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「のだめカンタービレ」

 「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子 講談社)が面白いですね。初めて本屋の店頭で見た時、楽器を弾く美少女の表紙から「のためのカンタービレ」というタイトルだと勝手に思い込んでしまいました。何だ、惚れた腫れたのクラシック+恋愛マンガかとたかをくくっていたのですが、ある日、「のだめ」とは主人公の名前、野田恵を略したものだと発見。普通、ヒロインのニックネームに「のだめ」などとつけませんよね。これは何かありそうと早速購入。現在も愛読しています。指揮者をめざす千秋真一と、ピアニストだか保育園の先生だか千秋の嫁さんだか何をめざしているのかよくわからない野田恵を主人公とするマンガです。とにかくアクの強い個性的な登場人物が目白押し。派手好き目立ちたがりの峰竜太郎、古武士のような黒木康則、千秋に恋する山形出身で凝り性な奥山真澄、女癖の悪い菊池亨、そしてほとんど性格が破綻している世界的名指揮者フランツ・フォン・シュトレーゼマン(偽名ミルヒ・ホルスタイン)… もうバルザックの世界ですね。真面目さと不真面目さの絶妙なバランスが、お見事です。
 そして作者の描写力の確かさには感服します。マンガで楽器を描くのは、非常に難しいと思います。これまでバイオリンやトランペットの曲線をまともに描いたマンガにはお目にかかったことはないのですが、氏はそれを楽々とリアルに表現してしまいます。これは凄いことです。
 音楽マンガの傑作といえば、「わずか1小節のラララ」「いつもポケットにショパン」(くらもちふさこ)、「Blow up !」(細野不二彦)、「Go ahead !」(江口寿史)などが思い出されますが、その殿堂に加えましょう。
 疑問が一つ。千秋真一のパリでのデビュー・コンサートで、なぜシベリウスの交響曲第二番を選んだのか。次巻で明らかにされるかな。私は、二番よりも五番と六番の方が好きなのですが。
by sabasaba13 | 2005-05-21 21:15 | | Comments(0)

『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』

 『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』(小林英夫 小学館)読了。敗戦後の経済成長を推し進めた日本型経営システムの見直しが叫ばれています。資本と経営の分離、日銀による資金統制、企業別労働組合と労使協調、企業活動全体に対する官僚の指導などがその内容ですね。ムードに踊らされてこうしたシステムを一挙に葬り去ると、グローバリゼーションの餌食にされてしまうので慎重に考え行動した方がよいと思いますけれど。
 それでは、いつ、誰が、なんのために、こうしたシステムをつくりあげたのか。これについては、野口悠紀雄氏が「1940年体制」論を唱えて、太平洋戦争直前の国家総動員体制にその端緒があると述べられています。しかしこの本は射程をさらにのばし、「満州国」にそのルーツがあると主張しています。そのキー・パーソンが、満鉄調査課ロシア班に所属した宮崎正義(1893~1954)です。彼はロシア留学中にロシア革命を経験し、その後のソ連の国家統制経済による急速な重工業化を研究します。そして石原莞爾との出会い。日米による世界最終戦争を主張する彼は、そのために国家統制による重工業化が必要と考え、日本経済と「満州国」経済を有機的に連携させようとします。そのブレーンとして宮崎に眼をつけたわけですね。以後、この二人が中心となって日満財政経済研究会を組織し、ソ連をまねた「生産力拡充五ヵ年計画」として結実します。石原はその準備期間として10年(20年説もあり)必要と考え、この間一切の戦争をすべきではないと主張します。しかし日中戦争の勃発(1937)とその泥沼化により、石原と宮崎の計画は完全に破綻してしまいます。これ以後は二人とも歴史の舞台から消えていきます。そして生産力拡充ではなく、戦争遂行のための官僚による経済統制がはじまっていきます。これが「1940年体制」ですね。ここから主役は岸信介を中心とする新官僚へと代わっていきます。そして敗戦後も…
 国家による経済統制という緻密なプランをねりあげる思考力、それを実現するための行動力、凄い人物だなと思いました。しかし敗戦後、彼はこう言っています。「願う処は将来世界平和の一つの支柱たり得るほど日本が正しく成長することである」(1947) 彼にとって重要なのは生産力をシステマティックに拡充することだけであって、その目的は戦争から平和に簡単にシフトできる程度のものだという印象を強烈に受けます。いかにして効率的・合理的に目的地に着くかを考えるのが技術、どこを目的地にするかを考えるのが教養だとすると、彼は典型的なテクノクラートなのですね。石原莞爾を含め、教養を欠く優秀な官僚が日本の近現代史をひっぱってきたのだなあという思いを禁じ得ません。
 もう一つ気になったこと。宮崎や石原は、当時の資本主義の腐敗・堕落の原因は「大株主のその場主義的我利の横暴」(p.104)であると批判します。だから経営者と官僚が主導権を握るべきだという考えです。そして今、グローバリゼーションがめざしているものは、まごうことなく「大株主のその場主義的我利」なのですね。歴史は進歩していないということを痛感します。
by sabasaba13 | 2005-05-20 06:13 | | Comments(0)

