そして周知のヘイトスピーチ。「ヘイトスピーチ 言葉の凶器」(朝日新聞 2014.12.14)という記事を紹介します。
各地で繰り返されるヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)で、中傷の対象にされている在日コリアンはどう感じているのだろう。東京のNPO法人が関西在住の16人から聞き取り調査したところ、在日の人々が心の傷を受けている実態が浮かび上がった。「日本社会が変わってしまった」と戸惑う人も少なくない。また朝日新聞デジタル(2016.9.9)に、下記のような記事がありました。 横浜市教育委員会が、独自に発行する中学生向けの副読本から、関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺についての記述をなくす方向で検討していることがわかった。研究者らは「史実をないがしろにしている」などとして9日、市教委に内容の変更を申し入れた。現在にいたるまで、歴史的事実を隠蔽しようという動きがあるのですね。とくに、"自警団以外に軍隊や警察も「朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い」と盛り込まれたことについて、一部の市議が反発"という点が興味深いところです。国家権力の犯罪や卑劣さを隠蔽し、その権威を擁護しようということでしょうか。その市議たちにしてみれば、自分たちの権威の支えとなる「国家」のオーラに瑕疵がついてはまずいという意識があるのだと思います。 これが日本だ、わたしの国だ… 絶望から始めるしかありませんね。 追記。しかし幸いなことに、同年10月7日に、虐殺の史実を記載する方針が決定されました。『神奈川新聞』(2016.10.7)から引用します。 横浜市教育委員会が作成中の中学生向け副読本の原案で関東大震災時の朝鮮人虐殺の記載がなかった問題で、同市教委は7日、虐殺の史実を記載する方針を明らかにした。同日の市教委定例会で報告した。 ▲
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| 2017-11-30 06:23
| 関東大震災と虐殺
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![]() 今回は、私の大好きな広上淳一氏が、プッチーニの『トスカ』を振るということで、山ノ神を誘って池袋の東京芸術劇場に行ってきました。座席は正面二階、舞台全体を見渡せ、指揮者とオーケストラの演奏も一望できる良い場所です。 さてオペラのあらすじですが、ところはローマ市、時は1800年6月、ナポレオン率いるフランス軍が欧州を席巻していた頃です。ナポレオンを支持する共和派の画家カヴァラドッシは、脱獄した友人の政治囚アンジェロッティの逃亡を助けたために、反共和派の警視総監スカルピアに死刑を宣告されます。彼の恋人で有名歌手トスカは、彼を救おうと警視総監スカルピアを殺しますが、スカルピアの計略でカヴァラドッシは処刑され、そしてトスカも彼の後を追って自殺するという悲劇です。なんと主役級の人物がすべて死んでしまうのですね。 注目は、カンヌ国際映画祭審査員特別大賞グランプリを受賞した映画監督の河瀨直美氏が、自身初となるオペラ演出に取り組んだことです。舞台を古代日本のような世界におきかえ、"ローマ"を"牢魔"に、"トスカ"を"トス香"に、"カヴァラドッシ"を"カバラ導師"、"スカルピア"を"須賀ルピオ"に読み替えています。正直言ってあまり意味はなかったと思いますが、大スクリーンに映した映像を多用した演出は見ごたえがありました。水の泡、炸裂する花火、子どもなど、劇的な効果をよくあげていたと思います。 肝心のオペラですが、緊迫感にあふれるストーリー展開に加えて、「妙なる調和」や「歌に生き、愛に生き」や「星は光りぬ」といった素晴らしいアリアがちりばめられた、見事な作品です。トス香を演じたルイザ・アルブレヒトヴァ(ソプラノ)とカバラ導師を演じたアレクサンドル・バディア(テノール)は、みごとな歌唱力と表現力でした。しかし特筆すべきは、須賀ルピオを演じた三戸大久(バリトン)をはじめ、他の歌手はすべて日本人でしかも主役の二人に劣らない好演でした。いやあ、日本の歌手も上手くなりましたねえ、安心して聴くことができました。 指揮者の広上淳一氏も、東京フィルハーモニー交響楽団も大熱演。感極まって、ぴょんぴょんと飛び上がる広上氏の姿を何度も見ることができました。 というわけで、喜ばしき一夜でした。たまにはこういう素敵な夜を味わえないと、生きている甲斐がありませんね。そしてモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』、ビゼーの『カルメン』、ヴェルディの『アイーダ』などなど、まだ見ぬオペラに思いを馳せました。いまだ聴いていないオペラが山のようにある、なんて私は幸せ者なのでしょう。 ▲
