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ロ短調ミサ

c0051620_21431282.jpg 山ノ神の知人が「東京・カンタータ・コレギウム」という合唱団に入っており、今度J・S・バッハの「ロ短調ミサ」を演奏するそうです。同合唱団のホームページに載っていた紹介文です。
 私たちは、バッハのカンタータという古今東西最高の音楽の宝石箱の蓋を開けて楽しみたいと思っている、主にアマチュアの楽器と歌の有志が集まって2013年秋に活動を始めた団体です。
 オーケストラと合唱が常に一緒に練習しながら、音楽を築いていく楽しみを分かち合う、というのが私たちの望みです。
 その意気やよし、ですね。カール・リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団が演奏したCDは持っていますが、実演は聴いたことがありません。フランツ・リスト曰く「ロ短調ミサは、教会音楽のモンブランである。西洋音楽では、これ以上登るべくもない」。この宝石箱のような大曲に、東京・カンタータ・コレギウムのみなさんがどう挑むのか、楽しみです。
 桜の蕾もふくらみはじめた弥生好日、四ツ谷駅から徒歩十分ほどのところにある紀尾井ホールで、山ノ神と待ち合わせしました。余談ですが、このあたりは1878(明治11)年5月14日に、内務卿大久保利通が不平士族6名によって暗殺された事件、いわゆる「紀尾井坂の変」が起きたところです。近くの清水谷公園には「贈右大臣大久保公哀悼碑」という大きな碑があります。
 閑話休題。客席で山ノ神と落ち合いパンフレットを読んでいると、代表の山本浩士氏が書かれた「ロ短調ミサ」についての解説が載っていたので転記します。
 晩年のバッハは、あるジャンルの音楽を記念碑的、集大成的な大作に仕上げて出版する、ということに執着していたように思われます。「ドイツ・オルガン・ミサ」の通称で知られるオルガン音楽の大作、「ゴルトベルク変奏曲」、「フーガの技法」といった大作が作られ、出版にこぎ着けています。ミサ曲ロ短調も、バッハが満を持して放つ教会音楽の金字塔と考えてよいのではないでしょうか。バッハはこの作品を出版したかったかもしれません。
 この作品は、過去に書いた作品を集めてそれらを入念に書き改めて、部分的には新しく作曲しつつ全曲を構成したものです。結果的に非常に大規模な作品になり、全曲を実際の礼拝に使用するのは不可能のようですが、ニ長調で全体が統一され、クライマックスに向けて声部が6声、8声と増えて行き、前半の「Gratias agimus tibi」の音楽が終曲「Dona nobis pacem」で繰り返されるという、全体の構造的な配慮も行き届いており、バッハが巨大な作品を目論んでいたことは明白です。
 やがて合唱団と合奏団、そして識者の大島博氏が登場しました。大島氏はE.ヘフリガーやD.フィッシャー・ディースカウに学んだテノール歌手で、バッハを中心とする宗教音楽の分野でも活躍されています。そして演奏が始まりました。
 プロフェッショナルのような卓抜な演奏はもちろん望むべくもありませんが、この大曲・難曲を歌える喜びがしみじみと伝わってくるような好演でした。多忙な仕事の合間をぬって猛練習をされたのでしょう、敬意を表します。音程がずれるヴァイオリン、ハイトーンが出ないトランペットにはハラハラさせられましたが、だんだん調子が戻ってきたので一安心。
 それにしても何と凄い曲なのでしょう。声楽、器楽、独唱、合唱、独奏、合奏などさまざまな演奏形態を包摂し、ポリフォニー、フーガ、カノンなどの技法を駆使して、神の栄光と音楽の素晴らしさを歌いあげる。J・S・バッハという偉大な音楽家の集大成です。中でも好きなのは、第五曲の「Laudamus te」です。ソプラノによるアリアにソロヴァイオリンがからむ、華やかな美しさにはうっとりとします。終曲の「Dona nobis pacem」の荘厳さにも心打たれます。"Dona nobis pacem(われらに平安を与えたまえ)"、今だからこそ、世界中の人びとと声を合わせ心を一にして歌いあげたいものです。

 追記です。最近読んだ『音楽放浪記 世界之巻』(片山杜秀 ちくま文庫)の「1 バッハの罪?」の中に、次のような一文がありました。
 繰り返せば、バッハを生み育てたブルジョワ精神とは、あくまでお高くとまった精神だった。それは物質的にも精神的にもそれなりに高級なものを求めたし、キリストの内面すら見渡せるほどの高みに立ちたいとさえ願った。バッハの、今にしてなお高邁とも抽象的とも聞こえている音楽は、そうした時代精神の音楽的表現にほかならなかった。
 なら、その精神は何にたいしてよりお高くとまろうとしたのか。それはむろん、前時代的民衆にたいしてである。近代未満というか中世的な愚かしい民衆、宇宙や世界について哲学的思惟をめぐらすことなど考えもつかぬ鈍なる民衆、神や神の子となればただただ人間には想像もつかぬ超越的存在と思って拝跪し、捧げ物でも並べ下品な祭りを始めるのが落ちの野蛮な民衆…。そうした存在から少しでも距離をおき、高きに上りたいと願うところに近代ブルジョワ精神の原動力があった。ようするにその精神は、下等なる民衆の土俗的領域を恥ずかしいと切り捨て、いっぽう、常人には手が届かぬと思われてきた上等なる神の領域をバッハの受難曲でお手軽に鑑賞できるまで切り下げることで、人間を自信みなぎる存在と位置づけるのに成功し、そこから人間中心、人間万能の近代世界を切り拓きはじめたのである。(p.15~6)

by sabasaba13 | 2019-04-01 06:24 | 音楽 | Comments(0)

