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「メモリアル・アルバム 1955-2014」

c0051620_10271012.jpg 入江宏というピアニストをご存知ですか。先日『週刊金曜日』のCD評で教示していただき、はじめて知りました。内科医として病院勤務の多忙な日々を送りつつ、東京や横浜などのジャズ・スポットで週末に数セットのライブ演奏をしたジャズ・ピアニスト。しかし円熟期に病となり、長い闘病生活を経て、2014年3月に逝去されました。享年58歳。彼の素敵なピアノ演奏をおさめたアルバム「メモリアル・アルバム 1955-2014」が発売されているとのこと、さっそく購入しました。
 まずジャケットが良いですね。地味な色合いの無地に、眼鏡と髭のみのイラストで描かれたシンプルで愛らしい似顔絵が中央に小さく置かれています。彼の人となりや演奏が彷彿としてくるようです。CD二枚組で、一枚目はソロ・ピアノ。家人にも知らせずに自宅でひそかに録音していたものが、死後偶然に見つかったもの。二枚目は彼がピアニスト、キーボード奏者としてジョージ大塚・山口真文・ミロスラフ・ヴィトゥス・神崎ひさあきらと共演したレコーディング・セッション。
 一曲目の「ラストナイト・ホエン・ウィー・ワー・ヤング」から、彼の世界に惹きこまれました。シャイな男性が、はにかみながら、思いのたけを言葉を選びながら愛する女性に告げるような演奏です。ほんとうに一音一音を大切にした暖かいピアノです。心や体の隙間や溝にたまった俗塵がきれいに洗い流されるようです。最近は、仕事に疲れて帰宅すると、まずこのCDを聴くようになりました。二枚目のセッションもわるくはないのですが、やはり一枚目のソロ・ピアノが出色の出来ですね。

 ご子息のブログで、入江宏氏の友人が書かれたライナーノーツが紹介されていました。引用します。
 自分より若い世代の医師たちが、検査データの数値が表示されたPC画面ばかりを見ていて患者の顔も見ず、聴診も触診も行わなくなっていることを、入江が嘆息まじりに口にするのを聞いたことがある。人間に対する、生に対する敬意と配慮は、医師・入江宏と音楽家・入江宏に共通する姿勢だった。そして、硬直した制度や組織、強ばった精神は入江宏が最も嫌うところだった。
 "生に対する敬意と配慮"、彼の素晴らしい音楽を理解するポイントはここにありそうですね。
by sabasaba13 | 2018-04-25 06:27 | 音楽 | Comments(0)

セシル・マクロリン・サルヴァント頌

 『週刊金曜日』のCD評で、セシル・マクロリン・サルヴァントという若きジャズ・ボーカリストの存在を知りました。さっそく紹介されていた、グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に選ばれたアルバム「ドリームス・アンド・ダガーズ」を購入して聴きましたが、これがなかなかいける。近々来日して、「ブルーノート東京」でライヴを開くとのこと、ぜひ聴いてみたいですね。そういえば、最後にジャズの生演奏を聴いたのは、大学生のときに新宿の「ピットイン」以来です。最近合唱にはまっている山ノ神を誘ったら快諾、ジャズ・ボーカルにも興味があるようです。チケットぴあでチケットを購入したところ、お店に電話を入れて整理番号を得るとのことでした。連絡をしたところ、開演一時間前に来店して整理番号順に席を選べるとのことです。なるほど。でも一時間も店の中でぼーっとしているのもなんですし、近くに面白い場所はないでしょうか。インターネットで所在地を調べてみると、ぬぅわんと、すぐ隣が根津美術館、歩いて行ける距離位に青山霊園があります。時は3月24日、例年より早く東京では桜が満開になりつつあります。青山霊園で桜並木を愛で歴史上の人物のお墓を掃苔し、「ブルーノート東京」に行って席をおさえ、桜に期待して根津美術館のお庭を徘徊し、店に戻ってサルヴァントのライヴを聴く。おお、巨大な連関が音を立ててつながった。がしゃん。

