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函館・札幌編(17):函館(15.9)

 さて山ノ神も目覚めたことだし、朝食を食べにいきますか。なおコンフォートホテル函館では、朝食は無料です。朝食会場に行くと充実したメニューで、特に日替わりスープ全8種類というのが嬉しいですね。山ノ神はテアニン味噌スープを、私はボルシチをいただきました。
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 部屋に戻って身支度をととのえ、チェックアウトをして荷物をフロントに預けていざ出発。ちなみに本日は、午前中は函館をぶらつき、午後は大沼公園を散策、そして札幌に移動してカニを食べるという予定です。外に出てまずは函館山にご挨拶、そして朝市へと向かいます。途中で「落雪注意」という札がかかっていましたが、冬場にはここ函館でもかなりの降雪があるのでしょう。そして朝市にとうちゃこ。
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 戦後間もない1945年に函館駅前で農家が野菜の立ち売りをしたのが始まりだそうです。主に海鮮を商う小さなお店が所狭しと軒を並べ、まだ九時前だというのに大勢の観光客で溢れかえっていました。いろいろなお店をひやかしながらそぞろ歩いていると、山ノ神が足を止めて何かを凝視しています。その視線の先を見ると…メロン。「ずるい、何でこんなに安いの」と地団駄を踏んでいます。そうか、昨日五稜郭で買ったメロンの値段と比べているのですね。花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だと慰めて、市電乗り場へ。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-12-10 15:32 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(16):函館(15.9)

 朝目覚めてカーテンを開けると、おお、目に染みるような青空が広がっています。
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 洗顔をしてテレビをつけると、ワールド・ニュースでシリア難民について報道されていました。シリア政府軍と反政府軍、IS、アメリカ、ロシア、トルコ、クルド人勢力による殺戮から必死の思いで逃れるシリアの民衆。その悲惨さには目を覆いたくなります。なぜ冷戦が終わったのにこうした紛争や戦闘が絶えないのか。宗教、文化、資源、利権、個別にはさまざま要因があるのでしょうが、大局的に見て、木村朗氏が『9・11事件の省察』(凱風社)の中で述べられている理由が正鵠を得ていると思います。
 世界自然保護基金(WWF)がエコロジカル・フットプリント分析(環境負荷や資源消費を面積に換算する手法)を用いて試算した「生きている地球レポート(Living Planet Report)」によると、世界中が「大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄」の「アメリカ式生活様式(American Way of Life)」を採用するならば、「五・三個の地球」が必要になるという。世界中が日本並みの消費をすると「二・四個の地球」が必要になるという。しかし、地球は一個しかない。「先進国(特に米国)の現存世代が第三世界と将来世代と自然界を犠牲にして豊かさを享受する石油文明」という構造的暴力を維持するために、戦争が必要」なのであろう。(p.178~9)
 アメリカを中心とするいわゆる先進国が、豊かさを享受できる現行のシステムを維持するための戦争。安保関連法案を成立させたということは、この戦争の片棒を担ぎ、あわよくばお零れにあずかろうという腹でしょう。でも他者を犠牲にした豊かさは、いつか手痛いしっぺ返しをくらうことを忘れぬようにしましょう。テロと呼ばれる弱者による強者への反撃の一部は(大半は?)、そのしっぺ返しだと考えます。"公正で節度ある豊かさ"ということを、私たちは本気で考えるべきす。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-12-03 18:18 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(15):函館(15.9)

 そして市電に乗って函館駅前へ。朝市どんぶり横丁にある「道乃家」に入り、三種選べる海鮮丼をいただきました。ホテルに戻り、じゃがいも焼酎「喜多里」を晩酌に、テレビをつけてニュースに見入りました。
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 そう、本日2015年9月19日の午前2時すぎ、安倍晋三上等兵内閣が、数にまかせて戦争法案(安全保障関連法案)を成立させました。歴史に残る暴挙なので記憶に留めましょう。参議院において賛成したのは自民党、公明党、日本を元気にする会、次世代の党、新党改革。反対したのは民主党、維新の党、共産党、社民党、生活の党です。
 「8.30国会10万人集会」など、何回か国会前に馳せ参じて反対の声を上げましたが…無念です。コンビニエンス・ストアで購入した「北海道新聞」(2015.9.19夕刊)によると、首相は成立後、官邸で記者団に「国民の命を守るために必要な法制であり、戦争を未然に防ぐためのものだ」と強調したそうです。彼の口からこんな言が出るなんて、驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機です。国民の命なんて屁とも思っていないくせに。

