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鼓童(2)

c0051620_7324299.jpg 前置きが長くなりましたが、いよいよ鼓童の演奏の始まりです。休憩十五分をはさんで約二時間の公演、心の底まで堪能致しました。大きな和太鼓を力いっぱい目いっぱい打ち鳴らす、ドライブ感と迫力にあふれた演奏のみ…と勝手に思い込んでいたのですが、さにあらず。銅鑼や仏具などさまざまな打楽器に笛や鉄琴も加わり、コンテンポラリー風のダンスもおりまぜた、モダンな演奏でした。音の強弱やテンポの緩急の使い分け、音のニュアンスへのこだわり、聴衆に音楽で感興を与えようとする姿勢がよく伝わってきます。メンバーの前田剛史氏が"以前の鼓童というのは、歯を食いしばって、汗を飛び散らせながらデカい音を出してなんぼみたいなところが少なからずあった"とプログラムに書いておられましたが、芸術監督に迎えた坂東玉三郎氏の影響で変化したようです。プログラムから彼の言を引用します。
 そして私は、将来に向かって音楽性を重視した太鼓というものが何であろうかと考えていたのです。それは打ち手が、作曲家の意図に忠実に、速度や強弱等が十分に制御されそして抑制されていなければならないということでした。自由な表現というものは、それらの事柄が制覇され、打ち手が客観性を持って初めて成し得ることだと気が付いたのです。そして何よりも、太鼓で奏でる音楽を聴衆が「長い時間聞いていても心地良いと感じてくれること」に最大の目的を持っていかなければならないと考えたのです。
 はい、その意図は十分に達成されていたと思います。変化に富んだ演奏で、まったく飽きずに心地良く音楽を楽しめた二時間でした。やはりパブロ・カザルスが言ったように、音楽の最大の敵は単調さなのですね。とは言っても、やはりffの迫力は凄かった… 心が、体が、ホールが、空気が、地球が、宇宙が、太鼓の鼓動に共鳴し打ち震えました。これがカタルシスなのですね、心身に積りに積もった日々の澱がきれいに洗い落され、生まれ変わったような爽快感を覚えました。これはくせになりそう、ぜひまた聴きにきたいものです。

 帰途、池袋の西武百貨店に寄り、「たいめいけん」のカレーと「華鳥」のとり天中津からあげを購入。家に帰っておいしくいただきました。前者は値が高いのでもう買うつもりはありませんが、後者はほんとうに美味でした。素晴らしい音楽、美味しい食べ物、楽しい散歩、ほんとうに良き一日でした。

 ふと思いついたのですが、エル・システマ日本版をつくってはいかが。心に闇を抱え、貧困や孤独に悩み、暴力やドラッグに走りそうな子どもや若者たち、彼ら/彼女らが集まって仲間とともに太鼓を打ち鳴らせば、とてつもなく豊かな精神世界にふれられ、喜びと希望をもてるようになるのではないでしょうか。
by sabasaba13 | 2014-12-30 07:33 | 音楽 | Comments(0)

鼓童(1)

 和太鼓の演奏集団、「鼓童」のコンサートが文京シビックホールでおこなわれるという情報を入手、常々聴いてみたいものだと思っていたのでさっそくチケットを購入しました。なお私はてっきり「鬼太鼓座(おんでこざ)」が「鼓童」と改名したのかと思っていたのですが、これが勘違いでした。まず鬼太鼓座の成立については、越後編でも書きましたが、わが敬愛する宮本常一がからんでいます。早稲田大学を血のメーデー事件で放校された田耕(でん・たがやす 本名:田尻耕三)が、渋沢敬三邸に居候していた宮本常一を訪ねたのが1956(昭和31)年のこと。彼の書『海に生きる人びと』を読み、日本にも昔から民主主義があるということをやさしい言葉で教えられたためでした。宮本の影響で全国の離島を無銭旅行した田が、佐渡で出会ったのが、古くから伝わる和太鼓芸能・鬼太鼓でした。十年後、宮本のもとに田から、「鬼太鼓座という若者芸能集団をつくり、伝統芸能の復活を通して佐渡の若者たちに自信を回復させたい」という電話がかかってきました。以後、宮本は佐渡に行くたびに彼らを励まして回ったそうです。
しかし1981(昭和56)年、田耕は「鬼太鼓座」メンバーと別れ、一人佐渡を去ってしまいます。その際に田耕は「鬼太鼓座」の商標権と太鼓道具等を引き上げ、新しい鬼太鼓座で活動を始めたため、名称を「鼓童」としました。そして新たに楽器購入にあたり地元佐渡の銀行から融資を得て、佐渡の小木を根拠地として現在に至ります。
 なお分裂の理由についてはよく分かりません。音楽に対する意見の相違なのか、あるいは佐渡に対する思い入れの差なのでしょうか。それはともかく初めての和太鼓演奏、「鼓童ワン・アース・ツアー2014」、楽しみです。

