京阪石山坂本線に乗って五分ほどで皇子山駅に到着。めざすはびわ湖大津館、旧琵琶湖ホテルです。すぐに辿り着けるだろうとたかをくくっていたら、道に迷ってしまいました。途中にあった交番で教えてもらい、やっとのことで着きました。おおっこれは凄い、まるで歌舞伎座のように外連味にあふれた、日本趣味コテコテの物件です。「びわ湖大津館」の公式サイトから引用します。
びわ湖大津館は、1934年(昭和9年)、外国人観光客の誘致を目的に県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)をリニューアル活用した大津市の文化施設です。そうか、岡田信一郎か。歌舞伎座の見立ては当たっていました。なお彼が関係した建築では、旧中之島公会堂と護国院を訪れたことがあります。曇天のもとにぶく光る琵琶湖と、イングリッシュガーデンの顔はめ看板を撮影して、JR大津京駅へ向かいました。 ![]() 本日の一枚です。 ![]() 追記です。その後に読んだ『権力の館を歩く』(御厨貴 ちくま文庫)に次のような一文がありました。 鳩山一郎は首相になりたかった。無邪気なまでにそう思いこんでいた。陽気で前向きで開放的な鳩山を見こんで、中学校時代以来の友人で建築家の岡田信一郎が、1924年、鳩山から何の注文も受けずに、鳩山のために文京区音羽の高台に三階建ての鉄筋コンクリート造りの洋館を建てた。無論設計料などとらなかった。(p.84) ▲
by sabasaba13
| 2017-07-10 07:41
| 近畿
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朝六時に目覚めてすぐに洗顔、インスタントコーヒーを飲んですぐにホテルを出発です。まずは浜大津駅から京阪石山坂本線に乗って皇子山駅へと向かいます。大津には、滋賀県立近代美術館、フェノロサの墓がある法明院、膳所には義仲と芭蕉の墓がある義仲寺がありますが、時間があったら最終日に寄ることにしましょう。
大津の中心街を歩いていると、洒落た意匠の窓がある和洋折衷の建築に遭遇。看板によると、この道が旧東海道なのですね。今、撮った写真をチェックしていると、その看板に「呉服の雁金屋」と記されていました。尾形光琳の実家と関係…ないですよね。小さな三角破風とメダリオン、その下の小ぶりなベランダ、スパニッシュ瓦、アンシンメトリーな庇など、見どころの多い愛らしい石田歯科医院や、その隣にある様々な意匠の格子が組み合わされ、二階軒下の肘木がリズミカルに並ぶ瀟洒な町屋も健在でした。旧友に出会ったような懐かしさを憶えます。近江牛が美味しい「かど萬」も元気に営業されているようです。 ![]() その前にある「旧大津公会堂」は、1934(昭和9)年、大津商工会議所と大津市立図書館とを併設した「大津公会堂」として建設されたもの。スクラッチタイルが印象的な、風格のある物件です。現在では、四つのレストランが入った交流・商業施設として再利用されています。以前に、ここにある近江牛のグリル&バー「モダンミール」で食事をしたことがありますが、常軌を逸した量のガーリック・ライスは忘れられません。 そして浜大津駅に到着、構内に自衛隊幹部候補生募集のポスターが貼ってありましたが、そのキャッチ・コピーが「未来を導く、指揮官になる」というもの。アメリカ合州国御用達暴力装置の指揮で、未来が導かれたらたまりませんね。一刻も早く国営国際救助隊「雷鳥」として再出発してほしいものです。 でも戦争法案が可決されて、使いっ走りとしてアメリカの国益のための戦争に加担することが可能となり、自衛隊に死傷者が出る可能性が大きくなった今、応募する人はいるのかしらん。と思ったら、『経済的徴兵制』(布施祐仁 集英社新書0811)を読んで、たいへんな事態が進行していることがよくわかりました。愚かだけれども支持率には敏感な安倍上等兵を筆頭とする自民党諸氏が、強制的な兵役制度を導入する可能性は低い。そうではなく、グローバルに拡がる経済格差の余波を受けた貧しい若者たちを自衛隊に志願させる「志願制」、すなわち「経済的徴兵制」が水面下で進行しているのですね。さまざまな優遇措置をとりそろえ、進学・就職できない若者を自衛隊に「志願」させるという手法です。引用します。 国立大学の学費は、1970(昭和45)年には年額1万2000円だった。それが今では学費の安い文科系学部でも50万円を超えている。もちろん物価も上がっているが、「消費者物価指数(総合)」では、2013(平成25)年を100としたら、1970年は32.6である。物価が約三倍になっているのに対して、国立大学の学費は約45倍に跳ね上がっている。そして自衛隊による軍事行動の目的は、アメリカの国益のためだけではありません。軍事力を背景に多国籍企業が自由に経済活動を行える世界秩序を守ろうという点では、日米の利害は一致しているのですね。引用します。 海外での「国益擁護」のために自衛隊をもっと活用すべきだという声は、経済界からも上がっている。「自衛隊が私たちの命と暮らしを守る」という甘言にいとも簡単に騙される国民。政治家・官僚・財界のみなさんにとってこんなに扱いやすい国民はいないでしょう。「未来を導く、指揮官になる」の「未来」とは、私たちを犠牲にして大企業が肥え太る「未来」なのにね。 本日の四枚です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by sabasaba13
