カテゴリ:北海道( 144 )

函館・札幌編(20):函館(15.9)

 戦争遺跡マニアとして外せない物件ですが、事前調査が不足でした。ここからタクシーに乗って運転手さんに頼めば、ホイホイと簡単に行けると嘗めていたのですが、飛んでも八分歩いて十六分。まずタクシーが見当たりません。せんかたない、ロープウェイで山麓駅まで下りてそこで客待ちをしているタクシーに乗り込み、「函館要塞を廻ってください」と頼みました。ところが運転手さん、沈思黙考して「うーん、一つしか思い浮かばないなあ」と一言。しかたない、そこへ連れていってもらうことにしました。再び函館山をのぼっていき、山頂近くにある「御殿山第二砲台跡」に到着。円形の台座跡が六つ、そして弾薬庫を拝見することができました。六日の菖蒲十日の菊、今ごろ見つけたのですが、函館市が「歴史散策ガイド」という地図つきの素晴らしいパンフレットを作成していて、それによると他に薬師山砲台跡・入江山観測所跡・千畳敷砲台跡があったのですね。ま、旅は腹八分、見残した物件があれば再訪しようという気になろうというもの。
c0051620_19495222.jpg

 山麓駅まで戻ってもらい、もうしばらく徒歩で函館を散策しましょう。すぐ近くにある函館市公民館は、三つの長方形を組み合わせたシャープなファサードが印象的です。かつては、1933(昭和8)年に篤志家・石館友作の寄付によって建てられた青年会館だったそうです。設計したのは函館市の建築技師であった小南武一で、旧市立図書館弥生小学校も彼の手によるものです。
c0051620_19504844.jpg

 となりにあるのが函館護国神社で、こちらにある旧奉安殿と箱館戦争における新政府軍戦死者の墓は以前に訪れました。「お守り 試験合格 つうがく」という看板がありましたが、"つうがく"とは何ぞや?
 山麓駅の近くには、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」という掲示がありました。
c0051620_19514581.jpg

 ミシュランが発行している外国人観光客向けのガイドブックで、日本全国の観光地のお薦め度が星の数で表されています。☆☆☆は「わざわざ旅行する価値がある」、☆☆が「寄り道する価値がある」、☆が「興味深い」というランクだそうです。ちなみに、「函館」「函館山からの眺望」が☆☆☆、「函館山」「旧函館区公会堂」「旧函館区公会堂からの素晴らしい景観」「元町の坂」「五稜郭跡」「五稜郭タワーからの眺望」が☆☆、「基坂」「北方民族資料館」「相馬株式会社社屋」「大三坂周辺の教会」「ロシア正教会(ハリストス正教会)」「カトリック元町教会の内装」「東本願寺函館別院」「八幡坂」「函館港の散策」「箱館高田屋嘉兵衛資料館の蔵」「高龍寺」「外国人墓地」「見晴公園」が☆でした。ちょっと渋いテイストを加えた、順当な選択ですね。個人的には「レトロな銭湯群」を☆☆としてほしいのですが。

 本日の一枚です。
c0051620_19521270.jpg

by sabasaba13 | 2019-01-07 07:31 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(19):函館(15.9)

 ♪つんつくつくつくつん つんつくつくつくつ ひゃらー♪

 迎春

 ふつつかで粗忽なブログですが、今年もよろしくお願いします。


 そして函館山ロープウェイ山麓駅へ、せっかくなので昼間の眺望も楽しみたいと思います。ロープウェイに乗り込み山頂駅に到着、昨夜とはうってかわった好天のもと、展望台からは素晴らしい眺めでした。元町の教会群も、下北半島もよく見えます。
c0051620_1921047.jpg

 なおこちらにはトーマス・ライト・ブラキストンの記念碑があったので、後学のために解説を転記しておきます。
 ブラキストンは、1832年イギリスに生まれ、文久3(1863)年に日本での事業をおこすために来函し、事業を継続しながら鳥類を捕獲・研究、気象観測も行いました。
 明治12(1879)年には、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を開拓使函館支庁仮博物場(現在の市立函館博物館)に寄贈しています。この標本は、現在北海道大学植物園・博物館に所蔵されています。
 明治16(1879)年、本州と北海道の動物の著しい違いがあることを、アジア協会報に発表して注目され、津軽海峡が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。
c0051620_1925325.jpg