 開演は天長節の午後二時、場所は文京シビックホール。雲一つない快晴、気温もそれほど低くはないということで、山ノ神とちょっとしたデート気分にひたれる計画を立ててみました。まずは「神田まつや」で蕎麦をたぐり、秋葉原でメイド喫…もといっ、電気屋によってイサム・ノグチの「あかり」を物色。中央通りを歩いて北上し、「うさぎや」でどら焼きを購入。春日通りを西行して湯島天神に寄って、知りあいの受験生のために御札を入手。歩いて文京区役所へ行き25階の展望ラウンジで東京を睥睨し、併設されているレストラン「椿山荘」でコーヒー・ブレイク。そして区役所内にあるシビックホールに入場。いやあ、渋いなあ、大人だなあ、侘び寂びだなあ、偕老同穴だなあ。
 さて当日です。「神田まつや」と言えば池波正太郎も足繁くかよった名店、昼時には長蛇の行列が予想されます。よろしい、午前11時の開店と同時に入って、つつっと蕎麦をたぐり、店の前に連なる行列を尻目に旗本退屈男のように(なんだそれは)颯爽と去りゆくというシナリオは如何。というわけで地下鉄丸ノ内線淡路町駅から地上に出たのが午前10時58分…白旗をあげましょう。もう長蛇の行列が出来ていました。堪え性のない私、以前にも食べたことがあるし、ここは撤退して「肉の万世」に行こうかと山ノ神に秋波を送ると、彼女はここで食べる気満々。引くところは引いて押すところは押さないのが、夫婦円満の秘訣。ようがす付き合いましょう。古い建物の佇まいや「受聞新便郵」を眺めながら待っていると、三十分ほどで中へ導かれました。
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 もちろん相席、さっそく天もり(山ノ神)、大天もり(宿六)、そして季節限定「冬至そば ゆずきり」(シェア)を注文。あっという間にたいらげましたが、葛をねりこんだ蕎麦は香りといい舌ざわりといいなかなか美味でした。
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 なおこの神田須田町界隈は、鳥のすきやき一筋の「ぼ多ん」、汁粉屋の「竹むら」、鮟鱇料理の専門店「いせ源」、火事による焼失から再建された「かんだやぶそば」、漱石も食したかきあげの「松榮亭」、昭和初期より続く喫茶店「ショパン」、下町に根づいた「近江屋洋菓子店」、明治35年創業の「神田志乃多寿司」といった古武士のような老舗が犇めいております。
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 またこのあたりは空襲をまぬかれたようで、山本歯科医院や二匹のけったいなライオンを戴く看板建築などレトロな物件が散見されます。
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 それでは万世橋を渡って秋葉原へ参りましょう。中学・高校・大学の頃は、石丸電気でよくレコードを買ったものですが、それ以来とんと御無沙汰しております。その石丸電気もヤマギワ電気も今はなく、すっかり様変わりしてゲームとアニメとメイドの街になってしまったかのようです。記念にメイドの顔はめ看板を撮影。肝心の「あかり」は結局見つかりませんでした。
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 中央通りを北上して「うさぎや」でどら焼きを購入。そして春日通りを西行して湯島天神へ、知人のために「入試突破」鉢巻を買いました。
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 さらに歩いていくと、「サッカー通り」というけったいな名の通りがありましたが、その先に日本サッカーミュージアムがあるからなのかな。バイクに跨ったサンタクロースと、啄木が下州をしていた喜乃床跡を撮影。このあたりは以前に啄木・賢治・一葉の関連物件めぐりをしたことがあります。よろしければ本郷編をどうぞ。
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 そしてゴールの文京区役所に到着、とるものもとりあえず25階の展望ラウンジへのぼってみました。スカイツリーや筑波山がよく見えましたが、残念ながら富士山は雲と靄でかすんでいました。開演時間も迫ってきたので珈琲はカット、区役所に併設されているシビックホールへと向かいましょう。
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by sabasaba13 | 2014-12-29 08:00 | 音楽 | Comments(0)

「吉原すみれ パーカッションリサイタル2014」

c0051620_6345112.jpg 吉原すみれという打楽器奏者は何度か耳にしたことがあります。その彼女が、武満徹の曲を演奏するという「パーカッションリサイタル2014」というコンサートがあるという情報を入手しました。彼の音楽の良き聴き手とはとても言えませんが、私の好きな「雨の樹」も曲目に含まれているということで東京オペラシティのコンサートホール「タケミツ・メモリアル」に足を運ぶことにしました。山ノ神を誘ったのですが、あいにく仕事のため断られました。
 11月21日金曜日、激務を必死でこなして午後五時には職場から離脱。開演は午後七時なので、オペラシティで夕食をとろうと思っていましたが、虚飾に満ちた雰囲気の中でテナント料が加算された高額の料理を食べるのもちょっとなあ、と思い直して予定変更。笹塚駅で下車して、場末の中華料理店で炒飯を食べようかと駅周辺を歩きましたが見つからず、居酒屋チェーン店の「土風炉」でチキン南蛮定食をいただきました。
 仕事の疲れと満腹感から睡魔に襲われるのは必至、開演30分前には席につき非常事態に備えるためしばしうたた寝。そして開演です。一曲目は「カシオペア~打楽器ソロとオーケストラのための」、打楽器の吉原すみれと、杉山洋一指揮の東京フィルハーモニー交響楽団による演奏です。秘めやかな響きが奏でられる中、しずしずと吉原すみれが登場。スチール・ドラム、ウッド・ブロック、ゴングといったさまざまな打楽器を、時には激しく時には抒情豊かに奏で、オーケストラと渡り合います。二曲目は「ムナーリ・バイ・ムナーリ~打楽器のための」、山口恭範との二重奏。ゆるやかに静かに、打楽器で語り合う二人。睡魔の指が瞼をなでることしばしば、いやつまらないのではなく、あまりの心地よさの故です。三曲目はお目当ての「雨の樹~3人の打楽器奏者のための」、吉原すみれ(ヴィブラフォン)と小森邦彦・前田啓太(マリンバ)による三重奏です。プログラムによると、大江健三郎の小説『頭のいい雨の樹』の次の文章に触発されて作曲したとのことです。
 「雨の樹」というのは、夜中に驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすべて乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。
 三人の奏でる音が、きらめく水滴のように、囁く五月雨のように、激しい濁流のように絡み合い、ホールをまるで水でできた小宇宙に変えてしまいます。母の羊水の中にいるような心地よさに、またうとうと。
 ここで二十分間の休憩。後半は「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム~5人の打楽器奏者とオーケストラのための」、吉原すみれ・山口恭範・菅原淳・小森邦彦・前田啓太の五人の打楽器奏者とオーケストラによる演奏です。ひそやかな鐘の音がホールに優しく鳴り響きますが、後方でも鐘の音が鳴りじょじょに近づいてきます。振り返ると二人の打楽器奏者が鐘を鳴らしながらゆっくりと歩いてきて、ステージへとのぼりました。気がつくと、ステージと後方二階席の間に、白・青・赤・黄・緑の五色の布がかけられています。また打楽器奏者たちも、それぞれ同じ五色の衣装を着ています。プログラムによると、これはチベットの習俗「風の馬(ルン・タ)」によるもので、遊牧民たちは、新しい土地を求める際に、一本の縄につられた五色の布が風になびく方向に移動するそうです。青は水を、赤は火を、黄は大地を、緑は風を、そして白はその四色を統合し活性化した色として、空・空気・エーテル・無を象徴しているとのこと。ちなみに吉原すみれが白い衣装を着ていました。それぞれの象徴や役柄に合わせた楽器や音楽がふりあててあると、故武満氏は述べられています。この曲も極上の心地よさで、音の海に心身をゆだねてうとうと。気がついたら静寂、そして万雷の拍手。

 プログラムの中で、武満氏は「私は静かな音楽を好む。そして、同時に、私はいま、自分が聴きたい音にだけ耳を澄ませたいと思っている」と語っています。打楽器ときくと、血沸き肉躍るダイナミックな音楽をつい想像してしまいますが、今回のようなさまざまなニュアンスに満ちた静けさも表現できるのですね。新しい発見でした。あらためて武満氏と五人の打楽器奏者のみなさんに感謝します。
by sabasaba13 | 2014-11-27 06:35 | 音楽 | Comments(0)

