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伊勢・美濃編(2):熊野市へ(14.9)

 午後五時半ごろに入線した列車に乗り込み、これから約三時間をかけて紀勢本線を南下、熊野市駅へと向かいます。まだまだ先は長丁場、「るるぶ」を読みながら今後の予定についてじっくりと考えてみましょう。とりあえず明日は丸山千枚田と熊野市の見学です。ん? 「るるぶ」を紐解いていると、熊野市にも熊野古道があることがわかりました。JR波田須駅から一時間ほどで歩ける「波田須の道」、そしてJR大泊駅から松本峠を越えて熊野市まで歩く道です。熊野古道のうち伊勢路にあたる街道の一部ですね。中辺路を踏破した私としては、ぜひ歩いてみたいものです。いつの日にか、大辺路、小辺路、伊勢路、そして大峯奥駈道をすべて踏破するという見果てぬ夢を抱いております。
 四日市コンビナートの夜景が美しいという記事がありましたが、旅程的には厳しいかな。いちおう頭の片隅に置いておきましょう。ご当地B級グルメとしては、津ギョウザ、四日市とんてき、宇治山田「まんぷく食堂」のからあげ丼、同じく宇治山田「喫茶モリ」のモリスパなどが紹介されていました。全てというわけにはいかないでしょうが、できる範囲でチャレンジしてみるつもりです。
 車窓から風景をぼんやりと眺めていると、ある駅で下車した高校生たちが、迎えにきた自動車に乗り込んでいました。過保護だなあ、と思いましたが、よほどの遠距離なのかもしれませんね。そして20:33に熊野市駅に到着。駅構内には「皆笑う明るい末来税金で」(尾鷲法人会女性部会)という掲示がありましたが、問題は誰が払う税金かということですね。『税金を払わない巨大企業』(富岡幸雄 文春新書)を一読すればわかるように、巨大企業がきちんと納税すれば、消費税をなくしても税収は賄えます。まあ大企業とグルになって私たちをいじめている自民党を、知ってか知らずか多くの有権者が支持しているかぎりは無理でしょうが。
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 それはともかく空腹なので夕食を食べたいのですが、駅近くを見まわしても開いている食堂はありません。とりあえず今夜の塒「みはらし亭」にチェックインをして荷物を部屋に置き、フロントで食事のできる店はないかと訊ねると、歩いて十分ほどのところに「すき家」があるそうです。背に腹はかえられない、さっそく歩いていき豚丼をいただきました。途中にあったコンビニエンス・ストアで寝酒を購入し、さきほど購入したポテトチップスとせんべいつまみに一献かたむけました。
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by sabasaba13 | 2016-03-07 15:38 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵136

 人を使うなら、人を育てなければならない。よい建物をつくるためには、檜や杉を育てなければならない。棒切れや板っぺらを拾って来てつくれるのは、塵箱ぐらいなものだ。(黒澤明)

 わたしは自由をこよなく愛する。自由を抑えつけようとするあらゆる権威は、だから、わたしにとっては、一ばんいやなものである。権威を敬遠しつつ、なるたけ自由を多く生かしてゆくことは、かならずしも成功への近道とはいえない。しかし、成功をおくらせても自由を失いたくない場合には、わたしはもちろん、自由の方をえらぶのである。(今西錦司)

 余技の下手なものは本技も下手だ。(上村松園)

 順番を待っているだけの人間には、永久に順番が来ない。(藤山寛美)

 法律の保護を受けなければ、法律を守る義務はない。(田中正造)

 気力は眼に出る。生活は顔色に出る。教養は声に出る。(土門拳)

 自ら啓発すべきである。教えられただけしか描けぬような奴は、絵描きをやめろ。(横山大観)

 冷静に世間を観察すれば、偽善にして虫の良い輩ら、不公平にして横暴を振舞ふ族ら等、もし神仏が在ましたら早くどうかして貰ひ度ひものが頗る多いことが明白になつて来る。万一その連中が上に立つて其模範を示される様なことがあつては全く恐れ入るべきことであると云はざるを得ない。ところがさうした場合が昔から繰返されがちであるのが世相だと云ふことに気付いて見たら、正義の士は黙しては居られない筈である。(狩野亨吉)

 お前たちが大きくなつて、一人前の人間に育ち上つた時、-その時までお前たちのパパは生きてゐるかゐないか、それは分らない事だが、お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗越えて進まなければ間違つてゐるのだ。(『小さき者へ』 有島武郎)

