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別所温泉・稲荷山・姨捨編(17):姨捨の棚田(07.7)

 さて観光会館から数分で左手に四十八枚田という小さな棚田がありました。「田毎の月」はここで見るのかもしれません。そして少し道を下り、右手の橋を渡ると小さな駐車場があります。ここに車を止め、少し歩くと、壮大な規模の棚田が斜面一面に広がっています。
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 千曲川と善光寺平を一望できる眺望も素晴らしい。これまでもいくつか棚田を見てきましたが、トップ・クラスの景観です。
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 こうした景観が数多くあること、そしてそれを守るための努力や援助を惜しまないことが「美しい国」だと思います。もっといたかったのですが、残念ながら上田発新幹線の発車時刻が近づいてきました。後ろ髪を引かれるように立ち去り、車は北国街道(国道18号線)を疾走。営業所に車を返却して、発車十分前に駅に到着。しかし中越沖地震のため、新幹線は大幅に遅れる様子です。グラッ 揺り返しに肝を冷やしながら待っていると、一時間弱送れて新幹線は到着しました。やれやれ。

 地方の衰微とそこにつけこんでの核(原子力)発電所建設、災害への対策、コミュニティと批判精神を破壊する「教育再生」、地に足をつけて仲間と手を取り合いながら働いている人たち… 考えなければいけない様々な課題を抱えての帰郷です。でもあきらめてはいけないな、それを心から望んでいる連中をそう簡単に喜ばせるわけにはいきません。田中正造の言葉です。
 ひとり谷中の問題じゃありません。国家の横暴を認めるかどうかという大問題です。国民の生活を保護すべき国家が、破壊と略奪をこととしている。これは日本の憲法の問題、憲法ブチ壊しの問題でがす。このまま放っておけば、日本が五つ六つあっても足らんことになる。
 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-10 06:07 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(16):姨捨伝説(07.7)

 さて、ここで姨捨伝説を紹介しましょう。長野県公式ホームページ・キッズちゃんねるから転載します。
 ●http://www.pref.nagano.jp/kids/menu3/minwah01.htm
 昔、年よりの大きらいなとの様がいて、「60さいになった年よりは山にすてること」というおふれを出しました。との様のめいれいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

 ある日のこと、一人の若い男が60歳になった母親をせおって山道をのぼっていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道にすてています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。

 年よりをすてるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。

 むすこのすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目印にお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命令にそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。

 しばらくして、となりの国から「灰でなわをないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様は困りはて、だれかちえのある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩水にひたしたわらでなわをなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰のなわを作り、との様にさし出しました。

 しかし、となりの国ではまたなんだいを言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸をとおせというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸を付けたアリを入れなさい」と教えられ、との様に伝えました。 すると、となりの国では「こんなちえ者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。

 との様はたいそう喜び、男を城によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は…」男は決心して母親のことを申し上げました。

 「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、との様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりをすてることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。
 なるほどねえ、共同体存続のために老人を排除しようとする心性と、肉親を思う情+老人の智慧を生かそうとする心性が鬩ぎあっていたのですね。しかしコンピュータの普及によって老人の智慧は必要なくなったという錯覚に陥った現代人は、福祉予算の切り捨てによって新たな姨捨伝説を再創造しようとしているわけだ。ねっ、福田憲兵曹長、そして石原強制収容所所長。
by sabasaba13 | 2007-11-09 06:10 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(15):稲荷山~姨捨(07.7)

 そして地図を片手に、土蔵が点在する街並みを散策。不思議なもので、これまで落魄したように見えていた土蔵が、「へこたれないぞ」と呟くような力強い相貌に見えてきました。風景の見え方は、心の持ちようによって変わるのですね。この街のことは、決して忘れません。
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 さて車に戻り、篠ノ井線を越えて、店主が薦めてくれた千曲川展望公園に行ってみました。十数分ほどで着きましたが、ここからの眺望もいいですね。ちょうど千曲川が大きく北へと彎曲するところで、戸倉上山田温泉から善光寺平まで一望することができます。
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 険しい山なみを縫うように流れる千曲川と、その流れによってつくられた狭い盆地、悠久の時をここで過ごしてきた信州人の歴史を眼前にした想いです。ここから坂道を下り、ふたたび篠ノ井線を越えると姨捨の棚田はすぐ近くです。まずは姨捨観光会館で腹ごしらえ。名物のおしぼりそばに挑戦してみました。辛味大根の汁に味噌を混ぜたたれで蕎麦をいただくのですが、まずいわけではないのですが格別おいしくもなし。頑迷と言われようと、普通のそばつゆ+薬味の辛味大根で食したいな。すぐ目の前が長楽寺、宗祇や芭蕉など文人墨客に愛された古刹で、境内にはたくさんの句碑があります。姨石にのぼって、千曲川と善光寺平を眺めるのも一興ですね。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-08 06:09 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(14):稲荷山(07.7)