| 2017-07-09 07:39
| 近畿
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以前、滋賀県の錦秋を愛でたときに、こんなことを呟きました。
ホテルの部屋に戻り、昼間だったら琵琶湖を一望できる大浴場に行って温泉を満喫。ルース・ベネディクトさん曰く「受動的な耽溺の芸術」ですが、気持ちいいものは気持ちいいのさ! でも「烏の行水」の私は、十数分ほどであがって売店で地酒を購入し、部屋で明日の行程を検討することにしました。しょぼいとはいえ自称歴史学徒のはしくれとしては、琵琶湖北岸にある菅浦にはぜひ行ってみたいですねえ。地下請・守護不入・自検断といった自治権を保持した中世村落にして、鎌倉中期から現在に至るまでの大量の共有文書(菅浦文書)を残していることでも知られています。村落の入口には往時の四足門も残っているそうです。朽木の興聖寺もそそられますねえ、昭和を代表する作庭家にして庭園史研究家の重森三玲氏が一番好きだという庭園が残されているそうです。しかし時刻表およびガイドブックで調べてみるとアクセスがよくないため、この二ヶ所を訪れるだけでかなりの時間が費やされそうです。せっかくなのだから、梅津、堅田といった琵琶湖岸の歴史ある町も訪ねてみたいもの。よしっ、今回は紅葉狩りに特化して、琵琶湖岸の小さな町めぐりは日をあらためて敢行することにしましょう。内に秘めていた"琵琶湖岸の小さな町めぐり"という野望を、とうとう実現することができました。時は2015年3月。一週間の休暇がとれたので、五泊六日で琵琶湖を一周してきました。幸い「滋賀を歩こう」という琵琶湖観光を紹介した好サイトにも出会え、これを軸にして行程を組み立てました。第一日目は夜に大津に到着し、ビジネス・ホテルに宿泊。第二日目は、五個荘と近江八幡を散策して京都に宿泊。第三日目は、久しぶりに桂離宮と修学院離宮を訪れて、長駆、近江八幡に移動して宿泊。第四日目は、水口・豊里・彦根・醒ヶ井を徘徊して長浜に宿泊。第五日目は、長浜・竹生島・木之本・菅浦・近江今津を彷徨してマキノに投宿。そして第六日目は、針江・朽木・堅田・坂本を探訪して帰郷。あいもかわらず貧乏性の、ハルク・ホーガンの筋肉のようにパッツンパッツンにつまった旅程ですが、臨機応変・神出鬼没、伸縮は自在のざっくりとしたものです。ま、適当かつ良い加減に歩き回るつもりです。持参した本は『終わりと始まり』(池澤夏樹 朝日新聞出版)と、『地に呪われたる者』(フランツ・ファノン みすず書房)です。 2015年3月好日、仕事を終えた後、新幹線で京都に行き、琵琶湖線米原行きに乗り換えて大津駅に着きました。「ホテルアルファーワン大津」にチェックインをして荷物を置き、夕食をとるためにJR大津駅まで戻りました。さてどこで食べましょうか、帯に短し襷に長し、いろいろと迷った結果、近江地鶏が食べられる「鳥楽」に決めました。肉汁あふれる地鶏の唐揚げもわるくはなかったのですが、つきだしのザク切りキャベツが思いのほか美味しかったですね。 ![]() ホテルに戻り、明日に備えて早々と就寝。おやすみなさい。 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2017-07-08 06:30
| 近畿
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伝わらぬ人には百万言を費やしても何も伝わらない。音楽的メッセージとは、そういう性質のものなのだ。(さだまさし)