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| 2017-11-29 06:26
| 音楽
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そして敗戦後から現在に至るまで、朝鮮人への差別意識は大きな変化がないようです。『在日外国人 第三版 -法の壁、心の溝』(田中宏 岩波新書1429)から引用します。
まずは1949年8月末から9月初旬に書かれたと推定される、吉田茂首相によるマッカーサー宛ての手紙です。 朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは、総数100万人に近く、その約半数は不法入国であります。私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。その理由は、次の通りであります。1960年10月、日本に国民年金制度が実施された時、在日韓国人の金鉉鈞(キムヒョンジョ)さんは、荒川区役所の国民年金勧奨員から加入を勧められました。「韓国人だから」と断ったのですが、説得されて加入しました。支給される歳となった1976年に、妻の李奉花(イボンファ)さんが請求手続きをとろうとすると、「韓国籍だから資格なし」と断られてしまいます。そして今まで納めた保険料を返されておしまいです。李奉花さんが抗議すると、年金課係長は「他人の国に来ていて、ゴチャゴチャ言わないほうがよい」、「なぜ戦争が終わったとき、すぐ韓国へ帰らなかったのか」と言い放ったそうです。(p.163) そして朝鮮高校には、授業料無償化を実施しないと日本政府は決定しました。金明俊(キムミョンジュン)監督は、2011年6月、東京での朝鮮学校支援市民集会に、韓国からかけつけ、挨拶をされましたが、その一節です。 朝鮮高校無償化を実施しない理由が、朝鮮半島で起きた天安号沈没事件や延坪島砲撃などの政治的事件だとすれば、率直にいってあきれて笑うしかありません。また、地震〔東日本大震災〕の前後に、東京、大阪、千葉、宮城などの自治体が朝鮮学校への教育補助金を凍結した問題に至っては、なぜ、こんなに卑怯になれるのだろうか、と絶望感さえ感じました。そんな失笑と絶望を感じる理由は、これらすべてがほかでもない『子どもたち』を相手におこなわれているからです。(p.214)著者の田中宏氏はある日、「子どもの人権を守ろう…日朝首脳会議で、拉致事件問題が伝えられたことなどを契機として、朝鮮学校や在日朝鮮人などに対するいやがらせ、脅迫、暴行などの事案の発生が報じられていますが、これは人権擁護上見過せない行為です」という、法務省人権擁護局の下部機関、東京法務局などが作成したチラシを見かけました。氏は、東京法務局を訪れ、高校無償化除外や補助金カットは、「人権擁護上見過せない行為」では、と問うてみると、差別を受けた当事者ではないとして、人権侵害事件としての申し立てはできないとされました。(p.215~6) 結局、安倍晋三内閣の誕生によって、2013年2月、朝鮮高校は最終的に高校無償化から除外されて現在に及んでいます。(p.263~4) ▲
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| 2017-11-28 06:29
| 関東大震災と虐殺
