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大谷康子

c0051620_2201830.jpg 山ノ神が足繁くかよっているマッサージ師さんから、大谷康子というヴァイオリニストが近所に住んでいるという情報を入手してきました。へえー、それはいつか聴いてみたいものだと思っていたら、某コンサートでもらったチラシで、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏することを知りました。垣内悠希指揮の東京ニューシティ管弦楽団で、他の曲目はシベリウスのカレリア組曲と交響曲第1番。いわゆる「国民楽派」がコンセプトですね。ホールも池袋にある東京芸術劇場で我が家の近場だし、山ノ神を誘って聴きにいくことにしました。
 まずはカレリア組曲、以前に拙ブログにも書きましたが、私にとって大切な思い出の曲です。やや迫力が足りないかなと思いましたが、溌剌とした清新な演奏には満足。
 そして大谷康子氏が颯爽と登場。ポルタメントを多用して情熱的に歌うヴァイオリンには聴き惚れてしまいました。常に指揮者とオーケストラとのコンタクトをとって音楽をリードする姉御肌の風格も魅力的でした。次はベートーヴェンとシベリウスのヴァイオリン協奏曲をぜひ聴いてみたいものです。贔屓にさせていただきます。なお文化祭の仮装のようなチープっぽいドレスはいかがなものかと思いましたが、ま、余計なお世話ですね。
 そして15分休憩の後、いよいよシベリウスの交響曲第1番です。頻繁に演奏される第2番(業界用語で言う「しべに」)ではなく、第1番を選んだところに、オーケストラの志と自身を感じます。おうよ、私も第2番だけがどうしてもてはやされるのか理解に苦しみます。もちろん悪い曲ではないのですが、第1・5・6番のほうがずっと素敵なのに。
 さあ始まりです。冒頭、北欧の寂寞とした自然を思わせる清澄で美しい音にいきなり引き込まれました。ダイナミックな第1楽章、穏やかでメロディアスな第2楽章、律動的でロマンティックな第3楽章、そして情熱的な第4楽章はピチカートの静かな和音で終わります。垣内氏の真面目で律儀な指揮ぶりは、作曲者への敬意と愛情にあふれたものでした。曲の最後は弱音で静かに終わるのですが、響きが残っているのに「ブラボー」と叫ぶ不粋な客もおらず、余韻が消えた後のしじままで楽しむことができました。これは稀有なる体験です。
 満足感とともにホールを出ようとすると、出口のところでオーケストラのメンバーがお見送りをしてくれました。初々しくて良いですね。

 それでは夕食をいただいて帰宅することにしましょう。ホールや映画館に行く楽しみの一つは、その付近の店で美味しいものにありつけることです。渋谷アップリンクと「ヴィロン」のパン、ポレポレ東中野と「十番」のタンメン、オペラシティと「つな八」のてんぷら、浜離宮朝日ホールと「磯野屋」の寿司、新国立劇場と「はげ天」のてんぷら、東京文化会館と「池之端藪」の蕎麦、津田ホールと「ユーハイム」の洋食、岩波ホールと「揚子江菜館」の上海式肉焼そば・「スヰート・ポーズ」の餃子、新宿と「中村屋」などなどなど。東京芸術劇場と言えば、そう、「鼎泰豊」の小籠包です。東武デパートにある「鼎泰豊」に寄ったところ、幸い席が空いていました。さっそく小籠包とカニチャーハンを所望。もちもちとした皮と、美味なる餡と、ジューシーな肉汁のトリニティを楽しみながら、山ノ神と音楽談義に花を咲かせました。人生もそう捨てたものではありません。
by sabasaba13 | 2019-12-14 07:27 | 音楽 | Comments(0)

武久源造頌

c0051620_22357100.jpg 東京の上野に奏楽堂という古い音楽ホールがあります。東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の校舎として、1890(明治23)年に建てられたもので、2階の音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。現在は台東区が譲り受け、一般公開され、また演奏会も開かれています。いつの日にか、このホールで音楽を聴いてみたいものだと常々思っておりました。なお設計は文部技官の山口半六と久留正道、山口は第五高等中学校本館(現・熊本大学五高記念館)も設計していますね。

 先日あるコンサートでもらったチラシを客席で見ていると、奏楽堂でJ.S.バッハの「適正率クラヴィーア曲集」の演奏会が開かれることを知りました。ん? 平均率ではなくて適正率? 原題の"wohltemperierte"とは、鍵盤楽器があらゆる調で演奏可能となるよう「良く調整された(well-tempered)」という意味なので、たしかにその方がより正確です。演奏者のこだわりなのでしょう、ちなみに武久源造氏というピアニストです。はじめて聞く名前ですが、どのような方なのでしょう。チラシに解説はなく、裏は白紙といく素っ気なさ。ま、目的はあくまでも奏楽堂で演奏会を聴くこと、バッハの名作だし、そこそこに弾いてくれればそれなりに楽しめるでしょう。最近、ピアノの練習に余念がない山ノ神を誘い、チケットを二枚購入しました。
 演奏会の前日、すこし気になったのでインターネットで、武久源造氏について調べてみました。すると、盲目のピアニストであることを知り驚きました。さらに鍵盤楽器についても造詣が深く、今回の演奏会で弾く楽器は、ジルバーマンという楽器製作者がつくったピアノの原型(ジルバーマン・ピアノ)のレプリカだそうです。どんな音がするのだろう、にわかに楽しみになってきました。チラシを読み直すと、小さな字で18:30からプレトークがあると記されていました。よろしい、自由席だし、すこし早めに行くことにしましょう。
 山ノ神と連れ立って奏楽堂に着いたのが18:15ごろ。ライトアップされた奏楽堂を撮影して、受付へ。係の方が「プログラムはありません」と連呼していたのが印象的でした。もしかするとその場で決めるということなのかしらん。そして二階のホールへ、定員310名のこじんまりとしたもので、そこはかとない暖かみを感じます。舞台正面に設置されているのが日本最古のパイプオルガンですね。鍵盤が見える左側の席をとって、武久氏が登場するのを待ちました。
 午後六時半、前を歩く女性の肩に手をかけて氏が舞台に姿を現わし、プレトークが始まりました。話題の中心は、バッハとピアノとの関係。いわゆるヴァイマル時代の1717年、バッハはドレスデンで、フランスの高名な宮廷礼拝堂オルガニストのルイ・マルシャンとクラヴィーアの弾き比べを行うことになっていました。ところがマルシャンが試合放棄して、バッハの不戦勝となります。実はこの時、ドレスデンにゴットフリート・ジルバーマンが滞在しており、彼が製作したピアノを弾いたバッハがアドバイスをしたという記録があるそうです。氏は、バッハはジルバーマンのピアノを気に入り、適正率クラヴィーア曲集第2巻はピアノのために書かれたと推測されています。
 また楽器の調整にもこだわる武久氏、舞台にあるジルバーマンピアノ(深町研太氏作)のハンマーにつける鹿の皮の違いで音色がまったく変わるそうです。エゾシカ、奈良の鹿(!)、外国の鹿といろいろ試されたとか。ときどき唐突に呵々大笑しながら、バッハについて、楽器について、そして音楽について楽しそうに話す氏の姿が心に残りました。
 なお「PTNA ピアノを弾く!聴く!学ぶ!」というブログに、氏による、バッハとピアノに関する詳しい話が掲載されています。

