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青森錦秋編(7):青森(10.10)

 付近を散策して古い旅館などを撮影、そして7:55発の下北駅行きバスに乗り込みました。玄関をガラス張りの小部屋で覆ったお宅を見ると、冬の厳しさが身に沁みて感じられます。おっ鉄橋だ、これはもしや下北交通大畑線の遺構かもしれません。廃線マニアの方々は、こういうところを探索してせっせせっせと踏破されているのでしょう。それほど金がかからず、環境を破壊せず、面白楽しい暇潰しを見出すことがわれわれに課せられた重要な課題だと思いますが、廃線めぐりはいいかもしれませんね。私は体力に自信がないのでパスしますが。
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 そしてバスは下北駅に到着、大湊線9:14発の列車に乗り込み、野辺地で東北本線に乗り換え、10:51に青森駅に到着しました。予約をしておいた十和田湖・子ノ口に向かうJRバス「みずうみ10号」は13:00発車ですので、小一時間ほど時間があります。こちらで昼食をとることにしましょう。駅前の観光案内所で地図をもらい、お目当てのご当地B級グルメ、生姜味噌おでんを食べられる店を紹介していただきました。駅から歩いて数分のところにある「柿源」に入りさっそく注文。蒟蒻・根曲がり竹・竹輪・ゆで卵を暖かく包み込む生姜+味噌だれの絶妙な味を堪能しました。なんでも、戦後の闇市で、青函連絡船に乗り込もうとする船客の体を少しでも暖めようと、ある屋台のおかみさんが考案したそうですね。まだ時間があるのでご当地B級グルメ第二弾「味噌カレー牛乳ラーメン」にも挑みましょう。すぐ近くにある、このラーメンを創始した「味の札幌」に飛び込み、味噌カレー牛乳ラーメンを注文。"「味噌のコク」に、「カレーの刺激」、「牛乳のまろやかさ」、さらに「バターの風味」が絶妙なバランスを醸し出し…30年以上の間、青森市民に愛され続けるソウルフード"というのが歌い文句ですが、どうも登場人物が多すぎてまとまりがないような気がしました。ま、美味しいことは美味しかったのですが。
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 はふはふとラーメンをいただきながら、さきほど観光案内所でもらった「いい旅あおもり」というガイドマップを見ていると、私の畏敬する方々のモニュメントが多々あることがわかりました。菅江真澄参詣の場、寺山修司起居の場、棟方志功出生と生育の場、沢田教一幼少時代の地、伊能忠敬止宿の地、太宰治下宿の地などなど。うーん、食指が動くなあ、もし明日時間が許すようであれば訪れることにしましょう。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-19 13:30 | 東北 | Comments(0)

青森錦秋編(6):大畑駅(10.10)

 朝目覚めてカーテンを開けると、森の清冽な空気が鼻腔をくすぐります。今日も良い天気のようです。朝飯前に、すこし付近を散歩することにしましょう。宿から歩いて数分のところにあるのが錦橋、ここから見る渓谷の眺めは素晴らしいですね。朝靄をいただく山々も趣があります。その先にあるのが国設薬研野営場という大きなキャンプ場です。
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 そして宿に戻りましたが、旅程の都合上どうしても7:55大畑発のバスに乗りたいので、朝食はスキップ。その分、宿代を1000円割り引いてくれたのには感謝です。さあ出発、本日は、長駆、十和田湖へと移動します。大畑のバス停まで宿の車で送ってもらう予定でしたが、都合により乗り合いタクシーを利用することになりました。(料金800円は宿で負担) やってきたタクシーに乗り込み、運転手さんと四方山話をしていると、あっという間に大畑バス停に到着です。路線バスが来るまで少々時間があるので、付近を散策してみることにしました。どうやらここは廃線となった鉄道の駅のようで、ホームと線路が残されていました。インターネットで調べたところ、もともとは1939(昭和14)年に開通した本州最北端の路線・国鉄大畑線で、1981(昭和56)年に国鉄の財政赤字のために廃止、下北交通が経営を引き継ぎますがやはり経営難のために2001(平成13)年に廃線、という次第です。遥けき鉄路の彼方を眺めながら写真を撮っていると、「JAS オールドトレイン メルヘン・ワールド」という看板がありました。後学のために転記しますと、"伝説の列車キハ22が本州最北の地に復活! 老兵は死なず、あの雄姿が再び蘇る…夢でなくてよかった。これは、スピルバーグの世界でもなく、ディズニーともちがう… そうです…鉄道を愛するみなさんのために、Old・trainをこよなく愛する7人の空の男たちJAS鉄道愛好会(パイロットや社員たち)と下北交通白濱啓助社長の英断が生んだアダルトの世界! 古き良き時代の風景があるワンダーランドなのです。ファンがつくった全国で初めてのプライベート・ドリームランドでおもいっきり遊んでください! SHIMOKITAから世界へメッセージを送ろう!! ―ここには、平和がある―" 長々と引用しましたが、要するにJAS社員の鉄ちゃんたちがつくった私設鉄道博物館なのでしょうか。大仰な形容詞の連発には圧倒されますが、その意気やよし、ということにしておきましょう。ただプライベート・メルヘン・ドリーム・ワンダーランドがどこにあるのかよくわからないのが気になりますが。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-18 08:10 | 東北 | Comments(0)

