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言葉の花綵5

 みんなはそれぞれの住む地区にしたがって、べつべつに<子どもの家>にほうりこまれました。こういうところでなにかじぶんで遊びを工夫することなど、もちろん許されるはずもありません。遊びをきめるのは監督の大人で、しかもその遊びときたら、なにか役に立つことをおぼえさせるためのものばかりです。こうして子どもたちは、ほかのあることを忘れてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。たったひとつだけ子どもたちがまだやれたことはといえば、さわぐことでした。-でもそれはもちろん、ほがらかにはしゃぐのではなく、腹だちまぎれの、とげとげしいさわぎでした。
 「そんなことがおもしろいの?」とモモは、いぶかしそうにききました。
 「そんなことは問題じゃないのよ。」と、マリアはおどおどして言いました。
 「それは口にしちゃいけないことなの。」
 「じゃ、なにがいったい問題なの?」
 「将来の役に立つってことさ。」とパオロがこたえました。

 「はじめのうちは気がつかないていどだが、ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなるのだ。気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそ何も感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。」 (ミヒャエル・エンデ 「モモ」より)


 死んだ人々は、還ってこない以上、
 生き残った人々は、何が判ればいい?

 死んだ人々には、慨く術もない以上、
 生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいい?

 死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、
 生き残った人々は沈黙を守るべきなのか? (ジャン・タルジュ-)

 今は両方の世界が、たがいに破壊しあっていますが、それと同じように、たがいに癒しあうこともできるのです。(ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」より)

 イングリッド・バ-グマンはそういった大がかりな撮影方式が気に入らず、しょっちゅうわたしに「なぜ」「なぜ」といって追求し、文句をいった。私は議論をしてもはじまらないと思ったから、彼女にただこう言ってやったんだよ。「イングリッド、たかが映画じゃないか。」(アルフレッド・ヒッチコック)

 住民は逃げてしまって猫の子一匹いなかった。しかし城郭は、石畳は生きていた。石畳というのは、ハルピンで見たときもそうだったけど、やりきれないほど、おれの心をひきつける。石畳には文化のカオリがあるのだ。日本は戦争に負ける。負けるべき国家だ。そのときそう思った。日本も日本人もアカンわい。日本には城郭がない。だから守るべき美しい町も存在しない。市民精神なんて生まれるわけがねえ。みんなバラバラや。ほんまにおかしな国だぜ。こんなミットモナイ国に生みやがった、オヤジやオフクロを、おれは殺してやりたい。
 「こんなとこに住んでみてえなア」…
 「隊長はココも燃やせっていうかね」…
 「そんな命令をしやがったら、俺あアイツを撃ってやる」(殿山泰司)
by sabasaba13 | 2009-04-20 06:06 | 言葉の花綵 | Comments(0)