タンホイザー

c0051620_21553473.jpg ワーグナーは大好きです。壮麗な音楽と雄大な物語のコラボレーションには、身も心も打ち震えてしまいます。これまでも「リエンツィ」、「ニーベルングの指輪」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「トリスタンとイゾルデ」と聴いてきましたが、新国立劇場オペラパレスで「タンホイザー」が上演されると知り、矢も楯もたまらず山ノ神を誘って聴きにいきました。指揮はアッシャー・フィッシュ、演出はハンス=ペーター・レーマン、独唱はトルステン・ケール(T)、リエネ・キンチャ(S)、ローマン・トレーケル(Br)、演奏は東京交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団です。
 開演は土曜日の午後二時。わくわくしながら待っていると、幕が開き、あの魅力的な「タンホイザー序曲」が威風堂々と鳴り響きます。舞台には巨大な白い柱が林立し、移動したり色を変えたりして洞窟や領主の館や大聖堂を表現します。光や映像など最新技術を駆使した豪華な舞台装置に一安心。禁断の地ヴェーヌスベルクの洞窟で官能に耽り戯れるタンホイザーと女神ヴェーヌスですが、その衣装がそれなりに豪華なものでこちらも一安心。いや実はですね、ウィーン国立歌劇場で「リエンツィ」を見た時に、舞台装置は無機的な現代風、歌手がジーンズとスニーカーで登場したことにいたく落胆しました。やはり身銭を切って見ているのですから、日常を忘れさせてくれる演出をしてほしいものです。なおパンフレットに演出したハンス=ペーター・レーマンの、次のような言葉がありました。我が意を得たり。
 ただし、私は、作品が現代の諸問題につながることを示すために、人物をジーンズ姿で登場させたり、キャンプ場に置いてみたりはいたしません。そんなふうに演出しなければ作品の現代性に気づかないほど観客が愚かだとは、私は思っておりません。
 二人のまわりで新国立劇場バレエ団のメンバー扮する妖精たちが踊っていますが、素敵なバレエも楽しめるなんて幸せ。でも禁断の地であるだけに、もう少し官能的な踊りでもよかったかな。この場面でタンホイザーが歌う「ヴェーヌス讃歌」は、変調をくりかえしながら愛が高揚していくかのようです。か、い、か、ん。しかしタンホイザーは快楽に溺れる日々に満たされないものを感じてこの地を去ることを決意し、聖母マリアの名を叫びます。すると場面はヴァルトブルク郊外の谷間に一転、牧童の笛と歌が聴こえてきます。牧童を演じた吉原圭子氏の声がなんと美しいことよ。ビロードのような高音に聞き惚れてしまいました。はい、贔屓にさせていただきます。そこにローマへ向かう巡礼の一行が現われ、タンホイザーは罪の意識にとらわれます。新国立劇場合唱団が歌う荘厳な「巡礼の合唱」が素晴らしい。見事なアンサンブルと感情表現で、私の心身に積もった世俗の塵芥が洗い落とされていくようでした。「カルメン」の時も感じたのですが、この合唱団の力量には脱帽です。男声合唱を聴いて、美しいと思ったのは稀有なる体験です。最近、某合唱団に入った山ノ神も絶賛していました。そこへ狩りの帰り領主ヘルマンと親友ヴォルフラムが通りかかり、タンホイザーは宮廷に復帰することになりました。

 ここで25分の休憩。紫煙をくゆらしながら第1幕の余韻にひたろうと喫煙所のあるテラスに行こうとすると…撤去されていました。係の方に訊ねると、すこし離れたところにあるテラスに移動したとのこと、やれやれ全面禁煙ではなく幸甚でした。煙草に百害あるのは承知の上、堅気の衆に迷惑をかけないよう世間の片隅で吸うようにしているのですが、ここまで邪険にされると少々腹立たしくなります。『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎 ベスト新書99)の書評でも書きましたが、他の有害な物質への対応とあまりにも差があり不公正ではないかと感じます。例えば、最近読んだ『日本が売られる』(堤未果 幻冬舎新書)に下記の一節がありました。
 雑草も虫も全滅させるグリホサートの威力は凄まじく、使い始めて数年は農薬の使用量が少なくて済むが、ここには大きな問題があった。
 前述したように、使い続けると進化して耐性を持つ雑草が出現し、今度はそれを枯らすためにもっと強い除草剤を使うという悪循環で、農薬の量が増えてゆくのだ。
 2000年5月にアメリカ農務省が発表した報告書によると、過去5年で米国内の農薬使用量は大きく跳ね上がり、中でもグリホサートは他の農薬の5倍も増えていた。
 除草剤の量が5倍に増えれば、その分アメリカからの輸入遺伝子組み換え大豆に残留する農薬も多くなり、日本の安全基準に引っかかってしまう。この発表が出た同じタイミングで、日本政府はアメリカ産輸入大豆のグリホサート残留基準を、しっかり5倍引き上げた。これで残留農薬が5倍に増えた大豆は、何の問題もなく引き続き日本に輸入される。
 日本政府のきめ細かい協力姿勢は、米国アグリビジネス業界を大いに満足させたのだった。(p.67~8)
 安倍伍長率いる自民党政権が、私たちの"安全保障"など屁とも思っていないことがよくわかります。
 いかんいかん、タンホイザーの話だった。

 第2幕。ヴァルトブルク城内で、タンホイザーは恋人のエリーザベトと喜びの再会を果たします。そして歌合戦のために騎士や貴婦人たちが続々と集まってきます。この場面で演奏されるのが「行進曲」、私が一番聴きたかった曲です。舞台袖から現れて徐々に数が増えていく騎士・貴婦人に扮した合唱団、ああこれだけの人が歌ってくれるのかと思うだけでアドレナリンがびしびしと分泌してきます。色とりどりの衣装に身を包んだ騎士・貴婦人たちの集団が次々と現れて並び、そして歓喜が爆発する大合唱。もう一大絵巻ですね、素晴らしい演出でした。それにしても、これほど気持ちを高揚させ元気づけてくれる音楽があるでしょうか。中でも次のフレーズがいいですね。
Freudig begr?ssen wir die edle Halle, wo Kunst und Frieden immer nur verweil', wo lange noch der frohe Ruf erschalle.
 喜びてわれらは尊き殿堂にあいさつを送る。ここに芸術と平和は永遠にとどまれ! 喜ばしき叫びよ、長く響け!
 もう一度聴きたいな、アンコールで演奏してくれないかな。
 さて歌合戦ですが、領主は「愛の本質」という課題を歌い手に与えます。ヴォルフラムたちは精神的な愛を讃えて歌いますが、タンホイザーは反発して「ヴェーヌス讃歌」を歌い、快楽としての愛を礼賛します。一同は驚き、タンホイザーに剣を突きつけ殺そうとします。そこへエリーザベトが進み出て、彼の命を救うよう訴えます。すると遠くから微かに聴こえてくる荘厳な「巡礼の合唱」、思わず厳粛な気持ちになってしまう感動的な場面です。我に返って悔恨するタンホイザーに、ローマへ行って法王の許しを得るよう領主は命令します。"Nach Rom! (ローマへ!)"と叫びながらタンホイザーは走り去っていきます。

