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「BALLUCHON」

c0051620_1456755.jpg ジャズが大好きですが、専門誌を読んで新譜を追いかけるほどではない、へたれな愛好家です。主に参考にしているのは『週刊金曜日』の音楽評、時々素敵なジャズ・アルバムを紹介してくれるので重宝しております。ビル・エヴァンスの『アナザー・タイム』も本誌で知りました。
 この音楽評で紹介されていたのが、小川理子(みちこ)氏の最新ジャズ・ピアノ・アルバム『BALLUCHON(バルーション)』。何と彼女は、パナソニック株式会社で執行役員とアプライアンス社副社長・技術本部長の要職にあり、さらに日本オーディオ協会の会長も務めるなど、日本の家電・オーディオ業界を牽引している方だそうです。選曲は、2018年に生誕 120 周年を迎えたジョージ・ガーシュインの作品と、2019 年に生誕120 周年を迎えるデューク・エリントンの作品を中心としたスタンダード・ナンバー。そしてレーベルは、オーディオ評論家の潮晴男氏と麻倉怜士氏が運営する「ウルトラ・アート・レコード」、音質も期待できそう。A面は麻倉怜士氏がプロデュースし、メンバーは浜崎航(ts・fl)、中平薫平(bs)、吉良創太(ds)。B面は潮晴男氏がプロデュースし、メンバーは田辺充邦(g)、 山村隆一(bs)、バイソン片山(ds)。アナログ・レコードを意識した構成になっています。

 うわお、ご機嫌なアルバムでした。一聴、驚いたのはその音の美しさとタッチの明晰さです。黒々とねばりつくパワフルな音を期待する方には少々物足りないかもしれませんが、私はこれはこれで楽しめました。まるで真珠のように、ひとつひとつの音の粒が際立ち輝いています。ライナーノートによると、彼女は、3 歳からピアノレッスンを開始、バッハからモーツァルト、ベー トーヴェン、ショパン、リスト、さらには現代音楽まで弾きこなすそうです。コード(和音)の響きが美しいのも、そのクラシック・ピアノを練習した賜物でしょう。それに加えて、スピード感とグルーヴ感がアルバム全体を貫き、思わずスイングしてしまいます。「Oh lady be good」「Love for sale」「In a sentimental mood」「Do nothing till you hear from me」「I got Rhythm」「But not for me」「Take the A train」「C jam blues」「Smile」「Perdido」「Nobody knows the trouble I've seen」「Lady Madonna」、みんな素晴らしい出来ですが、私が一番好きなのが何といってもデューク・エリントンが1935年に作曲した名曲「In a sentimental mood」でした。この曲には、作曲者本人とジョン・コルトレーンによる名演がありますが、それと双璧をなします。上質なタッチと、情感に溢れた即興演奏、しかし感情に流されずに凛とした佇まいが見事。身も心も溶解し、聞き惚れてしまいました。
 また「Do nothing till you hear from me」「Smile」「Nobody knows the trouble I've seen」では、ハスキーな声でヴォーカルを披露してくれます。中でも「スマイル」は私の大好きな曲、しんみりと拝聴いたしました。チャールズ・チャップリンの映画『モダン・タイムス』で使用されたテーマ曲に、ジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズが歌詞とタイトルを加えたものだそうです。映画では、少女(ポーレット・ゴダード)とチャップリンが勤めていたキャバレーを解雇され絶望にうちひしがれる彼女を、「笑って」と励ます場面で流れた曲ですね。高校生の時、ラジオから流れたこの曲を聴いて思わずほろりと涙ぐんだ記憶があります。
 なおアルバムタイトルのBalluchon (バルーション)とは、フランス語で「旅立ち」の意味だそうです。彼女がどこまで行くのか、楽しみです。
by sabasaba13 | 2019-01-31 07:43 | 音楽 | Comments(0)

言葉の花綵187

 来山はうまれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし (小西来山)

 あの多くの年若い少年たちにとって戦争がなんであったかを思い出してみるがいい。それは四年間の長い休暇だったのだ。(『肉体の悪魔』 レーモン・ラディゲ)

 批評家とは馬の尻尾にたかるアブにすぎない。だから私は批評を一切読まない。(ウィリアム・フォークナー)

