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土佐・阿波編(15):高知(09.3)

 追手前高校から南行し、天神橋通りをしばらく歩くと板垣退助誕生地の碑がありました。
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 碑文を引用します。
板垣退助(1837-1919)
戊辰の役には藩兵千人を率い東山道先鋒を努めた。立志社をつくり自由民権運動をおこす。自由党の総理となり全国遊説中、明治15年岐阜で刺される。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は有名。晩年は社会事業に全力をあげる。
 その先には後藤象二郎誕生地の碑。
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 こちらも碑文を引用します。
後藤象二郎(1838~1897)
 天保9年3月19日この地に誕生。義叔父執政吉田東洋に学び、藩政に抜擢される。第15代藩主山内豊信(容堂)の信任を受け、公武合体論を唱え土佐勤王党と対立。武市瑞山らを断獄する。のち坂本龍馬と接し、容堂公にすすめて大政奉還の大業を成す。
 明治維新後は竹馬の友板垣退助と共に自由民権運動を推進、在野勢力の大同団結に指導者の光芒を放つ。伯爵。
 と手放しで賞賛していますが、けっこう体制派のいいかげんな人物だったようです。三井家から費用を引き出し板垣と外遊したり、大同団結運動を唱導したが途中で投げ出して逓信大臣になったり、予算案をめぐって政府と民党が対立したときには民党を切り崩したり。最後は第5回帝国議会において経済界との癒着を攻撃されて農商務大臣を辞任、これで政治生命は終わったようです。それでは中央公園へと向かいましょう。途中にあった煙草の自動販売機に「カードなしでかえる!」と記されていたので、どれどれと近づいてみると、ミラーを通して成人の顔を認証するシステムでした。ほんとに見分けられるのかな、手間暇かけてこんな姑息なことをするより、自販機を全廃したほうがいいと思いますけれどね。煙草屋の看板娘に「餓鬼のくせに煙草を吸うんじゃないわよ」と言われたほうがよほど効果的だと思います。飲料の自販機はかなり電力を使うそうだし、地球温暖化抑制のために自販機をすべからく撤廃! 一考に値します。
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 大橋通りをしばし東行すると中央公園に到着、ここの一角に「自由は土佐の山間より出づ」と刻まれた立志社跡の碑がありました。碑文から引用します。
立志社は明治前期に、国会開設・憲法制定・言論の自由などを求めた自由民権運動を全国的にした中心的民権結社である。1874(明治7年)板垣退助らによって九反田に創設され、その後旧町会所(現高知大丸)に移された。1883(明治16年)に解散し、海南自由党がその使命を引き継いだ。1881(明治14年)に起草された立志社の「日本憲法見込案」は現憲法に大きな影響を与えている。
立志社は全国の民権結社の中で、その先駆性・指導性・人材の輩出・組織力・財政力など最高の存在であった。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-11 08:33 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(14):高知(09.3)

 そしてお堀を渡って高知城のある県立高知公園へ。散歩している方と行き交うと、お互い自然に「おはようございます」と挨拶をします。よく晴れた三月の土曜日の朝、城跡を散策する、これも「至高の生」ですね。石段をのぼると高知城が眼前に迫ってきました。1601(慶長6)年、土佐藩主となった山内一豊が築いた城、現存する天守閣は1748(寛延1)年に再建されたもので、他にも本丸書院、詰門、廊下門、黒鉄門、追手門などが残っています。以前に中に入ったことがあるので、外観を写真撮影するために立寄った次第です。朝日を満身に浴びて屹立するその威容にしばし見惚れてしまいました。
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 石段をおりて東側には山内一豊の妻と愛馬の銅像、板垣退助の銅像、追手門をくぐると野中兼山邸跡の碑、山内一豊の銅像がありました。
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 門の南側を歩いていると、「NTT西日本地球33番地支店」がありましたが、なんでもここは東経133度33分33秒・北緯33度33分33秒に位置するということ。でも「この希少価値ある「地球33番地」を郷土の誇りとして、世界に向けて情報発信しましょう」と言われてもねえ。その近くにあるのが武市瑞山殉節の地の碑。碑文を引用します。
 武市小楯、通称は半平太、瑞山と号す。文政十二年九月長岡郡吹井村に生る。天資英偉明秀人格一世に高し。幕末多難の際、土佐勤王党を率い国事に奔走す後、吉田東洋暗殺に連座し慶應元年閏五月十一日この地に割腹す。時に年三十有七。
 佐幕開国を唱えた改革派・吉田東洋を暗殺し、土佐尊皇攘夷派のリーダーとなった人物ですね。その後巻き返しにあい切腹を命じられます。なおその眉目秀麗なところから新国劇「月形半平太」のモデルとなったそうです。
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 そして立派な時計台のある追手前高校へ。実はここに奉安殿が残されているという情報を入手したもので、一か八かのるかそるか、寄ってみることにしました。状況によっては無断侵入も辞さない覚悟です。正門は開いていましたが、吹奏楽部の善男善女たちが楽器をもってわらわらと集まっており、それをにこやかに見守る顧問の先生、そして門前に停車している大型バス。どうやらこれか演奏会かコンクールに出発するところのようです。うむむむ、これでは強行突破は無理か… すると先生と目が合ってしまったので、「奉安殿を撮影する気も、ましてや女子高校生を盗撮する気も全くない、たまたま立派な時計台に目がひきつけられた一介の善良な旅行者」のような顔をして、門の外から時計台を撮影。そそくさと立ち去りました。念のためまわりを一周して塀の外からなめるように奉安殿をさがしましたが、見当たりませんでした。無念。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-10 08:30 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(13):高知(09.3)

