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仁淀川編(21):森へ(15.8)

 目覚めて外を見ると、子糠雨がしとしとと降っています。でも本日は移動日なので問題はなし、天候に関する強運には自信があります。朝食をいただいてバンガローに戻り、荷物整理。五泊六日、「都」になったとは言い難いのですが、ま、それなりにお世話になった部屋に感謝の意を込めて写真におさめました。
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 そして激戦をともに闘いぬいてぼろぼろとなった戦友の団扇を、ゴミ袋に埋葬しました。ありがとう、安らかに眠れ。そして荷物を持って宝来荘に行き、会計を済ませました。バンガロー料金+食事代+風呂代+タオル代+歯ブラシ代+ゴミ代(540円)込みで、計67370円。これで宿敵のブヨともお別れかと思うと、名残り惜し…くはありません、ぜんぜん。そうそう、六日の菖蒲、十日の菊、帰郷した後で見つけた「FIELD-NOTE ~アウトドアと旅~」というブログに、詳細なブヨ対策が掲載されていました。
 それでは出発。宿の若い衆が、狩山口バス停まで車で送ってくれることになりました。大崎バス待合所でタクシーと待ち合わせをしていると話すと、役所に用事があるのでそこまで送ってくれるそうです。ご厚意に甘えましょう、ありがとうございます。この間、いろいろとお話を伺いました。バブルのころ、公務員をやめてこの仕事についたが失敗だった。先日も24歳の若い男が、きつい仕事と寂しさのため夜逃げした。ブヨも嫌だが、10月に現れるスズメバチはもっと恐ろしい。追い払ったらだめ。蜂は黒を、アブ・ブヨは白を好む、などなど。
 丁重にお礼を言って大崎バス待合所で下ろしてもらい、予約をしたタクシーを待ちましたが、なかなかやってきません。20分ほどたってやっとタクシーが到着、運転手さんが「忘れていました、申し訳ない」と頭をかきかき荷物を積み込んでくれました。ま、いいでしょう。
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 まずは事前に「文化遺産オンライン」で調べておいた古い橋梁物件二つに寄ってもらいました。大崎バス待合所のすぐ近くにあったのが旧川口橋、まるで古武士のように剛健な姿が印象的です。
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 解説板を転記します。
 昭和10年に造られた、橋の長さは69m、幅員5.4mの鉄筋コンクリートT桁橋である。昭和41年11月に隣接する新しい川口橋が架設され、その主たる役割を終えている。幾何学的意匠の親柱・高欄、橋脚に施された精緻なフランス積みレンガ意匠が際立っている。国土の歴史的景観としての価値が認められ、2005年8月に国の登録有形文化財として指定された。
 次は久喜橋、アーチの曲線が洒落た沈下橋です。
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 こちらも解説板を転記します。
 昭和10年に作られた、鉄筋コンクリートの沈下橋。共に現存する高知県で最も古い沈下橋と言われている。コンクリートで補強された岩盤にアーチ形をした13mの桁を架け、その東側に二重の桁を連続させている。このあたりは仁淀川で最も川幅が狭く激流となる場所があり、その奔流に耐えうる構造形式を備えた沈下橋で、今も山里の生活道路として利用されている。国土の歴史的景観としての価値並びに造形の規範となっていることから、2004年3月に、国の有形登録文化財に指定された。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-07-31 06:55 | 四国 | Comments(0)

言葉の花綵180

 西洋が世界を勝ち取ったのはその思想、価値観や宗教の優越性によってではなく、組織化された暴力の応用の優越性によるものである。西洋人はその事実を忘れがちであるが、非西洋人は決して忘れることはない。(サミュエル・ハンティントン)

 私は自分の国が今のような国になってしまったことに嫌悪感を覚える。しかし私はそのまま放置していることも拒否する。(マイケル・ムーア)

 資本家たちに自分で戦わせ、自分たちの死体を積み重ねさせよ。そうすればやがて、地球上で二度と戦争が起こることはなくなるだろう。(ユージン・デブス)

 裁判官、数年前私は、自分は生きている者すべてと絆で結ばれていることに気づき、自分は地上で最も卑しい者に等しく卑しいものだと肝に銘じました。そのとき私は、こう述べました。下層階級が存在する限り、私はその一員だ。犯罪分子がいる限り、私はそのひとりだ。牢屋にいる人間がひとりでもいる限り、私は自由ではないと。そして今も同じことを断言します。(ユージン・デブス)

 歴史を通して、戦争というものは、征服と掠奪を目的に行なわれてきた。戦争とは、つまるところそういうものだ。常に支配階級が戦争を宣言し、実際の戦闘は常に被支配階級がおこなってきた。(ユージン・デブス)