 嘘つき。

 恥を知れ。

 人でなし。

 福島の方々を見殺しにし、原発を再稼働し、沖縄に米軍基地を押しつけ、米兵の犯罪を放置し、労働者の立場を悪化させ、福祉を無惨に切り捨てているのは一体だれか。いま、私たちの命を脅かしているのは、北朝鮮でも中国でもなく、安倍上等兵と自民党、それに媚び諂う公明党をはじめとする諸党ではないのですか。本気で私たちの命を守りたいのなら、議員の職を辞めていただきたいものです。即刻。
 この法案は私たち国民の命を守るためのものではなく、アメリカが国益のために行なう没義道で卑劣で残虐な先制攻撃の片棒をかつぐためのものでしょう。はっきり言えばいいのに。宮台真司氏の卓抜な言い回しをお借りすると、"世界中から後ろ指をさされようとも、倫理的に忸怩たる思いを抱こうとも、繁栄の継続に役立ちさえすれば、アメリカのケツを舐める"ということですね。(『愚民社会』 p.282太田出版) いやはや。
 しかし彼らをここまで増長させ、国民を舐めるようになったのは、やはりこうした暗愚な人物や政党を支持する人びと、および無知・無関心な人びとのせいでしょう。株価が上がって、スマートフォンをいじれて、コンビニエンス・ストアで買い物ができ、日本人が国際大会で活躍すれば満足という方々が異様に増えているような気がします。第二次大戦中に清沢洌が『暗黒日記』に綴った言葉が、今また耳朶に響きます。"イグノランスの深淵は計りがたい"
 本日をもって戦後は終わり、戦前が始まったことを記憶に焼き付けます。まあでも、あきらめません。私たちがあきらめて一番喜ぶのは彼らですから。日本はそう簡単に良くなる国ではないということ、闘いはまだこれからだということを肝に銘じましょう。香港の雨傘運動の際、占領区のバリケードに"It's just the beginning"というメッセージが残されていたそうです。一般市民を犠牲にして、アメリカと大企業の幇間に甘んじるジャンクな国会議員をひとり残らず落選させましょう。

 追記です。さきほど読み終えた『完全版 1★9★3★7』(辺見庸 角川文庫)に、こんな一文がありました。
 安倍政権はすでに2015年5月に、じじつじょうの「独裁宣言」をしていた、とわたしはおもう。首相は、集団的自衛権をこうしするばあいでも「他国の領土、領海、領空に派兵することはない」と詭弁をろうし、当時の民主党代表がそれなら法律に「派兵しない」と書きこむべきだともとめると、首相はたからかに言ったものだ。「われわれがていしゅつする法案の説明としてはまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから!」。これでは芥川龍之介の「桃太郎」のりくつとかわるところがない。なぜ鬼が島を征伐しなければならないのかと鬼が問えば、桃太郎は「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ」。りくつになりはしない。説明する気もない。悖理を恬として恥じない。そのようなきほんてき道理をあたまから無視する者が、国家の暴力装置を掌中におさめて、じぶんにつごうよく法制化し、暴力をかってにうごかそうとしている。(下p.209~10)

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-12-01 06:24 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(14):函館(15.9)

