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言葉の花綵173

 青年は「命」だ、彼らのほかに希望を託すべきものはない。(H・G・ウェルズ)

 たどりつきふりかえりみればやまかわをこえてはこえてきつるものかな (河上肇)

 FAY CE QUE VOUDRAS 汝の欲するところをなせ (ガルガンチュア)

 男は気で持ち、ナマスは酢で持つ (一心太助)

 戦争中には小説は生まれない。(エルネスト・カルデナル)

 争いには二種類がある。ひとつは議論によるのであり、他は暴力による。しかしながら、前者こそ人間にふさわしいものであり、後者は野獣にふさわしい。(キケロ)

 人びとが身体的・精神的に実際に成就することがらがその潜在的に可能な水準を下まわるように影響されるとき、そこに暴力が存在する。(ヨハン・ガルトゥング)

 死なばわがむくろをつつめ戦いの塵にそみたる赤旗をもて (荒畑寒村)

 一枝を伐らば一指を剪るべし (源義経)

 花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや (藤原家隆)

 同情は連帯を拒否したときに生まれる。(岡村昭彦)

 烈火は消えやすく、埋火は消えにくい。(むのたけじ)

 金で幸福は買えない。でもね、お嬢さん。金で不幸を追い払うことはできるんだよ。(『サイコ』)

 まっとうな市民としてふるまえない自分を「恥じる」というのは市民的成熟のための最初の一歩だと私は思います。(内田樹)

 どうでもいいモノを借金してまで買いまくるようにさせたいんだから、そりゃ賢くなってもらっちゃ困るだろ! (ジョージ・カーリン)
by sabasaba13 | 2018-03-31 05:57 | 言葉の花綵 | Comments(0)

2018桜便り(東京編2)

 昨日は休暇がとれたので、山ノ神と都内の桜めぐりをしてきました。午後四時から、世田谷パブリックシアターで、仲代達矢主宰の無名塾による『肝っ玉おっ母と子供たち』を観劇する予定ですので、それを考慮して計画を立てました。まず鉄板名所である千鳥ヶ淵と新宿御苑を訪れ、雑司ヶ谷にある穴場、法明寺の桜を見て、目黒川沿いを散策して三軒茶屋に向かいましょう。ところが知人から、小石川植物園と播磨坂の桜が素晴らしく、「ソーニヤ」というロシア料理店が美味しいという情報を教示されたので予定を変更しました。

 当日は快晴、無風、温暖という絶好の花見日和。まずは朝早く千鳥ヶ淵へと向かいました。地下鉄九段下駅で降りて地上に出ると、おおっ牛ヶ淵の桜が見事に咲き誇っていました。
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 そして千鳥ヶ淵の桜を満喫。お濠にたわわと垂れ下がる桜花は見事なものでした。
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 地下鉄で茗荷谷駅に移動し、教えていただいた「ソーニヤ」でボルシチとピロシキに舌鼓を打ちました。
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 小石川植物園はさまざまな種類の桜がここを先途と咲き誇り、人手もそれほどではなく、心穏やかに花見を堪能。
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 そして播磨坂の見事な桜並木を愛でながら茗荷谷駅へと戻りました。
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 新大塚駅から歩いてJR大塚駅へと行き都電に乗って雑司ヶ谷へ。すこし歩いたところにある法明寺は穴場、境内を満開の桜が埋め尽くしていました。
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 そして池袋駅から渋谷へ、東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋へ。劇評については後日に上梓いたします。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-29 07:14 | 鶏肋 | Comments(0)

2018桜便り(東京編)