青森錦秋編(5):薬研渓流(10.10)

 二十分ほど走ると宿のある薬研温泉に着きましたが、このまま奥薬研まで乗せていってもらうことにしました。奥薬研から宿のある薬研温泉まで、渓谷沿いの遊歩道が整備されており、あるいて一時間ほどの散策だそうです。荷物を預けて車から降り、さあ歩きはじめましょう。あっその前に、パンフレットを参考にして薬研渓流について紹介しておきます。位置的にはちょうど下北半島の真ん中あたりですね。大畑川の美しい渓谷に沿って広がる、周囲を原生林に囲まれた静かな温泉郷です。薬研というのは、湯の湧きでるところが漢方薬をつくる道具に似ているところから名付けられ、豊臣方の落武者によって開湯されたといわれています。まずは奥薬研橋を渡り、大畑施業実験林を抜けていきます。さきほど女将から「薄暗くて寂しいところなので、歌を歌いながら歩くといいですよ」と言われたので、♪Who's afraid of the big bad wolf?♪を選曲しました。両側には鬱蒼としたヒバが屹立していますが、こちらはヒバ天然林の試験・研究のために設定されているそうです。トロッコの線路跡が旅情をかきたててくれます。
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 ミズナラの大木を過ぎると、乙女橋という吊り橋に到着。
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 橋の上から両岸を眺めると、うーん、やはり金襴の紅葉とは言い難いですね。
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 橋を渡るとさきほど走った車道に合流、途中に渓谷を一望できるみごとな露天風呂がありました。ああタオルを持ってくるべきであった!と悔やんでもAfter the carnival。ん? 何やら注意書きがぶらさがり風に揺れていました。なになに、"通称「隠れかっぱの湯」については、関係機関より公衆浴場法及び温泉法に違反していることから利用を中止するよう指摘を受けているので、利用しないで下さい"とな。もしや混浴はだめだということかしらん…だとしたらなんと無粋な。重箱のように狭っくるしいこの日本、官憲はここまで規制を加えるのかと暗澹たる思いにとらわれました。ふう。
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 そして覆道を抜けると渓流に沿った遊歩道となり、ところどころで川辺までおりることができます。巌をけずり悠々と蛇行する渓流、石走る垂水、両岸をうめつくす木々、これで例年の紅葉ならさぞや絵にも描けない美しさでありましょう。かえすがえすも無念です。♪Heigh-ho, Heigh-ho It's home from work we go♪と鼻歌を歌いながらあるいていくと、一時間ほどで薬研温泉に到着、こちらには宿が三つありますが、今夜の旅の宿は薬研荘です。「家族的雰囲気で薬研一安い!」という大きな看板があったのですぐわかりました。
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 宿帳に記入し、部屋に入って旅装を解き、さっそくひとっ風呂あびて、夕食。滋味豊かな茸の盛り合わせに舌鼓を打って、部屋に戻ります。全館暖房が入っているのは、さすがに北の地ですね。部屋からの眺めは悪く、渓流は見えません。また100円払わないと見られないテレビがあるのには驚き、重要有形文化財に指定してほしいですね。まあ"薬研一安い"ということで諒としましょう。ま、もともとテレビは大嫌いなのでなんの痛痒も感じません。八戸で入手した地酒をあおりながら、夜と森のしじまを友に、ベンヤミンを書読。白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり…
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-17 06:21 | 東北 | Comments(0)

青森錦秋編(4):野辺地(10.10)

 さあサバのフルコースもたいらげたし、そろそろ薬研渓谷へと移動しましょう。八戸駅12:16発のスーパー白鳥9号(函館行)に乗り込み、12:45に野辺地駅に到着。ここで大湊線に乗り換えますが、十五分ほどあるので、ちょいと駅前に出てみました。閑散とした広場の左手には、コンクリートの台座の上に寄棟屋根を頂いた電話ボックス、そして屋根の上にのぼる非常階段と、雪国三点セットが眼に入りました。彼らとの旧交を嘉し、ふと見ると「常夜燈」と刻まれた大きな石灯籠がありました。なになに、解説文を読むと、南部藩の要港・野辺地湊には多くの廻船が銅・海産・大豆などを搬出入し、その安全のために地元廻船問屋野村治三郎が建てた常夜燈のレプリカのようです。大学受験知識として詰め込んだ「東廻り海運」という言葉が脳裏をよぎりました。
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 灯台フリークの私としては実物を見に行きたいのですが、時間の関係上、断念いたしました。今、「野辺地町観光協会」のホームページを見たところ、1827(文政10)年に建てられたそうですから、かなり古い部類に入りますね。再訪を期しましょう。なお他にも、戊辰戦争の一環である野辺地戦争の戦死者墓所、日本最古の鉄道防雪林、スキー発祥の地碑といった、レアでしぶい物件があるそうです。えっそこのあなた、「スキー発祥の地は、1911年にオーストリア=ハンガリー帝国のレルヒ大佐が伝えてくれた上越市高田ではないの?」とおっしゃいますか。あまーい!(と野辺地観光協会の方は諭されるでしょう) 実はそれをさかのぼること七年前、1904(明治37)年に、野辺地の豪商野村治三郎が外国の雑誌でスキーのことを知り、東京の丸善を通じてスキーを試作させ、自らも滑っているのですね。というわけでスキー発祥の地は、ここ野辺地です。
 それはさておき、13:00発の大湊線大湊行きの列車に乗り込み、13:56に下北駅に到着。そういえば、この地は数年前に下北・津軽を経巡って以来だなあ。そして14:05発の路線バス、むつ線大畑行きに乗り換え、大畑に14:50に到着しました。ここで宿の車が待っているはずなんだが…うろうろきょろきょろ…あっいらっしゃいました。バンを運転した気さくな女将がお出迎えです。さっそく乗り込んで今年の紅葉の様子を訊くと、猛暑のせいか、紅葉せずに落ちてしまう葉が多く例年にくらべてあまり綺麗ではないとのこと。山中に入っていくと、たしかに紅蓮の紅葉とはお世辞にも言えません。やれやれこれも日頃の不信心の故か、いたしかたない。