 帝国にとっては過去もまたひとつの海外領土に過ぎず、いつでも組み立て直すことができるばかりか、場合によっては一から作り変えることもできる。(アルフレッド・マッコイ)

 帝国は歴史のなかに生きていながら、歴史に対して陰謀を企む運命にある。帝国の秘めたる思いはただひとつ。どうすれば終わらないか、どうすれば滅びないか、どうすれば自らの時代を長引かせられるか。昼は敵を追い求める。帝国は狡猾で非情であり、血に飢えた猟犬をいたるところに送り込む。夜は災禍の妄想にふける。都市を略奪し、住民を凌辱し、骨の山を築き、広大な土地を荒らし尽くす。狂気というだけでは片づけられない毒気に満ちた幻想だ。(J・M・クッツェー 『夷狄を待ちながら』)

 なろうことなら、ガラスをぶち破り、手を中まで伸ばしてやつをそのぎざぎざの破れ目から引きずり出し、やつの肉が尖ったガラスの先にひっかかってずたずたに切れるのも構わず、地べたに放り投げて外形もわからぬまでに蹴飛ばしてやりたいという衝動に駆られる。(J・M・クッツェー 『夷狄を待ちながら』)
by sabasaba13 | 2018-07-29 07:43 | 言葉の花綵 | Comments(0)

琉球の風

c0051620_2210221.jpg 先日、劇団東演による劇「琉球の風」を俳優座劇場で見てきました。沖縄に関する映画は、『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』、『戦場ぬ止み』、『標的の島 風かたか』、『沖縄 うりずんの雨』などけっこう見てきましたが、沖縄に関する演劇ははじめてです。なお山ノ神が所用のため、一人で見てきました。
 作・中津川章仁、演出・松本祐子、まずは公式サイトから、あらすじを引用します。
 東京の旅行代理店に勤める片岡誠也の元に、一本の電話が入る。代理店で企画している沖縄ツアーの実態について話を聞きたいという観光庁の秋本からの連絡だった。同僚・新城紗緒理が手がけるこの沖縄ツアーは即座に満員となり、定員を増やす騒ぎになっていた。しかし片岡は、紗緒理には純粋な観光ツアーではなく別な思惑があるのではと気にしていた。「沖縄の人間は基本的に基地に反対しているからなあー」と振ってみるのだが、「反対している人だけでなく、賛成している人も、無関心派も大勢いますよ」と取り合わない紗緒理…。東京生まれで東京育ちの片岡誠也、沖縄生まれで沖縄育ちの紗緒理の父(兄?)・新城芳郎、二人の出会いでやがて意外な事実が明らかになっていく…。
 沖縄に対して無知・無関心な都会の若者が、沖縄の現実に触れて変容していくという筋立てが斬新です。実は紗緒理が兄・芳郎と共に立案したこの「オール沖縄ツアー」は、フリータイムの時に、辺野古と高江における反基地運動に参加できるようになっていたのですね。何者かがそれを観光庁にリークし、慌てた観光庁が旅行代理店に中止の圧力をかけてくる。自由なのだから何をしてもよいと思うのですが、このあたりに政権の意図を忖度して非公式な圧力を市民にかける官僚の卑小さがよく描かれています。沖縄のことが気になりはじめた誠也は、友人の雑誌記者に誘われて訪沖し、沖縄の現実を見聞するとともにその観方が変わっていきます。この時に出会った知念晶男という人物が心に残りました。本心では米軍基地に反対なのですが、生活苦のためかつては機動隊員として運動を弾圧し、今では日雇い労働者として高江ヘリパッド建設に従事しています。金のために故郷や仲間を裏切った男の苦渋と自責と含羞を、星野真広が見事に演じ切っていました。まるで一人の生身の男と化した沖縄が、私たちヤマトンチュを見据えて「何も思わないのか、何も感じないのか」と詰問しているようです。これが演劇の醍醐味と凄みですね。
 実はこの晶男が、ツァーを中止に追い込むため、観光庁にリークした人物だったのです。反基地運動で挫折して東京を放浪していた高校の恩師・島袋孝雄(佐々木梅治)がこのツァーに参加することを知り、それをやめさせるための手段でした。東京で晶男に会った時に孝雄が発した、「何で沖縄だけがこんな目にあうんだ」という慟哭も忘れられません。
 結局ツァーは成立し、主人公・誠也の意識も変化し、めでたしめでたし。と思いきや最後に凄まじい戦闘機の爆音が轟き、幕となりました。「沖縄で、いま、何が起きているのかを忘れるな」という演出家のメッセージでしょうか。