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![]() 当日は仕事があるので、山ノ神とはホール近くの店で落ち合ってまず夕食をとることにしました。ホールや映画館に行く楽しみの一つは、その付近の店で美味しいものにありつけることです。渋谷アップリンクと「バイロン」のパン、ポレポレ東中野と「十番」のタンメン、オペラシティと「つな八」のてんぷら、浜離宮朝日ホールと「磯野屋」の寿司、新国立劇場と「はげ天」のてんぷら、東京文化会館と「池之端藪」の蕎麦、東京芸術劇場と「鼎泰豊」の小籠包、津田ホールと「ユーハイム」の洋食、岩波ホールと「揚子江菜館」の上海式肉焼そば・「スヰート・ポーズ」の餃子、新宿と「中村屋」などなど。 さてサントリーホールの近くで食べるとしたら、どんな店があるのか。インターネットで調べてみると、アーク森ビルの中に「宇和島鯛めし 丸水」というお店を見つけました。鯛めしか、以前に宇和島で食べたことがありますが、鯛の刺身と生卵をだし汁に入れ、ぐちゃぐちゃかき回してご飯にかけるという豪快な料理です。なかなか美味しかった記憶があるので、この店に決定。午後六時に店の中で待ち合わせることにしました。 ところが好事魔多し、改装中のため閉店中です。無念。仕方がないので同ビル内にある「水内庵(みのちあん)」という蕎麦屋で、私はカツカレー、山ノ神はおかめうどんをいただきました。それにしても蕎麦屋のカツカレーってどうして美味しいのでしょうか。すったもんだがありましたが、午後七時少し前に、席に着くことができました。わくわく。 そしてキャスリーン・バトルと伴奏のジョエル・マーティンが舞台に登場。1948年生まれですから、齢69歳。しかしとてもそうは見えない若々しさ、さらには圧倒的な存在感と大輪の華のようなオーラには目を瞠りました。 プログラムは、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」、シューベルトの「あらゆる姿をとる恋人」「夜と夢」「ます」「糸を紡ぐグレートヒェン」、メンデルスゾーンの「新しい恋」「歌の翼に」、ラフマニノフの「夜の静けさに」「春の奔流」、リストの「ローレライ」、オブラドルスの「いちばん細い髪の毛で」、トゥリーナの「あなたの青い目」、G.&I.ガーシュウィンの「サマータイム」「バイ・シュトラウス」、R.ロジャース&O.ハマースタインIIの「私のお気に入り」、そして黒人霊歌から「ハッシュ」「私の小さなともし火」「天国という都」「馬車よやさしく」です。 それにしても、何と美しい声であることよ。艶やかで、なめらかで、張りがあって…いや言葉では表現できません。お年のせいか、最弱音を保つのに少々苦労されているようですが、致し方ないですね。選曲も、歌曲あり、スタンダード・ナンバーあり、黒人霊歌ありとバラエティに富み、楽しむことができました。 伴奏のジョエル・マーティンもいいですね。ラフマニノフの超絶技巧の伴奏を難なく弾きこなし、ジャズ風の即興演奏も披露してくれました。圧巻はアンコール、なんと黒人霊歌を中心に九曲も歌ってくれました。もちろんサービス精神もあるのでしょうが、それ以上に歌うことが好きで好きでしょうがないという気持をひしひしと感じます。山田耕筰作曲、北原白秋作詞の「この道」も歌ってくれましたが、しみじみとした良い曲ですね。客席から唱和する歌声も聴こえてきました。 人間の声の素晴らしさ、凄さをあらためて思い知ることができた、至福の一夜でした。 ▲
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| 2017-11-27 14:26
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こうして国家権力が主導し、それに民衆が便乗し、「関東大虐殺」の実態を矮小化し、その責任を免れたのでした。その後も、そして現在に至るまで、日本政府はその責任を隠蔽し続け、朝鮮人・中国人虐殺事件についての日本政府による公的な調査、謝罪と補償はまだなされていません。
1925年に、警視庁編・刊『大正震災誌』と神奈川県警察部編・刊『大正大震火災誌』が発行されましたが、流言流布の責任を民衆のみに押し付けあります。敗戦後(!)の1949年に発行された『関東大震災の治安回顧』(吉河光貞 法務府特別審査局)においてすらも、官憲の責任を全く隠蔽してあります。(④p.91) 軍隊が虐殺に直接かかわったことを示す決定的な史料(「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」)を東京都史料館所蔵の『陸軍震災資料』の中から発見し、『関東大震災政府陸海軍関係史料』(日本経済評論社 1997年)におさめた松尾章一氏によると、その直後からこの史料は一般閲覧できなくなったそうです。(⑦p.5) いやはや、その卑劣さ・下劣さの深淵は測り難いものがあります。 しかし研究者・弁護士・市民による真相解明の努力が粘り強く続けられていることは、忘れないようにしましょう。