 本日も快晴の模様、気持ちよくうろつきまわれそうです。予定通り六時に起きてすぐにチェックアウト、荷物をフロントで預かってもらってさあ高知市内を逍遥しましょう。まずははりまや橋まで歩いていき、路面電車に乗って「上町一丁目」で下車。すぐ近くに坂本龍馬誕生地の碑があります。乙女への手紙の中で龍馬は「姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」(1863)と書いていますが、龍馬さん、いまだにこの国は薄汚れています。
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 そして高知城のお堀端へ、桜は三分咲きでした。このあたりにたしか植木枝盛邸址があるはずですが… ふとマンションに垂直にとりつけられた雨樋を見ると、その途中に何とも狂暴なとげとげぎざぎざの金属片がはめてありました。これってもしや泥棒よけ? 土佐の泥棒の身軽さには恐れ入谷の鬼子母神ですね。
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 おっ、あったあった、白木蓮がきれいに咲いている古いお宅の前でした。
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 解説を読むと、一部改造されているとはいえ、ここは植木枝盛が実際に住んでいた家なのですね。碑文を引用します。
植木枝盛(1857‐1892)
 自由民権運動の指導者。号は榎逕、無天高士。小高坂村会議長、高知県議会議員、衆議院議員を歴任した。有名な日本国国憲案を起草、自由党、立憲自由党の中枢で活躍した。「民権自由論」「無上政法論」等の著作がある。明治11年以降この家屋に居住した。
 フェイス・ハンティングを一発、そしてやなせたかし描く「人KENまもる君」の壁画を横目にすこし歩くと、お城のすぐ北西に寺田寅彦記念館があります。
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 現在の時刻は7:05、開館していなのは覚悟の上、畏敬する氏の居宅をせめて外観だけでも見ておきたいと訪れました。なおここは寅彦が4歳から19歳まで住んだ家ですが、残念なことに空襲で焼けたため復元されたもの。解説板から引用します。
 寺田寅彦は明治11年(1878)に東京で生まれ、明治14年(1881)高知市に移り江ノ口小学校、県立尋常中学校、熊本の第5高等学校、東大物理学科で学び、同41年(1908)に理学博士となる。この記念館地に明治14年(1881)から明治29年(1896)まで住んだ。幅広い独創的な論文は250編もあり、「寺田物理学」ともいうべき世界を作り上げ、その門下生は各方面にわたり最高権威の学者を数多く輩出させた。文学の面でも吉村冬彦のペンネームで沢山の随筆、評論、俳句を発表し、趣味も広く絵画を描き楽器をたしなんだ。昭和10年(1935)12月31日死去。58歳。
 以前に「寺田寅彦随筆集(1)~(5)」(岩波文庫)の書評にも書いたことですが、くりかえしましょう。科学的態度で自然や人事を真摯に見つめる精神にあふれ、自然に対する敬意と興味を常にもち、映画・俳諧・音楽・絵画をこよなく愛し、そしてその思考の軌跡を科学的にしかも詩情あふれた文として紡ぎだした稀有なる人物、寺田寅彦。次なる一文はいかがでしょう。彼もまた「至高の生」を知る方でした。
 来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。
 また是非とももう一度(いや何度でも)紹介したいのが、1934年11月に書かれた「天災と国防」(第五巻)という随筆です。
 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。