マーラー交響曲第一番「巨人」

c0051620_6163718.jpg ベートーヴェンの「第九」を拝聴して以来、指揮者・広上淳一氏の大ファンで、その後は「薔薇の騎士」や「シェエラザード」を聴きにいきました。「チケットぴあ」にも登録し、氏のコンサート情報を送ってもらっておりますが、ある日届いたメールでラフマニノフのピアノ協奏曲第二番と三番マーラーの交響曲第一番「巨人」を演奏されることを知りました。オーケストラは京都市交響楽団、うーんどうしよう。同オケと私の接点は、京都旅行で楽器運搬用トラックを見かけただけです。まあ広上氏が振るのなら間違いないだろうし、演奏される曲目にも食指をそそられます。この前、ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番を聴いたので第二番もぜひ聴きたいし、マーラーも全曲を生演奏で聴いてみたいと思っています。ちなみにこれまで聴いたのは第三番第八番のみ。よし、購入しましょう。以前に読んだ『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之 講談社現代新書)の第一番についての箇所を読み直し、山ノ神と手を組んでサントリーホールにのりこみました。
 まずは独奏者ニコライ・ルガンスキーを迎えてのラフマニノフ、ピアノ協奏曲第二番です。底なしの甘美な叙情性と華麗なピアノ技巧、力強く弾ききったルガンスキー氏とそれを分厚く支えた広上氏+京響。名曲中の名曲を心ゆくまで堪能させていただきました。アンコールは、メトネルのCanzona Serenata op.38-6、初めて聴いた美しい小品でした。
 休憩をはさんで、いよいよマーラーの交響曲第一番「巨人」です。後で知ったのですが、京都市交響楽団がマーラーの交響曲を演奏するのは初めてだったのですね。曲の隅々まで神経が行き届き、かつ超弩級の迫力に満ちた渾身の演奏でした。冒頭、美しく澄んだ7オクターブにも広がるpppのA音が響き始めるとただならぬ緊張感がただよってきます。第一楽章(ゆるやかに、重々しく~自然の響きのように)の清澄と愉悦、第二楽章(力強く運動して、しかし速すぎずに)の力強さと躍動感、第三楽章(荘重に威厳をもって、ひきずらないように)の諧謔。広上氏の適確で情感豊かな指揮と、それにしっかりと応えるオケ、これぞ楽興の時でした。なお第三楽章には、マーラーによる"座礁!「カロ風の」葬送行進曲"という解説がついていますが、「カロ」とはバロック時代に活躍したフランスの銅版画家ジャック・カロのことだそうです。奇しくも4月8日から、国立西洋美術館で「ジャック・カロ展」が開かれます。見に行こうかな。なお標題の「巨人」は、ジャン=パウルの超難解な哲学的小説の書名からとられたもの。マーラーの深い教養がしのばれます。
 そしてシンバルの強烈なfffで始まる第四楽章(嵐のように激動して)、マーラーは"深く傷ついた絶望の心が突然爆発する"という解説をつけています。時には砲丸投げ、時にはジャンプ、時には羽ばたきのポーズでオケを疾駆させる広上氏の姿には圧倒されました。全身全霊を捧げてマーラーの音楽に向かい合う京響の姿も感動的です。その濃密で巨大な音の大伽藍はわが身と心を打ち震わせ、まるで宇宙全体が鳴り響いているかのよう。これまでいろいろな演奏会を聴いてきましたが、間違いなく五指に入る名演でした。ブラーボ! アンコールはR.シュトラウスの歌劇『カプリッチョ』から間奏曲「月光の音楽」。なお京都で演奏された同じプログラムが、NHKのEテレ、3/30の21:00~23:00に放映される「クラシック音楽館」見られます。ぜひご一聴を。広上淳一氏と京都市交響楽団のマーラー、聴き逃すことはできませんね。

 余談ですが、プログラムによると、京都市交響楽団は1956年創立以来、日本唯一の自治体直営オーケストラだそうです。京都市長の門川大作氏が楽団長を兼ねており、「伝統とは火を護ることであって、灰を崇拝することではない」というマーラーの言葉を引用されながら、挨拶をされていました。地方自治体財政難の折、身銭を切ってこのような素晴らしい交響楽団を運営されている京都市に敬意を表したいと思います。ちなみに地方自治体がオーケストラの運営に関与する例は、ヨーロッパでは珍しいことではなく、ドイツのザクセン州立のシュターツカペレ・ドレスデンやオーストリアのウィーン国立歌劇場などもそれに該当します。
 ん? するとわれらが都響は直営ではないのか。気になったのでウィキペディアで調べてみると、東京都の監理団体(外郭団体)でした。その中で、気になる一文があったので紹介します。
 石原が都知事となって以後、都の財政再建策の一環として文化事業への歳出削減と外郭団体の統廃合がはかられ都響についても補助金の削減、団員の有期契約制、能力給制(各団員の能力の査定は都が行う)への移行などのリストラがはかられておりオーケストラの今後の存続が危ぶまれている。「第31回オリンピック競技大会の東京招致について」という決議をあげて東京都交響楽団が「東京オリンピック支持」を表明したことになっているが、楽団員の総意ではなく鳥海理事長が石原都知事の意向をうけて独断できめたという見解もある。都がオーケストラを持つことの是非ともあいまって、一部で議論の対象となっている。
 やれやれ、この御仁の辞書には、良識とか、芸術とか、公正とか、廉恥とかいう言葉はないようです。ま、いまさら言うまでもありませんが。
by sabasaba13 | 2014-03-24 06:17 | 音楽 | Comments(0)

ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2013

c0051620_1111186.jpg たしか2009年の大晦日でしたか、 ベートーヴェン弦楽四重奏曲中・後期9曲の連続演奏会を上野の文化会館小ホールで聴いたことがありました。その時に大ホールで同時に行なわれていたのが、小林研一郎氏によるベートーヴェンの交響曲の全曲演奏会。いつか聴いてみたいものだと思いつつ、その機会を得られませんでした。今年の冬休みは旅行の予定もないので、一念発起、満を持して「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2013」のチケットを購入。事前学習として名著『ベートーヴェンの交響曲』(金聖響+玉木正之 講談社現代新書1915)を再読し、一週間前から肉食を断ち(嘘)、前日は水垢離をして(嘘)眠気覚ましのブラック・ガムとのど飴を購入して、午後十一時には床につき、当日の昼前には練馬のおいしい蕎麦屋「176」で年越しそばをいただきました。(長い筆者注:何とも愛想のない店名ですが、住所が練馬1-7-6、および郵便番号も176-0001というのが由来です。でも味は本物、なお私はこの店の玉子焼きが大好物です) ところが好事魔多し、というか当たり前なのですが、店は満員で注文した鴨つけ蕎麦がなかなか出てきません。非常にも時間は刻々と過ぎてゆき、もはやdead endかと諦めたとき、ようやくご来臨。互いに見合す顔と顔、一食入魂、一心不乱に胃袋に流し込みお代を払って練馬駅へと疾駆。しかし私は情ないことに途中で息切れ、半分諦めていると、「走って、まだ間に合う」という山ノ神の叱咤の声が飛んできました。その意気に励まされ、ふたたびダッシュしホームへと駆けあがると出発間際の列車に間に合いました。すると池袋駅での乗り継ぎもどんぴしゃ、開演三分前に席につくことができました。やれやれ、山ノ神の不撓不屈の精神に感謝しなければなりませんね。
 実は私、大学時代にオーケストラでコントラバスを弾いており、客演としてお招きした小林研一郎氏の指揮でベルリオーズの「幻想交響曲」を演奏したことがあります。その印象ですが、とにかく"その気にさせてくれる"指揮でした。拙い技術しかなかったのですが、それを限界まで使って気持ちを表現しようという気になるのですね。第五楽章は、もう昂奮の坩堝。曲の最後が近づくにつれて、「終わらないでくれ、終わらないでくれ」と思いながら弾ききったことをよく覚えています。その氏が、N響メンバーを中心に特別に編成された岩城宏之メモリアル・オーケストラを、どれくらいその気にさせるのか、たいへん楽しみです。
 客席はほぼ満員、オーケストラ、そして小林氏が颯爽と登場、午後一時、交響曲第一番の力強いピチカートとともにいよいよ開演です。なお前掲書で金氏が評された言葉を引用しますと、第一番は"喜びにあふれた幕開け"。第一楽章のアレグロ・コン・ブリオを聴いただけで、今日の演奏会は素晴らしいものになると確信しました。音楽を前へ前へと押し進める疾走感と躍動感に満ち満ちた演奏で、クラシックの演奏会では稀有なのですが思わずスイングしてしまいました。It Don't Mean A Thing, If It Ain't Got That Swing! 席が二階だったので上から見下ろせたのですが、オーケストラがまるで大海原か巨大な軟体生物のようにうねっているのがよくわかります。アンサンブルも申し分なし、ダイナミクスの幅や変化も素晴らしく、管楽器の咆哮には体がふわっと浮き上がるような音圧を感じました。
 次は"絶望を乗り越えた大傑作"第二番。第一番を発表した後、ベートーヴェンの耳は聴こえなくなり、有名なハイリゲンシュタットの遺書を書き記します。その同時期に書かれたのがこの曲ですが、死の影も絶望の淵もまったく感じさせない、炸裂する歓喜に満ちた曲です。金聖響氏は、彼はほんとうに死ぬつもりはなく、過去を清算し自分をリセットするために遺書を書いたのではないかという説を紹介されています。異議なし、議事進行! 死を覚悟した人間によって書かれた曲ではありえません。それにしても彼の強靭な精神力にはもう頭を垂れるしかありません。演奏も引き続きノリノリの演奏、身も心もスイングのしっぱなし。威風堂々とした重量感と、軽快なスピード感を両立させた名演です。トスカーナの丘陵を時速180kmで疾走するティーガーⅠ型重戦車…などというわけのわからない比喩しか思い浮かばない、己の非才が恨めしい。30分の休憩では、体のほてりを冷却するために外へ出て紫煙をくゆらしました。 
 ふたたび大ホールに戻り、"新時代を切り拓いた"第三番「英雄」と、"素晴らしいリズム感と躍動感"の第四番を堪能。間にあまり面白くない三枝成彰氏のトークが十五分入りましたが、ご愛敬ということにしておきましょう。ここで60分の休憩が入りました。外へ出て、心地よい昂奮にふるえる心身を夜気で落着かせ、近くのお店で珈琲をいただきました。香り高い珈琲を飲みながら、糟糠の妻と感動した音楽について熱く語り合う。これってもしかしたら小確幸(小さいけれど確固たる幸せ)?
 お楽しみはこれからだ、いよいよ"完璧に構築された究極の構造物"第五番「運命」です。お恥ずかしい話、この曲ときちんと対峙して生演奏で聴くのは初めてですが、あらためて凄い曲なのだと思い知らされました。苦悩、抒情、決意、人間のもつさまざまな感情や思いを緻密に音で織り綴り、そして最後に力強い凱歌で私たちを鼓舞してくれる名曲です。もちろん、ベートーヴェンの思いを十全な姿で再現した指揮者とオーケストラの熱演にも拍手。毎回スタンディング・オベーションをしていた最前列の五人の方(私たちはハリウッド・テンならぬウエノ・ファイブと名づけましたが)も、もちろん立ちあがって熱烈な拍手をされていました。金氏の"古典派交響曲の到達点・リミット・完成品。交響曲の進化の系統樹はここで行き止まり、あとは横に伸びるしかない"という言、納得です。そして"地上に舞い降りた天国"第六番「田園」。第五番で交響曲を完成させたベートーヴェンが、標題音楽と五楽章形式によって交響曲の末来を切り拓いた作品です。形式よりも自由な表現を重視するロマン派への道を準備したわけですね。そうした音楽史的意義もさることながら、神々しく心安らかな歓喜へと誘ってくれる名曲です。でも愉しげな農民たちの踊りを襲う嵐に、福島の原発事故を重ねてしまうのは私だけでしょうか。事故の責任者ご一同様に落雷が直撃し、かの地に第五楽章のような喜びと平安が訪れるのを祈らずにはいられません。
 ここで90分の夕食休憩が入ります。会館内にあるフォレスティーユ精養軒が、予約制の特別メニューを用意して手ぐすね引いて待ちかまえていましたが、われわれは上野駅構内にあるエキュート上野に行き、「たいめいけん」で洋食をいただきました。これから七番・八番そして「合唱付」を聴けるという喜びに胸をふるわせながら肉汁とともにかぷりつくメンチカツ、嗚呼、これは中確幸です。
そして"狂乱の舞踏"交響曲第七番、グレン・グールド曰く「世界で最初のディスコ・ミュージック」。もう圧巻の一語。七番を振るために生れた男、小林研一郎氏の面目躍如、体はスイングのしっぱなし、心は昂奮のしっぱなしでした。ウエノ・ファイブももちろんスタンディング・オベーション。 "ベートーヴェン本人が最も愛した楽曲"第八番は肩の力が抜けた自然体の演奏。二人の巨人の狭間で、身と心のリラクゼーションができました。ここで三枝成彰氏と奏者のトークが30分入ります。七番と八番の「刻み」で右手が疲労困憊し、マイクを左で持ったビオラ奏者の姿が印象的でした。
 最後の休憩15分をはさみ、いよいよ"大きな悟りの境地が聴こえてくる"第九番「合唱付」です。金氏はこう述べられています。
…このときの「創造主」、あるいは「神」が、カトリックやプロテスタントのキリスト教教会の神でないことは確かです。あえていうなら、ベートーヴェン(シラー)が感じた(悟った)「とてつもなく大きな存在」ということになるのでしょう。その「大きな存在」を想像し、感じ、それを多くの人々(兄弟)とともに…というのは、あきらかに宗教です。それが、ベートーヴェンが最晩年に辿り着いた「悟り」の境地なのかもしれません。(p.219~22)
 "すべての人は汝の柔らかき翼の休む所で兄弟となる"、彼の視点はとうとう「人類」という高みにまで達したのですね。演奏も、テンションと最後まで情熱を失わず、指揮者・オーケストラが一体となってベートーヴェンが紡いだ音を再現しようとする真摯なものでした。最後の響きが宙空に消え万雷の拍手がおさまると、小林氏が「あけましておめでとうございます」と挨拶。気がつけばもう十二時を越えています。
 いやはや素晴らしい演奏会でした。『ベートーヴェンの生涯』(青木やよひ 平凡社新書502)によると、ベートーヴェンとゲーテの橋渡しをしたベッティーナ・ブレンターノがこう語っているそうです。"私たち[人類]は、彼に追いつけるのでしょうか。(p.269)" たとえ追いつけなくても、彼の凄さに包まれただけでも幸せです。外へ出ると、国立西洋美術館の野外に展示してあるロダン作の「地獄の門」がライトを浴びて怪しく浮かび上がっています。ベートーヴェンの人品とは対極に位置する安倍伍長に、私たちはこの門の鍵を渡してしまったのだなあ、せめて全開するのを食い止めねば、と考えながら帰途につきました。

