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関東大震災と虐殺 57

 こうした激甚な格差社会の原因と仕組みをきちんと考えて、「分配」を真っ当に行えば、ある程度は解決できたことと思います。しかし残念ながら民衆は、それに気づき、改革・改変することができませんでした。学力や批判精神を民衆につけさせない教育制度を整えた強者・富者側の勝利とも言えますが。そして民衆は、貧困に苦しみ、不安・不満・ストレス・無能力感を抱え込むことになります。官僚・軍人・財界からすれば、その刃がいつ自分たちに向けられるかわからないのですから、これは放置できません。貧富の格差を再生産するこのシステムを変えずに、民衆の苦しみやストレスを発散させ、真の原因から目を逸らさせるのはどうすればよいのか。あるいは、こうした悲惨な現実を忘れるために民衆は何をしたのか。

 まず集団への埋没です。民族や国家など大きくて強い集団に、自己を埋没させることですね。一人称単数の主語は消え、「日本」「日本人」と主語が大きくなり、自分も強く偉くなったような気がします。そして集団への同調圧力が高まり、これを拒否する者を「異分子」として排除・抑圧していく。日本には集団を象徴する恰好の素材がもうできあがっていました。そう、天皇です。天皇が象徴する「日本的なるもの」によって結ばれた同質社会の居心地良さに安住する、あるいは「万世一系」の天皇を敬愛することによって日本民族の一員としての矜持を感じる。そして国家=民族と一体化してその威信を高めることに身も心も捧げ、無能力感を相殺して全能感を得る。ジョージ・オーウェルに言わせると"個人がより大きな権力単位に帰一し、すべてを威信の競争という観点から眺める近代の狂気じみた習慣"です。こうして、格差社会によってもたらされた貧苦を束の間忘れることができるというわけです。

 なお見逃せないのが、個人が埋没するのが、国家という大きな集団だけでなく中間集団でもあるというおとです。個人と国家の間に位置する村・町・会社・軍隊・学校といった集団です。そこに帰属することによってプチ全能感を得ることと引き換えに、その集団に人格的に隷従しなくてはならないということですね。そこでは、集団内の秩序を乱す個人に対して、非法な制裁を実効的に加えることができ、国家から強い自律性を有しています。民衆は国家・中間集団という二つの集団に帰属することによって安心感と全能感を得、その見返りに人格的隷従を強いられたのだと思います。自我を沈黙させ、二つの集団の意向と空気に従っていれば、極めて居心地の良い世界だったことでしょう。でも森達也氏が言われたように(『DAYS JAPAN』16.3 p.50)、主語が大きくて強くなると、述語も「殲滅せよ」「成敗してやる」など強くて勇ましくなります。こうして不安やストレスなどを解消するために埋没した集団に、自衛という正義や大義が潤滑油として注入されるとその暴走が始まります。その際に、個人で止めることは不可能でしょう。例えば、朝鮮人虐殺の場にいた自警団員が「やめなさい」と制止したらどうなるか。また仲間と一緒に暴力をふるうことによって、集団との一体感をより強く感じようとする面もあったと思います。「みんなで悪いことをして仲良くなる」というメンタリティですね。
by sabasaba13 | 2017-12-31 07:16 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

『永遠のジャンゴ』

c0051620_20441571.jpg 坂本龍一を追いかけた映画『CODA』を「角川シネマ有楽町」で見たときに、『永遠のジャンゴ』という映画のチラシを見かけました。ジャンゴ? ギタリストの写真が載っているので、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトのことですね。その高名はよく耳にしますが、彼のことについてはよく知りません。ジャズ創成期にフランスで活躍したジャズマン、ジャズ・ギター奏法を確立したヴィトルオーソ。CDも一枚しか持っていません。チラシを読んでわかったのですが、彼はロマ(ジプシー)なのですね。そして火傷のため三本の指が使えないにもかかわらず、人差し指と中指だけでフレットを押さえて素晴らしい演奏をしたことも初めて知りました。
 そのジャンゴと、フランスを占領したナチス・ドイツとの関わりを描いた映画だそうです。そう、ナチスはユダヤ人だけではなく、ロマや同性愛者への苛烈な弾圧を行なったのですね。歴史学徒、そしてジャズ・ファンとしては見逃せません。さっそく山ノ神を誘って、新宿の武蔵野館へ見に行きました。監督はエチエンヌ・コマール、舞台は1943年、ナチス・ドイツ占領下のフランスです。森の中で音楽に興じていたロマたちをナチスが無慈悲に殺害する冒頭のシーンが、この映画のテーマを暗示しています。場面は変わってパリのミュージックホール、白熱の演奏で聴衆を熱狂させるジャンゴ・ラインハルト。しかし愛人ルイーズから、ナチスがロマを迫害しているという情報をもらい、彼はスイスへ亡命する決意をします。老母と身重の妻を連れてレマン湖畔の町へたどり着きますが、警戒が厳しく亡命のチャンスはなかなかやってきません。付近にいたロマたちとのつかの間のふれあいに心和ませますが、警察から公道の往来とキャンプを禁じる通達が出されるなど、迫害は激しさを増していきます。ジャンゴは食いぶちを稼ぐために素性を隠して地元のバーで演奏を始めますが、取締りにあいドイツ軍司令部に連行されてしまいます。そして近々催されるナチス官僚が集う晩餐会での演奏を命じられました。逡巡するジャンゴですが、レジスタンスの闘士から、ぜひ演奏してほしいと依頼されます。ドイツ軍の目を逸らして、負傷したイギリス人兵士を密かにスイスへ逃がすためです。ある決意をもって晩餐会に臨むジャンゴ。その結末は? そしてジャンゴはスイスへ逃げられるのか?