 さて実はお目当てがもう一つありまして、それは函館要塞の見学です。その解説板があったので、これも転記します。
 函館要塞は、明治28(1895)年の日清戦争終結後に、日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に明治31(1898)年から、約4年間を費やして函館山に大小4か所に砲台が建設されました。
 他の多くの要塞が軍港を守ることを目的にしたのに対し、函館要塞は商業港である函館港を守るために建設されました。
 日露戦争開戦後、津軽海峡でロシア艦隊が日本の船舶に損害を与えましたが、射程外であったため要塞からは一発の砲撃もされませんでした。しかし、要塞の存在により函館港は攻撃されることはありませんでした。
 その後、大砲は撤去されましたが、大正に入り、米国を仮想敵国とし、海空の攻撃から函館と青森の両港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止するため、津軽要塞として再整備されましたが、戦闘機を相手とした実戦では役に立たず、函館は空襲に遭い甚大な被害を受けました。
 函館要塞建設直後の明治32(1899)年に要塞地帯法が制定され、昭和21(1946)年に開放されるまでの約47年間、函館山への一般市民の立ち入りは禁止されていました。

 本日の三枚です。
c0051620_1933728.jpg

c0051620_1935288.jpg

c0051620_194632.jpg

by sabasaba13 | 2019-01-05 07:25 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(18):函館(15.9)

 市電に乗って十字街電停で降り、散策をしながら函館山ロープウェイへと向かいました。昨日も訪れたのですが、ここから津軽海峡方面に向かう長さ約200mの通りには、1921(大正10)年の大火後に建てられた鉄筋コンクリートやレンガ造りなどの耐火建築が、今も多く残されています。往時はモダンなカフェや商店などで賑わった繁華街だそうで、二十間(約36m)ある道幅は、防火線の役割も担っていたとのことです。
c0051620_18171441.jpg

 まずは何度見ても愛くるしい操車塔を、至近距離から撮影。解説板があることに気づいたので、後学のために転記しておきます。
 このキノコのような建物は操車塔といい、昭和14年(1939)に、交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを手動による遠隔操作をするために建てられたもので、現存する路面電車の操車塔では国内最古といわれております。この操車塔は、高さ5.4m、制御室直径1.9mあります。
 昭和44年(1969)当時には市内に6基ありましたが、施設の自動化などにより順次姿を消し、この操車塔だけが、平成7年(1995)6月まで電車信号機の制御装置が置かれ、使用されておりました。当時交差点向側に建てられておりましたが、道路改良にともない平成7年9月、現在地に移設し、形態保存しております。
c0051620_18172896.jpg

 宝来パン本店は、老舗のパン屋さんだそうです。壁面を飾る小粋な装飾が素敵でした。
c0051620_18174738.jpg

 小野寺住設ビルは古武士のような風貌ですが、屋上手すりの意匠やピラスターの如き装飾が見どころ。
c0051620_1818071.jpg

 そして圧巻は、「美容室あみん」。"AMIN"という看板の一部が剥落して"AI"となっているのがご愛敬ですが、よく見ると同じ意匠の入口が二つ並んでいます。そう、ここはかつて銭湯「衛生湯」だったそうです。昨日拝見した大正湯がキング、旧大黒湯がジャックだとしたらこちらはクイーン。貴婦人然とした佇まいに思わず見惚れてしまいました。
c0051620_18185484.jpg

by sabasaba13 | 2018-12-28 06:54 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(17):函館(15.9)

 さて山ノ神も目覚めたことだし、朝食を食べにいきますか。なおコンフォートホテル函館では、朝食は無料です。朝食会場に行くと充実したメニューで、特に日替わりスープ全8種類というのが嬉しいですね。山ノ神はテアニン味噌スープを、私はボルシチをいただきました。
c0051620_1871742.jpg

