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池袋モンパルナス編(4):(06.3)

 ここから少し歩くと、廃校となった平和小学校(現西部区民事務所)の3階に「アトリエ村資料室」があります。文献や写真を収集・保管して研究に資するための施設のようです。展示が少ないのは残念ですね。地図を頼りにしばらく歩き、地下鉄千川駅に出て要町通を渡ってまたしばらく行くと浅間神社にある長崎富士塚に到着です。江戸時代に富士浅間信仰が流行し、富士山を模した築山が江戸各地につくられましたが、ここもその一つ。1862(文久2)年に築造されたもので、よく原型をとどめています。ただ金網で囲まれて近づけないのが、残念です。江古田でも入谷でも近づけませんでした。聖なる場所だからなのか、危険だからか、ホームレスが住めないようにするためか、理由はわかりませんがぜひ登れるように善処を求めたいですね。
 近くには喫茶店「ショパン」があります。画家たちのたまり場だった店で、落ち着いたインテリアと妙なるクラシック音楽の響きは、往時を思わせる雰囲気です。珈琲を所望し、フォステクスの銘機FE-203から流れるモーツァルトのピアノ協奏曲第21番に耳を傾けながらしばし休息。ここからえびす通りという昔ながらの雰囲気に溢れた商店街を抜けて、ふたたび要町通へ向かいます。ふと見上げると、麻の葉くずしの青銅製戸袋を確認。こういう職人仕事を見かけるとほっとしますね。
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 池袋駅に向かう左手には光文社ビル、中にはミステリー文学資料館が併設されているようです。向かい側の路地の奥には、江戸川乱歩の旧宅があるはずなのですが、見つけられませんでした。地図によると、この近辺には武者小路実篤の「新しき村東京版」、小熊秀雄終焉の地もあるようです。立教大学に寄ってもいいのですが、今回は疲れたのでカットし、池袋駅に向かい帰宅することにしました。時間にして3~4時間ぐらいの散歩が楽しめるコースです。なおアパート建築に興味のある方/造詣が深い方(いないだろうなあ)には特にお薦め、そうとうそそられる物件がたくさんあります。

 本日の一枚は、長崎富士塚です。
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by sabasaba13 | 2006-05-21 08:31 | 東京 | Comments(0)

池袋モンパルナス編(3):熊谷守一美術館(06.3)

 上り屋敷公園の前には、稲荷の祠がありました。ゴシック体で「稲荷」と書かれた額に、この地域のプラグマティックな雰囲気が感じられますね。ここから西武池袋線の線路にそってジグザグと椎名町に向かいます。帝銀事件の舞台となった帝銀椎名町支店の碑でもないかなと目を凝らして歩きましたが、発見できず。しばらく商店街を歩き、さらに細い路地を歩いていると、屋根の大きな古い住宅を見かけました。壁面を見ると、一階と二階部分がほとんど窓になっています。これはもしや当時のアトリエではないか。確認は出来ませんでしたが、写真にはおさめておきました。
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 しばらく歩くと熊谷守一美術館に到着です。熊谷守一、1880年岐阜で生まれる。若い頃はこつこつと暗いアカデミックな絵を描いていたが、やがて赤い線で画面を区切り、筆目をそろえて原色を平塗りする画風へと変化します。死ぬまでの四十五年間、ここ豊島の千早に居を構えほとんど外出をせず、絵を描いたり、一日中虫や鳥や樹木を見つめる暮らしを続けました。文化勲章も、これ以上来客が増えるのはいやだといって辞退。競争や名誉や富から徹底的に逃げ隠れ、ひとりで楽しむことを求め続けた人です。彼の味わい深い作品が数十点展示されていますが、猫を描いた作品が一番好きです。建物の前面には、彼が描いた蟻の絵が彫りこんであります。「数年間見続けて分かったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すのですね」という彼の言葉を思い出しました。なおこの美術館でいただける「池袋・椎名町・目白アトリエ村散策マップ」が詳しくていいですね。一休みしてパラパラ見ていると、椎名町駅の南側には、漫画家の聖地トキワ荘跡や、佐伯祐三や中村彝(つね)の旧居跡などがありました。
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 ●熊谷守一美術館 http://www.kumagaimori.jp/
by sabasaba13 | 2006-05-20 08:46 | 東京 | Comments(0)

