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北陸・山陰編(21):東舞鶴(06.9)

 さらに少し歩くと海上自衛隊舞鶴地方総監部、ここでも土・日・祝日には海軍記念館を見学することができます。昭和天皇行幸のためにつくられた旧海軍機関学校大講堂を利用した、海軍関係の資料館です。スクラッチ・タイル貼りのなかなか落ち着いた雰囲気の建築で、講堂自体も見学することができます。演壇正面に奉安庫がないのには不可思議。中には東郷平八郎が使用した机などが展示されていましたが、次のような解説が気にかかりました。「勝海舟により育成された海軍は「海軍の父」と称される山本権兵衛により、質・量ともに先進国に劣らず、また、技術・精神力では列強をしのぐ域へと作り上げられた。」 当時における世界各国の海軍力の比較について言及できる能力はもちあわせておりませんが、“精神力”をわざわざ銘記するあたりに強烈なコンプレックスを感じますね。
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 なおこちらでは「防衛庁を省に -危機により強く、世界の平和により役立つ組織に-」というリーフレットが置いてありました。その中に「防衛政策の基本は省にすることにより変わらず」という項目があり、「シビリアン・コントロール」「専守防衛」「節度ある防衛力の整備」「海外派兵の禁止」「非核三原則」「軍事大国とならない」という防衛政策の基本が書き連ねてあります。ぷっ、と思わず吹き出してしまいました。米軍の核兵器持込を黙認し、莫大な軍事費を使い、アメリカ政府の有形無形のコントロールを受けながら、イラクでは米軍の軍事行動をバックアップしている現状のどこをどう押せばこんな言辞が出てくるのでしょうね。さらに防衛施設庁の不祥事対策も触れられていますが、微温的なものです。第三者機関による監視や関係者への重罰は、一言半句も提言されていません。やれやれ。隣にはテニスコートがあり、隊員の方々がテニスに勤しんでおられました。「ローボレーは腰を落とすのではなくスタンスを広くするといいですよ」とアドバイスをしたかったのですが、射殺されてはかなわないので、やめ。行幸記念碑のプレートには「昭和二十年八月十五日終戦となり、不敬にわたる取扱いを受けないよう秘かに地中深く埋没されました。」と刻んでありました。きっと敗戦時にあちらこちらで見られた光景なのでしょうね。入り口のところに「敬礼の励行」という表示があったのには笑ってしまいました。
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 追記。いやはや、民主党の賛成も得て、いとも簡単に「防衛省」になってしまいましたね。いっそのこと「アメリカ軍防衛省」とした方がわかりやすいのに。ついでに民主党も「第二自民党」にしてはいかが。私が夢見る国営国際救助隊「雷鳥」構想が実現するのはいつのことやら。でもあきらめないぞっと。
by sabasaba13 | 2006-12-17 08:47 | 中部 | Comments(0)

三匹の蛙

 教育基本法がいとも簡単に改悪されてしまいました。その目的は、官僚・政治家・財界による教育統制の強化+格差社会を弥縫するための愛国心の強要、そして最終的にはお上に逆らわない従順な日本人を育成するということでしょう。(自民党・公明党・官僚・財界にとって都合が悪い事を)考えるのが嫌いな国民を、これからどんどんつくっていこうという事ですね。50年後の日本が楽しみだ、きっとガレー船のような国家になっているでしょう。
 でも絶望はしません。
 三匹の蛙が牛乳の容器のなかに落ちました。悲観主義の蛙は、何をしてもどうせだめだからと考えて、何もせずに溺れ死にました。楽観主義の蛙は、何もしなくても結局うまくゆくだろうと考えて、何もせずに溺れ死にました。現実主義の蛙は、蛙にできることはもがくことだけだと考え、もがいているうちに、足もとにバターができたので、バターをよじ登り、一跳びして容器の外へ逃げたることができました。
 フォン・ヴァイツゼッカーが語ってくれた寓話です。悲観もせず楽観もせず、微力な自分にできることは何かを考えていきたいと思います。なお彼は西ドイツの元大統領で、「荒れ野の40年」という著名な演説をされた方です。その一部を引用します。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
 追記。結局は民主党も賛成にまわったようですね。新自由主義と国家主義を推し進めるのか食い止めるのか、企業・国家の側に立つのか一般市民の側に立つのか、今の民主党内では前者を支持する勢力の方が強いように見受けられます。同じような考えをもつ二つの政党による二大政党制はきわめて危険です。この際きちっと分裂してほしいと思います。
by sabasaba13 | 2006-12-16 09:27 | 鶏肋 | Comments(1)