 25分の休憩の後、第3幕。ヴァルトブルク郊外の谷間で、エリーザベトとヴォルフラムがタンホイザーの帰還を待っていると、「巡礼の合唱」とともに巡礼たちが戻ってきますが、彼の姿はありません。彼女は自分を犠牲にして彼を救ってほしいと聖母マリアに祈り、去っていきます。そしてヴォルフラムは、彼女の祈りが聞き届けられるよう星に向かって「夕星の歌」を歌います。切なく高貴な歌ですね。
 するとやつれはてたタンホイザーが現われ、教皇の許しを得られなかったと語ります。絶望し慟哭するタンホイザー、彼を再び快楽の園へと誘う女神ヴェーヌス、必死で彼を引きとめるヴォルフラム、この三者のかけあいは、息が詰まるほど劇的でスリリングです。しかしヴォルフラムが「エリーザベト!」と叫ぶと彼は我に帰り、女神は消え去ります。そしてエリーザベトを納めた棺が彼の前に置かれると、彼は棺にすがって息絶えます。最後に神と奇蹟を讃える「巡礼の合唱」が歌われますが、すべてを浄化するような清らかな調べに心癒されました。そして幕。

 指揮も、オーケストラも、歌手も、合唱団も、バレエ団も文句なし。極上のひと時を過ごすことができました。多謝。今度は「ローエングリン」を聴きたいですね。

 付記。山ノ神が購入したパンフレットに、末延芳晴氏が寄稿されていました。彼によると、永井荷風がアメリカにいた時に、ワーグナー、ことに「タンホイザー」に心酔し、それをモチーフにして『旧恨』(『あめりか物語』所収)という短編小説を書いたそうです。へえ、今度読んでみましょう。荷風は娼婦イデスとの快楽に溺れており、『西遊日誌抄』(1906.7.8)にこう記しているとのことです。
 余は妖艶なる神女の愛に飽きて歓楽の洞窟を去らんとするかのタンホイゼルが悲しみを思ひ浮べ、悄然として彼の女(ひと)が寝姿を打眺めき。あゝ男ほど罪深きはなし。

by sabasaba13 | 2019-02-24 08:10 | 音楽 | Comments(0)

「BALLUCHON」

c0051620_1456755.jpg ジャズが大好きですが、専門誌を読んで新譜を追いかけるほどではない、へたれな愛好家です。主に参考にしているのは『週刊金曜日』の音楽評、時々素敵なジャズ・アルバムを紹介してくれるので重宝しております。ビル・エヴァンスの『アナザー・タイム』も本誌で知りました。
 この音楽評で紹介されていたのが、小川理子(みちこ)氏の最新ジャズ・ピアノ・アルバム『BALLUCHON(バルーション)』。何と彼女は、パナソニック株式会社で執行役員とアプライアンス社副社長・技術本部長の要職にあり、さらに日本オーディオ協会の会長も務めるなど、日本の家電・オーディオ業界を牽引している方だそうです。選曲は、2018年に生誕 120 周年を迎えたジョージ・ガーシュインの作品と、2019 年に生誕120 周年を迎えるデューク・エリントンの作品を中心としたスタンダード・ナンバー。そしてレーベルは、オーディオ評論家の潮晴男氏と麻倉怜士氏が運営する「ウルトラ・アート・レコード」、音質も期待できそう。A面は麻倉怜士氏がプロデュースし、メンバーは浜崎航(ts・fl)、中平薫平(bs)、吉良創太(ds)。B面は潮晴男氏がプロデュースし、メンバーは田辺充邦(g)、 山村隆一(bs)、バイソン片山(ds)。アナログ・レコードを意識した構成になっています。

 うわお、ご機嫌なアルバムでした。一聴、驚いたのはその音の美しさとタッチの明晰さです。黒々とねばりつくパワフルな音を期待する方には少々物足りないかもしれませんが、私はこれはこれで楽しめました。まるで真珠のように、ひとつひとつの音の粒が際立ち輝いています。ライナーノートによると、彼女は、3 歳からピアノレッスンを開始、バッハからモーツァルト、ベー トーヴェン、ショパン、リスト、さらには現代音楽まで弾きこなすそうです。コード(和音)の響きが美しいのも、そのクラシック・ピアノを練習した賜物でしょう。それに加えて、スピード感とグルーヴ感がアルバム全体を貫き、思わずスイングしてしまいます。「Oh lady be good」「Love for sale」「In a sentimental mood」「Do nothing till you hear from me」「I got Rhythm」「But not for me」「Take the A train」「C jam blues」「Smile」「Perdido」「Nobody knows the trouble I've seen」「Lady Madonna」、みんな素晴らしい出来ですが、私が一番好きなのが何といってもデューク・エリントンが1935年に作曲した名曲「In a sentimental mood」でした。この曲には、作曲者本人とジョン・コルトレーンによる名演がありますが、それと双璧をなします。上質なタッチと、情感に溢れた即興演奏、しかし感情に流されずに凛とした佇まいが見事。身も心も溶解し、聞き惚れてしまいました。
 また「Do nothing till you hear from me」「Smile」「Nobody knows the trouble I've seen」では、ハスキーな声でヴォーカルを披露してくれます。中でも「スマイル」は私の大好きな曲、しんみりと拝聴いたしました。チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』で使用されたテーマ曲に、ジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞とタイトルを加えたものだそうです。映画では、少女(ポーレット・ゴダード)とチャップリンが勤めていたキャバレーを解雇され絶望にうちひしがれる彼女を、「笑って」と励ます場面で流れた曲ですね。高校生の時、ラジオから流れたこの曲を聴いて思わずほろりと涙ぐんだ記憶があります。
 なおアルバムタイトルのBalluchon (バルーション)とは、フランス語で「旅立ち」の意味だそうです。彼女がどこまで行くのか、楽しみです。
by sabasaba13 | 2019-01-31 07:43 | 音楽 | Comments(0)