 いやあ面白い映画でした。まずジャズを演奏するシーンの素晴らしさ。ジャンゴの演奏を忠実にコピーしたローゼンバーグ・トリオの音楽も見事でしたが、何といっても主演のレダ・カテブが二本の指だけでフレットを押さえるジャンゴの奏法を完璧に再現していました。スイングしなけりゃ意味ないね(It Don't Mean A Thing)、と言わんばかりのノリノリの演奏シーンには身も心も(Body and Soul)陶酔しました。
 そしてロマの日々の暮らしや、彼ら/彼女らに対する人種主義的な偏見や侮蔑、そして差別と迫害も丹念に描かれています。印象に残ったのは、フランス警察による取調べのシーンです。まるで動物を扱うようにジャンゴの頭蓋骨の寸法を測定した取調官は、彼の動かない指を見て「指の障害は近親相姦による」と言い切ります。そういえば、白人至上主義のレイシスト、アルテュール・ド・ゴビノーはフランス人でしたね。ドレフュス事件もフランスだったし、そういう土壌があるのかもしれません。
 一番心に残ったのは、何といってもナチス官僚が集う晩餐会でジャンゴが演奏するシーンです。主宰者から「ブルースは弾くな、シンコペーションは使うな」と上品で当たりさわりのない演奏を強要されたジャンゴですが、その直前に足首に鈴を結びつけます。マーラーの交響曲第4番の冒頭で鈴が鳴り響きますが、指揮者の金聖響氏が『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)の中でこう言っておられました。
 …この鈴の音を、ポスト・モダンの哲学者でマーラー研究の音楽学者でもあるテオドール・アドルノは、「道化の鈴」と呼びました。「道化の鈴」とは道化師の帽子にいくつかぶら下がっている鈴のことで、これが冒頭に鳴らされるのは、「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」と、物語が始まるときの口上が述べられていることになります。(p.118~9)
 そうか、"道化の鈴"か。彼は「これから君たちが聴くものは、すべて本当のことではないのだよ」という思いを鈴に託したのかもしれません。単調で平板でお上品な気のない演奏をするジャンゴ、しかし演奏が進むにつれ「キング・オブ・スイング」の血が沸き立ち、スインギーなギターで聴衆を揺さぶっていきます。冷血そうなナチス将校の足が自然と揺れているのには思わず緩頬しました。
 そして興味深かったのは、フランスの官憲が、ナチス・ドイツに非常に協力的であったと描かれていることです。いくら占領下にあったとはいえ、あるいは傀儡政権(ヴィシー政権)のもとにあったとはいえ、心なしか自発的に協力したように見えます。これについては、『「戦後80年」はあるのか』(集英社新書)の中で、内田樹氏がこう述べられています。長文ですが引用します。
 歴史的事実をおさらいすると、1939年9月のドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスは翌1940年5月にはマジノ線を破られ、6月には独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直轄統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンを掲げた対独協力政府ができます。
 フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人迫害を行いました。フランス国内で捕えられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツやダッハウへ送られました。
 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。1944年6月に連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くにいた人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指しされて殺された。真実はわからない。(p.37~8)

 先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは1950年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面したとき、暴力的な弾圧を以て応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由、平等、友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。
 もしフランスで、終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、50年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。
 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力はすべて「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民は、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。(p.48~9)
 しかしこの映画はフランスで製作されたもの、自らの恥部を直視しようとする意図があるように思えます。「ヴィシーの否認」から脱け出そうという動きの一環なのかもしれません。こうした歴史の闇を白日のもとに晒すのも、映画の重要な役割ですね。『明治維新150年を考える』(集英社新書)の中で、行定勲氏がこう語られています。
 映画は闇に光を当てて、そこに何が映っているか、それを観るものです。一番重要なのは闇であって、そこに手を突っ込んで切り開いていかないといけない。(p.144)
 日本も「従軍慰安婦の否認」「南京大虐殺の否認」から脱け出さなければなりませんね。

 余談その一。ジャズ・ピアニストのジョン・ルイスが、オマージュとして「ジャンゴ」という曲をつくりました。MJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)の『ヨーロピアン・コンサート』で愛聴しています。
 余談その二。『マスター・キートン』(浦沢直樹・画 勝鹿北星・作 小学館)第5巻におさめられている「ハーメルンから来た男」「ハノーファーに来た男」「オルミュッツから来た男」が、ロマに対するナチスの迫害をテーマにしています。
by sabasaba13 | 2017-12-30 07:51 | 映画 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 56

