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近江編(3):琵琶湖ホテル(15.3)

 京阪石山坂本線に乗って五分ほどで皇子山駅に到着。めざすはびわ湖大津館、旧琵琶湖ホテルです。すぐに辿り着けるだろうとたかをくくっていたら、道に迷ってしまいました。途中にあった交番で教えてもらい、やっとのことで着きました。おおっこれは凄い、まるで歌舞伎座のように外連味にあふれた、日本趣味コテコテの物件です。「びわ湖大津館」の公式サイトから引用します。
 びわ湖大津館は、1934年(昭和9年)、外国人観光客の誘致を目的に県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)をリニューアル活用した大津市の文化施設です。
 旧琵琶湖ホテル時代には、『湖国の迎賓館』として昭和天皇を始め多くの皇族の方々、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエイン、川端康成など多分野の著名人をお迎えし、名実ともに県下唯一の格式を持ったホテルとして営業されておりました。
 建物の設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等を設計したことで有名な岡田建築事務所(岡田信一郎創設)によるもので、桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観は、琵琶湖の風景と古都大津の風土に見事に調和したデザインとなっております。
 1998年(平成10年)、琵琶湖ホテルが新しく浜大津に移転することになり、この建物の取り壊しを惜しむ多くの市民の声に応えて、大津市が耐震と改修保存を行い、2002年(平成14年)4月から柳が崎湖畔公園 びわ湖大津館として新たに開館致しました。
 現在、3階建の館内にはレストランやショップの他、貸会議室・貸ホールや市民ギャラリーなどがあり、人々が集い、創造や交流を生み出す場として利用されています。
 そうか、岡田信一郎か。歌舞伎座の見立ては当たっていました。なお彼が関係した建築では、旧中之島公会堂護国院を訪れたことがあります。曇天のもとにぶく光る琵琶湖と、イングリッシュガーデンの顔はめ看板を撮影して、JR大津京駅へ向かいました。
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 本日の一枚です。
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 追記です。その後に読んだ『権力の館を歩く』(御厨貴 ちくま文庫)に次のような一文がありました。
 鳩山一郎は首相になりたかった。無邪気なまでにそう思いこんでいた。陽気で前向きで開放的な鳩山を見こんで、中学校時代以来の友人で建築家の岡田信一郎が、1924年、鳩山から何の注文も受けずに、鳩山のために文京区音羽の高台に三階建ての鉄筋コンクリート造りの洋館を建てた。無論設計料などとらなかった。(p.84)

by sabasaba13 | 2017-07-10 07:41 | 近畿 | Comments(0)

近江編(2):大津(15.3)

 朝六時に目覚めてすぐに洗顔、インスタントコーヒーを飲んですぐにホテルを出発です。まずは浜大津駅から京阪石山坂本線に乗って皇子山駅へと向かいます。大津には、滋賀県立近代美術館、フェノロサの墓がある法明院、膳所には義仲と芭蕉の墓がある義仲寺がありますが、時間があったら最終日に寄ることにしましょう。
 大津の中心街を歩いていると、洒落た意匠の窓がある和洋折衷の建築に遭遇。看板によると、この道が旧東海道なのですね。今、撮った写真をチェックしていると、その看板に「呉服の雁金屋」と記されていました。尾形光琳の実家と関係…ないですよね。小さな三角破風とメダリオン、その下の小ぶりなベランダ、スパニッシュ瓦、アンシンメトリーな庇など、見どころの多い愛らしい石田歯科医院や、その隣にある様々な意匠の格子が組み合わされ、二階軒下の肘木がリズミカルに並ぶ瀟洒な町屋も健在でした。旧友に出会ったような懐かしさを憶えます。近江が美味しい「かど萬」も元気に営業されているようです。
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 その前にある「旧大津公会堂」は、1934(昭和9)年、大津商工会議所と大津市立図書館とを併設した「大津公会堂」として建設されたもの。スクラッチタイルが印象的な、風格のある物件です。現在では、四つのレストランが入った交流・商業施設として再利用されています。以前に、ここにある近江牛のグリル&バー「モダンミール」で食事をしたことがありますが、常軌を逸した量のガーリック・ライスは忘れられません。