椿姫

 フェニーチェ歌劇場による「椿姫」(ヴェルディ)を東京文化会館で観て聴いてきました。熱心かつ良きファンとはお世辞にも言えないのですが、オペラは好きです。日常の空間・時間から完全に切り離されて五感を堪能できるのがいいですね。軽くカフェで食事をして、観劇し、終わったら鰻でも食しながら感想を語り合う、なんてえのが理想なのですが仕事もありなかなかそううまくはいきません。ロビーでコンビニのサンドイッチをぱくついている人々の姿は物悲しい…
 さてこのオペラは19世紀中頃を舞台にした高級娼婦の愛と悲劇の物語です。原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)、主人公が白い椿しか好まないところから「椿姫」と呼ばれていたのですね。オペラの題名「ラ・トラヴィアータ」は、「道を踏み外した女」という意味で、第3幕でヒロインが自らをそう呼ぶことから付けられました。1845年頃のパリが舞台とされていますが、この時代設定が大変興味深いです。1830年の諸革命(ex.フランス7月革命)以後、ヨーロッパの社会・経済が加速度的に大きく変化した時代です。簡単に言うと、銀行家、大産業家といったブルジョワジーたちが支配階級となり、立憲君主のもと、財産・教育による資格制限で、民主主義に対して防衛された自由主義制度がねづいていった時代です。歴史学者のホブズボームは「市民革命と産業革命」(岩波書店)の中でこう述べています。
 ブルジョワ世界は無情にも、人間を、かれの『自然的な優越者』に結びつけている、雑多な封建的絆をたちきったし、またむきだしの利己心以外に、すなわちつめたい『現金勘定』以外に、人間と人間をつなぐものをなにものこさなかった。それは、宗教的熱情や騎士の情熱や無教養な感傷主義というもっとも神聖な感情を、利己的な計算というつめたい水のなかで溺死させてしまった。それは人間の価値を、交換価値にかえてしまった。
 つまり交換価値=金がすべてを牛耳るという、人類が始めて経験する社会がヨーロッパで現れたわけです。当時の人々は、さぞ戸惑い、喜び、怒り、悲しみ、そして金によって手に入れられるようになった前代未聞の快楽にふけったことでしょう。
 そういう意味で、今回の演出のポイントは「金」だと思いました。暗い短調の前奏曲とともに男たちが次々と現れ、娼婦然として中央に座っている主人公ヴィオレッタに金を渡していくシーン。第二幕の郊外の場面では、木立を背景に、木の葉ではなく紙幣がハラハラと常時舞い落ちてきます。第二場では舞い落ちた大量の紙幣をそのままにして、パーティーのセットがつくられます。そして登場人物たちは金を踏み歩きながら、劇が進行していきます。「金は人間と人間との関係を破壊する」という、このオペラのテーマをよく表現していると思います。
 衝撃的だったのがラスト・シーン。「生きられる、うれしい」と言ってヴィオレッタが死んだ劇的な瞬間の直後に、いきなり引越し屋のような男たちがドヤドヤと入ってきて煙草を吸いながらどんどん部屋を片付けていったのです。まるで「あなたたちも、このホールを出たらすぐこの話を忘れてしまうのだろう」と言われたような気がしました。
 
by sabasaba13 | 2005-05-19 06:14 | 音楽 | Comments(2)