 素晴らしい劇でした。とくに前述した知念晶男の姿によって、沖縄が押しつけられている差別や困難をリアルに体感することができたのが大きな収穫です。演出家の松本祐子はパンフレットの中で、次のように述べられています。
 2015年のある日、東演のプロデューサー横川氏から中津留章仁さんに沖縄問題について書下ろしをしてもらうから演出してくれないかと言われた時、正直困ったことになったなと思ってしまった。どの面下げて私のようなものが沖縄を語れるというのだろう。1609年から現在に至るまで、本土がかの地で身勝手に振り廻してきた事々の堆積はすさまじく、特に戦後の矛盾を沖縄に押し付けている結果は進行形で人々を苦しめている…そういう表向きの情報はある程度学習すれば得られるのだが、そんなものは当事者からしたら「ふざけるな」といいたくなるような無責任なものなのだ。
 私があの日感じたある種の恐怖を、多分、作家の中津留氏も感じていたのだと思う。だから彼は"沖縄に直面することをためらってしまう都会人"を作品の中心に据えた。日々の生活を摩擦なく穏便に過ごすことを良しとしている小市民を、その為には見ざる聞かざる言わざるでいることに疑問を抱かない小市民を中心に据えた。沖縄問題の中核を描く資格がない私たちは、沖縄問題も含めて全ての社会問題に鈍感になっているおのれの姿を描いたのだ。だから2016年の初演の稽古の間中ずっと、私は己の小市民性と向き合わなくてはならなかった。私は知らなかった、日本が戦後70年以上経っているのにこんなにもアメリカに支配されていることを。私は知らなかった、貧困家庭がこんなにも増えているなんて。私は知らなかった、時には新聞が事実無根のニュースを流すこともあることを。この作品と出会ったからって何かを知ったとは言えないのだけれど、せめて猿からの脱却を目指すしかないと思っていた矢先に、海の向こうではトランプという自国中心主義の大統領が選ばれてしまった。儲けることとプライドを誇示することが最大の目標のように見受けられる男を選ぶ小市民の群れを愚かだと思おうとしたのだが、日本ではもっと目をそむけたくなるような状況が続いている。
 そしてこの作品を再演することになった。一年半の歳月しか経っていないけれど、今私たちを取り巻く環境はより一層、なんでもありのひどいものになっているように思える。そしてそれを自覚するにつけ、この一年半、自分が如何に怠け者だったかを突き付けられるのである。知ろうとする努力を怠り、自分で考えることを止めることは、愚かな指導者を生み、結果は自分の幸せをも犠牲にしてしまうことをわかっているはずなのに、無為に時間を過ごしてきてしまったのではないか、そんな反省に苛まれる。小市民な登場人物たちが"知ることの痛み"を抱えながら紡ぐこの作品に、私もちりちりとした痛みを感じながら立ち向かっている。
 虐げられている少数派の人びとのことを知ろうとせず、考えようとしない、そうした知的怠惰があの禍々しい政権を延命させ、そしてこの国を底なしの無恥にひきずりこんだことを痛感します。