 そして浜大津駅に到着、構内に自衛隊幹部候補生募集のポスターが貼ってありましたが、そのキャッチ・コピーが「未来を導く、指揮官になる」というもの。アメリカ合州国御用達暴力装置の指揮で、未来が導かれたらたまりませんね。一刻も早く国営国際救助隊「雷鳥」として再出発してほしいものです。
 でも戦争法案が可決されて、使いっ走りとしてアメリカの国益のための戦争に加担することが可能となり、自衛隊に死傷者が出る可能性が大きくなった今、応募する人はいるのかしらん。と思ったら、『経済的徴兵制』(布施祐仁 集英社新書0811)を読んで、たいへんな事態が進行していることがよくわかりました。愚かだけれども支持率には敏感な安倍上等兵を筆頭とする自民党諸氏が、強制的な兵役制度を導入する可能性は低い。そうではなく、グローバルに拡がる経済格差の余波を受けた貧しい若者たちを自衛隊に志願させる「志願制」、すなわち「経済的徴兵制」が水面下で進行しているのですね。さまざまな優遇措置をとりそろえ、進学・就職できない若者を自衛隊に「志願」させるという手法です。引用します。
 国立大学の学費は、1970(昭和45)年には年額1万2000円だった。それが今では学費の安い文科系学部でも50万円を超えている。もちろん物価も上がっているが、「消費者物価指数(総合)」では、2013(平成25)年を100としたら、1970年は32.6である。物価が約三倍になっているのに対して、国立大学の学費は約45倍に跳ね上がっている。
 ここまで学費が高騰した原因は、歴代の自民党政権が、「大学教育を受けることで学生個人も利益を得るのだから、その分は個人負担すべき」という「受益者負担」の方針をとってきたからだ。その結果、日本のGDPに占める高等教育予算の比率は0.6%と、OECD(経済協力開発機構)参加国の中で最低レベルとなってしまった。一方、家計の中で教育費が占める割合は30.5%と、OECD参加国中四番目に高くなっている。
 このように、歴代自民党政権の新自由主義的な政策によって憲法や教育基本法の定める「教育の機会均等」は骨抜きにされ、大学に進学することは学生にとっての「リスク」になってしまった。(p.32~3)

 政府の政策により大学進学の選択肢を奪われた若者を、経済的な利点を餌にして軍隊に誘導する-まさに「経済的徴兵制」である。(p.34)
 そして自衛隊による軍事行動の目的は、アメリカの国益のためだけではありません。軍事力を背景に多国籍企業が自由に経済活動を行える世界秩序を守ろうという点では、日米の利害は一致しているのですね。引用します。
 海外での「国益擁護」のために自衛隊をもっと活用すべきだという声は、経済界からも上がっている。
 日本経済団体連合会(日本経団連)は2007年、今後10年のヴィジョン「希望の国、日本」を発表した。
 その中で、「国際テロなど新たな脅威に対して国際社会が団結して取り組む必要が高まっている。国民の安心・安全を確保するために必要な安全保障政策を再定義し、その展開を図っていくことが求められている」として、憲法9条2項を改正して「国益の確保や国際平和の安定のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする」ことを求めた。
 経済同友会も2013(平成25)年4月、「『実行可能』な安全保障の再構築」と題する提言を発表した。
 提言では、「戦後60年余を経て、日本は各国との相互依存関係を世界中に拡大し、その人材や資本、資産、権益もあらゆる地域に広がっている。いわば、日本の国益は、日本固有の領土・領海と国民の安全のみではなく、地域、世界の安定と分かちがたく結びついているのであり、この流れはグローバル化の中で、一層進展していくことだろう」と指摘。
 「日本経済の基盤として安全保障を考える企業経営者の立場」から、「ライフラインとしてのシーレーンの安全確保」や「海外における自国民保護体制の強化」「集団的自衛権行使に関わる解釈の変更」などを求めている。
 今回の安保法制の真の目的もここにある。安倍政権は国会審議で「国民の命と平和な暮らしを守り抜くための法案」と繰り返し、あたかも国民一人ひとりの命と暮らしを守るための立法であるかのように説明したが、彼らが自衛隊の海外任務の拡大でねらっているのは、軍事力を後ろ盾とした「国益」の擁護と追求であり、グローバル市場で日本の企業が自由に活動できる環境を守ろうとしているのである。(p.215~6)
 「自衛隊が私たちの命と暮らしを守る」という甘言にいとも簡単に騙される国民。政治家・官僚・財界のみなさんにとってこんなに扱いやすい国民はいないでしょう。「未来を導く、指揮官になる」の「未来」とは、私たちを犠牲にして大企業が肥え太る「未来」なのにね。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-09 07:39 | 近畿 | Comments(0)

近江編(1):前口上(15.3)