 自分をかばうな。(佐藤秀人)

 日々の生活を愛でる。
 お金に換え難い足元を大事にする暮らし。(野村友里)

 確信を持った一人の人間は、たんに利害関係のみを有する99人に匹敵しうる社会的力である。(ジョン・スチュアート・ミル)

 理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解できないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる。(村上龍)

 政府が持っているすべての情報は国民の情報である。その国民の情報にアクセスできなければ、それは茶番か悲劇、もしくはその両方の始まりである。知識は永遠に無知を支配する。(ジェームズ・マディソン)

 人々が政府のことについてすべてのことを知っていること、これが民主主義だ。政府が多くのことを知っているが人々が政府のことを知らない、これは専制政府である。(アリストテレス)

 憎むことができないということが嬉しかった。(ナターリヤ・イワノーヴナ・セルゲーエワ)

 人間は戦争よりずっと大きい。(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ)

 今の時代、個人、個人の勇気が試されている。自分に対して、そして他人に対しても、本当のことを言う勇気が必要なのです。(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ)

 過去を忘れてしまう人は悪を生みます。そして悪意以外の何も生み出しません。(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ)

 一人の人間の中で人間の部分はどれだけあるのか? その部分をどうやって守るのだろうか? (ドストエフスキイ)

 たった一人の子供といえども、その子の苦しみを代償にして社会全体の幸せを得ていいのだろうか? (ドストエフスキイ)
by sabasaba13 | 2019-01-29 06:28 | 言葉の花綵 | Comments(0)

