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「魯迅烈読」

 「魯迅烈読」(佐高信 岩波現代文庫)読了。「伝説の日中文化サロン 上海・内山書店」(太田尚樹 平凡社新書436)、そして「暗い夜の記録」(許広平 安藤彦太郎訳 岩波新書215)と読み進めてきて、いよいよ魯迅の作品に真っ向から挑んでみたくなりました。その前にもう一冊くらい彼に関する本を読んでおきたいな、と思った次第です。王道ならば「魯迅」(竹内好 未来社)でしょうが、竹内好は別の機会にまとめて読みたいので、あえて覇道である(佐高さん御免なさい)本書を選びました。
 佐高氏といえば、「社畜」「銀行のヤクザ化とヤクザの銀行化」といった痛烈な言葉で社会状況を撃つ硬骨の評論家、その彼が魯迅から厳しい批判精神のありようを学び取っていたことがよくわかりました。魯迅のいろいろな言葉を紹介しながら、思いの丈を述べておられますが、自らの論敵への批判などは少し鼻白むところがあります。よって佐高氏編集の魯迅アンソロジーとして私は読みました。奴隷根性や主体性と自立性の欠如を嫌い、「希望」や「光明」といった甘い言葉に安易に寄りかからず、権威や権力にねばり強く抗い続けた希代の批判精神の持ち主、魯迅。「眼を覚ませ、自分の頭で考え自分の足で歩け、そしてねばり強く仲間を増やしていけ」というメッセージを自分なりに受け取りました。人が人を支配するというネットワークが網の目のように張りめぐらされ、主人か奴隷になるしかない現代日本において、もっとも必要な作家・評論家が魯迅ではないでしょうか。その一端を垣間見せてくれた佐高氏に感謝するとともに、魯迅の滋養と苦味に満ちた言葉を引用したいと思います。
 思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。「故郷」 (p.17 ※本書のページ数)

 もし虎にぶつかったら、木へよじ登って、虎が腹をすかして立ち去ってから降りてきます。もし虎がいつまでも立ち去らなかったら、自分も木の上で餓死するまでですが、その前に自分を紐で木へしばりつけて、屍体だって絶対にくれてやりません。だが、木がなかったらどうか? そのときは、仕方がない、食わせてやるより手がないが、こっちだって一口くらいは噛みついてやります。「両地書」 (p.59)

 進取的な国民の中では、性急さも結構だが、中国のような麻痺した場所に生まれた以上、それでは損するだけです。どんなに犠牲をはらったところで、自分をほろぼすのがせいぜい、国の状態には影響はありません。…この国の麻痺状態を直すには、ただ一つの方法しかない。それは「ねばり」であり、あるいは「絶えず刻む」ことです。「両地書」 (p.62)

 きれいごとの好きな学者たちが、どんなに飾り立てて、歴史を書くときに、「漢族発祥の時代」「漢族発達の時代」「漢族中興の時代」などと、立派な題を設けようと、好意はまことに有難いが、措辞があまりにもまわりくどい。もっと、そのものズバリの言い方が、ここにある―
一、奴隷になりたくてもなれない時代
二、当分安全に奴隷になりおおせている時代 「灯火漫筆」 (p.74)

 現代の社会では、理想と妄想の区別がハッキリしない。もうしばらくしたら、「できない」ことと「しようとしない」こととの区別もハッキリしなくなるだろう。「随感録39」 (p.82)

 「現在」を殺せば、それは「将来」を殺すことだ。―将来は子孫の時代だ。「随感録57」 (p.83)

 死者がもし生きている人の心の中に埋葬されるのでなかったら、それは本当に死んでしまったのだ。「空談」 (p.93)

 前に羽ぶりのよかったものは、復古を願い、いま羽ぶりのいいものは、現状維持をねがい、まだ羽ぶりのよくないものは、革新をねがう。
大ていこんなところだ。大てい! 「小雑感」 (p.102)

 しかし暗黒であるからこそ、救われる路がないからこそ、革命が必要ではないのか? もし前途に必ず「光明」や「救いの路」という保証書がはりつけられていて、それだからこそ勇ましく革命をやるというのであれば、それは革命家ではないどころか、まったく投機家にもおとる。投機でも、それをやって成功するかどうかは、あらかじめ知りようはないのである。「掃共大観」 (p.110)

