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響きあうアジア2019ガラコンサート

c0051620_22211884.jpg 山ノ神がロハのチケットを知人からいただいたということで、「響きあうアジア2019ガラコンサート」を聴いてきました。なおガラコンサート(gala concert)とは、何かを記念して企画され、特別な催しとして行われる演奏会のことです。まずはチラシから紹介文を転記します。
 これまで国際交流基金アジアセンターが活動を支援してきた、ベトナム・タイ・フィリピン・インドネシア・ミャンマーの5か国8つのオーケストラから、選び抜かれた約80名の演奏家が来日。日本の演奏家を交え、多国籍オーケストラ「響きあうアジア2019交響楽団」を結成。指揮者に「炎のマエストロ」小林研一郎氏を迎え、熱気溢れるアジアの響きをお届けする特別コンサートです。
 国際交流基金アジアセンターは、2014年から「ASEANオーケストラ支援事業」を実施し、東南アジアのオーケストラの運営・演奏技術の向上を支援してきました。本コンサートはその集大成として、東南アジアと日本から、総勢約100名の演奏家が一堂に会し、共に音楽を紡ぎます。東南アジアと日本が互いに学びあい、響きあうことで生まれる、エネルギー溢れる音色をお楽しみ下さい。
 会場は池袋にある東京芸術劇場、ホールに入るとほぼ満席でした。いただいたプログラムを読んでみると、さまざまなご苦労があったようです。雨が残るような野外での公演、リハーサル初日に譜読みをしてこない団員、練習開始はほぼ数分遅れで遅刻者や欠席者もいる、などなど。でも磯部周平氏は優しく弁明されています。
 遅刻者もいますが、あの交通事情では無理もない、とも感じます。ただ驚くのは、欠席者がいること。オーケストラの給料は充分なものではなく、ほとんどのメンバーが、複数の仕事を兼業又は掛け持ちしているため…と聞きました。
 舞台にはたくさんの椅子が並べられていましたが、袖から登場したホーチミン市交響楽団、ベトナム国立交響楽団、王立バンコク交響楽団、フィリピン・フィルハーモニック管弦楽団、マニラ交響楽団、ジャカルタ・シティ・フィルハーモニック、ジャカルタ・シンフォニエッタ、ミャンマー国立交響楽団から選抜された総勢約100人の音楽家で埋め尽くされました。そして背後には、賛助出演する岩倉高校吹奏楽部のみなさんが並びます。もうこれだけでワクワクしますね。
 そしてマエストロ、小林研一郎氏が颯爽と登場。まずはヴェルディの歌劇「アイーダ」より"凱旋の行進曲"が演奏されました。舞台前面に立ち並んだ六人のトランぺッターが奏でるファンファーレに胸は高鳴り心は踊ります。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を弾いたソリストは瀬﨑明日香氏、難曲だけに弾くだけで精一杯という感じでした。シベリウスの交響詩「フィンランディア」は素晴らしい演奏でした。冒頭の押し潰されるような抑圧感、一転して飛翔するような勝利の凱歌、そしてフィンランドの風土を賞揚するような美しいメロディ、そして再び凱歌で締めくくられます。それぞれの曲調違いをよく表現していました。小林研一郎作曲の「パッサカリア」より"夏祭り"は、和太鼓をふくむ打楽器群が大活躍。その迫力と躍動感に圧倒されました。
 ここで休憩をはさみます。少々の音程の狂い、アインザッツやアンサンブルの乱れ、走り気味のテンポなどなんのその。異国の音楽仲間と一緒に音楽を紡げる幸福感に、私たちも酔い痴れました。
後半はベートーヴェンの「エグモント」序曲で始まり、フィナーレはチャイコフスキーの大序曲「1812年」です。大砲はどうするのかなと興味津々でしたが、さきほどの和太鼓が代役をつとめました。ちょっと迫力不足だったかな。
 万雷の拍手のなか、小林氏がペコリと頭を下げ「アンコールをしてもいいですか」と肉声で客席に告げたのには思わず笑いが起きました。そしてビゼーの歌劇「カルメン」ファランドールの熱狂的な演奏で幕を閉じました。ブラービ! 終了後、舞台の上で三々五々抱き合い握手をするメンバーの方々の姿が心に残りました。

 というわけで楽しい演奏会でした。言葉も文化も宗教も違う人びとが、音楽を通じて一つになる。あらためて音楽の素晴らしさに感じ入りました。選曲も良かったですね。"勝利"というのが一つのテーマだったと思いますが、参議院選挙を前に、激励してもらったような気がします。また機会があったら聴いてみたいオーケストラです。
by sabasaba13 | 2019-07-04 06:19 | 音楽 | Comments(0)

弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

c0051620_21593230.jpg まだ聴いたことがないクラシックの名曲が多々あります。ホルストの「惑星」は先日聴くことができましたが、他にはバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」「管弦楽のための協奏曲」、ラベルの「ボレロ」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ドビュッシーの「ダフニスとクロエ」、シェーンベルクの「グレの歌」、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」などなど五指に余ります。
 中でもバルトーク・ベラの曲には心惹かれます。その真摯さとストイックさ、血沸き肉躍る土俗的なリズム、民謡の研究から生まれた情感にあふれるメロディ、気楽に聴ける音楽ではありませんが、時に居住まいを正して無性に聴きたくなります。鈴木雅明氏の指揮による紀尾井ホール室内管弦楽団の第117回定期演奏会で、その「弦チェレ」が聴けるということで、心弾ませながら四谷の紀尾井ホールに行ってきました。バッハ・コレギウム・ジャパンの主宰者にして、J・S・バッハ演奏の第一人者、鈴木雅明氏が、この現代曲にどう演奏するのか、ほんとうに楽しみです。なお山ノ神は野暮用のため同伴できませんでした。
 利休鼠の雨が降る某土曜日、会場に着くと意外なことにほぼ満席。まずは紀尾井ホールをレジデント(本拠地)として演奏活動を行う二管編成の室内オーケストラ、紀尾井ホール室内管弦楽団舞台に登場しました。ソリスト・室内楽奏者として第一線で活躍している器楽奏者、主要オーケストラの首席奏者などで構成されているオケだそうです。そして鈴木氏が白髪をなびかせて颯爽と登場。一曲目はモーツァルトの交響曲第29番、嬉しいなあ私の大好きな曲です。溌剌、清新、歓喜、どう表現すればいいのでしょう、音楽をつくる喜びが詰まった名曲です。なおA・アインシュタインは「小ト短調交響曲(第25番)とイ長調交響曲(第29番)はひとつの奇跡である」と評したそうですが、宜なるかな。演奏も弾けるような小気味のいい、ダイナミクスの変化に富んだ素晴らしい演奏でした。
 そしてオケはいったん退場し、係の方が「弦チェレ」のためのセッティングを始めました。几帳面なバルトークは、楽器の配置まで細かく指示しているそうです。弦楽器群は二つに分けられて識者の左右に配置、中央にはピアノ・チェレスタ・ハープ、そして後方に打楽器群が配置されます。そのテキパキとした機敏な動きを見ているだけで、期待が高まってきました。そしてオケと指揮者が登場、静かに上がるタクト、楽器を構えるオケ、期待と緊張感はピークに達します。
 第1楽章 Andante tranquilloは変拍子の変則的なフーガ。まるで宇宙の誕生のように、ヴィオラの無調性の主題から静かに始まります。そしてマグマが徐々に沸騰するように、主題が重なり、音域が広がり、音量が大きくなり、ティンパニの打撃とともにクライマックスに達して、また静かに冷えていく。冷→熱→冷の変化の妙に、手に汗を握ってしまいました。
 第2楽章 Allegroは一転、躍動的でダンサブルな曲です。指揮者の左右に配置された二つの弦楽器群の掛け合いが何ともスリリング。ピアノや弦楽器によるバルトーク・ピチカートの打撃音に、アドレナリンがびしびしと分泌しました。
 第3楽章 Adagioはまた一転、新月の闇夜のように、身が凍てるような冷たく静かな音楽です。バルトークお得意の、いわゆる「夜の音楽」ですね。闇を引き裂く稲妻のようなシロフォンの打撃音がとても印象的です。
 第4楽章 Allegro moltoはまたまた一転、狂熱の坩堝と化します。挑み合うようにフレーズを交換する二つの弦楽器群、複雑な変拍子にエッジの効いたリズム、咆哮する打楽器、前に前に疾駆するようなドライブ感、めまぐるしく変わるテンポ。「ああずっとこの音楽が続いて欲しい」という願いを断ち切るように、突然音楽が崩れ落ちて曲は終わります。響きが終り静寂が会場に訪れるまで拍手が起こらないほど、聴衆を音楽に集中させた素晴らしい演奏でした。
 それにしても、この氷山のような、マグマのような、夜の静寂のような、狂熱の祭のような難曲を、ノーミスかつ完璧なアンサンブルで、しかもさまざまな気持ちを込めて表現した鈴木氏の指揮と紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏に頭を垂れましょう。ブラービ。これまでに私が聴いたコンサートの中で五指に入る名演でした。
 ここで休憩、心身に籠った熱を冷まそうと外へ出て紫煙をくゆらしました。山ノ神がいれば熱っぽくいろいろと語れるのに。やはり一人だと寂しいですね。
 後半はバロック作品を換骨奪胎したストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」、声楽パートのある全曲版です。なかなか上手い構成ですね。古典(モーツァルト)、現代(バルトーク)、古典+現代(ストラヴィンスキー)。“厳しさ”を“優しさ”でサンドイッチした構成とも言えます。バルトークの曲で緊張した心身をもみほぐしてくれるような、軽やかで華やかな演奏でした。木管楽器の合奏を演奏者たちに任せて、歌手たちともに椅子に座って演奏を楽しむ鈴木氏。金色の大きな蝶ネクタイをつけて、トロンボーンと二重奏をするコントラバス奏者。その遊び心にも緩頬しました。

