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シェエラザード

 わが敬愛する広上淳一氏が、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」を振るという、身の震えるような嬉しい情報を手に入れました。あの魅惑的な旋律に満ちたダイナミックな曲を、音楽性が肉体と化して指揮台の上で跳躍する広上氏が振るとどうなるか…もう想像しただけで身悶えがしてきます。オーケストラは読売日本交響楽団ですが、実はこのオケの演奏を聴くのははじめてです。官僚・自民党・財界の走狗、「社会の木鐸」「炭坑のカナリア」としての責務を放棄した天下無双の御用新聞、読売新聞の傘下組織ということで、これまであえて足と耳を向けませんでした。でも仕方ありませんね、広上氏のタクトを堪能するため我慢しましょう。
 開演は午後七時、会場は東京オペラシティコンサートホール…ということは、オペラシティ53階の「つな八」で美味しい天ぷらが食えるぞ天ぷらが食えるぞ食える食える食えるぞ天ぷらが食えるぞ。午後六時に店の前で山ノ神と待ち合わせ、さっそく入店して「黒潮」を注文しました。小海老、茄子、きす、蛤の姿揚げ、帆立、かき揚げの天丼、クリスプなころもに歯を入れると閉じ込められていた旨みが口の中へとあふれだし味覚中枢をくすぐります。穴子の酢の物や、トマト味の大根おろしなど、夏向きの小技も光りますね。そしてあらかじめ開演時間を確認し、その二十分前には配膳を終らせてくれるという芸の細かさ。53階ということで眺望も抜群、いやあ満喫いたしました、贔屓にさせていただきます。
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 そしておもむろにコンサートホールに入り、まずは武満徹の記念プレートを表敬訪問。彼が東京オペラシティビルの芸術顧問をしていたので、このホールはタケミツ・メモリアルとも呼ばれています。「できれば、鯨のように優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい」という彼の味わい深い言葉が記されていました。そして着席、いよいよ演奏の開始です。まずは武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト」、パンフレットンによると「薄明のあや織り」という意味で、作曲者は音楽的な素材が形を取る前の姿-旋律以前、リズム以前の状態-を音として表現し、それを織物のような形で編み上げていったと語っているそうです。ただその意図をアナリーゼする能力はまったくありませんので、ひたすらホールに響き渡る音に身と心をひたらせるだけ。無心に音楽に己を委ねるのもいいものです。次の曲はベラ・バルトークの「ヴィオラ協奏曲」(ピーター・バルトーク版)。彼がアメリカに亡命し困窮と病魔に苛まれていた時期に、ヴィオラの名手プリムローズによって委嘱された作品です。残念ながらヴィオラのパートしか完成せず、ピアノ譜に記されていた簡単な楽器の指示をもとに子息ピーターがスコアを書き上げたものです。独奏者はベルリン・フィルの首席ヴィオラ奏者を務める清水直子氏。実は私、バルトークのファンでして、真摯な生真面目さと土俗的なリズムと躍動感に心惹かれます。この曲もそうした魅力にあふれていました。清水直子氏のソロも素晴らしいですね、抜群の技術と歌心、そしてホールを揺るがす根太い音には感嘆しました。地味な楽器ですが、ヴィオラの魅力の一端にふれた思いです。万雷の拍手に応えてのアンコール、ん? 譜面台が二つ用意されてヴィオラの首席奏者が立ち上がりました。そして奏でられたのはヴィオラ二重奏、どうやらバルトークの曲らしいのですがなかなかチャーミングな佳曲です。休憩時間にロビーで確認したところ、バルトークの「44の二重奏曲」から第21番「新年のあいさつ」と第38番「ルーマニアン・ダンス」でした。
 十五分の休憩をはさんで、いよいよお待ちかねの「シェエラザード」。「千夜一夜物語」からインスピレーションを得たリムスキー=コルサコフが、四つの物語を四つの楽章にまとめて仕上げた交響的作品です。その語り手であるシェエラザードはコンサートマスターの独奏ヴァイオリンで表現されますが、ちょっと淡泊なのが残念。もっとねちっこく悶えるように弾いてほしかったな。しかし全体としては見事な演奏でした。「海とシンドバッドの船」の雄渾、「カランダール王子の物語」の哀愁、「若い王子と王女」の甘美、そして「バグダッドの祭り。海・船の難破・終曲」の爆発。いやあ読響っていいオケですね、この万華鏡のように煌びやかな曲を見事に表現していました。特に、ホールを揺るがす金管・木管楽器の分厚い響きにはまいりました。そしてもちろん、その持てる力を十二分に引き出した広上氏の自由闊達・変幻自在の指揮にも頭を垂れましょう。まるで「俺は音楽を愛してるぜえ! こんないい曲なんだぜえ! みんな乗ってるかい! 愛し合ってるかあい!」と言わんばかりの、そう不世出のロックンローラー忌野清志郎のような熱い魂を感じます。小沢征爾氏が、指揮者の仕事は練習の時にオーケストラを鍛えることで終っており、本番の演奏ではその響きを微調整するだけ、というようなことをおっしゃっていました。でも広上氏の場合はそれに加えて、熱い指揮によって本番でオケを「その気にさせる」という仕事をされているような気がします。指揮者とオーケストラと聴衆が一体となった濃密な時間を過ごせて幸せでした。