『日日是好日』

c0051620_18131997.jpg 実は、わが敬愛する山ノ神、大学生の時から十年ほど裏千家茶道のお稽古に勤しんでいました。その後、とんとご無沙汰しておりますが、旅先で茶室や露地を見たり、抹茶や茶わんを買ったりと、その情熱は埋れ火のように熱があるようです。その彼女から、茶道をテーマにした映画が上映されているので見にいかないかと誘われました。タイトルは『日日是好日』、"ひび"かと思ったら"にちにち"と読むのですね。原作は、エッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々をつづり人気を集めたエッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫)、監督は大森立嗣、そして主演は黒木華、共演は樹木希林と多部未華子。これは面白そう、師走好日に池袋の「シネ・リーブル」で見てきました。なお"日日是好日"とは禅語のひとつで、『碧巌録』第六則に収められている公案だそうです。
 まずは公式サイトからあらすじを転記します。
 大学時代に、一生をかけられるような何かを見つけたい。でも、学生生活は瞬く間に過ぎていき-。典子(黒木華)は二十歳。真面目な性格で理屈っぽい。おっちょこちょいとも言われる。そんな自分に嫌気がさす典子は、母(郡山冬果)からの突然の勧めと、「一緒にやろうよ!」とまっすぐな目で詰め寄る同い年の従姉妹、美智子(田部未華子)からの誘いで"お茶"を習うことになった。まったく乗り気ではない典子だったが、「タダモノじゃない」という武田先生(樹木希林)の噂にどこか惹かれたのかもしれない。
 稽古初日。細い路地の先にある瓦屋根の武田茶道教室。典子と美智子を茶室に通した武田先生は挨拶も程々に稽古をはじめる。折り紙のような帛紗さばき、ちり打ちをして、棗を「こ」の字で拭き清める。茶碗に手首をくるりと茶筅を通し「の」の字で抜いて、茶巾を使って「ゆ」の字で茶碗を拭く。お茶を飲み干すときにはズズッと音をたてる。茶室に入る時は左足から、畳一畳を六歩で歩いて、七歩目で次の畳へ。意味も理由もわからない所作に戸惑うふたり。質問すると「意味なんてわからなくていいの。お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」という武田先生。「それって形式主義じゃないんですか?」と思わず反論する美智子だが、先生は「なんでも頭で考えるからそう思うのねえ」と笑って受け流す。毎週土曜、赤ちゃんみたいに何もわからない二人の稽古は続いた。
 鎌倉の海岸。大学卒業を間近に控えたふたりは、お互いの卒業後を語り合う。美智子は貿易商社に就職を決めたが、典子は志望の出版社に落ちて就職をあきらめたのだ。違う道を進むことになったふたりだが、お茶の稽古は淡々と続いてく(ママ)。初めて参加した大規模なお茶会は「細雪」のようなみやびな世界を想像していたが、なんだか大混雑のバーゲン会場のようだ。それでも本物の楽茶碗を手にし、思わず「リスみたいに軽くてあったかい」と感激した。就職した美智子はお茶をやめてしまったが、出版社でアルバイトをしながらお茶に通う典子には後輩もできた。お茶を始めて二年が過ぎる頃、梅雨どきと秋では雨の音が違うことに気づいた。「瀧」という文字を見て轟音を聞き、水飛沫を浴びた。苦手だった掛け軸が「絵のように眺めればいいんだ」と面白くなってきた。冬になり、お湯の「とろとろ」という音と、「きらきら」と流れる水音の違いがわかるようになった。がんじがらめの決まりごとに守られた茶道。典子はその宇宙の向こう側に、本当の自由を感じ始めるが…。
 お茶を習い始めて十年。いつも一歩前を進んでいた美智子は結婚し、ひとり取り残された典子は好きになったはずのお茶にも限界を感じていた。中途採用の就職試験にも失敗した。お点前の正確さや知識で後輩に抜かれていく。武田先生には「手がごつく見えるわよ」「そろそろ工夫というものをしなさい」と指摘される。大好きな父(鶴見辰吾)とも疎遠な日々が続いていた。そんな典子にある日、決定的な転機が訪れるのだが-。
 何と静謐で優しくて心暖まる映画でしょう、見て良かった。茶の湯の奥深さを教えていただいたことを感謝します。
 ある意味、この映画の主人公は、茶室という空間とそこに流れる時間だと思います。落ち着いた雰囲気の茶室と、清々しい露地。想像をかきたてながら客をもてなす茶道具や掛け軸や和菓子。若く初々しい典子と美智子が初めて武田先生のお宅を訪れた時には「薫風自南来」、雨の日は「聴雨」、暑い日には長く下に伸びる縦棒が印象的な「瀧」、典子が就職試験を受ける時には「達磨画」がかけられていました。和菓子では、厳しい冬を耐えて雪解けの大地から萌え出る緑を表わした「下萌(しぐれ)」が心に残りました。
 また茶室という空間が、しなやかに生き生きと自然と交換している様子も上手く描かれています。障子を通して差し込む柔らかな光、耳に聞こえる雨の音・風の音、肌身で感じる冬の寒さに夏の暑さ。和紙を貼り開け放てる障子と薄い木の壁という貧相な構造が、細胞膜のように自然をとりこめる機能を果しているのですね。
 そして移りゆく季節に合わせた茶道具・掛け軸・茶花・和菓子の数々。季節ごとに形式の定まった茶会。でも武田先生は、初釜の時にこうおっしゃっていました。
 私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって。
 うーむ、深いですね。そういえば千利休がこう言っていましたっけ。
 茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし
 また岡倉天心は『茶の本』(岩波文庫)の中で、こう言っていました。
 まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。(p.30)
 自然を感じながら客人と茶を愉しむ。その些事に無上の喜びを見出す。そこは競争も成長も欲望もない静謐な世界。タイトルの「日日是好日」とは、こういう世界のことなのですね。
 さまざまな悩み・悲しみを持つ典子が、武田先生を通して茶の湯と出会い成長していく姿がとてもよく描かれていました。いや、成長ではないな。上手く言えませんが、人を苦しめる無駄なものが削ぎ落されていく過程を描いた映画だと感じました。見事な演技でそれを表現した黒木華と樹木希林に乾杯。
 「今だけ、金だけ、自分だけ」という迷妄にふりまわされ、生き地獄を現出させてしまったわれわれ現代人必見の映画です。お薦め。

 なお先述の『茶の本』は、含蓄ある言葉に満ちた滋味深い本です。いくつか紹介しましょう。トランプ大統領の*を舐めるために2019年度からの五年間で約27兆4700億円の軍事費を支出せんとしているどこかの首相に、桐箱に入れて水引をかけて進呈します。
 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道-わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術-について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが、もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。(p.23)

 実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。(p.69)

