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小幡・白井・桐生編(3):上州福島(06.2)

 さてここから上州福島方面へ戻ります。ん? 左手に何やら異なものが… 引き返してみると、三連アーチと三角形のファサードが小粋な富岡市講堂でした。それにしても、人を轢かず車に轢かれず、自転車に乗りながら珍奇な物件を見つける動態視力と周辺視野の広さには磨きがかかってきました。そんな自分を誉めてあげたい、なんて思い上がっていると事故を起こしますね、自戒自戒。ん?ん? 左手奥の方に何やら奇異なものが… 忠魂碑のようですね、見逃せません。いそいそと近づくと、「平和記念塔」と表記してありました。雰囲気からみて、忠魂碑の表示だけを変えたものか、あるいはそれを撤去した跡に作ったものか、どちらかだと思います。もう少し詳細に観察しようと脇へ回ると、そこには「忠」の字が一部欠けた「忠魂碑」という大きな石のプレートが無造作に横たわっているではありませんか。裏に回ると、昭和21年11月3日に作られたと表記してあります。戦前の明治節(明治天皇の誕生日)、そして明治節にあわせて(おそらく“祭日”として戦後も残すために)日本国憲法を公布した日です。うーん… 町村ぐるみで顕彰し、戦死者を再生産させる「忠魂」というシステムを抹殺し、二度と蘇らないよう見せしめのために晒した物件と解釈していいのかな。私はその朽ち果てた様子から「忠魂」への憎悪を感じ取りましたが、ぜひその真相を調べてみたいところです。単に廃棄費用がなかっただけのことかもしれません。
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 さて、さきほど資料館の方に教示された新屋小学校へと向かいますが、地図に載っておりません。やむをえず和菓子屋に入って、草餅を一つ購入し、場所を教えてもらいました。到着して敷地内を探索しましたが、奉安殿らしきものは見当たらない。何やら体育館で会合をしているらしく、たまたま鉢合わせた教育委員会の方々に尋ねると思い当たらないとのお答え。一人の方が、「裏の道を少し行ったところにあるよ」と言うので、ま、とりあえず行ってみましょう。校門の脇に二宮金次郎像があったので、撮影。台座の表記が完全に削り取られていたのが印象的でした。「盡忠報国」とか「八紘一宇」とか「焼鯖定食」とか刻まれていたのでしょう。先ほどの忠魂碑とちがい、このケースでは戦争に対する悔恨や憎悪というよりも、ただ忘れてしまいたい/隠してしまいたいというmentalityを感じます。何らかの形でその表記を保存・展示してほしいですね。さて、学校の裏に回ると、小さな神社建築がありました。その規模・形状からいって明らかに奉安殿ではありません。資料館の方は勘違いをされたようです。また裏の道を少し行くと、往時のままの状態で残されている忠魂碑がありました。おいおいおいおいおい甘楽町教育委員会のみなさん、奉安殿を含めた日本近代の教育・学校の歴史についてもっと勉強してください。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-04-20 06:09 | 関東 | Comments(0)

小幡・白井・桐生編(2):富岡(06.2)

