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『知らなかった、ぼくらの戦争』

 『知らなかった、ぼくらの戦争』(アーサー・ビナード編著 小学館)読了。詩人のアーサー・ビナード氏が、23人の戦争世代からその体験談を聞くという内容です。そのインタビュイーが多彩で、私も知らないことが多く、たいへん興味深く面白い本となりました。たとえば、義母の栗原澪子さん、ゼロ戦パイロットの原田要さん、強制収容された日系人のリッチ日高さん、ソ連軍によって択捉島を追われた鳴海冨美子さん、大久野島の毒ガス製造工場に学徒動員された岡田黎子さん、硫黄島で戦った秋草鶴次さん、日本海軍特別少年兵だった西崎信夫さん、満州から引き揚げたちばてつやさん、台湾で暮らした与那国島出身の宮良作さん、鉄血勤皇隊員として沖縄戦を戦った大田昌秀さん、中島飛行機で働いていた古内竹二郎さん、岡山で空襲を体験した高畑勲さん。もちろん他の11人の方々のお話もたいへん貴重なものでした。
 戦争を経験した状況、場所、年齢はそれぞれ違いますが、みなさんの思いに通底しているのは「戦争は醜い」ということです。例えば原田要さんはこう語っています。
 軍医は重傷者を放っておいて。わたしのところにすぐ来て聴診器を当てるんです。
 「わたしは体がしびれているだけだから、こんなわたしじゃなくて、『水! 水をくれ!』って苦しんでいる人のほうを早く診てやってくれ」と頼んだ。すると軍医は、なんのためらいもなくこう答えた。「きみ、これが戦争なんだ。ちゃんと使える人間を先に診て。重傷を負ってもう使えなくなった者は、いちばん後回しだ。これが戦争の最前線の決まり」
 兵士は結局、機関銃や大砲や戦闘機と同じなんだ。使えなくなれば捨てられる。わたしはそのとき、戦争を憎むひとりになった。戦争で幸せになる人はひとりとしていない。(p.27)
 しかしこの醜い戦争に国民を協力させ加担させるには、カラクリや仕掛けが必要です。ビナード氏は、さまざまな方のさまざまな話を聞きながら、そうしたカラクリや仕掛けを、見事な手さばきで剔抉していきます。例えば…
 それなのに、強制収容所にぶち込まれたのは、なぜなのか?
 アメリカ政府の巧妙な手口が、徐々にぼくには見えてきた。
 1940年代の初め、多くの日系人はまじめに働き、それぞれの地域社会に貢献しながら日々、白人とも黒人ともラテン系とも中国系の人びととも触れ合っていた。そうすると「ジャパニーズも人間なんだなぁ」と、みんな日常生活の中で確認することになる。そんな状況がつづけば、焼夷弾で日本人を万人単位で焼き殺すような作戦は喜ばれず、非難されかねない。ましてや無防備の民間人に原子爆弾を投下するなんて、支持を得られる行為ではまったくない。
 だからこそ日系人を癌細胞のように扱い、アメリカ社会からさっさと摘出したのだろう。
 だれも彼らの人間性に触れることができないように、荒れ地のキャンプに閉じ込めて隔離したわけだ。1941年から大々的に始まった「ジャップ」を蔑むプロパガンダのネガティブキャンペーンにも、そんな狙いが透けて見える。
 1942年2月19日の大統領令は、真珠湾攻撃への対処というより、攻撃に乗じた長期計画の出発点だったんじゃないか。
 いずれにしろ、アメリカと日本の関係を考える際、アメリカ政府が日系人に対して行ったことを外してはならないと思う。今までそれが外されて、日米の歴史は盲点だらけだ。(p.39~40)

 いったいぜんたい、こんな有害な施設がなぜ竹原の美しい島に押しつけられたのだろう?
 疑問に思い、ぼくは「毒ガス資料館」のスタッフに尋ねた。
 「実は地元が積極的に誘致して、中央行政と折衝を重ね、来てもらったんです。もちろん経済効果を期待してのことでした」と話してくれた。
 これは各地に原子力発電所が造られた経緯とそっくりではないか。聞こえのいい「雇用創出」とか「地域振興策」が売り文句で、しかも事故の連続、隠蔽の連続、現場労働者の犠牲までも共通している。(p.61)

 瀬戸内海の島で毒ガスを作っていたという歴史を、日本の政府や企業、工場で働いていた多くの人たちも、できることなら、なかったことにしたかった。でも、なかったことにはできない。
 一人の市民が大きな組織的隠蔽にあらがうためには、何度も調査し検証して、裏を取らなければならない。そうしなければ、歴史から消されてしまいかねない。(p.68)

 また、上官から「残務整理」を命じられ、書類を一切合切焼く任務だったというエピソードは、日本の支配層の歴史の扱い方を如実に表していると思う。マヤカシの美化と記録を消す証拠隠滅とは、同じ体質から生じる現象だろう。
 「本土決戦」「一億火の玉」と庶民に残酷なプロパガンダを浴びせつつも、自分たちだけが助かる出口戦略を用意して、責任をとらずに再就職もできる準備をぬかりなく進めていたのだ。(p.111)

 敗色が濃くなるにつれ、精神力がいっそう強調された。戦車に模したリヤカーに向かって突撃を繰り返したり、空に向けて竹槍をひたすら振ったりといったエピソードをたくさん聞いた。国威発揚というより、むしろ反乱防止の効果が大きかった気がする。庶民をみんな、まったく余裕のない状態にしておくということ。そう考えるとこっけいどころか、ただ物悲しい。(p.132)