北陸・山陰編(20):東舞鶴(06.9)

 JRに乗って東舞鶴に移動、レンタサイクルはなさそうなので徒歩で散策することにしましょう。なお今得た情報によるとJR東舞鶴駅北口から歩いて約3分のところにある「西村モータース」で自転車を借りられるそうです。東舞鶴は1901(明治34)年に海軍鎮守府が設置され、以後海軍機関学校、造兵廠、造船所などが置かれて軍港都市として急速に発展した町です。市街は北海道の旭川市をモデルとして碁盤の目のように整然と区画され計画され、東西の通りは、八島、敷島、大和などの軍艦名がつけられています。
 駅前から十分ほど歩くと、海軍がつくった、煉瓦造りの重厚な北吸トンネルがあります。(歩行者・自転車専用) ここをくぐりぬけ、しばらく歩くと海軍のかつての魚雷倉庫を転用した赤れんが博物館で、煉瓦についての詳細な展示があります。ここで知ったのが、煉瓦を焼くためのホフマン式輪窯は現在四ヶ所しか保存されていないとのこと。そのうちの一つが舞鶴近くの神崎にあるのですが、受付で訊ねたところ破損がひどく公開されていないようです。無念。なお他の三つは、埼玉県深谷市、栃木県下都賀郡野木町、滋賀県近江八幡市です。興味がある方は(いないだろうなあ)下記のサイトをご覧ください。
http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2000/kanzaki/kanzaki.htm
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 次は海軍の砲弾庫を利用した市政記念館を見学。舞鶴の歴史についての簡単な展示がありました。へえー、ベルリンオリンピック(1936)棒高跳びで西田修平と2・3位を分け合った大江季雄は舞鶴出身だったんだ。半分にしてつなぎ合わせた友情のメダル(複製)が展示されていました。なお実物は、東京代々木にある秩父宮記念スポーツ博物館にあるそうです。
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 さて外に出て港沿いの道路を歩くと煉瓦造りの倉庫があちらこちらに見えてきます。ただ道路の交通量が多いのと、多くの倉庫がフェンスの中にあるためロケーションはあまりよろしくありません。
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 しばらく行くと自衛隊桟橋、土・日・祝日は一般公開されているので、さっそく入ってみました。数隻の護衛艦が埠頭に接岸していますが、船の中には入れません。しかしその迫力は圧倒的。莫大なお金をかけて人を殺すという機能に徹した結果の迫力ですが。それにしても、これだけのお金を教育や福祉に使えば違う日本でありうると思います。シャッター商店街や荒廃する農地に象徴される地方の惨状も、かなり救えるのではないかな。「冗談じゃない!」という軍需産業関係者や彼らと癒着している自衛隊関係者の声が聞こえてきますね。
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 本日の二枚です。早く「ファイヤー!」と言いたくてウズウズしてるでしょ、安倍伍長。でも早まっちゃだめですよ、あなたにその権限はないのだから。ちゃんと上官であるGeorge Walker Bush大統領の命令に従うように。
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by sabasaba13 | 2006-12-15 06:12 | 中部 | Comments(0)

北陸・山陰編(19):西舞鶴(06.9)