 それでは、近現代日本の制度・社会構造・価値観にはらまれる大きな歪みと亀裂について、考えてみましょう。

 まず近代化の推進のために必要なのが、中央集権体制と強大な国家権力でした。近代日本を指導した選良たちは、生き馬の目を抜く国際社会で生き残るために、出来るだけ早く、かつ効率的に近代化を推進しなければならないと考えました。よって話し合いや熟慮、民主化などは問題外で、官僚を中心とする選良が専制的な権力をふるって、自然・人間など全ての国内資源を近代化のために計画的に組織し動員する。しかし、所詮同じ人間にすぎない官僚たちが目指すものを民衆は有難がりません。制度や決定の合理性をいくら説明しても、そんな理屈を理解する能力は民衆にはありません。彼らの決定を民衆に受容させるには、それに有難いオーラを与える存在が必要であり、それこそが天皇だというわけですね。機能的なエリートである官僚たちが実質的に政策を決定しますが、民衆は高貴で威厳のある天皇に導かれていると信じる。
 こうして、機能的エリート(官僚)が、民衆操作のためのシンボル価値として天皇制を創造したのだと考えます。天皇を最高価値として設定し、それに近接する官僚・軍人が「藩屏」として権力をふるう。やがて、自分の意思は天皇の意思であり、自分に刃向かう者は天皇に反逆する者である、という意識や行動が国家機構に根づいていきました。官僚・軍人、それに連なる政治家や資本家が、無謬にして至高な現人神=天皇を戴いて民衆を支配するシステムですね。いわゆる"国体"です。その目的は、近代化の強行と、この支配関係の維持・強化です。何ものにも縛られず、思う存分に権力をふるえるこのシステムからは、責任感も、遵法精神も、公僕意識も生まれてこないでしょう。
 そして国家権力は、近代化の強行と支配関係の維持・強化の障害となるもの、個人主義・自由主義・民主主義・議会主義・マルクス主義などは、陰に陽に、場合によっては暴力的に圧殺していきます。

 そして飽くなき利潤追求と経済成長のために、官僚と政商たちは産業の振興と資本の蓄積を強行し、民衆はその犠牲として供されることになります。高額小作料を搾取される小作農民、低賃金・長時間労働と過酷な労働条件に呻吟する労働者などですね。そうした貧困は「奢侈怠惰」「優勝劣敗」など自己責任によるものであって、救済する必要はないとして切り捨てられていきました。つまり経済的敗者は全人格的な敗者として貶められていきます。1%の富者が99%の貧者を犠牲にして富を貪り、そのシステムを天皇の名の下に官僚・軍人・財界が死守する、これも「国体」です。
by sabasaba13 | 2017-12-29 07:14 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

野ばらに寄す

 寒さが厳しくなってきました。いよいよ冬将軍の到来ですね、みなさまご自愛を。でも、暖かい部屋で、ホット・ウィスキーを飲みながらジャズを聴く喜びを思うと、冬も捨てたものではありません。福島や沖縄の人びとの思いを踏みにじり暴走する安倍内閣とそれを容認・黙認する人の多さ、動き出した超巨大活断層「中央構造線」と川内・伊方原発事故の危険性、エルサレムを首都と認めたトランプ大統領とテロリズム猖獗の予感、最悪の人道的危機にあるイエメン情勢など、心胆が寒くなるご時世ですが、せめてハート・ウォームなジャズを聴いて心の平衡を保ちたいものです。
 まわりにいる全ての人に親切にしたくなる曲、一押しは以前にも拙ブログで紹介した、ジョン・コルトレーン(ts)とデューク・エリントン(p)による「イン・ア・センチメンタル・ムード」。同じくコルトレーンによる「コートにスミレを(VIOLETS FOR YOUR FURS)」もいいですね。ソニー・ロリンズのアルバム「THE CUTTING EDGE」に収められている「野ばらに寄す(TO A WILD ROSE)」も素晴らしい。気が優しくて力持ちのお父さんが歌ってくれる子守唄のような、慈愛と滋味にあふれた演奏です。剛毅朴訥な即興演奏も聴きごたえがありますが、何といっても原曲が美しい。シンプルなメロディ・ラインとコード進行なのですが、心身にこびりついた塵や埃を洗い流してくれるような清楚で可憐な曲です。さすがはロリンズ、良い曲を書くなあ、とずっと思いこんでいたのですが…
この前の日曜日、NHK-FMの「きらクラ!」を聴いていたら、エドワード・マクダウェルというアメリカの作曲家の特集をしていました。過呼吸のような笑い声が魅力的な遠藤真理氏が「次は"野ばらに寄す"です」と曲目を紹介。