 人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。
 満州事件(1931)、五・一五事件(1932)、国際連盟脱退・滝川事件(1933)といった軍国主義の暴走と、死者2702名をだした室戸台風の襲来(1934)が、この随筆を書いたきっかけだったそうです。今、あらためて読み返すと、寅彦の静かな怒りを秘めた叫びにも似た筆致に心動かされます。彼が指摘した事態は、より切迫したものとなってわたしたちの前に立ち塞がっています。そう、環境破壊ですね。もし彼が今生きていたらきっと冷静な口調でこう語るでしょう、「戦争なんかしている場合じゃないだろう、人類が一致協力して科学的対策を講じて環境破壊を食い止めよう」と。なお室戸岬は本日訪れる予定です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-09 07:13 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(12):高知(09.3)

 高知駅には18:09に到着、まだ落日まで間がありそうなので、前倒しで中江兆民誕生の地まで行ってみましょう。なお昨晩、観光案内所でもらった「高知市中心部マップ」がなかなかの優れもので、名所・旧跡に加えて歴史上の人物に関する記念碑なども網羅されています。こやつを頼りに、高知橋を渡り、江の口川ぞいに東行して高知八幡宮を過ぎたあたりに碑がありました。碑文を紹介します。
中江兆民(1847~1901)
自由民権の思想家。フランス留学から帰国後「民約訳解」によってルソーの思想を紹介し、また「東洋自由新聞」「政理叢談」等に自由民権論を発表した。第1回衆議院議員に当選したが民党一部の行動に憤慨して辞職。「三酔人経綸問答」「一年有半」等の著作がある。
 以前にも紹介しましたが彼の寸鉄のような言葉が忘れられません。
 我邦人は利害に明にして理義に暗し、事に従ふことを好みて考ふることを好まず、夫れ唯考ふることを好まず、故に天下の最明白なる道理にして、之を放過して會て怪まず、永年封建制度を甘受し士人の跋扈に任じて、所謂切棄御免の暴に遭ふも會て抗争することを為さざりし所以の者、正に其考ふること無きに坐するのみ、夫れ唯考ふることを好まず、故に凡そ其為す所浅薄にして、十二分の処所に透徹すること能はず、今後に要する所は、豪傑的偉人よりも哲学的偉人を得るに在り。(「一年有半」より)
 服従することを好み、考えることを嫌う国民。兆民先生、恥ずかしながら百年以上たった今でお全く変わっておりません。近頃では「パンは必要ない、サーカス(オリンピック)だけ与えておけ」と某都知事になめられている体たらくです。先生も、草葉の陰で"唯苦笑する耳"でしょう。あるいは"無血虫の陳列場"と罵倒してくれるかな。
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 さてそれでは土佐料理「司」に行って雪辱戦、焼きさばの棒寿司をいただくことにしましょう。三連休の初日だけあって、店の入口には行列ができています。念のため確認すると、一人だったら席があるとのこと、やりい。カウンター席に坐わると昨晩と同じ仲居さんがやってきました。さっそく「焼きさば棒寿司とゴリの煮付けっ!」と赤胴鈴ノ助のように元気いっぱい注文すると… 「まことに申し訳ありませんが」「えっ」「今たてこんでおりまして」「……」「大変時間がかかります」「どれくらいですか」「一時間ほど」「………」 “Vissi da saba, vissi d'amore”という「トスカ」の一節が左の内耳に、「たかが鯖じゃないか」というヒッチコック監督の声が右の内耳に響き合います。どうしよう、としばし途方に暮れてしまいました。すると私の哀愁をおびた悲しげな表情に同情したのか、はたまたここで首をくくられては困ると不安になったのか、「少々お待ち下さい」と言い残して去っていきました。すぐに戻ってきて「二十分ほどでできます」とのお答え。やりいやりい、待ちましょう待ちましょう。そして二十分後にしずしずと登場、美味しそうな焼きかげんと嗅覚をくすぐる芳香、その神々しいお姿に三跪九拝したくなりました。味? もう言葉にできません、「旨い旨い」と味蕾は大騒ぎをしてしまいましたが。そして近くの土産屋で純米酒「酔鯨」を購入。ホテルにチェックインをして部屋でシャワーを浴び、鯨飲。山内豊信(容堂)の雅号「鯨海酔候」からつけた名前なのでしょうね。そういえば柳ジョージ&レイニーウッドに「酔って候」という曲があったっけ、なかなか渋くていい楽団だったけれど今どうしているのかなあ、などと考えてうつらうつらしているうちに爆睡…
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-08 06:10 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(11):伊野(09.3)