 本日の一枚は、下北駅前からの眺めです。
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by sabasaba13 | 2012-02-16 06:19 | 東北 | Comments(0)

青森錦秋編(3):八戸(10.10)

 さてそれではバスに乗って、八戸駅へと向かいましょう。車窓からバス停をふと見ると、家々で使い古したものらしい椅子がいくつも並べて置いてありました。こうした心遣いをみると嬉しくなりますね、この地に住む方々の暖かさにふれた思いです。また、ドライブスルーのある薬局を発見、地方自治体が経費節減のために公共輸送機関を節減してしまった結果なのでしょうか。あるいは寒さ対策なのか。
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 そして二十数分ほどで八戸駅に到着、列車の時刻まであと約一時間、青森の地鶏シャムロックにも心惹かれますが、やはりここは前沖サバでしょう。前沖サバをいただける店を求めて探索を始めましょう。まず駅ビル内の寿司屋「すし市」で前沖サバと大間のマグロの握りを発見、駅前にある駅前魚河岸食堂「炙亭」では焼きサバ定食をゲット。そして「いか加工実演場」では、前沖サバの竜田揚げをはさんだ「サバーガー」を見つけました。ううむ、どれにしよう、これは究極の選択を迫られることになりました。…(沈思黙考)… そうだ、全部食べりゃいいんだ。なお、八戸前沖さばブランド推進協議会オフィシャルサイト「8saba.com」によると、そのおいしさには六つの秘密があるそうです。(1)日本最北端の漁場、(2)水温が冷涼、(3)粗脂肪分がとにかく多い、(4)不飽和脂肪酸が豊富、(5)漁場が近く新鮮、(6)だから新鮮でおいしく健康に良い。ん? 整理すると「漁場の水温が冷涼で市場に近い」、つまり秘密は二つではないの、というつっこみはおいといて、まずはアペリティフとして「すし市」で前沖サバと大間のマグロの握りを一かんずついただきました。んんんんんんんんまい! 野卑すれすれのこってりとしたトロが味蕾を、まるでジャンヌ・モローの囁きのように愛撫します。はっきり言って大間のマグロより上。海原雄山を絶句させたという、あの葉山根付きの鯖もこんな味なのかもしれません。しょうしょう値は張りましたが、その価値は十分にあり。
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 そしてメイン・ディッシュの焼きサバ定食をいただくために「炙亭」に突入。うーん… 美味しいことは美味しいのですが、さきほど食べたアペリティフの味が鮮烈すぎて、ちょっと印象が薄くなりました。なおこちらのトイレ男女表示はサバ! これは鯖ファンにとっては垂涎ものですね。
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 そしてデザートは「いか加工実演場」の「サバーガー」、そのお味は…言わぬが花。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-15 06:17 | 東北 | Comments(0)

青森錦秋編(2):八戸(10.10)

 そして天聖寺の門前で、安藤昌益の碑を見つけました。岩波日本史辞典から引用します。
安藤昌益 (1703‐62) 江戸中期の医者、思想家。字は良中、別号は確竜堂。出羽秋田郡二井田村の出身。生家の没落で村を出、1744(延享1)から58(宝暦8)まで八戸藩領の八戸城下で町医者を開業。門人には藩主の側医・藩士・商人など上層の人々が多い。58年故郷に帰り、生家と村の再建をはかった。昌益は、平等主義の立場から、万人が生産活動に従事する<自然世>を理想とし、武士が農民を支配する<法世>の現実を批判して、その秩序を支える儒学や仏教などを否定した。著書は稿本「自然真営道」、刊本「自然真営道」「統道真伝」など。
 狩野亨吉によって発見され、ハーバート・ノーマンによって広く世に知られるようになった"忘れられた思想家"安藤昌益。解説板によると、1744(延享元)年12月、八戸にやってきた昌益は、ここ天聖寺で、八戸の主だった知識人を前に講演を行い、大きな感銘を与えます。そして天聖寺に彼の門弟たちが集まり、談論風発、親交を深めました。1749(寛延2)年におきた猪飢渇(いのししけかじ)から始まる飢饉の頻発は、昌益を向かわせ、「統道真伝」「自然真営道」を執筆しながら、すべての者が「直耕」する平等な社会とは何か、そこにおいて最も人間らしい生き方とはどのようなものか、さらに人間と自然とはどのように相互依存して共生できるのかを追い求め、「自然の世」という理想社会の実現をめざします。1758(宝暦8)年頃、おそらくここ天聖寺で全国の門人たちが集まったシンポジウムが開かれ、これを機に十五年にわたって過ごした八戸を離れ、故郷の大館二井田へ向かいました。よってここ八戸、そして天聖寺が「安藤昌益思想発祥の地」というわけですね。平等な社会、人間らしい生き方、自然との共生、今から二百数十年前にこうした重要な論点について思考を馳せていた彼の炯眼には頭がさがります。グローバル資本によって世界が私物化され、自然が破壊され、人間がどん底への競争に投げ込まれている今だからこそ、彼の言葉に耳を傾ける必要があるでしょう。まずはハーバート・ノーマン全集第三巻「安藤昌益」を読んでみたいと思います。なお以前に掃苔したのですが、大館の温泉寺に彼のお墓があります。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-14 06:17 | 東北 | Comments(0)