 ぐいんぐいんとロープウェイは山頂をめざしてのぼり、山頂展望台駅に到着。そろそろ街の灯がともり始めていますが、麹町、もとい、好事魔多し、霧が出てきて小雨も降り始めました。ここで挫けたら自称天下無双の晴れ男の名がすたる、「晴れよ」という一念を天に発しました。するとあら不思議、にわかに霧が晴れて見事な夜景が見えてきました。しかしまたすぐに雨。その繰り返しで、結局クリアな夜景を見ることはできませんでした。でも少しでも夜景が見えたことで諒としましょう。
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 そしてロープウェイに乗って下山、元町あたりをぶらつくことにしました。函館聖ヨハネ教会は英国聖公会の教会で、十字形をした屋根が印象的です。竣工は1979年。
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 函館ハリストス正教会は、1916(大正5)年に竣工した日本初のロシア正教会聖堂。1861年に来函した青年司祭ニコライが、ここを拠点に日本で初めてロシア正教を布教したそうです。なお日本唯一の女性イコン画家山下りん(1857~1939)の描いた聖像画も残されています。また美しい音色を奏でる鐘があることも有名で、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。
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 カトリック元町教会は高く聳える大鐘楼が印象的な教会で、竣工は1923(大正12)年。徳川幕府が発布していたキリシタン禁教令が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の象徴として、横浜と長崎に建立するカトリック教会と並び、国内では最も古い歴史を持ちます。
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 そして八幡坂へ、海へ向かって真っすぐに進む眺めの良い坂です。雨に濡れた石畳に街灯の明かりが映えて素晴らしい景観でした。
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 港へ出て金森赤レンガ倉庫へ向かいますが、途中に全部同じミルクコーヒーを売っている自動販売機がありました。
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 金森赤レンガ倉庫のあたりも、イルミネーションが雨に濡れた歩道に生えてフォトジェニックな景観です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-11-29 06:22 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(13):函館(15.9)

 そろそろ黄昏時、夕食を食べる店を物色しながら、函館山ロープウェイ乗り場へと向かいましょう。十字街まで歩き銀座通りをぶらつきましたが、このあたりにも、古くて渋い建物が散見されます。旧ホテル中央荘は、リズミカルに並んだ縦長の窓とファサード最上部の装飾が印象的。
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 旧梅津商店倉庫は、菱形の意匠を取り入れた四つの窓が小粋な物件です。
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 ん? その近くに、正面が貼り紙で埋め尽くされ、軒にサンタクロースが並ぶ、なんともキッチュなお店がありました。「ご当地バーガー 全国No.1 金賞受賞 ラッキーピエロ十字街銀座店」という謳い文句に心惹かれ、こちらで夕食をいただくことにしました。中に入ると、たまげた駒下駄日和下駄、サンタクロースの人形が所狭しと溢れています。とんでもない店に入ってしまったなあと少し後悔しながら、チャイニーズチキンバーガーセットを注文。客席のある二階にあがっても、サンタクロース人形が充満しています。でも美味しかったですね、甘辛のタレをからめたジューシーな鶏の唐揚げを、しっかりとした味のバンズが支えています。これは大当たり。後で知ったのですが、地産地消にこだわり、また道南地区以外への出店を拒否する、あくまでも地元に密着したハンバーガーチェーン店だったのですね。そういえば従業員に年配の方が多かったのですが、これも地元への貢献かもしれません。函館では「ラッピ」と呼ばれているそうです。また店ごとに装飾のテーマが違い、ここ十字街銀座店のテーマは「一年中クリスマス」。店内に飾られている5,000体ものサンタクロースは、すべて王一郎会長のコレクションだそうです。
 というわけで素敵なお店に出会えました。敬意を表してTシャツを購入。
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 周囲を睥睨する尖塔が印象的な函館市地域交流まちづくりセンターは、1923(大正12)年に竣工した旧丸井今井百貨店函館支店です。こちらには1930(昭和5)年に設置された東北以北最古のエレベーターが現在も稼働中で、施設スタッフに見学を申し出ると最上階まで一緒に乗ることができるそうです。
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 そして函館山ロープウェイ乗り場の山麓駅に到着、さすがは日本三大夜景のひとつ、押すな押すなの大混雑です。ちなみにあと二つは長崎稲佐山神戸六甲山ですね。私は以前に訪れたことがあり、その素晴らしさにいたく感激しました。これは是が非でも山ノ神に見せてあげたいという敷島の大和心に動かされた次第です。長い行列に並び、やっとのことで乗り込めました。
by sabasaba13 | 2018-11-27 06:21 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(12):函館(15.9)