橋梁

安倍川橋(静岡県静岡市)
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富士川橋(静岡県富士市)
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末広橋梁(三重県四日市)
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望港橋(三重県四日市)
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宇治橋(伊勢神宮内宮)
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犀川大橋(石川県金沢市)
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沈下橋(京都府美山)
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渋川橋梁(わたらせ渓谷鐵道)
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第一松木川橋梁(わたらせ渓谷鐵道)
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通洞橋梁(わたらせ渓谷鐵道)
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有越沢橋梁(わたらせ渓谷鐵道)
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旧六郷川鉄橋(静岡県三島)
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荒川橋梁(埼玉県長瀞)
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一本橋(京都市)
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創成橋(北海道札幌)
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太宰治ゆかりの跨線橋(東京都三鷹市)
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鎌倉橋(東京都千代田区)
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ドラム缶の橋(岡山県玉島)
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翁橋(広島県上下)
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翁橋(岡山県津山)
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霞橋(埼玉県入間市)
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宮守川橋梁(岩手県遠野市)
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長光寺橋(岩手県水沢市)
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こおろぎ橋(福井県山中温泉)
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神橋(栃木県日光市)
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旧川口橋(高知県仁淀川町)
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久喜の沈下橋(高知県仁淀川町)
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二宮橋(滋賀県日吉大社)
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走井橋(滋賀県日吉大社)
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七条大橋(京都府)
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近鉄澱川橋梁(京都府伏見)
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近江鉄道愛知川鉄橋(滋賀県東近江)
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寺坂橋(埼玉県本庄)
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賀美橋(埼玉県本庄)
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美濃橋(岐阜県美濃市)
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太田橋(岐阜県美濃太田)
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六郷川鉄橋(愛知県明治村)
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天童眼鏡橋(愛知県明治村)
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隅田川新大橋(愛知県明治村)
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オープン・ループ橋(ベルニナ急行)
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ランドヴァッサー橋(氷河急行)
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天神橋(大阪)
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天満橋(大阪)
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名鉄犬山橋(愛知県)
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タウシュベツ川橋梁
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糠平川橋梁
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第三音更川橋梁
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第五音更川橋梁
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幣舞橋(北海道釧路)
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モーツァルト小橋(ザルツブルク)
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エリーザベト橋(バート・イシュル)
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萬代橋(新潟県新潟)
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長生橋(新潟県長岡)
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第六水窪川橋梁(飯田線)
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関門大橋(山口県下関)
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古河橋(栃木県足尾銅山)
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小滝橋(栃木県足尾銅山)
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荒砥川橋梁(群馬県大胡)
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球磨川第三橋梁(熊本県人吉)
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明正井路(大分県竹田)
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青井阿蘇神社禊橋(熊本県人吉)
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岩戸橋(大分県竹田)
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美々津駅付近(宮崎県美々津)
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明八橋(熊本県熊本)
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明十橋(熊本県熊本)
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河鹿橋(山形県銀山温泉)
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舞鶴橋(山形県米沢)
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覗橋(山形県楢下宿)
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新橋(山形県楢下宿)
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撞木橋(山形県長井)
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昭和橋(長野県坂城)
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夢の吊橋(静岡県寸又峡)
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猿並橋(静岡県寸又峡)
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飛龍橋(静岡県寸又峡)
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蓬莱橋(静岡県島田)
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レインボーブリッジ(静岡県大井川鉄道)
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関の沢鉄橋(静岡県大井川鉄道)
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猿橋(山梨県)
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八ツ沢発電所第一水路橋(山梨県猿橋)
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祝橋(山梨県勝沼)
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長瀞橋(山梨県昇仙峡)
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安居橋(京都府八幡市)
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二重橋(東京都)
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旧日野橋(鳥取県米子)
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若桜橋(鳥取県若桜)
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東雲橋(岐阜県恵那)
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淀屋橋(大阪)
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旭橋(神奈川県箱根湯本)
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千歳橋(神奈川県箱根湯本)
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日本橋(東京都)
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万関橋(対馬)
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一条戻橋(京都府)
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磐越西線一ノ戸川橋梁(福島県)
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会津鉄道塔のへつり駅近くの鉄橋(福島県)
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河童橋(長野県上高地)
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萬年橋(東京都江東区)
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弾正橋(東京都江東区)
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通潤橋(熊本県)
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昇開橋(佐賀県)
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アプトの道第三橋梁(群馬県)
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リアルト橋(ヴェネツィア)
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出山鉄橋(神奈川県)
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本渡(熊本県天草)
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嵐山渡月橋
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熊本の石橋
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熊本の石橋
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ヴェッキオ橋(フィレンツェ)
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はね橋(アムステルダム)
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カレル橋(プラハ)
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ドン・ルイス1世橋(ポルト)
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プレート・ガーター橋(埼玉県深谷)
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ランドバッサー橋(スイス)
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永原橋(大分県院内)
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久地橋(大分県院内)
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御沓橋(大分県院内)
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荒瀬橋(大分県院内)
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鳥居橋(大分県院内)
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富士見橋(大分県院内)
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勝鬨橋(東京)
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清洲橋(東京)
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大宮橋(滋賀県日吉大社)
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奥沢橋梁(東京)
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眼鏡橋(長崎)
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音無橋(東京)
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聖橋(東京)
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通天橋(京都東福寺)
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錦帯橋(山口県岩国)
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旧大岡川橋梁(横浜)
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港一号橋梁(横浜)
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港二号橋梁(横浜)
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新港橋梁(横浜)
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円月橋(東京小石川後楽園)
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湯西川温泉駅鉄橋(群馬県)
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別子銅山(愛媛県)
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打除鉄橋(愛媛県別子銅山)
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出島橋(長崎)
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ジャージャー橋(千葉県佐原)
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旭橋(北海道旭川)
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中橋(岐阜県飛騨高山)
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桃介橋(長野県南木曽)
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柿其水路橋(長野県南木曽)
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久保洞水路橋(長野県南木曽)
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幸橋(長崎県平戸)
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日本最古の擬木橋(東京都新宿御苑)
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瀬田の唐橋(滋賀県)
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巽橋(京都白川)
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白鬚橋(東京都)
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タワー・ブリッジ(ロンドン)
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ドイツ橋(徳島県板東)
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はりまや橋(高知県高知)
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佐田沈下橋(高知県中村)
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舞中島潜水橋(徳島県脇町)
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メガネ橋(徳島県板東)
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by sabasaba13 | 2009-04-19 08:48 | 写真館 | Comments(0)

アイルランド編(32):キラーニーへ(08.8)