 沖縄の学校で、自分がかつて受けた教育を振り返り、大田さんは「生徒を試験管に入れて純粋培養」とたとえて語った。思想の自由とは相容れない「皇民化」が、その教育の最大の狙いであり、純度の高いカリキュラムを組み立てた政府は、社会の多様性を忌み嫌っていた。
 なぜなら、古今東西の哲学者や政治家や宗教家や篤農家や文学者の幅広い知恵に、人びとがアクセスできてしまうと、学校を通じた愚民教育はうまくいかないからだ。
 「お国のために命をささげることが人間としていちばん正しい生き方だ」と、しっかり教え込むためには、まず人間と動植物と地球と宇宙の過去と現在の大部分をシャットアウトする必要がある。「試験管に入れて純粋培養」とは言い得て妙だ。(p.154)

 言葉があふれ返っていることは間違いない。映像に至っては洪水状態だ。それらにアクセスする飛び道具も激増して、でも、多様性につながっている形跡がない。
 現代社会の議論が活発というわけでもなく、むしろ思想が萎えてしまっている印象が強い。大事な情報が一般に伝わっているとはとうていいえない。
 日本の学校に目を向ければ、一種の純粋培養が行われているようにも感じられる。「お国のため」というより「お受験のため」が名目だが、深く考えて本質を探る教育にはほど遠い。
 古本屋街に積まれている人類の英知が、宝の持ち腐れになってはいないか。スマホで簡単にタッチできるアイコンのほうが、ぼくらの思考回路において支配的かもしれない。
 試験管の中から抜け出て、現実を直視してきた大田さんと語り合って、最新型の試験管から抜け出るにはどうすればいいのか、ぼくは大きな宿題をもらった。(p.155)

 「敵性語」といったキャッチコピーは、筋が通っているように見えて、実態は矛盾だらけだ。「鬼畜米英の言葉など学んではダメだ!」と、大日本帝国はキャンペーンを張ったが、その真の目的は、一般市民が日本語以外の情報源にアクセスできないようにすることだったのだ。意地悪な言い方をすれば「愛国のパッケージに包んだ愚民政策」であった。(p.163)
 こうした貴重な証言を無駄にしないために、そして犠牲となった多くの人々を犬死としないためにも、戦争を促すカラクリや仕掛けに騙されない力、政府の嘘を見抜く力を身につけたいものです。

 なおちょっとジーンときたのが、ちばてつや氏のエピソードです。ちば一家は、敗戦時に多くの日本人が中国人による報復などの苦難に直面した中、無事に満州から引き揚げることができました。彼の父の同僚であった徐集川さんという中国人が、ちば家を救ってくれたそうです。それと聞いたビナード氏、はたと気づいて、『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈の名前は、徐(じょ)さんが源ではないかと訊ねます。ちばてつや氏はびっくりして、「そうか…そうかもしれないです」と答えます。実は他にも、『紫電改のタカ』の主人公は滝城太郎、『走れジョー』の主人公の名前も城太郎。無意識のうちに徐さんに恩を感じていたのかもしれない、と語ります。(p.121)

 というわけで、お薦めの一冊です。ただ惜しむらくは、加害者となった方の話がないことです。もちろんさまざまな難しい制約があることがわかってはいますが、戦争の全体像を把握するためには、欠かせないことだと思います。続編を待っています。
by sabasaba13 | 2018-04-29 06:26 | | Comments(0)

『人生フルーツ』

c0051620_21382111.jpg 最近、面白い映画が目白押しです。というよりも、「週刊金曜日」「DAYS JAPAN」「しんぶん赤旗」「東京新聞」の映画評を丹念に読むようになったおかげかな。映画館に行くとまた面白そうな映画のチラシが見つかるという好循環が続いています。しかし今回は、われわれ御用達のお店、練馬駅近くの「マッシュポテト」の店員さんが強く薦めてくれた映画です。
 上映館はこちらもわれわれ御用達の「ポレポレ東中野」。映画を見た後に近くで夕食をとろうと、「食べログ」でいろいろ検索した結果、「タラキッチン」というカレー屋さんに決めました。インター―ネットで予約をして準備万端です。

 それでは公式サイトから、あらすじを転記しましょう。
 むかし、ある建築家が言いました。
 家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。

 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。

 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめました。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。
 そう、"暮らしの宝石箱"に住まいながら、平和で穏やかな暮らしを営む老夫婦のお話です。ただそれだけ。それだけなのに、何て愛おしい映画なのでしょう。つかず離れず、適度な距離感を保ちながら仲睦まじく暮らす90歳の修一さんと87歳の英子さん。野菜や果実の栽培、料理、編み物、機織りなど、手間ひまかけた手仕事にコツコツのんびりと勤しむ英子さん。家の修繕や英子さんの手伝い、得意のイラストで手紙を書いたり畑の立て札をつくったり、小さな手仕事にコツコツのんびりと勤しむ修一さん。そこには競争も、収奪も、過剰な欲望も消費も、ありません。言いかえれば、経済成長とは縁もゆかりもない暮らしです。吾唯足るを知り、協働と支え合いと思いやりに満ちた良質な暮らし。そこには、私たちがめざすべき懐かしい未来があるような気がします。

 数百年にわたって人間を呪縛してきた「経済の無限なる成長」がもはや不可能であることが明らかになりつつある現在。しかしそこから目をそむけ、弱者を犠牲にしながら経済成長をやめようとしない世界、そして何よりも日本。安倍伍長の唱える「働き方改革」とはそういうことですよね。
 無謀な経済成長を続けるのか、それともゼロ成長あるいは脱成長に転換するのか、そういう歴史的な岐路に私たちは立っていると考えます。ある方曰く、墜落か、胴体着陸か。でも最近読んだ『成長から成熟へ -さよなら経済大国』(天野祐吉 集英社新書0713)で紹介されていた先哲たちの言葉を噛み締めると、それほど酷いダメージではない胴体着陸ですみそうな気もします。
デニス・ガボール 『成熟社会-新しい文明の選択』(講談社)
 成熟社会とは、人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類(homo sapiense)の性質と両立しうる世界である。(p.176)