 垂直線を強調したシャープな造形と、ちょこんと乗った塔が印象的な函館市臨海研究所は、かつての函館西警察署庁舎だったそうです。なおこのあたりで、1878(明治11)年にアメリカの動物学者エドワード・モースが臨海実験所を開き、海藻や貝類などの研究を行なったとのこと。大森貝塚を発見された方ですね。
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 旧梅津商店(現はこだて工芸舎)は小ぶりながらも恰幅がいい建築で、角の優美なカーブが洒落ています。1934(昭和9)年の大火で前社屋が焼失した直後に建てられ、かねてより人々から愛されていたデザインをそのまま継承し、従前の鉄筋コンクリートを木造に変更して、急ピッチで復元したそうです。へえー木造だったんだ、それにしても凄い技術ですね。「公式観光情報はこぶら」では、同じデザインを用いて一日でも早い建物の再建を図ったということから、創業者の梅津福次郎氏が大火によって焼け出され意気消沈している市民に、「また以前のように元気に生きていこう」というメッセージを与えたように思えると述べられています。なるほど。なお福次郎氏は、晩年、函館市立中学校(現市立函館高校)の校舎建築に65万円を寄付したことや、函館高等水産学校(北大水産学部の前身)の建設に寄与したことで知られているそうですが、氏は「長年儲けさせてもらった函館にお返ししただけだ」と言ったとのこと。その意気や良し。やはり素敵な街は、それを愛する人びとによってつくられるものなのですね。新国立競技場をつくり、築地市場を豊洲に移転しようとしている御仁たちは、東京を憎悪しているのではないかな。
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by sabasaba13 | 2018-11-23 08:51 | 北海道 | Comments(1)

函館・札幌編(11):函館(15.9)

 今度は姿見坂をおりていきますが、かつてこのあたりに遊廓があり、遊郭の女性たちの姿が見られたことから名づけられたそうです。ここからの眺望も素晴らしく、ちょっとした隠れビュー・ポイントです。
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 途中にまるで古民家のような「旧大黒湯」がありましたが、函館で最も古い銭湯だそうです。
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 坂をおりていくと「ペリー会見所跡」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
 安政元(1854)年3月、アメリカ海軍提督M.C.ペリーは、幕府との間に日米和親条約を締結し、その直後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港した。ペリーは、この地にあった有力商人山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老松前勘解由らと会見し、市中の調査や、港内測量などを行って函館を去った。
 このあたりは港も近いためか、いろいろな意匠の倉庫をよく見かけます。
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 大幸機動興業所社屋は木造3階建ての洋館で、ライトブルーの下見板張り、3階正面にバルコニーを持つ洒落た建物ですが、残念ながら改修のためネットがかけられていました。ロシアの鮭・鱒を扱う漁業会社、堤商会の事務所だったそうです。
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 太刀川家住宅店舗は、明治34(1901)年、米穀商・太刀川善吉により建築されたレンガ積みの土蔵造りで、洋風アーチを取り入れ、左右に卯建(うだつ)がついています。明治40年の大火でも難を免れたそうで、重厚ですがどこか軽やかな雰囲気が素敵ですね。
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 その近くに「沖之口番所跡」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
 江戸時代、松前藩は藩財政を支える施策の一つとして、福山(現松前)に船舶、積荷、旅人を検査して規定の税金を徴収する「沖之口番所」を創設した。その後江差と箱館(18世紀のはじめ頃)にも設けられ、文政4(1821)年沖之口役所と改められた。
 明治2(1869)年に「海官所」、さらに翌年に「海関所」と改称された。同8年に北海道諸産物出港規則が制定され、出港税徴収が開始されると、「船改所」と改称され、その徴収業務を担当したが、同20年、出港税の廃止とともに船改所も閉鎖された。

by sabasaba13 | 2018-11-21 06:08 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(10):函館(15.9)

