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北海道編(26):釧路(13.9)

 朝、なんと五時に目が覚めてしまいました。今朝秋や見入る鏡に親の顔(村上鬼城)、今朝秋や見入る股間の白髪かな(邪想庵:私の俳号です)、これも老化の初期症状でしょうか。いたしかたない。つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを(西行)。これを奇貨として、朝飯前に釧路市内の散策をすることにしましょう。ホテルから飛び出たのが午前五時半、玲瓏な空気を吸い、人通りもない静謐な町を歩くのは気持ちがよいものです。釧路駅を通り過ぎ、北大通を歩いていると、街灯やマンホールの蓋などに鶴の意匠がほどこされているのに気づきました。道路の行き先表示を見ると「鶴居 35km」、ああ成程、鶴の飛来地で有名な鶴居が近いのですね。『がきデカ』に出てくる、"鶴居村からツルが来るぅ~"というギャグでその名を知りました。"練馬名物またぐら納豆"には腹が立ちましたが。
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 「旭小学校よ永遠なれ」という大きな看板がありましたが、90年の歴史とともに閉校となったのですね。合掌。しばらく行くと、札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並び称される北海道三大名橋の一つ、幣舞(ぬさまい)橋に着きました。現在の橋は初代幣舞橋から数えて五代目として1976年(昭和51年)に建設されたもので、広い太平洋を背景に空全体を紅に染める夕陽、夏の白い霧中に浮かぶ橋影と街路灯など、幻想的な風景で有名だそうです。なお持参した『まっぷる北海道』(昭文社)によると、世界三大夕日は、釧路、バリ島、マニラとのこと。ほんとかな。橋の欄干には春・夏・秋・冬を表現する「四季の像」を配されています。ちょうど雄大な朝日が釧路川の川面を黄金色に染め上げていました。
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 橋を渡ると、「釧路へようこそ!! 僕がクーちゃんです ここは、僕がよく出現した場所です」と記されたラッコの写真が掲示してありました。どうやらこのラッコがこのあたりによく現れたのですね。なお釧路フィッシャーマンマンズワーフMOO1階「MOOガイド」、または幣舞橋横「幣舞観光ガイドステーション」に行くと、クーちゃんの特別住民票がもらえるという耳寄りな情報も記されていました。別に欲しくはありませんが。その先にあったのが「北海道第十三選挙区支部長 鈴木宗男」と書かれた自民党の掲示板。毀誉褒貶のある御仁、私も即断はできかねます。ただこれから訪れる納沙布岬に近い"北方領土"とのからみで言うと、ちょっと興味を引かれます。『日本人は人を殺しに行くのか』(伊勢﨑賢治 朝日新書485)によると、1990年代半ばに、彼と外交官の佐藤優氏が、ロシアが経済的に困窮状態にあったのを機に、「二島返還&共同開発」でこの問題を解決に導こうとしたそうです。日本もロシアも共に出資し、両国から人が行き来する繁栄の地にしようとしたのですが、彼の失脚により水泡と化しました。(p.208) なおこの一件については、佐藤優氏が『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮文庫)の中で回想されています。これは読み応えのある一冊でした。お薦め。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-03-16 06:30 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(25):知床半島クルーズ(13.9)

 いざ出航、港から出ると高波でかなり揺れますが、耐えられないほどではありません。何とかなりそうと安堵しました。空が曇天なのが残念ですが、そそりたつ断崖絶壁に沿ってのクルーズ、その迫力には圧倒されました。まずは "乙女の涙"と呼ばれるフレペの滝と、"男の涙"と呼ばれる湯の華の滝。いずれも岩の隙間から滴り落ちる、文字通り涙のような滝です。
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 絶壁に穿たれた巨大な二つの洞窟がクンネポール、アイヌ語で"黒い穴"という意味があるそうです。断崖を流れ落ちるのはカムイワッカの滝、アイヌ語で"神の水"という意味だそうです。昔、アイヌの人たちが流氷の上を歩いてくると、滝が全部凍っているのに1つだけ流れている滝があり、この水を飲んでみると、飲めない水でした。彼らは、これはきっと神様ののむ水だということでカムイワッカの滝と名づけたということです。
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 いよいよ最大の見せ場、ルシャ湾に到着。このあたりは狭いですが平坦な海岸となっており、ヒグマにとっては絶好の餌場・狩場になっています。よってかなりの高い確率でヒグマを見ることができるそうです。みんなで眼を凝らして海岸を眺めていると、ガイドさんの「いました!」という一声。おおっ、いた。保護色となって視認しにくいのですが、たしかにヒグマが川で魚を獲っています。それっみんなで写真を撮りまくり。望遠+船の揺れによる手ぶれで、ほとんとがピンボケとなってしまいましたが、かろうじて一枚、ヒグマを撮影することができました。
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 そして残念ながら高波のため、ここで引き返すことになります。知床岬灯台を見るため、再訪を期しましょう。同じルートを戻り、クルーズ事務所へ。金額は忘れましたが、料金の一部を返金してくれました。荷物を受け取ってウトロ温泉ターミナルまで歩いて行き、16:20発の網走バスに乗り込み、17:10に知床斜里駅に到着。小腹がへったので駅近くの「セイコーマート」でフライド・ポテトを購入し、17:30発の釧網本線釧路行きの列車に乗り込みました。漆黒の闇を切り裂くように疾走する列車の中で、ポテトを頬張りながら明日の旅程に思いを馳せました。明日は、まず釧路市内を散策して啄木物件を見学、そして納沙布岬へ行き納沙布岬灯台・花咲灯台・落石岬灯台を訪れる予定です。
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 19:53に釧路駅に到着。釧路ロイヤルインにチェックインをして荷物を部屋に置き、夕食をいただきに街へとくりだしました。ガイドブックで当たりをつけていた「河むら」で、あっさり醤油味の美味しいご当地の釧路ラーメンを堪能。
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 街並みを眺めながらぶらぶらとホテルへと戻りますが、チェーン店ではない地元民経営の喫茶店をよく見かけました。「イタリアンコーヒー フィレンツェ」とか「仏蘭西茶館」といった店名があったので、釧路にはヨーロッパへの憧れを抱く人が多いのかな。
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 ある街角には野口雨情の詩碑がありました。とてつもなく広大な横断歩道を渡って釧路駅に入ると、"世界デ二番目ニオイシイ"おやきの店を発見。阿寒湖の養殖マリモにおやすみを言い、ホテルへと戻りました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2015-03-15 08:34 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(24):知床半島クルーズ(13.9)