 以前、滋賀県の錦秋を愛でたときに、こんなことを呟きました。
 ホテルの部屋に戻り、昼間だったら琵琶湖を一望できる大浴場に行って温泉を満喫。ルース・ベネディクトさん曰く「受動的な耽溺の芸術」ですが、気持ちいいものは気持ちいいのさ! でも「烏の行水」の私は、十数分ほどであがって売店で地酒を購入し、部屋で明日の行程を検討することにしました。しょぼいとはいえ自称歴史学徒のはしくれとしては、琵琶湖北岸にある菅浦にはぜひ行ってみたいですねえ。地下請・守護不入・自検断といった自治権を保持した中世村落にして、鎌倉中期から現在に至るまでの大量の共有文書(菅浦文書)を残していることでも知られています。村落の入口には往時の四足門も残っているそうです。朽木の興聖寺もそそられますねえ、昭和を代表する作庭家にして庭園史研究家の重森三玲氏が一番好きだという庭園が残されているそうです。しかし時刻表およびガイドブックで調べてみるとアクセスがよくないため、この二ヶ所を訪れるだけでかなりの時間が費やされそうです。せっかくなのだから、梅津、堅田といった琵琶湖岸の歴史ある町も訪ねてみたいもの。よしっ、今回は紅葉狩りに特化して、琵琶湖岸の小さな町めぐりは日をあらためて敢行することにしましょう。
 内に秘めていた"琵琶湖岸の小さな町めぐり"という野望を、とうとう実現することができました。時は2015年3月。一週間の休暇がとれたので、五泊六日で琵琶湖を一周してきました。幸い「滋賀を歩こう」という琵琶湖観光を紹介した好サイトにも出会え、これを軸にして行程を組み立てました。第一日目は夜に大津に到着し、ビジネス・ホテルに宿泊。第二日目は、五個荘と近江八幡を散策して京都に宿泊。第三日目は、久しぶりに桂離宮と修学院離宮を訪れて、長駆、近江八幡に移動して宿泊。第四日目は、水口・豊里・彦根・醒ヶ井を徘徊して長浜に宿泊。第五日目は、長浜・竹生島・木之本・菅浦・近江今津を彷徨してマキノに投宿。そして第六日目は、針江・朽木・堅田・坂本を探訪して帰郷。あいもかわらず貧乏性の、ハルク・ホーガンの筋肉のようにパッツンパッツンにつまった旅程ですが、臨機応変・神出鬼没、伸縮は自在のざっくりとしたものです。ま、適当かつ良い加減に歩き回るつもりです。持参した本は『終わりと始まり』(池澤夏樹 朝日新聞出版)と、『地に呪われたる者』(フランツ・ファノン みすず書房)です。

 2015年3月好日、仕事を終えた後、新幹線で京都に行き、琵琶湖線米原行きに乗り換えて大津駅に着きました。「ホテルアルファーワン大津」にチェックインをして荷物を置き、夕食をとるためにJR大津駅まで戻りました。さてどこで食べましょうか、帯に短し襷に長し、いろいろと迷った結果、近江地鶏が食べられる「鳥楽」に決めました。肉汁あふれる地鶏の唐揚げもわるくはなかったのですが、つきだしのザク切りキャベツが思いのほか美味しかったですね。
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ホテルに戻り、明日に備えて早々と就寝。おやすみなさい。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-08 06:30 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵163

 伝わらぬ人には百万言を費やしても何も伝わらない。音楽的メッセージとは、そういう性質のものなのだ。(さだまさし)

 晩年のある日、彼女はこう言った。原爆を生む悪魔は私の心の中にもすんでいる。向こうが落とさなきゃこっちが落としている。戦争というものはそういうものだよ、と。だから恨むなら兵器じゃなく、戦争そのものだよ。ヒロシマ・ナガサキが戦争の歯止めにならなきゃ、皆浮かばれないじゃないの、と。(さだまさしの叔母)

 ぼくは、広島へ行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは「ヒロシマ」を忘れていたというより、実は初めから何も知っていなかったのだ。今日もなお「ヒロシマ」は生きていた。それをぼくたちは知らなさすぎた。いや正確には、知らされなさすぎたのである。(土門拳)

 にほんの ひのまる
 なだて あかい
 かえらぬ
 おらがむすこの ちであかい (おはん)

 私を、あの人と、代わらせてください。私は神父。妻もなければ、子もいませんし、それに年寄りです。彼を、あの若い彼を、妻子のもとにかえしてやってください。(マキシミリアノ・コルベ)

 ごらんなさい 母よ
 あなたの息子が何をしようとしているかを
 あなたの息子は人を殺そうとしている
 見も知らぬ人をわけもなく突き殺そうとしている
 その壁の前にあらわれる人は
 そこであなたの柔しいもう一人の息子の手で
 そのふるえる胸板をやにわに抉られるのだ (中野重治 『新聞にのった写真』)

 映画は真実を伝える眼であり、政治や社会の不正を批判し、本当に大衆の幸福を願うものでありたい。(山本薩夫)

 僕は若いヤツらには、電信柱にしがみついて、身体を鎖でくくりつけてでも戦争には行ったらあかん、親兄弟にまで国賊と罵られても山の中に逃げろと言いたい。(井筒和幸)

 戦争はすべての人間から末来を奪う。私たちが愚かだったとすれば、それは末来を考えることの出来ない坩堝の中にいたためである。(佐藤愛子)
by sabasaba13 | 2017-07-07 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)