 それではもらった地図を頼りに、街の散策をはじめましょう。ほとんどない人通り、シャッターの閉まった商店、手入れがされていない土蔵、痛烈な寂寥感を感じます。沈痛な面持ちで目抜き通りを歩いていると、山ノ神の姿がありません。
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 近くの洋菓子屋の中から彼女の笑い声が聞こえてきました、どうやら道草をくっている模様。私も中に入って、佐藤B作似の店主さんからいろいろとお話をうかがいました。そして午前10時ごろに新潟県柏崎を中心に大地震が起こったことをはじめて知りました。一瞬(ほんとに)息が止まりました。     柏崎…      核(原子力)発電所はどうなった…       彼の話によると、火災が起きているとのです。        とうとう大事故が起きてしまったか…        幸い、炉心溶解や大規模な放射能漏れにはいたっていないと知り安心しました。しかし、われわれはこうして永劫に怯え続けなければいけないのか、それとも怯えることさえせずに無関心であり続けるのか。やるせない気持ちになってしまいます。胡桃入りクッキーを購入して店を出ようとすると、店主が特製あんずジャムの試食を薦めます。荷物が重くなりそうだなあと逡巡していると、これがとてつもなく美味! あんずの濃密な味がぎっしりと濃縮された見事な味です。これまで一番おいしいとおもったのは軽井沢・沢屋のものですが、それをはるかに凌駕する未知の領域を体験しました。店主によると、小学校の時の友人が経営している農園から、熟れすぎて売り物にならないあんずをわけてもらい、精魂こめてつくっているそうです。「おいしいでしょ」と言った時の、彼の誇らしげに輝く表情が忘れられません。こうして仲間と手を取り合いながら頑張っている人を見ると、地方再生の鍵を教えてもらったような気がします。地域の仲間と協力して、真っ当なものをつくる。当たり前と言えば当たり前ですが、基本中の基本ですね。逆に言えば、こうした仲間との協力関係(コミュニティ)を破壊すれば、地方も崩壊し、中央政府や大企業・グローバル企業に従順な奴婢にすることができるわけだ。そうか、好みの小学校に行けるよう学区をとっぱらい自由化し、公教育へのバックアップを放棄して裕福な家庭の児童が私学に行くように誘導する自民党の政策には、そういう深謀遠慮があったのか。こどもたちが違う小中学校に通学してしまえば、地域を支える仲間意識はできづらくなりますから。見事に下劣な政策をひねりだす自民党と、それを無邪気に支持する有権者のみなさんに、心から感服つかまつります。
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 街の見所と姨捨の棚田に行く道を教えてもらい、あんずジャムを抱えて、店主に丁重にお礼を言って別れました。旅の魅力は、やはり人との出会いですね。ようがす、宣伝しましょう。
栄泉堂 長野県千曲市稲荷山856 Tel 026-272-2044
 こちらのあんずジャムはおいしいぞおおおおおおおおおおおお! 後日談、プレーン・ヨーグルトにこのあんずジャムをかけて食べると、もうこの世は極楽。あらためてこの店を嗅ぎあてた山ノ神の嗅覚に、深甚なる謝意を表したいと思います。あーりがとおーおー

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-07 06:06 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(13):稲荷山(07.7)