池袋モンパルナス編(2):自由学園明日館(06.3)

 勤労福祉センター一階にある食堂でランチをいただきながら、これからの行程を確認。まずはアトリエ村とは無関係なのですが、ここに来たら外せない自由学園明日館を表敬訪問しました。自由学園とは、1921年に羽仁吉一・もと子によって創設された私学です。その校舎として、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに設計を依頼して建てられたのが明日館です。彼の作品は、北アメリカ以外では日本にしか残っていないそうです。(4つだったかな?) その一つである帝国ホテルを破壊するという愚劣な暴挙(玄関部分のみ明治村に移築)をしでかした日本人は、ライト設計のこの建築をも破壊しようとしたが、反対運動が起こり、結局保存されることになりました。よかよか。
 まったくもってライトのデザイン感覚には脱帽です。建物全体はもちろん、内装・照明・家具にいたるまで彼の息吹を感じることができます。この建物全体を貫くモチーフである“へ”という形が縦横無尽に組み合わされ、木と大谷石が巧みにハーモニーを奏で、暖かくて静かでリズミカルで、えーとえーとうまくいえませんが、とにかくずーっとこの部屋に包み込まれていたいといえばわかってもらえるかな。外観も水平方向を意識したもので、小ぶりな建物なのですが大地に根付いて広がるような気持ちの晴れ晴れする意匠です。
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 道をはさんで向かい側には遠藤新設計の講堂がありますが、こちらも明日館のデザインを踏襲したなかなかの逸品です。なお内部に展示されていた資料によると、彼は真岡小学校講堂も設計しているとのこと、現存しているのかな、要チェックです。この西池袋一帯は閑静な住宅街で、戦前の物件らしき住宅もところどころに残っています。ハーフ・チンバーもどきのモルタル住宅など、見所が多いですね。誰かこの附近の建築散策マップをつくってくれないかしら。
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 ●自由学園明日館 http://www.jiyu.jp/

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-05-19 06:09 | 東京 | Comments(2)

池袋モンパルナス編(1):(06.3)

 「池袋モンパルナス」って御存知ですか。大正末期から昭和20年代にかけて、東京の池袋近辺に若い芸術家を対象とした安価なアトリエ付き借家が多数あり、これらの集落は、「すずめが丘アトリエ村」、「つつじが丘アトリエ村」、「さくらが丘パルテノン」と名付けられ、当時100軒以上の貸アトリエが軒を連ねていたといいます。この一帯に、熊谷守一、吉井忠、峯孝、寺田政明、松本竣介丸木位里・俊夫妻などの芸術家たちが住み、昼夜作品づくりに励み、いつしかここは、パリの芸術地区、モンパルナスにちなみ「池袋モンパルナス」と呼ばれるようになりました。このあたり一帯を、散歩がてらふらっと歩いてきました。
 まずは池袋東武デパート6階の画廊で開かれている吉井忠展と熊谷守一書画展を拝見しました。自由闊達・融通無碍なモリさんの書画にはまいりますね、傑作なのは即売会で唯一売れ残った作品であるという「蒼蝿」という書。そりゃあ誰も買わないでしょう、でも多分彼にとっては蝿の動きや表情が魅力的だったのだと思います。あるいは純粋に字の形が好きだったのかもしれませんね次なるは勤労福祉センター7階にある豊島区立郷土資料館に行きました。敗戦直後の池袋駅前の闇市や、長崎アトリエ村の精緻なジオラマがすばらしい! これはミニチュア細工が本当に好きで好きでたまらない人が作ったのだという雰囲気がムンムンと漂ってきます。実は小生も昔はプラモデル大好き少年だったのでよく分かります。まだ見ぬ同志よ、いつか会いましょう。特設展を見ていると、要町のアトリエに住んでいた高山良策という画家の絵があり、解説を読むと「円谷プロの怪獣造型家としても有名」とあります。実は小生、怪獣大好き少年で、モスラやキングギドラの身長や体重の数値を一所懸命に覚えた記憶があります。この方の名は覚えておきましょう。

