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京都観桜編(14):千本釈迦堂(15.3)

 次なるは千本釈迦堂(大報恩寺)、こちらは阿亀(おかめ)桜という素晴らしい枝垂れ桜の一発芸が見もの。その名の由来は、この寺を建てた棟梁の良妻の物語に由来します。鎌倉時代の中頃、ここに本堂を建てることになりました。それを作事した大工の棟梁が長井飛騨守高次、その妻が阿亀(おかめ)さんです。高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自殺してしまいます。やがてこの話が大工の間で伝え継がれ、江戸時代の中頃に阿亀塚がつくられ、大工・造園関係者の参拝が多いそうです。
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 雨宝院(西陣聖天宮)は桜の名所といわれていますが、残念ながら一分咲き。この時期に何度か来ているのですが、満開の桜に出会えたことがありません。よほど遅咲きなのでしょうか。なお国宝の本堂(釈迦堂)は創建時の姿をとどめ、京都市に残る最も古い仏教建築といわれています。
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 そして水火天満宮へ、狭い境内を覆い尽くすような見事な枝ぶりの枝垂れ桜が満開でした。
 それでは上品蓮台寺へ向かいましょう。途中にあったのが、知る人ぞ知る、知らない人は知らない船岡温泉です。
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 公式サイトから引用します。
 船岡温泉は京都は北区紫野、船岡山の南に位置します。文化庁の登録有形文化財にも指定された由緒ある唐破風造の建物。内装はレトロなマジョリカタイルから始まり、脱衣場の天井に彫られた鞍馬天狗や透かし彫りの欄間など芸術としか言いようがありません。
 一方、お風呂のほうは非常に近代的。日本で初めて導入されたという電気風呂をはじめ、ジェットバス、露天、薬草風呂などその実力は折り紙つきです。
また辺りはゲストハウスやカフェが立ち並び、古い歴史を持ちながらも、変化し続ける隠れた観光スポットなんです。
 そう、業界(何の業界だ)では有名なレトロ銭湯です。マジョリカタイルと欄間の透かし彫りはぜひ見てみたい、何と「爆弾三勇士」の彫り物もあるそうです。

 本日の二枚、千本釈迦堂と水火天満宮です。
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by sabasaba13 | 2018-02-18 06:35 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(13):京都御所(15.3)

 それでは京都御所へと参りましょう。御所の西側にある烏丸通りを走っていると、とある邸宅の塀越しにそれはそれは見事に咲き誇る枝垂れ桜の巨木が見えました。残念ながら中に入れなかったのですが、どんな由緒のあるお宅なのでしょう。帰郷後、インターネットで調べてわかったのですが、有栖川宮家の旧邸で、現在は平安女学院大学有栖館となっているそうです。書院造りの主屋・青天門・長屋門が、国の登録有形文化財となっています。11代小川治兵衞作庭の庭園もあり、この見事な枝垂れ桜は、豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺の孫にあたるとのこと。うーむ、ぜひ拝見したいのですが、公開される時はあるのでしょうか。
 そして京都御所へ、自転車の獣道も健在でした。
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 皇宮警察本部京都護衛署の前庭に満開の枝垂れ桜がありましたが、門扉は堅く閉ざされており近くに行くことはできませんでした。
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 じゃりじゃりと獣道を走って近衛邸跡に到着。解説板を転記します。
 このあたりが近衛家の屋敷のあったところです。近衛家は、五摂家の一つで、江戸時代末までに多くの人が摂政や関白になっています。かつては、この庭園の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の際には仮の皇居にもなりました。池のほとりは、昔から糸桜の名所で、孝明天皇も次の歌を詠まれています。「昔より名にはきけども今日みればむべめかれせぬ糸さくらかな」
 それはそれは見事な枝垂れ桜が数多、ここを先途と咲き誇っています。家族連れやカップルなどたくさんの方々もおられるのですが、敷地が広いのでそれほど気になりません。淡いピンクの世界に包まれて、みなさん幸せそうでした。もちろん私も。
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 それでは立本寺へと向かいましょう。途中にあった上京中学校の桜も満開でした。「鈴木医院」という古い病院を撮影してすこし走ると立本寺に到着です。
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 有名ではありませんが、相当の桜密度です。地元の方らしき人が散見されるだけで、落ち着いた閑静な雰囲気のなかで桜を愛でることができました。あまり教えたくない穴場です。
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 本日の八枚、上から有栖川宮旧邸、皇宮警察、京都御所(3枚)、立本寺(3枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-02-17 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(12):旧京都府庁(15.3)