 観光案内所も貸し自転車も、よく駅でもらえる観光地図もなし、ま、これは想定内です。コインロッカーもありませんが、駅員の方にお願いすると荷物を快く預かってくれました。多謝。ガイドブック「中国・四国 小さな町小さな旅」(山と渓谷社)からコピーした小さな地図を片手に、徘徊を開始。駅から一つ向うの道には、路面電車の終着駅がありました。ここから高知市内まで直通です。
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 道ぞいにすこし歩くと明治中期に建てられた紙問屋を移築復元した豪壮な土居邸、煉瓦と白漆喰と黒板と水切り瓦(※雨から漆喰を守るため壁面につけられた小さな屋根)が絶妙のマッチングでした。
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 このあたりから町の懐へと食い込んでみましょう。町割りや都市計画なんざ糞食らえ、という感じで路地が縦横無尽に入り組む私好みの町並み。統一感はありませんが、ところどころに漆喰壁や格子窓のある古い商家を見かけます。観光で食べていく気は毛頭ないようで、地元に根づいた商店が元気に商いをされていました。どこからでも見える里山には山桜が産毛のようにぽわぽわと咲き誇っています。「人間の暮らしなんてほどほどでいいんだよ」と町から囁きかけられているようで、歩いているだけでほのぼのとした気持ちになってきました。
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 足の向くまま気の向くまま彷徨していると、交通量の多い国道に出ました。このあたりが問屋坂、紙問屋や酒蔵の古い建物が何軒か残っています。中でも眼を引かれたのが、なまこ壁・格子窓のまるで蔵のような重厚なお宅、かつては紙問屋として隆盛をほこっていたのでしょうか。漆喰塗りの塀にオーバーハングがあるのはやはり雨除けでしょう。
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 小高いところに奇麗に咲き誇る山桜があったので、失礼して民家の入口まで石段を上っていき撮影。ここからは水切り瓦のある蔵を見下すことができました。
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 このあたりでフェイス・ハンティングを二発。
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 紙の博物館の脇からふたたび閑静な町なかに入り込み散策を続けましょう。なまこ壁と「ひまわり牛乳」の看板、何とものどかな取り合わせですね。遠くの方から歓声が聞こえてくるので、その方向に行ってみると伊野小学校、長く伸びた影といっしょに子どもたちが浅黄色に染まった校庭で遊んでいるところでした。思わず「春が来て校庭いっぱいの子どもかな」(字余り・一茶さんごめんなさい)と雑俳を一つ。授業が終わったら友だちと校庭で遊ぶ、そんな平凡だけれどもかけがえのない環境を、なぜわれわれは子どもたちに用意してあげられないのだろう。万死に値します。
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 さてそろそろ列車の着く時間、伊野駅に戻りましょう。ふと左手を見ると、小高いところに巨大な石碑が見えます。さきほど車窓から見て気になっていた物件と同様の佇まい、これは忠霊塔に違いない、それ急げ。駅にほど近い琴平公園の石段を駆け上がると、やはりそうでした。忠霊塔の建てられ方には地域的な偏差があるのでしょうか、ここ高知では格別目立つところに大きな碑をつくった模様です。なおここからは山々に抱かれた伊野の町並みがよく見晴らせました。
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 石段をおりて駅へ向かう途中で気づいたのですが、建物正面に堂々とすえつけられた梯子状の非常階段をいくつか見かけました。泥棒に入られそうだなあ、何か理由でもあるのでしょうか、気になります。駅員さんに丁重にお礼を言って荷物を受け取り、17:50発の列車に乗り込みました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-01-07 06:22 | 四国 | Comments(0)

土佐・阿波編(10):土佐中村(09.3)