 付記。会場でいただいた「月刊オーケストラ 7月号」を読んでいると、がん患者助成事業に携わる公益財団法人「正力厚生会」という組織があるそうです。政治資金や派閥を手に入れて総理大臣の椅子を狙うために、CIAと結託して原子力発電導入を推進した讀賣新聞社主・正力松太郎。その結果林立した原発と福島第一原発の事故で、放射能によるがん患者がいかに数多く発生し、これからも増え続けることか。その彼の名前をつけた組織でがん患者を助成するとは…肌に粟が生じるようなブラック・ジョークです。なお詳細については「原発・正力・CIA」(有馬哲夫 新潮新書249)をご覧ください。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-18 06:18 | 音楽 | Comments(0)

さようなら原発10万人集会

 「暴走した原発が核兵器であり、コントロールされた核兵器が原発である」とどなたが言っておられました。どこでいつ巨大地震が起こるのかまったく予測できないこの火山列島に、ぼこぼこぼこぼこと核(原子力)発電所を林立させた原子力マフィアたち。言うまでもなく、原子力という利権にむらがり、あるいは核武装を夢見る官僚・政治家・財界・学界・メディアの方々のせいで日本という国は、奈落の底へ落ちる未曾有の危機に立たされてしまいました。原発が立地している場所で次なる巨大地震が起きたら…核兵器と化した原発がどのように暴走しどのような凄惨な被害をもたらすのか。想像しただけでも肌に粟が生じます、いやほんとに。「原発の闇を暴く」(広瀬隆・明石昇二郎 集英社新書0602B)の書評でも触れましたが、例えば六ヶ所村の再処理施設でシビア・アクシデントが起きたら文字通り日本消滅です。居ても立ってもいられず、昨日の月曜日、「さようなら原発10万人集会」に参加してきました。
 最高気温は33度という真夏日、午後一時ごろ山ノ神と共に代々木八幡駅におりたち、ちらほらと流れる人の波に乗って代々木公園方向に歩いていくと、交差点のあたりで巨大な人の波と遭遇しました。無数の旗からすると、労働組合の方々でしょう。熱気にあふれる人の波をかきわけかきわけ、やっとのことでメインステージにたどりつくとこちらも人・人・人、あまり労働組合の旗が見られないので一般市民が中心のようです。
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 われわれが着いた時には大江健三郎氏がスピーチをしている最中でしたが、その前には坂本龍一氏・鎌田慧氏・内橋克人氏ら呼びかけ人による訴えがすでにあったようです。そして落合恵子氏・澤地久枝氏・瀬戸内寂聴氏とスピーチは続き、広瀬隆氏の発言となりました。「東京に原発を!」(集英社文庫)を読んで以来、原発に関する私の蒙を啓いてくれた恩人です。氏は、巨大地震の危機が切迫している現在、とにかくすべての原発を廃炉に追い込むことが最重要にして喫緊の課題であると力説。そのためにはここに集ったような市民が経済的な勢力として、電力会社と交渉し、原発からの撤退を呑ませるための条件闘争を行なうべきではないかと主張されました。例えば、中小企業への配慮をした上で、電気料金値上げに応じるとか。広瀬氏らしからぬ発言ですが、それくらい事態は切迫しているのかと思うと背筋がぞっとします。そして大飯原発現地から中嶌哲演氏の、福島から神田香織氏の発言で閉会。この後パレードとなりますが、疲労のため不参加としました。
 主催者が発表したところでは、参加者は17万人。(警察当局の集計では約7万人) 子供たちの末来を救うため、末来に希望を繋ぐため、これだけ多くの人びとが行動を起してくれたこと。それをほんとうに嬉しく思います。やはり憎悪ではなく、希望によって、多くの人たちと結び合いたいものですね。まだまだ闘いは始まったばかり、途中で力尽きぬよう、粘り強くリラックスして(時々休みながら)行動と発言を続けていきたいと思います。己の鞭撻のためにも、勇気を与えてくれる言葉の数々を備忘として記しておきました。

