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「絵はがきにされた少年」

 「絵はがきにされた少年」(藤原章生 集英社)読了。タイトルからは「アフリカ人少年との心温まる交流を描いた感動作」というイメージを受けましたが、パラパラと立ち読みをして、ざらっと心にひっかかる文をいくつか発見。即購入しました。著者は毎日新聞外信部員として、長期間(1995~01)南アフリカのヨハネスブルクに駐在されていた方です。アパルトヘイトが撤廃され、マンデラが初代大統領に就任した翌年に行かれたのですね。私などは、これで差別もなくなり、人々が一丸となって新しい国づくりに邁進しているのだろうなあ、よかった、などと漠然と考えていましたが、とんでもない。言うまでもないことですが(そしてすぐ忘れてしまうことですが)、社会や人間というのはそれほど単純なものではありません。著者は、現在の南アフリカやその周辺に暮らす人々の抱える様々な問題や苦しみや喜びを、援助や憐れみの対象ではなく、同じ人間という立場で伝えてくれます。本書から引用します。前者は著者の、後者はベンバ族の初老の女性の言葉です。
 助けるということは、無償のようでいて、実は助けられる側に暗になんらかの見返りを求めている。援助には目に見えない依存関係が隠れている。誰かがごく自然に「アフリカを救わなくては」と考えた途端に、その人はアフリカを完全に対等な相手とはみなさなくなる。友人同士のような関係は消え、極端なところ、支配と隷属に陥ってしまう。

 はっきり言って、食糧はもらいたくないんです。届いたときはみな喜び、何日間かは思いきり食べますけど。なくなったとき、とても、空しい気持ちになるんです。私たちはこんなに働いて、トウモロコシをつくっても、結局、ただでもらったほどのものをつくれない。だから、もらうのなら、まだ肥料をもらった方がいい。
 過酷な労働条件で働いたある鉱夫が、働くこと、仕事をもてることが幸せだった、と語っているのも印象的です。アフリカに暮らす人々の人間としての誇りや尊厳を考えずに、ただ闇雲に援助をばらまく行為のおぞましさを感じます。じゃあどうすればいい?、と言われても実は言葉に詰まります。どうすればいいのだろう? まずはアフリカについて知ること、そこから始めるしかないのか…

 「ハゲワシと少女」という写真でピュリッツァー賞をとり、その後なぜ少女を助けなかったのかという非難をあびて、謎の自殺をしたケビン・カーターの友人の証言もあります。あの写真は、国連の援助物資を受け取るために、母親がちょっと子供を脇に置いた時に、たまたまハゲワシが舞い降り、その瞬間を彼は撮影したそうです。そしてすぐにハゲワシは飛び去って行った。また彼は、アパルトヘイト体制下で、政府が開発して黒人居住区に無料でばらまいていたマンドラクスという麻薬の中毒だったそうです。彼の遺書は「すべて手に入れたのに、結局、自分自身であり続けることがすべてを台無しにしてしまった」という言葉で終わっているそうです。
 その写真をインターネットで調べていたら、この写真を使った道徳の授業プランがたくさんあることがわかりました。子供たちにカーター氏のとった行動について考えさせ、「アフリカを救いましょう」と呼びかけているようですね。ある先生はこう語っています。「ケビン=カーター氏の写真が、大きな意義があることに気づいて欲しかった。そのことで、世界中が考えていれる(ママ)ことを考えて欲しかった。しかし、行為の是非のみを判断し、授業の流れから、全体的に見させることができなかった。カーター氏の行為の裏の思いを考えさせることができなかった。」 カーター氏の行為の裏の思いを考えさせる?

●「ハゲワシと少女」 http://www.suzuki31.net/etc/sudan.html
by sabasaba13 | 2006-02-18 07:50 | | Comments(0)

京都錦秋編(12):二尊院・祇王寺・滝口寺・常寂光寺(05.11)