 最後に、知念晶男の苦渋を理解するための見事な論考がありますので、『無意識の植民地主義』(野村浩也 御茶の水書房)から長文ですが引用します。
 沖縄人の土地を暴力で強奪することによって建設が強行された米軍基地。それは、そこで農民として暮らしていた沖縄人から、生きる糧も住いもすべて奪いつくした。どうやって生きていけばよいのか。途方に暮れた沖縄人に米軍があてがったもののひとつ。それは、なんと、奪われた土地を軍事基地に変える仕事に従事させることであった。土地を強奪された者が、強奪した者のために、生命の糧を恵んでくれるはずの自分の土地を、みずからの手で、生命を奪う軍事基地に変えなければならない屈辱。土地を強奪された沖縄人のなかには、生きるために、そうするしかなかったひとも多い。生きるために、基地ではたらくしかなかったひとは多い。そして米軍人は、沖縄人が抵抗しようものなら、「首を切るぞ!」と脅かした。沖縄人は恐怖に震えた。職を奪われたら生きていけない。生命の糧を恵んでくれる自分の土地はもうないのだから。職を奪われることは、殺されるのも同然なのだ。よって、生きるためには、米軍という植民者に従うほかなかった。土地どろぼうに従うほかなかったのだ。
 これは、恐怖政治である。テロリズムである。土地を奪われた沖縄人の抵抗を抑え、軍事基地を安定的に維持するためには、沖縄人を恐怖させなければならない。そして、恐怖させるためには基地に依存させなければならない。依存させるためには沖縄人を自立させてはならない。
 右に述べたことは、直接的には、「日本復帰」前の沖縄の状況である。したがって、自己利益のために沖縄人を合州国に売り飛ばした日本人には、沖縄人を右のような状況に追いこんだ責任があるのだ。だが、日本人は責任をとるどころか、「日本復帰」後も、基本的に、右に述べたような恐怖政治=テロリズムによる支配の方法を変えようとはしなかったのである。
 恐怖政治=テロリズムは、「抵抗したら殺されるかもしれない」という「暴力の予感」を被植民者に喚起することによって機能する。重要なのは、暴力や死を予感させることなのだ。その点では、失業もほとんど同じである。職を奪って食えなくさせ、そのまま放置しておけば、そのうち確実に死ぬのだから。それは、直接殺す手間をはぶいた、いわば時間差殺人である。したがって、失業させることもまた暴力であり、死を予感させる暴力なのだ。
 沖縄の米軍基地は、恐怖政治=テロリズムによって維持されてきた側面が大きい。しかも、そこでの恐怖政治=テロリズムの手段は、前述した沖縄人の子どもの殺害をはじめとする直接の物理的暴力ばかりではない。失業等をめぐる経済的暴力もまた、テロリズムの手段としてきわめて効果的に運用されてきたのである。
 さて、職をあてがうことは、同時に、失業の可能性をつくりだすことでもある。また、米軍基地の職をあてがうことは、経済的に基地に依存させることであると同時に、失業によって経済的依存から排除される可能性をつくりだすことでもある。このような経済的依存と依存から排除される可能性のセットこそ、米軍基地の押しつけを維持するための恐怖政治=テロリズムが機能する基本的な条件なのである。
 沖縄の「日本復帰」を前後して基地労働者(軍雇用員)が大量に解雇された。「首を切るなら土地を返せ」という沖縄人の声に対して、日本国政府は、土地を返すことも他の十分な職を用意することもなかった。その一方で、米軍基地をそのまま押しつける見返りとして、「軍用地料だの補助金だの基地がひり落とす糞のような金」をあてがったのだ。つまり、米軍が実施してきた政策と同じように、基地の押しつけを継続したのみならず、事実上基地に経済的に依存させることをも継続したのだ。それは、米軍基地の押しつけを維持するための恐怖政治=テロリズムが機能する条件を保持することでもあった。したがって、在日米軍専用基地の75パーセントもの押しつけが現在まで維持されてきたのも、その帰結という側面が大きいといえよう。
 米軍基地の過剰な押しつけは、沖縄の経済発展を阻害する重大な要因でありつづけている。そして、観光以外の産業を日本国政府がまともに振興できなかったこともあって、「日本復帰」以降の沖縄の失業率は、つねに日本全国平均の約二倍に維持されてきた。このような経済状況が放置されれば、米軍基地関連やその他の日本国政府の経済支援に依存せざるをえなくなるのは当然である。ここで重要なのは、高失業率を維持しつつ同時に経済的に依存させることこそ、恐怖政治=テロリズムによって基地を押しつけるための絶好の条件だということなのである。
 第三章で述べたように、高失業率の数字を維持することによって、現在職に就いている大多数の沖縄人に対しても、いつか失業するかもしれないという恐怖をもたらすことが可能となる。そして、日本国政府は、基地の押しつけに「協力」するのであれば引きつづき経済的な支援を惜しまないが抵抗すればどうなるかわからない、という意味のメッセージ=恫喝をたびたび発してきたのである。したがって、失業や経済的困窮を恐怖する沖縄人ほど、日本国政府の恫喝に従うほかなくなっていくといえよう。すなわち、依存させ、恐怖させ、そして、基地の押しつけへの抵抗を抑えるのである。そして、このような政策を実践する日本国政府を構築した張本人は、いうまでもなく、ひとりひとりの日本人にほかならない。
 経済的に依存させることは、同時に、依存から排除される可能性をつくりだすことである。この排除の可能性が、「暴力の予感」としての恐怖を喚起する原動力となる。そこに、すかさず、「基地の押しつけに抵抗したらどうなるかわからないぞ!」という恫喝が加えられる。この恫喝のもたらす恐怖が、基地の押しつけに抵抗する力を、沖縄人から奪う効果を発揮するのはあきらかだ。沖縄人に基地を押しつけるための恐怖政治=テロリズムは、このようにして、今この瞬間も作動しつづけているのである。(p.204~7)
 そう、私たちがいま直面しているのもこのテロリズムです。
by sabasaba13 | 2018-07-27 06:29 | 演劇 | Comments(0)