 えっ

 作業を中断してラジオから流れるピアノに耳を傾けると…まごうことなく、ロリンズが演奏していた曲です。そうか、マクダウェルという方がつくった曲だったのか。さっそくウィキペディアで調べてみました。1860年にニューヨークで生まれ、フランスとドイツで音楽を学び、帰国後はコロンビア大学で教鞭をとりました。しかし1902年に辻馬車に撥ねられ、その後遺症によって教壇に復帰することができなくなります。そして1908年に全身麻痺により急死、ニューハンプシャー州の避暑地ピーターバラに所有する山荘に埋葬されました。晩年のマクダウェルは、この別荘を、文筆家や作曲家のために芸術家村として開放するプランを練っており、その遺志はマリアン未亡人の尽力によりマクダウェル・コロニーとして実現されたそうです。
 これはぜひ他の曲も聴いてみたいものです。さっそくインターネットで調べたところ、彼のピアノ作品集は売られておりません。アマゾンでやっと一枚見つかりました。ピアニストはJames Barbagallo、収められている曲は「野ばらに寄す」をふくむ「森のスケッチ」、「海の小品集」、「炉辺のおとぎ話」、「ニューイングランド牧歌集」です。
 どの曲も大言壮語するでもなく、心のひだひだにじんわりと沁みとおってくるように語りかける佳曲です。ほんのちょっとスパイスがきいた親しみやすいメロディと和音が心身の凝りをほぐしてくれるので、最近は帰宅すると真っ先に聴くようになりました。まだまだこうした未知の作曲家に出逢えるかと思うと、生きているのもわるくないなと感じます。この二枚、お薦めです。
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 後日談です。小田実の『何でも見てやろう』(角川文庫)をひさしぶりに読み返していると、次の一文がありました。
 一年が経ち、ハーバードの留学期間も終りに近づくころ、それが終りになるということはアメリカ政府が月々くれるお手当のほうも終りになるということなので、どこかひと月かふた月、タダでメシを食わせてくれるところはないかしらと冗談口をたたいたら、「それでは、小田さん、『芸術家村(アーティスト・コロニー)』へ行きなさいとヒベット先生が知恵を授けてくれた。
 そこでは、最高三ヵ月ぐらいのわりで、作家、作曲家、エカキのたぐいにタダで暮らさせてくれるのだという。そんなふしぎでありがたいところが、金持国アメリカには数ヶ所あるのだった。耳よりな話ではないか。二つを選んで、さっそく応募することにした。
 むかし書いた小説のいいかげんな一節を英訳してタイプを叩き、ヒベット先生その他の推薦状をくっつけて出したら、首尾よく二つともO・Kがきた。二つとも出かけるとなると、タダで半年暮らせることになる。しかし、世の中のことはそううまくゆかない。極度に学業成績不良だったせいなのか、それとも他の理由によるのか、とにかくヒベット先生に言わせると「小田さんは不良外人ですからね」ということで、私は九月末日限りでアメリカ国を追い出されることになっていたのである。仕方がない、私は二つのうち「マクドゥエル・コロニイ」というのを選んで出かけることにした。
 むかし、マクドゥエルという作曲家がいた。彼は貧乏なのでコロンビア大学の先生になって生活費をかせいでいたが、そちらに追われて作曲に専念できず、貴重な才能をあたら棒にふってしまった。彼の死後、彼の奥さんはこういう「悲劇」を二度と芸術家に味わわせたくないというわけで、いろいろな手段で資金をあつめ、この理想郷をつくったのである。この種の「芸術家村」の最初のものであった。美談である。
 もっとも、そこに滞在している連中がその美談に値するかどうかとなると、問題は別であろう。連中を大別すると、避暑族と私のように無料飲食宿泊めあてのタダメシ族との二つに分かれる。(p.102~3)
 マクダウェルも草葉の陰で微苦笑していることでしょう。その抱腹絶倒のタダメシ生活については本文をご覧いただくとして、小田氏が『中流の復興』(NHK出版生活人新書224)で言われているような人生観は、こうしたゆるくてあたたかい暮らしをする中でかたちづくられたのだと思います。
 人間は基本的にこの世界に競争するため生れてきたのではない。お互いの人生を満喫しながら、社会を発展させるために、そこで生きるために生れてきた。
 エドワード・マクダウェルの優しい心根が、きっとソニー・ロリンズと小田実に伝わったのでしょう。
by sabasaba13 | 2017-12-28 06:58 | 音楽 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 55

 まずは国家と民衆に瀰漫する無責任性という体質です。誤報を流布しても、軍隊や警察が朝鮮人を虐殺しても、責任を取ろうとしない国家権力。そして朝鮮人を虐殺しても、責任を取ろうとしない民衆。そして無法性。責任を免れるために、法を無視して軍・警察の虐殺を隠蔽し、「法治国家」の体面を守るため形だけ民衆を裁判にかけますが事実上免責してしまう国家権力。組織内や仲間内の不法・不正な行為を庇い、組織や仲間の雰囲気・空気に感染してしまう集団主義。そして国家も民衆も共に持つ、異民族(朝鮮人・中国人)や異分子(社会主義者・労働運動家)に対する強烈な差別意識。朝鮮人であるというだけで無辜の人間に暴行を加え、殺害までしてしまう残虐性。

 無責任性、無法性、集団主義、差別意識、残虐性。これらを育んだ制度・社会構造・価値観について考えてみたいと思います。その鍵は、日本の近代化にあると考えます。近代化以前の日本、ペリー来航(1853)による開国以前の江戸時代は、版図の拡張による経済成長という方法を採らず、停滞をそのまま経済の安定とした時代でした。侵略と戦争を避け、火薬は花火として使い、金魚とアサガオの品種改良に現を抜かしながら、停滞した経済のなかでそれなりの繁栄を実現したのが江戸時代だと考えます。
 その日本が、欧米列強がつくりあげた「近代世界」という闘技場にむりやり引きずり出されたのが"開国"です。生き馬の目を抜くこのバトル・フィールドで勝ち残る気があるのなら(なければ即植民地)、己を「近代国家」に改造せねばなりません。中央集権体制と強大な国家権力。他国・植民地・弱者を犠牲にした飽くなき利潤追求と経済成長。それと通底する人権の軽視と差別。自国を防衛し、植民地を獲得するための強力な軍事力。そして国家と自分を同一視し、国家のために粉骨砕身する「国民」の創造。そしてこの目的を達成するために、自然・人間など全ての国内資源を、官僚が中心となって計画的に組織し動員する。
 狭隘な国土と貧弱な資源・産物しかない日本にとっては、いずれも実現するのが困難な課題でした。今、厠上本として読んでいる『高橋是清自伝』(中公文庫)の中に、前田正名がつくった戯れ歌が載っていました。
われが為には苦労はせぬが
恋し日本に苦労する
タッタ一つの糸柱
それに並んで茶の柱
あぶない日本のその家に
四千万のこの民が
住いするのを知らないか。(下p.41)
 そう、輸出品は生糸と茶しかないというのが、当時の現実でした。しかし浅羽通明氏が『ナショナリズム』(ちくま新書473)の中で卓抜に評されているように、もがき苦しみながら、なりふりかまわず必死に努力し、この課題をクリアすることができました。
 体裁を繕ういとまもない試行錯誤の末、かろうじて出来上がり、なんとか成功したこのシステム…、明治国家日本。いきなり競技参加を強制され、じたばたと脂汗を流した末、まぐれ当たりで合格できたかのごとき格好悪さを隠蔽したい…。こうしたシステムでまとまるやり方に千数百年の必然があったのだと思いこむためには、我らの「国語」が「国史」が「国文学」が、万世一系の皇室が、どうしても必要だったのである。
 しかしかなり無理をした近代化であったために、制度・社会構造・価値観に大きな歪みと亀裂ができてしまったのではないか。夏目漱石が.『それから』(1909)の中で、総括的に述べているのもこのことだと思います。
 日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。かからあらゆる方向に向かって、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争する蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻るほどこき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、ただ今の事より外に、何も考えやしない。考えられないほど疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中どこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。

by sabasaba13 | 2017-12-27 07:13 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