 というわけで予想をはるかに超えて楽しめた演奏会でした。鈴木雅明氏と紀尾井ホール室内管弦楽団、また聴いてみたいものです。これからも贔屓にさせていただきます。今度はチャイコフスキーとドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」をリクエストします。
by sabasaba13 | 2019-06-30 08:31 | 音楽 | Comments(0)

惑星

c0051620_2243361.jpg G.ホルストの組曲「惑星」を生演奏で聴いてみたいものだと常々思っていました。すると「ドン・ジョヴァンニ」の公演でもらったチラシに、西本智実の指揮による「惑星」の演奏会があることを知り、すぐにチケットぴあで照会したところ、幸い席を取ることができました。やった。以前にブラームスの交響曲第1番を聞いてその腕の確かさは十分に分かっているので、これは楽しみです。
 水無月某日、山ノ神といっしょに池袋にある東京芸術劇場に参上。池袋と言えば、松尾貴史氏が絶対にうける結婚式のスピーチを紹介してくれました。「結婚生活に必要な袋が三つあります。一つ目は池袋、二つ目は沼袋、三つ目は…東池袋」 お後がよろしいようで。
 閑話休題。管弦楽はイルミナートフィルハーモニーオーケストラ、合唱はイルミナート合唱団です。イルミナートフィル? はじめてその名を聞きました。いま、インターネットで調べたところ、西本智実プロデュースのもと新たに誕生したオーケストラで、そのコンセプトは「エンターテインメント性に富んだオーケストラ」。国際交流事業への参加、チャリティコンサートなどの社会貢献、途上国への演奏家の派遣、寺、神社、能楽堂を舞台にした和と洋の融合など、多彩な活動を視野に入れているとのことです。お手並み拝見ですね。
 開演とともに、西本氏がひとり舞台に現われました。なんだなんだ… するとマイクを手にして、「惑星」では各曲の前にその曲をイメージしたナレーション(西本氏がつくった詩)を流し、またその曲に合わせた効果的な照明を使う、との解説をされました。なるほど、今にして思えば、これもエンターテインメントの試みなのですね。
 そしてオーケストラが舞台に登場したのですが…女性がとても多い。気になったので、いま同楽団の公式サイトで数えてみると、団員82人中49人が女性でした。テクニックは別として音量や迫力に欠けるのでは、と思いましたがまったくの杞憂でした。
 冒頭を飾るのはJ.オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。おっいいですね。西本氏のきれっきれの歯切れのいい指揮、それに応えて見事に気持ちの入った充実した演奏。
 二曲目はE.エルガーの行進曲「威風堂々」第1番です。ああ嬉しい、私の大好きな曲です。名作『ブラス!』の最後の場面でも印象的に使われていました。強者に抗う弱者、猫を?む窮鼠、壁にぶつかる卵を勇気づけ鼓舞してくれるような曲です。序奏と再現部の躍動感と中間部の堂々とした誇り高さを、見事な演奏で表現してくれました。西本氏はダイナミクスを変化させるのがほんとうに上手いですね、曲の盛り上がりにアドレナリンがびしびしと分泌しました。
 そして休憩の後、いよいよお待ちかねの「惑星」です。全部で7つの楽章から成り、それぞれローマ神話に登場する神々にも相当する惑星の名と、副題が付けられています。ちなみに「火星、戦争をもたらす者」「金星、平和をもたらす者」「水星、翼のある使者」「木星、快楽をもたらす者」「土星、老いをもたらす者」「天王星、魔術師」「海王星、神秘主義者」となっています。オーケストラが登場すると、山ノ神がつんつんと脇をつつきます。何? 「ホルン6人が全部女性…」 うわお。 そして颯爽と西本氏が舞台に現われ、ナレーションが場内放送で流れます。全体的に印象に残るものはなかったのですが、曲のイメージをつかむうえで多少は役に立ったかな。そして「火星、戦争をもたらす者」が始まりました。「ダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダン」という執拗に繰り返される禍々しいリズムに乗って、咆哮する管楽器の大迫力に我を忘れました。凄い… 三階席だったのですが、風圧で体が5cmほど持ち上がったような気がしました、いやほんと。紅蓮の照明が不気味に明滅し雰囲気を盛り上げます。戦争を現前させたような凄絶な演奏に感動、「戦争をもたらす者」安倍首相のテーマソングにしてはいかが。なお6人の女性ホルン奏者も大活躍、張りのある充実した音、完璧なアインザッツ、お見事でした。
 後の6楽章も素晴らしい演奏でした。時に荒々しく、時に情感深く、時に諧謔的に、さまざまな顔をもつこの名曲を、時が経つのを忘れて楽しむことができました。オケをその気にさせる指揮者、指揮者に全幅の信頼をおくオケ、両者の息がぴったりと合った演奏に大満足です。中でも心に残ったのは終曲の「海王星、神秘主義者」です。世界の、いや宇宙の終わりのような静謐な曲調のなか、気がつけば女声合唱の妙なるハミングがどこからともなく聴こえてきます。そしていつの間にか静寂とともに曲は終わります。
 アンコールは「ホフマンの舟歌」、歌心にあふれた素敵な演奏でした。

