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アイルランド編(62):ギネス・ストアハウス(08.8)

 駅方面へまた三十分ほど歩き、本日最後の見学場所、ギネス・ストアハウスへと到着。このあたりセントジェームスゲートにはギネス工場もあり、町中にモルトのにおいが漂っています。なお有名なギネスブック(ギネス・ワールド・レコーズ)ですが、これはロンドンのある出版社の社員がパブでの雑談で浮かんだアイデアを、当時ビールの販売促進策を考えていたギネス社に提案し、1955年にギネスのロゴマークを入れた宣伝本として創刊されたそうです。チケット売り場に行くと、まるで東京ディズニーランドのように行列を整理するためのポールとテープがはりめぐらされていました。今日は並ばずに買えましたが、大混雑する時もけっこうあるのでしょうね。
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 ここから各階にそって、派手なディスプレイをまじえながら、ギネスビールの製造過程や、ギネス社の歴史・資料・広告が展示されています。
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 そして最上階のバー「Gravity Bar」ではできたてほやほやのギネスビールが1パイント無料でふるまわれます。けっこうこれが目当ての人も多いようですが、入場料はたしか15ユーロ、5パイントくらい飲ませてくれないと元はとれません。われわれも当然の如く注文しましたが、カウンターにいる係員はグラスの5/7ほどしか注いでくれません。訝しく思っていると彼曰く「二分間待ってください」。ようがす、待ちましょう、するとやや濁っていたビールがみるみる澄んだ黒褐色へと変化し、それとともにクリーミーな泡が表面に浮かび上がってきました。すかさずそこに蛇口からビールを注ぎ足すと、あの美味しい美味しい泡のできあがり。なるほどこうやってクリーミーな泡をつくっていたのですね、納得。
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 なおここからの眺望はお見事、高層建築がほとんどないダブリンの街をパノラマで見ることができます。しかし雲気鬱勃、そして当然の如く降り始めた雨、これで十二日間連続の雨ですが、われわれにとってはギネスなみの記録です。
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 そしてお土産屋でギネスビールのTシャツを購入。これまでの旅行で、久米島の久米仙およびポルトのサンデマンとお酒Tシャツを買ってテニスをする時に着たところ、仲間に大好評。勝利の美酒ということでしょうか、そのロゴマークに触ると試合に勝てる(ような気がする)という伝説も生まれました。(結果なぞどうでもよくなり、早く酒が飲みたくなるからやめてくれという御仁もいましたが) これで世界三大酒造会社のTシャツがそろいました。(どこがだ)
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-10 06:10 | 海外 | Comments(2)

アイルランド編(61):キルメイナム刑務所(08.8)