 当日、すこし早めに家を出ようとすると、「きゃージャズ・クラブなんて初めて、何着ていこうかしら何着ていこうかしら」とはしゃぐ山ノ神。お召し物の選択に時間をとられ、出立の時刻が大幅に遅れてしまいました。せんかたない。掃苔は後日にゆっくりすることにして、まずは青山霊園の見事な桜並木を遊歩。その途中で小村寿太郎と川上操六のお墓を偶然見つけることができました。
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 そして十分ほど歩いて「ブルーノート東京」へ、地下へ降りる階段のあたりに所狭しと貼ってあるジャズメンの写真に血沸き肉躍ります。
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 フロントで整理券をもらって順番を待ち、さらに地下へ降りると意外に広い空間でした。さてどこに座ればよいか、係の方にお薦めの席を訊ねると、やはりステージ近くで歌い手を間近に見られる席がよいでしょうと案内してくれました。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(『徒然草』第52段)ですね。開演まで退席すると係の方に告げて再入場券をもらい、すぐ近くにある根津美術館に行きました。隈研吾の設計による竹を使った印象的なエントランスを抜けて、館内へ。「香合百花繚乱」という企画展が開催されていましたが、時間がないので庭園だけ見ることにしました。起伏のある池泉回遊庭園で、都心とは思えないほどの静寂な雰囲気に満ち満ちています。残念ながら桜は少なかったのですが、心洗うような緑、爽やかな潺の音、鳥の声と風の音を楽しみました。
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 開演直前に「ブルーノート東京」に戻って席に着き、ジャマイカン・ジャークチキン、パスタ、シーザーサラダ、ビールを注文。不味くはないのですが、いかんせん値段が高い。次は、食事は違うところでいただいて、飲み物だけ注文することにしましょう。各テーブルには著名なジャズマンのプレートがありますが、われわれのテーブルにあったのはゲイリー・バートン。こいつは春から縁起がいいわい、私の大好きなヴィブラフォン奏者、チューリヒでライブ録音された「チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート」は愛聴盤です。用を足しにトイレに行くと、男女表示は音符。でもなぜ男性が四分音符で女性が八分音符なのでしょう? 女性は半人前ということですかい。
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 席に戻ってビールを飲みながらパスタを食していると、伴奏のアーロン・ディール(p)・ポール・シキヴィー(b)・カイル・プール(ds)を従えて、セシル・マクロリン・サルヴァント(vo)の登場です。ハイチ人の父とフランス人の母のもと、米国フロリダ州マイアミで誕生。5歳でピアノを始め、21歳の時に「セロニアス・モンク・コンペティション」のヴォーカル部門で優勝。2015年リリースの『フォー・ワン・トゥ・ラヴ』はグラミー賞の最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に輝いた気鋭のヴォーカリストです。貫頭衣のようなシンプルなワンピースとサンダル履き、リラックスした雰囲気ですが、その恰幅の良さには驚きました。大学生の時にオーケストラの先輩が「腹も楽器のうち」とよく言っていましたが、なるほど、声がよく響きそうです。
 そして歌が始まりましたが、一曲目から♪身も心も♪惹きこまれてしまいました。素晴らしい… 艶やかで張りのある声、伸びる高音と響く低音、気持ちのこもった節まわし。これぞジャズ・ボーカルという醍醐味を堪能しました。それに加えてバックをつとめるピアノ・トリオがお見事、サルヴァントの歌声を際立たせようと、隅々まで神経を使った繊細な演奏でした。なかでもカイル・プールのドラムがいいですね。ブラシやリム・ショットなどの多彩な小技を駆使したり、スティックを持つ位置を変えたりマレットを使ったりして、単調になりがちな太鼓の音に彩りを添えています。
 ニュー・アルバムを中心とした選曲で、スタンダード・ナンバーが少なかったのがすこし残念でしたが、十二分に楽しめました。アンコールで歌ってくれたのは、ア・カペラによるショパンの「別れの歌」。涙がにじむくらいに胸を打たれました。
 山ノ神もご満悦の様子。♪When you're smilin' The whole world smiles with you♪ 彼女の歌を、そしてジャズの生演奏を、また聴きに来るぞと、♪俺の闘志がまた燃える♪のでした。
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by sabasaba13 | 2018-04-23 08:11 | 音楽 | Comments(0)

ヴェルディの「レクイエム」

c0051620_214156100.jpg 最近、合唱にはまっている山ノ神。武蔵野合唱団に所属している知人からチケットを二枚購入したということで、第50回定期演奏会に誘われました。曲目はヴェルディの『レクイエム』、指揮は小林研一郎、管弦楽は日本フィルハーモニー交響楽団、独唱は森麻季(ソプラノ)、山下牧子(メゾソプラノ)、西村悟(テノール)、妻屋秀和(バス)、合唱は武蔵野合唱団。これはなかなか良さそう、ようがす、聴きに行きましょう。

 会場はサントリーホール、私は仕事があるので、各自で夕食をとって座席で落ち合うことにしました。そういえば、ホールの前にあるアーク森ビルの三階に「米楽(こめらく)」という和食のお店があり、宇和島名物の鯛めしを食べた記憶があります。よろしい、仕事を早く終わらせて鯛めしをいただきましょう。んが、好事魔多し、急の仕事が山のように舞い込んできててんてこ舞い。結局、ホールに着いたのは開演10分前、夕食を食べることができませんでした。ホールに入ると、山ノ神は余裕の吉田拓郎で、座席に鎮座されています。

 いただいたパンフレットを読みながら開演を待ちました。ヴェルディが作曲家として世に出たのは1842年初演の「ナブッコ」でしたが、これは劇中の合唱曲「行け、我が想いよ」が観客の心をとらえたことがきっかけでした。それまでソリストの美しいアリアの添え物的存在だった合唱が、ヴェルディによってストーリーを引き立てる存在にまで昇華されたのですね。この「レクイエム」は、彼が心酔していた文豪マンゾーニの一周忌のために作曲されたもので、ヴェルディが数々のオペラ曲の中で磨き上げた合唱技術の粋を集めた渾身の力作。これは楽しみです。

 そして合唱団やオーケストラのみなさん、独唱者の方々がステージに登場、最後に指揮者の小林研一郎氏が姿を現しましたが、突然マイクをもって話し始めました。なんと、バスの妻屋秀和氏が練習中に突然声が出なくなり、急遽、青山貴氏が代役として歌うとのことです。そういえば、ジャケットにジーンズというラフな服装でした。それにしても突然依頼されて、よく即座に歌えるものですね、さすがはプロフェッショナル。

 静かに語るように歌われる「レクイエムとキリエ」で曲は始まります。人間の声って、これほどまでもささくれだった心を癒してくれるのですね。そして最後の審判の情景を描く「ディエス・イレ(怒りの日)」の力強さと荒々しさに圧倒され、心が覚醒していきますが、これも声の力。この後も、独唱、二重唱・三重唱・四重合・ソリストと合唱のかけあいなど、さまざまなバリエーションで声のもつ魅力が紡がれていきます。武蔵野合唱団も、この曲が歌える喜びを満身に込めた素晴らしい音楽を聴かせてくれました。男性陣が少ないため、やや低音の弱さを感じましたが大きな瑕疵ではありません。小林研一郎氏も、「その声を聴衆の心に届けるんだ」と言わんばかりの情熱的な指揮で、武蔵野合唱団の意気を引き出してくれました。合唱っていいものですね、山ノ神がはまる気持ちが分かります。
by sabasaba13 | 2018-04-07 08:18 | 音楽 | Comments(0)

