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言葉の花綵178

 二度あったことは、三度あってはならない。(岩手県普代村村長 和村幸得)

 河一つが境界をなす正義とは滑稽な! ピレネー山脈の此方の真理は彼方では誤謬。(パスカル)

 もしこれらの代議士たちが、何らかの目に余る悪名高い法令とか、重大な改革によって、法の柵を踏みにじり、勝手な権力を行使するように見えたときは、いつ何どきたりとも、人民という団体自体(The body of the people itself)が介入しなければならない。それ以外に、代議士たちに、いつも公共の利益に対して、相応の考慮を払う態度を維持させる方法というものを、私は見出すことができない。こういう人民の直接介入ということは、じつはもっとも不愉快な救済策である。けれども、それ以外の方法では、憲法の真の原則を保持することができないようなことが明瞭であるような場合には、それは許されて然るべきことである。(エドマンド・バーク)

 すべてについては何事かを知り、何事かについてはすべてを知る。(J・S・ミル)

 歴史とたわむれる事は不可能である。(トロツキー)

 人は知らないものを深く愛することができる、しかし愛さないものを深く知ることはできない。(サイモン・メイ)

 応ニ冤魂ト共ニ語ラントス (杜甫)

 深刻な病気にかかっている人を前にして、私が最初に思うのは「この人の国籍は何か?」ということではありませんよ。(ニコラ・スタージョン)

 Don't pray, think. (祈る前に、考えて) (unknown)

 君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。(テロで妻を亡くした男)

 パリのために祈りたいなら祈りなさい
 でも 祈りを捧げられることのない
 もはや守るべき家すら持たない
 世界の人びとにも
 多くの祈りを
 馴染みの高層ビルやカフェだけでなく
 あらゆる面で 日常の何かが
 崩れ去ろうとしている
 この世界に祈りを (カルーナ・エザラ・バリーク)

 わたしはドイツで幸せに生活していますが、文化に対する違和感は消えません。違和感を幸せととらえる感覚の持ち主だから幸せなのかもしれませんが。(多和田葉子)
by sabasaba13 | 2018-06-29 06:22 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『ラッカは静かに虐殺されている』

c0051620_14251043.jpg 先日、われわれ御用達の映画館「ポレポレ東中野」で『人生フルーツ』を見た時に、この映画のことをチラシで知りました。『DAYS JAPAN』やNHK-BSの「ワールド・ニュース」などで、シリア情勢の惨状は多少なりとも知っており、胃の腑がぎゅっと絞られる思いでおります。そのシリアの人びとを描いたドキュメント映画、これはぜひ見てみたい。山ノ神を誘って「ポレポレ東中野」に行きました。
 まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 戦後史上最悪の人道危機と言われるシリア内戦。2014年6月、その内戦において過激思想と武力で勢力を拡大する「イスラム国」(IS)がシリア北部の街ラッカを制圧した。かつて「ユーフラテス川の花嫁」と呼ばれるほど美しかった街はISの首都とされ一変する。爆撃で廃墟と化した街では残忍な公開処刑が繰り返され、市民は常に死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられていた。
 海外メディアも報じることができない惨状を国際社会に伝えるため、市民ジャーナリスト集団“RBSS”(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)が秘密裡に結成された。彼らはスマホを武器に「街の真実」を次々とSNSに投稿、そのショッキングな映像に世界が騒然となるも、RBSSの発信力に脅威を感じたISは直ぐにメンバーの暗殺計画に乗り出す―。
 監督は、メキシコ麻薬密売地帯に危険を顧みず潜入した『カルテル・ランド』でアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞候補になったドキュメンタリー作家のマシュー・ハイネマン氏です。

 最初から最後まで、痛みを感じるような緊張感に固唾を飲みました。破壊されて廃墟となった街ラッカ、猖獗を極めるISの暴力、絶望の淵に立つ市民たち。さながら地獄絵のような光景がスクリーンに映し出されますが、これが現実なのですね。
 その現実を世界に知らせるためにスマートフォンを使って情報や画像を発信する市民ジャーナリスト集団RBSSの活動と、殺害を含めたあらゆる手段を駆使してそれを妨害するIS。手に汗握るような両者の攻防に、目が釘付けとなりました。身の危険を感じたメンバーたちが国外へ脱出し、国内に残る仲間たちと協力しながら報道する場面、その仲間や肉親をISが処刑する場面、さらには逃亡先で難民排斥運動に直面する場面など、いずれも迫真のリアリティで迫ってきます。映画の力って凄いものだとあらためて痛感します。
 そして監督は、彼らを勇敢な英雄としてだけ描くのではなく、死の恐怖に怯える普通の人間としての一面もしっかり見据えています。やたらと煙草をふかし、虚ろな目で中空を見つめ、悲しげに家族の写真に見入る彼らの姿に、この恐怖を克服した勇気をより一層感じます。