 さて、それではキルメイナム刑務所へと向かいましょう。歩いていると、ホップオン・ホップオフという乗り降り自由のダブリン市内巡回観光バスがひっきりなしに走り過ぎて行きます。オープン・エアの二階建てバスなので眺めも良さそう、時間があったらこれに乗って市内を一周したいのですが、ちょっと無理かな。リフィ川を渡りヒューストン駅の前を通って、ガイドブックによるとここから徒歩七分ほどで着くはずです。着くはずです。着くは… 見つからない… 例の如く観光案内の道標も地図も見当たりません。たまたま犬の散歩をされていた地元民らしき初老の男性に訊ねると、にこやかに道の西方を指さして「ひたすらこの道を歩いていきなさい」とのお答えです。観光ずれしていないがために案内標識が少ないのかなと愚考するとともに、道に迷ったら地元の人に訊ねれば親切に教えてくれるよ、ということなのでしょう。イニシュモア島のように、地元の方が見当たらないと閉口しますが。言われたとおりに二十分ほど歩いたでしょうか、やっとのことで刑務所以外のなにものにも見えない外観の、威圧的な石造りの建物にたどりつきました。
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 ここキルメイナム刑務所はフランス革命やアメリカの独立戦争に刺激を受けアイルランド国内で国家主義者による反乱の気運が高まった1796年に建てられました。その後、ユナイテッド・アイリッシュメン、青年アイルランド党やフィニアン運動などの反乱、イースター蜂起の指導者など、1924年に刑務所が閉鎖されるまで約130年の間に10万人以上を収容してきた刑務所です。建物は石灰岩で作られたため、雨の日には水がもれ、湿気と冷気によって収容者のほとんどが健康を害したそうです。閉鎖後老朽化するまま放置されていましたが、もと収容者など有志が民族運動の記念碑としてこの建物の保存運動を始め、1984年に博物館としてオープンしました。なお見学はガイド付きツァーのみで、入場料を支払って中に入り、ツァー出発の呼び出しがあるまでしばらくの間付属の資料館を拝見しました。放送による呼び出しが流れ、所定の場所に集合、女性のガイド氏に引率されたわれわれ二十名ほどは刑務所の中に入っていきます。まずはチャペルで、この刑務所の歴史に関するビデオが上映されました。ちなみに、このチャペルは、イースター蜂起のリーダーの一人であったジョセフ・プランケットが処刑の数時間前に、同じく収監されていたグレイス・ギフォードと結婚式を挙げたところです。英国の兵士が銃をかまえる中で誓約が読まれた直後に二人は引き離され、処刑の直前に、たった10分間だけいっしょにいることが許されたというエピソードがあるそうです。
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 そして時々立ち止まっての解説をまじえながら、見学がはじまりました。薄暗くじめっとした所内は空気が澱み、アイルランドが歩んできた辛苦の歴史の重みに押し潰されそうです。房のいくつかには収監された人びとの名を記したプレートがありました。James Connolly, Thomas MacDonagh… 覗き穴から房内を見ると、息の詰まるような狭い空間と、壁の上部に開いた小さな窓、そこから注ぎ込む眩い光。蜂起のリーダーたちはどんな思いであの光を見つめていたのでしょうか。
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 そして吹き抜けになっている広い空間へと着きました。中心部がガラス窓となっている天井から光がふりそそぎ、監視棟を中心に房が半円形・放射状に配置されています。これはイギリスの功利主義哲学者、ジェレミー・ベンサムが考案した囚人監視、パノプティコン(一望監視施設)ですね。看守から囚人は見えるが、囚人からは看守が見えない、その結果囚人は常に監視されていることを意識せざるを得ない。そして囚人は自分を監視する"看守"を自己のうちに形成してしまうので、看守の人数は少数ですむ(場合によってはいなくてもよい!)。ミシェル・フーコーが『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社)でこのシステムを取り上げ、監視によって規則を内面化させ従順な身体をつくりだすという近代社会の原理の象徴として分析したのは周知のことですね。そして監獄だけではなく、軍隊、学校、工場、病院といった近代に登場した組織も、この原理に基づいてつくられていることも忘れないようにしましょう。で、ふと思いついたのですが、携帯電話もある種のパノプティコンではないのか。ただしそれは一望監視ではなく、監視する主体と監視される客体がめまぐるしくいれかわり区別がなくなるネットワーク型監視。だとしたらこれはきわめてストレスがたまるシステムですね。これまでとは違うタイプの犯罪が増えているような気がするのですが、これが原因だと言ったら穿ちすぎかな。なおこのパノプティコンは明治村の金沢監獄中央看守所・監房(1907)で見ることができます。蛇足、近代日本において、明治期の主な監獄を一手に引き受けて設計し監督した人物は山下啓次郎、誰あろうジャズ・ピアニスト山下洋輔氏の祖父にあたる方なのですね。[「建築探偵 東奔西走」 p.32 (藤森照信 朝日新聞社)]
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 高い塀と建物の壁で囲われた中庭に出ると、ここで処刑されたイースター蜂起の指導者たちの名を刻んだプレートがありました。塀の前にある小さな十字架の一つは、ジェームズ・コノリーがここで処刑されたことを示しています。そしてここでツァーは終了、なかなか見ることができない刑務所内部の見学に加え、アイルランド近代史の重みも知ることができた貴重な一時間でした。
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 本日の三枚、一番下の写真がコノリーが処刑された場所です。
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by sabasaba13 | 2009-06-09 06:11 | 海外 | Comments(2)

アイルランド編(60):アーバー・ヒル墓地~フェニックス公園(08.8)