マーラー交響曲第九番

c0051620_6271537.jpg 気鋭の指揮者・山田和樹氏が、日本フィルハーモニーとともに三年をかけてマーラーの交響曲九作を年代順に振る「マーラー・ツィクルス」がいよいよ最後の曲となりました。そう、交響曲第9番です。『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)の中で金聖響氏は「マーラーの最高傑作」と評されていましたが、普段CDを聴いているかぎりではそうは感じられません。やはりライブで聴かないと、真価はわかりませんよね。楽しみです。
 なお公演パンフレットの解説によると、作曲に着手したのは1909年の夏、その二年前には最愛の娘マリア・アンナを亡くし、その直後に心臓疾患を告げられます。そしてウィーン宮廷歌劇場を自任してメトロポリタン歌劇場にデビューするなど、ストレスの多い日々の中で第9番はつくられました。そうした中、マーラーの音楽に向き合う姿勢が明らかに変わったことが、ブルーノ・ワルター宛ての手紙(1908.7.18)から読み取れます。
 つまり私はただの一瞬にしてこれまで戦い獲ってきたあらゆる明察と平静とを失ってしまったのです。そして私は無に直面して立ち、人生の終わりになっていまからふたたび初心者として歩行や起立を学ばなければならなくなったのです。
 娘の死に打ちひしがれ、自らの死を予感しつつ、万感の想いを込めて人生を振り返りながら作った曲なのでしょうか。そうした予備知識をどこかの引き出しに入れておいて、虚心坦懐に音楽を楽しみたいと思います。

 会場はいつものように、Bunkamuraオーチャードホール。一曲目は、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、その清澄な響きで耳朶にこびりついた俗塵を洗い落としてもらいました。
 20分休憩のあと、いよいよ交響曲第9番です。銅鑼とハープの重低音とヴィオラのトレモロが静かに空間を包み、ヴァイオリンが甘美なメロディを愛おしむように奏でます。そして、どれが主旋律でどれが伴奏か、和音なのかメロディなのか、判然としない音の塊がうねりながらホールを濃密に満たします。羊水の中で微睡む胎児のように、その神秘的で美しい音楽にただただ身と心を浸すのみ。これは"死"というよりも"生"の音楽ですね、生きて、この音楽が聴けてほんとうによかった。至福のひと時があっという間に過ぎていきました。
 第2楽章は三拍子の田舎の踊り(レントラー)。マーラーは「いくらか不器用で、かなり粗野に」という書き込みをしています。己の不器用で粗野な生き方を、思いきり哄笑しながら振り返っているようです。そして第3楽章には、ブルレスケ(道化芝居の音楽)という指示と、「きわめて反抗的に」という珍しい支持が書き込まれています。自らの人生を「道化芝居」と突き放しながらも、無理解な周囲と音楽をもって戦い反抗を続けたことを振り返っているのでしょうか。先ほどの手紙に"戦い獲ってきた"と記されていたことと符合します。この楽章での、山田氏の鬼神の如き指揮は凄まじかった。「戦え、抗え」と怒号するかのような迫力でオーケストラを奮い立たせ、この攻撃的な音楽を見事に表現しました。二列目左端に座っていたのですが、第一ヴァイオリンを睨みつける氏の表情には血の気が引いたほどです。そして音の大爆発とともに、第3楽章は終わります。ふう。
 第4楽章、アダージョ。喜び、悲しみ、安らぎ、絶望、さまざまな感情がゆったりとしたテンポとともに唄い上げられます。指揮者とオーケストラが一体となって、全身全霊を込めて唄い上げるメロディの素晴らしいこと。陳腐な表現ですが、心の琴線が震えっぱなしでした。そして音楽は徐々に静謐となっていき、幸福というオーラに包まれながら息絶えていきます。最後の音がpppで終わり、無音の響きが微かに鳴り響くホール。微動だにしない指揮者とオーケストラ。ああずっとこの無音に包まれていたい、ずっと…

 すると。山田和樹氏が振り返りもせず動きもしないのに、誰かが「ぶらぼー」と叫びながら盛大な拍手をはじめました。やれやれ。二人で苦笑いをするしかありませんでした。

 というわけでほんとうに素晴らしい音楽でした。あらためて山田和樹氏と日本フィルに感謝したいと思います。どうもありがとうございました。でもこれで「マーラー・ツィクルス」が終わりかと思うと、残念です。今度は、金聖響氏の「マーラー・ツィクルス」をぜひ聴きたいものです。
by sabasaba13 | 2017-07-06 06:27 | 音楽 | Comments(0)

大平台の紫陽花

 先週の土日に、箱根大平台に紫陽花を見に行ってきました。鎌倉も良かったのですが、やはりその数の多さは圧倒的です。ま、その分、観光客の数も圧倒的でした。もちろん私もその一人ですが。
 なおここ大平台は、枝垂れ桜が満開の頃も素晴らしいですね。あまり人には教えたくない穴場です。

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by sabasaba13 | 2017-07-05 06:25 | 鶏肋 | Comments(0)