 「彼らは人間の尊厳を守るために、命を賭けて真実を伝えた。それを受け取ったあなたはどう思い、何をするのか」と鋭く問いかけてくる映画、お薦めです。

 なお絶対に見逃してはいけないのは、ラッカをはじめとするシリアの人びとを殺傷し、その街を破壊したのはISだけではないということです。アサド政権、欧米諸国による加害も銘肝すべきです。そして民間人が虫けらのように殺戮され、自由も民主主義も抑圧されているのは、シリアにおいてだけではないということも。中東情勢に混沌と惨劇をもたらしているのは何者なのか、これからも知り、考えていきたいと思います。その一助となる本二冊に出会えたので紹介します。
『9・11後の現代史』 (酒井啓子 講談社現代新書2459)

 ヨーロッパ社会から疎外され、ドロップアウトしたイスラーム系移民二世が、「ひとかどの人物」になれる機会かもしれないと期待して合流したのが、ISだったのだろう。ISに限らない。後に触れるアルカーイダもまた、欧米在住のイスラーム教徒に対して、似たような勧誘を行っていた。そしてそうしたイスラーム系ヨーロッパ人の多くが、連日報道されるシリア内戦での被害者の無惨な姿を見、アサド政権やシリアを空爆する欧米諸国に一矢報いてやりたいと考えて、シリアに馳せ参じたのである。(p.40)

『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』 (川上泰徳 集英社新書0862)

 私はテレビのチャンネルを変えながら、インターネットの情報を追っていた。イスラム過激派系のアラビア語のツイッターアカウントでは、「パリ攻撃万歳。今日は長い夜になる」などというツイートが次々と流れた。「#パリは燃えている」というハッシュタグもできた。それはパリのテロへの抗議ではなく、喜びの言葉が並んだものだった。その中に、「パリ市民よ、あなたたちは自分の子供たちが殺されたことに衝撃を受けている。同じことを、あなたの軍隊がシリアの地で行なっているのだ」というツイートがあった。(p.31)

 フランスが参加する有志連合の空爆は、「イスラム国」が樹立を宣言した2014年6月から3ヶ月後に「対テロ戦争」として始まった。空爆と、無人爆撃機ドローンによる暗殺作戦が中心の“靴に泥がつかない戦争”である。通常の戦争であれば、攻撃を仕掛ければ反撃されるが、「イスラム国」に対する空爆は、軍事的な反撃を受けることを想定しない一方的な戦争である。しかし、自らを安全地帯に置いて殺戮を続ける「対テロ戦争」の論理は、パリの街角に「イスラム戦士」が現れ、「戦場」が出現することで破綻する。
 「遠い戦争」が「近いテロ」を生み出し、市民が犠牲になる。それは、21世紀における戦争とテロの新たな関係性を示しているように思える。(p.50)

 (※シリア・アレッポ) アブドラは下敷きになった家族の父親と見られる男性にマイクを向ける。「全く無差別の攻撃だ。犠牲になったのは民間人だ。それも女や子供だ。幼い女の子はわずか3歳だ」と男性は声を張りあげ、手ぶりを交えて訴える。画面は、先ほど瓦礫から引き出された女児がベッドに寝かされ、心臓マッサージを受ける場面に変わるが、父親の悲痛な叫び声は続く。「3歳の子供がなぜ、殺されなければならないのか。何をしたというのだ。毎日、毎日、空爆が続く。なぜ、こんな不正が許されるのか。アラブ諸国は何をしている。国連は何をしている」。(p.196~7)

 いま、欧米でも日本でも、「イスラム国」が中東の混乱を引き起こしている最大の原因のように思われているが、私が本書で繰り返し書いたように、「イスラム国」は第一義的には混乱の原因ではなく、混乱の結果なのである。その混乱は、米国による誤ったイラク戦争と、誤ったイラク駐留によってもたらされ、さらに、自由も平等もないアラブ世界の強権体制に対する若者たちの反乱である「アラブの春」への暴力的な封殺が帰結したものである。(p.240~3)

 中東では、民間人が虫けらのように殺戮されているシリアの内戦が放置されているだけではない。たびたびイスラエル軍による大規模軍事作戦にさらされているパレスチナ、自由も民主主義もない強権体制の横行、スンニ派とシーア派の対立、若者たちを絶望に追いこむ貧富の差の広がりなど、いたるところに、危機につながるひずみがある。
 中東ではある日突然、マグマが噴き出すように最悪の危機が到来し、世界を驚愕させる。「イスラム国」への対応を間違えれば、それが次の危機を生むことになるのは自明である。(p.245~6)
 『気の向くままに 同時代批評1943-1947』(彩流社)の中で、ジョージ・オーウェルが言った言葉が耳朶に響きます。
 一市民を殺すことは悪であるが、千トンもの高性能爆弾を住宅地域に落とすことは善しとされる世界の現状を見ると、ひょっとするとわれわれのこの地球はどれか他の惑星の精神病院として利用されているのではないか、と考えたくなる。

by sabasaba13 | 2018-06-27 06:30 | 映画 | Comments(0)