 そして自転車にまたがり、中村市内を徘徊しました。ここは鎌倉時代に一条家の荘園・幡多荘(はたのしょう)の地で、1468(応仁2)年戦乱を避けて下向した関白一条教房が居館を構えて町づくりをしたことが嚆矢です。碁盤の目状の町割りが残っており、小京都とも呼ばれます。しかし再開発が進んだためか、古い家や町並みはほとんど残っておりません。商店街を走ってもシャッターを閉めた店が多く、その衰微に心が曇ります。しかし通りのどこからでも見える山なみの美しさはこれからも変らないでしょう。
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 一条氏の中村御所跡に建立された一條神社を拝見し、近くにあった「江戸っ子美容室」に驚いていると、そろそろ列車の発車時刻が迫ってきました。駅へ向かってペダルをこいでいると、片手で自転車に乗っている女子高校生がいました。危ないなあ、どうせ携帯電話でメールをうっているんだろうなあ、まったく近頃の若い者は、とぶつぶつ呟きながら追い越すと… なんと、おにぎりを一心不乱に頬張りながらがっしゅがっしゅと疾駆していました。さすがは土佐っぽ、そのエネルギーに満ちた健康的な豪放磊落さに感服。でも人を轢死させないように気をつけてね。
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 自転車を返却して、15:10発の土佐くろしお鉄道高知行きの特急列車に乗り込もうとしましたが… アンパンマン列車でした。自由席に坐ると、いきなり車内アナウンスで「こんにちは! ぼくアンパンマン」と素っ頓狂な声。やれやれ。気を取り直し、車窓から穏やかな春景色を眺めていると、小高いところに大きな碑があるのを二ヶ所ほど見つけました。あれはもしや忠霊塔では、これからの町歩きででくわしそうな予感がしました。
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 さてそれではこれからの行程を検討しますか。長駆、高知まで行って市内を散策するつもりでしたが、見たいものは高知城(内部は以前に入ったので外観だけで可)、坂本龍馬や中江兆民の生誕地、追手前高校の奉安殿など、朝早くても見物可能なところです。だったらこれらの諸物件は、明日早起きして散歩がてらにまわり、今日は途中にある伊野に寄ることに急遽変更。高知県は古くから手漉き和紙づくりが盛んで、平安時代には国司として派遣された紀貫之が製紙業を奨励したと伝えられています。その中でも、良質の原料と清流仁淀(によど)川の水に恵まれた伊野は、手漉き和紙の一大産地に成長。薄くて丈夫でにじまない伊野紙は、近年まで水道の配管図や造船の設計図に使われていたそうです。最盛期には手漉き和紙の工房が町内に300軒あり、そうした豪壮な紙問屋の屋敷が残るということなので、町歩きを楽しんでみましょう。
by sabasaba13 | 2010-01-06 05:56 | 四国 | Comments(0)

言葉の花綵19

 わかるとはどういうことか。何が明らかになったときにわかったことになるのか。
 わかるということは、それがわかった後で、自分が変わっていなければならない。
 自分が変わっていないわかり方というのは、ただ知識が増えただけです。知識なんていうものはほとんど大事なものではないのですよ。問題はその知識、あるいは何かを知ったことによって自分が変わるということです。変わるということは、生き方が変わるということです。(上原専禄)

 僕はね、実をいうととてもペシミスティックな人生観をもっているんだ。つまり、人生はホリブル(horrible)なものとミゼラブル(miserable)なものという、きっちり二種類に分類されるというもので、ホリブルというのは、どう言えばいいのかな、致命的なケースだ。たとえば<めくら>とか、<びっこ>だとか…。それでね、えーと、ミゼラブルはそれ以外のすべてだ。だからさ、人生を生きていくためには、僕らはミゼラブルであることにむしろ感謝しなくちゃいけないんだよ。(ウディー・アレン)

 体罰は、それが熱心さの一つの方法論として独り歩きを始めた時点から、それは世間的権威に裏付けされたただの卑小な暴力に変わってしまうのだ。

 裏打ちのないネガティブな連続的言動は速効性のある注射漬けと同じで、一度進み始めるとあとに戻れなくなってしまう。

 傷つかないようにするには、何をすればいいか?
 「嫌なことがあっても見ないふりをすること、聞かないふりをすること」
 「まず妻より始めよ。あとの世間は簡単だ。」

 たまたま男子生殖器をひとそろいもって生まれてきたというだけの理由で、どうして車のトランスミッションを修理できるとみなされなくちゃならないんだ。

 ボートはボート。ファックはファック。(村上春樹)

 新しい考え方に対する反発の強さは、その重要性の二乗に比例する。(バードランド・ラッセル)

 この世界でよろこびでないものは
 みんなおろかしいもの (『椿姫』)

 英国人にとっての地獄は、ドイツ人が警官をし、スェーデン人が喜劇役者で、イタリア人が国防軍を組織、フランス人が道路工事をして、スペイン人が列車を走らせる。(D・フロスト&A・ジェイ)

 …… it is a tale. Told by an idiot, full of sound and fury, Signifying nothing. (『マクベス』)

 You may take a horse to the water, but you cannot him drink. (『神聖喜劇』)

 我日本帝国ヲシテ強盗国ニ変ゼシメント謀ル
 怨ヲ四隣ニ結ビ憎ヲ万国ニ受ケ、不可救ノ災禍ヲ将来ニ遺サン事必セリ (吉岡弘毅)

 忙しいとは、心が亡ぶと書く。(unknown)