 質素之生活、高遠之理想 (エマソン)

 フランスはかつて国の名であった。用心しよう、1961年にはそれが神経症の名前かもしれないのだ。(ジャン・ポール・サルトル)

 人生はどちらかです。勇気を持って挑むか、棒にふるか。(ヘレン・ケラー)

 生きるとは呼吸することではない。行動することだ。(ジャン・ジャック・ルソー)
by sabasaba13 | 2016-03-04 07:21 | 言葉の花綵 | Comments(0)

伊勢・美濃編(1):前口上(14.9)

 2014年長月、代休をからめて六日間の休暇がとれたので、伊勢・美濃の一人旅をしてきました。初日は一日かけて熊野市へ移動して宿泊。二日目は熊野市と丸山千枚田を散策して鳥羽へ移動して宿泊。三日目は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった神島と、菅島を探訪。そしてタクシーで大王埼灯台と安乗埼灯台を訪れ、英虞湾を一望できる横山展望台に行きましょう。四日目は、二見浦、深野のだんだん田、一身田を拝見して長駆犬山まで行ってしまいます。五日目は美濃市の街並みを散策したあと、杉原千畝のふるさと・八百津に行き、彼の記念館と棚田を訪問。この日は犬山にもう一泊します。そして最終日に明治村をじっくりと見学して帰郷、という計画を立てました。なお天気予報によると、旅行期間中はすべて曇り時々雨とのこと、とほほほ。いや自称・天下無双の晴れ男、なんとかして見せようぞ。
 持参した本は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル)です。

 9月中旬のある木曜日、午前中は所用があったので、お昼ごろに出発することにしました。新幹線に乗って名古屋駅に着いたのが午後三時半ごろ、ここから関西本線に乗り換えです。当該のホームに移動するときに売店で「るるぶ」と時刻表を購入しましたが、結果的に大正解でした。特急「みえ」に乗り込み、1時間20分ほどで多気駅に到着。ここから紀勢本線に乗って熊野市駅へと向かいますが、待ち合わせ時間が40分ほどあります。あわよくば駅周辺で地元の料理に舌鼓を打てるかなと期待したのですが…淡雪のように消えました。何もない。すこしぶらついたのですが…何もない。古い旅館らしき物件を撮影できたのが唯一の収穫でした。しようがない、駅前の「ヤマザキショップ」でお弁当かおにぎりでも買おうか、と入店すると…何もない。しようがない、ポテトチップスとせんべいを買って非常食としました。
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by sabasaba13 | 2016-03-03 06:32 | 近畿 | Comments(0)