 余談です。2000円で購入したプログラムの表紙に「祝!旭日中授章受賞」とありましたが、これは「旭日中綬章」の間違いであったと三枝氏が訂正されていました。へえー、コバケンさん、勲章をもらったのか。熊谷守一さんや杉村春子さんのように辞退してもらいたかったなあ。古今亭志ん生は「届けてもらいな」と言ったそうですが。(息子の志ん朝曰く「父ちゃん、蕎麦屋の出前じゃないんだから」)
 後学のため、インターネットで他の受賞者を調べてみると、立ち眩みがしました。旭日大授章の受賞者は、元官房副長官、元国土庁長官、京浜急行電鉄会長、元農相、元法相、フジテレビ会長、元最高裁判事、元NTT社長。やれやれ、官僚・政治家・大企業天国のわれらが日本の面目躍如といったところでしょうか。開いた口がふさがらなかったのは、偽装請負で問題となったキャノンの会長にして労働者使い捨て政策の主導者、御手洗冨士夫氏が受賞したことです。若者の末来を踏み潰して勲章か… ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンと安倍晋三伍長・御手洗冨士夫キャノン会長、崇高と下劣、人間という存在の振れ幅の大きさには驚かされます。
 なお『ベートーヴェンの遺髪』(ラッセル・マーティン 白水社)もなかなか面白かったので、よろしければ書評をご一読ください。

 最後に、私たちがこれまでに訪れたベートーヴェン関連史跡の写真を掲載します。

ベートーヴェン像(ハイリゲンシュタット)
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ベートーヴェンの家(ハイリゲンシュタット)
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ベートーヴェンの家(ハイリゲンシュタット)
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ベートーヴェン、遺書の家(ハイリゲンシュタット)
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ベートーヴェンの生家(ボン)
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パスクァラティ・ハウス(ウィーン)
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ベートーヴェンの墓(ウィーン)
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アン・デア・ウィーン劇場(ウィーン 交響曲第2・3・5・6番の初演)
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ブルク劇場(ウィーン 交響曲第1番の初演)
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by sabasaba13 | 2014-01-21 06:23 | 音楽 | Comments(0)

メサイア

c0051620_814295.jpg 12月23日、山ノ神と一緒にヘンデルの『メサイア』を聴いてきました。場所はサントリーホール、鈴木雅明の指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏です。生で聴いてみたいものだと以前から思っていたのですが、やっと願いが叶いました。なおシュテファン・ツヴァイクに、『人類の星の時間』(みすず書房)という傑作があります。ナポレオン、レーニン、ゲーテ、ドストエフスキーといった歴史的人物の人生における、いや世界の歴史における決定的な瞬間となった一日を描いためっぽう面白い本ですが、その中にヘンデルも登場します。「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 1741年8月21日」という一編ですが、当時の彼は脳溢血による右半身不随と奇跡的復活、しかし女王の崩御による上演の中止やオーストリア継承戦争の勃発、異常な寒さや聴衆の無理解といった不運やトラブルに襲われ、借金と絶望の深淵に落とされます。そしてこの日、かつて一緒に仕事をした詩人ジンネンスから送られてきた新作の詩が彼を奮い立たせ、ほぼ不眠不休で作曲に打ち込みわずか24日間で『メサイア』として結実するわけです。その詩をヘンデルが呼んだ瞬間を引用しましょう。
 最初の句を読んで彼はハッと愕いた。Comfort ye-台本はこの言葉で始まっていた。「慰めあれ!」この言葉は不可思議な力を持っていた-いや、もはや言葉ではなかった。それは神から与えられた答であった。悲嘆に荒れた彼の心へ、運命をみちびく天の奥から呼びかけた天使の叫びだった。「慰めあれ!」-何たるひびきだったろう。何とこの言葉は! そしてこの言葉を読み、その意味を深く感じるやいなや、ヘンデルにはそれが音楽となって聴こえた。それは音となって漂い、呼び、ざわめき、歌った。おお、この幸福よ、扉は急に開け放たれた。彼は感じた、彼は聴いた、ふたたび音楽を通じて! (p.106)
 その奇跡とも言える曲に包まれるのを楽しみに、騒音に満ちた師走の赤坂をホールへと向かいました。開演は午後三時、厳粛な序曲の後、ヘンデルに神が与えた答、"Comfort ye"という言葉がテノールによって紡ぎ出されて、キリストの誕生から受難、復活、救いの完成までを3時間かけて辿っていく『メサイア』のはじまりです。第一部は救世主到来の預言と誕生を描きます。私の大好きな「私達のために一人の嬰児が生まれた」をはじめ、愛と喜びにあふれた名曲が目白押し。なお舞台に搭乗した独唱者が男性三人・女性一人だったのでちょっと怪訝に思っていましたが、なんてことはない、カウンター・テナー(ダニエル・テイラー氏)がアルトのかわりだったのですね。生で聴くのははじめてだったのですが、その艶やかな歌声にはすっかり魅了されました。
 ここで二十分間の休憩がはいります。そして第二部は救世主の受難と復活、そして福音が広まっていく様子が描かれます。弦楽器によって執拗に刻まれる付点音符のリズムは、救世主が鞭で打たれる情景を暗示しているのですね、解説で知りました。最後をしめくくるのがハレルヤ・コーラス。バルブのないナチュラル・トランペットをはじめて聴きましたが、たいへん難しそうですね。そして第三部は復活した救世主への賛歌です。最後を飾るのはアーメン・コーラス。ツヴァイク曰く、"今やヘンデルは、このたった二つの音綴(シラブル)からできている短い語(Amen)をつかんで、それを天にまで届く音の段階建築に建て上げようと思った"。(p.112) まさしく音の大伽藍に身も心も包まれ、言い様のない充実感とともに幕は閉じられました。アンコールは指揮者のご子息である鈴木優人氏編曲の讃美歌「あめにはさかえ」、合唱の美しい響きにうっとり。人間の声ってほんとうに素晴らしい楽器なのだとあらためて痛感しました。
 鈴木雅明氏の指揮もバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏・合唱も、けっして大言壮語はしませんが、すんなりと音楽に入り込むことができる真摯かつ誠実なものでした。機会を見つけてまた聴きにきたいと思います。