 ここから裏道を駅の方に歩いていくと、十分ほどで国立博物館・本館(コリンズ・バラック)の裏手、イースター蜂起(1916)のリーダーたちが眠るアーバー・ヒル墓地(Arbour Hill Cemetary)に到着です。教会の右を奥へ進むと、正面に墓所とモニュメントがありました。そこにゲール語と英語で刻まれているのは、蜂起の際に中央郵便局の玄関ポーチ階段で臨時大統領ピアースが読み上げた「独立宣言書」ですね。冒頭の部分で"IRISHMEN & IRISHWOMEN"と女性にも呼びかけているところに志の高さを感じます。墓に一礼してフェニックス公園へと向かいました。
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 実はさきほどオールドジェイムソン蒸留所でもらったダブリン観光地図がかなりの広域がのっており、ジョイス関連物件も記載されている優れもので、さっそくこれを見ながら住宅街を抜けて公園方向へと向かう道を歩き始めました。墓地の裏側には"DEDICATED TO THE IRISH CITIZENS WHO DIED IN THE SERVICE OF THE UNITED NATIONS"と刻まれたモニュメントがありましたが、国際連合の活動中に落命した方々への追悼でしょう。さて住宅街を歩いているうちに地図の表現がどうも曖昧となり、なかなかたどりつけません。
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 右往左往してようやく公園正門を見つけました。ここフェニックス公園の面積はおよそ700ヘクタール、ニューヨークのセントラルパークの2倍以上でヨーロッパ最大の広さだそうです。もともとキルメイナムの聖ジョン修道院の土地でしたが、16世紀の宗教改革で没収され、そこにオーモンド公爵が1662年にロイヤルディア(鹿)パークを建築したのが始まり。よってとてもとても全部を廻りきることはできず、入り口近くのベンチで広大な芝生の広場や生い茂る木々を見ながら一休みしました。ここから見える、高さ61メートルの巨大なオベリスクがウェリントン公爵記念碑。ワーテルローの戦いでナポレオンを破ったイギリスの軍人・政治家ですね。オコンネル通りのネルソン記念碑は爆破して除去したのに、こちらを残してあるのはちょっと不思議。何か謂れでもあるのでしょうか。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-08 06:09 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(59):オールドジェイムソン蒸留所(08.8)