 市立函館博物館郷土資料館は、二階の三連アーチ窓がキュートな上下和洋折衷住宅ですが、1880(明治13)年に建てられた「旧金森洋物店」を改修したものです。
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 旧第一銀行函館支店だった建物を活用して、函館市ゆかりの作家たちの著書や直筆原稿などを収蔵・展示しているのが函館文学館です。以前に訪れて、大逆事件の真相を世に伝えようと石川啄木が執筆した「A letter from prison」の現物を見ることができ感激した記憶があります。なお啄木一族の墓、青柳町の住居跡、妻・節子が通った質屋啄木小公園は、依然に訪れた時の旅行記がありますので、よろしければご笑覧ください。
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 すぐ近くに八幡坂がありましたが、この坂の上から見る眺めが絶景なのですね。後でのぼってみることにしましょう。北島三郎記念館はもちろんスキップ。
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 「末広町」から市電に乗って終点の「函館どつく前」で下車。「新選組最後の地」という記念碑を撮影して、船見坂をてくてくと登って行きます。今はそうでもありませんが、往時は港に入る船がよく見えたのでしょうね。
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 さてお目当ては大正湯です。見た瞬間に、どこが銭湯だと獅子吼したくなるようなとんでもない物件です。まるで先ほど拝見した遺愛学園の校舎のように、白い下見板張りの擬洋風建築です。これまでもいろいろな銭湯を訪れてきましたが、ドレス・コードがありそうな銭湯は初めてです。建てられたのは1928(昭和3)年、いまだ現役で頑張る街のランドマークですね。なお函館港イルミナシオン映画祭で準グランプリをとったシナリオ「パコダテ人」の映画化で、主人公(宮崎あおい)の家として、ロケ地になったそうです。
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 そして幸坂をのぼっていくと、右に旧ロシア領事館がありました。レンガ造りの和洋折衷の建物で、日本最初のロシア領事館として1906(明治39)年竣工、その後大火によって焼失し1908(明治41)年に再建されました。ロシア革命後にソ連領事館となりますが、1944(昭和19)年に最後の領事が本国へ引き揚げると閉館されてしまいます。現在は函館市の所有ですが内部の見学は不可、帝政ロシア時代の豪華な雰囲気を見られないのが残念です。
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 急な坂道をぜいぜい言いながら山上大神宮までのぼると、海・港・山を一望できる絶好のビュー・ポイントでした。ここまで来た甲斐があるというもの。
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by sabasaba13 | 2018-11-19 07:40 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(9):函館(15.9)

 はこだて明治館は、1911(明治44)年に函館郵便局として建てられた赤レンガの重厚な建造物ですが、現在はショッピングモールとして活用されています。
 そして金森赤レンガ倉庫に向かいますが、小腹がへったので「みなとの森」というカフェに立ち寄ってワッフルと珈琲をいただきました。味にうるさい山ノ神はワッフルの生クリームを絶賛。
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 なおこちらのトイレ男女表示は、アルベルト・ジャコメッティの彫刻の如くソリッドなものでした。
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 金森赤レンガ倉庫は、長崎から来函し、輸入雑貨や船具などの販売を手掛けていた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年、既存の建物を買い取って営業倉庫業に乗り出したのが始まりです。海運の活況により、荷物の取扱量が年々増加していったため、倉庫の増築で営業規模を拡大していきました。そんな最中、1907(明治40)年に発生した大火で倉庫6棟を焼失し、不燃質の倉庫として1909(明治42)年に再建されたのが、現在の建物です。現在では、飲食店や土産物店が入居する複合施設へと姿を変えて、観光スポットとなっています。函館山を背景に、櫛比する重厚なレンガ倉庫群、フォトジェニックな光景です。なおその中には、赤レンガ倉庫を模したご当地ポストがありました。
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 海岸に出ると、新島襄のブロンズ像がありました。以下、「公式観光情報はこぶら」から引用します。
 新島襄は、五稜郭を設計した武田斐三郎が教授をしていた諸術調所に入るために箱館にやって来ました。しかし、武田は江戸へ帰っていたため、塾頭の長岡藩士・菅沼精一郎の紹介で、ロシア領事館付きの司祭ニコライの日本語教師となりました。その後、鎖国の禁を破ってでも海外見聞をしたいという強い情熱のもと、1864(元治元)年6月14日夜、大町の築島の波止場から1艘の小舟で沖に出た後、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功。海外で見聞を広め、後に同志社英学校(現在の同志社大学)を創設しました。ブロンズ像では、小舟に乗って密出国する時の姿が表現されており、変装した服装などの様子がわかります。
 その意気やよし。彼の建学の言を紹介します。
 我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、且つ少々角あるも可、気骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟も姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところである。
 嗚呼、"姑息の計を為すが如き軟骨漢"が溢れた、根腐れした今の日本を見たら、彼は何と言うでしょうか。なお彼が海老名弾正と共に設立した安中教会も以前に訪れたことがありました。