 そして製糸煉瓦倉庫を再利用した甘楽町立歴史民俗資料館に入場していろいろ情報を集めることにしました。係の方に詳しい地図や情報を教えてもらい、ついでに先ほどの建物について訪ねると、「養蚕のためではないですか」という答え。なるほどそうかもしれない。もひとつついでに近くに奉安殿はないかと伺うと、少し離れた所にある新屋小学校でそれらしい物件を身かけたとのことでした。うしっ、行ってみましょう。展示自体は凡百なもので、「のんきなとうさん」のブリキ製人形が目を引いた程度です。(「お宝鑑定団」に出品されたそうな…) そうそう、二階には円空仏が三体ありました。不肖私、見るのは初めてですが、鉈彫りの力強いタッチと独特の表情は確かに魅力的でした。
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 ここから少し歩くと、武家屋敷が点在する中小路です。幅広の道の両側に白壁と屋敷が続くのですが、ほとんどが現在も個人住宅として使用されているので、庭園などの見学はしづらいですね。家の方に声をかければ見せてもらえるそうですが。防御のため石を組んだ喰い違い郭は、道路上から見ることができます。池泉回遊式大名庭園の楽山園は発掘・整備中で、残念ながら見学はできませんでした。物産センターで雉肉と黍を使った「桃太郎ごはん」を食べようとしたら、準備中。隣にある江戸中期の農家、松井家住宅を見て、富岡に向かいました。
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 約20分で二度目の訪問となる富岡製糸場に到着。周知のように、明治政府が1872(明治5)年に開業した官営模範工場です。受付で申し込めば、その場で即見学は可能、ただし一部の建物の外観のみしか見られません。せっかくの重要な近代化遺産なのですから、ぜひ内部公開をしていただきたい。工場なのでさすがに目を見張る装飾はないのですが、フランス積み煉瓦の渋い色合い、リズミカルにならぶ窓、「明治五年」と刻まれたキーストーン、洒落た避雷針などなど、見ていて飽きません。世界遺産認定をめざす運動が進んでいるようですが、それは少しおこがましいのでは。隣の事務所に、長崎グラバー邸にそっくりなコロニアル風ベランダがあったのは興味深いですね。工場正面には、一昔前の風情を醸すいい商店街が連なっています。望楼のある「江原時計店」は不思議な物件ですね。消防署の再利用なのか、時計台跡なのか、興味を引かれます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-04-19 06:08 | 関東 | Comments(10)

小幡・白井・桐生編(1):小幡(06.2)

 しばらく散歩や旅をしないと、心身の調子が悪くなりますね。そろそろ小旅行をしようかなと思案し、前から気になっていた益子・真岡・結城近辺の情報を調べていたら、近くに良い棚田があるとのこと。それでは田植えが終わった頃に行ったほうがいいであろうと判断して、この案は却下。たまたま本屋で「関東小さな町小さな旅」(山と渓谷社)という本を立ち読みして、これはいいと即購入しました。情報量もさることながら、さすが山渓、正確な地図に感心しました。これでしばらくは楽しめそうです。今回当たりをつけたのは、群馬県にある小幡と白井です。前者は城下町、後者は宿場町で、往時の面影を残ししかも知名度が(たぶん)低く落ち着いた散策ができそうです。そして二年前の旅行で多くの物件を見残し、慙愧の念に苛まれていた桐生を組み合わせて、高崎に一泊するというマスター・プランができあがりました。持参した本は「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一 平凡社ライブラリーOffシリーズ453)。著者は懐の深くて大きい民俗学者かつ旅の達人で、畏敬する方です。私はあまり登山や山歩きに興味を示さないのですが、彼の「人手の加わらない自然は、それがどれほど雄大であってもさびしいものである。しかし人手の加わった自然には、どこかあたたかさがありなつかしさがある。わたしは自然に加えた人間の愛情の中から、庶民の歴史をかぎわけたいと思っている。」という一文に出遭った時には、わが意を得たりと思いましたね。一時はその著書を読み耽ったのですが最近ご無沙汰しており、本屋でこの本を見かけて旧師に再会したような懐かしさにかられ購入しました。イザベラ・バード、宮本常一という偉大な旅行家の旅に比べれば、赤面・汗顔・臍茶・噴飯もののしょぼい徘徊ですが、ご寛恕ください。