 そして次にめざすは『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームの家があった付近です。オコンネル通りをさらに北上し、バークリー通りを経ると右手に慈悲の聖母病院があり、ここを右に曲がるとエクルズ通り、小説ではブルームの家はこのあたりに設定されています。通りにそって少し歩くと左手に新しい病院があり、ジョイスのプレートが入口にありました。
"At the housesteps of the 4th of the equidifferent uneven numbers, number 7 Eccles street, he inserted his hand mechanically into the back pocket of his trousers to obtain his latchkey."
「エクルズ通り七番地の等差奇数の四番目の入口上り段で彼は機械的にズボンの尻ポケットに片手を入れてドアの鍵を出そうとした」(Ⅲ17「イタケ」 p.317)
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 通りをはさんだ向かい側には集合住宅が並んでいますが、おそらくそのどれかがブルームとモリーの家として設定されたのでしょう。
 さてそろそろヒューストン駅に行かなければ。税関の方角へ何となく歩いていくと、二十分強でホテルに到着。フロントで荷物を引き取り、ルアス(路面電車)に乗ってヒューストン駅に到着。列車の発車時刻までまだ四十分ほどあるので、余裕の吉山君ですね。めざすはアイルランド南部のマンスター地方、その観光の中心となる内陸の町キラーニーです。普通ヨーロッパの鉄道ですと、改札もなく列車に乗り込み車内で車掌が検札をするというやり方です。ところが切符を購入して急行列車(IC=Inter City)に乗り込もうとすると、ホームが金属の柵で囲まれており中に入れません。どうやらここで改札をするようです。でも十数番目なので自由席に座れるのは確実でしょう。行列に並んでいると、すぐ右側に車道があることに気づきました。なるほどこれは便利ですね、大きな荷物などをすぐに積み込むことができます。十分ほどすると改札がはじまり、車内に入れました。荷物置場にスーツケースとテニスバッグを置き、さあ自由席をさがしましょう。経験則では窓のところに指定席を示すカードがさしこんでなければ自由席のはず、この列車では電光掲示になっていたので名前が入っていない席に座りました。ヨーロッパでは定番の「脱出用窓ガラス破壊ハンマー」もちゃんと設置されています。
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 発車時刻が近づくにつれ、続々と乗客が乗り込んできます。いやあ早めに来てよかったねえ、と安堵の溜息をもらしていると、老婦人二人がにこやかに近づいてきました。そして指定席券を見せて、「ここは私たちの席なのですが」とおっしゃいます。えっ… あわてて席をゆずり、車内を駆けめぐってやっと空いている席を見つけました。やれやれ。単なる表示のミスなのか、それとも指定席車輌と自由席車輌が画然と分けられているのか、不明です。ま、結果オーライということですね。
 そして出発、雲が増えてきましたがいまだ晴天です。車窓から緑の牧草地や街並みや丘陵を眺めて楽しみ、あるいは微睡んでいると、二時間強で乗り換えのマーロウ駅に到着。キラーニーへ向うちょっと薄汚れた列車が待っていたので、さっそく乗り換えです。幸い席も確保できました。
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 さあ出発、車窓から外を見ていると西の方からどんどんと黒雲が流れてきます。一時間ほどでキラーニーに到着した時には、もうざんざん降りの本格的な雨。どうやら傘をささずにすむ日というのはなさそうですね。とにかく早くホテルに行って旅装を解きたい、地図によると駅からそう遠くないはずです。駅の入口からふと見ると、すぐそこにまるで貴族の邸宅のようなホテルがあります。「あんなホテルに泊まってみたいわあ」と潤んだ眼で訴えかける山ノ神。すみませんねえ、甲斐性なしで。でも何というホテルなのだろう、えーと、Maltonかあ… Malton? Malton! ここだあ! 手を組んで小槍の上でアルペン踊りをする二人、さっそく土砂降りの中、ホテルへと駆け込みました。ロビーに入ると内装、調度品、もう申し分なし。暖炉に火が入っています、いやほんと寒いぐらいの気温なのですね、これが。フロントでチェックインをして部屋に行きましたが、天井が高く広々としており、内装も豪華ではありませんが落ち着いた上質の雰囲気をかもしだしています。なおホテルの裏側には庭園があったので、そちらを見える部屋を期待したのですが、残念ながら正面側の部屋、眺望の半分ほどがホテルの建物に遮られています。でも十二分に満足、雨が降っても槍が降ってもこの部屋でのんびりと本を読んでギネスを飲んで昼寝をすれば、この世は天国さ。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-18 08:05 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(31):ダブリン・ライターズ博物館(08.8)

