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明治神宮編(3):(09.11)

 小川を渡ると宝物殿に到着です。1921(大正10)年竣工で、設計は大江新太郎。「建築探偵 神出鬼没」(藤森照信 朝日新聞社)によると、校倉造を御影石で表現した傑作で、「この良さを普通の人に理解してもらうのはとても難しい。数学の難題を解いた数学者の偉さを、難題のどこが難題だか分からない人に説明するのと同じくらい難しい」(p.29)というコメントがありましたが、はい、理解できませんでした。
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 山ノ神が目敏く見つけたのが、鳥除けのために梁に埋め込まれた無数のとげとげ。この列島の始原的信仰は、「神は自然に宿る。自然を損傷すると神が怒って災いをもたらすのでそれはやめよう」というシンプルな、ある意味では素晴らしいものだと勝手に理解していますが、この措置を見るとずれを感じますね。やはり国家神道は、そうした信仰とは断絶した形で人為的につくられたものなのでしょうか。入口のところには「大鳥居の切株」が展示されていました。台湾丹大山産の桧で、現在のものは二代目、初代の大鳥居も台湾阿里山産のものだそうです。なお解説に"我が国で最も大きい木造の「明神鳥居」"というエクスキューズがあったことを付記しておきます。ということは厳島神社の鳥居は「明神鳥居」ではないのでしょうか。ま、もし暇があったら調べてみます。
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 さてそれでは中に入って展示を拝見しましょう。明治天皇ゆかりの机、文房具、箪笥、書籍、装束、馬車、調度品などが陳列されていますが、ひときわ目につくのが現天皇にいたるまでの125代、歴代全天皇のリアルな肖像画です。画家は馬堀法眼善孝、荒唐無稽なばったもんなどと批判してもはじまりません。そのようなことは重々承知の上で、淡々と誠実に描き上げた彼の胆力に敬意を表しましょう。ほとんど同じような顔なのですが、個性的な天皇に関してはそれなりに表現しようとする努力の跡もうかがわれます。花山天皇の神経質そうな感じとかね。あっ、確認するのを忘れてしまった。北朝の諸天皇、光厳-光明-崇光-後光厳-後円融は描かれていたのでしょうか。もし描かれていたのだとすればその扱いは? 南朝を正当な皇統だとすると、北朝の末裔である天皇家の立場がなくなるというジレンマとも関連する大事なポイントなのにね、己の迂闊さに恥じ入る次第です。もう一度行って確認すればよいのですが、あの警備員の所業を思い出すとその意欲が萎えてきます。ご存知の方、ぜひご教示を。
 そして緑の木々に囲まれた北池を渡り、木立の間をしばらく歩くと、先ほどの文化館に到着。その先の駐車場には右翼の街頭宣伝車が停めてありました。単なる偶然? 表敬訪問? 明治神宮の系列組織? 詳細はわかりませんが、神社と右翼の関係、これは興味深いテーマですね。
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 というわけで徘徊は終了。2008年の初詣で319万人が押し寄せ、みごと日本一の座を守り抜いた人気スポット・明治神宮(ちなみに二位は成田山新勝寺の298万人、三位は川崎大師の296万人)。その魅力は…よくわかりませんでした。原宿が近いからなのかなあ。ただ一つ心に残ったのは、都心にこれだけの見事な森を人為的につくったということです。これは凄い。やればできるのだなあ、と感じ入りました。宗教色抜きでこうした試みがもっと為されてもいいと思います。菱田春草が描いたような普通の森になったら、また訪れましょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-11-10 06:27 | 東京 | Comments(0)

明治神宮編(2):(09.11)