銚子編(5):(05.5)

c0051620_21315526.jpg さて、再び自転車にまたがり、銚子電鉄に沿って北上します。途中で配水塔を発見。何の装飾もない無味乾燥な円筒形の物件で、おそらく近年につくられたものでしょう。町の大事なランドマークなのだから、もっとデザインには配慮をして欲しいですね。ブツブツ… 市街に戻り、ヤマサ醤油創立者の濱口儀兵衛が私財を投じて建設した公正市民館の外観を見て、駅裏にあるヒゲタ醤油工場に到着。ここにある醤油史料館を見学。それほど充実した展示ではなかったですが、無料だし御土産にヒゲタ醤油小瓶をくれたので、許しましょう。でも醤油生産というのは、バイオ・テクノロジーの先駆なのだから、工夫次第でけっこう面白い展示になると思いますよ。さて山ノ神に奉納するオイル・サーディンの缶詰を買うために駅前の土産屋に入ると、食堂で「サバカレー」というメニューをゲット。実は私、佐賀関町を終焉の地に選びたいほどの大の鯖好きです。余談ですが、このブログのURLを申し込む時に「saba」にしたらすでに先約済み、まさかこんな物好きはいまいと思い「sabasaba」にしたらこれも先約あり。「sabasaba13」ならOKという事実に唖然としました。ゴルゴ13みたいで覚えやすいなと、これに決定したわけです。12人の同志に愛をこめてエールを送ります。鯖命! ま、それはさておきカレーも大好物です。この両者をマッチングするという発想はかけらもありませんでした。その蛮勇の結果を味わいましょう。要するに肉のかわりに焼きサバが入っているカレーライスです。味は… 秘すれば花。この想いを山ノ神にも味あわせるため、サバカレー缶詰を購入。まだ食しておりませんが、缶を開けるのが怖い。
 というわけで、結局野田へは行けませんでした。醤油物件がらみで面白そうな街なので、必ずや訪問するつもりです。関宿に鈴木貫太郎記念館があるというのもそそられますし。
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by sabasaba13 | 2005-05-18 06:14 | 関東 | Comments(0)

銚子編(4):(05.5)