 市民の足による投票は選挙の一票よりも有効な時がある。(レーニン)
 人民の行進は力の集団表現である…モーゼ以来。(ジョアン=ペドロ・ステディレ)
 暴力をもってしても、犯罪的行為をもってしても、社会運動をおしとどめることはできない。歴史はわれわれの側にある。歴史をつくるのは人民なのだ。(アジェンデ)
 誰も敗者とならぬ戦いに参加しよう。たとえ死が訪れても、その行ないは永遠なり。(ウィリアム・モリス)
 犠牲者になるな。加害者になるな。そして何よりも傍観者になるな。(unknown)
 われわれの戦いの見込みのないことは戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものではない。(V・E・フランクル)
 私たちが負けつづける限り、権力はいつまでも勝っておらねばならない。強者には一度の負けが決定的だが、弱者には負けることを止めたときが敗退なのだ。(金時鐘)
 人類は子どもに対して最善のものを与える義務を負う。(新渡戸稲造)
 もし、我々が空想家で、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。その通りだ、と。(チェ・ゲバラ)
 登れない丘はない。渡れない谷はない。(インドネシアの諺)
 ぐまさんはいがどぅーってんぬまりーみ? [小さい針をバカにするが、それを飲み込むことができるか?] (沖縄の俚諺)
 人間は滅び得るものだ。そうかもしれない。しかし、抵抗しながら滅びようではないか? そしてもし虚無が我々のために保留されてあるとしても、それが正しいというようなことにはならないようにしよう。(セナンクゥール)
 平和とは、潜在的な力が黙々として邪悪なものに対して収める持続した勝利のことである。(ポール・ヴァレリー)
 人類は存続することを望む限りにおいてのみ存続するだろう。(サルトル)
 最高の愛国心とは、あなたの国が不名誉で、悪辣で、馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ。(ジュリアン・バーンズ)
 歴史から学ぶことのない人は、その歴史を再度生きることを運命づけられている。(ヨハン・ガルトゥング)
 わたしのゆきたいところはどこか。この世ではなく、あの世でもなく、まして前世でもなく、もうひとつのこの世である。(石牟礼道子)
 無関心の名の、心に着せた外套を脱ぎ給え。手遅れにならぬうちに、決断を。(「白ばら」のビラ)
 公僕達に鼻の先で笑われる程度の「ご主人さま」ではなくて、公僕達に敬意を払われるような「ご主人さま」になる―そのように、国民が成熟する以外、民主主義の生きる途はないのです。(橋本治)

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-17 06:19 | 鶏肋 | Comments(0)

瀬戸内編(8):道後温泉本館(11.3)