 出航は午後二時、それまで一時間ほどあるので昼食をとることにしましょう。ガイドブックに掲載されていた「ウニとイクラのハーフ丼」目当てに知床料理「一休屋」に行ったところ、店内には長蛇の列ができていました。店の方に訊くと一時間以上はかかるとのこと、とても間に合わないので潔く撤退。すぐ近くにあった「ボンズホーム」というお店で、栗じゃが芋をつかった熱々ホクホクのグラタンをいただきました。さて出航まで少々時間があるので、付近を散策することにしましょう。海産物屋さんの店頭では、魚をくるくる回しながら乾燥させて干物にする器械が作動中。
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 ペレケ川にかかる橋を渡ると、産卵のために遡上したサケ(マス?)や、役目を果たし終えたその死骸を無数に見ることができました。ほんとうは、ここから少し離れたところを流れる遠音別川を遡上するカラフトマスの大群を見たかったのですが、時間の関係で省きました。その光景の一端だけでも見られたので諒としましょう。ハマナスの花が咲いていましたが、私ははじめて見ました。
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 そしてクルーズの事務所に戻ると、たくさんの観光客が集まっていました。インターネットで入手し持参した割引クーポンを提示して、乗船券を購入。正規料金8000円が割引クーポンで7200円となりました。ふとガラスケースに目をやると、酔い止め薬を200円で売っています。宮古島八重瀬クルーズ石廊崎遊覧船竹富島への高速船軍艦島クルーズなどなど、これまでいろいろなクルーズや船旅を経験して、三半規管はけっこう鍛えられていたという自負はあります。でも…オホーツク海だしなあ、ちょっと弱気になって薬を購入しその場で飲みました。ま、ブラシーボの効果があるかもしれません。近くの駐車場で予約順に整列、私はかなり前の方です。ぞろぞろと港へと移動しながら、エゾ鹿角博物館、ゴジラ岩、オロンコ岩を撮影。そして救命胴衣を身につけて順番にクルーザーに乗り込みます。
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 本日の二枚は、ゴジラ岩とオロンコ岩です。
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by sabasaba13 | 2015-03-14 06:35 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(23):知床五湖(13.9)

 そしてガイドさんが指さしたのが山ブドウの大木、ヒグマの大好物だそうで、その幹にはその爪痕が刻まれていました。
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 そして五湖に到着。なお申し遅れましたが、五つの湖は固有の名称がなく、漢数字でザッハリッヒに名づけられています。漣ひとつない静かな湖面が、森と山を鏡のように映し出す風景にしばし見惚れました。
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 四湖に向かう途中では、今年の春に襲った大嵐で倒れたという巨木がありました。自然の猛威にはただひれ伏すのみです。四湖も静謐な雰囲気ですが、羅臼岳の雄大な山貌を眺めることができます。
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 その先にある三湖は、知床の連山を湖面に映しています。湖面を乱してつーいと泳いでいったのはミソサザイの番い。なお木の看板を見ると、「五」と彫ってあわてて「三」になおしたことがわかります。
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 二湖に向かう途中では、やはり暴風によってねじり倒された大木がありました。
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 そして5.3haと一番面積が大きい二湖に着きました。
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 一湖に行く途中では、ガイドさんが、クマゲラがほじったという巨大な洞を教えてくれました。また岩石の上に乗っかり根を土におろす大木もありましたが、これは少しでもたくさんの太陽光に当たりたいためだそうです。可哀想にそこから嵐でなぎ倒された木もありました。
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 そして最後の湖、一湖に到着。ここで高架木道と合流します。やや広くなっている展望所は黒山の人だかり、湖と山と「知床五湖」というプレートをバックに記念写真を撮るため長い行列ができていました。
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 そして広大な笹原に設置された高架木道をてくてくと歩いてフィールドハウスへと戻ります。木道の下部には電線が張られているので熊対策も万全…だと思います。なおこのイワウベツ台地は、1965(昭和40)年ごろまで行われていた放牧の跡地だそうです。この一帯は、大正、昭和と二回にわたって開拓が試みられましたが失敗に終わり、入植した農家は全戸離農しました。現在、この開拓跡地を買い戻し、自然を復元するための運動が行われているとのことです。
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 そしてフィールドハウスに到着、全行程は約三時間でした。さて次なる知床半島クルーズですが、ガイドさんの情報によると高波のため途中で引き返すという条件で決行されるとのこと。ま、いたしかたありません。車でウトロ温泉交差点まで送ってもらい、予約を入れておいた知床クルーズ「ドルフィン」の事務所へ。やはり本日は高波のため、知床岬まで行かずに途中で引き返すとのことです。知床岬灯台を見たかったのですが無念。なお荷物を預かってくれるとのことで、お言葉に甘えました。