 この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく絶えず悲惨な状態にいる。(p.86)

by sabasaba13 | 2019-01-27 06:14 | 映画 | Comments(0)

函館・札幌編(29):札幌(15.9)

 そして18:43に札幌に到着。まずは駅前のバスターミナルで、余市行き「高速ニセコ号(ニセコいこいの村行き)」の切符を購入しました。地下鉄南北線に乗って大通駅で下車、外に出て数分歩くと今夜の塒「狸の湯 ドーミーイン札幌ANNEX」に着きました。実は札幌の宿をインターネットでさがしたのですが、ハイ・シーズンのためどこのホテルも満室で、ここしか押さえられませんでした。結論を言ってしまうと、二度と泊まりたくないホテルでした。とにかく部屋もロビーも朝食会場も狭苦しく、大勢の宿泊客を詰め込んでいるので圧迫感に苛まれます。おまけに宿泊代も高く、もうこのホテルに泊まるのは真っ平御免ですね。
 それはともかく、カニをたらふく食べたいという山ノ神の夢をかなえてあげようと、午後八時に「かに屋本店」に予約を入れています。部屋に荷物を置き、「るるぶ」片手にお店へと向かいました。
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 注文したのはズワイかにすきコース「ひだか」。おおよく来たな、近う寄れ、苦しうないぞ、カニ料理のオンパレードです。付出し、かに豆腐、かにみそ、ズワイかにお造り、ズワイかに酢、かにシューマイ、甲羅揚げ、ズワイかにすき、雑炊、香の物、デザート。蟹含草を食べたら、カニの身とミソがポロシャツを着て胡坐をかいているだろうなあ。
 お値段は7020円ですが、こういう場面では炯眼な山ノ神、「るるぶ」持参で10%割引という情報をきっちり入手していました。なお大学生らしき若者グループがカニを食べにきていたのを見て、ほんの少しムカっときました。私が大学生の頃は、学生食堂のカレーライス(180円)と納豆(50円)とキャベツ(10円)、およびマヨネーズをつけた食パンが主食だったのに。そうそう、平安貴族をデザインしたトイレ男女表示もありました。
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 「かに将軍」の看板を撮影してホテルに戻る途中、「世界一の食べ放題 一頭買いの心意気」という看板が躍る焼き肉屋がありました。
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 それを見ながら山ノ神、「明日はジンギスカンを食べたい」という御神託を出されました。御意、人生意気に感ず功名誰か論ぜん、妻の意見と茄子の花にゃ千に一つの無駄もない、蜜柑金柑酒の燗嫁を持たせにゃ働かん、伺候いたしましょう。ホテルのロビーで「るるぶ」を繙き、「炭焼き成吉思汗やまか」という店に白羽の矢を当てました。さっそく電話をして、明日の午後九時に予約をいれました。さあ明日は、「マッサン」ファンの山ノ神のために、ニッカウヰスキー余市蒸留所を訪れる予定です。

 本日の五枚、ズワイかにお造り、焼きがに(タラバ)、ズワイかに酢、ズワイかにすき、甲羅揚げです。
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by sabasaba13 | 2019-01-25 06:27 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(28):大沼公園(15.9)