 五分間の休憩のあと、いよいよ演奏が始まりました。冒頭は第1巻の第15番。そのテンポの速さに思わず息を呑みました。しかも各声部をきっちりと弾き分けています。疾風怒濤のバッハ、凄い… 続いて、有名な第1巻の第1番では、ジルバーマンのまろやかで優しい音色を存分に楽しめました。微妙に揺れ動くテンポ、即興で入れる装飾にも心ときめきました。ああ、バッハをこんなに自由に弾いていいんだ。
 二曲弾いた後に、有益かつユニークなコメントが入るのですが、これは嬉しい。次は第1巻の第2番と第2巻の第1番。なお後者は、無人惑星探査機ボイジャーに搭載されたゴールデンレコード「地球の音」に選ばれた名作だそうです。
 そして第1巻の第4番はプレリュードなしでフーガのみ。「午後八時半には撤収しないといけないので」と楽屋話をされていました。前半の最後は第1巻の第5番、プレリュードはガヤガヤ、フーガは王の行進とコメントされました。楽しいバッハと、堂々としたバッハですね。なおフーガではチェンバロ・レジスターを使用して、音色をチェンバロに近づけたとおっしゃっていました。
 ここで十五分間の休憩。外に出て紫煙をくゆらしながら、ほてった身と心を夜風で冷やしました。何て素晴らしい演奏、後半も楽しみです。
 後半は何と、第1巻の第20番のプレリュードと第2巻の第20番のフーガという組み合わせです。そんなことをしていいのか。いいみたいですね、音楽として素晴らしければ。なお第2巻は、チェンバロよりもピアノが合うとコメントされました。
 続いて第1巻の第21番と第2巻の第22番。後者は悲痛な曲で、バッハは投獄されたことがあるのですが、牢獄の中で作ったのではとのコメント。
 第2巻の第23番は楽しいおしゃべり、そして最後となる第1巻の第24番は氏曰く「どはずれた曲」。なおこの曲には金南里氏のオイリュトミーが加わりました。オイリュトミー(Eurythmy)とは、オーストリアの神秘思想家・教育家であるルドルフ・シュタイナーによって考案された舞踊のことだそうです。
 そしてアンコールは、左手が叩き出す強烈なシンコペーションに乗って右手がスインギーなフレーズを奏でるノリのいい曲です。ニコライ・カプースチンの曲かと思ったら、なんと即興演奏でした。凄い…

 なおいただいた解説に、武久氏による興味深い考察が記されていたので後学のために転記します。
 さらに演奏面について言うなら、基本的に私は18世紀の常識に従って演奏しようと試みている。例えばそれは、演奏者による即興的な装飾法の実践である。そこにはフェルマータの装飾法も含まれる。フェルマータは、単に音楽の動きを止めるだけではなく、「良き趣味」によって、そこに何らかの装飾音型を適宜自由に挿入することができたのである。音符の外的な価値と内的な価値の区別もまた、大きな問題である。一般的に、18世紀の音楽家たちが重んじたこと、それは、およそ外的には同じ8分音符であっても内的にはその音価は異なるということであった。つまり、その音符が置かれた場所によって、また、曲の性格や表現される情緒によって、その長さは柔軟に変化させられねばならなかったのである。こうして各声部を自由に歌わせ、個々の音符の長さを柔軟に変化させると、その結果として、当然、各々の声部間にずれが生じ、縦の線は必ずしもそろわないということになる。特にバッハの対位法では、各声部の独立性と自由度が、他に抜きんでて高い。我々はこの自由度を可能な限り生かした演奏を心がけなければならないであろう。これによって生じる声部間の微妙で際どいずれこそは、18世紀において、高度な演奏の証とみなされていたのである。
 というわけで、素晴らしいピアニストにめぐり合わせてくれて音楽の神様、ありがとう。高度な技術と分析に裏打ちされた、笑うバッハ、泣くバッハ、瞑想するバッハ、疾駆するバッハ、ほんとうに素敵な演奏でした。

 本日の二枚です。
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 なおバッハに所縁のあるドレスデン市が、極右の台頭を懸念して「ナチス非常事態」を宣言したそうです。詳しくはヤフーニュースをご覧ください。
by sabasaba13 | 2019-11-06 06:22 | 音楽 | Comments(0)