 アイルランド旅行の際に、『メサイア』が初演された聖パトリック大聖堂を訪れたことを二人で思い出しながら、"金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい"という救世主の言葉などどこふく風と、ブランド品や広告が渦巻く赤坂の街を足早に歩きぬけ家路につきました。
by sabasaba13 | 2013-12-31 08:15 | 音楽 | Comments(0)

スターバト・マーテル

 最近、歌にはまっている山ノ神、歌曲の個人レッスンを受けたり、合唱団に入ったりと、人生を謳歌しております。その彼女から誘われた演奏会が、ドボルザークの「スターバト・マーテル」。何でも合唱曲の名曲だとか。うーむ、どこかで耳にしたことのある曲名だなあ。さっそくウィキペディアで調べてみると、3世紀に生まれたカトリック教会の聖歌の1つで、わが子イエス・キリストが磔刑となったときに母マリアが受けた悲しみを思う内容だそうです。冒頭の一節が"Stabat mater dolorosa"、「悲しみの聖母は立ちぬ」という意味なのですね。パレストリーナ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ハイドン、ロッシーニ、プーランク、ペンデレツキなど錚々たる作曲家がこの歌詞に曲をつけていますが、これもその一曲。ようがす、つきあいましょう。場所は上野の東京文化会館、平日なのでお互い仕事をこなした後に会館内の席で落ち合うことにしました。開演は午後七時、私は六時には上野駅に着けそうなので、駅構内で夕食をとることにしましょう。事前にインターネットで調べたところ、候補となる店を二つ発見。まずは王道、洋食の「たいめいけん」、もう一つは覇道、アイリッシュパブの「スタシェーン(Stasiun)」です。メンチカツか、はたまたフィッシュ&チップスにギネス1パイントか、これは究極の選択ですね。ハックルベリー・フィンよろしく、"私は、息をこらすやうにして、一分間じつと考へた。それからかう心の中で言ふ。「ぢやあ、よろしい、僕は」"メンチカツにしよう。ビールを飲むと寝ちゃいそうだから… 店内はほぼ満員でしたが、幸い席に着くことができました。伝統の味、50円のコールスローと50円のボルシチ、そしてメンチカツとオムライスのプレートを注文。『橋本治と内田樹』(橋本治・内田樹 ちくま文庫)を読みながら待っていると、しずしずと見参。それではいただきましょう。さくっ。ん? ジューシーな肉汁が迸らないぞ。以前に食べた時は、「あっやめて」と懇願したくなるくらい断面から流出したような気がするのですが、美化された思い出なのでしょうか。オムライスも凡庸な味。駅ナカへの進出や駅弁の販売など経営を広げ過ぎたため、料理の質が下がったような気がします。先ごろ釧路のキッチン「スコット」(釧路市末広11‐1)で食べたメンチカツが衝撃的な美味しさだったため、評価が厳しくなったのかもしれませんが。
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 そして文化会館へ、ロビーに入ると中央にモダンな彫刻があることにはじめて気づきました。作者銘を見ると流政之、旅行をしていると時々出くわすアーティストです。今インターネットで調べたところ、題名は『鳥追い』。なるほど、パパゲーノをイメージしてつくられたのですね。
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 座席に行くと、すでに山ノ神は到着しておりました。隣りに座って、いただいた『月刊 都響』を拝見。本日の演奏は、指揮/レオシュ・スワロフスキー、ソプラノ/エヴァ・ホルニャコヴァ、メゾソプラノ/モニカ・ファビアノヴァー、テノール/オトカール・クライン、バス/ヨゼフ・ベンツィ、合唱/スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団、そして東京都交響楽団によるものです。解説には、長女に先立たれ、その後も次女・長男を失うという悲運に見舞われたドボルザークが、イエスを失った聖母マリアの悲しみに自らのそれを重ねる思いで作曲したとありました。やがて舞台に出演者がそろい、厳かに曲が始まりました。全十曲、すべてがラルゴ、ラルゲット、アンダンテとゆったりとしたテンポで設定されています。ああ何て美しい曲だ…実はその美しさと、疲労と、胃の腑につまったメンチカツ+オムライスのために、白河夜船でした。メロディとハーモニーと心地よさにうとうとっとなり、ffで目が覚め、またうとうとっの繰返し。でも美しい音楽とともにまどろむのも幸せなことだよね、と山ノ神に言い訳をするしかない私でした。
by sabasaba13 | 2013-11-03 06:18 | 音楽 | Comments(0)