狂熱のギターデュオ

c0051620_8431641.jpg ん? なになに。「狂熱のギターデュオ 渡辺香津美meets沖仁」というコンサートが、三鷹市公会堂で開かれるそうな。以前に村治佳織・村治奏一姉弟とのギター・トリオ演奏会「TA14GP」を聴きにいって、彼の演奏の素晴らしさには舌を巻きました。今回はフラメンコ・ギタリスト沖仁氏とのギターデュオ、これはぜひ聴きにいきたいものです。満席間近でしたが、幸い席を確保でき、山ノ神と一緒に公会堂へ行ってまいりました。

 まずは公会堂のサイトから紹介文を転記します。
 ジャズ・フュージョン界はもとより、イエロー・マジック・オーケストラやジャコ・パストリアスらとの共演でも知られ、ボーダレスに活躍する"ギター・マエストロ"、渡辺香津美。2010年7月、スペインの権威ある「第5回ムルシア"ニーニョ・リカルド"フラメンコギター国際コンクール」国際部門で日本人初の優勝を成し遂げ、いまやジャンルを超えた人気を集める沖仁。このたび、それぞれ2010年10月以来3度目、2009年9月以来2度目となる三鷹への登場が、デュオ・ライヴという形で決定しました。
 二人は2011年に初めて共演して以来、お互いの演奏に心酔し、いまなお各地でデュオのライヴを展開しています。その白熱のライヴの模様は、2015年夏にリリースした『エン・ビーボ! ~狂熱のライブ~』からもうかがい知れます。このアルバムは4か所7公演からのベスト・テイクが収録されており、全国のギター好きを唸らせました。
 超人的なギターテクニックと豊かな音楽性から生まれる色彩豊かで芳醇な音色、魅惑のアドリブ、ゾクゾクするインプロヴィゼーション。スリリングな展開が刺激的なセッション・ライヴになることでしょう。
 ジャズ・ギタリストの渡辺香津美と、フラメンコ・ギタリストの沖仁。世界的な名プレーヤー二人が、三鷹市公会堂を舞台に繰り広げる熱い超絶ギターライヴに、どうぞご期待ください!
 ホールに入ると、ステージの上にはさまざまな種類のギターが置かれています。もうこれだけでワクワクしてきますね。どんな音が奏でられるのだろう。熱心なファンの方々が写真におさめていました。
 そして二人が登場しました。ジャズ、フュージョン、フラメンコといったジャンルを軽々と飛び越えて、奏でられるギターのサウンドに酔いしれるのみ。眼を交わし耳をとぎすませながら、二人で音楽を育て上げていく様子がよくわかります。「地中海の舞踏/広い河」「リベルタンゴ」「スカボロー・フェア」「アントニア」といったなじみ深い名曲をおりまぜた選曲もいいですね。アンコールは、チック・コリアの名曲「スペイン」、最後には二人で客席におりてきて圧倒的なギター・バトル、ホールを熱狂の渦に巻きこんでくれました。
 ああ楽しかった。なお途中で調子が悪かったのかPAがしばらく沈黙し、彼らの生の音を聴くことができました。やはり生の音はいいなあ。できうれば小さな会場でPAなしに、二人のデュオを聴きたいのですが、♪見果てぬ夢♪でしょうね。

 素敵な演奏のあとは、もちろん美味しい食事。西荻窪駅前にある老舗「こけし屋」で美味しいフランス料理に舌鼓を打ちました。スポーン なお公式サイトによると、この店の興味深い歴史を知ることができます。小生の文責でまとめますと、ここは戦前「大石洋品店」という洋品屋でしたが、運よく戦災を免れ焼け残ったこの敷地を、洋品屋の息子の大石總一郎と従兄の安田善一が甘味屋としてたてなおし、たくさんの人々がこぞって集まるようになりました。戦後、世の中がまだ落ち着かない中、せめて文化的なことを吸収したいとの思いから、毎週土曜日の夜に「こけし会」という、西荻界隈の文化人を講師に招き、近所の店主や学生、主婦などを対象にした文化講座を開いたそうです。屋号の名づけの親は安田で、店内にひっそりと飾られていたこけしを見た彼は、「国破れても日本の国の伝統は残っている。この店の名はこけし屋でどうだ」と言ったことから名付けられたとのことです。この店に集まった中央線沿線に住む文士や画家、石黒敬七、井伏鱒二、丹羽文雄、徳川夢声、東郷青児、田川水泡らがつくったのが「カルヴァドス会」。戦後公開された映画「凱旋門」(1948)のなかで、イングリッド・バーグマンがパリのビストロで飲んでいたりんごのブランデーから命名されました。この会のメンバーであった画家の鈴木信太郎が描いた可愛い西洋人形のような女性が、今でも包装紙として使われています。「店に歴史あり」ですね。こういう地域に根付いた老舗を贔屓にしていきたいものですね。

 後日談です。このコンサートの後、しばらくギター音楽にはまって、いろいろな名演のCDを聴きました。パコ・デ・ルシア+アル・ディ・メオラ+ジョン・マクラフリンによる『スーパー・ギター・トリオ・ライブ!』、ジャンゴ・ラインハルト、ウェス・モンゴメリー、アンドレス・セゴビアなどなど。痛切に感じたのは、こうした手練れのギタリストの奏でる音が、フレーズに流されずに一粒一粒際立っていることです。そういう意味でこの二人はまだ発展途上かな、精進を期待します。
by sabasaba13 | 2018-03-06 08:03 | 音楽 | Comments(0)