 本日はダブリンへの移動日、8:25発の列車に乗りますが指定席をおさえてあるので安心です。ただ今日は日曜日なのでホテルの朝食は7:30から、食べている暇はないと判断しました。チェックアウトして食堂に寄りパンと果物を所望、列車の中で食べることにしましょう。出発する日に晴れると無性に悔しいものですが、曇天です。荷物をごろごろとひきずって駅まで歩き、急行列車(IC=Inter City)に乗り込みました。さきほどいただいたパンと果物をいただき、うつらうつらしながら車窓からの眺めを楽しみましょう。
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 岩の露出する荒涼とした光景が、東に行くにしたがい緑におおわれた山野へと変わっていくのがよくわかります。ゴルフコースのグリーンで、数頭の羊たちが真ん丸くなってかたまって寝ていたのには笑ってしまいました。駅を通り過ぎるたびに目につくのが、古い意匠の鉄製跨線橋です。かつて人々に、産業革命の成果を誇らしげに語ったのでしょうか。
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 途中の駅で、同じような青いユニフォームを着た大勢のみなさんがどやどやと乗り込んできました。ダブリンでサッカーの試合でもあるのでしょうか。そして11:10にダブリン・ヒューストン駅に到着、今晩は空港近くのホテルに泊まるので、荷物をロッカーに預けて駅の近くを徘徊することにしました。駅のコインロッカー室に行くと初老の係員がいて、軽い冗談を言いながらいろいろと面倒を見てくれました。雇用確保のためか、はたまたすべてを機械任せにせず人間の手を介さないと気持ち悪いとうアイリッシュ・ウェイなのか、いずれにしても良いものです。ただ午後七時で閉まってしまうのがちょっと不便ですが。そうそう、日本ではスーツケースが入るような大きなコインロッカーってあまり目にしませんね。外国からのツーリストはどうしているのだろう? 中央駅に着いて大きな荷物の預け場所が見つからず右往左往しているのだったら、旅行者に冷淡な国という第一印象をもたれてしまいます。
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 というわけで、最初のダブリン徘徊で見られなかった街の西部、ヒューストン駅周辺の物件を午後七時まで見物いたしましょう。まずはオールドジェイムソン蒸留所(The Old Jameson Distillery)の見学です。たぶん一番著名なアイリッシュ・ウィスキーである「ジェイムソン」を1971年まで実際に製造していた蒸溜所で、入場料を支払ってガイド付ツァーに参加することができます。実際に使われていた設備や模型、ビデオを見学しながら発酵や蒸溜などの製造過程が説明されました。特にアイリッシュ・ウィスキーとスコッチ・ウィスキーの違いには力を込めて強調されていましたね。なんでもアイリッシュ・ウィスキーは麦芽と大麦を使い密閉炉で乾燥、そして3回蒸留するのに対して、スコッチ・ウィスキーは大麦のみをピートで燻して乾燥、蒸留は2回だそうです。よって前者はピュアでなめらかな味に仕上がるとのこと。にぶく輝くポットスティルの妖艶な曲線にはぞくぞくっときますね。実際の樽の断面も展示してあり、何年も寝かせるうちに蒸発して消える分(angel's share)が意外と多いことも知りました。天使が羨ましい… 蒸留所にはネズミよけのために必ず猫が飼われていると聞いたことがありますが、復元された実物大室内模型の梁のところにちゃんと本物そっくりの猫がいる芸の細かさ。生まれ変わるとしたら、絶対にwhiskey catだ。そして最後に、定番の試飲でしめくくりです。
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 なおすぐとなりに、実際に使用された煙突を改造した展望台「チムニー」があるのですが、残念ながらメンテナンスのため上れませんでした。またあたり一帯はスミスフィールドといってかつての家畜市場でしたが、近年再開発が進んでいるそうで、ホテルやお洒落なレストランやパブなどが建ち並んでいます。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-07 07:46 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(58):ゴールウェイ(08.8)

 集合時刻となったのでバスに乗り込み、ゴールウェイへの帰途につきました。途中にあったのが、この地特産の大理石(コネマラ・マーブル)の採石場、そして"静かなる男"橋もこのあたりにあるそうです。主人公のショーン(ジョン・ウェイン)が恋人の兄ケネハー(ヴィクター・マクラグレン)と派手に殴り合った、あの石橋でしょうか。雨は相変わらず降り続いており、凄まじい水しぶきをあげながらバスは疾走。この雨の中、ジョギングをしている方、サイクリングをしている方を車窓から見かけました。
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 ゴールウェイに到着し解散、夕食はキー・ストリートにある地元民御用達らしきシー・フードの店でとりましょう。
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 鮭と鱈の大味なフィッシュ&チップスで空腹は満たされ、いつものスーパーマーケットによってギネスを購入。午後七時すこし前だというのにほとんどの店はシャッターを閉めています。営業時間を記してある看板を見ると、だいたい午後六時半~七時で閉店、中には午後五時閉店という店もありました。人間らしい暮らしを確保するには、みんなで、いっせーのせっ、と働くのをやめる必要があるのだなと痛感。場合によっては法的規制も必要でしょう。
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 外に出ると雨は降り続いています。店の入り口には"CAUTION WET FLOOR"という黄色い立て看板。これもある意味ではアイルランド名物ですね、これまでいろいろなデザインのものを見かけました。そしてびしょぬれになってホテルに到着。明日はダブリンへの移動日ですので、荷物をまとめなければ。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-06 23:10 | 海外 | Comments(0)

アイルランド編(57):コネマラ国立公園(08.8)