 すべての歴史は現代史である。(unknown)

 歴史を勉強する大きな目的の一つは、いろいろな時代、いろいろな地域の人々との共感を得ることである。(川北稔)
by sabasaba13 | 2010-01-03 17:47 | 言葉の花綵 | Comments(0)

ベートーヴェン弦楽四重奏曲中・後期9曲演奏会

c0051620_619642.jpg 日フィルの第九を聴いたとき、いつもの如くたくさんのコンサート情報に関するチラシをもらいました。余談ですが、それらをまとめて入れるビニール袋は、演奏中に音がしないようコンドームと同じ素材でつくられているそうです。閑話休題、その中に「ベートーヴェン弦楽四重奏曲[9曲]演奏会」というチラシがありました。なになに、明治時代に招聘され東大と芸大で講座を持った音楽家・哲学者ケーベル博士は、無人島で過ごすには「ファウスト」や「神曲」のほかに「ベートーヴェン弦楽四重奏曲の総譜」があればそれを読奏して一年ぐらいは楽に過ごせる、とエッセイに記述したそうです。音楽愛好家が求める究極の音楽、ラズモフスキー第1~3番と、後期弦楽四重奏曲6曲を、余裕のある大晦日に一気に聴きましょう、という趣旨でした。へえ、こいつはいけるな。晩年のベートーヴェンが、「第10交響曲」をはじめいくつかの大作をさし置いて、この弦楽四重奏曲群という地味な作品をもって大音楽家としての人生をしめくくったことは知っていました。アルバン・ベルク四重奏団による全曲盤でときどき聴くのですが、中期・後期の傑作群を生演奏で通して聴けるというのはめったにない機会です。山ノ神も乗り気なので、インターネットでチケットをおさえました。
 2009年12月31日、場所は東京文化会館小ホール、上野駅の改札口を出ると、多くの方々が波のように東京文化会館の方へ流れていきます。小ホールにこんなキャパシティがあったのかなと訝しんでいると、みなさん大ホールへと入っていかれます。ポスターを見ると指揮・小林研一郎とイワキ・メモリアル・オーケストラによる「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2009」でした。終演予定は24:45、新年とともに第九の第四楽章が始まるという趣向でしょうか。なかなか派手な企画ですね。さて小ホールに入ると、渋く地味な演奏会にもかかわらず、客席は八割がた埋まっています。その過半数が男性、しかもご高齢の方が多いというのも、ちょっと珍しい光景です。人生の終焉に一歩ずつ近づきつつある男性にとって、やはりこのプログラムは魅力的なのかもしれません。私にとってもそうですが。
 まずは中期の「傑作の森」、弦楽四重奏曲第7~9番(ラズモフスキー№1~3)、演奏はルートヴィヒ弦楽四重奏団です。読売日響、大フィル、東響の首席を務めた四人によるカルテットで、常時活動してはいないようです。一人一人の技量はすばらしく、これらの難曲を破綻もなく見事に弾ききったのですが、やはりソリストの集まり、100+100+100+100=400という感じでした。精緻なアンサンブルと一つに溶け合う音によって、四人の音楽が1,000にも10,000にもなるのが四重奏の醍醐味なのですが、まだその域には達していないようです。でもラズモフスキー№3の最終楽章の圧倒的な盛り上がりには興奮しました。なお長丁場だけに、十五分間の休憩がしばしば入ります。