 西本智実氏の指揮ぶりはもちろん、イルミナートフィル、ほんとうに素晴らしいオーケストラでした。これからも贔屓にさせていただきます。よくぞこれだけ実力のある女性演奏家を集められたものです。女性がもつ無限の可能性をあらためて教えられました。これは憶測ですが、もしかするといわゆる有名オーケストラは、実力が拮抗していたら男性を優先して採用しているのではないかしらん。
by sabasaba13 | 2019-06-24 08:57 | 音楽 | Comments(0)

ドン・ジョヴァンニ

c0051620_21562229.jpg モーツァルトのオペラは、これまでに「魔笛」と「フィガロの結婚」を見ることができました。となると、次はぜひ「ドン・ジョヴァンニ」と「コシ・ファン・トゥッテ」を見てみたいものです。念ずれば花開く、新宿初台のオペラパレスで「ドン・ジョヴァンニ」が上演されるという耳寄り情報を入手しました。さっそくチケットを購入し、山ノ神と一緒に見にいってまいりました。指揮はカーステン・ヤヌシュケ、演出はグリシャ・アサガロフ、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団です。ドン・ジョヴァンニ役はニコラ・ウリヴィエーリ、騎士長役は妻屋秀和、レポレッロ役はジョヴァンニ・フルラネット、ドンナ・アンナ役はマリゴーナ・ケルケジ、ドンナ・エルヴィーラ役は脇園彩、ツェルリーナ役は九嶋香奈枝です。
 そうそう、今回はオペラのために買った小さな双眼鏡を持参したのですが、これが大正解。歌手の表情や衣装、オーケストラ・ピットの様子まで手に取るようによく見えました。

 さて、はじまりはじまり。運河とゴンドラがあるところからすると、舞台はヴェネツィアに設定されているようです。
 第1幕。従者レポレッロを引き連れ、夜な夜な女性の家へ忍び込む、稀代の色男ドン・ジョヴァンニ。今宵はドンナ・アンナの部屋へ行きますが、彼女の父親である騎士長に見つかり、彼を刺殺してしまいます。アンナは婚約者ドン・オッターヴィオに、犯人を探して復讐してほしいと求めます。
一方、ジョヴァンニは通りすがりの女性に声をかけますが、それは昔の女ドンナ・エルヴィーラでした。彼女はジョヴァンニに捨てられてもまだ彼を愛し、彼を探していたのです。ジョヴァンニは大慌てで逃げる。後を託されたレポレッロは彼女に、ジョヴァンニはヨーロッパじゅうの2000人もの女性と関係しているのだから諦めるよう諭します。殺人や不倫など重い場面が多いのですが、このレポレッロの登場ですこし息がつけます。このコミカルなアリアも傑作ですね。
 関係ありません、金持ちだろうが、不美人だろうが、美人だろうが。はいてさえいればね、スカートを。あなたもご存じでしょう、あの方が何をするかは。
 なおこの場面で、ドレスを着た大きな女性の人形を、ジョヴァンニが上から糸で操りますが、面白い演出です。彼にとって、すべての女性は操作する対象でしかないということでしょうか。
 場面が変わり、近郊の村で農夫マゼットと村娘ツェルリーナの結婚式が始まろうというとき、ジョヴァンニが来て花嫁を誘惑しますが、すんでのところでエルヴィーラが阻止します。アンナは犯人探しの協力をジョヴァンニに求めますが、話すうち彼こそ犯人だと気づきます。村人たちを招いてパーティを開くジョヴァンニは上機嫌。そんな彼をアンナたちは厳しく激しく追及しますが、ジョヴァンニは下記のアリアで答えます。世界が終わろうとも女性を追い求めるというデモーニッシュなアリアを、ニコラ・ウリヴィエーリが熱唱してくれました。
 私の頭は混乱して、もはや分からぬ、何をすべきかが。そして恐ろしい嵐が、脅迫を、おお神よ、私に仕掛けている。だが私はこんなことではくじけない。惑うことも悩むこともない。たとえ世界が終ろうとも、何も私を恐れさせるものはない。
 休憩をはさんで第2幕です。ジョヴァンニはレポレッロと服を交換して変装し、エルヴィーラの小間使いを誘惑。マゼットと農民たちはジョヴァンニを殺そうとやってきますが、ジョヴァンニ扮するレポレッロに計画を話してしまい、逆に痛めつけられてしまいます。彼の服を着たレポレッロは命からがら逃げてきて、ジョヴァンニと落ち合います。すると、騎士長の墓の石像が、戒めの言葉を喋り出すではありませんか。驚く2人ですが、ジョヴァンニは臆せず石像を晩餐に招待します。夜、彼の家に本当に石像がやってきました。石像はジョヴァンニに悔い改めるよう迫りますが、彼は拒否。石像はジョヴァンニの手を取って炎の中へ引きずり込み、地獄へと落ちていくのでした。そして登場人物が勢揃いして大団円となるのですが、エルヴィーラが、地獄に落ちていったドン・ジョヴァンニの帽子を取り上げる姿が印象的でした。なお舞台の片隅に、第1幕でジョヴァンニが操っていた大きな女性の人形が、首がもげた状態で打ち捨てられていました。「操り人形であってはいけない」という女性へのエールなのでしょうか、ちょっと意味深ですね。

 オペラの醍醐味を満喫いたしました。本作品ではほぼすべての登場人物がアリアを歌うのですが、みなさん粒ぞろいで歌の饗宴を楽しませていただきました。指揮者もオーケストラも文句なし。舞台装置も衣装もお金とアイデアをふんだんに使った素晴らしいものでした。
 それにしてもドン・ジョヴァンニの悪党ぶりには圧倒されます。たんなるプレイボーイではないのですね。殺人、暴力、虚言に甘言、最後に地獄へ落されるのも宜なるかな。最近、『サイコパスの真実』(ちくま新書1324)という本を読んだのですが、その中で原田隆之氏はこう述べられています。
 サイコパスを特徴づける要素はたくさんあるが、なかでも一番の中核的要素は、良心や共感性の欠如である。(p.43)

 良心の欠如、共感性の欠如からの当然の帰結は、冷淡さ、残虐性である。良心がはたらかず、他人の気持ちを思いやることができないのであるから、他人にはとことん冷たく、冷酷になることができ、残忍なことも平気で行う。(p.69)
 そう、ドン・ジョヴァンニはサイコパスなのかもしれません。でもどことなく惹かれるのですね。彼を「悪の権化」として全否定するのではなく、各人の内部にも「ジョヴァンニ的要素」があると思わせてくれるかどうかで、このオペラの成否は決まると思います。そういう意味で、ニコラ・ウリヴィエーリは見事に歌い切ったと思います。
彼に翻弄される三人の女性も魅力的です。品行方正で貞淑なドンナ・アンナ、嫉妬に狂い彼を憎むが憎みきれないドンナ・エルヴィーラ、そして朴訥だが小悪魔的なところもあるツェルリーナ。マリゴーナ・ケルケジ、脇園彩、九嶋香奈枝が、そのキャラクターをよく表現していました。時に重苦しくなる雰囲気を笑いでなごませるレポレッロを演じたジョヴァンニ・フルラネットもいいですね。そうそう忘れてはいけない、白い服を着て白いドーランを体に塗って石像に扮し、ジョヴァンニを地獄へ落とした妻屋秀和さんのドスのきいた歌いっぷりも見事でした。「ドン・ジョヴァァァァァァァァンニ!」、彼の声がまだ耳朶に響いています。