 さてそれでは駅へと戻りましょう。岬のあたりでは海水浴をしている方数人を見かけました。想像するに気温は摂氏20度前後、風が吹くと肌寒さを感じます。よくぞまあ海水につかれるものだと驚愕してしまいました。寒さに強い、あるいは晴れの日がめったにない、ということかな。途中にある小公園には『ユリシーズ』の文学碑がありました。
"…he gazed southward over the bay, empty save for the smokeplume of the mailboat vague on the bright skyline, and a sail tracking by the Muglins."
「…彼は湾の向うの南を眺めやった。輝く水平線にかすんでたなびく郵便船の煙と、マグリンズ島のそばを間切って行く帆船のほかには、何もない」(Ⅰ1「テレマコス」 p.48)
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 見張らしのよいベンチでは、老夫婦が海を見ながら何やら楽しげに語らっておられます。見ているだけで心温まる光景ですね。
 サンディコーヴ駅まで戻り、再びDARTに乗ってコノリー駅に到着。タルボット通りを十数分西へ歩くとオコンネル通りと交差します。オコンネル通りを北へ少し歩いていると、ゴミ箱を水洗いしている"働くおじさん"と遭遇。どこの国に行っても、真面目に愚直に一心不乱に働く方々を見るのは眼福です。なお、ダブリンで気づいたのは、とにかく灰皿付きのゴミ箱がやたらと設置されていることです。これは大変に重宝しました。
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 さらに歩くと、19世紀後半に自治獲得運動の中心となったパーネルの銅像がありました。一礼し写真におさめ、さらに北へ歩くとダブリン・ライターズ博物館に到着です。
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 四名のノーベル文学賞受賞者(ジョージ・バーナード・ショウ/W・B・イェーツ/サミュエル・ベケット/シェイマス・ヒーニー)をはじめ、ジェームズ・ジョイス、ジョナサン・スウィフト、オスカー・ワイルド、ショーン・オケイシーなどダブリンに縁りのある作家の初版本、手書きの原稿、手紙、肖像画や記念品などを展示しています。と、ジョイスってノーベル文学賞を受賞していないのですね。それはさておき受付で日本語による解説ファイルを貸してもらえます。心に残ったのは、その解説にあったジョイスの言葉でした。
 私が何を行うか、そして何を行わないかを言いましょう。私は信じないものに対して、決して自らを捧げることはないでしょう。それが、自分自身の故郷であろうと、祖国であろうと、教会であろうと。私は自らの生活様式を以って表現することに努めるでしょう、できるだけ自由にそしてできるだけ完全に、そして自分を守るための武器として、沈黙、亡命、および狡猾さのみを使用するでしょう。
 また博物館の建物は18世紀のジョージ王朝建築のタウン・ハウスで、これ自体も一見の価値があります。豪華な内装は、往時の有閑階級の暮らしぶりを彷彿とさせてくれます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-17 06:07 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(30):サンディコーヴとジョイス博物館(08.8)

 それではコノリー駅に向かいましょう。歩いて十分ほどで到着、ジョイス博物館のあるサンディコーヴ駅に行くため、ダブリン市内と郊外をダブリン湾沿いに南北に結ぶ列車DART(Dublin Area Rapid Transport)に乗り込みました。
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 リフィ川を渡って列車は南下、しばらくすると左側にダブリン湾が見えてきます。乗客はけっこういたのですが、携帯電話の画面を食い入るように凝視し慌しく親指を動かしている人はほとんどいませんでした。これはヨーロッパどこに行ってもそのようですね、携帯電話は単なる道具、ご主人でも責め具でも人間関係を代替するものではない、という意識をしっかりともっているように見受けられます。特に子どもが所持している場面はまったくといっていいほど見かけません。親が持たせないのか、法的規制があるのか、それとも子ども自身が全く興味を持っていないのか、ぜひ知りたいところです。携帯電話によってスポイルされている日本の子どもたちが可哀相。三十分弱で到着、駅構内には博物館までの案内図がありました。小さな駅舎を出て右に行くと、もう町の目抜き通りです。
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 サンディコーヴはAvocaと同じく、こぢんまりとした愛らしい街でした。いつ雨が降っても慌てふためくまいと腹はくくっていたのですが、幸いなるかな、晴天が続いています。太陽の光を受けて鮮やかに息づく緑の芝生、きれいな花で飾られた窓やドア、見ているだけで足取り軽くスキップを踏みたくなります。
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 しばし歩いて左に曲がるとすぐ正面に海が見えてきました。海岸沿いの気持ちよい歩道を右方向に歩いて行くと、ずんぐりとした石造り円筒型の塔が前方の岬のあたりに見えてきますが、これがジョイス博物館です。そして到着、駅から三十分とみておけば余裕のよっちゃんでしょう。
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 この塔は正式にはマーテルロー・タワー(Martello Tower)と言いまして、1804年から1806年にナポレオン軍の侵攻に備えた見張り台+要塞として、イギリス海軍がアイルランド東岸一帯15箇所に建てたものです。しかし結局侵攻は行なわれず、マーテルロー・タワーはそのまま放置されました。ここにある塔はその後賃貸住宅として利用され、ジョイスの友人であるオリバー・ゴーガティが住んでいました。ジョイスは1904年8月、恋人ノーラ・バナクルと駆け落ちする4カ月前に、彼に招かれ六日間をここで過ごします。その時、同じく客として来ていた英国人サミュエル・トレンチは興奮しやすい性格かつ夢遊病者で、夜中にヒョウがいると叫んで暖炉に向って銃を数発撃ったそうです。ゴーガティは「おれにまかせろ」と言って銃を取り、ジョイスの頭上にあったフライパンの列めがけて銃を発砲しました。ジョイスは翌朝この塔を去り二度と訪れることはなかったということです。この経験をもとに『ユリシーズ』の第1章「テレマコス」は書かれたわけですね。なお小説では、ゴーガティはバック・マリガンとして、サミュエル・トレンチはヘインズとして、そしてジョイス自身はスティーヴン・ディーダラスとして登場します。その後1962年にパリで最初に『ユリシーズ』を出版したシルビア・ビーチが、ジョイスゆかりのこの塔をジョイス博物館としてオープンしました。
 近くから見上げるとまるで化石となったプリン、ほとんど窓がなく堅牢そのものです。さあそれでは入館料を払って、中に入ってみましょう。一階では、『ユリシーズ』の初版本、恋人ノーラへあてた手紙、彼のステッキやチョッキやギター、デスマスクなどが展示されています。
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 二階はジョイスが『ユリシーズ』で描写したそのままのレイアウトに復元されていました。がらんとしただだっ広い空間に粗末なテーブル・椅子・ベッドとハンモックがあるだけの、何とも殺風景な部屋です。さらに狭いらせん階段を上ると円形の屋上(かつては砲座)に出られます。ダブリン湾やサンディコーヴの町並みを一望できるなかなかの絶景。さきほどの部屋で感じた虚無感を吹き飛ばすように、一陣の涼風が肌をなでていきました。『ユリシーズ』では「彼はいかめしく歩み出て円形の砲座にあがった。くるりと向き直り、三度、塔と、まわりの土地と、目覚めかけた山々をおごそかに祝福した」と描かれている場所です。なお一階にはミュージアム・ショップもあり、Tシャツとダブリン市内にあるジョイス物件を紹介するを大型絵葉書を購入。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-16 06:10 | 海外 | Comments(1)

