さてそろそろ引き上げましょう。外へ出てバスが来るのを待っていると、術科学校の壁に「一瞬で命はなくなるよ 江田島中学校生徒会」というポスターが貼ってありました。よくわかってるじゃん、中学生諸君、その通り。しかも、一瞬にして他者の命を奪い、時によっては己の命も奪われる組織の壁にポスターを貼って堂々と宣言するところなんざ大したものです。お見事。
![]() バスに乗り込んで五分ほどで港に到着、帰りは高速船でした。さて港ターミナルに隣接して「大和ミュージアム」が最近できたようです。閉館時間は午後六時、30分ほどしか見られませんが後学のため入ってみることにしましょう。海軍呉工廠で建造された戦艦「大和」の技術や当時の生活・文化を紹介し、科学技術の素晴らしさと平和の大切さを伝える、というのが謳い文句です。ホール中央には1/10スケールの大和の模型が展示されています。そして急ぎ足ですが、設計図、活用された技術、海底における大和のジオラマ、海中から引き揚げられた品々などを見物。 ![]() しかし根本的な疑問は残ります。航空機による戦闘が主流となった時代に、なぜこのような巨大戦艦をつくったの??? 軍部の見通しの甘さに加え、軍需産業の利権もからんでいるのかな、などと想像してしまいます。なおこの建物の最上階には、呉港を一望できる屋外テラスがあります。ちょうど夕陽が江田島の向こうに沈みつつあり、夕映えに輝く美しい港や海を見ることができました。眼福眼福。またミュージアムの向かいには、「てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)」があります。実物の潜水艦がどでんと野外展示してあるので、異様に目立ちますが、こちらは午後五時で閉館でした。 ![]() さて夕飯を食べましょう。港のターミナルにある「椿亭」で、地タコのてんぷらと、地アナゴの釜飯をいただきました。しっかりとした味でなかなか美味でしたね。 ![]() なおここから駅に行く通路の途中にある「くれ観光情報プラザ」は各地の観光資料が豊富、かつ午後七時まで開いているので、大変役立ちました。明日以降訪れる予定の三ノ瀬(下蒲刈島)・竹原・尾道に関する資料をいただき、今夜の塒、駅近くにあるビジネス・ホテルに直行。 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2008-09-30 06:10
| 山陽
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そのすぐ隣にあるのが、通称「赤レンガ」と呼ばれる幹部候補生学校庁舎。日清戦争の前年、1893(明治26)年に海軍兵学校生徒館としてその生活、教育のため建築されました。初老の氏曰く、レンガ建築における西の横綱(東横綱は東京駅)。ま、これは一概には言えないと思いますが、見事な建築であることには間違いありません。レンガは国産ではなくイギリスから輸入したもの、氏は「このすべすべとした手触りに匹敵する肌の女性は、みなさんの中にはおらんでしょう、ガハハハハハ」とセクシャル・ハラスメントすれすれの発言をしていましたが、なるほど触れてみると確かに滑らかなものでした。余談ですが、どんな冗談を言っても部下が愛想笑いをしてくれたためなのでしょうか、氏の強引な話しぶりには少々辟易するところがありますね。なお建物裏側の表情がより素晴らしいのでお見逃しなく。ビザンチン・アーチとレンガによる列柱がつくりだす二層の長い回廊は見事なものです。
![]() ここの向こうにあるグラウンドでは生徒諸君がサッカーをしていましたが、その奥に戦艦「陸奥」の主砲が展示してあるのが遠目に見えました。そして海軍・海上自衛隊に関する資料を展示してある教育参考館ですが、改装中のため対面にある仮設の資料室での見学となります。ざーっと見たところ、第二本帝国海軍は偉い/凄い/素晴らしいという内容のものなので、早々に引き上げ周辺を散策することにしました。 ![]() 近くには二隻の特殊潜航艇と戦艦「大和」の砲弾などが野外展示してあります。そしてレクレーション・センターの前で解散、しめて見学時間は一時間強、最後は各自の判断で帰れます。まあせっかくですからレクレーション・センターに寄って、海上自衛隊土産を観察してみましょう。 ![]() 「滋養強壮 虚弱体質 栄養バッチリ」という栄養ドリンク、砲弾餅、清酒「元帥」、銘菓「大本営」などなど見ているだけで笑えます。