 函館駅13:54発の特急北斗9号に乗り、14:16に大沼公園駅にとうちゃこ。まずは荷物をコインロッカーに預けようとすると…400円! 観光地価格なのですかね。顔はめ看板を撮影して外へ出ると、なかなか洒落た駅舎でした。
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 正面と左右にある縦長の三連窓、むくり屋根のような三角屋根、チャーミングな建物です。
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 駅から歩くこと数分で、そこはもう大沼公園です。活火山・駒ヶ岳の裾野に広がる9000ヘクタールに及ぶ自然公園で、大沼・小沼・じゅんさい沼などの湖沼と大小126もの小島があり、そのいくつかは橋で結ばれ、遊歩道を歩いて島めぐりができるようになっているそうです。これは楽しみですね。
 幸いなことに快晴に恵まれ、心地良い散歩ができました。美しい湖沼、瑞々しい緑の木々、爽やかな微風、そして輝く太陽と青い空と白い雲。心と体に溜まりに溜まった澱が洗い流されるようです。鏡のような湖面に移る青空や木々の、それはそれは美しいこと。大沼に出ると、魁偉な姿の駒ヶ岳が見えてきました。この独立峰の活火山は当初、富士山のような円錐型の山容をもっていましたが、度重なる爆発によって、荒々しい山頂部となだらかな裾野をもつ現在の姿となったそうです。漣がたって、逆さ駒ヶ岳が見られなかったのが残念でしたが。
 それでは札幌へと移動しましょう。駅へ向かい途中に「沼の家」があったので、ご当地名物の「大沼だんご」を購入。大沼公園駅15:33発のスーパー北斗11号に乗り込み、小腹がへっていたのでさっそくいただきました。もちもちプルプルした、一口大の小さなお団子を堪能。なお串で通さないお団子は、大沼の湖面に浮かぶ小島に見立てているそうです。
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 "沿線の小駅を石のやうに黙殺して"特急列車は、札幌を目ざして噴火湾沿いを疾駆。振りかえると駒ヶ岳の偉容がよく見えました。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2019-01-23 06:33 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(27):函館(15.9)

 東坂をおりると、右手に旧小林写真館があります。神戸から函館に渡ってきた写真家・小林健蔵が1902(明治35)年に開業した写真館で、建物は1907(明治40)年築、現存する写真館として北海道最古の洋風建築だそうです。
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 電車通りを渡ってすこし歩くと、かつての廻船問屋遠藤商店の店舗を利用したカフェダイニング「JOE&RACCOON」があります。三連アーチが洒落た白亜の洋館で、竣工は1885(明治18)年。なお"JOE"とは、この店近くの海岸から密航した新島襄にあやかったそうです。
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 そのとなりにあるのがレストラン「MOSSTREES」、明治末期に建てられた船具店を利用しています。西部劇に出てきそうなアメリカ開拓時代風の建物で、ヘンリー・フォンダが現われてテラスの椅子に腰かけて手すりに足を乗せそう。
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 民宿「室屋」は、明治後期の町屋風の和風建築。元は海産商の店舗だったそうです。
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 東へと歩き、基坂を電車通りへのぼると、ミシュラン・ガイドで☆の相馬株式会社社屋があります。相馬株式会社は、相馬哲平が1863(文久3)年に米穀商「相馬商店」として開業、後に漁業仕込みや海陸物産商、土地投資などに事業転換しました。そう、旧函館区公会堂をはじめとする函館の発展に私財を投じて尽力した方ですね。1913(大正2)年築のルネサンス風建築で、ぺディメントやドーマー窓(屋根に突き出た窓)が印象的な、お洒落な建物です。
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 その向かいにあるのが函館市北方民族資料館、かつての日本銀行函館支店です。竣工は1926(大正15)年、何とも無機質で不愛想な佇まいですが、これは昭和30年代に実施された大規模な増改築の結果だそうです。
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 それでは市電に乗って函館駅へと向かいましょう。幸い時間の余裕があるので、ホテルで今朝入手した5%割引のクーポンを握りしめて函館朝市どんぶり横丁市場「味鮮まえかわ」に入り、イカ刺しをいただきました。やっぱり函館に来たらイカを食べなくちゃね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2019-01-21 07:30 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(26):函館(15.9)