 そして二条城に到着です。二の丸庭園については、以前の記事で紹介しましたので、そちらをご覧ください。おっ若いバスガイドさんたちが蝟集されていますが、研修中なのでしょうか。よろしい、不肖私、エール代わりに歌を唄ってさしあげましょう。♪もーしもしベンチで囁くお二人さん♪、もといっ♪酔ったお客の意地悪さ、いやな言葉でどなられて、ホロリ落としたひとしずく、それでも京都のバスガール、「発車オーライ」、明るく明るく走るのよ♪
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 こちらは約400本の桜がある名所ですが、残念ながら五分咲きでした。でもいくつか満開の桜もあったので諒としましょう。紅枝垂れ桜の並木道は、満開の時に再訪したいものです。
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 それでは法金剛院へと行きましょう。途中に、壁面の曲線とリボン・ウィンドウが素敵なレトロな待賢小学校がありました。ペダルをこぐこと二十分ほどで到着。平安初期、右大臣清原夏野が建てた山荘が前身で、平安末期に鳥羽天皇の中宮、待賢門院が再興し寺名を法金剛院と定めました。桜の数はそれほど多くはありませんが、浄土式庭園の池のほとりに立つ待賢門院桜は見事に咲き誇っていました。その官能的な色合いといい枝振りといい、紅枝垂れ桜の銘木ですね。眼福、眼福。
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 そして妙心寺退蔵院へ、かつてマイケル・ムーア監督と出会えた思い出の寺です。お目当ては、見事な枝振りの紅枝垂れ桜。平安神宮にある紅枝垂れ桜の孫桜で樹齢約50年だそうですが、残念ながらまだ一分咲きでした。これは是非とも再訪を期します。
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 次に向かうは旧府庁、さすがにお腹がへったので、丸太町にあった洋食屋「壁熊屋」でハンバーグ&フライ定食をいただきました。もちろん喫煙は可、だから京都は大好きさ。
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 そして国の重要文化財である旧京都府庁本館の中庭で咲き誇る七本の桜を愛でました。その中央にあるのが円山公園の初代「祇園しだれ桜」の孫にあたる枝垂れ桜。中庭南西にある「容保桜(かたもりざくら)」は、この地がかつての京都守護職上屋敷跡であることにちなみ、松平容保公の名をとって桜守として知られる16代佐野藤右衛門氏が命名した桜。大島桜と山桜の特徴を併せ持つ珍しい品種だそうです。本館の二階にあがって睥睨するもよし、不均一な厚みの古い窓ガラス越しに見るもよし、アーチの入口越しに眺めるもよし、さまざまな風情を堪能できました。観光客も少なく、お薦めです。
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 駐輪場へ戻ると、京都府警のシンボルマスコットの着ぐるみと遭遇。その正体は何者、今インターネットで調べてみると、「ポリスまろん」と「ポリスみやこ」であることが判明しました。前者は、検非違使をモチーフに、力強く頼りがいのある京都府警察の姿を表しているそうです。コメントはしません。名称の由来は、顔の形が栗(マロン)に似ていることと、投票で多かった「まろ(麻呂)」を合わせて付けられたそうです。すぐ近くにあるのが京都府警察本部。竣工は1929(昭和4)年で、スクラッチタイルと連続するアーチ窓が粋な物件です。
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 本日の七枚、上から二条城、法金剛院(3枚)、妙心寺付近、旧京都府庁(2枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-02-16 06:41 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(11):渉成園(15.3)