 本日の七枚です。湖の写真が五枚ありますが、上から五湖・四湖・三湖・二湖・一湖です。
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by sabasaba13 | 2015-03-13 06:34 | 北海道 | Comments(0)

北海道編(22):知床五湖(13.9)

 それではガイドさんに従って知床五湖散策のはじまりはじまり。なおルートは三つあり、五湖すべてをまわるのが大ループ(1周3km、約1時間30分)、一湖と二湖だけまわるのが小ループ(1周1.6km、約40分)、そして一湖までの高架木道往復(1.6km、約40分)です。われわれはもちろん大ループを歩きます。ガイドさんのお話では、今年はかなり街に現れた熊を射殺したので、数は減っているはずだそうです。もちろん油断はできませんが。そして熊鈴をぶらさげている方には、それをしまわせました。うるさくて熊の気配を察知できないとのことです。散策路の入口に敷いてあるマットで、靴の底についた種子をよく落としましょう。
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 鬱蒼とした原生林の中を、まずは五湖へと向かいます。散策路が整備されているので運動靴で大丈夫ですが、雨後だとぬかるみもできそうなのでトレッキング・シューズの方が無難かな。私はいつものテニス・シューズでした。ガイドさんが時々歩みを止め、あたりの気配に五感をとぎすませ、手を叩くのが印象的でした。そう、ヒグマに出合わないのが最善の対処法です。
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 「あそこ」と彼が指差す方向を見ると、藪の中にエゾシカの親子がいました。おお感動の一瞬、みんなでカメラにおさめましたが、ガイド氏曰く「数が増えすぎて問題になっているんですよ」。へえー知りませんでした。今、調べてみると、北海道庁にエゾシカ対策課があって、下記のようなコメントを記されていました。
 明治期の大雪と乱獲により一時は絶滅寸前にまで減少しましたが、その後の保護政策や生息環境の改変などの結果、分布域を拡大しながら生息数を増やしております。現在は農林業被害や交通事故の増加、強度の採食や踏み付けによる生態系への影響などが深刻な社会問題となっています。
 北海道では、人とエゾシカとの適切な関係を築き、地域社会の健全な発展に寄与するため、平成26年3月に制定した「北海道エゾシカ対策推進条例」に基づき、総合的かつ計画的にエゾシカ対策を進めています。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-03-12 06:30 | 北海道 | Comments(0)

顔はめ看板 (2)