 明日は大荒れの予報ですが、本日は快晴です。池袋から大宮に行き、たにがわ87号で高崎に到着し上信電鉄に乗り換え、めざすは上州福島です。長閑な農村地帯を走ること約30分で到着しましたが、何と上信電鉄には駅で自転車を無料で貸してくれるというsplendidなサービスがありました。これは嬉しい。さっそくいそいそと借り受け、地図をもらいました。次の駅が東富岡なので、製糸場にも自転車で行けそうです。何はなくとも江戸紫(古いなあ)、駅の時刻表をデジタル・カメラにおさめ、いざ出発。
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 ゆるやかな昇りの道にそって20分ほどペダルをこぐと、中山道の脇往還である下仁田街道ぞいにある城下町、小幡に到着します。信長の次男、織田信雄が徳川家康から二万石の領地を与えられて開いた城下町です。その後、明和事件に関係して出羽に転封されてしまいますが。明和事件(1766~67)。江戸幕府を批判した兵学者・山県大弐が死罪に処せられた事件ですが、小幡藩家老がその門人だったのですね。これに藩の内紛が絡み、その責任を問われたようです。さて、小幡に着くと、まず城下の南北を流れるきれいな堀、雄川堰に目がとまります。洗い場なども復元されており、人々の暮らしに欠かせない水路だったことが実感できます。
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 附近には養蚕用の天窓がある昔ながらの和風建築や鏝絵のある土蔵も建ち並び、風情があります。何といっても、土産屋や観光用のわざとらしい物件等ないのがいいですね。観光客も見かけず、落ち着いた散策ができました。特に魅かれたのがある古い商店。「腹調丸」という薬の古風な看板や、タイル・ガラス張りで福助が鎮座する煙草売り場など見所がいっぱいです。タイルに「こばた」と書いてあったのには感無量、間違いなく戦前の物件です。横書きの場合に左から書く現行の表記法は、昭和前期に文部省の命によって始まったと聞きました。日本語をアジア占領地域に強制する際に、英語と同じ表記法の方が教えるのに便利であろうという考えです。なお以前臼杵で見かけた、二階部分が道路上にせり出した建物も発見。
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 本日の一枚は、雄川堰です。
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by sabasaba13 | 2006-04-18 06:09 | 関東 | Comments(0)

「天皇と東大」

 「天皇と東大 大日本帝国の生と死(上下)」(立花隆 文藝春秋)やっと読了。「日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのようにして現代日本(戦後日本)につながることになったかを、東大という覗き窓を通して見る(メーキング・オブ・現代日本)と同時に、歴史を知らなすぎる世代に対して、もう少し、現代日本の成り立ちを知っておけよというメッセージをこめて書いた」というのが著者の意図ですが、ぶっちゃけた話、成功作だとは言いがたいと思います。まずは分析があまりにも紋切り型であること。天皇制、大学制度、戦争責任、右翼と左翼、テロ、思想弾圧などなど論点は多岐にわたるのですが、著者独自の鋭い分析や指摘は見受けられません。また歴史に対する考え方の枠組み(パラダイム)を組み替えてくれるような考察もなし。狂信的な天皇崇拝にのめりこんだ右翼・軍人・学者が、それを退ける知的能力に欠けた民衆をひきずり、戦争へと突っ走っていったというのが一つの結論だと思います。概ね同意しますが、歴史とはそれだけで語れるほど単純なものではないでしょう。何故ファナティックな天皇崇拝を人々が信じたのか、あるいは信じたふりをしたのか、信じざるを得なかったのか、もっと精密な分析が必要ですね。彼らに対する一方的な断罪口調も気になります。当時の国際状況や社会・経済状況に関する叙述も不足しています。自由主義的世界経済システムの崩壊と、それに対する対応としてのファシズム・社会主義・ニューディールの登場、その中で日本型ファシズムをどう位置づけるかという考察が、近現代の日本を理解する上で欠かせないものだと思うのですが。また副題にも掲げられている「大日本帝国の…死」と昭和天皇の関係、つまり戦争責任問題へのつっこみも歯切れが悪いですね。著者が「日本の民族としての戦争責任問題は、いまだかたづいていない。日本の首相の靖国参拝問題がいつまでも日中韓の最もセンシティブな問題でありつづけているのも、それが理由だ。」と指摘するとおりだと思います。しかしその核心に当たる昭和天皇の戦争責任を下記の一文でかたづけるのはいかがなものか。
 形式的理由(立憲君主は形式が整った案件なら意に沿わないサインもしなければならない)だけで、「責任なし」論を貫くのはむずかしいような気がする。
 「御前会議」(中公新書1008 何故か絶版)という大江志乃夫氏の優れた先行研究もあるのだし、もう少し認識を深めることが可能な段階に来ていると思います。いまだタブーがあるというのなら、話は別ですが…
 同時に概念の定義をもっと緻密にしてほしいと思います。例えば、右翼、超国家主義、国粋主義、天皇中心主義といった用語が乱れ飛びますが、その違いを十分に説明されていないようです。
 しかし詳細な挿話や証言は、質量ともに凄いですね。その調査能力と熱意には脱帽します。例えば柳原白蓮と駆け落ちした宮崎龍介が滔天の息子で、この事件によって初期の東大新人会の機能が停止してしまった話や、河合栄治郎の事績・人となりや鶴見祐輔(俊輔と和子の父)との交友関係など、知的好奇心をくすぐられるエピソードが満載。惜しむらくはその内容が玉石混交で、何故こんな話を載せる必要があるのかと疑問に思えるものも多々ありました。その結果、相当分厚い本となり、歴史を知らなすぎる世代が手にしづらくなったのではと懸念します。せっかくの初志がもったいない。