 さて日本で何番目かに大きい鳥居をくぐりしばらく歩くと、参道は右に曲がります。ん? ということは正面から参道を歩いてくると、大鳥居のところで左折、そしてここで右折、つまりくきっくきっと二回曲がって本殿に到達するわけですね。なぜこんな結構にしたのでしょう。推測ですが、参拝者の視線から祭神を隠すことによって、その権威を高めようとしたのでは。だとしたら、伊勢神宮における写真撮影禁止の措置と同様ですね。こちらも写真撮影禁止だったりして。徹底的に「隠す」ことによって、尋常ならざる何かがそこにあるような錯覚に落ち入らせる。近現代天皇制における巧妙な仕掛けの一端を見たような気がします。拝殿前の広場は、多くの方々で賑わっていました。そして拝殿に入ると…カメラを構える人を警備員が制止しています。やはり写真撮影禁止でした。そしてこちらで結婚式を上げるのでしょう、新郎新婦と親族のみなさんがしずしずと拝殿の前を横切りはじめました。「おー、びゅーてぃほー、えきぞちっく」と外国人観光客のみなさんが写真を撮影しはじめると、また違う警備員が彼ら/彼女らの肩や腕に手をかけ「あまり近づくんじゃねえよ」と言わんばかりに邪険に引き戻します。その傲岸な態度には不快感を覚えました、口で言えばすむのにね。その居丈高な傍若無人さに「俺のバックには権威ある存在がいるんだ」という草の根権威主義の姿を見るのは穿ちすぎでしょうか。もう二度とここには来ないでしょう。
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 広場から西の方へそそくさと立ち去ると、駐車場に○○ナンバーの車が数台停めてありました。さきほどの親族御一行様のものでしょうか。ここで山ノ神が囁きます。「ねえねえ、○○ナンバーといい、ピーーーーー服装といい、やくざ屋さんの結婚式じゃないかしら」 コメントは控えますが、まあそういう意見もあったということで紹介しておきます。そして右へ曲がり、鬱蒼とした木立の中を宝物殿へと向かいます。それにしてもわずか百年足らず前に人工的に造成された森とは思えません。大都会のど真ん中にあるとは思えない気持ちのよい散歩道でした。残り少ない余命を悟った猫が集まってきて泰然として死んでいくという「猫の墓場」がここにあるという噂を聞いたことがありますが、さもありなん、という雰囲気です。いちおう、眼を皿のようにして捜しましたが、それらしい場所はありませんでした。そして眼前に緑の芝生で覆われた広場に到着です。ところどころにある小さな土饅頭は土竜の為せるものだと、山ノ神のご教示。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-11-09 06:29 | 東京 | Comments(0)

明治神宮編(1):(09.11)

 明治神宮文化館宝物展示室で開かれた菱田春草展を見たついでに、明治神宮をぶらっと徘徊してきました。東京には長いこと住んでおりますが、実はこちらを訪れたことがありません。話の種と後学のため、寄ってみることにした次第です。まずは山手線でJR原宿駅へ。三角の切妻屋根が縦横に組み合わされ、愛らしい小塔がちょこんと乗ったキュートな駅舎です。何でも1925(大正14)年竣工の、都内最古の木造駅舎だそうです。駅前は、おいおいどこが少子化だよ、と減らず口を叩きたくなるほどの数多の若者で賑わっていました。しっかり勉強せいよ青少年諸君、とえらそうに呟きながら神宮橋を渡ると、もうそこは明治神宮。右手には山手線、左手には鬱蒼と広がる木立、数分ほど歩くと駐車場、観光バスから次々と外国人観光客が降りてくるのが印象的でした。東京を代表する観光スポットとして定着しているようですね、理由はわかりませんが。休憩・軽食コーナーのメニューに「御神酒」とあったのには笑ってしまいました。
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 そして文化館宝物展示室に到着です。展覧会を見終わり、受付で明治神宮の地図をもらって、散策を開始。
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 まずはスーパーニッポニカ(小学館)から引用します。明治神宮とは何ぞや。
 東京都渋谷区代々木神園町に鎮座。明治天皇・昭憲皇太后を祀る。1920年(大正9)11月創建。1912年(明治45)7月明治天皇が亡くなり、14年4月その皇后昭憲皇太后が亡くなったあと、国民の間からその神霊を祀り、遺徳を慕い敬仰したいとの気運が高まり、翌15年明治神宮造営局官制が公布され、江戸初期以来、大名加藤家、井伊家の下屋敷の庭園であり、明治時代に代々木御苑とされ、明治天皇・昭憲皇太后ゆかりの当地を選び造営することとした。その境内約70万平方メートルの造園整備は全国青年団の勤労奉仕によりなされ、その樹木365種、約12万本も全国より献納された。30万平方メートルに及ぶ外苑は26年完成。
 というわけでした。ところで「皇太后」とは天皇の母をさしますよね。あれれ? 彼女は明治天皇の細君のはずですが。別に興味もないのでこれ以上触れませんが、インターネットで検索するとすぐわかります。「権力・権威を有する者が決めたことは、たとえ間違っていても変えない」という政治文化のなせる技のようですね。お土産屋の前を通り過ぎると、南参道と合流します。そして右手に歩いていくと奉納された酒樽が連なっています。日本の神ってほんとに大酒飲みなのですね、あるいは世界共通なのかしらん。その体面に奉納されたワインの樽が並んでいたのには驚愕。何でもブルゴーニュ名誉市民の日本人実業家の呼びかけで、当地方から献納されたそうです。
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 そして左折すると、解説曰く日本一の大鳥居が屹立していました。なるほどでかいことはでかい、でも先日読んだ熊野古道に関する本に、熊野本宮本社の鳥居が日本一と書いてありました。後日さっそく調べてみました。こうした即物的な情報を調べる際にはほんとインターネットは便利ですね、すぐ判明しました。木造日本一は厳島神社の鳥居で高さ16m。鉄筋コンクリート造日本一は熊野本宮大社の鳥居で高さ33.9m。ちなみに明治神宮の鳥居は高さ12m。はい、日本一ではありませんでした。これも「権力・権威を有する者が決めたことは、たとえ間違っていても変えない」という法則があてはまる事例かもしれません。でもいいかげんに「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」という古賢の言葉を銘肝しませんか。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-11-08 06:28 | 東京 | Comments(0)