『タクシー運転手』

c0051620_22125135.jpg 『しんぶん赤旗』(18.5.18)の「潮流」に、次の一文がありました。
 「また五月です。君よ。わたしに五月を歌えといいますか/動かぬ唇で五月をたたえよといいますか。まぶしい、美しい燦々たる五月を/どう歌えというのですか。」 新緑もえる季節。街に響いたのは学生や市民に放たれた銃声でした。きょう5月18日は韓国の人びとにとって希望をともしつづける誓いの日。38年前、全斗煥軍事政権下で民主化を求める運動と軍による武力弾圧が起きた光州事件です。先の作は、みずからも蜂起にかかわり、権力に対峙してきた詩人・文炳蘭(ムンピョンラン)さんの「五月よ、また復活せよ」。200人をこえる犠牲者と数千の負傷者を出した事件は、いまも深い傷痕を残しています。昨年、韓国で最もヒットした映画「タクシー運転手」も光州事件を描いたもの。実際に現地で取材し、世界に発信したドイツ人記者と彼を送り届けたタクシー運転手の物語です。いま日本でも上映され、韓国映画としては近年にないほど観客を集めています。5・18は、その後の民主化運動に連なりました。当時、拘束された文在寅大統領は「光州の犠牲があったからこそ、私たちの民主主義は耐え、再び立ち上がることができた」。そして「5月光州は、全国をともしたろうそく革命として復活した」と。詩にはつづきがあります。「ああ、わが君よ、冷たくなった灰色のこころの中に来て/燦々と燃え上がるつややかな五月の花になれ/闘う人の掌に来い、わが君よ/永遠に消えぬ自由の炎になれ/輝く正義の松明になれ」
 へえー、あの光州事件を題材とした映画が、韓国でつくられていたんだ。民主化を求める韓国の人びとの闘いには常々敬意を感じております。例えば『アメリカ帝国の悲劇』(集英社)の中で、チャルマーズ・ジョンソン氏は次のように述べられています。
 韓国が東アジアに三つしかない、下からの民主主義を達成した国の一つであることは、忘れてはならない重要な事実である(ほかの二カ国はフィリピンと台湾だ)。韓国とフィリピンでは、大衆運動がアメリカに押しつけられ支援された独裁者に戦いを挑んだ-ソウルの全斗煥とマニラのフェルディナンド・マルコスに対して。(p.116)
 また『一人の声が世界を変えた!』(伊藤千尋 新日本出版社)によると、「ハンギョレ新聞」の創刊時の編集局長だった成裕普[ソンユポ]氏は、このように語られたそうです。
 当たり前ですよ。われわれ韓国人は、あのひどい軍政時代に市民が血を流して闘い、自らの力で民主主義を獲得しました。だからわれわれは自信を持っています。日本の歴史で、市民が自分の力で政権を覆したことが一度でもありますか。(p.149)
 うーむ、二の句が継げませんね。はい、ありません。

 その韓国民主化の炬火とも言うべき光州事件の映画化、これは必見です。さっそく山ノ神を誘って、シネマート新宿に行きました。ところが、驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機、立ち見がでるほどの大盛況です。インターネットで予約をしておいてよかった。でもこうしたシリアスな内容の、しかも韓国映画に観客が押し寄せるというのは嬉しいものです。
 まずは公式サイトから、映画の紹介とあらすじを引用しましょう。
 1980年5月に韓国でおこり、多数の死傷者を出した光州事件を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届けたタクシー運転手の実話をベースに描き、韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したヒューマンドラマ。「義兄弟」「高地戦」のチャン・フン監督がメガホンをとり、主人公となるタクシー運転手マンソプ役を名優ソン・ガンホ、ドイツ人記者ピーター役を「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマンが演じた。
 1980年5月、民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こり、光州では市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷いていた。「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者ピーターを乗せ、光州を目指すことになったソウルでタクシー運転手をしているマンソプは、約束のタクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届けることに成功する。留守番をさせている11歳の娘が気になるため、危険な光州から早く立ち去りたいマンソプだったが、ピーターはデモに参加している大学生のジェシクや、現実のタクシー運転手ファンらの助けを借り、取材を続けていく。
 冒頭から、タクシー運転手マンソプを演じるソン・ガンホのコミカルな、そしてペーソスあふれる演技が光ります。妻を病気で亡くし、男手一つで一人娘を育てる彼の苦労と愛情もひしひしと伝わってきました。大金目当てにドイツ人記者を光州に送り届けるという仕事を深く考えずに引き受けた彼ですが、苦心惨憺して光州市内に入ってから映画の雰囲気は一変。人気のない通り、シャッターの閉まった商店、さまざまなビラやポスター、ただならぬ様子に固唾を飲みました。そして圧巻はデモのシーンです。非暴力なデモで民主化を求める光州の市民に対して、催涙弾や実弾を放ちながら暴力を加える軍隊。病院は運び込まれた怪我人や死体で足の踏み場もありません。韓国の人びとが行なった民主化のための闘いを、息が詰まるような緊迫感と共に追体験できました。そして身の危険を顧みず写真を取り続けるドイツ人記者ピーターの姿に、ジャーナリスト魂を見た思いです。事実を報道することによって権力の暴走を食い止め、民衆を守る、その当たり前だけれども重要な仕事を淡々と遂行する寡黙なドイツ人記者を、トーマス・クレッチマンが見事に演じ切っていました。彼に協力する大学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)もいいバイプレーヤーでした。大学歌謡祭に出ることを夢見る、歌が大好きな平凡でひ弱そうな彼が、その日常を守るために立ち上がるという設定が素晴らしい。
 大金を得たマンソプは一目散に光州から脱出しますが、途中で、ピーターを救うために戻るべきではないかと逡巡し葛藤する場面も見せ場です。ソウルにいる一人娘に電話をしたことで、ふっきれたのではないかと想像します。娘を守るため、子どもたちを守るため、未来の世代を守るために、ピーターを助けて事実を世に知らしめないといけない。タクシーの向きを変えて光州へと一気呵成に走るマンソプ。ここからはもう両の眼はスクリーンに釘付けです。デモ隊に襲いかかる軍隊、怪我人を助けようと体を張る光州市民、それを至近から撮り続けるピーター、彼の存在に気づき抹殺しようと迫る軍隊、彼を守ろうとするマンソプとジェシク。さあピーターとマンソプは無事に膠州から脱出し、国家権力の犯罪を報道することができるのか…