白石蔵王駅(宮城県)
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鎌倉(神奈川県)
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嵐山(京都)
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海洋交流館(北海道紋別市)
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海洋交流館(北海道紋別市)
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道の駅「愛ランド湧別」(北海道湧別町)
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道の駅「サロマ湖」(北海道佐呂間町)
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とっかりセンター(北海道紋別市)
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とっかりセンター(北海道紋別市)
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東京モノレール羽田空港第一ビル駅(東京都)
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彦根(滋賀県)
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彦根(滋賀県)
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道の駅「かでな」(沖縄県嘉手納町)
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壺屋焼博物館(沖縄県那覇市)
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国際通り(沖縄県那覇市)
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山口屋(三重県伊勢市)
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伊勢神宮外宮参道(三重県)
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長崎空港(長崎県)
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常盤港(長崎市)
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羽田空港(東京都)
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海洋センター(山形県酒田)
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小田原城(神奈川県)
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嵐山(京都)
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上野駅近く(東京都)
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JR佐倉駅(千葉県)
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美山ふれあい広場(京都府)
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エスパルドリームプラザ(静岡県清水)
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下吉田駅前(山梨県)
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ひめゆりの塔(沖縄)
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首里(沖縄)
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国際通り(沖縄那覇)
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錦市場(京都)
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北竜町ひまわりまつり(北海道)
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富良野駅(北海道)
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新千歳空港(北海道)
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羽田空港(東京都)
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旭川駅(北海道)
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旭川駅(北海道)
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旭川駅(北海道)
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旭山動物園(北海道旭川)
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もいわ山(北海道札幌)
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ぜるぶの丘・亜斗夢の丘(北海道美瑛)
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SABAR(京都)
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明月院(神奈川県鎌倉)
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小布施(長野県)
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京都
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練馬消防署(東京都練馬区)
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富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)
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小田急小田原駅(神奈川県)
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小田原(神奈川県)
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JR小田原駅(神奈川県)
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JR小田原駅(神奈川県)
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JR小田原駅(神奈川県)
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矢掛駅(岡山県)
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津山(岡山県)
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総社市まちかど郷土館(岡山県)
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西条(広島県東広島市)
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笠岡駅(岡山県)
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いわき駅(福島県)
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花巻駅(岩手県)
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郡山駅(福島県)
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東北大学史料館(宮城県仙台市)
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十文字駅(秋田県)
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女川駅(宮城県)
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石巻(宮城県)
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日和山公園(宮城県石巻市)
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白石(宮城県)
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白石(宮城県)
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齋理屋敷(宮城県丸森)
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齋理屋敷(宮城県丸森)
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齋理屋敷(宮城県丸森)
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小諸(長野県)
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福井(福井県)
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福井駅(福井県)
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福井駅(福井県)
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砺波駅(富山県)
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砺波駅(富山県)
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山代温泉(福井県)
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山代温泉(福井県)
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山代温泉(福井県)
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あわら湯のまち駅(福井県)
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あわら湯のまち駅(福井県)
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伊豆の国パノラマパーク(静岡県)
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宇都宮(栃木県)
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宇都宮駅(栃木県)
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川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉)
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川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉)
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川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉)
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玉簾の滝(神奈川県湯本)
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鈴廣(神奈川県風祭)
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東武日光駅(栃木県)
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日光自然博物館(栃木県)
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日光自然博物館(栃木県)
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JR日光駅(栃木県)
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よいち情報館(北海道余市)
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五稜郭付近(北海道函館)
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大沼公園観光案内所(北海道七飯町)
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北海道坂本龍馬記念館(北海道函館)
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高知市(高知県)
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木ノ本駅(滋賀県)
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伏見(京都府)
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長浜鉄道スクエア(滋賀県)
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長浜駅前(滋賀県)
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武者隠れ道(滋賀県長浜)
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旧琵琶湖ホテル(滋賀県大津)
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長良川鉄道美濃太田駅(岐阜県)
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ぷらざ三方よし(滋賀県五個荘)
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有楽町線両国駅(東京都)
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箱根駅伝ミュージアム(神奈川県)
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箱根関所旅物語館(神奈川県)
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秋葉原(東京都)
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駒込駅(東京都)
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東京駅(東京都)
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京都
練馬消防署(東京都練馬区)
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富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)
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小田急小田原駅(神奈川県)
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小田原(神奈川県)
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JR小田原駅(神奈川県)
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JR小田原駅(神奈川県)
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JR小田原駅(神奈川県)
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矢掛駅(岡山県)
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津山(岡山県)
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総社市まちかど郷土館(岡山県)
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西条(広島県東広島市)
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笠岡駅(岡山県)
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いわき駅(福島県)
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花巻駅(岩手県)
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郡山駅(福島県)
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東北大学史料館(宮城県仙台市)
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十文字駅(秋田県)
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女川駅(宮城県)
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石巻(宮城県)
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日和山公園(宮城県石巻市)
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白石(宮城県)
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白石(宮城県)
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齋理屋敷(宮城県丸森)
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齋理屋敷(宮城県丸森)
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齋理屋敷(宮城県丸森)
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小諸(長野県)
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福井(福井県)
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福井駅(福井県)
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福井駅(福井県)
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砺波駅(富山県)
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砺波駅(富山県)
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山代温泉(福井県)
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山代温泉(福井県)
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山代温泉(福井県)
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あわら湯のまち駅(福井県)
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あわら湯のまち駅(福井県)
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伊豆の国パノラマパーク(静岡県)
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宇都宮(栃木県)
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宇都宮駅(栃木県)
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川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉)
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川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉)
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川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉)
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玉簾の滝(神奈川県湯本)
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鈴廣(神奈川県風祭)
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東武日光駅(栃木県)
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日光自然博物館(栃木県)
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日光自然博物館(栃木県)
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JR日光駅(栃木県)
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よいち情報館(北海道余市)
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五稜郭付近(北海道函館)
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大沼公園観光案内所(北海道七飯町)
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北海道坂本龍馬記念館(北海道函館)
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高知市(高知県)
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木ノ本駅(滋賀県)
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伏見(京都府)
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長浜鉄道スクエア(滋賀県)
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長浜駅前(滋賀県)
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武者隠れ道(滋賀県長浜)
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旧琵琶湖ホテル(滋賀県大津)
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長良川鉄道美濃太田駅(岐阜県)
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ぷらざ三方よし(滋賀県五個荘)
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有楽町線両国駅(東京都)
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箱根駅伝ミュージアム(神奈川県)
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箱根関所旅物語館(神奈川県)
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秋葉原(東京都)
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駒込駅(東京都)
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東京駅(東京都)
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by sabasaba13 | 2015-03-11 20:44 | 写真館 | Comments(0)

北海道編(21):知床五湖(13.9)