●豊島区立郷土資料館 http://www.museum.toshima.tokyo.jp/index.html
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by sabasaba13 | 2006-05-18 06:01 | 東京 | Comments(0)

「ビッグイシュー創刊50号」

 「ビッグイシュー創刊50号」(2006.5.15)読了。以前にも紹介しましたが、ホームレスの方々の自立を応援するために、世界各国で行われている事業の一環として売られている雑誌です。この雑誌が定めた行動規範を守りながら街頭で販売し、一冊売れるごとに200円のうち110円が収入となるシステムです。その存在を知って以来、街角で見かけると購買するようにしています。
 さて通勤電車の中で読み始めると、今回は私が畏敬する小熊英二氏をゲスト編集長にむかえて「今、日本という社会で生きること」という特集が組まれていました。やるでねがっ! 冒頭には彼の語りが収録されていますので、私なりに要約してみます。会社や学校に行かない/行けない若者に対して、大人たちは困惑し非難し脅威を抱いている。「会社や学校に行かない人間は怠け者のクズ」だという彼らの規範・価値体系に反しているからですね。しかしこうした規範は、高度経済成長からバブル崩壊までの30年の間にできた、特殊なものにすぎない。5~10%の経済成長と完全雇用状態が30年間続き、戦争・革命・クーデターもおきていない国は、たしかに特殊で例外的な事例ですね。と同時に、その規範は経済という枠内でしか社会とつながらないものであった。受験戦争を勝ち抜き会社で働き続け、消費やレジャーで気を紛らわすということです。そうした特殊かつ、消費のことしか考えない貧弱な規範をもとに、今の若者を非難するのは無茶である。しかし経済(消費行動)でしか社会とつながる道を見出せないという価値体系は、若者にも内面化されている。そして、それ以外の社会とのつながり方を想像するための契機として、多様な生き方をしている七人の若者が紹介されています。
 なるほど「社会とのつながり」という補助線を引くと、現状が理解しやすくなりますね。人間は孤独・孤立には耐えられず、つねに社会・他者・過去・未来とのつながりを求めるものなのでしょう。そう考えれば、昨今のナショナリズムの猖獗もわかるし、また人心をナショナリズムに回収するために個々人を分断させる政策が行われていることも理解できます。(競争の激化、監視社会…) ただこうしたつながりは必然的に異国人・非国民・移民・異分子への「排除」をともなうことによって、緊張を醸し、国家(官僚機構+常備軍)への依存を強めます。それは良くない。「排除」をともなわないつながりを築いた七人の若者の紹介、なかなか興味深く読むことができました。
 中でも、リスト・カットを繰り返し、他者とのつながりを求めてオウム真理教や右翼団体に入り、愛国パンク・バンドを組み、イラクに行って「人間の盾」となった作家、雨宮処凛(かりん)氏の話は強烈でした。以下引用です。
 この国で「普通」に生きていたら、有効な命の使い道などほとんどないのだから。そしてそのことが、若者の行きづらさにより一層拍車をかけている。チンケな犯罪者になるより、警察庁統計の3万数千分の1の自殺者になるより、自らの命の使い道をこの「平坦な戦場」で模索し続けること。傍観者から脱却し、世界の当事者になること。それこそが、自分に殺されないための方法だ。
 世界の当事者か、いい言葉だなあ。今度彼女の書いた『すごい生き方』という本を読んでみようかな。他にも『「ニート」って言うな!』の著者後藤和智氏、『中村屋のボース』の著者中島岳志氏の話も載っています。そうそう中島氏は、東京裁判で「日本は無罪」という判決を下したパール判事をテーマとした研究に取り組んでいるそうです。これも楽しみですね。