 そしてバスに乗り込み、しばらく走るとコネマラ国立公園です。右手に美しい湖が見えてきたので、バスは停車、写真撮影タイムとあいなりました。清涼な空気を深呼吸して、白い雲・青い空と湖・緑の山野がおりなす絶景を眺めていると、湖手前の牧草地左方から白いものが、のてのてのてのてのてのてのてのてと湧くように現れてきます。一群の羊たちでした。その何とも長閑な愛らしさには絶句、しばしの間見とれてしまいました。しばらく走ると今度は左手にきれいな湖が見えてきたので、ここでも写真撮影タイムです。こちらも素晴らしい眺め、湖とゆるやかに連なる緑の丘陵がまるで一幅の絵のようです。しかし湖の向こう、これからバスが向かう西の方から空を埋め尽くすかのように雲が迫っています。どうやら雨が降ってきそうな気配が漂います。
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 またバスに乗り込むとすぐにある家の前で停車、運転手兼ガイド氏曰く「ぼくの友だちがいるんだ」 すると門のところに、このあたり一帯で放し飼いにされている純血種コネマラ・ポニーが登場。バスが近づくと、いつもこうして挨拶にくるのですね、ういやつじゃ。
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 さてそうこうしているうちにお空は真ッ暗、暗の暗となりまして、雨が本格的に降りはじめました。次なる目的地はカイルモア修道院です。ロンドン出身の富豪、ミッチェル・ヘンリーが、最愛の妻のため1868年に建てた豪邸ですが、その後、第一次世界大戦で修道院が壊される被害にあったベルギーのベネディクト派の修道院が、1920年にここを買い取り、現在ではアイルランドでトップを誇る全寮制の女子校となっているそうです。バスから降りると、湖越しにネオ・ゴシック様式の優美な姿を遠望できます。背後に迫る山と幾筋もの流れ落ちる滝や、湖面に映る姿とあいまってなかなか見事な景観です。しかしこの頃から沛然とした雨となってきました。雨宿りもかねて建物の中に入って内部の部屋を見学し、見どころの一つビクトリア風庭園にシャトル・バスで行こうとすると、なんと雨のため庭園の公開が中止になってしまいました。いやはや、猫の目のような天候の豹変ぶりには、神の意思すら感じてしまいます。サンチョ・パンサ曰く「巷で《運命の女神》と呼ばれているあのお人は、酔っぱらいでひどく気ままな、おまけに目の悪い女だっていうからね。それで自分のしていることが見えねえものだから、誰をぶっ倒し、誰を持ち上げたかもご存じねえってわけですよ」 せんかたなし、付属のレストランに駆け込み、一休みすることにしましょう。注文したのはスコーンと紅茶ですが、前者は質朴でどっしりとした味わい、なかなかのものでした。窓から外を見やると豪雨によって道に川ができていますが、しばらくして小降りとなりました。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2009-06-05 07:53 | 海外 | Comments(0)