佐藤久成頌

 「しんぶん赤旗日曜版」(2018.4.8)を読んでいたら、佐藤久成(ひさや)というヴァイオリニストについての紹介がありました。2016年に亡くなった音楽評論家・宇野功芳が絶賛したヴァイオリニストだそうです。彼の言です。
 机の上にうず高く積んであるCDの中の1枚が、「聴いてくれ、聴いてくれ」と話しかける。ぼくには弱い霊感があるようで、全然知らない演奏家のコンサートに、大切な仕事(合唱のリハーサル)を休んでも出かけ、凄い才能と出会うこともある。机の上から話しかけたのは佐藤久成というヴァイオリニストのCDだった。案の定、濃厚な節まわし、魂が吸い込まれるようなピアニッシモ、鬼神もたじろぐような激しいパッションに打たれた。しかし、彼はけたはずれの才能に見合う評価を受けておらず、聴衆の数も少ない。ぼくは命がけで久成君の応援をすることに決めた。…埋もれている才能を世に出す。それこそが批評家の仕事だろう!!!
 私も彼の音楽評論が好きで、よく読んでいました。良いものは良い、駄目なものは駄目、己の耳のみを信じ、素晴らしい演奏は絶賛し、悪い演奏は一刀両断に切り捨てる。その快刀乱麻の評論は、いま読み返しても新鮮です。例えば『新版・クラシックの名曲・名盤』(講談社現代新書)の中で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調「テンペスト」についてこう評されています。
 CDはハイドシェックが1989年に宇和島で弾いた奇蹟的なライブ録音一枚あれば他は要らない(オーバーシーズ TECC28036)。演奏については姉妹著『名演奏のクラシック』に詳述したのでくりかえさないが、《鬼気迫る凄演》とはこのことであろう。彼はここで人間業を超えている。だから僕自身も「ハイドシェック盤を聴いて、まだテンペストをプログラムに加えようとするピアニストがいたら、その人の顔を見たい」などという脱線を書いてしまったのである。(p.132~3)
 これを読んでハイドシェックのCDをすぐに購入して聴きましたが、宇野氏の評に違わぬ名演奏でした。その彼が命がけで応援したヴァイオリニスト、これはぜひ聴いてみたいものです。

 5月末日、佐藤久成が宇野功芳に捧げたコンサート「宇野功芳メモリアル」を聴きに、サントリーホールに行ってきました。コンサートの愉しみのひとつに、会場の近くで美味しい食事をとることがあります。インターネットで調べた結果、今回はアークヒルズにある海鮮丼の店「つじ半」で「ぜいたく丼」をいただくことにしました。早めに職場を出てお店で山ノ神と待ち合わせ、さっそく「ぜいたく丼」を注文。ご飯の上にうず高く盛られたまぐろの中落ち、いくら、カニなどの海鮮をくずしながら混ぜ合わせ、一気にかきこむと胃の腑は「美味い美味い」と大騒ぎ。最後に鯛の出汁でお茶漬けにして、別皿の鯛の刺身とともに食べられるのも格別でした。ここはサントリーホールで音楽会を聴くときのご用達になりそうですね。
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c0051620_181699.jpg そしてサントリーホールへ、佐藤久成(ヴァイオリン)、岡田将(ピアノ)によるソロ・コンサートの開幕です。演奏された曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、シューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番、ラフマニノフの「ジプシー・ダンス」、モーツァルトの「ロンド」、プロコフィエフの「マーチ」、ヴィエニアフスキの「華麗なるポロネーズ第1番」、ラヴェルの「ツィガーヌ」。アンコールはボームの「カヴァティーナ」、ゴセックの「ガヴォット」、リースの「常動曲」でした。あまり有名ではない作曲家や曲が多いのは、西洋音楽の分厚い伝統の中から彼が丹念に探した結果だそうです。
 ヴァイオリンの魅力を心ゆくまで堪能できた、素晴らしい演奏会でした。全身全霊を込めて音楽を歌いあげる佐藤久成氏、それを見事なテクニックで支える岡田将氏。その滾るような思いが外連味あるオーバーアクションとなって溢れだすのも良いですね。新聞のインタビューで「音楽はネガティブなものではいけない。悲しい曲であろうとも、ポジティブでないと。ヴァイオリン一本で、観客に元気と勇気、エネルギーを与えるのが、ぼくらの仕事なんです」と語っていましたが、はい、その全てを拝受いたしました。また聴きにきたいな。一層のご活躍と正当な評価を祈念しております。
by sabasaba13 | 2018-06-25 07:18 | 音楽 | Comments(0)

仁淀川編(11):安居渓谷(15.8)