 公会堂のある元町公園を出て基坂をおりると、右手に旧イギリス領事館(開港記念館)があります。
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 後学のために解説文を転記します。
 函館にイギリス領事館が置かれたのは、安政6年(1859年)日本最初の貿易港として開港した時のことで、函館ではアメリカ、ロシアに次いで3番目の領事館として、初代領事ホジソンが称名寺に開設しました。文久3年(1863年)に現在の元町のハリストス正教会の西隣に領事館を新築しましたが、数度の火災にあい、この建物は、イギリス政府工務省上海工事局の設計により、大正2年(1913年)に竣工したものであり、昭和9年(1934年)の閉鎖まで領事館として使用されていました。平成4年(1992年)8月からは、開港記念ホール、開港の歴史を伝える展示室、旧外国公館の雰囲気の中で食事や各種ディナーを楽しめるレストラン・喫茶室などを設け、一般公開をしております。
 弁天末広通を左に進むと、函館山を背景に公会堂がよく見えます。このあたりで、蔵のある洒落たお宅を見かけました。
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 そして異国情緒にあふれる中華會舘へ。
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 解説文を転記します。
 中華会館は純中国様式の建築として日本に現存する唯一の貴重な建物である。
 函館から中国への海産物貿易の盛んな頃に在函華商が信仰する三国時代(魏・呉・蜀)の蜀の武将として活躍した関羽=関帝を奉祀する聖所として中国から大工・彫刻師・漆工らを招き、煉瓦・祭壇・什器等資財も中国から取り寄せ、約3年の工期と巨費を投じて明治43年(1910年)12月に竣工した。
 内部は金色燦然たる関帝壇を中心として周囲に小部屋を配し、装飾、調度品は壮麗を極めている。
 建物は社団法人函館中華会館の所有である。
 はす向かいには、四つ角にそって湾曲する壁面が印象的な弥生小学校がありました。函館最大規模の大火(1934)後の復興建築として建てられた学校のひとつです。竣工は1938(昭和13)年、4階建の重厚な鉄筋コンクリート造り。中央にグラウンドを置いたロの字型で、大火時の住民の避難所としての役割も当てられました。しかし老朽化のために解体され、その外壁の一部が新校舎に利用されているそうです。ちなみに石川啄木が勤めた小学校で、この学校の教師橘智惠子に彼は惚れたのですね。亀井勝一郎もここを卒業しました。
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by sabasaba13 | 2019-01-19 07:34 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(25):函館(15.9)

 そして函館支庁を睥睨するように屹立しているのが、華美・過剰な意匠・装飾で周囲を圧する旧函館区公会堂です。
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 解説文を転記します。
 明治40年(1907年)8月の大火は函館区の約半数、12,000戸余りを焼失した。
 この大火で区民の集会所であった町会所も失ったため「公会堂建設協議会」が組織され、建設資金として区民の浄財を募ったが、大火後のため思うように集まらなかった。
 当時、函館の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗などの多くを焼失したにもかかわらず5万円の大金を寄付したため、これをもとに明治43年(1910年)現在の公会堂が完成した。
 この建物は北海道の代表的な明治洋風建築で左右対称形になっており、2階にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表わしている。
 昭和49年5月、国の重要文化財に指定され、昭和57年約3年を費やして修復された。
 そう、さきほど触れた豪商・相馬哲平の寄付によって建てられたのですね。彼といい、旧青年会館(現函館市公民館)建設のために寄付をした石館友作といい、函館にはノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)の精神にあふれた富裕者が多々いたのですね。「金だけ、今だけ、自分だけ」しか考えない昨今の富裕者とはえらい違いです。
 痛快なエピソードをひとつ。武骨な官庁舎を見下ろす華麗な公会堂の対比が印象的なのですが、じつは函館は在野の精神が横溢するところ。1907年の大火事の後、まず政府が支庁舎を再建しますが、相馬哲平をリーダーとする有力市民たちは寄付をもちより、支庁を見下ろす高い所に派手で立派な公会堂を建設したのですね。その意気やよし。これまた官僚に媚び諂う昨今の富裕者とは雲泥の差。
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 そして公会堂の二階から見渡す素晴らしい眺望をぜひ山ノ神に見せてあげたいので、中に入りました。二階のテラスに出ると、ブンダバー、函館の街並みと港、函館湾を手に取るように一望できます。これは必見です。
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by sabasaba13 | 2019-01-17 06:23 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(24):函館(15.9)