 一昨日の日曜日、暖かい陽気とお天道様に誘われて、ブロンプトンにまたがってお花見に行ってきました。西武新宿線の野方駅までブロンプトンに乗って走り、折りたたんで列車に乗り込み、武蔵関駅で下車。知人から教えてもらった、武蔵野市役所近辺の桜並木をめざします。
 駅前に出て自転車を一分(!)で組み立てて走り出すと、このあたりは線路に沿って石神井川が流れていました。きっちりと護岸工事がされていて風情はないのですが、桜並木が続いておりほぼ満開に咲き誇っていました。電車と桜、水面に映る桜など、いろいろな楽しみ方ができます。
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 駅の西に、「三浦亭」という洋食屋を発見、さっそく店に入ってメンチカツのランチをいただきました。サクサクとした衣に肉汁あふれる牛肉、玄妙な味わいのソースに手の込んだつけあわせのサラダ、店主の誠実な人柄が料理として具現化したような逸品でした。家の近くにあれば日参したいようなお店です。ブンダバー。
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 そして武蔵野市役所へ、圧巻の桜並木に出会えました。凄い… 二車線道路の両側を埋め尽くす桜、桜、桜。道幅がそれほど広くないので、古木の枝が重なり合うように空を覆い、咲き誇る桜花で世界は桃色です。知名度が高くないのか、人手も多くなくゆったりと桜を愛でることができました。ただ苦言を呈するならば、せめて桜の時期だけでも、化石燃料を貪欲に喰らい、有害物質を吐き出し、騒音で静かな環境を破壊し、人様を死や怪我へと追いやる悪魔の機械、自動車を締め出して、人間がのんびりと歩きながら桜を愛でられるようにしていただきたいものです。最終的には街の中心部から自動車をなくし、徒歩と自転車とトラムが交通の軸となるような街だといいな。
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 なお市役所の裏側、北側、南側にも桜並木が連なり、見事な景観でした。
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 そしてブロンプトンにまたがり、一路目指すは井の頭公園です。携行した『文庫版 東京都市図』(昭文社)で確認したところ、それほど離れてはおらず、吉祥寺通りを20分ほど走ると着きました。残念ながら七分咲きでしたが、七井橋からの眺望はいいですね。広々とした池の水面に向かって垂れる桜の枝ぶりには見惚れました。ただ人手の多さには辟易しました。
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 そして北へ、富士街道を走って石神井公園へと向かいました。うーん、思ったほど桜は多くないですね。輝くような緑色の柳の新芽は綺麗でしたが。
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 西武池袋線中村橋駅と練馬駅間の千川通りにも、片側ですが見事な桜並木が続きます。
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 そして〆は、「としまえん」の前から続く石神井川の桜並木です。ここの桜並木は圧巻、川面にふりそそぎ流れ落ちるような桜花に心はうちふるえます。惜しむらくは、無粋に切り立つコンクリートの護岸、風情を木っ端微塵に砕きますが、ま、このおかげで洪水がなくなったそうなのでいたし方ないでしょう。個人的には、目黒川を凌駕し、東京で五本指にはいる桜だと確信します。
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 というわけで、うららかな春の日の桜めぐり、A day in the lifeを堪能しました。結局、かかった費用は、野方→武蔵関の電車賃、昼食代、ペットボトルの水代だけ。環境を壊さず、お金もかからず、健康にも良く、しかも桜の美しさを楽しめた素晴らしい一日でした。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-27 06:26 | 鶏肋 | Comments(0)

近江編(75):菅浦(15.3)

 木ノ本駅から北陸本線に9分ほど乗って近江塩津駅へ、湖西線に乗り換えて5分ほど列車に揺られると永原駅に着きました。駅前に客待ちタクシーの姿は…ない。公衆電話は(筆者は携帯電話・スマートフォンは持ちません)…あった。そばに貼ってあった地元タクシー会社に電話をして配車をしてもらいましょう。すぐ来てくれれば、二十分ほどは散策できます。ピ、ポ、パ、ポ、ツー、ドキドキしながら永原駅へ配車してほしいと依頼すると、「木ノ本から向かうので15~20分かかる」とのお返事。checkmate. タッチ&ゴーを覚悟でお願いするか、再訪を期して断り駅周辺をうろつくか…はい、前者を選びました。約二十分後にやっとタクシーがやってきました。葛籠尾(つづらお)崎の湖に沿った道を走ること十分ほどで菅浦集落に着きました。おおっ、幾度写真で見たことか、あの茅葺き屋根の四足門が出迎えてくれました。門扉がないので、集落の領域を示す役割を果たしたと言われます。つまり、ここをくぐれば自治的世界・菅浦なのですね。なお中世には四つの門があったそうですが、現存するのは東西の二つのみ。江戸後期以降に建てられたとみられます。手持ち時間は五分ほど、ぱっつんぱっつんに行程を組みという己の業を恨めしく思いますが、仕方がない、それが私です。
 狭い平地に肩を寄せ合うようにして佇む集落、宝形造りの石の祠と地蔵さま、須賀神社の鳥居などを撮影して、タイムアップ。これまでは安易に使ってきた科白ですが、今度は本気です。再訪を期す。
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 待っていてもらったタクシーに乗り込み、永原駅に戻ってもらいました。駅前に「丸子船のロマンを追って」という看板があったのでとりあえず撮影。丸子船とは何ぞや? 今、インターネットで調べてみると、丸太を二つ割りにして胴の両側に付けた琵琶湖独自の帆船だそうです。永原駅の近くに「北淡海 丸子船の館」という博物館があるようです。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-25 07:38 | 近畿 | Comments(0)