 主人である時に一切の他人を奴隷にするものは、主人ができると、必ず奴隷をもって自ら甘んずる。これは天経地義、動かすべからざる真理である。「南腔北調集」 (p.116)

 枝葉を取り除いてしまう人は、絶対に花や実を手に入れることができない。「且介亭雑文末編」 (p.126)
 また、てっきりカート・ヴォネガットのものだと思っていた「神よ、われに与えたまえ。変えることのできないものを受け入れる冷静さと、変えるべきものを変える勇気とを。そしてその二つを識別できる知恵をわれに与えたまえ」という言葉が、アメリカのプロテスタント神学者ラインホルト・ニーバーのものだと判ったこと、鶴彬というプロレタリア川柳人(「修身に ない孝行で 淫売婦」!)の存在を知ったことなども、本書のおかげです。そして、核(原子力)発電を批判し続けた稀有なる物理学者・故武谷三男氏の見事な言葉に出会えたことが何よりの喜びです。日本、いや世界中の教員諸氏に贈ります。
 ウソをつくなという教育は、ウソによってしか武装できない民衆を武装解除させる役割しか果たさない。ウソをつくなというより、権力者のウソを見抜く知恵を授けよ。それが教育だ。(p.17)

by sabasaba13 | 2009-05-19 06:08 | | Comments(0)

グレープフルーツの花

 唐突ですが、グレープフルーツの木に花が咲きました。今は昔、二十年ほど前、山ノ神がグレープフルーツを食べていたところ、芽がちょいと出ていた種を発見したのが事の発端。「なんでも考え、かんでも知って、なんでもかんでもやってみよう」(ケペル先生お元気ですか)が建前の彼女、物は試しとその種を鉢に植えました。すると、すくすくすくすくと成長し、鉢から猫の額のような庭に植えかえてもその勢いは止りません。こりゃあグレープフルーツがたわわに実り、一攫千金かなと不遜なことを二人で考えていたら、どうしたことか花が咲きません。別段、園芸に興味はないので、何の手も打たずに♪そのうちなんとかなるだろう♪とほったらかしにしておきました。そして流砂の如く時は過ぎ去りはや十数年、人の背丈をすでに越えた今年、待望の花が咲きました。地球温暖化の影響もあるのかなとも思いましたが、ここは素直に喜びましょう。白い花が房となり、柑橘系のほのかな香りをただよわせています。
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 それにしても、あの小さな種がこんなに大きな木に成長するなんて… あらためて自然の凄さには頭が下がります。福岡伸一さんも「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」とおっしゃっていましたっけ。そしてこうした身近な奇跡に驚嘆する感性、レイチェル・カーソン言うところのセンス・オブ・ワンダーを忘れないようにしたいものです。倦怠と幻滅、つまらない人工的なものに夢中になることに対する、かわらぬ解毒剤として。さあはたして実はなるのでしょうか、胸ときめかせながら待っています。

 本日の一枚です。
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 追記。「危ない国」でお伝えしましたが、プルトニウム約1.7トンを含む20トンものMOX燃料(ウラン・プルトニウム混合酸化物)が日本に到着したようです。しかも朝のニュースでは小さな扱い、おまけに「プルサーマル燃料」と危険性をおおいかくすような表現をとっていました。Welcome Plutonium !
by sabasaba13 | 2009-05-18 06:10 | 鶏肋 | Comments(0)

アイルランド編(48):イニシュモア島(08.8)