 とるものもとりあえずチェックイン、朝食・夕食・入浴はこの主屋でとるとのことです。そしてシーツ・カバー・プラスチックコップ・箸を入れたプラスチック籠をくれました。われわれが泊まる「まんさく」は森の中に点在するバンガローの一つでここから歩いて数分のところにありますが、荷物もあるので車で送ってくれました。感謝。部屋に入るときに、ブヨが一匹侵入してきたので、近くにあったティッシュの箱で撲殺。すまぬ。
 「まんさく」は質素なつくりのバンガローで、畳敷の六畳間とキッチン・トイレがありました。建物の半分にベランダがあり、見通しはあまりよくないのですが、山や木々を眺めることができるのは僥倖です。気兼ねなく煙草も吸えるし。
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 荷物を整理して、団扇でブヨを払いながら歩いて主屋に行きました。まずはタオルを借りて入浴。烏の行水の私はすぐにあがり、長湯の山ノ神を待つ間にベランダに出てみました。このあたりは仁淀川水系の安居渓谷で、宝来荘は安居川を見下ろすように川沿いに建てられています。ビールを飲み、ブヨを払いながら、安居渓谷の眺望を堪能。そして山ノ神と合流して焼いた雨子(アメゴ)の夕食をいただきました。配膳の方と雑談をしていると、近くにある飛龍の滝がお薦めで、光りが当たる前がきれいだそうです。よろしい、明日の朝に行ってみましょう。
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 歩いてバンガローに戻りましたが、事前の情報どおり、部屋にはテレビがありません。さっそく持参したラジオをつけると、FMも入らず、NHKのAM放送だけがかろうじて聞けました。やれやれpart3。でも高校生向けの通信講座を聞けてけっこう勉強になりました、と引かれ者の小唄。恐ろしいほどの静寂のなか微かに流れる通信講座、これはこれで味わいがあるものです。デイヴィッド・ハルバースタムの『朝鮮戦争』を集中して読んでいると、気づけば午後十時をまわりました。星空を眺めに外へ出ると、おおっ素晴らしい。予想通り、満点に輝く数多の星を見ることができました。これだけでも来た甲斐があるというもの。そして部屋に戻り、ナイト・キャップをあおりながら就寝。お休みなさい。
by sabasaba13 | 2018-06-23 06:32 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(10):安居渓谷(15.8)

 見るべきほどのことは…まだ見足りませんが、タイムアップです。五台山にある浜口雄幸生家記念館も見たかったのですが、後日を期しましょう。駅前に戻って自転車を観光案内所に返却し、高知駅バスターミナル15:54発の狩山口行きのバスに乗り込みました。交差点で停車しているときに、ちょうどからくり時計が動いていましたが、出し物は高知城と坂本龍馬とはりまや橋。ぜひとも寺田寅彦先生を出演させてほしいですね。田んぼでは稲穂がでそろい、緑の絨毯をなしていました。気持ちのよい眺めです。
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 やがてバスはゆるやかに蛇行する大きな川沿いの道をひた走りますが、これが仁淀川でした。
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 そして17:39に終点「狩山口」というバス停に着きました。お願いしていたとおり、「宝来荘」の方が迎えに来てくれていました。お礼を言って乗り込み、渓谷に沿って宿へとひた走ります。途中に千仞峡やみかえりの滝といった景勝地があったので、そのうち散歩がてら見に来ることにしましょう。
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 20分ほどで安居渓谷の「宝来荘」に到着、ドアを開けて外へ出ると、運転手さんが「建物まで走ってください」とせかします。…なして? 「ブヨがきます」 目が・となりました。ブーン おおっ、双翅目ブユ科に属する昆虫の総称、体長一~四ミリメートルぐらい、体形はハエに似ているが、きわめて小さい、体は黒色、灰色などで、はねは透明、人畜に群がって吸血し、不快感を与え、フィラリアなどの病原体も媒介する蚋が群れをなして襲いかかってきます。「聞いてねーよ」と言っている場合ではない、荷物を持って一目散に建物の中に避難しました。しかし中にも数匹飛翔しているので、油断はできません。やれやれ、とんでもないところに来てしまった。宿の方に、虫よけスプレーを所望すると、「効果がないのでおいてありません」とのつれないお返事。蝿たたきを貸してほしいというと、それもないので団扇をくれました。やれやれpart2。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-06-21 06:23 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(9):高知(15.8)