 さて、南側から犬吠崎と灯台を眺めていると、ロカ岬のあるシントラ市(ポルトガル)と銚子市が姉妹都市であるという看板がありました。詩人カモンイスが「ここで陸はつき、海が始まる」と詠んだユーラシア大陸の西端ロカ岬と、江戸末期の俳人古帳庵が「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」と詠んだ列島の東端犬吠崎。雰囲気が似ているのは当然かもしれません。このあたりに来ると自動車もほとんど走っておらず、海沿いの道を快適に走れます。長崎をぐるっとまわって外川(とかわ)へ。千葉科学大学という新設校の食堂で昼食。銚子マリーナから屏風ヶ浦を眺めて、いざ外川へ。まずは漁港近辺をふらふらして千騎ヶ岩という巨岩を見物していると、この漁村はNHKの朝の連続ドラマ「澪つくし」の舞台となってという解説板あり。見ていませんでしたけれど。自転車を銚子電鉄終着駅の外川駅の駐輪場に置いて、散策開始です。ちょうど二両編成のレトロな列車が到着したところ。観光客でけっこう一杯でしたが、オフ・シーズンはガラガラだろうなという気がします。地元の方々も署名などを集めて存続に懸命のようです。廃線になったらここもウォーキング・コースになってしまうのだろうか、それは悲しい。駅舎もしぶいですね。田舎の終着駅のイデーとも言うべきその佇まいには心惹かれます。駅舎内は地元の小学生たちが一生懸命つくった観光案内壁新聞が掲示されていました。
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 この町は海へ続く斜面に、碁盤目状の道と街並みが配されているので、上の方から見下ろすと、甍の波とその間にきらめく海が素敵です。港へとまっすぐ続く坂道からも海が見下ろせ、そう古くはないのですが石畳となっています。街並みには、新しい建物に混じって漁師町らしい瓦・黒板の古い建物が点在しており、無理して観光地化してしまおうという姿勢はありません。自然体という感じです。屋根の最上部に乗っている瓦には苗字が刻まれています。不思議なことに犬と猫の姿を見かけませんでした。経験則では漁師町にはつきものなんですけれどね。網の錘に使うらしい石が家の前に積んであったり、昔よく見かけたコンクリート製箱型のゴミ箱が街角にあったり、歩き回っていても飽きません。「買収には絶対に応じません 千葉県明るい選挙推進協議会」という玄関に貼ってあるプレートは、千葉県の政治風土を髣髴とさせてくれます。てことはこれが貼っていない家は買収に応じるということなのかな、結構ありましたけれど。
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 そしてふと廃屋らしき物件①に目をやると、やや奥まった入口に「男湯」「女湯」「西の湯」という表示がありました。いろいろと銭湯の写真を撮ってきましたが、これほど銭湯に見えない銭湯はちょっと珍しい。「銭湯に見えない銭湯ベスト3」にノミネートします。あと二つは、②最上湯(京都)と③梅の湯(門司)。
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 というわけで、ここ外川はお勧めです。観光客が押しかけてきて雰囲気を壊してしまうのは忍びないですが、その心配はないでしょう。ほどほどの観光地として犬吠崎の南でいつまでも元気でいてほしいですね。いっそのこと、ポルトガルのナザレと姉妹都市(町?)になってはいかが。街に漂う古臭くて人間臭いオーラは、そこはかとなく似ているような気がします。
 と余韻にひたっていたら、大変な動きを知りました。道幅が狭い外川では、建築基準法にひっかかって住宅の新築がままならず、人口が流出し街の空洞化が進んでいるそうです。こういうところで役人に頭をひねらせるために、われわれは税金を払っているのにね。詳しくは下記のブログでご覧ください。

 ●「銚子の宣伝」 http://choshi.blog4.fc2.com/blog-entry-121.html

 本日の一枚は、外川の風景です。がんばれ、外川!
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by sabasaba13 | 2005-05-17 06:14 | 関東 | Comments(2)

銚子編(3):(05.5)

 そしていよいよ今回の目玉、犬吠崎灯台が見えてきました。ペダルを一回一回踏むごとにじょじょに白亜の偉容が近づいてくるその高揚感。たまりません。そして到着。1874(明治7)年11月初点灯、地上31m、レンガ造りの構造物としては高さ日本一、200万カンデラ以上の光度も日本一という犬吠崎灯台です。設計はもちろんヘンリー・ブラントン。バランスのとれた質実剛健な、灯台のイデーとも言うべきその容姿には魅入ってしまいました。二本のロープがかけられ、鯉幟がはためいていたのはご愛嬌。初めての経験ですが、内部に入るのに長い行列ができており十数分待たされました。そして99段の階段を上って塔頂へ。眼前に茫漠と広がる太平洋をボーッと眺めていると、脇にいた女性が「わーっ、地球が丸く見えるううううう」と叫びました。これは間違い。さる地学専門の方に教わったのですが、それは気のせいです。もしそうだとすると、水平線を左右それぞれの後方に延長すれば真後ろで交差してしまいます。成程。階段を下りて、一階にある資料室へ。灯台を守り抜いた職員名簿とブラントン氏の胸像に一礼し、巨大なフレネル・レンズを見学。灯台の後ろ側にまわると珍しい物件を発見しました。霧笛を鳴らす機械とそれを収納している建物が当時のまま残されています。右写真の、朝顔状の部分からブオオオオオオオオオと巨大な音を出すのですね。ぜひ聴いてみたいですね。聴いてみましょう。下記のホームページで聴くことができます。これは一聴の価値がありますよ。ご家族の方がびっくりすると思いますので、音量は小さめに。