青森錦秋編(1):八戸(10.10)

 さて2010年の紅葉狩りはどうしましょう。沈思黙考の末、2008年に行った際に、雨に煙る紅葉が心残りだった十和田湖と奥入瀬に再挑戦することにしました。これと八甲田、および穴場だと言われる薬研渓谷を組み合わせて二泊三日の一人旅。持参した本は「暴力批判論」(ヴァルター・ベンヤミン 岩波文庫)です。

 十月好日、モノレールで羽田空港まで向かいますが、本日は「羽田空港国際線ビル」駅オープンの日ですね、ホームではなにやら式典らきしものが行われていました。根本的な疑問ですが、成田空港って本当に必要だったの??? 必然性もなく農家から土地を強奪して作った空港、世界空港史上に残る汚点ではないでしょうか。そして到着、羽田7:55発のJAL1225便に乗り込みますが、バスで飛行機まで移動しなければなりません。思いすごしかもしれませんが、東北方面への便はバス利用が多いような気がします。"白河以北一山百文"的発想がいまだに残っているのでなければいいのですが。
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 9:15に青森県の三沢空港に無事着陸。本日は薬研温泉で一泊いたしますが、これからのアクセスがちょいと厄介です。まずこれからバスで八戸へ向かい、八戸からスーパー白鳥9号(函館行)で野辺地へ。ここで大湊線に乗り換えて下北へ。そして路線バスのむつ線大畑行きに乗って大畑で下車。ここで宿が送迎の車を用意してくれる(はず)、というワンミスも許されないボビンレースの如く繊細な旅程です。仙道彰だったら「これは褌を締めてかからんと」とクールに呟くところですね。まあ小さいことからコツコツと、まずは八戸へ向かいましょう。9:30三沢空港発のバスにうまいこと乗れて、10:20には八戸に着きました。おっ目の前に、優雅な木組みが印象的な「旧河内屋橋本合名会社 社屋」がありました。ま、それはよいとして、これからどうしよう。スーパー白鳥9号(函館行) は八戸駅12:16発、二時間弱ほど時間がありますが、市の中心から駅までバスで二十数分ほどかかるようですので要注意です。また八戸名物の前沖サバをじっくりと堪能するのも今回の旅における重要な眼目ですので、そうのんびりとはしていられません。頼りの観光案内所も貸し自転車も見当たらないので、早めに駅に行って昼食をとることにしますか。バス停を探してうろうろしていると、「はちのへ中心街散策マップ」という観光地図が街頭にありました。どれどれ…「評論家大宅壮一夫人愛子誕生の地」「作家川端康成夫人秀子誕生の地」「片山潜夫人原たま誕生の地」…八戸出身の女性を妻帯した男性は大成するのでしょうか。「野の天文学者前原寅吉天文観測の地」「プリマドンナ原信子誕生の地」…よくわかりませんがディープだ。私が興味をひかれたのは「安藤昌益思想発祥の地碑」「安藤昌益居宅跡」「映画監督川島雄三所縁の地」「折口信夫所縁の地」「小泉八雲所縁の地」。川島雄三監督のファンなものでその所縁の地には思いっきり後ろ髪を引かれましたが、いかんせん遠そうです。泣いて馬謖を斬る、ここは近くにある「安藤昌益思想発祥の地碑」だけ見て、バスで八戸駅へ移動しましょう。途中で「八戸がうわさになってるらしいよ」という看板を発見。いいですね、どんな噂かわかりませんが、一東北ファンとしては嬉しいかぎりです。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-13 06:20 | 東北 | Comments(0)