近江編(74):菅浦(15.3)

 さて、これからがいよいよ本日の難関、次の訪問先は、琵琶湖の最北端にある菅浦という集落です。歴史学徒の末席を汚す者としてぜひ訪れたい、中世の誇り高き自治村落です。長文ですが、『週刊朝日百貨 日本の歴史20 琵琶湖と淀の水系』(朝日新聞社)より、「湖に生きる人びと 粟津・堅田・菅浦」(今谷明)を引用します。
 菅浦は琵琶湖の最北端付近、湖上に突出した半島、葛籠尾(つづらお)崎の切り立った湖岸の、猫の額ほどの入江にへばり付いたような寒村である。戦後もつい最近まで、自動車の入る道すらなく、この集落の人びとは大浦から舟で行き交うか、さもなくば峠づたいに細々とした杣道を数時間かかってようやくたどりつくといった有様であった。このような隔絶した地理的環境が、中世史上稀有といっていいほどの強固な自治村落を築き上げるのに、大きな要因となったことは否定できない。
 この漁村の沿革は、堅田と同様、平安中頃から贄人の小集団がこの地に住みつき、漁撈と舟運に従事したことに始まるとされる。ここの漁民が供御人として自立したのは、平氏政権の初期であるが、いつしか自らを天智天皇の供御人の末裔として喧伝するようになった。中世初期には、荘園内の人の支配と土地の支配が異なる例が多かったが、ここの漁民は、身は天皇に属する供御人でありながら、菅浦の地は山門檀那院末寺竹生島の領地となっていた。
 漁業を生活のたつきにしていたとはいえ、せめて主食の米麦くらいは自給したいという願望は強かった。鎌倉初期、菅浦漁民は西隣の園城寺円満院領大浦荘の一部、日指・諸河という狭小の地を農地として開発・耕作していたが、園城寺の課役を免れるため、山門と朝廷の権威を背景に、この地の田畠は古来菅浦の所領であると主張し、ここに以後150年におよぶ園城寺を相手とした村の自立のための訴訟が始まった。ときに永仁3年(1295)のことである。
 この相論は、明らかに大浦荘内の出作田地にかかわることで、理は園城寺側にあり、院の評定も初めは菅浦に不利なものであった。しかし村をあげて結束した菅浦の漁民は、自立を貫徹するために日吉社から150貫という、一漁村としては法外な訴訟費用を借用した。さらに朝廷の内蔵寮を管掌する山科家の援助を受けるために、日指、諸河を実力占拠して山科家に寄進し、鎌倉末ごろには鯉三十喉、大豆一石、小豆二斗、小麦一石を同家に負担するという契約を結んだ。
 大浦荘側も決して拱手傍観はしていなかった。稲を刈り取ろうとする大浦荘百姓と、それを阻止しようとする菅浦漁民、そして菅浦の応援にはるばる坂本から駈けつけた山門公人、日吉社神人らの間に、しばしば刃傷沙汰が繰り返された。訴訟は園城寺と延暦寺の対立に拡大し、朝廷もうかつには裁許を下せず、やがて延慶2年(1309)、停滞状況に陥った。
 これこそ菅浦の狙っていた状態であった。漁民らは既得権として日指・諸河を事実上支配し続けることになったのである。その後、曲折を経ながらも室町末期に至るまで、強固な結束と村落の自治を全うした。このような団結と自衛の基盤となったのは、先に述べたように険阻な地理的要害性に加えて、虎の子の日指・諸河の田地を村内各戸に均等に分配し、村民の間に経済的格差が広がらないように慎重に配慮したこと、また七十二の在家の全住民に供御人としての身分と特権を保証したことであろう。
 京都から遠く離れた湖上の僻地に、中世を通じて名も無い漁民らが、昂揚した自立意識を保持し続けていたということは驚異である。むろん、この栄光の自治を維持するために、菅浦の民衆は経済的犠牲を払った。さらに、訴訟に勝つためには手段を選ばず、朝廷の故実に通暁する山科家と結託して偽文書・偽絵図まで作成し、ついに園城寺をやりこめるに至った彼らのしたたかさは、下克上の時代の典型的な民衆の姿でもあった。
 こうして室町時代に入ると、菅浦は山科家と山門に若干の経済的負担を行うのみで、「自検断」「地下請」と呼ばれる、ほぼ完全な警察権・徴税権を獲得した。自治を円滑に遂行するために「惣掟」「置文」などの村落法を自らの手で公布し、「乙名」「沙汰人」と称する宿老を選出して村政を運営した。15世紀になると、時折、堅田衆の湖賊行為に悩まされるほかは平和が続き、菅浦の自治は黄金時代を迎える。
 ところが文安2年(1445)、再び大浦荘との間に大規模な入会地の山木相論が勃発した。双方の住民の間に死傷者の出る流血の惨事が繰り返されたが、この争いで菅浦に勝利をもたらしたのが乙名清九郎であった。清九郎はおそらく畿内近国の村々に多くいたであろう村民の英雄の一人で、時代が生み出した輝かしい人物である。中世の民衆は権力に対して自らを卑下せず、卑屈な態度をとっていない。清九郎の生涯から教えられるのは、名も無い中世の庶民が自らの厳しい生活経験を通して高い精神的境地に達していたということである。(p.5-268~71)
 ただ問題は、あまりにもアクセスがよくないことです。バスも列車も非常に本数が少なく、移動は困難を極めます。いろいろと調べたのですが、前後の行程を勘案すると結論はひとつ、永原駅からタクシーで行くしかないようです。問題は、駅でタクシーがつかまえられるかどうか。人事を尽くして天命を待つ、とにかく行くことにしました。
by sabasaba13 | 2018-03-23 06:26 | 近畿 | Comments(0)