 ●「犬吠崎灯台のすべて」 http://www.choshinet.or.jp/%7Ehiro/
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 そしてとなりにある資料館を見学。期待はずれのしょぼいものでしたが、一つ気になる解説がありました。「使用するレンガの輸入か国産かをめぐってブラントンと中沢孝政技師の意見が食い違ったこともあったと伝えられておりますが、結局、地元で造るということになりました。土質が悪く、当初市内での試みは失敗。利根川沿いに良質の粘土を探し求め、ついに高岡村(現在の香取郡滑川町)で目当てのものを見つけ、国産のレンガ造りに成功しました。」 深谷編で書いたように、近代日本のレンガ製造の嚆矢は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、渋沢栄一が中心となって深谷に設立した日本煉瓦製造株式会社だと思っていました。こういうルーツもあったのか。名残は尽きねど、灯台を出発。灯台ファンとしては恥ずかしいのですが、実は私夜の灯台を見たことがありません。ここでしたらすぐそばに宿もあるし、何時か霧の深い日に泊まって、明かりがグルングルングルン回り、霧笛がブオオオオオオと叫ぶのを見て聴いてみたいな。
 なお近くには、「犬吠の今宵の朧待つとせん」という高浜虚子の句碑がありました。
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 本日の二枚は、犬吠崎灯台とその遠望です。ここに地果て、海はじまる。
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by sabasaba13 | 2005-05-16 06:14 | 関東 | Comments(0)

銚子編(2):(05.5)

 そして銚子ポートタワーへ。1991年にオープンした海抜57.7mの展望ツインタワーです。「高い所へはとりあえず上る」という山ノ神の託宣を遵守し、300円払って上りました。太平洋、利根川、銚子市街を一望できるパノラマです。驚いたのは展望室に、堂々と灰皿が置かれていたこと。こうした密閉された空間では、禁煙というのが最近の傾向ですが、それを傲然と無視。そういえば、街中で歩き煙草をしている人をよく見かけました。やはり漁師町だからなのでしょうか。ポルトガルに似ていますね。そうか、銚子は日本のポルトガルだったのか! そしてタワーを降りて犬吠崎へ向かおうとしたところ、ふと見つけた店が軽食・喫茶「花粉」。わが目を疑いました、なぜこんな名前をつける? 神は許し給うたのか? 気になるのでいろいろと仮説を立てました。カフン・アハマドザイというアフガニスタン出身の方が経営している店という蓋然性が高いですね。入っただけで目がウルウルしてきそうなので、真実は確認できません。この辺の勇気のなさが、未熟なところです。
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 さらに海沿いの道を行くと、小川芋銭の句碑を発見しました。「大海をとびいつる如と初日の出」 現天皇が生まれた時に詠んだ句とか。海に突き出た自然の巨岩に刻まれていました。もしかすると日本最大の句碑かもしれません。ご教示を乞う。この近くに、彼がアトリエとして使用した「潮光庵」、尾崎行雄(咢堂)のために建てられた「思咢庵」があるそうなのですが、所在が分からず捜索を断念しました。
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 本日の一枚は、ポートタワーからの眺望です。
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by sabasaba13 | 2005-05-15 09:47 | 関東 | Comments(0)

銚子編(1):(05.5)