「さよならの言葉」

 先日、朝日新聞を読んでいたら、八神純子が被災地でコンサートを開いたというニュースが載っていました。懐かしいなあ、彼女の名を聞くとすぐに思い出す曲があります。ゆるやかなワルツで、甘くせつなく美しいメロディの曲なのですが、残念ながらタイトルがわかりません。高校生か大学生の頃に耳にして以来、うん十年も心の片隅で微かに鳴り響きつづいている佳曲です。これも何かの縁、調べてみることにしました。たぶん初期の頃であろう、デビュー・アルバム「思い出は美しすぎて」にあたりをつけて、インターネットで順に試聴してみました。…あった。掉尾を飾る「さよならの言葉」という曲でした。作詞・作曲は小野香代子です。
♪それはまるで夢のよう あなたとめぐり逢うたびに だから私はいつだって 何も信じられない♪
 まあ歌詞は何ということもないのですが、そのメロディ・ラインが素晴らしい。ミディアムテンポのワルツに乗って優美なメロディが流れ、ところどころで微かな憂愁が陰りをあたえます。陳腐な表現ですが、"心の琴線に触れる"とはまさにこういうことなのでしょう。そしてその魅力を十全に引き出した、八神純子の見事な歌唱。時として、ねちっこい歌い方が気になる彼女ですが、この曲ではそれが良い方に作用しています。ブレスにさえも聞き惚れてしまうよう。この曲は彼女のためにつくられ、彼女はこの曲を歌うために生まれてきた、そう思ってしまうような奇跡的な邂逅といったら大袈裟かな。「音楽は生活のちりを流す」、アート・ブレイキーの名言ですが、まさのその通り。人を人とも思わぬこの国で暮らしているうちに、心と体にうず高く積もった塵が洗い落とされていくようです。こんな魅惑的な小品に出会うと生きているのも悪くないなあ、という気になってきます。私が感銘を受けた名曲、他にもいくつか紹介しますので機会があったら是非聴いてみてください。「唇は黙っていても」(レハール『メリー・ウィドウ』)、「小さな空」(武満徹)、「エディット・ピアフ賛[即興曲第15番]」(プーランク)、「水玉模様と月の光」(ジミー・ヴァン・ヒューゼン)、「胸の振り子」(服部良一)、「弦楽四重奏曲第2番第1楽章」(ボロディン)。
by sabasaba13 | 2012-02-12 06:17 | 音楽 | Comments(0)

「私物化される世界」

 「私物化される世界 誰がわれわれを支配しているのか」(ジャン・ジグレール 阪急コミュニケーションズ)読了。以前に「世界の半分が飢えるのはなぜ?」という彼の著書を紹介しましたが、こちらもお薦めです。まずは虚心に、今の世界をありのままに見詰めることから始めましょう。ジグレール氏はこう語っておられます。
 人類史上初めて、私たちは過剰な財を享受している。地球はその財貨の重みに耐えかねて、ほとんどくずれおれんばかりだ。供給可能な財は人類の生存に必要な量を1000倍も上回っている。
 しかし、死体の山も増え続ける。
 開発の遅れを象徴する黙示録の四人の騎士の名は、飢え、渇き、疫病、戦争である。このために、六年間の第二次世界大戦の大殺戮を上回る数の男女、子どもたちが毎年死ぬ。第三世界のひとびとにとってはまさに「第三次世界大戦」が進行中なのだ。(p.12~3)
 その原因は何か? 氏は、書名にもある通り、地球上最強の多国籍企業200社、つまり世界総生産高の25パーセント以上を支配する民間企業が、世界を私物化していることにあるととらえます。そしてアメリカを中心とする先進国政府の協力を得て、WTO(世界貿易機関)やIMF(国際通貨基金)といった傭兵を爪牙として頤使して、われわれを支配しているのだと。こうした状況を、氏は「ジャングル資本主義」と表現されていますが、その実態について、私の文責でまとめてみます。
 まず、第三世界の国々は、外国の格付け会社によってコントロールされる収益の多い投資を獲得するために、たがいに争います。諸国はこの闘いに勝利するために、躊躇なく労働者の社会的保障、労働組合の自由、さらには国内の賃金労働者のもともと少ない交渉余地をさらに制限します。欧米日では、種々の産業が、工場、実験室、研究センターなどを外国に移す傾向がますます強まっています。この海外移転はいわゆる「特別生産地域」を頻繁に活用するもので、そこでは労働者階級保護の有無が不明朗で、賃金は悲惨です。またちょっと海外移転をちらつかせるだけで信じられないほどの実に腹立たしい効果を発揮します。すなわち、現生産国は資本の要求にますます譲歩するように、また社会保護の解体(解雇、規制緩和)に同意するように仕向けられます。つまり一言でいえば、国内の労働市場を「液状化」することによってさらに不安定にすることが求められるのです。これにより、あらゆる国の被雇用者間に競争が生じます。各人にとって肝心なことは、家族のために雇用と収入を得ることです。この状況はさまざまのカテゴリーで被雇用者間に節度のない競争を引き起こし、彼らの政治的無気力と労働組合運動の死をもたらします-要するに、労働する人間が自分自身の尊厳が破壊されたことに対して、屈辱的な、それどころかしばしば絶望的な同意を与えるという結果を招くことになります。ヨーロッパの民主主義の内部では、現に職場を確保していて、それを何が何でも保持しようとする者たちと、失業していて、今後もほぼ職場を得る見込みがなく、現在の職場確保者から奪い取るしかない者たちとの間に見逃しえない亀裂が走ります。被雇用者間の連帯は崩壊し、公共機能と民間部門との間に対立矛盾が起こり、非常にゆゆしい現象として、国内労働者が移住してきた外国人労働者を憎悪しはじめ、人種差別が横行することになります。(p.112~4)