 おまけです。「ドン・ジョヴァンニ」とは関係ないのですが、帰りの地下鉄車内で、「JFC」というウェアを着た少年の一団が優先席を独占し、だらしなく座ってスマートフォンでゲームをしていました。どこかのジュニア・サッカー・チームなのでしょうか。良心と共感性の欠如だとしたら、末恐ろしいですね。
 実は山ノ神、チェコ旅行をしてきたばかりなのですが、プラハの地下鉄には優先席がなかったそうです。彼女が立っていると、目の前に座っていたけばい化粧をしていた少女が、慌ててすぐに席を譲ってくれたそうです。
 車内に優先席のある国とない国、横断歩道で人が待っていると、車が止まる国と止まらない国。ちょっと国を憂いてしまいました。
by sabasaba13 | 2019-06-04 06:21 | 音楽 | Comments(0)

カルカス

c0051620_21312128.jpg 行きつけの洋食屋「マッシュポテト」には、近くの練馬文化センターで開かれるコンサートや催し物のポスターが貼ってあります。山ノ神がプラハに行っているので、一人で「ブーちゃんライス」を食べた後にポスターを眺めていると、ボリビアから来日する「ロス・カルカス」というグループが、フォルクローレのコンサートを開くとのことです。フォルクローレについては、「花祭り」とか「コンドルは飛んで行く」しか知らないド素人なのですが、世界のいろいろな音楽を生で聴いてみたいと常々思っております。わが敬愛するチェ・ゲバラが亡くなった地・ボリビアからはるばる来て下さることだし、チケットを購入して練馬文化センターに聴きにいってきました。
まずは公式サイトから、彼らの紹介を引用します。
愛しいボリビアの魂
 70年代からボリビアのコチャバンバで活動を始めた「ロス・カルカス」が不動の地位を得たのは、80年代初頭の「ワ・ヤ・ヤイ」Wa Ya Yayの大ヒットでした。80年代初めに初来日を果たし、これがキッカケになって日本の中にボリビア・フォルクローレ・ファンが急増し浸透していきました。1992年、フランスから突然出現したグループ「カオマ」により「ランバダ」が世界中に大ヒット。セクシーなダンスと共に一時は社会的現象にまでなったこの曲は、「ロス・カルカス」の「ジョランド・セ・フエ」(泣きながら)の盗作と判明して、一躍作曲者のゴンサロとウリーセス・エルモッサ兄弟が注目されるようになりました。以後「ランバダ」のオリジナルのグループとして、世界的に脚光を浴びることとなりました。
 ところがこのグループの精神的支柱だったウリーセスの突然の死によって、グループは低迷しましたが、日本人チャランゴ奏者の宍戸誠や創設者の息子ゴンサロJr.などの加入によって「新生カルカス」として歩み始め、かつての輝きを取り戻しています。未だにアンデス・フォルクローレ・グループとして№1の、結成47年の円熟味を加えた「永遠のロス・カルカス」が再上陸、日本のファンの心に永遠の記憶を残すことでしょう。
 客席はほぼ満員、年配の方が多かったのですが、固定したファンがかなりいるようです。そしてメンバーが舞台に登場、ボーカリスト、ギタリスト、管楽器奏者二人、チャランゴ奏者、そしてベースとドラムスの七人です。なおチャランゴを弾くのは、カルカスに憧れてボリビアに渡り、研鑽を積んでメンバーとなった宍戸誠氏です。
 聴いていて気持ちが良い、素敵な音楽でした。多彩で歯切れのよいリズム、哀愁と情感に溢れたメロディ、そして一番気に入ったのが管楽器群の音色です。フォルクローレでは、笛のことをビエントス(風)と言うそうです。蘆でつくった縦笛のケーナ、細い縦笛を何本も並べ結んだサンポーニャ、いずれもとても魅力的な音色でした。息(人間)と風(自然)と音楽が一体となったような音と溢れるような情感で、我が心を揺さぶってくれたガストン・グアルディア氏の演奏には頭を垂れましょう。
いずれも素晴らしい演奏でしたが、「K’illa Khoyllu」(キリャ・コイリュ)というインストゥルメンタル・ナンバーのドライブ感とスイング感には聞き惚れました。もちろんヒット曲の「Wa Ya Yay」(ワヤヤイ)と「Llorando se fue」(泣きながら)も、客席と一体となったノリノリの演奏でした。ただ、客席に対して手拍子を促すのはいかがなものかと思います。身も心も音楽に乗れば、自然と手拍子を叩くものでしょう。

 世界には、こんな素敵な音楽がまだまだあるのでしょうね。世界は、何と多様で、何と豊饒なことか。フォルクローレ、アルゼンチン・タンゴを生で聴いたので、次はぜひポルトガルのファドを聴いてみたいものです。
by sabasaba13 | 2019-05-30 06:22 | 音楽 | Comments(0)

ロ短調ミサ

c0051620_21431282.jpg 山ノ神の知人が「東京・カンタータ・コレギウム」という合唱団に入っており、今度J・S・バッハの「ロ短調ミサ」を演奏するそうです。同合唱団のホームページに載っていた紹介文です。
 私たちは、バッハのカンタータという古今東西最高の音楽の宝石箱の蓋を開けて楽しみたいと思っている、主にアマチュアの楽器と歌の有志が集まって2013年秋に活動を始めた団体です。
 オーケストラと合唱が常に一緒に練習しながら、音楽を築いていく楽しみを分かち合う、というのが私たちの望みです。
 その意気やよし、ですね。カール・リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団が演奏したCDは持っていますが、実演は聴いたことがありません。フランツ・リスト曰く「ロ短調ミサは、教会音楽のモンブランである。西洋音楽では、これ以上登るべくもない」。この宝石箱のような大曲に、東京・カンタータ・コレギウムのみなさんがどう挑むのか、楽しみです。
 桜の蕾もふくらみはじめた弥生好日、四ツ谷駅から徒歩十分ほどのところにある紀尾井ホールで、山ノ神と待ち合わせしました。余談ですが、このあたりは1878(明治11)年5月14日に、内務卿大久保利通が不平士族6名によって暗殺された事件、いわゆる「紀尾井坂の変」が起きたところです。近くの清水谷公園には「贈右大臣大久保公哀悼碑」という大きな碑があります。
 閑話休題。客席で山ノ神と落ち合いパンフレットを読んでいると、代表の山本浩士氏が書かれた「ロ短調ミサ」についての解説が載っていたので転記します。
 晩年のバッハは、あるジャンルの音楽を記念碑的、集大成的な大作に仕上げて出版する、ということに執着していたように思われます。「ドイツ・オルガン・ミサ」の通称で知られるオルガン音楽の大作、「ゴルトベルク変奏曲」、「フーガの技法」といった大作が作られ、出版にこぎ着けています。ミサ曲ロ短調も、バッハが満を持して放つ教会音楽の金字塔と考えてよいのではないでしょうか。バッハはこの作品を出版したかったかもしれません。
 この作品は、過去に書いた作品を集めてそれらを入念に書き改めて、部分的には新しく作曲しつつ全曲を構成したものです。結果的に非常に大規模な作品になり、全曲を実際の礼拝に使用するのは不可能のようですが、ニ長調で全体が統一され、クライマックスに向けて声部が6声、8声と増えて行き、前半の「Gratias agimus tibi」の音楽が終曲「Dona nobis pacem」で繰り返されるという、全体の構造的な配慮も行き届いており、バッハが巨大な作品を目論んでいたことは明白です。
 やがて合唱団と合奏団、そして識者の大島博氏が登場しました。大島氏はE.ヘフリガーやD.フィッシャー・ディースカウに学んだテノール歌手で、バッハを中心とする宗教音楽の分野でも活躍されています。そして演奏が始まりました。
 プロフェッショナルのような卓抜な演奏はもちろん望むべくもありませんが、この大曲・難曲を歌える喜びがしみじみと伝わってくるような好演でした。多忙な仕事の合間をぬって猛練習をされたのでしょう、敬意を表します。音程がずれるヴァイオリン、ハイトーンが出ないトランペットにはハラハラさせられましたが、だんだん調子が戻ってきたので一安心。
 それにしても何と凄い曲なのでしょう。声楽、器楽、独唱、合唱、独奏、合奏などさまざまな演奏形態を包摂し、ポリフォニー、フーガ、カノンなどの技法を駆使して、神の栄光と音楽の素晴らしさを歌いあげる。J・S・バッハという偉大な音楽家の集大成です。中でも好きなのは、第五曲の「Laudamus te」です。ソプラノによるアリアにソロヴァイオリンがからむ、華やかな美しさにはうっとりとします。終曲の「Dona nobis pacem」の荘厳さにも心打たれます。"Dona nobis pacem(われらに平安を与えたまえ)"、今だからこそ、世界中の人びとと声を合わせ心を一にして歌いあげたいものです。