E・F・シューマッハー 『宴のあとの経済学』(ちくま学芸文庫)
 それにしても、「成長は善である」とはなんたる言い草か。私の子供が成長するのなら至極結構であろうが、この私がいま突然、成長し始めようものなら、それはもう悲劇である。(p.177)

セルジュ・ラトゥーシュ 『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社) 『 〈脱成長〉は、世界を変えられるか?』(作品社)
いまの消費社会は、成長経済によって支えられているが、その成長は人間のニーズを満たすための成長ではなく、成長をとめないための成長だ。(p.179)

 この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、エセエコノミストと馬鹿ばかりの世界になっている。 (p.181)

 もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら、われわれは十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて26倍も消費しているのですから。しかし、人びとがその頃よりも26倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です。(p.181)

 脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残すわれわれの痕跡を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす。(p.184)

浜矩子 (朝日新聞 2012.11.24)
 (かつての日本は)欧米諸国から「エコにミックアニマル」と言われました。
そのころの日本経済は「フローはあるが、ストックがない」とも言われていました。平たく言えば、フローは「勢い」、ストックは「蓄え」です。勢いは「経済成長率」「経済成長力」、蓄えは「富」「資産」と言い換えてもいいと思います。
 (…) (あのころから見ると)確かに、いまの日本に勢いはなくなっている。しかし、蓄えは世界で最大規模に到達しました。交通網の充実ぶりなど、生活インフラのレベルの高さを見ても、成熟度はすさまじい。
 ここまで成熟した日本が、経済規模において中国に抜かれて2位から3位になるのは当たり前です。成熟を受け止めて、それにふさわしい展開を考えていく必要があります。(…) 私はこれを老楽(おいらく)国家と名付けたい。「老いは楽し」という精神性の中で成り立つ国家です。成熟度を上手に受け止め、生かし、展開する。老楽国家を成り立たせる概念は二つあると思います。一つ目は「シェアからシェアへ」、二つ目は「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性の出あい」。包摂性は包容力と言っても良いでしょう。
 シェアという言葉で、一定の年齢より上の世代の人に思い浮かぶのは「市場占有率」になると思います。(…)
 シェアには、これと相反する意味もあります。友だちとご飯をたくさん注文してシェアするというときの「分かち合い」です。老楽国家では、奪い合いのシェアから、分かち合いのシェアへの切り替えが必要です。
 「多様性と包摂性の出あい」は、頭の中に座標平面をイメージしてください。縦軸が包摂性で、上に行くほど包摂性が高い。横軸が多様性で、右に行くほど多様性が高くなります。包摂性も多様性も高い、右上の第1象限が理想郷です。我々はそこに行きたいのです。
 グローバル時代に、ここまで成熟した経済社会は日本しかない。(…) 我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せることができる。(p.186~8)
 脱成長の時代に、地域はどうやって存続することができるかを描いた映画が『おだやかな革命』であり、個人はどう暮らしを楽しめるかを描いた映画が本作品だと思います。先哲の言葉を借りれば、生活の質、人間のニーズ。ゴミを減らし、環境に残すわれわれの痕跡を減らし、過剰生産を減らし、過剰消費を減らす。老楽、多様性と包摂性。
 「経済成長」という幻想をふりまき、自然と弱者を踏みにじりながら、より豊かになろうとする強者。そのおこぼれにあずかれると信じこみ、強者による経済運営を支持する弱者。「そろそろ目を覚ましたら?」という、二人の声が聞こえてきませんか。いい映画でした。

 映画を見終わり、予約をした「タラキッチン」へ。映画の感想を話し合いながら、美味しいカレーや、ナンや、タンドーリチキンや、カバブを納得のゆくお値段で堪能しました。新たなご用達のお店となりそうです。
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 東中野銀座商店街を駅へと歩いていくと、「ル・ジャルダン・ゴロワ」というちょっと気になるお店がありました。何の変哲もない普通の店構えなのですが、ショーウィンドウに並べられているのは美味しそうなフランス菓子と惣菜。値段もそれほど高くはありません。タルトの詰め合わせを購入して、帰宅後珈琲とともに食べましたが…言葉にできないのがもどかしいほどの美味しさ。こちらもご用達となりそうです。
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 良い映画と、美味しいカレー、美味しいタルト、そして気の合う伴侶。こういう一日に出会うと、長生きがしたくなります。
by sabasaba13 | 2018-04-27 06:26 | 映画 | Comments(0)

「メモリアル・アルバム 1955-2014」

c0051620_10271012.jpg 入江宏というピアニストをご存知ですか。先日『週刊金曜日』のCD評で教示していただき、はじめて知りました。内科医として病院勤務の多忙な日々を送りつつ、東京や横浜などのジャズ・スポットで週末に数セットのライブ演奏をしたジャズ・ピアニスト。しかし円熟期に病となり、長い闘病生活を経て、2014年3月に逝去されました。享年58歳。彼の素敵なピアノ演奏をおさめたアルバム「メモリアル・アルバム 1955-2014」が発売されているとのこと、さっそく購入しました。
 まずジャケットが良いですね。地味な色合いの無地に、眼鏡と髭のみのイラストで描かれたシンプルで愛らしい似顔絵が中央に小さく置かれています。彼の人となりや演奏が彷彿としてくるようです。CD二枚組で、一枚目はソロ・ピアノ。家人にも知らせずに自宅でひそかに録音していたものが、死後偶然に見つかったもの。二枚目は彼がピアニスト、キーボード奏者としてジョージ大塚・山口真文・ミロスラフ・ヴィトゥス・神崎ひさあきらと共演したレコーディング・セッション。
 一曲目の「ラストナイト・ホエン・ウィー・ワー・ヤング」から、彼の世界に惹きこまれました。シャイな男性が、はにかみながら、思いのたけを言葉を選びながら愛する女性に告げるような演奏です。ほんとうに一音一音を大切にした暖かいピアノです。心や体の隙間や溝にたまった俗塵がきれいに洗い流されるようです。最近は、仕事に疲れて帰宅すると、まずこのCDを聴くようになりました。二枚目のセッションもわるくはないのですが、やはり一枚目のソロ・ピアノが出色の出来ですね。