言葉の花綵170

 「三たび許すまじ原爆を」という歌があるが、そんな歌さえくちずさめない気分なのだ。三たびも四たびもない。私はいまなお一度目を許すことができないのである。誰がなんといおうと、ぜったいにあの一度目を許せないのである。(上野英信)

 このところわたしは、「平和」という言葉を「日常」と言い換えるようにしています。平和はあまり使われすぎて、意味が消えかかっている。そこで意味をはっきりさせるために日常を使っています。「平和を守れ」というかわりに「この日常を守れ」と。(井上ひさし 『ボローニャ紀行』)

 人間が社会を支配し、経済機構を人間の幸福の目的に従属させるときにのみ、また人間が積極的に社会過程に参加するときにのみ、人間は現在かれを絶望-孤独と無力感-にかりたてているものを克服することができる。(エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』)

 今も戦争は続いていて、イラクやアフガンでは毎日死者が出ています。その死者のひとりひとりの人生や家族の悲しみについて思いをはせること、懸命に想像することが平和への力になるのではないか。(山田洋次)

 教育は、あくまで自らの魂をもった自主自律的な人間個性の開発と完成でなければならぬ。(南原繁)

 人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救はなければならない。政治による救ひなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(坂口安吾 『堕落論』)

 わたしは、幼い精神を、名誉と自由にむかって育て上げようとする教育においては、すべての暴力を非難します。厳格と強制には何かしら奴隷的なものがあります。そして、理性と知恵と技術によってなしえないものは、力によっては決してなしえないものだと言いたいのです。(モンテーニュ 『随想録』)

 教え子を再び戦場に送るな (日教組城崎大会)

 「左右の偏向を排して公正の立場をとる」といった考え方が現実にはしばしばかえって自分の偏向を隠蔽し、あるいは社会的責任を回避する口実になることを注意しなければなりません。(丸山真男)

 力が国際関係を全面的に支配するかぎり、軍事的必要に他のあらゆる利益が従属することになり、それが危機を激化させ、そして戦争そのものの全体主義的性格の前ぶれとなる。しかし、力の問題が解決され、道義がその役割を回復すると、情勢に希望が現われる。(E・H・カー 『危機の二十年』)

 自分の国はもちろん大事だけど、隣りの国も、その隣りの国も、-「おまえさんのところも大事におしなさいよ」「ええ、おたくも」っていうような感覚が、ほしいんですよ。(沢村貞子 『わたしのおせっかい談義』)
by sabasaba13 | 2017-12-26 08:23 | 言葉の花綵 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 54

 さて、今、私たちはこの事件にどう向き合えばいいのでしょう。まずこの事件の本質について整理すると、国家的犯罪と国民的犯罪という二つの面があると考えます。
 まず国家的犯罪としての側面です。これまで縷々述べてきたように、まず「朝鮮人による暴動・放火」という予断による誤報を、意図的・組織的に流布したことです。そしてその予断に基づいて戒厳令を施行したこと。これにより、社会は一気に戦争状態となり、敵=朝鮮人を殺してもよいという状況が生まれました。そして軍・警察が自ら虐殺を行なうとともに、自警団による虐殺を黙認、場合によっては教唆したこと。情報が誤りであると判明すると、国家権力の責任を隠蔽するためにさまざまな手段をとったこと。軍隊・警察による虐殺については徹底的に隠蔽し、一切の責任を取っていません。そして誤報を流布した責任を免れるために、架空の朝鮮人暴動を捏造しました。さらに虐殺された朝鮮人の遺体を徹底的に隠し、虐殺数や虐殺状況を隠蔽しました。そして虐殺の責任をすべて自警団・在郷軍人会・青年団・消防団など民衆にかぶせ、かつ民衆からの批判をかわすために極めて微温的な刑罰にしか処さなかったこと。朝鮮人を保護する過程で、民族運動家・労働運動家・社会主義者などを選別して殺害したこと。そして関東大震災に関する歴史書を編纂する際に、朝鮮人虐殺の責任を朝鮮人自身と日本人民衆に押し付け、国家の責任を歴史から抹消しようとしたことです。
 もう一つは国民的犯罪です。官憲による誤報の流布があったとはいえ、朝鮮人犠牲者の圧倒的多数は、日本の民衆によって虐殺されました。そして証拠を隠滅し、加害者を庇い、その責任を免れようとした事例も多々ありました。