野ばらに寄す

 寒さが厳しくなってきました。いよいよ冬将軍の到来ですね、みなさまご自愛を。でも、暖かい部屋で、ホット・ウィスキーを飲みながらジャズを聴く喜びを思うと、冬も捨てたものではありません。福島や沖縄の人びとの思いを踏みにじり暴走する安倍内閣とそれを容認・黙認する人の多さ、動き出した超巨大活断層「中央構造線」と川内・伊方原発事故の危険性、エルサレムを首都と認めたトランプ大統領とテロリズム猖獗の予感、最悪の人道的危機にあるイエメン情勢など、心胆が寒くなるご時世ですが、せめてハート・ウォームなジャズを聴いて心の平衡を保ちたいものです。
 まわりにいる全ての人に親切にしたくなる曲、一押しは以前にも拙ブログで紹介した、ジョン・コルトレーン(ts)とデューク・エリントン(p)による「イン・ア・センチメンタル・ムード」。同じくコルトレーンによる「コートにスミレを(VIOLETS FOR YOUR FURS)」もいいですね。ソニー・ロリンズのアルバム「THE CUTTING EDGE」に収められている「野ばらに寄す(TO A WILD ROSE)」も素晴らしい。気が優しくて力持ちのお父さんが歌ってくれる子守唄のような、慈愛と滋味にあふれた演奏です。剛毅朴訥な即興演奏も聴きごたえがありますが、何といっても原曲が美しい。シンプルなメロディ・ラインとコード進行なのですが、心身にこびりついた塵や埃を洗い流してくれるような清楚で可憐な曲です。さすがはロリンズ、良い曲を書くなあ、とずっと思いこんでいたのですが…
この前の日曜日、NHK-FMの「きらクラ!」を聴いていたら、エドワード・マクダウェルというアメリカの作曲家の特集をしていました。過呼吸のような笑い声が魅力的な遠藤真理氏が「次は"野ばらに寄す"です」と曲目を紹介。

 えっ

 作業を中断してラジオから流れるピアノに耳を傾けると…まごうことなく、ロリンズが演奏していた曲です。そうか、マクダウェルという方がつくった曲だったのか。さっそくウィキペディアで調べてみました。1860年にニューヨークで生まれ、フランスとドイツで音楽を学び、帰国後はコロンビア大学で教鞭をとりました。しかし1902年に辻馬車に撥ねられ、その後遺症によって教壇に復帰することができなくなります。そして1908年に全身麻痺により急死、ニューハンプシャー州の避暑地ピーターバラに所有する山荘に埋葬されました。晩年のマクダウェルは、この別荘を、文筆家や作曲家のために芸術家村として開放するプランを練っており、その遺志はマリアン未亡人の尽力によりマクダウェル・コロニーとして実現されたそうです。
 これはぜひ他の曲も聴いてみたいものです。さっそくインターネットで調べたところ、彼のピアノ作品集は売られておりません。アマゾンでやっと一枚見つかりました。ピアニストはJames Barbagallo、収められている曲は「野ばらに寄す」をふくむ「森のスケッチ」、「海の小品集」、「炉辺のおとぎ話」、「ニューイングランド牧歌集」です。
 どの曲も大言壮語するでもなく、心のひだひだにじんわりと沁みとおってくるように語りかける佳曲です。ほんのちょっとスパイスがきいた親しみやすいメロディと和音が心身の凝りをほぐしてくれるので、最近は帰宅すると真っ先に聴くようになりました。まだまだこうした未知の作曲家に出逢えるかと思うと、生きているのもわるくないなと感じます。この二枚、お薦めです。
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 後日談です。小田実の『何でも見てやろう』(角川文庫)をひさしぶりに読み返していると、次の一文がありました。
 一年が経ち、ハーバードの留学期間も終りに近づくころ、それが終りになるということはアメリカ政府が月々くれるお手当のほうも終りになるということなので、どこかひと月かふた月、タダでメシを食わせてくれるところはないかしらと冗談口をたたいたら、「それでは、小田さん、『芸術家村(アーティスト・コロニー)』へ行きなさいとヒベット先生が知恵を授けてくれた。
 そこでは、最高三ヵ月ぐらいのわりで、作家、作曲家、エカキのたぐいにタダで暮らさせてくれるのだという。そんなふしぎでありがたいところが、金持国アメリカには数ヶ所あるのだった。耳よりな話ではないか。二つを選んで、さっそく応募することにした。
 むかし書いた小説のいいかげんな一節を英訳してタイプを叩き、ヒベット先生その他の推薦状をくっつけて出したら、首尾よく二つともO・Kがきた。二つとも出かけるとなると、タダで半年暮らせることになる。しかし、世の中のことはそううまくゆかない。極度に学業成績不良だったせいなのか、それとも他の理由によるのか、とにかくヒベット先生に言わせると「小田さんは不良外人ですからね」ということで、私は九月末日限りでアメリカ国を追い出されることになっていたのである。仕方がない、私は二つのうち「マクドゥエル・コロニイ」というのを選んで出かけることにした。
 むかし、マクドゥエルという作曲家がいた。彼は貧乏なのでコロンビア大学の先生になって生活費をかせいでいたが、そちらに追われて作曲に専念できず、貴重な才能をあたら棒にふってしまった。彼の死後、彼の奥さんはこういう「悲劇」を二度と芸術家に味わわせたくないというわけで、いろいろな手段で資金をあつめ、この理想郷をつくったのである。この種の「芸術家村」の最初のものであった。美談である。
 もっとも、そこに滞在している連中がその美談に値するかどうかとなると、問題は別であろう。連中を大別すると、避暑族と私のように無料飲食宿泊めあてのタダメシ族との二つに分かれる。(p.102~3)
 マクダウェルも草葉の陰で微苦笑していることでしょう。その抱腹絶倒のタダメシ生活については本文をご覧いただくとして、小田氏が『中流の復興』(NHK出版生活人新書224)で言われているような人生観は、こうしたゆるくてあたたかい暮らしをする中でかたちづくられたのだと思います。
 人間は基本的にこの世界に競争するため生れてきたのではない。お互いの人生を満喫しながら、社会を発展させるために、そこで生きるために生れてきた。
 エドワード・マクダウェルの優しい心根が、きっとソニー・ロリンズと小田実に伝わったのでしょう。
by sabasaba13 | 2017-12-28 06:58 | 音楽 | Comments(0)