 いろいろブツブツ言いましたが、当時の狂信的な雰囲気をきわめてリアルに追体験できたことは収穫です。かなりコンパクトかつスリムになったとはいえ、個人よりも国家を優先すべきだという国家主義が復活している現在、やはり一読に値する本だとは思います。
 それにしても、戦前の日本で、天皇・国家教信者の右翼と、マルクス教信者の左翼の中間に位置すべき、穏健で冷静で合理的な第三の流れというものが育たなかった/育てられなかった、という点が気になります。後者が壊滅状態となり、多くの人々が前者に引き寄せられ、相も変わらず第三の流れが枯渇しているのが、今の日本における思想状況ではないのかな。
 なぜこの国では、思想が信仰になってしまうのでしょうか?
by sabasaba13 | 2006-04-17 06:04 | | Comments(5)

ボードゲーム頌

 ボードゲームとは、「人生ゲーム」のように、電気・電子機器を使わずに盤上で行うゲームのことです。これがなかなか面白い。時々箱根の山中に籠って友人夫婦と熱戦を繰り広げるのが無上の楽しみです。面白さのポイントは、運と戦略のバランスですね。そして最後の大逆転が可能なこと、なんだか人生に似ているな。同好の士が増えてほしいので、これまで実際にやってみて面白かったゲームをいくつか紹介します。
 まずは古典的名作としては「モノポリー」「クルー」「ラミイ・キューブ」「リスク」「ジェンガ」「スコットランド・ヤード」「ウォーター・ワークス」。いずれをとってもまず間違いはないと思います。「モノポリー」は土地・家屋の売買交渉がからみ少し人間関係が殺伐とするのであまり好きではありません。絶妙な大きさ・重さの細長い直方体木片を積み上げる「ジェンガ」はバランス・ゲームの傑作。ロンドンを舞台に怪盗Ⅹを四人の刑事が追い詰める「スコットランド・ヤード」も好きです。色つき待ち針をつきさして怪盗Ⅹの逃走経路を予想すると雰囲気が盛り上がります。五人そろったらこのゲームがお勧めです。
 それ以後の作品ですと「シャーク」「貴族のつとめ」「三人の魔法使い」「メトロ」などを購入して楽しんでいます。いずれも平均点はクリアする面白さです。
 さて本題。今、夢中になっているのが「カルタヘナ(1)」「ミシシッピー・クィーン(2)」「カタンの開拓者たち(3)」です。コース料理で喩えると、それぞれ前菜・スープ・メインディッシュ、幸せな一夜を過ごせます。いずれも運・戦略・逆転という要素を兼ね備えた逸品ですが、最高傑作は「カタンの開拓者たち」。ある孤島で、サイコロや他プレーヤーとの交渉や貿易によって入手したいろいろな資源を利用して開拓地を増やしていくゲームです。と言葉で説明しても面白さは伝わりませんが、どこの土地を開拓するか、資源をどう組み合わせるか、どの方向に道路を伸ばすかなど高い戦略性が要求されるとともに、随時自由に交渉ができるので面白さが倍化されます。さらにサイコロの出目という運。独り言、歓喜、罵声、感謝、呪詛、冷笑、さまざまな声が盤上を飛び交います。このゲームの選手権が開かれているというのも納得ですね。
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 なおボードゲームに関する情報満載のHPがありましたので紹介します。
●名古屋EJFホームページ http://ejf.cside.ne.jp/ejf/index-ejf.html