2017年都議会選挙

 都議会議員選挙での、自民党の歴史的惨敗。

 快哉

 これが、日本を"美しい国"に改造しようとする安倍上等兵内閣の野望を阻止する第一歩になるかもしれません。ちなみに氏が考える"美しい国"の内実とは、次のようなものですね。世界各地で荒稼ぎをする日本企業、それを軍事力でサポートする自衛隊、草刈り場にされた国の人びとの怨嗟を一身に浴びる"美しい国"日本。福島の人々は見殺しにされ、原発がフル稼働し、新規の原発も次々と建設されていく"美しい国"日本。農業は壊滅し、生物としての生き死にまでをアメリカに左右される"美しい国"日本。流暢なアメリカ英語を操りながらアメリカ企業の底辺労働者として酷使される人々であふれる"美しい国"日本。一刻も早く安倍でんでん内閣に引導を渡したいものです。

 その一方で、大勝した小池百合子知事と「都民ファースト」の動きにも警戒を怠ることなく、状況を見詰めていきたいと思います。彼女の極右的思想と、「日本会議」との関係は気になるところです。自民党内では、安倍上等兵の後釜として、稲田氏を見限って小池氏を担ぎ出そうとする動きがあるのではないかな。「都民ファースト」が、自民党の分身・別動隊・鉄砲玉でないことを衷心より祈っております。

 なお今回の選挙で、私が憂慮したことが二点あります。投票率の低さと、公明党の無節操・無定見です。
 まず投票率の低さ。最終的な投票率は51.27%、前回から7.77ポイント上がったとはいえ、半数弱の有権者が棄権したということです。開いた口が塞がらず、呆れて物も言えません。たいした手間でもないのに、この体たらくは何故? 「適当な候補者がいなかっか」なんていう戯言は言い訳にもなりません。最近読んだ『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編 晶文社)の中で、白井聡氏が舌鋒鋭い批判を展開されていたので、長文ですが是非とも紹介したいと思います。
 問題は、「行っても無駄だ、だから行かない」という思考回路であり、これこそが、分析され、批判され、乗り越えられなければならない、ということです。
 重要なのは、「どうせ行っても何も変わらないから行かない」という行動様式は、消費社会のそれとしては正しい、ということです。投票するとはどういうことなのか。投票行動は買い物のようなものである、ととらえることができるかもしれません。このようなとらえ方は、少なくない政治の専門家が現にしています。お店で欲しいものを探し、それがあればお金と引き換えにそれを買うのと同じように、期待する政治家を選んで、お金の代わりに一票を入れる。この見方によれば、投票所に行ったのに積極的に票を入れたくなるような候補がいないという状態は、買い物に行っても欲しいものはないとあらかじめわかっているならば、家から出ない方が合理的な行動です。同じように、期待できそうな政治家がいないのならば、わざわざ投票所に足を運ぶことは、バカげたことであり、家で寝ている人の方が賢い、ということになります。
 こうしてわかることは、社会的矛盾が増大し、政治の果たすべき役割の重要さが増しているにもかかわらず投票率が下落し続けるのは、人々がある意味で合理的に行動している結果だ、ということです。しかしながら、ここで批判されねばならないのは、こうした行動に現れている「ある意味の合理性」「消費社会的合理性」にほかなりません。明らかにされねばならないのは、投票することを買い物と同じようなものととらえていることの根底的な誤りです。
 買い物と投票するという政治的行為の根本的な違いは、選択可能性ということです。お買い物に行った場合、私たちは選び放題に選ぶことができます。この店が気に入れなければ別の店へ、その店も気に入らなければまた別の店へと渡り歩き、どれも気に入らなければ何も買わないで帰る、ということも自由です。そのようにしたところで誰も文句は言わないどころか、どのお店でも店員さんは、何も買わなくても「またぜひお越しくださいませ」と実に丁寧な態度で接してくれます。なぜなら、物があふれた消費社会においては、どんなチャンスでもとらえてお客の欲望を掻き立て、物を買ってもらわなければならないからです。そのためには、お客の食指が少しでも動きそうな物を取り揃えておくわけで、そのなかから私たちは選び放題だし、それらの商品に私たちは関わらないでいることも選択できる、というわけです。
 これに対して、政治は全く違います。私たちの多くが選挙で棄権し、投票率が下がっても、誰かは必ず当選し、選ばれた人たちのなかから政権が成立します。その政権が愚かな政策を推進した場合、その悪影響は投票した人にもしなかった人にも及びます。政治を嫌ったり、政治に対して無関心でいることはできますが、嫌おうが放っておこうが、その影響から逃れることは誰もできません。政治における究極の事象は戦争ですが、戦争が起きた場合、その影響は生命への損害という形にまで高まります。
 ですから、「期待できる候補がいないから投票に行かない」という行動がどれほど愚かしいものなのか、すでに明らかだと思います。政治権力を委ねる相手を選ぶという行為は、買い物に出かけることとは、全く異なるものです。積極的に選びたい候補者がいようがいまいが、選ばれた権力は現実に私たちの生活に影響を及ぼします。その意味で、投票という政治的行為に、選択可能性はないのです。ぜひこの人に当選して欲しいという候補者がいない場合でも(そのようなケースは非常にしばしばあります)、私たちは「なるべくマシな」、もっと言えば「最も害の少なそうな」候補を選出しようとするのが、当然の行為です。政治は、お買い物と違って、積極的に選びたくなるものをお膳立てしてくれたりはしないのです。(p.214~6)