 早朝の五時、尿意で目覚め、用をすませたついでにベランダに出ると、夜明け間近の光が斜里港を淡く照らしだしていました。紫煙をくゆらせながらしばし月明かりを堪能。もう一眠りして六時半に起床、朝食をすませて部屋に戻ると、港もすっかり朝の景色です。荷物をまとめてフロントへ行こうとすると、廊下の壁には道をのてのてと横切る熊の写真がありました。うーん、こういう場面にはでくわしたくはないですね。チェックアウトをしてホテル入口のベンチに座っていると、約束の午前八時半に知床ネイチャーオフィスの車が迎えにきてくれました。
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 数分走って事務所へ行き、ここで料金5000円を支払い他の参加者と合流、総計十人ほどのグループとなりました。それでは出発、しばらくは左手にオホーツク海を眺めながらのドライブです。天候は曇天、白波が目立つので海はやや荒れ模様。ガイドの方が「午後のクルーズは休航になるかもしれません」と教えてくれました。やがて車は山へ、途中にあった川では、鮭を獲る熊をしばしば見かけるそうです。
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 そして「知床五湖フィールドハウス」に到着。知床五湖周辺を散策するには、こちらで利用券を購入し、申請書を記入して受付をすませ、レクチャーを受講するという手続きが必要となります。われわれに関しては知床ネイチャーオフィスがすべて代行してくれたので、レクチャー(といってもビデオを見るだけですが)を受けるだけですみました。何のレクチャーか? そう、熊に関するレクチャーです。
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 旅をしていると時々「熊出没注意」という警告にであうのですが、どう対処すればよいのか諸説紛々、ここ熊の本場・知床で最善の対処法を教えていただきましょう。掲示してあった注意書きをもとに再構成してみます。
 ヒグマに出会わないことが最善の対処法!! ヒグマは大型の野生動物です。人を見てすぐ襲ってくるような凶暴な動物ではありませんが、つき合い方をまちがえると人身事故につながりかねません。私たちが、注意深く行動することによって、ヒグマとのトラブルのほとんどが回避できます。ヒグマとの事故を防ぐには、ヒグマに出会わないことが最も重要です。そのためには、音を出して自分の存在をヒグマに知らせること。たとえば「パンパン」と手を叩く、「オーッ」と声を上げる、鈴を鳴らす。
 そしてヒグマにエサを与えたり、ゴミを捨てないことも大事です。ヒグマは人を警戒しますが、エサをもらうことによって、あるいはゴミを食べることによって、人間は食べ物を連想させる対象となります。つまり近づいてくる… その結果起こったある悲劇について、知床財団の「ソーセージの悲しい最後」というポスターが貼ってありました。まるで『シートン動物記』の一節のような悲しい物語、紹介します。
 コードネーム97B-5、またの名はソーセージ。初めて出会ったのは1997年秋、彼女は母親からはなれ独立したばかりだった。翌年の夏、彼女はたくさんの車が行きかう国立公園入口近くに姿を現すようになった。その後すぐ、とんでもない知らせが飛び込んできた。観光客が彼女にソーセージを投げ与えたというのだ。それからの彼女は同じクマとは思えないほどすっかり変わってしまった。人や車は警戒する対象から、食べ物を連想させる対象に変わり、彼女はしつこく道路沿いに姿を見せるようになった。そのたびに見物の車列ができ、彼女はますます人に慣れていった。
 我々はこれがとても危険な兆候だと感じていた。かつて北米の国立公園では、餌付けられたクマが悲惨な人身事故を起こしてきた歴史があることを知っていたからだ。我々は彼女を筆致に追い払い続け、厳しくお仕置きした。人に近づくなと学習させようとしたのだ。しかし、彼女はのんびりと出歩き続けた。
 翌春、ついに彼女は市街地にまで入りこむようになった。呑気に歩き回るばかりだが、人にばったり出会ったら何が起こるかわからない。そしてある朝、彼女は小学校のそばでシカの死体を食べはじめた。もはや決断の時だった。子供たちの通学が始まる前にすべてを終わらせなければならない。私は近づきながら弾丸を装填した。スコープの中の彼女は、一瞬、あっ、というような表情を見せた。そして、叩きつける激しい発射音。ライフル弾の恐ろしい力。彼女はもうほとんど動くことができなかった。瞳の輝きはみるみる失われていった。
 彼女は知床の森に生まれ、またその土に戻って行くはずだった。それは、たった1本のソーセージで狂いはじめた。何気ない気持ちの餌やりだったかもしれない。けれどもそれが多くの人を危険に陥れ、失われなくてもよかった命を奪うことになることを、よく考えてほしい。
 さて、それでも出会ってしまったらどうするか。絶対にしてはいけないのは、走って逃げること。ヒグマが追いかけてくることがあります。もう一つは大騒ぎをすること。ヒグマを興奮させてしまいます。
 それではどうすればよいのか。…書いてありませんでした。ここからは私の推測ですが、妙手はない、ということでしょう。静かに逃げる、それでも襲われたら、♪LET IT BE♪、あるいは♪THE END♪。『静かな大地』(池澤夏樹 朝日文庫)の中で、あるアイヌが"おまえたち和人は、狼が害をなすという。それはおまえたちが狼の食べるものを奪うからだ。(p.222)"と言っていました。熊と出合わないための一番良い方法は、自然環境を壊さないことだと思います。知床財団のポスター曰く「人とクマがうまくやっていく道はあるはずだ」、その道はそこにしかないのでは。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2015-03-11 06:30 | 北海道 | Comments(0)

言葉の花綵116

 楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る。(オスカー・ワイルド)

 歴史それ自体は繰り返さない。しかし、歴史は韻を踏む。(マーク・トゥエイン)

 たとえ腐っていても、平和の方が戦争よりもいいに決まっている。でもね、腐り過ぎると戦争が始まるんですよ。(八杉康夫)

 沈黙よ! 沈黙よ! 沈黙の中に爆発しなければ、沈黙の中に滅亡するだけである。(魯迅)

 燃えあがらなければ、石炭もただの黒い石である。爆発しなければ、ダイナマイトも甘い泥のかたまりである。立ち上がらなければ、人間はサルより低い。(むのたけじ)

 君たちに過去の戦争責任はない。ただし、将来それを繰り返さない責任はある。(某収容所体験者)

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
私が負けざる魂〈インビクタス〉に

無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと決して頭は垂れまい

激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私はわが運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ (ウィリアム・アーネスト・ヘンリー 『インビクタス』)

 死に絶える思想のために生きるよりも、生き残る思想のために死ぬ方がいい。(スティーヴ・ビコ)

 世界の強大な国々は、世界に工業と軍事の外観を与えることに奇跡的な成功を収めてきたかもしれない。だが偉大な贈り物がまだアフリカから届いていない。世界にもっと人間的な顔を与えるという贈り物が。(スティーヴ・ビコ)
by sabasaba13 | 2015-03-10 06:42 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『希望と憲法』