 部屋に戻って身支度をととのえ、チェックアウトをして荷物をフロントに預けていざ出発。ちなみに本日は、午前中は函館をぶらつき、午後は大沼公園を散策、そして札幌に移動してカニを食べるという予定です。外に出てまずは函館山にご挨拶、そして朝市へと向かいます。途中で「落雪注意」という札がかかっていましたが、冬場にはここ函館でもかなりの降雪があるのでしょう。そして朝市にとうちゃこ。
c0051620_1873262.jpg

 戦後間もない1945年に函館駅前で農家が野菜の立ち売りをしたのが始まりだそうです。主に海鮮を商う小さなお店が所狭しと軒を並べ、まだ九時前だというのに大勢の観光客で溢れかえっていました。いろいろなお店をひやかしながらそぞろ歩いていると、山ノ神が足を止めて何かを凝視しています。その視線の先を見ると…メロン。「ずるい、何でこんなに安いの」と地団駄を踏んでいます。そうか、昨日五稜郭で買ったメロンの値段と比べているのですね。花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だと慰めて、市電乗り場へ。
c0051620_1874862.jpg

 本日の一枚です。
c0051620_1881186.jpg

by sabasaba13 | 2018-12-10 15:32 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(16):函館(15.9)

 朝目覚めてカーテンを開けると、おお、目に染みるような青空が広がっています。
c0051620_17434679.jpg

 洗顔をしてテレビをつけると、ワールド・ニュースでシリア難民について報道されていました。シリア政府軍と反政府軍、IS、アメリカ、ロシア、トルコ、クルド人勢力による殺戮から必死の思いで逃れるシリアの民衆。その悲惨さには目を覆いたくなります。なぜ冷戦が終わったのにこうした紛争や戦闘が絶えないのか。宗教、文化、資源、利権、個別にはさまざま要因があるのでしょうが、大局的に見て、木村朗氏が『9・11事件の省察』(凱風社)の中で述べられている理由が正鵠を得ていると思います。
 世界自然保護基金(WWF)がエコロジカル・フットプリント分析(環境負荷や資源消費を面積に換算する手法)を用いて試算した「生きている地球レポート(Living Planet Report)」によると、世界中が「大量採取・大量生産・大量消費・大量廃棄」の「アメリカ式生活様式(American Way of Life)」を採用するならば、「五・三個の地球」が必要になるという。世界中が日本並みの消費をすると「二・四個の地球」が必要になるという。しかし、地球は一個しかない。「先進国(特に米国)の現存世代が第三世界と将来世代と自然界を犠牲にして豊かさを享受する石油文明」という構造的暴力を維持するために、戦争が必要」なのであろう。(p.178~9)
 アメリカを中心とするいわゆる先進国が、豊かさを享受できる現行のシステムを維持するための戦争。安保関連法案を成立させたということは、この戦争の片棒を担ぎ、あわよくばお零れにあずかろうという腹でしょう。でも他者を犠牲にした豊かさは、いつか手痛いしっぺ返しをくらうことを忘れぬようにしましょう。テロと呼ばれる弱者による強者への反撃の一部は(大半は?)、そのしっぺ返しだと考えます。"公正で節度ある豊かさ"ということを、私たちは本気で考えるべきす。

 本日の二枚です。
c0051620_17445896.jpg

c0051620_17453089.jpg

by sabasaba13 | 2018-12-03 18:18 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(15):函館(15.9)

 そして市電に乗って函館駅前へ。朝市どんぶり横丁にある「道乃家」に入り、三種選べる海鮮丼をいただきました。ホテルに戻り、じゃがいも焼酎「喜多里」を晩酌に、テレビをつけてニュースに見入りました。
c0051620_21514645.jpg

 そう、本日2015年9月19日の午前2時すぎ、安倍晋三上等兵内閣が、数にまかせて戦争法案(安全保障関連法案)を成立させました。歴史に残る暴挙なので記憶に留めましょう。参議院において賛成したのは自民党、公明党、日本を元気にする会、次世代の党、新党改革。反対したのは民主党、維新の党、共産党、社民党、生活の党です。
 「8.30国会10万人集会」など、何回か国会前に馳せ参じて反対の声を上げましたが…無念です。コンビニエンス・ストアで購入した「北海道新聞」(2015.9.19夕刊)によると、首相は成立後、官邸で記者団に「国民の命を守るために必要な法制であり、戦争を未然に防ぐためのものだ」と強調したそうです。彼の口からこんな言が出るなんて、驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機です。国民の命なんて屁とも思っていないくせに。