 しばらくペダルをこいで坂道を上りきると、眺望が開けてきます。海へと続く緩やかな斜面は見渡す限り一面の牧草地、そして手で積んだ武骨な石垣が網目模様にように縦横にめぐらしてあります。なおその総延長は1500km以上に及ぶそうです。羊や牛はそれほど見かけませんでしたので、島の産業は観光が中心になっているのかもしれません。離れて点在する家々も昔ながらの石造り・藁葺き屋根はほとんど見当たらず、モダンな建物がほとんどです。映画で見たような昔の生活を偲ばせるものはないのですが、この身が引き締まるような光景を見られただけで満足です。悠久の時をかけ血の滲むような労苦で荒野の上につくりだされた牧草地や石垣、そして風に吹き飛ばされまいと地に根づきしがみつくような家々、そしてその向うには島民に恵みをもたらし時には試練を与えてきた青い海。自立を人生最高の宝とし、生きるために闘ってきた島ひとたちに、あらためて敬意を表したいと思います。そして時々道ぞいに、小さな十字架が乗っている石造りの碑を見かけるのですが、おそらく海で死んだ人たちを追悼するためのものでしょう。映画のワンシーンにあった牙を剥き荒れ狂う冬の海が脳裡をよぎります。
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 それではイニシュモア島のハイライト、先史時代の遺跡ドン・エンガスへと向いましょう。なお西の方から雲がどんどん流れてきて空を埋めつくしはじめましたが、これは想定内、というか覚悟はできています。ま、雨が降らなきゃ御の字です。広漠とした荒野を貫く一本道を走っていると、はるか前方にそれらしき断崖が見えてきました。しばらくすると島びとの墓地があり、ハイクロスが無言で林立しています。
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 ゆるやかな坂道をのぼって到着、駐輪場に自転車を置き、ビジター・センターで入場料を払い、ここから荒野の中にある遊歩道を歩いていくことになります。なおセンター内には全貌をとらえた空中写真などこの遺跡に関する展示がありました。すこし歩くと島の子どもたちでしょうか、三人の少年が道の脇に座りアコーディオンと笛でアイリッシュ音楽を奏でていました。前に蓋を開けた楽器ケースが置いてあるので、こうしてお金を稼いでいるのですね。しばし聞いていたのですがなかなかの腕前、哀愁をおびたメロディが旅情をそそります。2ユーロをあげて、先へと進みました。
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 ごつごつした岩が露出する坂道を十数分歩くと、遺跡に到着です。
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 石積みの壁が海に向って四重の半円形に築かれており、直線部分の下は切り立つような断崖絶壁です。その正体については、砦か、はたまたドルイド教の神殿か、解明はされていないとのこと。遺跡の迫力もさることながら、高さ約100mの断崖のど迫力には言葉を失いました。ほぼ垂直に切り立つ断崖がどどーんと真っ逆さまに海へと突き刺さっているようです。これまで見た中で最も凄かったのは能登半島のヤセの断崖ですが、セットカウント3-0(6-2 6-1 6-4)でこちらの勝ち。おまけに手すりも立ち入り禁止の立て札もありません。恐る恐る縁に近づき、他のみなさんがしているように、腹ばいになって下を覗き込みました。はるか下の方で逆巻きながら島に襲いかかる波、そして顔を吹き飛ばすような強い潮風、あまりの怖さにすぐ腰が引けて脱出。
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 たぶん日本だったら完全に立入禁止にするか、象が体当たりをしても壊れないような頑丈な柵をもうけるのだろうなあ。「危険かどうかは自分で判断しろ、危険だと思ったら近づくな、近づいて起こった結果は自分で責任をとれ」というやり方のほうが好きですね。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-17 08:46 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(47):イニシュモア島(08.8)