カルメン

c0051620_2153726.jpg それほど詳しくはないのですが、オペラは大好きです。音楽・演劇・美術の総合芸術を堪能し、塵が積もった日々の時間・空間からしばし別世界を楽しむ、最高ですね。今回は、山ノ神ともども以前から見たいと思っていたビゼーの『カルメン』を、新国立劇場オペラパレスで鑑賞してきました。カルメンはジンジャー・コスタ=ジャクソン、ドン・ホセはオレグ・ドルゴフ。ジャン=リュック・タンゴー指揮する東京フィルハーモニー交響楽団に、新国立劇場合唱団と新国立劇場バレエ団も共演します。下世話な話で恐縮ですが、われわれはだいたいB席をおさえます。まあまあ安いし、3階ですが舞台全体を上方から一望できるので、全体の動きがよくわかります。オーケストラ・ピットが見えないのが玉に瑕ですが。
 さあ始まり始まり。第1幕は、時は1820年ころ、セビリアのタバコ工場前の広場が舞台です。当時の街並みをリアルに表現した豪華なセットに一安心。ひと時の異次元・異空間を楽しみたいので、やはりセットにはお金をかけていただきたいものです。以前にウィーンの国立歌劇場でワーグナーの『リエンツィ』を見た時、現代風のチープなセットと、ジーンズを着てスニーカーを履いた歌手に失望した思い出があります。
 閑話休題。広場には女工目当てに男たちが集まっていますが、彼らの一番人気はカルメン。彼女は「ハバネラ」を歌って男たちを魅了します。ところが、衛兵のドン・ホセだけは彼女に興味を示しません。そこでカルメンは胸に付けていたカッシアの花をホセに投げつけ、去っていきました。
 仕事に戻った女工たちは工場の中で喧嘩騒ぎを起こします。原因はカルメンで、彼女は捕らえられます。でもカルメンは、衛兵のホセを誘惑して手縄をゆるめさせ、逃げ去りました。
 あの有名な前奏曲や、官能的な「ハバネラ」を聴いただけで血沸き肉踊ります。子どもたちの合唱「交代の部隊といっしょに」も楽しい曲です。『カルメン』では合唱がふんだんに取り入れられ、曲に変化とスケールを与えています。新国立劇場合唱団の素晴らしい合唱に魅せられました。
 余談ですが、以前セビリアを訪れた時、添乗員さんが舞台となったタバコ工場を教えてくれました。現在は大学になっているそうです。

 第2幕。1ヶ月後、カルメンを逃がした罪で禁固となっていたホセが、閉店後の酒場にいた彼女に会いに行きます。ホセは彼女からもらった花を手に愛を告白しますが、それならばとカルメンは彼に軍隊に帰営しないで、すべてを捨てて自分の下に残るように求めます。ホセは迷いました。そして仕方なく脱走兵としてジプシーの仲間となったのです。
 ここではやはり、エスカミーリョ(ディモシー・レナー)が歌う「闘牛士の歌」が聴きものですね。密輸団の怪しい連中がコミカルに軽妙に歌う五重唱「一仕事思いついたのさ」には思わず緩頬してしまいます。なお新国立劇場バレエ団の見事な踊りも、オペラに花を添えてくれました。

 第3幕。カルメンのジプシー仲間は密輸をして稼いでいました。そのことを知って後悔するホセ。カルメンはそんな彼に愛想を尽かします。カルメンの恋心は、すでに闘牛士エスカミーリョに移っていました。そこへホセの故郷から娘ミカエラが訪ねてきます。彼女からホセの母が重病だと聞いて、彼は故郷に帰ることにします。
 1ヶ月後、闘牛場前の広場。この日は闘牛の当日で、カルメンと愛の言葉を交わした闘牛士エスカミーリョが闘牛場に入っていきます。広場に残ったカルメンの前に現れたのが、戻ってきたホセです。やり直そうと言うホセでしたが、カルメンは彼を相手にしません。しつこく食い下がるホセに対し、カルメンは昔もらった指輪を投げつけました。そのときホセは激昂してカルメンを刺し殺してしまいます。そしてその場に呆然と立ちつくしたのでした。
 砂川涼子が歌う「ミカエラのアリア」に聞き惚れました。うっとりとする美声と感情表現、素晴らしい。これからは贔屓にさせていただきます。

 というわけで、十二分に堪能いたしました。歌手陣もオーケストラも合唱団にも満足。そして何より、魅力的な数々の曲に時を忘れました。ビゼーは凄いメロディ・メーカーだったのですね。
 そしてカルメンという稀有なる女性に圧倒されました。これはメリメの手柄なのかもしれませんが。19世紀前半という時代背景の中で、女性とロマ(ジプシー)という二重に差別された存在でありながら、仕事を持って自立し、時には密輸にも関わりながら強かに生き抜くカルメン。現代のわれわれから見ると、単なる悪女(ファム・ファタール)とは思えません。そして彼女の、自由への飽くなき渇望にいたく感銘を受けました。
空はひろびろ さすらいの暮らし
世界をねぐらに 気ままに生きる
そして なによりすばらしいのは
自由よ! 自由なのよ! (第二幕の二重唱)

カルメンはいうことなんか聞かない
自由に生まれて、自由に死ぬのよ (フィナーレの二重唱)
 なお朝日新聞デジタル(18.12.18)によると、世界経済フォーラム(WEF)が発表した2018年の男女格差(ジェンダーギャップ)報告書によると、男女平等度で日本は149カ国中110位、主要7カ国(G7)中では最下位だったそうです。女性への差別を何としてでも維持しようとしている御仁たちに、ぜひこのオペラを見ていただきたいものです。
by sabasaba13 | 2018-12-22 07:11 | 音楽 | Comments(0)