 いやあほんとに素晴らしい映画でした。チャン・フン監督は「普通の人々の小さな決断と勇気が積み重なり何かが成し遂げられるといった、近くで見ていなければ知り得ない事柄を描きたかった。マンソプのタクシーに乗りながら、観客の皆さんにも、自分たちの話として考えてもらえる機会になれば嬉しい」と語られていますが、はい、面白いだけでなくいろいろと考えさせられました。自分がこういう状況に置かれたらどうするのか、闘うのか逃げるのか見て見ぬふりをするのか、体を張って仲間を助けられるのか、ジャーナリストを守り切ることができるのか。さらには、なぜ韓国では民主化を暴力的に抑圧する軍事政権があり、同時期の日本では民主主義らしきものが存在し得たのか。そして韓国の人びとはいかにして民主化を勝ち取ったのか。

 私にとっての今年度ナンバーワン映画は決まりかな。何年かに一度見返したい映画です。

 なお映画では触れられていませんが、この悲劇のバックにはアメリカ合州国と日本の存在があったことを銘肝しましょう。
パンフレット所収
『「光州事件」をめぐる韓国現代史』(秋月望 明治学院大学国際学部教授)
 さらに、この事件は韓国の対米感情の大きな転換点となった。事件当時、韓国軍は米韓連合司令部の下にあって作戦統制権は在韓米軍にあった。従って、在韓米軍、つまりはアメリカの了解なしに韓国軍が独断で部隊を移動させて光州の市民・学生に対する鎮圧作戦を遂行することはできなかった。当時、カーター大統領が韓国における民主化運動に理解を示してくれるとの期待も多少はあった。しかし、結局アメリカは全斗煥政権による軍事独裁の継続を容認し、民主化闘争を圧殺する側に回った。反米感情はここで一気に高まった。その結果、光州事件に対する全斗煥政権の責任追及の運動が、1982年の釜山のアメリカ文化院放火事件、1985年のソウルのアメリカ文化院占拠事件へとつながっていくことになる。

『韓国現代史』 (文京洙[ムン ギョンス] 岩波新書984)
 81年、レーガン政権が登場し、新軍部政権は、「新冷戦」という時代の気流に乗ることになった。駐韓米軍の撤退問題は白紙に戻され、もはや、人権問題で両国の関係が緊張することはなくなった。さらに82年末に登場した中曽根政権は、韓米日の新次元での安保協力関係の構築に意欲を燃やし、40億ドルの借款供与によって全斗煥政権を支えた。83年には「大韓航空機事件」や「ラングーン事件」があり、東アジアの緊張はピークに達した。(p.154)

by sabasaba13 | 2018-07-25 06:20 | 映画 | Comments(0)

仁淀川編(20):安居渓谷(15.8)