 追記です。最近読んだ『音楽放浪記 世界之巻』(片山杜秀 ちくま文庫)の「1 バッハの罪?」の中に、次のような一文がありました。
 繰り返せば、バッハを生み育てたブルジョワ精神とは、あくまでお高くとまった精神だった。それは物質的にも精神的にもそれなりに高級なものを求めたし、キリストの内面すら見渡せるほどの高みに立ちたいとさえ願った。バッハの、今にしてなお高邁とも抽象的とも聞こえている音楽は、そうした時代精神の音楽的表現にほかならなかった。
 なら、その精神は何にたいしてよりお高くとまろうとしたのか。それはむろん、前時代的民衆にたいしてである。近代未満というか中世的な愚かしい民衆、宇宙や世界について哲学的思惟をめぐらすことなど考えもつかぬ鈍なる民衆、神や神の子となればただただ人間には想像もつかぬ超越的存在と思って拝跪し、捧げ物でも並べ下品な祭りを始めるのが落ちの野蛮な民衆…。そうした存在から少しでも距離をおき、高きに上りたいと願うところに近代ブルジョワ精神の原動力があった。ようするにその精神は、下等なる民衆の土俗的領域を恥ずかしいと切り捨て、いっぽう、常人には手が届かぬと思われてきた上等なる神の領域をバッハの受難曲でお手軽に鑑賞できるまで切り下げることで、人間を自信みなぎる存在と位置づけるのに成功し、そこから人間中心、人間万能の近代世界を切り拓きはじめたのである。(p.15~6)

by sabasaba13 | 2019-04-01 06:24 | 音楽 | Comments(0)

タンホイザー

c0051620_21553473.jpg ワーグナーは大好きです。壮麗な音楽と雄大な物語のコラボレーションには、身も心も打ち震えてしまいます。これまでも「リエンツィ」、「ニーベルングの指輪」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「トリスタンとイゾルデ」と聴いてきましたが、新国立劇場オペラパレスで「タンホイザー」が上演されると知り、矢も楯もたまらず山ノ神を誘って聴きにいきました。指揮はアッシャー・フィッシュ、演出はハンス=ペーター・レーマン、独唱はトルステン・ケール(T)、リエネ・キンチャ(S)、ローマン・トレーケル(Br)、演奏は東京交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団です。
 開演は土曜日の午後二時。わくわくしながら待っていると、幕が開き、あの魅力的な「タンホイザー序曲」が威風堂々と鳴り響きます。舞台には巨大な白い柱が林立し、移動したり色を変えたりして洞窟や領主の館や大聖堂を表現します。光や映像など最新技術を駆使した豪華な舞台装置に一安心。禁断の地ヴェーヌスベルクの洞窟で官能に耽り戯れるタンホイザーと女神ヴェーヌスですが、その衣装がそれなりに豪華なものでこちらも一安心。いや実はですね、ウィーン国立歌劇場で「リエンツィ」を見た時に、舞台装置は無機的な現代風、歌手がジーンズとスニーカーで登場したことにいたく落胆しました。やはり身銭を切って見ているのですから、日常を忘れさせてくれる演出をしてほしいものです。なおパンフレットに演出したハンス=ペーター・レーマンの、次のような言葉がありました。我が意を得たり。
 ただし、私は、作品が現代の諸問題につながることを示すために、人物をジーンズ姿で登場させたり、キャンプ場に置いてみたりはいたしません。そんなふうに演出しなければ作品の現代性に気づかないほど観客が愚かだとは、私は思っておりません。
 二人のまわりで新国立劇場バレエ団のメンバー扮する妖精たちが踊っていますが、素敵なバレエも楽しめるなんて幸せ。でも禁断の地であるだけに、もう少し官能的な踊りでもよかったかな。この場面でタンホイザーが歌う「ヴェーヌス讃歌」は、変調をくりかえしながら愛が高揚していくかのようです。か、い、か、ん。しかしタンホイザーは快楽に溺れる日々に満たされないものを感じてこの地を去ることを決意し、聖母マリアの名を叫びます。すると場面はヴァルトブルク郊外の谷間に一転、牧童の笛と歌が聴こえてきます。牧童を演じた吉原圭子氏の声がなんと美しいことよ。ビロードのような高音に聞き惚れてしまいました。はい、贔屓にさせていただきます。そこにローマへ向かう巡礼の一行が現われ、タンホイザーは罪の意識にとらわれます。新国立劇場合唱団が歌う荘厳な「巡礼の合唱」が素晴らしい。見事なアンサンブルと感情表現で、私の心身に積もった世俗の塵芥が洗い落とされていくようでした。「カルメン」の時も感じたのですが、この合唱団の力量には脱帽です。男声合唱を聴いて、美しいと思ったのは稀有なる体験です。最近、某合唱団に入った山ノ神も絶賛していました。そこへ狩りの帰り領主ヘルマンと親友ヴォルフラムが通りかかり、タンホイザーは宮廷に復帰することになりました。