 次なるカルテットは、クァルテット・エクセルシオ、曲目は第12、13番と「大フーガ」です。常時このメンバーで活動しているだけあって、息の合ったなかなかよいアンサンブルと、線は細いですが美しい音色に魅了されました。安心して音楽を楽しめたのですが、ただ羽目を外さない最大公約数的・優等生的な演奏に終始したような気がすこしします。腕も折れよと全身全霊を打ち込んだ「大フーガ」は素晴らしい演奏でした。ここで一番長い休憩…とは言ってもたった25分です。ゆっくり夕食をとれる時間をなぜ確保してくれないのか、コンビニエンス・ストアのおにぎりを持ち込んでロビーで立ち食いなどしたら百年の恋も醒めてしまうではありませんか。これは善処を強く望みたいですね。もちろんホール内のレストランで食べる時間はないだろうし、おまけに満席の模様。しゃあない、上野駅構内に飛び込み、カフェで珈琲とサンドイッチをかきこみました。それでも席に戻ると開演ぎりぎりでした。やれやれ。
 トリを務めるのは古典四重奏団、曲目は第14、15、16番です。あれっ、舞台上に譜面台がないぞ、ということは暗譜か。この難曲をそらで演奏するとは、相当の手練、そして大変な練習量の成果でしょう、これは期待できそうです。でも食事の直後なので居眠りしそうだなあと一抹の不安がありましたが、これがまったくの杞憂。川原千真(VnⅠ)、花崎淳生(VnⅡ)、三輪真樹(Va)の女性三人と、田崎瑞博(Vc)の男性一人が舞台に登場、そして最初の音がホールに鳴り響きます。…圧巻でした。第14番は、adagio、allegro、allegro、andante、presto、adagio、allegroと変化に富む七つの楽章が切れ目なく続けられるのですが、メリハリのきいたテンポ設定、一糸乱れぬ中城城の石垣のようなアンサンブル、素晴らしい歌心と技量、そして何よりも四人が一体となって音楽に身も心も捧げる姿勢に感銘しました。ほんとは「ブラービ!」と叫んでスタンディング・オベーションをしたかったのですが、いかんせん小心者なので思いっきり高い位置で猛烈な拍手をしました。第15、16番も同様の素晴らしい演奏、古典四重奏団、贔屓にさせていただきます。なお後で判明したのですが、以前に聴いた「ヨハネ受難曲」を演奏したアンサンブルBWV2001のメンバーとしてみなさん参加されていました。
 というわけで、やはり日常の一日とはすこし違う特別な日、貫く棒のような時間の中、充実した音楽と演奏を聴けて幸せでした。そしてベートーヴェンの凄さにあらためて触れられたことも。ちょうど読み終わった「ベートーヴェンの生涯」(青木やよひ 平凡社新書502)には次のような一文がありました。
 最後の四重奏曲群では、作曲者はもはや自我の主体者として語ることはない。かくれた神々の手が奏でるような高度で自在な音楽技法を駆使しながら、自らは一個の矛盾のかたまりのまま、星々の輝く天空の下で宇宙という大洋に身をゆだねて、時にはそれと戯れているかのようだ。この神秘的で静謐にみたされた世界―かつて二十歳そこそこの私がそれに打たれたのかなぜか? 人間存在の究極の意味がそこに感じられたからだ。長い人生の間には喜びも絶望もあり、そして人は誰しも過ちをおかすものだろう。しかし最後まで、人間を超えた大いなるものに対して敬虔であるよう努めること、それが生きる意味だ、と。(p.244)
 十全にとは言いませんが、この演奏会を聴いてそのことがすこしわかったような気がします。人間を超えた大いなるもの(彼は第15番第三楽章につけた副題で"Gottheit[神なるもの]"と表現していると思いますが)に捧げた純粋な音楽。そこには、新しい音楽をつくろうという野望もなく、名望欲もなく、メッセージもない。ただただ喜びと感謝に満ちた音楽、それがベートーヴェンが晩年になって達した境地なのかもしれません。あらためて音楽をもたらしてくれたGottheitに、それを味わえる体と心に感謝します。
 そして、誰かが「室内楽は、まず奏者が楽しみ、聴衆はそのおこぼれにあずかる」と言っていましたが、今日演奏してくれたみなさんが心から羨ましくなりました。チェロの練習を地道に粘り強く続け、いつの日にか仲間を見つけて弦楽四重奏団を結成したい、私の超ドレッドノート級の夢です。