 GWに、犬吠崎灯台を見に銚子に行ってまいりました。妙福寺の藤、醤油物件、外川の街並みをからめる予定で、自転車が借りられなかったらそうそうに切り上げて野田へ行くつもりです。山ノ神は関山で山菜を摘んでいるので今回は一人旅です。
 特急「しおさい」で午前9時30分に到着。まさかGWに千葉県銚子市に来る物好きは私くらいだろうと高をくくっていたら、なかなかの混雑でした。銚子市観光協会の方、申し訳ない。いつものように観光案内所を探すとすぐ駅舎内で見つかり、地図と資料をもらって貸自転車の有無を訊ねると駅近くの自転車屋で借りられるとのこと。うわお、これほどスムーズにいったのは久しぶりです。さっそくその店に行ったところ旦那に「身分証明書あるかい」といわれたので見せたら、一瞥して終わり。名前も住所も貸し出し時間も一切記入しないで、一日735円で自転車を貸してくれました。この清々しいほどのずぼらさには胸が熱くなりました、いいことがありそうな街です。そして定番、駅前にあった喫茶店「待合室」に入りモーニング・サービスを飲み食いしながら作戦を練… ない! MSのない喫茶店もワシントン条約ものですね。やむをえずピッツァ・トーストと珈琲を注文。海沿いの道で犬吠崎に向かい、外川の街並みを散策して、銚子電鉄に沿って駅に戻るルートに決めました。まずは駅の裏手にある妙福寺へ。日蓮宗のお寺さんですが、藤で有名です。臥竜の藤を中心に藤棚が三つ、ほぼ満開に咲き誇っていました。風に揺れる藤の花と高貴な香りをしばし満喫。境内には、銚子に移住した紀州人たちの子孫300人が1898(明治31)年に結成した「銚子木国会」の碑がありました。ヤマサ醤油工場に一部残るレンガ塀の脇を走り抜け、利根川に面した第一魚市場へ。左手には銚子大橋が見えます。対岸には風力発電用の大きな風車。やっと日本にも普及してきましたね。しばらく走ると「千人塚」を発見。「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」といわれた海の日本三大難所の一つが利根川河口なのですね。「千人塚」は1614(慶長19)年の海難事故で千人以上の犠牲者がでた際に人々の霊をなぐさめるために建てられた供養碑です。付近には水難者の供養塔が林立していました。「第一室蘭丸」の碑には、船長と機関長の名前は記されているのに、「外水夫一名」。名も知らぬ水夫の方に合掌。
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 本日の一枚は、匂いたつ妙福寺の藤です。
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by sabasaba13 | 2005-05-14 08:22 | 関東 | Comments(0)

「DAYS JAPAN」

 「DAYS JAPAN」五月号を観了・読了。カメラマンの広河隆一氏が責任編集をするフォトジャーナリズム月刊誌です。「一枚の写真が国家を動かすこともある」という副題にあるように、今世界で起きている現実を写真によって報道し状況を変える一石になろうという志をもった月刊誌です。今月号は「DAYS国際フォトジャーナリズム大賞特大号」ということで、受賞作品を特集しています。インドの津波、リベリア危機、火傷・四肢麻痺・失明といった重症を負った米軍イラク帰還兵の肖像、中国の薬物常習者、民族浄化のためにスーダンの女性をレイプするアラブ系民兵、横浜寿町の日雇い労働者、日本軍「慰安婦」として中国に連行されたまま帰国できない朝鮮人女性、といった作品が掲載されています。特に印象的だったのはイラク帰還兵の空ろな目・表情と、そのインタビューです。軍隊に入った理由として、ある者は「故郷には何もなかった。まともな仕事なんか全然なかったから、こっちの方がいいと思ったのさ」と、またある者は「当分宿題をやりたくなかったし、それに何というか、かっこいい制服を着られると思ったんだ」と語ります。驚いたのは、彼らの多くが前線に戻りたいと訴えていることです。戦場でしか生きる意味を見出せないアメリカ人が確実に増えているということですね。ちょうど第一次世界大戦後のドイツ青年たちのように。やがて彼らがナチズムの受け皿になっていったのですが…
 誰かが「人類はもう半分滅亡している」と言っていましたが、世界に満ち満ちる悲嘆、災厄、不正、狂気、暴力、人間の荒廃をあらためて毎月思い知らせてくれます。そしてそれに気づかず、あるいは気づかないふりをして、日々を満喫しているわたしたち。世界は確実にアウシュビッツ化しています。当時のドイツ人の多くが強制収容所の存在に気づいてはいたが、気づかないふりをしていたそうです。現代の状況と同じですが、違うのは強制収容所はドイツ占領地に孤島のように散在していました。現代は地球という巨大な強制収容所に、楽園のような「先進国」が散在しています。わたしたちは地球という強制収容所の看守のような存在かもしれません。そしてその「先進国」の内部にも階級という強制収容所が建設されつつあります。じゃあどうすればよい? 思考を停止することだけはやめましょう。年間購読を一年延長しました。