 ここで25分の休憩。紫煙をくゆらしながら第1幕の余韻にひたろうと喫煙所のあるテラスに行こうとすると…撤去されていました。係の方に訊ねると、すこし離れたところにあるテラスに移動したとのこと、やれやれ全面禁煙ではなく幸甚でした。煙草に百害あるのは承知の上、堅気の衆に迷惑をかけないよう世間の片隅で吸うようにしているのですが、ここまで邪険にされると少々腹立たしくなります。『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎 ベスト新書99)の書評でも書きましたが、他の有害な物質への対応とあまりにも差があり不公正ではないかと感じます。例えば、最近読んだ『日本が売られる』(堤未果 幻冬舎新書)に下記の一節がありました。
 雑草も虫も全滅させるグリホサートの威力は凄まじく、使い始めて数年は農薬の使用量が少なくて済むが、ここには大きな問題があった。
 前述したように、使い続けると進化して耐性を持つ雑草が出現し、今度はそれを枯らすためにもっと強い除草剤を使うという悪循環で、農薬の量が増えてゆくのだ。
 2000年5月にアメリカ農務省が発表した報告書によると、過去5年で米国内の農薬使用量は大きく跳ね上がり、中でもグリホサートは他の農薬の5倍も増えていた。
 除草剤の量が5倍に増えれば、その分アメリカからの輸入遺伝子組み換え大豆に残留する農薬も多くなり、日本の安全基準に引っかかってしまう。この発表が出た同じタイミングで、日本政府はアメリカ産輸入大豆のグリホサート残留基準を、しっかり5倍引き上げた。これで残留農薬が5倍に増えた大豆は、何の問題もなく引き続き日本に輸入される。
 日本政府のきめ細かい協力姿勢は、米国アグリビジネス業界を大いに満足させたのだった。(p.67~8)
 安倍伍長率いる自民党政権が、私たちの"安全保障"など屁とも思っていないことがよくわかります。
 いかんいかん、タンホイザーの話だった。

 第2幕。ヴァルトブルク城内で、タンホイザーは恋人のエリーザベトと喜びの再会を果たします。そして歌合戦のために騎士や貴婦人たちが続々と集まってきます。この場面で演奏されるのが「行進曲」、私が一番聴きたかった曲です。舞台袖から現れて徐々に数が増えていく騎士・貴婦人に扮した合唱団、ああこれだけの人が歌ってくれるのかと思うだけでアドレナリンがびしびしと分泌してきます。色とりどりの衣装に身を包んだ騎士・貴婦人たちの集団が次々と現れて並び、そして歓喜が爆発する大合唱。もう一大絵巻ですね、素晴らしい演出でした。それにしても、これほど気持ちを高揚させ元気づけてくれる音楽があるでしょうか。中でも次のフレーズがいいですね。
Freudig begr?ssen wir die edle Halle, wo Kunst und Frieden immer nur verweil', wo lange noch der frohe Ruf erschalle.
 喜びてわれらは尊き殿堂にあいさつを送る。ここに芸術と平和は永遠にとどまれ! 喜ばしき叫びよ、長く響け!
 もう一度聴きたいな、アンコールで演奏してくれないかな。
 さて歌合戦ですが、領主は「愛の本質」という課題を歌い手に与えます。ヴォルフラムたちは精神的な愛を讃えて歌いますが、タンホイザーは反発して「ヴェーヌス讃歌」を歌い、快楽としての愛を礼賛します。一同は驚き、タンホイザーに剣を突きつけ殺そうとします。そこへエリーザベトが進み出て、彼の命を救うよう訴えます。すると遠くから微かに聴こえてくる荘厳な「巡礼の合唱」、思わず厳粛な気持ちになってしまう感動的な場面です。我に返って悔恨するタンホイザーに、ローマへ行って法王の許しを得るよう領主は命令します。"Nach Rom! (ローマへ!)"と叫びながらタンホイザーは走り去っていきます。

 25分の休憩の後、第3幕。ヴァルトブルク郊外の谷間で、エリーザベトとヴォルフラムがタンホイザーの帰還を待っていると、「巡礼の合唱」とともに巡礼たちが戻ってきますが、彼の姿はありません。彼女は自分を犠牲にして彼を救ってほしいと聖母マリアに祈り、去っていきます。そしてヴォルフラムは、彼女の祈りが聞き届けられるよう星に向かって「夕星の歌」を歌います。切なく高貴な歌ですね。
 するとやつれはてたタンホイザーが現われ、教皇の許しを得られなかったと語ります。絶望し慟哭するタンホイザー、彼を再び快楽の園へと誘う女神ヴェーヌス、必死で彼を引きとめるヴォルフラム、この三者のかけあいは、息が詰まるほど劇的でスリリングです。しかしヴォルフラムが「エリーザベト!」と叫ぶと彼は我に帰り、女神は消え去ります。そしてエリーザベトを納めた棺が彼の前に置かれると、彼は棺にすがって息絶えます。最後に神と奇蹟を讃える「巡礼の合唱」が歌われますが、すべてを浄化するような清らかな調べに心癒されました。そして幕。

 指揮も、オーケストラも、歌手も、合唱団も、バレエ団も文句なし。極上のひと時を過ごすことができました。多謝。今度は「ローエングリン」を聴きたいですね。

 付記。山ノ神が購入したパンフレットに、末延芳晴氏が寄稿されていました。彼によると、永井荷風がアメリカにいた時に、ワーグナー、ことに「タンホイザー」に心酔し、それをモチーフにして『旧恨』(『あめりか物語』所収)という短編小説を書いたそうです。へえ、今度読んでみましょう。荷風は娼婦イデスとの快楽に溺れており、『西遊日誌抄』(1906.7.8)にこう記しているとのことです。
 余は妖艶なる神女の愛に飽きて歓楽の洞窟を去らんとするかのタンホイゼルが悲しみを思ひ浮べ、悄然として彼の女(ひと)が寝姿を打眺めき。あゝ男ほど罪深きはなし。

by sabasaba13 | 2019-02-24 08:10 | 音楽 | Comments(0)

「BALLUCHON」

c0051620_1456755.jpg ジャズが大好きですが、専門誌を読んで新譜を追いかけるほどではない、へたれな愛好家です。主に参考にしているのは『週刊金曜日』の音楽評、時々素敵なジャズ・アルバムを紹介してくれるので重宝しております。ビル・エヴァンスの『アナザー・タイム』も本誌で知りました。
 この音楽評で紹介されていたのが、小川理子(みちこ)氏の最新ジャズ・ピアノ・アルバム『BALLUCHON(バルーション)』。何と彼女は、パナソニック株式会社で執行役員とアプライアンス社副社長・技術本部長の要職にあり、さらに日本オーディオ協会の会長も務めるなど、日本の家電・オーディオ業界を牽引している方だそうです。選曲は、2018年に生誕 120 周年を迎えたジョージ・ガーシュインの作品と、2019 年に生誕120 周年を迎えるデューク・エリントンの作品を中心としたスタンダード・ナンバー。そしてレーベルは、オーディオ評論家の潮晴男氏と麻倉怜士氏が運営する「ウルトラ・アート・レコード」、音質も期待できそう。A面は麻倉怜士氏がプロデュースし、メンバーは浜崎航(ts・fl)、中平薫平(bs)、吉良創太(ds)。B面は潮晴男氏がプロデュースし、メンバーは田辺充邦(g)、 山村隆一(bs)、バイソン片山(ds)。アナログ・レコードを意識した構成になっています。

