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ヴェネツィア編(6):(07.3)

 本日は曇り。窓から見下ろせる路は、サンタ・ルチア駅に続くようで、朝早くから通勤客や観光客がひっきりなしに往来しています。歌のようなイタリア語の会話を聞きながらそれをボーっと眺めているだけでも楽しくなります。天気予報を見ようとTVのリモコンをまさぐると、コードがつながっています。このゆるゆるとした感じで、ああイタリアに来たのだなあと実感。
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 朝食は一階の、カナル・グランデに面したレストラン。「今日はゴンドラに乗らんかいな」「それもええな」という日本人ツーリストの会話が飛びかっていると思いきや、ほとんどがアメリカ人団体ツァーでした。これは予想外。運河を行き交うヴァポレット(水上バス)や船を眺めながら、優雅に朝食をいただきました。TVの天気予報によると、一日曇りのようなので、今日は近場のカンナレージョ地区を彷徨することにしましょう。ここはイタリア本土に一番近い場所で最も早く定住が始まった場所のひとつ、現在でも人口が集中しているところです。また名所がないので観光客も少なく、ヴェネツィア市民の日常の暮らしが見られるところでもあります。
 さて一番心配していたのは喫煙です。どこかの国みたいに「路上喫煙は罰金」などという恐ろしい決まりがあるのではないか… 戦々恐々としていたのですが、一歩外に出るとまったくの杞憂であることが判明。道を行き交う人々は平気の平左で気持ち良さそうに歩き煙草をしておられます。嗚呼よかったあ。私もさっそく一筋の紫煙を曇天に向かって吐き出しました。Ciao Venezia ! 路上に落ちている吸殻(これがまた多い)を観察すると、フィルターぎりぎりまで吸い尽くした煙草がほとんどで、イタリアの経済状態を反映しているのかな、などと考えてしまいました。携帯電話もかなり普及しています、あちらこちらで「プロント(もしもし)」という声が聞かれました。しかしどこぞの国のように、画面を食い入るように見つめ口を開け指をせわしなく動かしながらメールをうつ姿はあまり見かけませんでした。イタリアの人は話をすることが大好きなのかな、という印象を受けます。カーニバルで使う仮面を売る土産屋をひやかしていると、陣内氏の著書で紹介されていたマリアの小祠をさっそく発見しました。イタリアにおけるマリア信仰の根強さを実感。昔はここに灯が点され街灯がわりにもなっていたそうです。
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 本編の足跡、そして本日の一枚はヴェネツィアン・マスクです。
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by sabasaba13 | 2007-06-20 06:05 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(5):(07.3)

 荷物を受け取るターン・テーブルがルーレットのデザインになっています。このあたりの洒落っ気・遊び心はさすがですね。さてどうやってホテルに行きましょう。バスかタクシーでローマ広場まで行き、十数分歩けば着けるのは確認済みです。治安は良いらしいのですが、はじめての街で深夜スーツ・ケースをもって移動するのは避けたいもの。高額にはなりますが、水上タクシーを利用することにしました。空港から十数分歩くと、もうそこは船着場です。宿泊するホテルの名を告げて、乗り込みました。夜、船でヴェネツィアに向かうなんて夢のようです。しかしサン・マルコ広場やカナル・グランデ(大運河)は通らずに、直接カンナレージョ地区に向かったので夜景は思ったほどのものではなし。水上タクシーはカナル・グランデに面したホテル脇の船着場に到着、目の前がわれわれの塒ホテル・コンチネンタルです。これは楽ちん楽ちん。さっそくチェック・インをして二階にある部屋にたどりつきました。天井は高いのですが、調度品は安っぽく、おまけに大運河に面しておりません。とどめをさされたのは、室内禁煙。マンマ・ミーア! 幸いなことに浴室に窓があったため、ここを臨時の喫煙室として利用させていただくことにしました。ナイト・キャップをあおって就寝。
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by sabasaba13 | 2007-06-19 06:05 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(4):(07.3)