 45分ほどの快適なクルーズで、イニシュモア島の玄関・キルロナンに到着です。フェリーから次々と吐き出される人・人・人の波・波・波。もう完全な観光地になっていることがよくわかりました。なお年間に約25万人の観光客が訪れるそうです。よって自転車を借りられるのか少し不安でしたが、まったくの杞憂、そこかしこにレンタル・ショップがあり、しかも膨大な数の自転車が並べてあります。われわれは港から一番近い店で借りましたが、料金は一日10ユーロ+保証金10ユーロ、まあ納得の値段です。
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 見上げれば紺碧の空にところどころ白雲がぽわんぽわんと浮かび、風もない絶好の徘徊日和… いやっ絶対に油断をしてはいけないし予断は許されないしなめたらあかん。必ずや数時間後には黒雲が押し寄せ、車軸の如き雨が降るに違いない、一応腹はくくっておきましょう。
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 さて彷徨には欠かせない地図ですが、ガイドブック所収のもの、および船に乗る時に某あんちゃんがくれたアランセーター販売店のパンフレットに載っているもの、この二つで充分でしょう。しかし石橋を叩いてつき指をするのが私という男、念には念を入れてすぐ近くにあったインフォメーションに寄って詳しい地図を手に入れましょう。係の方に訊ねると地図は有料で、やはり高額です。数瞬躊躇しましたが、まっいいか、島だし何とかなるだろう、と購入しませんでした。島だし… 島だし? 嗚呼、今、喜界島で見たあの標語が、記憶の暗闇から閃光のように浮かび上がってきました。「島だから その考えが命とり」 何故、過去を胸に刻みそこから学べないのだろう、結局これが原因で少々痛い目を見るはめになりました。ま、それはもうちょっと後の話、議事進行、異議なあし。
 まず天気が良いうちにどうしても行ってみたいのが、ブラック・フォート(The Black Fort=Dun Dubhchathair)という遺跡です。「ナオコガイドのアイルランド日記」によると、アラン諸島の原風景とも言うべき荒涼とした岩場、そして断崖のおりなす絶景、ぜひとも訪れる価値がある場所だそうです。手持ちのしょぼい地図にもたしかにその地名が載っていました。キルロナンの近くにあるようなのですが、地図があまりにアバウトすぎてよくわかりません。誰かに訊ねようにも地元民の姿はなく、気がつくと多くの観光客で賑わう島の幹線道路に入ってしまいました。しゃあない、ここは後回しにしますか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-16 09:25 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(46):イニシュモア島へ(08.8)

 朝目覚めると、雲は薄く青空が透けて見えています。これは何とかなるかもしれない。朝食をとり部屋に戻ると山ノ神があることに気づきました。これまで泊まったホテルの部屋すべてに、ズボン・プレッサーが置かれている… また机の引き出しの中にはヘアドライヤーが(盗まれないように固定されて)置かれている… これは雨の多さと関係しているかもしれません。
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 さあいよいよ今回の旅行で最大のお目当て、アラン諸島へ出発です。ゴールウェイ湾の西方、街から約56kmのところに浮かぶ群島で、主要な島はイニシュモア島、イニシュマン島、そしてイニシーア島です。土壌も森林もなく岩と石が島を覆い、冬場には凄まじい波と風が襲う、過酷な自然環境の島です。ここで生きるために島人たちは、槌で岩を砕き、海草や岩の割れ目にたまった塵を集めて石の上に敷き詰めてわずかな畑をつくりジャガイモを栽培してきました。また薄い木片を編んで、そこに布地をコールタールで貼りつけただけの小舟(カラック[currach])に乗り込み、ウバザメをとって食用にするとともに、その肝臓を煮つめてとった油を唯一の明かりとして利用したそうです。またケルト文化の伝統を今日に伝える故地であり、アイルランドの劇作家J・M・シングによって島の口碑、伝説が収集され、これがアイルランド文芸復興運動を促す一因ともなりました。今でもゲール語が日常的に話されているそうです。そうした暮らしを圧倒的な映像で描いたドキュメンタリー映画「アラン」(監督:ロバート・フラハティ 1934年製作)を見て、どうしても訪れてみたくなった次第です。
 街の中心部にある指定された場所に行くと、バスが待機していました。これに乗り込んでまずは島に行く船が出航するロッサヴィールへと向かいます。途中から、パブの店名がゲール語表記に変わっていることに気づきました。また荒涼・茫漠とした原野が広がり、廃屋が点在していることも…
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 そして一時間ほどでロッサヴィールに到着、島行きの船が港で待っています。中型高速船に乗り込むと、ほぼツーリストで満員、すっかり観光地化しているようですね。
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 さあ出航です、前方の脇にあるデッキに陣取って、たっぷりと潮風を浴びることにしましょう。天候もすっかり回復し、青空が目に眩しいほど。風もなく海は穏やかですが、外海に出ると早い潮流のためか船はかなり揺れだしました。しかし軍艦島クルーズで、実は船の揺れには強いという自信を得た私にとっては、平気の平左。念のために用意したサロンパスも使わないですみました。はいっ、種明かし。実は何回も紹介しているブログ「ナオコガイドのアイルランド日記」の中で、どんなひどい車酔い・船酔いでもお腹にサロンパスを貼ると、あーら不思議、一発でなおるという話がありました。車や船に弱い方、お試しあれ。島影が大きくなるにつれて、否が応でもアドレナリンがふつふつと分泌してきました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-15 06:12 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(45):ゴールウェイへ(08.8)