 うわお、ご機嫌なアルバムでした。一聴、驚いたのはその音の美しさとタッチの明晰さです。黒々とねばりつくパワフルな音を期待する方には少々物足りないかもしれませんが、私はこれはこれで楽しめました。まるで真珠のように、ひとつひとつの音の粒が際立ち輝いています。ライナーノートによると、彼女は、3 歳からピアノレッスンを開始、バッハからモーツァルト、ベー トーヴェン、ショパン、リスト、さらには現代音楽まで弾きこなすそうです。コード(和音)の響きが美しいのも、そのクラシック・ピアノを練習した賜物でしょう。それに加えて、スピード感とグルーヴ感がアルバム全体を貫き、思わずスイングしてしまいます。「Oh lady be good」「Love for sale」「In a sentimental mood」「Do nothing till you hear from me」「I got Rhythm」「But not for me」「Take the A train」「C jam blues」「Smile」「Perdido」「Nobody knows the trouble I've seen」「Lady Madonna」、みんな素晴らしい出来ですが、私が一番好きなのが何といってもデューク・エリントンが1935年に作曲した名曲「In a sentimental mood」でした。この曲には、作曲者本人とジョン・コルトレーンによる名演がありますが、それと双璧をなします。上質なタッチと、情感に溢れた即興演奏、しかし感情に流されずに凛とした佇まいが見事。身も心も溶解し、聞き惚れてしまいました。
 また「Do nothing till you hear from me」「Smile」「Nobody knows the trouble I've seen」では、ハスキーな声でヴォーカルを披露してくれます。中でも「スマイル」は私の大好きな曲、しんみりと拝聴いたしました。チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』で使用されたテーマ曲に、ジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞とタイトルを加えたものだそうです。映画では、少女(ポーレット・ゴダード)とチャップリンが勤めていたキャバレーを解雇され絶望にうちひしがれる彼女を、「笑って」と励ます場面で流れた曲ですね。高校生の時、ラジオから流れたこの曲を聴いて思わずほろりと涙ぐんだ記憶があります。
 なおアルバムタイトルのBalluchon (バルーション)とは、フランス語で「旅立ち」の意味だそうです。彼女がどこまで行くのか、楽しみです。
by sabasaba13 | 2019-01-31 07:43 | 音楽 | Comments(0)

カルメン

c0051620_2153726.jpg それほど詳しくはないのですが、オペラは大好きです。音楽・演劇・美術の総合芸術を堪能し、塵が積もった日々の時間・空間からしばし別世界を楽しむ、最高ですね。今回は、山ノ神ともども以前から見たいと思っていたビゼーの『カルメン』を、新国立劇場オペラパレスで鑑賞してきました。カルメンはジンジャー・コスタ=ジャクソン、ドン・ホセはオレグ・ドルゴフ。ジャン=リュック・タンゴー指揮する東京フィルハーモニー交響楽団に、新国立劇場合唱団と新国立劇場バレエ団も共演します。下世話な話で恐縮ですが、われわれはだいたいB席をおさえます。まあまあ安いし、3階ですが舞台全体を上方から一望できるので、全体の動きがよくわかります。オーケストラ・ピットが見えないのが玉に瑕ですが。
 さあ始まり始まり。第1幕は、時は1820年ころ、セビリアのタバコ工場前の広場が舞台です。当時の街並みをリアルに表現した豪華なセットに一安心。ひと時の異次元・異空間を楽しみたいので、やはりセットにはお金をかけていただきたいものです。以前にウィーンの国立歌劇場でワーグナーの『リエンツィ』を見た時、現代風のチープなセットと、ジーンズを着てスニーカーを履いた歌手に失望した思い出があります。
 閑話休題。広場には女工目当てに男たちが集まっていますが、彼らの一番人気はカルメン。彼女は「ハバネラ」を歌って男たちを魅了します。ところが、衛兵のドン・ホセだけは彼女に興味を示しません。そこでカルメンは胸に付けていたカッシアの花をホセに投げつけ、去っていきました。
 仕事に戻った女工たちは工場の中で喧嘩騒ぎを起こします。原因はカルメンで、彼女は捕らえられます。でもカルメンは、衛兵のホセを誘惑して手縄をゆるめさせ、逃げ去りました。
 あの有名な前奏曲や、官能的な「ハバネラ」を聴いただけで血沸き肉踊ります。子どもたちの合唱「交代の部隊といっしょに」も楽しい曲です。『カルメン』では合唱がふんだんに取り入れられ、曲に変化とスケールを与えています。新国立劇場合唱団の素晴らしい合唱に魅せられました。
 余談ですが、以前セビリアを訪れた時、添乗員さんが舞台となったタバコ工場を教えてくれました。現在は大学になっているそうです。

 第2幕。1ヶ月後、カルメンを逃がした罪で禁固となっていたホセが、閉店後の酒場にいた彼女に会いに行きます。ホセは彼女からもらった花を手に愛を告白しますが、それならばとカルメンは彼に軍隊に帰営しないで、すべてを捨てて自分の下に残るように求めます。ホセは迷いました。そして仕方なく脱走兵としてジプシーの仲間となったのです。
 ここではやはり、エスカミーリョ(ディモシー・レナー)が歌う「闘牛士の歌」が聴きものですね。密輸団の怪しい連中がコミカルに軽妙に歌う五重唱「一仕事思いついたのさ」には思わず緩頬してしまいます。なお新国立劇場バレエ団の見事な踊りも、オペラに花を添えてくれました。

 第3幕。カルメンのジプシー仲間は密輸をして稼いでいました。そのことを知って後悔するホセ。カルメンはそんな彼に愛想を尽かします。カルメンの恋心は、すでに闘牛士エスカミーリョに移っていました。そこへホセの故郷から娘ミカエラが訪ねてきます。彼女からホセの母が重病だと聞いて、彼は故郷に帰ることにします。
 1ヶ月後、闘牛場前の広場。この日は闘牛の当日で、カルメンと愛の言葉を交わした闘牛士エスカミーリョが闘牛場に入っていきます。広場に残ったカルメンの前に現れたのが、戻ってきたホセです。やり直そうと言うホセでしたが、カルメンは彼を相手にしません。しつこく食い下がるホセに対し、カルメンは昔もらった指輪を投げつけました。そのときホセは激昂してカルメンを刺し殺してしまいます。そしてその場に呆然と立ちつくしたのでした。
 砂川涼子が歌う「ミカエラのアリア」に聞き惚れました。うっとりとする美声と感情表現、素晴らしい。これからは贔屓にさせていただきます。

 というわけで、十二分に堪能いたしました。歌手陣もオーケストラも合唱団にも満足。そして何より、魅力的な数々の曲に時を忘れました。ビゼーは凄いメロディ・メーカーだったのですね。
 そしてカルメンという稀有なる女性に圧倒されました。これはメリメの手柄なのかもしれませんが。19世紀前半という時代背景の中で、女性とロマ(ジプシー)という二重に差別された存在でありながら、仕事を持って自立し、時には密輸にも関わりながら強かに生き抜くカルメン。現代のわれわれから見ると、単なる悪女(ファム・ファタール)とは思えません。そして彼女の、自由への飽くなき渇望にいたく感銘を受けました。
空はひろびろ さすらいの暮らし
世界をねぐらに 気ままに生きる
そして なによりすばらしいのは
自由よ! 自由なのよ! (第二幕の二重唱)

カルメンはいうことなんか聞かない
自由に生まれて、自由に死ぬのよ (フィナーレの二重唱)
 なお朝日新聞デジタル(18.12.18)によると、世界経済フォーラム(WEF)が発表した2018年の男女格差(ジェンダーギャップ)報告書によると、男女平等度で日本は149カ国中110位、主要7カ国(G7)中では最下位だったそうです。女性への差別を何としてでも維持しようとしている御仁たちに、ぜひこのオペラを見ていただきたいものです。
by sabasaba13 | 2018-12-22 07:11 | 音楽 | Comments(0)