 ああまさに現今の日本において心の底から実感できることですね。低賃金で酷使される中国の労働者、そうして生産された廉価な製品に対抗するため、際限のない賃金引下げ競争に巻き込まれ、心身を摩耗させられていく日本の労働者。しかし尖閣諸島問題が利用され、本来は連帯すべき両者が互いを憎悪する。国家の規範的機能が麻痺し、社会は解体されて、ジャングルが忍び寄る。歴史的な退行… 強者の言い分は正しく、弱者の主張は誤っている。いかなる敗北も当然の結果であり、ひとえに劣った主体のみずから招いた弱さのせいにされる。利潤最大化、無制限かつ無規制の競争、商品交換の普遍化、土着文化の根絶が世界に蔓延する。しかし、世界の人々は苦悶と怨嗟の声をあげながらも、この現状を黙認・追認してしまう。なぜか? ノーム・チョムスキーは、二十世紀と二十一世紀の全体主義権力が相次いでとった三つの形態を列挙しているそうです。すなわち、ボリシェビズム、ナチズム、そしてTINAです。TINAは"There is no alternative"(選択の余地はない)の略語であり、略奪者たちの世界支配はこのTINAの力に基づくと主張しています。それは「グローバリゼーションと自由貿易に帰着するこのシステムに代わるものは存在しない」というメッセージですね。

 著者は最後に、こうした"経済の専横"に対して"政治の復権"を呼びかけ、そしてこうした世界のジャングル化を押しとどめ、"違う選択肢"を実現させるべく発言し行動する世界中の人々の力強い動きを紹介されています。「あなたは一人ぼっちではない」という著者のメッセージに勇気づけられた思いです。間違いなく、多国籍企業、先進国政府、WTOやIMFが最も恐れているのが、世界中の貧しく虐げられている人々が連帯して行動を起こすことでしょう。それを食い止めるために、手を変え品を変え、必死で私たちを対立させ分断しようとしているのだと思います。その手は桑名の焼き蛤、世界の人々と連帯しながら、この世界を私たちの手に取り戻しましょう。
 本書を一人でも多くの方に読んでほしいので、いくつか引用します。残念ながら絶版なのですが、インターネットの古本屋で入手可能なようです。
 アメリカの反対の論拠はその定評あるエゴイズムの証左である。アメリカの主張するところでは、「公共財」は存在しえない。市場だけが、分配、価格、食糧、住居、学校建設、医療品等々の決定を下す。20億以上の人間が極端な貧困状態にあるって? この状態を除去できるのは経済成長のほかになく、これは、貿易と市場を最大限に自由化することによってのみ達成される。それまでは貧しい者たちが自助努力をするだろう…。(p.43)

 この殺戮の責任はイスラム原理主義者たち、すなわち異教徒に対するジハードの狂信的信奉者たちに帰せられた。しかし、宗教的狂信、すなわち原理主義的な傾向はそれが何に由来するものであっても―キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、イスラム教であれ、ヒンズー教であれ、いかなる宗教であろうと―悲惨と排除から生じることは誰もが知っている。テロリズムとの闘いはそれゆえ、必然的に極度の貧困、権利の拒絶、飢餓に対する闘いでもある。だが、ブッシュ大統領はいかに反応したか? 悲惨の結果であるテロに対して、基本権の制限である戦争を仕掛けた。さらにまた民営化を推進し、市場の自由化を拡大し、国や地方の所轄機関による富の再分配措置を露骨に削減した。(p.47~8)

 そのイメージをアラン・トゥレーヌは鋭く描き出す。「グローバル化した地球規模の市場とその周辺に成立するアイデンティティーを求める無数の運動の間には、大きな暗い穴が口をあけている。この穴の中では、共同意思、人民、国家、諸価値、公衆道徳、人間間関係などが、一言でいえば、社会が消え去ろうとしている」 (p.62)

 古代ローマの剣闘士が今日の英雄になる。従来のあらゆる文明の努力は、人間の好戦的、暴力的、破壊的な本能を抑制し、人間間に連帯、相互補完、互恵主義の絆を結ぶことに向けられていた。換言すれば、ウォール街の海賊たち、WTOとIMFの傭兵たちがこの剣闘士を社会的な役割モデルとしてもてはやし、人間間の抑制のない競争を誉めそやすとき、彼らは数千年の辛抱強い文明化の努力を無視すべきものとして扱うのである。(p.63)

 グローバリゼーションは世界をグローバル化したのではない。グローバリゼーションは世界を断片化したのである。(p.68)

 国家が自発的に国家の本質をなす公共サービスを解体し、集団の利益にかかわるすべての任務が民間部門に委譲されることによって利潤最大化の法則に屈するならば、その国家は-エリック・ホブズボームの表現を用いるならば-「失敗した国家」(failed state)であり、国家として破綻しているのだ。
 こうなると、市民の目には、国家の価値はゼロに近い。
 過剰な個人競争、不確実な雇用、危機に瀕した社会状態、業績による賃金、これらを生み出す(しかも歓呼して迎えられる)経済は、不安を生み出す経済である。
 無防備で社会の大きなリスクにさらされる市民は、市民としての特性を失う。絶えず自分の職場、賃金、権利のことを心配しなければならない人間は、もはや自由な人間ではない。
 国家の民営化は人間の自由を破壊し、市民としての権利を壊滅させる。(p.109~110)

 2001年9月11日のニューヨークでのテロ攻撃後にドイツの雑誌『シュピーゲル』はこう書いた。「グローバリゼーションは日々のテロである」 (p.110)