 そして八幡坂へ、やはりこの坂の景観は素晴らしい。ゆるやかな坂道と並木がおりなす構図は、まるで遠近法を用いた風景絵画のようです。バニシング・ポイントには紺碧の海、その向こうには緑の山々。港へ向かって歩いていく若いカップルに幸多かれと祈りながら、写真を撮影。
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 旧相馬邸は1908(明治41)年に建てられた、豪商・相馬哲平の邸宅。細部にも贅が尽くされた豪邸ということで、見学をしたかったのですが、いかんせんそろそろ列車に乗る時刻が迫ってきました。泣いて馬謖を斬る、韓信の股くぐり、見学はやめて再訪を期しましょう。なお「ブラタモリ ♯8 函館の夜景」でここが紹介されたというポスターが貼ってありました。この番組は日ごろから愛聴していますが、函館編は見逃してしまいました。
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 そしてギリシア神殿風のファサードが印象的な旧北海道庁函館支庁庁舎へ。
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 解説文を転記しておきます。
 旧北海道庁函館支庁庁舎は、明治42年(1909年)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982年)に修復整備されたものです。特徴のひとつに柱廊玄関があり、2階に張り出した屋根が柱頭飾り(コリント式)と中央部に膨らみのある(エンタシス風)巨大な4本の柱で支えられています。
 明治末期の函館を伝えるこの洋風建築は、北海道開拓の歴史上価値が高いことから、昭和60年(1985年)北海道有形文化財に指定されています。
 現在は、1階を元町観光案内所として利用し、2階は「写真歴史館」として"北海道写真発祥の地 函館"の歴史を伝える貴重な写真機器や資料を展示しています。
 なお、江戸時代、ここ元町公園には、松前藩の亀田番所が置かれ、19世紀初めの幕府直轄時には、箱館奉行が置かれました。安政元年(1854年)に日米和親条約で箱館の開港が決まると、当時松前藩が復領していたこの地は再び幕府の直轄となり、箱館奉行が再置されましたが、港湾から近く防衛上不利であったことなどから、元治元年(1864年)に亀田の地(五稜郭)に移転しました。
 その近くに、小振りながら煉瓦造りの重厚な旧開拓使函館支庁書籍庫があります。図書館マニアなら見逃せない物件です。
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by sabasaba13 | 2019-01-15 06:16 | 北海道 | Comments(0)

函館・札幌編(23):函館(15.9)

 そしてカトリック元町教会へ。残念ながら催しがあって中へ入れませんでしたが、こちらの内装がミシュランで☆と評価されたのですね。
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 解説文を転記します。
 元町教会は、安政6年(1859)フランスの宣教師メルメ・ドゥ・カション(パリ―外国宣教司祭)が仮聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリシタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史をもつ教会である。
 明治元年(1868)同宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、その後、明治10年(1877)同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。
 以後3回の大火で類焼したのち、大正13年(1924)現在の大聖堂が完成した。この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁十四景の十字架道行の壁像は、イタリーのチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から贈られた由緒あるものである。
 大三坂は、洋館と石畳と街路樹、そしてカトリック元町教会の塔と函館山があいまって、素敵な景観です。街路樹のナナカマドが紅葉する秋には、幻想的な美しさとのこと。見てみたいものです。なお「大三」とは、地方から奉行所へ公用でやって来る人たちのため、坂の入口に建てられていた郷宿の家印に由来するそうです。
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 ひときわ目を引く洋館が、旧亀井邸。赤い鋭角的な三角屋根の白亜の館で、縦長の窓がリズミカルに並ぶ湾曲した突出部が洒落ています。なんとこのお宅は、亀井勝一郎の実家とのこと。
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 日本基督教団函館教会は残念ながら工事中で、シートに覆われていました。
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 後学のために、解説を転記しておきます。
 明治6(1873)年12月に、アメリカからメソジスト派の宣教師M.C.ハリスが来日し、翌年1月に函館で伝道を始めた。「函館美以教会」と名付けられたこの教会は、プロテスタント教会では国内で三番目に古いものである。来函当時は、ドイツ人代弁領事殺害事件が起きるなど、不穏な世情であったが、ハリスは恐れることなく布教に身を捧げた。また彼は札幌にも伝道し、内村鑑三や新渡戸稲造など札幌農学校(現北海道大学)の学生の指導にあたり、洗礼を授けた。
 一方ハリス夫人は女子教育に尽力し、これがカロライン・ライト・メモリアル女学校(遺愛学院)設立の契機となった。
 教会堂は、明治10年に建てられたが、火災により焼失し、数度の変遷を経て、昭和6(1931)年に現在の教会堂「ハリス監督記念礼拝堂」が建った。昭和16年に、プロテスタントの教派の合流があり、現在の教会名になっている。

by sabasaba13 | 2019-01-13 07:28 | 北海道 | Comments(0)