 嘘つき。

 恥を知れ。

 人でなし。

 福島の方々を見殺しにし、原発を再稼働し、沖縄に米軍基地を押しつけ、米兵の犯罪を放置し、労働者の立場を悪化させ、福祉を無惨に切り捨てているのは一体だれか。いま、私たちの命を脅かしているのは、北朝鮮でも中国でもなく、安倍上等兵と自民党、それに媚び諂う公明党をはじめとする諸党ではないのですか。本気で私たちの命を守りたいのなら、議員の職を辞めていただきたいものです。即刻。
 この法案は私たち国民の命を守るためのものではなく、アメリカが国益のために行なう没義道で卑劣で残虐な先制攻撃の片棒をかつぐためのものでしょう。はっきり言えばいいのに。宮台真司氏の卓抜な言い回しをお借りすると、"世界中から後ろ指をさされようとも、倫理的に忸怩たる思いを抱こうとも、繁栄の継続に役立ちさえすれば、アメリカのケツを舐める"ということですね。(『愚民社会』 p.282太田出版) いやはや。
 しかし彼らをここまで増長させ、国民を舐めるようになったのは、やはりこうした暗愚な人物や政党を支持する人びと、および無知・無関心な人びとのせいでしょう。株価が上がって、スマートフォンをいじれて、コンビニエンス・ストアで買い物ができ、日本人が国際大会で活躍すれば満足という方々が異様に増えているような気がします。第二次大戦中に清沢洌が『暗黒日記』に綴った言葉が、今また耳朶に響きます。"イグノランスの深淵は計りがたい"
 本日をもって戦後は終わり、戦前が始まったことを記憶に焼き付けます。まあでも、あきらめません。私たちがあきらめて一番喜ぶのは彼らですから。日本はそう簡単に良くなる国ではないということ、闘いはまだこれからだということを肝に銘じましょう。香港の雨傘運動の際、占領区のバリケードに"It's just the beginning"というメッセージが残されていたそうです。一般市民を犠牲にして、アメリカと大企業の幇間に甘んじるジャンクな国会議員をひとり残らず落選させましょう。

 追記です。さきほど読み終えた『完全版 1★9★3★7』(辺見庸 角川文庫)に、こんな一文がありました。
 安倍政権はすでに2015年5月に、じじつじょうの「独裁宣言」をしていた、とわたしはおもう。首相は、集団的自衛権をこうしするばあいでも「他国の領土、領海、領空に派兵することはない」と詭弁をろうし、当時の民主党代表がそれなら法律に「派兵しない」と書きこむべきだともとめると、首相はたからかに言ったものだ。「われわれがていしゅつする法案の説明としてはまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから!」。これでは芥川龍之介の「桃太郎」のりくつとかわるところがない。なぜ鬼が島を征伐しなければならないのかと鬼が問えば、桃太郎は「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ」。りくつになりはしない。説明する気もない。悖理を恬として恥じない。そのようなきほんてき道理をあたまから無視する者が、国家の暴力装置を掌中におさめて、じぶんにつごうよく法制化し、暴力をかってにうごかそうとしている。(下p.209~10)

 本日の二枚です。
c0051620_2153250.jpg

c0051620_21572962.jpg

by sabasaba13 | 2018-12-01 06:24 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(14):函館(15.9)

 ぐいんぐいんとロープウェイは山頂をめざしてのぼり、山頂展望台駅に到着。そろそろ街の灯がともり始めていますが、麹町、もとい、好事魔多し、霧が出てきて小雨も降り始めました。ここで挫けたら自称天下無双の晴れ男の名がすたる、「晴れよ」という一念を天に発しました。するとあら不思議、にわかに霧が晴れて見事な夜景が見えてきました。しかしまたすぐに雨。その繰り返しで、結局クリアな夜景を見ることはできませんでした。でも少しでも夜景が見えたことで諒としましょう。
c0051620_21363659.jpg

 そしてロープウェイに乗って下山、元町あたりをぶらつくことにしました。函館聖ヨハネ教会は英国聖公会の教会で、十字形をした屋根が印象的です。竣工は1979年。
c0051620_21371081.jpg