 すこし歩くと乙女河原です。浅瀬なので、膝まで水に漬かりながら川遊びを楽しみました。いろいろな色合いの川底の石があまりに綺麗なので、思わず見惚れてしまいました。そういえば、依然に桂離宮を訪れた時に、係の方が、人が少なく雨に濡れた石が美しい六月がお薦めとおっしゃっていました。おっ魚がいるぞ、何という魚なのでしょうか。
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 そして向こう岸へ渡り、飛龍の滝へと行きました。今日は気温が高いので、二人とも泳ぐ気満々です。さっそく上着・長パンを脱いで滝壺へ入りました。水温は人肌ぐらい、ちょうどよろしゅうございました。大きな滝壺を平泳ぎで遊弋、きれいな水、豪快な滝、緑の木々と青い空、なんて気持ちがいいのでしょう。このあたりはブヨも少なく、安心して遊ぶことができました。
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 至福のひと時を過ごし、バンガローに戻って昼寝と読書とビールと珈琲を堪能。昨日と同じ一日を今日も過ごせることの幸せをかみしめました。
 夕方になったので宝来荘へ行き、宝来橋やその近くを散策。明日は森の井上旅館へ移動するので、この美しい景色も見納めです。
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 そして風呂にはいって夕食をいただきました。
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 食後に、井上旅館へ電話連絡を入れようとしたら、山ノ神の携帯電話は圏外で使用できません。宿の事務室宿で電話を借り、井上旅館浪漫亭に電話をしました。アクセスを訊ねたところ、最寄りのバス停は「大渡(おおど)」で歩いて三十分かかるそうです。「森」というバス停もあることはあるが、本数が少ないとのこと。転ばぬ先の杖、石橋を叩いたら壊れた、タクシーで行ったほうが無難のようです。電話でタクシーを予約して大崎バス待合所で明日10:30に待っていてもらうことにしました。

 そしてバンガローに戻り、ラジオ講座を流しながら読書。寝つきのよい山ノ神は午後九時を過ぎると、もう眠りについていました。すると突然がばと身を起こす山ノ神。「どうしたの?」と訊ねると、流れ星の光で目が覚めたそうです。ほんとかい。

 本日の十枚です。
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by sabasaba13 | 2018-07-23 06:19 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(19):安居渓谷(15.8)

 午前六時、爽やかに目覚め、ベランダに出ると朝日が輝いていました。今日も良いお天気です。昨日拾った箸置き用の小石もすっかり乾きました。宝来荘で朝食をいただき、バンガローへ戻ろうとすると、「虫対策 昔ながらのカヤを使っては 一日レンタル有ります」という貼り紙がありました。そういえば、稀代の旅行家・イザベラ・バードが、日本で一番辟易したのは虫だと言っていましたっけ。なお宝来荘のマスコット・キャラクターは「おとめチャン・ほうらいクン」でした。
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 そしてバンガローに戻って水着に着替え、まずは宝来荘近くの荒男谷を散策しました。巨岩・奇岩がごろごろと点在し、その岩の上や間を、仁淀ブルーの水がさまざまに表情を変えながら流れていきます。ここも素晴らしい景観でした。

 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2018-07-21 06:22 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(18):安居渓谷(15.8)

 そろそろ夕刻となったので、宝来荘へ行って風呂にはいり、夕食をいただきました。食後、高知新聞(15.8.9)を読んでいると、"三重県 写真展後援中止 「辺野古反対」を問題視"という見出しの記事がありました。
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 私の文責で要約すると、世界の紛争地帯で撮影された「DAYS JAPAN」選出の国際フォトジャーナリズム大賞を受賞した報道写真や沖縄の基地問題に関する写真を展示する「フォトジャーナリズム展三重2015」の後援を、三重県・県教育委員会が取り消しました。県教委の担当者は、「後援を承認した段階とは異なり、米軍基地の辺野古移設を反対する内容が含まれていることが問題だ。反対住民を海上保安庁が暴力で排除したとする写真のキャプションも不適切」と説明しています。写真展のチラシを見た県民から「基地移設に反対する写真展を後援するのはいかがなものか」という電子メールが寄せられたのが、きっかけのようです。
 この説明には納得がいきません。第一に、米軍と日本政府が決定したことに反対してはいけないということでしょう。しかしジャーナリズムの存在理由は「権力の監視」、それを放棄した時点でその名に値しないものとなります。三重県は、ジャーナリズムは「権力の広報」と考えておられるのでしょうか。第二に、海上保安庁による反対住民への暴力にふれたキャプションが"不適切"だという説明が曖昧です。なにが不適切なのか? 海上保安庁による暴力を暴露したことなのか、あるいは暴力は振るわれていないのにそれを捏造したというのか。
 いずれにしても、米軍と日本政府に逆らうことへの恐怖と、逆らう者への憎悪を感じます。いまの日本社会が抱えるどす黒い闇を垣間見せる、気になる記事でした。
 そしてバンガローに戻り、ラジオ講座を流しながら読書、就寝。今日も、いい一日でした。
by sabasaba13 | 2018-07-19 06:28 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(17):安居渓谷(15.8)