 さて、となると、私の社会とのつながりとは何なのかなと考えてしまいました。経済の枠内ではないという自負はあります。別に消費が生甲斐でもないし、勝ち組になりたいとも思わないし。読書と旅と音楽を通して、過去や現在のいろいろな他者とつながっているという気はします。これからの課題は、世界を真っ当なものにするためのささやかな行動を起こして、今の他者と、そして未来の他者とつながることです。
by sabasaba13 | 2006-05-17 06:07 | | Comments(0)

「嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯」

 「嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯」(中丸美繒 新潮文庫)読了。斎藤秀雄。チェリスト、指揮者、小沢征爾らを育てた師匠、彼の弟子たちがつくったサイトウ・キネン・オーケストラ、といった断片的な事しか知らず、気にはしていた人物でした。たまたまこの本の存在を知って購入、一瀉千里で読み通してしまいました。著者の冷静な筆致がいいですね、彼の凄さだけでなく、様々な欠点までをも、関係者の証言を交えながらつかず離れず克明に叙述しています。
 彼は英語学者斎藤秀三郎の子息だったのですね、はじめて知りました。まずチェリストをめざしますが指が固く断念し、そして指揮者をめざすもあがり性のためこれも挫折、そして音楽教育者として後進を育てることに己の天職を見出します。作曲家の別宮貞雄氏はこう証言されています。
 西洋近代音楽の精髄を、科学的研究によって分析して演奏解釈として生徒に教えたんですよ。斎藤先生はけっして音楽の神秘を無視した人ではないが、九十パーセントは自然科学のように音楽をやっていたんです。
 英語の根本的な仕組みをどうやって日本人に教えるかという父親の仕事の影響なのかもしれません。そして若い教え子たちに、全身全霊をこめて一切の妥協をせずに、西洋音楽のエッセンスを叩き込んでいくその姿は凄絶です。小沢征爾が、裸足で自宅に逃げ帰り、本棚のガラス戸を拳で叩き割ったそうですね。痛快愉快なエピソードも満載だし、近代日本の西洋音楽受容の歴史としても面白く読めました。
 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ」と団員を厳しく指導する、「セロ弾きのゴーシュ」(宮沢賢治)に登場する指揮者のモデルが斎藤秀雄だとする著者の仮説は、その論証の過程も含めて興味深いですね。上京した賢治が斎藤が指揮する新交響楽団の練習風景を見学していたことは間違いないようです。
 もう一つ、追記でふれられている事を紹介します。斎藤夫妻には子供がいなかったのですが、実は彼はハンセン病であるという噂があります。妻の秀子氏は結婚をした時点で子供をもつことはできないと覚悟し、懐妊をするたびにおろしてきたと友人に語っています。「らい予防法」がいかに多くの人々を苦しめてきたかと思うと慄然とします。患者の隔離政策について国が全面敗訴し、控訴をしないと小泉軍曹が決断をしたことは(2001)、彼のほんとに数少ない功績ですね。
by sabasaba13 | 2006-05-16 06:07 | | Comments(2)