 医学的に解明されたとはいえませんが、ファミコンには相当危うい要素があると直感します。電磁波やディスプレイ凝視による人体への悪影響、攻撃性・暴力性に満ちた内容、そして共同・協同を欠落させた孤独な遊び。ホイジンガが言うように、人間の本質が「遊ぶ」ということにあり欠かせないものだとしたら(「ホモ・ルーデンス」)、心身に害を及ぼす可能性が高い遊びは、せめて子どもの周囲からなくすべきだと思いますね。企業の自由な経済活動を制限すべきという、時代に逆行した意見かもしれませんが。でもどんな時代でもしてはいけないことはあるべきです。子どもを食い物にして儲けるという行為は、相当いかがわしくておぞましいものだと思います。大人たちに、そして市場にほうっておかれた私の少年時代は、今思うと幸せでした。

 余談。こうしたゲームの製作者はドイツ人が多いですね。「ミシシッピー・クィーン」を考案したヴェルナー・ホーデル氏はドイツのバーデン・ヴュルテンベルクに在住し、ギムナジウム(中・高等学校)で教鞭を執っている教師だそうです。いろいろな点で、日本とドイツの隔絶した文化的落差を痛感します。そして「いかにして、金をかけず、周囲に迷惑をかけず、環境を破壊しない、面白い暇潰しを見出すか」というのが人類の生き残りに必須な課題だと思います。そういう意味でボード・ゲームは素晴らしい暇潰しを提供してくれます。間違いなく、江戸期にこの列島に住んでいた人々は、こうした暇潰しに関しては驚異的な才能を持っていたと思いますね。本当に残念ですが、わたしたちはその才能を蕩尽し忘却してしまったような気がします。「金をかけて、周囲に迷惑をかけて、環境を破壊する暇潰し」を世界中にばら撒いているのが、この国の現状ではないでしょうか。

 追記。先日のゲーム大会で、不肖私、「カタンの開拓者たち」で三連勝という偉業をなしとげました。あー、き、も、ち、い、い…
by sabasaba13 | 2006-04-16 08:14 | 鶏肋 | Comments(0)

「世の途中から隠されていること」

 「世の途中から隠されていること ―近代日本の記憶」(木下直之 晶文社)読了。冒頭を読んでにやっとしていまいました。「私は叢書ウニベルシタス(法政大学出版局)の…タイトル群のよき読者ではある。」 そう、ルネ・ジラールの「世の初めから隠されていること」のパクリ。確かに知的好奇心をくすぐる蠱惑的なタイトルが多いですよね、私は「競争社会をこえて」しか読んだことがありませんが。世の初めなどわかるはずがないという立場から、著者は「途中」とタイトルを変えたそうです。具体的には明治維新以降をさしています。氏は日本美術史の研究者で、見世物、造り物、写真など、美術史のなかからこぼれ落ちたものを丹念にひろいあげ、美術の枠にとらわれない評論や研究に取り組んでおられるそうです。この本でも、忘れられ隠された近代のいろいろな物件をほじくりだし、その意味をさぐりだそうとしています。いずれも美術史からは無視された物件で、「美しくない=価値がない」というレッテルをアカデミズムから貼られたわけですが、何故無視されたのかを考えることにより歴史的の陰影にあふれた襞々が見えてくるのですね。
 戦艦三笠、大船観音、坂本龍馬像、東大にある肖像群などを題材としながら、いかにわたしたちの目が節穴であるかを思い知らせてくれます。モノを手がかりに歴史を読み解く面白さを、あらためて痛感。一応私も旅行や散歩をする際には、鵜の目鷹の目魚の目蛇の目で上下左右キョロキョロしながら珍奇な物件を捜しているつもりですが、その珍奇さを解き明かす知的努力が必要だなと自戒しました。
 例えば福岡市にある「元寇記念碑(亀山上皇像)」と日清戦争の関係、日清戦争の分捕品でつくった名古屋の第一軍戦死者記念碑、金鵄をのせた日清戦争凱旋碑をそのまま流用している平和碑(広島市南区皆実町)、兼六園にある明治紀念之標(ヤマトタケル像)、東大構内から静岡県護国神社に移された市川紀元二像(日露戦争で戦死した帝大学生)、奈良あやめ池のほとりにある東洋民俗博物館などなど。いずれも行ったことがある土地なのですが、こうした物件の存在には全く気づきませんでした、不覚。あらためて訪れて、近代日本の襞々に触れてみるつもりです。そうそう、清河八郎の旅日記「西遊草」(岩波文庫)の面白さも教えてもらいました、たまたま以前に購入して積ん読状態でしたので、近々読んでみようと思います。木下さん、ありがとう。
by sabasaba13 | 2006-04-15 20:02 | | Comments(0)