 本日はバスでゴールウェイへ移動します。しみじみとがつがつと最後の朝食をいただき、余韻を味わうかのように部屋でしばし寛ぎました。午前十時の発車時刻に間に合うよう、チェックアウトをし、荷物を持ってすぐ近くのターミナルへと向かいます。黒く重そうな雲がたちこめていますが、幸い雨は降っていなかったので助かりました。バスはほぼ満員の状態ですが、早めに着いたので席も確保できこれで一安心。
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 なおゴールウェイ直行ではなく、リムリックで乗り換えることになります。出発してしばらくすると小糠雨が降り始めました。今朝のTVニュースがダブリンで洪水と報道していましたが、これからの天候が心配、やはり今年の雨の多さは異常なようです。一時間ほどすると突然の渋滞、バスは遅々として進まなくなります。リムリックでの乗り継ぎ時間は20分ほどなので、下手すると次のバスに乗れなくなるなとやきもきしてしまいました。しばらくすると前方の道路が通行止めで、車が迂回している状況がわかりました。理由は今もって不明ですが。ようやく車が流れはじめましたが、結局四十分ほどの足止め、運転手が携帯電話で連絡をとっていたので乗り継ぎバスはたぶん待っていることと期待します。いくつかの町を通り過ぎながら、バスは一路北へ。ふと気づいたのですが、バイパスがなく、必ず町の目抜き通りを走り抜けていきます。よって車に乗っている人はちょっと町のレストランやパブに寄ったり、買物をしたりすることができるのではないかな。地方を衰微させないヒントになりそう。そして大幅に遅れてリムリックに到着、駅で小用をすませ、待ってくれていたバスに慌てて乗り込み、セーフ。やれやれ。
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 ここからゴールウェイまで約二時間、雨は相変わらず降りつづいています。そして鉄道の駅と一体となったターミナルに到着。雨が降りしきる中、十分ほど歩いたところにあるホテル"Harbour"に辿り着きました。
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 ゴールウェイでは四泊しますが、中日はすでにモハーの断崖へのバス・ツァーを予約してあります。よって今回の旅行における最大の見もの、アラン諸島訪問を明日にするか、三日後にするかが悩みの種。悪天候だったら目もあてられません。島内で自転車による移動は困難となるし、船の揺れも心配(へたすりゃ欠航)。困ったときの神頼み、山ノ神のご託宣をうかがうと「よきにはからえ」。んな無責任な! しょうがない、乾坤一擲、一か八か、のるかそるか、山勘で明日行くことにしましょう。駅の近くにあるインフォメーションに行って、アラン諸島行きバス+船の申し込み場所を確認し、ついでに三日後のコング・コネマラ国立公園ツァーの予約も入れておきました。道路を渡った対面にあるツァー受付事務所に行って、アラン諸島のイニシュモア島への往復バス+船の予約をし、係の女性に明日の天気を訊ねると、たった一言、"pray"。ま、そりゃそうだよね。祈り、そして耐える、しかし挫けない。アイリッシュ・ウェイがほんの少しわかってきました。なお二つの会社がツァーを主催していますが、料金・内容・所要時間等まったく同一のものです。狂ったように料金とサービスを競り合って共倒れになるより、のんびりやって共存していこうぜ、ということなのでしょうか。だとしたら素晴らしいですね。「悪魔の碾き臼」から抜け出す秘訣がここにありそうです。
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 それでは気を取り直して夕食をとりましょう。目抜き通りキー・ストリート(Quay Street)に行くと歩行者天国となっており、雨のそぼ降る中多くの人で賑わっていました。ガイドブックに掲載されていた店"Quay Street Wine Bar & Restaurant"に入り、鯖と鮭のソテーをいただきました。
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 そして腹ごなしの散策、店の近くにあるのが聖ニコラス教会、そう「サンタクロース」として知られる守護聖人ですね。コロンブスも1477年にここを訪れているそうです。そしてリンチ家の城、ゴールウェイの名家リンチ家の住まいだった家で、現在は銀行として使用されています。
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 そしてキー・ストリートの先にある石造りのスペイン門を見学。かつてスペインの貿易船がよく入港したのが名前の由来で、街を取り巻く城壁の末端部分だそうです。門の近くには"IN MEMORY OF MARINERS LOST AT SEA"という碑があり、背面には数人の人名が刻んでありました。荒れ狂う大西洋の海鳴りが耳に響いてくるような気がしました。再びキー・ストリートを歩いていると、オスカー・ワイルドと彼の父が向かい合って坐る銅像を発見。ゴールウェイとはどういう関係があるのでしょうか? さてそれではホテルの部屋に戻り、明日の好天を願って就寝前の祈祷をすることにしますか。pray…
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-14 06:09 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(44):キラーニー(08.8)