 トイレに寄ると、近くにいた人が深刻な顔をしながら携帯電話で「…地震…地震…」と小さな声で話しています。どこかで地震が起きたのかなと思いつつ、次なる目的地・稲荷山へ向かいましょう。稲荷山は、江戸時代、北国西往還(善光寺西街道)最大の宿場町としてにぎわい、 明治以降は善光寺平から西山部にかけての商品集積地として発展し、今でも白壁の土蔵が建ち並ぶ街並みが残っているそうです。上山田温泉から車で走ること約30分、稲荷山近辺に着いたのはわかったのですが、土蔵のある街並みが見当たりません。観光客もあまり訪れないようで、案内の表示もなし。車に乗って右往左往していると、「蔵し館」という資料館を偶然見つけました。渡りに船、資料館によればおそらく地図や資料が手に入ります。さっそく入館し、親切な係の方から資料等をいただき、内部を見学しました。ここは、幕末から明治期にかけて「商いに国境なし」という「稲荷山魂」を説き、 生糸輸出の先駆者ともなった「カネヤマ松源製糸」の松山源九郎が築いた屋敷を修復・再生したもので、母屋は古い町屋の生活空間を再現しています。豪壮な造りの梁には目を見張りました。
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 西側二階建て倉庫は「くらしの資料館」としてかつての稲荷山の生業や生活の様子を物語る民俗的資料を多数展示しています。下駄スケートや古い木製テニス・ラケット、薬研や食器を入れる金網つきの蝿帳など、見ていて飽きません。
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 おおっ、かつて煙草の製造・販売で覇を競い合った村井吉兵衛の「ヒーロー」と、岩谷松平の「天狗煙草」の看板がそろっているではありませんか。これは(たぶん)珍しい。
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 敷地中央の土蔵は残念ながら内部には入れませんが、凛として輝く漆喰塗りと海鼠壁の威風堂々とした佇まい。紫陽花と井戸が良く似合います。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-06 06:15 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(12):荒砥城跡(07.7)

 翌日は快晴。予約していたレンタカーを上田で借りて、蔵の町・稲荷山→姨捨の棚田→宇坪入の棚田・芝生田の棚田(小諸の近く)→稲倉の棚田(上田の近く)という旅程を組んでみました。とりあえず行き当たりばったり、無理なら即断念、また来りゃいいや、後は野となれ山となれ、人生万事塞翁が馬、といういつもの心構えでいきましょう。宿の車で戸倉駅まで送ってもらい、駅前の風景を眺めていると、やたらと窓が多い倉庫がありました。かつて繭を収納していたのかもしれません。
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 そして列車に乗り込み、しなの鉄道上田駅で下車、車を借りてさあ出発です。バイエルンの黒いたぬ、もとい鷲こと山ノ神は抜群のドライビング・テクニックで、千曲川ぞいの北国街道(国道18号線)を西へ西へと駆け抜けていきます、運命の時、10時13分にはまったく気づかずに…
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 ここでふと気になったのが上山田温泉背後の山頂付近にある荒砥城跡。NHK大河ドラマ「風林火山」や戦国時代の戦いにはあまり興味はないのですが、山城を復元してあることと眺めが良さそうなことに心惹かれます。車でしかいけそうもないので、山ノ神と協議の結果、寄ってみることにしました。上山田温泉に戻り、裏山の急峻な坂道を駆け上ること十分ほどで到着。このあたりは千曲川の両岸の距離が極端に狭まっており、佐久、上田方面から善光寺平へ出る直前の関門になる要衝の地です。もともとこの城は村上氏の一族である山田氏のものとされているが詳細は不明だそうです。村上氏から武田氏の時代に変わると屋代氏の持城となり、さらに上杉景勝が武田氏滅亡後進出、この城は周辺の地方豪族による城番管理がされました。1583(天正11)年、城主屋代秀正は徳川家康に内応し、荒砥城に立てこもったが、上杉方の猛攻で脱出しその後廃城となったとのこと。
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 櫓、兵舎、門、館が復元されているのですが、何といってもその眺望の素晴らしさに脱帽。櫓にのぼると、悠然と流れる千曲川、戸倉上山田温泉の街並み、そして右手には上田、左手には更埴のあたりまで一望できます。もう気分は戦国時代の城主、写真をばしゃばしゃ撮りながら、爽やかな風と雄大な眺望を満喫いたしました。
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 でもこうして高みから睥睨すると、下界で蠢いている一人一人の暮らしや人生に思いは及ばなくなるでしょうね。「第三の男」のハリー・ライムのように… もしかしたら戦国時代の領主たちも、こうして下界を眺めながら「あのへんまで攻めたれ」とか「あそこの領地を取ったれ」とか勝手に考えていたのかもしれません。民衆の日々の暮らしなど一顧だにせず。現在の政治家諸氏の発想もほとんど変わっていないのじゃないかな。その多くは二世・三世議員だし、地位を世襲した戦国大名気取りで下界を睥睨しながら、「この国を何とかしたる」と傍若無人に憂国の情を燃やしているのでしょう。われわれの日々の暮らしなど一顧だにせず。
 そうそう、車に戻る途中で、「皇紀二千六百年記念」と刻まれた上山田国旗掲揚塔と、「紀元二千六百二十六年 昭和四十一年」と刻まれた小さな石造の祠を見つけました。気になる物件です。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-05 06:11 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(11):上山田温泉(07.7)