グレの歌

c0051620_192696.jpg 七年ほど前ですか、イタリアを旅行した帰りにウィーンに立ち寄ってアルノルト・シェーンベルク・センターを見学したことがありました。その時に、館内の映像で「グレの歌(Gurre Lieder)」を見て聴いて感銘を受け、いつか実演にふれてみたいものだと念願しておりました。実はその後、東京フィルハーモニー交響楽団が、東日本大震災で中止となった公演を「必ずこのメンバーで、もう1度やりましょう」という指揮者・尾高忠明の言葉を信じて復活させた演奏会がありました。いさんでチケットを購入したのはいいのですが、己の不徳のいたすところ、その日に大事な急の仕事がはいって聴くことができませんでした。地団駄、地団駄。
 ところが念ずれば花開く、ジョナサン・ノット指揮による東京交響楽団が「グレの歌」を演奏するという耳寄りな情報を得ました。さっそくチケットを購入、山ノ神とミューザ川崎シンフォニーホールに行ってきました。なおこちらは初めて訪れますので、どんなホールなのかも楽しみです。
 JR川崎駅から歩いてすぐのところにありますが、ホールに入って驚き桃の木山椒の木、ステージの四囲がすべて客席です。おまけにステージと客席が同じ平場にあり、その距離も目と鼻の近さです。これならタイガー・ジェット・シン(古いなあ)のように、ステージに乱入するのもわけありませんね。でも音の響きはどうなのでしょう。
 戯言はともかく、指揮はジョナサン・ノット、ヴァルデマールはトルステン・ケール(T)、トーヴェはドロテア・レシュマン(S)、山鳩はオッカ・フォン・デア・ダムラウ(MS)、農夫はアルベルト・ドーメン(Ba)、道化師クラウスはノルベルト・エルンスト(T)、語りはサー・トーマス・アレン、合唱は東響コーラス、合唱指揮は冨平恭平、管弦楽は東京交響楽団です。5人のソリスト、語り、合唱とオーケストラ、総勢約400人がステージ上にひきめきあう様は圧巻ですね。
 そして第1部のはじまりはじまり。中世デンマークの王ヴァルデマールは、侍従の娘トーヴェと恋に落ちていました。彼はグレの地の城に住むトーヴェのもとを訪れ、二人は愛の歓びを分かち合い、互いへの想いをそれぞれ歌います。しかしトーヴェは嫉妬に狂う王妃によって殺されてしまい、山鳩は彼女の死と、悲嘆する王の姿を痛ましく歌いあげます。
 ロマンティックかつ迫力にあふれた演奏に心を揺さぶられましたが、ホールの柔らかい残響にも驚きました。ここで休憩が入りますが、後半も楽しみです。
 第2部は、恋人トーヴェを失ったヴァルデマール王が神を呪う悲痛な歌。五分ほどで終わります。そして第3部、神を呪った罰としてヴァルデマール王は命を落とし、亡霊となって、最後の審判の日までグレの地をさまようことになります。そして家来たちの亡霊とともに、夜ごと空を駆け回り、狩りが繰り広げられます。その光景に怯え困惑する農夫と道化師。そして審判の日、ヴァルデマール王は彼女への想いを力強い口調で訴えます。その後、夜が明けると家来たちの亡霊は墓場へと戻っていき、その代わりに力強い「夏の風」が新たな狩りの一行として到来します。輝く夏の太陽の中で、大地は草花や生き物で満たされ、新たな生命を与えられ、作品は閉じられます。
 後半も圧倒的な迫力と豊かな響きに酔いしれたのですが、何といっても掉尾を飾る混声八部合唱による太陽への賛歌には、身も心もとろけるような感銘を受けました。日々の雑事で心身に溜まりに溜まった汚れや埃や滓がきれいに洗い流され、まるで己が浄化されて生まれ変わったような清新な気分になりました。また機会があったら(なさそうですが)、ぜひもう一度聴きたい曲です。

 追記です。「ウィキペディア」に、このホールの響きについての紹介があったので引用します。
 音楽ホールの音響の良さは折り紙つきで、海外の大物音楽家は来日の度にその豊かで癖の無い柔らかな残響を絶賛している。開館初年度にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と来日し、その後も再来日している指揮者サイモン・ラトルは、公演直後に「(カラヤンがサントリーホールについて述べたところの)正に音の宝石箱」「世界屈指の音響を誇る名ホール」「このような素晴らしい会場を持つあなた方は大変幸せです」「このホールの響きは素晴らしく、ベルリンに持って帰りたい」とホールの感想を述べている。ミューザをフランチャイズとしている東京交響楽団音楽監督ユベール・スダーンも、「海外のアーティストたちは日本に来た時に必ず『このホールが自分の国にあったらいいのに』と言いますよ」と語っている。 内部の独特な形状に聴衆の賛否両論はあるものの、座席位置による音響にさほど違いが無く、ホールの容積に対して客席と舞台の距離が大変短いこと、また左右非対称の壁面が特殊な反響板として機能していることが、そのような音響を生む所以となっている。

by sabasaba13 | 2019-11-05 06:22 | 音楽 | Comments(0)

カルミナ・ブラーナ

c0051620_19215458.jpg 武蔵野合唱団に入っている知人からチケットを購入した山ノ神に誘われて、同合唱団の定期演奏会を聞きに行ってきました。曲目はチャイコフスキーの序曲「1812年」とオルフの「カルミナ・ブラーナ」、とくに後者は難曲にして名曲、これは楽しみです。
 まずは公式サイトから、同合唱団の紹介を引用しましょう。
 1955年に武蔵野市緑町の市民サークルとして誕生。1965年には小林研一郎氏を指揮者に迎え、現在まで指導を受ける。これまでに小林研一郎氏、山田一雄氏、本名徹次氏、下野竜也氏、山田和樹氏、松井慶太氏等を指揮者に招き国内外のオーケストラと共演。定期演奏会に加え、地方演奏旅行、依頼演奏会への出演など活動は多岐に渡る。  これまでに4回のハンガリー演奏旅行、ハンガリー国立フィルやスイス・ロマンド管弦楽団を迎えて数多くの国内演奏会を開催。一流音楽家との質の高い演奏を目指しつつ、国際文化交流への取り組み、自主独立の運営によるアマチュア音楽文化の発信を活動の柱とする。2020年には第5回となるハンガリー演奏旅行を開催予定。団員、随時募集中。
 かなりレベルの高い合唱団のようですね、これは楽しみです。

 会場は池袋にある東京芸術劇場、指揮は小林研一郎、管弦楽は読売日本交響楽団、ソプラノは澤江衣里、テノールは高橋淳、バリトンは大沼徹、児童合唱はフレーベル少年合唱団です。ステージに現れた合唱団を見ると、男性の数が女性のほぼ半分ほどでした。やはり合唱に取り組み男性の絶対数が少ないということなのでしょうか。
 そして指揮者・小林研一郎が颯爽と登場、序曲「1812年」が始まりました。ナポレオンの侵略をしりぞけたロシアの「祖国戦争」を音楽で描いた作品ですが、合唱が付いたバージョンははじめて聴きます。ロシア正教の聖歌「神よ汝の民を救い」が歌われましたが、厳粛な雰囲気をかもしだす合唱でした。そして管楽器群が咆哮するクライマックスを迎え、最後は合唱によるロシア帝国国家でしめくくられました。さすがはコバケン、気合いの入った熱演でした。
 そして休憩をはさんで、いよいよ「カルミナ・ブラーナ」です。1803年、ドイツのバイエルン州にある「ボイレン修道院」で、11世紀ごろに書かれた歌や詩が大量に発見されました。当時の人々の赤裸々な心情が書き綴られており、「カルミナ・ブラーナ(ボイレンの歌集)」と題されます。この歌詩集の中から、カール・オルフが24編を選びカンタータ形式の大作として作り上げたのがこの曲です。豊富な打楽器群と色彩豊かな大編成オーケストラ、亜親しみやすい旋律、強烈なリズム、中世の人々の暮らしや恋、楽しいことや悲しいこと、酒のことやお笑いなどを唄った歌詞、たいへん魅力的な作品です。さあお手並み拝見。
 冒頭の有名な「おお、運命の女神よ」の力強い合唱で、いきなり音楽にひきずりこまれました。音量、音程、バランス、そしてなによりも感情表現、申し分ありません。数の少ない男性陣もよく頑張っていました。驚いたことには、みなさん楽譜を手に持っておられません。この長大な曲を完璧に暗譜しているのですね。この曲を歌いたいというみなさんの熱い思いがびしびしと伝わってきました。小林研一郎の指揮、読響の演奏も含めて、良い演奏でした。
 なお丸焼きにされる白鳥を歌ったテノール高橋淳のコミカルな演技は絶品。笑いをかみ殺すのに一苦労しました。