「ラテン・アメリカは警告する」

 「ラテン・アメリカは警告する」(内橋克人・佐野誠編 新評論)読了。とてつもなく深刻で先行きが見えない不況と経済の混迷が続いています。しかし摩訶不思議なことに、何故こうなったのか、誰に責任があるのか、そして今後どうすればよいのかについて、公的な論議が全くされていないことです。まるで意図的にその原因を隠蔽しているような気さえします。経済評論家の内橋氏と、ラテン・アメリカ研究者諸氏が協力して、この問題に真っ向から力強く立ち向かったのが本書。この経済混迷の原因は、市場原理を過信した自由化・規制緩和策つまり新自由主義的政策(小泉軍曹言うところの「構造改革」とほぼ同義。内橋氏曰く「一周遅れの新自由主義」)にあるというのが、中心となる主張です。なぜラテン・アメリカかと言いますと、実はこの新自由主義的政策がすでに1980年代のラテン・アメリカで実施され、今の日本と同様の混迷・腐敗・病理を引き起こしたという事実があるからです。そこから教訓を得るとともに、ラテン・アメリカの人々がどのようにこの悪魔のような政策と闘ってきたか/闘っているかについても学ぼうというのが、本書の主眼です。
 まずあらためて新自由主義経済政策とはどういうものか。石油ショックによって福祉国家が立ち行かなくなり、ソ連経済の崩壊により社会主義国家の魅力が失われそれに対抗するための福祉政策を打ち出す必要もなくなった結果、レーガン、サッチャー、中曽根政権などが採用した政策です。本書にある下記の定義が当を得ていますね。
 新自由主義経済政策とは何か。各種の産業・企業への補助金や地域開発、インフラ整備、研究開発などの国家資金の支出(大部分は大企業の利益となる)がなくなったり減少するわけでは全くない(教育・福祉・保健・医療などの社会的支出は間違いなく削減されるが)。要するにその中身は、私的利潤を稼ぐ企業活動を妨げるような規制は撤廃してもらいたいが、そうした活動を援助するような公的資金の支出はどんどん遂行してもらいたいということに過ぎないのである。しかし、主流経済学者ははっきりそうとは言わず、あたかも、規制緩和や自由化をすれば、経済活動が「市場の自由」にまかされ、「小さな政府」がもたらされるかのごとく主張している。
 簡単にいうと、大企業・グローバル企業が儲ければ、その余得で一般民衆も潤う(均霑=トリクル・ダウン)だろうという論理です。もちろんそれは単なる神話にすぎず、実際には企業が利益を独占し、民衆はその恩恵にあずかれず様々な形での「貧困」を強いられるのが現実です。私たちが今、骨の髄まで味わっていることです。そして一足早く「構造調整」と称してIMFなどからこの政策を押しつけられたのが、経済破綻に苦しんでいたラテン・アメリカ諸国なのです。グローバル企業が荒稼ぎできる環境・条件を用意しないと、金を貸さないということです。その経過や結果、人々の対抗措置の詳細についてはぜひ本書をお読みください。その禍々しい事実について、その一周後を追いかけているわれわれは知るべきだと思います。一言でいえば、経済(企業)が栄えて、社会が衰退・分裂・不安定化するということです。そして新自由主義に対抗するために、本書は人間中心主義を掲げます。以下引用です。
 「人間中心主義」とは、「良き生(well-being)」の実現を自由と社会的公正の拡大のもとで最優先するという立場、そして自由と社会的公正は個々人同士の能動的な協同関係なくしては実現しえないとする立場。そしてそのために必要なシステムが、経済と社会との調整を図る「市民社会」の参加であり、それは、国家と市場と市民社会との間に新たな「ガバナンス」の関係をつくることでもある。…しかもこうした「市民社会」が参加する「協治」は、まずは、そこで現実に生きている各個人がよく見える小さな単位(地域共同体など)の中でこそ有効に働くであろう。
 国家と企業の暴走を食い止めるために、地域社会やNGOなど小さな市民組織が手を取り合って社会的公正を実現していこうという提言ですね。さしあたって喫緊の課題は、公正な価格(フェア・プライス)と、それに基づいた公正な取引(フェア・トレード)を実現することでしょう。
 というわけで、現在の世界について優れた鳥瞰図を示してくれる好著でした。日本の現状を理解する上でも教えてもらうことが大です。企業の利益を優先し、そのために福祉を切り捨てて労働者の権利を蹂躙(フリーター・ニート・パートへの経済的虐待)する自民党(+公明党)と官僚・財界。貧富の差の拡大による社会の分裂・不安定化に対しては、愛国心と北朝鮮への敵意・憎悪を煽ることによって、問題の所在から目を背けさせ綻びを繕い見掛けだけの一体感をつくろうとする。さらに私たちが連帯をしないように、「弱者」を排除するための競争を激化させ、テロや不審者への不安・恐怖を必要以上に煽って孤立させる。長時間労働やサービス残業も、私たちが市民組織に参加するための時間や余裕を奪うという点できわめて有効です。
 問題なのは、こうしたことを承知の上で小泉軍曹の「構造改革=新自由主義」路線を支持しているのかどうかです。私の勘では全く理解していない人が大多数ではないかな。「他の人より何となく良さそうだし、"改革"だから少しは良くなるんじゃない」程度の理由で支持しているのでは。だとしたら、私たち日本人のpolicy intellectual(政治知性)は壊滅的に欠落しています。やはり大人の学力不足は深刻ですね。
 というわけで、新自由主義とそれがもたらした災禍を把握するために必須の一冊、お薦めです。