桐生・湯西川温泉編(5):栃木(04.2)

 そして東武鉄道で栃木へ。ふと駅員室をのぞくと「ケガに注意しましょう 御家族が無事の帰りをお待ちです」という根津嘉一郎の言葉が額に入れて飾ってありました。どう考えてもこれは被雇用者に向けての言葉ですよね、これを実現するための具体的施策をとったのであれば優れた見識を持った経営者だと思います。今だったら「身を粉にして過労死しない程度に馬車馬のように働け 御家族はリストラに怯えている」という言葉にするかもしれませんね。
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 さて、自転車を借りて二時間ほど町をぶらつきました。この町も三度目の訪問となりますが、何度来てもほっとしますね。蔵造りやモダンな洋館が立ち並ぶ、シックで落ち着いた町です。栃木高校の講堂や記念図書館、栃木病院、旧市役所などを徘徊。水運に使用された巴波川ぞいの景観の良い散歩道を走っていると、時の流れが止まってしまったようです。
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 最後に駅の近くにある定願寺を訪問。ここは水戸天狗党が栃木に来た時に駐屯した所だそうです。後日、吉村昭の「天狗争乱」(新潮文庫)を読んで、当時の状況がよくわかったのですが、後の祭りでした。
 というわけで、なかなか中身の濃い旅行でした。桐生に心残りの物件が多々あったので、いつか再訪する決意を固めた次第です。それにつけても、旅行幹事のSさん、どうもお疲れ様でした。感謝の気持ちとともに、以前筆者がつくった句を奉呈します。

 もう二度と旅行の幹事はやらないぞ     邪想庵

 本日の一枚は、巴波川綱手道の景観です。
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by sabasaba13 | 2006-04-14 06:13 | 関東 | Comments(0)

桐生・湯西川温泉編(4):鹿沼(04.2)

 翌朝、少し早めに目が覚めたので、宿の周辺を散策しました。深山幽谷、とまではいきませんが、雪に覆われた山々と木々、そして清冽な流れの小川、清々しい青空に身も心も洗われるようです。と、通りすがりの旅行者は気楽なものですが、雪国の暮らしは大変な苦労がともなうのでしょうね。中学生がつくったこんな標語がありましたが、それほど神経過敏にならなくてもいいよ、と見知らぬ人は呟くのでした。
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 朝食をいただき、早く帰る方、スキーに行く方、栃木の町を散策する方と、三々五々解散となりました。私は湯西川温泉駅まで行き、鹿沼に行ってお目当ての川上澄生美術館を訪問することにしました。駅の近くになかなか絵になる鉄橋がありましたが(野岩線湯西川橋梁)、解説板を見ると架橋は1983年で、塗装を必要としない耐候性鋼材を使用した無塗装橋梁だそうです。鹿沼駅から十数分歩くと、美術館に到着。川上澄生。宇都宮高校の英語教師を務めながら、異国情緒とユーモアに溢れた作品を作り続けた版画家です。棟方志功が「わだばゴッホになる」と言って東京に飛び出し、絵が入選できずに懊悩していた時に出会ったのが川上澄生の「初夏の風」という版画です。それがきっかけで肩の力が抜け、好きなことを自由に表現できる版画に転向したとのこと。「われはかぜとなりたや あのひとのうしろよりふき あのひとのまへにはだかる はつなつのかぜとなりたや」という素敵な言葉が刻まれている版画です。うん、私もなりたい。残念ながらこの作品は、初夏しか展示されないので見られなかったのですが、ちょうど川上澄生ア・ラ・カルト展が開かれていて、いろいろなタイプの作品を鑑賞できました。ほのぼのとした良い気分。鹿沼の町並みは見た範囲ではとりたてて言うべきことはありませんが、大谷石づくりの蔵が点在しています。
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 昼食は何気なく入った「来々軒」という中華料理店。ふとメニューを見ると、メンチカツ定食があるではないか。これはたいした識見ですね、さっそく注文。味は特筆すべきほどではありませんが、付け合せのポテトサラダは絶品でした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-04-13 06:05 | 関東 | Comments(0)