言葉の花綵39

 フィクションはメロディーであり、ジャーナリズムは、その上にニューがつこうがオールドがつこうが、ノイズなのです。

 いずれにせよ肝心な問題は、…真理を語ろうとする当人が相手に正直な人間という印象与えるか否かです。(カート・ヴォネガット)

 当時も、今も、わたしの問題はそれだ。態度がよくない。早く言えば、わたしは権力が怖いくせに、それに-権力と、そしてわたし自身の恐怖に-腹が立つものだから、つい反抗してしまうのだ。SFを書くのも、一つの反抗のしかたである。(フィリップ・K・ディック)

 几帳面さは自然を圧迫する。(バルセロナの諺)

 「イズム」がつく言葉は、「中毒」と訳せば本質が見えてくる。(なだいなだ)

 歴史は、ぼくがそこから目覚めたいと願っている悪夢だ。(J.ジョイス)

 ガレー船としての国家。(ヘーゲル 『法の哲学』)

 彼らは言うでしょう、私には何よりもトロフィーが大事と。だが違う。以前は、音楽こそが大事と思っていました。しかし人間の大切さには及びません。そこで私たちはトロフィーの受領を拒否します。どうです? ニュースでしょう?
 これは私個人の独り言には収まりません。この10年来、政府は産業を破壊してきた。我々の産業を、さらには我々の共同体、家庭生活を。発展の名をかりたまやかしのために。二週間前、このバンドの炭坑も閉鎖されました。またも大勢が職を失った上に、大会に勝つ意欲、闘う意志まで失いました。しかし生きる意志すら失ったら…悲惨です。皆さんはアシカやクジラのためには立ち上がる。でも彼らはごく普通の正直で立派な人間です。その全員が希望を失っているのです。彼らはすばらしい演奏をします。でも何の意味が? では仲間と町へ帰ります。ありがとう。(『ブラス!』より ダニーの演説)

 私は科学の唯一の目的は、人間の生存条件の辛さを軽くすることにあると思うんだ。(ブレヒト 『ガリレイの生涯』より)

 心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。(サン=テグジュペリ 『星の王子さま』より)

 哲学者はこの世界をあれこれ解釈してきたが、大事なのはそれを変革することだ。(マルクス)

 自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ。(古代中国の言葉)

 作曲家に投資する以上のお金の使い方など、何があるというのか。(リヒャルト・ワーグナー)

 自分の寝食を忘れる人間はえてして他人の寝食の問題を忘れる。(小田実)