 私はこれまで、多くの政治学者が「ちゃんと投票に行くべき」と発言したり、「若者よ、政治にもっと関心を持とう」などと発言する様子を冷ややかに見てきました。それはなぜか。一定以上の年齢の人間に、差別なく投票権が与えられるようになったのは-そのような選挙を「普通選挙」という-、そんなに昔のことではありません。日本の場合でも、男子普通選挙が実施されたのは帝国議会が開設されてから38年後の1928年、女性に投票権が与えられたのは、第二次世界大戦での敗北を経た今から70年前のことです。このような権利が獲得されたのは、多くの人々の長い努力と莫大な犠牲が払われてのことなのです。こうした歴史を誰もが学校で習っているはずなのに、投票所に行って投票するという実に簡単な行為すらしないほど怠惰で愚かな人間が、政治権力によって犠牲になってしまうとも、それは自業自得と言うほかありません。
 「投票に行きましょう」とか「政治に関心を持とう」といった呼びかけをする人の動機が善意に基づくことを私は全く疑いませんが、これらの呼びかけの発するメッセージが「投票に来てくれませんか」、「政治に関心を持ってくれませんか」というものでしかないのならば、むしろこうした呼びかけは有害なものにすらなりかねません。なぜなら、その場合、呼びかけは「ぜひお越しください」という「お店の言葉」と変わらないからです。それでは、買い物に行くことと選挙で投票することは同じようなものだという勘違いを正すどころか、助長するものになってしまいます。
 政治に関心を持ち、投票に行くことは、「そうしたければそうしたらいい」という具合に選択可能なものではありません。それは市民的義務です。先ほど、苦難に満ちた政治的権利獲得の歴史を知ろうともせず、自らの貴重な権利を行使することを自発的に回避するような愚か者が悪い政治のために酷い目に遭っても自業自得であると述べましたが、このように愚かな人間が自らの愚かさの犠牲になるだけで、事は終わらないのです。
 悪い政治の影響は、愚かな行動をした人間だけに限定されて及ぶものではありません。現在の日本の政治が全般的に腐敗し堕落している一因は、消費社会的合理性(=政治的愚かさ)に基づいて行動する人間があまりにも多くなってしまったためです。どこまでもお客様根性を貫く有権者に対しては、政治家が誠実に振る舞うことは決してありません。その必要がないからです。こうして政治の世界から緊張感が失われ、よく考えていない有権者の票と低投票率に助けられて選出された、たまたま時流に上手く乗っただけの質の悪い政治家と世襲政治家が、税金を浪費して下らないバカ騒ぎを演じる、という光景がますます目につくようになっています。つまり、あまりにも多くの人たちが市民的義務を回避するようになってしまったために、政治という社会に対して多大な影響を持つ領域が全般的に劣化してしまったのです。(p.216~8)