 それでは渉成園へと向かいましょう。途中に鈴木組というレトロな洋館がありました。線路を北へ越えると梅小路公園、入口からのぞくとけっこう桜がありましたが七分咲き。先を急ぐことにしました。なおこちらには京都鉄道博物館があります。梅小路蒸気機関車館の時代には訪れたことがあるのですが、リニューアルしてからは未見です。いつか見学に行きましょう。
 キッチュな装飾にまみれた摩訶不思議なビルは、「富士ラビット」です。京都における自動車販売店としては草創期に創業した「日光社」のビルだそうです。「富士ラビット」とは、富士重工業(スバル)のスクーターのことでした。
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 そして渉成園に着きました。池泉回遊式庭園をもつ東本願寺の飛地境内地(別邸)で、1641(寛永18)年に三代将軍・徳川家光から当地約一万坪が寄進され、石川丈山の趣向を入れた作庭がなされました。二度にわたる火災のために園内の諸殿は焼失。現在の建物は明治初期から末年ごろに至る間に順次再建されたものだそうです。こちらは紅葉もきれいで、なおかつ何時来ても混雑していない稀有なお庭で、われわれは「困った時の渉成園」と言い慣わしております。おおっやはりガラガラだ。しかも桜はほぼ満開、ユニークな意匠をした楼門造りの傍花閣(ぼうかかく)のあたりや印月池(いんげつち)のほとりをそぞろ歩き、写真を撮りまくりました。
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 そして二条城へと向かいましたが、途中にある明倫幼稚園の桜が満開でした。そして「紫織庵」、気にはしていたのですが訪れる機会がなかったので今回は見学することにしました。江戸後期名医・荻野元凱の屋敷を、1926(大正15)年に豪商・井上利助が最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、その後絹織物製造卸などを行う川崎家が本宅兼迎賓館として受け継ぎ、現在は「京のじゅばんと町家の美術館」として一般公開されています。洋館部分を武田五一が、茶室や和室部分を上坂浅次郎が設計参与した、京町屋の傑作ですね。残念ながら写真撮影は禁止でしたが、趣味の良い洋館・茶室・中庭を堪能いたしました。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-15 06:33 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(10):六孫王神社(15.3)

 そして駅近くにある京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)で予約しておいた自転車を借り、いざ出発。まずは線路を南へ越えて六孫王神社へと参りましょう。源経基の子、満仲が父の霊を祀るために源経基の邸宅、八条亭に社殿を建てたのがはじまりです。敷地はそれほど広くはないのですが、神龍池を中心にさまざまな桜が密度高く植えられ、ここを先途と咲き誇っていました。しかも観光客はほとんどなし、ここは穴場ですね。お薦めです。
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 なお最近読んだ『無私の日本人』(磯田道史 文春文庫)所収の「大田垣蓮月」に、次の一文がありました。
「…耳の聞こえないあの子は目でみえる書物を懸命に読むようになりました。ほんとうに、いじらしいくらいに。ところが、妻は学問などすると、商売の邪魔になるといって、あの子が本を読むと『本ばかり読んで居ると御飯を食べさせぬぞ』ときつく叱り、無理やり、本を取り上げて隠してしまうのです。わたしはそれが不憫でなりませんでした。とはいえ、それもこれも、わたしが読書で家を傾けたせいですから、なんとも言えない。それで妻にいったのです。『この子は耳が遠くて商売には向かない。神主にでもしよう』といって、西八条の六孫王神社の稚児にやりました。紫の大振袖に袴をはけば、見事な稚児になるといってくれる人がいたので。しかし、なにぶん八つです。親元をはなれて、ずいぶん、さみしい思いをしたことでしょう。それで、あの子が稚児奉公をおえてもどってくると、わたしはあの子を連れて家を出ました。猷に、ひととおりの学問をさせてやりたいものですから」 (p.333)
 富岡鉄斎の父の言葉です。彼の幼名は猷輔、ここ六孫王神社で稚児奉公をしたのですね。余談ですが、本書でときどき耳にする大田垣蓮月の凄さを知りました。津藩藤堂家の高貴な血を引きながら、訳あって身分の低い武士の養女となったことから、数奇な運命をたどった江戸後期の絶世の美人です。二度の結婚で四人の子を産んだが、二人の夫に病死され四人の子には夭逝されました。剃髪して出家した彼女は歌人として名をなすと同時に、自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りする蓮月流を創始。しかし自らの歌集の出版を強引に差し止めるなど名誉を求めず、焼き物で手にした金は飢饉のさいに私財を投げ打って貧者を助け、人々の便利のため鴨川に橋をかけるなど慈善事業に勤しみました。旧幕府軍追討の旗を上げた西郷隆盛には、「あだ味方勝つも負けるも哀れなり同じ御国の人と思えば」の歌を送り自重を促しました。西郷が江戸城総攻撃を思い止まったのは、勝海舟や山岡鉄舟のおかげというよりこの歌のおかげとも言われます。(p.372~3) 記憶にとどめたい人物ですね。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-14 06:29 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(9):草津(15.3)