 歴史の進歩の基準はただひとつ、自分に責任のないことでその結果を負わされる度合いがいかに減じているかということにある。(市井三郎)
by sabasaba13 | 2010-11-07 08:13 | 言葉の花綵 | Comments(0)

廃線

湧網線(北海道)
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京王電鉄御陵線橋脚跡(東京都)
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わたらせ渓谷鐵道
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旧国鉄篠ノ井線(長野県)
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大久保保育所(千葉県)
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片鉄ロマン街道(岡山県)
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くりはら田園鉄道(宮城県)
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河東鉄道河東線信濃川田駅(長野県)
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上田交通真田傍陽線(長野県)
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信越本線軽井沢駅(長野県)
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布引電気鉄道(長野県)
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旧三塩軌道(山梨県西沢渓谷)
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旧中央本線大日影トンネル(山梨県)
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広尾線(北海道)
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士幌線(北海道)
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高千穂鉄道(宮崎県)
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日立電鉄(茨城県常陸太田)
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日中線(福島県喜多方)
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三菱鉱業美唄鉄道(北海道美唄)
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碓氷線(横川‐軽井沢)
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手宮線(幌内-手宮)
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下津井電鉄(岡山県)
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大畑森林鉄道(青森県)
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下北交通大畑線(青森県)
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by sabasaba13 | 2010-11-06 07:19 | 写真館 | Comments(0)

「長い20世紀」

 「長い20世紀 資本、権力、そして現代の系譜」(ジョヴァンニ・アリギ 作品社)読了。著者はイタリア生まれでアメリカ在住の社会学者、ウォーラーステインと研究を共にした世界システム論の代表的論者です。本書は、1873~96年の大恐慌期と、1914~45年の三十年危機、そして1970年代の世界経済の危機を、長い二十世紀(世界的規模のアメリカ資本蓄積システムの台頭と完全拡大、さらに崩壊)として一括してとらえ、分析・考察した大著です。そして、ブローデルによって提起された歴史解釈の枠組みを踏まえたうえで、近代資本主義の発展には段階的に四つの長い一世紀があったとします。ジェノヴァが中心となった「長い15~16世紀」、オランダが中心となった「長い17世紀」、イギリスが中心となった「長い19世紀」、そしてアメリカが中心となった「長い20世紀」ですね。これら連続する「長い世紀」を比較・分析し、現在の危機の動態を解明し、今後の行く末を予想するという意欲的な試みもなされています。
 総ページ数は500ページを優に越える厚さ約5cmの大部の書、多岐にわたる論点、膨大な史料や引用、時空を自在に飛び回る思考の翼、圧倒されてしまいました。浅学非才の故、とても概括して批評をする力はありません。よって大変参考になったいくつかの論点を紹介して、お茶をにごすことにします。
 前述のように、資本主義発展の中心となった国家はジェノヴァ→オランダ→イギリス→アメリカと変遷しますが、筆者はこれを、ジェノヴァ・イギリスの「超国家的・帝国的」組織構造+「外延的」体制と、オランダ・アメリカの「団体的・国民的」組織構造+「内包的」体制と分析し、振り子のような前後運動が起こっていると指摘します。前者は資本主義世界経済の地理的拡大を進めたという意味で「外延的」体制です。氏曰く"世界は、ジェノヴァ体制のもとで「発見」され、イギリスの体制のもとで「征服」された(p.345)"。それに対して後者は、拡大された世界経済の地理的結合に責任をもつという意味で「内包的」体制です。氏曰く"オランダ体制のもとで、主にジェノヴァ人のイベリア共同者によって実行された世界の「発見」は、アムステルダムに中心をおく商業中継地・特許株式会社のシステムに凝集した。アメリカ体制のもとで、主にイギリス人自体によって実行された世界の「征服」は、アメリカに中心をおく国内市場・超国家的企業のシステムに凝集された(p.345)"。歴史をぐわっしと鷲?みにするような巨視的な分析ですね。
 また"冷戦の「発明」"という指摘は、意表をつかれるとともに、二十世紀の歴史を見るパラダイムへの大いなる挑戦だと思います。第二次大戦が終わると、内向き思考となったアメリカ国民・企業は海外への投資や資金援助に消極的となってしまいます。世界の貿易と生産の拡大のためには、アメリカの資金がヨーロッパに注ぎ込まれることが不可欠ですが、それは莫大な軍事援助という形で実現されます。その正当性を議会や国民に納得させるためには、強大で恐ろしい"敵"=ソ連が必要であった… よって冷戦という状況をリアルに認識させてくれたという意味で、朝鮮戦争はきわめて重要な戦争だったのですね。あるアメリカ高官が「朝鮮が我々を救ってくれた」と言ったそうです。そしてこのアメリカによる軍事援助と軍事支出が、世界経済を1973年頃まで続く異例な好況へと導いていった。以下、引用します。
 朝鮮戦争期とその後の大規模な軍事力強化が、大戦後の世界経済における流動性問題を一挙に解決した。外国政府に対する軍事援助と、海外におけるアメリカ自体の直接的軍事支出が、世界経済の拡大にとって必要な資金(流動性)のすべてを提供した-その両者とも1950~58年に不断に増加し、1964~73年に再び増加した。アメリカ政府がきわめて寛大な世界中央銀行の役割を果たすことによって、世界の貿易と生産は過去に前例のないほどの速さで拡大した。(p.454)
 そして戦後の日本に関する言及。第二次世界大戦後に日本資本主義の不死鳥が日本帝国主義の焼け跡から飛び立てたのは、アメリカ政府と日本の支配者層に政治的交換関係が成立したことに起因するという指摘は重要ですね。この関係を、一方的に利益追求に特化し、防衛のコストをスペインに外部化した四世紀前のジェノヴァになぞらえたのは卓抜な歴史的思考だと思います(p.513)。そのために、韓国・台湾・東南アジアなどの旧植民地を、経済的後背地として日本が事実上支配するのを、アメリカはその覇権のもとで認めた。彼は皮肉な口調でこう語っています。
 このようにして、日本はアメリカの覇権下で、経済的後背地を何のコストも支払わずに獲得した。この後背地は、二十世紀の前半に日本が領土の拡大で獲得することを目的とし、そのためにあれほど懸命に戦ったものであるが、最終的に第二次世界大戦での惨敗で失ったものである。(p.517)
 なんともとりとめのない書評ですが、インスパイアされた論点は他にも多々あります。とても全部を紹介できないのは残念ですが、世界の歴史を長く大きな眼で考えようとする方には大変魅力的かつ有意な書です。お薦め。
by sabasaba13 | 2010-11-05 06:24 | | Comments(0)