圧巻は、自衛隊オリジナルDANGO「炎の作戦」。説明を引用すると「12個のよもぎだんごの中に2個だけ唐辛子入りのあんの入ったおだんごが入っています。さあ、そのおだんごを食べて炎となるのは誰か? …みんなでワイワイ、炎の作戦を遂行して下さい」 ![]() そして各所に貼ってある注意書きのポスターにもついつい目を引きつけられます。「妻楊枝のポイ捨は大人の恥です」「館内は禁煙…頻繁に煙草の吸殻でトイレが詰まるようでは制限を加えかもしれません(ママ)」「告 最近、利用態度の悪い者が散見される。今後、そういう者は即刻所属部隊等へ通報する。管理室長」 経験はないのですが、やはり軍隊という組織はきわめてストレスがたまるところだと思います。そのイライラ解消の仕方が、状況によって変わるのではないか。こうしたモラルに欠けた行為によって発散させるのか、下級者・部下へのいじめによって発散させるのか、あるいは自国・他国・被占領国を問わず一般市民への抑圧・暴力によって発散させるのか。こうした行為によるストレス解消は、戦前の軍隊に比べればまだましかな、などと考え込んでしまいました。これからどうなるかは分かりませんけれど。 ![]() 本日の二枚です。 ![]() ![]() ▲
by sabasaba13
| 2008-09-29 06:21
| 山陽
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それではこの間を利用して、かつてここにあった海軍兵学校について説明しましょう。1888(明治21)年、東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移転し、ここ江田島において、海軍兵学校生徒の教育が開始されました。当初生徒は表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していましたが、1893(明治26)年に赤レンガの生徒館が完成し、以後、1945(昭和20)年12月1日に閉校となるまで、57年間にわたり、海軍士官養成の場となったわけです。(ちなみに訪問のお目当てはこの赤レンガ生徒館と大講堂) よって「江田島」と言えば海軍兵学校の代名詞。そして海軍兵学校卒業者は独特の仲間意識によって支えられ、下士官・兵とは意識のうえでも、また待遇のうえでも截然と区別された将校集団を形成しました。敗戦後は、11年間にわたり、米・英軍等が進駐、こうした施設を使用しましたが、1956(昭和31)年、海上自衛隊が施設を引き継ぎ、横須賀から術科学校が移転、翌年には海上自衛隊幹部候補生学校が独立開校し、そして翌々年には、海上自衛隊第一術科学校が発足したそうです。なお第一術科学校では幹部および海曹士自衛官に対し砲術、水雷、掃海、航海、通信等の術科教育や関連する調査研究を行っているとのこと。
さて開始時間になると、いかにも海上自衛隊一筋という印象の屈強な初老男性と、若々しいというより幼い感じの自衛官の二人連れが入ってきました。彼曰く、この生徒は中学校を卒業してすぐ入学したばかりだが、もう中卒入学というルートは彼の代を最後にしてなくなったそうです。18歳未満の子供に銃を持たせないという国際条約を日本政府が批准したためとのこと。よかよか。どうやら若い自衛官がたどたどしく初々しく説明をし、それを初老の自衛官が補足し、半畳を入れて笑いをとるという構成のようです。それでは出発、あ、そうそう、校内では仮設の教育参考館内の展示物以外は、写真撮影はNo problemです。 ![]() まずは鉄骨煉瓦石造の大講堂へ。ここは1917(大正6)年に兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として建築されたそうです。約2000名の収容能力があり、現在は幹部候補生、自衛隊生徒等の入校式、卒業式等儀式に使用されています。内部は音がよく響く大きな吹き抜けとなっており、正面には天皇が坐る玉座が設けられていました。 ![]() 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2008-09-26 05:45
| 山陽