 それでは事前に調べておいた気になる物件を見ながら、駅前の観光案内所へと戻りましょう。高知県立小津高校は、1932(昭和7)年に建てられたネオゴシック調のファサードを、そのままの形で保存し再生しています。
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 高知県立文学館の場所を確認してすこし走ると、よさこい祭り本部競演場の準備が進められていました。数日後に本番なのですね。
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 公式サイトから引用します。
 昭和29年、当時の不景気風を吹き飛ばし、市民を元気づけようと行われたのが始まり。今や日本のみならず、世界にもひろがりつつある「よさこい」。本家高知市では8月10日・11日のよさこい祭り本番に約190チーム、2万人の踊り子が参加。各チームがそれぞれの個性を出した、衣装,音楽,振り付けを施し、高知市内16の競演場・演舞場でエネルギッシュな踊りを披露、街中はよさこい祭り一色に包まれます。8月9日にはよさこい祭り前夜祭、12日にはよさこい祭り後夜祭とよさこい全国大会が開催されています。
 追手前高校は、時計台が印象的な校舎です。後日、たまたま『世界史としての関東大震災 アジア・国家・民衆』(関東大震災80周年記念行事実行委員会編 日本経済評論社)を詠んでいたら、次のような記述がありました。
 ところで、県立追手前高校(1931年竣工)や同高知小津高校(1932年)は、鉄筋コンクリート三階建の屋上に奉安殿を造っている。その訳は、「東京の場合は、校長室に奉安所を設けて、天井から離して奉安所の天井を造り、直接に二階の床に接しないようにしておりました。私も校長室に設けるのが管理上からも、理想であると思い、其の事を主張しましたが、二階を人が通るから不敬にあたる、との事で、屋上に造る事になりました」(狩野宗平「小津高校改築の思い出」『海南百年』1973年)。狩野は、東京市役所学校建築課から高知県庁営繕課へ抜擢された技師である。追手前高校の奉安殿は現存している。(p.125)
 へー、マニアとしてはぜひ見たいのですが、ちょっと難しいでしょうね。
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by sabasaba13 | 2018-06-19 06:20 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(8):寺田寅彦記念館(15.8)

 入口にある「寺田寅彦先生邸址」という碑は、植物学者・牧野富太郎の揮毫です。彼も機構知見出身なのですね、寅彦とはどんな縁があるのでしょう。母屋の前にある庭には大きなアオギリが植えてありました。
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 解説があったので転記します。
「庭の追憶」の梧桐

 このアオギリは「低気圧が来て風が激しくなりそうだと夜中でもかまわず父は合羽を着て下男と二人で、この石燈籠のわきにあった数本の大きな梧桐を細引きで縛り合わせた。それは木が揺れて石燈籠を倒すのを恐れたからである」と随筆「庭の追憶」(昭和九年「心境」に発表)の中に書かれたアオギリである。
 「庭の追憶」は上野の国画展で藤田太郎(香我美町山北出身)の「秋庭」を見て書かれたもので、幼少のころ旧邸にあった槲(かしわ)の木や「大杯」という楓(かえで)などの庭木や飛び石などの回想から、いまは亡き父母や家族を追憶し「死んだ自分を人の心の追憶の中によみがえらせたいという欲望がなくなれば世界じゅうの芸術の半分以上なくなるかもしれない」と書かれている。
 寅彦先生はこの随筆を書いた翌年に亡くなっている。そのため先生が晩年の心境を述べられた「庭の追憶」にゆかりの木である。
 そして母屋の中へ入り、それぞれの部屋や旅行カバンなど寅彦ゆかりの品々を拝見。部屋の片隅に置かれていた古いオルガンには、こういう解説がありました。
 明治42年(1909)3月25日、30歳の寅彦は二年間のヨーロッパ留学へ赴くため東京を後にした。これに先立ち、小石川の家を引き払い、妻子は郷里・高知に帰郷させた。旅行鞄は漱石から借用。それと交換のように、一台のオルガンを預けた。
 このオルガンが、高知県高知市の寺田寅彦記念館に今も残る。古びて黄ばんだ象牙づくりの鍵盤。焦げ茶色の木製ボディは、ずっしりとした厚み。でいながら、細部に生かされた優美な曲線や彫り込み細工は洗練の粋。
 漱石の長女・筆子は、このオルガンで随分と演奏の腕前を上げたという。
 わが敬愛する寺田寅彦の若き日々の息吹きにふれられた、至福のひと時でした。なお以前に熊本の夏目漱石邸を訪れたときに、寅彦が寄宿した馬小屋を見学できたので、よろしければご笑覧ください。また、高知県立文学館の寺田寅彦展示室とかれのお墓は、最終日に訪れる予定です。

 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2018-06-17 07:00 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(7):寺田寅彦記念館(15.8)

 レトロな男女のトイレ表示を撮影して、寺田寅彦記念館へと向かいましょう。
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 途中にあった中島町教会は四国で一番古い歴史を持つ教会で、戦災で焼失した建物を1953(昭和28)年に再建したもので、設計はロバート・ギル神父だそうです。
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 織田歯科医院は1925(大正14)年の竣工、豊かな装飾が印象的な、街のランドマークです。
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 雨森灸治療所は、マンサール屋根が印象的な洒落た洋館でした。
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 そして本日のメイン・イベント、寺田寅彦記念館に着きました。公式サイトから転記します。
 「天災は忘れられたる頃来る」という有名な言葉を残した寺田寅彦は物理学者でありながら夏目漱石との親交も深く、多くの随筆を残す文学者でもありました。その寅彦が4歳から19歳まで過ごしていた邸宅を復元したものが、この寺田寅彦記念館です。寅彦の勉強部屋の他に、主家と茶室があり、広い庭には随筆の題材としても登場した各種の草木が季節折々の表情を見せています。この記念館の表座敷と茶室は、貸室として活用できるようになっています。静かで風情あふれる空間は、一絃琴の演奏やお茶会・読者会など、大人の趣を大切にした集いの場としても活用されています。
 実は以前に高知市を訪れたときに、旅程の関係で記念館を見学することができませんでした。満を持して再訪した次第です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2018-06-15 06:29 | 四国 | Comments(0)