 ご子息のブログで、入江宏氏の友人が書かれたライナーノーツが紹介されていました。引用します。
 自分より若い世代の医師たちが、検査データの数値が表示されたPC画面ばかりを見ていて患者の顔も見ず、聴診も触診も行わなくなっていることを、入江が嘆息まじりに口にするのを聞いたことがある。人間に対する、生に対する敬意と配慮は、医師・入江宏と音楽家・入江宏に共通する姿勢だった。そして、硬直した制度や組織、強ばった精神は入江宏が最も嫌うところだった。
 "生に対する敬意と配慮"、彼の素晴らしい音楽を理解するポイントはここにありそうですね。
by sabasaba13 | 2018-04-25 06:27 | 音楽 | Comments(0)

セシル・マクロリン・サルヴァント頌

 『週刊金曜日』のCD評で、セシル・マクロリン・サルヴァントという若きジャズ・ボーカリストの存在を知りました。さっそく紹介されていた、グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に選ばれたアルバム「ドリームス・アンド・ダガーズ」を購入して聴きましたが、これがなかなかいける。近々来日して、「ブルーノート東京」でライヴを開くとのこと、ぜひ聴いてみたいですね。そういえば、最後にジャズの生演奏を聴いたのは、大学生のときに新宿の「ピットイン」以来です。最近合唱にはまっている山ノ神を誘ったら快諾、ジャズ・ボーカルにも興味があるようです。チケットぴあでチケットを購入したところ、お店に電話を入れて整理番号を得るとのことでした。連絡をしたところ、開演一時間前に来店して整理番号順に席を選べるとのことです。なるほど。でも一時間も店の中でぼーっとしているのもなんですし、近くに面白い場所はないでしょうか。インターネットで所在地を調べてみると、ぬぅわんと、すぐ隣が根津美術館、歩いて行ける距離位に青山霊園があります。時は3月24日、例年より早く東京では桜が満開になりつつあります。青山霊園で桜並木を愛で歴史上の人物のお墓を掃苔し、「ブルーノート東京」に行って席をおさえ、桜に期待して根津美術館のお庭を徘徊し、店に戻ってサルヴァントのライヴを聴く。おお、巨大な連関が音を立ててつながった。がしゃん。

 当日、すこし早めに家を出ようとすると、「きゃージャズ・クラブなんて初めて、何着ていこうかしら何着ていこうかしら」とはしゃぐ山ノ神。お召し物の選択に時間をとられ、出立の時刻が大幅に遅れてしまいました。せんかたない。掃苔は後日にゆっくりすることにして、まずは青山霊園の見事な桜並木を遊歩。その途中で小村寿太郎と川上操六のお墓を偶然見つけることができました。
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 そして十分ほど歩いて「ブルーノート東京」へ、地下へ降りる階段のあたりに所狭しと貼ってあるジャズメンの写真に血沸き肉躍ります。
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 フロントで整理券をもらって順番を待ち、さらに地下へ降りると意外に広い空間でした。さてどこに座ればよいか、係の方にお薦めの席を訊ねると、やはりステージ近くで歌い手を間近に見られる席がよいでしょうと案内してくれました。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(『徒然草』第52段)ですね。開演まで退席すると係の方に告げて再入場券をもらい、すぐ近くにある根津美術館に行きました。隈研吾の設計による竹を使った印象的なエントランスを抜けて、館内へ。「香合百花繚乱」という企画展が開催されていましたが、時間がないので庭園だけ見ることにしました。起伏のある池泉回遊庭園で、都心とは思えないほどの静寂な雰囲気に満ち満ちています。残念ながら桜は少なかったのですが、心洗うような緑、爽やかな潺の音、鳥の声と風の音を楽しみました。
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 開演直前に「ブルーノート東京」に戻って席に着き、ジャマイカン・ジャークチキン、パスタ、シーザーサラダ、ビールを注文。不味くはないのですが、いかんせん値段が高い。次は、食事は違うところでいただいて、飲み物だけ注文することにしましょう。各テーブルには著名なジャズマンのプレートがありますが、われわれのテーブルにあったのはゲイリー・バートン。こいつは春から縁起がいいわい、私の大好きなヴィブラフォン奏者、チューリヒでライブ録音された「チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート」は愛聴盤です。用を足しにトイレに行くと、男女表示は音符。でもなぜ男性が四分音符で女性が八分音符なのでしょう? 女性は半人前ということですかい。
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 席に戻ってビールを飲みながらパスタを食していると、伴奏のアーロン・ディール(p)・ポール・シキヴィー(b)・カイル・プール(ds)を従えて、セシル・マクロリン・サルヴァント(vo)の登場です。ハイチ人の父とフランス人の母のもと、米国フロリダ州マイアミで誕生。5歳でピアノを始め、21歳の時に「セロニアス・モンク・コンペティション」のヴォーカル部門で優勝。2015年リリースの『フォー・ワン・トゥ・ラヴ』はグラミー賞の最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバム賞に輝いた気鋭のヴォーカリストです。貫頭衣のようなシンプルなワンピースとサンダル履き、リラックスした雰囲気ですが、その恰幅の良さには驚きました。大学生の時にオーケストラの先輩が「腹も楽器のうち」とよく言っていましたが、なるほど、声がよく響きそうです。
 そして歌が始まりましたが、一曲目から♪身も心も♪惹きこまれてしまいました。素晴らしい… 艶やかで張りのある声、伸びる高音と響く低音、気持ちのこもった節まわし。これぞジャズ・ボーカルという醍醐味を堪能しました。それに加えてバックをつとめるピアノ・トリオがお見事、サルヴァントの歌声を際立たせようと、隅々まで神経を使った繊細な演奏でした。なかでもカイル・プールのドラムがいいですね。ブラシやリム・ショットなどの多彩な小技を駆使したり、スティックを持つ位置を変えたりマレットを使ったりして、単調になりがちな太鼓の音に彩りを添えています。
 ニュー・アルバムを中心とした選曲で、スタンダード・ナンバーが少なかったのがすこし残念でしたが、十二分に楽しめました。アンコールで歌ってくれたのは、ア・カペラによるショパンの「別れの歌」。涙がにじむくらいに胸を打たれました。
 山ノ神もご満悦の様子。♪When you're smilin' The whole world smiles with you♪ 彼女の歌を、そしてジャズの生演奏を、また聴きに来るぞと、♪俺の闘志がまた燃える♪のでした。
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by sabasaba13 | 2018-04-23 08:11 | 音楽 | Comments(0)