晩年のある日、彼女はこう言った。原爆を生む悪魔は私の心の中にもすんでいる。向こうが落とさなきゃこっちが落としている。戦争というものはそういうものだよ、と。だから恨むなら兵器じゃなく、戦争そのものだよ。ヒロシマ・ナガサキが戦争の歯止めにならなきゃ、皆浮かばれないじゃないの、と。(さだまさしの叔母) ぼくは、広島へ行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは「ヒロシマ」を忘れていたというより、実は初めから何も知っていなかったのだ。今日もなお「ヒロシマ」は生きていた。それをぼくたちは知らなさすぎた。いや正確には、知らされなさすぎたのである。(土門拳) にほんの ひのまる なだて あかい かえらぬ おらがむすこの ちであかい (おはん) 私を、あの人と、代わらせてください。私は神父。妻もなければ、子もいませんし、それに年寄りです。彼を、あの若い彼を、妻子のもとにかえしてやってください。(マキシミリアノ・コルベ) ごらんなさい 母よ あなたの息子が何をしようとしているかを あなたの息子は人を殺そうとしている 見も知らぬ人をわけもなく突き殺そうとしている その壁の前にあらわれる人は そこであなたの柔しいもう一人の息子の手で そのふるえる胸板をやにわに抉られるのだ (中野重治 『新聞にのった写真』) 映画は真実を伝える眼であり、政治や社会の不正を批判し、本当に大衆の幸福を願うものでありたい。(山本薩夫) 僕は若いヤツらには、電信柱にしがみついて、身体を鎖でくくりつけてでも戦争には行ったらあかん、親兄弟にまで国賊と罵られても山の中に逃げろと言いたい。(井筒和幸) 戦争はすべての人間から末来を奪う。私たちが愚かだったとすれば、それは末来を考えることの出来ない坩堝の中にいたためである。(佐藤愛子) ▲
by sabasaba13
| 2017-07-07 06:28
| 言葉の花綵
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![]() なお公演パンフレットの解説によると、作曲に着手したのは1909年の夏、その二年前には最愛の娘マリア・アンナを亡くし、その直後に心臓疾患を告げられます。そしてウィーン宮廷歌劇場を自任してメトロポリタン歌劇場にデビューするなど、ストレスの多い日々の中で第9番はつくられました。そうした中、マーラーの音楽に向き合う姿勢が明らかに変わったことが、ブルーノ・ワルター宛ての手紙(1908.7.18)から読み取れます。 つまり私はただの一瞬にしてこれまで戦い獲ってきたあらゆる明察と平静とを失ってしまったのです。そして私は無に直面して立ち、人生の終わりになっていまからふたたび初心者として歩行や起立を学ばなければならなくなったのです。娘の死に打ちひしがれ、自らの死を予感しつつ、万感の想いを込めて人生を振り返りながら作った曲なのでしょうか。そうした予備知識をどこかの引き出しに入れておいて、虚心坦懐に音楽を楽しみたいと思います。 会場はいつものように、Bunkamuraオーチャードホール。一曲目は、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、その清澄な響きで耳朶にこびりついた俗塵を洗い落としてもらいました。 20分休憩のあと、いよいよ交響曲第9番です。銅鑼とハープの重低音とヴィオラのトレモロが静かに空間を包み、ヴァイオリンが甘美なメロディを愛おしむように奏でます。そして、どれが主旋律でどれが伴奏か、和音なのかメロディなのか、判然としない音の塊がうねりながらホールを濃密に満たします。羊水の中で微睡む胎児のように、その神秘的で美しい音楽にただただ身と心を浸すのみ。これは"死"というよりも"生"の音楽ですね、生きて、この音楽が聴けてほんとうによかった。至福のひと時があっという間に過ぎていきました。 第2楽章は三拍子の田舎の踊り(レントラー)。マーラーは「いくらか不器用で、かなり粗野に」という書き込みをしています。己の不器用で粗野な生き方を、思いきり哄笑しながら振り返っているようです。そして第3楽章には、ブルレスケ(道化芝居の音楽)という指示と、「きわめて反抗的に」という珍しい支持が書き込まれています。自らの人生を「道化芝居」と突き放しながらも、無理解な周囲と音楽をもって戦い反抗を続けたことを振り返っているのでしょうか。先ほどの手紙に"戦い獲ってきた"と記されていたことと符合します。この楽章での、山田氏の鬼神の如き指揮は凄まじかった。「戦え、抗え」と怒号するかのような迫力でオーケストラを奮い立たせ、この攻撃的な音楽を見事に表現しました。二列目左端に座っていたのですが、第一ヴァイオリンを睨みつける氏の表情には血の気が引いたほどです。そして音の大爆発とともに、第3楽章は終わります。ふう。 第4楽章、アダージョ。喜び、悲しみ、安らぎ、絶望、さまざまな感情がゆったりとしたテンポとともに唄い上げられます。指揮者とオーケストラが一体となって、全身全霊を込めて唄い上げるメロディの素晴らしいこと。陳腐な表現ですが、心の琴線が震えっぱなしでした。そして音楽は徐々に静謐となっていき、幸福というオーラに包まれながら息絶えていきます。最後の音がpppで終わり、無音の響きが微かに鳴り響くホール。微動だにしない指揮者とオーケストラ。ああずっとこの無音に包まれていたい、ずっと… すると。山田和樹氏が振り返りもせず動きもしないのに、誰かが「ぶらぼー」と叫びながら盛大な拍手をはじめました。やれやれ。二人で苦笑いをするしかありませんでした。 というわけでほんとうに素晴らしい音楽でした。あらためて山田和樹氏と日本フィルに感謝したいと思います。どうもありがとうございました。でもこれで「マーラー・ツィクルス」が終わりかと思うと、残念です。今度は、金聖響氏の「マーラー・ツィクルス」をぜひ聴きたいものです。 ▲