「ストラディヴァリウス」

 「ストラディヴァリウス」(横山進一 アスキー新書082)読了。クラシック音楽の一ファンとして、ストラディヴァリウスの名を聞くと心躍ります。しかしいろいろな伝説やら風聞やらに包まれ、製作者や楽器についての情報はあまり伝えられていないような気がします。機会があったら詳細を知りたいなと思っていたら、たまたま本屋で見かけたのが本書、新書なので気軽に読めそうだしさっそく購入しました。著者の横山氏はこうした銘器に惚れこんだ写真家で、なんとみずからもヴァイオリン製作を手がけるようになったそうです。まずこれまで頭の中で雑駁にちらかっていたヴァイオリンに関する知識を整理整頓していただいたことを、感謝します。例えばストラディヴァリは製作者の名前で、彼がつくった楽器をストラディヴァリウスと言うのですね。はじめて現在のようなヴァイオリンを制作したのがクレモナの楽器職人であるアンドレア・アマティ、彼の孫が名人ニコロ・アマティ、彼が育てた弟子がアントニオ・ストラディヴァリとアンドレア・グァルネリ、彼の孫(異説あり)が名人グァルネリ・デル・ジェス。なるほどなるほど。そしてこの楽器にまつわる興味深い逸話も盛りだくさん。はじめて知ったのですが、こうした古い弦楽器のネックはほとんど替えられており、オリジナルのものは少ないのですね。以下、引用します。
 今から200年ほど前から、音楽はしだいに教会や宮廷のサロン(室内)から劇場(コンサートホール)へと舞台を移し、1000人もの聴衆を対象とするようになった。その結果、より大きく強い音が求められ、ヴァイオリンも大きく改造されていった。そのためには弦長を伸ばす必要があり、ほとんどの古いヴァイオリンのネックは新しいものに替えられた。(p.62)
 それでは何故、演奏がコンサートホールへと舞台を移されることになったのか。そんなことを考えると、歴史の大きなうねりとの関連にも思いが及びます。また「ストラディヴァリウスの音の美しさはそのニスに秘密があり、もはや復元は不可能」という俗説もあります。しかし著者は、彼が使ったニスの処方は現在の科学をもってしても判明しないのは事実だが、成分が長い年月で風化してしまったためであり、それを音の秘密というのは言い過ぎだと述べられています。またストラディヴァリの生涯についてもふれられており、死ぬまで切磋琢磨ながら己の技を磨き続け、最晩年の93歳までそれほどの衰えを見せずに制作をしていたそうです。一言、頭が下がるのみです。
 この楽器自体の美しさと、音色の素晴らしさを語る本ゆえ、とても言葉では言い尽くせるものではないことは重々承知、それでもその一端を伝えようとする著者の思いは確実に受け取りました。氏が撮影したクレモナの街や、いろいろな楽器の写真がカラーで載せられているのも嬉しい限りです。
 巻末には、ストラディヴァリウスを使用したヴァイオリニストと、その楽器名が紹介されています。それではジノ・フランチェスカッティ演奏によるパガニーニのヴァイオリン協奏曲第一番を聴いて、「ハート」の音色を堪能することにしますか。
by sabasaba13 | 2009-06-04 06:07 | | Comments(0)

「棚田はエライ」

 「棚田はエライ 棚田おもしろ体験ブック」(企画:ふるさときゃらばん 監修:新潟県安塚町 編著:石井里津子 農文協)読了。棚田の本を見るとついつい手に取ってしまう私。これまでも、「百選の棚田を歩く」(中島峰広 古今書院)や「棚田の謎」(田村善次郎・TEM研究所 農文協)といった本を紹介してきましたが、正直に言って棚田の具体的なありさまや一年の通じての農作業の様子などについては隔靴痛痒でした。図版や写真をふんだんに使ってわかりやすく説明してくれる本はないのかなあ、と思っていたらたまたま某サイトで見つけたのが本書です。さっそく購入して読んだところ、小学生向けの大変わかりやすい内容で嬉しくなりました。しかも棚田を通して日本の農業の現状と将来にまで思いを馳せるという充実感、さすがは気骨にあふれる出版社・農文協が手がけるだけはあります。
 冒頭いきなり、棚田とは一枚一枚「あぜ」で水をためているたらいのようなもの、という比喩。うーん鮮烈なイメージがわいてきますね。以後、棚田における米づくりの一年、棚田の生きもの、棚田の役割、棚田のあるくらし、棚田のいま・未来という内容で、実際に子供たちが調べるための内容を記した作業ノートをなじえながら、棚田の全体像とその偉さ・凄さがわかるようによく工夫されています。ダムの機能、地すべりや土砂流出の防止、水や空気の浄化、気温の調節、生態系の保護など、環境や国土の保全に棚田がいかに貢献しているかについてあらためて認識させられました。やっぱ棚田はエライ! これからも各地の棚田を彷徨するでしょうが、見る眼が多少なりとも肥えたような気がします。本書の出版関係者に、そして美しく健康的な自然とともに、美味しくて安全な食べ物を確実に食べられるという、暮らしの基本中の基本を苦労しながら担い続けている棚田農家の方々に感謝するとともに、多くの子どもたち、いや大人たちにも読んでもらいたい好著としてお薦めします。
 できればこうした小規模の自営農業を、ある程度政策的に壊滅させてきた日本の農業行政と政権与党の政策についても、ふれてほしかったですね。それが無理なら、それについて考えるヒントやきっかけだけでもあれば、もっともっと懐が深くなるのではないかな。

 なお拙ブログの「写真館」、棚田のコーナーもよろしければお楽しみ下さい。
by sabasaba13 | 2009-06-03 06:06 | | Comments(0)