近江編(73):木ノ本(15.3)

 情緒あふれる街並みを、遠くの山を眺めながら歩いていると、千田薬局に「閉店の御礼」が貼ってありました。この町とともに長い間歩んできたことであろうに、地方の衰微が錐のように心に突き刺さります。
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 恰幅のよい旧家は、上阪五郎右衛門家という庄屋さんのお宅でした。
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 木之本地蔵尊を撮影すると、その先には古い木製の看板を軒下に多数並べた薬局がありました。
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 イオニア式オーダーの四本の列柱が印象的な洋館は滋賀銀行木之本支店、今は「きのもと交流館」として再利用されているようです。古い民家の格子に「お願い 当所へ今後ポスター類を貼付しないで下さい 中に風が入らないので よろしくお願いします」という貼り紙がありました。その右には大きな自民党のポスターが… なるほど、"テロ対策"や"安全保障"を口実に、特定秘密保護法案や安保法案や共謀罪法案を成立させ、社会の風通しを悪くして、人びとの合理的な判断や思考を停止させ、意のままに操ろうとしている自民党への痛烈な皮肉ですかな、うん。
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 近くのお宅には「この付近にゴミを捨てる人がいます。そのゴミは誰が片付けるのですか。今後はやめて下さい」という貼り紙がありました。なるほど、放射性廃棄物を、金子をちらつかせながらどこかの地域に押し付けようとして、恬として恥じない電力会社・自民党・官僚に対する痛烈な皮肉ですかな、うん。大きな杉玉は、清酒「七本槍」の醸造元です。
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 そして「つるやパン」で噂の「サラダパン」を買い、店の前にあった椅子に座っていただきました細かく刻んだ沢庵とマヨネーズを和えてコッペパンに挟んだものですが、意外といけます。なお「サラダパン」と記されたTシャツを売っていました。奇妙奇天烈あるいはご当地Tシャツマニアとしては食指が動いたのですが、黄色なので逡巡の末に断念。黒か白だったら絶対、買ったのですが。
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 木ノ本駅に戻ってトイレを拝借、ついでに洒落たトイレ表示を撮影しました。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-21 07:43 | 近畿 | Comments(0)

京都観桜編(34):妙傳寺(15.3)