by sabasaba13
| 2017-07-06 06:27
| 音楽
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先週の土日に、箱根大平台に紫陽花を見に行ってきました。鎌倉も良かったのですが、やはりその数の多さは圧倒的です。ま、その分、観光客の数も圧倒的でした。もちろん私もその一人ですが。
なおここ大平台は、枝垂れ桜が満開の頃も素晴らしいですね。あまり人には教えたくない穴場です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by sabasaba13
| 2017-07-05 06:25
| 鶏肋
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都議会議員選挙での、自民党の歴史的惨敗。
快哉 これが、日本を"美しい国"に改造しようとする安倍上等兵内閣の野望を阻止する第一歩になるかもしれません。ちなみに氏が考える"美しい国"の内実とは、次のようなものですね。世界各地で荒稼ぎをする日本企業、それを軍事力でサポートする自衛隊、草刈り場にされた国の人びとの怨嗟を一身に浴びる"美しい国"日本。福島の人々は見殺しにされ、原発がフル稼働し、新規の原発も次々と建設されていく"美しい国"日本。農業は壊滅し、生物としての生き死にまでをアメリカに左右される"美しい国"日本。流暢なアメリカ英語を操りながらアメリカ企業の底辺労働者として酷使される人々であふれる"美しい国"日本。一刻も早く安倍でんでん内閣に引導を渡したいものです。 その一方で、大勝した小池百合子知事と「都民ファースト」の動きにも警戒を怠ることなく、状況を見詰めていきたいと思います。彼女の極右的思想と、「日本会議」との関係は気になるところです。自民党内では、安倍上等兵の後釜として、稲田氏を見限って小池氏を担ぎ出そうとする動きがあるのではないかな。「都民ファースト」が、自民党の分身・別動隊・鉄砲玉でないことを衷心より祈っております。 なお今回の選挙で、私が憂慮したことが二点あります。投票率の低さと、公明党の無節操・無定見です。 まず投票率の低さ。最終的な投票率は51.27%、前回から7.77ポイント上がったとはいえ、半数弱の有権者が棄権したということです。開いた口が塞がらず、呆れて物も言えません。たいした手間でもないのに、この体たらくは何故? 「適当な候補者がいなかっか」なんていう戯言は言い訳にもなりません。最近読んだ『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編 晶文社)の中で、白井聡氏が舌鋒鋭い批判を展開されていたので、長文ですが是非とも紹介したいと思います。 問題は、「行っても無駄だ、だから行かない」という思考回路であり、これこそが、分析され、批判され、乗り越えられなければならない、ということです。 もうひとつが公明党の無節操と無定見。今回の選挙では「都民ファースト」に擦り寄ったわけですが、この政党には政治的な目標がないのでしょうか。多数票を獲得する勢いのある存在を敏感な鼻で嗅ぎ分け、にじり寄り、権力のお裾分けにあずかり、創価学会の勢力拡大を目論む、それしか目標がないように思えますが。この件についても最近読んだ『愛国と信仰の構造』(中島岳志・島薗進 集英社新書0822)の中で、両氏が同党を適確に分析・批判されています。こちらも長文ですが引用します。 [島薗] 戦前までの創価学会の歴史を遡ってみましょうか。ま、所詮、国民は、己の知的レベルに相応しい政治しか持てないということですね。 ▲
by sabasaba13
| 2017-07-04 06:25
| 鶏肋
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本日最後の訪問先は戸山です。十条から埼京線で池袋に行き、地下鉄副都心線に乗り換えて西早稲田駅へ。ここから十分ほど歩くと戸山公園に到着です。こちらには、尾張藩徳川家の下屋敷だった頃、庭園の池を掘った残土でつくった築山である箱根山がありました。標高44.6メートルで、山手線内最高峰とも言われるそうな。頂上までのぼってあたりを睥睨しようとしましたが…それほど高くなく木々も生い茂っているので眺望はよくありません。なお戸山公園サービスセンターに行くと、「登頂証明書」がもらえるそうです。