 「支配者」とその「傭兵たち」のドグマの核心にあるのは民営化である。ある国の大臣が、ワシントンで平身低頭して債務繰り延べを頼み込むたびに、IMFのハゲタカどもは当該国の産業あるいは公共部門の一部をさらにもぎ取ってしまう。
 方法はいつも同じだ。IMFは、収益の出る経済部門の産業やサービス企業(運輸、保険)をだいたいにおいて北米または欧州に本拠をおく多国籍企業に売却することを要求し、事実それを実現させる。収益のあがらない経済部門が当該政府のもとに据え置かれるのはいうまでもない。(p.202)

 歴史的なシステム化を好むノーム・チョムスキーは、二十世紀と二十一世紀の全体主義権力が相次いでとった三つの形態を列挙する。すなわち、ボリシェビズム、ナチズム、そしてTINAである。TINAは"There is no alternative"(選択の余地はない)の略語である。略奪者たちの世界支配はこのTINAの力に基づく。ノーム・チョムスキーにとって、TINAの主要メッセージは以下のことに尽きる。「国家の保護を受ける企業を重商主義だとして売り払い、さまざまなマントラを唱えつつも結局はグローバリゼーションと自由貿易に帰着するこのシステムに代わるものは存在しない」
 この対極に存在するのが、私たち一人ひとりのなかにまどろんでいる道徳的命令である。人間は歴史の唯一の主体である。自分自身の歴史の、世界史の主体である。
 チョムスキーは、今日地球を支配する金融、工業、サービス、貿易関連の多国籍企業を「不死身の巨人」と呼ぶ。これらの「不死身の巨人」に、血と肉をもつ「生身の人間」が対置される。
 過去の歴史に見られる他の弾圧システムの代理人とは異なって、「不死身の巨人」は理念闘争を繰り広げることはない。彼らは、公開論争に知識人を呼ぶわけではないし、議会に議員を有するものでもなく、新聞紙上で論陣を張る論絶委員や編集者をかかえているのでもない。その代わりにあるのは、沈黙、絶対的な秘密保持、回答拒否、隠密行動である。「不死身の巨人」は唯一の活動に専心する。すなわち、できるだけ短期間に最大限の利益を追求すること。自分たちの活動を世間に納得させようとさえしない。(p.272)

 その回答は、2002年約6万の男女が五大陸から2000以上のさまざまな社会運動を代表して、ブラジル、ポルト・アレグレの第二回世界社会フォーラムに集まったことに示されている。参加者が要求したのは、IMFとWTOの廃止、租税回避地(タックスヘイブン)と格付け機関の撲滅、中央銀行の独立性、シカゴの農産物・原料市場の閉鎖、生物ならびに遺伝子組み換え生物に関する特許の禁止、第三世界の国々に対する無条件の債務帳消し、トービン税の導入と企業合併の国家によるコントロール、経済的、社会的条件のための国連安全保障理事会の創設、経済、社会、文化にかかわる人権の請求とその権利を各国の権利とすること、である。(p.311)

by sabasaba13 | 2012-02-11 09:01 | | Comments(0)