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先日、山ノ神に誘われて映画「おくりびと」を見てきました。うん、これは面白い映画でした。主人公は職場を失ったチェリスト、妻とともに郷里・山形に帰って職探しをしますが、意図せず納棺師になってしまいます。遺族の前で遺体の死化粧をして棺に納めるという仕事ですね。はじめはとまどっていた主人公も、やがて上司の仕事振りや遺族のさまざまな思いにふれるにつれ、この仕事の重要な意義に気づくことになります。故人に最高の敬意を払いながら美しく装わせ彼岸へ送り出すことによって、遺族たちの悲しみを癒し昇華させていくという大きな意義に。やがて彼は自信を深めこの仕事に誇りをもつようになり、それまで偏見や無理解に満ちていた妻や友人の見る目も変わっていくことになります。“死”を無意味なものにしてはいけない、さもないと“死”に至る過程である“生”も無意味なものになっていまうから、うまく言えなのが歯がゆいのですがそういうメッセージを受け取りました。思うに人間というものは、死者を手厚く弔うことによってバトンを受け継ぎ、どうにかこうにかここまでやってきたのではないかな。そしてこの映画の奥深さは、その連鎖を生物すべてにまで押し広げていることです。生き物と食べ物に関する映像やエピソードがいろいろなシーンにちりばめられていることがその証左でしょう。飛来する白鳥、川を遡上する鮭、河豚の白子、干し柿、フライドチキン、米沢牛… 主人公の上司は「死ぬ気にならなきゃ食うしかない。困ったことにな」と呟きます。他の生き物を食べる=死に至らしめることによってのみ、生き物は生存できる。人間もそうした大きな輪っかのほんの一部にすぎない、そして“死”に対してできうるかぎりの畏敬の念をもたないと人間はこの大きな連鎖から外されてしまう。その行き着く先は… 今にして思うと、冒頭のシーンが印象的です。近所の人からもらったタコが突然動き出す。とても食べる気がしない主人公と妻はそのタコを海へと放つが、もう死んでおり波間に漂う。生きるとは命を引き継ぐことだという厳粛な事実を見ようとしない二人をうまく表現していました。そして食べられずに海へ捨てられたタコの無意味な死も。
ぐだぐだととりとめもないことを綴りましたが、それができるのも本作のもつ豊穣な多義性によるものだと思います。役者の演技もいいですね、内面の成長ぶりを誠実に演じきった主人公役の本木雅弘、飄々とした重厚さで主人公を導く上司役の山﨑努、陰翳のある演技で二人を支える同僚役の余貴美子、妻を演じた広末涼子の平板な演技には違和感を覚えましたが、これはこれで“生”と“死”の連鎖に気づかないわれわれの凡庸さを代理させるための意図的なものかもしれませんね。そしてドラマ全体を包み込む山形の自然と四季の移ろいの美しさも特筆ものです。挿入された楽曲を演奏するチェロ・アンサンブルも過不足なく、ドラマの進行を盛り上げます。それにしても映画の設定上、主人公をチェリストにしたところに監督の何かしらの意図を感じます。生き物の声にもっとも近い音質と音域を、そして生き物の形にもっとも似た形状をもつ楽器として選んだのかな。だとしたらチェリストの末席を汚す一ぼんくらプレーヤーとしては嬉しい限りです。 モントリオール世界映画祭グランプリ受賞も納得ですね。Memento mori(死を想え)という警句を見事な映像で表現した佳作、お勧めです。 ▲
by sabasaba13
| 2008-09-25 06:15
| 映画
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「原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史」(有馬哲夫 新潮新書249)読了。朝刊の新刊広告で本書のタイトルを一瞥、手が止まりました。原子力(核)発電所? 正力松太郎? CIA(アメリカ中央情報局)? まるで三題噺ですね。つねづね、原子力(核)発電所の危険性、讀賣新聞のあからさまに自民党寄りの報道姿勢、そしてアメリカ政府の世界戦略については関心を抱いていたので、さっそく読んでみることにしました。CIAが正力松太郎を操って、日本に原発を売り込もうとしたのでしょうか。実はそれほど単純な話ではありませんでした。アメリカ国立第二公文書館などにある「正力松太郎ファイル」というCIA文書を読み解いた著者が、この三者を軸にして、これまであまり語られてこなかった昭和三十年代の日米関係や政界の動きを追跡したのが本書です。