桐生・湯西川温泉編(3):湯西川温泉(04.2)

 JRで栃木にむかい、そこで東武鉄道に乗り換えるが、そのための時間的な余裕がほとんどないとのこと。私と某二氏は栃木駅につくと、誠心誠意真心をこめて力の限り階段を駆け下り切符を買い階段を駆け上り列車に乗り込みました。やれやれと振り向くと、誰も来ない…そしてドアが閉まる…  プシュー
 連絡のとりようがないので、われわれ三人だけで先に宿に直行することにしました。なんくるないさあ。栃木から二時間ほどで、鬼怒川の先の湯西川駅着。最終のバスで目的地、平家の落人伝説のある秘湯湯西川温泉に到着しました。そこは一面の雪景色、なるほど隠れ里ですね。
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 われわれは旅装をとき、のんびりと桧風呂・露天風呂につかり、舞い落ちる粉雪を堪能しながら雪見酒と洒落込みました。予想される某氏の苛烈な糾弾にどう応えるか考えながら、ひねりだしたのが下記の句二つです。

遅れ来る友待ちわびつ雪見酒  邪想庵
  選者評 友に対する真摯かつ暖かな友情に溢れた佳句。作者の想いに胸を打たれる。

遅れたほうが悪い         邪想庵
  選者評 自由律の特徴を生かした、友情に溢れた力強い佳句。作者の想いに腹を抱える。

 そして一時間ほどして、6人がタクシーで到着。そこはそれ、みなさん知性と教養と自立心と自制心に満ち満ちた大人ですから、ニッコリ見合す顔と顔、(たぶん)何のわだかまりもなく(おそらく)何の遺恨も残さず、和気靄靄と夕食をとり、あっという間に竹筒の酒をたいらげ、そして(筆者の知る限りでは)何事もなく、湯西川の夜は更けていきました。シンシン

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-04-12 06:05 | 関東 | Comments(0)

桐生・湯西川温泉編(2):桐生(04.2)

 そして桐生の市街地を散策しながら、昼食をとる店をさがしました。桐生は絹織物でかつて栄えた町で、その名残かなかなか風情のあるところですね。先程のタクシーの運転手さんも、そのため舌の肥えた人も多く、料理も美味しいと言っていました。その彼が教えてくれたのが、坂口安吾が足繁くかよった「泉新(いずしん)」といううなぎ屋です。そういえば安吾は晩年を桐生で過ごしここで逝去したのだっけ。ファンとしては是非そこで食べたい! 明治の商家の趣がある店で、二階の雰囲気の良い小部屋に通されました。突出しの器は雪輪文の白磁、湯呑みは織部、いいですねえ。あっという間にビール瓶とお銚子が林立し、みんなで店のオーラを堪能しました。待つこと数十分、焼きあがったうなぎの美味なること! プリプリした食感とこくのある味わいに酔いしれましたね。
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 というわけで、この時点で幹事氏のたてた計画はスターリングラードのドイツ軍のように壊滅的な打撃を受け、崩壊。とりあえず、温泉行きの最終バスに間に合わせようということになりました。30分後に桐生駅に集合と話がまとまり、私は群馬大学工学部に行くことにしました。お目当ては、同窓記念会館(旧桐生高等染織学校講堂)。1915(大正4)年につくられた木造ゴシック様式の格調高い建物です。まるで教会みたい。守衛所・正門も見物していると、もう時間切れ、急いで駅に向かわなくてはなりません。味わいのある民家・土蔵・倉庫に後ろ髪を思いっきり引かれながら、本町通りを早足で駆け抜けかろうじて集合時間に間に合いました。ふう
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 本日の一枚は、泉新のうな重です。
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by sabasaba13 | 2006-04-11 06:05 | 関東 | Comments(0)