トスカ

c0051620_6261055.jpg 人並はずれた知識や情熱や気合はありませんが、オペラは大好きです。音楽、文学、演劇、美術をまじえた総合芸術に身も心もどっぷりと浸れるひと時をこよなく愛します。これまでもリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』、プッチーニの『蝶々夫人』、モーツァルトの『魔笛』と『フィガロの結婚』、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』と『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、ヴェルディの『椿姫』などを聴いてきましたが、これからも機会を見つけて足繁くホールに通うつもりです。

 今回は、私の大好きな広上淳一氏が、プッチーニの『トスカ』を振るということで、山ノ神を誘って池袋の東京芸術劇場に行ってきました。座席は正面二階、舞台全体を見渡せ、指揮者とオーケストラの演奏も一望できる良い場所です。
 さてオペラのあらすじですが、ところはローマ市、時は1800年6月、ナポレオン率いるフランス軍が欧州を席巻していた頃です。ナポレオンを支持する共和派の画家カヴァラドッシは、脱獄した友人の政治囚アンジェロッティの逃亡を助けたために、反共和派の警視総監スカルピアに死刑を宣告されます。彼の恋人で有名歌手トスカは、彼を救おうと警視総監スカルピアを殺しますが、スカルピアの計略でカヴァラドッシは処刑され、そしてトスカも彼の後を追って自殺するという悲劇です。なんと主役級の人物がすべて死んでしまうのですね。
 注目は、カンヌ国際映画祭審査員特別大賞グランプリを受賞した映画監督の河瀨直美氏が、自身初となるオペラ演出に取り組んだことです。舞台を古代日本のような世界におきかえ、"ローマ"を"牢魔"に、"トスカ"を"トス香"に、"カヴァラドッシ"を"カバラ導師"、"スカルピア"を"須賀ルピオ"に読み替えています。正直言ってあまり意味はなかったと思いますが、大スクリーンに映した映像を多用した演出は見ごたえがありました。水の泡、炸裂する花火、子どもなど、劇的な効果をよくあげていたと思います。
 肝心のオペラですが、緊迫感にあふれるストーリー展開に加えて、「妙なる調和」や「歌に生き、愛に生き」や「星は光りぬ」といった素晴らしいアリアがちりばめられた、見事な作品です。トス香を演じたルイザ・アルブレヒトヴァ(ソプラノ)とカバラ導師を演じたアレクサンドル・バディア(テノール)は、みごとな歌唱力と表現力でした。しかし特筆すべきは、須賀ルピオを演じた三戸大久(バリトン)をはじめ、他の歌手はすべて日本人でしかも主役の二人に劣らない好演でした。いやあ、日本の歌手も上手くなりましたねえ、安心して聴くことができました。
 指揮者の広上淳一氏も、東京フィルハーモニー交響楽団も大熱演。感極まって、ぴょんぴょんと飛び上がる広上氏の姿を何度も見ることができました。

 というわけで、喜ばしき一夜でした。たまにはこういう素敵な夜を味わえないと、生きている甲斐がありませんね。そしてモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』、ビゼーの『カルメン』、ヴェルディの『アイーダ』などなど、まだ見ぬオペラに思いを馳せました。いまだ聴いていないオペラが山のようにある、なんて私は幸せ者なのでしょう。
by sabasaba13 | 2017-11-29 06:26 | 音楽 | Comments(0)

キャスリーン・バトル

c0051620_14254740.jpg 先日、山ノ神と一緒にサントリーホールでリリック・コロラトゥーラ・ソプラノ歌手、キャスリーン・バトルのコンサートを聴いてきました。大学生のころでしたか、ウィスキーのCMで彼女が唄った「オンブラ・マイ・フ」に感銘を受けて以来のファンです。声楽を習っている山ノ神も、彼女の歌を生で聴くのをたいへん楽しみにしていました。
 当日は仕事があるので、山ノ神とはホール近くの店で落ち合ってまず夕食をとることにしました。ホールや映画館に行く楽しみの一つは、その付近の店で美味しいものにありつけることです。渋谷アップリンクと「バイロン」のパン、ポレポレ東中野と「十番」のタンメン、オペラシティと「つな八」のてんぷら、浜離宮朝日ホールと「磯野屋」の寿司、新国立劇場と「はげ天」のてんぷら、東京文化会館と「池之端藪」の蕎麦、東京芸術劇場と「鼎泰豊」の小籠包、津田ホールと「ユーハイム」の洋食、岩波ホールと「揚子江菜館」の上海式肉焼そば・「スヰート・ポーズ」の餃子、新宿と「中村屋」などなど。
 さてサントリーホールの近くで食べるとしたら、どんな店があるのか。インターネットで調べてみると、アーク森ビルの中に「宇和島鯛めし 丸水」というお店を見つけました。鯛めしか、以前に宇和島で食べたことがありますが、鯛の刺身と生卵をだし汁に入れ、ぐちゃぐちゃかき回してご飯にかけるという豪快な料理です。なかなか美味しかった記憶があるので、この店に決定。午後六時に店の中で待ち合わせることにしました。
 ところが好事魔多し、改装中のため閉店中です。無念。仕方がないので同ビル内にある「水内庵(みのちあん)」という蕎麦屋で、私はカツカレー、山ノ神はおかめうどんをいただきました。それにしても蕎麦屋のカツカレーってどうして美味しいのでしょうか。すったもんだがありましたが、午後七時少し前に、席に着くことができました。わくわく。