 そしてバンガローに戻り、水着に着替えましたが、今回はブヨ対策として長いパンツをはいていくことにしました。
 川沿いの車道を20分ほど歩いて「もみじ公園」へ、せり割り洞穴をくぐりぬけて整備された遊歩道を歩いて水晶渕に到着。今日も水に入ってしばし川遊び、仁淀ブルーを堪能しました。
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 さて問題のブヨです。戦友の団扇をそばに置いて、すばやく体をふいて上着と長いパンツをはきましたが、昨日ほどの大群は襲ってきません。露出した肌が発する熱か二酸化炭素に呼び寄せられるのかもしれませんね。河原の石に腰掛けて、箸置きに使えそうな形の良い石をいくつか拾いました。
 砂防ダムまで遊歩道を散策して、美しい風景を撮影。箸置きに使うきれいな小石もいくつか拾いました。そしてバンガローに戻って着替え、ビールを飲んで昼寝をしました。小一時間ほど寝て目が覚めたので、お湯を沸かして持参したドリップコーヒー「モンカフェ」をいれて飲み、しばらく読書、そしてまた昼寝。この快楽を味わうと、もう社会復帰が困難になりそうです。

 本日の七枚です。
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by sabasaba13 | 2018-07-17 06:19 | 四国 | Comments(0)

仁淀川編(16):安居渓谷(15.8)

 午前六時、爽やかに目覚め、ベランダに出ると今日も良いお天気です。宝来荘で朝食をいただき、食後の散歩で千仞峡とみかえりの滝へ行ってみることにしました。
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 そう、来るときに見かけた景勝地です。安居渓谷に沿う車道を下流へと歩いていくと、きれいな河原がありました。ちょうど階段があったので降りようとすると、山ノ神が慌てて戻ってきます。「どうしたの?」「…マムシ」 はい、一目散に撤収しました。ブヨにマムシ、ワイルドですねえ。次は何と遭遇するのでしょう。猪か熊かな。
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 二十分ほど歩くと、岩肌にそって落ちる、みかえりの滝に着きました。滝を写真におさめ、安居川が鋭く抉った千仞峡を道路から見下ろします。
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 渓谷を眺めながら宿の方へ戻ると、美しいクロアゲハに出会えました。途中には、こんな看板がありました。
 この河川で川石(庭石)などを採取することは法令により禁止されています。不法採取を発見したときは通報して下さい。
越知土木事務所 佐川警察署
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 なるほど、そこかしこに良い風情の大きな石がごろごろころがっています。それを無断で持ち去り庭石として使う、あるいは売る不届き者がいるのですね。もちろん持ち去りはしませんが、あの石とこの石とその石をこう配置して庭をつくろうと考えると、庭つくりの醍醐味がすこしわかるような気がします。『シリーズ京の庭の巨匠たち 重森三玲Ⅱ』(京都通信社)の中で、重森三明氏はこう述べられています。
 通常、日本庭園の石組には自然石が使われる。彫刻されていない自然のままの素材を用いて、新たな超自然の美を創りだすのが庭園芸術である。したがって、どのような石を選び、それをどう配置するかによって、作品の完成度は左右され、庭の良し悪しが決まる。(p.102)

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2018-07-15 08:14 | 四国 | Comments(0)

言葉の花綵179

 国家は人間のために存在し、人間が国家のためにあるのではない。(ドイツ憲法(基本法)草案)

 今日以後、諸君は秩序正しく死ぬことを学ぶのだ。(カミュ 『戒厳令』)

 愚劣が、とうていまぬかれえない人間的条件であること。同時に人間は、愚劣であることを知る能力があること。これによって人ぎらいになるか、あるいは人間に執着を感じるか。ここに決定的な別れ道がある。(中島健蔵)

 貧乏と苦労が頭の働きに磨きをかけ、知識に現実性を与えた。(張志楽(チャン・チラク) 『アリランの歌』)

 信頼は、どこでも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく猜疑にもとづいて建国される。(トマス・ジェファソン)

 左手は、センプレ・フォルテッシモ。(イツァーク・パールマン)

 善きことは、カタツムリの速度で動く。(マハトマ・ガンジー)

 民衆のにくしみに包囲された軍事基地の価値は0にひとしい。(瀬長亀次郎)

 どんな鳥も想像力よりは、高く飛べない。(寺山修司)

 歴史を学びなさい。何故なら私たちを、政府のいうことを鵜呑みにせず、自らの頭で考えられるようにしてくれるからです。(ハワード・ジン)

 ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報にすぎない。(ジョージ・オーウェル)

 「政治に関心がない」「選挙は重要じゃない」と言う人がいるが、政治を放棄することは少数者による支配を許すことにつながる。最も重要なことは勝利することではなく、歩き続けること。何かを始める勇気を持つことだ。(ホセ・ムヒカ)

 轢死は皆が合意したウソの集合体である。(ナポレオン)
by sabasaba13 | 2018-07-13 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)