 函館ハリストス正教会は、1916(大正5)年に竣工した日本初のロシア正教会聖堂。1861年に来函した青年司祭ニコライが、ここを拠点に日本で初めてロシア正教を布教したそうです。なお日本唯一の女性イコン画家山下りん(1857~1939)の描いた聖像画も残されています。また美しい音色を奏でる鐘があることも有名で、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。
c0051620_21382776.jpg

 カトリック元町教会は高く聳える大鐘楼が印象的な教会で、竣工は1923(大正12)年。徳川幕府が発布していたキリシタン禁教令が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の象徴として、横浜と長崎に建立するカトリック教会と並び、国内では最も古い歴史を持ちます。
c0051620_2138407.jpg

 そして八幡坂へ、海へ向かって真っすぐに進む眺めの良い坂です。雨に濡れた石畳に街灯の明かりが映えて素晴らしい景観でした。
c0051620_21385143.jpg

 港へ出て金森赤レンガ倉庫へ向かいますが、途中に全部同じミルクコーヒーを売っている自動販売機がありました。
c0051620_2139477.jpg

 金森赤レンガ倉庫のあたりも、イルミネーションが雨に濡れた歩道に生えてフォトジェニックな景観です。
c0051620_21391325.jpg

 本日の一枚です。
c0051620_21394127.jpg

by sabasaba13 | 2018-11-29 06:22 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(13):函館(15.9)

 そろそろ黄昏時、夕食を食べる店を物色しながら、函館山ロープウェイ乗り場へと向かいましょう。十字街まで歩き銀座通りをぶらつきましたが、このあたりにも、古くて渋い建物が散見されます。旧ホテル中央荘は、リズミカルに並んだ縦長の窓とファサード最上部の装飾が印象的。
c0051620_2121619.jpg

 旧梅津商店倉庫は、菱形の意匠を取り入れた四つの窓が小粋な物件です。
c0051620_21225310.jpg

 ん? その近くに、正面が貼り紙で埋め尽くされ、軒にサンタクロースが並ぶ、なんともキッチュなお店がありました。「ご当地バーガー 全国No.1 金賞受賞 ラッキーピエロ十字街銀座店」という謳い文句に心惹かれ、こちらで夕食をいただくことにしました。中に入ると、たまげた駒下駄日和下駄、サンタクロースの人形が所狭しと溢れています。とんでもない店に入ってしまったなあと少し後悔しながら、チャイニーズチキンバーガーセットを注文。客席のある二階にあがっても、サンタクロース人形が充満しています。でも美味しかったですね、甘辛のタレをからめたジューシーな鶏の唐揚げを、しっかりとした味のバンズが支えています。これは大当たり。後で知ったのですが、地産地消にこだわり、また道南地区以外への出店を拒否する、あくまでも地元に密着したハンバーガーチェーン店だったのですね。そういえば従業員に年配の方が多かったのですが、これも地元への貢献かもしれません。函館では「ラッピ」と呼ばれているそうです。また店ごとに装飾のテーマが違い、ここ十字街銀座店のテーマは「一年中クリスマス」。店内に飾られている5,000体ものサンタクロースは、すべて王一郎会長のコレクションだそうです。
 というわけで素敵なお店に出会えました。敬意を表してTシャツを購入。
c0051620_6312416.jpg

 周囲を睥睨する尖塔が印象的な函館市地域交流まちづくりセンターは、1923(大正12)年に竣工した旧丸井今井百貨店函館支店です。こちらには1930(昭和5)年に設置された東北以北最古のエレベーターが現在も稼働中で、施設スタッフに見学を申し出ると最上階まで一緒に乗ることができるそうです。
c0051620_21233327.jpg

 そして函館山ロープウェイ乗り場の山麓駅に到着、さすがは日本三大夜景のひとつ、押すな押すなの大混雑です。ちなみにあと二つは長崎稲佐山神戸六甲山ですね。私は以前に訪れたことがあり、その素晴らしさにいたく感激しました。これは是が非でも山ノ神に見せてあげたいという敷島の大和心に動かされた次第です。長い行列に並び、やっとのことで乗り込めました。
by sabasaba13 | 2018-11-27 06:21 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(12):函館(15.9)