 三月吉日、まずは昼ごろ出発のアリタリア航空でミラノへと向かいます。いつものように免税店で煙草を購入したのですが、ヨーロッパ内で乗り継ぐ場合はウィスキーなどの液体は持ち込めないとのことです。テロに対する警戒がかなり厳しいのを実感。約14時間のフライト、経験則でいうと、飛行機の中ではできるだけ熟睡しないで到着したホテルで爆睡するのが時差ぼけ解消によいようです。幸い、面白そうな映画を好きなときに小さなモニターで見られます。私は「UDON」「007カジノ・ロワイヤル」「主人公は僕だった」の三本を選択。さてイヤフォンのプラグを…入らない。穴が小さすぎる。悪戦苦闘しているうちに、一本のピンが折れ曲がることに気付きました。これで解決、後の一本を差し込んでたてつづけ三本の映画を鑑賞。
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 「UDON」は面白かったですね、少しくどくて油っこい描写もありますが、素直に饂飩の素晴らしさを味わうことができました。さっそく饂飩を食べたくなってしまったのには閉口しましたが。後の二本も暇潰しには適当な内容。あっという間に時間は過ぎ、まもなくミラノ・マルペンサ空港に到着です。雪をかぶったヨーロッパ・アルプスを眼下に見ると、心が高鳴ってきます。ここからヴェネツィア・マルコ・ポーロ空港に乗り継ぎますが、時間があったので空港内の免税店でスコッチ・ウィスキーを購入。なお空港内で見かけた消費税還付についての掲示に、日本語と共にロシア語があったのには眼を引かれました。そうとう景気が良いのでしょうね、おそらく日本のように格差も広がっているとは思いますが。
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 飛行機の出発は一時間ほど遅れるとのことです。「英国人にとっての地獄は、ドイツ人が警官をし、スェーデン人が喜劇役者で、フランス人が道路工事をして、イタリア人が列車を走らせる」というジョークを思い出しましたが、イタリアの交通機関については遅れるのが当然だと思わなければいけないなと銘肝。いやほんと、この時はたしかに肝に銘じたのです(伏線)。まあ今日中には宿につけるだろうと、余裕のよっちゃんで空港内を徘徊。当然、一服したくて喫煙所を捜したのですが、見つかりません。どうやら空港内完全禁煙のようです。マンマ・ミーア! イタリアよ、お前もか。しかしカルボナーラの道はカルボナーラ、良い加減なイタリア人のことですから、必ず抜け道があるはずです。遺失物案内所の下に小さく煙草マークがあって、ここでならこっそり吸っていいとかね。しかしそれらしい気配もありませぬ。どうやら本当に煙草は吸えないようです。やれやれ先が思いやられる。そして飛行機は予定通り(?)遅れて出発し、午後十時ごろにベネツィア・マルコ・ポーロ空港に到着しました。

 本日の一枚は、飛行機から眺めたヨーロッパ・アルプスです。
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by sabasaba13 | 2007-06-18 06:05 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(3):(07.3)