 もうひとつが公明党の無節操と無定見。今回の選挙では「都民ファースト」に擦り寄ったわけですが、この政党には政治的な目標がないのでしょうか。多数票を獲得する勢いのある存在を敏感な鼻で嗅ぎ分け、にじり寄り、権力のお裾分けにあずかり、創価学会の勢力拡大を目論む、それしか目標がないように思えますが。この件についても最近読んだ『愛国と信仰の構造』(中島岳志・島薗進 集英社新書0822)の中で、両氏が同党を適確に分析・批判されています。こちらも長文ですが引用します。
[島薗] 戦前までの創価学会の歴史を遡ってみましょうか。
 同じ日蓮宗とはいえ、国柱会と違って、創価学会は創価教育学会という教育者の集まりから始まり、小集団活動に基礎を持っていたために、政治的なユートピア主義には結びつかず、戦前は反体制的な特殊な日蓮系宗派の立場を守り通そうとしました。このため、初代会長の牧口常三郎は治安維持法違反で捕まり、獄中死をしています。
 ところが、今の公明党はまったくの体制派で、自民党と一体化しているようにすら見えます。どうしてこうなってしまったのかを考えると、創価学会が、組織の発展を宗教そのものの成功と同一視する傾向を持っていることが、大きいのではないかと思います。
 それから、他宗教や他派を批判する排他性も強く内部の結束を重視する。党と教団が完全な一枚岩ではないとはいえ、そういった性格のもとで、選挙による党の成功と教団の勢力維持とが結びついてしまっているんですね。
 私自身は、現在の創価学会と公明党は、宗教のあり方をめぐる非常に重い問題に直面していると考えています。本来の理念である仏法に基づく平和主義・人間主義をそっちのけで組織維持のためにタカ派政策に乗っかっています。どの宗教でも同様の傾向はあるにせよ、信者の獲得、組織の拡大・維持を最大の目標にするという姿勢そのものを考え直すべき時に来ているのではないでしょうか。
[中島] 島薗先生がおっしゃったように、創価学会にはもう一度自分たちの過去と向き合ってほしいと私は考えています。
 設立後、十数年しかたっていない1943年に、初代会長の牧口常三郎が伊勢神宮の大麻(神札)を受け取らなかったことで治安維持法違反とされて、翌年に獄中死する。同じく理事の戸田城聖も捕まる。それが彼らの戦前の痛烈なまでの経験です。
 池田大作氏が書いた『人間革命』の始まりのほうはその話が中心になっている。つまり、権力から弾圧を受けた経験を背負っているから、信仰の自由というものが彼らにとっての非常に大きなテーゼになっている。
 思想的にパターナル(※強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉する)な安倍首相に対して、信仰の自由など本来、リベラルの方向に立とうとする公明党というのは、その理念では反対向きのはずです。政策的にも、自己責任を強調するようになった自民党に対して、セーフティーネットを整えろと言う公明党は、方向性は逆です。
 しかし、公明党の目標が与党であり続けることにすり替わってしまった今、理念や政策の違いを超えて自民党に追随してしまう。その結果何が起きるかというと、自分たちがまさに弾圧されたような、たとえば秘密保護法のようなものを自分たちで推進してしまう。あるいは集団的自衛権の問題についても、自民党のほうに引っ張られてしまう。
[島薗] 私が創価学会の問題を重く見るのは、前章で述べた「正法」とも関係しています。
 正法をもう少し平たい言葉で言えば、仏教の社会倫理理念であり、仏教の社会性の自覚ということになりますが、創価学会はこの正法の理念を自覚し、現代的に実践しようという姿勢を持つ宗教団体のひとつです。社会参加・政治参加を謳っている宗教団体であればこそ、国家とは距離を保って活動してほしいわけです。
 ちなみに、同じ法華、日蓮系の在家宗教団体である立正佼成会は、集団的自衛権や安全保障関連法制について反対の声明を出しました。(p.202~4)
 ま、所詮、国民は、己の知的レベルに相応しい政治しか持てないということですね。
by sabasaba13 | 2017-07-04 06:25 | 鶏肋 | Comments(2)

東京散歩(水門・教会)編(5):日本基督教団戸山教会(15.1)

 本日最後の訪問先は戸山です。十条から埼京線で池袋に行き、地下鉄副都心線に乗り換えて西早稲田駅へ。ここから十分ほど歩くと戸山公園に到着です。こちらには、尾張藩徳川家の下屋敷だった頃、庭園の池を掘った残土でつくった築山である箱根山がありました。標高44.6メートルで、山手線内最高峰とも言われるそうな。頂上までのぼってあたりを睥睨しようとしましたが…それほど高くなく木々も生い茂っているので眺望はよくありません。なお戸山公園サービスセンターに行くと、「登頂証明書」がもらえるそうです。
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 下山してすこし歩くとお目当ての日本基督教団戸山教会に着きました。堅牢な石組建造物の上に普通の教会が乗っかっているという摩訶不思議な建物です。
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 これはなにか曰くがありそうですね。『大軍都・東京を歩く』(黒田涼 朝日新書492)から引用します。
 ここには(※戸山公園)、1874(明治7)年から陸軍戸山学校などが広がっていました。射撃、銃剣術、体操などを主に士官や下士官に教授し、1891年には軍楽学校も移転してきます。1912年に陸軍歩兵学校が千葉にできたため、その後戸山学校では体育と軍楽を担当しましたが、1939(昭和14)年から再び射撃術の教育研究を行うようになります。(中略)
碑から箱根山をはさんで反対側には戸山幼稚園と戸山教会があります。これは敗戦後間もなく、空襲で焼けてしまった都内の教会の再建場所としてGHQの斡旋で建てられたものです。建物の地下部分は戸山学校時代の将校集会施設だったといいます。石造りの重厚さが時代を感じさせます。(p.133~5)
 余談ですが、近くにある国立感染症研究所のあたりには、かつて陸軍軍医学校がありました。1989年、研究所を建設する際に、大量の人骨が発見されるという事件がありました。『保存版ガイド 日本の戦争遺跡』(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社新書240)から引用します。
 1989年7月、新宿区戸山の厚生省(当時)戸山研究庁舎(現・国立感染研究所、国立健康・栄養研究所)の建設現場で少なくとも62体の人骨が発見された。ここは、陸軍の軍医養成機関であった陸軍軍医学校の跡地であり、人骨の発見地点が軍医学校の防疫研究室(室長石井四郎)だった建物の北側にあたることから、これらの人骨を鑑定することになった。
その結果、頭骨に銃創やドリルで穿孔された痕があるなど人為的に加工された可能性があると判明した。
 厚生省は、人骨の由来調査を実施し、関係文章の調査と軍医学校関係者に対する聞き取りやアンケート調査により、これらの人骨が軍医学校の標本類または標本作製用あるいは医学教育用に集められた死体の一部であり、敗戦による軍医学校の活動終了に際して処分され、埋められたものとの報告をまとめた。軍医学校保有の標本類には、戦死者などから作製されたものが含まれていた可能性もあるが、鑑定で人類学的には「少なくとも一般日本人集団からの無作為標本ではない可能性が大きい」とされたものの、生前の国籍までは特定できなかった。
 調査では、死体または標本が関東防疫給水部(満州第731部隊)など海外から送られたことを示唆する回答もあったが、第731部隊との関連などを明確にはできなかった。発見された人骨は、戸山研究庁舎敷地内の納骨施設に保管されている。(p.124~5)
 "悪魔に鏡を突きつける"ためにも、これからもこうした戦争遺跡や戦争史跡を訪ね歩いていきたいと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-03 06:26 | 東京 | Comments(0)