赤道の下のマクベス

c0051620_18504893.jpg 『週刊金曜日』の演劇評で、「赤道の下のマクベス」という作品が紹介されていました。朝鮮人BC級戦犯をモチーフとした演劇、これは面白そうです。作・演出は鄭義信氏、主催は新国立劇場。さっそくチケットを購入し、山ノ神と東京・新国立劇場の小劇場に見に行くことにしました。
 劇場やホールに行くときは、その近くで美味しい料理に舌鼓を打つのが無上の喜びです。今回は初台ですので、東京オペラシティ53階にある「つな八」で天ぷらをいただきました。暮れなずむ東京を眼下に眺めながら、キスと小エビ、フキノトウ・新玉ねぎ・タラの芽、稚鮎と蛤、かき揚げのお茶漬けを堪能。
 そして新国立劇場の小劇場へ、ここは初めて訪れました。場末の芝居小屋の雰囲気をそこはかとなく感じさせる、なかなか良い雰囲気です。舞台装置は、刑務所の中庭とそこに面した牢獄の六つの扉、その上方に据え付けられた絞首台がこれからのドラマを雄弁に物語っています。
まずはプログラムからあらすじを転記します。
 1947年夏、シンガポール、チャンギ刑務所。
 死刑囚が収容される監獄・Pホールは、演劇にあこがれ、ぼろぼろになるまでシェイクスピアを読んでいる朴南星(パク・ナムソン)、戦犯となった自分の身を嘆いてはめそめそ泣く李文平(イ・ムンピョン)、一度無罪で釈放されたにも関わらず、再び捕まり二度目の死刑判決を受けるはめになった金春吉(キム・チュンギル)など朝鮮人の元捕虜監視員と、元日本軍人の山形や黒田、小西など、複雑なメンバーで構成されていた。
 BC級戦犯である彼らは、わずかばかりの食材に腹をすかし、時には看守からのリンチを受け、肉体的にも精神的にも熾烈極まる日々を送っていた。
ただただ死刑執行を待つ日々、そして、ついにその日が訪れた時…。
 購入したパンフレットを参考にしながら、この劇の背景を確認しましょう。大本営は、インパール作戦の物資輸送のためタイ・ビルマ間に泰緬鉄道を建設しました。日本軍は、ジャングルや乏しい食糧・医薬品という悪条件のなか、わずか1年余りで415キロの鉄道を突貫工事で完成させたのです。その際に、現地人のほか、英豪の連合軍捕虜延べ6万人を過酷な強制労働に駆り立てて、多くの犠牲者を出すという極めて非人道的な事業でした。この捕虜の監視にあたった軍属が、上官の命令により捕虜を虐待して強制労働を強いたのですが、戦後、それが連合国の憎悪を買いBC級戦犯として起訴されることになりました。上官の命令に服従しただけなのに、責任を肩代わりさせられ、場合によっては死刑にされるという不条理。しかも監視員には、植民地とされていた朝鮮・台湾の若者も含まれており、彼らが日本人戦犯として処罰されるというさらなる不条理も存在します。
 そうした不条理で理不尽な死がいつ訪れるかわからないという状況のなか、六人の人間がそれぞれの性格や立場に応じてさまざまな行動をとります。陽気に騒ぐ朴南星と黒田、故郷の母を思って悲しみにくれる李文平、日本人への怒りをぶちまける金春吉、泰緬鉄道の駅を思い出しながら監獄の壁に描き続ける小西。しかし理不尽な死をまぎらわすかのように遊び、歌い、踊り、互いをからかい、時には恐怖と絶望にうちひしがれる。俳優のみなさんの陰影のある、ダイナミックな演技には瞠目しました。
 印象的なのが、この五人から距離をとって孤立している山形、捕虜虐待を命じた上官です。彼を登場人物としたことで、劇に厚みが増したと思います。上官に命じられた捕虜虐待、それではその上官に責任があるのか。いや、彼も上官に命じられたのでしょう。この責任の連鎖をたどっていくと、大本営、さらには昭和天皇に行き着きます。しかし「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」(大日本帝国憲法第3条)、天皇の責任を問うことはできません。責任の所在がはっきりとせず、結局立場の弱い末端がその肩代わりをさせられる、大日本帝国の病理を暗示しているようです。山形は黙して語らず、その内心はわかりませんが、母国にいる家族への思いが伝わってくるシーンが挿入されています。
 そしてこの六人に共通しているのは、いつ訪れるかわからない理不尽な死を前にして、とにかく「生きたい」という強烈な意思です。結局、三人の死刑が執行されるのですが、池内博之氏演じる朴南星が死ぬ直前に絞り出すように呻く「生きてえ、生きてえなあ」という台詞がいまだに耳朶に残ります。
 もう一人は釈放され、黒田と李文平が監獄に取り残されます。死刑執行を待つ二人が、スコールを浴びながら、今生きている喜びをかみしめる最後の場面も印象的でした。