 ついでにヴェネツィアの歴史についてもふれておきましょう。Wikiprdiaからの引用です。
 ヴェネツィアは元々ただの湿地帯でしたが、6世紀頃に東方からゲルマン系諸族やフン族がイタリア本土のヴェネト地方に侵入してきたため、そこに住民がこの湿地帯へと避難してくることから歴史が始まります。この時避難してきた先が現在の「トルッチェロ島」です。アドリア海沿岸地域は元々ビザンティン帝国の支配下にあるため、ヴェネツィアも同じように支配されていましたが、697年、初代総督を選出して独自の共和制統治が始まります。9世紀はじめ、フランク王国がヴェネツィアを支配下に置こうとして軍を派遣、そのため、トルッチェロにいた人々は更なる避難を余儀なくされ、現在のヴェネツィア本島へと移り住むことになったようです。この時にたどり着いたのが今の「リアルト地区」です。810年にビザンティン帝国とフランク王国との間で結ばれた条約で、ヴェネツィアはビザンティン帝国に属するが、フランク王国との交易権ももつこととなり貿易都市への布石が置かれました。10世紀後半からはイスラム諸国とも商業条約を結び交易を拡大し、さらにアドリア海沿岸への支配地域の拡大に努めていきました。ジェノヴァなどの同じイタリアの貿易都市とは違い、都市の周辺海域が大国・ビザンティン帝国の制海権内にあったために、イスラム勢力による海上からの直接的脅威を感じることが少なかったことも、イスラム諸国との関係を積極的に進める要因となったようです。11世紀に、弱体化したビザンティン帝国の要請でアドリア海沿岸の海上防衛を担うことになり、その代償としてビザンティン内での貿易特権を得ました。その後の十字軍遠征と、それに伴うアジアとの貿易との拡大によって、ヴェネツィアは勢力を拡大しました。1204年、第4回十字軍とともにヴェネツィア艦隊はビザンティン帝国首都のコンスタンティノープルを攻略、援助への代償としてクレタ島などの海外領土を得て東地中海最強の海軍国家となり、アドリア海沿岸の港市の多くがヴェネツィアの影響下におかれました。15世紀になるとオスマン帝国の進出により、ヴェネツィアの海外領土が少しずつ奪われていき、勢力にもかげりが見えてきます。1538年におけるプレヴェザの海戦で、ほぼオスマン帝国は地中海の制海権をおさえ、さらにヴェネツィアにとっての圧力となりました。さらにバスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見が、地中海交易の重要性を低下させたことも見逃せません。世界貿易の大動脈から外れて後進地域となってしまったわけですね。そして自由かつ洗練された歓楽的な雰囲気で名高い小国として18世紀を迎えることになります。
 1797年、ヴェネツィアはナポレオン・ボナパルトに侵略され、1805年にナポレオン支配下のイタリア王国に帰属、1815年にはオーストリアの支配下(ロンバルド・ヴェネト王国)に置かれるようになりました。オーストリアは、港湾都市としてヴェネツィアよりトリエステを重視したため、ヴェネツィア経済は衰退。1848年に共和国は一時復活したが1849年にオーストリアの攻撃により降伏しました。1866年に普墺戦争がはじまると、イタリア王国はこれを第3次イタリア統一戦争としてオーストリアに宣戦布告し、この結果ヴェネツィアとヴェネト地方はイタリア王国に編入されました。なお1987年、世界遺産(文化遺産)に『ヴェネツィアとその潟』として登録されています。

 今回は(も)がっしゅがっしゅと歩き回るつもりなので、ホテルでのんびりする時間はそうないでしょう。でも念のために読書用として「異国を楽しむ」(池内紀 中公新書)、「何も起こりはしなかった ―劇の言葉、政治の言葉」(ハロルド・ピンター 集英社新書)、「民衆の芸術」(ウィリアム・モリス 岩波文庫)を持参。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2007-06-17 08:12 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(2):(07.3)

 そしてもう一冊が「迷宮都市ヴェネツィアを歩く」(陣内秀信 角川書店)。これはお薦め! 「これとこれとこれを見てきんしゃい」という凡百のガイドブックとは志が違います。当地に長期住んだ経験のある建築史家の著者が、人間にとって暮らしやすく魅惑的な都市とはどういうものか、という現在の観点からヴェネツィアを分析した本です。その手法は、とにかく徹底的に歩き回ること。複雑に曲がりくねり行き止まり入り組んだ迷路のような小路が、人間の感性を刺激するというのが彼の主張です。それに加えて光も差さぬ狭い小路(カッレ calle)、住居の一階を公道として利用するトンネルのようなソットポルテゴ(sottoportego)、ここは闇の世界ですね。なお完全なトンネル状のもの(1)と、片側が柱廊になっているもの(2)があります。そしてふいにでくわすのが光に溢れた小さな中庭(コルテ corte)、大きな広場(カンポ campo)、羊腸の如き運河、運河に沿ってつくられた道(フォンダメンタ fondamenta)といった光の世界です。こうした光と闇の饗宴、方向感覚の喪失、そして曲がりくねった小路の先に何があるのかわからない期待と不安、突然眼前にあらわれる鐘楼や教会や邸宅… またヴェネツィア市民の暮らしぶりも詳述されていて、たいへん参考になりました。先達として導いてもらうために持参しましょう。
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 迷宮・魔宮・迷路を彷徨うとなると、やはり正確にして携帯しやすい地図がほしくなります。これも書店で物色したところ、「ヴェニスのガイド・マップナビ」(マガジンハウス)を発見。地区ごとに四つ折・厚紙の地図を広げて見ることができ、小さな路まで克明に記載されており、簡単なガイドも載っています。しかもズボンの後ろポケットに収まるのも便利。さっそく購入して持参することにしました。いつもですと、彷徨い歩きながらその都市の結構をつかむのですが、今回の相手はただものではありません。「石橋を叩いたら手を怪我した」の俚諺どおり、あらかじめヴェネツィアの構造を把握しておきましょう。楕円形の島のほぼ中央を逆S字型に流れるのが大運河(カナル・グランデ canal grande)、間違いなく最も重要な目印です。そして南部にサン・マルコ広場、中央部にリアルト橋、北部にサンタ・ルチア駅という三つの目印が点在しています。この基本的な構造さえおさえておけば、何とかなりそうです。(今にして思えばかなり甘い見通しでした) そして本土とは線路と道路に併用する橋でつながっています。ただし自動車は橋の到着地点にあるローマ広場までしか行けません。ほぼ全島が自動車の乗り入れ禁止です。そして大きく分けて、サン・マルコ、カステッロ、カンナレージョ、ドルソドゥーロ、サン・ポーロ、サンタ・クローチェの六つの地区に分かれています。