1954(昭和29)年3月1日、第五福竜丸事件をきっかけにして、日本国内で大きな反核兵器・反米運動のうねりが起こります。日本への核兵器配備および原子力発電の売り込みも視野に入れて、何とかして日本の反米・反核ムードを沈静化させたいと考えるアメリカ政府。そしてその意図を受けてCIAが日本における行動を開始します。 一方、総理大臣の椅子を狙う讀賣新聞社主・正力松太郎、しかし彼には政治キャリアも資金源もありません。財界や政界への影響力、政治資金や派閥を手にするための切り札として、彼が目をつけたのが原子力発電です。CIAは讀賣新聞という巨大メディアを支配する正力松太郎に目をつけ世論の懐柔を依頼し、正力はその見返りとして原発建設に関する全面的協力を要求。以後、この両者が時には協力し、時には相手を利用し、時には反目しながら、"核"を受け入れるムードづくり+原発導入を推進していくことになります。その過程や結果については、本書をご一読ください。両者によるしぶとくハードな交渉の様子は、まるで小説の世界のようです。 CIAの諜報活動や日本におけるメディアの実態を、こうした形で知り得たのは大きな収穫でした。ただし「原発、正力、CIAはよく似ている。その存在を賛美することはできないが、かといって否定することもできないことだ」という著者の意見には同意できかねます。原発の問題点や危険性(「核大国化する日本」の書評参照)、CIAが世界中で行ってきた反米勢力を弾圧するためのテロ支援、拷問や洗脳、暗殺、盗聴、選挙操作(「アメリカの国家犯罪全書」の書評参照)については、これまで拙ブログでふれてきました。この両者を「否定できない」の一言で容認してしまうのは、あまりにも理不尽な結論だと思います。 同様に、ワンマン社主が己の利益のために報道を利用するという、讀賣新聞のあり方にも深い危惧を覚えます。この体質は今でもあまり変わっていないのではないかなあ。もちろん他のジャーナリズムにおいても似たような状況があるとは思いますが。権力の暴走を厳しくチェックするという、ジャーナリズムの最も重要な機能が十全に働いていない状況の中で、当たり前のことですが、報道を鵜呑みにしてはいけないのだと、あらためて銘肝しました。広田弘毅がこんなことを言っていましたっけ。 考えずにそのまま受けとっていいのは、死亡広告ぐらいだ。追記。新潮新書の表紙にこんな言葉が掲げられていることに、はじめて気づきました。 Brevity is the soul of wit, and tediousness the limbs and outward flourishes. 簡潔こそ智慧の心臓、冗漫はその手足、飾りにすぎませぬ 『ハムレット』(福田恆存訳)より ▲
by sabasaba13
| 2008-09-24 06:06
| 本
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西武秩父仲見世通り(埼玉県)
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by sabasaba13
| 2008-09-23 07:53
| 写真館
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さて11:00のバスに乗り、大畠駅へと向かいましょう。宮本氏のアウラに触れたためでしょうか、普段より車窓からの光景を注意深く見つめてしまいました。バス待合室に「周防下田駅」という看板があるが、鉄道もないのになぜ「駅」なのだろう? 段々畑あるいは棚田を見かけるが、今でも耕作しているのだろうか、しているとしたら何を? うーむ、この姿勢を堅持していけば、氏に一歩でも近づけるかなあ。でもすぐ忘れてぼーっとしちゃうんだよなあ、自戒自戒。