 垂直線を強調したシャープな造形と、ちょこんと乗った塔が印象的な函館市臨海研究所は、かつての函館西警察署庁舎だったそうです。なおこのあたりで、1878(明治11)年にアメリカの動物学者エドワード・モースが臨海実験所を開き、海藻や貝類などの研究を行なったとのこと。大森貝塚を発見された方ですね。
c0051620_19173176.jpg

 旧梅津商店(現はこだて工芸舎)は小ぶりながらも恰幅がいい建築で、角の優美なカーブが洒落ています。1934(昭和9)年の大火で前社屋が焼失した直後に建てられ、かねてより人々から愛されていたデザインをそのまま継承し、従前の鉄筋コンクリートを木造に変更して、急ピッチで復元したそうです。へえー木造だったんだ、それにしても凄い技術ですね。「公式観光情報はこぶら」では、同じデザインを用いて一日でも早い建物の再建を図ったということから、創業者の梅津福次郎氏が大火によって焼け出され意気消沈している市民に、「また以前のように元気に生きていこう」というメッセージを与えたように思えると述べられています。なるほど。なお福次郎氏は、晩年、函館市立中学校(現市立函館高校)の校舎建築に65万円を寄付したことや、函館高等水産学校(北大水産学部の前身)の建設に寄与したことで知られているそうですが、氏は「長年儲けさせてもらった函館にお返ししただけだ」と言ったとのこと。その意気や良し。やはり素敵な街は、それを愛する人びとによってつくられるものなのですね。新国立競技場をつくり、築地市場を豊洲に移転しようとしている御仁たちは、東京を憎悪しているのではないかな。
c0051620_1918653.jpg

by sabasaba13 | 2018-11-23 08:51 | 北海道 | Comments(3)

函館・札幌編(11):函館(15.9)

 今度は姿見坂をおりていきますが、かつてこのあたりに遊廓があり、遊郭の女性たちの姿が見られたことから名づけられたそうです。ここからの眺望も素晴らしく、ちょっとした隠れビュー・ポイントです。
c0051620_21455736.jpg

 途中にまるで古民家のような「旧大黒湯」がありましたが、函館で最も古い銭湯だそうです。
c0051620_21461489.jpg

 坂をおりていくと「ペリー会見所跡」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
 安政元(1854)年3月、アメリカ海軍提督M.C.ペリーは、幕府との間に日米和親条約を締結し、その直後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港した。ペリーは、この地にあった有力商人山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老松前勘解由らと会見し、市中の調査や、港内測量などを行って函館を去った。
 このあたりは港も近いためか、いろいろな意匠の倉庫をよく見かけます。
c0051620_2147517.jpg

 大幸機動興業所社屋は木造3階建ての洋館で、ライトブルーの下見板張り、3階正面にバルコニーを持つ洒落た建物ですが、残念ながら改修のためネットがかけられていました。ロシアの鮭・鱒を扱う漁業会社、堤商会の事務所だったそうです。
c0051620_2148213.jpg

 太刀川家住宅店舗は、明治34(1901)年、米穀商・太刀川善吉により建築されたレンガ積みの土蔵造りで、洋風アーチを取り入れ、左右に卯建(うだつ)がついています。明治40年の大火でも難を免れたそうで、重厚ですがどこか軽やかな雰囲気が素敵ですね。
c0051620_21481881.jpg

 その近くに「沖之口番所跡」という解説板があったので後学のために転記しておきます。
 江戸時代、松前藩は藩財政を支える施策の一つとして、福山(現松前)に船舶、積荷、旅人を検査して規定の税金を徴収する「沖之口番所」を創設した。その後江差と箱館(18世紀のはじめ頃)にも設けられ、文政4(1821)年沖之口役所と改められた。
 明治2(1869)年に「海官所」、さらに翌年に「海関所」と改称された。同8年に北海道諸産物出港規則が制定され、出港税徴収が開始されると、「船改所」と改称され、その徴収業務を担当したが、同20年、出港税の廃止とともに船改所も閉鎖された。

by sabasaba13 | 2018-11-21 06:08 | 北海道 | Comments(0)