 本日の三枚です。
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 追記です。最近読んだ『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』 (中公新書編集部編 中公新書2500)に、次の一文がありました。

 西洋の文物も、幕府許可のもと、ある程度入ってきた。江戸の人々は、「イソップ物語」(「伊曽保物語」)を読み、キリスト教の知識もあった。幕末期、アメリカに密航する上野安中藩の新島襄は、若い頃友人からキリスト教の翻訳書を借りて勉強した。彼は、これらの本を読んでキリスト教に興味をもち、渡米を決意する。その後、箱館での潜伏を経て、国禁を犯し渡米するが、なんとアメリカで、国元(上野安中藩領)の実家と手紙を交わしている。幕府が倒れたこともアメリカにいながら知っており、帰国した際に、禁を犯した彼を家族が追い払うこともなかった。(p.108)
by sabasaba13 | 2018-11-17 06:25 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(8):函館(15.9)

 見るべきほどのことは見つ、守衛さんに丁重にお礼を言って退出。「函館どつく前」行きの市電に乗って、「十字街」で降りました。キノコのような愛らしい市電操車塔もご健在、よかった。なおこの操車塔は1939(昭和14)年に建てられたもので、かつては始発から終電まで職員が詰め、ポイントや信号の切り替えに当たっていたそうです。1995(平成7)年にお役御免となったのですが、ここ十字街前に移設・形態保存した函館市の識見に敬意を表します。
 すぐ目の前にあったのが「北海道坂本龍馬記念館」ですが、龍馬と北海道はどういう関係にあるのでしょうか。今、記念館のホームページを閲覧したところ、彼はずっと北海道開発に意欲をもっていたのですが積年の志を果たせずに暗殺されてしまったとのことです。この記念館は、近代日本の礎を築き、北海道開拓を目指した坂本龍馬の生き方や精神、そして坂本龍馬が生きた幕末・維新の時代背景、また坂本龍馬の意志を継いで北海道に渡った子孫の人々の調査・研究を企図して開館されたそうです。ま、別に見なくていいかな。龍馬の顔はめ看板を撮影して、スルーしました。
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 このあたりには、函館独特の上下和洋折衷住宅が二棟ありました。「公式観光情報はこぶら」からのご教示ですが、一階が和風、二階が洋風に設計された木造二階建ての店舗・住宅が「上下和洋折衷(擬洋風)」様式です。日米和親条約(1854)によって開港された箱館(函館)ですが、土地が狭かったため、神戸や横浜とは違い、領事館・外国人住宅が市街地に雑居状態となりました。外国人と一緒に住むことになった函館の大工たちは、外国人の指導のもとで、まったく経験のない教会や領事館などの洋風建築に取り組みます。その後、宣教師や外国人商人の洋風住宅建築も依頼され、並々ならぬ苦労を重ねながら技術を習得しました。ところが、開港したとはいえ函館の輸出入額はわずかなもので、外国商人はより大きなマーケットを求めて横浜や神戸を目指し、函館を去り始めます。せっかく苦労して洋風建築技術を習得した函館の大工たちには、洋館を建てる機会が減少する一大事。そこで、当時財力があった海産商を中心に、店舗・住宅の建築に洋風の様式を取り入れることを強力に勧誘します。当時の函館商人は、諸外国と不利な商取引を強いられていました。長年の悲願である対等の取引を行うためにも、馴染んだ和風の生活様式を守りつつ、洋風を意識した店舗・住宅で対等な立場を強烈に誇示する必要があると考えられたのでしょう。その後、明治20年代後半から昭和初めまで、商店に限らず庶民の町家にも、洋風を取り入れた「上下和洋折衷住宅」が広まっていきます。特に1907(明治40)年、当時の全戸数の約半分の1万2千戸もが焼失する大火が起きますが、大火後の復興は目覚しく、和洋折衷住宅が函館の街並みを形成していきました。おしまい。なおこうした古い建物の解説板がぜひ欲しいもの、関係者諸氏の善処を期待します。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-11-15 06:23 | 北海道 | Comments(0)