![]() そしてバスは大島大橋を渡り、大畠駅に到着。11:53発の列車に乗って、呉へと向かいます。広島駅で呉線に乗り換えるのですが、少々時間があるので、立ち食いで月見うどんをたいらげました。階段の途中で「-c㎡」と大きく書かれたポスターを発見。なんじゃなんじゃと近づいてみると、車内でも座り込み禁止を呼びかけるJR西日本の通学マナー向上キャンペーンでした。やれやれ… ![]() 呉線の列車に乗り込み、14:00に呉駅に到着。めざすは江田島にある旧海軍兵学校です。実は一日3~4回、定時にしかガイド・ツァーが行われておらず、本日は15:00で打ち止め。港までは歩いて十分ほど、船で江田島の小用港まで十数分、問題はその後で港から兵学校までバスで五分ほどかかるそうです。果たしてバスにうまく乗り継げるのか、タクシーは客待ちしているのか、このあたりの情報が手に入らず、ちょっと不安でした。港のターミナルに着いて窓口で訊ねたところ、14:22のフェリーに乗れば十分に間に合うとのこと、これで一安心です。江田島への船便は一時間に1~2本、カー・フェリーと高速船の二種類。この便はカー・フェリーで、車を積み込みさあ出航です。正面には江田島、左手には造船所や工場群を見やりながら、船はゆるゆると静かな海面を進んでいきました。途中からは右手に広島市外も見通せてきます。約20分で江田島の小用港に到着、バスも待機していましたが、念のため客待ちしていたタクシーに乗り込みました。五分ほどで海上自衛隊第一術科学校に到着、受付で記名をし見学者証の札を胸につけて、すぐ近くにある広報棟のなかで15:00開始のガイド・ツァーを待つことになります。 ![]() 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2008-09-22 08:00
| 山陽
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さあそれでは歩いて平野まで行きましょう。途中で咲き誇る梅と菜の花を発見、写真におさめました。十数分で到着、手前が作詞家の星野哲郎記念館(代表作は『男はつらいよ』 『あんこ椿は恋の花』 『三百六十五歩のマーチ』)、その向こうが周防大島文化交流センターです。前者は省略して、さっそく文化交流センターに入ってみましょう。
![]() 設立の趣旨をホームページから引用しておきます。"周防大島文化交流センターは、この島に生まれ、半世紀にわたって日本の国土を歩き続けた民俗学者宮本常一(1907-81)の著書、蔵書、撮影した写真等を収蔵しています。宮本常一は「庶民の文化の発見者」として知られるだけでなく、離島振興や農山村の地域づくりの実践者でもありました。このセンターでは、宮本常一の足跡、思想や思考などを学習することや、島の産業の歴史や文化の体験学習を通して、島内外の都市や農山漁村との、人・技術・知識・知恵の交流を促進し、島の未来を担う創造的な人の育成を目指しています" まずは「学問と情熱 宮本常一」(45分)というビデオを拝見。時間の関係で最後の方は見られませんでしたが、手際よく氏の生涯と業績をまとめてものでした。さて見学です。思ったよりも狭いスペースに、氏の指導のもと島の青年有志が収集した周防大島の農耕・養蚕・運搬・漁撈関連の民具が並べられています。壁面には、『宮本の目』 『日本の離島』 『宮本の仲間たち』といった、彼が残した写真を利用しての展示があります。木組みの展示は『長州大工の技』。奥には、海を見渡しながら、彼の写真をコンピュータで閲覧できるスペースがあります。 ![]() 中央には収蔵庫、ここには宮本常一の著書や蔵書約2万冊(初出誌・単行本・アチックミューゼアムの出版物)、柳田國男の初版単行本、歴史学・民俗学・人類学・農林業・漁業・塩業・観光文化・美術に関する書籍のほか、全国の市町村誌、多数の雑誌・民俗調査報告書・紀要類などが収蔵されています。そして一角には小さなガラスケースに収められた彼の愛用の遺品が展示されていました。二台のカメラ(アサヒフレックスとキャノン)、水筒、虫眼鏡、眼鏡とケース、風土記(岩波文庫)と万葉集(角川文庫)、ペン二本、そろばん、パスケース(中には飛鳥資料館の入館証)、お守り五つ(一つは西宮神社)、糸と針、電気髭剃り、糊、そしてよれよれのバッグ。日本全国を隈なく歩いた氏の良き伴侶たち… ああやっと念願が叶い周防大島に来られて幸せです。でもまだ常一さんの声が遠い所から響いてきます。「歩いてみろ、旅はええぞ」 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2008-09-21 06:07
| 山陽
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さて再びタクシーに乗り込み、下田へ向かってもらいました。宿からここまで30分ほど、運転手さんに別れを告げ、さっそく下田八幡宮へと行ってみましょう。地元の方に道を訊ねながら、鳥居と石段のもとにたどりつきました。