 ホテルで地図をもらい、夕食をとる店を捜しながら西舞鶴の街をしばし散策しました。東舞鶴は軍港の町として明治期に整備されたのに対して、西舞鶴は田辺城の城下町として栄えた町です。高野川ぞいに数軒残る倉庫群にその面影が見られます。しかし商店街を歩くと、やはりここもシャッターを閉めた小売店が多いですね。今は午後5時なのに、2時25分、7時52分と好き勝手な時刻を示す時計、我が物顔にアーケード商店街を走り抜ける自転車や自動車など、もののあはれを感じてしまいます。
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 重厚な洋風建築を模した若の湯や、「こばた」屋など、目を引かれる物件もあるのですが。
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 駅前のべにや食堂のショーケースをのぞくと、「焼きそば定食(味じまん)」とありました。これも何かの縁、さっそく店に入って注文しました。これが予想をはるかに超える美味。味わい深いソースとコシのある麺の絶妙なマッチングです。ホテルでは福井で買った焼き鯖寿司をさかなに地酒を堪能。明日は東舞鶴の探訪です。数年前の京都旅行の際に天橋立と伊野を訪れたのですが、東舞鶴に立ち寄る時間がありませんでした。今回はじっくりと堪能したいと思います。
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 本日の一枚は高野川ぞいの倉庫群です。
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by sabasaba13 | 2006-12-14 06:12 | 中部 | Comments(0)

北陸・山陰編(18):小浜・日引の棚田(06.9)

 気を取り直して、彷徨を開始。古い家並みが残る三丁町を目で愛でながら走りぬけ、いづみ町へ。
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 ここは魚問屋が集まっており、鯖街道の起点だそうです。その中の一軒が鯖街道資料館。小さいながらも、なかなか充実した展示で、鯖好きならば必見です。「京は遠ても十八里」という言葉があるそうですが、小浜→熊川(往時の建物が今でも残る宿場町)→朽木→花折峠→大原→京という道のりで若狭の魚がたくさん運ばれたのですね。この間に、ちょうどよい塩加減になったそうです。
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 そしてしばらく街中と商店街を徘徊しましたが、シャッターを閉めた小売店が目立ち全体的に寂れた印象を受けました。駅前にある郵便ポストの上には人魚像が乗っていました。その地の名物像を駅前ポストに乗せるという動きがあるようですね。なお小浜は「海のある奈良」と呼ばれ、仏像など国宝級の文化財が集中しています。景勝地蘇洞門もあるので、またいつか来てみたいな。
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 自転車を返却して北陸本線に乗り込み、本日最後の訪問地日引の棚田へ向かいます。案内所で確認したところ、高浜で下りるとタクシーをつかまえられるとのことなので、若狭高浜駅で下車しましょう。駅前で客待ちをしているタクシーに乗り、一時間貸切りにしてもらいました。20分ほど山中の道を走ると、日引の棚田に到着です。見事な眺めですね、思わず息を呑んでしまいました。斜面を埋めつくす棚田が海沿いまで連なり、その前に養殖筏が点々と浮かぶ内浦湾、そして湾を包み込むような半島が海越しに見えます。右前方には棚田とは反対の価値観を象徴するような高浜原子力発電所の建物が佇んでいます。命をはぐくむのか、脅かすのか。今は後者が優勢ですが、必ず近い将来前者が勝利することを確信します。残念ながら刈り取りは終わってしまっていましたが、一幅の絵のような光景に我を忘れて写真を撮りまくりました。ここはまたいつか再訪したい棚田です。なおここはオーナー制をとらず、地元の農家中心で作付けをされているようです。運転手さんの話では、サルやイノシシによる農作物被害も甚大だそうです。再びタクシーに乗り高浜駅から東舞鶴駅へ、そして乗り換えて西舞鶴駅に到着。ここが本日の宿泊地です。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2006-12-13 06:19 | 中部 | Comments(0)

山陰・北陸編(17):小浜(06.9)