「冬の小鳥」

c0051620_6224570.jpg 先日、山ノ神と岩波ホールで、「冬の小鳥」(韓国=フランス合作 2009)を見てきました。予告編を見たかぎりでは、韓国の孤児院を舞台にした少女のお涙頂戴風の物語であまり気が進まなかったのですが、彼女のたっての要望もあり、付き合うことにしました。時は1975年、舞台はソウル近郊の、カトリックの女子児童養護施設です。これはプログラムで教示してもらったのですが、当時、ベトナム戦争に派兵した韓国では、戦争孤児が多かったのですね。そこに父に連れられてやってきたのは、九歳のジニという少女です。再婚した父は彼女を足手まといとして、この施設に入れることにしたのですね。一人置き去りにされ茫然自失するジニ、固く心を閉ざし、笑いもせず口もきかず、修道女や寮母に反発を続けます。はじめはジニをいじめていた年上のスッキも、こうした彼女を気にかけ、やがてうちとけるようになりました。庭で見つけた瀕死の小鳥を二人で世話したり、花札を使って占いをしたり、台所にしのびこんでケーキを盗み食いしたりしているうちに、ジニは心を開くようになっていきます。しかしこの小鳥はやがて死に、ジニとスッキは施設の庭に埋め、小さな十字架をたてて墓をつくりました。
 この施設には養女を欲しがる人がしばしば訪れ、気に入った少女を引き取っていきます。あるアメリカ人夫妻がスッキに目を留めますが、彼女はジニに対して「二人で引き取られてアメリカに行こう」と約束をしました。しかし養女とされたのはスッキだけで、ジニは取り残されます。三度、約束を破られたジニ。一度目は「必ず迎えに来る」と約束した父親に、二度目は施設で行われた健康診断の際に「注射の針をさす時に必ず言う」と約束した看護婦に、そして無二の友だちスッキに。幼い子どもにとって、どんな約束であれ、それを破られることがいかに心を傷つけるか。絶望の淵に突き落とされた彼女は、仲間の持つ人形を粉微塵に引きちぎり、施設の門によじのぼって脱走しようとし、そして日曜日の礼拝への参加を拒否して布団の中でうずくまります。誰もいなくなると、ジニは小鳥の墓に行ってそこを掘り返し、大きな穴を穿って横たわり、自らの上へ土をかけていきます。死と再生… そしてフランス人夫妻の養女として引き取られることが決まり、彼女はこの新たなる人生を毅然と受け入れてパリへと旅立っていきました。
 ある意味では平板なストーリーなのですが、あっという間に過ぎ去っていった1時間32分。主人公ジニを演じるキム・セロンの演技の素晴らしさの為せる技でした。父親と過ごす時の無垢の喜び、父に見捨てられた時の絶望と悲嘆、友を得た時の喜びとその友を失った時のさらなる絶望。そして自らを葬ることによって蘇った時の希望と不安。仕草、表情、瞳の動きと輝きによって完璧に表現したその演技力には言葉もありません。上質の短編小説を読んだような、なにものにも代えがたい充足感を感じさせてくれる映画です。なお監督のウニー・ルコント氏は、このジニと同様の運命をたどった女性なのですね。彼女はこう語っています。
 この映画を通じてどんなメッセージを伝えたかったのか、と私はよく聞かれます。親に見捨てられて、新たに養子縁組の約束をしたという物語以上に、私は父への愛、私にとって決してあきらめ切れなかった、別離にもかかわらず力を与えてくれた愛について語りたいと思いました。この映画を、あきらめることのない人々、状況に抗う人々すべてに捧げます。

by sabasaba13 | 2010-11-04 06:23 | 映画 | Comments(0)

南東北錦秋編(29):毛越寺(09.10)