 パンフレットには、作・演出の鄭義信氏と芸術監督の宮田慶子氏の対談が掲載されていましたが、次のようなお話がありました。
[宮田] 戦後70年を過ぎると当時20歳の方が今93歳ですからね。その子どもの世代が70代前後。語り継がないと何も分からなくなります。分からないと興味ももたなくなる。歴史として残したいのではなく、生きていた証として、演劇で義信さんが残してくださることはとても大事なこと。演劇というのはやはり人間です。人間を基点にして物事を考えることがすべてに通じると思います。演劇のよさはそこですね。
[鄭] 結局、原始的ですからね、演劇は。演じているのも観るのも人間。そこには抗うことができない人間の感情がいっぱいある。(p.9)
 大日本帝国と連合国という強大な権力によって翻弄され、無残な死を強いられた朝鮮人BC級戦犯。その人間の悲劇を、生身の演技で再現し、彼らが生きていた証として体感させてくれた鄭義信氏に感謝したいと思います。

 ひとつ付言しておきたいのは、1952年に日本が独立を回復した時、鮮人らは一方的に日本国籍を剥奪され、朝鮮人軍人・軍属は軍人恩給などの支給がなされません。他方、朝鮮人戦犯は刑が科せられた時点で日本人だったからということで刑の執行は継続されます。朝鮮人を弊履の如く使い捨てた大日本帝国のおぞましさを痛感します。『普遍の再生』(岩波書店)の中で、井上達夫氏はこう述べられています。
 石田雄が指摘するように、1953年の軍人恩給復活以来、50年代から60年代にかけて教育二法制定、教科書検定、天皇が日本の戦死者を悼む言葉を述べる国家行事としての全国戦没者追悼式の恒例化、戦没者を含む叙勲制度の復活等を通じて、冷戦下の逆コース的ナショナリズム復活の動きに即応した「記憶の共同体」の再建が推し進められた。「これまでの国内における軍人を中心とした犠牲者に対する援護費が40兆円におよぶ〔中略〕にもかかわらず、2000万人にもおよぶ死者を出したともいわれるアジア諸国に対して支払った賠償およびそれに準ずるものが(在外資産の喪失額を加算して)1兆円であるという著しい不均衡」の事実に示されるように、戦後日本の「正史」は侵略者である「自国の死者」を「見殺し」にするどころか、手厚く国家的に追悼し顕彰すると同時に、彼らの遺族に膨大な物質的補償も与えてきたのである。この「正史」が「見殺し」にしてきたのはむしろ、未だ十分に償われぬ膨大な数のアジア諸国の犠牲者であり、侵略に加担させられて戦死したりBC級戦犯として処刑されたりしながら、追悼と補償の対象から戦後長く排除されてきた台湾・朝鮮の旧植民地の死者たちであった。
 そしていまだにこの問題の解決に尽力しない、日本国および日本国民のおぞましさも。『週刊金曜日』(№1180 18.4.13)に、「外国籍元BC級戦犯者問題 解決求める最優先課題だ」という記事は掲載されていたので転記します。
 4月3日、外国籍元BC級戦犯者問題解決の立法実現を今国会で求める集会が衆議院議員会館で開催され、韓国人元BC級戦犯の李鶴来(イ・ハンネ)さん(93歳)や遺族、与野党国会議員等が約50人が集まった。
 太平洋戦争末期、植民地下の朝鮮や台湾から約3000人の若者が東南アジア各地の日本軍の捕虜収容所監視員に軍属動員された。戦後、連合国軍軍事裁判でBC級戦犯として朝鮮人148人、台湾人173人が有罪、うち朝鮮人23人、台湾人26人が死刑執行された。
 李さんは1942年、17歳で故郷全羅南道から泰緬鉄道建設労働で多くの連合国軍捕虜が死亡したヒントク捕虜収容所に派遣。47年にシンガポールで死刑判決。奇跡的に禁錮20年に減刑され巣鴨プリズンに移監。56年に出所した。
 服役中にサンフランシスコ講和条約で日本国籍を剥奪、援護制度から排除され、韓国では「親日派」で帰国できず、在日生活は苛酷だった。刑死した同胞の名誉回復や仲間への日本政府の謝罪と補償等を求めて55年に「同進会」が結成。李さんも参加し、歴代政権への要請行動はじめ91年からは裁判闘争を開始、98年最高裁判決確定後は立法解決を求めてきた。
 2008年、当時の民主党政権が外国籍元BC級戦犯に対する「特別給付金支給法案」を国会提出したが廃案。16年以降日韓両国の議連が協力し法案準備したが政局等で足踏み状態。昨年11月、李さんは体調を崩し院内集会に参加できなかった。「同進会」生存者は李さんを含め3人のみ。李さんは、「今国会で解決して頂き、苦悩して亡くなった友人たち、殊に刑死した仲間たちの無念を晴らし、名誉回復して頂きたい」と挨拶した。
 超党派「日韓議連」の自民党北村誠吾議員は「今まで解決できず日本人として恥ずかしい。与党もしっかり取り組まなければ、ここで挨拶する意味はない」。
 5月開催予定の日韓首脳会談で未解決問題として最優先課題だ。(西中誠一郎) (p.7~8)
 それにしても、俳優志望の朴南星が、劇中で演じるのが、なぜシェイクスピアの『マクベス』なのでしょう。ウィキペディアによると、勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行ない、貴族や王子らの復讐に倒れるという劇です。策謀と暴力によってアジアの僭主となった日本が、さまざまな重圧によって錯乱し暴政を行ない、連合国によって倒された。そのメタファーなのかな。
by sabasaba13 | 2018-04-21 06:27 | 演劇 | Comments(0)