 本日の一枚は、サン・ポーロ、サンタ・クローチェ付近の様子です。実際に歩き回って思い知らされたのですが、決して比喩ではなく、この街は迷路・迷宮です。
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by sabasaba13 | 2007-06-16 07:52 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィアの地図

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by sabasaba13 | 2007-06-16 07:49 | 海外 | Comments(0)

ヴェネツィア編(1):(07.3)

 三月末に夢にまで見たヴェネツィアへ行ってまいりました。ちなみにエッセイスト森まゆみ氏の夢は、すし職人と結婚してとなりに本屋をひらくことだったそうです。それもええなあ… 閑話休題、以前から行きたい行きたいと思っていたのですが、なかなか機会をつくれず、やっと念願をかなえることができました。同時に、タヒチで知り合ったイタリアの友人Aさん(クーネオに在住の女性医師)と会えるということで山ノ神もご満悦。彼女は最近ずっとイタリア語も習っているので、準備も万端です。というわけでいつものように、通訳・渉外・最終的意思決定(筆者注:この権能が大波乱を招きました)は山ノ神、計画・添乗・引率・記録・荷物運び・末端的意思決定・雑務は小生という、泥舟の如く堅固でブッシュ政権の如く磐石なコンビネーションで乗り切ることにしましょう。
 さて旅程はどないしまひょ。南イタリアにも立ち寄るという色気もあるのですが、この際、徹底的にヴェネツィアをしゃぶりつくしたいので、同地で全泊することに決定。六日間を自由に使える格安ツァーをさがしだしました。近郊には、パドヴァ(ジオットのフレスコ画)、ヴェローナ(「ロミオとジュリエット」の舞台)、トリエステ(ユダヤ人強制収容所)、ヴィチェンツァ(世界遺産+米軍基地への大規模な抗議デモ)など行ってみたい街がたくさんあるので、ヴェネツィアに飽きたら日帰り小旅行をするのもわるくありません。ホテルに関して旅行業者と折衝したところ、なにせ世界的観光地、お目当てのサン・マルコ広場近辺の宿をおさえることはできないとのこと。次善の選択肢としてサンタ・ルチア駅近くのホテルに決めました。なお、穴があったら●入りたいのですが、実はヴェネツィアが島であることをこの時はじめて知った次第です。ああ恥ずかしい…
 せっかく六日間も滞在するのですから、この街について知るべきところは知っておこうと一念発起、関連書籍やガイドブックを数冊読みました。「地球の歩き方 ミラノ ヴェネツィアと湖水地方」(ダイヤモンド社)は定番ですが、よく言えば中庸、悪く言えば平板・軽薄、あまり参考にはなりません。良い本はないだろうかと書店で物色していたところ出会ったのが「ナショナルジオグラフィック海外旅行ガイドブック ヴェネツィア」(日経ナショナルジオグラフィック社)。機知に富んだ解説と知的好奇心をくすぐられる物件の紹介には目を見張りました。例えば、「ゲットー」という言葉が生れたのがここヴェネツィアで、今も地名として残っているそうです。地図も十二分に見やすいのですが、重要物件を三次元的に大きく描いてあるためその周辺の小路がわからないという欠点があります。後に述べますが、ヴェネツィアを徘徊する際にはこれは致命的な欠陥です。なお本シリーズは広く読まれているようですね、Aさんもイタリア語版の本書を持参されていました。
by sabasaba13 | 2007-06-15 06:09 | 海外 | Comments(0)