 そして二尊院へ。総門をくぐると「紅葉の馬場」と呼ばれる広い参道がありますが、永観堂と同様、全体的に散漫な印象を受けます。あまり好きではないな。なお山腹の墓地には、三条実美・角倉了以・阪東妻三郎などの墓があります。
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 次は祇王寺、ここはええなあ。茅葺の山門と本堂、柔らかくそして息づくような杉苔、そしてもみじと竹林。まるで緑に包まれた小宇宙。清盛に捨てられた祇王が隠棲するのに相応しい、静謐なお寺さんです。
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 すぐ上にある滝口寺は穴場。もみじは少ないのですが、本堂の中から見るお庭は一幅の絵のようです。ほとんど人もいないので、ゆっくりできるし何より縁に座って煙草が吸えるのが嬉しい。嵯峨野の人いきれでストレスがたまった時にお勧めです。横笛との悲恋で有名な斎藤滝口時頼が出家した寺ですが、佐々木信綱が小説「滝口入道」にちなんで滝口寺と命名したそうです。
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 そして最後を締めるのは常寂光寺。さすがに大変な混雑ですが、石段から見下ろす仁王門とそれを埋めるような鮮やかなもみじはやはり一見の価値があります。小倉山からの眺望も素晴らしい。
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 さて帰省の時間が迫っているので、すぐ近くの落柿舎の前を指をくわえながら走り抜けました。それにしても原宿や巣鴨のような人混みが果てるともなく道を埋めつくしています。自転車を返却して、JR嵐山駅まで小走り、電車に飛び乗って新幹線の発車時刻にかろうじて間に合いました。
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 今回は確信犯的に混雑している紅葉の名所を動き回りました。文句を少ししか言わずにつきあってくれた山ノ神に感謝します。来年は、穴場とマイもみじを求めてはんなりと旅する予定です。実相院、蓮華寺、円通寺、大河内山荘、大悲閣千光寺、京都産業大学、貴船神社あたりかな。そうそう晩秋の花背もぜひ訪れてみたいですね。

 本日の二枚は、祇王寺と常寂光寺です。
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by sabasaba13 | 2006-02-17 06:10 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(11):宝筺院(05.11)

 臨時バスに乗って御室まで直行、嵐山電車で嵐山駅に行きました。山ノ神が乗ったことがないというので、先ほどのお詫びをかねて奮発して電動自転車を借り受けました。私、電動自転車が大好きなんだなあ。人間の力を機械が手助けしてほどほどの結果をだす、人間と機械の関係はその程度でいいのじゃないかなあ。それにしても駅前は想像を絶するとってつもない混雑です。人人人車人車人人車バス人力車バス人車人力車車人人バス… これでは皆さんと同じ方向に行ったら身動きがとれなくなるのは目に見えています。よって逆走することに決定、まずは清凉寺へ。ここは穴場ですね、見事なもみじの林があります。
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 そしてすぐ目の前の宝筺院へ。うーむ、ここは素晴らしい。小振りな境内を埋め尽くす木々がさまざまに色づいていました。もうグラデーションに富んだ色彩の饗宴と爆発に息を呑んでしまいます。特に満天星(どうだんつつじ)の紅葉が美しい。小さなお堂があり、ここに上がってお庭を眺めるのも一興。何とか精神的・肉体的に耐えられる程度の混み具合です。なお、敵ながらも楠木正行の人柄に惚れこんだ室町幕府第二代将軍の足利義詮が、彼の首級を葬った塚をたて自分もその傍らに葬ってほしいと頼んだそうです。今でも仲良く二つの墓が並んでいます。敵に敬意を表したり、御霊を怖れて敵を手厚く葬るというのがこの列島の伝統だと思います。敵を一切慰霊しない靖国神社のやり方は、伝統から逸脱した近代に固有の特殊な感性ではないかな。戦争を立案・計画・遂行した公務員だけを祀る神社を参拝して平和を祈るなどと言っても、軍靴に踏みにじられたアジアの人々は絶対に納得しないでしょう、小泉首相。それにしても「ご理解いただきたい」という曖昧かつ不正確な言い方は、ぜひやめていただきたいですな。近代の戦争をすべて肯定・賛美し、A級戦犯を含めた軍人・軍属のみを祀る宗教法人を、政教分離の原則を無視して一国の首相が参拝しているという事実は、中国も韓国も理解していると思いますよ。問題はそれに納得していないということではないのですか。協力して「公共性」を作り出すのが言語の重要な機能でしょ。
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 本日の一枚は宝筺院です。
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by sabasaba13 | 2006-02-16 06:02 | 京都 | Comments(2)

京都錦秋編(10):神護寺(05.11)