割れ鍋に綴じ蓋

 やれやれ。新潟県知事選挙で、野党5党が推薦した池田千賀子氏が敗れ、自民党、公明党が支持する花角英世氏が当選しました。これで安倍上等兵一派が勢いづくのでしょうか、やれやれ。偶然なのですが、最近安倍政権を痛烈に批判する文章を三つほど読みましたので、紹介します。
『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(加藤典洋 幻戯書房)

 ここではキリがないので例は出さないが、明治以来の憲政史上、たぶん軍国主義下を含んで、現在の安倍内閣ほど、主権者国民、またその象徴たる天皇をバカにした傍若無人の内閣はないだろう、と思われる。とはいえ理解を絶するのは、そうした内閣を奉戴して、世論調査でその支持率がなお半数を超えている、というもう一つの事実、国民というものに関する憲政史上例の少ない事実である。
 個人の自由、平等、人権といった戦後的な価値だけではない。国家主権、国の独立、「愛国心」、さらに「廉恥心」といったかつての国家主義、復古主義、保守主義に通底する感覚までが、この政府にあってはうっちゃられている。しかも、そのことへの国民の反応は鈍い。メディアが悪いというよりは、メディアも野党も内閣も、こぞってこの世論調査の主、国民動向にしたがって動いている。その結果が、これなのである。
 約束が破られても怒らない。それは、自分で約束したのではないからだ。明日、四時に会う。あるいは借金を返す。そういう約束が断りもなく破られたら誰でも怒る。でも、そういう自ら「約束」をして決まり(ルール)を作るという経験を、私たち、日本人、日本の国民は、余りにしてこなさすぎた。(p.315~6)

『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声。』(乗松聡子編著 金曜日)所収
「圧政への健全な主張 これ以上基地は造るな」(オリバー・ストーン ピーター・カズニック)

 その原爆から70年がたった。私たちは2013年にともに参加し、カズニックは20年前から広島・長崎の式典に学生とともに参加してきている。70周年の広島の式典は心乱されるものであった。安倍晋三首相が来たことだ。被爆者が「もう、二度と戦争は起こさない」と言っているそばで、彼は日本の若者が遺体袋で戻ってくるようになる準備をしている人間だ。軍事費増大、武器製造輸出、中国敵視、歴史教科書修正といった一連の右翼的政策を推し進めている。
 この男は原爆70周年の広島に何をしに来たのか。最もこの場にいてはいけない人間だ。この男の存在自体、その吸う息、吐く息一つ一つが、平和と核廃絶を訴える被爆者への冒涜だ。式典では安倍首相の演説の際、安保法制に反対するプラカードを掲げている人がいた。退場の際は会場中に抗議の声が鳴り響いた。カズニックは過去20年間広島の式典に出てきたが、このような抗議行動を見るのは初めてだ。(p.178~9)

『増補 「戦後」の墓碑銘』(白井聡 角川文庫)

 米朝の対立が激化し、国連の演説でトランプ米大統領が「北朝鮮の完全な破壊」を口にしたとき、世界中から非難の声が上がったなか、世界で唯一「100%支持」の態度表明をした国家指導者が安倍晋三であった。その後も安倍は、河野太郎外相ともども「対話のための対話は必要ない」「北朝鮮と断交せよ」等々の迷言を世界各地でキャンキャン喚き続けた挙句、米中韓朝が一挙に対話交渉路線に踏み出すなか、完全に蚊帳の外に置かれた。こうした情勢に対して、政権は「我が国が呼び掛けた圧力が功を奏した」という噴飯物の自画自賛で応えているが、これは完全に「精神勝利法」(『阿Q正伝』)であり、いよいよ日本は「中華」に昇格しつつあるようだ。第三者的に見れば、こんな馬鹿げた国に外交的発言権などなくて当然であるし、持たせるべきでもない。
 かくて明らかになったのは、現在の日本外交には、「朝鮮戦争の平和的な解決のために日本外交は努力すべき」という発想は一切ないということだ。そしてそれは、永続敗戦レジームの構造に照らせば必然である。日米安保体制の存立根拠のひとつは朝鮮戦争が休戦状態にあって終わっていないことにある。したがってこれが終わってしまえば、在日米軍が日本から撤退ないし大幅な縮小を行なう可能性を論理的に否定できない。このレジームの支配/受益層(=安保マフィア)からすれば、まさにこのことを避けなければならないのである。(中略)
 そんな政権に、「消極的」だか何だか知らぬが、選挙結果から判断する限り、実際に支持を与えているのが、「平和国家日本」の国民の現実である。きわめて特殊な対米従属を続けてきた結果、この国の標準的な国民は、一種の精神的な複雑骨折状態にある。どこからどう治すべきかよくわからないほどのひどく複雑な骨折である。無能かつ不正で腐敗した政権を長期本格政権化させた究極的な原因は、やはりこの政権がこの国民にふさわしいという事実にある。(p.410~1)
 拙ブログで以前に『安倍改憲政権の正体』(斎藤貴男 岩波ブックレット871)の書評を書きましたが、三人の識者の意見を読んであらためてこの政権の愚劣さを痛感します。それなのに、ああそれなのに、なぜ権力の座にしがみついていられるのか。なぜ有権者はそれを許しているのか。なぜその愚劣さを知ろうとしないのか、その愚劣さに無関心なのか。所詮は、その国民の知的レベルを超えるリーダーは持ち得ないということなのでしょうか。彼が喜ぶだけなので、絶望はしませんが。