 『希望と憲法 日本国憲法の発話主体と応答』(酒井直樹 以文社)読了。どなたがおっしゃったのか失念しましたが、アメリカにとって日本は暗証番号が必要ないATMのようなもの。切ないけれど上手い! 山田君、座布団一枚。米軍基地問題にしろ、新ガイドラインにしろ、TPPにしろ、まるで属国…いや植民地と言った方がよいような状況です。安倍伍長を筆頭に、愛国者、右翼、ナショナリストの皆々様方は屈辱を感じないのでしょうか。摩訶不思議です。この調子で集団的自衛権を容認し、アメリカ合衆国の走狗・爪牙となって世界を大混乱に陥れ、手を取り合って奈落の底へと落ちていくのは真っ平御免、どうすればよいのでしょうか。それについて考えるために、戦後の日米関係について分析した本を読み漁っていた時に出会ったのが本書です。著者の酒井氏は、アメリカのコーネル大学教授。日本思想史、文化理論、比較思想論、文学理論など広範な領域で活躍されている方です。
 まず、「現在、合州国の軍隊はイラクの人民を外敵から守るためではなく、イラクにおける合州国の権益と傀儡政権を守るために駐留している。ちょうど同じように、合州国の駐留軍は主として日本における合州国の権益と傀儡政権を守るために日本に駐留していた。(p.19~20)」という一文を読んで、バールのようなもので後頭部を殴られて目から鱗が落ちたような気持ちになりました。そうか、まだるっこしいことを言わずに、戦後の日本政府はアメリカの傀儡政権と考えればいいんだ。戦前に日本が支配した満州国のようなものなのですね。それでは溥儀にあたる傀儡は誰か。はい、昭和天皇です。1942年9月14日に、エドウィン・O・ライシャワーがアメリカ政府に提出した「対日政策に関する覚書」に以下のような指摘があるそうです。
 ドイツとイタリアでは、ナチとファシストの統治に対する自然な嫌悪を期待できます。それはとても強い感情でしょうから、この嫌悪のおかげで人口の大きな部分が国際連合に協力する政策の側に支持を切り替えることになるでしょう。これとは対照的に日本では、戦後の勝利に至るこのような容易な方法は可能ではありません。日本では、注意深く計画された戦略を通じて思想戦を勝ち取ることが我々には期待されるでしょう。当然のことながら、第一歩は、喜んで協力する集団を我々の側に転向させることであります。そのような集団が日本人の少数派しか代表しない場合には、我々に喜んで協力する集団は、いわば傀儡政権ということになるでしょう。日本は何度も傀儡政府の戦略に訴えてきましたが、たいした成功を収めることはできませんでした。というのも、彼らが用いた傀儡が役不足だったからであります。ところが、日本それ自身が我々の目標に最も適った傀儡を作り上げてくれております。それは、我々の側に転向させることができるだけでなく、中国での日本の傀儡が常に欠いていた素晴らしい権威の重みをそれ自身が担っております。もちろん、私が言おうとしているのは、日本の天皇のことであります。
 これには驚きました。1942年9月(ミッドウェー海戦の三ヵ月後)の時点で、アメリカの勝利は確信され、戦後日本の傀儡として昭和天皇を利用する、つまり"国体を護持"するプランがあったのですね。以下、"植民地主義"と"人種主義"をキーワードにして、日米関係についての快刀乱麻を断つような鋭い分析がくりひろげられていきます。
 論点は多岐にわたり、とても私の力ではまとめきれませんが、印象に残った点を二つ紹介します。まず、第二次大戦後におけるアメリカの世界戦略を「植民地主義」と分析した上で、その特徴を四つにまとめられています。
 Ⅰ 合州国の主権が直接及ぶ領土の外にあってしかも合州国が実質的に支配する地域に、合州国とは別の国家主権を建前上容認する。軍事的に占領した地域でも、合州国は直接統治をせず主権を住民の代表に委譲する。形式上、合州国とその国家との間には対等な外交関係があることになる。
 Ⅱ 同盟あるいは集団安全保障の口実で、その地域に合州国の軍事施設を置き、地位協定によって軍事活動についての治外法権を保つ。軍事施設は租界であり、その範囲内には現地の主権は及ばない。軍事施設を口実にして、治外法権を密かに維持するのである。
 Ⅲ 旧来の宗主国と植民地の間にみられるような直接の統治は避け、地域の国家には表立って干渉することをできるだけ避ける。その代わり、諜報機関や秘密裏の政治資金導入などのさまざまな非公式の手段や公共媒体の回路を通じて、その国家の政策や国民の政治意識に影響を与える。ここで、親米的なマス・メディアの養成は重要な事業となる。
 Ⅳ その地域の国家が合州国の許容できない政策や政体をもつに至ったときは、政治指導者の暗殺、反対勢力によるクー・デ・タ、さらには軍事的手段などによって政権を変更する。(p.174~8)
 なおⅢに関連して、酒井氏は「岸信介と佐藤栄作が50年代にCIAに資金援助を要求し活動資金を得ていたことはすでによく知られており(New York Times, 11 October 1989.)、この二人の兄弟宰相は、韓国の李承晩やイラクのサダム・フセイン、インドネシアのスハルト、チリのアウグスト・ピノチェトなどとともに、合州国が作り上げた戦後世界の支配体制で極東における重要な一環をなしたのである」と指摘し、"植民地の原住民政策担当者"と評しています(p.183~4)。安倍伍長、本当ですか。