 そして神護寺へ。数百段のきつい石段を上ると、ここもまた素晴らしい紅葉でした。顔を真っ赤に染め上げるようなもみじを眺めながら湯豆腐定食をいただきました。おまけの「もみじのてんぷら」には笑えますね、これはクッキーだ。
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 定番・王道・定石のかわらけ投げに挑戦。実は山の神には「三大修学旅行でやれなかったこと」があり、トラウマとなっているようです。その一つが、神護寺でかわらけをちゃんと投げ飛ばすこと。もうあと一つの「東大寺大仏殿の柱の穴をくぐる」は、二年前に目出度くクリア。あと一つの「清水の舞台から飛び降りる」は生命保険に加入してからにしてくれと懇願しています。さて珍しく「どう投げたらいいの?」と小生を頼るいじらしい問いかけに、涙ぐむ私。ようがす、人生感意気、功名誰復論、手取り足取り腰取り教えてあげましょう。とはいうものの、大学の一般教養課程で「かわらけの投げ方」を教わっていないし、NHKの趣味講座でみたこともないし、どうしよう。とりあえず空気抵抗を考えて凹面を下にし、回転を十分にかけてフリスビーのように投げればよいとアドバイスしました。一投目、失敗。へろへろとぶれながら即落下。二投目、リリースポイントが遅すぎて右へ大きく曲がり右下の崖を直撃。身の危険を顧みず回収し、三投目。失敗。これは駄目だと悟り、私はサイドスローの要領で投げてみると、多少フックしましたが弧を描いて宙空に吸い込まれていきました。二投目も成功。「知ってたのに教えてくれなかったでしょ」と詰る山ノ神を「他山の石、覆轍、塞翁が馬、禍福はあざなえる縄の如し」としどろもどろに宥めながら、本殿へ。弘仁貞観文化を代表する仏像、森善朗前首相にくりそつな薬師如来像を拝んで、下山しました。なおこちらには教科書でおなじみの「伝源頼朝像」がありますが、残念ながら見られません。なお米倉迪夫氏は「源頼朝像 沈黙の肖像画」(平凡社)の中で、この像主は頼朝ではなく足利直義だという大胆な説を主張しておられます。その論証の鮮やかさには脱帽。この本は下手な推理小説より面白いですよ、歴史の森にわけいるという純米大吟醸の喜びを満喫できます。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-15 06:45 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(9):西明寺(05.11)

 そして徒歩で西明寺へ。高山寺・神護寺という大看板にはさまれながらも健気に佇む渋い脇役のようなお寺さんです。神護寺がハンフリー・ボガード、高山寺がイングリッド・バーグマンとすれば、西明寺はクロード・レインズといったところかな。雨降る空港を後にしたあの二人の友情はその後どうなったのでしょうね? 途中で好物の焼き栗を売っていたので、山ノ神がさっそく購入。ホクホクして大変おいしゅうございました。おじさんは「あんた銀杏が好きそうな顔してはる」と言って、焼き銀杏をいくつかおまけにくれました。彼女の頭部、あるいは体全体が銀杏に酷似していることから推量したのかな。
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 歩いて十数分で西明寺に到着。数は多くないのですが、綺麗に色づいたもみじを堪能。境内につくられた小さな庭も趣味が良いですね、苔や水面を彩る散り落葉がそれはそれはそれは見事でした。色の饗宴! 数年前に来た時は、鐘をつけたよなあ、とふと思い出したところ、鐘楼に「一音100円」という張り紙がありました。嗚呼、値上げをしていない。喜び勇んでさっそく二人でつきました。ごおーんごおーん 清冽な清滝川に映る紅葉もきれいですね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-14 06:07 | 京都 | Comments(0)

京都錦秋編(8):高山寺(05.11)

c0051620_632230.jpg 本日は王道の中の王道、「ここを見ずして紅葉を語る勿れ」と小堀遠州が言ったかどうか知りませんが、高尾・嵯峨野・嵐山。朝七時半にチェックアウトし朝飯も食わずに京都駅へ。荷物をコインロッカーに預けて、バスを待ちます。幸い高尾直行の臨時便に乗ることができました。大宮通のあたりで、京都三大祭を描いた鏝絵(こてえ)を発見。「京都府左官技能専修学院」のビルでした。こうした技能の継承は嬉しいかぎりです。渋滞もなくスムーズに栂の尾に到着し、まずは高山寺を拝見しました。普段ですと三尾の紅葉の盛りは11月上旬らしいのですが、今年は十分に葉が残っています。山々を彩る赤・黄・橙の見事なグラデーションには言葉を失います。正方形を斜めにずらして連続的に配置した、見事なデザイン感覚の敷石もみものですね。日本最古の茶園、そして石水院を見学。後者は、明恵が後鳥羽院から学問所としてもらった建物で、当時の唯一の遺構です。その趣味の良い簡素さ、質実剛健さにはほれぼれします、冬は相当寒そうですが。パンフレットには、アッシジの聖フランシスコ教会と兄弟教会の約束をとりかわしたとあります。明恵上人(1173~1232)と聖フランシスコ(1181~1226)は同時代人で、ともに清貧の生涯を送りながら信仰を深めたという類似点があるからだそうです、成程。小鳥に説法した聖フランシスコ(ジオット作)と、小鳥やリスにかこまれて座禅をくむ明恵(成忍作)、そう言われると似ていますね。後世、プロテスタントに対抗してカトリック布教拡大の中心となったフランシスコ会の創始者と、日本版宗教改革でもある、個人の信仰を重視した鎌倉新仏教に反駁した明恵、そうした旧教側の連帯感もあるのかな。明恵の歌です。
 あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月
 なお「鳥獣戯画」は甲・丙巻が東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託されております。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-13 06:05 | 京都 | Comments(2)