 ちょうと食事時のためか露天風呂はがらがら、烏の行水の私としては珍しく十五分ほど単純硫黄泉・無色透明の湯につかり、これまた満足。部屋で夕食をとり、さあ花火見物に出かけましょう。
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 背後にある山の中腹から打ち上げるので、宿のすぐ前から見られるとのこと。下駄をつっかけてすぐ近くの路上で今か今かと待ちわびていると、どどーん、さあはじまりはじまり。大玉や派手な仕掛けもありませんが、どんなものであれ花火は大好きです。この美しさは、人種・宗教・文化を問わず全ての人間が感嘆できるものだと確信しますし、見る人/見られない人を選別しないのもいいですね。パレスチナで大花火大会をして、気がついたらイスラエル人とアラブ人が隣り合って座りながら見惚れているなんていう場面を想像してしまいます。既成事実をつくるために税金を湯水のように蕩尽して自衛隊をイラクに派遣し、ただ駐屯地に閉じこもっているよりも、花火師を派遣して花火大会を開催したほうがよほど平和に貢献できると思いますが。私が何の留保もなしに尊敬する職業は三つ、花火師と燈台守と消防士です。
 「止め」が打ち上げられたので、次は祭り見物。すべて女性がかつぐ神輿で、昔は芸者衆が中心だったのかもしれません。電柱のクッションも、彼女たちが怪我しないようにするための配慮なのかな。そそくさと宿へ退散し、祭囃子を楽しみながら一献傾けました。
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by sabasaba13 | 2007-11-04 07:48 | 中部 | Comments(0)

別所温泉・稲荷山・姨捨編(10):上山田温泉「豊年虫」(07.7)

 上田駅に到着し、公衆電話で宿に送迎をお願いし、しなの電鉄に乗り換えて戸倉駅で下車。送迎の乗用車に乗り込んで千曲川を渡り上山田温泉に直行です。宿で花火大会の開始時間を確認し、旅装をとき、しばらく町を散策することにしましょう。町全体はお祭りムードでうきたっています。電信柱に布団などのクッションがまきつけてあるのは、よほど乱暴な神輿なのでしょうか。おっ、神馬もやってきました。
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 さて、私としては温泉街の徘徊と射的屋の捜索、そして千曲川のほとり散策を考えていたのですが、山ノ神が見つめているのは宿でもらった団扇。この団扇をもってミニ・ギャラリーを見にいくとあんずジュースがもらえる宿が三つあります。一つはわれらが止まる上山田ホテルで、すでにジュースをゲット。彼女はもう二本が惜しくなったようで、「行くぞよ」とぽつり。あああああああああ、せっかくなのに時間がもったいない、ジュースなんていくらでも買ってあげるから街歩きをしようよお、と思っても口には出せず供奉することにしました、やれやれ。そして向かったのが笹屋ホテル。
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 どうせしょぼいギャラリーだろうなとたかをくくっていると、係の方が「フランク・ロイド・ライトの弟子で唯一の日本人…」と話し始めました。         えっ          俺の目を見ろ何にも言うな、「遠藤新!」と思わず叫んでしまいました。彼の説明によると、このホテルの別館『豊年虫』は、遠藤新が1932(昭和7)年に設計したもので、踏み込み、前室、座敷、広縁と展開する奥行きの深さを持つ日本建築の伝統にホテルの手法を取り込み、近代観光旅館建築のモデルにもなった貴重な建物だそうです。よく旅館の和室で見かける、窓に面している所だけ板の床で椅子とテーブルが置かれている設計は彼の考案なのですね。なお『豊年虫』とは、当地の呼び名でかげろうのこと、多く発生する年は実り豊かであると伝えられることから命名されたとのこと。何という僥倖、そしてありがとう山ノ神、あなたを信じてついてきてよかった。
 さっそく係の方が内部を説明しながら案内してくれました。残念ながら満室なので部屋の内部は見られませんでしたが、遠藤新の見事なデザイン感覚を満喫することができました。歩行と視覚に変化をつけるための段差、白木を組み合わせた茶室のような廊下屋根の化粧板、坪庭へと視線を誘導する仕掛け、イサム・ノグチのようなモダンな意匠の照明、円形の入口など意表をつく曲線の多用などなど。
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 文人も多く利用したようで、展示室ではわが敬愛する石川淳の署名や、西城八十の「ひとを切るのが侍ならば 恋のみれんがなぜきれぬ」という洒落た色紙を見ることができました。うーん、満足。係の方に丁重にお礼を言って、宿へ戻りましょう。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2007-11-03 08:13 | 中部 | Comments(0)