 というわけで、武蔵野合唱団、いいですね。アマチュアでこれほどの合唱が歌えるとは、日々の研鑽と努力がしのばれます。そしてさまざまな苦労もあるでしょうが、仲間と心を一つにして歌うことの素晴らしさを感じ、羨ましくなりました。これからも応援していきたいと思います。
by sabasaba13 | 2019-11-04 07:28 | 音楽 | Comments(0)

前橋汀子のバッハ無伴奏

c0051620_21175411.jpg J・S・バッハが大好きです。「平均律クラヴィーア曲集」「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータ」「無伴奏チェロ組曲」「音楽の捧げ物」などなど、バッハの曲をかけると部屋の雰囲気が一変し、心の琴線が調律されていくような心地よさを感じます。名著『西洋音楽史』(中公新書1816)の中で、バッハの本当の凄さは作曲家でないと理解できないと岡田暁生氏は言われています。それでも、へたくそではありますが無伴奏チェロ組曲を弾いている時の心地よさは、私のような門外漢でも実感できます。
 なかでも「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータ」は実演でぜひ聴いてみたいものだと常々思っておりましたが、なかなかその機会がありませんでした。しかし念ずれば花開く、前橋汀子氏による全曲演奏会があるという情報を入手。ただイタリア旅行から帰国した日の翌日、しかも場所は横浜のみなとみらい大ホール。ジェット・ラグで寝てしまいそうだなあ。逡巡しましたが、せっかくの機会なので、山ノ神を誘って聴きに行くことにしました。

 調べてみると、練馬から有楽町線-副都心線-東横線を経由して直通の列車がありました。約50分でみなとみらい駅に到着、ここから歩いて数分でホールに着きました。これは便利。まずはパンフレットから、「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタとパルティータ」についての解説を転記します。
 1717年、それまでヴァイマル公国の楽師長を勤めていたバッハはケーテンに移り、アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長に就任、レオポルト候に仕えた。レオポルトは1710年から長期にわたった欧州旅行に出かけた際、オランダのデン・ハーグでは4か月弱の滞在中に12ものオペラを鑑賞し、ローマでは当時イタリア留学中であったドイツ人の音楽家ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェンを雇い観光の案内をさせ、旅行から帰ったかと思えば早速宮廷楽団を設立する等、大変な音楽愛好家として知られており、その主君に仕えた「ケーテン時代」のバッハは、主に教会カンタータといった宗教曲を作曲した「ライプツィヒ時代」とは違い、ブランデンブルク協奏曲、平均律クラヴィーア曲集第1巻、管弦楽組曲といった純器楽による傑作を次々と生み出した。無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータもこの頃に作曲されており、重音奏法を限界まで駆使することによりヴァイオリン1本にも関わらずバッハらしい対位法が実現され、音楽的にも技巧的にも極めて高度な作品集として今日まで知られている。
 3曲のソナタはすべて緩-急-緩-急の4楽章形式をとっており、第2楽章はどれも長大なフーガを置いているのが最大の特徴である。パルティータは主にフランスの舞曲を中心に作曲されているが、もちろん踊るための音楽ではなく、完全な純音楽として確立している。
 このケーテン時代はバッハにとっても、彼の家族にとっても幸せで充実した時期だったようです。『バッハの思い出』(山下肇訳 潮文庫)の中で、アンナ・マグダレーナ・バッハがこう語っています。
 それからやがて夕日を浴びながら家路につき、疲れた子供たちを寝かしつけてしまうと、もうわたくし自身もへとへとになって、安らかな気持でセバスティアンの傍らに腰をおろし、彼と手を組み合わせ、頭を彼の肩にのせて休むのでした。これこそ、神さまがケーテンの私たちに贈って下さったこのうえない幸福の日々なのでございました。(p.91)
 そして前橋汀子氏が舞台に登場、艶やかなその姿には思わず見惚れてしまいました。なおプログラムですが、前半はソナタ第1番、パルティータ第1番、ソナタ第3番。二十分間の休憩をはさんで後半はソナタ第2番、パルティータ第3番、パルティータ第2番という構成です。
 ソナタ第1番の厳かなアダージョが鳴り響くと、もうバッハと前橋氏の織り成す小宇宙に引き込まれてしまいました。分厚い低音、華やかな高音、主題を浮かび上がらせる技巧と解釈、劇的なダイナミクスの変化、素晴らしい。私事ですが、今、チェロのレッスンで重音の練習に取り組んでいます。これが実に難しい。二本の弦をかすれずにしっかりと弾きながら、主旋律を際立たせなければなりません。弓の角度と力の入れ具合を完璧に決めないと音楽にならないのですが、至難の技です。この重音を駆使してフーガをいとも自然に流れるように弾くのですから、プロの凄みを思い知りました。前半の演奏で圧巻だったのは、ソナタ第3番第2楽章のフーガです。解説には、4声部にわたるフーガで、ヴァイオリンによる多声音楽の究極とありましたが、ただただその壮大さに圧倒されました。
 ここで休憩。ときどき横を見て山ノ神が寝ていたら起こしてあげようと身構えていたのですが、食い入るように演奏に没入していました。もちろん私も同様でした。後半に入っても緊張感は途切れず、見事な演奏が続きます。そして私の大好きなパルティータ第2番、終曲のシャコンヌが始まると、「ああもうすぐ終わってしまうのか、やだな」という思いに包まれます。
 Brava! 一階最後列だったので後ろをはばかることなく二人でスタンディング・オベーションをしました。ああ、聴きに来てほんとうによかった。なお12月21日(土)にトッパンホールで、同じプログラムの演奏会が開かれます。もう一回聴きに行こうかな。

 せっかく横浜まで来たのですから、中華街で夕食をとりましょう。東横線で「元町・中華街」まで行き、中華街にあった「一楽」という中華料理店で飲茶セットをいただきました。前菜、春巻き、麻婆豆腐、肉まん、エビ餃子、焼売、ごはんのセットで1500円。いろいろな料理を少しずつ食べられてよろしゅうございました。素晴らしい音楽の話に花を咲かせて、美味しい料理に舌鼓を打つ。至福のひと時ですね。
by sabasaba13 | 2019-08-29 06:50 | 音楽 | Comments(0)