マーラー交響曲第四番

c0051620_6304346.jpg 小笠原伯爵邸を出て、若松河田駅から都営12号線(筆者注:あの極右・レイシストの御仁…以下略)に乗って新宿西口駅で下車し、てくてくと歩いてJR新宿駅へ。山手線に乗り換えて渋谷駅に到着。ああ相も変わらず五月蠅い街だなあ、わき目もふらずに一路Bunkamuraのオーチャードホールに向いました。以前にも書きましたが、山田和樹という若い指揮者が、日本フィルハーモニーとともに三年をかけてマーラーの交響曲九作を年代順に振るという「マーラー・ツィクルス」第二期の一回目、交響曲第4番の演奏会です。なおこのツィクルスでは、山田和樹氏の強い希望によりすべて武満徹の曲と組み合わされています。今回は、「系図 ~若い人たちのための音楽詩~ (語りとオーケストラのための)」という曲でした。谷川俊太郎の詩集『はだか』から武満徹が選んだ六編の詩を女優・モデルの上白石萌歌が語り、オーケストラが伴奏をつけるという構成です。彼女の上手な語りと、優しい曲調と、満腹感のため…関係者各位申し訳ない、寝てしまいました。言い訳にもなりませんが、ほんとうに気持ち良かった。
 20分の休憩をはさんで、いよいよマーラー作曲の交響曲第4番です。指揮者の山田和樹氏は、交響曲第1~3番を第一期「創生」、第4~6番を第二期「深化」、第7~9番を第三期「昇華」と捉えています。第二期「深化」については、パンフレットの中でこう書かれています。
 20世紀初頭、40歳代のマーラーは、指揮活動に作曲活動に邁進していくことになります。アルマとの結婚、二人の女の子の誕生とプライベートも充実を見せる中で、マーラーの交響曲は「深化」していくことになりました。パロディ的要素の強い第4番、結婚という大きな節目に書かれた第5番、自身のその後の運命を予感させるような第6番。「深化」と題した第2期は、鈴の音から始まり、ハンマーの音で終わることになります。
プログラム前半でお送りしる武満徹作品には、ナレーション、ヴィオラ、ヴァイオリンによる協奏的作品を配置しました。
 二人の作曲家の見ていたであろう風景を追いながら、自分自身も「深化」していけたらと思います。
 なおマーラーの交響曲に関しては、『マーラーの交響曲』(金聖響+玉木正之 講談社現代新書)という優れた概説書がありますが、その中で金聖響氏は次のような区分をされています。
1.オペラや交響詩ではなく「交響曲作家」として出発(一番)
2.ベートーヴェン『第九交響曲』への強い意識と、それからの離脱(声楽付きの二~四番)
3.新しい交響曲に対する模索と実験(五~七番)
4.過去の交響曲の集大成(声楽付きの八番)
   (3と4で「アルマ交響曲群」という呼び方も可能?)
5.新しい交響曲(音楽)の始まり(大地の歌、九番、クック版十番) (p.134)
 お二人の分析の当否は浅学故分かりませんが、第四番がマーラーの過渡期を示す作品であるという点は共通しているようです。そしてパロディ的な曲だという点でも。パロディ? ベートーヴェンの? まさかね。でもこれまでCDで何度も聴いてきましたが、親しみやすいけれどどことなく変な交響曲だなという気はしていました。第1楽章の混乱、第2楽章のおどけたヴァイオリン、そして第1~3番のような壮大な盛り上がりをみせず、愉悦と狂騒を繰り返しながら不気味な響きとともに静かに終わる終楽章。
演奏会の前に前掲書を再読し、ホールでプログラムを読み、そのパロディという意味が、そしてこの曲の変異さがすこしわかったような気がしました。まず曲の冒頭でシャンシャンシャンシャンと鳴り響く鈴の音。金氏はこう言われます。
…この鈴の音を、ポスト・モダンの哲学者でマーラー研究の音楽学者でもあるテオドール・アドルノは、「道化の鈴」と呼びました。「道化の鈴」とは道化師の帽子にいくつかぶら下がっている鈴のことで、これが冒頭に鳴らされるのは、「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」と、物語が始まるときの口上が述べられていることになります。(p.118~9)
 第2楽章のヴァイオリン独奏には、マーラー自身が「死神(Freund Hein)は演奏する」と書き入れたことがあり、また「フィドルのように」と指示しているそうです。後者は、踊りの伴奏というニュアンスですね。さらに独奏ヴァイオリンは通常より二度高く調弦してあります。つまり、調子外れの死神の踊り… 第3楽章は美しく安らかな音楽、ほんっとにマーラーの緩徐楽章はすばらしいですね。そして「完全に死に絶えるように」という指示とともに消えるように終わります。つまり第4楽章は死後の世界、そこでソプラノによって歌われるのが「天上の生活」です。プログラムより、前半部分を転記します。
天の喜びを 味わうわれら 憂き世のことは 忘れるに限る 世の喧騒は 天には 届かぬ 安らかな静けさの中 暮らすのだ その生活は 天使のようだが まったく 愉快きわまりない 踊り 跳びまわり 飛んでは 歌う 天のペテロ様が それを見る

ヨハネ様は 仔羊を放し 肉屋のヘロデは 虎視眈眈 われらは この慈悲深き 穢れなき かわいい仔羊を 死へと追いやるのだ ルカ様は 少しもためらわず 雄牛を屠る 天の酒蔵にある酒は 鐚一文も かからない パンを焼くのは 天使たち
 快楽と安逸に満ちた天上の暮らし。その一方で、イエス・キリストに洗礼を施したヨハネは、仔羊(イエス)を放逐し、嬰児殺しのヘロデ王が虎視眈眈と彼を狙う。キリスト教への冒?とも受け取れます。なお金氏によると、マーラーは1897年にウィーン宮廷歌劇場の常任指揮者になりますが、そのためにユダヤ教を棄て、ローマ・カトリックに改宗しています。そうしないと反ユダヤの空気が強いウィーンでは高い地位は望めなかったのですね。交響曲第4番の作曲時期は1899~1900年ですから、そうしたことへの鬱屈や苛立ちを感じていたのかもしれません。また世紀末ウィーンのブルジョア社会に対する反発を持った可能性もありますね。キリスト教とブルジョア社会のパロディ。しかし突然鳴渡る鈴の音と狂騒の響き、「嘘だよ」「冗談だよ」と嘲笑うかのように。そして暗鬱で不気味な和音とともに曲は静かに終わります。楽譜には、他に例はないのですが「交響曲はおしまい(Ende der Symphonie)」と記されているそうです。
 良いか悪いかはわかりませんが、今回は事前学習をした上で鑑賞にのぞみました。そうしてみると、この一筋縄ではいかない交響曲を、山田和樹氏も日フィルもみごとに演奏してくれました。美しく、安らかに、剽軽に、奇妙に、騒々しく。そして時には微笑み、時には嘲笑し、時には罵倒し、そしてからかってくれました。ブラービ。
 次回の交響曲第5番も楽しみにしています。
by sabasaba13 | 2016-03-02 06:31 | 音楽 | Comments(0)