 妙傳寺は枝垂れ桜の一発芸、見事な枝振りの古木がここを先途と咲き誇っていました。
 それでは最後の訪問先、東寺へと向かいましょう。地下鉄東西銭の東山駅の近くには、景観に配慮した地味な看板の〇ク〇ナ〇ドがありました。駅へとおりる階段は、スーツ姿の若者でごった返していましたが、大学の入学式に列席する新入生諸君のようです。
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 地下鉄東西線に乗って烏丸御池駅で地下鉄烏丸線に乗り換えて京都駅へ。近鉄京都線に乗り換えて東寺駅で下車。めざすは東寺、銘木・不二桜のライト・アップですが、門前にはすでに長い長い行列ができていました。はい、やめやめ。こらえ性のない私はすぐにあきらめ、撤退しました。
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 とりあえず、京都駅で夕食をとって帰郷することにしましょう。東寺駅に行く途中で、「君の夢 万引き一つで 消えていく」という標語の看板を発見。うーむ、もちろん万引きは犯罪なのですが、セカンド・チャンスはないぞ、という脅しなのでしょうか。アメリカ合州国の「三振法」を思い出しました。そこまで言うなら、原発事故で国土と人々を破滅させた輩たちには、巨大な鉄槌を与えてほしいものです。近くには、かわいらしい「むくり屋根」の民家がありました。
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 そして京都駅に到着、構内の「侘家三昧」で好物のねぎ焼きをいただきました。
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 改札を通って新幹線ホームに行こうとすると、平安神宮神苑の桜を写した「そうだ京都、行こう」のポスターが壁面に貼ってありました。ライト・アップされた紅枝垂れ桜と、それを鏡のように映す湖面、ぜひ見てみたいものです。売店で「SIZUYA」のメンチカツサンドを購入して新幹線に乗り込み、帰郷の途につきました。
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 余談ですが、車内通路ですれちがう人のために脇へどいてもお礼の言葉はなし、キャリーバッグで私の足を轢いても謝罪の言葉はなし、やれやれ「徳」はどこへ行ったのでしょう。

 というわけで2015年版京都観桜編、一巻の終わりです。冬来たりなば春遠からじ、間もなく桜の便りも届くことと思います。京都花見の一助になれば、幸甚です。なお「京都の有名桜スポット」というサイトがあること、今回行けなかった穴場として十輪寺・勝持寺・正法寺・実相院があることをお伝えして筆を置きます。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-20 06:36 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(33):岡崎疎水(15.3)

 それでは次の訪問先、妙傳寺へと向かいましょう。途中に蛙のガードレール・アニマルがあったので撮影。岡崎疎水の桜も、たわわに花をつけた枝が水面へと垂れ下がり、見事な景観でした。
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 なおこのあたりに、八角の塔を戴く印象的な「有鄰館」というビルがありました。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみると、公式サイトに格調高い紹介文がありましたので引用します。
 京都・東山連峰にほど近く清らかな疎水に面し、乾隆年製の黄釉瓦36,000をのせ、中国古材の朱塗りの八角堂をいただく有鄰館は、大正15年(1926年)に、滋賀県五個荘出身の藤井善助翁によって設立されました。翁は近江商人の血をひき17歳で上海の後の東亞同文書院大学に学び、33歳では数十社の経営に当り、満34歳で衆議院議員となり、この時出会った犬養毅翁の薫陶が中国文化への認識を深めさせ、古印などの収集をはじめることとなりました。有鄰館という名前は、「徳は孤ならず必ず鄰有り」と中国との善隣と友好を願って「論語」より名付けられました。
 「美術は一国文明の象徴にして文化の尺度たり。古来、東洋文物の世界に貢献するところ極めて深く、わが国文化の開発は、往昔中国に負うところ更に深し。しかるに近時、東洋文化の誇りとすべき宝器名品海外に流出し、欧米に去るを防がんと欲し、自ら微力を顧みずこれを蒐集す。しかるに美術の人心に及ぼす影響大なるを考え、蒐集家の深蔵を改め、公衆に公開して人心を美化し、美術の学術研究に資する。」という設立者の精神は今日まで脈々と流れ、大正15年以来の定日一般公開をつづけています。
 殷代より清代に至る約4000年間に生み出された芸術性の高い中国文化の結晶である、青銅器、仏像彫刻、陶磁器、磚石、印璽、書蹟、絵画などは、私達との血のつながりを肌で感じさせます。 又、文字の発達、変遷を甲骨文や青銅器の銘文にはじまり、多くの資料を通じて学ぶことが出来るのも有鄰館の特徴であります。「精神的に豊かな社会づくり」はビジョンであり、人間性の維持と復活という永遠のテーマに対し、鑑賞者が何らかのヒントを見出していただけると共に、やすらぎのひとときを与えられる美術館でありたいと念じています。
 "徳は孤ならず必ず鄰有り"、ほんとうにいい言葉ですね。大好きです。わが日本に、アジアにおける仲の良い隣人がいないのは、「徳」がないからだと言えそうです。特に中国との善隣と友好は、東アジアの、ひいては世界の平和にとって欠かせない条件だと思うのですが、昨今の中国脅威論には辟易しています。もちろん、中国政府も、日本政府と同じくらい様々な問題点があることは重々承知しておりますが、それにしても度が過ぎています。これに関して、最近読んだ鳩山友紀夫氏・白井聡氏・木村朗氏の鼎談『誰がこの国を動かしているのか』(詩想社新書12)の中で、白井聡氏が鋭い分析をされています。
 そして、結局、TPPとはアメリカのために貢ぐということではないかと批判され、ついには、実はそのとおりだ、しかしいま中国をアメリカに抑えてもらうには、このくらい貢ぐのも仕方のないことなのだ、という理屈でTPPを推進しようとしています。
 あらゆるイシューをめぐって、とにかく中国脅威論で押し通そうという傾向がいま出てきている。永続敗戦レジームで続けてきた政治体制からすると、確かに対中脅威論にすがるしかないのです。つまり対米従属している合理的な理由が、冷戦崩壊後存在しないわけですから。
 こうして自民党というもののアイデンティティが問われている。自民党には昔はいろいろな考え方の政治家がいましたが、とにかくソ連だけはいかんということで固まっていたわけです。ソ連の共産主義はけしからん、あれにやられたら駄目だということで団結していた。ですから実はソ連崩壊で、自民党も内的原理を失ったということになるのです。ある種、自民党自身もアイデンティティを探す旅に出て、そして安倍さんあたりになって、それを発見したのでしょう。つまり、かつてソ連が果たしていた役割を中国に果たしてもらえばいい、とにかく中国だけはいかんということでまとまっていけば、国民をまとめることもできるのではないかということです。そこにもはや合理性がないわけですから、対中脅威論をあおりにあおるしかないわけです。(p.201~2)
 こうした低劣な扇動に乗らず、"わが国文化の開発は、往昔中国に負うところ更に深し"という歴史的事実に思いを馳せて、これからのより良き日中関係を考えるためにも、一度訪れてみたい博物館です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-19 06:28 | 京都 | Comments(0)