近江編(81):朽木(15.3)

 そしてバスに乗り込み、山々に向かって走ること三十分ほどで朽木に着きました。古くから、若狭国小浜と京都を結ぶ街道の街道筋として栄えた宿場町で、「朽木の杣」と呼ばれた木材の供給地でもありました。お目当ては、興聖寺の境内にある「旧秀隣寺庭園」です。1528(享禄元)年、室町幕府12代将軍足利義晴が京都の兵乱を避け、このあたりを支配する朽木氏に身を寄せてきたため、朽木氏の居館は将軍御所「岩神館」となりました。その岩神館の中に、鑑賞および将軍の公的な権威を示す儀礼の場として作庭された池泉観賞式庭園です。
 私が敬慕する重森三玲氏が惚れ込み、「飽きがこない」と年に一度は訪れて、庭園に佇まれていたそうです。中世を代表する貴重な庭園で、氏のお孫さんにあたる重森千靑(ちさを)氏は、『日本の10大庭園 -何を見ればいいのか』(祥伝社新書)の中で、こう述べられています。
一乗谷朝倉氏遺跡庭園群
 池の東端に浮かぶ島は「亀島」である。一方の西端には「鶴石組」が表わされ、ともに巨石を用いた豪快な構成となっている。亀島の奥には滝石組があり、まことに折り目正しく、かつ武将らしい強さを前面に押し出した室町時代後期庭園といえる。ほぼ同時期に造られた名庭として、京都の北方、朽木の地に残る「旧秀隣寺庭園」(滋賀県高島市)があるが、力強い亀頭石などが類似性を感じさせる。(p.176)
 また白洲正子氏は、『かくれ里』(講談社学芸文庫)の中で、こう書かれています。
 石は当然庭と結びつく。近江には、これもあまり人に知られていないが、名園が多い。朽木谷の興聖寺には、足利将軍義晴が、ここに逃れた時造ったという石庭があり、安曇川の渓流をへだてて、比良山が眺められる。今は少々荒れているが、妙に手のこんだ庭園より、石組みも自然で、気持ちがいい。造園は、茶人が指揮したにしても、働いたのは近江の石工たちであったろう。そう言えば、「お庭番」と呼ばれた将軍家の隠密も、伊賀・甲賀から出たしのびの者であった。(p.97)
 これは楽しみですね。
by sabasaba13 | 2018-04-19 06:28 | 近畿 | Comments(0)

言葉の花綵174

 今は末世だ、気違いが目くらの手を引く。(シェークスピア 『リヤ王』)

 人間を惹きつけるものはただひとつしかない。それは人間だ。(パスカル)

 別個に進んで一緒に撃て。(レオン・トロツキー)

 さんざん相手を殴っておきながら、殴った自分の手が痛くなったのでもうやりませんって。殴られた人はどうなるんだ。(坂野潤治)

 重要なことは二度経験しないと本当には理解できない。(ヘーゲル)

 肉屋を支持する豚 (unknown)

 Stay Hungry. Stay Foolish. (スティーブ・ジョブズ)

 本が燃やされるところでは、最後には人が燃やされることになる。(ハインリヒ・ハイネ)

 歴史的な出来事が、歴史の中で明確に意識されるのには、六十年が必要だ。(井出孫六)

 年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。(サミュエル・ウルマン)

 万人が花を持つまで、花を持つな。(額田勲)

 愚かな民は愚かな代表を選ぶ。主権が国民にあるということは、国民が愚かだと失敗する可能性があるのです。(ドイツ連邦放射線防護庁の某役人 『DAYS JAPAN』 2016.9)

 すべてのスタートは「こんちくしょう」です。(斎藤美奈子)

 道は険しく、時間は限られているが、負けられない闘いはすでに始まっている。(中野晃一)

 奴隷は奴隷らしく扱うのが正しい。(白井聡)

 一つの悪事を隠蔽するためには幾つも悪事を犯さねばなりません。(山崎今朝弥)

 国家には感情がない、あるのは利益だけである。(ド・ゴール)
by sabasaba13 | 2018-04-17 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)

近江編(80):藤樹書院跡(15.3)

 駅前には中江藤樹の銅像と、彼のことばを記したプレートがありました。後学のために転記します。
藤樹先生のことば(9)
 天下の兵乱も又明徳のくらきよりおこれり。
 先史の時代から、この地球上において、人間どうしの悲惨な戦争がたえまなく起こっています。なぜ戦争が繰りかえされるのでしょうか。その原因のつまるところは、明徳をくもらせていることにあると、藤樹先生は断言しています。政治にたずさわる者の「利欲の心」と「満心」によって、明徳をくもらしてしまうのです。それをとりのぞくには、論語や孟子などの古典をまなぶことが、だれにでもできる最上の方法なのです。
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 嗚呼、藤樹先生。お恥ずかしい話ですが、われらが首相は「利欲の心」と「満心」が服を着て歩いているような御仁で、しかも古典に学ぼうとする気はさらっさらないようなのです。どうすればいいのでしょうか。さらに●があったら入りたい話ですが、彼が率いる政党の立候補者に投票する御仁や、棄権をして彼らに政治を丸投げする御仁が、山のようにいるのです。どうすればいいのでしょうか。