 そしてキャスリーン・バトルと伴奏のジョエル・マーティンが舞台に登場。1948年生まれですから、齢69歳。しかしとてもそうは見えない若々しさ、さらには圧倒的な存在感と大輪の華のようなオーラには目を瞠りました。
 プログラムは、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」、シューベルトの「あらゆる姿をとる恋人」「夜と夢」「ます」「糸を紡ぐグレートヒェン」、メンデルスゾーンの「新しい恋」「歌の翼に」、ラフマニノフの「夜の静けさに」「春の奔流」、リストの「ローレライ」、オブラドルスの「いちばん細い髪の毛で」、トゥリーナの「あなたの青い目」、G.&I.ガーシュウィンの「サマータイム」「バイ・シュトラウス」、R.ロジャース&O.ハマースタインIIの「私のお気に入り」、そして黒人霊歌から「ハッシュ」「私の小さなともし火」「天国という都」「馬車よやさしく」です。
 それにしても、何と美しい声であることよ。艶やかで、なめらかで、張りがあって…いや言葉では表現できません。お年のせいか、最弱音を保つのに少々苦労されているようですが、致し方ないですね。選曲も、歌曲あり、スタンダード・ナンバーあり、黒人霊歌ありとバラエティに富み、楽しむことができました。
 伴奏のジョエル・マーティンもいいですね。ラフマニノフの超絶技巧の伴奏を難なく弾きこなし、ジャズ風の即興演奏も披露してくれました。圧巻はアンコール、なんと黒人霊歌を中心に九曲も歌ってくれました。もちろんサービス精神もあるのでしょうが、それ以上に歌うことが好きで好きでしょうがないという気持をひしひしと感じます。山田耕筰作曲、北原白秋作詞の「この道」も歌ってくれましたが、しみじみとした良い曲ですね。客席から唱和する歌声も聴こえてきました。

 人間の声の素晴らしさ、凄さをあらためて思い知ることができた、至福の一夜でした。
by sabasaba13 | 2017-11-27 14:26 | 音楽 | Comments(0)

トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース

c0051620_6345870.jpg 中川五郎氏の『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』、これも『週刊金曜日』の音楽評で教示していただいたCDです。中川氏といえば、『受験生ブルース』を作詞したフォーク・シンガーですね。そして"烏山神社の椎ノ木"といえば…拙ブログでも紹介した、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関係するあの椎ノ木でしょう。くりかえしますと、1923(大正12)年9月2日の午後9時頃に、甲州街道沿いの東京府千歳村烏山で起きた虐殺です。ある土木請負人が、京王電鉄の依頼で朝鮮人労働者18名と共にトラックに乗って、地震で半壊した車庫を修理するために、笹塚方面に向かっていました。しかし、烏山附近まで来た時、竹槍を携えていた7、80名の青年団員に停車を命じられ、全員路上に立たされました。彼らは襲撃してきた朝鮮人集団と解釈し、鳶口、棍棒、竹槍等によって激しい暴行を加えて一人を刺殺し他の者にも重軽傷を負わせました。この事件で12人が起訴された時、千歳村連合議会は、この事件はひとり烏山村の不幸ではなく、千歳連合村全体の不幸だ、として彼らにあたたかい援助の手をさしのべます。ある人物曰く、「千歳村連合地域とはこのように郷土愛が強く美しく優さしい人々の集合体なのである。私は至上の喜びを禁じ得ない。そして12人は晴れて郷土にもどり関係者一同で烏山神社の境内に椎の木12本を記念として植樹した。今なお数本が現存しまもなく70年をむかえようとしている」「日本刀が、竹槍が、どこの誰がどうしたなど絶対に問うてはならない。すべては未曽有の大震災と行政の不行届と情報の不十分さが大きく作用したことは厳粛な事実だ」。なお烏山神社には、当時植えられた椎の木のうち4本が残り、参道の両側に高くそびえているそうです。

 それではなぜ彼がこの事件を歌にしたのか。「ハフポスト日本版」の中で、彼がその思いを語っているので紹介します。きっかけは『九月、東京の路上で』(加藤直樹 ころから)を読んだことだそうです。
「僕は1980年代に10年ほど烏山に住んでいて、このあたりもよく通っていながら、事件のことを知らなかったんですよ。それから烏山神社のことも。だから加藤さんの本を読んだときはショックでね。すぐに歌を作って現場を訪れました」

「怖いことです。僕も住んでいたからこそ分かるんですが、千歳の村でかばい合う意味での絆があったんでしょうね。身内の団結というか、例え誤ったことでもそれは地元のためにやったことだからと正当化してしまう。内向きでそれを正義にしてしまう。日本の恐ろしい所、この国が犯して来た過ちです。これを歌わなければと強く思ったわけです」

「でもね。僕が歌っているのは、94年前のことではなく、今の日本のこと。事件は過去のことでも現在と未来のことを歌っているんです」

「自分たちと異なる人たち、出自を外国に持つ人であったり、障害を持つ人たちとこの国で共に生きようとするのではなくて排除しようとしている。そんなひどい社会になっているじゃないですか」
 そして関東大震災の虐殺について、歴代都知事が行って来た朝鮮人犠牲者の追悼式に対する追悼文を、小池百合子都知事は約6000人という犠牲者の数に疑義を呈して今回は見送ると表明しました。
「ああいう歴史修正が恐ろしい。小池知事は東京大空襲や広島、長崎の被害の数字にはこだわりは見せていないじゃないですか。それでいて関東大震災の虐殺については数字から事実ではないのではないかという言いがかり。仮にその数字に信憑性がなかったとしても、例え犠牲者の数が少なかったとしても、デマがあって自分たちと違う人々がそれを理由に殺されたという悲惨な出来事自体はあったわけです」