京都錦秋編(7):宝泉院(05.11)

 三千院の少し奥にある宝泉院も穴場だということなので寄りましたが、さすがに情報化社会、けっこうな人出でした。みなさん知っているんだなあ。ここの見ものは、部屋の二方が開放されており、柱・長押・床という横長の額縁でお庭を切り取って見たれるところです。ル・コルヴィジェのリボン・ウィンドウはここからヒントを得たのかな。一方には松の巨木、一方にはもみじの大木、見事な景観です。部屋の中央から眺めたいところですが、人が折り重なって座っているためそれは不可能。でも抹茶をいただきながら贅沢な時間を過ごせました。お寺の方が腱鞘炎になりそうな勢いで、しゃかしゃか茶をたてていたのが印象的。なお入り口の両側にある瀟洒な坪庭もいいですね。庭師の方が手入れをしておられる姿を見て、庭を美しく維持するのは大変なことなのだとあらためて痛感しました。
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 帰る途中のお店でぬれせんべいを買い、食べながらバス停に向かいました。大混雑かと思いきや、さすがにバス会社は手馴れていらっしゃる、臨時バスが次々に配車されあまり待たずにしかも座って帰ることができました。高野橋で降り、自転車に乗って川端通を南下、加藤順漬物店で土産を注文・配送してもらい、自転車を返却したのが午後六時半。この店で借りてよかった。なお山ノ神が以前さるお方から伝授された、ひったくり防止法を紹介します。写真のようにハンドルに肩掛けを通せばいいのですね。目から鱗、暮らしに役立つ「散歩の変人」。地下鉄東西線に乗り、烏丸御池で烏丸線に乗り換え、北大路駅で下車。すでに「スルッとKANSAIカード」の残額は10円、新しいカードを購入してさあどうすればいいのかなと、駅員に尋ねました。すると古いカードのみを入れて出口で清算とのこと。カードを入れると機械の残額表示が10円とでました。東京だと運賃の最低額がないと使えないのにね。関西人の合理性と人間らしさに頭を下げましょう。夕食は北大路にある洋食屋「グリルはせがわ」。入江敦彦氏が推薦しておられたので選んだ店です。エビフライ+ハンバーグのミックスフライ定食を食しましたが、なるほど感動も絶望もせず、十分な量と納得できる料金と真っ当な味でした。でも、やはり、何といっても「金平」がいいなあ。店の近くの歩道に不法駐車してある自転車には、シールが満艦飾に貼られていました。貼る側の熱意と執念がひしひしと感じられる物件。京都人のガッツを思い知りました。
 烏丸線で五条に戻り、ホテルに到着。明日はもう最終日です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-02-12 07:37 | 京都 | Comments(0)