 そして道後温泉本館に到着、夜は夜でまた風情があります。観光客でたいへんな賑わいなのですが、はたして入浴できるのでしょうか。幸い入浴券売り場には行列はできておらず、すぐに購入できるようですが…その料金体系の複雑なこと。霊の湯3階個室が1,500円、2階席が1,200円、神の湯2階が800円、階下が400円、又新殿観覧料が250円、椿の湯 が360円。もう何が何だかわかりません。まあいいや、のんびりと寛ぎたいので霊の湯3階個室を選択しました。二階へ上がると大広間、みなさん思い思いに風呂上りの余情を楽しんでおられます。急な階段を上がると、狭い廊下の両側に個室が並んでいました。その一室に案内され、中に入ると四畳半の和室で、障子を開けると夜の帳が下りた町を眺めることができます。さてそれではひとっ風呂あびにいきますか。
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 浴衣に着替えて霊の湯へ、思ったより小さな石造りの湯船ですが、高級感にあふれています。しかし猫に小判、豚に真珠、散歩の変人に温泉、自他共に認める"烏の行水"の私、十分ほど浸かってもう満足。建物内をぶらぶらと見物しながら部屋に戻ってしまいました。そして障子をあけ夜風にあたりながら、座布団を枕にごろ寝。ああ気持いい…zzzzzzzzzz 気がつくと三十分ほど寝入ったようですが、山ノ神はまだ戻っていません。まあこれは想定内、煮魚を食べるときの手際と超弩級の長風呂にはいつも感心しています。またごろん。40分経過…50分経過…もしや溺死でもしたのではと不安になった頃、喜色満面で戻ってきました。そして設置されているボタンを押すと、仲居さんがお茶と坊っちゃん団子をもってきてくれました。
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 そして夏目漱石に関する資料が展示されている「坊っちゃんの間」、皇室専用の湯殿「又新殿(ゆうしんでん)」を見物して外へ。みかんソフトクリームを買って二人でなめながら商店街を歩いていると、いかにも猫らしいが暇そうに寛いでいます。
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 写真を撮っていると、どこかの店主さんが近づいてきてこの野良猫の来歴をいろいろと説明してくれました。さて小腹がへりましたが、鯛めしを食べる予定だったお店はもう閉店。仕方がないので路面電車で駅に戻り、売店で地酒と宇和島名産「じゃこちくわ」を購入。ホテルの部屋に戻って、テレビで福島第一原発の状況を確認しながらちくわをかじり一献傾けました。明日は錦帯橋を見て、尾道へ向かいます。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-16 08:13 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(7):道後温泉へ(11.3)

 そしてロープウェーで麓へ下り、ふたたび自転車にまたがって駅近くにあるホテルをめざします。途中で「夏目漱石假寓愚陀佛庵址」の碑を見物。愚陀仏庵(ぐだぶつあん)とは、夏目漱石が1895(明治28)年4月、松山中学校の英語教師として赴任した時の下宿で、正岡子規と共同生活をしたこともあったそうです。松山大空襲のために焼失し、現在では萬翠荘裏に復元されています。
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 次は「きどや旅館跡」、「坊つちゃん」で主人公が最初に泊まった「山城屋」のモデルであり、漱石自身も1895(明治28)年4月9日、赴任した際に宿泊しています。また、「坂の上の雲」によると、同年、江田島の海軍兵学校にいた秋山真之が正岡子規の病状を見舞った際に宿泊した旅館として描かれているそうです。
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 そして、何とも大仰な外観の愛媛県庁の前を通り過ぎました。ちょっと気になるので、今調べてみたところ、竣工は1929(昭和4年)で、設計は木子七郎。明治神宮絵画館に雰囲気が似ていますが、あちらの竣工は1926(大正15)年、影響を受けたのかもしれません。「軍服を着た建物」的フレーバーがあるので、帝冠様式と位置づけていいのでしょうか。ご教示を乞う。おっ気がつけばフェイクの煙を吐きながら疾駆する坊っちゃん列車と競争だあ! いいとこまでいったのですが、やはり勝ち目はありませんでした。
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 自転車を借りた市営駐車場に着き、自転車とワイヤーの鍵を返却しようとすると…鍵がついていない。あちゃー、やっちまっただ。どうやら走っている時の振動で鍵が脱落してしまったようです。申し訳ない、丁重に謝罪して弁償しようとしたのですが、すこし逡巡したあとにこにこと笑って受け取ってくれません。やむをえずご好意に甘えましたが、松山市民の親切さとホスタピリティには頭が下がります。さて、駅のコインロッカーから荷物を取り出し、予約をしておいた近くのホテルにチェックイン、荷物を部屋に置いて、いざ道後温泉本館へとまいりましょう。駅前から路面電車に乗って十数分で道後温泉駅に到着。
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 商店街をひやかしていると、幸運・金運を掴めるという「金のうんこ」を売っていました。もちろん買いませんでしたが。路地には昔懐かしい射的屋がありましたが。いいですねえ、これでスマートボール屋があれば言うことなし。電信柱には落し物のカメラケースがガムテープでぶらさげられていました。そしてさすがは松山、投句用紙と投句箱が道ばたに設置されています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-15 06:24 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(6):松山城(11.3)