 あらためて問いましょう。この目を覆い耳を塞ぎ口を閉ざしたくなるような、この凄惨かつ破廉恥な犯罪に、今の私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。アリアドネの糸になるのが、故加藤周一氏の指摘です。『夕日妄語2』(加藤周一 ちくま文庫)所収の、若者に戦争責任はあるのかという問題を考察した「春秋無義戦」の掉尾を引用します。
 問題は、いくさや犯罪を生みだしたところの制度・社会構造・価値観-もしそれを文化とよぶとすれば、いくさや犯罪と密接に係りあった文化の一面との断絶がどの程度か、ということである。文化のそういう面が今日まで連続して生きているとすれば、-今日の日本においてそれは著しいと私は考えるが、-そういう面を認識し、分析し、批判し、それに反対するかしないかは、遠い過去の問題ではなく、当人がいつ生まれたかには係りのない今日の問題である。
 過去の犯罪の現存する条件を容認して、犯罪との無関係を主張することはできない。直接の責任は、若い日本人にはない。しかし間接の責任は、どんなに若い日本人も免れることはできないだろう。彼または彼女が、かつていくさと犯罪を生みだした日本文化の一面と対決をしないかぎり、またそうすることによって再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうとしないかぎり。
 たとえば閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別-そういうことと無関係に日本帝国主義は成立したのではなかった。また過去の日本帝国主義に対する今日の日本国の態度と無関係に、自衛隊員の海外活動に対するアジア諸国民の反撥と不信感があるのではない。
 自衛隊の海外活動第一年、一九九二年の暮に私の妄想はこの国の来し方行く末に及ぶのである。(92.12.17) (p.68)
 加藤氏の指摘をもとに、私はこう考えました。朝鮮人を主な対象としつつ多発した虐殺という国家的犯罪と国民的犯罪、それを生みだした制度・社会構造・価値観とはどういうものか、認識し分析しなければならない。そしてそうした諸条件(加藤氏曰く、日本文化の一面)は、その後、何が払拭できたのか、何が現存しているのか。現存しているものがあれば、批判をし反対・対決をしなければならない。なぜか。そうした犯罪をくりかえさないためである。
 氏は、日本帝国主義が行なったさまざまないくさと犯罪を生みだした日本文化の一面を、閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別と指摘されています。これは大震災時の虐殺を分析する際にも、有効な考えだと思います。

 それでは、先学に導いてもらいながら、虐殺を生みだした日本文化の一面を追っていきましょう。
by sabasaba13 | 2017-12-25 06:29 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

『CODA』

c0051620_16122369.jpg 坂本龍一氏を追ったドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto:CODA』が上映されるという情報を得ました。それほど熱烈なリスナーではないのですが、映画『戦場のメリークリスマス』のサウンドトラックはよく聴きました。ちょうど就職して右往左往していた頃で、疲れ果てて家に帰り、缶ビールを飲みながらこの曲を聴き幾度癒されたことか。また最近では、六ケ所村核燃料再処理工場による放射能汚染に警告を発したり、反原発集会に参加してスピーチをしたりするなど、意欲的な政治行動に瞠目しています。ちょっと注目したい音楽家ですので、山ノ神を誘って「角川シネマ有楽町」に見に行くことにしました。監督はスティーブン・ノムラ・シブル氏です。

 プログラムによると、この映画をつくるきっかけについて、シブル監督はこう語っています。
 自分は東京で生まれ育ったんですが、ちょうど坂本さんがニューヨークに拠点を移した時期と同じ80年代後半に大学入学のためにニューヨークに引っ越ししたんですね。その後も、接点といえば、坂本さんがニューヨークでおこなったコンサートを見に行ったくらいだったんですけど、2012年にニューヨークの教会で開催された京都大学原子炉実験所助教(当時)の小出裕章さんの講演会に行った時、その客席に坂本さんの姿をお見かけしたんです。そこでの坂本さんの真剣なたたずまいに、自分はとても強い印象を受けたんですね。それで、坂本さんの活動全般を追った作品を作れないかと考えるようになって、共通の知人を通して、数日後にご本人にアプローチをしたんです。
 小出裕章氏といえば、専門家の立場から核(原子力)の危険性を追求され続けてきた方です。拙ブログでも、『DAYS JAPAN』への投稿『朝日新聞』の紹介記事、共著『原発・放射能』について紹介しました。その講演を真摯に聴く坂本氏の姿に心打たれたシブル監督によって、この映画はつくられたのですね。

 まず東日本大震災における被災地支援活動が映像で紹介されます。宮城県名取市では、津波によって水浸しとなったピアノの鍵盤を愛おしむように叩く姿が印象的でした。岩手県陸前高田市でのチャリティコンサートでは、坂本氏のピアノとジャケス・モレレンバウム氏のチェロとジュディ・カン氏によるバイオリンというトリオで、「戦場のメリークリスマス」を演奏します。ほんとうに素晴らしい曲ですね、思わず涙腺がゆるみました。そして防護服を着て福島第一原発を囲む帰還困難地域を訪れ、首相官邸前の原発再稼働反対デモに参加するなどの、積極的な社会活動に目を瞠ります。
 そして日々の作曲活動が紹介されます。身の回りにあるさまざまな音に耳をすまし、それを音楽へと昇華させようとする姿勢がうかがわれます。たとえば雨の音。最後にはバケツをかぶってそこにあたる雨の音にも興味を示しますが、このシーンがポスターとなっています。アフリカに行って民族音楽に触れ、なんと北極にまで行き、氷河の溶ける音にも耳を傾けています。彼の言です。
 我々、日々暮らしていれば音に囲まれているわけですが、普通は音楽として聴いていない。でも、よく聞くと音楽的にもおもしろいんですよ。そういうものも、自分の音楽の一部として取り込みたい。
 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の演奏など、若き日の映像も挿入されますが、今の彼との違いには驚きます。あふれるばかりの才能に自信を持ち、電子機器を自在に扱いながら、奔放に演奏するその姿を見ると「唯我独尊」という言葉が思い浮かびます。音楽を自分に奉仕させているというと言いすぎかな。
 その昔日の彼が、なぜ謙虚に音楽に取り組むようになったのか、そして社会活動に尽力するようになったのか。2001年9月11日、自宅近くのマンハッタンで目撃した、米同時多発テロが関わっていると、彼は語っています。テロ以降七日間、ニューヨークの街から音楽が消え、彼自身も音楽を聴かなかったそうです。あらためて、音楽は平和でないとできないと痛感したことが、社会活動への意欲的参加につながったのですね。それでは民族音楽をも含めた"自然な音"へ、なぜこだわりはじめたのか。ご本人は、アンドレイ・タルコフスキー監督作品のサウンドトラックに惹かれたと語っていますが、それだけではないように思えます。実は、たまたま読んでいた『家族進化論』(山極寿一 東京大学出版会)の中に、次のような一文がありました。
 しぐさとともに、音楽も人間が言葉以前に発達させたコミュニケーションである。音楽は仲間どうしのきずなを強め、一体化する気持ちを高めて協力行動をとるために大いに貢献した。現生人類がアフリカ大陸を出て季節変化の大きい環境へ進出できたのは、音楽による共感力の強化にあったのではないかと思われる。
 音楽のもつ共感力をもって、世界に住むさまざま人たちを結びつける。そのためにも、その音楽は、万人が受け入れられる自然の音を素材にしたものがよい。坂本氏はそう考えておられるのではないかと感じます。