 また国会前へ行こう。
by sabasaba13 | 2018-06-13 06:29 | 鶏肋 | Comments(0)

素晴らしき土曜日

 一昨日の土曜日、愛車ブロンプトンにまたがって、武蔵野を散策してきました。自宅からJR中央線高円寺駅までブロンプトンで走り、折りたたんで輪行袋に入れて三鷹行きの列車に乗車。三鷹駅で乗り換えて武蔵小金井駅で下車して、駅前で組み立てて小金井街道を南下します。交差点で東八道路を右折し、すこし走ると関東医療少年院に着きました。少年審判によって「心身に著しい故障がある」と判断されたおおむね12歳以上26歳未満の者を収容し、治療と矯正教育を施す施設で、全国に4箇所しかないそうです。お目当ては、『散歩の達人 調布・府中・深大寺』(18.5 №266)で知った古い給水塔。東側の小道に入ると、金網越しにすぐ見えました。鉄骨の櫓が組まれ、最上部に赤錆のついた球形のタンクがちょこんと乗っかっています。お役目を終えて微睡んでいる老人のようですが、ここに収容されている少年・少女たちは、どのような思いで見上げているのでしょう。
 そして府中方面へと向かいます。できれば地元資本の喫茶店でモーニングサービスを食しながら、一人作戦会議を開きたいのですが見当たりません。せんかたなし、「ガスト」に入って朝食をとりました。小金井街道へと戻って南へ走ると、左手に延々と続く金網があります。『基地はなぜ沖縄に集中しているのか』(NHK取材班 NHK出版)で知ったのですが、このあたり一帯はかつて府中通信施設という在日米軍基地だったのですね。1973(昭和48)年1月、「関東平野空軍施設整理統合計画(通称:関東計画)」によって日本に返還され、南西の3分の1が「府中の森公園」、南東の3分の1が航空自衛隊府中基地、北側の3分の1が大蔵省(現在は、あの財務省)の管轄区域となりました。「関東計画」とは何ぞや。1973年に、府中の米軍基地など首都圏にある六つの米軍基地を日本に返還し、軍の機能を横田基地に集約させるという計画です。なぜか。実はこの時期、アメリカはベトナム戦争をしており、その拠点となったのが在日米軍基地です。そのためアメリカ軍の活動が活発となり、事故や騒音被害が多発、日本国民の反基地運動が激しくなりました。例えば1968年、原子力空母エンタープライズの放射能漏れや、F4戦闘爆撃機ファントムの九州大学構内への墜落などです。そこで米日両政府は、人口の密集する首都圏から基地をなくし、反基地運動を収束させたかったのですね。しかし機能が拡充・強化される横田基地のある福生(ふっさ)市はたまりません。そこで福生市や市民をなだめるために、まず日本政府は周辺対策事業費として468億円を福生市に提供します。さらにアメリカ軍は、騒音の原因であるF4戦闘爆撃機ファントム部隊を、沖縄の嘉手納基地に移転することによって、騒音被害を大幅に軽減させました(1971)。米軍基地への反発が起こると、人の少ない所へ移転させる。あるいは巨額のお金を自治体に渡して宥めるという手法ですね。これにより福生市での反基地運動は終息しました。なお公園北側の財務省管轄区域はどういうわけか立ち入り禁止ですが、金網越しに巨大なパラボラ・アンテナや廃墟が見られるそうです。
 とりあえず一周してみましょう。府中の森公園の手前で左折すると、かつての宿舎らしき建物が見えました。図書館のところでさらに左折して金網に沿って走っていると、浅間町二丁目アパートのあたりで、木々の上に顔を出す二つの巨大なアンテナを遠望できました。かつて都内にいかに多くの米軍基地があったか、そして政府はそれを郊外や沖縄に押しつけて不可視化し、都民が無関心になっていったかを物語る証人です。
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 なお『散歩の達人』によると、ここ府中はわが敬慕する宮本常一が終の棲家としたところです。彼に関する足跡めぐりや、多磨霊園に眠る歴史的人物の掃苔は、日を改めて再訪することにしました。
 ふたたび東八道路へ戻って東へと走り、多磨霊園に到着。広い園内を自転車で走り、かつての給水塔である「シンボル塔」に着きました。なかなかモダンな意匠ですが、今でも使用されているのでしょうか。かつては塔頂部から水が噴き出し、子どもたちが水遊びをしていたそうです。