戦争レクイエム

 ザルツブルク音楽祭での決意どおり、オーストリア旅行から帰ってすぐに『戦争レクイエム』のCDを購入しました。指揮は小澤征爾、ソプラノはクリスティン・ゴーキー、テノールはアンソニー・ディーン・グリフィー、バリトンはマティアス・ゲルネ、演奏はサイトウ・キネン・オーケストラ、合唱はSKF松本合唱団・東京オペラシンガーズ・栗友会合唱団・SKF松本児童合唱団で、2010年ニューヨークにおけるライブ演奏です。
 この曲の成り立ちがたいへん興味深いものなので、紹介しましょう。伝統的なラテン語典礼文によるレクイエムの合間に、第一次世界大戦を詩で表現した戦争詩人(War Poet)の一人ウィルフレッド・オーウェンWilfred Owen(1893-1918)の反戦詩を織り込んだ構成になっています。彼らイギリスの戦争詩人たちを紹介したエッセイ『明け方のホルン』(草光俊雄 みすず書房)から引用します。
 1962年にイギリス中部の都市コヴェントリで新築された大聖堂セイント・マイケル教会の落成式が行われた。コヴェントリは工業都市で、軍事工場が多く、第二次大戦中ドイツ空軍の爆撃の最も激しかった町で、その大半は焼滅した。古くから町のシンボルとして聳えていた大聖堂も空爆によって破壊されてしまった。戦後、町の復興が進むにつれて大聖堂の再建も始まり、近代的な建物が、旧大聖堂の礎の横に建てられたのである。この完成の祝典のために、作曲家ベンジャミン・ブリテンが戦争で死んだ者たちを追悼するレクイエムの作曲を依頼された。この「ウォー・レクイエム」は通常のラテン語によるレクイエムの間にオーウェンの詩を挿入することによってそれまでのレクイエムの型を破るものであった。またブリテンの意図は戦死したイギリス人のみを追悼するものではなかった。コヴェントリの大聖堂の再建にはドイツから多くの基金が寄せられ、また逆に連合軍によってコヴェントリのように大打撃をうけたドイツの都市ドレスデンの再建にはイギリスからの援助が渡ったのだった。だからブリテンはイギリスのみならずドイツ、そして世界の戦没者を追悼するための曲を作ろうとし、オーウェンの詩を選んだのである。(p.100)
 ライナーノーツよると、ブリテンは初演のソリストを、ソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ムスティスラフ・ロストローヴィチの妻)、イギリスのテノール、ピーター・ピアーズ、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとすることを初めから考慮して作曲したそうです。イギリス人、かつての敵国であるドイツ人、そして当時対立していたロシア人の歌手に独唱をゆだねることによって真の和解を願ったのですね。
 それでは曲に耳をかたむけてみましょう。不安な響きとともに戦死者の永遠の安息を神に祈る「永遠の安息(Requiem aeternam)」で曲は始まります。そして諧謔的な調べでウィルフレッド・オーウェンの詩を歌うテノール独唱。
家畜のように死んでゆく兵士たちに どんな弔鐘があるというのか?
ただ鉄砲の恐ろしい怒りのみ。
どもるような音を立てる小銃の速射する騒音のみが 彼らのあわただしい祈りを早口に唱えてくれるのだ。
 そして戦場の悲惨、残虐、酷薄、兵士たちの怒り、絶望、悲哀、諦観をあますところなく音楽はつづっていきます。そこでは、神でさえも爆撃でばらばらにされながらも、兵士とともにこの悲惨を耐えています。
この戦争では、主もまた四肢を失った。
 終曲の「われを解き放ち給え(Libera me)」では、死からよみがえった兵士が、自分を殺した兵士に「さあ、もう眠ろうよ」と静かに語りかけ、「彼らを平和の中にいこわせ給え」という合唱とともに静謐に曲は終わります。全身全霊を込めた、小澤征爾、ソリスト、オーケストラ、そして合唱団の熱演にはただ頭を垂れるのみ。
 そしてあらためて歌詞を読み直すと、胸に突き刺さるような言葉に出会えました。
ぼくは語られざる真実のことをいっているつもりだ。
戦争のあわれさ(The pity of war)を、戦争が抽出したあわれさを。

脱落する者はいまい、国家が進歩から後退するとして。
ぼくたちは、城壁のない見かけ倒しのとりでへと後退してゆくこの世の行進を見逃しているのだ。
 城壁のない見かけ倒しのとりでへと後退していかぬよう、時々この曲を聴き直して、曇りのない眼と頭を持ちたいものです。
by sabasaba13 | 2013-10-06 08:26 | 音楽 | Comments(0)

ザルツブルク音楽祭

 今年の夏、オーストリア旅行に行ってきました。ウィーン→リンツ→ハルシュタット→ハイリゲンブルート→インスブルックという旅程で計画を立て、JTBに飛行機とホテルをおさえてもらったのですが、どうしてもハイリゲンブルートでの宿がとれないとのこと。いたしかたない、予定を変更してザルツブルクに泊まることにしました。しかし夏といえばザルツブルク音楽祭の真っ最中、とてもチケットなぞ手に入るわけはないし、大混雑だろうし、ちょっとブルーになってしまいました。出発の数日前、何の気なしに音楽祭の公式HPを見ると、なんとわれわれが滞在する日のチケットが売れ残っています。A.パッパーノ指揮・聖チェチーリア音楽院管弦楽団によるベンジャミン・ブリテンの『戦争レクイエム』とハーゲン・カルテットによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲。さすがにオペラや有名どころの演奏会は完売でしたが。これは是非聴いてみたいもの、しかしインターネットによる購入の仕方がよく分からないし、JTBに依頼するにも間に合いそうもありません。こうなったら当たって砕けろ、現地での入手に賭けましょう。聴けるかどうかわかりませんが、一応念のため事前にドレス・コードなどの情報を仕入れておきました。インターネットで調べたところ、さすがにタキシード姿は少ないものの、ほとんどの方がスーツ・ネクタイだそうです。うーむ、スーツに革靴はかさばるなあ。上着はなし、半そでワイシャツにネクタイ、コットン・パンツ、テニス・シューズで勘弁してもらいましょう。
 さてザルツブルクまでの道中はまたあらためてご報告するとして、現地に到着しました。さっそく本丸、祝祭劇場のチケット・オフィスに突入、『戦争レクイエム』のチケットの有無を山ノ神に訊ねてもらいました。ぱたぱた、キーボードを叩く音、どきどき、ときめく胸… あった! 残りは僅か四席、最前列が二席とロージェ(個室のボックス席)が二席。もちろん後者を購入、155ユーロとけっこうな値段ですが、憧れのザルツブルク音楽祭です。人生を楽しむために馬車馬の如く汽車犬の如く働いてきたのですから、諒としましょう。
 翌日の午前中はイーグルス・ネスト(ヒトラーの山荘)を見学し、午後はザルツブルク市内を散策。そしてホテルの部屋に戻って夕食のケバブを食べ、着替えをしました。私は半そでの青いワイシャツ、ノーネクタイ、コットン・パンツ、テニス・シューズといういでたち、山ノ神はシンプルなワンピースにハイヒールでいざ出陣。開演は午後九時なので三十分前に祝祭劇場に入ると、ロビーはもう人であふれかえっていました。やはりほとんどの男性はスーツ姿、女性はドレッシーな服装でしたが、カジュアルな格好をしている方も散見されます。入場を断られず、冷たい視線も感じなかったので、それほど過敏に考える必要はないと思います。なおプログラムはすでに売り切れ、手に入れることができませんでした。さて、祝祭劇場には三つのホール、フェルゼンライトシューレと大ホールとモーツァルトのためのホールがあります。映画『サウンド・オブ・ミュージック』に登場した、メンヒスベルク山の岩壁を削ってつくられたのがフェルゼンライトシューレで聴きたかったのですが、残念ながら本公演は大ホールでした。さてロージェへの行き方がわからずに右往左往していると、すぐに係の方がやってきて親切に教えてくれました。その係の数の多さにも驚愕、周囲を見回すと必ず視野に一人は入ってきます。「経営合理化なぞくそくらえ」「お客さんが第一」というその意気やよし。通されたのは個室の最前席、身を少し乗り出さないとステージ全面が見えないのですが、しかたないでしょう。そしてステージに楽団・指揮者・ソリストが登場、いよいよベンジャミン・ブリテンの『戦争レクイエム』の始まりです。指揮はアントニオ・パッパーノ、ソプラノはアンナ・ネトレプコ、テノールはイアン・ポストリッジ、バリトンはトマス・ハンプソン、演奏はサンタ・チェチーリア管弦楽団/合唱団。ただ不覚にも、半分あきらめていたので、この曲に関する事前学習をまったくしなかったことです。ブリテン畢生の大作にして、戦争に反対する思いを込めた曲、そういう漠然としたイメージしかありません。よって歌詞の意味もわからずに、ただ純粋にあふれでる音に耳を集中させるしかありませんでした。なおオーケストラの編成も変則的で、合唱団の伴奏は大編成、ソリストの伴奏は小編成と、二つに分けられています。(おそらく)ラテン語による荘厳な合唱、英語による叙事的でエキセントリックな独唱、そして時々ステージの陰から流れる天使のような歌声(ザルツブルグ祝祭少年合唱団)。緊張感にあふれる真摯な演奏にひきこまれ、あっという間に時は過ぎていきました。大歓声に応えてのカーテン・コールを撮影しながら、これは何としても帰国したらCDを購入して聴き直さなければと決意。
 人ごみをかきわけて賑わうロビーから外へ出ると、劇場の前には名だたる高級車がずらりと並んでいました。日本の演奏会では味わえない雰囲気ですね。われわれは気持のよい夜風をあび、街灯に光る街並みや石畳を愛でながら歩いてバス停へ。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2013-10-05 06:20 | 音楽 | Comments(0)