ダム

黒部ダム(富山県)
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白水堰堤(大分県)
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長島ダム(静岡県)
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井川ダム(静岡県)
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大野ダム(山梨県上野原市)
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豊平峡ダム(北海道札幌市)
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定山渓ダム(北海道札幌市)
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大井ダム(岐阜県恵那)
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布引ダム(兵庫県神戸)
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笹流ダム(北海道函館)
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大湊水源地公園ダム(青森県大湊)
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豊稔池ダム(香川県観音寺)
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本河内高部ダム(長崎県長崎)
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御母衣ダム(岐阜県)
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デ・レーケの堰堤(徳島県脇町)
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by sabasaba13 | 2009-06-02 06:09 | 写真館 | Comments(0)

言葉の花綵7

 およそ人間に関することで、私に無縁なものは何一つとしてない。(テレンティウス)

 単調よりは悪趣味のほうがまだましだ。(パブロ・カザルス)

 わたしは、鳥が歌うように絵を描きたい。(クロード・モネ)

 愚に耐えよと窓を暗くす竹の雪 (与謝蕪村)

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや (寺山修司)

 最後までベストを尽そう。もしもそれで駄目だったとしても、われわれはそのなかでき っと何かをつかむはずだ。わたしはその何かをきみたちひとりひとりにつかんでもらいたい。そして、最後は顔をまっすぐあげて、誇りをもって球場を出て行こうじゃないか。(海老沢泰久 「監督」より)

 人間は全ての環境に慣れる。(ドストエフスキー)

 私は生来御しやすい人間ではない。私の敬意によって生じたのではない権威など、怒りをもってはねつける。(ベルトルト・ブレヒト)

 未来のことを考える人には、未来がある。(ミッテラン)

 内角の球を恐がるヤツなんてこのチ-ムにはいませんよ。草野球じゃないんだから。(イチロー)

 規則はおれが作る。しかし、おれがその規則に従うとは限らない。(ビリー・マーチン)

 考えて打てだと。無理をいうな。二つのことが同時にできるものか。(ヨギ・ベラ)

「打者があなたの母親だったらビーンボールは投げないだろうね」
「彼女がホームプレート上におおいかぶさってバットを構えなければな。そんなことをしたら、たとえ母親でもおれは投げるのに躊躇しない」(アーリー・ウィン)

 好かれようと嫌われようと気にしない。ただ望むのは人間として扱ってほしいということだけだ。(ジャッキー・ロビンソン)

 野球とは陽光を浴びてプレーすべきもので、電灯の光のもとでプレーするものではない。(シカゴ・カブスのオーナー フィリップ・リグレー)

 野球がスローで退屈と思う人、それはその人が退屈な心の持ち主にすぎないからだ。(『ニューヨーク・タイムズ』 レッド・スミス)

 老人が一人死ぬということは、図書館が一つ燃えてなくなるということだ。(ギニアの格言)

 どんな事態になっても、人間にはしてはならないことがなければならない。

 軍隊とは、このように愚劣で非情な行動が行われ、しかもそれを隠匿する組織であることを覚えておく必要がある。

 このすでに意味を失った戦場で、絶望的な戦いを戦って死んだ兵士のために、オルモックの戦いの詳細を省きたくない。(『レイテ戦記』 大岡昇平)

 いずれも大柄な、うんこの太そうな女たちが踊っていた。

 中国人は、人間にはどれだけのことができるかという経験を、心ならずも極限まで極めさせられた民族のようだ。(『どくろ杯』 金子光晴)

 他人の欠落、不運だけをよりどころにし、支えにして生きのびなければならない、われも他人もおなじ、生きるということの本質の、嘔吐につながる臭気にみちた化膿部の深さ、むなしさ、くらさであって、その共感のうえにこそ、人が人を憫み、愛情を感じ、手をさしのべる結縁が成立ち、ペンペン草の花のような、影よりもいじけてあわれな小花もつくというものである。(『ねむれ巴里』 金子光晴)
by sabasaba13 | 2009-06-01 06:21 | 言葉の花綵 | Comments(0)