辻井伸行頌

c0051620_22183227.jpg ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝した、若き盲目のピアニスト、辻井伸行君。テレビでその素晴らしい演奏を何度か拝見したのですが、隔靴掻痒、ぜひ生の音を聞いてみたいと常々思っておりました。念ずれば花開く、ウラディーミル・アシュケナージ指揮によるアイスランド交響楽団と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番およびショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏会が開かれるとの情報を得ました。前者を聴きたかったのですがチケットはすでに売り切れ。後者でしたら所沢市民文化センター「ミューズ」での演奏会で二枚購入が可能です。さっそく山ノ神を誘って、聴きに行くことにしました。
 西武鉄道新宿線の航空公園駅で降りて、てくてくと歩くこと十分ほどで「ミューズ」に着きました。そして席についてプログラムを拝読。本日の曲目は、シベリウスの「カレリア組曲」、ショパンのピアノ協奏曲第2番、休憩をはさんでシベリウスの交響曲第2番です。私も山ノ神もシベリウスが大好きなので、これは嬉しいプログラムでした。以前にスカンジナビア諸国を訪れた時には、フィンランドでシベリウス関連の史跡やモニュメントを見学したことを思い出します。
 まずは「カレリア組曲」、間奏曲、バラード、行進曲からなる管弦楽作品ですが、実はこの曲には思い出があります。高校生の時、ジャズマンになりたいという夢を持っていました。きっかけは当時、夢中になって読んでいた五木寛之の『青年は荒野をめざす』という小説です。たしか主人公の名前はジュンだと思いましたが、そのかっこいい生き方に惚れ込んでしまった次第です。はじめて買ったジャズのレコードはマイルス・デイビスの『アット・カーネギー・ホール』、あまり評価されていませんが、よくスイングするクインテットだったと思います。とくにウィントン・ケリーのコロコロところがるようなのりのいいピアノと、ポール・チェンバースの地を揺るがすような重厚なベースに夢中になりました。よし、ベースマンになるぞ、と一念発起、しかし基礎をしっかりとやるべきであろう(私は変なところで堅実なのです)、大学オーケストラに入部してコントラバスの練習に勤しみました。同時にジャズの教則本や理論書を買い込んで独学で学んだのですが…結局ものになりませんでした。即興演奏のなんと難しいことよ。以後、ジャズはもっぱら聴くだけとなり、今では楽器をチェロに変え、チェリストの末席をけがしておりますが、ジャズマンになりたいという心の火はまだどこかで燻っています。そしてこのオーケストラでは、教養学部一年生と二年生が中心のユース・オーケストラを編成して、課題曲を練習・合奏する夏合宿がありました。忘れもしない、私が大学一年生の時に、この合宿ではじめて演奏したのが、この「カレリア組曲」と、ベートーヴェンの交響曲第1番の第1・第2楽章でした。ああ、甘酸っぱいものがこみあげてくる。特に第3曲の行進曲を聴くと、今でも血沸き肉躍りアドレナリンがふつふつと分泌してきます。
 さて肝心の演奏です。アイスランド交響楽団の紹介がパンフレットにあったので、引用します。
 アイスランドを代表するオーケストラであるとともに、その高い演奏技術と美しいアンサンブルから北欧を代表するオーケストラのひとつとして人気を博している。アイスランドの首都レイキャビクにある現代建築の分野でも注目を集めるHarpa Concert Hallでの定期演奏会のほか、海外ツアーも積極的に行っている。桂冠指揮者としてウラディーミル・アシュケナージを擁するほか、これまでにケンプ、アラウ、ギレリス、メニューイン、ロストロポーヴィチ、バレンボイム、パヴァロッティといった一流のソリストたちが共演している。
 実は偶然なのですが、今年の夏に念願だったアイスランド旅行をしてきました。氷河、火山、瀑布、荒涼とした大地、素晴らしい自然の景観を堪能するとともに、過酷な環境のなかで大地を踏みしめるように実直に暮らすアイスランドの方々にも強い印象を受けました。それと安易に結びつけてはいけないのかもしれませんが、でもこのオーケストラの音はアイスランドの自然や人間を思い起こさせます。外連味のない真面目な音楽づくりと、玲瓏な音。やや迫力不足の感は否めませんが、それを補って余りある美しい音楽でした。指揮者のアシュケナージもその魅力を十分に引き出したと思います。なお彼らの本拠地であるHarpa Concert Hallも見学してきましたが、柱状節理を模したユニークな意匠でした。
 そしてアシュケナージの両肩につかまるようにして辻井君が登場しました。万雷の拍手のあと椅子に座り、両手を左右に大きく広げて鍵盤の位置を確認する姿が印象的です。もちろん眼前の譜面台には何も置いてありません。目が見えないというハンディキャップを背負いながら、いったい彼はどれくらいの努力をしたのでしょう。ただただ首が下がるだけです。そういえば中野雄氏が『モーツァルト 天才の秘密』(文春新書487)の中で、モーツァルトについてこう言っておられました。
 …群百の音楽家に比して、百倍も千倍も努力した人であった。ただ、彼はその"努力"を「つらい」とか、「もういやだ」と思わなかっただけの話である。
 そういう意味では、辻井君も天才なのかもしれません。そして音楽がはじまりました。ショパンのピアノ協奏曲第2番は、第1番に比べてやや地味な印象があります。しかし辻井君の手にかかると、珠玉の逸品に生まれ変わります。彼の弾く和音の何と美しいことよ。絶妙のバランスで和音を美しく響かせているのでしょう、その聴覚の鋭敏さには脱帽です。またオーケストラの伴奏とのバランスも見事です。押すべきところ押し、引くべきところは引く、自らの奏でる音とオーケストラの音を丁寧に聞き取りながら、両者を一つの音楽に撚りあげる。素晴らしい耳です。『ピアノの森』(一色まこと 講談社)の中で、アンジェイ・パヴラス先生が雨宮修平に、「自分の音をきちんと聞けたら、名人の域だ」と諭したことを思い出しました。
 辻井伸行君、もとい辻井伸行氏、素晴らしいピアニストでした。もう一度、いや何度でも聴きにこようと山ノ神と意気投合しました。嬉しいことにアンコールを弾いてくれましたが、スイング感とスピード感にあふれたノリノリの佳曲でした。音楽を奏でる喜びに満ちた辻井氏の超絶技巧に脱帽。ブラーボ。後で、ウクライナの現代作曲家ニコライ・カプースチンの「8つの演奏会用練習曲」第1番だと判明。さっそくCDを購入して、いまハマっています。
 そして休憩、外で紫煙をくゆらしながら興奮と熱気をさまし、さあシベリウスの交響曲第2番です。シベ二、実はこれも、前述の大学オーケストラの定期演奏会で初めて弾いた思い出の曲です。私は交響曲第3~6番の方が好きなのですが、もちろん第2番も良い曲です。迫力はありませんが、一音一音を大切に奏でる緻密なアンサンブル、そして丁寧な音楽づくりに心惹かれました。
 アンコールは、私の大好きなシベリウスの「悲しきワルツ」。美しく魅惑的なワルツ、狂熱の乱舞、そして静寂と死。小品ながらも、変化に富んだ素晴らしい曲です。アイスランド交響楽団の端正で誠実な演奏を堪能しました。中間部でもっとデモーニッシュな雰囲気があってもよかったかな、まあ諒としましょう。