 閑話休題。本日は自転車を借りて京都の紅葉狩りをしますが、その前にせっかくなので草津の町をぶらつくことにしました。駅の近くまで歩いていき、珍しい透かしブロックと、「理美容業界年商日本一のブラージュ」という看板を撮影。サムギョプサル専門店の「包まぬ豚はただの豚」という看板は面白いですね。
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 さて、ここ草津は、東海道五十三次のうち、江戸より数えて52番目の宿場町で、東海道と中山道が分岐・合流している交通の要衝でした。往時は、2軒の本陣、2軒の脇本陣、72軒の旅籠があったそうですが、その残り香はもうありません。「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた中山道と東海道の分岐点に立つ追分道標と、国史跡に指定されている本陣くらいでしょうか。
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 それでも古い建物が数軒残っています。吉川芳樹園店舗兼主屋や八百久店舗兼主屋は、二階正面の虫籠窓が印象的でした。
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 双葉館「魚寅楼」は角地に建つ古い料亭です。
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 最大の発見は、「国威宣揚」と正面に記された、陶器製の古い旗竿立てです。紀元節、春季皇霊祭、神武天皇祭、天長節、靖国祭、秋季皇霊祭、神嘗祭などの旗日がぐるりと記されています。これはレアな物件ですね、だから散歩は面白い。
 飛び出し小僧とマンホールの蓋を撮影していると、「未来を守る自民党演説会」のポスターがあり、三原じゅん子が微笑んでいます。なになに"守ってあげたい。いのちを懸けて。"? いったい何を守るのだろう? ま、自民党と財界と官僚の権益であろうことは想像できますが。それでは京都へと向かいましょう。
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 JR草津駅から琵琶湖線に乗って三十分弱で京都駅に到着。ほんとうは、地元資本のしぶい喫茶店でモーニングサービスと洒落込みたいのですが、管見の限り駅周辺にそれらしき店はありません。しかたない、駅前の「CAFFE VELOCE」で珈琲とサンドウィッチをいただきました。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-13 06:38 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(8):ホテルにて(15.3)

 目が覚めてテレビのニュースをつけると、「辺野古移設計画 阻止へ対抗措置も」という報道がありました。今、安倍上等兵率いる自民党政権が、辺野古や高江で暴虐な弾圧を行なっていることは、山城博治さんのインタビュー講演会、映画『標的の島』でよくわかります。その現場を毎日報道してほしいのですが、メディアは無視しているようです。民主主義の定義は「弱きを助け強きを挫く」と、故加藤周一氏は喝破されました。強きが弱きを挫いているところを、きっちりと報道するのがメディアの使命だと思います。「今日の辺野古・高江」「今日の福島」といった報道を期待します。