 タクシーに乗って十分ほどで王林寺にある中江藤樹の墓所に着きました。合掌。その近くに彼の私塾、藤樹書院がありますが、焼失のために明治時代に再建された建物だそうです。
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 そして安曇川駅まで戻ってもらいましたが、次なる目的地の朽木に行くバスは9:05発。三十分ほど時間があるので、喫茶店でモーニング・サービスをいただければよいのですが…あった。駅前のウエストレイクホテルに「可以登楼」という喫茶店がありました。渡りに船、さっそく入店してモーニング・サービスを食しました。おっアヲハタのジャムだ、忠海で本社に出くわしたことが懐かしく思い出されます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-04-15 08:54 | 近畿 | Comments(0)

近江編(79):藤樹書院跡(15.3)

 珍しい意匠の透かしブロックを撮影し、それでは新旭駅へと戻りましょう。途中に、きれいな菜の花が咲いていました。新旭駅から湖西線に乗って、次の安曇川(あどがわ)駅で下車。
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 タクシーを利用して、中江藤樹の墓と藤樹書院跡を訪れました。中江藤樹(1608~1648)、江戸初期の儒者で、初め朱子学を信奉しましたが、晩年に王陽明の著書に接し、陽明学の祖となりました。村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称されました。門下に熊沢蕃山がいます。

 なお1904(明治37)年に発行された高等小学修身書(第二学年児童用)に、藤樹が登場しています。
第二課 主人と召使
 中江藤樹は近江の小川村の人なり。はじめ、伊予の加藤氏につかへしが、故郷にある母を養はんがため、つかへをやめて帰れり。
 この時、伊予より、一人の召使従ひきたれり。されど、藤樹は家貧しければ、これを雇ひおくことあたはず、よって、わがもてるわづかの銭の中より、その過半を分ち与え、故郷に帰り、商をなして、生計をたつべし。」といへり。召使は「主人の仰は、まことに、うれしけれども、われは金銭を受けんとは思はず、ただ、いつまでも、つかへて、艱難をともにせんことを願ふ。」と答へたり。藤樹は、その志をあはれとは思ひしが、せんかたなく、あつく、これをさとしたれば、召使も涙を流して、帰りゆけり。

第三課 徳行
 藤樹は母に孝行をつくし、また、学問をはげみ、つひに、名高き学者となり、多くの弟子はもとより、文字を知らざるものまでも、藤樹をしたふにいたり、人、みな、近江聖人ととなへたり。今にいたるまで、村民その徳を仰ぎ、年年の祭をたやさず。
 ある年、一人の武士、小川村の辺をすぎ、藤樹の墓をたづねんとて、畑をたがやせる農夫に、道をたづねたり。農夫はさきだちて、案内せしが、途中にて、わが家にたちより、衣服をあらため、羽織を着て、行きたり。武士は、心にうちに、われをうやまふがために、かくするならんと思ひしが、藤樹の墓にいたれば、かの農夫、垣の戸をひらきて、武士をその中に入らしめ、おのれは戸の外にひざまづきて拝したり。武士このさまを見て、さきに、農夫の衣服をあらためしは、藤樹をうやまふがためなりしことをさとり、ふかく、感じ、ねんごろに、その墓を拝して、去りたりとぞ。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-04-13 06:20 | 近畿 | Comments(0)

近江編(78):針江(15.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると雨はやんでおり薄曇りの空。今日も今日とてパッツンパッツンの行程なので、すぐにチェックアウトをし、午前六時半に配車してもらったタクシーに乗り込みました。マキノ駅に着き、ホームに出ると連山が雪を頂いています。
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 湖西線に乗って三つ目の駅が新旭駅です。お目当ては針江集落、地域住民がきれいな湧き水と共存する景観をぜひ見たいと思います。新旭駅前ロータリーには「旭日昇天 躍躍の郷」という銅像がありましたが、このあたりで行なわれる七川祭(駒練り)と竹馬祭を表現しているそうです。
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 駅から針江までは徒歩約15分、のこぎり屋根の町工場や森神社を撮影しながら、のんびりと歩きました。
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 そして針江に到着、清らかな水が家々に沿うように流れる素晴らしい景観です。比良山系に降った雪・雨が伏流水となって湧くきれい水を、地元の方は生水(しょうず)と呼び、昔から大切に利用してきたそうです。そして集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムが"かばた"(川端)です。かつては飲料や炊事のために利用され、今でも野菜を冷やしたり食器を洗ったりされているとのことです。壺池(つぼいけ)や端池(はたいけ)といった"かばた"は、個人のお宅の中にあり、公道からは見ることができません。

 散策しているときに、下記の注意書きを見つけて愕然としました。
針江区内 見学のみなさまへ
 ここは、観光地ではありません。生水(湧水)の恵を受け、自然とともに暮らしている生活の場です。私達の暮しを知っていただくために、散策は必ず地元ガイドと一緒に見学カードを身に着けた状態でお願いします。針江区内に見知らぬ方がおられることに、子どもやその親が敏感になっています。ガイドを伴なっておられない方には、目的をお訪ねするとともに、場合によっては区外に退去をお願いすることもありますので、ご理解をお願いいたします。
 ほんとに失礼いたしました、針江のみなさま。迂闊にも知りませんでした。今度は必ずやガイドをお願いして再訪を記したいと思います。

 なおこのあたりは現在は高島市、かつて高島郡でした。『江戸東京の聖地を歩く』(岡本亮輔 ちくま新書1244)を読んでいたら、次のような記述がありました。
 工事を担ったのは、清兵衛の弟子・息子・実弟など五〇名ほどであった。清兵衛は湯島に住んでいたが、江戸の大工ではない。近江高島郡の出身だ。琵琶湖に近い高島郡は木材の集散地で古くから大工の集落があり、優れた技術が蓄積されていた。(p.270)

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2018-04-11 06:29 | 近畿 | Comments(0)