 そしてキラーニーの街に着いて解散。ロータリーのところに、アコーディオンを弾いているJohnny O'Learyという人物の銅像があったのですが、正体は不明です。余談ですが、「人名の世界史」(辻原康夫 平凡社新書295)によると、O-は古ゲール語の前置詞で「~の血筋をひく」を意味するua-が連音化したもので、元来は祖父以前の父祖名のしかも男性のみ用いられたそうです。(ex.オブライエン、オハラ、オサリバン、オコナー、オキーフ) ついでですが、Mac-は「~の息子」を意味する接頭辞で、通常は父親の名につけて名のったとのこと。(ex.マクドナルド、マックィーン、マッカーシー、マッキントッシュ、マッケンジー、マクミラン、マッカーサー) なるほどねえ、ギルバート・オサリバンも、パット・オコナー(「リングの魔術師」…古いなあ)も、ジョージア・オキーフも、ジョン・マッケンローも、ダグラス・マッカーサーも、アイリッシュの血をひいているわけだ。
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 閑話休題。道路の向こう側では、"GLASS RECYCLING"と表示されたトラックが、ガラス瓶の回収をしています。そういえば"CLEAR GLASS" "BROWN GRASS" "GREEN GRASS"と三種類に分けられた大きな回収箱を見かけました。効率的なリサイクルが可能なのはガラス瓶とアルミ缶だという話をどこかで聞いたことがありますが、アイルランドではガラスのリサイクルにきちんと取り組んでいるようです。
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 天気も好いことだし国立公園の中の並木道を少し散策、聖メアリー大聖堂の前に出て街の中心部へと向かいました。
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 夕食はどこでとろうかなとキョロキョロしていると、地元民御用達の風情がある、安そうなセルフ・サービスの食堂がありました。("Country Kitchen") さっそく入って、ロースト・チキンとサラダを所望、味は…言わぬが花。さて、明日はバスでゴールウェイへと移動、よってキラーニーを歩くのは今晩が最後です。だいせんじがけだらなよさ、名残は尽きねどお別れの意味を込めて徘徊をしましょう。"BEER GARDEN UPSTAIRS"という看板では、擬人化された火のついた煙草がにこやかにジョッキで乾杯をしています。公共の場での禁煙は室内に限られる、つまり店の戸外の部分では喫煙してよいということなのでしょうか。愛煙家の心を揺さぶる看板です。
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 アイルランドにおける街歩きの楽しみの一つは、店の看板ウォッチング。絵入り、手書き、見事な字体、巧拙とりませた種々の看板が眼を楽しませてくれます。
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そうそう、ダブリン・キラーニー・ゴールウェイを歩いていて気づいたのですが、ダウン症の子供を連れた家族をよく見かけました。別に人目を気にしていないという雰囲気をひしひしと感じますね。さてそれでは部屋に戻り、荷物をまとめることにしますか。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-13 06:23 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(43):ディングル半島(08.8)