 そしてこの植民地主義と密接にからんでいたのが、世界を人種の位階として把握し、白人の優位を基本とする世界秩序を維持しようとする人種主義です。以下、引用します。
 ダレスがもっとも恐れたであろう選択肢とは、日本人が「エリートクラブ」に入ることを拒絶し、ダレスの(そして当時の合州国の政策決定者一般の)エリート根性の前提になっている、世界を人種の位階としてしか見ることのできない意識そのものを軽蔑することであった。つまり、人種や文明の範疇によって上下関係を構想するのではなく、「エリートクラブ」に参加することで得意がっているような意識そのものを密かに拒絶することである。それは、社会的な平等という普遍性に実践的にコミットすることである。ダレスが日本人に期待したのは、そのような普遍性という選択肢を進んで放棄することであり、だからこそまさに「日本人には人種主義者になって貰わなければならない」と彼は感じていたのである。(p.201)

 おそらくダレスが日本人に期待したのは、世界秩序の基本を告発するような傲慢さをもたない、世界の秩序を受け容れ、そのなか身の程相応の立場を喜んで引き受けるような心性を身につけることなのである。それは、いわば反省意識をもつ主人と即自的な秩序のなかで主人による認知を求める下僕からなる役割分担のなかの、下僕の役割を引き受けることであった。(p.203~4)

 それだけではない。特殊主義的な国民性に自足するかぎり、日本国民は第三者に、西洋と日本といった対-形象的な構成の機制を越えて語りかける能力を始めから欠く者として予定されることになる。西洋に関心が一方的に独占されてしまっているために、アジアの人びとを対等な対話の相手として扱う能力が育たない。つまりアジアの人びとに対して日本人は人種的優越感をもっているので、彼らには開かれた態度で接近しようとはしない。ダレスが半世紀前に意図したように、日本はアジアの人びとから分断されたままである。だから、小泉政権下で起きた「靖国問題」ほど、東アジアの現実がジョン・フォスター・ダレスの遺産によって未だに憑かれていることを見事に示す事例はなかったのである。「日本人には人種主義者になって貰わなければならない」とは、まさにこのような事態をも含意していたのである。自らの国民的アイデンティティに自己憐憫的にかかわる者たちや、他者に開かれることよりも国民共同体のなかに閉じることによって自己慰安を確保しようとする引き籠り国民こそが、合州国の政策によって密かに期待されていたのである。(p.213~4)
 白人の「エリートクラブ」の一員に加えてもらい、有色の他人種を見下し、他者との会話を忌避して"日本人"の中に閉じこもって自己慰安に耽る。かなり憂鬱になりますが、鋭い視点だと思います。アメリカの属国化に何の疑問も持たず、靖国問題や領土問題やヘイト・スピーチなど、アジアの隣人との軋轢や緊張を平然とかもす日本、なるほどこう考えると理解できます。
 これからの日米関係やアジアとの関係を考える上で、重要な論点を多々知ることができました。お薦めの一冊です。
by sabasaba13 | 2015-03-09 06:39 | | Comments(0)

マーラー交響曲第二番「復活」

c0051620_6244418.jpg コンサート会場の入口で配られる演奏会のチラシをまとめて入れたビニールは、コンドームと同じ素材で作られているそうです。なるほど道理でこすれた時に音が出ないはずだ。閑話休題。あるコンサートでもらったチラシの中に、「山田和樹 マーラー・ツィクルス」という一枚がありました。なになに、山田和樹という若い指揮者が、日本フィルハーモニーとともに三年をかけてマーラーの交響曲九作を年代順に振るとのことです。しかも大作、交響曲第2番「復活」の演奏が間近に迫っています。これまでも第1番第3番第8番を聴きましたが、生で聴くマーラーはかけがえのない体験でした。ようがす、聴きに行きましょう。
 山ノ神の了解を得たうえで、インターネットでチケットを二枚購入。如月の好日、渋谷にあるBunkamuraのオーチャードホールへと向かいました。地下道を歩いて「109」とか言うビルに入ると…いやはや、おじさんは(おばさんも)参った。ファッションや小物を売る店で汗牛充棟、お花畑のような雰囲気の中を、さまざまな服で身を包み、化粧・染色した髪の若い女性たちが蝶のように舞っています。"もしそういう人たちが髪の毛の色にはらう関心のたとえ半分でも頭を働かせるほうにふり向けたならば、今の千倍も生活が向上するだろうに"、マルコムXの言です。(『マルコムX自伝』 中公文庫 上p.115) まあこれは良いとして、耐えきれなかったのが音響です。それぞれのお店が好き勝手に垂れ流すポップスが混然となって空気を鳴動させ、神経がおかしくなりそうでした。しかし店員さんもお客さんも平気の平左、老婆心ながら難聴ではないのかと心配してしまいます。ほうほうのていで脱出し、一路オーチャードホールを目指しました。
 三階の席に座って見下ろすと、ほぼ満員でした。なおこのツィクルスでは、山田和樹氏の強い希望によりすべて武満徹の曲と組み合わされています。本日は『混声合唱のための「うた」より』という無伴奏の合唱曲で、山田茂指揮による東京混声合唱団による演奏です。プログラムを見ると曲目は「小さな部屋で」「○と△の歌」「恋のかくれんぼ」「死んだ男の残したものは」「小さな空」。愛聴している『武満徹SONGS 見えないこども』(保多由子)と『武満徹POP SONGS 翼』(石川セリ)でお馴染の曲ばかりです。これは嬉しい。舞台に登場した合唱団はパート別ではなく男女おりまぜるように並んでいましたが、おそらく歌声を融け合わせるためでしょう。音程に自信がなければできないことです。そして次々と歌い紡がれていく武満徹の世界にすっかり魅せられました。ひとつひとつの言葉の響きを大切にしながら、素晴らしいハーモニーをつくりだす合唱団の力量にも脱帽です。私がとくに感銘を受けたのは「死んだ男の残したものは」と「小さな空」。前者は1965年4月22日に全電通会館ホールで行われた「ベトナムの平和を願う市民の集会」で歌うために急いで作曲されたそうですが、谷川俊太郎の詞が素晴らしい。安倍伍長が舌舐めずりをしながら戦争へと突っ走りつつある昨今、ぜひとも歌い継いでいきたい歌です。
死んだ男の残したものは/ひとりの妻とひとりの子ども/他には何も残さなかった/墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは/しおれた花とひとりの子ども/他には何も残さなかった/着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは/ねじれた脚と乾いた涙/他にも何も残さなかった/思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは/こわれた銃とゆがんだ地球/他には何も残せなかった/平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは/生きてるわたし生きてるあなた/他には誰も残っていない/他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは/輝く今日とまた来る明日/他には何も残っていない/他には何も残っていない
 そして「小さな空」。明るさと切なさ・哀しさが響き合う、私の大好きな曲です。以前に「武満徹 その音楽地図」(小沼純一 PHP新書339)の書評で紹介したのですが、著者である小沼氏が児童自立支援施設で音楽を教えている友人からメールを受け取ったそうです。虐待されて心が傷つき、いつもは言うことをきかない子どもたちが、彼女の歌うこの歌には涙を浮かべながらしんとして聴き入ったそうです。以下、引用します。
 子どもにとって「どんな親」でも、「自分にとって愛情を示してくれた一瞬」があり、後生大事にその一瞬だけを「記憶」としてたずさえている子が多いです。武満さんの「小さな空」には、そういう「一瞬の幸福」(小沼さん、わかりますか? 彼らは、生きてきた人生の95%以上が、地獄だった子が多い。虐待に虐待を重ねる親でも運動会の時、最初で最後、子どもに弁当を作ったとか、そういうこと)を大事にする心がある、ともいえるでしょう。だから涙が溢れるんですね。
 音楽のもつ不思議な力ですね。なお最近、「二分の一成人式」とやらが小学校で流行しているそうですが、こうした子どもたちも親への感謝の言葉を言わせられるのでしょうか。