 サドルにまたがり、平泉文化遺産センターの前を走りぬけ、十分ほどで毛越寺(もうつうじ)に到着です。奥州藤原氏二代基衡の建立で堂宇伽藍は焼失しましたが、浄土庭園はほぼ完全な形で発見され、往時のままに復元されています。さっそくそちらへ行ってみましょう。周囲の山々や木立を映す宏大で静謐な池、洲浜や出島石組・池中立石と点在するモミジが見事なアクセントになっていますね。常行堂あたりのモミジが奇麗に色づいていました。こちらでは平安時代唯一の遺構といわれる鑓水も見ることができます。
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 落ち着いた雰囲気の中、池の周囲を散策していると、おっ、ひときわ真っ赤に色づいたモミジを発見。そしてその脇には「TOILET」という掲示がありました。トイレのそばの紅葉は奇麗という経験則があるのですが、気のせいかなあ、気のせいだろうなあ。でも桜の樹の下には屍体が埋まっていると看破した梶井基次郎の感性とは雲泥の差ですね。入口のところには、「夏草や…」を新渡戸稲造が英訳した句碑がありました。"The summer grass 'Tis all that's left Of ancient warriors' dreams." すみません、浅学のためコメントのしようがありません。
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 毛越寺の隣には、藤原基衡の夫人が造営した観自在王院の庭園が復元されていました。池をめぐって散策をしていると、これまで耐えに耐えてきた曇天が小雨を落としはじめました。
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 これまでもってくれただけでも御の字、それでは駅はすぐ近くです、戻ることにしましょう。途中の横断歩道で男女対になった「飛び出し小僧」を発見。うーんこういうケースもあるのか、ひとつ知見が広がりました。
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 それにしても寒い、"さぶいぼが出る"ってやつですね。雪にならないのが不思議なくらいです。人の温もりか熱い珈琲がほしいなと思っていると、渡りに舟、目の前に「琥珀亭」という喫茶店がありました。さっそく飛び込んでケーキセットを所望。香り高い珈琲を飲んでひと息つき、そして芳醇なレアチーズケーキを堪能いたしました。これまで公言はしていませんでしたが(たぶん)、私、レアチーズケーキが大好きです。その私が言うのですから(たぶん)間違いありません、こちらのケーキは逸品です。平泉にお寄りの節は是非お立ち寄りを。
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 そして丁重にお礼を言って自転車を返却、荷物を引き取ってやってきた列車に乗り込み、十分弱で一ノ関に到着。東北新幹線の乗り場に行くと、おお掉尾を飾る義経と弁慶の顔はめ看板を発見。今回の旅は最後までついています。それでは前沢牛の駅弁で旅を締めくくろうと売店に寄ると、「申し訳ありませんついさっき売り切れました」。ちゃんちゃん。So it goes on. かわりに「平泉 義経」という駅弁を購入、食材からは何故この名がついたのかは皆目わかりませんが、それなりのお味でした。
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 本日の八枚、一番下は観自在王院跡です。
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by sabasaba13 | 2010-11-03 08:56 | 東北 | Comments(0)