 力まず、自然体で、音楽に向き合い、社会運動に参加するその姿に元気づけられた映画です。中でももっとも印象に残ったシーンがあります。ソロピアノで「LIFE」という曲を演奏する坂本氏、その背後の大きなスクリーンには、原子爆弾開発の中心となったJ・ロバート・オッペンハイマー博士のインタビューが映し出されます。アラモゴードでの原爆実験に成功したときの様子を語る、慄然とするようなインタビューです。私は『パクス・アメリカーナの五十年』(トマス・J・マコーミック 東京創元社)や『楽しい終末』(池澤夏樹 中公文庫)で知ったのですが、後者より引用します。
 われわれは爆風が通り過ぎるのを待って待避壕の外に出た。ひどく敬虔な雰囲気だった。世界が以前とは違うものになったのをわれわれは知っていた。笑っている者がおり、泣いている者がいた。大半の人々は黙っていた。わたしはヒンドゥーの古典バガヴァド・ギーターの一節を思い出した-義務を果たすべきだとヴィシュヌが王子を説得し、多くの手を持つ形に変身した上で言うのだ「今、わたしは死となる。世界の破壊者となる」。わたしは自分たちみんながそれぞれに同じようなことを考えていただろうと思う。(p.36)
 その映像が残されていたのですね。ユーチューブで見ることができます。真正面からこちらを見据え、まるで諦観したような、あるは人間の愚昧さをせせら笑うような、淡々とした話しぶりには肌に粟が生じます。この恐るべき映像に、鎮魂歌のような曲を重ね合わせた坂本氏の炯眼には脱帽しました。

 なお、2017年4月にニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで行われた、200人しか聴けなかった幻の限定ライブを収録した映画『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async』が、2018年1月27日に全国劇場公開されるとのことです。監督は、本作と同じスティーブン・ノムラ・シブル氏。これも楽しみですね。
by sabasaba13 | 2017-12-24 16:12 | 映画 | Comments(0)