例えば、2003年8月25日、日本弁護士連合会は、在日朝鮮人文戊仙さんの人権救済申し立てに応えて同会の人権委員会が作成した「関東大震災救済申立事件調査報告書」を添えて、朝鮮人・中国人被害者とその遺族に対する謝罪、および事件の真相調査の勧告書を小泉純一郎首相に提出しました。しかし小泉首相の応答は全くなかったとのことです。もちろん今でも。 そして朝鮮人に対する差別・蔑視・敵視意識は、払拭されることはありませんでした。その例は枚挙に暇がないのですが、いくつか紹介します。『昭和時代』(岩波新書275)の中で、文芸評論家の中島健蔵氏は次のように回想されています。 その年(※1925年)の十月十五日に、小樽高等商業学校の軍事教官が野外演習の想定として大体つぎのような情況を学生たちに与えた。第一に「大地震があって、札幌や小樽が大損害を受けた、」というのはいいとしても、第二項は「無政府主義団は不逞鮮人を煽動し、この時期において札幌および小樽公園において画策しつつあるを知れる小樽在郷軍人団は、たちまち奮起してこれと格闘の後、東方に撃退したるが、…云々」というのである。しかも反抗が強いので、小樽高商の生徒隊に応急準備令が下って、「敵を絶滅」するために出動する、という情況が与えられたのである。永井荷風は、『断腸亭日乗』に、朝鮮人差別の様相を記録しています。(③p.64) 昏黒三番丁に往かむとて谷町通にて電車の来るのを待つ。悪戯盛りの子供二三十人ばかり群れ集り、鬼婆~鬼婆~と叫ぶが中には棒ちぎれを持ちたる悪太郎もあり、何事やと様子を見るに頭髪雪の如く腰曲りたる朝鮮人の老婆、人家の戸口に立ち飴を売りて銭を乞ふを悪童ら押取巻棒にて叩きて叫び合へるなり、余は日頃日本の小童の暴虐なるを憎むこと甚し、この寒き夜に遠国よりさまよひ来れる老婆のさま余りに哀れに見えたれば半圓の銀貨一片を与えて立ち去りぬ。(1930.1.8)アジア・太平洋戦争時、アメリカ軍による本土空襲が開始される前に、内務省はその混乱の中で、関東大震災の惨劇がくりかえされるのではないかと懸念しています。 「殊に注意を要する傾向は段々空襲の危険性が増大するに連れまして、内鮮人双方共に関東大震災の際に於けるが如き事態を想起しまして善良なる朝鮮人迄内地人の為に危険視せられて迫害を加へられるのではないかとの杞憂を抱き又内地人の方面にありましては空襲等の混乱時にありまして朝鮮人が強窃盗或は婦女子に対し暴行等を加へるのではないかとの危惧の念を抱き双方に可成り不安の空気を醸成し果ては流言飛語となり其れは亦疑心暗鬼を生むという傾向のある事実であります。現に内地人の方面にありましては非常事態発生の場合の自衛処置として日本刀を用意し或は朝鮮人に対する警察取締の強化を要請する向があり就中一部事業主等にありましては杞憂の余り之が取締を警察の手より軍隊に移して貰い度いと公然と要望するに至って居る者もある様な状況であります。一方朝鮮人の側にありましては再び斯かる迫害を受くるに非ずやとの危惧の念より警察に保護を陳情する者がある様な状況にありますので一旦非常事態発生の際には細心の注意を万全の処置を講じて置くことがなければ不祥事件の惹起する危険性が充分にあるのであります」(警察部長会議に於ける保安課長説明要旨[1944.1.14]、内務省警保局保安課[治安状況に就て] 『集成』第五巻、p.15~7) (③p.66) ▲
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| 2017-11-25 06:30
| 関東大震災と虐殺
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![]() それではなぜ彼がこの事件を歌にしたのか。「ハフポスト日本版」の中で、彼がその思いを語っているので紹介します。きっかけは『九月、東京の路上で』(加藤直樹 ころから)を読んだことだそうです。 「僕は1980年代に10年ほど烏山に住んでいて、このあたりもよく通っていながら、事件のことを知らなかったんですよ。それから烏山神社のことも。だから加藤さんの本を読んだときはショックでね。すぐに歌を作って現場を訪れました」そして関東大震災の虐殺について、歴代都知事が行って来た朝鮮人犠牲者の追悼式に対する追悼文を、小池百合子都知事は約6000人という犠牲者の数に疑義を呈して今回は見送ると表明しました。 「ああいう歴史修正が恐ろしい。