「ミュンヘン」

c0051620_740225.jpg スピルバーグ監督の「ミュンヘン」を見てきました。パレスチナ問題と暴力の連鎖に真っ向から取り組んだ、真面目な骨太の映画です。1972年、ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手が、パレスチナ人組織「黒い九月」によって政治犯釈放のために人質とされ、全員殺害されたシーンからはじまります。その報復のためにイスラエル政府がモサド(秘密諜報機関)に命じて、事件の首謀者11人の暗殺を命じます。そのために五人のユダヤ人が選ばれチームを組んで、次々と暗殺を行っていくというストーリー。
 はじめのうちは、暗殺されるパレスチナ人の「顔」を映画では描きこんでいます。「千夜一夜物語」をイタリア語に訳し、牛乳を買いながら談笑する人、ピアノを習う娘を愛しむ人… しかし暗殺が繰り返されるにつれ、そうした描写はなくなり、殺される標的としてしか描かれなくなります。他者のもつ「顔」が見えなくなり、「われわれ」と「あいつら」という単純な二分法に陥った時に、人間は暴力や殺戮に対して無感覚になっていくのかもしれません。
 やがてパレスチナ側からのユダヤ人に対する報復も激化し、それがさらに彼らをヒート・アップさせていきます。しかし偶然パレスチナの青年と語らう機会を得た主人公は、こうした暴力と殺戮の連鎖に疑問をもちはじます。たぶん「顔」をもったパレスチナ人と向き合ったのは、これがはじめてなのでしょう。同じ疑問をもつ仲間も増えていきますが、暗殺は続行されます。やがて爆弾を恐れてベッドを切り裂き、TVや電話を解体するなど、報復を恐れる彼の精神は蝕まれていきます。このあたりの主演エリック・バナの演技は鬼気迫るものですね。そしてほぼ任務に成功し帰国した彼は、モサドをやめ妻子とともにニューヨークに移住していきます。
 料理が大好きな若きリーダー(主人公)が、子供が生まれたばかりの愛妻家という設定がいいですね。仲間に料理をふるまい、ショー・ウィンドウでシステム・キッチンを凝視する彼の姿に、人種や宗教の違いに関係なく「愛する人と共に食事をする」ことが人間にとって大事なのだというスピルバーグのメッセージを感じました。そうした人間の喜びを脅かす暴力の連鎖を、静かに糾弾した映画だと思います。
 最後の場面で、NYにやってきたモサドの元上司を、主人公は夕食に誘います。「遠来の客を歓待することはわれわれの義務です」 しかし上司は「No」と断り去っていく。その背景に、今はなき世界貿易センターのツインタワー・ビルが遠望できます。パレスチナ人との共存を拒否したイスラエルの態度が、やがて9・11をもたらすと暗示しているのでしょう。

 基本的に暗澹とした血生臭い映画なのですが、「殺す側」と「殺される側」の人間としての「顔」(生活・家族・喜怒哀楽…)をきちんと描いていることで救われます。パレスチナ問題についてコメントをする能力はないのですが、お互いの、同じ人間としての「顔」を知るということが暴力の連鎖を断ち切るための第一歩ではないのかな。監督自身もタイム誌からのインタビューに応じてこう語っているそうです。
 イスラエルとパレスチナの子供たちに、ビデオカメラを配る計画があるんです。それで、お互いの日常を撮影してもらって、それを交換するんです。そうすれば、お互いが、どんな生活をしていて、何を着たり、どんな音楽を聴いたりしているのかが分かるでしょう。
 スピルバーグは本気で中東和平に取り組もうとしているようです。メディアの責任も重大ですね。次は、こうした暴力の連鎖により世界に恐怖と不安と憎悪が満ち溢れることによって、利益を得る側を描く映画を期待します。

 余談ですが、1972年頃といえば、ちょうど私がポップスに夢中になっていた時期です。爆弾のスイッチを押す直前に「パパ・ワズ・ア・ローリング・ストーン」を口ずさんだり、ベイルートでバンドが「ブラック・マジック・ウーマン」を演奏するシーンには、おもわずニヤリとしてしまいました。また主人公のユダヤ人青年とパレスチナ人青年が、ラジオの音楽番組の選局で争い、最後にお互いに妥協できる曲を見出して微笑みあうというシーンもよかったなあ。 (中東和平もこんな風にいけばいいのですが…) 「音楽は何も変えることは出来ない。しかし音楽は何度でも人の心を救うだろう」という誰かの言葉が大好きなので、そうした観点からこの時代のポップ音楽をもっと取り上げてくれたら嬉しかったのですが。

 それにしても、今年は現代世界の戦争や政治を描いた面白そうな映画が目白押しですね。「ホテル・ルワンダ」「イノセント・ボイス」「ジャー・ヘッド」などなど。やはり二期目を迎えたブッシュ政権に対する危機感の現れなのでしょうか、だとしたら嬉しいのですが。日本の映画人にもぜひ期待したいところです。イラク戦争―米軍基地と兵士―沖縄をテーマにした気骨ある作品をつくる、ガッツと識見にあふれるプロデューサーと監督はいませんかあ。
 ヒットするかどうかでその国の知的レベルが明らかになる映画だと思います。さて日本ではどうかな。

●「ミュンヘン」公式サイト http://munich.jp/
by sabasaba13 | 2006-02-11 07:40 | 映画 | Comments(2)