関東大震災と虐殺 53

 最後に、朝鮮人の立場から見た虐殺です。『アリランの歌 ある朝鮮人革命家の生涯』(ニム・ウェールズ 岩波文庫)の中で、金山(キム・サン)と名乗る朝鮮人革命家がこう語っています。なお解説によると、彼は「張志楽」という人物であることがほぼ確定されているそうです。また著者の本名はヘレン・フォスター・スノー、『中国の赤い星』の著者エドガー・スノーの配偶者です。
 1923年9月の大震災は日本国史上最大の天災だった。東京と横浜のほとんどが壊滅し、電信電話線は途絶して、住民は不安の極にあった。地震のあと、日本にはよくある病的狂信的なテロリズムが出現し、朝鮮人虐殺を行なった。六千人の在日朝鮮人が虐殺されたが、そのうち千人は学生、中国人も六百人殺された。
 そのわけを説明するのは簡単だ。日本は戦後の経済危機にあえいでいた。震災がおこったとき、支配層はまた1918年の米騒動に匹敵するような暴動が起こって小作農民だけでなく災害で生計の道を壊滅させられた工場労働者までまきこむことをおそれ、そうした暴動に先手をうつためにすばやく少数民族に対するテロ行動を組織して日本の大衆をおびえ上がらせた。政府が国民の怒りを紛らせ、注意をそらそうとしたのだ。
 政府は9月3日、東京の警視総監布告によって、朝鮮人無政府主義者および民族主義者が日本の無政府主義者と協同して、放火殺人、財産の略奪を行なっていると公表して、住民は「必要とあらば手段を問わず」身を守り財産を守るようにと訴えかけた。この告示は公共のあらゆる場所に掲示された。それはでたらめだったのだが、大部分の人々はそう考えなかった。既に反動主義者たちが動員され、二十人から百人くらいの集団を組んで時をうつさずナイフや竹やり、刀、槌、大がまなどを使って虐殺をはじめていた。
 多くの朝鮮人が竹やりでじわじわ殺されるのを、殺人者たちがとり囲んではやしたてていた。若い女学生や女は竹針でさいなまれ、毛布lにのせて死ぬまで投げあげ投げ下ろしされた。朝鮮人が汽車の中で見つかれば、フルスピード走行中の列車から投げ落とされた。東京では朝鮮人は軍司令部の保護をうけるように言われ、出頭した八百人は全員司令部内で殺された。
 殺人はたいてい東京、大阪、名古屋など、情勢不安な産業の中心地に起こった。9月5日になると東京市庁は殺人を止めるよう命じ、全朝鮮人を警察の保護下において、およそ十万を朝鮮へ放逐した。
 われわれの同国人が虐殺fされていた同じ時に、朝鮮の全家庭は日本人を援助するため米を無償で寄付させられていた。二百万石の米が、日本を飢えから救うために供与されたのだ。従属国の国民であることの楽しみといったらこんなものなのである。同じ頃朝鮮総督府は地方の米価を低くおさえてそこから少なからぬ利益を得ることにより間接的な収奪を行なっている。日本で三十銭で売られた米は、われわれの農民から否も応もなく七銭で買いつけたものなのであった。
 1923年以来、朝鮮人は決して日本人を信用しないし、日本人も朝鮮人を信用しない。生活していかねばならぬから征服者の下で働いているものもいるし、あるものたちは経済的にどうしようもないため「浪人」に雇われる身分に甘んじた。しかし誰もが心中ひたすら「その日」を待ち望んでいることは、日本人も承知の上だ。
 1923年の事件はさまざまな反響を呼んだ。日本の大物政治家の中のある者は自分たちのしたことに驚き、こうした背信的な虐殺のあとでは、極東のどの国民もがもはや日本の「友好」の本性について失望してしまったことを悟った。朝鮮の例は誰にとっても実地の教訓となった。それからあと日本は「汎アジア同胞主義」思想を強力に推進しはじめ、そのテーマの実現に狂奔してきた。のちにファシストとなった日本の反動的運動も、もとはといえばあの年の恐怖と不安fに始まっている。同時にこの事件は全朝鮮人に大きな政治的影響を与えて大幅な政治的再編が行なわれ、民族運動の過激化と、受身ながらも日本に対し友好的であった部分の消滅とを来たした。朝鮮中どこへ行っても、1923年に日本で親類が殺されたという家族に会う。共産党員が日本のプロレタリアートとの協力を言い出すと、きまって民族主義者が激しい調子で1923年のことを持ち出し、日本人を信用していいと彼らに得心させることは難しい。
 地震のあとでアメリカが日本へ向けて医師・看護婦・食糧・衣類を船便で急送すると新聞で読んだとき、ありとあらゆる悪口をアメリカに投げかけている日本に対して、しかもその政府が残酷にも何千もの無力な朝鮮人を虐殺しているにもかかわらず朝鮮人はどこからも同情援助を得られないというのに、どうしてアメリカはこうも優しく親切になれるのかといぶかしく思ったのを覚えている。何カ月か前ワシントン会議があったばかりで、アメリカに対する日本の反感がいちばん高まった時期だった。(p.93~6)

by sabasaba13 | 2017-12-22 06:29 | 関東大震災と虐殺 | Comments(0)

近江編(61):長浜(15.3)

 それでは醒ヶ井駅に戻り、今夜の塒、長浜に向かいましょう。途中で、こちらを凝視すると、親子連れらしき交通安全足型に出会いました。
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 待合室で列車を待っていると、「醒井湧くわくMAP」があることに気づきました。これは不覚、これから訪れる方はぜひご利用ください。東海道本線に五分ほど乗って米原駅へ、待ち合わせの時間があったので駅前に出ると「Azalea」という物産店があったので、薫り高い珈琲を所望。なお米原から東海道本線に九分ほど乗って近江長岡に行き、バスに10分ほど乗って島池に行くと「逆さ伊吹山」が見られるそうですが、時間の関係でカットしました。再訪を期す。
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 そして米原から北陸本線に乗って九分ほどで長浜駅に到着です。時刻は午後六時、そろそろ薄暮となっていました。夕食はぜひご当地B級グルメ「焼鯖そうめん」を食べたいのですが、残念ながら駅構内の観光案内所は閉まっています。幸いなるかな、そこに置いてあったパンフレットで焼鯖そうめんを食べられる店が判明。さっそくこの地図を頼りに、お店を求めて長浜の街を彷徨いました。街灯に照らされた舟板塀と白壁が、いい風情です。しかし好事魔多し、ある店はもう閉店、ある店はもうつくっていない、歩いて歩いて最後の一軒「成駒屋」でありつくことができました。お店にあった解説を転記します。
 その昔、日本海で獲れた鯖をびわ湖西岸を通り京都へ運ぶ道中を"鯖街道"と名付けられました。長浜へも鯖街道の支流が延び焼鯖そうめんとして郷土料理が自然にうまれました。
 またこの湖北地方には〔五月見舞い〕といって、農家に嫁いだ娘のもとへ春の田植えの農繁期に家事に農作業に追われる娘を案じ実家から食材の焼鯖を届ける風習があります。その焼鯖とそうめんを炊き合わせ手軽に食べられることから農繁期定番の郷土料理となりました。また、長浜では曳山祭りの客人をもてなすハレの日のご馳走でもあります。【焼鯖そうめん】は娘を思いやる親の愛、お客様へのおもてなしの心をこめた伝統の郷土料理なのです…。
 焼鯖そうめんを美味しくいただきましたが、小鉢で出された「えび豆」もなかなかいけました。こちらも長浜の郷土料理で、琵琶湖産のすじえびと大豆をしょうゆ、みりん、酢、酒、砂糖やざらめ等で作った調味料で煮た料理です。
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 そして歩いて「グリーンホテルYes長浜 みなと館」へ行きチェックイン。おっ、レンタサイクルがあるぞ、これは盲亀の浮木優曇華の花、さっそく明日の早朝に借りられるようフロントで予約をしました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2017-12-21 06:31 | 近畿 | Comments(0)