 というわけで辻井伸行氏の演奏とシベリウスの音楽を満喫できた素晴らしい午後でした。特に辻井氏のピアノはリピーターになりそうな予感。御贔屓にさせていただきます。

 おまけの蔵出し写真、上からフィンランド・ハメーンリンナにあるシベリウスの家(二枚)、ヘルシンキのシベリウス公園(二枚)、そしてアイスランド・レイキャビクのHarpa(ハルパ) Concert Hall (二枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-12-14 06:24 | 音楽 | Comments(0)

アンドレア・バッティストーニ

c0051620_21465760.jpg 『しんぶん赤旗 日曜版』(2018.4.22)を読んでいたら、アンドレア・バッティストーニという若い指揮者の紹介が掲載されていました。1987年ヴェローナ生まれですから、弱冠31歳。東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者に就任されているそうです。「平均的な演奏をするのではなく、危険を恐れず一回一回違う物語を語れるようなコンサートを目指しています」「音楽には二種類しかない。良い音楽と悪い音楽です」という彼の言に惹かれました。後者の言葉は、デューク・エリントンも言っていたような気がしますが。
 さっそく「ぴあ」で検索したところ、バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団による「平日の午後のコンサート」がありました。幸いこの日の午後は休暇が取れそうなので、チケットを二枚購入。山ノ神とは、現地のサントリーホールで落ち合うことにしました。
 当日、仕事が降りかかる前に職場を離脱、一目散にサントリーホールに駆けつけました。やれやれ間に合った。山ノ神も席に鎮座されています。そしてオーケストラと指揮者が登場、何かやらかしてくれそうな雰囲気を感じました。前半の曲目は、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲、ヴォルフ=フェラーリの歌劇「マドンナの宝石」より間奏曲、ヴェルディの歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲、メロディアスで親しみやすい曲が選ばれています。歌心にあふれた指揮と演奏に、うっとりと聞き惚れました。そしてバッティストーニ氏の軽妙なトークが、幕間にはいります。フォルテとピアノの話、イタリアの学校には入学式も卒業式もないという話、いろいろと楽しませていただきました。それにしても、イタリア語は普通に話していても歌っているように思えます。
 後半は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」です。金聖響氏の言を借りれば"古典派交響曲の到達点・リミット・完成品。交響曲の進化の系統樹はここで行き止まり、あとは横に伸びるしかない"という名曲です。さまざまなフレーズをきちっと腑分けしながらも、歯切れのよいキレッキレの演奏で、ぐいぐいと前進する疾走感にはしびれました。オーケストラをその気にさせる躍動感にあふれた指揮もいいですね。全身全霊をこめた圧巻の第4楽章まで、息をもつかせぬ名演でした。ぶらーぼ。アンコールはチャイコフスキーの弦楽セレナーデより第2楽章「ワルツ」は、うってかわってチャーミングな演奏。いいですね、バッティストーニさん。贔屓にさせていただきます。

 素晴らしい音楽を聴いたら、美味しい夕食が不可欠。練馬まで戻って、最近はまっている「パラディソ」まで自転車で行き、ビーフカレーと鶏の有馬煮をいただきました。こちらもぶらーび。
by sabasaba13 | 2018-07-09 07:39 | 音楽 | Comments(0)

佐藤久成頌

 「しんぶん赤旗日曜版」(2018.4.8)を読んでいたら、佐藤久成(ひさや)というヴァイオリニストについての紹介がありました。2016年に亡くなった音楽評論家・宇野功芳が絶賛したヴァイオリニストだそうです。彼の言です。
 机の上にうず高く積んであるCDの中の1枚が、「聴いてくれ、聴いてくれ」と話しかける。ぼくには弱い霊感があるようで、全然知らない演奏家のコンサートに、大切な仕事(合唱のリハーサル)を休んでも出かけ、凄い才能と出会うこともある。机の上から話しかけたのは佐藤久成というヴァイオリニストのCDだった。案の定、濃厚な節まわし、魂が吸い込まれるようなピアニッシモ、鬼神もたじろぐような激しいパッションに打たれた。しかし、彼はけたはずれの才能に見合う評価を受けておらず、聴衆の数も少ない。ぼくは命がけで久成君の応援をすることに決めた。…埋もれている才能を世に出す。それこそが批評家の仕事だろう!!!
 私も彼の音楽評論が好きで、よく読んでいました。良いものは良い、駄目なものは駄目、己の耳のみを信じ、素晴らしい演奏は絶賛し、悪い演奏は一刀両断に切り捨てる。その快刀乱麻の評論は、いま読み返しても新鮮です。例えば『新版・クラシックの名曲・名盤』(講談社現代新書)の中で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調「テンペスト」についてこう評されています。
 CDはハイドシェックが1989年に宇和島で弾いた奇蹟的なライブ録音一枚あれば他は要らない(オーバーシーズ TECC28036)。演奏については姉妹著『名演奏のクラシック』に詳述したのでくりかえさないが、《鬼気迫る凄演》とはこのことであろう。彼はここで人間業を超えている。だから僕自身も「ハイドシェック盤を聴いて、まだテンペストをプログラムに加えようとするピアニストがいたら、その人の顔を見たい」などという脱線を書いてしまったのである。(p.132~3)
 これを読んでハイドシェックのCDをすぐに購入して聴きましたが、宇野氏の評に違わぬ名演奏でした。その彼が命がけで応援したヴァイオリニスト、これはぜひ聴いてみたいものです。