 東八道路をさらに東行し、天文台通りを右折してすこし走ると国立天文台です。かつて麻布にあった東京天文台が大正期にここ三鷹に移転したものです。訪れるのは初めてですが、素晴らしいところですね。武蔵野の面影を残す森の中に、旧図書庫、レプソルド子午儀室、ゴーチェ子午環室、大赤道儀室、アインシュタイン塔、第一赤道儀室など、戦前に建てられた古い研究施設が点在しています。不学ゆえにその役割や機能についてはとんと分かりませんが、見ているだけで宇宙への憧れがふつふつと沸いてきます。入場無料だし、人も少なく静謐だし、森林浴もできるし、煙草が吸える場所もあるし、ベンチもあるし、平日には食堂も開いているしと、申し分のない場所です。
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 そして天文台通りを北上し、武蔵境駅へとうちゃこ。ブロンプトンを折りたたんで列車に乗り、ふたたび高円寺駅で下車しました。自転車を組み立てて、駅の北にある「ギャラリー来舎」に向かいました。先日、地下鉄丸ノ内線新高円寺駅に貼ってあったポスターで、「熊楠」展がこちらのギャラリーで開かれることを知ったので駆けつけた次第です。熊楠ファンにして猫フリークの私としては、これは見逃せません。純情商店街を抜け、庚申通り商店街の路地を入ったところにギャラリーがありました。その前に自転車を置き鍵をかけていると、何たる奇遇、猫が片足を垂直に上げて股座を舐めているではありませんか。失礼して写真を一枚。小さなギャラリーに入ると、学者のような雰囲気の方がにこやかに出迎えてくれました。開口一番、「お目当ては熊楠ですか、猫ですか」。はい、両方です。熊楠が描いた猫のイラストや、彼と猫に関するエピソードなどを楽しく拝見させていただきました。熊楠が飼い猫につける名前は必ず「チョボ六」だったそうです。ご亭主曰く、"チョボ"とは「小さくて可憐」という意味だそうです。また熊楠は、生命は過去から未来へと連続するものであり、そこには個という存在はなく、よって名前もひとつでよいと考えていたのではないかと説明してくれました。大英博物館や紀伊田辺の話など知的雑談に花を咲かせた楽しいひと時でした。自分と山ノ神のお土産に、熊楠が描いた猫のクリアファイルを購入し、丁重にお礼を述べてギャラリーを退室。
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 ブロンプトンに乗って自宅へ戻ると、近くの洋食屋「パラディソ」のご主人からが手に入ったという電話があったと山ノ神が教えてくれました。これは嬉しい、夕食に伺いますとさっそく連絡。シャワーを浴びてエビスビールをくいっと飲み干せばこの世は天国さ。「フィルモア・イーストのオールマン・ブラザーズ・バンド」を小音量で流しながら、しばし午睡。
 夕刻になったので、山ノ神と「パラディソ」に向かいました。最近その存在に気がつき、おいしい多国籍料理と御主人のほのぼのとした人柄に惚れて贔屓にしております。さっそく鯖の刺身をいただき、その美味に舌鼓を打ちました。
 家に帰って、山ノ神が録画してくれた「タモリ倶楽部」の空耳アワーと「ブラタモリ」を鑑賞。下田編では、灯台マニア垂涎の神子元島灯台を訪れるシーンがあり感激しました。ああ私もいつの日にか行ってみたい。
 J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番プレリュードを少し練習して、風呂に入り、布団にもぐりこんでウィスキーをちびりちびりと飲みながら『天王山 沖縄戦と原子爆弾』〈上〉(ジョージ・ファイファー 早川書房)を読みました。さてそろそろ寝るか、スタンドの明かりを消すと、驟雨が屋根を打つ音が聞こえてきました。そういえば寺田寅彦の随筆にあったっけ…
 来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中に沛然たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がかからず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨の音などがその一つでなければならない。
 経済成長とは何の縁もない、平々凡々な、でも素晴らしい土曜日でした。

 本日の六枚、上から関東医療少年院給水塔、在日米軍旧府中通信施設、多磨霊園シンボル塔、国立天文台図書庫、高円寺の猫、「パラディソ」の鯖の刺身です。
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by sabasaba13 | 2018-06-11 08:20 | 鶏肋 | Comments(0)