 敦賀で乗り換えて一時間半ほどで小浜に到着。さっそく駅前にある観光案内所で地図をもらい、自転車を借りました。めざすはガイドブックで当たりをつけた「雅」の焼き鯖定食です。まずは海に向かい、三方を陸地に囲まれた静かな小浜湾に出ました。なるほどこりゃ天然の良港じゃわいと納得して、さらに海沿いの道をしばらく走ると「雅」に到着です。嗚呼、やっと小浜の鯖にありつけると思うと自転車に鍵をかける手も震えます。
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 店に転がり込み、はやる心をおさえてさっそく注文、「焼きそば定食!」「えっ?」 …もといっ、「焼き鯖定食!」  北大路魯山人をして「さばを語らんとする者は、ともかくも若狭春秋のさばの味を知らねば、さばを論じるわけにはいかない」と言わしめた若狭の鯖といよいよご対面です。待つこと十数分、眼前に光り輝く焼き鯖がその雄姿をあらわしました。美味しいいいいいいい、たっぷりとのった脂、滋味あふれる身、香ばしい皮、完璧です。一食入魂、忘我の心持ちでたいらげてしまいました。満足満腹口福。会計をしようと財布をとりだした瞬間、ふと悪魔が囁きました。「ほんとに近海ものか?」 勇気をふりしぼって店の方に確認しなくては。「この鯖はこのあたりでとれたものですよね」 すると彼女はふと目をそらし何やら口籠ります。「……外国産です」 脂がきつく大味だなと思いましたがやはり外国産でしたか、小浜よお前もか。「サバがトロより高くなる日」(井田徹治 講談社現代新書1804)にも書いてありましたが、蓄養マグロの餌とするための乱獲がたたっているようです。なお混獲や乱獲に無縁な海の幸を独立の審査機関が認証し、ラベルを貼ろうという動きは始まっています。「海洋管理協議会(MSC)」と呼ばれる国際機関ですが、まだ頻繁には見かけませんね。ぜひ協力したいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2006-12-12 06:10 | 中部 | Comments(0)

「旅する巨人宮本常一」

 「旅する巨人宮本常一 にっぽんの記憶」(読売新聞西部本社編 みずのわ出版)読了。民俗学者の宮本常一氏については何回も言及していますので、割愛します。本書は、昭和二十年代から五十年代にかけて彼が西日本の旅先で撮影した写真を収録するとともに、それを写した場所や写っている人物を新聞記者が探し当てるという内容です。まず惹かれるのは、氏が撮影した写真の多彩さと暖かさと豊穣さです。遊ぶ子ども、昼寝をする子ども、蒲鉾をつくる職人、農協の告知板、工場の開業式、離島に赴任してくる先生を港で待ちわびる人々。いろいろな地域で生きる人々の息遣いが伝わってくる写真の数々です。そうした何気ないけれど大事な光景や人物に気づく彼の目には感嘆します。そして地方に暮らす人々が人間的な豊かさを手にするためには、何を変えるべきで何を変えてはいけないのか。住民とともに必死に考える彼の姿が目に浮かぶし、そのためにこそ学問は存在すべきであるという彼の主張も聞こえてくるようです。彼の言葉です。
 「橋でもかかるといいのですが…」と島の人がこぼすから、「その気になりなさい。わずか300メートルの海に橋のかからぬこともありますまい。ただその橋を観光目あてにかけたのでは意味がない。でき上がった橋がほんとに役にたつ産業をもつことでしょう。お互いに考えてみようではありませんか」とはなしたのであった。
 そして新聞記者が探し当てた場所の変貌ぶりにも驚きます。地方を植民地のような状況に落としいれ収奪し搾取したのが、高度経済成長のほんとうの姿なのだなと思いました。ま、これは近代を通して変わらぬこの国のあり方なのですが。救いは、撮影された方々の変わらぬ笑顔です。
 小泉軍曹・安倍伍長による構造改革路線(宮本氏でしたら“あくどい商業主義”と言うでしょう)によって地方が奈落の底に落ちつつある今でこそ、読む価値がある本です。
 なお氏の故郷、周防大島には文化交流センターには、氏が残した写真十万枚がデータベースとして整理されているそうです。彼の暖かさを育んだこの島を、いつか訪れてみたいと思います。
by sabasaba13 | 2006-12-11 07:36 | | Comments(2)