アイルランド編(29):ラフカディオ・ハーンの家(08.8)

 朝目覚めると、太陽の光が窓から差し込んでいます。Here comes the sun ! Sun king ! Good day sunshine ! 「アイルランドは雨でなくちゃいけねえ」と"引かれ者の小唄"を唄っていたわれわれですが、やっぱり晴れてほしいというのが本音。いつもにまして気合を入れてアイリッシュ・ブレックファストを腹に詰め込み、荷物をフロントに預け(本日はキラーニーへの移動日)、いざジョイス博物館へ出立です。おっと、その前に見ておく物件がありました。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が少年時代を過ごした家が、税関近くのガーディナー通りにある「タウン・ハウス」というB&Bとなって残っているという情報を得ました。鉄道のガードをくぐるとすぐに発見、看板の中央には松江でもよく見かけたハーンのあの懐かしい後姿があります。壁には "THIS GEORGIAN RESIDENCE WAS THE BOYHOOD HOME Lafcadio Hearn"という記念のプレートが掲げてありました。
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 彼についてすこし紹介しておきましょう。ハーンの父はアイルランド人ながらギリシアに駐屯していたイギリスの軍医で、生母はギリシア人でしたが、離別します。幼いハーンは父方の大叔母にあずけられ、4歳から13歳ころまでダブリンで(たぶんこの家で)暮らすことになりました。熱心なカトリック信者である彼女は、ハーンを神父にしようと厳しい教育としつけをしましたが、これがかえって彼をキリスト教から遠ざける結果となります。またハーンは極度に臆病・神経質で、よく夢のなかでお化けのようなものを見たそうです。大叔母はそれを知ると、矯正のために彼を灯火のない部屋に一人寝かせるようにしましたが、これが逆効果となってしまったようで、この部屋で夜を過ごすと、お化けが現実にあらわれたと彼自ら語っています。これは司馬遼太郎氏が「愛蘭土紀行Ⅱ」(朝日文庫)で指摘されているのですが、そうした幻視は、もちろん彼個人の資質も大きく影響しているでしょうが、彼の精神に脈打つ遺伝子とも言うべきケルト的心性の存在も見逃せないのではないか。古代ケルト人は、霊魂の不滅を信じ、動植物の姿をとる神々を崇拝し、樹木、森、泉を神聖視したそうです。そうした信仰を支えたのがドルイドとよばれる司祭で、語源は「オーク(落葉広葉樹のナラ)を知る者」、たくさんのやどり木を寄生させるオークの木が豊穣の象徴として特に崇められたそうです。アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックおよびその後の布教者たちは、こうした汎神教的土着信仰に寛大で、ドルイドの神々は抹殺されずに妖精として生き残ってきました。自然を神聖視し、その背後に小さな神々(妖精・精霊・お化け)を感じ取るケルト的心性が、ハーンをして幻視体験に導いたと思えますね。そして同じく汎神教的土着信仰に満ち満ちた国・日本に出会い、彼の心性が共鳴して『怪談』として結実することになった…
 プレートにはこういう一文がありました。"THE CELTIC SPIRIT OF VAGUE UNREST AND A REACTION TO WESTERN MATERIALISM HIM TO JAPAN IN 1890." 拙訳すると「西洋の物質主義に対して漠然とした不安と反発を感じるケルト的精神が、1890年に彼をして日本へと向かわせた」ということでしょう。こうしたことを思い浮かべながらハーンの作品を読み返すと、新たな発見や魅力に出会えるかもしれません。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-15 06:07 | 海外 | Comments(1)

アイルランド編(28):コノリー駅(08.8)