 そしてカトリック道後教会の前を通り過ぎ、にきたつの道を抜けて日本最古の温泉といわれる道後温泉本館へ。
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 1894(明治27)年に建てられた和風の豪壮な建物には惚れ惚れします。自転車をホテルに置いて、夜にまた出直すことにしましょう。さすがに大勢の観光客がひしめきあい、観光の人力車も列をなしています。坊っちゃんとマドンナの顔はめ看板があったので撮影していると、通りかかったおばさんから「顔出したところを撮ってあげようか」と言われました。そういう趣味はないので丁重にお礼を言ってお断りしました。ほんとに松山の人って親切ですね。なお近くに広場にも同様の顔はめ看板と、「坊つちゃん」に登場する人物および漱石先生のフィギュアがありました。
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 それでは松山城へと行きましょう。洒落た洋館風の道後温泉、坊っちゃん列車、からくり時計を撮影して、路面電車と抜きつ抜かれつしながら十数分ペダルをこぐとお城に到着です。
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 ロープウェー駅にはうらなり、山あらし、たぬき、坊っちゃん、マドンナ、赤シャツ、野だいこと「坊つちゃん」登場人物の顔はめ看板が勢ぞろい。どういうわけか顔がはめてある正岡子規、秋山好古、秋山真之の看板もありました。もちろんすべて撮影しましたが、これだけあるとちょっと有難味が薄れますね。
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 さてここから天守閣まで、ロープウェーとチェアリフト、どちらも利用できますが、寒くなってきたので前者を選択。駅ビルの二階には"「坂の上の雲」スペシャルドラマ館"がありましたが、別段興味はないので通り過ぎ、矢がすりの着物・袴を着たマドンナ姿の係員に案内されてロープウェーに乗り込みました。
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 街並みの眺望を楽しんでいると、あっという間に到着、こちらの駅にも鎧武者・殿様・お姫様の顔はめ看板がありました。
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 豪壮な石垣を見上げながら太鼓門を抜けると、桜が林立する本丸です。残念ながら蕾がほころびはじめたところ、満開の時期にはさぞや見事な景色となるでしょう。そして眼前に屹立するのは、1820~54 (文政3~安政1)年に建造され、往時のまま現存する天守閣。なお江戸時代に建てられ今に残る天守閣を「現存12天守」と言うそうで、弘前城松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城松江城備中松山城丸亀城、松山城、宇和島城高知城が該当します。私事ですが未踏の天守閣は丸岡城のみ、いつの日にか訪れる所存です。
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 さてそれでは天守閣にのぼって殿様気分を味わいますか…なに、午後四時半で入城は終わり! 現時刻は午後4時45分、遅かりし由良之助でした。天守閣の周囲を散策して、眺めのよいベンチに座って、さきほど山ノ神が購入したジューシーで高雅な味わいの「せとか」をいただきました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-14 07:37 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(5):一草庵(11.3)