響きあうアジア2019ガラコンサート

c0051620_22211884.jpg 山ノ神がロハのチケットを知人からいただいたということで、「響きあうアジア2019ガラコンサート」を聴いてきました。なおガラコンサート(gala concert)とは、何かを記念して企画され、特別な催しとして行われる演奏会のことです。まずはチラシから紹介文を転記します。
 これまで国際交流基金アジアセンターが活動を支援してきた、ベトナム・タイ・フィリピン・インドネシア・ミャンマーの5か国8つのオーケストラから、選び抜かれた約80名の演奏家が来日。日本の演奏家を交え、多国籍オーケストラ「響きあうアジア2019交響楽団」を結成。指揮者に「炎のマエストロ」小林研一郎氏を迎え、熱気溢れるアジアの響きをお届けする特別コンサートです。
 国際交流基金アジアセンターは、2014年から「ASEANオーケストラ支援事業」を実施し、東南アジアのオーケストラの運営・演奏技術の向上を支援してきました。本コンサートはその集大成として、東南アジアと日本から、総勢約100名の演奏家が一堂に会し、共に音楽を紡ぎます。東南アジアと日本が互いに学びあい、響きあうことで生まれる、エネルギー溢れる音色をお楽しみ下さい。
 会場は池袋にある東京芸術劇場、ホールに入るとほぼ満席でした。いただいたプログラムを読んでみると、さまざまなご苦労があったようです。雨が残るような野外での公演、リハーサル初日に譜読みをしてこない団員、練習開始はほぼ数分遅れで遅刻者や欠席者もいる、などなど。でも磯部周平氏は優しく弁明されています。
 遅刻者もいますが、あの交通事情では無理もない、とも感じます。ただ驚くのは、欠席者がいること。オーケストラの給料は充分なものではなく、ほとんどのメンバーが、複数の仕事を兼業又は掛け持ちしているため…と聞きました。
 舞台にはたくさんの椅子が並べられていましたが、袖から登場したホーチミン市交響楽団、ベトナム国立交響楽団、王立バンコク交響楽団、フィリピン・フィルハーモニック管弦楽団、マニラ交響楽団、ジャカルタ・シティ・フィルハーモニック、ジャカルタ・シンフォニエッタ、ミャンマー国立交響楽団から選抜された総勢約100人の音楽家で埋め尽くされました。そして背後には、賛助出演する岩倉高校吹奏楽部のみなさんが並びます。もうこれだけでワクワクしますね。
 そしてマエストロ、小林研一郎氏が颯爽と登場。まずはヴェルディの歌劇「アイーダ」より"凱旋の行進曲"が演奏されました。舞台前面に立ち並んだ六人のトランぺッターが奏でるファンファーレに胸は高鳴り心は踊ります。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を弾いたソリストは瀬﨑明日香氏、難曲だけに弾くだけで精一杯という感じでした。シベリウスの交響詩「フィンランディア」は素晴らしい演奏でした。冒頭の押し潰されるような抑圧感、一転して飛翔するような勝利の凱歌、そしてフィンランドの風土を賞揚するような美しいメロディ、そして再び凱歌で締めくくられます。それぞれの曲調違いをよく表現していました。小林研一郎作曲の「パッサカリア」より"夏祭り"は、和太鼓をふくむ打楽器群が大活躍。その迫力と躍動感に圧倒されました。
 ここで休憩をはさみます。少々の音程の狂い、アインザッツやアンサンブルの乱れ、走り気味のテンポなどなんのその。異国の音楽仲間と一緒に音楽を紡げる幸福感に、私たちも酔い痴れました。
後半はベートーヴェンの「エグモント」序曲で始まり、フィナーレはチャイコフスキーの大序曲「1812年」です。大砲はどうするのかなと興味津々でしたが、さきほどの和太鼓が代役をつとめました。ちょっと迫力不足だったかな。
 万雷の拍手のなか、小林氏がペコリと頭を下げ「アンコールをしてもいいですか」と肉声で客席に告げたのには思わず笑いが起きました。そしてビゼーの歌劇「カルメン」ファランドールの熱狂的な演奏で幕を閉じました。ブラービ! 終了後、舞台の上で三々五々抱き合い握手をするメンバーの方々の姿が心に残りました。

 というわけで楽しい演奏会でした。言葉も文化も宗教も違う人びとが、音楽を通じて一つになる。あらためて音楽の素晴らしさに感じ入りました。選曲も良かったですね。"勝利"というのが一つのテーマだったと思いますが、参議院選挙を前に、激励してもらったような気がします。また機会があったら聴いてみたいオーケストラです。
by sabasaba13 | 2019-07-04 06:19 | 音楽 | Comments(0)

弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

c0051620_21593230.jpg まだ聴いたことがないクラシックの名曲が多々あります。ホルストの「惑星」は先日聴くことができましたが、他にはバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」「管弦楽のための協奏曲」、ラベルの「ボレロ」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ドビュッシーの「ダフニスとクロエ」、シェーンベルクの「グレの歌」、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」などなど五指に余ります。
 中でもバルトーク・ベラの曲には心惹かれます。その真摯さとストイックさ、血沸き肉躍る土俗的なリズム、民謡の研究から生まれた情感にあふれるメロディ、気楽に聴ける音楽ではありませんが、時に居住まいを正して無性に聴きたくなります。鈴木雅明氏の指揮による紀尾井ホール室内管弦楽団の第117回定期演奏会で、その「弦チェレ」が聴けるということで、心弾ませながら四谷の紀尾井ホールに行ってきました。バッハ・コレギウム・ジャパンの主宰者にして、J・S・バッハ演奏の第一人者、鈴木雅明氏が、この現代曲にどう演奏するのか、ほんとうに楽しみです。なお山ノ神は野暮用のため同伴できませんでした。
 利休鼠の雨が降る某土曜日、会場に着くと意外なことにほぼ満席。まずは紀尾井ホールをレジデント(本拠地)として演奏活動を行う二管編成の室内オーケストラ、紀尾井ホール室内管弦楽団舞台に登場しました。ソリスト・室内楽奏者として第一線で活躍している器楽奏者、主要オーケストラの首席奏者などで構成されているオケだそうです。そして鈴木氏が白髪をなびかせて颯爽と登場。一曲目はモーツァルトの交響曲第29番、嬉しいなあ私の大好きな曲です。溌剌、清新、歓喜、どう表現すればいいのでしょう、音楽をつくる喜びが詰まった名曲です。なおA・アインシュタインは「小ト短調交響曲(第25番)とイ長調交響曲(第29番)はひとつの奇跡である」と評したそうですが、宜なるかな。演奏も弾けるような小気味のいい、ダイナミクスの変化に富んだ素晴らしい演奏でした。
 そしてオケはいったん退場し、係の方が「弦チェレ」のためのセッティングを始めました。几帳面なバルトークは、楽器の配置まで細かく指示しているそうです。弦楽器群は二つに分けられて識者の左右に配置、中央にはピアノ・チェレスタ・ハープ、そして後方に打楽器群が配置されます。そのテキパキとした機敏な動きを見ているだけで、期待が高まってきました。そしてオケと指揮者が登場、静かに上がるタクト、楽器を構えるオケ、期待と緊張感はピークに達します。
 第1楽章 Andante tranquilloは変拍子の変則的なフーガ。まるで宇宙の誕生のように、ヴィオラの無調性の主題から静かに始まります。そしてマグマが徐々に沸騰するように、主題が重なり、音域が広がり、音量が大きくなり、ティンパニの打撃とともにクライマックスに達して、また静かに冷えていく。冷→熱→冷の変化の妙に、手に汗を握ってしまいました。
 第2楽章 Allegroは一転、躍動的でダンサブルな曲です。指揮者の左右に配置された二つの弦楽器群の掛け合いが何ともスリリング。ピアノや弦楽器によるバルトーク・ピチカートの打撃音に、アドレナリンがびしびしと分泌しました。
 第3楽章 Adagioはまた一転、新月の闇夜のように、身が凍てるような冷たく静かな音楽です。バルトークお得意の、いわゆる「夜の音楽」ですね。闇を引き裂く稲妻のようなシロフォンの打撃音がとても印象的です。
 第4楽章 Allegro moltoはまたまた一転、狂熱の坩堝と化します。挑み合うようにフレーズを交換する二つの弦楽器群、複雑な変拍子にエッジの効いたリズム、咆哮する打楽器、前に前に疾駆するようなドライブ感、めまぐるしく変わるテンポ。「ああずっとこの音楽が続いて欲しい」という願いを断ち切るように、突然音楽が崩れ落ちて曲は終わります。響きが終り静寂が会場に訪れるまで拍手が起こらないほど、聴衆を音楽に集中させた素晴らしい演奏でした。
 それにしても、この氷山のような、マグマのような、夜の静寂のような、狂熱の祭のような難曲を、ノーミスかつ完璧なアンサンブルで、しかもさまざまな気持ちを込めて表現した鈴木氏の指揮と紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏に頭を垂れましょう。ブラービ。これまでに私が聴いたコンサートの中で五指に入る名演でした。
 ここで休憩、心身に籠った熱を冷まそうと外へ出て紫煙をくゆらしました。山ノ神がいれば熱っぽくいろいろと語れるのに。やはり一人だと寂しいですね。
 後半はバロック作品を換骨奪胎したストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」、声楽パートのある全曲版です。なかなか上手い構成ですね。古典(モーツァルト)、現代(バルトーク)、古典+現代(ストラヴィンスキー)。“厳しさ”を“優しさ”でサンドイッチした構成とも言えます。バルトークの曲で緊張した心身をもみほぐしてくれるような、軽やかで華やかな演奏でした。木管楽器の合奏を演奏者たちに任せて、歌手たちともに椅子に座って演奏を楽しむ鈴木氏。金色の大きな蝶ネクタイをつけて、トロンボーンと二重奏をするコントラバス奏者。その遊び心にも緩頬しました。

 というわけで予想をはるかに超えて楽しめた演奏会でした。鈴木雅明氏と紀尾井ホール室内管弦楽団、また聴いてみたいものです。これからも贔屓にさせていただきます。今度はチャイコフスキーとドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」をリクエストします。
by sabasaba13 | 2019-06-30 08:31 | 音楽 | Comments(0)

惑星

c0051620_2243361.jpg G.ホルストの組曲「惑星」を生演奏で聴いてみたいものだと常々思っていました。すると「ドン・ジョヴァンニ」の公演でもらったチラシに、西本智実の指揮による「惑星」の演奏会があることを知り、すぐにチケットぴあで照会したところ、幸い席を取ることができました。やった。以前にブラームスの交響曲第1番を聞いてその腕の確かさは十分に分かっているので、これは楽しみです。
 水無月某日、山ノ神といっしょに池袋にある東京芸術劇場に参上。池袋と言えば、松尾貴史氏が絶対にうける結婚式のスピーチを紹介してくれました。「結婚生活に必要な袋が三つあります。一つ目は池袋、二つ目は沼袋、三つ目は…東池袋」 お後がよろしいようで。
 閑話休題。管弦楽はイルミナートフィルハーモニーオーケストラ、合唱はイルミナート合唱団です。イルミナートフィル? はじめてその名を聞きました。いま、インターネットで調べたところ、西本智実プロデュースのもと新たに誕生したオーケストラで、そのコンセプトは「エンターテインメント性に富んだオーケストラ」。国際交流事業への参加、チャリティコンサートなどの社会貢献、途上国への演奏家の派遣、寺、神社、能楽堂を舞台にした和と洋の融合など、多彩な活動を視野に入れているとのことです。お手並み拝見ですね。
 開演とともに、西本氏がひとり舞台に現われました。なんだなんだ… するとマイクを手にして、「惑星」では各曲の前にその曲をイメージしたナレーション(西本氏がつくった詩)を流し、またその曲に合わせた効果的な照明を使う、との解説をされました。なるほど、今にして思えば、これもエンターテインメントの試みなのですね。
 そしてオーケストラが舞台に登場したのですが…女性がとても多い。気になったので、いま同楽団の公式サイトで数えてみると、団員82人中49人が女性でした。テクニックは別として音量や迫力に欠けるのでは、と思いましたがまったくの杞憂でした。
 冒頭を飾るのはJ.オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。おっいいですね。西本氏のきれっきれの歯切れのいい指揮、それに応えて見事に気持ちの入った充実した演奏。
 二曲目はE.エルガーの行進曲「威風堂々」第1番です。ああ嬉しい、私の大好きな曲です。名作『ブラス!』の最後の場面でも印象的に使われていました。強者に抗う弱者、猫を?む窮鼠、壁にぶつかる卵を勇気づけ鼓舞してくれるような曲です。序奏と再現部の躍動感と中間部の堂々とした誇り高さを、見事な演奏で表現してくれました。西本氏はダイナミクスを変化させるのがほんとうに上手いですね、曲の盛り上がりにアドレナリンがびしびしと分泌しました。
 そして休憩の後、いよいよお待ちかねの「惑星」です。全部で7つの楽章から成り、それぞれローマ神話に登場する神々にも相当する惑星の名と、副題が付けられています。ちなみに「火星、戦争をもたらす者」「金星、平和をもたらす者」「水星、翼のある使者」「木星、快楽をもたらす者」「土星、老いをもたらす者」「天王星、魔術師」「海王星、神秘主義者」となっています。オーケストラが登場すると、山ノ神がつんつんと脇をつつきます。何? 「ホルン6人が全部女性…」 うわお。 そして颯爽と西本氏が舞台に現われ、ナレーションが場内放送で流れます。全体的に印象に残るものはなかったのですが、曲のイメージをつかむうえで多少は役に立ったかな。そして「火星、戦争をもたらす者」が始まりました。「ダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダン」という執拗に繰り返される禍々しいリズムに乗って、咆哮する管楽器の大迫力に我を忘れました。凄い… 三階席だったのですが、風圧で体が5cmほど持ち上がったような気がしました、いやほんと。紅蓮の照明が不気味に明滅し雰囲気を盛り上げます。戦争を現前させたような凄絶な演奏に感動、「戦争をもたらす者」安倍首相のテーマソングにしてはいかが。なお6人の女性ホルン奏者も大活躍、張りのある充実した音、完璧なアインザッツ、お見事でした。
 後の6楽章も素晴らしい演奏でした。時に荒々しく、時に情感深く、時に諧謔的に、さまざまな顔をもつこの名曲を、時が経つのを忘れて楽しむことができました。オケをその気にさせる指揮者、指揮者に全幅の信頼をおくオケ、両者の息がぴったりと合った演奏に大満足です。中でも心に残ったのは終曲の「海王星、神秘主義者」です。世界の、いや宇宙の終わりのような静謐な曲調のなか、気がつけば女声合唱の妙なるハミングがどこからともなく聴こえてきます。そしていつの間にか静寂とともに曲は終わります。
 アンコールは「ホフマンの舟歌」、歌心にあふれた素敵な演奏でした。