「迷宮都市ヴェネツィアを歩く」

 「迷宮都市ヴェネツィアを歩く」(陣内秀信 角川ONEテーマ21)読了。念願のヴェネツィア旅行に行く前に、すこし勉強しておこうと何冊かの本を手にしました。偏見・食わず嫌いと言われても返す言葉はないのですが、塩野七生氏の著書には触手が伸びません。何故なのでしょうね。そうした中で、もっとも参考になったのが本書です。著者は建築史を専攻している研究者で、特に地中海の都市が専門です。そうした知識を駆使しながら、長期間ヴェネツィアに居住していた経験をもとに、今そこにあるヴェネツィアの魅力を生き生きと教えてくれる好著です。氏の言です。
 …生活の舞台としての変化に富んだ都市空間の中を、より多彩で、意味のありそうなルートを選びながら、なめるようにウォッチングしてめぐる。都市を読むコツをも、そのつど説明しながら。
 「これを写真に撮ればヴェネツィアに来たことを証明できる」という凡百のガイド・ブックとは志が違います。名所・旧跡も手際よくおさえながら、ヴェネツィアの歴史や市民の息遣いを伝える物件・逸品・光景を多々紹介してくれています。聖母マリアの小祠、住居の一階を公道として利用するトンネルのようなソットポルテゴ、素敵な中庭、ビザンティン皇帝のレリーフ、古いけれど今も機能している商店街、そして絵になる(ピクチャレスク)たたずまい。実際に行ってみて本当に参考になりました。中でも、歩くことによってはじめてわかる光/影、開かれた空間/閉じた空間が織りなす心地よい刺激という視点は、新鮮でした。機能と合理性と経済性のみを追求する現代の都市を再生し、人間らしく変えていくための手がかりがここにあるような気がします。美味しいジェラートの店をいくつか紹介してくれるのも嬉しいかぎりです。
 難点を一つだけあげれば、地図がみづらいこと。でもこれは仕方ないでしょう。文字通り迷路・迷宮のようなヴェネツィアの散策ルートを新書サイズでわかりやすく表現することは不可能に近いと思います。地図を手書きにし人間味を加えることによって、その欠点をカバーしようとしているのかな。
 なめるようにして見て歩く、これはヴェネツィアに限らず、どこの街を訪問する時でも肝に銘じたいことです。神は細部に宿り給う… 今度の休みには、わが住む街をなめるようにウォッチングしてめぐってみようかな。
by sabasaba13 | 2007-06-14 18:52 | | Comments(0)