「都知事の立場ならば、かつて東京でそういう事件が起こったということ、数字の正確さよりもそれを二度と繰り返さないという誓いを言わないといけないと思うんですよ。ところが、数字の問題にすり替えて、あった事実をゼロにしてしまう。知事が追悼の言葉を送らないなんて考えられないですよ。恐ろしい時代になって来ました。そのおかげで僕はこの年になって歌いたいことがどんどん出て来ました」
 うーむ、これはぜひ聴いてみたい。インターネットで調べて、対レイシスト行動集団(Counter-Racist Action Collective、略称C.R.A.C.[クラック])の通信販売サイトで購入しました。この事件をひとつの物語として、生ギター一本で歌い上げた17分49秒の力作です。いや歌というよりは、語り、そして叫びですね。まず軽快なギターの伴奏とともに事件の概要が語られ、最後の短いフレーズが歌となります。やがてこの椎ノ木が、犠牲者を悼むためではなく、加害者を労うために植樹されたことに話が至ると、俄然、中川氏の言葉に熱と力がこもってきます。そしてヘイト・スピーチなど、未だに朝鮮人への差別意識が払拭されていない現状を語るとともに、氏の言葉は怒りのかたまりとなって爆発します。
変わらないこの国 変わらないこの国の人たち
変わろうとしないこの国 変わろうとしないこの国の人たちを
残った椎ノ木は 見つめている
また同じことを 繰り返そうとする
この国を見つめている
「良い朝鮮人も 悪い朝鮮人も みんな殺せ」
そんなことを 街中で大声で叫ぶ人たちがいて
それに 見て見ぬふりをして
何も言おうとしない人たちが あふれるこの国
変わらないこの国 変わらないこの国の人たち
変わろうとしないこの国 変わろうとしないこの国の人たち
今も残った椎ノ木は 同じことを繰り返す
この国を見て 一体何を思うのか
僕は思った 僕は思った
変わろうとしないこの国を 変わろうとしないこの国の人たちを
変わろうとしないこの国を 変わろうとしないこの国の人たちを
まるで まるで まるで まるで
まるで まるで まるで まるで
祝福しているかのような この大きな椎ノ木を
ぶった切ってやりたいと
 ひさしぶりに聞くことができた、素晴らしいメッセージ・ソングです。強烈な差別意識、とそれに対する無関心や傍観、私たちの心に潜む暗部を怒りとともに抉りだす中川氏の志にいたく共感しました。そう、理不尽で没義道なものに対して、きちんと怒ること。『怒れ!憤れ!』(日経BP)の中で、ステファン・エセル氏もこう述べられています。
 いちばんよくないのは、無関心だ。「どうせ自分には何もできない。自分の手には負えない」という態度だ。そのような姿勢でいたら、人間を人間たらしめている大切なものを失う。その一つが怒りであり、怒りの対象に自ら挑む意志である。(p.45)

 現代の社会には、互いの理解と忍耐によって紛争を解決する力があると信じる希望。そこにたどり着くためには、人権を基本としなければならない。人権の侵害は、相手が誰であれ、怒りの対象となるべきだ。この権利に関する限り、妥協の余地はない。(p.85)
 人間を人間たらしめている大切なもの、怒りを呼び起こしてくれる一枚。お薦めです。

 本日の一枚は、先日撮影してきた烏山神社の椎ノ木です。
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by sabasaba13 | 2017-11-24 06:36 | 音楽 | Comments(0)

ビル・エヴァンス 『アナザー・タイム』

c0051620_628482.jpg 購読を始めた『週刊金曜日』の書評・音楽評・映画評がなかなか充実していると拙ブログで報告しましたが、今日はそこからビル・エヴァンスのCDを紹介します。

 ふだん家で聴く音楽は、クラシック:ジャズ:ロック:その他が、5:3:1:1ぐらいの割合ですね。ジャズは50~60年代のハード・バップが中心ですが、愛聴しているのはマイルス・デイヴィス、ウィントン・ケリー、ウェス・モンゴメリー、そしてビル・エヴァンスです。一日の仕事を終えて帰宅し、缶ビールを飲みながらビル・エヴァンスのピアノに耳を傾けるのが至福のひと時。類まれなる歌心と心地よいスイング感が、身に積もった俗塵をきれいに洗い流してくれます。主に聴くアルバムは、スコット・ラファロ(b)+ポール・モチアン(ds)によるリバーサイド四部作。ピアノが主役、ベースとドラムスが脇役というこれまでの常識をくつがえし、三者が対等に語り合うと"インター・プレイ"を完成させた黄金トリオです。中でもスコット・ラファロ奏でるベースの素晴らしいこと。重厚な音色、高音をものともしない超絶技巧、そして魅力的なメロディ・ライン、過去最高のベーシストだと思います。
 そしてエディ・ゴメス(b)+ジャック・ディジョネット(ds)による『ビル・エヴァンス・アット・ザ・モントルー・ジャズ・フェスティバル』も捨てがたい愛聴盤です。黄金トリオに匹敵するような素晴らしいインター・プレイですが、残念ながらジャック・ディジョネットがマイルス・デイヴィスに引き抜かれたため、このトリオはわずか六ヵ月しか存続しませんでした。よってアルバムも前記の一枚のみ。ま、一枚だけでも録音が残されたことは僥倖でしょう。
 ところが、ジャズ・プレイヤーの貴重な未発表音源を精力的に発掘しつづけているレゾナンス・レコードのプロデューサー、ゼヴ・フェルドマンがこのトリオのスタジオ録音を発見したのです。それが『アナザー・タイム』、1968年6月22日、オランダ中部のヒルフェルスムにあるネーデルラント・ラジオ・ユニオンのスタジオで行なわれたコンサートを録音したものです。
 さっそく購入して聴きました。うーん、いいですね。歌心に力強さも加わったエヴァンスのピアノ、それを支えつつも雄弁にメロディをつむぎだすゴメスのベース、そして二人を刺戟するようなディジョネットのドラムス、三者のインター・プレイに聴き惚れました。これは黄金のトリオを凌駕するのでは。秋の夜長、ウィスキーの「ストレート・ノー・チェイサー」を味わいながら、ビル・エヴァンス・トリオの奏でる音楽に身と心を浸す。人生はそれほど悪いものではないなと思うひと時です。