 西本智実氏の指揮ぶりはもちろん、イルミナートフィル、ほんとうに素晴らしいオーケストラでした。これからも贔屓にさせていただきます。よくぞこれだけ実力のある女性演奏家を集められたものです。女性がもつ無限の可能性をあらためて教えられました。これは憶測ですが、もしかするといわゆる有名オーケストラは、実力が拮抗していたら男性を優先して採用しているのではないかしらん。
by sabasaba13 | 2019-06-24 08:57 | 音楽 | Comments(0)

ドン・ジョヴァンニ

c0051620_21562229.jpg モーツァルトのオペラは、これまでに「魔笛」と「フィガロの結婚」を見ることができました。となると、次はぜひ「ドン・ジョヴァンニ」と「コシ・ファン・トゥッテ」を見てみたいものです。念ずれば花開く、新宿初台のオペラパレスで「ドン・ジョヴァンニ」が上演されるという耳寄り情報を入手しました。さっそくチケットを購入し、山ノ神と一緒に見にいってまいりました。指揮はカーステン・ヤヌシュケ、演出はグリシャ・アサガロフ、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団です。ドン・ジョヴァンニ役はニコラ・ウリヴィエーリ、騎士長役は妻屋秀和、レポレッロ役はジョヴァンニ・フルラネット、ドンナ・アンナ役はマリゴーナ・ケルケジ、ドンナ・エルヴィーラ役は脇園彩、ツェルリーナ役は九嶋香奈枝です。
 そうそう、今回はオペラのために買った小さな双眼鏡を持参したのですが、これが大正解。歌手の表情や衣装、オーケストラ・ピットの様子まで手に取るようによく見えました。

 さて、はじまりはじまり。運河とゴンドラがあるところからすると、舞台はヴェネツィアに設定されているようです。
 第1幕。従者レポレッロを引き連れ、夜な夜な女性の家へ忍び込む、稀代の色男ドン・ジョヴァンニ。今宵はドンナ・アンナの部屋へ行きますが、彼女の父親である騎士長に見つかり、彼を刺殺してしまいます。アンナは婚約者ドン・オッターヴィオに、犯人を探して復讐してほしいと求めます。
一方、ジョヴァンニは通りすがりの女性に声をかけますが、それは昔の女ドンナ・エルヴィーラでした。彼女はジョヴァンニに捨てられてもまだ彼を愛し、彼を探していたのです。ジョヴァンニは大慌てで逃げる。後を託されたレポレッロは彼女に、ジョヴァンニはヨーロッパじゅうの2000人もの女性と関係しているのだから諦めるよう諭します。殺人や不倫など重い場面が多いのですが、このレポレッロの登場ですこし息がつけます。このコミカルなアリアも傑作ですね。
 関係ありません、金持ちだろうが、不美人だろうが、美人だろうが。はいてさえいればね、スカートを。あなたもご存じでしょう、あの方が何をするかは。
 なおこの場面で、ドレスを着た大きな女性の人形を、ジョヴァンニが上から糸で操りますが、面白い演出です。彼にとって、すべての女性は操作する対象でしかないということでしょうか。
 場面が変わり、近郊の村で農夫マゼットと村娘ツェルリーナの結婚式が始まろうというとき、ジョヴァンニが来て花嫁を誘惑しますが、すんでのところでエルヴィーラが阻止します。アンナは犯人探しの協力をジョヴァンニに求めますが、話すうち彼こそ犯人だと気づきます。村人たちを招いてパーティを開くジョヴァンニは上機嫌。そんな彼をアンナたちは厳しく激しく追及しますが、ジョヴァンニは下記のアリアで答えます。世界が終わろうとも女性を追い求めるというデモーニッシュなアリアを、ニコラ・ウリヴィエーリが熱唱してくれました。
 私の頭は混乱して、もはや分からぬ、何をすべきかが。そして恐ろしい嵐が、脅迫を、おお神よ、私に仕掛けている。だが私はこんなことではくじけない。惑うことも悩むこともない。たとえ世界が終ろうとも、何も私を恐れさせるものはない。
 休憩をはさんで第2幕です。ジョヴァンニはレポレッロと服を交換して変装し、エルヴィーラの小間使いを誘惑。マゼットと農民たちはジョヴァンニを殺そうとやってきますが、ジョヴァンニ扮するレポレッロに計画を話してしまい、逆に痛めつけられてしまいます。彼の服を着たレポレッロは命からがら逃げてきて、ジョヴァンニと落ち合います。すると、騎士長の墓の石像が、戒めの言葉を喋り出すではありませんか。驚く2人ですが、ジョヴァンニは臆せず石像を晩餐に招待します。夜、彼の家に本当に石像がやってきました。石像はジョヴァンニに悔い改めるよう迫りますが、彼は拒否。石像はジョヴァンニの手を取って炎の中へ引きずり込み、地獄へと落ちていくのでした。そして登場人物が勢揃いして大団円となるのですが、エルヴィーラが、地獄に落ちていったドン・ジョヴァンニの帽子を取り上げる姿が印象的でした。なお舞台の片隅に、第1幕でジョヴァンニが操っていた大きな女性の人形が、首がもげた状態で打ち捨てられていました。「操り人形であってはいけない」という女性へのエールなのでしょうか、ちょっと意味深ですね。