 なお最近読んだ『誰がこの国を動かしているのか』(鳩山友紀夫・白井聡・木村朗 詩想社新書12)に、以下の記述がありましたのでぜひ紹介します。
【木村朗】当時からも田岡俊次さんや孫崎亨さん、政治家では川内博史先生や伊波洋一先生が指摘しているように、アメリカにとっていまの海兵隊は紛争時に最初に殴り込むとか、上陸するといった役割ではなく、特に沖縄米軍海兵隊の任務として考えられるのは、朝鮮半島で何かがあったときに朝鮮半島、韓国にいるアメリカ関係者を救出、脱出させることであり、そのためには2000人から3000人のユニットだけを残せば済む話だと指摘されています。
 であるならば、揚陸艦は佐世保にあるので、佐世保の近くに海兵隊はいないと緊急時には時間的に間に合わないので、長崎の大村航空基地(海上自衛隊)と相浦駐屯地(陸上自衛隊)などに分散移転することで、あとは全部国外に移転するということがアメリカにとってもベストであったと思います。しかしそうならなかったのは、60年代に立てた辺野古沖への軍港を含む新基地建設案をアメリカがずっと持っていて、それを要求したということではなく、結局は日本側の意向で海兵隊が引き上げようとするのを、何度か引き留めてきた。だからいま、辺野古新基地建設に固執しているのは米軍の一部の中にもそういった人がいるとは思いますが、相対的に見たらアメリカ側ではなくて日本側。日本側の外務・防衛官僚やゼネコンだけでなく、やはり自衛隊が将来の使用を見越して固執していると思います。(p.181~2)

【鳩山友紀夫】ランド研究所の報告書が発表されましたが、いま、アメリカは尖閣の問題で、中国に対して日本とともに戦うということは考えていないということです。すなわち戦っても中国に嘉手納基地を性能が抜群に優れてきたミサイルでたたかれたら、数週間、飛行機が飛び立てなくなり、戦いなどできないということです。ですから中国と米国の東シナ海での戦いを想定した場合、中国に対してアメリカは勝つ見込みが薄いということです。
 例えば辺野古に、また基地をつくったとしても、そこもたたかれたらおしまいですから、沖縄に基地を新たにつくるということが現実的にもランド研究所の報告書でも意味がないということを、アメリカ自身がすでに発表しているようなものだと私は思います。
【木村朗】それはジョセフ・ナイというジャパン・ハンドラーの中心的人物も一貫して、沖縄に基地が集中していることによって中国のミサイルの標的になって、脆弱性を強めているので撤退すべきだと言っていますよね。(p.184~5)
 はい、アメリカ軍の抑止力というのは、真っ赤な嘘です。米軍の威を借りて自衛隊基地をつくろうとする防衛・外務官僚の姑息で下劣な意図が見え隠れします。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-12 07:54 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(7):楽々荘(15.3)

 亀岡駅から十分ほど歩くと、楽々荘に着きました。明治時代の京都の政財界の立役者で、現在トロッコ列車が運行している旧山陰本線を敷いた実業家田中源太郎の邸宅として1900(明治33)年頃に完成した建物で、現在は料理旅館として営業しています。お目当ては、小川治兵衛(植治)が作庭した池泉廻遊式の日本庭園。フロントで見学したい旨を告げると、快く承諾していただけました。多謝。
 建物の中を抜けるとお庭に出ましたが、残念ながら池がなく小石が敷きつめられています。池の水源だった雑水川が洪水を起こし改修され、滝から池に水を落とせなくなったためだそうです。中央には板で広いスペースがつくってありますが、結婚式やビアガーデンとして利用するためでしょうか。飛び石や灯籠には見るべきものがあるのですが、全体として散漫な印象を受けました。植治が作庭した原型に戻せないものでしょうか。なおお庭からは、大きくとったガラス窓が印象的な洋館を見ることができます。
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 トイレを拝借すると、松と紅梅の男女表示でした。
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 それでは宿のある草津へと戻りましょう。やれやれ遠いなあ。列車を待つ間、駅前をぶらついていると「よろづや」というお店があり、亀岡牛の牛カツが食べられるとのこと。牛肉マニアとしては渡りに船、食べていくことにしましょう。店に入り注文をして、掲示されていたポスターを読むと、商店街のにぎわいを取り戻す起爆剤として、亀岡牛をつかったご当地グルメをいろいろなお店で提供しているそうです。おっきたきた、サクッ。クリスプなころもとジューシーな牛肉、美味しうございました。ごちそうさま。
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 亀岡駅から嵯峨野線に乗って三十分弱で京都駅に到着、琵琶湖線に乗り換えてこれまた三十分弱で草津駅に着きました。合計で一時間弱、それほど遠くはなかったですね。寝酒とつまみを買って、駅から十分強歩くと今夜の塒、草津第一ホテルに着きました。チェックインをしてシャワーを浴び、一献傾けながら明日の旅程を確認。ベッドに横たわり『沖縄の〈怒〉』を読んでいたら、いつの間にか就寝。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-11 17:54 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(6):亀山(15.3)