 追記。本書(p.201)によると、2002年5月、郵政民営化のお手本としたニュージーランドに外遊した小泉軍曹が、クラーク首相に持論を披露したところ、「国営の方がしっかりしたサービスをしている」と応じられたそうです。(日本経済新聞2002.5.3) ま、新自由主義路線の一環として、郵政事業や郵便貯金を企業の草刈場にするための改革ですから、サービスなぞ眼中にないのでしょう。それにしても、メディア諸氏、これはもっと警鐘を鳴らすべき大事件だったのではないですか。
by sabasaba13 | 2006-05-15 06:03 | | Comments(0)

松江・萩・津和野編(9):益田(04.3)

c0051620_824441.jpg また殿町に戻り、津和野川を遊弋する体育会系の鯉に「社長も食わないヤ○ザキのパン」を献上。昼食は瀟洒な店構えが気に入った、イタリア料理の「ポンム・スフレ」。これが大変美味しい店で、黒豚のカツレツなど夢に出てきてうなされそうな味! 二人でうまいうまいと呻きながらコース料理を食していると、列車の発車時刻が迫ってきました。これを逃すと二時間ほど列車はない。Oh my mountain God ! やむをえずゆっくり味わう間もなく飲み込むようにして平らげ、津和野駅へダッシュ。かろうじて間に合いました。
 約一時間で益田に到着。飛行機の出発時刻まで余裕があるので、バスで医光寺へ。ここには雪舟がつくった庭園と、見事な枝垂桜があるそうです。お寺さんに着いて本堂に上がると、裏手の斜面に庭園がありました。回遊式ではなく、眺めるだけのタイプ。中央には池と築島と須弥山石、左手には石組みで急峻な滝を表現した枯山水、前面と右手には躑躅をおりまぜた直方体の植え込みがモザイクのように並んでいます。そして正面やや右手に屹立する一本の枝垂桜。花は盛りをやや過ぎて、風が吹くと花びらが舞い落ちます。散る桜もまた味わい深いもの。風になびく枝と舞う花びらを眺めながらしばし時間を忘れ、縁側に座り込んでぼーっとしてしまいました。眼福眼福。近くの万福寺にも雪舟のつくった庭園があるそうですが、とても見る時間はありません。あきらめて再び益田駅に戻り、バスで萩・石見空港へ。
 というわけで、山陰の旅でした。荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡・万福寺に行けなかったのが、かえすがえすも無念。まあまた来る楽しみができたというもの。再来を期して筆を置きます。インシャラー。神が望み給うなら…

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-05-14 08:29 | 山陰 | Comments(0)

松江・萩・津和野編(8):津和野(04.3)

 本日は最終日です。急行バスで東萩駅から津和野へ直行しました。駅前で自転車を借り、まずは定番、なまこ壁と鯉が泳ぐ堀割のある美しい殿町を徘徊しました。江戸時代には家老屋敷があつまっていたところです。カトリック教会を拝見すると「乙女峠展示室」がありました。前述した長崎浦上村から送られてきた153人の隠れキリシタンが、津和野藩の改宗のすすめに応じず、ついに拷問によって36人が殉教した場所が乙女峠です。
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 しばし見学して津和野川に出ると、青空と満開の桜と菜の花、柳の若葉が目に沁みるほど見事。青、ピンク、黄、緑、色の饗宴ですなあ。しばらく川ぞいの気持ちの良い散歩道を快走し、菜の花が大好きな小生は写真を撮りまくりました。桜並木が見事な鷲原八幡宮流鏑馬の馬場を見物して、西周・森鴎外の旧居を見学。鴎外旧居は、彼の文体のようにピシッと引き締まった質素な家でした。
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 「とりあえず一番高い所に上る」という山ノ神の教えに従い、リフトで津和野城址へ。終点から十分強坂道を登ると、石垣の残る城跡へ到着します。青野山の麓に津和野川に寄り添うようにひろがる街並みが、手に取るように眺めることができました。日本の原風景の一つかなという気もします。山々に囲まれた盆地=小宇宙… 鴎外はこの眺めを見たかったろうな。しばらく眼下の風景を睥睨・堪能した後、坂道を降り始めると、山ノ神が近道を発見したようです。「こっちが早いぞよ」という託宣がポンッと出ました。石垣が崩れているので「立入禁止」となっている柵を平然とくぐり、スタスタと歩いていくではありませんか。オロオロしながら後をついて行く小心者のわ、た、し。以前につくった旧作です。
 たるたると春に揺るるや妻の尻   邪想庵
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 本日の二枚は、津和野川の菜の花と、城址から眺望した津和野です。
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by sabasaba13 | 2006-05-13 08:52 | 山陰 | Comments(0)