![]() 「私のふるさと」(『家郷の訓』より)の中で、以下のように描かれている場所ですね。 この森には宮ホーホーという化物がいると祖父の寝物語にきいて、夢に見たことがある。宮の鳥居をくぐると、四十二段の石段があるのだが、宮ホーホーはその上のほうに腰をかけ、その足は石段の下まで届いていた。白い着物をきて、にたにた笑っていたのである。何となく恐ろしかった。さっそく石段を上り、本殿へ。きっと氏はこの境内や鎮守の森を遊び場にしていたのでしょう。背後に聳えるのが白木山、あの山頂に立って海に浮かぶ島々を見ながら彼方に広がる世界に思いを馳せていたのですね。宮本学の出発点とも言うべきここに来られて感無量です。 ![]() 古い写真によると、往時は海岸道路がなく、鳥居の前はすぐ砂浜と海のようです。てことは、八幡宮の鳥居の隣に連なる家々のどれかが氏の生家でしょう。いまだご子孫が暮らしているとのことですので、探索はしませんでしたが。砂浜を埋め立ててつくられた道路の海側に、道の駅があったので小休止。昔と同じ光景、青い海、青い空、そして島なみを眺めながら、「あの島の向こうにはどんな世界があるのだろう」という宮本少年の思いを追体験してみました。 ![]() 本日の二枚です。 ![]() ![]() ▲
by sabasaba13
| 2008-09-20 06:08
| 山陽
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朝、目が覚めると午前六時、いやはや、昨日8km歩いた疲れはとれないし、♪もう若ーくないさ♪と言い訳する相手もいないし、もう歳だなと嘆きながらも、気持ちだけは若者。朝食前に散歩をすることにしました。窓から海を見ると、肉眼でも潮の流れを確認できます。ここは大畠瀬戸、日本三大潮流の一つだそうです。ちなみにあと二つは伊良湖水道(三重県鳥羽市-愛知県田原市)と早崎瀬戸(長崎県口之津町)。宿のすぐ隣にある大島大橋を歩いていると、ちょうど朝日が島影からぬおっと出てくるところでした。こいつは春から縁起がいいわい、刻々と色を変えていく美しい海や空を堪能。朝食は宿で和食バイキングをいただきました。会場は楽しげな団体客で大賑わい、でもできれば朝の海を眺めながら落ち着いた雰囲気で食事をしたいものです。余計なお世話ですが、個人および家族旅行を視野に入れないと、旅館業もそろそろやっていけなくなるのではないかな。
![]() チェック・アウトをしてタクシーの配車を依頼、その間、海を眺めながら珈琲をいただきましょう。しばらくしてやってきたタクシーの運転手、互いに見合す顔と顔、なんと昨日お世話になった方でした。予定通り、まずは久賀の石風呂へ向かってもらいました。しばらく待っていてもらって、石風呂を拝見。これは西日本最古のもので、東大寺を再建するための木材を求めて重源が周防の国司として赴任した時、兵乱と飢饉に苦しむ庶民のため及び布教のために築造したという伝承があるそうです。花崗岩を積み上げ粘土で固めた石室の中に入り、中で松葉を炊き、濡れたむしろをかぶりながら汗を流す、つまり蒸風呂・サウナですね。昭和のはじめ頃まで、実際に使用されていたそうです。瀬戸内にはこうした石風呂という習慣があるのですが、中でもこれは規模も大きく代表的な遺構とのこと。 ![]() なお久賀は周防大島で一番大きな町です。宮本常一氏はこんな笑い話を紹介されています。(「周防の大島」 『旅と伝説』より) 「とと、とと!」「なんど?」「久賀はたいがい(大変)大けえのう」「ウン」「日本とどちらが大けかろうか?」「馬鹿! 日本はこの倍ほどあらァ!」 本日の一枚です。 ![]() 追記。MSNトラベルによると、竹原の近くに現役の石風呂があるそうです。以下、引用します。 温泉の少ないこのエリアでは、昔から「石風呂」なるお風呂があった。天然の洞窟を利用したサウナだが、風呂の原型の一つで、弘法大師が発案したとも伝えられている。広島県竹原市忠海にある岩乃屋は今では数少ない石風呂入浴ができる場所。海沿いの道を歩き、「戦時中に軍が掘った」という洞窟へ。 ▲
by sabasaba13
| 2008-09-19 06:08
| 山陽
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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