京都観桜編(32):平安神宮(15.3)

 そして平安神宮神苑へと歩いていきました。そう、お目当ては、谷崎潤一郎の『細雪』にも登場する紅枝垂れ桜です。寒竹泉美氏の「古都の影」で紹介されているので、引用します。
 土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年欠かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の神苑の花を見る。(中略) 彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、この神苑の花が洛中における最も美しい、最も見事な花であるからで、圓山公園の枝垂桜がすでに老い、年々に色褪せて行く今日では、まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。

 あの、神門をはいって大極殿を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、―――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉みながら、毎年廻廊の門をくぐるまではあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、 「あー」と、感歎の声を放った。
 「あー」と言いたかったのですが、残念ながら八分咲き。それでも十二分に奇麗なのですけれど、ぜひ満開のころに訪れたいものです。
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 なおこちらのお庭も、小川治兵衛(植治)の作庭によるものです。よろしければ、以前に掲載した訪問記をご照覧ください。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2018-03-16 06:26 | 京都 | Comments(2)

京都観桜編(31):哲学の道(15.3)

 そして哲学の道へ。「京都おもしろスポット」によると、南禅寺から銀閣寺に至る琵琶湖疎水に沿った小道で、哲学者・西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていました。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々されたとのことです。風情ある疎水と小道を覆うように咲き誇る桜のトンネル、すばらしい景観でした。観光客も多くて閉口しましたが、やはり一見の価値はありますね。
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 なお同サイトによると、法然院のそばに、「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」という西田幾多郎の歌碑があるそうです。今回の旅では知らずにいて見過ごしてしまいました。再訪を期す。

 次なる目的地は真如堂、途中に喫茶店「白河」があったので一休みしました。嬉しいことに、こちらも喫煙が可能でした。♪いつもプカプカプーカ♪ 珈琲も350円だったし、喫煙者にはお薦めの喫茶店です。
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 真如堂は紅葉の名所として人口に膾炙されておりますが、どうしてどうして桜の穴場でもあります。満開にはすこし早かったのですが、きれいな桜花が境内を埋め尽くします。
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 穴場は、真如堂の近くにある陀枳尼(だきに)天です。たいへんな桜密度で、空気まで桜色に染め上げられているようでした。おまけに観光客はほとんどおりません。
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 宗忠神社も穴場。長い石段を覆い尽くすような桜のトンネルがありますが、残念ながら五分咲きでした。ここは再訪を期したいですね。

 本日の八枚、上から哲学の道(4枚)、真如堂(1枚)、陀枳尼天(2枚)、宗忠神社(1枚)です。
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by sabasaba13 | 2018-03-15 06:35 | 京都 | Comments(0)