小池知事は東京大空襲や広島、長崎の被害の数字にはこだわりは見せていないじゃないですか。それでいて関東大震災の虐殺については数字から事実ではないのではないかという言いがかり。仮にその数字に信憑性がなかったとしても、例え犠牲者の数が少なかったとしても、デマがあって自分たちと違う人々がそれを理由に殺されたという悲惨な出来事自体はあったわけです」うーむ、これはぜひ聴いてみたい。インターネットで調べて、対レイシスト行動集団(Counter-Racist Action Collective、略称C.R.A.C.[クラック])の通信販売サイトで購入しました。この事件をひとつの物語として、生ギター一本で歌い上げた17分49秒の力作です。いや歌というよりは、語り、そして叫びですね。まず軽快なギターの伴奏とともに事件の概要が語られ、最後の短いフレーズが歌となります。やがてこの椎ノ木が、犠牲者を悼むためではなく、加害者を労うために植樹されたことに話が至ると、俄然、中川氏の言葉に熱と力がこもってきます。そしてヘイト・スピーチなど、未だに朝鮮人への差別意識が払拭されていない現状を語るとともに、氏の言葉は怒りのかたまりとなって爆発します。 変わらないこの国 変わらないこの国の人たちひさしぶりに聞くことができた、素晴らしいメッセージ・ソングです。強烈な差別意識、とそれに対する無関心や傍観、私たちの心に潜む暗部を怒りとともに抉りだす中川氏の志にいたく共感しました。そう、理不尽で没義道なものに対して、きちんと怒ること。『怒れ!憤れ!』(日経BP)の中で、ステファン・エセル氏もこう述べられています。 いちばんよくないのは、無関心だ。「どうせ自分には何もできない。自分の手には負えない」という態度だ。そのような姿勢でいたら、人間を人間たらしめている大切なものを失う。その一つが怒りであり、怒りの対象に自ら挑む意志である。(p.45)人間を人間たらしめている大切なもの、怒りを呼び起こしてくれる一枚。お薦めです。 本日の一枚は、先日撮影してきた烏山神社の椎ノ木です。 ![]() ▲
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| 2017-11-24 06:36
| 音楽
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10月10日、亀戸事件が初めて公表されましたが、軍隊の行為は戒厳令下の行動として当然のこととされました。自由法曹団の布施辰治、山崎今朝弥両弁護士らは事件の真相を追及して司法権の発動を要求し、南葛労働会や総同盟は糾弾運動を行い、小牧近江、金子洋文らの種蒔き社は、自由法曹団が作成した資料に基づいて殉難記『種蒔き雑記』を発行したが、いずれも黙殺されました。(スーパーニッポニカ[小学館])
10月初旬から11月下旬にかけて、「在日本関東地方罹災同胞慰問班」が虐殺された朝鮮人犠牲者の調査を行ないました。調査目的を表に出すと警視庁が許可しないので、罹災同胞慰問を名目にしたのですね。しかし日本治安当局の朝鮮人死体隠蔽政策のために調査は困難を極めました。調査に携わった韓目見相氏は、戦後にこう証言されています。 いかに調査団が綿密に調査したことだったが、震災から既に二箇月を経過していたし、「鮮人騒ぎ」が全く事実無根のデマ(官製の)ために起きた日本の失態であることが明白となり出したので、不幸失脚の同胞の死体を隠ぺいして証拠いん滅を(官の指令で)してしまったことがあるので、なかなかその実数は正確を期することが、できるものではなかった。(④p.86)その調査結果によると、朝鮮人犠牲者の数は6,661人でした。(①p.288~9) 参考までに、司法省調査書では233人、内務省警保局の調査では231人となっています。(①p.230) 10月20日、司法省が朝鮮人の犯罪を発表しました。それに先立ち、『国民新聞』(1923.10.1)でその趣旨をこう説明しています。 一般鮮人は概して純良であると認められるが、一部不逞の輩があって幾多の犯罪を敢行し、その事実が喧伝せらるゝに至った結果、(中略)往々にして無辜の鮮人、内地人を不逞鮮人と誤って自衛の意味を以て危害を加える事犯が生じた。ブラーボ。ここまで卑劣で人を愚弄する作文にはなかなかお目にかかれません。眼福眼福。朝鮮人による暴動・放火は事実あった、よって官憲の流布した情報は流言ではなく責任を問う必要はない。自衛のための殺人だったのだから、軍隊・警察・自警団による虐殺の責任を問う必要もない。