 演奏終了は午後九時半ごろ、おとなりの大ホールでは交響曲第7番が始まったようですが、われわれは一足早く退散。年越し蕎麦を食べようと色気を出して、池之端の「藪」に寄ってみましたが、もう閉店。幸い、家の近くの蕎麦屋でありつくことができました。
by sabasaba13 | 2010-01-02 06:20 | 音楽 | Comments(0)

「人民は弱し 官吏は強し」

 ♪つんつくつくつくつん つんつくつくつくつ ひゃらー♪

 迎春

 ふつつかで粗忽なブログですが、今年もよろしくお願いします。


 「人民は弱し 官吏は強し」(星新一 新潮文庫)読了。今までいろいろな本を読んできましたが、これほど品性下劣で陰険陰湿で没義道で没分曉漢で人倫に悖る悪役ははじめてお目にかかりました。その名は…官僚。
 本書は、ショート・ショートの大家、故星新一氏によるご尊父・星一の伝記です。明治末、アメリカ留学から帰った星一は製薬会社を興し、日本初のモルヒネ精製に成功するなど事業は飛躍的に発展します。しかし彼の自由な考え方や率直な物言いに反感をもった官僚、ライバルの製薬会社、星を庇護する後藤新平を蹴落とそうとする憲政会などが一致団結して彼と彼の会社を苦境に陥れようとします。それに対して毅然と、時には飄々と立ち向かう星一、しかし官僚たちはあの手この手、人智が及ぶ限りの手練手管を用いて、彼を締め上げていきます。時効寸前の阿片事件のでっちあげ、新聞に誤報を流して新会社株式払込みを妨害、むりやり台北に召喚して後始末の時を与えない、冷凍工業を突っつきまわして背任の種をさがし出す、などなど。官憲との戦いのため、毎日のすべてを費やし、なんの建設ももたらさない、いつ終わるともしれぬ戦いを続ける彼の姿は感動的ですらあります。さて結末はいかに… なお星製薬は戦後経営不振に陥り、新一(親一)氏が社長として後を引き継ぎますが、結局ホテルニューオータニを創業した大谷家へ譲渡を余儀なくされたそうです。

 いやはや、官僚たちへの怒りで腸が煮えくり返り、あっという間に読み終えてしまいました。おそらく星新一氏は、父上の弔い合戦として、戦前の官僚制の非道さをペンにより弾劾したのだと推量します。己の面子と地位と利権を守るために、たとえ国家や民衆の不利益になろうとも抗う相手を叩き潰す巨大組織・官僚制。こんな一文がありました。
 山田衛生局長も本来は温厚な性格の主であり、べつに星に憎しみを持っているわけではない。だが、この椅子についたからには、周囲からの力により、気ちがいじみたこんな応答をしなければならなくなる。悪魔ののろいのこもった椅子があるとすれば、それはこれかもしれない。(p.255)
 こうした官僚制の病理を知るための一助として、大変面白く興味深い一冊でした。はたしてこれは世界共通の問題点なのか、あるいは日本独自のものなのか、そして何より現在の官僚制がこうした病理から脱却しているのかいないのか(いないでしょうね)、いろいろと考えてみたくなります。と同時に、どうしたら官僚たちの暴走を食い止めることが出来るのか。「痛快!憲法学」(集英社インターナショナル)の中で小室直樹が指摘されているように、「一人の犯罪者ができる悪事より、国家が行なう悪事のほうがずっとスケールが大きいのです。…国家権力というのは、恐ろしい力を持っている。警察だって軍隊だって動かすことができる」、そうした怪物のような"国家権力"を己の力であるかのように勘違いして振り回すのが官僚です。よってこうした御仁を縛るには憲法と法律、そして司法が最も効果的な手段。しかし…
 こうなってくると、裁判で理非を明らかにしようというのではなく、あくまで罪人を作りあげたがっているようだ。気ちがいが刃物を振りまわしているのに似ている。(p.232)

 阿片事件の発端から結審までの、このおびただしい犠牲の上に築かれたものに、なにがあるのでしょうか。そこには、ただひとつの教訓があるだけです。われわれが持っている現在の文明には、まだ大きな欠陥があるという教訓が。このような取扱いをされても、政府にはなんの損害賠償をも要求できないのですから。国民とはあわれな存在と言わなければならない。(p.303)
 とあるように、戦前においては国家の違法行為で損害を受けても損害賠償を請求できなかったのですね。また理非を曲げて官僚の意向に寄り添った判決も数多く出されたようです。前者は戦後に改善されますが、後者についてはあまり変化がないように見受けられます。「最高裁が法を犯している!」(井上薫 洋泉社新書y192)の書評でも触れましたが、人事権を使った「いじめ」により下級審の裁判官の意思や良心を束縛する、そして広範な人事権・行政権を認めてもらうかわりに政官財よりの判決を下す最高裁に問題がありそうです。今、喫緊の課題は、個人による凶悪犯罪を裁かせて鬱憤をはらさせる裁判員制度の導入ではなく、官僚や国家権力の暴走を防ぐための抜本的な司法改革だと思うのですが。ついでに言わせてもらえば、なぜ裁判員に行政裁判を任せないのだろう??? そうです、官僚の足枷となることを恐れているからでしょう。

 追記です。星一は空中窒素固定法を発見したドイツの化学者フリッツ・ハーバーと親交がありましたが、彼の素晴らしい言葉があったので紹介します。
 自然界は物を作るのに、酸もアルカリもエーテルも使わない。これからは物を作る時には、自然がいかになしとげているかを、まず究明すべきだろう。そこに最善で能率的な方法が存在しているはずだからだ。(p.152)


 本日の一枚は、青梅駅構内で展示されていたホーロー看板です。
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by sabasaba13 | 2010-01-01 07:24 | | Comments(2)