 なお前述の「血の日曜日事件」をテーマとしてジョン・レノンが作った曲が"Sunday Bloody Sunday"(アルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」に収録)です。その後、U2も同じテーマとタイトルで違う曲を作っていますが(アルバム「WAR」に収録)、おそらくレノンから強い影響を受けたのでしょう。なお司馬遼太郎氏が「愛蘭土紀行Ⅱ」(朝日文庫)の中で、ジョナサン・スウィフトとジョン・レノンの共通点を語っておられます。実はこの二人の生い立ちは酷似しているのですね。スウィフトについては以前に紹介したので割愛しますが、ジョン・レノンはリヴァプールのスラムに生まれ、両親に縁がうすく、少年時代には札つきの不良でした。その結果としての人間的弱さや愛情への飢餓、それと裏腹の非情さと残酷さと人間嫌い、そうした思いを言葉あるいは音楽として紡ぎ、叩きつけるように表出させる。これは司馬氏の炯眼だと思います。また、リヴァプールには貧困や飢饉から逃れて来たアイルランド移民が多く、ジョン・レノンはその末裔ではないかと氏は推測されていますが、ジョンは先祖がアイリッシュであったと自ら語っています。彼がアイルランドへの熱い思いと、イギリスへの激しい憎悪に満ちた曲を作るのは、そのためかもしれません。さきほど紹介したアルバムには、"THE LUCK OF THE IRISH"という強烈な曲も収められています。
もしも君たちがアイルランド人の運命になったら
悲しくて 死んだ方がましだと思うだろう
だからアイルランド人の運命になって
イギリス人でよかったと思ってみるのだ!

1,000年の拷問と飢えの歴史が
国民を自分たちの国から追い出した
美と神秘に満ちた国は
イギリスの略奪者どもに強奪された

もしも君たちが花のような声を持てるなら
世界中にシャムロックが咲くだろう
もしも君たちがアイルランドの小川のように夢を飲めるなら
世界は朝の山のように高くそびえるだろう

リヴァプールで彼らは話してくれた
イギリス人がどのようにして国を引き裂いたかを
苦痛と 死と栄光と
古き良き時代の詩の国を

もしも我々が 朝の露で鎖を作れるなら
世界はゴールウェイ湾のようになるだろう
小さくしなびた老人の姿をした鬼のように虹を渡ろう
世界は巨大なブラーニー・ストーンになるだろう

イギリス人共はなんでそこにいるのだ?
神を楯にとって殺人を犯すとは!
すべてを若者たちとIRAのせいにする!
大量虐殺を犯しておきながら!そうだ!そうだ!大量虐殺だ!

もしも君たちがアイルランド人の運命になったら
悲しくて 死んだ方がましだと思うだろう
だからアイルランド人の運命になって
イギリス人でよかったと思ってみるのだ
イギリス人でよかったと思ってみるのだ
 そしてコノリー駅に到着、明日ジョイス博物館に行くための列車を確認し、引き返してこのあたりで夕食をとりますか。と突然の驟雨、「財布を忘れても傘を忘れるな」と肝に銘じていたので大事には至りませんでしたが、やれやれですね。♪ああめが降ったら濡れればいいさ♪と傘もささずに平然と道行くDubiners諸氏を脇目に、あわてて傘をひろげるひ弱な二人でした。アイルランドは羊が多い≒羊の肉が旨い≒ケバブが旨い、と漠然と期待しているわれわれとしては、ぜひともケバブを食べたいのですが店がみつかりません。雨が激しくなってきたので捜索を断念し、眼前にあった「バーガー・キング」に飛び込み、食費節約の意も込めてハンバーガーセットをいただきました。ホテルに戻る途中で、昨夜も立寄ったコンビニエンス・ストア「SPAR」に入り、ギネスの缶ビールと飲料水を購入。昨日と同じアラブ系に見えるレジ係の方が、われわれを覚えていたのですね、はにかんで微笑みながら「アイルランドは好きかい?」と呟いたので「もちろん」と答えると「僕もさ」。嗚呼、こういう国でありたいですね。

 本日の一枚はコノリー駅です。
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by sabasaba13 | 2009-04-14 06:07 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(27):ジョイス像(08.8)