「見知らぬわが町」

 「見知らぬわが町 1995真夏の廃坑」(中川雅子 葦書房)読了。以前、大牟田で三池炭鉱物件めぐりをしたのですが、準備不足で物足りない思いが残っていました。あるブログでこの本を知り、さっそく購入、一気呵成に読んでしまいました。当時大牟田の高校に在学していた著者は、坑内に資材を搬入する巨大な櫓を見て「何なのだろう?」と疑問に思い、夏休みを使って三池炭鉱の関連施設や囚人墓地を自転車で見て回ります。図書館で文献を調べながらまとめあげたレポートが、その後「日刊大牟田新聞」で連載され、本書となったわけですね。
 調べていくうちに、著者は囚人労働に特に興味を引かれます。「三井財閥は三池炭鉱における囚人たちの人柱によって築かれたと言っても過言ではない」 さらに自らが住む大牟田という町も、囚人の命を犠牲にして繁栄したと思い至り、忘れ去られた囚人墓地を何とかして見つけようとします。地図や文献で調べ、炎天下(大牟田の夏は暑いでしょうね)自転車をこぎ続け、立入禁止区域に忍び込み、草むらに分け入り、地元の人に訊ね、摩滅した碑文を読み解く。私もそういうことは大好きなのですが、己の中途半端さを痛感しました。著者のこの熱意と執念には頭が下がります。それを支えたのは「誰かを犠牲をして今の自分の暮らしがある。せめてその事実を知り犠牲者を追悼しなければ」という思いですね。缶ビールと煙草を囚人墓地に供えて黙祷する場面では、胸がジーンとしてしまいました。
 また暴風で飢饉にみまわれた与論島の人々をあえて採用し、彼らが周辺住民に差別されることを利用して、低賃金で恒久的に働かせようとした三井の方針にも目を配っています。著者の曽祖父・曾祖母がその中にいたのですね。与論島出身の人たちが住んでいた社宅はすでに消え失せているのですが、著者は何とかして見つけ出そうとこう呟きます。
 八月十二日、私はふたたび新港町を訪れた。「跡形もない」わけがない、と思い直したからだ。
 素敵な言葉をいただき感謝します。そうですよね、人間の営みは必ずその跡形を残すと信じます。そしてそれを見つけるためには、知識と感性と、そして何よりもそれを知りたいという思いが大事なのだと思います。
 もし大牟田に行く機会があれば、ぜひ読んでみてください。本日の一枚は、大牟田の宮原坑跡に残されている櫓です。
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by sabasaba13 | 2006-02-10 06:08 | | Comments(0)

ナイト・ライツ

 深々と冷え込む冬の夜半、よく聴くのがこのアルバムです。ジャンルはジャズ、ジェリー・マリガン六重奏団による「ナイト・ライツ」。彼はテナー・サックスよりも低い音域を受け持つバリトン・サックスの奏者なのですが、何ともはや扱いづらそうなこの楽器を暖かい歌心と素晴らしい技術で吹きこなします。彼はピアノが加わるのを好まず、バックはギター・ベース・ドラムス、そしてアート・ファーマー(トランペット)とボブ・ブルックマイヤー(バルブ・トロンボーン)との三管編成。中でも私のお気に入りは、Prelude in E mainor、ショパンの前奏曲第四番をジャズとして演奏した一曲。低音域を中心とした落ち着いた雰囲気の中、大声でわめきたてず、一音一音を慈しむかのような即興演奏がくりひろげられていきます。出色はやはり悲しく切なくそれでいて優しいマリガンのソロ。ややかすれ気味で甘くほろ苦い彼のバリトン・サックスの音色もいいですね。心拍数は減り、脳波が落ち着き、血圧が下がるのが自覚できるほど。頭や心の中のゴルディアスの結び目をアレキサンダー大王のように無理に断ち切らなくてもいいんだよ、放っておけば…と囁いてくれます。
 実は、かなり昔にFM東京で「アスペクト・イン・ジャズ」という番組が放送されていたのですが、そのオープニング・テーマでもありました。それ以来の長いつきあいですが、聴き飽きることはありません。何の不安もない(その存在に気づいていない)小さな小さな世界に充足していたあの頃を懐かしく思い出します。戻りたいとは思いませんが…
 ショパンの「24の前奏曲」もいいですね。コルトー、アルヘリッチ、ポゴレヴィチ演奏のディスクをもっていますが、よく聴くのはコルトー。音質は悪いのですが、起伏の激しいダイナミックな演奏です。
by sabasaba13 | 2006-02-09 06:44 | 音楽 | Comments(0)