南東北錦秋編(28):中尊寺(09.10)

 そして十分弱で中尊寺に到着。泣く子も黙る天台宗東北大本山、850(嘉祥3)に慈覚大師円仁が開創、後に藤原清衡によって再興された古刹です。何と言っても当時の美術工芸の粋を集めた、金色堂で有名ですね。こちらは以前に何回か訪れているので、今回は紅葉に注目しました。おおさすがは観光名所、広大な駐車場には車やバスが満ち満ち、観光客でごった返しています。月見坂をせっせせっせとのぼると、木立が空を覆い隠し深山幽谷の趣です。
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 歩くこと十数分でまずは寺宝を展示する讃衡蔵(さんこうぞう)に到着、こちらで金色堂と共通の拝観券を購入して中を見物。さきほどポストの上に乗っていた金銅華鬘を見ることができました。おっ、宮沢賢治の「中尊寺」という詩碑があるぞ。
七重の舎利の小塔に
蓋なすや緑の燐光

大盗は銀のかたびら
おろがむとまづ膝だてば
赭のまなこただつぶらにて
もろの肱映えかがやけり

手觸れ得ね舎利の寳塔
大盗は禮して没ゆる
 そして金色堂を見物、もちろん黄金にも圧倒されますが、蒔絵や螺鈿細工の精妙さにも目を瞠ります。さてさて肝心の紅葉ですが…いまひとつ。オレンジや黄色のものがほとんどで、顔が火照るような真っ赤なモミジにはなかなか出会えませんでした。金色堂の裏にある経蔵のあたりがまあまあ奇麗でした。中尊寺特設消防隊を物珍しげに眺め、さて下界へと戻ることにしましょう。
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 おっ途中で弁慶の顔はめ看板を発見。駐車場のトイレに行くと、平安朝貴族を描いた男女表示でした。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2010-11-02 06:29 | 東北 | Comments(2)

南東北錦秋編(27):高館義経堂(09.10)

 それでは徘徊を開始。まずは数分ペダルをこいで柳之御所遺跡へ。堀、建物、池、塀などの遺構が発掘され、奥州藤原氏の政庁「平泉館」跡と推定されています。残念ながら立入禁止のため、金網の外から指をくわえて見るだけでした。近くにある柳之御所資料館は休館日。
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 そのすぐ近くにあるのが無量光院跡、藤原秀衡により平等院鳳凰堂を模して建立されましたが、その後消失。発掘作業の真っ最中でした。
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 そして数分で高館義経堂(たかだちぎけいどう)に到着。自転車を駐車場に停めてだらだら坂と石段をのぼると、仙台藩主第四代伊達綱村が建立した小さなお堂がありました。頼朝に追われ平泉に逃げ延びた義経は、秀衡の庇護のもとここに居館を与えられましたが、頼 朝の圧力に屈した子の泰衡に急襲され、妻子とともに自害したと伝えられています。いやあここからの眺望は素晴らしいですね。大地を潤し悠々と流れる大河・北上川を一望できます。
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 芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだのもここですね、その句碑がありました。
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 なお「奥の細道」には下記の記述があります。
 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。…「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
 無粋な私は泪も落さず、次の行程があるのですぐに立去りました。なおここを訪れた頼三樹三郎の詩碑もありました。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2010-11-01 06:28 | 東北 | Comments(0)