 郵便局前の横断歩道を渡り、タルボット通りを少し東に入ったところにジョイスの銅像があります。岩波文庫「ダブリンの市民」の表紙に使用されているものですね。足を組んでステッキに寄りかかり、ポケットに片手を入れた小粋な姿。このあたりは地元民ご用達の小売店が建ち並んでおり、けっこうな賑わいです。時期的にはバカンスのシーズンだと思うのですが、あまり閑散とした感じではなく、日常的な雰囲気のようでした。夏のパリだったら、犬と日本人しかいないって言われるのにね。長期のバカンスに出かける習慣がないのか、あるいは不景気によるものかは判断がつきません。この通りを東へ東へ歩くと、コノリー駅に着きます。途中で、"POLSKI"という看板をいくつか見かけたのですが、ポーランド人が経営する商店でしょう。そういえば、さきほどのツァー・ガイド氏が「15年ほど前から、ポーランドからの移民が急増した」と言っておられました。同じカトリック国ということで、移住先や出稼ぎ先に選んだのでしょうか。
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 駅近くの歩道には"IN MEMORY OF THE VICTIMS WHO DIED IN DUBLIN AND MONAGHAN BOMBINGS 1974"と刻まれ、十六名の氏名が記されたモニュメントが建てられています。うむむ、北アイルランド紛争に関係してダブリンで起きた爆弾テロによる犠牲者を追悼する碑だとは思いますが、不勉強なため詳細についてはお手上げでした。今調べてみてあらためて、問題の深刻さと複雑を痛感した次第です。それでは北アイルランド紛争の歴史についてひとくさりまとめておきましょう。なお「Six String Street」というサイトが大変参考になりました。画面を借りて感謝いたします。
 さきほども見たように、1949年、アイルランドは共和国を宣言してイギリス連邦から脱退しましたが、ベルファストを中心とする北部(アルスター地方の6県)は連邦にとどまりました。イギリスからのプロテスタント系移住民が多いという理由でしたが、実際にはカトリック系住民が人口の約40%をしめており、無理のある措置でした。その後北アイルランドでは、就職・住宅・選挙などにおけるカトリック系住民への差別が続き、プロテスタント系住民との間の反目・対立が激化することになります。1967年ごろから、 マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の黒人公民権運動に影響されて、プロテスタントによるカトリックへの差別停止を訴える公民権運動が活発となりました。これに対して武装警察や民間警察が激しい弾圧や暴力行為を行ったため、武力闘争を訴えるIRA(アイルランド共和軍)の活動も先鋭化し、またカトリック系住民の支持を集めました。そして1972年1月30日、北アイルランドのデリーで、公民権協会による平和的なデモにイギリス第一歩兵大隊パラシュート連隊が発砲し、非武装のカトリック系一般住民14名が射殺される(うち5名は背後から射撃される)、いわゆる「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」が起こります。この事件にアイルランド国民および共和国は激怒し、ダブリンのイギリス大使館が焼きうちにあうなど、各地で抗議デモや報復、大混乱が多発しました。これ以後の1974年から78年にかけて、カトリック系・プロテスタント系双方の武装組織によるテロ行為が悪化、毎年200~300人の一般市民を巻き込んだ死者がでています。そのうちの一つに、1974年5月17日、爆弾テロによりダブリンで25人が、モナハンで6人が死亡した事件があります。死亡者の数が違うのが気になりますが、コノリー駅前のモニュメントはこの事件を追悼しているのではないでしょうか。なお爆弾を仕掛けたのは、イギリスによる北アイルランド統治継続を望むプロテスタント系武装組織で、その背後にはイギリス情報当局の援助があったという説もあります。
 1979年、エリザベス女王の伯父にあたるマウントバッテン卿がIRAの時限爆弾にて死亡し、サッチャー首相はIRAの撲滅を宣言します。これに対して1984年にはサッチャー首相暗殺が実行されますが失敗、しかし代わりに5名が死亡、30人が重軽傷を負います。この後双方による数え切れない暗殺、報復、爆弾テロが80年代いっぱい相次ぎ、毎年100~200名以上が死亡しました。その後紆余曲折を経て、IRAの停戦宣言、そして1998年には「イースター合意」が成立して翌年に北アイルランド自治政府が誕生しました。ようやく平和的解決への糸口が見えてきたところですが、まだ様々な面での対立は燻っており予断は許されない状況のようです。

 このモニュメントに出会えたおかげで、歴史・宗教・政治が複雑に絡み合ったこの紛争の一端を知ることができました。石に字が刻まれただけの地味な碑でも、歴史的な多くの出来事を調べ、知り、考えるための縁(よすが)になってくれるのだということをあらためて痛感。同時に、誰にも記憶されない忘れられた悲劇が過去、そして現在、あまたあることも銘肝しましょう。そうした悲劇を記録し伝達し報道することが、必ずや抑止力となることを信じます。実は旅行中のある日TVニュースが"Georgia conflict"について報道していました。はじめはアメリカのジョージア州で何か起きたのかな、と間抜けなことを考えていたのですが、画面の地図を見てはっとしました。黒海とカスピ海の間… グルジアだ… ロシア軍による軍事侵攻か、これはチェチェン紛争とも何か関係するのかもしれないぞ、とお粗末な語学力を精一杯駆使して、旅行中は連日ニュースを見続けました。しかし帰国後、日本のTVを見ると北京オリンピックで大はしゃぎ、グルジアの「グ」の字もでてきません。視聴率稼ぎに奔走するジャーナリズムに問題があるのか、あるいは重要な事件に無関心な視聴者に問題があるのか、たぶん両方でしょうね。歴史と他者に対する想像力と関心の欠如、これはわれわれの宿痾なのかもしれません。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-13 06:07 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(26):中央郵便局(08.8)