 5月末日、佐藤久成が宇野功芳に捧げたコンサート「宇野功芳メモリアル」を聴きに、サントリーホールに行ってきました。コンサートの愉しみのひとつに、会場の近くで美味しい食事をとることがあります。インターネットで調べた結果、今回はアークヒルズにある海鮮丼の店「つじ半」で「ぜいたく丼」をいただくことにしました。早めに職場を出てお店で山ノ神と待ち合わせ、さっそく「ぜいたく丼」を注文。ご飯の上にうず高く盛られたまぐろの中落ち、いくら、カニなどの海鮮をくずしながら混ぜ合わせ、一気にかきこむと胃の腑は「美味い美味い」と大騒ぎ。最後に鯛の出汁でお茶漬けにして、別皿の鯛の刺身とともに食べられるのも格別でした。ここはサントリーホールで音楽会を聴くときのご用達になりそうですね。
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c0051620_181699.jpg そしてサントリーホールへ、佐藤久成(ヴァイオリン)、岡田将(ピアノ)によるソロ・コンサートの開幕です。演奏された曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、シューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番、ラフマニノフの「ジプシー・ダンス」、モーツァルトの「ロンド」、プロコフィエフの「マーチ」、ヴィエニアフスキの「華麗なるポロネーズ第1番」、ラヴェルの「ツィガーヌ」。アンコールはボームの「カヴァティーナ」、ゴセックの「ガヴォット」、リースの「常動曲」でした。あまり有名ではない作曲家や曲が多いのは、西洋音楽の分厚い伝統の中から彼が丹念に探した結果だそうです。
 ヴァイオリンの魅力を心ゆくまで堪能できた、素晴らしい演奏会でした。全身全霊を込めて音楽を歌いあげる佐藤久成氏、それを見事なテクニックで支える岡田将氏。その滾るような思いが外連味あるオーバーアクションとなって溢れだすのも良いですね。新聞のインタビューで「音楽はネガティブなものではいけない。悲しい曲であろうとも、ポジティブでないと。ヴァイオリン一本で、観客に元気と勇気、エネルギーを与えるのが、ぼくらの仕事なんです」と語っていましたが、はい、その全てを拝受いたしました。また聴きにきたいな。一層のご活躍と正当な評価を祈念しております。
by sabasaba13 | 2018-06-25 07:18 | 音楽 | Comments(0)

「メモリアル・アルバム 1955-2014」

c0051620_10271012.jpg 入江宏というピアニストをご存知ですか。先日『週刊金曜日』のCD評で教示していただき、はじめて知りました。内科医として病院勤務の多忙な日々を送りつつ、東京や横浜などのジャズ・スポットで週末に数セットのライブ演奏をしたジャズ・ピアニスト。しかし円熟期に病となり、長い闘病生活を経て、2014年3月に逝去されました。享年58歳。彼の素敵なピアノ演奏をおさめたアルバム「メモリアル・アルバム 1955-2014」が発売されているとのこと、さっそく購入しました。
 まずジャケットが良いですね。地味な色合いの無地に、眼鏡と髭のみのイラストで描かれたシンプルで愛らしい似顔絵が中央に小さく置かれています。彼の人となりや演奏が彷彿としてくるようです。CD二枚組で、一枚目はソロ・ピアノ。家人にも知らせずに自宅でひそかに録音していたものが、死後偶然に見つかったもの。二枚目は彼がピアニスト、キーボード奏者としてジョージ大塚・山口真文・ミロスラフ・ヴィトゥス・神崎ひさあきらと共演したレコーディング・セッション。
 一曲目の「ラストナイト・ホエン・ウィー・ワー・ヤング」から、彼の世界に惹きこまれました。シャイな男性が、はにかみながら、思いのたけを言葉を選びながら愛する女性に告げるような演奏です。ほんとうに一音一音を大切にした暖かいピアノです。心や体の隙間や溝にたまった俗塵がきれいに洗い流されるようです。最近は、仕事に疲れて帰宅すると、まずこのCDを聴くようになりました。二枚目のセッションもわるくはないのですが、やはり一枚目のソロ・ピアノが出色の出来ですね。

 ご子息のブログで、入江宏氏の友人が書かれたライナーノーツが紹介されていました。引用します。
 自分より若い世代の医師たちが、検査データの数値が表示されたPC画面ばかりを見ていて患者の顔も見ず、聴診も触診も行わなくなっていることを、入江が嘆息まじりに口にするのを聞いたことがある。人間に対する、生に対する敬意と配慮は、医師・入江宏と音楽家・入江宏に共通する姿勢だった。そして、硬直した制度や組織、強ばった精神は入江宏が最も嫌うところだった。
 "生に対する敬意と配慮"、彼の素晴らしい音楽を理解するポイントはここにありそうですね。
by sabasaba13 | 2018-04-25 06:27 | 音楽 | Comments(0)

セシル・マクロリン・サルヴァント頌

 『週刊金曜日』のCD評で、セシル・マクロリン・サルヴァントという若きジャズ・ボーカリストの存在を知りました。さっそく紹介されていた、グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に選ばれたアルバム「ドリームス・アンド・ダガーズ」を購入して聴きましたが、これがなかなかいける。近々来日して、「ブルーノート東京」でライヴを開くとのこと、ぜひ聴いてみたいですね。そういえば、最後にジャズの生演奏を聴いたのは、大学生のときに新宿の「ピットイン」以来です。最近合唱にはまっている山ノ神を誘ったら快諾、ジャズ・ボーカルにも興味があるようです。チケットぴあでチケットを購入したところ、お店に電話を入れて整理番号を得るとのことでした。連絡をしたところ、開演一時間前に来店して整理番号順に席を選べるとのことです。なるほど。でも一時間も店の中でぼーっとしているのもなんですし、近くに面白い場所はないでしょうか。インターネットで所在地を調べてみると、ぬぅわんと、すぐ隣が根津美術館、歩いて行ける距離位に青山霊園があります。時は3月24日、例年より早く東京では桜が満開になりつつあります。青山霊園で桜並木を愛で歴史上の人物のお墓を掃苔し、「ブルーノート東京」に行って席をおさえ、桜に期待して根津美術館のお庭を徘徊し、店に戻ってサルヴァントのライヴを聴く。おお、巨大な連関が音を立ててつながった。がしゃん。