内地人(日本人)も殺されたのだから、朝鮮人への差別意識によるものではない。そういうわけですね。 つまり朝鮮人による凶悪な犯罪があったと証明すれば、国家権力・民衆の責任は免れることができます。それでは司法省の発表を見てみましょう。まず強盗・放火・強姦・殺人・毒殺予備などの罪を犯した朝鮮人は約120名で、ほとんどの氏名は不明。氏名がわかっている者4名は、所在不明あるいは逃亡あるいは死亡。強盗、爆発物取締罰則違反などによる容疑者は3名で、取調べ・予審・公判の最中。もちろん判決は確定していないので犯罪者ではありません。窃盗・横領などの容疑者は16名ですべて氏名はわかっていますが、これは軽犯罪です。 よってここに発表された朝鮮人の「犯罪」は架空のもので、国家や民衆の責任を隠蔽するために捏造したものと言わざるを得ません。(④p.82~4) 11月7日。中国政府による、王希天および中国人虐殺を調査する特別委員派遣の決定を受けて、山本権兵衛内閣はこの事件を徹底的に隠蔽する方針を決めました。(⑩p.169~73) 12月26日、帝国議会衆議院本会議で議員永井柳太郎は、内務省警保局長や埼玉県内務部長などの官憲が朝鮮人が暴動を起こしたという流言を発した証拠を挙げて朝鮮人虐殺の国家責任を追及し、政府は遺憾の意を表する意思はないのかと詰問しました。すると山本権兵衛首相は、「政府は起こりました事柄に就いて目下取調べ進行中でござります」と発言して、謝罪を回避しました。 ▲
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| 2017-11-23 09:38
| 関東大震災と虐殺
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内堀に沿って走り大手門橋を渡って自転車を置き、ゆるやかな坂道をのぼっていくと、廊下橋(非常時には落とし橋)と天秤櫓が見えてきました。
![]() 解説板を転記します。 この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれているもので、ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれた。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つといわれている。嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ西半分は落とし積みになっている。廊下橋を渡って天秤櫓を抜け、ふたたびゆるやかな坂道をのぼっていくと、時報鐘がありました。鐘の音が城下にとどくようこちらに移設したそうです。その先にあるのが、本丸の表口を固める太鼓門櫓です。 ![]() ここをくぐり抜けると、彦根城天守に到着です。江戸時代初期、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城で、譜代大名・井伊氏14代の居城。現存十二天守のひとつでもあります。高校の修学旅行で訪れて以来の再会です。 まずは外観をじっくりと拝見。リズミカルに並ぶ千鳥破風とアクセントとなる唐破風、花頭窓に高欄付きの廻縁、城らしからぬ瀟洒な意匠です。それでは中に入りましょう。装飾のない武骨な空間ですが、戦国時代の息吹を感じます。博物館・資料館のように展示で埋め尽くされる天守もあるのですが、この方が往時の雰囲気が感じられて好感が持てます。 ![]() 急な階段をのぼって最上階へ行くと、琵琶湖や彦根市街を一望できました。 ![]() 本日の一枚です。 ![]() ▲
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| 2017-11-22 06:20
| 近畿
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よって裁判も杜撰かつ醜悪な様相を呈しました。例えば、当時の船橋警察の警官だった渡辺良雄氏は、裁判について次のように記しています。