![]() 下山してすこし歩くとお目当ての日本基督教団戸山教会に着きました。堅牢な石組建造物の上に普通の教会が乗っかっているという摩訶不思議な建物です。 ![]() これはなにか曰くがありそうですね。『大軍都・東京を歩く』(黒田涼 朝日新書492)から引用します。 ここには(※戸山公園)、1874(明治7)年から陸軍戸山学校などが広がっていました。射撃、銃剣術、体操などを主に士官や下士官に教授し、1891年には軍楽学校も移転してきます。1912年に陸軍歩兵学校が千葉にできたため、その後戸山学校では体育と軍楽を担当しましたが、1939(昭和14)年から再び射撃術の教育研究を行うようになります。(中略)余談ですが、近くにある国立感染症研究所のあたりには、かつて陸軍軍医学校がありました。1989年、研究所を建設する際に、大量の人骨が発見されるという事件がありました。『保存版ガイド 日本の戦争遺跡』(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)から引用します。 1989年7月、新宿区戸山の厚生省(当時)戸山研究庁舎(現・国立感染研究所、国立健康・栄養研究所)の建設現場で少なくとも62体の人骨が発見された。ここは、陸軍の軍医養成機関であった陸軍軍医学校の跡地であり、人骨の発見地点が軍医学校の防疫研究室(室長石井四郎)だった建物の北側にあたることから、これらの人骨を鑑定することになった。"悪魔に鏡を突きつける"ためにも、これからもこうした戦争遺跡や戦争史跡を訪ね歩いていきたいと思います。 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2017-07-03 06:26
| 東京
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そして歩いてJR赤羽駅へ。昭和の雰囲気を色濃く残す駅前の飲み屋街を歩いていると、なんとOK横丁に「ミルクホール」という看板をかかげたお店がありました。もうこの看板だけでも歴史遺産ですね、その名は「三珍亭」。無機的かつ金太郎飴的な昨今のチェーン店とは違い、ディープで胡散臭そうな店構えに思わず見惚れてしまいました。貼り紙には「昭和の味 食材 ほぼ国内産 安全 安心食」とありましたが、"ほぼ"という副詞がいい味を醸し出していますね。
![]() そして赤羽駅から埼京線に乗って十条駅へ。以前にも報告しましたが、このあたりにはかつて東京砲兵工廠銃包製造所があり、周辺には軍関係の施設が点在していました。今回のお目当ては、砲兵工廠の赤煉瓦建築を再活用した北区立中央図書館です。 図書館の方へ歩いていくと、工廠の煉瓦塀が一部保存されていました。解説板を転記します。 煉瓦(れんが)塀の由来近くには、旧十条中学校の校舎を解体した時に出土した煉瓦を利用したベンチもありました。 ![]() 陸上自衛隊十条駐屯地の前を通り過ぎて、十分ほどで北区立中央図書館に着きました。『大軍都・東京を歩く』(黒田涼 朝日新書492)から引用します。 さて公園の南には北区立中央図書館がありますが、たいへん素晴らしい建物で必見です。図書館を公園側から見ると、レトロなレンガ造りの屋根が二つ並んで見えます。これは一造(※東京第一陸軍造兵廠)にあった275号棟という建物を再利用して図書館にしているのです。275棟は1919(大正8)年に建てられた小銃の弾丸を作る建物でした。南北54メートル、東西27メートルで、高さは5.45メートル。北区内で作られた可能性のあるレンガと九州の八幡製鉄所で作られた鉄骨を使った完成期のレンガ建築です。関東大震災でもびくともせず敗戦まで使われ、他の建物が次々取り壊されるなか、1989(平成元)年まで自衛隊が利用しました。なるほど、二棟の風格のある赤煉瓦倉庫と、現代的な建築をうまくマッチさせた図書館です、お見事。中に入って天井を見上げると、三角トラス構造も保存されていました。喫茶室も明るくて良い雰囲気、思わず珈琲をいただいてしまいました。ここで人を殺すための道具が数多つくられたという歴史を、末永く語り継いでほしいものです。 ![]() 本日の一枚です。 ![]() ▲
by sabasaba13
| 2017-07-02 13:35
| 東京
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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