなせることなのですね。政党が打ち出す政策を自らの頭で吟味するのではなく、政党が提供する商品(イメージ)を好き嫌いで判断する。嫌いだったら投票に行かず、刺激的な誇大広告を打ち出す政党を支持する。政党や政治家が「やってる感」を重視するわけもよくわかりました。
ほんとうに日本人は民主主義を捨てたがっているんだ。でも捨てたあと、どうするのだろう? 弱い者いじめをして憂さを晴らすのかな。
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