 当日、すこし早めに家を出ようとすると、「きゃージャズ・クラブなんて初めて、何着ていこうかしら何着ていこうかしら」とはしゃぐ山ノ神。お召し物の選択に時間をとられ、出立の時刻が大幅に遅れてしまいました。せんかたない。掃苔は後日にゆっくりすることにして、まずは青山霊園の見事な桜並木を遊歩。その途中で小村寿太郎と川上操六のお墓を偶然見つけることができました。
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 そして十分ほど歩いて「ブルーノート東京」へ、地下へ降りる階段のあたりに所狭しと貼ってあるジャズメンの写真に血沸き肉躍ります。
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 フロントで整理券をもらって順番を待ち、さらに地下へ降りると意外に広い空間でした。さてどこに座ればよいか、係の方にお薦めの席を訊ねると、やはりステージ近くで歌い手を間近に見られる席がよいでしょうと案内してくれました。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(『徒然草』第52段)ですね。開演まで退席すると係の方に告げて再入場券をもらい、すぐ近くにある根津美術館に行きました。隈研吾の設計による竹を使った印象的なエントランスを抜けて、館内へ。「香合百花繚乱」という企画展が開催されていましたが、時間がないので庭園だけ見ることにしました。起伏のある池泉回遊庭園で、都心とは思えないほどの静寂な雰囲気に満ち満ちています。残念ながら桜は少なかったのですが、心洗うような緑、爽やかな潺の音、鳥の声と風の音を楽しみました。
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 開演直前に「ブルーノート東京」に戻って席に着き、ジャマイカン・ジャークチキン、パスタ、シーザーサラダ、ビールを注文。不味くはないのですが、いかんせん値段が高い。次は、食事は違うところでいただいて、飲み物だけ注文することにしましょう。各テーブルには著名なジャズマンのプレートがありますが、われわれのテーブルにあったのはゲイリー・バートン。こいつは春から縁起がいいわい、私の大好きなヴィブラフォン奏者、チューリヒでライブ録音された「チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート」は愛聴盤です。用を足しにトイレに行くと、男女表示は音符。でもなぜ男性が四分音符で女性が八分音符なのでしょう? 女性は半人前ということですかい。
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 席に戻ってビールを飲みながらパスタを食していると、伴奏のアーロン・ディール(p)・ポール・シキヴィー(b)・カイル・プール(ds)を従えて、セシル・マクロリン・サルヴァント(vo)の登場です。ハイチ人の父とフランス人の母のもと、米国フロリダ州マイアミで誕生。5歳でピアノを始め、21歳の時に「セロニアス・モンク・コンペティション」のヴォーカル部門で優勝。2015年リリースの『フォー・ワン・トゥ・ラヴ』はグラミー賞の最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に輝いた気鋭のヴォーカリストです。貫頭衣のようなシンプルなワンピースとサンダル履き、リラックスした雰囲気ですが、その恰幅の良さには驚きました。大学生の時にオーケストラの先輩が「腹も楽器のうち」とよく言っていましたが、なるほど、声がよく響きそうです。
 そして歌が始まりましたが、一曲目から♪身も心も♪惹きこまれてしまいました。素晴らしい… 艶やかで張りのある声、伸びる高音と響く低音、気持ちのこもった節まわし。これぞジャズ・ボーカルという醍醐味を堪能しました。それに加えてバックをつとめるピアノ・トリオがお見事、サルヴァントの歌声を際立たせようと、隅々まで神経を使った繊細な演奏でした。なかでもカイル・プールのドラムがいいですね。ブラシやリム・ショットなどの多彩な小技を駆使したり、スティックを持つ位置を変えたりマレットを使ったりして、単調になりがちな太鼓の音に彩りを添えています。
 ニュー・アルバムを中心とした選曲で、スタンダード・ナンバーが少なかったのがすこし残念でしたが、十二分に楽しめました。アンコールで歌ってくれたのは、ア・カペラによるショパンの「別れの歌」。涙がにじむくらいに胸を打たれました。
 山ノ神もご満悦の様子。♪When you're smilin' The whole world smiles with you♪ 彼女の歌を、そしてジャズの生演奏を、また聴きに来るぞと、♪俺の闘志がまた燃える♪のでした。
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by sabasaba13 | 2018-04-23 08:11 | 音楽 | Comments(0)

ヴェルディの「レクイエム」

c0051620_214156100.jpg 最近、合唱にはまっている山ノ神。武蔵野合唱団に所属している知人からチケットを二枚購入したということで、第50回定期演奏会に誘われました。曲目はヴェルディの『レクイエム』、指揮は小林研一郎、管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団、独唱は森麻季(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、西村悟(テノール)、妻屋秀和(バス)、合唱は武蔵野合唱団。これはなかなか良さそう、ようがす、聴きに行きましょう。

 会場はサントリーホール、私は仕事があるので、各自で夕食をとって座席で落ち合うことにしました。そういえば、ホールの前にあるアーク森ビルの三階に「米楽(こめらく)」という和食のお店があり、宇和島名物の鯛めしを食べた記憶があります。よろしい、仕事を早く終わらせて鯛めしをいただきましょう。んが、好事魔多し、急の仕事が山のように舞い込んできててんてこ舞い。結局、ホールに着いたのは開演10分前、夕食を食べることができませんでした。ホールに入ると、山ノ神は余裕の吉田拓郎で、座席に鎮座されています。

 いただいたパンフレットを読みながら開演を待ちました。ヴェルディが作曲家として世に出たのは1842年初演の「ナブッコ」でしたが、これは劇中の合唱曲「行け、我が想いよ」が観客の心をとらえたことがきっかけでした。それまでソリストの美しいアリアの添え物的存在だった合唱が、ヴェルディによってストーリーを引き立てる存在にまで昇華されたのですね。この「レクイエム」は、彼が心酔していた文豪マンゾーニの一周忌のために作曲されたもので、ヴェルディが数々のオペラ曲の中で磨き上げた合唱技術の粋を集めた渾身の力作。これは楽しみです。

 そして合唱団やオーケストラのみなさん、独唱者の方々がステージに登場、最後に指揮者の小林研一郎氏が姿を現しましたが、突然マイクをもって話し始めました。なんと、バスの妻屋秀和氏が練習中に突然声が出なくなり、急遽、青山貴氏が代役として歌うとのことです。そういえば、ジャケットにジーンズというラフな服装でした。それにしても突然依頼されて、よく即座に歌えるものですね、さすがはプロフェッショナル。

 静かに語るように歌われる「レクイエムとキリエ」で曲は始まります。人間の声って、これほどまでもささくれだった心を癒してくれるのですね。そして最後の審判の情景を描く「ディエス・イレ(怒りの日)」の力強さと荒々しさに圧倒され、心が覚醒していきますが、これも声の力。この後も、独唱、二重唱・三重唱・四重合・ソリストと合唱のかけあいなど、さまざまなバリエーションで声のもつ魅力が紡がれていきます。武蔵野合唱団も、この曲が歌える喜びを満身に込めた素晴らしい音楽を聴かせてくれました。男性陣が少ないため、やや低音の弱さを感じましたが大きな瑕疵ではありません。小林研一郎氏も、「その声を聴衆の心に届けるんだ」と言わんばかりの情熱的な指揮で、武蔵野合唱団の意気を引き出してくれました。合唱っていいものですね、山ノ神がはまる気持ちが分かります。
by sabasaba13 | 2018-04-07 08:18 | 音楽 | Comments(0)