「金子勝の食から立て直す旅」

 「金子勝の食から立て直す旅 -大地発の地域再生-」(金子勝編著 岩波書店)読了。各地を旅していて、地方の衰微と疲弊にしばしば愕然とします。人気のない目抜き通り、シャッターの閉まった商店街、次々となくなっていく公共輸送機関、廃校となった小学校…。なす術もなく立ち竦み、己の無力さを思い知ることもありました。そしてこの事態と同時進行しているのが、第一次産業の衰退だと思います。その一方で輸入食材を中心に飽食が進むとともに、BSE(牛海綿状脳症)問題に見られるように、政府は食の安全を平気で投げ捨てていく。国防上の安全保障は、声高に叫ぶのにね。地方と農業を再生する動きや良いプランはないのだろうかと漠然と思っていたときに、出会ったのが本書です。碩学・金子勝氏が各地をまわって、安全で美味しい農作物を作り、必死に地域を立て直そうとしている人々を訪ねた、良質のルポルタージュです。
 その苦闘や悲しみ・喜びの詳細については、ぜひ本書を読んでいただくとして、金子氏の心に残る言葉を引用します。
 (本書に)登場する人物たちは、みな人口数千からせいぜい二~三万人の町や村で、日々、古いものとの緊張関係を持ちながらドラマを作っている。しかし、みな異口同音に自分たちがやっている試みは、「二〇年後、三〇年後に達成されればいい」と言う。自然相手だから人間の力は限られており、いつも静かな時間の流れる農山村の地だからこそ、そう思うしかないのだろう。気が遠くなるような時間の流れの中で、彼らはずっと夢を抱き続けている。実は、この思考時間の長さこそ、今の日本社会が失ったものの中で、何より一番大事なものではなかったのか―そういう想いが幾度となく頭をよぎった。
 良い言葉だなあ。しみじみと味わいたいと思います。すぐに利潤という結果を出そうとし、未来や子孫のことを一顧だにしない短絡的な思考と行動が、今の日本と世界を破壊しているのだなあとつくづく思いました。遠い未来を見据えて、安全な食を作ろうと努力している方々に敬意を表するとともに、その食材を入手していきたいと思います。どう考えても、命を支える食物を輸入に頼るというのは尋常な行為ではないでしょう。身近な地域でつくられた農作物だったら安全性をチェックできるし、何よりも新鮮です。また輸出する側にしてみれば、食糧メジャーや大企業によるモノカルチャー強制から抜け出せるかもしれません。
 そして嬉しかったのが、氏が自らを我が敬愛する宮本常一に擬しておられることです。各地の情報を、媒介者としていろいろな土地に伝えていくという仕事ですね。そう、今何よりも大事なのは、中央から発進される画一的な情報ではなくて、地方と地方を結ぶネットワークによって伝え合う情報だと思います。がんばれ、金子さん! 私も、これからは旅する先々で、農業・漁業・林業について凝視していく所存です。
by sabasaba13 | 2007-11-02 06:08 | | Comments(0)

「世界の半分が飢えるのはなぜ?」

 「世界の半分が飢えるのはなぜ? ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実」(ジャン・ジグレール たかおまゆみ訳 勝俣誠監訳 合同出版)読了。著者は飢餓問題研究の第一人者で、その彼が息子の疑問に答えるという形をとりながら、人びとが飢える本当の理由を、ひとつひとつわかりやすく解説してくれます。国の政治腐敗、市場原理主義経済の支配、止むことのない戦争、そして自然環境の破壊… 飢える人びとの写真を掲げ、「食べ物を大事にしようね」「時々、援助団体に寄付しようね」などと言って現状を暗黙のうちに追認する生温い本ではありません。この凄惨な事態は地震・台風・津波のような自然災害ではない、われわれ人間が作り出した社会の構造やしくみにこそ真の原因があるのだ、と静かに力強く語りかけてくれます。いくつか引用をしましょう。
 穀物の収穫量は十分だ。しかし、その取引価格はシカゴの投機家の手によって人為的に操作されて、国連や国連食糧計画(WFP)、さまざまな人道的援助団体、あるいは慢性的な飢えに苦しむ国ぐには、穀物メジャーによって決められた価格で買わざるを得ないということが問題なのだ。