考えることの嫌いな国民

 一昨日紹介しました「近代日本の誕生」(イアン・ブルマ ランダムハウス講談社)に出てくる次のような一説が、ヒラメの小骨のように喉に突き刺さっていました。「兵舎だけでなく学校でも軍隊なみの教育を行うこと作り出そうとした日本人とは、権威を疑う個人主義者ではなく、権威への服従を徹底的に教え込まれ、自分の頭で考えることのできなくなった人間であった。」 貧困層の増大と切り捨て、それにともなう人間性への蹂躙、ありとあらゆるところにはびこる差別といじめと非公式の嫌がらせ… 今、私たちが直面している日本社会の状況ですが、その多くが意図的な政策として自民党・公明党・官僚・財界によって行われているのに、何故それについて考えようとしない人が多いのか。まるで地震や津波と同様の自然災害であるかのように、「しょうがない」と溜め息をついて思考停止をしてしまうのか。
 すると先日、知人から手紙をもらい、中江兆民が「考えることの嫌いな国民」と述べていたことを教えてもらいました。不覚、さっそく出典を調べてみました。私の貧弱な知識では「三酔人経綸問答」か「一年有半」しか思い当たらなかったので、後者を紐解いてみるとありましたありました。以下、引用します。
 我邦人は利害に明にして理義に暗し、事に従ふことを好みて考ふることを好まず、夫れ唯考ふることを好まず、故に天下の最明白なる道理にして、之を放過して會て怪まず、永年封建制度を甘受し士人の跋扈に任じて、所謂切棄御免の暴に遭ふも會て抗争することを為さざりし所以の者、正に其考ふること無きに坐するのみ、夫れ唯考ふることを好まず、故に凡そ其為す所浅薄にして、十二分の処所に透徹すること能はず、今後に要する所は、豪傑的偉人よりも哲学的偉人を得るに在り。
 今行われている「考へることを嫌いにさせる教育」はこうした伝統を助長しているわけだ。それでは何故、こうした伝統・習慣が生まれたのか。他人への同情ある情感のこもった理解と、複雑な理屈をこねなくとも善悪を直感的に見分ける能力こそが、日本人の中心的な価値観だと主張した本居宣長と国学の影響もありそうですね。ぜひ歴史学者諸氏の考究を期待します。
 同時に喫緊の課題として、私たち一人一人が半分滅亡しかかっている世界と日本の現状について考えに考え抜いて、何らかの方策を打ち出し、あるいはそれを支えなければならないでしょう。どうすれば考えることを好む国民になれるのでしょう? 金子光晴が「寂しさの歌」で搾り出している言葉が頭の中で木霊します。
 僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、この零落の方向とは反対に、ひとりふみとどまつて、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。

by sabasaba13 | 2006-12-10 14:09 | 鶏肋 | Comments(0)

「近代日本の誕生」

 「近代日本の誕生」(イアン・ブルマ ランダムハウス講談社)読了。素晴らしい本ですね、心の底、内臓の奥深くのランゲルハンス島から推薦します。日本の近現代史を客観的かつ適確かつコンパクトにまとめた「日本の200年 徳川時代から現代まで」(アンドルー・ゴードン みすず書房)にも感銘をうけましたが、本書は同等いやその上をいくかな。なんと、わずか214ページで日本の近現代を適確に鳥瞰する著者の力量と知性には頭が下がります。ペコッ アンドルー・ゴードン氏と同様、日本の歴史は他者には理解できないユニークで素晴らしいものだとして愛国心や自尊心を煽る保守派を真っ向から批判し、歴史記述に重要なのは事実をできるだけ正しくつかみ、それに論理的に妥当な分析を加えることだという立場をとっておられます。歴史の共通理解は可能だということですね、同感。それにとどまらず、氏はさらに高い志を掲げておられます。以下、長文ですが引用します。
 日本近代史は、ペリー提督の黒船来航で幕を開ける。私が日本近代史に興味を持ったのは、他の国とは違った特異性があるからではない。まったくの逆だ。日本近代史の面白さは、世界中の至る所で起きた出来事と共通点が多いことにある。19世紀半ばに日本がぶつかった問題は、ヨーロッパ以外の国ほとんどすべて(および一部のヨーロッパ諸国)が直面した問題だった。強力な外国文明が迫ってきて、自国の政治制度や宗教的習慣、文化的伝統が破壊されそうになったとき、人はどう行動するのだろうか? こうした実存的問題に、日本人は江戸末期から明治初期にかけて直面したわけだが、これはそんなに特殊な問題ではない。ほぼ同じ問題に、今日ではアラブ人やアフリカ人、イラン人、中国人、インド人など、多くの人々が頭を悩ませている。