松江・萩・津和野編(7):萩(04.3)

 萩市内に戻る途中で萩焼を売る店に立ち寄りました。茶人が好む茶器を一萩ニ楽三唐津といいますが、私は一備前ニ唐津三萩ですね。備前焼の無骨な土臭さに魅かれますが萩焼の上品な柔らかさも好きなので、湯飲みを購入。松本川ぞいに咲き誇る菜の花を愛で、閑静で落ち着いた街並みを縫うように流れる藍場川ぞいに、コイにエサをやりながらのんびりとサイクリング。
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 そして元藩校の明倫館であった明倫小学校に無断侵入して、風格のある巨大な木造校舎を見物しました。高杉晋作旧宅跡、木戸孝允旧宅があり、なまこ壁の土蔵、門、土塀など情緒あふれる萩城下町をひやかして、萩高校へ。ここには1887(明治20)年につくられた洋風建築の教員室があります。
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 夏みかんがわさわさと実る街並みを走り抜け、指月山と旧萩城跡へ。横光利一が「蓬生ふ 銃眼の中海光る」と詠んだ二の丸の銃眼土塀を見物して、旧萩城内を散策。
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 さあそろそろ夕暮れです。夕陽を眺める絶好のビュー・ポイントという情報を得た鶴江台へいざ行かむ。すると突然山ノ神にひだる神(※)がとりついたようです。[※人にとりついて空腹にさせ餓死させてしまう妖怪。これを防ぐには弁当の残りを一口食べるか、米の字を手に書いて3回なめると元気になる] あわててモスバーガーに駆け込み食料を補給。ふうっ。漁師町の狭い路地を疾風の如く駆け抜け、かろうじて落日に間に合いました。残念ながら高台の中腹なので木々にさえぎられ全貌は見られませんでしたが、夕陽フリークとしては満足。なおここには「浦上キリシタン殉教の碑」がありました。明治新政府の弾圧により、長崎浦上村のキリシタンが全国に流罪とされ拷問・飢餓のため多くの人々が亡くなりました。いわゆる「浦上くずれ」ですね。ここ萩にも数百名が流されてきたそうです。合掌。
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 夕食は鯛の兜煮。山ノ神は煮魚を食べる名人で、思わず見惚けてしまいます。ぺんぺん草も尻の毛も残らないほど完璧に解体された骨の残骸を見ると、「猫泣かせの○コちゃん」と呼ばれたことも納得。そして供物として鯛の目玉をお供えしました。彼女は魚の目玉のコリコリとした食感を好み、幼少の砌は家族から提供された眼球が皿に並んだそうな。◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ シュールな光景ですね、R・ブニュエルの映画の一場面のようだ。食後は「萩本陣」名物の露天風呂へ。モノレールで登った所にある、萩が一望できる眺望のよいお風呂です。残念ながら混んでいたのでバスで連れて行ってもらったのですが、絶景絶景。皮膚の表面温度が40度になるほど長湯をしてしまった。

 本日の二枚は、萩城下町と鶴江台の夕陽です。
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by sabasaba13 | 2006-05-12 06:10 | 山陰 | Comments(4)