九月二十日頃から、自警団、その他の殺人犯人の検挙が開始された。私達は、重大問題が起ると心配しながら、浦安町や行徳町方面に早朝出張して、犯人多数を連行してきた。その時、船橋町の稲荷屋という料理屋に、千葉から裁判官と検事や書記が来て、二階に陣取っていた。彼等は、連行して来た犯人を次々と呼び出し、検事から最初は「君は執行猶予にする」と予言して、取調べを始めた。すると犯人は、素直に犯行を認める。そこで隣りに控えている判事の手に渡すと、判事は、「お前は二人殺したか。それでは懲役二年、執行猶予三年に処する。わかったか。」 「控訴するか」 判事が犯人に尋ね、「控訴しません」と答えが返ると「それでは帰って宜しい」というような処置が行われたので、私達はこれを一日裁判と呼んだ」(①p.257)元本庄署巡査・新井賢次郎氏の証言です。 裁判もいいかげんだった、殺人罪でなくて騒擾罪ということだった。刑を受けたのは何人もいたがほとんど執行猶予で、つとめたのは三、四人だったと思う。私も証人として呼ばれたが検事は虐殺の様子などつとめてさけていたようで最初から最後まで事件に立合っていた私に何も聞かなかった。そして安藤刑事課長など私に本当のことを言うなと差し止め、実際は鮮人半分、内地人半分だったと証言しろ、それ以上の本当のことは絶対に言うなと私に強要した。私も言われた通り証言した。(①p.255)こうした裁判の名に値しない裁判の結果はどうであったのか。1923年10月1日より翌年2月末日までの『法律新聞』を調査した研究者・松尾尊允氏によると、12件、125名の被告のうち無罪2名、執行猶予91名、実刑32名、そのうち最高刑は4年(2名)でした。そして、警察を襲撃して朝鮮人を虐殺した被告や、日本人を虐殺した被告に比べて、朝鮮人を虐殺した被告が執行猶予となるケースが多くありました。その上、これらの実刑被告の多くは翌年1月26日、皇太子の結婚の際の恩赦を受けて、実質収監は三ヵ月余にすぎませんでした。そればかりか、事件の余燼の収まった1926年にはこの立役者たちの功績に叙勲が行なわれ、恩賞が与えられました。(①p.257、④p.85) なお姜徳相氏の以下の指摘はとても重要だと思いますので、引用します。 各地で裁判を受けた人たちの職業別統計を検討すると、鳶職、桶屋、馭者、土工、職工、大工、製管工、日雇など、ほとんどがいわゆる「下層細民」に属する人びとであることがわかる。 ▲
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| 2017-11-21 06:34
| 関東大震災と虐殺
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それでは滋賀大学へと向かいましょう。途中にあったのがスミス記念堂(旧須美壽記念禮拜堂)。解説板によると、彦根の風土と人々をこよなく愛した米国人牧師で、彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)の英語教師でもあったパーシー・アルメリン・スミスが、1931(昭和6)年に私財を投じて建てた礼拝堂です。扉・唐破風・千鳥破風を飾るブドウや十字架の彫り物も見事な和風教会堂です。
![]() そして滋賀大学経済学部講堂(旧彦根高等商業学校講堂)に到着。屋根にちょこんと乗っかった小さな塔がキュートな建築です。解説板から引用します。 建物は、大正時代における旧専門学校の講堂の典型的な建築様式として代表的なもので、屋根上にドーム型の換気塔や、ドーマー窓型換気口を六ヶ所設けるなど、現存する学校建築としては数少ない貴重なものとして、往時の瀟洒な佇まいを今に見せている。 ![]() すぐ近くにあった陵水会館も素敵な建物ですが、ヴォーリズの設計でした。水平線を強調したフォルム、リズミカルに配置された様々な形・大きさの窓、アクセントとなるベランダ、洒落てますね。こちらも解説板を転記します。 この会館は、経済学部の前身である旧彦根高等商業学校の同窓会(陵水会)館として昭和13年11月に建築された。 ![]() なお近くにあった洋館も、ヴォーリズの設計によるものでした。1924(大正13)年に建てられた旧彦根高等商業学校の外国人教員住宅で、今は「ひこね市民活動センター」として利用されているそうです。珍しい意匠の透かしブロックを撮影して、それでは彦根城へと参りましょう。 ![]() ▲
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| 2017-11-19 05:56
| 近畿
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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