 そうこうしているうちに、バスはオコンネル橋の南側で停車、ここで解散となります。それではもう少し町歩きをすることにしましょう。橋を渡るとオコンネル像のすぐ西側に、サッカー用品を売っている店がありました。別にサッカーにとりたてて興味をもっているわけではありませんが、訪れた国や都市のチームのユニフォームを買ってしまう変な癖があります。これまでもアムステルダム、ミュンヘン、ポルトで購入したのですが、緑色のアイルランド・ナショナルチームのユニフォームを見つけ無性に欲しくなり、購入。
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 そのすぐ先で、またレオポルド・ブルームのプレートを発見しました。
"Pineapple rock, lemon platt, butter scotch… among the worm fumes of Graham Lemon's,"
「パイナップル味の棒飴、レモン入りキャンディ、バタースコッチ。…グレアム・レモン菓子店の暖かい甘い匂いのなかで…」(Ⅰ8「ライストリュゴネス族」 p.367)
 その直後にブルームは福音伝道者がアメリカからやってくるというチラシをYMCAの青年から受け取りますが、すぐに丸めてオコンネル橋からカモメめがけて投げつけ捨ててしまいます。かつてここに菓子店があったようですが、今ではFoot Lockerになっていました。
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 中央郵便局の手前の道を西に曲がると、これも「ユリシーズ」に登場したオーヴァル酒場があります。ブルームとならぶもう一人の主人公スティーヴ・ディーダラスの父、サイモン・ディーダラスたちが飲みにいった酒場ですね。
「―どうした? とマイルズ・クローフォードがびくりとして言った。あの二人はどこへ行った? ―誰が? 教授が振り向いて言った。あの二人はオーヴァルへ飲みに行ったよ」(Ⅰ7「アイオロス」 p.319)
 ふたたびオコンネル通りに戻るとすぐそこが中央郵便局(General Post Office)、アイルランドの独立を語る上で欠かせない建物です。
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 第一次世界大戦の勃発(1914)にともないイギリスの監視が手薄になることから、アイルランド共和国同盟(IRB)は好機をとらえてアイルランドで武装蜂起することを1914年8月に決議しました。そしてパトリック・ピアースやジョセフ・プランケット、イギリス外交官だったサー・ロジャー・ケースメントが中心となり、アイルランド市民軍を率いるジェームズ・コノリーが指揮官となって計画が進められることになります。1916年4月はじめにピアースはアイルランド義勇軍のメンバーに向けて「イースターの日曜日から3日間パレードと演習を行なう」と新聞で通達、これは蜂起の決行の合図でした。しかし事前に計画はイギリスに洩れ、さらに武器の調達にも失敗、もはや蜂起の成功は絶望的でしたが、ピアースやコノリーは、アイルランドの人々の独立に対する意識を目覚めさせるためにはもはや血の犠牲が必要と考え、予定より1日遅れた4月24日イースターマンデーに、ずっと少ない兵力(義勇軍1000、市民軍250)であえて蜂起を決行しました。午前11時にアイルランド義勇軍と市民軍が市内数カ所に集合し正午までに中央郵便局、フォー・コーツ、王立医科大学など要所にある建物を占拠し、本部となった中央郵便局の玄関ポーチの階段から、トム・クラーク、ジェームス・コノリー、ショーン・マクダーモット、ジョセフ・プランケットと共にピアースが臨時大統領として『アイルランド共和国宣言』を読みあげました。これに対してイギリスは本国から援軍を求め、ダブリン城の守りを固めます。アイルランド軍は最初こそ優勢であったが、イギリス軍の援軍は序々に数を増し、28日金曜日には反乱軍1600人に対して英国軍はおよそ2万人、大砲によって中央郵便局だけでなくオコンネル通りの建物はことごとく破壊されてしまいます。4月29日の朝、中心メンバーは一旦ムーア通りに逃れましたが、一般市民の犠牲があまりにも大きく、ピアースは同日午後、無条件降伏を受け入れることになります。3000人以上の死傷者を出し、200軒以上の建物を壊し、アイルランド軍の指導者達は蜂起の無謀さを批難され、群衆のやじの中連行されました。しかし、ダブリンの人々の意識を変えたのは蜂起そのものではなく、その後の英国政府の対応でした。ピアース、コノリーを含む反乱のリーダー15人をキルメイナム刑務所やダブリン城で処刑したことは英国への反感をいっきに高め、アイルランド人の愛国心をよびおこして英国の支配を廃止しようとする気運となり、そしてこの運動は遂に1921年にアイルランド自由国の設立と1949年の共和国設立につながっていくことになりました。
 なおこの時の激しい砲撃で中央郵便局の建物は破壊され、最後に火が放たれて正面部分を残して完全に焼き尽くされてしまいました。(修復のすえ1929年より営業を再開) 内部にはイースター蜂起の記念像「死せるク・フリン像」が展示されていました。また正面の列柱にはこの時の弾痕が残っています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-04-12 09:28 | 海外 | Comments(0)

急告

急告

 以前、拙ブログで長崎の本河内高部ダムを設計された吉村長策氏のことを紹介したところ、ご子孫の「はじめまして」さんからコメントをいただきました。すると先日、吉村長策氏について調べておられる方から、是非とも伝えたいことがあるので連絡先を知りたいというコメントがありました。「はじめまして」さん、もしこれをお読みでしたら非公開コメントでメールアドレス等連絡先を教えていただけないでしょうか。
by sabasaba13 | 2009-04-11 08:57 | 鶏肋 | Comments(0)