三浦一馬頌

c0051620_6171472.jpg 先日、コンサート情報を何気なく見ていたら、三浦一馬という若いバンドネオン奏者のコンサートに目がとまりました。以前にあるテレビ番組でその演奏を聴き、そのテクニックと歌心に驚嘆した記憶があります。しかもオール・ピアソラというプログラム、これは聴かねばなるめえ。実は、アストル・ピアソラの曲は、ヨー・ヨー・マの「SOUL OF TANGO」というアルバムで聴きました。確かにメロディアスで情熱的な良い音楽だったのですが、もっと土臭さというか体臭というか、良い意味での野卑さが欲しいなと感じた次第です。三浦氏の演奏に期待しようと、さっそくチケットを購入。残念ながら山ノ神は野暮用のため行かれず、私ひとりで紀尾井ホールへと向かいました。まずは腹ごしらえ、四ツ谷駅近くの「かつれつ たけだ」でメンチカツ定食を所望。まあ、味は可もなし不可もなし根岸の里の侘び住まい、といったところ。なおここから近くには迎賓館、そして紀尾井ホールの近くには紀尾井坂があり、暗殺された大久保利通を追悼する碑があります。歩くと気持ちがいい土手もあり、絶好のお散歩コースです。
そしてイグナチオ教会の前を通って数分歩くと…ホールの前に入場を待つ長い行列ができていました。しかもほとんどが中年・初老の方々です。やはり若い衆はアルゼンチン・タンゴを聴かないのですかね、もったいない。会場はほぼ満員御礼、そして三浦一馬氏がバンドネオンを小脇に抱えて颯爽とステージに現れました。一見、はにかみ屋の真面目な好青年という印象を受けました。まずは独奏で「アディオス・ノニーノ」「天使の死」を演奏、最初の一音がホールに鳴り響くと、後は彼の演奏に引きこまれ没入するのみ。心の琴線をかき鳴らすような歌心と、それを支える抜群のテクニック、聴衆が彼の音楽に包まれ一つになっていくのがよくわかります。次は、バイオリン(3)、ヴィオラ(1)、チェロ(1)、コントラバス(1)が登場、ピアソラがクロノス弦楽四重奏団のために作曲したバンドネオン五重奏曲「ファイブ・タンゴ・センセーションズ」です。「眠り」「愛」「不安」「目覚め」「恐怖」という五つのセンセーション(感覚)を表現した組曲、クラシック音楽とタンゴの融合を意識したのでしょうか。上質な音楽でしたが、私が勝手に期待する情熱的な野卑さには程遠いものでした。後半の演奏に期待しましょう。そして二十分間の休憩、外に出て紫煙をくゆらせながら体の火照りを冷やしました。後半は、バンドネオン、バイオリン、ピアノ、ギター、コントラバスという五重奏団。キンテートと言い、ピアソラが考案した演奏形態だそうですが、ここからは期待を遥かに超えた素晴らしい演奏でした。土臭さ、体臭、情熱、哀愁、エクスタシー、人間の叫びと囁きが渦巻く、五人の合奏に心と身を委ねるのみ。しかし激情に身を任すのではなく、三浦氏がアイ・コンタクトやボディ・コンタクトを駆使しながら、しっかりと音楽をまとめあげているのには感心しました。「デカリシモ」「ブエノスアイレスの冬」「スール:愛への帰還」「フーガ9」「ブエノスアイレスの夏」と続き、「タンガータ~《シルフとオンディーヌ》より」が終わり万雷の拍手が鳴りやまぬ中、ピアノが猛烈なテンポで「リベルタンゴ」の前奏を叩きだしました。心憎い演出ですね、そして五人が、凄まじい速さのテンポで、指も折れよ腕も折れよと狂熱と哀愁に満ちた爆発的な音楽を奏でると、まるでスターマインがホール内で炸裂したかのよう。後は、この時が永遠に終わらぬようにと祈りながら、この圧倒的な音楽に身を委ねるだけ。しかし無情にも演奏は終わり。三浦氏がマイクを手にして、ぼそっと、「今ふと思ったのですが、音楽ってほんとうにいいものですね」と静かに語った姿が印象的でした。同感。「音楽は何も変えることは出来ない。しかし、音楽は何度でも人の心を救うだろう」という誰かの言葉がふと心をよぎりました。そしてアンコール、海鳴りのような拍手、二曲目のアンコールでは前半で演奏した弦楽器奏者もステージに現れ、全員で「現実との三分間」を演奏してくれました。興奮がおさまらない心と体を凍てつく夜風が心地よく覚ましてくれる帰り道を歩きながら、弱冠21歳の大器にめぐりあえた喜びをかみしめました。「ヴァイオリンのように歌い、ピアノのように持続音も得意な、タンゴだけにとどめておくのはもったいない楽器」「だからこそ、無限の可能性を秘めている。その可能性を拡げることが、僕の使命」「タンゴ奏者というよりも、バンドネオン奏者と言われたい」 彼の言です、その意気やよし。どこまで成長するのか、これからがほんとうに楽しみな逸材です。彼のような才能ある若者が現れたということは、神がまだこの国を見捨ててはいないという証かもしれません。
ただ気になるのは、前述のように、聴衆の中に若い方があまりいなかったことです。唐突ですが、林家三平の真打ち披露口上における古今亭志ん生のお言葉を紹介します。
 これからは、若い落語家がどんどんとできます。それは、つまり、あなた方に育ててもらう。そして、あなた方がそれを楽しむ。ですから、ま、つまり、小鳥を飼っても、その鳴く音を聞こうというのには、やっぱし餌をやって、そしていろいろ世話をしなきゃいけない。小鳥にしちゃ、ちと汚ねえけど。そういうようなわけですから、あたくしたちはこうやっておりましても、みなあなた方に養われているものでございます。自分の力で生きてるんじゃない。お客様にこうやって、おかれている。お客様に、もうあいつに用はないといわれちまえば、もうそれっきりなんでございます。噺家一人助けると、猫千匹にむかうというくらいでございます。どうかひとつお願いをいたします。
 これを客=聴衆の立場から言い換えると、私たちが身銭を切ってコンサートに行ったりCDを購入したりしないと、音楽家は生きていけないということですね。素晴らしい音楽家を見分ける鑑賞力と、その人物への経済的な支えが必要だとも言えます。そういう意味では、こんな素晴らしいコンサートで、若い方の姿が少ないのは心許ないかぎり。ま、余計なお世話と言われればそれまでですが。

 余談です。ウィキペディアで調べてみると、バンドネオンという楽器は、アコーディオンを改良して、ドイツのハインリヒ・バンドが1847年に考案したそうです。1880年代に、アフリカ系アルゼンチン人のセバスティアン・パルドがタンゴで用いたとする文献があり、20世紀になるとドイツから大量のバンドネオンがアルゼンチンに輸出され、タンゴでよく用いられる楽器となったとか。ドイツと南米とのつながりは興味深いですね。指揮者のエーリッヒ・クライバーは、息子が将来南米で活躍できるように、カールではなくカルロスという名をつけたという話を聞いたことがあります。第二次大戦で、アメリカがドイツと戦火を交えたのも、裏庭=非公式の植民地である南米をドイツに脅かされたことも一つの大きな原因となっているのではないでしょうか。博雅の士のご教示を乞う。
by sabasaba13 | 2012-02-10 06:18 | 音楽 | Comments(0)