辻井伸行頌

c0051620_22183227.jpg ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝した、若き盲目のピアニスト、辻井伸行君。テレビでその素晴らしい演奏を何度か拝見したのですが、隔靴掻痒、ぜひ生の音を聞いてみたいと常々思っておりました。念ずれば花開く、ウラディーミル・アシュケナージ指揮によるアイスランド交響楽団と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番およびショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏会が開かれるとの情報を得ました。前者を聴きたかったのですがチケットはすでに売り切れ。後者でしたら所沢市民文化センター「ミューズ」での演奏会で二枚購入が可能です。さっそく山ノ神を誘って、聴きに行くことにしました。
 西武鉄道新宿線の航空公園駅で降りて、てくてくと歩くこと十分ほどで「ミューズ」に着きました。そして席についてプログラムを拝読。本日の曲目は、シベリウスの「カレリア組曲」、ショパンのピアノ協奏曲第2番、休憩をはさんでシベリウスの交響曲第2番です。私も山ノ神もシベリウスが大好きなので、これは嬉しいプログラムでした。以前にスカンジナビア諸国を訪れた時には、フィンランドでシベリウス関連の史跡やモニュメントを見学したことを思い出します。
 まずは「カレリア組曲」、間奏曲、バラード、行進曲からなる管弦楽作品ですが、実はこの曲には思い出があります。高校生の時、ジャズマンになりたいという夢を持っていました。きっかけは当時、夢中になって読んでいた五木寛之の『青年は荒野をめざす』という小説です。たしか主人公の名前はジュンだと思いましたが、そのかっこいい生き方に惚れ込んでしまった次第です。はじめて買ったジャズのレコードはマイルス・デイビスの『アット・カーネギー・ホール』、あまり評価されていませんが、よくスイングするクインテットだったと思います。とくにウィントン・ケリーのコロコロところがるようなのりのいいピアノと、ポール・チェンバースの地を揺るがすような重厚なベースに夢中になりました。よし、ベースマンになるぞ、と一念発起、しかし基礎をしっかりとやるべきであろう(私は変なところで堅実なのです)、大学オーケストラに入部してコントラバスの練習に勤しみました。同時にジャズの教則本や理論書を買い込んで独学で学んだのですが…結局ものになりませんでした。即興演奏のなんと難しいことよ。以後、ジャズはもっぱら聴くだけとなり、今では楽器をチェロに変え、チェリストの末席をけがしておりますが、ジャズマンになりたいという心の火はまだどこかで燻っています。そしてこのオーケストラでは、教養学部一年生と二年生が中心のユース・オーケストラを編成して、課題曲を練習・合奏する夏合宿がありました。忘れもしない、私が大学一年生の時に、この合宿ではじめて演奏したのが、この「カレリア組曲」と、ベートーヴェンの交響曲第1番の第1・第2楽章でした。ああ、甘酸っぱいものがこみあげてくる。特に第3曲の行進曲を聴くと、今でも血沸き肉躍りアドレナリンがふつふつと分泌してきます。
 さて肝心の演奏です。アイスランド交響楽団の紹介がパンフレットにあったので、引用します。
 アイスランドを代表するオーケストラであるとともに、その高い演奏技術と美しいアンサンブルから北欧を代表するオーケストラのひとつとして人気を博している。アイスランドの首都レイキャビクにある現代建築の分野でも注目を集めるHarpa Concert Hallでの定期演奏会のほか、海外ツアーも積極的に行っている。桂冠指揮者としてウラディーミル・アシュケナージを擁するほか、これまでにケンプ、アラウ、ギレリス、メニューイン、ロストロポーヴィチ、バレンボイム、パヴァロッティといった一流のソリストたちが共演している。
 実は偶然なのですが、今年の夏に念願だったアイスランド旅行をしてきました。氷河、火山、瀑布、荒涼とした大地、素晴らしい自然の景観を堪能するとともに、過酷な環境のなかで大地を踏みしめるように実直に暮らすアイスランドの方々にも強い印象を受けました。それと安易に結びつけてはいけないのかもしれませんが、でもこのオーケストラの音はアイスランドの自然や人間を思い起こさせます。外連味のない真面目な音楽づくりと、玲瓏な音。やや迫力不足の感は否めませんが、それを補って余りある美しい音楽でした。指揮者のアシュケナージもその魅力を十分に引き出したと思います。なお彼らの本拠地であるHarpa Concert Hallも見学してきましたが、柱状節理を模したユニークな意匠でした。
 そしてアシュケナージの両肩につかまるようにして辻井君が登場しました。万雷の拍手のあと椅子に座り、両手を左右に大きく広げて鍵盤の位置を確認する姿が印象的です。もちろん眼前の譜面台には何も置いてありません。目が見えないというハンディキャップを背負いながら、いったい彼はどれくらいの努力をしたのでしょう。ただただ首が下がるだけです。そういえば中野雄氏が『モーツァルト 天才の秘密』(文春新書487)の中で、モーツァルトについてこう言っておられました。
 …群百の音楽家に比して、百倍も千倍も努力した人であった。ただ、彼はその"努力"を「つらい」とか、「もういやだ」と思わなかっただけの話である。
 そういう意味では、辻井君も天才なのかもしれません。そして音楽がはじまりました。ショパンのピアノ協奏曲第2番は、第1番に比べてやや地味な印象があります。しかし辻井君の手にかかると、珠玉の逸品に生まれ変わります。彼の弾く和音の何と美しいことよ。絶妙のバランスで和音を美しく響かせているのでしょう、その聴覚の鋭敏さには脱帽です。またオーケストラの伴奏とのバランスも見事です。押すべきところ押し、引くべきところは引く、自らの奏でる音とオーケストラの音を丁寧に聞き取りながら、両者を一つの音楽に撚りあげる。素晴らしい耳です。『ピアノの森』(一色まこと 講談社)の中で、アンジェイ・パヴラス先生が雨宮修平に、「自分の音をきちんと聞けたら、名人の域だ」と諭したことを思い出しました。
 辻井伸行君、もとい辻井伸行氏、素晴らしいピアニストでした。もう一度、いや何度でも聴きにこようと山ノ神と意気投合しました。嬉しいことにアンコールを弾いてくれましたが、スイング感とスピード感にあふれたノリノリの佳曲でした。音楽を奏でる喜びに満ちた辻井氏の超絶技巧に脱帽。ブラーボ。後で、ウクライナの現代作曲家ニコライ・カプースチンの「8つの演奏会用練習曲」第1番だと判明。さっそくCDを購入して、いまハマっています。
 そして休憩、外で紫煙をくゆらしながら興奮と熱気をさまし、さあシベリウスの交響曲第2番です。シベ二、実はこれも、前述の大学オーケストラの定期演奏会で初めて弾いた思い出の曲です。私は交響曲第3~6番の方が好きなのですが、もちろん第2番も良い曲です。迫力はありませんが、一音一音を大切に奏でる緻密なアンサンブル、そして丁寧な音楽づくりに心惹かれました。
 アンコールは、私の大好きなシベリウスの「悲しきワルツ」。美しく魅惑的なワルツ、狂熱の乱舞、そして静寂と死。小品ながらも、変化に富んだ素晴らしい曲です。アイスランド交響楽団の端正で誠実な演奏を堪能しました。中間部でもっとデモーニッシュな雰囲気があってもよかったかな、まあ諒としましょう。

 というわけで辻井伸行氏の演奏とシベリウスの音楽を満喫できた素晴らしい午後でした。特に辻井氏のピアノはリピーターになりそうな予感。御贔屓にさせていただきます。

 おまけの蔵出し写真、上からフィンランド・ハメーンリンナにあるシベリウスの家(二枚)、ヘルシンキのシベリウス公園(二枚)、そしてアイスランド・レイキャビクのHarpa(ハルパ) Concert Hall (二枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-12-14 06:24 | 音楽 | Comments(0)