 本書は日本の歴史について書いているが、同時に日本以外の国や地域について考える助けにもなれば幸いである。それも、単に過去の歴史を知るだけでなく、現代世界を考えるきっかけにもしてほしい。なぜならば現代は、近代化に伴う軋轢が再び混乱と暴力を招きかねない危険な状況になっているからだ。
 明治前期の日本を、進んだ経済改革と遅れた政治改革という点で1980~90年代の中国と比較し、近代化とナショナル・アイデンティティの軋轢という点で現在のイスラム国家と比較するなど、こうした視点は本文中でもしばしば言及されています。南京大虐殺は、インドにおけるヒンズー教徒とイスラム教徒の相互殺戮(1947)やセルビア人によるボスニア系ムスリムの虐殺(1990年代)さらにナチスによるホロコーストは、殺す前に相手に屈辱を与え人間としての尊厳を奪うことによって殺戮を容易にした点に共通性が見出せるという指摘も鋭い。日本文化のユニークさの一例として俗耳に入りやすい天皇崇拝も、ドイツ帝国が統一後に中世伝説をでっち上げたのと一緒で、明治政府がつくりあげたまったくのでたらめであったという指摘にも納得しました。近代日本がドイツを手本としたのは、その皇帝権力の強大さを真似ようとしただけではなく、近代化とナショナル・アイデンティティの軋轢を解決する策を学ぼうとしたためでしょう。この軋轢と、植民地獲得こそが偉大なる近代国家である究極の証であるという発想が結びついたことが、日本の近代史を理解する鍵ではないかと考えさせられました。
 そして斬新な視点も随所にみられます。常々疑問に思っていたのですが、なぜ近代日本には、反体制派を監禁する強制収容所がなかったのか、そして反体制派は亡命という選択肢をほとんど選ばなかったのか? 著者は反体制派の避難場所としての「満洲国」に着目していますが、これは卓見ですね。また信念に背き体制に順応しても精神的な負い目を感じないでいられるような方策にも簡単にふれていますが、これについてはもっと詳しい分析がほしいと思いました。

 というわけで、魔法の鏡に向かって「世界で一番きれいなのはだあれ」とうっとりと呟いている*の小さい論客諸氏にぜひ読んで欲しい一冊です。また日本近代史の教科書としても好個の一冊、もし多くの高校で本書を教科書として利用すれば確実に次世代の知性と批判精神は向上すると確信します。高校生が「自民党一党支配体制…の基盤となったのは資金力だ。建設会社、暴力団、製造業者、CIA機密費、総合商社などから資金を集め、それを各選挙区へ流す。」という一文を読んでどう考えるか、想像しただけでもわくわくしてきます。

 そして下記の二つの文を読み、日本の現状と将来についてあらためて考えさせられました。千鈞に値する言葉です。
 (天皇を御輿として)担いでいる…人々にとって政治は天気と同じである。…欧米との戦争を始めても、誰も自分に責任があるとは思いようがない。…政治的責任という発想がない以上、数億人の命に関わる問題も、何かのせいにするのは非常に容易だった。人力を超えた要素や、それが言い過ぎなら日本人の手に負えない要素のせいにできたし、「変えることのできない歴史の力」といった抽象的な概念のせいにしてもいい。