 連載されている斎藤貴男氏の「メディア・チェック」という殻口のコラムも楽しみにしています。今月号は、小泉政権の構造改革路線をこう評しています。
 福祉や教育までも市場原理に放り込み、世の中のすべてを多国籍企業の利益に収斂させる"政治理念"は、その非道さにおいて、従来の土建屋政治を凌駕する。新自由主義に較べれば、あれにはまだしも一定程度の富の再分配機能が伴っていた。
 グローバリゼーションの説明としても的確な文章ですね。ジャーナリストの文章力はこうであってほしい。敬意を表します。
by sabasaba13 | 2005-05-13 06:14 | | Comments(0)

夕顔棚納涼図屏風

 新しいロゴ画像の正体は、久隅守景の「夕顔棚納涼図屏風」(東京国立博物館蔵)に描かれた男性の顔です。せっかくですので、少し紹介をします。久隅守景。生没年および伝歴未詳の江戸初期の画家です。17世紀初めから末ごろまで活躍したと推定され、90歳ぐらいの高齢で没したようです。狩野探幽門下の四天王の筆頭と目されますが、のちに狩野一門を離脱、一説には破門されたとも伝えられます。英一蝶と同じく、ステロタイプ化しつつあった狩野派にあきたらなくなったのでしょうか。
 この17世紀中期は、三代将軍家光の治世で大開発の時代です。土木技術の進歩と、平和の到来で多くの動員が可能になったことにより、肥沃な大河川の下流域である沖積平野の新田開発が進み、農地面積が爆発的に増加しました。これで貧農も土地を持てるようになり、自立が可能となります。しかし調子に乗った領主の収奪への農民の激しい反発である島原の乱(1637)と、寛永の大飢饉(1641~42)による年貢収納額の激減に、幕府は大きな衝撃を受けました。以後、幕府・大名の農政は、過酷な年貢・夫役の収奪をやめ、税を負担する農民をつぶさない[=小農維持]という方向へと大きく転換します。田畑永代売買の禁令(1643)や慶安の触書(1649)がその代表例ですね。後者の有無については議論が分かれますが。
 と長々と書きましたが、日本の歴史上庶民がはじめて家族をもてるようになったのが、おそらくこの時代なんですね。そういう意味でこの絵は、その記念碑であり、日本で初めての「家族の肖像」なのだと勝手に思っています。一日の激しい労働を終えて涼を楽しみながらくつろぐ母と父、そばに寄り添う幼子、「幸福」をとことん蒸留すると最後に残るのはこういう形になるような気がします。欠けるものも、余分なものもない、完全な「幸福」の姿。仕事があり、衣食住足りて、団欒の時をもてる家族。ある時代の人類の幸福度は、こうした家族が全世界で何%存在するかという数値で測れると思います。そういう意味では、確実にわれわれは退化していますね。この数値を100%に近づけることは、現代の技術をもってすれば決して困難かつ不可能なことではないはずです。それなのに何故…
 もちろん、絵そのものも大好きです。土の匂いただよう穏やかな色調、棚・茣蓙・家を形なす直線と、濃紺を塗り分けてリズミカルに折り重なる夕顔の葉、そして何よりも三人のゆったりと満ち足りた姿態と魅力的な表情。ただ一つ気になるのは、この三人は何を見ているのでしょう? 少なくとも私たちの方を向いていないことは確実ですね。

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by sabasaba13 | 2005-05-12 06:15 | 美術 | Comments(0)