「夢と魅惑の全体主義」

 「夢と魅惑の全体主義」(井上章一 文春新書526)読了。なんともはや挑発的なタイトルです。著者は風俗史をはじめ様々な分野で健筆をふるう研究者、ナイトクラブに入り浸ってジャズピアノを弾きながら女性を口説くのに多忙なのかなと思いきや、本業もきちんとされていたのですね。(余計なお世話ですが)安心しました。本書は、ファシズム体制がいだいていた意欲は建築や都市計画に投影されるという観点から、ドイツ・イタリア・ソ連・日本のファシズム期建築を比較・考察したものです。なるほど、政治権力が民衆に対して何かをアピールする時に、古墳や天守閣の例をあげるまでもなく最も多用されるものは建造物です。それはそうですよね、否が応でも人々の眼に入るわけですから。
 前半はドイツ・イタリア・ソ連のファシズム期建築や都市計画の紹介です。著者は、権力の簒奪者が支配の正統性を補うために、明るく素晴らしい未来像を建築や都市計画という可視的な形で民衆に提示し大衆動員を行ったとまとめられています。今も残るそうした建築も詳しく紹介されているので、現地に行った時のガイドブックとして利用できます。ま、これについては漠然とした知識ではありますが、ある程度は知っておりました。ぐいぐいとひきつけられたのは後半の日本に関する記述です。日中戦争開始直後の1937年10月に政府は「鉄鋼工作物築造許可規則」を公布し、鉄材を50トン以上使う建築(※軍関係は例外)を禁止したそうです。これは知りませんでした。その結果、建設中の鉄筋コンクリート建築は未完成のままほうりだされ、官庁を含めて首都中枢に木造のバラック群があらわれたそうです。未来への幻想を提供するのではなく辛くて厳しい生活への覚悟を国民に求めた、あるいは独裁者の夢想ではなく官僚の現実主義が支えたのが、日本のファシズムであったと述べられています。こうした徹底的な禁欲精神の貫徹する社会も十分ユートピア的だというのが著者の意見です。
 日本の場合は支配の正統性を、言い換えると明るく素晴らしい未来を可視的な形で提示する必要がなかったのですね。もちろんそれを担保していたのは万世一系を誇る天皇制です。天皇制に暖かく包まれながら“堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍”べばそのうち明るい未来がやってくると信じる心性。何故こうしたメンタリティがねづいたのか、そして何故今もそこから脱却できないのか。いろいろと考えさせてくれる斬新な切り口の刺激的な本でした。

 追記。紀元2600年を祝う祭典(1940.11)の際に、皇居前につくられた仮設の祭殿が、小金井公園江戸東京たてもの園のビジターセンターとして残されているそうです。ニュルンベルクの党大会会場を永久建造物としていとなもうとしたヒトラーとの違い! 日本ファシズムの特質を雄弁に物語る証人ですね、今度見にいきましょう。
by sabasaba13 | 2007-06-13 06:08 | | Comments(0)

「反米大統領チャベス 評伝と政治思想」

 「反米大統領チャベス 評伝と政治思想」(本間圭一 高文研)読了。ベネズエラのチャベス大統領の名を時々耳にします。最近、あいついで中南米に左派政権が誕生していますが(ブラジルのルラ・ダシルバ大統領、アルゼンチンのキルチネル大統領、ウルグアイのバスケス大統領、ボリビアのモラレス大統領)、その先鞭をつけたのが彼です。今、最も注目すべき政治家の一人だと思いますが、そのチャベスの実像に迫ろうとしたのが本書です。
 まずはその経歴に驚かされます。もともとは軍人なのですが、貧困層・先住民を救済するための政治改革を志しクーデターを決行するが失敗。しかしその責任を自らきちんと負う潔い姿勢が民衆の支持を集め、彼は政治家として合法的に政権をとる道を選びます。そして大統領に当選し、憲法を改正し、つぎつぎと貧困層のための改革を行いますが、上層階級や既得権をもつ者がそれに反発し、クーデターを行います。一時は監禁されるのですがこの逆境をはねかえし、ふたたび大統領に就任。アメリカ政府が中心となって進める新自由主義に反対しながら、格差の解消につとめ、そして途上国どうしの連帯を強化しつづけています。
 過激な言動や判断ミスなども見受けられますが、格差をなくして平等な社会と世界とつくろうとする軸足はまったくぶれない政治家だなと感じ入りました。石油収入を、貧困層や先住民のための医療・教育のために積極的に投入するという政策も大きな成果をあげているようです。世界中の富をまきあげ、世界規模での格差を生み出している新自由主義の暴走をどうやって食い止めればいいのか。いろいろと思い悩んでいるのですが、それに真っ向から反対する動きが中南米からはじまっているのは確実です。その中心となるウゴ・チャベス、これからも注目していきましょう。そしてこの動きに日本政府が連帯…するわけはないよなあ。だったら世界における不公正をなくしていこうという高い志をもつ政権をわれわれは選ぶべきです。そういう政治家は、日本にどれくらいいるのでしょうか?
 追記。当然、アメリカ政府にとって彼は不倶戴天の敵。予想されるのは暗殺か、米国政府支援によるクーデターです。チャベス大統領、くれぐれも気をつけてください。
by sabasaba13 | 2007-06-12 06:07 | | Comments(0)