 兵舎だけでなく学校でも軍隊なみの教育を行うこと作り出そうとした日本人とは、権威を疑う個人主義者ではなく、権威への服従を徹底的に教え込まれ、自分の頭で考えることのできなくなった人間であった。
 政治的責任という発想のない為政者と自分の頭で考えることのできない国民。これに鬱積したナショナリズムと先の見えない経済情勢が結びつけば、再び日本は反自由主義的な方向へと進むのではないかと著者は危惧しています。ああMr.ブルマ、実はどんどんどんどんどんどんどんどん進んでいるんです。
by sabasaba13 | 2006-12-08 06:00 | | Comments(2)

美しき水車小屋の娘

 先日、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」を聴いてまいりました。場所は都営十二号線牛込柳町から徒歩五分ほどのところにあるトモノホール。このあたりはかつてのお屋敷町だったのでしょう、ところどころに古い洋館が点在するなかなか落ち着いた雰囲気です。またこのホールははじめて来たのですが、大きな邸宅の三階に小さなホールがしつらえてあります。個人で運営されているのでしょうか、内装や調度品にはこれといって目を見張るものはありませんが、座席数60ほどの小振りなホールです。歌曲を聴くにはちょうどよい大きさですね。テノールは大島博、珍しいことに、ギター(中根康美)による伴奏です。
 実は、歌詞を見ながらこの曲をきちんと聴き通したことがないので、演奏前の氏による解説は大変参考になりました。(対訳歌詞付プログラムあり) 要するに、修業のために遍歴する粉挽き職人が水車小屋の娘に惚れますが、彼女は狩人との恋に落ち、失意のすえ自殺するというお話です。まあしょうもないといえばしょうもないストーリーなのですが(山ノ神は「臓器提供ぐらいしなさいよ」と憤慨)、若者の憧れ、喜び、憎悪、絶望といった揺れ動く気持ちを、魅力的で親しみやすい民謡風メロディで綴っていくのがシューベルトの腕の冴え。大島氏は艶のある声とそつのない歌唱で、若者の心の揺らぎをよく表現されていました。特に自殺を決意する第18曲「しおれた花」の最後、「冬は去り、五月が訪れるのだ(Der Mai ist kommen, der Winter ist aus.)」のところでのデモーニッシュな歌唱と表情には一瞬息が止まりました。人間的なスケールのホールでしかも最前列に座ることができたためかもしれませんが、歌い手とシューベルトの気持ちがびしびしと伝わってきました。シューベルトの作品に魅せられた友人たが集まり彼の音楽に親しんだ集い(シューベルティアーデ)の雰囲気を少し味わえたような、贅沢なひと時でした。
 なおこの曲が書かれたのが1823年、ナポレオン戦争の余燼さめやらぬ中、ウィーン会議が開かれ(1814-15)、メッテルニヒによる反動政治が行われていた時代です。(シューベルトは1828年に死去) ナポレオンに対する敗北という屈辱の中から、国民国家を立ち上げようという動きが中欧ではじまり、ナショナル・アイデンティティを確立すべく様々な試行錯誤が繰り広げられていた時でもあります。「国民」をつくりだすための文化・伝統的基盤を見出そうという試みの中から生まれたのがドイツ・ロマン派であると考えますが、そうした動きとこの曲にどのような関係があるのか、あるいはないのか、興味があります。
 また主人公が粉挽き職人というのも興味深い。故阿部謹也氏によると、マクロコスモスに属する水をコントロールできる水車小屋の番人や粉挽き職人はかつては畏怖の、やがて賎視の対象となったそうです。いよいよ産業革命が地響きをたててヨーロッパ各国にひろまりはじめた19世紀前半という時期にこの曲が書かれたことと、何か関係があるのでしょうか。人々の意識から消滅しつつあるマクロコスモスへの鎮魂歌?
by sabasaba13 | 2006-12-07 06:07 | 音楽 | Comments(2)