 単一栽培をつづけているかぎり、ほかの食糧を輸入しなければならない。ところが食糧の輸入には政府の許可が必要で、輸入手続きの際、輸入業者から政府に許可料が支払われる。この許可料が政治家の利権の対象になっていて、何人もの関係大臣がそこから巨万の富を吸い上げている。だからかれらは、栽培作物の多様化や自給自足を回復する食糧生産政策を打ち出すことに関心を払わないのだ。

 飢えに苦しむ人たちのようすを日常生活の風景にしてしまうような社会、人を人としてあつかわなくなった殺人的な社会構造をかえることだ。人間の顔をなくし、社会倫理を逸脱してしまった市場原理主義経済(ネオリベラリズム)、暴力的な金融資本、国民から富を巻き上げるだけの国家財政が世界に不公平と苦悩をもたらしている。そういうもののかわりに、「自分たちの手で自分たちの国づくりを」「自立した経済を」という考え方をすることがとても大事なのだと思う。

 あらゆる場面において社会的・政治的・経済的に欠乏しきっている世界、自由のためには多くの飢えと疑惑が存在するのは当然だという暴力的世界、豊かな暮らしを少数の人だけが享受している世界―。このような異常な世界はなんの意味も持たないし、今後存続していく見込みもない。
 特に最後に一文には、血を吐くような憤りと嘆きを感じます。一刻も早く、この言葉を真摯に受け止めて行動を起こさないと世界は終わる。連動しているのでしょうが、環境問題とも相通じます。それでは私は、私たちは、どうすればよいのか。何をすればよいのか。世界経済のメカニズムに一定の制限を課すための国際戦略や多国間条約が重要でしょう。しかしその大前提として著者は教育と世論に関心を持っておられるように感じます。
 飢えという教科がある学校はまだ見たことがない。地球の各地でくり広げられている戦争の直接の犠牲者よりもはるかに多くの人びとが、毎日飢えのために死んでいくというのに。
 世界の飢えはどんな状況か、なにがたりないのか、どのくらいの人がどういう状態で死んでいくのか、飢えの原因はなんなのか、飢えを根絶するためにはどんな方法が考えられるのか―。そういうことを学び合うために飢えという教科があってしかるべきだ。

 経済の唯一の牽引役は利潤至上主義であるという立場、神の見えざる手に任せておけばユートピアが訪れるという虚構を見直す時期がさしせまっている。シカゴの農業生産物市場をいったん閉鎖し、年々その備蓄量を減らしつづけている第三世界の穀物量を見直す必要はないだろうか? そして西側の多くの政治家を操縦している不条理な市場原理主義を国際世論でかえていかなければならない。
 飢餓について知り考えてもらうための教育、そしてそういう教育を受けた人びとが立ち上がり、大きな国内世論そして国際世論の渦を巻き起こして事態を変えていく。そこに一縷の望みと希望があると氏は考えているのではないのでしょう。世論を操る国は多々ありますが、世論を無視する国はまだそれほど多くはないでしょう。人間の手でつくられた構造やしくみは、人間の手で変えることができるという信念を忘れずにいたいと思います。
 ひるがえって日本の現状はどうか。「食育」などというわけのわからない言葉がもてはやされていますが、飢餓に真っ向から取り組みカリキュラムに入れようとする動きはまったくないようです。そんなことをする暇があったら、「愛国心」「道徳心」「従順さ」を注入する授業に力を入れるべきだというのが官僚・政治家の考えでしょう。また国民を思考停止の状態に溺れさせ、不都合な世論が形成されないようにするための技術・戦略にも彼らは長けているようです。ま、これは溺れてしまう側にも責任はあるのですがね。しかし諦めないようにしましょう。

 なお本書では言及されていないのですが、先進国で食糧の自給自足をすることも大事だと思います。そうすれば食糧を投機の対象とする穀物メジャーの跋扈を食い止められるし、第三世界でも自国に必要な食糧の生産に取り組めるようになると思います。また輸送の際に必要となる化石燃料を減らすことができるし、ポスト・ハーベストの問題も解決できる。そして何といっても、とれたての食べ物は美味しい! いわゆる地産地消です。こうした事に目を向けず、食糧を輸入にたよっている国、ましてや食糧自給率が約40%などという先進国は、世界中に害毒と災厄をばらまいていることになります。そう、われらが日本です。こうした事実を見ただけでも、自民党・公明党・官僚諸氏は、「国益」や「安全保障」について、関心の"か"の字もないことがよおおおおおくわかります。
by sabasaba13 | 2007-11-01 06:05 | | Comments(0)