 ここから半島を東へと戻り、キルマルケダル教会へ。このあたりはかつてのキリスト教の中心地だったそうですが、今では廃墟となっています。側壁と前後正面の壁だけが残る、石造りの教会遺跡が残されていました。これだけの石を削って建物として積み上げるのにどれくらいの時間がかかったのだろう、想像しただけでも気が遠くなります。「われわれがやったんだよ」と語りかけるように、教会の隣にはハイ・クロスの墓標が林立する墓地がありました。なおここの入り口あたりに、杖をもった魔法使い?のシルエットを黄色く描いた道標があったのですが、何なのでしょうか、気になります。
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 そして半島の中心都市にしてアイルランド最西の町ディングルに到着。ここで一時間ほどの小休止、色とりどりに塗られたカラフルな家並みを眺めながら街の散…「水族館に行くぞよ!」 車窓から目ざとく水族館を見つけた動物好きの山ノ神の託宣が出てしまいました。いたしかたない、つきあいましょう。親子連れで賑わう、まあなんてことはない普通の水族館でした。エイに素手で触ろう、というコーナーは珍しかったのですが。
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 まだ多少時間があるので、港を歩いていると突然の驟雨。こうもり傘は肌身離さず持ち歩いているので事なきを得ましたが、あっという間に上がってしまいました。これが本来の「シャワー」なのですね。集合時刻まで、港や街角をしばし散策しました。
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 そしてバスに乗り込み、キラーニーへと向かいます。途中で山々や丘陵、海、そして石垣で区切られた牧草地を一望できる最後の撮影ポイントに停車、今日一日好天を配してくれたキリスト教の神とドルイド教の神々と山ノ神に感謝をしながらシャッターを切りました。
 キラーニーに帰る途中の車窓からも、いろいろな発見を得ることができました。アーチ状の石橋はかつて鉄道が通っていた頃の名残だというガイド氏の説明がありました。マクドナルドのドライブ・スルーや郊外の大規模小売店を見かけましたが、グローバリゼーションの波はアイルランドにも容赦なく押し寄せてきているのですね。"CAUTION Cattle Crossing"という牛の絵が描いてある道路標識には思わず微笑が浮かんでしまいます。しかしすぐあらわれたのは「制限速度100km」という道路標識。自動車が時速100kmで牛の列に突っ込んだら大惨事になりそう、大丈夫なのかな。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-12 06:12 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(42):ディングル半島(08.8)

 またしばらく走ると、大西洋にぴょんと突き出したダンモア岬を見晴らせる、絶好のビュー・ポイントに到着。
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 荒波で削られた豪壮な断崖、そしてその先に見えるのがグレート・ブラスケット島です。実は帰国後に、カメラマンの藤原新也氏が書いた小説「ディングルの入江」(集英社文庫)を読んで知ったのですが、独立後、財政が苦しかったアイルランド政府は、ブラスケットのような島を管理することが経済的負担となり、行政命令によって島の住民を強制的に本土に移住させてしまい、1950年代半ばには無人島となったそうです。本書にはこの孤島に関する痛快無比なエピソードが紹介されていました。アイルランドがイギリスに支配されていた頃、税金を取りにやってきたイギリスの役人を海賊だと思い、様々な手練手管を使って撃退したそうです。島に近づく船に、断崖の上から女たちが雨あられと石を投げつける。(イギリス人は女性を撃たないから) それでも引き返さない時には、捕らえておいた鮫を放ち、羊や鶏の首にナイフをあてて海に投げ込む素振りを見せる。動物の血で興奮した鮫に食い殺されてはかなわんと、これにはさすがの役人もあわてて逃げ出したとか。登場人物の一人はこう語っています。「彼らがイギリス連邦のやつらを海賊だと思い込んでいたのも決して間違いじゃねぇ。やつらはただ宗教が違うっていう理屈をこねて、他国の人間を好きなだけぶっ殺し、金品を奪ったんだからな」
 岬に続く斜面は牛や羊が草を食む牧草地で、手積みの石垣によって区切られています。ばしゃばしゃ写真を撮っていると、ガードレールがわりの石垣にカモメがやってきて、「おいでませ」と挨拶をしてくれました。
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 そして近くにあるビジター・センター内のレストランで昼食。われわれは珈琲を飲むだけにして、付近の散策をすることにしましょう。少し歩いて海岸に出ると、ごつごつとした石を波が洗っています。付近は牧草地か岩石が露出する荒野で、集落はなく家々がうずくまるように点在しています。森林がほとんど見られないのは、やはり土壌と関係しているのでしょうか。たまたま今日は穏やかな日和ですが、これで悪天候になったらと思うと、その暮らしの厳しさに身が引き締まる思いです。
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 さてそろそろ出発時間、バスに戻って次の目的地、クロハー岬へ。広大に広がる緑の草原の向こうに突き出ているのがクロハー岬、その右手にぽこんぽこんぽこんと並ぶ三つの小山は、スリー・シスターズと呼ばれているそうです。草の緑、空と海の青、雲と波の白が奏でる色の饗宴にしばしうっとりと見惚れました。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-11 07:48 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(41):ディングル半島(08.8)