 さてそれでは一草庵をめざしましょう、自転車にまたがりつーいと坂道を一気に駈け下り、道なりにペダルをこいでいると、某会社の前に「報徳の心」と刻まれた二宮金次郎像を見かけました。十分ほどで、自由律俳人・種田山頭火が放浪の果てに安住の地として選んだ場所、一草庵に到着です。
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 まずはスーパーニッポニカ(小学館)から、彼のついての紹介を引用します。
 種田山頭火 (1882―1940) 俳人。山口県防府町(現防府市)に生まれる。本名正一。幼時の母の自殺が山頭火の生涯に大きな衝撃を与えた。1902年(明治35)早稲田大学文科に入学したが、神経衰弱で退学して帰郷。父と酒造業を営むが失敗し、家は破産。山頭火は熊本市で額縁店を開くが、家業に身が入らず妻子と別れ上京。しかし、定職を得ず、熊本に帰る。酒におぼれ生活が乱れた。24年(大正13)市内の報恩寺で出家。法名耕畝(こうほ)。市外植木町の味取(みどり)観音の堂守となった。26年、行乞の旅を始め、山口県小郡の其中庵に住したが、行乞漂泊すること多く、諸国を巡り、40年(昭和15)松山市の一草庵で没した。
 周囲はきれいに整備されていて、彼の句碑が林立しています。①「春風の鉢の子一つ」②「鐡鉢の中へも霰」③「濁れる水のなかれつつ澄む」④「おちついて死ねさうな草枯るる」
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 建物は当時のままではなく、最近復元されたものです。土・日・祝のみ内部が公開されるとのことですが、たまたま中ではボランティアの初老の方々が催し物の準備をされており、招き入れてくれました。オリジナルの「一草庵」という扁額が保存されていましたが、揮毫は師である萩原井泉水でした。仏壇に合掌し、お言葉に甘えてお茶をいただき四方山話に花を咲かせました。東京における地震や原発の影響について話すと、「たいへんでしたねえ」と心から同情と共感をもって相槌を打ってくれました。そして地元の素朴なお菓子や手作りのしおりと絵葉書をお土産にいただき、もう恐縮するしかありません。縁側で靴を履いていると、「山頭火はこの眺めが気に入っていたそうです」とある方が指差す方向を見ると、松山城の天守閣が木の間に遠望できました。なお「不在中 郵便受 一草庵 種田山頭火」と記した紙箱の郵便受はぜひ復元してほしいですね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-13 06:24 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(4):ロシア人墓地(11.3)

 それでは、ロシア人墓地へと向かいましょう。ここまで自転車に乗ってきて気づいたのが、歩道と車道の間に段差がなく、たいへん走りやすいということです。これには行政の見識を感じますね。路面電車も健気にごろごろと走っているし、松山が好きになりそう。さすがは四国、「へんろみち」という石の道標に感心し、幅が広くすいている歩道をすーいと気持ちよく走っていると…キーッ。
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 あるお寺さんの山門の中が妖しく輝いています。おっこれは見事な枝垂れ桜、ほぼ満開です。さっそく自転車を門前に置き、しばしプチ花見。
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 そしてすこし走ると急峻な坂道となり、自転車から下りて押すはめとなりました。幸い数分ほどで、車道のすぐ脇にあるロシア人墓地に到着です。整然と並んだ数十もの石の墓標、そして「ワシリー・ボイスマン大佐之墓」という大きな墓標と「日露友好のかけ橋」という記念碑が並んでいました。こちらにあった解説板によると、日露戦争当時、政府は全国に29ヵ所のロシア兵捕虜収容所を設けましたが、まず最初に開所となったのがここ松山。多いときで四千人を超える捕虜が収容されていましたが、傷病などで98名が死亡し埋葬されたそうです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」からの引用によると、日本政府は未開国でないことを世界に知ってもらうために戦時捕虜を優遇し、中でも松山の収容所がロシア兵には有名で、彼らは投降する時に「マツヤマ、マツヤマ」と連呼して日本軍陣地に走ってきたそうです。帝国主義戦争の犠牲者である兵士たちの冥福を祈り、合掌。なお、「米国海軍無名戦士之墓」という墓標もあり、「昭和二十年八月九日午前九時余土町及び同時に松前町塩屋沖に於て艦載機にて戦士す」と記されていました。長崎に原子爆弾を投下する際の哨戒の任務にあたっていたのでしょうか。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-12 06:17 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(3):岬サバ(11.3)