 あまりに素晴らしい合唱でしたので話が長くなりました。ここで二十分間の休憩が入ります。この時間を利用して、名著『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之 講談社現代新書2132)を参考にしてこの曲の紹介をしましょう。ベートーヴェンの交響曲第9番を上回る曲をつくろうと強く意識したマーラーは、独唱と合唱を加えたこの大曲を七年かけて完成させました。中でも壮大なフィナーレをどうつくりあげるかには頭を悩ませましたが、そのきっかけが与えられたのがハンス・フォン・ビューローの葬儀でした。18世紀ドイツの詩人フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックの『復活の頌歌』がオルガン伴奏による合唱で演奏され、「汝、よみがえらん」という合唱が耳に響いた時に、その全貌が明確な姿をとって彼の魂の前に立ち現れたそうです。1895年12月13日の初演は大成功に終わり、当時19歳だった弟子のブルーノ・ワルターはこう書き残しています。
 実際この演奏会の圧倒的印象は、私の回想の中で、最もすばらしいもののひとつなのである。私は、終楽章の偉大なるラッパで世の終わりを告げた後に、復活の神秘的な鳥の歌を聴いた時の息もつけぬような緊張味、それに続く合唱「よみがえらん汝は」も導入される部分における深い感激を今でもはっきり耳にすることができる。もちろんそこには、反対者があり、誤解があり、軽蔑があり、冷笑があった。しかしその作品の壮大なこと、独創的なこと、かれの個性の強力なことの印象の方が余りにも深く大きかったので、その日から、マーラーは、作曲家として、最高の地位をもって迎えられるようになったのであった。
 さあいよいよ開演です。オーケストラと合唱団が登場し、ステージを埋めつくしていきます。その数の多さを見ているだけでわくわくしてきました。そして指揮者の山田和樹氏が颯爽と登場。決然とふりおろしたタクトと共にヴァイオリンとヴィオラが嵐のようなトレモロを刻んだかと思うとディミヌエンド、すぐさまチェロとコントラバスがfffで咆哮します。もうこれだけで身も心も惹きこまれてしまいました。マーラー自身が、第一楽章を「英雄の葬儀」、第二楽章を「過去の回想」、第三楽章を「夢からの目覚めと人生の現実」、第四楽章を「純粋な信仰」、そして第五楽章を「最後の審判と神の栄光」と解説していますが、あまりそうした意味にはとらわれることはないでしょう。ただひたぶるに耳を傾け、音楽に身を委ねるのみ。
 魅力的なメロディ、さまざまな曲想、圧倒的なダイナミクスの幅、効果的なバンダ、壮大なフィナーレ、この難曲を十全に表現した山田氏の指揮に頭を垂れましょう。そして彼とともに素晴らしい音楽を紡いでくれた日フィル、東京混声合唱団、武蔵野合唱団、林正子氏、清水華澄氏にも。フィナーレで合唱が静かに"Aufersteh'n"と歌い出すと、「ああ嫌だな、もう終わってしまうのか」と思いました。

 一週間後に演奏される第三番も聴こうと思いましたが、遅かりし由良之助、もうチケットは完売でした。よろしい、来年の一月~二月に演奏される「第2期 深化」、交響曲第4・5・6番は女房をし…もとい、万難を排しても聴きに行くつもりです。
by sabasaba13 | 2015-03-03 06:25 | 音楽 | Comments(0)