西本智実と外山啓介

c0051620_8241056.jpg 先日、所用があって府中の森芸術劇場に行ったところ、西本智実の指揮、外山啓介のピアノ、日本フィルハーモニー交響楽団の演奏で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番とブラームスの交響曲第1番の演奏会を知らせるチラシがありました。実力ある女性指揮者と新進気鋭のピアニストの競演、これは面白そうだなとチラシを山ノ神に見せたら彼女も大乗り気。西本氏については、以前にテレビ番組で彼女の特集を見たことがあり、ロシアで修行中に日本人女性というハンデを乗り越えて才能を開花させたという経歴に感銘を受けたそうです。外山氏については…そういえば彼女に頼まれて「CHOPIN:HEROIC」を購入しましたっけ。でもどうして? 「こんなに指が長い人は見たことがないから」 はいはい。
 6月末日、ちょうどこの日はテニスの練習が四時間あったのですが、背に腹はかえられない、最初の一時間だけ参加して途中退出、府中の森芸術劇場どりーむホールへと行きました。会場はほぼ満員、われわれの席は二階のやや右あたり。ピアノの鍵盤がかろうじて見える位置です。そして二人が登場、やんちゃな弟を引き連れた鉄火肌の姉御という雰囲気です。そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の演奏が始まりました。外山氏のピアノは、ミスタッチがやや多いのと表情や歌いまわしが平板になるのが惜しいのですが、これほどの難曲、それを責めるのは酷というもの。その溌剌とした演奏には、将来の大器を予感させるに十二分です。それにしても、素晴らしい曲ですね。第1楽章の憂愁と激情、第2楽章の神秘と耽美、そして第3楽章の躍動と抒情、私は第2番よりもこちらを愛聴します。たまたま最近、ロシアに関する本を立て続けに読んできました。『石光真清の手記』(石光真清 中公文庫)、『人生と運命』(ワシーリー・グロスマン みすず書房)、『サハリン島』(チェーホフ 中央公論新社)。現在の厠上本は『ニコライの日記』(岩波文庫)、枕上本は『ドクトル・ジバゴ』(パステルナーク 時事通信社)です。その中でしばしば、ロシア人の魂が語られ描写されることがあるのですが、この曲の曲想と合致するように思えます。例えば『ドクトル・ジバゴⅠ』にこういう言葉がありました。
 ああ、人間の雄弁の醸す空ろな退屈さ、薄っぺらな美辞麗句から逃れて、ものいわぬ大自然の中にかくれ、長い、骨もうずく労働、熟睡、真の音楽、感情に圧倒されて言葉を喪った人間間の意思疎通の深い沈黙のなかにひそむことができたら、どんなに素晴らしいだろうか! (p.205)
 ロシア正教にも興味があるし、しばらくロシア文化とのつきあいが続きそうです。
 そして二十分間の休憩をはさんで、いよいよブラームスの交響曲第1番です。雑談となりますが、不肖私、大学のオーケストラでコントラバスを弾いておりました。このいわゆる「ブラいち」も、初心者ゆえ猛練習をしてのぞんだ思い出があります。余談ですが、他にも「ベトいち」、「ベトしち」、「シベに」、「幻想」、「ドボはち」、「ブラに」、モーツァルトの交響曲第40番なども弾くことができました。今にして思うと果報者ですね。ちなみにプロの方はマーラーの交響曲はどう略称するのでしょう、まさか「マラご」? 閑話休題、よって耳に馴染みのある曲だし、CDでもシャルル・ミュンシュの名演を時々聴くし、さほど期待はしていませんでした。しかし聴き進むにつれて、じわじわと感興が湧いてきました。まずこれまで気がつかなかったフレーズが耳に入り、ああブラームスはこれが言いたかったのだなあと納得することがしばしば。良い意味で理知的な演奏です、よほどアナリーゼをしっかりされているのでしょう。そういえばフランス・フォン・シュトレーゼマンが"ブラームスは「交響曲」という大きな物語の中で、無駄な時間は一切使ってないんですヨ"と言っていましたっけ。そしてオーケストラの奏でる音のバランスとハーモニーの良さ。低音部と高音部、さまざまな音色の楽器が溶け合って鳴り響きます。西本氏の耳の良さとともに、日フィルの技量も称賛すべきでしょう。また迫力を出そうとして音が割れるよりは、力強さに欠けても美しい音の響きの方を選ばれたのかなと感じました。以上のことが相俟って、だんだん胸が熱くなり、フィナーレでは思わず目が潤んでしまいました。ブラーバ!
 指揮者の仕事は、練習の時点ですでに終っており、本番では微調整をするにとどまると思います。この素敵な演奏から、彼女とオケの真摯で熱意あふれた練習風景が浮かんでくるようです。万雷の拍手に応えてアンコールを演奏してくれました。てっきり「ガリダン」(※ハンガリアン舞曲)かなと思っていたのですが、意外なことに弦楽合奏によるシューマンの「トロイメライ」でした。脂っこい曲が二曲続いた後だけにまるで一服の清涼剤。最後の一音の後、心に沁みいるような残響に身も心も委ねていると…ばちばちばちばちと拍手が沸き起こってしまいました。うーむ、もう少し待てないものかしらん。なお彼女のブログによると、恩師と仰ぐ諸橋晋六氏が6月23日に逝去されたそうなので、追悼の意が込められていたのかもしれません。なお氏は、三菱商事の社長・会長を歴任した方で、『大漢和辞典』の編著者・諸橋轍次の三男だそうです。
 それはともかく、素晴らしい演奏会でした。次回は、このコンビでブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴きたいな。
by sabasaba13 | 2013-07-06 08:25 | 音楽 | Comments(0)