小笠原伯爵邸編(5):(2016.1)

 さてそろそろ時間です。お待ちかねのランチをいただくことにしましょう。邸内に戻るとテラス席に案内されましたが、ここはかつてのベランダで、ごく身内だけの食事をする場所として使用されたそうです。
 前菜は「ソパ ・デ・アホ」(La Sopa de Ajo Morado)と「鮟肝のトースト」(La Tosta de Higado de Rape)。前者はにんにくの冷たいスープです。
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 パンにはオリーブ油をつけていただきます。
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 次は「菜の花とタコのハーモニー パセリクリーム 仏手柑の香り」(El Pulpo Asado con Flores de Colza, Mano de Buda y Crema de Perejil)。さまざまな味と香りが玄妙なハーモニーを奏でる逸品でした。
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 なお係の方が「仏手柑(ぶっしゅかん)」の現物を見せてくれましたが、まるで触手のような異形の柑橘でした。何でも千手観音に似ているところから命名されたとか。ここ山ノ神、はたと膝を打ち「これだったんだわ」とひと言。去年の夏、仁淀川に行ったときに高知で「ぶしゅ胡椒(ぶしゅかん果皮入り)」という調味料を買ったそうです。
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 「オマール海老 キャビア 赤米のアロスメロッソ」(El Arroz "Rojo" de Bogavante)も美味しかったですね。
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 「アイナメのプランチャ カボチャのピューレ カリフラワーのマリネ」(El Ainame a la Plancha, Pure de Calabaza y Coliflor Marinado)はその味もさることながら、まるでホアン・ミロの絵のような色彩も楽しめる一皿です。
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 そしてメイン・ディッシュは「イベリコ セクレト ソプラサーダのクレモソ レモンタイムのアクセント」(El Secreto Iberico,Cremoso de Sobrasada y Aceite de Tomillo Limonero)。こちらはスタンディング・オベーションものの逸品でした。これほど味わい深い豚肉を食べたのはじめて、これだけでも来た甲斐があったというものです。
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 そしてデザートは「セロリのソルベ パイナップルのアイレ モヒートのエスフェリコ」(Sorbete de Celery, Aire de Pina y Esferico de Mojito)。セロをシャーベット(ソルベ)にするなんて斬新なアイデアですね。イベリコ豚の濃厚な味を洗い流してくれる、一陣の涼風のようです。
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 もう一品のデザートは「柑橘のデグリネゾン」(Declinacion de Citricos)。なんと柑橘のゼリーと生クリームが、水飴で薄くかたどったレモンの中におさめられているという手の込んだ一皿です。これも美味しかったなあ。
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 そして「コーヒー、小菓子」(Cafe y Golosinas)をいただいて本日のランチは終了です。
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 いずれ劣らぬ逸品ぞろい、たいへん美味しい料理でした。なおランチコースは11:30~15:00で7,000円(税・サービス料10%別)、ディナーコースは18:00~23:00で10,000円または15,000円(税・サービス料10%別)です。10,000円のディナーには、ランチに「下仁田ネギの'カルソッツ' パパダ、ケッパーとヘーゼルナッツ」(La Cebolleta Cocida a modo de Calcots con Papada y Alcaparras)が追加されるだけだと思います、たぶん。よって個人的にはランチで充分だと思いますが、明かりに照らされた夕刻から夜の邸宅の素晴らしさも捨てがたいものがありました。
 さあそれでは、オーチャード・ホールにマーラーを聴きにいきましょう。

 本日の四枚は、以前に訪れたときに撮影した夕刻の小笠原伯爵邸です。
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by sabasaba13 | 2016-03-01 06:40 | 東京 | Comments(0)