 朝目覚めると晴天ですが、必ずそのうち雲って雨が降るでしょう。朝食を食べ、部屋でSKY NEWSの天気予報を見ても、キラーニー付近に雲はありません。いや、そんなわけはない、必ず雨は降る。本日はディングル半島のバス・ツァーを予約してあります。昨日と同様、迎えに来てくれた車に乗ってツァー営業所に行き、バスに乗り換えました。ディングル半島は、昨日のケリー周遊路(アイベラ半島)のすぐ北に位置し、大西洋に突き出た半島です。なだらかな丘陵と美しい海岸、そして各所に点在する遺跡が見どころとのことです。また日常語としてゲール語が使われている地域(ゲールタクト)でもあります。なおこちらもケリー周遊路同様、公共輸送機関がないのでレンタカーかバス・ツァーを利用するしかありません。
 キラーニーを出発し北へと向かったバスは、やがてディングル半島の南側に沿う道を走ります。なだらかな丘陵の斜面は、ほとんどが羊や牛の放牧地として利用されている様子。太陽の光を浴びて輝く緑が目に沁みるようです。どうせすぐ雨が降り出すのでしょうから、しっかりと網膜に焼き付けておきましょう。まず到着したのが、(未見ですが)映画『ライアンの娘』の舞台ともなったインチ海岸。美しい砂浜と、それを優しく見下ろす緑の丘陵、海の向こうにはアイベラ半島がくっきりと浮かびあがっています。
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 バスが停車しているあたりからは、青い空と白い雲のもと、緑の牧場と点在する家々、そして牛・羊・馬たちが長閑にたたずんでいるのが見えました。
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 ここからバスは西へと向かい、(たぶん)コナー峠のあたりで停車、美しい風景撮影タイムです。うーん、たしかにこれは見事な眺望だ。うねるようになだらかに連なる変化に富んだ丘陵、そして手積みの石垣で区切られた緑の牧草地、微睡む牛たち、遠方には陽光に煌くディングル湾も見えます、もう一幅の絵ですね。自然に立ち向かうが抗わない、そういう人々の長い長い営みがこの光景を築きあげたのでしょう。荘厳ささえ感じてしまいます。
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 さてバスはディングルという愛らしい港町を抜けていきますが、道路標識等でゲール語が優先されているのが目につきます。ここがゲールタクトであることを実感。そして斜面を削ってつくられた海沿いの道をさらに西へと走っていくと、石を積んでつくった家・納屋・塀をよく見かけますが、木が少なく石が多いというこの地の風土が影響しているのでしょう。
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 しばらく走ると、緑の丘陵の裾野が断崖となって海へと続く景勝の地に到着、ここでも写真撮影タイムです。海の向こうにはアイベラ半島が霞んで見え、その先に尖がった小さな島がありますが、もしやあれが世界遺産のスケリッグ・マイケルではないでしょうか。険しい岩礁の頂上付近に残された、初期キリスト教遺跡群です。海がよほど凪いでいないと近づけない、きわめてアクセスが困難な遺跡なので、今回の旅行では行くのを諦めました。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2009-05-10 09:07 | 海外 | Comments(0)