 JR嵯峨嵐山駅から嵯峨野線に乗って亀山駅へ。
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 駅構内には石田梅岩の像がありました。えーと、いしだばいがん… 受験用日本史の知識をほじくりだすと、たしか心学の祖でしたね。解説文を転記します。
共生の理念 (実の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり)

 石田梅岩(1685~1744)は江戸中期に、現在の亀岡市東別院町に生まれました。本名を興長、呼び名は勘平といい、律儀な父の影響を受けたと伝えられており、京都の商家で、仕事に励むとともに、「人の人たる道」を求めて勉学にも努力を重ね、やがて「石門心学の祖」となりました。
 享保14年(1729)梅岩45歳の時、京都車屋町御池上ルで「聴講無料・出入り自由・女性もどうぞ」という、江戸時代としては型破りな講座で、日常生活における正直・勤勉・倹約・孝行などをわかりやすく講義し、「商人道徳」の確立に大きく貢献しました。
 延享元年(1744)60歳の生涯をとじましたが、梅岩の教えは全国に普及するとともに、時代を超えた現在でも高く評価されています。生涯学習都市を宣言している亀岡市では、梅岩は「市民の学ぶ心」のシンボルでもあります。
 そして目指すは、小川治兵衛(植治)がつくった庭がある楽々荘です。途中に「心学の道」という看板があり、石田梅岩の教えが書かれていました。
 御法を守り、我身を敬むべし。商人というとも聖人の道を不知ば、同金銀を設けながら不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄ることを致すべし。
 "子孫の絶ゆる理に至る"ことを顧みず、ひたすら「今だけ、金だけ、自分だけ」と原発利権に群がる亡者たち、それを陰に陽に支える安倍上等兵政権と自民党、そしてそうしたことに無知・無関心な多くの方々に、石門心学を学んでほしいものです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-02-09 06:38 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(5):天竜寺(15.3)

 車折神社駅から京福電車(嵐電)に乗って、終点の嵐山へ。天竜寺の桜はどんなもんでしょうか、ちょっと寄ってみましょう。塔頭の三秀院に「特別拝観 動乱の幕末 長州藩士の刀傷」という看板がありました。弾痕・刀傷マニアとしては立ち寄らないわけにはいきません。拝観料を払って中に入ると、ふたつの柱に刀傷がありました。禁門の変(蛤御門の変)の際に、天龍寺に陣を構えた長州藩士が血気にはやり試し切りしたものと伝えられるそうです。
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 そして天竜寺へ、言わずと知れた京都五山の第一。1339 (延元4・暦応2)年、足利尊氏・直義兄弟が夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建したお寺さんです。広大な曹源池と豪快な石組を愛でて、百花苑の方へいくと全体的に七分咲きでしたが、ところどころで綺麗に咲き誇っていました。他にもいろいろな花が咲いていたのですが、情けないことに名前がわかりません。こういう時に、花に詳しい山ノ神がいればなあ。
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 天竜寺の近くにある湯豆腐「嵯峨野」にもきれいな桜があるという情報を入手したので、さっそく行ってみました。おおっ素晴らしい。あまり観光客を見かけない落ち着いた雰囲気の路地に、数本の桜が咲き誇っていました。しつらえられた石庭ともよくマッチしています。ここは穴場ですね。なおこちらには人間魚雷回天10型の石碑があり、「呉市の博物館に寄贈」と記されていました。どういう由来があるのでしょう? ご教示を乞う。
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 それではJR嵯峨嵐山駅へと参りましょう。途中で、塀越しに見事な桜の大木があったので、正面にまわると天竜寺の塔頭・等観院というお寺さんでした。しかし残念なことに拝観はできません、惜しいなあ。
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 本日の四枚、上から天竜寺、湯豆腐「嵯峨野」(二枚)、等観院です。
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by sabasaba13 | 2018-02-08 06:35 | 京都 | Comments(0)