 さてそれでは昼食と洒落こみましょう。ここは私の我儘をきいていただいて、すこし遠いのですが、岬(はな)さばを食べにいくことにしました。近くのスーパーマーケットの前で急停車した山ノ神、その視線の先には多種多様な柑橘類が並べられています。さすがは愛媛ですね。中でも彼女が垂涎したのが「せとか」、人呼んで(誰が呼んだ)"柑橘類の大トロ"、東京ではなかなか手に入らないそうです。その「せとか」が一山五個で398円、これを買わずに何を買うとばかりに最後の一山を掴むと店の中に突進していきました。取り残された私は店先の食材を物色、「つわぶき」と「つくし」がちょっと珍しいので撮影。
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 そして満面に笑みを浮かべた山ノ神と合流し、出発。ある商店の前を走っていると、おかみさんが出てきて我々を引きとめます。右往左往している観光客と思ったのか松山観光名所の割引券をくれて、「松山城でロープウェーに乗るのは勿体ない、若い(!?)のだから歩いていきなさい」等々、簡単なレクチャーをしてくれました。ひたすらペダルをこいで市の西方へと向かい、途中で交通安全足型を撮影し、三十分ほどでやっと着いたのが「三崎漁師物語り」という唾をつけておいたお店です。
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 そう、岬(はな)サバと岬(はな)アジを食べるためさっ! 細長い佐多岬の最西端、三崎漁協が直営しているお店なのです。ここでちょっと蘊蓄…というよりお店にあったパンフレットから引用しますと、岬の先に拡がるのは豊予海峡、関門海峡・瀬戸内海・豊後水道の三つの海水が交互に流れ込むこの海峡は、栄養分が豊富で餌が多く、タイ・ブリ・アジ・サバなどの一大宝庫。おまけにその潮流の速さから「早吸(はやすい)瀬戸」とも呼ばれ、その潮流にもまれた魚は身が締まり、程よく脂がのっているそうです。おまけに一本釣りなので網の中でもがいて傷を負うこともなく、撒き餌を使わないので風味も保てる。これで旨くないはずがない(ママ)。そう、お気づきの方もいらっしゃいますね、豊予海峡の対岸は大分県佐賀関、つまり関サバ・関アジと同じ魚…なのかな。ご教示を乞う。さっそくサバとアジの刺身に加え、私はアジの一夜干し定食、山ノ神は金目鯛の煮付け定食を所望しました。……………………♪美味しくて、美味しくて、言葉に、できない♪ 無我夢中、一心不乱にただただ箸を動かし、腹の虫のコラールに耳を傾けるのみ。それにつけても、煮付けを食べる際の山ノ神の箸さばきには惚れ惚れします。もう神技ですね、あっという間にきれいに身をそぎとられた骨が積み上げられていきます。幼い頃に、"猫泣かせの(  )コちゃん"と呼ばれたのもむべなるかな。きれいにしゃぶった"鯛の鯛"も見せてくれました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-11 06:21 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(2):子規堂(11.3)

 三月好日、午前11時ごろに松山空港に無事到着。空港ビルには、宇和島の祭の花形、牛鬼が展示してありました。
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 そしてバスに乗って松山駅前へ、下車すると二人して思わず深呼吸をしてしまいました。嗚呼おいしい空気だ。放射能を心配せずに呼吸ができるという、当たり前の喜びを噛みしめました。あらためて、東京電力をはじめ核(原子力)発電所を稼働している電力会社、プラント建設でしこたま潤っている東芝・日立・鹿島などの企業、原発の乱立を推し進めてきた自民党と公明党と民主党および官僚たち、まともな批判をせずに口を噤んできたマスメディア、"安全安全"と鸚鵡のように繰り返してきた御用学者たちへの瞋恚がめらめらと燃え立ってきます。企業・自民党・公明党・官僚・マスメディア・学者は、東電と民主党にすべて責任を押しつけ知らんぷりをする腹でしょうが、この事故はこの方々が原発という利権にむらがって起こした、構造的な腐敗によるものだと考えます。この方々がどのような利権で結びついているのかを暴き、ぜひとも落としまえをつけていただきましょう。やはりそれができるのはマスメディア、もし仮に反省をしているのであれば、自己批判をしたうえで厳しく追及をしてください。そしてコインロッカーに荷物を預け、駅構内にある観光案内所で資料や地図をもらいました。駅前には正岡子規の「春や昔十五万石の城下町」の句碑、そして懐かしい円筒形の郵便ポストがありました。駅構内には、四国旅行には欠かせない「ウィリー・ウィンキー」というパン屋さん。よくお世話になりました。
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 案内所で教えてもらった市営駐車場で自転車を借りていざ出発。まずは松山市駅近くにある、「正岡子規誕生邸址」へ向いましょう。伊予鉄道高浜線の踏切を渡ると、最上部に「原子力本部 愛媛原子力総合対策室 原子力保安研修所」という看板が掲げられたビルがありました。"YONDEN"とあるので、おそらく伊方原発を有する四国電力のビルなのでしょう。…もし伊方原発で事故が起きたら、ここ松山はもろに放射能を浴びるわけだ。もう日本で安心して住める場所はないのかもしれません。あるとすれば原発のない沖縄…いや米軍がいるな。ふう。
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 そして「正岡子規誕生邸址」の碑に到着、写真におさめると、道路の向こう側に「中華そば ギョーザ 闘牛」というお店を見かけました。ご主人は宇和島出身なのでしょうか。
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 松山市駅を通り過ぎ踏切を渡り、すこし走ると子規堂に到着です。正宗寺内にあり、俳人・正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた木造平家建の建物で、彼が使っていた机や遺墨、遺品、写真などが展示されており、子規の勉強部屋も再現されていました。彼が死ぬまで使用していた上布団の生地や、秋山真之が贈った羽根布団の生地などもあり、思わず東京根岸の子規庵のことが脳裡に浮かびました。
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 敷地内には高浜虚子の筆塚、鮮やかな深紅の椿と供え物の蜜柑のコントラストに目を奪われました。夏目漱石が「坊つちゃん」の中で"マッチ箱の様な汽車"と記した軽便鉄道の客車も野外展示されています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-07-10 06:17 | 四国 | Comments(0)