東京散歩(水門・教会)編(4):北区立中央図書館(15.1)

 そして歩いてJR赤羽駅へ。昭和の雰囲気を色濃く残す駅前の飲み屋街を歩いていると、なんとOK横丁に「ミルクホール」という看板をかかげたお店がありました。もうこの看板だけでも歴史遺産ですね、その名は「三珍亭」。無機的かつ金太郎飴的な昨今のチェーン店とは違い、ディープで胡散臭そうな店構えに思わず見惚れてしまいました。貼り紙には「昭和の味 食材 ほぼ国内産 安全 安心食」とありましたが、"ほぼ"という副詞がいい味を醸し出していますね。
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 そして赤羽駅から埼京線に乗って十条駅へ。以前にも報告しましたが、このあたりにはかつて東京砲兵工廠銃包製造所があり、周辺には軍関係の施設が点在していました。今回のお目当ては、砲兵工廠の赤煉瓦建築を再活用した北区立中央図書館です。
 図書館の方へ歩いていくと、工廠の煉瓦塀が一部保存されていました。解説板を転記します。
煉瓦(れんが)塀の由来
 十条台1丁目一帯には旧陸軍の東京砲兵工廠銃包製造所が所在していました。この製造所は、日露戦争の行われていた明治38年、小銃弾薬の増産を図るために現在の東京ドーム周辺から移転してきた工場施設で、約10万坪の敷地に煉瓦造の工場等が建てられていました。
 本校とJR埼京線の境界に現存する煉瓦塀は、その製造所西側の敷地境界にあたり、煉瓦に残されている刻印から、葛飾区の金町煉瓦製造所の煉瓦が使われていることが判りました。
 近くには、旧十条中学校の校舎を解体した時に出土した煉瓦を利用したベンチもありました。
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 陸上自衛隊十条駐屯地の前を通り過ぎて、十分ほどで北区立中央図書館に着きました。『大軍都・東京を歩く』(黒田涼 朝日新書492)から引用します。
 さて公園の南には北区立中央図書館がありますが、たいへん素晴らしい建物で必見です。図書館を公園側から見ると、レトロなレンガ造りの屋根が二つ並んで見えます。これは一造(※東京第一陸軍造兵廠)にあった275号棟という建物を再利用して図書館にしているのです。275棟は1919(大正8)年に建てられた小銃の弾丸を作る建物でした。南北54メートル、東西27メートルで、高さは5.45メートル。北区内で作られた可能性のあるレンガと九州の八幡製鉄所で作られた鉄骨を使った完成期のレンガ建築です。関東大震災でもびくともせず敗戦まで使われ、他の建物が次々取り壊されるなか、1989(平成元)年まで自衛隊が利用しました。
 建物は土地とともに北区が購入し図書館に生まれ変わったのですが、よくある外観保存ではなく、外観はもちろん内部もきちんと保存して生かしているのがこの図書館の特徴です。全体は、275号棟内側に新しい鉄筋コンクリート3階建ての建物を建てているのですが、新築3階部分はレンガ建物の壁からかなり内側なので、公園側からはあまり見えず、レンガ建物だけが残っているようにも見えます。
 開館は2008年。閲覧室や書庫は元の建物の天井の高さを生かした開放的な空間で、大きくレトロな窓辺での読書は落ち着きます。天井の鉄骨組は美しく、外壁や基礎も室内で間近に見ることができます。一部の鉄骨は保存されており「ヤワタ」の文字が読めます。さらにはレンガの雰囲気を生かしたおしゃれなカフェがあり、豊かな気分にひたれます。(p.164~5)
 なるほど、二棟の風格のある赤煉瓦倉庫と、現代的な建築をうまくマッチさせた図書館です、お見事。中に入って天井を見上げると、三角トラス構造も保存されていました。喫茶室も明るくて良い雰囲気、思わず珈琲をいただいてしまいました。ここで人を殺すための道具が数多つくられたという歴史を、末永く語り継いでほしいものです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2017-07-02 13:35 | 東京 | Comments(0)