 なおフェルドマンは、このトリオが1968年6月20日にドイツのスタジオで録音した音源を見つけ、こちらは『サム・アザー・タイム』として発売されているとのこと。さっそく購入することにしました。
by sabasaba13 | 2017-11-09 06:28 | 音楽 | Comments(0)

ばらの騎士

c0051620_6231720.jpg 以前から見たい聴きたいと念願していたリヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』を、ようやく鑑賞することができました。東京二期会による公演で、セバスティアン・ヴァイグレが指揮する読売日本交響楽団、そして演出はリチャード・ジョーンズです。
 会場は上野にある東京文化会館。山ノ神と二人で早めに家を出て、上野駅構内にある「たいめいけん」でオムライス+ハンバーグ+ボルシチ+コールスローを食して腹の虫を黙らせ、「シーズカフェ」で珈琲を飲んで睡魔を手懐け、準備万端調いました。
 座席は三階正面の最前列、舞台全体を一望できるし、オーケストラ・ピットも覗けるし、足も悠々と伸ばせるし、なかなか良い席でした。さあはじまりはじまり、どきどきわくわく。
 まずは簡単にあらすじを紹介します。舞台は1740 年、マリア・テレジア治世下のウィーン。オックス男爵の結婚に際し、貴族の結婚の印として贈られる銀のばらを運ぶ使者として、元帥夫人は自分の不倫相手オクタヴィアンを選びます。オックス男爵の花嫁となるゾフィーのもとへ銀のばらを運んだオクタヴィアンでしたが、若い二人は一目ぼれ。粗野なオックス男爵からゾフィーを守るため、オクタヴィアンは女装して仲間とともにオックス男爵に一泡ふかせ、婚約を破談させました。そして伯爵夫人が現れてオクタヴィアンとゾフィーの仲を認め、二人を祝福して自らは身を引きます。おしまい。
 という、何とも他愛のないお話です。しかし華やかな序曲がはじまると、もう夢のような世界に惹き込まれました。リヒャルト・シュトラウスが紡ぎだす音楽の何と素晴らしいことよ。時には勇壮に、時には不安気に、時には面白可笑しく、そして時には底なし沼のように甘美に… 華麗で優美なウィンナ・ワルツの数々にも蠱惑されました。中でも身も心もとろけてしまったのは、第三幕最後の場面、伯爵夫人とオクタヴィアンとゾフィーの三重唱です。裏切りに苛まれるオクタヴィアン、未来に不安を抱くゾフィー、そして二人を気遣い祝福して身を引く伯爵夫人。三者三様の想いを乗せながら三つのメロディが甘美に絡みあう、その素晴らしさ。作曲者シュトラウスが、この曲を自分の葬儀で演奏してほしいと望んだのも頷けます。その後に歌われたオクタヴィアンとゾフィーの二重唱では、愛の喜びに包まれながらも、茶々をいれるような木管のオブリガードがからみ、二人の将来への不安を感じさせるなど、芸の細かさにも脱帽。
 歌手陣も申し分なく、中でも出色がオックス男爵を演じた妻屋秀和氏です。豊かな声量や卓抜した表現力もさることながら、男爵を単なる悪役とせず、男の業を漂わせながらコミカルに演じた演技力にブラーボ! 読売日本交響楽団も熱演でした。演出・振付・舞台装置もお見事でした。スラップスティックのようなドタバタの場面での、集団のコミカルなダンスや動きなども秀逸。第三幕ではあえて三角形の部屋として三重唱での三人の想いを際立たせたり、ライトによって壁紙の色を千変万化させたりするなど、舞台装置や照明にも拍手を贈りたいと思います。ブラービ。

 いま思い返してみると、作品全体の半分くらいしか登場しないのですが、伯爵夫人の存在感が強く印象に残ります。特に、第一幕最後の場面で、自らの老いを嘆く静謐な独唱に心打たれました。オクタヴィアンへの愛を諦め、若い二人の前途を祝するのも、この老いの故なのでしょう。
 おばあさん、老マルシャリン(※伯爵夫人の名前)! どうしてそんなことが起こり得ようか。どうして神様がそんなことをなさるのだろう。私自身はいつも同じ人間なのに。神様がそうなさらなければならないのなら、何故私にそれを見せようとなさるのだろう。
 しかもこんなにはっきりと、何故それを私の目から隠そうとなさらぬのか。すべてのことが不可解だ。そして人間はそれに堪えしのぶために生きているのだ。そしてこの「どうして」の中にすべてのちがいがある。
 このオペラの初演は1911年、時は第一次世界大戦が始まる三年前、シュトラウスと台本作者のホフマンスタールは、ハプスブルク帝国の凋落と崩壊を予感し、その墓碑銘として伯爵夫人に歌わせたのかもしれません。

 これまでに見た中でもっとも素敵なオペラであったと、山ノ神と意気投合。こんな素晴らしい人と気を贈ってくれた二期会と読響に感謝するとともに、日本オペラ界の実力もなかなかのものだと実感。これからもお金と時間の許す限り日本のオペラに足繁く通って、応援していきたいと思います。
by sabasaba13 | 2017-08-01 06:24 | 音楽 | Comments(0)