瀬戸内編(1):前口上(11.3)

 「道後温泉に入りたあーい」「錦帯橋を見たあーい」「イサム・ノグチ庭園美術館に行きたあーい」と山ノ神が好き勝手にぶつぶつ呟いております。ようがす、女房と畳は…もといっ…義を見てせざるは勇なきなり、情けは人の為ならず、まとめて面倒みちゃいましょう。というわけで三月末に、これらの物件をまとめて訪れる旅行を計画しました。しかしよくぞまあ、好き勝手に挙げてくれたものだ、三泊四日でどうやって旅程におさめればいいのでしょう。ま、でもこうした"点と線"をつないでいくプランを考えるのも、旅の楽しみの一つです。現地への移動は飛行機、起点は道後温泉のある松山、終点はイサム・ノグチ庭園美術館のある高松、ここまではよいとして、ここにどうやって錦帯橋をつなげるか。初日は松山見物と道後温泉、松山に宿泊して二日目に錦帯橋へ移動。いろいろと調べた結果、松山観光港から広島の宇品港まで高速船で行くことができます。広島から岩国まではJRで五十分ほど、うんこれでいきましょう。そして彼女が行ったことがない尾道へと長駆移動し、ここで宿泊。三日目は尾道を見物して、マリンライナーで高松へ。たぶん午後二時ごろには着けそうなので、小豆島を訪れることができそうです。高松に宿泊して、最終日にイサム・ノグチ庭園美術館を見学、その後は状況を見て栗林公園や市内の美術館を訪れ、高松空港から飛行機で帰路につく。道後温泉と栗林公園以外はすべて行ったことがあるのですが、情けは人のためならず、糟糠の妻のために一肌ぬぎましょう。なお途中にある大久野島には思いっきり後ろ髪を引かれますが、時間の関係で訪問は無理、いさぎよくあきらめましょう。さっそく(割引券が使える)西武観光に行って飛行機と宿をおさえてもらい、宇品港への高速船をインターネットで予約し、イサム・ノグチ庭園美術館に往復はがきを出して見学を予約しました。これで(たぶん)準備万端。
 しかし出発の二週間ほど前に、東日本大震災が起こりました。津波による激甚な被害と、福島第一原発の事故。小生の住んでいる東京の被害は軽微でしたが、あいつぐ余震、乾電池・一部食料品・トイレットペーパーの払底、計画停電、さらには水道水への放射性物質の混入など、ちょっとしたパニックが起こりました。西日本ではさほどの影響はないと思いますが、このような状況において旅行をしてよいものか… ふと中止という選択肢も脳裡をよぎりましたが、山ノ神と相談の上、過剰な自粛はよろしくないと判断し決行することにしました。持参した本は『真昼の暗黒』(アーサー・ケストラー 岩波文庫)です。
by sabasaba13 | 2012-07-09 06:17 | 四国 | Comments(0)