 オペラの醍醐味を満喫いたしました。本作品ではほぼすべての登場人物がアリアを歌うのですが、みなさん粒ぞろいで歌の饗宴を楽しませていただきました。指揮者もオーケストラも文句なし。舞台装置も衣装もお金とアイデアをふんだんに使った素晴らしいものでした。
 それにしてもドン・ジョヴァンニの悪党ぶりには圧倒されます。たんなるプレイボーイではないのですね。殺人、暴力、虚言に甘言、最後に地獄へ落されるのも宜なるかな。最近、『サイコパスの真実』(ちくま新書1324)という本を読んだのですが、その中で原田隆之氏はこう述べられています。
 サイコパスを特徴づける要素はたくさんあるが、なかでも一番の中核的要素は、良心や共感性の欠如である。(p.43)

 良心の欠如、共感性の欠如からの当然の帰結は、冷淡さ、残虐性である。良心がはたらかず、他人の気持ちを思いやることができないのであるから、他人にはとことん冷たく、冷酷になることができ、残忍なことも平気で行う。(p.69)
 そう、ドン・ジョヴァンニはサイコパスなのかもしれません。でもどことなく惹かれるのですね。彼を「悪の権化」として全否定するのではなく、各人の内部にも「ジョヴァンニ的要素」があると思わせてくれるかどうかで、このオペラの成否は決まると思います。そういう意味で、ニコラ・ウリヴィエーリは見事に歌い切ったと思います。
彼に翻弄される三人の女性も魅力的です。品行方正で貞淑なドンナ・アンナ、嫉妬に狂い彼を憎むが憎みきれないドンナ・エルヴィーラ、そして朴訥だが小悪魔的なところもあるツェルリーナ。マリゴーナ・ケルケジ、脇園彩、九嶋香奈枝が、そのキャラクターをよく表現していました。時に重苦しくなる雰囲気を笑いでなごませるレポレッロを演じたジョヴァンニ・フルラネットもいいですね。そうそう忘れてはいけない、白い服を着て白いドーランを体に塗って石像に扮し、ジョヴァンニを地獄へ落とした妻屋秀和さんのドスのきいた歌いっぷりも見事でした。「ドン・ジョヴァァァァァァァァンニ!」、彼の声がまだ耳朶に響いています。

 おまけです。「ドン・ジョヴァンニ」とは関係ないのですが、帰りの地下鉄車内で、「JFC」というウェアを着た少年の一団が優先席を独占し、だらしなく座ってスマートフォンでゲームをしていました。どこかのジュニア・サッカー・チームなのでしょうか。良心と共感性の欠如だとしたら、末恐ろしいですね。
 実は山ノ神、チェコ旅行をしてきたばかりなのですが、プラハの地下鉄には優先席がなかったそうです。彼女が立っていると、目の前に座っていたけばい化粧をしていた少女が、慌ててすぐに席を譲ってくれたそうです。
 車内に優先席のある国とない国、横断歩道で人が待っていると、車が止まる国と止まらない国。ちょっと国を憂いてしまいました。
by sabasaba13 | 2019-06-04 06:21 | 音楽 | Comments(0)

カルカス

c0051620_21312128.jpg 行きつけの洋食屋「マッシュポテト」には、近くの練馬文化センターで開かれるコンサートや催し物のポスターが貼ってあります。山ノ神がプラハに行っているので、一人で「ブーちゃんライス」を食べた後にポスターを眺めていると、ボリビアから来日する「ロス・カルカス」というグループが、フォルクローレのコンサートを開くとのことです。フォルクローレについては、「花祭り」とか「コンドルは飛んで行く」しか知らないド素人なのですが、世界のいろいろな音楽を生で聴いてみたいと常々思っております。わが敬愛するチェ・ゲバラが亡くなった地・ボリビアからはるばる来て下さることだし、チケットを購入して練馬文化センターに聴きにいってきました。
まずは公式サイトから、彼らの紹介を引用します。
愛しいボリビアの魂
 70年代からボリビアのコチャバンバで活動を始めた「ロス・カルカス」が不動の地位を得たのは、80年代初頭の「ワ・ヤ・ヤイ」Wa Ya Yayの大ヒットでした。80年代初めに初来日を果たし、これがキッカケになって日本の中にボリビア・フォルクローレ・ファンが急増し浸透していきました。1992年、フランスから突然出現したグループ「カオマ」により「ランバダ」が世界中に大ヒット。セクシーなダンスと共に一時は社会的現象にまでなったこの曲は、「ロス・カルカス」の「ジョランド・セ・フエ」(泣きながら)の盗作と判明して、一躍作曲者のゴンサロとウリーセス・エルモッサ兄弟が注目されるようになりました。以後「ランバダ」のオリジナルのグループとして、世界的に脚光を浴びることとなりました。
 ところがこのグループの精神的支柱だったウリーセスの突然の死によって、グループは低迷しましたが、日本人チャランゴ奏者の宍戸誠や創設者の息子ゴンサロJr.などの加入によって「新生カルカス」として歩み始め、かつての輝きを取り戻しています。未だにアンデス・フォルクローレ・グループとして№1の、結成47年の円熟味を加えた「永遠のロス・カルカス」が再上陸、日本のファンの心に永遠の記憶を残すことでしょう。
 客席はほぼ満員、年配の方が多かったのですが、固定したファンがかなりいるようです。そしてメンバーが舞台に登場、ボーカリスト、ギタリスト、管楽器奏者二人、チャランゴ奏者、そしてベースとドラムスの七人です。なおチャランゴを弾くのは、カルカスに憧れてボリビアに渡り、研鑽を積んでメンバーとなった宍戸誠氏です。
 聴いていて気持ちが良い、素敵な音楽でした。多彩で歯切れのよいリズム、哀愁と情感に溢れたメロディ、そして一番気に入ったのが管楽器群の音色です。フォルクローレでは、笛のことをビエントス(風)と言うそうです。蘆でつくった縦笛のケーナ、細い縦笛を何本も並べ結んだサンポーニャ、いずれもとても魅力的な音色でした。息(人間)と風(自然)と音楽が一体となったような音と溢れるような情感で、我が心を揺さぶってくれたガストン・グアルディア氏の演奏には頭を垂れましょう。
いずれも素晴らしい演奏でしたが、「K’illa Khoyllu」(キリャ・コイリュ)というインストゥルメンタル・ナンバーのドライブ感とスイング感には聞き惚れました。もちろんヒット曲の「Wa Ya Yay」(ワヤヤイ)と「Llorando se fue」(泣きながら)も、客席と一体となったノリノリの演奏でした。ただ、客席に対して手拍子を促すのはいかがなものかと思います。身も心も音楽に乗れば、自然と手拍子を叩くものでしょう。

 世界には、こんな素敵な音楽がまだまだあるのでしょうね。世界は、何と多様で、何と豊饒なことか。フォルクローレ、アルゼンチン・タンゴを生で聴いたので、次はぜひポルトガルのファドを聴いてみたいものです。
by sabasaba13 | 2019-05-30 06:22 | 音楽 | Comments(0)